二つの顔を持つ少年〜日常の僕と非日常の俺
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 プロローグ

 その夜はいつもと違っていたが、大河裕輔⦅たいがゆうすけ⦆は気付かなかった。
 それが全ての始まりだったにも関わらず。
「さあて……」
 銃弾を掴んだまま、裕輔は暗く冷たい眼で、怯える残り二人となったヤクザ達を見渡している。
 倉庫内には、十数名のヤクザ達と無数の銃弾が転がっている。
ヤクザ達は皆半死状態。半死状態なのは、裕輔が意図的に殺さないようにしているから。
「な、なぜだ!? なぜ、こんなことをするんだ!?」
 ヤクザはブルブルと怯えながら、顔を引きつらせ、上ずった声で質問してくる。
「なぜ? 俺も面倒だけど仕方がないのさ。なんせ、大河の家に生まれた、俺の宿命なんでな」
 裕輔は一応分かるように答えてやったつもりだ。
「た、大河の宿命って……? め、面倒なら見逃してくれよ! なっ! この通りっ!」
 ヤクザは必死になって拝むように頭を下げながら手を合わせている。
「フ、確かにな。お前らみたいなクズでも潰すとなるといい気はしないしな」
「だったら、ヘヘ……」
 ヤクザは命乞いに成功したと思ったのか、ニヤけながら後ずさりしていく。
「残念だったな。確かに後味の悪さはイヤだが、お前らをのさばらせるよりはマシなんでな。可哀そうだが……」
 危険を察知したヤクザは、裕輔が言い終わらないうちに、急いで逃げようと走り出す。
 しかし、逃げても無駄だった。素早く踏み出した裕輔が、閃光一閃、首の急所に蹴りをくれてやる。
「ぴぎゃぁっ!」
 食らったヤクザはピーンと背筋を伸ばして倒れたまま、腰をピクつかせている。
「ふぅー。大河一族の宿命とはいえ、人を傷つけて気分が良いわけがないよな。あーあ、今日もまた、言い知れぬ重い荷物を背負うことになるのか」
 裕輔はそう愚痴った後、気を取り直して、ゆっくりと歩を進め近づいていく。
「フ、あとはお前だけだな、鬼崎組⦅きざきぐみ⦆の組長さん」
「そ、そう言えば、一か月前に天心組⦅てんしんぐみ⦆が突如壊滅したって言うのは……」
「ああ、それも俺だよ。今度はお前の所だ」
「ち、畜生……」
 組長は冷や汗を流しながら、最後の抵抗とばかりに銃を取り出す。
「そんな物、俺には通用しないのは分かっているだろう?」
 裕輔は笑みを浮かべながら、なおも近づき威圧していく。
「ち、畜生っ!」
 叫んだと同時に引き金を引く組長。
「フ」
 余裕の裕輔は、飛んでくる銃弾を、暗殺拳大河空殺拳⦅たいがくうさつけん⦆の技の一つ大河空指弾⦅たいがくうしだん⦆を繰り出し、右手の指で華麗に掴んだ。
 裕輔の対応は分かっていたので、この隙に逃げ出そうとする組長。
 その動きを察知していた裕輔は、素早く間合いを詰め、突きを体中の急所に数発炸裂させる。組長は声も発さず倒れた。
「フ」
 足元で倒れている組長を一瞥し、一息ついた裕輔は、警視庁捜査一課の小松信一⦅こまつしんいち⦆刑事に連絡する。
「あっ、裕輔君? 片付いたようだね?」
「ええ、あとはお願いします。それじゃ」
「ああ。今日もごくろうさん」
「では」
 裕輔は、用件だけ済まし、電話を切って倉庫の外へ向かい歩き出す。
 外に出ると、遠くの方でパトカーのサイレン音がしている。ここから先は警察の仕事だ。
「ふぅー、九時半か」
 時計を見ながら、大河空殺拳を使った後虚しさから来る、後味の悪い気の重さを感じ、毎度のことだが背中が重い。
「さてと、使命も無事終わったし、帰るとするか」
 と、ここまでは、いつものことで、深くため息をついた後、気を取り直して歩き出す。
 いつもと違う出来事は、この時突然起こった。
「伝説の暗殺拳大河空殺拳か。まさに無敵の暗殺拳ね」
 いきなり背後から聞こえてくる女の声。
「!?」
 裕輔が驚いて振り返ると、そこには茶髪のロングヘアで、黒のライダースーツにスレンダーボディを包んだ十代後半か二十代前半くらいの美少女、いや美女が笑みを称えて立っている。
 身長は百六十センチくらいで、スレンダーだが、出るところと引っ込むところのバランスが程よい女性だ。
(鬼崎組の者? ……いや、違うか……)
 女が発した、『空殺拳』というセリフにも驚いたが、それ以上に、この距離まで自分に気配を悟られることなく近づいたことの方に驚いている。
「あら、あまりの美しさに声も出せないくらい驚いちゃった? そちらから聞いてくれないと喋りにくいんだけど」
 謎の美女は悪戯っ子のようにペロッと舌を出し笑っている。
「…………」
 裕輔は、頭の中で様々なことを考えながら、警戒を強めていた。

