トラックとパンツと人生で大事なもの |
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「人生について知っているか!?」 自転車で高校へ向かっている途中のことだ。信号待ちをしている俺に、四トントラックの荷台から女子高生が大声で呼びかけてきた。コンテナを乗っけたようなタイプの箱トラなので、彼女の立ち位置はかなり高い。そして彼女はミニスカートであった。 おれはいつものようにぼけっと彼女を見上げていた。丸見えのパンツではなく、せっかくの整った容姿を台無しにして叫びまくる、彼女の顔を注視した。 「人生に大事なものがわかっているか!? 私にはわかるぞ、人生で大事なものとは――」 言葉の途中で彼女の声は遠くなる。 信号が変わってトラックが発進したのだ。歩道のほうを向きながら大声で叫びつつ小さくなっていく少女。明るく長い髪をこいのぼりみたいにたなびかせながら時速四十キロで遠ざかっていった。 おれは部活で使ってるエナメルバッグを担ぎ直すと自転車をこいで横断歩道を渡った。 あの子は多分、知り合いではない。彼女は渡京香(わたりきょうか)という名前で、遠くの高校に通う三年生で、親がトラックの運転手をしていて、パステルカラーのパンツをよく履いている。 おれは彼女についてそれぐらいのことを知っているが、噂からの情報なので知り合いとはいえない。彼女はおれのことを知らないだろう。いや、覚えられていないだろう、という方が正しい気がする。 仮に彼女がおれについてなにか知っていたとしても、せいぜい『毎日六時五十分頃にさっきの交差点で自転車に乗って朝練に向かっている高校生』といったぐらいのことだろう。もしも多少スポーツに詳しいようであれば、担いでいるエナメルのバッグがサッカー部のものだということまでわかるかもしれない。まあ、知ったところでだからなんだという話だ。 おれにとっての彼女は、奇矯な愛嬌をもつ有名人。彼女にとっての俺は、不特定多数の一般人。 もちろん、それについてもどうということではないのだが、幼いころに親父をパンツに奪われた俺だ。彼女のパンツを見るたびに、俺の心は奇妙にざわついていた。 ◆ 夏の朝は明るい。 彼女が突風のように過ぎ去れば、道路脇の公園で雀がチュンチュンしている爽やかな日常だ。ここ最近は通学中に彼女と会うことが多いので、彼女もまたおれの日常の一部になりかけていることが若干の悩みの種ではあるが……。 自転車を漕ぎ進めているうちに、道路がやけに混んでいることに気付いた。国道なので普段からある程度混み合っているのだが、今日はちょっと異常だ。事故でもあったのか、一つの信号から次の信号までの間、途切れることなく車が続いていた。 もしかすると、どっかのドライバーがトラックの上に立つ少女のパンツに目を奪われて事故ったのかもしれない。 「まったく、はた迷惑なパンツだぜ」 パンツなんて世の中からなくなればいいんだ。ノーパン主義とか関係なくて。 そんなことを二割ぐらい本気で考えながら俺は自転車を漕ぐ。 前方のトラックの上。仁王立ちになっている少女のシルエットが、朝日を切り取って立っていた。渋滞で動けなくなっているうちに追いついたらしい。 「人生とは辛いものか!? 人生とは――」 あいも変わらず、道行く人々に向けて『人生』を連呼している。頭上から語りかけている。面白がって手を振る小学生やおじいちゃんおばあちゃん。なんだかんだと人気もそれなりにあるようだ。だが、下から何かを話しかけても完全に無視されてしまうこともまた有名であった。ナンパや苦情、金の工面から、恋愛相談、可愛いわんこが吠えかけたって、彼女はまるで何も聞こえていないかのように語り続ける。「人生とは何か?」という彼女の決まり文句は疑問形なのに、なんと答えようとも彼女はまるで聞いちゃいないのだ。 なので、どうせ無視されるのだろうと思いつつ。 「おーい!」 自転車がトラックに追いついたタイミングでおれは叫んだ。 「水色のパンツ見えてんぞー!」 それはもう、がなりたてる彼女の声に負けないように大声で。 スルースキルに定評がある彼女。その彼女の独演が止まり、数秒間の空白の後に彼女は小さくしゃがみこんだ。 おおっ、反応した! 自転車を停める。 自分でも意外だったが、俺は妙に喜んだ。それは、街の誰が声をかけても止めることのできなかった彼女の演説を止めたことによるものなのか。彼女が俺を認識したことに喜んだのか。 「おーい、今更隠しても遅いぞー。いっつも見えてたぞー。パンツ丸出しで人生語るなー」 気を良くして囃し立てた。 「う、うるさい……人生知らないくせに」 彼女は応戦してきたが、その声には先程までのの勢いはない。 おれは「水色ー」と叫んだ。 彼女はトラックの荷台の上にぺたんと小さく座り込んでしまったようで、下からは頭がかろうじて見える程度だ。その頭がどんどん俺から離れていき、ついに見えなくなった。多分、座ったまま反対車線の側に後じさったのだろう。もしかすると、トラックの上で干からびたトカゲのように這いつくばっているのかもしれない。 まさかパンツ見られてる自覚がなかったとはな。 おれは満足して一通り笑った。 なにげなく視線を感じて前を見れば、でかいドアミラー越しにスキンヘッドの運転手と目があった。