とある盗撮魔の日常 後編
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 最寄りのスーパーに来ている。僕はいつもここで食料品を購うのだ。最寄り駅近くにもスーパーがあるのだが、そちらは全体的に商品が高い。なので、最寄り駅から二つ離れたこのスーパーで買い物を済ませてから、帰宅するというのが普段のルートなのだ。
 ……まあ、いちいち説明するものでもないけれど。
 毎日通っているスーパーだってそこを「盗撮の現場」として認識すれば不思議と異空間だと思えてくるから不思議である。胸がワクワクしてくるのだ。このスーパーに特定のターゲットは居ないのだけれども、若い女性客に狙いを定めて僕は盗撮を続けていく。
 皆、それぞれ今夜の献立のことで頭が一杯なのだろう、商品を眺めるのに気を取られて僕の方など見もしない。当たり前だが。僕はそんな彼らの視線をすり抜けるようにしてターゲットを探していく。
 ……この人、以前にも見かけた人じゃなかったか?
 やたらと細い両足をしているのは、マスクをしたOL風の女性。その足の細さは美しいと表記するよりも、どちらかというと見る者を不安にさせてしまうような類のものだ。ちゃんと毎日、食事を摂っているのだろうか? 近頃は無理なダイエットのしすぎで身体を壊してしまう女性も多いと聞く。そんな女性の中の一人が彼女なのだろうか?
 僕はカメラを構える。腰の下に据え、女性の脚を下から舐めるように撮るのだ。盗撮を始めた直後はそれこそシャッターを切るたびに冷や汗をかいたものだ。心臓がバクバクし、生きた心地がしなかった。それが今はどうだ。この堂々たる盗撮姿! ……もちろん、自慢する類のものではないが。
 女の人がちら、とこちらを見る。その視線は僕の手のカメラに集中しているのが分かる。やばい。女性の目の瞳孔が、驚愕とばかりに見開かれていく。言わんこっちゃない、慣れた時が一番危ないのだ。
 僕はすぐさま、その場を離れ、そそくさと現場を後にする。気づかれたか? 女性の目が僕の背中を追っていないことを祈りつつ、別の食料品コーナーへと移動する。
酒のコーナーだ。地味な感じの女性店員が僕に疑わし気な視線をよこしたのに気付いた。まだ、先ほどの興奮冷めやらぬ感じが顔に出ていたようだ。僕は一旦、その場に立ち止まり、深呼吸をした。
 ……もう辞めておいた方がいいんじゃないの? どこからか声がするが、もちろん神の声なんかじゃなく、僕の、臆病な心が具現化しただけのことだ。
 僕は現在、独身だ。当たり前だろう、こんなことをしている奴に嫁なんか来るわけがない。下に三人兄弟が居るが、一番下の弟以外はそれぞれ所帯を持っている。最近、二歳下の弟に子供が生まれた。女の子だ。たまたま実家に帰った際、偶然居合わせたのだが、すごく可愛かった。まさに天使と呼ぶにふさわしい。赤ちゃんには周りの人々の顔をつい、ほころばせてしまうような、不思議な力がある。
 そんな可愛い赤ちゃんを持った父親(僕の弟)の兄貴が犯罪者だったらどうだろうか? しかも、盗撮魔なんていう、おいそれと人に言えた類の犯罪に関わった罪人だとしたら……? 弟には当然、奥さんがいる。そんな犯罪者の兄を持つのが自分の夫だと分かったら、離婚を決断しかねないかもしれない……。
 最近、母親からラインで姪っ子の動画が送られてきた。君のお父さんの兄貴がこんなこと(盗撮)をしている間に、君はそんなことつゆ知らず、朗らかに笑っていたね。
 その笑顔を汚すのか! 俺よ!
 気づくと僕の周りには人っ子一人いなかった。誰もがそれぞれの買い物に集中し、僕に目を向ける者なんていやしない。呼吸もいつの間にか、元に戻っていた。
「よかった……」
 僕は無事、一般の客としてこのスーパーに紛れ込むことに成功したようだ。酒といくつかのつまみを持ってレジに行く。店員の目が僕をジッと見ていたような気がしたが、おそらく気のせいだろう。前にも述べたかもしれないが、ともかく盗撮を始めてからというもの、やたらと他人の視線が気になるのだ。神の声じゃないけれども、心の声に従えば、マジでそろそろ辞め時なのかもしれない。
 そんなことを思いつつ、家路を急ぐ僕だった。