第一話 謎の美女、その名は志暮姫菜⦅しぐれひめな⦆

 裕輔の警戒はなおも続いているが、求めに応じ質問をする。
「君は一体誰だ? なぜ空殺拳のことを知っている? 俺の前に現れた目的は?」
 頭の中か整理できないため、思いつくままに尋ねた。
「ようやく質問してくれたと思ったら、まあ、一度に聞いてくるわね。ウフフ、そうね、まずは自己紹介からかしら。名前は志暮姫菜、年齢は不詳にしておこうかしら」
 ここまで話すと微笑んで首を軽く横に傾け、裕輔の反応を窺っている。
「志暮姫菜……」
 裕輔は聞いた名前をただ反芻するのみ。
「あとは、なんで知っているのかだっけ? それは私が世界一の情報屋だから……かな」
「世界一の情報屋?」
「そう。総理大臣の携帯の番号はもちろんアメリカ大統領のだって分かるわよ」
 姫菜は自信満々に突拍子もないことを平然と語る。終始微笑みは称えているが隙はない。
「その情報屋が何の用だ?」
「ウフフ……あえて言うなら興味がわいたから……かな」
「随分と曖昧な理由だな。からかっているのか、それとも強請⦅ゆすり⦆か?」
 裕輔は話しながら相手の動きに合わせられるように構えている。
「警戒なんかしなくてもいいわよ。本当に興味がわいただけだもの。暗殺拳なんてものをを使う人がどんな人なのかと思って見てみたくなっただけよ」
 こちらの動きを見透かしている姫菜が、落ち着いて答える。
「で、見た感想は? そもそもどこまで知っているんだよ」
「見た感想は、意外だったかな。暗殺拳なんて聞いていたから、どんなごっつい眼つきの悪い人なのかと思っていたけど、こんなイケメンの優男だとはねえ」
 姫菜は首を傾げた後裕輔を見るが、特に反応せずに黙っている。
「どこまで知っているのかは、結構知っているわよ。まずは、数千年にわたって大河家が受け継いできた、空手を基調とした暗殺拳ということ」
 人差し指を立てて左右を行ったり来たりしながら、自慢げに話し始める姫菜。
 裕輔は黙ったまま聞いている。
「人間が持つ命の力、精神力である『氣⦅き⦆』を、極限まで高め操ることで、人間が持つ潜在能力に至る、全能力を引き出すことを可能にする。そして、それにより超絶技の駆使が可能となる暗殺拳……よね」
 姫菜はそっと微笑み話を続ける。
「己の肉体が鋼鉄と化すほど、全身の筋力もアップする。加えて、スピードとパワー、反射神経なんかも常人の想像を遥かに凌ぐ。だから、さっきみたいに銃弾もなんてことないのよね」
「あれも見ていたのか? というより、いつからいたんだ?」
 裕輔は思いがけず口を挟む。
「いつからって、あなたが到着する前から、ずっとここで待っていたのよ。小松刑事の依頼をキャッチしたから」
「驚いたな。世界一というのは伊達じゃなさそうだな」
 素直に感心し始めている裕輔の警戒心は、次第に解け始めている。
「話を続けていいかしら? こんな凄い一族のことは広く知られていない。なぜなら、大河一族は、決して歴史の表舞台に立つことはなく、常に暗躍していたから」
 裕輔はそっと頷く。
「どうしてかと言うと、その時代その時代の権力には一切手を貸さないという不文律があるから。まあ、当然よね。だって、こんな超絶技を使う無敵の暗殺者が、時の為政者に加担してしまったら、独裁者による恐怖支配がはびこる世の中になってしまうものね」
 今度は姫菜が念を押すように裕輔に向かって頷いた。
「だからこそ、表には出ず、大河の力は他人の幸せのために使うようにして、大河一族が『使命』と呼ぶ暗躍を続けている……こんな説明でいいかしら」
「ああ。本当に知っているんだな」
 姫菜は自信満々でニコッと微笑む。
「ちなみに、あなたはその第五十六代伝承者で、身長は百七十二センチ、体重は六十五キロ。やせ型だけど均等に筋肉は付いているってとこかしら。現在都立日向川高校⦅ひなたがわこうこう⦆の二年生で、祖父は竜輔⦅りゅうすけ⦆。あなたに教えたのはこのお爺さんよね。父は大輔⦅だいすけ⦆で、代々の伝承者の中でも最強と言われている」
 ここまで聞いた裕輔は半ばため息交じりで言う。
「それだけ秘密を知っていて、本当に目的は何なんだよ?」
「だからぁ、興味がわいただけって言っているじゃない。それじゃ納得できない?」
「できるわけないだろう」
 裕輔はなおも真相を確かめようとする。
「あのさあ、考えてもみてよ。さっきも言ったけど首相のことだって丸裸で分かっちゃうような情報網の持ち主よ。そんな私が、お金があるわけでもないあなた達をどうしろって言うのよ。世の中のために良いことをしているのを止める理由なんて、それこそないじゃない。私はそこまで捻くれてなんかないわよ」
 姫菜が語気を強めて言い返す。
「急にそう言われたって、『はい、そうですか』とはいかないよ」
「意外と慎重派なのね」
 姫菜は素直に驚いて覗き込むように裕輔を見る。
「意外で悪かったな。なんせこんなトップシークレットの一族なもんでね」
「まあ、そうだけどさ。ただ、私は良い意味で、本当にあなた達の暗躍に興味があって……そう、むしろ私はあなた達にとっては、超都合の良い協力者になると思うわよ。仲良くしておいて損はないわよ、五十六代目さん、チュッ」
 ウィンクしながら、わざと太もも部分を捲し上げる真似をして、投げキッスをする。
 裕輔は、その仕草を無視してつっけんどんに問いかける。
「ふーん。で、結局のところ今日の用件は何なんだよ?」
「今日? それは、この目で確かめて挨拶をと思っただけよ。だから、今日の目的は果たしたわ」
 姫菜は微笑んで、また首を右横にかしげる。姫菜の癖のようだ。
「そうか……で?」
「でって、だから今日はこれでお開き。それじゃあね。明日は空手大会に出るから早いんでしょう? 早く帰って寝なさい、坊や」
「空手大会って、そんなことまで知っているのかよ」
「ふふん。私をなめてもらっちゃあ困るわよ、裕輔君。お父さんの『たまには世間の風にでも吹かれて来い』なんていう気まぐれで、嫌々エントリーしたんでしょう? それも調査済みよ」
「そんなことまで知っているのかよ、まったく。でも、凄くはないな。だってよ、さっきから自慢げに話しているけど、あんたのやっていることは、完全にただの違法……犯罪じゃないか。小松さんにしか言っていないことなんだから盗聴でもしたんだろう? 違うか?」
「そうね、確かに犯罪よね。でも、今の時代そんなことは世界中の国家や企業が皆やっていることよ。そりゃあ、自分のことを無理やり正当化する気はないけどさ、私はね、この能力を良い方向に使おうと思っているのよ」
「犯罪を良い方向に?」
「そう。だからこそ、あなた達に近づいた。素晴らしい能力を持った者同士がタッグを組めば、その効果は何倍にも膨れ上がると考えたからよ」
「ほう」
「安心して、情報だって使いようによっては、とんでもない兵器に早変わりするなんてことは百も承知よ。だから、私も道徳観から来る不文律はちゃんと心得ているつもりよ」
「なるほど。まあ、俺達のしていることだって、正当防衛とは言え傷害罪は傷害罪だからな。所詮は犯罪者同士か」
 裕輔は姫菜の言っていることを聞きながら、自分達のやっていることも所詮は犯罪の一部だと改めて感じた。
「そういうこと。ドゥー・ユー・アンダースタンド?」
「フ。これからのための挨拶……か」
「そ、ヨロシクね」
 姫菜は改めて笑みを称えて首を横に傾ける。そして、付け加える。
「そうそう。ついでだから教えておいてあげるけど、明日の参加者の中に、ちょっと変わった奴がエントリーしているわよ。まあ、似た者同士が引き合ったっていうか、所詮はそういう運命にあったのかもしれないけどね」
 ニヤニヤと意味ありげな表情で話す姫菜。
「どう変わっているんだよ?」
「ウフ。まあ、そこから先はお楽しみということで。じゃあね。今日は良いものを見せてもらったわ」
 そう言って、後ろ手に手を振ると、さっさと行ってしまった。
「おい。これからって言っていたけど、どう連絡取るんだよ?」
 裕輔が後ろ姿に向かって叫ぶ。
「必要な時には会えるわよ」
 姫菜はこちらに向き直って、後ろ歩きをしながら笑顔で答える。言い終わると、また振り返って行ってしまった。
「必要な時にはって……『私が必要と思った時には勝手に現れるから』ってことか。勝手な女だな、まったく」
 裕輔は去って行く姫菜を舌打ちしながら、姿が見えなくなるまで見送っている。
 すっかり姫菜のペースに引き込まれていた裕輔だが、姫菜のバイクの音だろうか、そのエンジン音で我に返り、急いで家路についた。

 第二話 変わった参加者
 
 五月の中旬の土曜日、首都京東⦅きょうとう⦆の臨海市⦅りんかいし⦆で全国高校生空手大会が開催されていた。
 会場には続々と出場者達が集まって来ている。
 裕輔は締め切り十分前に到着。
(ああ……眠いなあ)
 昨晩とは一変した、スイーパー時とは別人の裕輔が、眠気眼に重い足取りで受付に行く。
「おはようございます」
 受付係のお姉さんが笑顔で挨拶してくれる。
「おはようございます」
 裕輔は、それに合わせて、ニコッと挨拶を返した後、受付のハガキを探しているが、なかなか見当たらない。
 その間も受付嬢は笑みを絶やさず待ってくれているが、かえってその笑顔がプレッシャーになり余計に見つけられなくなる。
「あれ? どこだ……」
 焦る裕輔がふと内側のポケットに目を移す。
「ハハ、あった!」
 裕輔は、急いで取り出し受付嬢に笑顔で渡す。
「大河裕輔さんですね。開会式は十時からで、その後、このトーナメント表に添って順次試合開始となっています。進行につきましては、この進行表を参照して下さい。試合開始時間につきましては、常に会場の掲示板で確認するようにして下さい。開始時間に間に合わない場合は失格となりますのでご注意下さい。あと、これがロッカーの鍵となっていますので着替え後は必ず施錠下さい。貴重品につきましては、専用の預り所もありますので、必要に応じてご利用下さい」
 全ての説明を終えた受付嬢が、進行表と諸々の書類、ロッカーの鍵を渡した後、ニコッと微笑む。
(営業用スマイルとはいえ、こういう美人に微笑まれると気分がいいな)
 すっかり眠気も冷め、上機嫌の裕輔も笑顔で一礼し、会場の中へ向かう。
 その時、そんなフワフワ気分を一掃するかのように、正体不明なとてつもない殺気を感じ、立ち止まった。瞬時に氣が高まり眼つきも変わって、辺りに気を配るが、感じた殺気の出所を突き止めることはできない。
(な、何だ? 凄い殺気を感じたが……。気のせいか? ひょっとして、昨日姫菜が言っていた奴か?)
 昨日姫菜が言っていた『変わった奴』という言葉が頭をよぎる。
(今は特に何も感じない。でも、さっきは確かに……)
 出所は突き止められないが、次第に警戒心も解け、表情も和らぎ、いつもの飄々とした裕輔に戻る。
 会場に入り、選手控室へと歩いて行く。
 控室に入るや否や、再び異様な殺気を感じ眼つきが鋭くなる。
 周りの皆は、何も感じていないようで、それぞれにアップや、集中力を高めている。
 入り口付近で、ゆっくりと見回すと、控室奥のロッカー前に置いてある長椅子にいる選手からのものと判明した。
 頭から大きめのバスタオルを被り、すでに肩で息をし興奮状態のようだ。
 選手の前には他の選手の視界から遮るように、黒いサングラスをかけたスーツ姿の男が二人立っている。そのうちの一人が何やら話しかけている。
「じきに解放してやる。もう少しの辛抱だ」
 残念だが遠くから見ている裕輔には会話は聞こえない。ただ、異様な殺気だけは伝わってくる。
(変わった奴……か。きっと、あいつのことだな)
 姫菜の言う通り、今年も去年同様父の気まぐれの一言で参加となったが、今年は何となくだが、すんなりとは終わらない予兆を感じていた。
 憂鬱なまま、とりあえず着替え終わった裕輔はそのまま十時まで待った。
 十時になり、会場では開会式が始まる。
 出場者が一堂に集まっている中、やはり例の選手は異様な空気を漂わせている。
 他の出場者の中にも、妙に眼つきの悪い者や血気盛んそうな者はいるが、その選手が発するのはあくまでも殺気だ。
(意気込んでいるというのとは違うかな。一体何者なんだろう?)
 挨拶など聞く気もない裕輔は、飄々とそんなことを考えていた。そうこうするうちに開会式が終わり、いよいよ試合に移っていく。
 四つの試合場が用意されていて、一つではさっそく裕輔が試合をこなす。
試合前の挨拶を終え『はじめ』の合図と共に上段蹴りを首筋に決めて一瞬で終了。
「勝者、大河!」
 一礼を終え会場を後にし、ペットボトルを手に、とりあえず、観客席の空いている所を探した。
 運よく一番後ろの端っこが空いていたのでそこに座る。
 四つの試合場のうちの一つでは、良い感じで突き合い蹴り合いのバトルが繰り広げられている。この試合の勝者が次の対戦相手になる。
(ハハ、どっちが来ても別にかまわないな)
 二人の様子を見ながら、裕輔は余裕で微笑みお茶を口にした。飲み込んだ時に、ちょうど突きが決まり試合が終わった。
(二十分後か)
 他の試合との兼ね合いを考え算段した後、微笑む。各会場の試合も終わり順次試合は進んでいく。
 その一つに強烈な殺気を伴った例の選手が出て来た。電光掲示板の表示から、選手は加藤勝《かとうまさる》ということが分かった。
(へえ、加藤勝って言うんだ)
 立ち姿を見ると改めて異様さが際立つ。
 細い目から放つ眼光は鋭く、口はやや横に広い。髪の毛は肩まである黒髪でボサボサ。身長は百八十センチメートルくらいで、体重も八十キログラム以上はあるだろうか、腕や足も太くがっしりと引き締まった様子で、空手着の上からでも筋骨隆々なのが分かるほどだ。
 体格だけでも威圧感がハンパない上に、鋭い眼光と殺気を振りまいている。
「大きくて強そうな人……見た目はすごい人だね」
「うん。凄く大きいね」
 会場のあちらこちらから感想が飛び交う。
 殺気を感じているのは裕輔だけのようで、他の観客は、外見の印象にのみ驚いているようだ。
 試合場に上がってから、なかなか開始の合図が告げられない。対戦相手同士の礼がまともに成立しないからだ。
 何度か審判の指導を受けながらも、わずかだが首を縦に振ったようで試合が始まる。
 その刹那、見ていた観客達は度肝を抜かれた、裕輔を除いて。
 皆が息をのんでいる時、裕輔は持っていたペットボトルを床に落としてしまい、それを拾っていたため、その衝撃を見逃してしまった。
 加藤は、相手がフェイントをかけて繰り出した正拳突きを、それもろとも打ち砕くほどのパワーで突きを撃ち込んだ。相手は吹き飛ばされて転がり、一本それまで。
 裕輔同様、勝ち名乗りを受けるか受けないかで、さっさと歩いて行ってしまった。会場出口で例のスーツ姿の男二人に出迎えられている。
「す、凄い……」
 裕輔の前の席で見ていた女性が言葉を詰まらせている。
「うん」
 隣の連れと思われる男性も目を丸くし素直に驚いている。
 会場中から聞こえる歓声とざわめきで、裕輔が顔を上げた時、加藤はすでに出口付近にいる。
「ん? なんか騒がしいけど……あれ、もう終わっちゃったのか? あの殺気は伊達じゃないみたいだなぁ」
 裕輔は、殺気を振りまき去って行く加藤の後姿を眺めながら、のんびりと笑みを称え考えている。
 試合に集中している、どん欲に勝利だけを欲するという類の物ではない。完全に相手を潰す、 ただそれだけのために戦っているとしか考えられない物だから、気にはなるがいまいちエンジンはかからない。
(加藤さんと会うのは……ブロックが違うから決勝戦か。まあ、勝ち上がってくればだけど……ハハ、それは自分も一緒かぁ)
 トーナメント表で再度確認して心の中で笑っている。
 その後、時間が経ち昼になる。
 むろん裕輔も加藤も順調に勝ち上がっているが、自分の試合などもあり、結局加藤の試合を見ることなく午前中が終わった。

