シアタールーム |
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【七里 歩──1】 「言っとくけど、ぼくは映画の脚本なんか書かないからね」 放課後、幼馴染みの袖沼青空──通称”アオ”から、彼女の教室である二年六組に呼び出された。入室後、開口一番ぼくが口にしたのが、上述の台詞である。用件なんて言われなくても分かりきっていたので、相手が何を言うより前にキッパリと、断固とした口調で拒絶してやった……のだが。 「いえ、今日あなたを呼んだのはそのことじゃないのよ。歩(あゆむ)くん」 教室前方右寄りに座る青空は、涼しい顔でぼくの発言を否定した。 「えっ、そうなの? ……あ、じゃあもしかして、」 予想が外れたショックも束の間、ぼくの思考は早速次点の可能性に行き着いた。 青空の机に散乱した無数のプリント類に目を向ける──漢字練習の用紙。 我らが母校常影学園高校には、自称進学校らしく、朝のホームルーム前に漢字や英単語の小テストが行われる。その際、ボーダーラインである七十点を下回ると、間違えた箇所だけでなく、出題された全範囲練習させられるという鬼の課題が待っているのだ。この教室にも、青空を含めた所謂”赤点組”が数人、居残りさせられていた。 「課題を手伝え、っていうなら──」 「そんなつまらない頼みごとじゃないわ」 言い終わらないうちに、またもや否定された。 「じゃあ、何?」 「撮影を手伝ってほしいのよ。脚本以外で」 「なんだ、結局映画部関係なことには変わりないんじゃん」 「当然よ」 青空が呆れたような口調で言う。何が当然なのかは分からないけれど。 「でも、その言い方だと既に脚本はできてるってこと?」 「えぇ。わたしが書いたの。徹夜で。だから小テストも居眠りしちゃってこのザマよ」 青空は忌々しげに、天板上のプリント類を睨み付ける。 「あー……そうだったの」 「本来なら是非ともあなたが脚本を書いた作品を完成させたかったけれど、もう四の五の言ってられる状況じゃなくなってきてるから」 「そうなんだ。……それは部の予算案の決定が近いから? ってことだよね?」 「えぇ。それもあるし、そもそも部員人数が少なすぎるという難題があるわ。わたしとキズナちゃんだけという、ね」 当校の校則では、部員人数三人以下の状態が一定期間続いた部活動は同好会に格下げして部費もカット……さらに、その後もきちんとした活動をしていないと判断されれば、廃部にされる危険もある。 「顧問の先生もあまり乗り気でないみたいだし、かなりまずいわね。厳しい情勢だわ」 「大変だねぇ……」 「他人事みたいに言わないでよ」 「いや、他人事だし」 当然のことを言ったつもりだが、彼女は何故か不服そうな目線を飛ばしてくる。 「とにかく、大至急、何かしらの成果を、前期が終わるまでの間に作らないといけないわけよ。直近では七月の頭が期限のコンペがあるから、それに向けて──」 「そっか。じゃあまー頑張ってよ」 そう言うと、ぼくは彼女に手を振って踵を返して教室を後に──できなかった。無遠慮に腕を掴まれる。 「ちょっとどこに行く気? 歩くんにも協力してほしいの」 「そう言われてもなぁ……大体さ、別に映画部がなくなったところで映画が撮れなくなるわけじゃないじゃん」 「それはそうだけど……わたしは、姉さんが作ったこの部をなくしたくないの」 青空の姉──袖沼雨空の顔が強制的に脳裏を過った。 雨姉の名前を出されると……正直、ぼくとしても少し弱る。 何故ならぼくも、彼女の作る映画が大好きだから。 「…………」 「…………」 数秒間、無言で見つめ合う形となる。ぼくは何を言えば良いか分からず、青空は何かを考えているようだった。 やがて、彼女は切り出した。 「じゃあこうしましょう。わたしがこれらの課題を五分以内に終わらせたら、撮影を手伝ってちょうだい」 「え? いや、五分以内って……」 彼女の机を一目見れば分かるが、かなりシビアな提案だった。プリントの数からして、とても五分で終わるとは思えない。どんなに速く書いても二十分から三十分はかかるだろう。 ぼくが困惑していると、青空は鋭い声音で、再び口火を切った。 「イエスかノーで答えて。わたしが五分以内に課題を終わらせたら、撮影を手伝ってくれる?」 「……いや、だって無理でしょ」 「わたしの辞書に無理なんて言葉はないわ」 青空はそう言うと、両手にそれぞれ四本ずつ、シャーペンを挟んだ。 「え、なにする気……?」 「まあ見ていなさいな」 得意気な顔をする青空。 「おい、始まるぞ……袖沼の例のアレが」 「またあの奥義が見られるのか……瞬き厳禁だぜ!」 すると何やら、後ろの赤点組たちがざわつき出した。 何が始まるのかといぶかしんでいると、直後──ぼくは、まさに目を疑う光景を目の当たりにした。 「秘技、両手四筆書きィィッ!!」 青空はなんと、両手に四本のシャーペンを挟んだまま、漢字練習の作業を開始したのだ。 左右の練習用紙にそれぞれ四つずつ、合計八つの漢字が同時に生成されていく。通常の八倍──いや、そもそも彼女が字を書く速度自体高速なため、それ以上の速さで課題が片付けられていく。 「……そんなアホな」 ぼくが呆然と青空の手の動きを追っているうちに、彼女は課題を終わらせていた。 「──fin.」 「いやfinじゃなくて」 何ということだ。ぼくは今、”課題”という概念に対する冒涜を目の当たりにしてしまったかもしれない……。 「撮影のためなら、このくらい何でもないわ」 壁にかけられた時計を確認すると、当然のように五分経っていなかった。 たちまち教室中に響き渡るその他赤点組の拍手喝采。いやお前らは自分の課題やれよ。 「今回も格好良かったッス! 一生ついていきます袖沼先輩!」 と、赤点組A。 何で口調が部活の後輩風なんだよ。 「相変わらず鮮やかなペンさばき……タイムも前回より縮んでたぞ!」 と、ストップウォッチ片手に赤点組B。 競技化すんなよ。 「お前は赤点界のエースだ!! これからも俺たちの先陣を切ってくれ!!」 と、サムズアップをし爽やかに微笑む赤点組C。 なんて不名誉なエースなんだ……。 そして、各々湧いているギャラリーたちにどや顔で手を振る袖沼青空──閑話休題。 「手先が器用なのは知ってたけど……何だよ今の。こんなの見たことないぞ」 「わたしくらいになるとチマチマ一文字ずつ書くなんて効率の悪いことしないわ。格が違うのよ」 「いや、これもう効率という名の暴力だろ……」 「さて、それじゃ歩くん。部室まで行きましょうか」 別に約束をしたわけでもないので従う義理はないが、あんなものを見せられた手前断れなかった。渋々、ぼくは映画部の部室まで同行させられたのだった。 【七里歩──?】 日当たりの悪い部室棟の中でも特段で日の当たりにくい、二階の突き当たりに映画部部室は存在している。 心なしか他より埃っぽく感じる廊下を歩ききり、清潔感を欠いた灰色の扉を開けると、こもったような空気が鼻を突いた。六畳ほどの空間に、正面と向かって左の壁に沿って積み重ねられたカラーボックス内はディスク類がひしめいており、そこら中に撮影機材が散乱した様子は部室というよりは倉庫のような印象を抱かせる。 室内には既に先客が居た。スチール製の古びたワークチェアに後ろ向きで跨がり、眼前に置かれたシネマスコープサイズの三四型モニターに観入っている女の子。名前は杵築キズナさん。ぼくらの後輩の一年生で、映画部の二人目の部員だ。 ぼくらが油分によってベタついた床に足を踏み入れて入室すると、杵築さんはワークチェアを軋ませながらこちらに顔を向け、耳をつんざく甲高い声を発した。 「もー遅いですよーっ! 主演女優待たせるってどういうことですかー!?」 「ごめんなさいね。居残りの課題に手間取ってしまって。これでも急いだ方なのだけど」 足の踏み場を強引に見出だして歩を進める青空にぼくも続く。荷物は二人とも、モニターと垂直の位置に置かれたボロボロのフロアソファの上に、適当に置いた。 「杵築さん、久しぶり」 「あー七里せんぱーい!! お久ですー! 来てくれたんですねー!! なんかもう会うの三億年ぶりくらいな気がしますよもーっ!!」 杵築さんはプレーヤーのリモコンを操作しながら、まるで今気付いたかのように挨拶を返してくれる。とても元気に。 「テンション高いね今日」 「そりゃテンションも高まりますよ!! わたしが入部して最初の、記念すべきクランクインなんですから!! うはークランクインですって! 