楽園
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 東京が沈んでいた。
 全ての生物が死に絶えた世界では、もう私と姉さんしか残されていないけど、
 もうじき、その内の片方が消える。



 私には双子の姉がいる。そして私にとって、姉さんが見える世界の全てだった。
 これは決して比喩的な表現じゃなくて、姉さんがいなければ私の視覚は働かないし、それだけじゃなく聴覚も、味覚も、嗅覚も、触覚も。姉さんがいなくては私の五感は何一つ機能しない。
 今から五年前、私は事故に遭った。当時の瞬間のことを私は覚えてないけれど姉さんから聞いた話では、信号無視の大型車に撥ね飛ばされて頭を強く打ったらしい。生きているのが奇跡みたいな大事故で、でも私は生き長らえた。
 代償として、私は五感を失った。
 その日から病院のベッドで横になったままだし、今もなお私は思考する肉塊と化している。
 何も感じない真っ暗闇の中で一年が経過すれば、誰だっておかしくなってしまう。本来ならこんな悠長な思考を巡らすことすら出来ず、無限の黒色による絶望に、私の意識は生を手放していたかも知れない。
 それを救ってくれたのは姉さんだった。



 姉さんは昔から、不思議な力があった。
 私達が小学六年の頃。私は熱を出して林間学校でのサマーキャンプに行けなかったことがあった。私は幼少の頃から身体が弱く、各学年の進級も出席日数ギリギリでなんとか進級してるくらいだった。だからサマーキャンプに行けなかった悔しさもあったけど「ああ、やっぱりこんな風になるんだ」と自身のひ弱さを改めて呪った。
 双子なのに健康体だった姉さんは当然それに参加していて、ずいぶん腹を立てていた気がする。熱で朦朧とする頭で、こんな苦しんでるのに姉さんはバーベキューをして、テントを広げて夜通しクラスの皆んなと遊んでるんだろう。それがたまらなく理不尽に思えて、姉さんが帰宅した途端にそのことを避難した。姉さんを罵倒できる程度には回復していたんだ。
 何も悪くないのに、姉さんは申し訳なさそうに眉を潜めて「ごめんね、ユウ」と顔を俯けるばかりだった。謝るばかりで他に何を言うでもない態度が余計に私の癇に障って、私は姉さんに掴みかかる。それが姉さんの「力」に触れた最初だった。
 その瞬間私の目の前には、見知らぬ川が流れていた。近所の学校脇にあるものではない。河幅がプールより長く、向こう側はゴツゴツとした岩肌の崖になっている。こちら側の岸には、上半身裸の男の子たちが泳ぎ、水切りをし、さらに手前の岩場ではバーベキューのキットが何セットか広げられ、香ばしい肉の焼ける香りを私に届けた。せせらぎも聞こえるし、私をこんがり焼こうと照りつける日差しも肌で感じた。こんな場所にいたら、熱にやられて倒れかねないなと、ふと思った。
 ほんの数秒のことだ。次の瞬きの瞬間には、掴みかかる瞬間の姉さんの顔がある。
「……何、今の」
「林間学校、ユウにも見せてあげたかったから」
 だから“持って帰ってきたんだ”と姉さんは言った。
 姉さんには不思議な力があった。それは、自分のイメージを私と共有する力だ。
 姉さんが想像したものは、過去の体験でもと完全な空想でも、私の脳に投射することが出来る。テレパシーの一種なんだろう。これは姉さんが私に触れているときに、一方的に送られてくるものだった。私から姉さんにはイメージを送れないし、姉さんも私以外の人とこの力を使うことは出来ないらしかった。