いや、ヤクザ御用達って感じのでかいサングラスをかけているので、正確には目があったかどうかはわからないのだが、ミラー越しでも伝わってくる危険な気配を察知しておれの笑いはすぐに止まった。噂通りならば、多分彼女の親父だ。 命の危険を感じ、おれは慌てて自転車に飛び乗ってその場を去った。 ちなみに、渋滞の原因は信号機の故障だったようだ。 翌日も彼女を見たが、スカートの下にスパッツを履いていて、語りかける声もちょっとだけ小さくなった。 トラックのコンテナに乗って通学するのをやめるつもりはないようだったが。 ◆ 平和な学び舎に他校の不良が乗り込んできたのは、二日後の授業中でのことだ。 うちの高校はそれなりの進学校だったので、他校の不良とのいざこざなどとはもっとも縁遠い場所だと思っていた。事実、そんなことは俺が入学してからというもの、一度としてなかった。 おれは窓際の席に座っていた。異音を感じたので外を見れば、マフラーをふかせて爆音を鳴らしながら、10台ほどのバイクが校門から入ってくるのが見えた。大人しく授業を受けていた生徒達がざわざわと窓際に詰め寄る。 バイクを昇降口の前に停車させると、だらしなく制服を着崩した連中がそのまま校内に流れ込んできた。 教師がクラスメート達に何かを叫んだが、教室のざわめきに飲み込まれてしまって、聞き取れない。 「草野君!」 教室の扉が開かれる。禿げ上がった校長が、大声を出して男子生徒の苗字を叫んだ。それは物心ついた時から聞き覚えのある苗字だった。 「草野隼人君!」 次に、俺が生まれた時につけられた名前を一緒にして叫んだので、俺はしぶしぶ「はい」と返事をしながら出ていくしかなかった。 廊下に出るなり、校長は言った。 「あの子達……草野君のお友達だってね……。みんなびっくりしてるから、なんとか帰ってもらおうよ」 校長の柔和な笑顔――というには少し固すぎた。 「……いや、おれ、あんなヤクザな連中知らないんですけど……」 「でも草野君の名前呼んでるからさ? 草野君に用があるからって、バットなんか持っちゃってて。こ、これから野球かな?」 「いやいや、明らかにヤバいじゃないですか? こういう時はガタイのいい体育教師かなんかが、身を張って生徒を庇うとかそういう……」 「本当はこういうことで早退っていうのはよくないんだけど……。うん、若いうちは、勉強より大事なこともあるからね。ホームラン打ってきてね」 校長の広大な額には脂汗が浮いている。なんとなく、おれは校長にとって大事な存在じゃないような気がした。特別な感情を抱かれていても、それはそれで困るのだが。 「話を聞いてください……校長先生。というか、おれを生け贄にしようとしてませんか?」 「そ、そんなことはない! 私は校長として、聖職者として、恥ずべきことをしたことは一度もない。いくら禿上がってるからってバカにしてはいかんぞ」 「いや、別に髪の毛は関係な――」 その時、「うらあー」とか「おらあー」とかいう野蛮語が俺の背後(階段がある)から聞こえてきた。 「そうだろう、そうだろう。人を外見で判断してはいけない……。ほら、今、階段を騒々しく駆け上がってきている彼らにしたってそうなんだ。彼らは確かに、傍目には柄の悪い……人を殴ることなどなんとも思わなさそうな外見をしているが……いったい、それで彼らの何がわかるというのだろう……。大事なのは外見ではないんだ。中身であり、意思なんだよ、草野君。彼らがきみに会いたがっている。その意思だけは事実なんだ。だがきみは、彼らを知らないから会いたくない、という。……この先もそうして生きていくつもりかね? それでは新しい人間関係は作れない。校長として……一人の聖職者として、踏み出しきれないきみの背中を、私はそっと押してあげたいんだ……新しい未来に、ね」 「こ、校長先生――」 「ほら、みんなが来た……きみの新しい友人達――そして未来だ」 校長は、おれの両肩に手を置いて、まっすぐに目を見つめて頷く。ちなみに、おれの背後からはバタバタとえらい勢いで複数人の足音が近づいてきているが、怖くてちょっと振り返れない。 「……校長先生、やっぱりおれを生け贄にしようとしてませんか?」 校長は、おれの両肩に手を置いたまま、まっすぐに目を見つめて頷きやがった。 こうしておれは拉致された。 おれのような生徒に生き方を示してくれた校長には本当に感謝している。 生きて帰れたら、内側に酸性の薬品を仕込んだヅラをプレゼントしてやろうと固く誓った。 ◆ どこかの空き地にでも連れて行かれるのかと思いきや、辿り着いた場所は山奥だった。昼間とは思えないほど周囲は薄暗い。 その辺にうっかり埋められてしまえば、なかなか見つけてもらえそうにない。埋められる前に見つけてもらえなければ意味もない。 学校の廊下からわっしょいわっしょいと十人ほどの不良どもに担がれて、バイクの後ろに無理やり乗せられ、フルフェイスのヘルメットを逆向きに被らされ、落ちないように必死にしがみついていたら、自分の足で一歩も歩くことなく見知らぬ山奥に到着していたのだ。 「わかってんな……事を荒立てたくはねえ」 他所の学校に土足で乗り込んで生徒を拉致するのは、彼らには荒事のうちに入らないのだろうか。恐ろしい。 言ったのは、リーダー格と思われるプロレスラーみたいな男だった。校長が嫉妬しそうな毛量のパーマで頭が爆発している。一応高校のブレザーらしき物を羽織ってはいるが、趣味の悪い刺繍やワッペンが下地を見えなくするほどに散りばめられていた。