一回使ってみたかったんですこの言葉!!」 テンションマックスなまま一人悶々とする杵築さん。入部したのが廃部寸前の映画部でなければ、その有り余るやる気を大いに有効活用できたことだろう。勿体ない。 「ていうか、今年はまだ一回も撮影してなかったんだっけ?」 「そうなんですよ! いや、正確にはダンス部の大会の撮影手伝ったりとかはありましたけど……映画の撮影は初めてです!!」 「どっかの誰かさんが脚本を書いてくれないからね」 青空は、モニターより少し上の位置にある窓の降りたブラインドを指でめくり、外の景色を眺めながらそんなことを言う。そのドラマに出てくる刑事のような仕草と詰るような声音が相まって、まるで尋問でもされているような気分になった。 「今回はアオせんぱいが見事捻り出してくれたじゃないですか!!」 「クオリティは保証しかねるけれどね」 「大丈夫ですよ! 何回も読みましたけど、面白いですから!! わたしが保証します!!」 杵築さんはそんな風に断言するも、当の青空は自信なさげである。 「本当は、歩くんが脚本を書いてくれるのがベストだったんだけれど……」 「そう言われてもなぁ……」 今さっきから嫌な方向に話が向くなぁと思っていると、テンションが冷めやらぬ杵築さんが話の方向性を変えてくれた。 「まぁ、もう今さら良いじゃないですか。こうして脚本も完成したんですから! さぁさぁ、こんなとこで話し込んでないで、早速撮影に行きましょうよ!! さ、七里せんぱいも機材持って!!」 しかし、その変わった先の話題もぼくにとっては都合の良いものではなかった。 「いや、ちょっと待ってよ。そもそもぼくは、撮影に参加するなんて一言も言ってないよ」 「えぇ!? 部室まで来といて何ですかそれ!」 「いやまあ、それは成り行きというか……大体、作品の内容だってぼくは知らないんだし……」 「じゃあ、ひとまず読んでみてくださいよ! アオせんぱいが書いた脚本!! それと絵コンテも!!」 そう言って、杵築さんはワークチェアの脇に置かれた鞄からA4サイズの冊子を取り出し、渡してきた。 その、彼女が太鼓判を押したという脚本に目を落としてみる。……正直、タイトルと導入部の時点で全く引かれるものがない。 だが、少しずつ読み進めていくうちに、意外にもザワザワするようなものを感じた……気がした。 「………………」 それから十数分、我ながら熱心に、青空が書いた脚本を読んでいたと思う。 やがて読み終わり、冊子を閉じると、すかさず杵築さんが尋ねてきた。 「どうでした!? 面白かったですよね!? 熱心に読みふけってましたもんね!!」 それに対して、ぼくは正直に答える。 「いや、面白くはないよ。色々と詰め込みすぎで」 「えぇぇえええ!?」 と杵築さん。 「……やっぱり?」 と青空。自覚はあるみたいだった。 ザックリいうと、ジャンルとしては宇宙人の出てくるSF系。内容としては、ETやスター・ウォーズシリーズなど、青空が好きな有名SF映画を足して合計値で割ったような感じ。そんな闇鍋みたいな物語が面白いわけがない。 でも……ぼくは、青空が書いた脚本を読んでいる途中、心がざわつくような、落ち着かない気持ちになっていた。 何だかとても、懐かしい感じ。 「そんな……こんなに面白いのに……!」 「だってキズナちゃん、大体何観せても『面白い』って言うじゃない。アンテナ低いから」 青空がモニターの方を横目で見ながら話すので、ぼくも釣られてそちらに目をやってみると、なるほど言っている意味が分かった。画面には一時停止になったターミネーター3のワンシーンが映っている。 まあジェネシスよりはマシだし、悪趣味とまでは言わないが……しかし熱心に観入るような映画ではないだろう。 「えぇー、そうですかねぇ……」 「そうよ。確かにこれはわたしも、面白いとは思わないわね」 「うん、そうだね」 ぼくは同意する。 「それでも、これしか脚本が書けなかったのだから仕方が──」 「でも、嫌いじゃないよ。むしろ好きだ」 そう言うと、青空は意外そうな顔をした。 「…………あら。お世辞なんてらしくないじゃない」 「お世辞じゃないよ」 「あら、そうなの?」 これはきっと、自己評価の低さなんて関係なく、青空が心から撮りたいと思う映画なのだろう。 ぼくは、彼女がまだこういう映画を撮ろうとしているということをどこか嬉しく思っていた。 そして思い出した。 ぼくは、雨姉のだけじゃなくて……青空の作品も、結構好きだったのだ。 「……この内容なら、手伝っても良いかな」 そんな言葉を、無意識に漏らしていた。 「よし、じゃあ、早速撮影行きましょう!!」 と、杵築さん。 「……そうね。時間もないし急ぎましょう」 青空はそう言いながら、静かに微笑んでいるようだった。 そしてぼくらは、最初のシーンのロケ地に到着した。 最初のシーンとはいっても、別に必ずしも時系列的に一番先頭に来るものというわけではなく、あくまで現状一番撮りやすそうなシーンから始める、というのが普通だ。 撮影場所は部室棟二階、階段の踊り場。理由は部室から近くて人気がないから。 脚本の該当箇所を読むと、どうやらヒロインの少女が主人公の少年に、自分が宇宙人であることを打ち明け、少年が仰天する、という内容らしい。初っぱなから突拍子もないな……。 いやまあ、それは良いんだけど。 それより、 「協力するとは言ったけど、主演をやるとは言ってないぞ!?」 「あら。仕方ないじゃない。人手がないのだから。嫌なの?」 「嫌っていうか……今まで演技した経験なんてないし……」 「大丈夫よ。わたしが言ったようにやってくれれば良いから」 任せろとばかりに不適な微笑みを浮かべる青空。 「そうは言ってもなぁ……」 そして撮影は始まった。しかし当然のように、スムーズに進むことはなかった。 「違うわよ! どうしてわたしの言った通りできないの!? 相手は宇宙人なのよ!? もっと真面目に驚きなさいよ!!」 青空の注文は細かく、その全てに忠実に答えるのは至難の技だった。 撮影開始から数十分が経ち、リテイクの数が十を越えたあたりで、とうとう我らが監督は痺れを切らした。 「あぁ、もう! じれったいわね!! ちょっとお手本を見せてあげるから見てなさい!!」 そう言って、ぼくを押し退けてカメラの画角に入った彼女は── しどろもどろになりながら、顔を紅潮させてガタガタと震えだした。 「あ、あわわわわわわ……え、え、えと……あっ、あの……あっ、アッアッアッアッアッ……」 「オットセイかな?」 これ、もはや演技力云々以前の問題じゃないだろうか。 「だ、大丈夫ですか!? 何かの発作じゃ……!!」 ちょっと本気で心配し始める杵築さん。今の青空の挙動はそのレベルでヤバいということだ。 「あわわわわわもういいわ!! わたしはあくまで監督兼プロデューサー兼カメラマンだし! 餅は餅屋というし……演技は役者の仕事でしょ!? わたしがやる必要ないじゃない!!」 「いや、せんぱいから勝手にやり始めたんじゃないですか……」 やがて、青空が落ち着いた頃にもうワンテイク。 まずはヒロイン役の杵築さんの台詞。 「わたし、実は宇宙人なの」 台詞事態は陳腐なものだが、彼女の演技力は意外にも真に迫っている。ぼくがダメなばかりに、これ以上彼女まで巻き込んでやり直しをさせるのも忍びない。 ぼくは意を決し、今度は少し大袈裟なくらいの反応をしてみようかと思った。 「えぇぇええ!? 宇宙人!?」 言いながら、大きく身体を後ろに仰け反らせる。その結果、足を滑らせたぼくは勢いよく階段を転げ落ちることと相成った。 「うわぁぁあああ!?」 「せんぱい!?」 「歩くん!?」 二人の声が後を追ってくる。ぼくは全身を段差に打ちのめされながら落下していく。 「凄い、何て身体を張った演技なの!?」 「ちがう、ちがう! 事故ですから! 普通に落ちてるだけですから!!」 「頑張って! その意気よ!!」 「撮らなくて良いですから!! た……助けないと! 本当に死にますから!!」 やがて満身創痍の状態になったぼくは、一階の踊り場でようやく制止した。 「これは凄い映像が撮れたわ!! やっぱりあなたに頼んで正解だった!! 役者の急なアドリブにも対応しなきゃいけないんだから、監督っていうのも骨が折れるわね!!」 「いや本当に骨折れてるんじゃないですかこれ!? 七里せんぱい!? 生きてますかせんぱぁーい!!」 二人の声を受け、数秒間痛みに悶えた後、ぼくは立ち上がると、もう開き直って青空に合わせることにした。 「ど、どう? ぼくの勇姿は……ちゃんと撮れてた……?」 