 本日は書店にて決行する。盗撮を。と決めてかかって今朝、起きたわけではないのだけれども、休日の午後、何気無く寄った近所の書店にて以前から目を付けていた子がレジの外に出ている! これはやるしかないじゃないかと思い、僕は彼女の動作を窺っているところだ。
 彼女は一心不乱な様子で客に付き添い、目当ての本を探しているようだ。きっと客から商品のありかを尋ねられ、親切な彼女は親身になって一緒に探してあげているのだろう。彼女の名前は石橋さん。以前、この書店で漫画を購入した際、レジを打ったのが彼女だったのだ。それで、受け取ったレシートを見てみると「石橋」と書いてあったのだ。下の名前は知らない。僕はこれは彼女との記念の品になる、となぜか思い、日記帳にそのレシートを張り付けた。
 レシートはもう10枚以上にはなっていると思う。気持ち悪いと思われるかもしれないが、やってみると意外や意外、やらずにはいられなくなるのだから不思議なものだ。僕は彼女がレジを打っているのを確認してから漫画を買うようにしている。他の店員なら、その日は買わずに店を出る。どうにかして僕の事を彼女に認知させたい、というような心理が働いているものと思われる。
 気づくと客はレジ前に移動している。彼女はなおも本棚の前で目当ての本を探しているようだ。僕はそっと彼女に気づかれぬよう、横に立つ。そして、予め用意していたデジカメをポケットから取り出し、右手に持つ。そうして、いつものように下から、彼女の全身を舐めるようにしてシャッターを切る。パシャ。
 もちろん、顔も重要だ。いくら良いスタイルをしていたって、そのスタイルを維持しているのはどんな人か、分からないと興奮しないし、だからこそ、僕はパンツだけを撮ったパンチラ画像に何も興味を抱かないのだろう……って今はそんなことはどうでもいいか。
 彼女は僕の動作にまったくの無反応。しきりに本を探している。そこで僕はまたもやシャッターを切る。パシャ。もしかしたら本屋というのは盗撮に適しているのかもしれない、というようなことを考える。店員以外にも立ち止まって商品を見ている人が多いため、シャッターを押すタイミングが計りやすいとでも言えばいいのか。これが、具体的な例が出てこなくて恐縮だけれど、被写体が動いていた場合、カメラに収めるのは難しいのじゃないか? ブレるのは避けられないだろう。だからこそ、僕はこうしてシャッターを切る際、被写体に対して「お願いだから動かないでね〜」と心で念じている。
 彼女は無事、被写体としての役目を完璧なまでにこなしてくれた。目当ての商品が見つかったのか、レジに戻って、お客さんとやり取りをしている。何を喋っているのか、ここからは聞こえないけれども、お客さんのほっとしたような笑顔につられ、彼女も笑顔になっている。その様子を見て思わず僕も笑顔になりそうになるが、ぐっと我慢する。相手もいないのに笑うなんておかしいからね。
 僕はその後、被写体になってくれたお礼に(?)何か買って帰ろうと店内をウロウロするが、こういう時に限って欲しいものがない。漫画だって10代の時に比べれば格段に読まなくなってきているのに何故買うのかと言えば、彼女に対してのお布施、とでも言えばいいのか、ちょうど気に入りのキャバ嬢に貢ぐ冴えないサラリーマンのようなものか、つまりはそんなような気持ちで僕はあえてこの店で漫画を買っているのだ。
 ……誇るようなことでもないけれど。
 僕は彼女に「さようなら。会えて嬉しかったよ」というような視線を飛ばす。彼女は当然のことながらそれには気づかない。レジで商品を包むブックカバーを作っているところだ。

 彼女の写真は綺麗に撮れていた。彼女というのは今日、書店で出会った石橋さんだ。間違っても朝の通勤電車で出会う女の子ではない。名前は分からないから、パンプスということにしておこうか。チェック柄のパンプスを履いた女の子だから、パンプス。分かりやすいだろう?
 欲を言えば、もう少しばかり顔が鮮明に撮れればよかったのだが……モニターに映っている写真を見て、そう思わざるを得ない僕がいた。少しシャッターを早く切り過ぎたのだろうか。やはり内心、危険なことをしている、という心理がどこかにあったのだろう。
「でもまあ、これで満足……しなければいけないよな」
 写真の完成度を求めて深入りすれば最悪な事態も考えられる。彼女に見つかり、警察に通報される。そうしたら、もう一巻の終わりだ。
 顔はタイプなのだが、スーパーの食料品売り場で撮影した女性同様、彼女もまた痩せすぎているように思える。肌の色からして不健康そうには見えないのだが、それにしても痩せすぎている。袖口から見える腕なんて棒切れのようだし、僕はこれまで生きてきた30数年間で彼女くらい痩せた女性というものを見たことがないかもしれない。
 それくらいに痩せている。もうちょっと食べたらどうか? とは当然の事ながら言えない。だって彼女は僕の存在を認知していないのだから。僕と彼女の間には関係性というものが成立していない。
 何気なく辺りを見回してみる。僕の部屋。壁には数年前にかけただろうか、額縁が飾ってある。にっこりと笑う彼女は僕のかつての同級生だ。高3の時、初めて同じクラスになったのだが、僕は彼女の事を高1の時から認知していた。当時、彼女の友達と僕が同じクラスで、彼女が友達を尋ねて僕のクラスへやってきたのだ。まさに一目惚れと言っていいだろう、脳天を電流が駆け抜けたような衝撃が走った、と言っては語弊があるかもしれないけれど、ともかく、数秒間、僕は彼女から目が離せないでいた。
 少々、おてんばのケがある彼女の名前は大野仁美。高3の頃、同じクラスになったから名前を知ることができたのだが、高1の時点では分からないでいた。ただ、顔がタイプで、まさに一目惚れというくらいだから、その時点で彼女の存在は僕の脳裏に焼き付いたんだろうと思う。
「えー……あの子好きなの? あの子はちょっと頭おかしいだろ」
 そう評価するのは僕の旧友である日向という男だった。卒業式以来、会うことはなくなっていたけれど、彼が修学旅行の時、高校生くらいの年代なら当たり前に行われるだろう「好きな子バラそうぜ大会」で、彼が評したその一言が今も脳裏に焼き付いている。彼に対する憤りよりも、「そうか、大野さんは他の男子生徒からはそう見えるんだな」という、新たな発見に対する驚きの方が大きかった。
 僕は少々変わっている子が好きなのかもしれない、と気づいたのはその時だった。
 部屋には見渡す限り、大野さんの顔写真が張り付けられている。自分でもよくこれほど張り付けたものだ、と感心する気持ちまで生まれてくる。最近はフェイスブックなどでかつての同級生の動向が探れるから良い時代だと思う。女性なんかは今現在の自分と、かつての同級生を比べて劣等感を抱いたりするらしいが、少なくとも僕にはそのような感情はない。そりゃ、大金持ちになったかつての旧友を目の前にしたら、僕だって激しい劣等感に襲われないとは必ずしも言い切れない。けれども、今現在、フェイスブックを巡回している限りでは、そのような男子生徒には出会わないし、実際に出会ったところでどうだろう、羨ましがるか疑問な自分がいる。
 僕はあまり金には執着しないのかもしれない。僕が執着するのは大野さんだけだ。そんな大野さんだが、最近結婚したことが判明した。フェイスブックに、大野さんと一緒に写真に写り込んでいる男がその相手なのだが、不思議と苛立ちなどは覚えなかった。ああ、結婚したんだなぁ……と思ったくらいだった。大野さんだってもう30代、そりゃ結婚の一つや二つしてもおかしくない年頃だろう、という常識的な判断が僕に働いたのだと思われる。
 けれども、やはり男が写り込んでいる写真は嫌なので、額縁に入れはしない。額縁に入れて飾るのは決まって彼女が自撮りをしている写真や、女性の友達と一緒に写り込んでいる写真ばかりだ。不思議と見知らぬ女性と一緒に写り込んでいる写真には嫌悪感を催さない僕である。
「しかし、この部屋……他人に見せたらドン引きだろうなぁ」
 という常識的な判断ももちろんある。以前、職場の森岡さんにはちょこっと、掻い摘んで話したことがある。僕の部屋の現状を。そうしたら、ものの見事に僕の予想通りの反応をしてくれ(いわゆるドン引き)、自分の異常者っぷりを再確認できたものだ。もちろん、ドン引きとは言え、そこは七年も付き合いのある同僚、お互いの性癖も話し合っている仲だから(!)、笑いながらのドン引きというかまあ、冗談めかした雰囲気にはなったのだが。
「明日も仕事なんだから、そろそろ寝ないとな……」
 おやすみ、大野さん、と僕は心の中でそう語り掛けながら床に就くのだ。以前は殺風景だった部屋が大野さんのおかげで大分、居心地の良いものになったと思う。一人暮らしだけれど、まるで奥さんが迎えてくれたような……そんな錯覚を抱いて僕は家へ帰ることができるようになったのだ。
 