おしゃれというより武装としか判断できない太さの鎖がジャラジャラついていて、もはやそれを制服と呼ぶのは難しそうだ。 おれは現実逃避を兼ねて、彼を心の中でレスちゃんと呼ぶことにした。「いい人かもしれない」そう思いたかった。 「あのー、人違いじゃないっすかねえ。おれ、悪いことなーんもしちゃいないんすけど……」 「んだとコラ! 自分が何やったかわかってねえのか! てめえのせいで……てめえのせいで、おれたちの人生は終わりだ!」 おれが釈明すると、脇にいた真っ赤な髪の不良が叫んだ。 嘘だろう……。元々何も始まってなさそうな人生歩んでる奴らを十人近く、さらに終わらせちまうようなことをおれはしたのか? それともこいつらがグレた原因が全部おれにあるってのか? 「渡京香……知ってるな?」 レスちゃんがブルドッグみたいに皺を寄せておれに顔を近づける。 「渡――」 おれはピンと来た。そうか、そういうことか。一昨日の朝か。 トラックの上で叫びまくるパンチラ少女といえば、この街で知らない者はいない。一部には熱狂的なファンもいるという話である。 一昨日にからかってしまったから、彼女が怒って……こんな奴らをおれによこしたのだ。 ちょっと調子に乗りすぎたようだった。どうしてそれでこいつらの人生が終わるのかはさっぱりわからないが、素直に謝らないとおれの人生もヤバい。 「ああ……そ、そうか。すまねえ。つい出来心でからかっちまったが……まさか彼女がこんなに怒るとは……。おまえら、彼女と同じ学校なんだな?」 「学校は確かに同じだが……勘違いするなよ。まず、俺らは彼女に話しかけてもらったことなんてねえ。つまり、俺らは彼女に頼まれたわけじゃねえ。だが、てめえは俺らから大事なものを奪いやがった……」 「大事なもの?」 俺は警戒しつつも頷いた。平和的な解決を望む身としては、手段は懐柔でも説得でもハッタリでもなんでもいい。その為に彼らの情報が必要だった。 「不幸に打ちのめされて……誰にもわかってもらえず……俺達はずっと夜の闇を生きていた……。そんな俺達に、朝日の眩しさを教えてくれたのは……彼女のパンツだったんだ……。偶然、彼女のパンツを見たその日から、俺達は……」 俺は口をつぐんでいた。心の中では葛藤があった。 もしかして、こいつらタダの馬鹿なんじゃねーの? ふつーに「帰りまーす」って言ったら逃げれんじゃねーの? てか、適当に頭はたいたら案外和むんじゃねーの? だが、理解不能な言動をする生き物だとも思ったので、俺は慎重に言葉を選んだ。 「つまり、俺が奪った大事なものとは……彼女のパンツだと?」 「いいや……俺たちの未来だ」 ……話が見えない。頭が痛くなってきた俺にレスちゃんはさらに語り続けた。 「あれほど夜型だった俺たちが、朝ついつい早起きしちまう。彼女のパンツを追いかけていけば、気がつけば学校に着いちまう……。朝のホームルームの時間も知らなかった俺たちが、遅刻さえせずに学校に行けるようになって……。やっと立ち直るきっかけを掴めたと思ったんだ。もう六年以上高校生だが、今年こそ卒業できると思ったんだ」 なるほど、くっだらねえ。 俺はできるだけ感情を表に出さないように軽く笑った。適当に話を流してさっさと逃げたい。とりあえず、いきり立っているやつらの敵意が行動に結びつかないうちに仲間ですよアピールをしておく必要がある。 とりあえずは無難に。 「……おまえら、見た目ほど悪いヤツラじゃなさそうだな……」 「ああ、わかるか。俺もこいつらも元々は悪い奴らじゃなかったんだ。例えばアイツは……小五の時にゴルコが逝っちまってな……」 そう言ってレスちゃんは一人の不良を指差した。そいつはどっかのスナイパーにそっくりだった。 ゴルコ? 妹? かなり変わった名前だが、兄は確かにゴルゴそっくりだから、両親がそう名付けたくなる気持ちもわかるが……。 リーダーが指差した先では、ゴルゴ(仮)が細い目からアホみたいな量の涙を流している。そして、ゴルコとの思い出を言葉少なに語り出した。 「……あ、あいつは最後まで好きなものを食べたがっていたんだ……最後の日の朝だって」 うううん……。正直、他人の不幸話とかどうでもいいのだが。ある程度親身になって聞いてるふりをしよう。 「そうか……まだ小さかっただろうに……」 「小さかったさ……最後の日の朝だって、小さな頬袋に……いっぱい……」 頬袋……? 「手に乗ってくれて……可愛かったなあ……」 ……それはもしかしてハムスターなのか? ゴールデンハムスターでゴルコかよ! おれは口を固く結びつつも自分の目が胡乱げにゴルゴ(仮)を見ていることを自覚した。 いや、いかんいかん。マジ泣きしてるところをみると、こいつにとってはそれが人生最大の不幸なのだ。「どんだけ繊細なんだよおまえ」とは思うが、下手にツッコむと殺されかねない。 それに、他人の話だから気にならないが、かわいがっているペットが死んでしまうのは確かに悲しいことではあるし……? とりあえず共感しておかないと、俺自身がもっと悲しい話になってしまう。こいつらが馬鹿なのはわかったが、それが安全かどうかはまた別問題……いや、むしろ危険性は上がっている気もする。日本は今すぐに六法全書をすべてひらがなに改定して国民に配るべきだと画期的な治安維持政策を閃いたが緊急事態なので1秒で忘れた。 