河童物語
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河童物語

第1章
福井市南西部に足羽山(あすわやま)という小高い丘がある。足羽山の北部には周囲800メートルぐらいの沼があり、沼の先には足羽小学校があった。山の東側が住宅地になっていて、子供たちは山の端をぐるりと回って北に向かい、沼の横を通りすぎて学校へ通っていた。
誰が付けたか、この沼を人々は足羽沼と呼んでいた。そこで、昭和23年、戦後3年目のある時、ある出来事があった。

足羽沼には昔から河童が出る、という噂があったが、ほとんどの人はそんな話は信じていなかった。だがそれは、世俗にまみれた大人たちには見えないというだけで、疑いを持たない純真な子供には、河童の姿はちゃんと見えていたのだ。
河童が人間の住む場所に出てくるのには条件があった。日が差しているときはぜったい駄目で、曇っていても空気が乾燥しているところでは彼らは呼吸するのがつらく、出てきても短時間しか居られなかった。曇り又は雨の日の早朝か夕方など、限られた時間にしか出て来られない、という事情もあって河童を見たという人はほとんどいなかったのである。彼らはまた人間に対し、恐怖感を持っていたので、人が大勢いる場所には、決して近づこうとはしなかった。
今から200年ほど昔、江戸時代には、河童はもっと広く各地で生存していたのだが、明治時代になると、人間は河童の住む沼地を次々と埋め立てて、田んぼや住宅地にしてしまったので、河童は住む場所を追われ、今では絶滅の危機を迎えようとしていた。

彼らの住まいは沼の底にあった。食料としての魚を捕るために水面近くまで上がってくるとき以外は、大体いつも、安全な沼底で暮らしていた。河童たちにとっては人の目に触れない沼底が最も安全な場所だった。
しかし好奇心旺盛な子供たちは人間の暮らしがどういうものか知りたがっていた。
生まれて7年目になる河童の子「リュー」もそんな女の子だった。朝と夕方、人間の子供たちが学校へ行くために沼の横を通るとき、いつも水草の陰に隠れて子供たちを見ていたのだが、大勢の子供たちの前に出ていく勇気は無かった。
しかしある日の夕方、子供たちが通り過ぎて誰もいなくなったあと、沼岸で一休みしていた時、うっかり眠ってしまった。
その時、たまたま1人だけ遅れて帰る子がいた。2年生の海山純一という子である。純一はこの沼に河童が住んでいるという噂を聞いていたので、いつも学校への行き帰りに、河童に会えないだろうかとキョロキョロしながら歩いていたのだが、その時初めて沼岸の木の下にリューがいるのを見つけてしまったのである。
見るとまだ子供のようである。水草を編んだものを着物のように体に纏い、全身緑色で、そして頭には平たい皿のようなものが乗っていた。河童の頭には皿が乗っていると聞いていたので、これはきっと河童に違いない、と純一は思った。
近づいて行って、こんにちわ、と声をかけた。びっくりしてリューが目を開けると目の前に人間の子がいた。人間というのは怖い生き物であると聞かされていたが、全然怖そうではなく、自分と同じぐらいの歳の子供だとわかった。
こんにちわ。リューも答えた。
君は河童の子なんだね。僕はじゅんいち、2年生、この山の反対側に家があるんだ。
私は7歳、でも学校には行っていない。家はこの沼の底よ。お父さんもお母さんもそこにいるわ。
ふーん、僕たち友達になろうか。みんな河童なんていないと言っているけど、僕はきっと、河童はいると思っていたんだ。
うん、いいわよ。友達になろう。お父さんもお母さんも人間は怖いから、決して近づいてはいけないと言っているけどあなたはまだ子供だし・・・・・
話したいことはいっぱいあった。でも今日初めて会ったばかりである。何を話したらいいのか、とっさに思い浮かばなかったし、いつもより遅い時間になってしまっていたので、純一は
今日はもう遅いから、また明日会おうか。
うん。でもね、私、大勢の人がいるところには出て行かれないの。そして太陽が出ているときもダメなの。
だから明日はまだ誰も通らない時、朝早く来られない?それとも今日のようにみんなが帰った後ならいい。
うん。わかった。
純一は家に帰ってから早速お母さんに話した。お母さん、今日僕ね、河童の子に会ったんだ。女の子だったよ。
えっ、本当なの?へえ。
お母さんはもちろん信じてはいなかった。でも純一が想像力豊かな子に育っているのを喜んでいた。この子はもしかしたら小説家になるかもしれない。と、想像するのは楽しかった。
純一は思った。どうやら、今は、お母さんは信じていないようだ。でもいつかきっと、本当だと分かってもらえるだろう。


