終わり果てはきは、夕暮れどきにて |
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――やっと今日が終わったか。 学校からの帰り、自宅のあるマンションの階段前にて、男子中学生たる川瀬ワダチは重い息を吐く。蓄積した鬱憤という荷を下ろすように。そうすると少しだけ、ほんの少しだけ身体が軽くなったかのような錯覚を起こす。 思えば毎日、帰宅どきにここに立つと溜息ばかり吐いている。 自宅に帰っても両親は仕事でいないのだから、存分に溜息なり愚痴なりを吐露すればいいのに、まるで習慣づけられた儀式のようにやってしまう。たぶん、無意識のうちに繰り返していたから、いつの間にか癖になってしまっているのかもしれない。 ――……まあ、だから、なんだって話なんだが。 愚痴を言い合える相手がいれば、多少は違うのかもしれないが、生憎とワダチにはそんな存在はいない。この町に転校してから、いや、転校する前からいないのだから救いようがない。誰かと行動するのは苦手なのだ。自分自身を潰されているようで。 ――自業自得ってやつか、ま、いいけど。 こんなところで悩み黄昏てもラチがあかんと、ワダチは階段を上りはじめる。そうして自宅のある階まで、無心に足を動かしていく。 しかし、ふと、動く足先を覆っている影の濃さに気づき、釣られるように振り返れば、中間踊場の手摺壁の向こう、滲むようなオレンジ色の夕陽。それを背後に、少し離れたところに建つマンションは陰影を差して、昼の無機質に洗練された雰囲気はどこへやら、まるですべてが終わっていくかのような、そんな気配を漂わしている。 父親の転勤で引っ越してきたここは比較的きれいで、設備も整っていて新しいのに、この気配には抗えないと思えてしまう。 ――そういえば。 引っ越す際に車の中で聞いた話だと、この一帯はかつて広範囲なマンモス団地であり、昭和の頃だと最先端の生活としてテレビに放送されていたらしい。商店街や緑地公園に集会所だけでなく、テニスコートや野球場、出張所まであり、団地の敷地内のみで街づくりを目指していたという。 だが時が経つにつれて、建物の老朽化や生活ニーズの変化により、大規模な再生工事が計画されて、暮らしていた多くの人たちはよそへ引っ越していった。 崩された住棟は前よりも数を減らされマンションとなり、その他の土地には住宅地や緑地公園が建てられた。大きく様変わりしたそこは、一部の昭和の建物――記念として残されたスターハウスやカフェとして改造されたテラハウス――を除いて、もうあの頃の面影はない。 ――いや、でも、ここにも数年前は懐かしさがあったのか。 もちろん、ワダチは平成の生まれであり、スマートフォンで気軽に通話やLINEに検索のできない、ニンテンドースイッチなどの携帯ゲームを持ち運べない時代に、いまいちピンとこない。 だが、目に焼きついた光景、たとえば、青空の眩しい黄色と黒のペンキが剥げかかった踏み切り、夜の帳が落ちたけばけばしい袖看板や丸型のレトロな街灯が並んだ商店街。そして規則正しく連なった夕暮れ時の公共団地――見ていると、胸に浸みこみ、広がってゆくような切なさを感じてしまう。 ――そこで暮らしてたわけじゃないのにな。 今も昔も、胸を向来するものは変わらないということだろう。 たとえ姿形が変わろうとも、息衝いてきた人々の思いが残影となって――……。 ――…………あれ? 疑問とともに、ワダチは足を止めた。 いつの間にか無意識のうちに上っていたのだが、まだ着かないのだろうか。ワダチの自宅は七階にあり、階数の表示に目をやれば五階だ。 おそるおそると階段下へ視線を落とす。滲むようなオレンジ色の照りと、手摺や段差より伸びた陰影。さきほどまでと同様、その景色は変わっていないような。 「…………」 じんわりとこめかみに汗が滲む。ドクンッと全身が大きく高鳴った。 今度は階数を意識ながら階段を駆け上がっていく。駆ける必要はないのだろうが、心臓が囃し立てるのだ。きっと、なにかの間違いだと――。 「…………は?」 変わっていない。 階数の表示も、陽の照り加減も、伸びた陰影も、振り向いたその向こうの景色も。 なにもかもが、そのままだった。 頼もしい光を放つスマートフォンは、無情にも圏外を示している。 当然ながらここはエリア内だ、通じないなんてことは今までなかった。自身がいる空間が歪んでしまったとでもいうのか。 