象牙の槍
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 マンモスの象牙から削りだした槍は村一番の英雄の証だ。
 鬱蒼とした森の中、血痕を辿ると、その槍は血塗れで落ちていた。
 血は持ち手の部分にこそべったりと付着しているが、穂先は軽く土がついた程度だ。
 それを見て、アジャは引きずりながらも歩いていた足を止めた。
 今頃は持ち主だった英雄は――兄はサーベルタイガーに喰われているだろう。 

 ◆

 二日前のことだ。
 その日、木の実を拾いに森へ入ったアジャは木の幹が削れているのを見つけた。
 水平にできた2本の線は、あご先まで伸びた巨大な犬歯をサーベルタイガーが木にこすりつけた痕だ。
 サーベルタイガーの貫頭衣は村の女性達にとって身分の象徴だった。
 男が一人で倒した獣の皮。それをなめした衣類をもって求婚の証とする風習が村にはある。
 最も倒すのが困難なマンモスの毛皮は重く毛並みが固いため、求婚には不向きといわれていた。
 また、マンモスの狩りは必ず複数人で行うため、力の証明にはならないとみなされていた。
 アジャに想い人はいなかったが、上等な獣の毛皮を取って村の人達に認められたいとは考えていた。
 二つ上の兄が大人に混じって狩りに行くようになったのは12だった。
 サーベルタイガーを一人で倒して森から帰ってきたのは15のころ。
 アジャはもう16になるが、大人達から狩りへの同行は許可されていなかった。
 同年代の子供達の中でいまだに魚釣りと木の実拾いしかできないのはアジャだけだ。
 サーベルタイガーの痕跡を見つけたら村に報告しなければならない。
 アジャはそれをしなかった。
 
 ◆

 持ち出していた石槍を捨て、血にぬめる象牙の槍を手に持つ。完全に1本の象牙から削りだされた槍は湾曲していて突いても力がうまく入らない。
 先端の薄い穂先に刃がついているからそれで切るように使うのだと、兄は言っていた。
 そう言っていた兄も、やはり使いにくかったのか、森に狩りに行くときは鉄鉱石を削った穂先をつけた石槍を使っていた。
 今日も。もしもアジャが木の実を拾いに行くといわず、サーベルタイガーを狩りに行くと言っていれば恐らくは飾りとして持ち歩いていた槍では来なかっただろう。
 アジャは槍を握り締めたまま、前にも後ろにも進めずに震えていた。右足のふくらはぎから流れ出る血ははだしの足を伝って小さな血貯まりを作っている。
「どうしてこんなことになったのか」その考えが頭から離れない。いや、報告を怠った自分が悪いのはわかっていた。
 だが、自分が死ぬ時ぐらいは自由にしてもいいだろう、とそう考えてしまった。
 今日自分は死ぬ、その覚悟はあった。
 サーベルタイガーの痕跡を木の幹に見つけた時から。
 それを村の大人に言わずに一人で森に入ろうと決めた時から。
 いや、もっともっと前からアジャにはその覚悟があったのかもしれない。
 村の男達が森に狩りに出ていく時、成長した子供達を連れて行った。川で一緒に釣りをしていた友人達は森を駆け回り獣を狩り、そして大人になっていった。
 2つ3つと年下の子供達ですら。
 アジャにだけは、最後まで声がかからなかった。
 川で釣りをしているのはアジャだけになった。
「どうして自分だけがここにいるんだろうか」
「どうして自分は兄のように立派に育てなかったのだろうか」
「自分に……生きている意味はあるのだろうか」
 自身にとっての命をかける場面というのは、アジャにとって望んでいたものだった。
 自身の軽い命を賭けて、それで誰かに認めてもらえるのなら、と。失敗しても誰にも迷惑はかからないだろうと。
 サーベルタイガーの報告を怠ったが、村には自分より優秀な戦士がいくらでもいる。犠牲は自分ひとりですむはずだった。
 村の英雄である兄を死なせることになるとは……少しも思わなかった。