第2章
あくる日、純一は学校で親友の大川保(おおかわたもつ)くんに話をした。
あのな、保、オレ昨日、帰り道で河童を見たぞ。本当だぞ。今日も帰り道でその子に会えるかもしれないのだ。一緒に帰ろう。
本当か?よし分かった。行こう。
でも河童は人が大勢いる場所には出てこないので、教室から出たところでわざと時間をつぶす必要があった。友達はみんな次々と帰っていったが、純一と保が帰ろうとしないので、みんな不思議そうな顔をしながら帰っていった。
さあ、そろそろ行こうか。
その日も薄曇りで河童の出やすい空模様だった。
沼は学校から300メートルぐらいのところだった。周りに、まだ帰りかけの子供がいたので純一はわざと違う方向に保を誘い、誰もいなくなったのを見届けてから昨日の場所に来た。
リューちゃん、こんにちわ。今日は仲良しの友達を連れてきた。保くんというんだ。
昨日は気が付かなかったが、よく見るとリューはとても手が大きく、足の指も長かった。そうか、君は泳ぎがうまいんだな。水の中に住んでいるんだもんな。
リューは2人が背負っているランドセルに興味があるようだった。
それは何?なんで2人ともそんなものを背中に担いでいるの?
いや、これはランドセルと言って、勉強道具が入っているんだ。
勉強道具って何?
僕たちは皆、勉強しないと大人になれないんだ。
へえ、勉強って何?
えーっと、勉強っていうのは国語とか算数とか理科とかがあって、難しいんだ。
へえ、国語ってなあに?
国語というのはつまり、こうやっておしゃべりするだろう。それを字に書いておかないと後で忘れてしまうから、その字を習うんだ。そして言葉の使い方には決まりもあってそれを習うんだ。
じゃあ、算数っていうのは何?
ええっと、算数っていうのはつまり、ひとつ、ふたつ、みっつというように数を数えることを習うんだ。
なんだつまらない。私だって、習わなくてもそれくらいわかるわよ。
そう?じゃ聞くけど君たち河童はこの沼に何人いるのかな。
いっぱいいるよ。
何人? ひとつ、ふたつ、みっつはわかったけどその上はいくつかわかっているのかな?
その上はいっぱいというのよ。
では君の家族は何人?
3人だよ。
では君の家族と僕たちを合わせると何人?
いっぱい。
ほら、わかってないじゃん。みっつの次はよっつ、いつつ、むっつというんだ。そして人を数えるときは1人、2人、3人、4人5人、というようにいくら沢山でもちゃんと数えられるんだよ。
リューは決して頭の悪い子ではなかった。これまで3以上の数は使うことがなかったから知らなかっただけで、純一や保が説明するとすぐ、100も1,000も理解した。リューが住む沼の底の河童の総数が38人、いや38匹ということを理解した。純一たちが通う学校の生徒数が550人もいると聞いてびっくりしていた。

その日以後、純一と保は毎日のようにリューのところに来て、いろいろなことを話し合った。ほかの友達を連れてくることをリューが嫌がったので、それはリューと保の2人だけの秘密だった。
純一はお母さんとお父さんには河童を見たという話をした。否定はしないが信じている様子では無かった。純一にとっては、それはかえって好都合だった。両親が河童に会う、と言われても、リューが嫌がるのでここへ連れて来ることは出来なかったからである。
しかし純一は学校の安藤より子先生にだけは河童の話をした。安藤先生は正式の先生ではなく代用教員だった。女学校を出て東京の師範学校に行っていたのだが、師範学校では、ほとんど授業には出ず、学徒動員により、軍需工場で働いていた。ところが工場も師範学校も空襲で焼けてしまったので、故郷の福井へ帰ってきて、そのまま終戦となったのだが、戦後の教員不足のため、今は代用教員として働くことになっていたのだ。まだ二十歳まえの若い先生だった。
安藤先生だけは純一たちの話を、驚きはしたが、疑うことなく聞いてくれた。
純一はリューに話して了解を取ったので、安藤先生も秘密の仲間に加えることにした。それは学校に行けないリューの勉強のために純一が考えたことである。