「アホか、そんなこと……」 あるはずがない――。ワダチはスマートフォンを通学リュックに仕舞い、顔を上げて、深呼吸をして冷静さを取り戻そうと努めた。状況がわからないのであれば、いろいろと試していくしかない。 ワダチは外廊下へと出た。片方にはインターホンと玄関扉、面格子の設けられた曇りガラスの出窓が並び、もう片方には手摺壁がどこまでもつづいていた。 まずワダチは手摺壁から身を乗り出して、下方を眺める。歩いている人がいるという可能性に賭けて。 だが眼下に広がるは、もの悲しい夕刻の光景。マンション手前に設置されたトタン屋根の自転車置き場、規則正しく縦に駐車された自動車たち。その間を専用の道路が通っており、それらのさらに向こうに並列する広葉樹の並木道は、枝木の葉に隠れて窺うことが難しかったが、必死になって探せども、人のいる様子はなかった。 やはり、おかしい。 マンションに入る前は、コンビニ袋を下げた老人や、自転車置き場にいたパート帰りの主婦など、少ないながらも住民がいた。並木道にだって、歩いている人の姿があった。こんな一斉に消えることなんてあるのだろうか。 ――……ああ、くそッ。 挫けそうになるのをどうにか奮い立たせる。人のいる可能性はまだあるのだからと、ワダチは身を翻して、ずらりと並ぶ玄関扉の一つ、その前に立ち、緊急時だからと自身に喝をいれながら、インターホンを押した。 『…………』 反応はない。 チラリと室名札を一瞥する。残念ながらどんな人物なのかはわからない。せめて仕事をしているのか、一人暮らしなのか否なのかさえわかれば、多少なりとも生活サイクルから、どの時間帯に家にいるのか想像できるかもしれないが。 いや、それ、ふつうに気持ち悪いな――そこまで知っていたらもはやストーカーなのではと、場違いな感情にワダチは翻弄される。 だが、 ズイッ――と。見間違いでなければ、出窓越しで黒い影が動いたような。 咄嗟にワダチは出窓へ飛びかかった。だが、面格子によりガラスへノックができない。格子を激しく揺らせば気づいてくれるかもしれないが、下手なことをして器物破損になるのはごめんこうむりたい。どうすれば返事をしてくれるのか。 「す、すみませーん……」 可能な限り、せいいっぱい声を出す。相手に向かって声を発するのは苦手だ。昔に声が低くて変だと言った、あのアマを思い出しそうになる。しかし状況が状況なので、背に腹は代えられない。 「いや、とつぜんお声掛けてしまってすみません。インターホン越しからでもお話することはできますか?」 ワダチの自宅と間取りが同じであれば、出窓があるのは洋室の一室となる。ちょうどワダチが自室にしている部屋だ。だから窓越しとはいえ、人が立って声を掛けていれば、覚ってくれるかもしれない。 ――気味悪がられたり、しなきゃいいが。 影はしだいに消えていく。わずかな望みを胸に、ワダチはインターホンへ駆け寄る。プッと、受話器を取った音がした。 ――応じてくれた、ヨシ。 「ありがとうございます、実は……」 『あの、あの、あの、』 間髪入れずに発せられる、こちらが返事をする間もない。 『あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あの、あのあのあのあのあの―――――』 ひゅっと、ワダチは息を呑んだ。 声からして、女性だろう。 しかし、ワダチよりも。 いや、それ以上に、パニックに苛まれているような……。 『――あかちゃんが、あかちゃんがなきやまないの、しずかにしてほしかったの、だって、あのひと、あかちゃんがなきやまないと、ひどいことするから、しかたなかったの、しかたなかったの、しかたなかったのぉ―――』 女性がぐずぐずと泣き崩れるのが、扉越しからでもわかる。 なにも、言えない。 ただ、その女性の言葉を、聞くことしか。 『だから、わたし、あかちゃんのくちを、せいいっぱいふさいだの、あばれるのをおさえて、ぎゅっとぎゅっとぎゅっとぎゅっと……あかちゃん、うごかなくなっちゃった』 ――うごかなくなった、でも、じゃあ。 『なのに、うるさいの、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、なきやんでくれない、おねがい、なきやんで、なきやんで、なきやんでよおぉおおおお――――』 アギャアアアアア――――――――――――――――――――――ッ 必死にワダチは逃げた、階段のほうへ。 