「……ぺ、ペットロスか……。ま、まあ、愛情注いだ分だけ辛いよな……」 「死因は不明だが……三年の短い命だった」 ……老衰だな。普通に天寿全うしてるな、それ。 気がつけば、あちこちからすすり泣きが聞こえる。 「うう……馬鹿野郎。俺のジャン子は四年で……」 ジャンガリアンハムスターにしては相当な長生きだからな。 「俺のとこなんて、知らないうちに子供までこさえて幸せそうだったのに……」 オスとメスはきちんと別々に飼ってくれよ。 「ま、こんな話、おまえにしたってわからないだろうけどな……」 「たしかに、俺におまえらの気持ちはわからねえが……。おまえらの飼育スキルの高さだけはビシバシ伝わってきたぜ」 こんなやつらばっかりかよ……。 俺はビビっていたのがアホらしくなってすっかり脱力した。 めんどくさくなって、足を組みながら近くにある木に寄りかかった。 ま、アホみたいな不幸話だが……。悪い奴らじゃねえのな。校長の言っていたことも、あながち間違っちゃいなかったのかもな。パンツの一件は事故みたいなもんとはいえ、できるかぎりの協力はしてやろう。 「おれ達は幼いころに大事なもんを失っちまった。周囲の人間たちはわかってくれず……俺たちは荒れた。荒れて荒れて荒れまくって、気がつけば……」 カラン、と脇にあった赤い金属バットを軽く握った。そして、フルスイング。「素振りかな?」と考えた俺の頭のすぐ上で、寄りかかっている木の樹皮が爆ぜた。 「気がつけば、青かったはずのバットが血で真っ赤に……」 「そ、そっすか……」 俺は脳内辞書で『馬鹿』と『危険』をイコールで繋いだ。ついでに掛け算もしておいた。 「そんな俺達が、やっと立ち直るきっかけを掴めたと思ったんだ。六年の高校生活にピリオドが打てると思ったんだ。それなのに、てめえが……彼女に……」 「人にはよォ! 言っていいことと悪いことってのがあるんだろうがよォ!」 テンションが上がっている不良たちは涙声で――だがバットやらヌンチャクやらを振り回しながら――絶叫した。 そうなのか!? パンツ見えてるって指摘するのは言っちゃいけないことだったのか? レスちゃんがバットでずいっと俺に突きつけながら、「男だったらてめえの責任はキッチリ取りやがれ」と言った。 「……せ、責任ともうしますと?」 「わかってんだろが、彼女を元に戻すんだよ! あの邪魔なスパッツをどっかにやるんだよ!」 レスちゃんに続いて他の不良達が俺に迫り寄ってきた。 「てめえ、なんの為に男に生まれてきたってんだ?」 そうだったのか、俺が男に生まれてきたのは彼女のスパッツを脱がすためだったのか? レスちゃんは少々昂ぶってしまっている様子で、暴れ始めた。俺の寄りかかる樹木は彼のバットでボコボコにされて、あっちもこっちも脱皮していた。 なんだか自分が間違っているような気になってしまったのは、おそらくは俺の生存本能がそうさせたのだろう。 俺はビシっときをつけの姿勢を取り(下手に重心をずらすと樹木と一緒に殴られる) 「わかりました! 渡京香のパンツ、必ず! 再び衆目に晒します!」と叫んで敬礼したのだった。 ◆ 『すいません……今日は体調が悪いので朝練は欠席します。もしかすると学校も休むかも……。あ、サッカー部の部費が上がらないのは校長が野球ファンなせいかも……ごほごほ、失礼します』 と、校長へのヘイトを煽りつつ、サッカー部の顧問にメールを送った。 『完全に仮病じゃねえか! ごほごほじゃねえ!』 とヘイトの篭った返信が来たが軽く無視。大丈夫。顧問のメール無視しても死なない。 徒歩でいつもの交差点まで歩き、軽く準備運動をしながら彼女を待つ。 タイミングの悪いことに「人生とは!」と彼女の勇ましい声が聞こえてきた時、その信号は青だった。 今日は日が悪いようですので――と諦めたかったが、そのトラックの後ろにレスちゃん達のバイクが何台も連なっていた。もしもトラックをスルーした場合のことを考えた。俺の前でまずトラックが通り過ぎ、後ろのバイクの軍団がバットをぶん回しながら通り過ぎ、爽やかな青空の下でおれが悲惨な結末を迎えるかもしらん。 ……寒すぎる未来だ。俺は覚悟を決めた。 トラックが目の前を通り過ぎる直前、ガードレールに右足を掛ける。そして踏み切る。 通り過ぎるトラックに対し、横から体当たりするようにジャンプ。金属製のはしごに、かろうじて指先をかけた。 なんとか落ちないように踏ん張って後ろを見れば、レスちゃんがバットを振り回してアスファルトをぼかぼか殴っていた。 『あいつやりやがったぜ!』って感じで喜んでくれていれば頑張った甲斐もあるのだが、大好物の缶詰を前にして『マテ』を長時間食らってる土佐犬よろしく、『いいから早くパンツ拝ませろや!』と猛り狂っているだけの危険性もなきにしもあらずである。 俺は一段一段はしごを登り、彼女と同じフィールドに立った。 途端、道路標識が頭をかすめる。風圧が強く、毎日トラックの上に仁王立ちしている渡京香に対し、ちょっとした敬意を覚える。 その彼女はといえば、突然トラックに飛びつき這い上がってきた男に対し、驚愕の表情で立ち尽くしていた。 「なんなんだよおまえ! 降りろよ、私のトラックだぞ。私の!」 俺を見上げて叫ぶ彼女に違和感があった。普段見上げてばかりいた彼女だが、同じ高さに立つととたんに小さく感じられる。 いや、というか確実に小さい。