 第三話 姫菜と殺気に満ちた対戦相手

 会場内に設けられた簡易食事スペースに移動した裕輔は、奥のテーブル席に座る。そこで、コンビニで買ってきたおにぎりを食べ始める。
 他の参加者は数人で会話をしながら食べている者もいれば、裕輔のように一人で黙々と食べている者もいる。
 裕輔は買ってきた三つをさっさと口に放り込み、再び観客席に戻った。
 観客席に戻って、一息ついたところで若干の眠気を感じ目を閉じた。
 浅い眠りに入る頃だろうか。ふと昨晩の姫菜とのやり取りが耳の中で反芻された。
(何だったんだろうな、あの人。それにしても、凄い美人だったなぁ。謎の美女……加藤さんのことを知っているようだったけど……)
 心の中でニヤケているうちに十分くらい寝たようだ。
(ふぅー、少しでも寝ると楽になるもんだ。スッキリしたな)
 一息ついて体に力を入れて伸びをする。
「午後もバッチリってとこかしら?」
 突然、頭の上から姫菜の声が降ってくる。
「えっ!!!!」
 すっかり油断しきっていたため、驚きは隠せない。文字通り目を丸くして振り向く。
 そこには、先程まで妄想していた姫菜がいる。
 白いブラウスにジーンズ姿で春用の薄いカーディガンを羽織っている姫菜が悪戯っ子のように笑みを称えて、上から覗き込んでいた。
 見つめられていることで裕輔の狼狽は、一層加速する。一人勝手に妄想していたので、姫菜には分からないのだが、気恥ずかしくてすっかり動揺している。
 しかも、昨晩同様、油断していたとはいえ、全く気配を感じなかったことも裕輔の狼狽を手伝い、声が出てこない。
「あらあら、また見とれちゃった?」
 そんな状態になっているとは思わない姫菜は、軽い挨拶のつもりでからかう。
「え……い、いや……」
 姫菜は冗談半分で言っていることだが、図星なだけに、言葉に詰まる裕輔。
「『昨日もそうだけど、いきなり現れて何なんだこいつは? しかも気配も感じない。こんなことは初めてだ』ってなことでも考えちゃってる?」
 姫菜なりに、裕輔の頭の中を見透かして的確に言い当てたつもりだから、立て続けに質問してくる。
「え……ああ。姫菜さんは忍者かスパイなの?」
 遠からずも当たっていないわけではないのをいいことに、つられるように答え、ごまかす裕輔。
「どちらでもないけど、情報屋だからさ、まあ、気付かれないように近づくのなんか朝飯前よ」
「なるほどね。しかし、暗殺拳の使い手である僕に気付かれないってのは相当なものだよ」
 会話を続けることで、裕輔は、ようやく冷静になれたので、スムーズに受け答えをし始める。
(僕? ふふん、調査通り本当に普段は別人の優男ね)
 姫菜は心の中でそっと微笑んで会話を続ける。
「お褒めに預かれて光栄だわ。ところで、変わった参加者とはもう会ったのかしら?」
 姫菜は、裕輔の隣に座りながら本題に入る。
「会ってはないけど、見はしたよ」
「フフ、的確な答えね。それで?」
 姫菜は自分の膝に肘を当てて頬杖を突きながら尋ねる。
「異様な殺気を放っているね。強い弱いよりは、そっちの方が気になるかな」
「なるほど……殺気か。で、実力の方はどうかしら? あなたの見立ては?」
 満足そうに頷きながら、姫菜が聞いてくる。
「え? 見立てかぁ……」
「そう、見立て。あなたぐらいになれば、大体は見ただけで見当は付くんでしょう?」
「そうだなぁ……と言いたいんだけど、ちょうど見てなくてさ、ハハ、分からないんだよね」
 裕輔は照れ笑いをしながらあっけらかんと答える。
「はぁ? 見てないの? 何でよ?」
 あまりに予想外の答えに、姫菜は裕輔の方に顔を向け驚いて尋ねる。
「いやあ、試合開始と同時に、ペットボトルを落としちゃってさ。拾っているうちに終わっちゃったんだよね。まあ、キャップは閉まっていたから中身はこぼれずに済んだんだけど」
「そ、そう……それは良かったわね。ハハ」
 あっけらかんと笑いながら答える裕輔に、姫菜は呆れ果てて声が掠れている。
「うん。でも、一瞬で終わらせた上に、会場中が凄く湧いていたから、それなりに強いんじゃないのかなぁ。残念だけど、その後の試合もなんだかんだで見れていないんだよね。ハハ」
 呆れている姫菜をよそに、裕輔は平然と話を続ける。
「はぁー…………。まったく、スイーパーの時とは本当に別人ね」
 裕輔のことは、それなりに調査の上で近づいたのだから、分かってはいたが、実際に接っしてみると、これほどまでにギャップがあるのかと、改めて驚きため息しか出ない。
「ねえ、あいつは何者なんだい? 参加の目的は? 知っているんだろう?」
 そんな姫菜のことなどおかまいなしに、裕輔は姫菜に問いかける。
「ふぅー……まあね」
 姫菜は、答えをはぐらかし、そっと微笑む。呆れはするものの、笑顔で無邪気に聞いてくる裕輔に対して、なぜか腹が立たなかったからだ。
「まあねって、本当は知らないとか?」
 裕輔は姫菜の心情などおかまいなしに質問を続ける。
「まさか、少なくとも、あなたよりは、ちゃんと知っているわよ。でも……対戦して色々と実感してもらってから話すわ。その方が、あなたには分かりやすいでしょうから。とぼけてはいるけど、どうせ二人は戦うことになるんでしょう?」
 姫菜は裕輔の方を見て微笑む。
「まあ、二人が決勝まで負けなければね」
 裕輔は会場を見たままそっと微笑んだが、眼つきは一瞬だが鋭くなった。
「フ、あなたが負けるわけないでしょう? 全国大会とはいえ素人さんが相手なんだから」
 姫菜は裕輔の方を見て微笑みながら頷く。
「…………」
 裕輔は、無言のまま笑みを称え静かに頷いた。
 同意を得た姫菜は、会場を見ながら考えている。
(ふぅー、その眼を信じてるわよ。ホント、普段は飄々としていて掴みどころがないわね。でも、強さは本物のはず。今後の計画のためにも……ね)
 心の中でこう呟きながら。
 昼休憩が終わって、準々決勝、準決勝をこなす。
 裕輔は両方とも、一礼を終えて審判が『はじめ』と言ったと同時に、踏み込みざまに正拳突きを決め瞬殺で終える。
 相手が挨拶をして上を向いた瞬間から記憶が全くない状態で、勝ち名乗りを受けるから、あまりの速さに、周りで見ていた者が驚きざわついている。
 そのざわつきを背中に受けながら早々と試合場を出る裕輔。
 準決勝の後、試合場を出る時に加藤とすれ違う。相変わらず、突き刺すような眼つきで殺気を放ち息が荒い。
 加藤も気になるが、試合場の出入り口で待っているスーツ姿の男二人も気になる。前を通った時変な薬品臭さがした。
(ホルマリン? うーん、違うかな。饐えたような嫌な臭いだもんな)
 裕輔は考えながら姫菜の所に戻る。
「いよいよね」
「ん? ああ、そうだね。加藤さんも勝つだろうからね」
 さすがに、裕輔でも、姫菜との会話は半ばになった。加藤やスーツ姿の男達から感じたことを、頭の中で反芻しているから、返事も適当だ。
「どうしたの? 何かあった?」
 そんな状態を、姫菜が素早く察知して聞いてくる。
「え? ハハ、別に」
 裕輔は、特に説明せずに笑いながら、会場の加藤を見ている。
「そう」
 姫菜も少々引っかかるところはあったが、特に取り合うことなく会場に目を移した。
 そうこうするうちに準決勝のもう一試合が始まった。
 試合開始早々、対戦相手の十条という選手が一気に攻撃を仕掛けていく。突きや蹴りを撃ち込んでいくが、加藤は流れるように右へ左へすり足で動き回りよけている。
(へぇー、見かけによらず、案外器用そうだなあ)
 加藤が、今までと違って冷静に戦っているのが意外だった。しかし、それも敢えてのパフォーマンスだったようだ。
 十条が間を詰め鋭くかかと落としを放った時、加藤は避けるどころか、僅かに笑みを浮かべていた。
(笑った?)
 会場中で唯一裕輔だけが、その表情を見逃さない。
(よっしゃぁ、もらったあ!)
 十条が心の中で叫んだ瞬間、非情な形で試合が終わる。
「うがぁーっ!」
 気合を込めた掛け声というよりは、雄叫びと言った方が適切と思える声を発した加藤は、十条の足が当たる寸前に、無防備となった顔面目掛け剛拳を撃ちこんだ。
 十条は、まるで鉄の塊で殴り飛ばされたかのような衝撃を受け、血を噴き出しながら数メートル吹き飛ばされ床に転がった。
(…………)
 会場がざわつく中、裕輔は鋭い眼つきでこの対戦を見届けた。
 審判が急いで医者を呼んでいる。
 スピード、パワーどれをとっても人間離れしたその威力。射るような眼つき、そして、何よりも全身から放たれるあの殺気。
 喧噪の中、加藤はスーツ姿の男達の元へ戻り、試合場を出ようとしている。裕輔は、その姿を見えなくなるまで目で追う。
 すると、加藤は突然立ち止まり振り返って裕輔の方を見た。その刹那、いきなり落ち着かなくなりスーツ姿の男達になだめられ、半ば強制的に連れて行かれるように姿を消した。
(フ、加藤の奴、俺の視線に気付いて反応しやがったか。思わず俺も殺気を込めていたようで、それに反応したのか? まるで獣だな)
 目で追う裕輔は、無意識のうちにスイーパーモードになっていたため、眼つきもその時のものになっていた。
「凄い威力だったな。あんな大男が一瞬で吹き飛ばされちまったよ」
「今年の準決勝の勝者は凄いな。決勝戦もどうなるんだ? 大河もやばいんじゃないか?」
 会場中で決勝戦への期待を膨らませた会話が飛び交う中、遠くから救急車のサイレン音が聞こえてくる。
「酸素マスクも使っているわね……」
「うん」
 姫菜は予想していたようで、驚くどころか笑みさえ浮かべている。
 救急隊員達が担架で十条を搬送した後、場内にアナウンスが流れる。
『決勝戦は三十分後に開始します』
 裕輔は、アナウンスに特に反応することもなく、加藤が消えた出入り口を見つめ、眼つきや殺気、スーツ姿の男達のことに考えを巡らしている。
 考えている時、ふと視線を感じた。
 姫菜が試すような目で裕輔の顔を見つめている。
「ようやく、スイーパーモードになって色々考えているようね。改めて聞くけど、どう?」
「え? うーん、まあまあかな。あとは……色々ありそうだね」
 裕輔は、普段通りに戻り、それだけ言ってニコッと微笑む。
「そうね。感想はそれだけ?」
「うん、今はね」
「そう……じゃあ、対戦後にはちゃんと話してね? 私も知っていることを話すから」
「…………」
 裕輔は笑みを称えたまま黙って頷いた。
「それを楽しみにしているわ」
 そう言うと、そっと微笑んでウィンクをする姫菜。
 裕輔は、いつもの眼つき戻ってはいるが、会場を見つめ集中力を高めていく。
(すんなりはいきそうもないし、色々とお土産を持たせられそうだな)
 ようやく裕輔のエンジンがかかり始めた。