硬直した両脚に、思い切り拳をいれて奮い立たせて。 「なんだよ、なにかの悪戯かよ――――」 ハハハと誤魔化すように笑おうとするが、口の中が乾いてうまくいかない。いや、わかっている。悪戯にしては悲壮感が常軌を逸している、なにより――。 女性の叫びに共鳴するような、つんざくような赤ん坊の泣き声。 それはインターホンではなく、まるで耳元で発せられたかのような、血飛沫のような鮮明な嘆きと、幼い両腕を伸ばして縋りついてくるような、助けを求める声。もう聞こえているはずもないのに、幻聴が追いかけてくるようで――。 「――――ッ」 ぐらりと、視界が揺れた。 足の縺れもあって、ワダチは踊場で両手をついてしまう。 脳みそは煮えたぎるように、視界はゆらゆらと定まらない。ひどい熱を発症したときに似ている。わけのわからぬ状況がつづいたせいだろうか。精神的におかしくなってしまったのかもしれない。 駄目だ、こんなところで――と、警告を鳴らすが、瞼が重くなっていく。 鈍くなっていく感覚に、警告を鳴らす言葉は失われ、そして――……。 ――ガチャリ、と。 扉が開く音がした――なぜ――どうして――と、疑問が泡のように浮上して、だんだんと意識がはっきりしていく。 たしか、踊場の近くに、部屋はなかったはず。しかし、現に開いた音がした。そして、足音がこちらへ迫ってくるのも、頬で感じることができた。頬――そこではじめて、ワダチは階段の踊場で倒れていたことに気づいた。 「おーい、だいじょうぶ?」 見知らぬ相手に背中を揺すられて、ハッと上半身を起こせば、少年がいた。 目を奪われた。少し乱雑な白い髪、透けるような肌、それらは射す夕陽に染まる。小顔に収まった大きな青い瞳は爛々と、少しだけ見開かせつつも、こちらに興味津々とばかりに覗き込んでくる。 「顔色よくないけど、なんかへんなもの、食べたん」 ぐいっと顔を寄せてくるので、反射的に身を縮ませ、思わずキッと睨んでしまう。異様な空間で、さらには異なる容姿の少年。さきほど――だったか、どのぐらい時間が経過したかは定かではないが、あんな出来事があった後だ。身構えてしまう。 「とりあえず、立てそう?」 ワダチの心情などお構いなしに、少年は手を差し出す。 信じていいのかどうかわからず、断る手振りをしてワダチは自力で立ち上がろうとするが、力がはいらずに、ガタンと膝が崩れる。 そんなワダチに見かねたのか、少年は恥じらいなく、まるで猫を抱き上げるように両脇に腕をいれきたので。 「――わーッた、いい、肩貸せ!」 と、結局助けを借りるはめとなった。 運ばれてわかったことは、全体が大きく様変わりしていること。 ひび割れて色褪せたコンクリートの壁。外廊下は消失し、代わりに階段の踊場、その両側に玄関扉がある。玄関扉もまた古臭く、インターホンでなく覗き穴から相手を窺えるようになっている。 ――たしか、階段式型て言うんだったか。 昭和の頃に多くあった建築方法のひとつ。 玄関扉の作りといい、漂う雰囲気といい、まるでタイムスリップしてしまったかのよう。 なんて考えていれば、思いのほか自身が冷静であることに、ワダチは気づく。疲れての諦観もそうだが、わずかながらに誰かがそばにいるからという事実が、そうさせているようでどうにも居心地が悪い。 部屋にはいれば、廊下があり、靴を脱いで奥へ進むと、夕暮れに染まった、陽に焼けた六畳の和室がある。そこにはおざなりに積まれた書物と電子ピアノが、開かれた楽譜とともに置かれている。 和室にワダチは腰を下される。 向き合うように、少年も腰を下した。 「お茶は出せないけど勘弁してね。そういうせおりーだから」 なんのセオリだよ――と、とくに追求せずワダチは改めて少年を見つめる。 背格好はワダチとほぼ同じぐらい。おそらく同い年だろう。大きな目が印象的で、顔立ちは整っているが、異国風といわれると違う。白い髪や青い瞳をしているが、同じ日本人だと判断できる、となると。 ――アルビノ。 色素欠乏により表われるもの。ウサギやネズミは品種として確立しているらしいが、いや、はじめて見た――ああ、そうか、アルビノは弱視だと聞く。だからあれほど覗き込んできたのかと、ワダチはひとりで納得する。 「へんな外見だろ?」 「あ、いや――」 さすがに見過ぎたか、ワダチは目を泳がせる。 「いーよいーよ、生まれつきだしね。