特に痛む左腕を押さえつつも、無理矢理、爽やかそうに微笑んで見せる。大物役者の余裕とばかりに。 ──だが、 「……あ、ごめんなさい。カメラ回ってなかったわ」 「………………帰って良いかな?」 その後、さらに何度かテイクを重ね、どうにか該当シーンは撮り終えることができたが、それだけで下校時刻になってしまった。 こんなペースで撮り終えることができるのかと内心不安になりながらも、取り敢えずはまた明日部室で待ち合わせる約束をし、ぼくらは解散したのだった。 【袖沼雨空──?】 ずっと、お話を書くのが好きだった。 ずっと、映画が好きだった。 高校生の頃から、同じ映画部の友人、双葉ヒカリと一緒に映画撮影に勤しんでいた。 わたしが脚本を書き、ヒカリが監督を担当する。 ヒカリは人一倍活発な女の子で、撮影中はいつも皆を引っ張っていた。 彼女はよく、『絶対皆でプロになろう』とか、『皆となら傑作が撮れる』とか、そんな恥ずかしい台詞を恥ずかしげもなく言っていた。 ……かくいうわたしも、内心では同じことを思っていたのだけれど。 完成した映画は『傑作』とは言い難かったが、妹やその友達はそれをとても気に入ってくれていたようで、わたしはとても嬉しかった。 わたしたち二人は大学進学後も映画を撮り続けた。 三回生になり、就職活動の時期が訪れるまでは。 【七里歩──?】 もう二年も前の出来事だ。 ぼくはその日、教室に入ると同時に心臓が止まるかと思った。 視界に入ったのは、自分の机の周辺でクスクスと笑っているクラスメートの男子数人。何かの紙を回し読みしている。 間違いない。 あれは、ぼくの書いた── 「なぁ、これお前の机の下に落ちてたんだけど……」 「何だこれ? 小説? 意味わかんねぇ」 「いつも、休み時間に一人で何書いてんのかと思えば……」 「……気持ち悪っ」 あれ以降、心を無理矢理、裏返しにされたような気分だった。 何を見ても、それが本当のものと思えない。鏡に映る自分すら、誰なのかよく分からない。自分が分からない。 もっとも重要な位置を閉めていたものが空席になった影響で、価値観が混乱したのだ。 つい数瞬前まで素晴らしいと確信していた自分の物語が、酷くくすんだものに思えるようになった。 その後、クラスでは数日間脚本のことをネタにされたが、時間が経つと皆忘れてしまったようだった。 そんな周囲の反応も相まって、ぼくが書いていたのは、本当に何でもない、下らない、路上に打ち捨てられた少し変わったゴミ程度のものだったんだな、と思った。 糞ったれのゴミ屑野郎。 ぼくは書くのを辞めた。 *** 久しぶりに嫌な夢を見てしまった。今朝の目覚めは最悪だった。 きっと数年振りに映画制作などというものに関わってしまったことが原因と思われる。 ……だが、今回、別にぼくが脚本を書いたわけじゃないのだ。あんな夢気にすることはない。 切り替えていこう──そう思った。 *** クランクインの翌日──映画部部室のドアを開けると、青空と杵築さんの二人は並んでフロアソファに座り、うなだれて撃沈していた。 「えぇぇ…………」 「どんずまりだわ……」 「もうおしまいです……」 各々絶望を口にする二人。 「いや早いでしょ!? 昨日始まったばっかだよね!?」 ぼくがそう、当然の反論を告げるも、 「いないのよ……役者が」 青空は、地獄の底から絞り出したような声で告げた。 「え?」 「脚本の都合上、どうしてももう一人、女性の役者が必要なのに……頼める人が一人もいないわ」 「いや、それは……てっきりアオがカメラマンを交代して、自分で演じるものかと……」 「わたしもかつてはそのつもりだったわ。でも……昨日の醜態を見たでしょう?」 「あ……」 昨日の、彼女の大根未満の演技(?)を思い出す──酷いなんてものじゃなかった。 「気付いたの。わたし、役者無理」 「え、じゃあ、早くも行き詰まりってこと!? 本当に行き当たりばったりじゃん! 他に宛はないわけ!?」 「こんなこと頼める友達わたしにはいないわ」 「わたしにもいないです……」 「ぼ、ぼくもいない……なんて悲しい空間なんだ……」 「我が部はもうおしまいだわ……」 どんよりとどす黒い影に沈んでいきそうな空気感に包まれ、ぼくもモヤモヤとした気持ちになる。 困ったなぁ。 ぼくだって、友達がいない……ということはないけど、映画制作を手伝ってくれそうな人なんていない。 休日だけやって間に合うようなスケジュールじゃないし。高校生の平日は、部活なり学内ゼミなり塾なり予備校なり、結構忙しいものだ。 と、そこまで考えたところで、ふいに青空が顔を上げ、こちらをまっすぐ見つめているのに気づいた。 「な、何か?」 「……何で気づかなかったのかしら。方法ならあるじゃない」 そして、数十分後。ぼくらは袖沼家にいた。 「似合うじゃない、歩くん。制服は姉さんのお古だけど、サイズもぴったり」 「七里せんぱい、すごく可愛い! 本当に女の子みたいです!!」 ぼくは、友達の姉の制服を着せられ、女性用ウィックを被せられた挙げ句に後輩からうっすらとメイクまで施されて……人生初、女装をさせられていた。 「いや何でこうなる!?」 「せんぱいが細くて顔立ちも綺麗だからですよ」 「あ、ありがとう……いや、そういうことじゃなくて! 何でぼく女装してんの!?」 「仕方ないじゃない。役者の頭数が足りない以上、一人二役という最終手段に出るしか……」 「いや一人二役ってとこまでは分かるけどさ! ぼくが女装する必要なくない!? 杵築さんが二役演じれば済む話じゃん!」 「異性で顔が同じより、同性で顔が同じ方が目立つじゃない」 「そ、そうかもしれないけど、でもだからって……!」 「まあまあまあまあ。もう良いじゃないですか」 そんな風に宥めるように言う杵築さんだがお前ぶっちぎりで加害者側だろうが。 「そうよそうよ。女装しちゃったものは仕方がないのだし」 もう一方の青空も反省の色が見られないどころか見事に開き直っていやがる。 「ふ、二人とも……もしかして、単にぼくを女装させてみたかった、とかじゃないよね……?」 「「……………………」」 二人揃って目をそらしやがった。 「ひどい……あんまりだ…………」 「まあまあ。やっちゃったもんはしょうがないじゃないですか」 「そうよ。やっちゃったもんはしょうがないわ。やっちゃったんだから」 「受け入れましょうよ。やっちゃったもんはしょうがない、はい、しょうがない」 「それやっちゃった側の人たちが言う台詞ではないよね!?」 さて、ぼくらはその後、再び学内に戻った。 電車での移動中、女装姿に奇異の目を向けられるかと思いきや、そんなことはなかった。 意外にも、周囲の目を欺けているらしいのだ。 「凄いわね……もしかしてこれ、何かで一儲けできないかしら? いや別に変なことじゃなくて……」 「確かに。この完成度をこれっきりにしておくのは勿体ないですよね……その、健全な方向でここは一つ、」 などと女子二人が下らないことを相談している間に学校についた。 そしてそこからは、丸っきり状況が変わってしまった。 見た目はごまかせても、声は中々難しい。 女の姿をして、男の声で映画の台詞を張り上げるぼくを、周囲の目は無視してくれなかった。撮影場所が中庭ということもあり、たちまち野次馬の列ができた。 しかし、そんなことで撮影を中止してくれる青空監督じゃない。容赦なくリテイクも要求してくる。 ぼくは半ば泣きそうになりながら、役を演じ続けた。 状況に対する不満と怒りなどのマイナスエネルギーを演技にぶつけることができたのか、リテイクの数は昨日より遥かに少なく撮影を終えることができた。皮肉なことに。 撮影終了後、中庭の隅で撃沈していると、青空がぼくたちに飲み物を買ってきてくれた。 「お疲れ様」 差し出されたのは、三ツ矢サイダー──夏の定番。 現在の季節は六月だが、そう言えば今日は真夏日並みの猛暑だったことに思い至る。 緊張や疲労だけでなく、気温によって全身が汗だくになっていたことに、そのときようやく気づいた。 鼻づまりが解消されたように、急に夏の匂いを近くで感じた。 ぼくはアオから三ツ矢サイダーを引ったくると、一気に喉に流し込んだ。 「せんぱい、本当に可愛かったですよ! 素敵でした!!」 「今日の演技は中々良かったんじゃないかしら。昨日の大根ぶりが嘘みたい」 などと好き勝手に宣っている二人を無視して、ぼくはペットボトルの飲み口から自分の口を離すと、二人に呼び掛けた。 「アオ、杵築さん」 すると、ぼくの声色を汲んでか、二人の表情が真剣そうなものに変わった。 