 第四話 いよいよ決勝戦! お前は一体何者だ!?

 試合開始五分前になり裕輔は試合場へと移動する。
 試合場へ続く階段を下りていく裕輔の背中を見送りながら、姫菜はそっと呟く。
「超人対化け物……か。私の見込み違いでないことを証明してよね、おとぼけさん」
 試合場に着くと加藤はすでに畳の上で待っていた。相変わらず、殺気をまき散らしながら眼をギラつかせ呼吸が乱れている。
 いい表現をすると、闘争本能むき出しという言い方になるが、どう見ても異常なまでの興奮状態だ。
(ひょっとして、ヤクでも射っているのかな?)
 そう考えると、興奮状態については説明がつくが、あの異様な殺気は説明がつかない。
 加藤を見ながら、審判に促され畳に上がり向き合った。
「はじめ!」
 向き合い、裕輔は頭を下げ、加藤は顔を若干動かすだけの一礼とは言えないような一礼をして試合が始まる。
「わあぁぁーっ!」
 会場中が興奮に包まれている中、裕輔は若干警戒している。お互いに様子を見ると思いきや、加藤が鋭く突っ込んでくる。
「うがぁーっ!」
 掛け声というよりは叫び声を上げ踏み込んでくる。踏み込むと同時に突きも放っている。
(…………っ!?)
 瞬間移動でもしたかのようなスピードで瞬時に迫り、鉄球のような剛拳が撃ち込まれる。
 そのスピードは祖父や父以上。辛うじてガードし受け止めたが、正直裕輔は面食らった。
(このスピードとパワー……我ら大河一族をも凌駕するんじゃ? 一体、コイツは……何者……いや、人間? 今までの試合で見せていたのは、ほんの一部だったんだ!)
 裕輔は人間離れした加藤のスピードとパワーを目の当たりにし、ガードした姿勢のまま、畳上で押し込められている。
 加藤も裕輔同様、準決勝までは手を抜いていたのだ。
(フ、俺同様手抜きで、ここまで来れるとは)
 そう考えながら、ガードした右腕を押し返した裕輔は、同時に蹴りを繰り出す。加藤はそれを察知し、突っ込んできたのと同様のスピードで素早く退き距離を取った。
 自然と体中に氣が込められていくのを感じる。意識したわけでもないのに、裕輔の本能がそうさせたのか、ギアが数段上がる。
「…………」
 あらゆる観客が興奮している中、一人無言のまま冷静に見つめている姫菜。
「があっ!」
 加藤は、またもや叫び声を上げ、今度は突きの乱れ撃ちで攻めてくる。
 すごいスピードとパワーで四方八方からのものだが、突きというよりは薙ぎ払っているという感じのものだ。
(この撃ち方は空手じゃない)
 加藤の攻撃、いや動き全体に言えることだが、格闘技をかじったものというよりは闘争本能のままの動きに思える。
(人というよりは獣と戦っているようだ)
 裕輔は、そんなことを感じながら、加藤の攻撃を腕でガードしたりはたいたりして防いでいる。
「凄ぇ攻防だな!」
「「「わぁー!」」」
 あちらこちらから歓声が上がり、会場は興奮のるつぼと化している。
(さすがは大河裕輔ってとこかしら。やっぱり対応出来るわね)
 姫菜は心の中で呟きほくそ笑む。
 加藤はひとしきり攻撃を終えると、また一歩下がり距離を取って構える。その構えの異様さに会場がどよめく。
 上半身を極端なほど前かがみに曲げ、右の手足を前に出し、手のひらは開かれ指は鉤型に曲げられている。眼光は相変わらず鋭く殺気は一層充満している。
「な、何だよ、あの構えは……」
 会場中から漏れ聞こえてくる声。さしもの裕輔も同感で驚いている。まるで獣が獲物を狙う時そのものだ。
(さあて、どうする、裕輔君? あちらさんは本気モードになったようよ)
 姫菜は自然と緊張してきている。
「ウゥゥー……」
 おまけに加藤は唸るような声まで上げている。
 戦う中で感じたことだが、加藤からは知性というものを感じない。本能そのものしか感じられない。
(コイツは一体……?)
 そんなことを考えていると、加藤がまた動き出す。
 相変わらず素早く、今度はジグザグに飛びながら間合いを詰めてくる。近づいたと同時に上に飛び上がり、クルクルと体を回転させながら、そのまま体当たりでもするかのように落ちてくる。
「な!?」
 裕輔はすかさず姿勢を低くして、前に飛び込み前方回転をして避ける。振り返ると同時に、加藤が着地した足で畳を蹴ってスレスレの低さで飛び蹴りをしてきた。
 かがんだ姿勢のまま、裕輔は腕をクロスしてガードする。加藤は裕輔の腕を支点にして蹴った足で勢いをつけ、後方宙返りをして再び距離を取る。
「なんか、凄ぇ動きだな!」
「常識外れだけど、曲芸みたいで、これはこれでアリかもな!」
「しかし、こんな予想外の動きについていくなんて、さすがは大河だ!」
 会場はこの攻防を好き勝手に楽しんでいる。
(常識外れの動き……か。そりゃあね)
 姫菜が自然と耳に入ってくる感想を聞きながら、ほくそ笑む。
 会場では裕輔と加藤が攻防を繰り広げている。
 加藤は、相変わらず予測不能な動きで、近づいては薙ぎ払うかのような攻撃をしてくる。
 裕輔も加藤の動きに合わせてガードしているが、このままでは埒が開かない。焦りからか、無意識のうちに裕輔の攻撃は自然と空転掌《くうてんしょう》になってきている。
 空転掌は、大河空殺拳の打撃の基本技だ。突きでも蹴りでも撃ち込む際に強烈な捻りを加え、相手の腱や筋へダメージを与える。
 氣が込められて来ているから、ギアも上がり眼もそれなりになってくる。
 そう、使命を果たす時の暗く冷たい暗殺者の眼に。
(ついにスイーパーモード解禁か)
 姫菜は緊張したまま、じっと見つめている。
「うがぁーっ!」
 加藤が再三叫びながら波状攻撃を仕掛けてくる。
「ちいぃっ!」
 裕輔は、思わず『大河真空斬⦅たいがしんくうざん⦆』で応戦してしまった。
 練られた氣により鋼鉄と化した突きや蹴りを、真空を起こすスピードとパワーで相手の急所に 的確に撃ち込む技。
 左足蹴りで、腰、胸、首に撃ち込まれた。真空状態に巻き込まれるため、相手は動きを封じられ自由に動くことが不可能になる。
 さすがの加藤も、ジリジリと真空に巻き込まれ思うようには避けられなかった。
「ぐはぁっ!」
 見事にヒットし加藤の動きが止まる。審判も裕輔の攻撃は見えていないが、加藤の反応で判断したのだろう。
「一本、それまで! 優勝は大河!」
 審判が裕輔の方を指さし叫ぶ。
 …………。
「「「「「「「「わあぁぁーっ!」」」」」」」」
 一瞬の間をおいて会場中から歓声が上がる。
「すげぇ試合だったな! 見ごたえ十分だぜ!」
「最後の攻撃は速すぎて見えなかったけど、やっぱり大河は強いな」
「加藤も凄かったな。俺応援していたから残念だよ」
 悲喜こもごもの感想が飛び交う中、加藤は一人興奮が収まらずなおも戦いを続けようとしている。
「うがぁーっ!」
「君、試合は終わりだ! 離れなさい!」
 審判が間に飛び込んできて加藤を諫める。
(真空斬を撃ち込んだのに、なんて奴だ! まだ動けるのか? コイツの筋肉も鎧と化していたのか? しかし、よく見ると騒いではいるが足は動かせない。やはり効いてはいるようだ)
 騒ぎ、ルールを無視して、まだ戦おうとする加藤を、暗く冷たい眼のまま見ながら、裕輔は混乱している。
「うぅぅー……」
 止めに入っている審判に組み付き獣のように呻いている。
 加藤の興奮状態が収まらないため、例のスーツ姿の男達も駆け寄り宥めている。やがて、落ち着くと半ば連行されるように会場を後にした。その際は二人の肩を借りて半ば引きずられるような状態だった。
 裕輔は騒然とする中、しばらくその様子を見ていたが、形だけの勝ち名乗りを受け引き上げる。
(フ.最後は空殺拳を使った、いえ、使わざるを得なかったのかしら。素人の私じゃ、そこまでは分からないけど捌けはしたわね。でも、ルールのない死闘だったら……)
 姫菜は冷静に分析し考え込んでいる。
 こうして空手大会は終了したが、裕輔は攻防の中で感じたことを整理できないでいる。
(加藤……一体何者なんだ? 明らかにただの参加者ではない。最後は俺じゃなかったら、本当に死人が出ていたかもしれない。奴は一体……。加藤もだが、一緒にいたスーツ姿の二人も気になる。何かが起ころうとしている……早いとこ姫菜の話を聞く必要があるな)
 裕輔は試合場を後にしながら、言い知れぬ不安を抱いていた。