もう慣れちゃった」 にこにこと明るい口調で少年は言う。 変わらない少年の様子に、ワダチは出会った際の自身の態度を思い出し、チクリと胸に罪悪感が生まれる。 「いや、こちらこそすまん。……さっきは助けてくれて、ありがと」 後頭部を掻きながら謝罪するワダチへ、少年は笑みを深める。 「こんなところに来ちゃったらな。そうなっちゃうの。まあわかるよ」 「あんたはなにか知ってるのか。ここのこと」 「まあうん」 とくに表情を崩さず、まるで日常の一部がごとくに。 ならば、ここから出る方法を知っているかもしれないという希望と、やはり自分たちとは違う存在なのだという思いに、ワダチの心はせめぎ合う。 「とはいっても、民俗学やってたおじさんから聞いた話だけどね」 そう前置きとともに語られるは、異界という存在のこと。とはいっても、近頃の流行りにある『異世界もの』とは異なり、隠れ里や桃源郷にマヨヒガ、竜宮城にニライカナイ――海の彼方にあるとされる、沖縄の他界のひとつ――、といった近くて遠いところ。 この土地は長い間、巨大な公共団地としてたくさんの人々の暮らしを見つめ、その思いを内包し、いつしか残影として形成され、ひとつの異界になったのだと少年は言う。 「いや、でも、異界というより境界なのかな、あれ、どちらも同じ意味だっけ、まあそんな感じだと思う、たぶん、うん、おそらく、いふ」 「……チンプンカンプンじゃねえか」 されど本人も確証はないよう。どうやら、件のおじさんから聞きかじった知識からの考察らしい。 ひどく信ぴょう性がない、正直、ワダチは非常に不安を感じる。 しかし、 「俺は、どうすれば元の場所に戻れる?」 問題はこれだけ、これだけなのだ――もっとも難しい気もするが。 「……ンー、階段上るときに、後方に塩ぶん投げて、それから目をつぶったまま上がるとか?」 ――そんなんでいいのか、ほんとに。 いちおうの少年の言い分としては、後ろ向きとは妖魔と接触する手段でもあるが、日常と非日常を繋ぐ手段でもある。そして、塩や酒、火の物など魔を払うものを後方に投げることにより、その影響を絶つ意味が込められている、らしい。 「いや、根本的なこというけどさ、俺、塩もってないぞ」 「おれんちの使えば?」 ――そんなんでいいの? 「ちょっと待って、今持ってくるから」 少年は腰を上げて、ダイニングのほうへ向かう。 待っている間、ワダチは緊張を解すように息を吐いた。そして、なんとなしに周囲を見回して、電子ピアノへと視線を止めた。 畳に直接置かれたそれは、素人目からしても、とても使いこまれていのがわかる。試しに鍵盤をそっと叩いてみるが、音が出ない。それはそうか、電源がないのだから。いや、本当にどうやって生活しているのだろう。 そもそも、なぜ――。 「はいよ」 ぎょっとした。 とつぜん、目の前に塩袋が現れた。 後ろを仰ぎ見れば、ニヤつく少年と目が合う。 「……なんか多くないか?」 「もしものため?」 ――なにゆえ疑問口調なのか。 そんなふうに呆れながらも、ワダチは少年より塩袋を受け取れば、手の平より紙の感触に気づく。 「電話番号だよ。帰れないようだったらそこに電話して。繋がるか知んないけど」 ワダチは頷く。 そういえば――。 「あんた、名前はなんていうんだ?」 ワダチの質問に、少年はきょとんとしたのち、青い目を細めて苦笑気味に答えた。 「――ナギだよ」 少年――ナギのアドバイス通り、ワダチは中間踊場へとつづく階段を見上げる。 さきほどまでと変わらない、昭和の風情を帯びる団地と化したそこは、蕩けそうな夕陽がオレンジ色に周囲を照らし、伸びたままの陰影は夜の到来を待つのみ。 ひとつ息を吐いて、ワダチは覚悟を決める。これで駄目だったらナギに空手チョップをお見舞いしてやると、恩人に対する誠意もへったくれもないことを考えながら。 ワダチは後方へ塩を撒いた。その際に気をつけることは、けして振り向いてはいけないということ。ナギいわく、あらゆる神話におけるタブーの定番であり、もし犯せば恐ろしい顛末が起こるかもしれないから。ようするに忠告した本人もわかっておらず、ゆえになにが起こるかは想像もつかないのだ。 後方に塩を撒いたワダチは目をつぶり、注意深く一歩一歩と階段を上った。 肌で感じるは夕陽の温かさ、おぼつかない身体を支えるため壁へ手をついた、そのコンクリートの冷たさ。探るように足の裏を動かし、慎重に進んでいく。 