第3章
こうして、晴れた日以外はたいてい、毎日、足羽沼の岸の、人目につかない森の木陰で、リューのための野外授業が始まった。
リューは賢い子である。毎日の授業時間はほんの30分ほどだったが、安藤先生の話を一言も漏らさず、一度聞いたことはすべて覚えた。
リューは沼の底の家に帰った時、両親に純一たちのことを話した。最初は心配していたが、リューがとてもしっかりと、自分たちも知らないさまざまな知識を身に着けてきているのがわかり、徐々に警戒心を解いていった。沼で取った魚を安藤先生へのお土産といって、リューに持たせる時もあった。そして、初めはこっそりと遠くから授業の様子をのぞき見していたのだが、やがてほんの短時間だけ顔を出して挨拶を交わすようになった。しかしもちろん、それは純一たち3人に対してだけで、ほかの人間に対しての警戒心を解くことは無かった。
こうしてリューは安藤先生も驚くほど短期間に、急速に、国語、算数、そしてとくに社会科の知識を深めていった。

人間社会の戦後の復興は目覚ましいものがあった。荒地だった場所が次々と開墾されて畑地が広がっていった。足羽山の東側の住宅地も手狭になって少しずつ北の方へ広がっていった。

そんなあるとき、とんでもないニュースがもたらされた。なんと、福井市では、住宅地が徐々に不足してきたので、市の所有地である足羽沼を埋め立てして住宅地にしようという話である。河童たちにとっては ≪死ね≫ と言われたに等しい。悪いことに、ほとんどの人間はそこに今でも河童が住んでいることさえ知らないという有様だった。
その話を最初にもたらしたのは安藤先生だった。
河童たちの中には、安藤先生の策謀だと疑っているものもいた。しかしリューの両親だけは、いや、安藤先生はそんな人ではない。安藤先生は危険が迫っていることを自分たちに知らせてくれただけだ、と言って仲間たちに冷静になるよう促した。
河童たちは連日集まって対策を協議した。
しかしそもそも、河童たちは沼の外の世界がどうなっているのか全く知らない。考えてもいいアイデアが浮かぶ筈はなかった。
リューだけは安藤先生の授業のお陰で、地球全体のこと、日本列島のこと、そして福井県のこと、について少しは知識があった。人間たちが自分たち河童という存在をほとんど信じていないということも知っていた。
河童たちの代表と安藤先生、それにリューと純一、保も加わって話が続けられた。
安藤先生は、若い、しがない代用教員である。市に対して物を言える立場ではない。埋め立てを中止してくれなどと言っても聞き入れてくれるわけはない。かといって、河童たちは沼がなくなれば生きてはいけない。足羽沼の埋め立てが避けられないとしたら、自分たちがどこか安全な場所へ引っ越しするしかない。
しかし河童たちも安藤先生も、一体どこへ行ったらいいのか、まったく見当がつかなかった。
安藤先生は福井市内を流れている水量豊富な九頭竜川(くずりゅーがわ)はどうかと提案した。しかし、動きの緩慢な河童には流れの早い川は危険だということが分かった。間違って海にでも流されてしまったら生きてはいけない。
次に。湖はどうかと言って見た。福井市から少し離れたところに北潟湖という湖がある。
でもそこは漁をするため人が船を浮かべている。河童たちにとって住みやすい所では無さそうだった。
ほかに思いつくところは無かった。湖ならほかにもあるが、いずれも人が船で行き交うところばかりだった。

その時リユーは突然、安藤先生から習った福井県の地理についての話を思い出した。
地理の授業で安藤先生が敦賀にある中見池湿地(なかみいけしっち)のことを話していたことがあったのだ。その時先生は、まだリューには難しいだろうと思って、サッと読み飛ばしただけだったのだが、リューは記憶力のいい、しかも勘のいい女の子である。安藤先生が社会科の教科書の一環として参考に読み聞かせただけだが、リューはそれを正確に覚えていた。
中見池湿地というのは敦賀市のすぐ近くの100メートルほど高い位置にあって25ヘクタールもある広い湿地帯である。深い森に囲まれていて近くに人家は無い。しかも全体が背の高い水草でおおわれているため人の目に触れることもないという、まさに河童にとっては生きるのに最適の、安住の地ともいえる場所だと、一度聞いただけで、リューは本能的に感じ取っていたのである。

後年そこは国内屈指のトンボの生息地としても知られ、日本の地形データブックに最も保全を要する価値のある地域として記載され、ラムサール条約に登録されて保存が図られることになるのだが、そのころにはただ敦賀市街地からすぐ近くに自然豊かな広い沼があるとして紹介されていただけである。