 第五話 迫りくる陰謀の影

 表彰式を終え、裕輔は姫菜と一緒に会場を出た。その際もスイーパーモードのままだ。
「そうそう、優勝おめでとう。とりあえず言っておくわ」
 姫菜は隣を歩きながら社交辞令で笑いながら言う。
「ご丁寧にどうも。それより……」
「フフフ。慌てない慌てない。ゆっくり落ち着いてからね」
 姫菜は急いで本題に入ろうとする裕輔を笑顔で制す。
「今日は疲れているんだから日を改めましょう……ね?」
 そして、悪戯っ子のように微笑んだ。
「何言っているんだっ!? そんなことを言っている場合じゃないだろう! 早く話せよ!」
 思わず裕輔の語気が荒くなる。
(やっぱり、スイーパーの時は凄みが違うわね。フフ、こちらが本性なのかな?)
 別人と化した裕輔に、一瞬気圧される姫菜だが、上手に切り返す。
「ふふん。待てない男は嫌われるわよ。女には色々と準備が必要なのよ。だから……ね?」
 姫菜は冗談っぽく言うことで場を和ませようとする。
「何なんだよ準備って? 俺はただあんたの知っていることを教えてもらえばいいんだよ!」
 裕輔は興奮を抑えきれず、なおも食い下がる。
「それは分かっているわよ。話さないとは言っていないでしょう? それに、私も少し頭の中を整理しておきたいのよ。順を追って説明できるようにね」
 姫菜が真顔で、裕輔の方を見ながら説明する。
 いつもと違う、姫菜の茶化すことのない真剣な眼差しを見て、ようやく裕輔も落ち着いてきて、眼つきも元に戻った。
「分かったよ。でも、なるべく早くして欲しいな。加藤はただ者じゃないよ。何か嫌な予感がするんだ」
「ええ。分かったわ。早いうちに、どこかで会いましょう。あとで連絡するわ」
「じゃあ、連絡先を……って必要はないんだよね?」
「まあね」
 勝ち誇ったように両の手の平をヒラヒラ回す姫菜。
「ごめんねぇ、今日はデートしてあげられなくてぇ」
 そして、わざと片方の人差し指を顎に当て口を尖らせながら冗談を言う。
 裕輔もだが、姫菜もすっかりいつもの調子に戻っている。
「ハハ」
「もう、照れちゃって。フフ、じゃあね」
 姫菜は笑いながらそう言うと駐車場の方へ向かっていく。
(確かに美人だけど、いわくありすぎなんだよなあ)
 その後姿をため息交じりに見送った後、裕輔も地下鉄の駅へと向かった。

 駐車場に着き車に乗り込んだ姫菜は、片方の耳にイヤホンを付けボリュームを上げる。
 次第に二人の男の話し声が聞こえてくる。
 姫菜が盗聴しようとしているのは加藤一行の会話だ。

 その頃、加藤一行も都内の巣鷲⦅すわし⦆に向かう車中にいた。
「今日はうまくコントロールできたな。芹澤《せりざわ》君」
 車を運転している研究助手の芹澤に、研究所所長兼研究チーフの切干《きりぼし》が話し掛ける。
 芹澤は三十代の中肉中背の男性で、切干は五十代の頭髪は薄く腹が出ている男性だ。
「そうですね。デオキシコロニールで興奮させても、こちらの意図通り動かせたと言っていいんじゃないですかね。所長はどうお考えですか?」
 会場から都内の研究所に向かう車中では、今日の加藤についての評価が行われている。
 切干の隣には、頭からバスタオルをかけた加藤が大人しく座っている。
「そうだな。今までは暴走してしまうことがあったが、今日はデオキシコロニールの量もうまく調整できていたようだ」
「ええ」
「この間みたいに、興奮が抑えられずにいきなり飛び出すなんてことはなかったからな」
「はい。しかし、あの時は参りましたね。いきなり飛び出して人を襲ってしまったのですから」
「まったくだ。幸いうまく逃げてきたようだがな」
 切干は隣の加藤をチラッと見て苦笑いを浮かべる。
「しかし……あの少年、本当にX1⦅エックスワン=加藤⦆の動きについてこれましたね」
「うむ」
 決勝での裕輔のことが話題になる。
「変幻自在の動き、スピード、パワーにも対応できていましたね」
「ああ。……このX1の打撃にも耐えうる肉体、加えて変幻自在の相手への対応力……。あの情報は本当だったな」
 切干が顎に手を当てて裕輔の戦いぶりを思い出し、何やら考え込んでいる。
「何をお考えです?」
 芹澤がバックミラー越しに尋ねる。
「彼の戦闘能力と経験値だが、本当に素晴らしい。やはり、データとして収集したいと思ってな」
「そうですね。初対戦で、あの対応力は彼の経験値の高さを物語っていますから。あのスピードと防御力、攻撃時のパワーも相当な身体能力に起因しているでしょう。最後は、X1が動きについていけなかったし……」
「ああ。ぜひ大河裕輔のデータを収集したいものだな」
「もし収集出来たら、我々が目指す目標に一気に近づきますね、所長」
 芹澤が興奮を抑えきれないといった様子でニヤついている。
「おいおい気が早いな。しかし、その通りだ」
「所長、例の話を真剣に考えてみてはいかがでしょうか? 我々にとって損はないかと」
 芹澤が乗り気で提案する。
「そうだな。君もそう思うか?」
「はい」
 切干の問いかけに芹澤は力強く頷いた。
 湧き上がる興奮で、思わずアクセルを踏み込む。
「おいおい、興奮するな。ハハ、安全運転で帰ろう」
「あっ、すみません、つい」
 切干が冗談ぽく窘めると、芹澤は照れ笑いをしていた。

