喋りたくても喋れない病気の重さ |
<<一覧に戻る | 作者コメント | 感想・批評 | ページ最下部 |
私の名前は白雪菜々。中学、高校と学校を通ってきた。でも私は急激に耳が聞こえない病気「低音障害型感音難聴」という病気を患ってしまった。家族や親戚は私のことを悲しい人と感情漬け、大学を通った。耳が聞こえないからって悪いことはない。でも誰かの言葉が聞こえないとすごく大変なこともある。耳が聞こえた頃の友達とはたまにあう。私のために手話や言葉を打つことをしてくれる。でもそれは私にしか使えない。あの子の周りやその子の周りの子は全員声、言葉で話せる。それらから感情が消えていったのかもしれない。 でもそれを乗り越えてなんにもない私の感情に溶け込んでくれた一人の男の子がいる。 その子の、、、名前を紹介したいところだがその子の名前を知らない。 でもその子が私のことを元気付けるために行った遊園地で一枚だけ写真を撮った。その写真に写ってるのは顔が引きつってる私と笑顔がすごい男の子だった。 私は今26歳で仕事もできてる。あの男の子のおかげかも知れない。あの子にありがとうと言いたい。一言だけでもいいだい。 でも私は声も出せないし、何より今は新型コロナウイルスでマスクもしてる。顔があんまり見れないのでどうやって探せばいいのか。 何より大変なのはあの男の子の顔が写ったのは1枚。昔の写真だ。 まず、私は昔通ってた病院に行くことにした。ここに行ったら何か手掛かりがつかめると思ったからだ。 病院につくと昔の雰囲気があって懐かしい感じだった。ともかく、長年ここで仕事をしてた先生に話を聞くことにした。もちろん手話を解読して話してくれる方とともに行った。 聞くと、その子は相原怜さんという男の子で謎の病気を患ってたと言うのを教えてもらった。ただ、アレキサンダー病と言う病気について書いてある資料がなかったため私が住んでる上ノ国町から結構離れた札幌市の図書館「松浦図書館」に行って病気についての本を借りて読むことにしたが、全くあの男の子、相原怜さんの病気は書いてなかった。 そこから5年が立ち。 私は病気を探す、科学者になった。あの時私がすぐに医者を目指せばと思ったが私の病気の低音障害型感音難聴についても科学者になったからこそできることだ。 これから色々なことを目指す人達にも希望を持ってほしい。そしてあの相原怜さんの病気についてと相原怜さんを探すと言う希望を持っていきたいなと思う。 これからも私の科学はまだまだ続くようだった。 |
ぱろん ipBsjf8s5A 2022年12月13日(火)20時02分 公開 ■この作品の著作権はぱろんさんにあります。無断転載は禁止です。 |
|
この作品の感想をお寄せください。 |
---|
合計 | 1人 | 10点 |
作品の編集・削除 |