 ブックオフにもよく行く。ここのブックオフは自宅アパートから一番の最寄りで僕は仕事を終えると必ずと言っていいほどこのブックオフに寄る。特に欲しいものがあるわけでもないのに、このブックオフの店内の明かりを見ると寄らずにはおれないような気持にさせられるのだ。コンビニの明かりに群がる蛾みたいなものかもしれない。
 目当ては利根川さんという地味な女の子。肌の質感や立ち振る舞いから判断して女子大生かもしれない、というのが今のところの僕の見解だ。
 実は彼女、勤めてもうかれこれ3〜4年になる。なぜ知っているのかと言えば、入社一年目の彼女、つまりは研修期間として先輩の、これまた地味目な男に仕事の手順を習っているのを目撃しているからだ。そして、僕の記憶によると今はもう、彼女が一番の古株ということになる。他の男子学生や女子学生は皆、退社してしまったと思う。毎日、通っていればやはり意識せずとも店員の顔など覚えてしまうものだ。
 彼女は文庫本のコーナーを整理している模様で、そんな彼女の傍に僕はそっと近づく。彼女の横に立つも横に不審な男が居る、と判断されることなく、彼女は自身に与えられた仕事に集中しているようだ。
 まったく染めたことのないショートカットの髪の毛。その鋭い目線の先には商品である文庫本が羅列してある。彼女は少々、とっつきにくいタイプであると思われる。店長と思われる男の、彼女に対する素振りを見ると、そのように思われて仕方が無いのだ。
 けれども、可愛い。写真に収めたくなる。
 僕は久々にカメラを取り出す。ここの所、あまり盗撮をしていなかった。熱が冷めてしまったわけではないが、ひょっとしたら以前、スーパーで、対象である女性に目撃されたことが脳裏にあるのかもしれない。それが恐怖となって僕の心に張り付いているのかもしれない。
 けれども、このチャンスを逃すわけにはいかない。
 彼女は依然として商品を補充し、棚に入れている。そこを舐めるように、下から見上げるようにしてシャッターを切る。パシャ。
 ……うまく撮れた。
 元々、文庫本のコーナーに人は少ないし、では、客らはどこに居るのかと言えば漫画コーナーだ。どいつもこいつも立ち読みで占領していて、そこを通るとなったら少しばかり断って歩かないと睨まれることになる厄介なエリアである。
 彼女がレジ応援のため、レジへ向かう。僕は依然、文庫本コーナーに居座って彼女を見守る。彼女は顔の造形は美しいのに、あまり接客業に向いているとは少なくとも僕からしたら思えない。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の声出しもぶっきら棒だし、客から何かクレームが来るんじゃないかと心配になる。
「……って他人のことじゃなく、自分の心配した方がいいか」
 僕は手元のカメラを握りしめ、何も買わずに出口へと向かった。

 残念ながら利根川さんの写真はうまく撮れてはいなかった。彼女の仕事をする様子を後ろから写しただけだ。顔が写っていないんじゃ、お話にならない。
「失敗だな……」
 僕は彼女の写真をやむなく消去する。やはり、スタイルよりも僕は女性の顔に固執するきらいがある。顔はすべてを物語るように感じる。別に、言葉に出さなくても被写体が今、抱いている気持ちがその顔を見ればすべて分かるように感じるのだ。
 僕の部屋には三つほど本棚がある。そのどれもが漫画やら文庫本やらで一杯だ。もちろん、その大体が利根川さんの勤めるブックオフで購入したものである。彼女のレジを受けたくて買っていると言っても過言ではない。ちょうど、よく行く書店で石橋さんのレジを受けたくて、何か買うものはないかと書店内をウロウロするのと同じ心理だ。
「気持ち悪いかなぁ…これ。気持ち悪いだろうなぁ、第三者から見れば」
 手元の日記帳に目を落とし、思わず呟いてしまう。利根川さんに石橋さん、それに佐藤さんという、よく行く100円ショップの女性店員さんの名が印字されたレシートまでもが綺麗に貼られている。そのあまりの枚数に最近、日記帳が膨らんできて収拾がつかなくなってきているのだ。
 けれども、これは僕と彼女たちとの交流の記録。
 そんな風に感じて僕はこの日記帳を大事にしているのだ。
 そして、部屋の中では大野さんが僕を囲んでいる。額縁に飾られた彼女の視線の先にはもちろん僕なんかじゃなく、きっと、スマホのカメラのレンズなどを見ているんだろうが、ここでは僕を見ている。そう思い込むことができる。
 彼女の微笑みに包まれ、今夜も僕は安心して眠りにつくことができるのだ。