 …………。姫菜は、一通りの会話を聞いた後、イヤホンを外しエンジンをかけ車を出した。
「予想通り食いついてきたわね。もう一押しすればなおいいかな。そうなると次は……」
 満足そうに微笑んだ姫菜は、一人頭の中で計算機を弾く。
「よし、それで行こう。フ.次も頼んだわよ、裕輔君」
 何かしらの算段がついたようで、満足顔でアクセルを踏み込んだ。

 第六話 確実に何かが起こる

 昨日の夜に姫菜から連絡があり、裕輔は再び空手大会が行われた臨海市に向かっている。
 臨海市は、埋め立て地に作られた臨海公園を有し、その中には複合型商業施設や大会が行われた会場のような大きな全天候型の競技場も併設されている。
 地下鉄の駅を降り、人の波に乗り商業施設へと入る。
 そして、裕輔は姫菜に指示された六階にある中華料理屋の前に着いた。
 すると、姫菜から連絡が入る。
『中の奥のテーブルにいるよ』
 それを見て店内に入ると、姫菜が笑顔で奥から手を振っている。
 裕輔は席に着くなり尋ねる。
「何で中華料理屋で待ち合わせなんだい? 話すなら、普通はカフェとかだけど、珍しいね?」
「まあ、そうだけどさ、十一時半の待ち合わせだからランチタイムじゃない。ランチでもいかがと思ってね」
「そうなんだ。でも、僕は、しがない高校生だから、こんな高そうな店で食べるほどのお金なんか持ってないんだよなあ」
 裕輔は素直に金欠であることを伝え、苦笑いをする。
「そんなこと分かっているわよ。ここは奢るから、とりあえず、何かオーダーしましょう」
 姫菜はクスリと笑うとメニューを渡す。
 どれも、まあまあの値段で、普段裕輔が外食しているカレーや牛丼なんかとは比べものにならない。
「うわぁ、旨そうだなぁ。何でもいいの?」
 裕輔がメニューを見ながら尋ねる。
「ええ、遠慮なんかしなくていいわよ。昨日の祝勝会も兼ねてご馳走させていただくわ」
 姫菜もメニューを見ながら答える。
「じゃあ、これにしようかな」
「決まったのかしら? じゃあ、いいわね」
 メニューから目を離した姫菜が女子大生くらいのアルバイト店員を呼ぶ。
「私は、このAコース。選べる料理は春巻きで、ご飯は小盛にして下さい」
「僕はBコースで……セットの丼はてんつ丼で……」
「…………!?」
「…………!?」
 裕輔は笑顔でオーダーしたが、姫菜と店員は固まっている。
(ん? 何だ……この二人の反応は?)
そんなことを考えていると、姫菜が慌てて言い訳をする。
「バ、バカッ! そんな低レベルなネタでウケるわけないでしょっ! まったく、懲りないんだからぁ! いつも、こうなんですぅ。ハハ、すみません。天津⦅てんしん⦆丼でしょっ! 本当に、もう……大盛にしてあげて下さい。アハハ」
「え? あ、ああ、そう天津丼。アハハ、全然ウケなかったなあ」
 裕輔も慌てて、頭に手を当てて笑いながら、話を合わせてごまかす。
「……あっ、い、いえ、お気になさらないで下さい。ハハッ…………。えーと、Aコース春巻きセットのご飯小盛お1つとBコース天津丼の大盛お1つですね。かしこまりました。少々お待ち下さい」
 店員は、笑いをこらえた何とも言えない表情で頭を下げてから、その場を離れた。
 姫菜は、店員が去った後、ため息をついてから切り出す。
「ああ、恥ずかしい」
「ハハ、ゴメンゴメン……。あれ、てんしんって読むんだ、アハハ……」
「勉強は苦手って知っていたけど、本当に壊滅的にダメなのね」
「いやあ、それほどでも……」
「バカ、褒めているんじゃないわよ」
「アハハ」
「はぁー、普段の姿はてっきりお芝居なのかと思っていたけど、そのものだったのね」
 姫菜のボヤキは止まらない。
「え? 何のこと?」
「何でもないわよ」
 姫菜はため息をつきながら水を飲んだ。裕輔は、気にすることなく何事もなかったかのように平然としている。
「まあ……逆に、これくらいじゃなきゃ、あんな凄いことはできないのか……」
 姫菜は自分なりに納得したようで、そっと微笑む。
「そんなことよりさ、早く教えてよ」
 裕輔が急かすように切り出す。
「ん? うーん、その話はちょっとグロい内容になるから食事が終わってからにしない?」
「えー!? またあ?」
 いい加減はぐらかされてばかりなので、半ば呆れ気味に裕輔がボヤく。
「食べ終わったらちゃんと話すから、機嫌直して、チュッ」
 姫菜は、また悪戯っ子のようにウィンクをし笑みを称えて見つめる。
「うーん……しょうがないなぁ」
 裕輔がふてくされて返事をした時、オーダーした食事が運ばれてきた。
「おほっ、旨そうだなぁ」
「さっ、食べましょ」
 二人は舌鼓を打って食事を楽しんだ。特に裕輔は普段食べ慣れないものだから、余計に満足でき、すぐに機嫌も直った。
 食事を終えて、締めのコーヒーを飲み二人は店を出た。
 昼時なのと日曜日というのもあって家族連れで賑わう中、エスカレーターで下まで下りていく。建物を出ると、姫菜は海に面した公園の方へと歩いて行く。
 裕輔も特に何も言うでもなく付いて行く。
 海に面した所まで来ると、人との距離もよい感じで離れているので、姫菜は振り返って、手すりにもたれかかり、後ろから歩いてきた裕輔と対面する格好になった。
 それを合図に姫菜が話し始める。
「二週間前に都内の巣鷲で通り魔事件があったのは知っているかしら?」
「確か、被害者が二人の?」
「ええ。やっぱり、そういう事件なんかはきちんと把握しているのね」
「一応はね」
 裕輔のその答えにそっと頷いた姫菜が話を続ける。
「その事件なんだけど、まあ、調べてみるとこれがまた……」
 話を聞きながら、裕輔も手すりの所まで来て、海を見つめている。一呼吸おいて姫菜は話を続ける。
「報道されていない部分の話なんだけど、被害者の状況と逃げる犯人の動きがどうも妙なのよ」
「妙?」
「そう。見た目は人間のようだけど、逃げる姿があまりにも変わっていたって言うの」
「ふーん、さすがは情報屋だね。報道以外のことまで知っているなんて」
 裕輔が脱帽とばかりに微笑んで言い、海を背にして手すりにもたれかかる。
「ええ。目撃者から直接聞いたことだから間違いはないわ」
 姫菜はチラッと裕輔の方を見て微笑む。
「そうなんだ。それで?」
「その人が、悲鳴を聞いて駆け付けてみると、走り去る姿は、まるで動物のようにすばしっこく、軽いステップで飛び跳ねるように動き、数メートルの壁を跳び越えて行ったって言うのよ」
「へえ」
 裕輔は、話を聞きながら、昨日対戦した加藤の様子を思い出す。
「あの加藤の動きや様子はどう?」
 そんな裕輔を察している姫菜が覗き込むように尋ねる。
「当てはまる……かな」
 まっすぐ前を見ながら、裕輔は返事をする。
「それに、知性のかけらもない、闘争本能剥き出しの獣ってとこだったよ。僕じゃなきゃ捌けなかったんじゃないかな。だって、恥ずかしながら最後は空殺拳を使っちゃったから」
「やっぱり……」
 裕輔の率直な感想が、的を得た回答だったため姫菜は満足そうに頷いている。
「殺人の状況も凄惨で、一人は首の骨が折られ、もう一人は胴体がもの凄いパワーで引きちぎられたような状態だったらしいわ」
「…………」
 裕輔は昨日見た加藤の言動と被らせ確信し、瞬間眼つきを鋭くした。
(アイツなら可能な犯行だ)
「私も、会場で加藤の所作を見て確信したわ。犯人は、こいつだってね」
 姫菜は体ごと反転し、海を見ながら頷いている。
「あんな人間離れした奴を率いて、一体何をしようとしているんだい? 一緒にいたスーツ姿の奴らが主なんだろう?」
「ええ。巣鷲プリズンの跡地の建物に陣取って何かをしているってことと、その建物の所有者が食品会社の鉢巻⦅はちまき⦆フーズっていうことは分かっているわ」
「ふーん。ところで、巣鷲プリズンって?」
「フフ。やっぱり知らなかった? よしよし、素直でいいわね。説明するわ」
 姫菜は笑いながら裕輔の方を見て説明した。
 巣鷲プリズンとは、約八十年前の第二次世界大戦中に建てられた刑務所で、戦前から戦後にかけて様々な悲劇を繰り返してきた刑務所だ。
 数十年前に解体されたが、現在その跡地は最近業績を伸ばしている鉢巻フーズが所有している。
 そして、新しい建造物を建て、今また新たな悲劇が引き起こされようとしている。
「巣鷲プリズンって、そういう所だったんだ。じゃあ、それだけでも十分いわくつきだね」
「そうね」
 姫菜は頷いて海を見つめたまま、付け加える。
「何かとんでもないことを起こそうとしていることは確かよ」
「ふーん」
 裕輔はため息交じりに返事をして、相変わらず手すりにもたれかかり、海を背中に公園内を見ている。
「これからは?」
「継続して調査を進めるわ。何かあったら、その時はヨロシクね。お姉さんはか弱い女子だから」
 姫菜はそう言うとそっと微笑んで首を横にかしげる。
「何かあったらって、確実に何かはあるだろうね。さっそくお客さんが来たみたいだし、ハハ、一回の食事じゃ割に合わないよ」
 裕輔は笑いながら顎をしゃくって姫菜に教え、氣を高めていく。
 姫菜が振り返って見ると、遠くから視線を送る、サングラス姿の男と加藤、あとは見たことのない二人の男が映る。
「本当。さっそくあなたの出番みたいね」
 姫菜も微笑んで、スイーパーモードになった裕輔に視線を送る。