 姉さんが映す水没した東京からはコンクリートの地面は失われていた。
 電気量販店のロゴを掲げたビルも、何かの企業のオフィスが入っているだろうテナントも、全面がガラス張りだったはずの前衛的な建物も、どれも二階までが溢れ出す水に浸食され、それより上は長い月日をかけた緑色の草が絡みつき、その様が人類の文明の終末を感じさせた。
 私は水没する待ちでは一等高いビルの屋上の縁に腰掛けて、眼下を見下ろす。よく晴れた空の光を反射して水面はキラキラと輝いているし、ここから水中に飛び込めば、そこで泳いでいる名もなき魚だって見られるだろう。
「ユウ」
 背後から声がして、振り返る。
「ああ。姉さん、おはよう。それとも今は夜なのかな?」
「おはようでいいよ。こんなにも良い天気なんだから」
「そうだね」
 多分、現実の世界では夜の時間のはずだ。姉さんは学校帰りに毎日のように私の病室に足を運んでいるらしく、受験で忙しい姉さんは遅くまで学校で勉強し、病院で面会時間ギリギリまで私に「夢」を見せてくれている。
 姉さんは何も言わないまま私の隣に腰をおろし、地平線まで続く緑に覆われた高層ビルの群れを眺めた。
「ねえユウ。どうして私に『こんなもの』ばっかり作らせるの?」
「こんなもの?」
「こんな、朽ちた世界ばっかり」
「だってほら、綺麗でしょう」
 私は毎日、世界の終末を模した世界を姉さんに作らせ続けている。水没した街に、核戦争で更地になった砂漠、隕石の衝突で火の海になった森。どれも私が姉さんにリクエストした世界で、それは毎晩忠実に再現される。
「もうこんなのやめよう。こんなのばっかり毎日見てるのは、よくない」
「どうしたの急に。いいじゃん。誰に迷惑かける訳でもないんだからさ」
 正確には姉さんに迷惑がかかってるんだろうけど、わざわざそんなことは口にしない。姉さんがそれを迷惑だと言い出さないことを知ってるから。姉さんしか頼れる人間がいない私に、強く出られないことは昔からわかっている。
 姉さん以外の他人と交われないこの世界で、私は色んなものを作らせた。最初は嫌いだったクラスの子を何人か作って、身動きが取れないように縛り上げてプールに突き落としたことがある。足のつかないプールでもがく彼らを眺めることは最初の一週間ほどは楽しく眺めていたけど、やがて飽きてしまった。
 私を車で撥ねた運転手を作らせて、何度もローラー車で轢き潰していた頃もあった。その男は痩身で頬に骨の浮いた三十代半ばくらいの作業着姿の男で、信号無視と聞いてどれだけ強面の男が出てくるかと思っていたのに、それを意外に思ったことを覚えてる。まあ、そんなことは関係ないんだけど。
 赤ん坊がミニカーで人形を蹴散らすように、姉さんは私の指示に従って何度もその男を殺し続けた。思いつく限りの残酷なやり方を持ってして、発想が尽きるまでそれを繰り返した。現実には何も作用していない上、私が死体同然の今、これは許されて然るべき遊びだと思ったから。
 事故の犯人で考えうる処刑方法を試したら、次は教育に厳しかった両親。それにも飽きたら、思い出せる全ての人間を殺して回った。殺すべき人間がいなくなれば、最後にはこんな世界に安らぎを覚えるようになった。




