貝殻に耳を当てると
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『貝殻に耳を当てると、波の音が聞こえるよ』
 私は嘘だと言いながら笑った。実際に波の音は聞こえなかったけど、それはどうでもいいことだった。私は彼と話す時間が好きだった。思い出の砂浜や、彼が手に取った貝殻。いずれ消える足跡に、足跡を消す波の音まで。彼と一緒なら、この世の全てが輝いて見えていた。彼が仕事で着ている白衣だって、彼が着ると色がついて見えた。
『白衣、似合ってるね』
『そうかな、そう言ってくれると嬉しいよ』
彼は嬉しそうに笑った。私もそれに釣られて笑った。彼と一緒なら、暗闇に居たってどこかに光が見えるかもしれない。そう思えるほど、彼は私にとって多くのものをもたらしていたし、運命の人が居るならそれはきっと彼だと言い切れる自信があった。

 思い出の砂浜を、一人歩く。下を向いて、足跡を見ながら歩いた。振り返り、この海岸に来てから作った足跡を見た。二つだった筈の足跡は、いつの間にか一つになっていた。波が消してしまったのだと、そう思った。青白く濁る海を見た。波に攫われてしまいたいと思うと共に、波に触れると嫌なことを思い出してしまいそうだった。その肌を包んでいた筈の感覚と、肌に触れる冷たさを。
 波の上で揺蕩う雲が視界に入った。見上げても、何の感慨も無い。雲の横で広がる青い空も、存在している意味を問いたくなるほど酷くちっぽけに見えた。
 ふと、風に流された雲に穴が出来た。それに手をかざし、穴を塞いだ。
『心臓の音って、安心する?』
『そうだね、生きてるって感じがする』
『それ、使ってみても良い?』
『良いよ。耳に付けて、手に持って……そう、それで僕の胸に当ててみて』
風が吹き、やがて穴は女性の手から離れていった。穴の開いた雲は手で引っ搔けば崩れてしまうような曖昧さで、それでもその穴はずっと塞げないと主張するようだった。日が傾く。空は一面赤く染まっていた。
「……死のう」
 誰かにそれを聞いて欲しいかのように呟き、それに返事が無いのを理解してから静かに歩を進めた。足跡が波に近づき、やがて波が足を飲み込んだ。包む感覚が肌を覆い、それが悲痛な程の冷たさとなって女性に触れた。ぬるく、それでも死を肌へ塗りこむように。心臓の鼓動が早くなる。心臓が穴を開けたまま、動きを止めてくれる何かを探している。
 段々と、水面が脚を覆っていく。その度に死がなだれ込むようで、命を含めた自分の全てが順調に消えかかっているのを感じる。それに気味の悪い心地よさを感じていた。しかし、その心地よさを押し返す感触が、足の裏に痛みとなって訪れた。膝上まで浸かった水面越しの足を見た。小刻みな波が水面で泳ぐようになっていて、踏んでいる何かは見えない。それを踏んでいる足をどけて、また歩き出そうとした。しかし、途端に大きな波が脚を押し返した。浮いていた脚が一歩後ずさり、その後不自然な程静かになった水面の向こうにあった底が目に入った。そこには彼が耳に当てていた貝殻が、何かを求めるようにその穴を女性の目へ向けていた。
 目が合ったような感覚に襲われ、思わず水面へ手を潜らせて貝殻を手に取った。貝殻を胸の前まで持ってくると、求めていたものが訪れたかのように穴から海水を吐き出し、すべきことが何かを女性へ問いかけた。
 手に持った貝殻の穴を覗いた。その奥は暗闇のようで、光は見えなかった。少し戸惑い、もしも何も聞こえなかったという恐怖が手を止めた。しかしそれを振り切るように、貝殻に耳を当てた。
『どう? 聞こえる?』
『……うん』
『どんな感じ?』
『……そうだね、凄く安心する』
 波の音は、前と同じで聞こえなかった。けれど、別の音が私の耳を叩いた。それは酷く安心できて、そして思い出の一つだった。
 貝殻から耳を離し、波の来る方を見た。夕日が空を赤く照らし、波もそれを反射して白く輝いていた。夕日の横で浮かぶ雲も、手をかざす意味が無いほど大きく、強い輪郭でそこにあった。
「もうちょっと頑張ってみようかな」
 一際大きな波が脚へ打ち付けた。それに笑って、女性は踵を返して砂浜へ戻った。女性を追い出すように波が引き、やがてここに訪れた時の足跡の横へ新しい足跡を作った。
 背を伸ばし、大きく伸びをした。清々しさまで感じる表情で来た道を見ると、その方向へ歩き出した。そしてふいに、振り返った。思い出の砂浜に、足跡が二つ刻まれている。
手に持った貝殻を、その足跡と並ぶように置いた。女性はそれを見て満足そうに微笑み、足跡の横を歩くようにして砂浜を去っていった。
友利有利 

2021年06月19日(土)23時16分 公開
■この作品の著作権は友利有利さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
 最後に投稿した日がいつかも分からない程、久しぶりに投稿させていただきました。