 第七話 襲撃開始、手荒く歓迎してみようか

 裕輔は、驚くよりも納得して微笑んでいるように見える姫菜に、冗談半分に尋ねてみる。
「何でここに、このタイミングで現れるんだ? まさか、あんたが招待したとか?」
「てへっ……食後の運動にいいかなと思って」
 姫菜は、肯定も否定もせずに悪戯っ子のようにはにかんでいる。
「へ!?  冗談で言ったんだけど、本当なのかよ!?  食後の運動って言うのは、こう、何て言うかさあ、もっと穏やかなものを言うんじゃないのか?」
 裕輔は呆れながら掠れた声で言う。
「そうぉ? あなたには、こういう激しい方がいいのかなぁと思って」
「何がどう思って、そう考えたんだよ」
「うーん……ウフ、女の勘かしら」
 姫菜は冗談を言って首を横にかしげて微笑んで続ける。
「まあ、美味しいものご馳走してあげたんだからさ、しっかり運動しなさいよ」
「何が運動だよ、まったく。あんたの考えていることは全然分からないよ。第一、何て言って呼んだんだよ?」
「え? ああ、それね。昨日の決着を着けてやるから昼過ぎに臨海市の公園に来いって、あなたの名前で書いた手紙を郵便受けに投函しておいたのよ。でも、まさか、本当に来るとはねぇ」
 姫菜は他人事のように首をかしげている。
「おいおい。呼ぶ方も呼ぶ方だけど、来る方も来る方だな。今時そんなんでよく来たな」
 思わず裕輔はあきれ果てて声が掠れている。
「本当よねぇ。何かよっぽどのことでもあるのかしら?」
 姫菜は人差し指を顎に当てて微笑んでいる。
「他人事でいいな、あんたは。考えるなら、もっといいことを考えてくれよ」
「ええー? いいことだと思うんだけどなぁ」
「こんな状況作っておいて、よく言うよ」
 いよいよ、加藤達が攻防可能な間合いに入ってきたので、裕輔は、迎撃態勢を取りながらボヤく。
「だってぇ、情報って何かアクションを起こさないと得られないからさあ」
「だから、こうしたって言うのかよ?」
「うん」
 姫菜は満面の笑みで頷いて首を横に傾ける。
「まったく、勝手な女だな」
 呆れながら、裕輔は加藤の初手である突っ込んでからの薙ぎ払うかのような突きを受け止めた。
「ちぃっ!」
 昨日とはパワーもスピードも段違いの攻撃だ。
「うがぁーっ!」
 さらに、スピードを増して襲い掛かり、薙ぎ払うかのように両手を振ってくる。
「くっ」
 裕輔はとっさにガードし、身を引いて避ける。
(さあ、アピールタイムよ、裕輔君。しっかりね)
 人差し指を顎に当てて心の中でほくそ笑み呟く姫菜。
 加藤はジグザグに飛び跳ねたりしながら蹴りなどで攻撃してくる。裕輔は体を上下左右に素早く動かすだけでかわしていく。
(かわすのはいいけど、そろそろ攻撃を見せて欲しいわね)
 この心の呟きが聞こえたかのように裕輔が攻撃に転じる。
 加藤の攻撃が一段落したところで、一気に間合いを詰めると加藤の攻撃の起点となっている、 両腕の胴体との付け根部分に突きを入れる。
「ぐぉっ!」
 加藤は呻き声を上げ瞬時に動きが止まる。
 裕輔はこの瞬間を見逃さない。加藤の動きが止まったところを左横腹に蹴りを入れる。
 避けきれない加藤はモロに食らってしまい数歩下がって間合いを取る。
(フフフ、期待通りってとこかしら)
 姫菜は納得してほくそ笑みながら、再び攻防を繰り返す二人を見ている。
(今のは空殺拳?)
 空殺拳はそれ相応の場面や相手でないと使わない。今はまだ裕輔は様子を見ている段階だから空殺拳は使っていないが、むろん素人の姫菜には分からない。
 そんな姫菜に突然火の粉が降りかかってきた。
「何、一人だけ高みの見物決め込んでんだよ! ほら、あんたにもお客さんが来たぞ!」
 攻防を繰り返しながら叫ぶ裕輔の声で、はっとして驚く姫菜。
「え!?」
 姫菜が驚いて見ると他の二人が近づいてきている。
「ちょ、な、何で? 聞いてないんだけど……」
 二人共やや前かがみで唸り声を上げている。
「ウゥゥー」
 一人が素早い動きで飛びかかるように姫菜に襲い掛かかった。
「ちょ、ちょっと!」
 慌てながら、姫菜はとっさに持っていたバッグで顔を叩き蹴りを繰り出し、後ろに飛んだ。
「グゥゥ……」
 最初の一撃をかわされた男は、なおも唸り声を上げながらジリジリと詰め寄る。もう一人も姫菜の退路を断つように回り込んでくる。
「ねえっ! か弱い女子のピンチよ! 助けなさいよ!」
 姫菜は後ずさりしながら裕輔に向かって叫ぶ。
「はあ? 自分で蒔いた種だろう? 少しは自分で何とかしてくれ」
 加藤との激しい攻防を繰り広げながら返事をする裕輔。
「何とかって、それができないからお願いしているんでしょう!?」
「面倒なてんつ丼だな」
 裕輔は激しい攻防を繰り返してはいるが、余裕の笑みを浮かべて言う。
「冗談言えるくらい余裕があるんだから、ランチ代くらいは働いてよね!」
「はいはい」
 ボヤキながら裕輔は、加藤が腕を振った瞬間に、真空斬を一発蹴りで撃ち込んだ。避けきれない加藤は動きが止まった。
 その隙に姫菜の元に急行し、二人が襲い掛かってきたところを突きを繰り出し防いだ。
 二人は攻撃というよりは噛みつこうとしてきたように見えた。幸いノーガードで飛び掛かかってきたから、撃ち込むのは容易だった。
(まさに獣だな。何なんだ、こいつらは?)
 裕輔は三人の攻撃や仕草を見ながら、改めて異常さを感じている。
(ふぅー。この程度はなんてことないようね。普段の飄々としていて掴みどころがないのとは全くの別人だわ)
 姫菜は難を逃れ安心したところで、裕輔のことを冷静に分析している。
 簡単にあしらわれた三人は、すぐに態勢を立て直している。
(さすがに、三人はきついな)
 裕輔は一気に氣を高めていき、空殺拳を解禁していく。
 加藤が間合いを詰めて両腕を薙ぎ払ってくる。
 裕輔は他の二人の攻撃にも備えるため左半身の姿勢で構え、気を配りながら、加藤に大河空殺拳の技の一つ大河空転乱舞《たいがくうてんらんぶ》を突きで撃ち込む。
 大河空転乱舞は、込められた氣を衝撃波として肉体の内部に送り込む技のため、骨が撃ち砕かれるダメージを与える。
「グハァーッ!」
 撃ち込まれた加藤は、呻きながら片膝をついた。
 しかし、骨が砕けるほどの致命傷とならなかったのは他の二人のおかげだ。
 裕輔が撃ち込むと同時に襲い掛かってきたため、氣が散乱し通常の威力とはならなかったからだ。
 同時に襲い掛かった二人には、左足を軸に右足で回し蹴りを撃ち込んでいく。
 裕輔の速さが尋常ではないため、二人はかわせずに吹き飛ばされた。
 この様子を見ていた姫菜が微笑んで呟く。
「フフ、想像以上だわ。十分なアピールにはなったかな」
 そして、自身の計画通りに事が運び、姫菜は悦に入っている。
 そんな時、周りにいた家族連れやカップルが異変に気付き騒ぎ出した。
「おい、ケンカだぜ!?」
「警察に連絡した方が」
 それらの声に押されるように一歩引いたところにいたサングラスの男が声を掛ける。
「X1⦅エックスワン=加藤⦆戻れ! 今日はおしまいだ! 2⦅ツー⦆、3⦅スリー⦆もな!」
 その声に従い、臨戦態勢を解き急いで引き上げる三人。
「大河君、今日はギャラリーが邪魔だったが、君には御協力願いたいんでね。いずれまた」
 サングラスの男が裕輔にそう言い捨て、さっさとその場を離れていく。
「俺に協力願う……? 一体何のことだ?」
 去って行く四人を見つめながら、捨て台詞の意味を考えていた裕輔は、我に返り、周りで騒然としている人々の眼が急に気になり出した。
「おい、どうするんだよ?」
 困って姫菜に問いかける。
「大丈夫よ。切り札はあるから」
「切り札?」
「これよ」
 そう言うと姫菜は素早く黒い手帳のようなものをバッグから取り出し叫んだ。
「ご安心下さい。警察です! 捜査の一環のことなので騒がないようにお願いします!」
 相手が聞き返す間を与えないように素早く説明をしながら、パッと手帳を提示してバッグにしまう。
 もちろん。持っていた物は偽の手帳だが、警察という言葉と提示したという事実で十分ごまかせたようだ。
 皆納得はしていないだろうが、関わり合いにもなりたくないようで、その場はそれで収まった。
「さ、急いで」
 姫菜はいかにも四人を追いかけるような仕草で裕輔を促して走り出し、その場を離れる。
 裕輔も促されるがままに走り出す。
「うまくごまかせるもんだな」
「まあね」
 姫菜は走りながら、裕輔の方を見て舌を出し微笑む。
「しかし、あんたの考えていることは全く分からないよ。突拍子もないことしやがって」
「ウフフ。まあまあ」
 姫菜はボヤく裕輔をチラッと見て微笑む。
「でも、あんたの言う通り、確かにアクションを起こしたから、新たな情報が得られたな」
「そうね」
 姫菜は裕輔を見ることなく頷く。
「俺に協力願いたいって言っていたけど何のことだか分かるか?」
「さあ?」
「見当もつかないのか?」
「うん。探ってみないとね」
 チラッと裕輔を見て笑顔を見せる姫菜。
 しばらく走り人混みが途切れたところで歩を緩める。
 先程のことで、裕輔が色々と考えを巡らしている時、ふと姫菜が呟く。
「彼らの進める計画の中で、あなたの何かに興味を持ったんでしょうね、きっと」
「昨日戦ったことでか?」
「おそらくね……ウフフ、人気者はつらいわね」
 姫菜は微笑みながら裕輔を見る。
「あんな奴らに好かれてもいい気はしないな」
「まあ、そう言わずに次を考えましょう」
 姫菜は覗き込むように見ながら微笑む。
 裕輔は思わず目を逸らし照れ隠しをする。そして、姫菜のその仕草ですっかり、いつもの裕輔に戻った。
「ふーん。で、今後はどう動くの? あちらの行動待ち?」
 姫菜はしばらく考えた後、思い立ったように切り出す。
「そうね、あなたにばかり負担掛けちゃ申し訳ないから、私は、いよいよ本丸に忍び込んで探ってみようかな」
「本丸って?」
「巣鷲プリズン跡地の建物そのものよ」
「ああ、そういうことか」
「そう。虎穴に入らずんば虎子を得ずってね」
 姫菜は力強く頷き微笑む。
「そりゃそうだけど……まさに虎穴だね。危ないよ」
「ええ、承知の上よ。外からばかりじゃ分からないもの。仕方がないわ」
「そうだけど……何かあったら、すぐに連絡を」
「ええ、頼りにしているわ。じゃあ」
 ひとしきり会話が終わり微笑むと、さっさと駐車場の方へ歩き出す。
(フフ。何とか計画通り行きそうだわ)
 姫菜は心の中でそっと呟きほくそ笑んでいる。
 その後姿を見ている裕輔も特に引き留めるでもなく、地下鉄の駅に向かった。
「ふぅー。小松さんから頼まれたとはいえ、振り回されっぱなしってのは、やっぱり疲れるな」
 裕輔はため息をつきながら振り返り、去って行く姫菜の後姿を見送って、小松刑事と連絡を取った。