第4章
リューから聞いて、安藤先生も思い出した。そうね、あそこならいいかもしれない。でもほかの皆さんにどうやって説明したらよいか、どう言えば分かって貰えるだろうか不安だった。だが、もう時間の余裕はない。すぐにも結論を出して、引っ越しの準備を進めなければならなかった。その時純一は、たしか、中見池湿地の写真があったのではないだろうか?と、気が付いた。写真を見せればきっと、彼らも納得してもらえる筈、いや、他には手段は無いのだから、いやでもそれを承知してもらわなくてはならない。安藤先生に写真のことを聞いてみた。
先生はうろ覚えではあったが、学校へ戻って探してみた。すると、空襲にも焼けず、戦前に写した貴重な写真が保管してあるのが見つかった。
河童たちに選択の余地は無かった。古い白黒写真だけでは不安ではあったが、もう、埋め立てが始まるのは数日後ではないかと思われた。すでに、市の関係者と思われる人が下見に訪れていたのを目にしていたからである。
次の問題はどうやって河童たちを移動させるかである。安藤先生は初めから気になってはいたのだがそこまで考える余裕は無かった。
福井から敦賀まで汽車は通っていた。しかし河童は汽車での移動はぜったい不可能だ。長時間、水から出て乗り物になど乗ったら死んでしまう。いや、そもそも河童というのが今の世に実在しているということがわかったら大問題になる。だいいち、河童の姿はほとんどの人には見えないのだ。
だが、意外にもこれにはすぐ、大川保が答えを出してくれた。保のお父さんは戦前からあった中古のオート3輪トラックを修理して運送業を始めたところだった。これを使えば人に見られることなく1度に河童たちを運ぶことが出来る。
ただどうやって父を説得できるか?それが問題だった。
しかし、安藤先生には、もはや迷いは無かった。お父さんは物を運ぶのが商売だ。だからお金さえ払えば仕事を引き受けてくれるはずだと思った。そこで早速、保と一緒に行ってお父さんに話してみることにした。純一も同行した。
安藤先生は代用教員ではあるが、子供たちに慕われている立派な先生だということは保のお父さんも知っていた。安藤先生はお父さんに熱心に説いた。足羽沼には河童というのが今も生きていて、埋め立てによって絶滅の危機に瀕していること、そして敦賀には河童たちの生存に適した湿地があることなど、すべて隠さず正直に説明した。お金は給料を前借りしてでも必ず払いますと、付け加えることも、もちろん忘れなかった。
保のお父さんは承諾した。今の世に河童が生きているのかどうかは知らないが、先生の熱意はよく理解したし、河童の命を守ろうとする先生の心にも感動した。それでなくても、保や純一が日ごろお世話になっている先生の頼みを無下に断ることは出来ない。
分かりました。協力させていただきます。もちろん、お金は頂きません。

朗報はすぐに河童たちに伝えられた。そして、引っ越しの日は1日置いた翌々日の早朝ときまった。その日にも埋め立て工事が始まるかも知れなかったからである。
あわただしく準備が進められた。トラックの中央にはリューと純一のアイデアにより、水を張った60センチの金盥が積み込まれた。そして水をたっぷりしみ込ませた水草が床一面に敷かれた。敦賀までは約2時間、舗装もされていないでこぼこ道を走り、朝、まだ涼しいうちに中見池に到着しなければならなかった。
早朝3時半、横づけされた車に、不安そうな河童たちが次々と乗り込んで、水草の上に横になった。運転席の横には安藤先生と保が乗り、純一は河童たちと一緒に荷台に乗り込んだ。走ると盥の水が周りに飛び散ったため、乾燥を防ぐことが出来た。リューと純一の考えは正しかった。
途中、数回止まり、問題の無いことを確かめながら夜明け前の道を走り、中見池湿地に着いたときにはすっかり明るくなっていた。
河童たちは歓声を上げた。一目見て、ここは足羽沼よりもずっと広くて空気もきれいで、静かな、河童たちにとっては桃源郷のようなところだと分かったのである。