ふと、頬に生暖かい空気を察した。しだいにそれは全身を撫でるように、空間を蹂躙していくかのごとく纏わりついてくる。 あのときのように、嫌な汗が滲む。 ――クソったれがッ。 ぎゅっと瞼に力をいれて、ワダチは上へと目指していく。本能的に感じたのだ。ここで挫けてはならない。でなければ、この空気に呑みこまれてしまうと。今はただ、階段を上ることだけに集中するしかない。 一段、二段、三段、四段、五段、六段、七段、 八段、――中間踊場を踏む――纏う生暖かい空気は、冷たい風に吹き攫われる。 その風は不思議と馴染み深く、誘われるようにワダチは瞼を上げた。 「……夜だ」 階段に設置された照明が爛々と光り、ぶんぶんと羽虫は回っている。手摺壁の向こうの景色は、すでに夜の訪れを迎え、柔らかい光を湛えた月が浮かんでいる。 少し離れたところに建つマンションには、終わりゆく気配などなく、人工的な明かりでより浮き彫りとなった、洗練とした無機質さ、しかし、帰ってくる人々へ妙な安らぎを与えてくれた。 スマートフォンで時刻を確認すれば、十九時半を回っている。もう親は帰ってきていることだろう。不在の言い訳をどうするべきかと、ワダチは頭の片隅で考えてみるが、それより実感としてあるのは――。 「――……帰ってこれた」 これに尽きるだろう。 それから、ワダチの身に何が起きたということはない。 相も変わらず友人はいないし、学校に行けば憂鬱と鬱憤が延々と脳みそを支配し、そのせいで灰色の脳細胞が、さらなる鈍色に悲鳴を上げている。 しかし――。 ワダチは懐より一枚のメモをとり出す。 乱雑な文字で書かれた、電話番号。もちろん、電話を掛けようにも繋がらない。そのメモを、ワダチはいつも持ち歩いている、捨てようとも棚の奥へ仕舞おうともせずに。 緊急時のためかそれとも感慨深さからか、その心境は定かではない。ただ、予感があることは確かだ。説明の出来ない予感が。 ――ああ、ひとつだけ。 ワダチのなかで変わったことがある。 夕暮れどき、マンションの階段前で溜息を吐かなくなったことだ。 |
送りまぜ p.N.KpK04s 2022年10月30日(日)13時24分 公開 ■この作品の著作権は送りまぜさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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2022年12月11日(日)00時11分 | 送りまぜ | 作者レス | ||||
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>紫様 返信が遅れてしまい申し訳ありません。ご感想とご指摘をありがとうございます。 少しでも楽しんでいただけたのならば幸いです。つづきが読みたいと言ってくださるのは作者冥利に尽きますが、現在なにも思いつかない状態です。本当に申し訳ございません。 この作品から少しでも糧になれたのならば、死ぬ気(いまだに小説書くのが苦手)で描いてよかったと思います。紫様もお疲れのでませんように。 以上、改めて読んでいただき有難うございました。 |
2022年12月11日(日)00時07分 | 送りまぜ | 作者レス | ||||
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>鱈井元衡様 返信が遅れてしまい申し訳ありません。ご感想とご指摘をありがとうございます。 個人的にホラー描写はちょっと甘いと感じておりましたので、まったくもって同感です。窓に赤子の手のひらを付着させる描写があってもよかったかもしれない。 赤子の正体については、何かしら関連した事件を思い出させる、あるいはナギに説明してもらうなど、もう少し明示すべきでした。とはいえ、ホラーのどこまで説明していいのかという境界線は、描いていてなかなか難しいのですが、頑張ります。 舞台装置として団地は有用というのもありますが、なにより団地という空間がとても好きなのです。ぜひとも使ってみてください。 以上、改めて読んでいただき有難うございました。 |
2022年11月26日(土)21時01分 | 鱈井元衡 | +20点 | ||||