「……ここまで恥を晒したんだ。ぼくは今後も、全力を尽くすことを宣言する。だから、絶対、作品を完成させよう」 二人が頷く。 「完成しませんでした、はなしだ。絶対エンドロールまで作り上げて、コンペでも入選しよう。雨姉が残したこの部を、失くさないためにも、頑張ろう────!」 オー! と二つの掛け声が重なって、サイダーの泡のように浮き上がり……初夏の空で弾けた。 【七里歩──?】 今は亡き青空の祖父は生前、大層な映画マニアで、家のなかに所謂ホームシアターを作っていたほどだ。 ぼくと袖沼姉妹は小さな頃からよくそこで映画を観ていた。近場の劇場なんかよりよほど身近な場所だった。 ぼくがシアタールームで観たなかで最も印象に残った作品は、雨姉が初めて脚本を書いたという自主制作映画だった。 ぼくはあれを観て、自分も映画制作に携わりたいと思ったのだ。 素人の作ったものだから自分にもできそうとか、そういうことでは断じてない。 あの作品は、ぼくと『映画』という媒体を、今まで以上にグッと仲良しにしてくれたのだ。 身近に感じさせてくれた。 それは、作り手からの溢れんばかりの映画への愛を、恥ずかしいほど開けっ広げに感じとることができたから。 ぼくは雨姉の作品が好きだった。 彼女は間違いなく、ぼくにとっての『最高の脚本家』の一人だ。 そして、『最高の映画監督』は── *** その日の撮影は河川敷で行われた。宇宙人のヒロインと敵性エイリアンとの戦闘シーンがこの場所で行われるのだ。 まずはこの場所の全景を上空から撮る必要があるとのことで、現在は青空が、部の備品であるカメラを搭載したドローンを慣れた手付きで飛ばしているところだ。 現状することのない我々役者二名は、暇そうに突っ立ってる他ない。 水面を眺めながら、ボーっと会話を交わしていると、いつの間にか嫌な方向に話題が流れてしまっていた。 「せんぱいって、昔は脚本書いてたんですよね?」 「……まあ、そうだね」 「何で辞めちゃったんですか?」 向けられた質問はいずれも、答えに窮するものだった。 「さあ、何でだったかな…………」 「知ってると思いますけど、アオせんぱい、七里せんぱいの書いた脚本滅茶苦茶好きですよ? その話するときいつも楽しそうだし。ありゃもうファンですね」 何故かちょっとニヤニヤしながら語る杵築さん。 「ファン、ね。ぼくもある意味では、アイツの作る物のファンだよ」 「やった。両想いじゃないですか」 「何言ってんの?」 「わたしも読んでみたいなぁ。七里せんぱいの脚本」 杵築さんは中空に想いを馳せるような目付きでそんなことを言ってくれる。しかし今のぼくには、彼女の期待に応えることはできない。 「……多分、もう金輪際書くことはないよ」 「勿体ないなぁ。アオせんぱいがあそこまで想ってくれてるのに」 「そうは言っても……色々あるんだよ」 抽象的極まりない言い訳で逃げを試みる。 すると、 「色々あるかぁ……うーんまぁ、そうなんでしょうけどね。創作って、結構大変ですものね」 意外にも物分かりが良い返答がされた。しかし考えてみれば、杵築さんも創作に携わる者の一人なのだと思い直す。少し、彼女の認識能力を軽く見ていたかもしれない。 「……でも、わたしやアオせんぱいみたいに、七里せんぱいの作品を楽しみにしてる観客が、少なくとも二人はいることは、忘れないでくださいね」 それからの撮影も、まあそこまで順調には進まなかった。 敵性エイリアンが杵築さん演じるヒロインに倒されるシーン。鉤爪やら顔だけ出た着ぐるみやらを装着した状態で良い感じに倒れなければならない。これがまた難しい。 「あぁ、もう! ぜんっぜんなってないわ!! じれったいわねぇ! もう、ちょっと退きなさい! わたしがお手本を見せてあげるわ!!」 そう言って、先日と同じようにぼくを押し退ける青空。 「ちょっと──」 「あ、あわわわわわわ……え、え、えと……あっ、あの……あっ、アッアッアッアッアッ……」 「もうこの下り見たよ」 「アッアッアッ…………あわあわあわわわわわ……アッアッアッアッアッ──」 「これ何の時間なの?」 青空はそうやってしばらくあわあわした後、額の汗を拭うと、息をついて言った。 「……ちょっと、休憩にしましょうか」 そして彼女は岸辺に置いてあったクーラーボックスから三ツ矢サイダーを三人分取り出し、各々に配った。 「好きですね、三ツ矢サイダー」 「もうすぐ夏だからね。夏といえばサイダーでしょう?」 そういえば青空は、毎年この季節になると急に炭酸飲料を好んで飲むようになるな……と思い出した。暑苦しい着ぐるみを脱ぎながら。 「それにしても暑いですよね。本当に六月ですか、今?」 「よりによって撮影の日に、こんな気温にならなくても……」 ぼくと杵築さんは喉を越していく爽快な炭酸を味わいながら、それぞれ気温に文句を言う。 対する青空は、暑さに疲れてはいるものの何だかまんざらでもなさそうな様子。 「まあ、良いじゃない。暑い方がインパクトがあって残りやすいものよ」 「何に?」 「思い出に」 「……そんなものかな」 【袖沼雨空──?】 大学三回生──就職活動の時期になり、映画の撮影は中断した。 「大丈夫。社会人になってからだって、映画撮影くらいできるよ。ちょっとずつ下積みしてさ、それでいつか、皆でプロ入りしようよ」 ヒカリはそんなことを言ってたが、実際そうはならなかった。社会に出てからのわたしたちの日々は容赦なく、すさまじい密度でのしかかってきた。 映画を撮る時間なんてとてもなかった。何度か集まるような機会はあったが、その度各々の顔色が悪くなっていくのが確認できて、あまり気分の良い会合ではなかった。 わたしとヒカリはとんだブラック企業に入社してしまい、互いにろくでもない日々を過ごしていたのだ。他のメンバーも、わたしたちほどではないにしろ、あまり楽しそうには見えなかった。 特に、ヒカリの顔色の悪さは格別だった。いつも元気でエネルギッシュで、わたしたちを引っ張っていってくれる彼女の姿は、もはやどこにもなかった。 ヒカリはよくわたしに電話をかけてきた。彼女の声は以前とは人が変わったように悲壮感を帯びていて、終始別人と会話してる気がしていた。 電話でヒカリがする話は徐々に上司や同期の悪口が主になっていって、いつしかその割合が十に達した。 わたしは段々、狂ったように同じことばかり話す彼女の相手をするのが面倒になってきた。 かかってきた電話を無視するようになると、彼女は留守電やチャットに呪詛のこもったメッセージを残すようになった。 それをわたしは……迷惑には感じなかった。 わたしは彼女を内心で嘲笑っていたのだ。 自分も相当酷い労働環境にいた自覚があった。毎日上司から怒鳴り散らされ、色んな人から蔑まれるなか、それでもわたしは、ヒカリのように泣くことも誰かに愚痴を言うこともなかった。だから自分は彼女よりは強いのだろうと思っていた。こんな程度で音をあげている彼女は情けないと、見下していた。 毎日ヒカリが残した呪いのメッセージを聞くことだけが唯一の楽しみでありストレス発散方法だった。 端的に言って、わたしの心は糞未満の汚物だったんだと思う。 そしてわたしたちの思考も、きっとどうかしてたのだろう。仕事が嫌なら辞めれば良かったのだ。 現状にいっぱいいっぱいで、視野が狭まっていた。 でもそれに気付いたときには全部手遅れで、ヒカリの命はこの世界のどこからも失われてしまっていた。 彼女が自殺する数日前に残したメッセージはこうだ。 『学生時代はたくさん映画撮ってたよね。この前久しぶりに映画借りてきてさ……まあ最後まで観る暇なかったんだけど……学生時代を思い出したんだ。やっぱりあの頃が一番楽しかったなぁ…………ねぇ、そういえばさあ、大学の頃撮ってたやつ、まだ途中だったよね? ……今度さ、続き撮ろうよ。他の皆も誘ってさぁ。また昔みたいに。……きっと楽しいよ。すごく。……無理かなぁ?』 今更なに言ってんだ、とわたしは思った。 『映画、撮りたいなぁ……こんなはずじゃなかったのになぁ……わたし、何なんだろ? …………何か、何者でもないような気がする……わたしには映画しかないのに…………みんな、わたしが映画を撮らないから認めてくれないのかな? 映画を撮れないわたしなんて……価値がないのかな?』 わたしはいつも通り、何も返事をしなかった。 どうせいつもの愚痴と同じだと思っていた。それが彼女の心の断末魔だとも知らずに。 糞ったれのゴミ屑野郎。 繰り返しになるが、わたしの心は糞未満の汚物なのだ。 