第5章
足羽沼の埋め立ては河童が引っ越ししたその日に始まった。大量の土砂が運び込まれた。そして数日後には、もう姿は一変していた。そして2年後には150戸の分譲住宅が完成し、新しい街が出来た。公園が出来、スーパーマーケットが出来て、すっかり様子が変わっていた。
戦後すぐ建てられた、バラック校舎の足羽小学校も近代的な明るい校舎に建て替えられた。
ここに沼があったことや、そこに河童が住んでいたことを知る人は少ない。足羽沼という名前はもともと近くの人たちが便宜的に呼んでいただけで正式名称では無かったので市の記録にも一切載っていない。
安藤先生はその後、正式に教員免許を取って長く教鞭をとり、市内の各小学校を転勤したのち、校長として、足羽小学校に戻ってきた。
子供たちに優しい、しかし筋の通らない話には役所にも決して譲歩しない、名物校長として子供たちや父兄たちからも慕われて定年を迎えた。
大山保は父の跡を継いで、福井では中堅の運送会社を経営していた。父から引き継いだ時に社名を河童運輸株式会社と社名を変えたが、その名の由来を知る人は少ない。
海山純一は母の予想通り作家になった。河童物語という小説を書いた。その物語が実話に基づくものだということを知る人は少ない。
海山三川 

2020年03月25日(水)15時31分 公開
■この作品の著作権は海山三川さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ


この作品の感想をお寄せください。

2020年04月26日(日)08時14分 yes  +10点
読ませて頂きました。

河童の物語りであり、作者さまも<どうすれば嘘っぽく見えないか>と書かれているように、きちんとしたリアリティーの設定、しかも作品の冒頭はある程度は読者に納得させる形で始めるのが理想ですが、

<だがそれは、世俗にまみれた大人たちには見えないというだけで、疑いを持たない純真な子供には、河童の姿はちゃんと見えていたのだ。>

と、この文が僕的にはこちらに伝わってこない書き方に思えました。サンタと同じですよね。一人称ならまだしも、三人称ですので、例えば時代をきちっと設定してあるので、その土地を含めた上で書いてみる。あるいは、目撃情報として河童を見た子供の証言を具体的に加えるとか、もう一工夫が必要に思われます。グダグダ書けということではなく、何かエピソード的なものだったら自然と入っていけたように思います。


それでは執筆頑張って下さい。失礼しました。
14

pass
2020年03月29日(日)04時33分 海山三川  作者レス
神原さん。ありがとうございます。
言われていることは、ほぼ私自身が思っていた通りです。
年寄りなので長くパソコンに向かっていると疲れてしまいます。自分が納得するまで推敲を重ねようとすると、いつまで経っても発表出来ません。
今しばらくはこのレベルの作品しか書けないでしょうが、また思いついたら書きます。
お目に止まったらまたご批評よろしくお願いします。

pass
2020年03月28日(土)23時28分 神原  0点
こんにちは、拝読しました。

短編の間にお邪魔していた処、感想などがあまりついていないようでしたので、拝見しました。そうしたら小説を書き始めて一年たっていないとチョビと言う作品の感想で見ました。まず、小説とはどんな物かを知りましょう。

物語りには流れと言う物があります。時に山があり、時に谷がある。この小説では物事がすんなり行き過ぎていて(埋め立てる→じゃあ引っ越そう→ほとんど障害もなく困難なはずの移動もすぐに決まる)平坦なまま始まり、平坦なままおわってしまっています。

河童を信じる人が少ないのであれば、河童を見た時、まず驚きがあると思います。また河童を信じる人が少ないのであれば、先生の話を保君のお父さんがすんなり信じるのが早すぎます。

また、河童と言う希少な生物がいるのであれば、お父さんの口から話が漏れたりする可能性もまたあります。主人公の口から二人に伝わった様に。二人の口からも漏れる可能性があると言う事にも着目しましょう。

物事には苦難があってようやく達成した時に喜びが大きくなります。上で書いた流れとはそう言った苦難や逆境などを乗り越えた先にある結末を読者が読む事によって疑似体験するから面白いのです。

起承転結、序破急、まずはこの二つを勉強してください。簡単そうですが、これを書くのは意外と経験がいる事でしょう。

3,4作目にしては書けている方だと思いますので、私は普通です。を置いていきたいかなと思います。これからもがんばってください。
21

pass
2020年03月25日(水)15時57分 海山三川  作者レス
思いついてすぐ、書き上げましたが、全くの作り話なので、どうすれば嘘っぽく見えないか、苦労しました。そして、話の前後に矛盾したところがないか、何度も確かめました。
登場人物の年齢、性別、性格なども何度も修正しました。

pass
合計 2人 10点


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