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彼の迷い込んだ所が異界であり、人間を排除しようとする悪意に満ちていることは伝わりました。しかしその恐ろしさはもっと掘り下げる余地があると思います。文体から伝わる憔悴感は見事でした。今すぐにそこを出なければならないという焦りや、同時にどこかにある冷静な様子も、ワダチという人間の現実味を強調していると言えます。元の世界に戻ってこれたことを知るシーンも好きですね。その後のうだつのあがらない様子も、とある異常な経験という話の構造を浮き彫りにしてます。 赤子は一体何だったのか、それが気になりますね。異界が人に何をするのか完全に分かっているわけではないとしても怖さを教えるにはとても効果的でしょうけども。 ナギの正体についても掘り下げがあっても良かったのではないでしょうか。ワダチの血縁者とかだったら面白いんですけどね。 団地って舞台装置として非常に有用なんですね。私も使ってみたくなります。
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2022年11月08日(火)19時51分 | 送りまぜ p.N.KpK04s | 作者レス | ||||
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>えんがわ様 ご感想とご指摘をありがとうございます。 主人公の心情に反映しての、街の情景を描くですか。なるほど、そうすれば孤独感と団地(今はパークヒルズ)のノスタルジーに繋がりそうです。アドバイスありがとうございます。 赤ちゃんと女性のギミックは一回のみでなく、後半の振り向くなの場面で何かしら演出に利用するのはいいかもしれません。少し考えてみます。 文章経験はこちらの皆さんよりはないです。その証拠にお話づくりが得意ではありません。うまくなりたいです。 短編シリーズをご希望してくださるのは、作者としてとても嬉しいのですが、つづきの話が浮かばない状況であります。少し時間がかかるかもしれません。 以上、改めて読んでいただき有難うございました。 |
2022年11月07日(月)20時34分 | えんがわ | +30点 | ||||
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丁寧に書かれていると思います。 序盤はちょっとダレた感じがしましたが、異界に来てからは良い感じで緊張感が続き、最後はちょっと物足りなさも混ざる、寂しさの混じった余韻がありました。 序盤でダレたのは、団地の説明の箇所ですね。 ここは後半への助走だとはなんとなく構成上わかるのですけど、まー、主人公は関係ないだろうと。 やっぱり登場人物と関係ない話を続けられると、なんか関心のフックが落ちていくんです。 なんかこれを入れるなら、主人公の下校時での寂しさや孤独感と一緒に、街を情景として映すとか。 そういう筆力があると思うのです。 後半、物足りなさがあったのが、悲鳴を上げ続ける赤ちゃんと女性が、再登場しなかったところですね。もしかしたらこれからあるのかもしれませんが。とても迫力があるシーンだったので、勿体ないというか、なまじ印象に残るからなんかあるのかなとか。 筆力はありますよね。作者さんは執筆経験というか、文章の経験が長いのがうかがえます。 安定した読み味もあるし、わかりやすく、世界に入り込めます。 ただ全体的に固い印象もあって、そこに年配の作者(送りまぜさん)と中学生の主人公(ワダチ)の間に距離感を感じるのも、少しあります。 あれこれ言っちゃいましたが、序盤の団地の説明パートさえ何とかすれば、読者をひきつける作品になると思います。 出来ればこれで終わらず、短編シリーズにして欲しいくらいです。
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2022年11月07日(月)19時51分 | 送りまぜ p.N.KpK04s | 作者レス | ||||