【七里歩──?】 ぼくらの映画制作は、とても順調に進んでいるとは言い難い。 それに加えて、今年も遅めの梅雨がやってきてしまった。連日続く雨によって、否応なく外での撮影は後倒しになってしまう。 何としても、青空が提出するつもりだというコンペに間に合うようにしなければならないのに。 予報を信じるなら来週の頭にはようやく晴れ間が見えるとのことなので、一先ずは屋内での撮影と、今まで後回しにしていた編集作業をメインに行うことになる。 部活の時間だけでは到底足りないため、その週の土曜日、ぼくらは袖沼家に赴いた。主人公の部屋でのシーンは全て青空の部屋(二階建ての一軒家で子供部屋が一階にあるという珍しい間取りだ。)で撮影することになっていた。 両親は共働きで、父親は単身赴任、母親は短期の出張ということなので、迷惑をかける心配はない……というのが理由だ。 加えて、彼女の部屋は年頃の女の子のそれにしては殺風景で、男子のそれと区別がつかないため、主人公の部屋という設定でも問題はない。 撮影は、まあまあ捗った方だと思う。 あっという間に時間は過ぎていった。いつの間にか夕食時くらいの時間になってしまい、母親から『夕飯はどうするのか』という旨の連絡もきた。 「泊まっていけば良いじゃない。雨も酷いし」 などと青空は言ったが……幼馴染みといえど、この年齢で女子の家に泊まるというのはどうかと思った。しかしまだまだ時間をかけないと作業がとても追い付かないというのは事実だったし、杵築さんも抵抗はないということだったので、結局は青空の提案に甘えることになった。 この日も例によって、外は梅雨真っ盛り。叩きつけるような雨音が響き渡っている。 ぼくらはその時、部屋の奥に置かれたベッドに三人で並んで座り、映像のチェックを行っていた。真ん中には膝の上にノートPCを載せた青空が居て、両サイドからぼくと杵築さんが画面を覗き込むような格好だ。 作業の合間、何とはなしに窓を見てみると、稲妻の閃光が視界に飛び込んできた。 「あ、光った」 数秒後に訪れるだろう雷鳴への警告のつもりでそう発すると、 「うわぁ! ビックリしたぁ!!」 横からそこそこの声量の感嘆が発された。 「いやビックリするの早くない? まだ何の音もしてないけど」 元気すぎて雷にまで先走ってしまう杵築さん。ビックリしたと言いつつ、本人はどこか楽しそう。よく見ると青空も。 数秒遅れて、腹の底に響くような雷鳴が耳をつんざき、 それと同時に部屋の電気が消えた。 「ん? ……停電?」 というぼくの呟きに被せるように、二人が楽しげな奇声をあげた。 「びっくりしたぁ!! 何だよ突然デカい声だすなよ!?」 「だって、雷ってだけでもテンション上がるのに、」 「……小学生かな?」 「停電がもたらす非日常感にテンションマックスよ!」 「小学生かな?」 電力が一時的に失われるという迷惑でしかない事態を前に、子どものようにはしゃぐ二人。ポジティブと言って良いのか何なのか……もはや羨ましくさえ思えてくる。 「ところで、もう結構な時間ですよね。今何時でしょうか?」 「オヤジよ」 「小学生かよ」 真っ暗闇の中、激しい雨音と時々起こる雷鳴をバックミュージックに、女子二人のはしゃぐ声が部屋を包む……え、そんなに楽しいの? この状況。もしかして、逆にぼくがおかしいのかな? 「いやぁ……何かしらね。暗闇というのは人を本能的に興奮させる何かがあるのかしらねぇ」 うっとりとした口調で自説を語る青空。 「そう言えばこの前ネットで、停電したエレベーターに丸一日閉じ込められた人の監視カメラ映像観たんですけど、メチャメチャテンション上げてましたね!」 「それテンション上げてたというより極限状態になってただけじゃね?」 ていうかその動画、そんなノリで観ちゃいけないやつだろ。何だこの子、サイコパス(誤用)か? 「あーワクワクするなー大雨に雷に停電を友達と一緒に過ごせるなんて」 「誰と一緒だったところで特に何も起きないと思うよ? それより早く作業再開しようよ、時間もないんだし」 「いや、それがノートPCの充電切れちゃったみたいなの」 「うわー最悪。停電最悪」 充電できないじゃん。 とはいえ、デスクトップだったらデータ飛んでたかもしれないからな……。PCが無事なだけ良しとするか。 外を見た際、街灯も消えていたことから、単にこの家だけブレーカーが落ちたというわけではないだろう。電線に落雷したのだ。 懐中電灯の灯りを頼りに、何か火災の原因になりそうな家電が電源繋ぎっぱなしになっていないかなどを確認しているうちに数分が経過した。 電力の復旧はなし。 ぼくらはまた、ベッドの上で並んで座っていた。 「暇ですねー。真っ暗だと」 と杵築さん。先ほどよりはテンションが落ち着いている様子。 「君たちが、『せっかくの暗闇が台無しだから懐中電灯もスマホも使用禁止』なんて狂ったこと言い出したんじゃなかったかな……」 ぼくの苦言は無視される。 「ゲームでもしましょうよ」 杵築さんと同じく落ち着きを取り戻した青空が退屈そうに提案した。この調子で停電に対する幻想が消えたら良いなぁと思いつつ、適当に対応してやる。 「ゲーム?」 「十回クイズって知ってるかしら?」 「……知ってるけど」 またベタなのが来たな。 「じゃあ、歩くん。取り敢えず『ピザ』って十回言ってみてくれるかしら」 「一番有名なやつじゃん。……まあ良いけどさ。ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ……」 直後、隣で身体を動かすような気配がした。 「じゃあ……ここは?」 「どこだよ」 真っ暗で何も見えないんですけど。 「ピザ……間違えた膝。……じゃなかった、肘よ」 「グダグダじゃん」 「なんか面白そうですね」 「そう思うならあと二人でやってたら? 夜が明けるまで延々と」 そうやって馬鹿話を重ねてるうちにさらに数分が経過し、電力は無事復旧した。 ぼくらは杵築さんが作ってくれたやけに美味しい夕飯を食べ終えると、作業を再開した。そして、それが取り敢えず『一段落』と言えなくもないところまでくると、息抜きと称して、青空の祖父が作ったシアタールームに行くことにした。 その部屋は、袖沼家一階の突き当たりに、ひっそりと、しかし圧倒的な存在感を伴って眠っている。 入室すると同時に、ぼくの胸には切なさに似た感傷が込み上げてきた──ここに来たのは何年振りだろうか? 懐かしさの一方で、そこはまだ自分にとって身近な場所に感じられた。 何もかもがあの頃のまま。個人で所有するだけでは勿体ないほどの設備たちが、各々重厚な気配を醸し出しながら鎮座している。 正面の壁には、それをほとんど丸ごと覆うほどの面積のタペストリー型スクリーンが掛けられていて。 7.2chサラウンド──七基のスピーカーと二基のサブウーファーが、部屋の中心に鎮座する三人掛けのハイバックソファを囲むように配置され。 アンプにプロジェクター、ブルーレイレコーダーなどその他オーディオ機器も高性能なものが揃えられていて。 部屋の後方の壁を占めるラックには、部室にある数倍の量のブルーレイディスクが納められている。 杵築さんは入室すると共にテンションマックスになり、青空は得意気にしていた。 そしてぼくらは、短めの映画を一本観ることにした(勿論時間も時間なので小音量でだ)。青空が選んだのは、彼女の姉たちがかつて作った、短編の自主制作映画だった。 ぼくらはそれを観ながら、いつの間にか寝落ちしてしまっていた。 【袖沼雨空──?】 ヒカリの葬式で彼女が死んだことを実感すると、悲しみよりも虚しさが先立った。 式の間じゅう、ヒカリの最後のメッセージについて考えていた。 式が終わるとわたしは、虚しさのなかに強引に希望を見いだしながら、思いきって学生時代の他の映画仲間に声をかけた。『大学時代に作りかけだったあの映画を、一緒に完成させないか』と。 「ばかじゃないの? 今さら。わたしだって暇じゃないのよ」 何人かに声をかけても同じような返答ばかりで、相手にもされなかった。心には虚しさだけが残った。わたしは胸に空いた空洞に追いたてられるように帰宅すると、いくつかの変装用の衣装と機材を用意し、さらには撮影場所もどうにか確保して、その日のうちに映画作りを一人で再開した。 一人で何役も演じ、ほぼ定点のカメラアングルで酷い出来の自主制作映画は完成した。 撮影が終わるとわたしは完成品を振り返ることなく、別の作品の脚本を書き始めた。かつての創作への楽しさはどこかに消えてしまったようだった。 