「大泉君、最近、あの動画見てる?」
 いつもの就業場所であるカルチャーセンター、その事務所で僕らは今、休憩中だ。
 星野さんは相変わらず、冷めて美味しくもなさそうなコンビニ弁当を食べ続けていた。二十数年間ずっと、温めたことすらないのだろうか? 最近の僕は二十数年間、毎日同じようなものを食べ、同じような生活をしている星野さんを尊敬しつつある。軽蔑・蔑みの感情が尊敬にまで変化するのだから、季節の移ろいには凄いパワーがある。
 「……動画ってなんですか?」
 と、僕は分かっているのに分かっていないふりをする。
「トイレ盗撮動画だよ!」
 やっぱり、と言う首肯の代わりに僕は苦笑いで対応する。森岡さんもまた、星野さんのこうした変態トークには慣れっこである。つまりは似たような日々がこの職場に就業している以上、これからも続くことになるのは必至だ。
「嫌だなぁ……」
「え? 何が?」
「あ、いや、なんでも」
 星野さんは自身の観たトイレ盗撮動画がいかに優れているか力説している。なんでも排泄行為そのものよりも、パンストの着脱行為にやたら興奮するという。僕もパンストには興味はないけれど、パンツの着脱行為には並々ならぬ関心を寄せているので(!)、一応、星野さんの話に付き合うことにする。
 まるで変態同士がする会話のようだが、もう何年も繰り返されていることだから、こうした変態トークも日常と化してしまった。この職場に勤めて七年。一年目の頃は星野さんもこんな風じゃなかったんだけどなぁ。ひょんな事でお互いの性癖を披瀝し合ってから、星野さんは仲間を見つけたと思ったのか(僕のことである)、一方的に自らの性癖を聞いてもいないのに話し出すようになってしまったのである。
 この瞬間に伊藤さんでも飛んで入ってきたら大変である。伊藤さんはおじさん社員には素っ気ない態度なのだけれども(おじさんが嫌いなのであろうか…?)、僕や森岡さんなど、比較的若いメンツとは喋ったりもするのだ。そして、そんな関係性を僕は好ましく思っていて、出来うることならば、もう一歩先の関係に、たとえばプライベートで軽くお茶するとか、僕としては珍しく、思っていたりもするのである。
 そんな関係も、ここで展開されている変態トークを聞かれたんじゃ、台無しである。細心の注意を払わないと……。
 出入り口付近には防音・防災カーテンがつるされていて、これが変態トークを外に漏らさないための最後の防壁となっている。実際の効果のほどは分からないがまあ、無いよりはマシであろう。
「それでね……大泉君!」
「はいはい」
 我が意を得たりと星野さんのトークは続いていく。食べながら喋るものだから、食べ物の粉末が四方に飛ぶ。そういう事に一切注意を払わないのが生涯独身である証左だよなあ、みたいなことを夢中に喋る星野さんを見ながら思いつつ、時間は過ぎていった。

 季節は冬を迎え、そろそろ春になろうとしている。三月。まだ肌寒さは残っているが、春の日差しが感じられる、そんな一日の終わり頃、僕はまたもや利根川さんが勤務するブックオフに居た。
 最近、利根川さんの姿を見かける機会が少なくなってきたから、気になっていたのだ。以前はもうそれこそ、週五と言っていいほどの頻度で見かけていたのに。見た目、大学生に見えるから、今年の三月で大学を卒業し、四月からはめでたく社会人になるのかもしれない。つまり、そろそろ退社の時期が近付いているのだ、と僕は予想しているのだが……。
 今日は珍しく勤務していた。橙色の法被を着て、レジに立ったり、商品を整理したりしている。法被を着るのは店で何かしらイベントをしているからで、相も変わらず利根川さんは「いらっしゃいませ、こんにちわ」「ありがとうございます」と仕事だから仕方なく出しているといった体で声出しをしている。出会った頃から(というのは、僕が利根川さんを初めて見かけた時から、という意味だが)少しも変わっていないことに、最近の僕は感動すら覚え始めていた。
 僕は100円均一の文庫本コーナーに我が身を置いて、商品を眺めるふりをしながら利根川さんを眺めている。これが見納めなんだ、と思いながら。手元にはカメラ。僕は相変わらず盗撮を止められずにいた。もう盗撮を始めてから一年にもなる。季節は確実に巡っているのだ。
 利根川さんがこちらにやってきて、商品の整理をし始める。僕は邪魔にならないように、って客である僕が邪魔にならないように移動するのも変な話だが、とにかく利根川さんに変質者扱いされない程度に移動し、利根川さんの横顔をガン見する。
 ……相変わらず綺麗だ。化粧っけがないところも素晴らしい。僕はどちらかと言えば派手な女の子、ひと昔で言うところの「ギャル」なんかを好きだと自分では思っていたのだが、こうして利根川さんを眺めるに地味な子も悪くないな、と思い始めていた。
 若い頃……高校時代なんかは自分とは無縁だと分かっちゃいるのにギャルの同級生ばかりを気にしていた。いわゆるオタク的な女子に言い寄られたこともあるのだが、良い迷惑だった。それに僕が気になっていたギャルの女子にも「この二人(僕とそのオタク女子
)、なんだか良い感じじゃない?(笑)」などと友達同士で話され、僕は冗談じゃない、と心底思ったものだった。
 それなのに。今は地味な(けれども綺麗な)女の子に夢中だ。
 僕は利根川さんに気づかれないようシャッターを切り続ける。下から全身を舐めるように、けれども、シャッターを切る瞬間はほんの数秒、カメラをその位置に固定して。じゃないとカメラが正確に被写体を捉えられないのだ。家に帰って撮った写真をパソコンに取り込んだ時、写真がぼやけていてガッカリした経験があり、それからはこのように数秒経ってからシャッターを切るようにしているのだ。
 しかし、利根川さん、見た目は地味だけれども顔の造形は美しいのだから(僕基準)、言い寄ってくる男の一人や二人いないのだろうか? 今、レジに居る茶髪の、ちょっとチャラい感じの男の店員が利根川さんに話しかけているところを何度か目撃したことがあるのだが、利根川さんは適当にあしらっているようだった。あまり恋愛事は得意じゃないのかもしれないし、もしかしたら男嫌いの一面があるのかもしれない……。
「あっ……」
 ふと、声のした方を見るとマスク姿の女性客が瞳孔を見開いて僕を見ていた。というか、正確には僕の手に握られたカメラを。そして、じっと僕の顔を、まるで汚らわしい生き物でも見るかのように目を細めている。
 やばい、と思った瞬間にはもう女性客は利根川さんに話しかけている。僕はそそくさとその場を後にするが、もう遅い。利根川さんを振り返るのが怖い。きっと、先ほどの女性客と似たような顔を僕に向けているのに違いないのだから。
「ちょっと、お客様」
 冷徹な声。振り返ると利根川さんが先ほどの女性客と同じような、緊迫した顔でもって僕のカメラを指さしている。
「え、えっと…これは……」
「なぜカメラを持っているんですか? おかしいじゃないですか」
「いや、おかしくは…ない……ですよ」
「おかしいですよね!」
 周囲の客が僕と利根川さん、二人に注目しているのが分かる。針のむしろ、とはこの事を言うのだなぁ……と利根川さんの鋭い目つきを見ながらぼんやりと思った。
 駆け付けた男性店員に利根川さんが説明している。気づけば屈強な、とは言い難いが僕よりガタイの良い男が僕の手を握り、逃げられないようにしている。男性店員が携帯電話をかけ始めた。漏れ聞こえてくる内容から、警察に連絡しているのが分かる。
「ちょっとこちらへ来てください」
 僕は事務所のようなところへ連れられていった。利根川さんと女性客の視線は最後まで和らぐことはなかった。