高校の制服を着ていなければ小学生と間違われそうなほど小さかった。俺にとって危険な高さにある道路標識を、彼女は仁王立ちのままでくぐってしまう。 「……小さかったんだな、おまえ」 ぽつりと漏らした言葉は彼女の芯をえぐったらしかった。喉の奥に声を詰まらせくずおれる。内蔵にまでダメージが入っているのか、片手では薄い胸を抑えていた。 「な、なんの用なんだ……? 私をいじめにきたのか? それとも自慢しにきたのか? 私よりも……『人生で大事なもの』を持っているからって……」 「悪いな……俺も本意じゃないんだが。要件は一つだ。そのスパッツを脱いでくれないか」 「く……くく……」 彼女は泣くように笑った。 「……そうか。脱げというなら私は脱ごう。私はおまえより――だからな」 小声になった彼女の二文字は風に邪魔されて聞き取れなかった。だが、口の動きでわかる。彼女は『私はおまえよりちびだからな』と言ったのだ。 「私の人生は身長が全てだった。低ければそれだけで高いやつのいいなりにならざるを得ないのだ」 「なんだそりゃ?」 「それが真理なのだ」 完全に意味不明だ。違うと否定したい。 彼女が自身の身長にコンプレックスを持っているのは事実だろうが、彼女が誰かのいいなりになっていたことに身長はまるで関係がない。 おそらくだが……。彼女はどうしようもない身体的特徴に自分の不幸だった理由を全て押し付けているだけではあるまいか。 言葉を掛けようとした。 ガキン! と背後から暴力的な音がなる。振り返らずともわかる。チンピラがバイクに乗りながらバットをアスファルトに叩きつけたのだ。 結局、俺は彼女の言葉を否定しなかった。そうすれば、彼女はスムーズにスパッツを脱いでくれるから。それを自身の良心が否定していると、俺は気付いていたが。 黙っている俺に対し、彼女は小さく震えながら両手をスカートの下に差し込んだ。 「だが、脱ぐ前に聞きたい。そんなにパンツが好きなのか? おまえの人生で大事なものは本当にパンツなのか?」 ずきりと俺の胸が痛む。俺はパンツなどに興味はない。……興味はない。 親父……。 不意に襲う郷愁。いや、郷愁などではなくただの不安だった。親父はパンツの為にいなくなった。世の中にパンツさえなければ親父は今も俺の親父だったはずだ。 だが今、俺もまたパンツの為に『俺』という一つの人格を放擲しようとしているのではあるまいか……。 「俺の人生で一番大事なものは――」 風が唸っている。走り続けるトラックの上だ。俺のつぶやきは進行方向に立つ彼女には届かない。 目をつむり、考える。 「あぶない!」という彼女の声に目を開ければ、眼前に迫った真っ青な道路標識が、ゴズッ! と俺の額に直撃した。 ◆ 真っ暗な意識の中、聞こえてくるのは昔の母さんの声。それから、これは……幼稚園の頃の、俺だ。 「まま、まま。パンツってなんでパンツなの?」 「どうしたの……? 急に」 「わかんない。ぱぱのこと考えてたら、なんだか気になったの。ぱぱはどこにいっちゃったの?」 「パパは、ちょっとお仕事で遠くに行ってるの。いい子にしてれば早めに帰ってくるわよ」 「うん、僕いい子にしてる!」 「……うん、パパが塀の中でいい子にしてればもっと早く帰ってこれるんだけど……ね」 「ままー、今なんてゆったの?」 「ふふ、内緒よー」 「いじわる、教えてよ」 「なーいしょ」 あの時の言葉……。まだ小さかったおれはパンツが親父を奪っていたのだと思っていた……。だが、真実はもしかして……親父がパンツを奪っていたのか? ◆ 違った。目を逸らしていたのは彼女だけではない。俺も同じだった。 親父がいなくなったことを全てパンツのせいにして……。違ったのだ。本当の親父はパンツが好きで、ただそれだけの理由でパンツを求めていたのだ。 優しかった親父。それをパンツが狂わせたわけじゃない。親父はずっとパンツが好きで、パンツが好きな親父こそが優しい親父で。俺には親父は一人しかいなくて。パンツはパンツで親父のパンツが俺は好き……。 「大丈夫か?」 大丈夫じゃないです。 目を開ければ、しんみりと俺を見つめる彼女の顔。そして後頭部の感触は硬いコンテナではなく、細いが柔らかい腿だった。 馬鹿な、敵である俺に膝枕だと? 「なぜ俺に親切にする」 「身長の高いヤツはみんな怖い……優しくしなければ私が不安なんだ……」 正直なやつだ。嘘でもいいから俺の為だとでも言っておけば、俺はもっと親身になれただろうに。自分に正直で、不器用なやつだ。 親父……あんたみたいだな。 「わかったよ、草野隼人」 「う、なぜ俺の名前を知っている?」 「後ろから暴走族みたいなやつらがついてきてるだろ? やつら、お前が倒れたら『早くスパッツ脱がせろ!』っておまえの名前と一緒に叫んでた。それがおまえの理由なんだろ?」 「く、別に俺は……」 とっさに言い訳しそうになったが、言葉がでなかった。彼女の言うとおりだからだ。 「おまえも、あいつらより身長が低いから……」 「それは違う」 否定の言葉はすんなりと口を出る。 「違うわけない! おまえも身長が今の十倍あれば、あんなやつらの言いなりになるわけがない!」 なるほど、自分の身長が十倍だったらやつらとの出会いはどうなっていただろうか。想像しようとしたが、やつらが乗り込んでくるはずの校舎が巨人と化した俺のせいで倒壊していたので諦めた。 