わたしの中には呪いのように、ヒカリからの最後のメッセージが木霊していて、それに突き動かされていた。 ヒカリは何者かになりたくて、何者にもなれずに死んだ。わたしはそんな死に方したくなかった。 社会で否定され続ける日々の中、きっとわたしだって心の底ではずっと思っていた。誰かに認められたい──どうせなら、自分がやりたいことで。 わたしは親友の死で、自分が面白い映画を作りたかったことを思い出した。作る楽しさと好きな気持ちは忘れてしまっていたが、それでも良かった。 何としても、何者かになってやる。 わたしは仕事を辞めてから、次々に、自分の書いた脚本を色々なコンペに応募した。 その結果、わたしはどうにか脚本家になり、映像作品を作る人間の一員になっていた。 嬉しさは薄かった。デビューなんてただの通過点にすぎないと知っていた。 実際、その後も道は険しかった。評価は上がらず、ネットなどで自分の作品を調べてみても批判の嵐── 数をこなすことでどうにか飯にありつけているような現状だ。 仕事として脚本を定着させていくうちに、わたしは映画制作を楽しそうに行う妹を恨めしく思うようになった。 ──わたしにとっては仕事なのに。 ──子どもの遊びじゃないのよ? わたしは妹と顔を会わせる度、彼女の創作に対する姿勢を非難し、バカにし、蔑むようになった。 創作とは違い、そちらは結構楽しかった。 【七里歩──?】 二つの音が原因で、ぼくは目を覚ました。 一つは可愛い顔に似合わない、杵築さんが発する豪快ないびき。 もう一つは、青空の発する悲痛なまでの寝言だった。 「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」 その言葉ばかりを繰り返している彼女は、酷い寝汗で身体を濡らし、瞳から僅かだが涙をこぼしている。うなされているのは一目瞭然だった。 見ていられなかったぼくは、青空の肩をゆすりながら、彼女の名前を何度も呼んだ。 やがて、彼女は目を覚ました。 「……歩、くん…………?」 普段の青空からは考えられないオドオドした頼りない声色に、心配の念が助長される。 「凄いうなされてたけど……もしかして、あのときの夢……?」 「えぇ。うるさくてごめんなさいね。今でも時々、思い出しちゃうの」 スクリーンに目をやる──映画は既に終わっていた。 「まさか、観た映画のせい? 他のにすれば良かったかな」 「……きっと違うわ。姉さんの映画と、姉さん個人は別物だしね」 青空の姉、袖沼雨空も、ぼくや青空と同じで昔から大の映画好きで、学生時代から自主映画を作っており、そして、社会人になってからはプロの脚本家としてデビューしていた。 ぼくらは雨姉が作る物語が大好きで、それは今でも変わらない。 けれど、彼女の人柄は今と昔で丸っきり変わってしまっていた。 彼女が脚本家としてデビューしてから、最初に帰省したとき、それは始まったらしい。正確には社会人になった段階で、勤務先がブラック企業だったこともあり様子はおかしかったようだが、それがはっきりと顕在化したのはやはりデビュー後だという。 人が変わったように冷然とした態度で青空に当たり、彼女がまだ自主映画作りをしていることを知るや否や、『子どもの遊び』だとばかりに非難され、創作がしたいという意思まで否定された。 当然、青空はショックを受けた。当然だ。憧れの姉に自分自身を否定されたのだから。 でも、映画を作るのを辞めなかった。 どうでも良い外野からとやかく言われただけのぼくとは違って。 「歩くん」 「何?」 「楽しんでくれてる? 映画作り」 向けられたのは直球の質問。それはある意味では愚問と言えた。 「そりゃ、ね。……楽しくなかったら、ここまで続けてないし」 ぼくは本心から答える。二年分、腹の底で塞き止められていたそれが、我慢できず溢れ出すように……自分でも驚くほど開けっ広げにそう回答していた。 「うん、そうだね。やっぱり、創作って楽しいんだよね。二年間、ずっと目をそらしてきたけど……こんなに楽しいこと、そう簡単に嫌いになれるはずないよね」 そんなぼくの言葉を受けて、青空はとても満足そうに微笑んでくれた。彼女が嬉しそうにしていると、ぼくも嬉しい。 そうして彼女は、今度はどこか期待を込めたような笑顔で、次の句を継いだ。 「脚本も、書きたくなってたりしない?」 単刀直入に核心を突かれる──一瞬怯んだが、もうここまで来たら白状するしかないと思い直す。 「ぶっちゃけ……する。ウズウズしてる」 「本当っ?」 彼女の弾むような声色に、しかし後ろめたさが背筋を昇ってきた。 「うん。でも、まだダメそう……実はこの前、自分のPCで久しぶりにワープロソフト開いたんだ。でも、手が震えて何も書けなかった」 数日前の、自身の醜態を思い出す──一文字も打てなくて、長時間放置されたPCはスリープモードに移行した。そして消灯した画面には、世にも情けない自分の顔が映っていた。 「そう……」 残念そうな相槌。青空を失望させたくはなかったが、嘘をつくわけにもいかない。悔しさが胸を突く。 「ごめんね」 「別に、謝ることなんてないのよ」 「……でも、君ばかり頑張らせてる」 「そんなことないでしょ。みんなそれぞれ、役割があるんだから」 「そういうことじゃなくてさ……君はあの雨姉から否定されて、それでもまだ映画を作り続けてる。でもぼくは、創作になんて何も興味がなさそうな、どうでも良いクラスメイト共から馬鹿にされただけで書くのを辞めちゃったんだ。……情けないよなぁ」 ここまで正直にこの話題について語ったのは初めてのことなのに、不思議と自然に言葉が出てくる。一方で、自身の情けない本心を前に、胸中にはじんわりと自己嫌悪が渦巻いていた。 「……わたしだって、何度も思ったのよ」 そんな中、それまでと違った声音でその台詞は挿入された。 「え?」 「創作、続けるかどうしようか」 青空は少しだけ言いにくそうに言葉を継ぎ足した。その内容は、意外といえば意外で、妥当といえば妥当とも思えることだった。 「でも散々悩んで、悩んで、悩み続けて、その結果、続けることにしたの。思考のボタンをほんの少しかけ違えていたら、わたしもあなたみたいに創作を辞めていかもしれない」 「そんな……へ理屈だよ」 「それに、まるで終わったことみたいに話しているけれど……あなたは、まだ悩み続けてる途中なんでしょ?」 「…………」 ぼくは、少し考えて…………頷いた。 「じゃあ、まだ結論はまだ出てないも同じじゃない。これから先、また書けるようになるかもしれない。……ううん、きっとまた書けるようになるわよ。歩くんなら大丈夫」 彼女は、ぼくを元気付けるように、しっかりとした口調で言ってくれる。 彼女が大丈夫と言うからには、きっと大丈夫なのだろう。 「……ありがとう」 「わたしね、歩くんの書く脚本、大好きなの。姉さんの作品と同じくらいに。……これ、本当よ?」 彼女が本当と言うからには、きっと本当なんだろう。 「うん。……ありがとう」 「だから、期待してるからね。いつかあなたの新作が読めることを……歩先生」 「何だか照れくさいなぁ。……また、黒歴史を重ねるだけかもしれないけど……」 「良いじゃない。黒歴史だって、一生懸命やればきっと立派な思い出になるわよ」 そう言って、青空は無邪気に笑った。 ぼくは、彼女のような人が、創作に携わっているのを間近で見られて、とても幸せ者だと思った。 「ぼくもさ、結構好きなんだ。君の撮る映画」 今まで思っていたことを、改めて口に出してみる。すると青空は再び、嬉しそうな笑顔を見せてくれた。 「ありがとう。嬉しいわ」 「それと、君の書く脚本もね」 一転、付け加えたその台詞に、案の定青空は眉を潜め、疑うような視線を向けてくる。 「あら、また世辞?」 「お世辞じゃないよ。本当に好きなんだ」 もう、君に対して何も誤魔化したりなんかしない。今話しているのはぼくの、ありのままの本心なんだ。 そんな気持ちが通じたのか、少し間を置いた後、彼女は表情を微笑みに戻してくれた。 「……そうなの? じゃあ、……ありがとうね」 断っておくと、青空の書く脚本はちっとも面白くなんてない。 でも、ぼくは好きだ。 大好きだ。 【袖沼雨空──?】 書けない。 このところ酷いスランプだった。 何を書いても叩かれる気しかしない。 書けない自分が嫌で仕方ない。 書けない自分に価値なんてない。 一日中自宅のパソコンの前に座っていても、ほとんど進まずに、締め切りだけが近付いてくる。 