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>壁のでっぱり様 ご感想とご指摘をありがとうございます。 冒頭の入り込みが成功してよかったです。以前にこちらで別作品を投稿した際、冒頭がぱっとしないという意見がありましたので、少し成長したのだなと感慨深く思っております。 序盤の文章に関しては、町やマンションの雰囲気づくりにこだわりすぎたと反省しております。物語の流れを意識し、短い文でいかに伝わりやすい良文を生み出せるか、このあたりを次の目標にしていきたいです。 主人公、口悪いくせに根暗ですね。ボッチ設定よりは不器用すぎる性格ゆえに、周囲と合わせる気のなさを強調したほうがよかったかもしれません。ナギとの掛け合いは一番書きやすいところだったので、もしかしたら肩の力を少し抜いて執筆したほうがいいかもしれない――と考え始めております。 一番の問題オチです。柊木なお様もご指摘されておりましたが、プロットづくりおよびオチが自分一番の弱点です。これからも迷走を繰り返すかと思いますががんばります。振り向かせたほうがよかったかもしれない。 タイトルは毎度悩みます。そして大体説明文みたくなる。今度付けるときは、短さを意識してみます。 以上、改めて読んでいただき有難うございました。 |
2022年11月07日(月)00時22分 | 壁のでっぱり | +20点 | ||||
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はじめまして、壁のでっぱりと申します。 なんかよかったです。 冒頭読んで「あ、これはいいな、後で読もう」と思ってて数日経ってました。 ・良かった点 文章が丁寧に書かれていると感じました。雰囲気を出すのが上手く、インターフォンの赤ちゃんのところはしっかり怖く、ナギと出合った後は安心感のあるゆるさがありました。 それと、ナギのキャラのゆるさは個人的にとても好みでした。非常事態にお助けキャラとして現れるのですが、いまいち自信なさげなところとか。 ・気になった点 序盤の描写は上手いのですが、丁寧すぎて展開の遅さに繋がっていたような気もします。もしもう少し早く赤ちゃんのシーンに繋がっていれば、きっと数日前に読み始めた時に最後まで読まされていました。 ナギよかったです、主人公も別に嫌いじゃないです、ただ序盤のイメージが「根暗」だったので、ナギと接する時のぶっきらぼうな口調に若干戸惑いました。ぼっち設定がとってつけたような感じがしました。 今作、一番気になった点はもう一つ盛り上がりがほしいなってところでした。 「絶対振り向いてはならない」とあったので「これは振りむくんやろなぁ……」と、電話番号も渡されたので「ピンチになったらかけるやつだ!」と期待してたので、もう一つ怖いシーンで盛り上げて終わればよかったと思います。 ・総評 ホラーシーンより後半ナギと会った後のちょっとゆるめなところが、より楽しめた感じします。赤ちゃんのホラーシーン、しっかり怖かったんですけどね。 タイトルはもう少し短いほうが自分は好きです。 ライトノベルが好きな自分にとっては、今作の序盤とタイトルはちょっと重い気がしました。中盤面白かったです。 消化不良感とキャラの良さで続きが読みたくなるような作品でした。 では、失礼します。
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2022年11月05日(土)14時27分 | 送りまぜ p.N.KpK04s | 作者レス | ||||
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>柊木なお様 ご感想とご指摘をありがとうございます。 おっしゃる通りホラーというよりは奇妙な話がしっくりくるかと思います。情景に関しては恐縮です。少々説明の要らない箇所もあるという意見もありましたので、そのあたりの描写や説明の取捨選択もしっかり考えていきたいです。 オチに関しては民俗学の本を参考にしました。プロットはいまだに勉強中です。色々な書物を参考にさせていただいてますが、どうにも自身の呑み込みが下手なようで。 怪異に関しても、自分自身、悩みどころです。執筆している最中も、上手い表現や工夫、なにが恐ろしいのかと色々悶々としておりました。サキとシャーリイ・ジャクスンですか、お恥ずかしながら海外の作家はあまり読まないもので、今後の参考として、機会があれば拝読させていただきます。 主人公の悩みは中学生にありがちな疎外感と、ここにいたくないという思いから、異界に迷い込んだという展開でありましたが、指摘されて確かに、悩んでいるだけ感が否めない……。もう少しここに居たくないという思いを描写すれば――余計にくどくなるので、限られたなかで上手くまとめ、物語に溶け込ませられるよう精進します。 いや、ありきたりすぎるという意見でしたね。ありきたりじゃない――このあたりも考えてみます。 以上、改めて読んでいただき有難うございました。 |