思いついた勢いそのまま殴り書きのように書いてしまい、推敲などもあまりしていないので気になる部分があるかもしれません。温かい目で読んでいただけるとありがたいです。


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2021年06月27日(日)09時55分 ワタリヅキ  0点
こんにちは、ワタリヅキです。
地の文がとてもしっかり書けていると思います。ただ、それが少しこの作品に入り込む障壁になっているような気もします。もう少しあっさりと描いてもいいかもしれません。このあたりは好みの問題かもしれませんが。
プロットがすごく綺麗だと思います。後半の、海の中の貝殻を見つけて、彼の言葉がよみがえってきて、再び生きる決意をするという心理変化も小説として成立しています。
読後感もよく、悪い点は特に見当たりませんでした。
これからも作品制作頑張ってください。
10

pass
2021年06月24日(木)11時07分 カイト  +10点
はじめまして、カイトと申します。

貴作を読ませていただきました。
まず、文章が美しく情景がありありと目に浮かびました。特に素敵だと思ったのが、
『貝殻を胸の前まで持って来ると、求めていたものが訪れたかのように穴から海水を吐き出し、すべきことは何かを女性に問いかけた』
という一文です。渦を巻く貝の中から水が一気に出てくるその独特な感じ、それが女性の気持ちの吐露とも重なるようで、とてもお上手で美しい文章でした。

気になった点も少し。
まず、「私」と「女性」という二種類の人称が混在していました。個人的には、「女性」という三人称が作風には合っているように思います。
あと、もう少し改行をした方が読みやすいと思いました。
それから、最後に自殺を思いとどまった女性が
『清々しさまで感じる表情で来た道を見ると、その方向へ歩き出した』
ところです。
ここが『清々しい表情』ではなくあくまで『感じる』なので、女性の本当の心のうちはわからないのですが、それでも自殺を思いとどまった直後にしては吹っ切れすぎかな、という気がします。
……と、ここまで書いて思い出したのですが、以前自分が「亡くなった元恋人との逢瀬」という内容の作品を書いた時、『主人公が吹っ切れたのか引きずっているのかわかりにくい』というコメントをもらったことがありました。自分としては、『簡単に吹っ切れたり引きずったりと割り切れるものではない』ことを表現したかったのですが、ここは個人の好みが色濃く出る箇所なのかもしれません。あまりお気になさらず。

素敵な物語を読ませていただきありがとうございました。
12

pass
2021年06月21日(月)07時00分 金木犀 gGaqjBJ1LM 0点
こんにちは、拝読しました。

今作で僕が注目したのは、貝殻に耳を当てたとき、主人公と同じ気持ちになれるかどうか、臨場感があるかどうか、です。

初読だとあまり感じられず、なぜ貝殻に耳を当てると彼との思い出の音を、心臓の音が聞こえるようになったのか、わからなかったです。

しかし神原さんの感想を見てもう一度読むと、なるほど聴診器で聞いた心臓の音と貝殻に耳を当てた音をリンクさせているんですね。神原さんこれは素晴らしい感想でした。

確かに巧みだな、と思いましたが、僕も、初読では気づかなかったですし、聴診器の音を前提にしても貝殻に耳を当ててザーッという音が聞こえるか、波の大きな音が聞こえるか。いずれにしても心臓の鼓動は聞こえないような気がしました。

もっと曖昧な部分を具体的な描写に寄せて、この主人公と彼の関係性が読み取れるような内容にしていただければな、と感じました。

赤い夕日をバックに、照らされた白波が見える描写はなかなかでしたが、確かにもっと、書きようがある気がします。

執筆お疲れさまでした。
11

pass
2021年06月21日(月)00時58分 表参道 LynesOLS3s +20点
こんばんは、友利有利さん。
表参道です。

まず、アイデアは面白いと思います。
亡くなった彼(流石に破局ではないと解釈しています)の後を追おうとするが、
彼との思い出の貝殻を見つけて耳に当てる。

すると波の音は聞こえなかったが、心臓の音が聞こえてくる(正確には耳の血流?)。
彼の心臓の音を思い出して、自殺を思い留まる……という内容だと解釈しています。
貝殻の音を上手く使ったアイデアだなぁと思います。解釈間違っていたら教えて下さい。

また、小道具も良かったかなと。
貝殻や白衣と聴診器、あとは足跡かな。どれもいい味を出しているように思います。

ただし、このままでは流石に伝わりにくいかと思います。
他の方も触れていますが、聴診器という単語や貝殻の音についての伏線が欲しいですね。

文章については丁寧で、比喩的な表現が想像を引き立てるように感じました。
こなれているように思います。

最後に。
以下の二行目と四行目は『』と「」のどちらを使うかで好みが分かれると思いました。
>『どう? 聞こえる?』
>『……うん』
>『どんな感じ?』
>『……そうだね、凄く安心する』

以上です。
執筆お疲れ様でした。

16

pass
2021年06月20日(日)00時38分 神原  +20点
こんにちは、拝読しました。


まず、↓減点はしていませんが、雰囲気小説で下の様に直前と言っている言葉が違う部分は直した方が良いと思います。

≫それが悲痛な程の冷たさとなって女性に触れた。ぬるく≪

かなり冷たい様な表記のすぐ後にぬるくとあるので、これ、どっちだろう? となります。

≫夕日が空を赤く照らし、波もそれを反射して白く輝いていた≪

赤い光を反射して白く? って言うのがちょっと……。空気を巻き込んだ波が白くなるのは普通ですが、反射して、その上で白くなると言う記述にそうかな? と思いました。

雰囲気で読ませる小説だと思うので、多少細かいとは思われると思いますが、上記の様に感じました。

それとこれは記述されていませんが、二読して聴診器をつかっている事に気づきました。私が鈍い可能性もありますが、最初はこれなんだろう? と思ったりです。

最初読んだ感じ10点かな、とも思いましたが、20点でもいいな、と思えたので。良かったです。を置いていこうかなと思います。なお色々かいていますが、上記の事での減点はしていません。初読での感じた点数そのままです。
15

pass
合計 5人 50点


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