 ◆

 早朝、村のはずれ。アジャがサーベルタイガーの皮を求め、石槍を持って一人で森に入ろうとした時、木の上で哨戒をしていた兄に見つかった。
「い、いや、木の実を取りに行くだけだよ……でもこの前大きいネズミがいたからさ」
 いぶかしむ兄に、とっさにそんな嘘をついていた。
「そうかぁ? なんか変だぞおまえ? さてはどんぐりの穴場でも見つけたか? まぁ周りに危険なのもいなそうだし、おれも行くか」
 兄がそう朗らかに笑うと哨戒を他の村人に任せてついてきたものだから、アジャは少しがっかりした。
 兄が周りに危険な動物はいないというのならば、恐らくサーベルタイガーは自分の勘違いなのだろう。
 もしサーベルタイガーがいたとしても、それを一人で狩るチャンスはなくなった。
 だが、一緒に森を歩くにつれ、それは安堵に変わっていた。象牙の槍を軽く振り回す兄は頼もしく、兄と話しながら森を歩くのは楽しく、自身が認められない自分の人生にすら価値があるように思えたからだ。
「おまえさ、狩りに行きたかったらちゃんと長に話してみろよ? あいつらおれの弟だからって過保護にしすぎなんだよなぁ」
 アジャは曖昧に笑いながら、ごまかした。
 それは兄の勘違いだ。もし訓練の時に、アジャを見る村人の目をきちんと見てくれていたら、兄も考えを改めるだろう。
 言われたことができない。素質がない。将来性がない。英雄の弟だから、露骨に邪険にするわけにもいかない。
 そういうどろどろしたものをアジャは確かに村人達から感じていた。

 ◆

 朝露にはだしの足を濡らしながら早朝の森を二人で歩いた。瑞々しい匂いをかぎながら、兄が槍で草木を散らす音を聞いていた。
 兄は象牙の槍を振り回しながら、自身の武勇伝を語っている。ただの自慢話ではあるのだが、身内が巨大な獣を多く討ち果たしていくのを聞いていると、自分自身にも誇りが持てるような、そんな気持ちになった。
 アジャは見慣れた大木の根元に来ると「この辺にしよう」と腰を下ろした。
「そういや、おまえ籠も持ってきてねぇのか。腹減ったなら長に言やぁいいのによぉ」
 兄は木の実には興味なさそうに、そこらの枝に突きを繰り出して遊んでいた。
 サーベルタイガーのことは、今日痕跡を見つけたことにして後できちんと報告しよう。
 また明日から訓練を頑張ってみよう。兄のようになれるように頑張ってみよう。
 そう思いながら拾った木の実をかじっていた。近くの薮から白い牙が割ってでてきたのはほんとうに一瞬の出来事だった。
「アジャ!!」
 横から兄が走りながらサーベルタイガーに槍を突き出し、その下をくぐられる。
 だが、そのまま兄は速度を殺さずにサーベルタイガーに体当たりした。鋭いツメがアジャの左足のふくらはぎを切り裂き、兄と獣はそのまま横に転がった。
「逃げろっ!!」そう叫ばれて直後、続いた兄の言葉は森を震わせるほどの絶叫だった。
 それが断末魔であると、その姿を見て理解した。
 両の前足で地面にうつぶせに倒され、長い犬歯が肩口を捉えている。兄は片手で力なく槍を振るっていたが徐々に力をなくして腕を落とした。
 そして、サーベルタイガーは、槍を持ったままの兄を咥えて森の奥へと駆けていった。