 もうかれこれ一時間以上経過しているような気がするが、実際にはまだ30分も経っていないのかもしれない。
 連れてこられた事務所には窓も時計もないため、時間の経過が分からない。今日、ブックオフへ入ったのは仕事終わりの夕刻頃、だとするともう外は真っ暗になっているはず……。時計すらないので想像するだけだが。
 僕の手は依然、カメラを持ったまま店員である青年の手に握られている。腕力があるのか知らないけれど、少し時間が経過したせいか、握られている箇所が痛くなってきた。少し力を緩めてほしい、と訴えようとするも、状況が状況だし、僕はこんな時に懇願するための言葉を持たない。彼もまた彼で性犯罪者とは言えないまでも「女性の敵」である盗撮犯の手を長い事握っていないといけないなんて本意ではないだろう。申し訳ないな、と思う気持ちも生まれてくるというものだ。
「もう少し、待ってくださいね……」
 沈黙が怖いのか、そんなことを言う彼である。警察も警察で忙しいのか、あるいは盗撮程度、大した犯罪じゃない、とでも思っているのか、とにかく全然やってくる気配がない。窓もない、多分、二畳くらいしかないこのバックヤードにかれこれ数十分、閉じ込められている。僕はもうすべてを諦めたような気持ちになっていた。また、こうした事態になることをどこかで想定していたとも言えるし、こうした事態になることを待ち望んでいた自分もどこかにいたことを、僕はひそかに認めていた。
 これで解放されると。
 盗撮など覚える前の、ごくごく一般的な、臆病な男に戻れることを僕はひそかに嬉しがっていた。
 
 警察がやってきたのはそれからさらに10分程経過したくらいだったか、年配の、いかにもベテランという風情の警察官と、勤めて1,2年程度ほどの、まだあどけなさが残る青年警官との二人組でやってきた。
「はい、デジカメ出してね」
 と、彼らは僕がもう盗撮したという前提で取り調べを始めたこと自体に最初は驚きを覚え、同時にショックも受けたのだけれども、そんな僕をよそに警官たちは淡々と取り調べを続けて行った。いつの間にやら僕の手を掴んでいた店員はどこかへ行ってしまった。被害者である利根川さん、それに第一発見者のマスクの女性に話を聞きに行っているのかもしれない。
 警官の取り調べはなおも続いた。まさに身ぐるみはがされる、といった体で警官と共にデジカメの画像をチェックしていったのだが、「こんなによくもまあ、撮ったものだねぇ……」とか、しかつめらしい顔をして言われるとさすがに恥ずかしくなってきた。生き恥を晒すとはこの事を言うのだろうか。
 盗撮を始めた時期やら、スマホでは盗撮をしていないのか? とか色々聞かれた。スマホで盗撮はしていない、と答えると警官二名は意外そうな顔をした。そういう目的でブックオフに来る連中も、もしかしたら居るのかもしれない。
「それじゃ、一緒に署に来てもらうから」と僕は店の裏口の方へ連行されていく。「お兄さん、一応悪いことしてるんだから、ちょっとベルト持って行くからね」と僕の腰に巻かれたベルトを持ち上げる若い警官。僕はリールを引っ張られた犬コロのような感じで歩かされる。まさに俺、今犯罪者なんだな、という心理が沸いてくる。
 エレベーターで階下に降りる時、従業員だろうか、中で若いOL風の女性に出くわした。警官二名の姿を見るや、瞳孔が見開かれていくのが気になった。そして、ちら、と僕の方に目を向ける。こいつはどんな犯罪を犯したのだろうか……? といったことを思っているのが手に取るように分かる。僕は盗撮して捕まったのですよ、悪戯心からそう、女性に話しかけたくなった。