しかもこんなときに限って、妹たちの楽しそうに映画を撮る様子が脳裏に浮かんでくるのだ。 腹のなかでどす黒いものが滴っていき……それが許容範囲を越えると、わたしは無意識に立ち上がっていた。 それは、もう何年も前から続いていたことのように思う。 腹の底に溜まったどす黒いものは、世にも恐ろしい衝動を形作っていた。それがもたらす結果は、未来予知のように明確に頭のなかに浮かんでいる。 わたしは自分自身に怯えつつも、衝動に突き動かされる。 疲労とストレスの前に、人間の理性はあまりに脆弱だった。 雨降りしきる夜闇の中、レインコートを着込んだわたしは自前のバイクに跨がり、実家へと向かう──三十分ほどで到着した。 今日は確か、両親が共に不在なはず。そう思って玄関に入ると、見知らぬ靴が二足並んでいることから、来客があるのが察せられて、少し意表を突かれた。 すぐにピンときた。きっと現映画部の連中だろう。忌々しい。 全員が祖父のシアタールームで寝ていることを確認すると、わたしは妹の部屋に向かった。 彼女のノートパソコンを起動する。パスワードは自分の誕生日──相変わらず迂闊だ。 案の定、撮影中の映画のデータが入っていた。 再生する──楽しそうな連中の姿が映っている。 わたしはノートPCを両手で高々と掲げ、全力で床へと振り下ろした。 嫌な感触が手に走り、PCはただのひしゃげた板になった。 続いて、撮影に使用されたとおぼしきカメラも床に叩きつける。不吉なほどの轟音が拡散する。 最後に、バックアップがされている危険性があるので、付近のUSBメモリも一通り、ひしゃげたノートPCで叩いて破壊した。 ──やはり、わたしの心は糞以下の汚物だったのだ。 一連の作業を終えたわたしは胸に心地の良いカタルシスと罪悪感の混じりを感じながら、妹の部屋を後にした。 そして──トイレか何かで起きたのか──廊下で妹と鉢合わせすることになった。 【七里歩──?】 限りなく怒声に近い悲鳴とでも言おうか。 そのような混濁とした絶叫が轟いたことにより、ぼくと杵築さんはおそらく同時に飛び起きた。 一瞬顔を見合わせ、二人揃って駆け出す。 その間に、聞こえてくる音声は二人の人間が言い争うものに変わっていた。 部屋を出ると、廊下の先で袖沼姉妹が揉み合っている光景が目に飛び込んでくる。 いや正確には……青空が、この場にいるはずのない雨姉に一方的に掴み掛かっているのだ。 ぼくと杵築さんは状況が飲み込めぬまま、取り敢えず二人がかりで青空を雨姉から引き離した。彼女はほとんど半泣き状態で、震える手ですぐ横にある自分の部屋の半開きになった扉を指差した。 「杵築さん、ちょっと……アオのこと頼むね」 ぼくは一旦、青空を杵築さんに任せ、部屋の扉を完全に開き、電気を点けてみた。 すると。 そこには。 ぼくらの作品が入っているノートPCとカメラが、どちらも見るからに破損した状態で落ちていた。さらに付近にはバックアップ用のUSBメモリが散乱し、それらもガラクタと化している。 頭を殴られたような衝撃の後、強い目眩に襲われた。 息を飲む音が聞こえた──自分のものか杵築さんのものか判断がつかない。 体内で不快な熱が発生し、行き場を失ったそれが質量を伴って、どんどん身体を重くしていくような心地がする。 「何で、こんな……」 状況の理解が追い付かない。 一方、ぼくらが困惑しているのにも構わず、袖沼姉妹は言い争いを再開したようだった。 「どうしていつもいつも、わたしに突っかかってくるの!? 姉さんには迷惑かけてないじゃない!!」 「目障りなのよ!! こっちは仕事だってのに、子どもが面白半分に、人の飯の種で遊んでるのを見る大人が、どんな気持ちだと思うの!?」 「知らないわよそんなの!! 別に姉さんの前で撮影してるわけじゃないんだから気にしなきゃ良いじゃない!!」 「気になるのよ! 脳裏にあなたたちの間抜けな撮影風景がこびりついて!! どうしてあんなヘラヘラしてられるのよ!? お話作りも映画制作もおままごとじゃないのよ!?」 「分かってるわよそんなの! わたしたち、姉さんが思ってるよりもずっと頑張ってるわよ!!」 「嘘よ! 言っとくけど、アンタたちの作った映画なんて、誰からも相手にされないわよ!? 所詮自己満足なのよ! どれだけ楽しく作ったって、作品の価値を決めるのは観客なんだから!! 無意味なのよ!!」 「どうしてそんなこと言うの!? 姉さん、昔はそんな人じゃなかった……何でそんな風になっちゃったの!?」 「うるさい、妹の癖に口答えしないで!! 皆してわたしのこと、バカにして!! バカにして!! バカにして!! バカにして!! バカにして!! バカにして!! バカに────」 これを、雨姉がやったというのだろうか。 信じられない……いや、信じたくなかった。 だが、二人の会話を聞いた今、客観的に考えてそれしかあり得ないだろう。 汚い言葉が吐き出され、部屋に響き渡る。その主は身近な人間なのだ。 雨姉が変わってしまったのを嘆かわしく思いながらも、一方でぼくは今の彼女が自分と似ている気がしてならなかった。 だからだろうか──修羅場のような空気感に怯えながらも、自分の感情にすぐに気付いたのは。 心の中に、喪失感と挫折感の予兆があった。 この状況が進行していけばいずれ……かつて脚本を書くのを諦めたときの、あの感覚に近いものが、押し寄せてくるような気がする。 もう二度とあんな想いはしたくない──何かを考えるより前に、そう、強く思った。 言いたいことがある。言わなきゃいけない──今目の前にいる雨姉と、かつての自分自身に対して。 ぼくは今、何かの瀬戸際に直面しているのだ。 これ以上、逃げてばかりもいられない。 ここで逃げたら、きっと一生後悔する。 一つ、大きく深呼吸して。ぼくは一歩、前に踏み出した。挑むように。 「雨姉は、何で脚本を書いているんですか? 自分が作りたいと思うからじゃないんですか?」 慎重に、けれど堂々とした態度を意識して、最初の取っ掛かりとなる質問をぶつける。雨姉は、ぼくから言葉を向けられたのが意外だったのか一瞬怯むような表情をした後に、言葉を返した。 「もちろん、そうよ。でも、それたけじゃ……書きたいとか、楽しいとか、そういうのだけじゃダメじゃない」 「何がダメなんです?」 「自己満足に過ぎないからよ。誰にも認めてもらえないんじゃ、やってても意味がないの」 彼女の返答はまるで、瀕死の人間がこぼす嘆きのようだった。 「わたしは、社会に出てから自分がなんの役にもたたないんだって思い知った。このまま生きてたんじゃ、何者にもなれずに死ぬんだって。そんなの嫌だと思った。……何か頑張らないとダメだと思った。やりたいこと、脚本しかなかった。だからそれだけをひたすら頑張ったの。なのに、それさえも認めてもらえないんじゃ、わたし、生きていけないわ……!」 「ぼくは、雨姉の書く脚本、好きですよ。昔のは、特にね」 「そんなの、今となってはどうでも良いわ! 身内から持て囃されるだけじゃ、ダメなのよ!!」 かつて憧れていた人物に頭を激しく振りながら否定され、胸に鋭い痛みが走った。だが、それでもぼくは負けじと食い下がる。 きっと、青空の痛みはこんなものじゃない。 「そうでしょうか? 評価されないからダメ、というのは少し短絡的じゃありませんか? ぼくは、創作物の主役はある意味に置いて作り手なんじゃないかと──あなたの妹を見て、そう思うようになりましたけど」 「どういうことよ?」 「本来、作者というのはもっと自由に創作をしても良いんじゃないか、という話ですよ」 「それは、あなたたちアマチュアの理屈でしょう!?」 語気は荒いものの、ぼくが発言を重ねる度、雨空の瞳には迷いのような色が濃くなっていく──気がした。 「プロかアマチュアかは関係ありません。作品と作者は別物なんですから。雨姉の作品が批判されても、それは雨姉自身が批判されたことにはならないでしょう?」 「素人が知ったようなことを……! 良い!? あらゆる創作は、観客ありきなのよ!! そんなことも分からないの!?」 「まあ、そうでしょうね。それは認めます。確かに、作品を受容するのは観客です。作品を楽しむのも観客です。作品を評価して、価値を決めるのも観客かもしれません。でも……作者にだって、あくまで作り手として、作品を作ることを通して楽しむ権利があるでしょう。そしてその結果、何を得たか、何を失ったのか……決めるのは観客じゃなく、作者自身のはずだ。そこに他者からの評価は関係ない。自分が何者かを決められるのは、自分でしかないんじゃないですか?」 