 ◆

 みんなと同じ物を食べて、みんなと同じように過ごして生きてきた。
 だが、すべてがみんなと同じようにできなかった。自分にもいつか――いつか兄と同じようにできる日が来るのではないか。
 せめて並んで狩りに行き大物を仕留めるような日が。だがもうそんな日は来ない。自分のせいで。
 自分のこと、村の人達のこと、もはやどうでもよくなっていた。
 ただ、兄を殺した獣を狩りたかった。
 アジャは左足から血を流しながら血を辿る。途中で血塗れの象牙の槍が落ちていたので、自分の持っていた石槍と取り替えた。
 そうして、少し歩き、開けた大木の根元で。
 朝日が届かない鬱蒼とした影の中で。かすかなうめき声を上げながら足を食われている兄を見た。
 アジャは全力でかけた。象牙の槍を構えた捨て身の体当たりを目にして、サーベルタイガーは食事を中断しひらりと距離を取る。
 兄の目はわずかに動き、アジャと目があう。口元がわずかに動いたが、獣の獰猛なうなり声にそれはすぐかき消された。
 肉食獣と対峙した時は視線を切ってはいけない、そう村の大人が言っていた。
 アジャは飛び掛ってくるサーベルタイガーに対し体ごと後ろを向いていなす。
 槍は左足の先を目標に向けてから突き出せ、そう村の大人が言っていた。
 痛む左足を中に浮かせ、右足を軸に回転する。
 回転の勢いそのままに、通り過ぎる獣の後ろ足を切り飛ばした。
 穂先を突き出す教わった構えなどせず、脱力した腕から槍をだらりと下げる。
 後ろ足の片方を失ったサーベルタイガーはその場で3本の足で立ち上がり、喉から威嚇音を鳴らす。
 おぼつかない足取りで徐々に後退していく。
 アジャの足の指は地面を掴んで風のように駆ける。ずっと続いていたふくらはぎの痛みもその時だけは感じなかった。
 迎撃するサーベルタイガーの前足はアジャの頭を強く打ち、地面に叩きつける。叩きつけられながら地面を転がり、前進する勢いのままに懐に入ると、自身の体に巻きつかせるように湾曲した槍を振るう。下からの一振りはサーベルタイガーの頭を切り飛ばし、血が噴出した。
  
 ◆

「ごめん……兄ちゃん」
 上半身だけになった兄は血を流しながら軽く笑った。
「すげぇな……それ、そう使うのかよ……村のやつらにも教えてやれよ……」
 そう呟いたきり、兄はもう何も言わなかった。何も言えなくなっていた。 
 兄の遺体を土に埋めて、それからアジャは村の方角を見た。
 ふくらはぎの激痛が戻ってくる。
 自分のせいで兄を失ったと言えば、村人は自分にどんな目を向けるだろうか。それでも行かなければならない。
 アジャは重い足で村へと歩き出した。自身への嘲りを聞くためではなく、自身の功績を語るためでもない。
 村の英雄の証である、象牙の槍を持って。
壁のでっぱり 

2022年10月12日(水)17時20分 公開
■この作品の著作権は壁のでっぱりさんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
 王道っぽいの書いてみたいなって思って書きました。
 感想もらえると嬉しいです。よろしくです。


この作品の感想をお寄せください。

2022年12月12日(月)19時09分 壁のでっぱり  作者レス
 みもざ様、ご感想ありがとうございます。
 続きが気になると言っていただけて嬉しいです。
 もう少し長く書けるように頑張ります。
 ご感想ありがとうございました!

pass
2022年12月11日(日)19時48分 みもざ  +10点
拝読させていただきました。

もう少し長く書いても良かったかなと思います。
それ以外は指摘できるところがないです。

自然と続きがきになる文章です。

お疲れ様でした。
23

pass
2022年11月06日(日)20時45分 壁のでっぱり  作者レス
 柊木なお様、ご感想ありがとうございます。 

>お世話になっております。
拝読いたしました。
 
 お世話になります。感想返しありがとうございます。

>読者に疑問符を残さないタイプの、王道で明快な物語でした。
書きたいことを書き切れるだけの文章力(構成力含め)があって、大きな強みだと思います。

 褒めていただき嬉しいです。これ書いてた時は、正直、感想で批判されるのが怖くて守りに入っていた気がします。褒めていただいたことを自信にして頑張りたいと思います。

>個人的には、もう少し長尺で読みたい題材だったかもしれません。
物語の世界に入り込んだり、主人公に感情移入する余裕もなく進んでしまったので、カタルシス的なものもあまり得られず、「お兄ちゃん可哀想だな…」で終わってしまった感がありました。
 
 なるほど、たしかにです。
 特に世界に入り込めなかったというのは長さだけの問題ではないと思うので、雰囲気の出し方や描写を頑張らなければ、とおもいます。
 言われてみると「こういうことがあってこういう感情になった」っていうストーリーの準備段階をすっとばしてるような気がすごくしてきました。ご指摘ありがとうございます。
 