「それで……一年に渡ってこうして女性の後ろ姿を撮ってきたわけだね」
「はい」
 生活安全課という部署に通され、いわゆるところの取調室で僕は取り調べを受けていた。ドラマなんかでよく見る、警官に激しく尋問されるみたいなシーンは少なくとも現実では起こり得ないのか、あるいは盗撮程度ではそのような尋問は行わないのか、取り調べは実に淡々としたものだった。
「最初は後ろ姿とか、全体像で満足しているけどね。だんだんとエスカレートして……スカートの中まで盗撮したくなるものなんだよぉ」
 年配の、この道何十年と言えそうな警官が呟く。えらく恰幅のいい人物である。何が楽しいのか、ニヤニヤ笑っている。僕が犯罪者で反論できないのが嬉しいのか、あるいは単に嗜虐趣味があるのか、それは分からない。
「それじゃこれから、所持品を検査していくからね」
 かと思えば、いきなり無表情になって、別の警官と交代するらしい。先ほどのニヤニヤ笑いは演技だったのだろうか。なんだか「容疑者を尋問する人」という役柄を、先ほどのジジイは演じているような気がしてならない。
「それじゃ、一つ一つ見ていきますからね」
 続いて来たのは僕と同い年くらいか、あるいはちょっと下か、地味目の婦警さんだった。化粧っけがなく、人を寄せ付けない雰囲気。男が苦手か、あるいは僕みたいな盗撮犯、死んでほしいと思っているかもしれない。
 しかし、まったくタイプではないとは言え、女性に一つ一つ盗撮した写真を調べられるのは恥ずかしかった。居たたまれなくなった、と言ってもいい。僕は女性が一つ一つ、僕のデジカメ画像を調べている間、俯いて机の一点を見つめていた。
「あっ、この女性はスマホに夢中でカメラに気づいてませんね」
「はいっ、気づかれないと思ってシャッターを切りました」
「……気づかれないなら何してもいいんですか?」
 時たま無症状で顔を上げる婦警さんが怖かった。僕は尋問されている気分になり、婦警さんの問いにはただひたすら「すみません」と繰り返していた。
「見知らぬ男性のパソコンに、知らぬ間に盗撮された写真が保存されていたら、女性はどう思いますか……?」
「それは……気持ち悪いと思います」
「そうですよね」
 何か……答えを誘導されているような気分になってきた。こうして犯罪者の心理を、常人のものに戻していく、これはカウンセリングに近いものなのかもしれない。
 気づけば大分時間が経っているように思うが、この部屋も時計やら窓やらがないので時間が分からない。僕はもう、大分消耗してきていた。重大な犯罪を犯した人も、こうした長時間の取り調べを受けていればゲロってしまいたくもなるってものだろう。その心理が分かるような気がした。
「では、大泉さんを信じて……パソコンには彼女たちの画像は保存されていない、という事にしておきますからね!」
 実は保存されているんですけどね……という言葉は当然のことながら控えさせていただく。
「もう二度とこんなことしちゃダメだよ! こんなことする男なんて……魅力ないでしょ!」
 いつの間に立っていたのか、30代くらいの警官がマスク越しに言う。マスクをしているから本気で怒っているのかどうか分からない、『容疑者を叱責する警官』という役を演じているつもりなのかもしれない。
「……分かりました」
 いつの間にやら三人くらいの保安課の人たちに囲まれていた。デジカメに入っていたSDカードの内容は消去されるという。分かりました、と答える代わりに書類2,3枚にサインをした。
 最後に立ち上がって正面からの写真、背面の写真を撮られて解放された。写真を撮られている間、これで容疑者デビューだな……などとぼんやり思った。緊急連絡先というのも聞かれ、実家の連絡先を教えたけれど、これから母に連絡するつもりなのか、気が気じゃなかった。
 ……どうやら、されないみたいだ。
 僕は僕のベルトをひねり上げるように持っていた若い警官に付き添われ、出口へ向かった。「次、やったら逮捕だから」と言われた。「逮捕とかになったら、俺らも色々面倒だからさぁ、しないでよね」とも。
 警官も色々大変なんだな、と思いながら僕は人生初の警察署を後にした。

 あれからデジカメを手放すのに時間はかからなかった。取調室のやり取りが、どうやら自分では気づかないだけで相当、ショックだったらしい。夜、布団に入り眠りにつこうとすると何度もあの時の光景がフラッシュバックするのだ。盗撮が見つかった瞬間、連行されていく時の光景、エレベーターで出くわした女性従業員の、瞳孔を見開いたような顔……。パトカーにも初めて乗り、本当にサイレンを鳴らしながら走るのだなぁ、と警官二人に両隣に座られながら思ったこと。等々が浮かんでは気泡のように消えていった。
「もう僕は……真人間として生きるのだ」
 そう決意するのに時間はかからなかった。
 それに僕にも守るべきものがあると気づいたのだ。署に連行された数日後、休日となるその日に僕は実家を訪れた。警察に伝えた連絡先に、彼らが電話を掛けたのかどうかが気になったのだ。もしかけていたなら、母親が受け取っているはず。そうして、息子の罪状をも聞いたはずなのだ。その時の母の顔と言ったら……。
 まだ見てもいないのに、悲しそうな母の顔が脳裏に浮かんで離れなかった。
 けれども、実際に実家に帰ったら母は快く迎え入れてくれた。その笑顔には一点の曇りもなく、僕は単に久々に帰れた嬉しさを表現するべく「ただいま」と言った。「おかえり」と迎えた母の顔には少なくとも、息子が盗撮で捕まったことによる深刻さなどはなかったように思う。
 つまり、警察は母に連絡していないのだ。よかった、と胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
 実家には姪っ子もいた。弟夫婦の、待望の第一子だ。僕の顔を見たら、知らないおじさんが来たからか(あるいは盗撮犯が来たからか……? なんてのは穿ち過ぎか)泣きじゃくってしまったのだけれども、やはり子供は良いものだ。何をしなくても家族に話題を提供してくれる。これが盗撮犯の息子と、そろそろ高齢期に差し掛かってくる母親だけの家なら、さぞかし物悲しさに包まれるだけだろう。
「バイバイ」
 母の腕に抱かれながら、不安げに僕を見る姪っ子に僕はそう声をかけ、実家を後にした。