「つか、極論すぎるだろ……」 「今の私にすれば眼下に群がる族ごとき、どうということもないのだが……目下おまえは目上だからな」 目下で目上とはまたまぎらわしいが、現時点で彼女よりも背が高いのは俺だから俺の指示には従うということなのだろう。彼女にとっての『身長』とは自分の立ち位置まで含まれるようだ。竹馬でもプレゼントしてやろうかな。 黙ってスパッツを下ろそうとする彼女を俺は手で制した。 「いい。俺も自分に正直になろう。パンツは好きだ。好きだが、それよりも嫌いな物がある。それは、誰かに脅されたからといって女の子が嫌がっていることを強いる俺自身だ」 俺は彼女に背を向けて、トラックの背後に向き直る。 いつの間にか、車は海沿いの道路を走っていた。水平線が視界に大きく広がっている。たゆたうように飛ぶかもめが小さく見える。顔を逆に向ければ、道行く人々もどことなく小さく、背後に群がる悪党どもはもっと小さく見えた。 「草野てめえ! 早く仕事しろや!」 怒鳴り散らす言葉も風に押されて小さくしか聞こえない。 「てめえら、彼女のパンツは諦めろ!」 「んだとお! 俺らの人生がかかってんだぞ!」「ふざけてっと殺すぞ」 その脅しをそよ風のように受け流し、俺は笑った。 「馬鹿なことばっか言ってんじゃねえ。笑っちまうぜ。それで彼女のおかげで卒業できたとして、それでその先どうするつもりだ! 社会に出てからも、誰かのパンツを追いかけて通勤するつもりか!? スケートボード背負って、仰向けに寝ながらゴロゴロ通勤するつもりかよ、いい年こいて甘えてんじゃねえ!」 「てめえ、トラックの上だからって調子乗りやがって!」 顔を真赤にしたレスちゃんがバットを振りかざしたままで加速し、トラックのすぐ後ろにぴたりとつけてくる。 どうするつもりだ!? ちょっとばかし怯んだが、すぐに後ろを走っていたゴルゴ(仮)がレスちゃんに追いつき彼を手で制した。 「ゴルゴ!? おまえなんのつもりだ!」 レスちゃんに凄まれても、ゴルゴは首を横に振るだけだった。レスちゃんも彼をゴルゴと呼んだので、それがあだ名なのか本名なのかが地味に気になったがほうっておいて説教を続ける。 「おまえら! 女の子のパンツがなくちゃ生きていけねえっていうなら、それぐらい自分でどうにかしやがれ! 人を殴る度胸はあるくせに、パンツを盗む度胸もねえのか! てめえらの飼ってたハムスターだってもうちっとましな生き方してたんじゃねえか!?」 「ご、ゴルコ……いつも一生懸命回し車を回してた……」 「ジャン子……いつも向日葵の種、ちゃんと剥いてた……」 「………………とにかく交尾してた」 集団のあちこちからすすり泣くような声が漏れ始める。 だが、レスちゃんだけは泣きながらもおれへの怒りが収まらないらしく、強く叫んだ。 「てめえ! 安全な場所にいるからって調子こいてんじゃねえぞっ! そのまま逃げきれると思ってんじゃねえ! トラックが止まればてめえは終わりだ」 その時、背後から制服の裾を掴まれた。 「……もういい。ありがとう」 渡京香だ。 「私の為におまえが危険な目に会うことはない。パンツぐらい、なんでもないさ。……今までもずっと見られていたらしいからな」 しおらしく笑う。 「脱ぐな。あんなやつらの為に、わざわざおまえがパンツ晒す必要ないだろ」 「……ふ、それは命令か。命令だとするなら……私が自分より身長が高い人間に歯向かうのは、初めてだな」 「脱ぐなっつーのに」 おれを追い越してトラックの最奥に立とうとする彼女を俺は手で制する。 不良どもが彼女の姿を見つけて「おおっ」とどよめき、ピーピーと囃し立てた。 「くっ、てめえら! 彼女が嫌がってんのわかんねえのかっ!」 おれが不良に向き直るのと同時。 「あっ」と彼女が何かに気付いたように声を上げる。とたん、後頭部に衝撃が走った。また道路標識がぶつかったのだ。 世界が遅くなった。走馬灯の序章はすでに始まっている。 おれは体を支えきれず、宙に投げ出された。浮きながらおれを置き去りにするトラックを見れば、渡り京香が両手で口を抑えている。 「と、飛び降りやがった!」 空中でゆらりと反転する体。 レスちゃんが飛んでくるおれに向かってバットを振り上げるのが見え――そのままそのバットは大きく弧を描いて海の方へと飛んでいった。 そして、何かに感激するような表情。 空になった片手をおれの方へと伸ばし、しっかりと胴体をキャッチする。バイクは大きくバランスを崩し、倒れるギリギリで踏みとどまった。 ごつごつする男の胸板の中、おれは放心状態でレスちゃんを見上げる。 彼は涙で顔を濡らしながら、片手でおれをしっかりと抱きしめる。 「おまえ……無茶しやがって……おまえみてえに本気で俺らに向き合ってくれたヤツは初めてだぜ……」 ばきばきと背骨が嫌な音を立てる。レスちゃんのヒゲだらけの頬が俺に頬ずりしてくる。 痛みか、恐怖か、気色悪さか。おれは気が遠くなり、走馬灯の本編が始まった。 ◆ それはおれが物心ついた頃の記憶だ。親父は女のパンツが好きだった。パンツを被り、息子のおれにもパンツを被せ、親子で家中を走り回っていた日々。近所からパクってきたパンツを目隠ししたおれに被らせては、親父はそれが誰の履いたパンツだったのかを当てさせていた。近所の女子大生のパンツを当てた時は、おれは本当に得意げだったっけ。親父もそんな息子を見ながら満足していたっけ。