「ユウ、あなたの身体のことだけど」姉さんは正面を向いたまま、こちらを見ようとしない。「結構、まずいことになってる」
「まずい?」
「うん。まずいのよ」
「……ああ、そういうこと」
 それは最近、確かに感じていたことだった。姉さんが見せてくれる夢の中で、なんの脈絡もなく自分の意識が途切れることがよくあった。姉さんが力を使うのをやめた訳じゃない。世界と一緒に、私の思考さえ消えるんだ。まるで催眠術にでもかかって、瞬時に気を失ったかのように。その頻度は、日に日に回数を増していった。
「お医者さんが言うにはね、ユウに生きる気力がなくなっているのが原因じゃないかって。感覚を失って長いし、何年も続く無に心がやられてしまったんだろうって」
「無、ではないよ。姉さんがこの世界を見せてくれてるから、私はそこそこ楽しくやれてる」
「でも、こんな世界があなたの心に良いはずない」
 誰かをいたぶり続けて、それも飽きたら人間が死滅した世界を夢想し、そこで何年も生き続ける。
 毎日毎日泣きそうな顔で私のために世界を作り上げる姉さん。私はそれを見ないフリをして、この終わった世界に浸り続けている。
 姉さんがいなければ、私は生きることすら出来ない。パラサイトのような人生。私に回復の見込みはなくて、きっと死ぬまでこのままなんだろう。
 そんな人間にはきっと、こういう終わりに向かう世界こそ楽園になり得るんだ。こうやって自分の終わりをそこに見出して、マゾヒスティックな快楽に身を委ねる。
「ねえユウ。もっと楽しい夢を見ようよ。そうしたらきっと毎日がもっと良くなる。きっと心が元気になれば、身体の方だって絶対に……」
「姉さん、楽園ってどんなところだと思う?」
「何よ、急に」
「姉さんなら楽園を作るくらい簡単でしょう? だって姉さんは、私にとっては神様なんだから」
「……楽園では、きっと誰も苦しまないよ。皆んなが笑って手を繋ぎあって、傷つけ合うことなんてなくて、永遠の安らぎがあって」
「ええ、私もそう思う。そしてそれは、ここのことよ」
「……独りぼっちの楽園なんて、薄気味悪いだけよ」
「じゃあ私に友達を作ってくれる? 無理よ。だって幸せそうな奴を見たら、私、殺したくなっちゃうから」
 こんな優しいだけの牢獄に、愛とか、友情なんてものは必要ない。そんな『本物の幸せ』が私の世界に紛れ込んだら、それが絶対手に入れられないことに、耐えられない。どれほど上手に取り繕っても、この世界には偽物しかないんだから。
「だからさ、姉さん。手を繋ぎましょう」
 私は立ち上がり、隣の姉さんの手を掴んで引っ張り上げる。そのまま屋上の端から端を、笑顔で大声を上げながら駆ける。この世界が楽しくて楽しくて仕方ないみたいに。
 現実では寝たきりの私だって、まるで幸せであるように振る舞うことが出来る。偽物ばかりでも、そうやっていればいつかは本物になるんだと信じることが出来る。
 私は姉さんの手を掴んだまま、屋上の縁に足をかけ、飛び出す。夢の世界でも重力に従って、私達は昼から下方のオリオンブルーに真っ逆さま。
 私の神様はただ静かに、何の感情も表さない顔を私に向けるだけ。彫刻のようや作りものめいたその表情は、この世界には相応しいように思った。
ヘレン 

2020年03月16日(月)19時49分 公開
■この作品の著作権はヘレンさんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
終末の世界の美しさや、ヤケになった女の子を書きたいと思った作品です。


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2020年03月25日(水)18時25分 海山三川  +20点
こういう設定もあるのかと、感心しました。
意味の解らない退屈な作品が多い中、これはそういうことはなく、最後まで飽きずに読ませていただきました。
25

pass
2020年03月17日(火)17時29分 あおいしょう  +20点
絶望感が美しい作品でした。
美しいオリオンブルーで水没した滅びの街を、絵で見て見たいと思いました。

そうだよなぁ、恨みで支配された心に、現実ではないとわかっている状況での幸せって、つらいよなぁと、うんうん頷きました。お姉ちゃんには何も言わなくてもいいから、ただ側にいてあげて欲しいなぁと思ったり。
その反面、動物をこの世界に描くのはダメなのかなぁとか思ったり。

このお話、もう少し長いお話で読みたいと思いました。
いよいよ死に近づく主人公を、医者に『生きる気力がなくなってるから死んでいく』のだと聞かされているお姉ちゃんが、強引に『生きる気力の湧く』世界を見せつけて……そしたら二人はどうなるだろうという妄想をしてしまいました(笑)

批評というよりただの感想になってしまいましたね、すいません。
私好みの素敵なお話でした。ありがとうございました。
21

pass
合計 2人 40点


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