 それからの僕は憑き物が落ちたかのように仕事に邁進した。所詮、清掃業、金のために仕方なくやっているだけ、とこの仕事を続けながらもどこか見下した気持ちが無いではなかったのだが、カメラを手放して以来、僕は自分の、盗撮をしたという過去を消すかの如く、黙々と仕事をした。もちろん、過去に犯した罪は消えないのだけれども。被害者を傷つけたという事実も。
 けれども、僕はまだ30代。人生これから、と言うには少々年を取り過ぎてしまったか? は分からないけれども、まだ人生の半分も過ぎちゃいない事実を鑑みるとまだまだやり直せる、というか、まだ始まってもいない、というのが正直なところか。
 某映画の台詞じゃないけれども、『馬鹿野郎、まだ始まってもいねぇよ』と自分を鼓舞している最中だ。

「おはようございます!」
「……おお、大泉君、どうしたの。大声で挨拶なんかしちゃって」
 受け答えする星野さんは僕の元気すぎる挨拶にやや怖気づいているようだ。星野さんは20代の後半からこの職場に勤めているから、今やもう、30年以上、この職場に居続けている。そんな星野さんからしたら、この職場はもう職場というよりも、自分の庭というか、セカンドハウスというか、そんなところなのだろう。よく朝、まだ誰も出社していない時間帯によれよれのTシャツ一枚でそこらをウロウロしているし。
「いやー、今日から僕は変わったんですよ! フレッシュマンじゃないけれども、ともかく気持ちだけでもフレッシュに行きたいと思います!」
「そっかぁ……それじゃ大泉君、あと五年間くらいはここに居るでしょ?」
「あ、いや、それはない……と思います」
「えー」
 星野さんは大分、僕に対して親しみを覚えている。そりゃ七年間も在籍しているんだから当たり前か。そんな星野さんは独身ということもあってか、親しくなった人に去られるのが人一倍寂しいのかもしれない。けれども、僕はこの職場に骨を埋める気はないぞ。
 僕は向上心のある男だ。今日から変わるのだ。
 そんな風に思っていても、思っているのは僕だけで星野さんは相変わらず、しょうもない話を森岡さん相手にしている。森岡さんも森岡さんで、これも一種の仕事と捉えているのだろうか、そんな星野さんを面倒臭げにあしらわずにちゃんと話を聞いてやっている。
 森岡さんは僕や星野さんと違って大学を出ているのに未だにこんな職場で時給労働に励んでいるのだ。そうした境遇に居る森岡さんを馬鹿にする連中も、過去には居たらしい。そして、僕も一時期は彼らと似たようなもので、森岡さんを馬鹿にする向きもあったのだがまあ、人は人、自分は自分ってことで無理くり納得することにしたのだ。
 星野さんが自宅マンションの隣室に住む、50近くのおばさんについて話し始めた。独身で、深夜になると彼氏らしき人物が訪れてきてセックス音がうるさいらしい。実はこの話、もう過去に何度も聞いているのだけれども、「おばちゃんなのに毎晩ヤってるなんて……すごい!」みたいな反応を僕と森岡さんがするから、調子に乗って何度も話すのだ。僕と森岡さんは心底うんざりしているのだけれども、星野さんはしばらく止めるつもりもないみたいだ。まあ、これも日常の一コマ。
 時間が過ぎればそんな「うんざりした気分」も日常の一コマとして流されて行くだろう。
 そうして、僕らの人生は一日また一日と過ぎていく。

 盗撮というライフワークを失った僕はしばらくの間、茫然としていた。実際には仕事があるから、茫然とはしていられないのだけれども、仕事を終えた後、普段なら盗撮を開始するその時間帯、何をどうしていいのか分からなかった。人間、普段やっている作業を取り払われると壊れたコンピューターみたいにフリーズしてしまうものなのかもしれない。
 一か月、二か月と経ち、少しずつ僕は僕を取り戻していった。まるで生き直すかのごとくに。食事をして顔を洗って身支度をし、仕事をする。仕事を終えたら風呂に入り、また食事をして床に就く。これを作業のように繰り返すうちに、あるいはこうした作業の連続が人生だと自分に思い知らせるかのように日々を過ごした。その結果、僕はようやく本来の自分、フリーター然とした、社会の隅っこで働く自分というものを取り戻した。
 ような気がした。
 まだ自信がないから、このような言い方しかできないのがアレだが。
 電車に乗っていて、偶然、可愛い女性を見かけた時なんか思わずポケットに手を入れてしまう。けれども、そこにこの一年、肌身離さず入れていたはずのものが、ない。その事実に「あ、俺、もう盗撮できないんだ」と思う。がっくりする気持ちも初めはあったが、最近では「そうだ、俺は真人間として生き直すんだ」と自らを律する気持ちの方が強い。
 実は警察の連行された後、一度だけ間違いを起こしたことがあった。もうカメラはすっかり手放していたのだけれども、この現代社会、誰もがスマートフォンを持っている。そうした社会に生きている僕も当然のことながら、これを所持している。
 満員電車、木曜日。小田急線に乗り込んで僕はいつも通り、職場へと向かっていた。そういえば今日は木曜日だな、とぼんやり思っていたところに彼女が乗り込んできた。彼女が乗り込んでくる駅は当然、把握していた。もうかれこれ、一年も前から彼女の動向を見てきた僕だ。それは当然のことだった。
 彼女が僕の横に立つ。およそ一年も僕に盗撮され続け、さらには妙な手紙までその高級そうな鞄に入れられたというのに、相変わらず彼女は自分が乗る電車に盗撮魔がいるなんて思いもよらないようであった。
(僕の手紙も盗撮も彼女に対しては効力なしか……なんだか悲しいなぁ)
 それは僕の存在が彼女に認知されていない証である。一時は住所まで知ろうと尾行し、あともうちょっとの所でそれは失敗に終わったのだけれども(それも今となっては遠い昔の記憶のように思える……)。
 僕はいつもの癖で右手をポケットに突っ込み、盗撮魔としての”武器”を取り出そうとする。が、しかし、そこに当然あるものと思っていたものがない。
(そうだ、俺は盗撮を止めたんだった。けれども……まだ手はある)
 と思った僕は今後は左ポケットに手を入れ、スマートフォンを取り出したのだ。
 彼女はイヤフォンを耳にはめて音楽を聴いている模様。その瞳は深く閉じられている。朝から、大分お疲れのようだ。
 その瞬間を僕は何気ない風を装って撮影する。何かネットで検索でもしているかのように周囲の乗客に対して装い、スマートフォンのカメラレンズを少しずつ、彼女に向けて傾けていく。そうして、シャッターを切ったのだ。
 