ぼくの言葉を受けた雨姉は、悲憤に満ちていた顔をさらに歪めて黙り込むと、床にしゃがみこんで、静かに嗚咽を漏らすようになった。 それを見て、自分から割って入っておいて何だが、いたたまれない気持ちになる。 「すみません、偉そうなことばかり言って。今の全部、アオを見て学んだことなんです。ぼくが彼女の在り方を、言語に翻訳しただけというか…… ぼくも、人の目を気にしてばかりだ。たった一度バカにされただけで、書くのが怖くなって、二年以上何も形にできなくなって……失敗から逃げてた。ぼくはまさに、創作者失格だ」 話しながら、再び一歩前に踏み出す。 「でも、それも今日で終わりにしたい。創作者失格のままで終わりたくない。だから、ぼくは……書くよ。何がなんでも、脚本を一本、書き上げる」 「それって、別の作品を取り直すってこと!? 今からなんて……期限に間に合わないわ……!」 それまで俯いていた青空が顔を上げ、叫ぶように言う。否定的な口調とは裏腹に、こちらに向けられた視線にはすがるようなニュアンスが感じられる。『期待』と言い換えても良いかもしれない。 ぼくは、それに答えたかった。 「実はずっと形にできないまま温めてた構想があるんだ。ほとんど同じ場面で進行するワンシチュエーションホラー……sawみたいなやつ。ああいうのなら、前作より遥かに短い時間で撮れるんじゃないかな?」 提案するように、その場に居る全員に向けて問いかけてみる。大して間を置かずに返答があった。 「やりましょう! このまま引き下がるなんて、アオせんぱいらしくないじゃないですか!!」 杵築さんだ。 「キズナちゃん……」 「何としてもコンペで入選して、映画部を不滅のものにしてやりましょうよ!!」 彼女には人を奮い立たせる才能があるのかもしれない。 青空は両手で拳を作って意気込んでいる杵築さんに微笑み掛けると、その手を取った。 そして次に、ぼくの方へと目を向ける。 「……歩くんは、できると思うの?」 「きっと、できる。ぼくはアオと杵築さんを信じてる。だから、君たちもぼくを信じてほしい」 できるだけ自信のある声で言い放つ──二人は、頷いてくれた 「ありがとう。……じゃあ、もう一つ良いかな?」 付け足すように問うと、二人は不思議そうに、目でその先を促した。 「雨姉にも、協力してもらおう」 一瞬の間を挟んで、その場に居る誰もが驚いていた。最も目を丸くしていたのは雨姉本人だったかもしれない。 「良いスタッフは、一人でも多く居た方がいい。数年振りに書く脚本にはきっと粗があるだろうから、雨姉にもぜひ、一緒に考えてもらいたいんだ」 「そんな……こんなことしたわたしと、これ以上関わるつもり?」 「こんなことしたからこそ……そういう形で責任を取ってくれても良いんじゃないですか?」 「……………………」 ぼくの問いの後、しばらく誰も口を開かなかった。質量を感じさせるほどの重厚な沈黙が空間に行き渡り……数秒後、青空の言葉が場を解凍させた。 「……歩くんの言うとおり、姉さんには罪を犯した責任があるわ。もしそれから逃げるというのなら、わたしはあなたと縁を切る」 それは追い討ちとして充分な機能を果たしたらしい。 やがて雨姉は、困惑しながら、渋々といったようにだが、頷いてくれた。 「じゃあ……決まりだ。大いに楽しみながら作りましょうね」 「そんな……今更楽しむだなんて……」 「大丈夫。アオと一緒に映画を作っていると、嫌でも楽しくなるはずです。彼女は、最高の映画監督ですから」 ぼくがそう言うと、青空は照れたように目を逸らした。 珍しい反応だな、と思った。 【エピローグ──双葉ヒカリの墓に添えられた手紙より】 あれから、妹たちは別の作品をコンペまでに完成させることができました。 わたしと妹の友達が話しながら即興で構成していったシナリオを、妹が八本のペンを同時に操るという人間離れした特技で、凄いスピードで書き起こしていきました。嘘のような話ですが本当です。 撮影も、撮りやすさを重視して脚本を組んだこともあり、スムーズに進みました。 そればかりか内容も面白かった。きっと彼にはストーリーテラーの才能があるのでしょう。 一方で、わたしも脚本作りだけではなく、サブ役ですが、出演もさせてもらえました。とても嬉しかったです。 役者なんてやったことなかったから緊張したけど……凄く楽しかった。 あんなことをしたわたしが、一体どの口で言うんだという話ですが。 あの子たち、本当に楽しそうに映画を作るんです。そのおかげで、わたしも映画に関わる楽しさを思い出せた気がした。 作品の評価を決めるのは観客でも、自分が何者かを決めるのは自分でしかない──そんなようなことを、妹の友達は言いました。 わたしはその言葉に救われました。そして、踏ん切りを付けることができた。 脚本を仕事にするのはやめました。きっと、わたしはプロの脚本家には向いていなかったと思うのです。 プロというのはおそらく、才能のある人が積み重ねた結果成るべくして成るものであって、端から目指すものではないのではないかと……今では思います。 別にプロじゃなくても、一生懸命創作をしてはいけない、なんてことはないですし。 多くの人に観てもらえなくても、認められなくても、わたしはわたしの世界を胸を張って作っていきたい。 妹たちと作った映画のなかで、わたしがきちんとわたしで居られたように。 妹はまだわたしを許してはくれないみたいですが(当然ですね。あんな最低なことをしたのですから)、それでも、応援すると言ってくれました。 自分は本当に幸せ者だと思います。 わたしはありのままのわたしになるために、これからも努力していくつもりです。 もちろん、自分が犯した罪を償いながら。 最後に、あなた自身のことも書かせてください。 あなたが最後に残したメッセージを、いつも思い出します。もう直接返すことができないと思うと、悔しくて仕方がありません。 敢えて断言しますが……あなたが『何者でもない』なんて、そんなことは絶対にありません。 わたしの中であなたは、『最高の映画監督』でした。 あの頃のヒカリが自分の作品を見るキラキラした目を思うと……それはあなたの中でもそうだったのだろうと、思います。 もっと、自分を信じてあげても良かったのではないでしょうか。……いえ、わたしが言えたことじゃありませんよね。 また、あなたに会いたいです。 また一緒に映画を作りたい。 でも、それはもう叶いません。 だから、せめてわたしはあなたのことを絶対に忘れないと誓います。 あなたと映画を作った日々をずっと覚えています。 あなたと作った映画を、いつまでも観返します。 そうして、わたしはあなたの一番のファンでいたい。 叶うなら──わたしはあなたの、『最高の観客』でいたい。 わたしは、あなたとあなたの映画を愛しています。 さようなら。 …………いえ、最後は、あなたが気に入っていた、あのフレーズで締めましょうか。 サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。 |
標識 WIhT4rLg2M 2022年09月21日(水)06時49分 公開 ■この作品の著作権は標識さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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2022年10月22日(土)15時42分 | 標識 FiMEyD62Ns | 作者レス | ||||
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柊木なおさん、感想ありがとうございます。 >後半の雨姉の言動が流石に極端というか、わざとらしく感じられたことぐらいでしょうか。決して「現実味がない」という意味ではなく……もっと静かでさりげない狂気として描かれたほうが、小説の展開としてはしっくりきた気がします。 う〜ん……シーンにテンションを引っ張られてるような気はするので、もっと客観的に書けるよう努力しようと思います。 >学校の方針ではなくて、そういう先生がいたのです。宿題を忘れたら原稿用紙1枚、授業中に私語をしたら原稿用紙1枚、先生の口癖をいじったら原稿用紙5枚。 先生の口癖いじるのが他の何にも増して罰重いあたりよほど気にしてたんですね。 |
合計 | 1人 | 30点 |
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