近所のトメさんが履いてた介護用のおむつを被らされた時、おれは拗ねて一週間親父と口を利かなかったっけ……。 懐かしい。成長するにつれて、忘れていった記憶。いや、封印したのだ。親父が下着泥棒だったとか、変態の英才教育を受けていたなんて、そんな風に思われたくもないし、自分でも思いたくなかったから。 母さんは親父のよき理解者であり、その点だけでみればとんでもない異常者だった。 ――再犯を繰り返す親父。世間の風当たりや実家の反発もあって母さんは離婚を余儀なくされた。いや、おれの将来を思ってのことだったのかもしれない。 親父は息子のおれに対して、最後まで正直だった。小学生の時、親父を最後に見たのは見送りに行った駅のホームでのことだ。去り際に父が涙声で呟いた言葉は今でもはっきりと覚えている。 『パンツ』 すがりつくおれの涙を拭いたのも、ハンカチではなくてパンツだったな……。 帰り道、母と二人で歩く住宅地。おれはずっと泣いていた。そして、泣きながら聞いたんだ。幼稚園の時に聞いたこと。あの時内緒にされてしまったことを。再び……。 「お母さん、パンツって……なんなの?」 母もまた、寂しそうにしていた。ちびだったおれの顔を見て涙がこぼれそうになって、慌てて上を向いて。その先ではどこかの家の庭から、淡い桃色の花をつけた木の枝が伸びていて。 「そうね……あそこに桃色のお花が咲いているでしょう? でも、どんな香りなのかわからない。蜜はどんな味がするんだろう。花びらはどんな触り心地なんだろう……。頭でいろいろ考えたってわからないし、言葉で誰かに教えてもらったって、それはきっとわからないの。花びらはふわふわしていたよって言われても、ふわふわっていう言葉の中に閉じ込められてしまって、きっとそれは、すごく小さなものになってしまうから。花びらを自分の手で触ったら、きっともっとたくさんのことをあなたに語りかけてくれるの。控えめに素直に。だけど、とっても優しくね……。あなたが大きくなって……そうね、あの枝と同じぐらいまで大きくなれば、きっとあの花に手が届く。そうすればわかるようになるのよ。あなたにとってのパンツっていうのはきっとそういうものなの。大きくなって、いつかそこに手が届きそうだって思ったら、お母さんの言葉を思い出してね……でも、無理に背伸びをしたり、他所様のお庭から取ろうとしては、ダメよ。……お父さんはちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、背伸びをしすぎちゃったのよ……」 母さん、親父……今ならはっきりわかるよ。あんたたち……馬鹿だ。 ◆ 目が覚めた時、パンツがあった。見慣れたパステルカラーのパンツだ。 後頭部はゴツゴツしていて、空が広い。おれはコンテナの上で寝ていて、渡京香が俺に背を向けて……パンツを見せながら立っていた。 「……パンツ見えてるぞ……」 「いいんだ。この位置に立てば、おまえだけにしか見えない……」 「そうか」 「あいつらはどうした?」 「遅刻するからってもう学校の中だ。みんな、おまえに感謝していたぞ」 横を見れば校舎があって、トラックは停車していた。 おれは無理に体を起こすことをせずに、ただぼんやりと、夏の空と同じ色をしたパンツを眺めていた。 「それでおまえは――」 おれが問いかける途中で、彼女は呟き始めた。 「……わからないんだ。わからなくなったんだ。私の人生で一番大事なものがなんなのか……おまえにも、どう接すればいいのか……」 「そうか。それで……なぜ……」 なぜパンツを晒しているんだ? その問は、言葉にせずとも伝わったようだった。 「おまえが気を失ってる間、幸せそうに『パンツパンツ』と連呼するものだから……なんというか……その……」 彼女が照れているのが、顔を見なくてもわかる。 「礼だ」とぶっきらぼうに言い放って、彼女はただ立っていた。 おれはパンツを見ながら、じんわりと蘇った記憶を反芻する。 母さん……今ならあの時見上げた花に手が届く。俺にとってのパンツがなんなのか、わかる気がする。 おれは、黙って彼女のパンツに手を伸ばした。柔らかい感触が手のひら全体に広がる。けしてお尻には触れないように、ただ表面をなぞるように撫で回す。幼いころに親父と一緒に戯れた日々を思い出しながら、過去に見つけられなかったものをそこに見つけた。 それは温もりだった。 今まさに女の子が履いているパンツとは、こうも温かいものなのか。 親父の被っていたパンツとは少し違う温もり。布地いっぱいに優しさが染み込んでいて、恥ずかしさなのか彼女は少しだけ震えていて。 親父……今なら俺にもわかるよ。あんたが大事にしていたものが。換えのきかない尊さが……。 「おい、京香。そろそろ学校行かないと、おれの仕事が――」 カツカツとはしごを登る音がして、声が聞こえる。パンツに手を当てながら、目線を寝っ転がってる足元――トラックのはしごがある方へ。 スキンヘッドとサングラスが輝いていた。 「そ、そうだな! じゃあ、草野隼人! またな!」 彼女は戸惑ったようだったが、すぐにおもいきりのいい笑顔でそう叫んで、スカートを抑えながらトラックから飛び降りた。 「いやあ。娘さん、意外と運動神経いいんですねぇ……」 おれははしごの方から降りようとしたが、彼女の親父さんがはしごを登りかけたまま微動だにしないので降りれない。 