「何してんだ、俺は……止めるんじゃなかったのか!」
 自宅に帰ってから、思わずそう呟いてしまった。けれども、スマートフォンで撮影した写真はしっかりとパソコンに取り込み、『お気に入り女性フォルダ』に保存しているのだから習性というのは怖いものだ。
 ……などと冷静に自己を分析している場合ではない。これは中毒というやつなのではないのか? ちょうどギャンブル中毒者が借金を重ねてもギャンブルをやめられないように。しかも、そういう人たちは周囲の人たちに『自分はギャンブル中毒者などでは決してない』と言い張るのだ。
 そのようなケースに、まさか自分も知らず知らずのうちに当てはまっているのではないか?
 僕は怖くなり、保存した画像を消去した。同時に、今まで撮影してきた数々の女性の画像も。『お気に入り女性フォルダ』ごと、僕はゴミ箱に放り込んだのだ。
 今までの自分と決別する、その証として。

「いらっしゃいませ、あっ、こんにちわ」
「……こんにちわ」
 僕のか細い声に彼女はニコっと笑顔で応対する。
 ここは地元のとあるカフェ。全国各地、どこにでもあるようなチェーン喫茶だが、僕は休日になると決まって来て、一時を過ごしていた。受付には先ほど、僕に愛想よく接してくれた女性が常連客と思われるおじさま・おばさまの相手を務めていた。それを見る僕の目はどんな形をしているのだろう? 愛おしげなものか、あるいは被写体を狙う盗撮魔のものか……。
 分からないけれども、今現在の僕は当然のことながら、カメラを所持してはいない。警察署で恰幅の良い警官に「もうカメラを持ち歩かないように」と念を押されるかのように言われたことも当然あるが、僕にだって守るべきものがあると気づいたからだ。
 守るべきものというか、僕が盗撮をしたら迷惑をかける存在。
 親や兄弟、それに可愛い姪っ子……彼らを悲しませちゃいけないと今は心底思う。
 自分一人が逮捕され、塀の中に入るだけならまだしも、彼らにも被害が及んだら……と思うととてもじゃないけれども、カメラなんて持ち歩けない。
 日本は村社会と呼ばれる。神奈川県川崎市という、どちらかと言えば都会と言われそうなところに生まれた僕にだって、たとえば親族に盗撮で捕まった男がいたと世間に知れれば、親や兄弟、それに姪っ子たちに非難が及ぶのではないか……近所の人たちから何を言われるか分かったもんじゃない、といった意識が働く。そして、その意識はきっと正しいのだろう、といった確信が僕にはある。
 確信通りに、もし僕が逮捕されれば世間は僕の家族を糾弾するだろう。間違いない。
 だからこそ、僕はカメラを手放すのに抵抗はなかったのだ。
 カフェの店員さんは相変わらず、レジカウンターの中できびきびと働いている。時にカウンターの外に出て、客が飲み干したコーヒーカップなどをまとめて引き下げたりしている。まさに誰にも好かれそうな笑顔をして働いている。彼女目当てにこの店にやってくる客も居るのではないか?
 ……もちろん、僕もその一人だ。
 カフェの多い街なのだ。だから、ここじゃなくても、ちょっと歩けば他にカフェなどたくさんあるのにも関わらず、この店を選ぶのは他でもない、先ほどの彼女がこの店で働いているからだ。
 初めは彼女も盗撮対象だったか? 自分に問うてみる。分からない。けれども、何某かの引力が働いてこの店に通い詰めているのは確かだ。
 ちなみに僕は彼女に顔を覚えられている、と思う。確信はないけれども、なんとなく仕草で分かるのだ。それにもう4〜5年通っているのだ。僕が仮にここの店員だとしたら、そんなに長い期間通っている客なら顔も自然と覚えてしまうものだろう。
「ありがとうございます」
「……どーも」
 彼女が客のカップを下げにきた瞬間を狙って僕もカップを差し出した。すると、こうして少しばかりだけれども、挨拶程度のコミュニケーションくらいなら取ることができるのだ。挨拶をコミュニケーションと捉えるかどうかは人それぞれだが……。
 以前の僕は、こうした声出しもこっぱずかしいと思っていた。常連客を気取っているような気がして、自意識過剰かもしれないけれども、とにかく声を出そうとすると喉につかえて掠れるような声しか出せなかった。一度、そんな蚊の鳴くような僕の声に彼女が「え?」と聞き返す素振りをしたことがあって、それを見た僕はもう赤面もいい所、顔を真っ赤にして店を出たのであった。
 いい年した男なのに。
 けれども、そんなこっぱずかしい姿を見せるくらいならもう無表情・無声を貫こうと今までは声出しなんかしていなかったけれども、これからは違う。
 彼女と少しでもコミュニケーションを取りたい。
 そんな思いが膨らんできているのだから不思議なものだ。
 僕は彼女を『被写体』ではなく、『人』として認識しだしたのだろう。
 帰り道、そのようなことを思った。
 しかし、カメラのない生活はいいものだ、と今は思う。カメラというのは、たとえそれがデジカメでも意外と重いものなのだ。
 幾分、軽くなったリュックを背負い、僕は明日も仕事へ行くだろう。
 盗撮魔という鱗を脱いだ、新たな自分として。
清掃員 

2022年05月15日(日)15時33分 公開
■この作品の著作権は清掃員さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
前編に引き続き、後編となります。長編部門に投稿しようと思いましたが、枚数の関係でできませんでした。ので、こちらの部門へ投稿しました。


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