>村の詳しい様子とか兄弟のエピソードとか、そういう膨らみがもう少しあれば…

 すいません、具体性のお話ですね! 先の感想で偉そうにそんなことを書いてしまった気がします、人に言うのは簡単ですが、自分が書くことの難しさ……。

>というのを、掌編の間で言っても仕方ないかもしれませんが。
原型としては申し分ないので、ここからどう肉付けするかが、さらなる腕の見せ所ではないかと思います。
 執筆お疲れ様でした。
今後も応援しております。

 いえ、物語が掌編向きじゃなかったというのはなんだかすごくわかります。
 長くできなかった部分も含めて実力だと思いますので、今後の課題にしたいです。
 長いものも書けるように練習したいと思います。
 いつも丁寧な感想ありがとうございます。こちらも応援しております。

pass
2022年11月06日(日)19時17分 柊木なお  +20点
お世話になっております。
拝読いたしました。

読者に疑問符を残さないタイプの、王道で明快な物語でした。
書きたいことを書き切れるだけの文章力(構成力含め)があって、大きな強みだと思います。

個人的には、もう少し長尺で読みたい題材だったかもしれません。
物語の世界に入り込んだり、主人公に感情移入する余裕もなく進んでしまったので、カタルシス的なものもあまり得られず、「お兄ちゃん可哀想だな…」で終わってしまった感がありました。
村の詳しい様子とか兄弟のエピソードとか、そういう膨らみがもう少しあれば…

というのを、掌編の間で言っても仕方ないかもしれませんが。
原型としては申し分ないので、ここからどう肉付けするかが、さらなる腕の見せ所ではないかと思います。

執筆お疲れ様でした。
今後も応援しております。
26

pass
2022年10月15日(土)19時02分 壁のでっぱり  作者レス
 感想職人さん、感想ありがとうございます。
 ええと、文章に抑揚がないということで、参考にします。
 他の方の感想に言及するのはやめてくださいね。
 作者だけでなく、感想を残してくれた人まで不快になるので。
 

pass
2022年10月15日(土)18時49分 壁のでっぱり  作者レス
鏡ミラーさんこんにちは!

たくさん褒めていただきありがとうございます。
けっこう力入れて書いちゃって、いつもはそれが変な方向にいっちゃうのですが、今回は上手く収まったかなって思ってます。
ラストシーンはなんかハッピーエンドに疑問符がつくような感じになってますけど、無理やりどっちかにもっていかないでよかったです。
これ書き終わった時はちょっと何か掴んだような気がしたのですが、新しくプロット考えてたら全然進まないのでまぐれかもしれませんw
感想ありがとうございました。

pass
2022年10月15日(土)15時55分 感想職人  -30点
正直な感想を書きます。
まずは文章が面白くなかったです。
抑揚がなく終始物語に入り込めませんでした。
これは小説としては結構しんどいものがあります。
また物語として他の方が何も言うことはないと賛辞を送っていますが果たしてそうでしょうか。

30

pass
2022年10月15日(土)09時48分 鏡ミラー  +40点
こんにちは。
力作ですね。引き込ませる力を持つ文章だと思いました。
神原さんと同じく指摘出来る点は自分にはないです。
自分には到底書けそうにないです。
最後の一文がまた良い味を出していますね。村へ帰る傷だらけのアジャのこれから先の覚悟と一人で狩りに成功したけど、兄を失いそこには喜びは無く背中には哀しみがどこか漂っている。
そんな風景が一枚の写真に切り取られたかの様に浮かびました。

31

pass
2022年10月13日(木)21時40分 壁のでっぱり  作者レス
神原さん、感想ありがとうございます。
こんにちは。
褒めていただけて嬉しいです。
いいお話になってたらいいなって思ってたので「なかなかいいお話」って言ってもらえてよかったです。
またよろしくお願いします。

pass
2022年10月13日(木)12時57分 神原  +30点
こんにちは。

主人公の成長もあり物語性もあり、なかなかいいお話でした。

これは私が何かを指摘出来る段階にはありません。が、面白さとしては面白かったです、あたりかな、と思います。

執筆お疲れ様でした。では。
32

pass
合計 5人 70点


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