「なあ、若造……人生で大事な物はなんだと思う?」 その声が震えている。考えたくないが怒りのせいだろう。おれの膝も震え始めた。 さっきおれが渡京香のケツを撫で回してるところをこの人には見られている! なんだ、なんて答えたら助かるんだ? あれか、責任取れ的な感じなのか、娘のケツを気安く触ったわけではないということをアピールする意外にない!? 「はい! おれの人生で一番大事なのは、渡京香さんです!」 「そうか……ちと、この後仕事が押しちまってるからよ。ちょっと手伝えや。どうせ学校はサボるんだろ?」 お、将来の息子として認められたということか――。 おれは安堵のため息を漏らしながら親父さんと一緒にはしごを降りた。そして、助手席の方へ歩いて行こうとして、親父さんに腕を強力に掴まれる。 「おまえの場所は、ココだ」 彼の指が示すのはナンバープレートの上にある小さな隙間だった。その上に足を差し込んで立ってみる。コンテナを開く時の取っ手に捕まる。 「んじゃ、今日はちと東北の方まで仕事があるから――しっかり捕まってろよ」 そのまま高速道路をひたすらに飛ばされ、秋田のとある田舎町について、ガクガクになりながらもなんとか仕事を手伝い、帰りもトラックの後ろに必死にしがみついていて、夏の遅い日暮れを迎えた頃になって、自分の住む街に帰ってきて、もう一度親父さんに「人生で一番大事なものは?」と聞かれた時に、「はい、命です」と即答し、なんとなくそりゃそうだよな、とは思った。 ただ、それが真実かどうかは定かではない。 なぜなら、おれは命の危険を感じながらも再び彼女に会いに行くだろうから。 あの時感じた温もりだけは、なんど恐怖を感じても忘れられそうになかったのだ。 |
tanisi 2022年11月10日(木)20時08分 公開 ■この作品の著作権はtanisiさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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2022年11月16日(水)00時21分 | tanisi | 作者レス | ||||
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時雨様、ご感想ありがとうございます。 >いっこも感想がついていないからつまらない作品なのかと思っていたら普通に上手くて面白いniceな作品でした。 昔ながらのギャグコメディという感じ、かな。物語の主な舞台が4トントラックの箱の上という設定が凄かったです。これってelfですよねきっと。 ◆こんばんは! 褒めていただけて嬉しいです! 感想いただけなくてちょっと寂しく思っていました。 恐らくは7年以上前に書いた物ですので、酷評いただいても「記憶がございません」としか返信できないというのがアレですが……。 elfってなんだろうと思ってググッてきました、た、多分そんな感じです。コンテナが乗ってて身長の低い女性なら標識に当たらないぐらいのちょうどいい高さの都合のいいトラックだと思いま……思います!(記憶がない) >パンチラというserviceもあるし、途中はドタバタするけどなんだかんだで主人公とヒロインが最後には成長したのが感じられてgoodでした。 ぜんぜん読まれていないのがもったいない。ここって言われているようにそんなに人が少ないってことでしょうか。 ◆あ、ストーリー性を感じていただけたならよかったです。多分これを書いていた時もギャグにちょっとでもストーリーを持たせたくて悩んでいたはずですので! 昔からの課題……それでもちょっとずつは成長していたんでしょうか、よかった。 残念ですけど、昔に比べるととても減ってしまったような……。とはいえこうして感想書いてくださる人がいらっしゃるのでまだまだ楽しめそうです! >匿名企画とか行ってみたらいいかもしれないです。なろうでやっている書き出し祭りは上手い作品が集まるようですし。 ラケンの匿名企画の後継のミチル企画というのもあって、かなり厳しい感想がもらえるようなので切磋琢磨には良いかもです。 投稿siteとかって色々ありますが、本人に合った場所で頑張りたいものですね。 ◆楽しそうですね! ちょっと匿名感覚で評価してもらいたくてHN変えたりもしました。昔ここの匿名企画にも参加しましたが、どれもいい思い出です。今もミチル様が引き継いでいるのですね。頑張っていただきたい……! ガチ勝負! って感じで企画大好きです。 「なろう」にもそういう企画があるとは知りませんでした。情報ありがとうございます。 「なろう」にも昔ちょっとだけ作品を投稿したような気がするのですが、点数評価とかじゃなくて「どれだけ人を集められるか」みたいな感覚のサイトな印象でした。そちらの方が商業に近いような気もしますが、自分は点数評価式のラ研のシステムが大好きです。 ……他のサイトは利用の仕方がよくわからなくて怖いというのもありますw まだまだ課題が山積みなので、ちょっと長い物や難しい物も書けるようになったら他のサイトにも挑戦してみたいと思います! ご感想ありがとうございました。 |
合計 | 1人 | 30点 |
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