2022年11月04日(金)19時16分 | 柊木なお | +20点 | ||||
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お世話になっております。 拝読させていただきました。 純然たるホラーというよりは、ミステリー/怪奇小説のサブジャンルとしての「奇妙な味」寄りの作品でしょうか。文章が上手いので、情景や物語の流れがスラスラと頭に入ってきました。豊かな描写はそれだけで読んでいて心地が良いです。 反面、いまいち展開の盛り上がりに欠け、オチもピンとこなかったので、読後は物足りなさを感じたのが正直なところです(オチについては、私の読解力不足でしたら申し訳ありません)。 また、そもそもの怪奇現象や主人公の個人的な悩みなど、全体として目新しさが感じられず、せっかくのポテンシャルを活かせていないように感じました。 (というのも、私自身が昔好んで読んでいた奇妙な味——サキとかシャーリイ・ジャクスンとか——では、本能的な拒絶反応を誘うような、異様な状況なり行動心理なりをモチーフにしたものが多かったので) 総評としては、上手くまとまっていて、これはこれで楽しめるけれども、この手のジャンルとしては、いまいち迫力というか、凄みに欠けるという感じでしょうか。 結果言いたい放題で申し訳ないですが、技量のある作者様だと思いますので、次作も楽しみにしております。 執筆お疲れ様でした。
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2022年11月03日(木)18時49分 | 送りまぜ p.N.KpK04s | 作者レス | ||||
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>神原様 ご感想とご指摘をありがとうございます。 マンションの構造に関しては令和のパークヒルズマンションから、気絶しての、昭和の団地に変貌したというイメージで描写していたのですが、なかなかに伝わり辛かったようで描写力の不足さに歯痒さを感じております。 女性の声がした玄関扉は外廊下に並ぶ扉のひとつを想定して描いてましたが、読み手に伝わってなかったところに溝を改めて認識させられました。もう少し意識してみたいと思います。 昭和時代のたいていの団地は外廊下がなく、踊場に向かい合うよう玄関扉が設置されていた、すなわち階段式型というやつなのですが、そこも地文に入れればよかったと反省点です。 ホラー感は薄めですね。コンセプトとしてはトワイライトシンドロームというゲーム(古い)を意識しておりましたが、あのノスタルジーさはなかなかに難しかった……。町の描写はそのあたりを表現したかったのですが、かえってくどさと力量不足さが浮き彫りになってしまったようで。 以上、改めて読んでいただき有難うございました。 |
2022年11月02日(水)18時35分 | 神原 | 0点 | ||||
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こんにちは。 えと、何と言うか、マンション内の構造が少しわかりにくく感じます。階段から出て外廊下に入った最初の扉の前で女の人に遭遇します。階段へと必死に逃げて、ってすぐそこですよね。でガチャリと鍵の開く音がして、出てきたのがって処で同じ部屋では? とふと思いました。 異界に迷い込んで出てくるまでが短い気がします。冒頭の町の様子だとかが頭に入ってきません。要らない説明が多い気がします。 ホラーとしては驚かせる部分が少なく、ホラーとして機能していない気もします。 なので、点数を付けるならば普通です。あたりだと私は思います。のでおいていきますね。では。
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合計 | 6人 | 130点 |
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