第八話 姫菜の暗躍
 
 姫菜は自宅マンションの駐車場に車を停め、エレベーターで部屋のある十階まで上がる。
 部屋に入り、とりあえずシャワーを浴びようとバスルームに向かった。
 服を脱いで、髪の毛を束ね浴室に入り、コックをひねると勢いよくお湯が飛び出し、程よい強さで体を叩く。
(ふぅー)
 張り詰めていた緊張感から一気に解放され、思わず吐息が漏れる。
「大河裕輔の強さは本物だわ……」
 体中にお湯を当てながら、先程までの裕輔の格闘シーンを思い出す。しかし、結果や言葉とは裏腹に何か気持ちの歯切れは悪い。
「…………、よし!」
 歯切れの悪さを断ち切るように、自分の両頬を軽く手のひらで叩いてから、コックをひねってお湯を止めた。
 浴室を出て体を拭き、髪の毛を束ねていたゴムを取る。そして、バスローブに身をまとってリビングへと向かう。
 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、グラスに適量を注ぎ一口飲んで、ドレッサーに座る。
「でも……」
 そこに映る自分の顔を見ながら、やはり気がかりは払拭できず不安げに呟き、しばらく、考えを巡らしている。
「今更考えても仕方がないか」
 ニコッと微笑んで、そう呟いた後、メイクを始める。

 その頃巣鷲プリズン跡地では、臨海市から四人が戻ってきていた。
「ただいま戻りました」
 芹澤がX1、2、3を実験部屋に移した後、事務室に入ってきた。
「ごくろうさん。で、どうだった?」
 待ちかねていた切干が、中央に置いてある応接セットのソファから、急かして聞いてくる。
「ええ。予定通り戦いましたよ」
 芹澤がコーヒーを入れながら話す。
「ほう。それで?」
「大したものですよ、あの大河裕輔は。本気のX1と互角に渡り合いました」
 芹澤が切干の前にもコーヒーを置いて、向かい合って座る。
「ルールなしの戦いでも互角か」
 切干は頷きながら聞いている。
「はい。しかも、途中からX2,3への対応も交えて」
「三人まとめてか?」
 報告を聞いて驚く切干に、芹澤は裕輔と三人の格闘の詳細を話した。
「それは凄いな」
「ええ」
 ここまで話して二人は一息つきコーヒーを口にする。
「こうなると、ますます戦闘データが欲しくなるな」
 切干がニヤリと笑う。
「本当ですね。あの経験値を踏まえた戦闘データが加われば相当なものになりますよ」
 芹澤も笑みを称えている。
「ふぅー、さて、どういう方法を取るかだが……」
 ここまで切干が話した時に電話が鳴った。
 切干が、立ち上がることなく、体をひねって、すぐ後ろの自分のデスクの受話器を取る。
「はーい。切干さん、志暮姫菜よ」
「フ、やっぱり、あんたか」
「そろそろ、報告を聞いた頃合いだと思って」
「ああ、今聞いている所だ」
 切干が目配せで電話の主が姫菜であることを芹澤に伝え、スピーカーのスイッチを押す。
「今のところ、うまくいっているわ」
「そのようだな」
「まあ、私に協力すれば、あなた達も大金を手に入れられるわ」
「本当に、うまくいくのかね?」
「ええ」
 姫菜は自信満々で返事をする。
「あなた達の研究成果を欲しがる国は引く手あまたよ。うまくいけば、大金はおろか、科学者として破格の待遇での招聘だってあり得るわ」
「ほう」
 切干と芹澤は目を合わせてニヤリと笑う。
「考えてもみなさいよ。自分の意のままに操れる獣人達、それに、X1とあれだけ渡り合える大河裕輔の経験値が加わわったとしたら」
「フ、最強兵器の誕生だな」
「その通りよ。今日ので彼の凄さは十分証明できたでしょう?」
「ああ、聞いたよ。一瞬でX1を捌き、君の元へ駆けつけてX2、3を蹴散らしたそうだね」
「ええ。そのあとは三人まとめて相手をしたわ」
「攻撃力、防御、何よりも瞬時の判断力……どれをとっても素晴らしい。特に彼の経験を元にした判断力は。こればかりは入力データでは追い付かない」
 切干は、経験したことを応用できる人間の持つ力と感性を超えることのできない科学の限界を憂えている。
「それは仕方がないわ。でも、だからこそ、少しでも戦闘能力の高い人間の経験値が必要なんでしょう?」
「ああ、そうだ。我々科学者には、少しでも新しい、優れたデータをインプットしていくという方法しかないからね」
 姫菜は切干の口から出た『科学者』という言葉に、受話器の向こうで苦笑している。
「それには、まさしく彼はピッタリでしょう?」
「ああ」
「より完成された生物兵器を開発すれば、あなた達の将来は未来永劫ハッピーよ」
「フ。仲買人として紹介した君のマージンも破格の物だろう?」
「そりゃあね。あなた達だって、鉢巻フーズに安く雇われて、いいように利用されているのは癪でしょう?」
「まあな。だからこそ、君の話に乗っかったんじゃないか」
「そうね。お互いウィンウィンの関係ってとこだものね」
「ああ。で、今後はどうするつもりなのかね?」
 切干が今回の電話の本題に入る。
「大河裕輔の戦闘データは必要でしょう?」
「是が非でもね」
「後でそちらにお伺いするわ」
「来て、どうするんだ?」
「簡単。調査の潜入に失敗して捕まったってことにして、そこにおびき出すのよ。そうすれば、データの収集もバッチリでしょう?」
「それはそうだが、果たして来るのかね?」
「大丈夫よ。来るようにエサは蒔いておいたから」
「そうか。じゃあ、色々と準備をして待っているよ」
「ええ。それじゃあ……フフ、一緒に聞いている芹澤さんにもヨロシクね。いいお芝居だったわよ。でも、私まで襲わせるとわねぇ」
 姫菜はチクリと不満を漏らす。
「ハハ、ああすれば、彼が三人相手をする場面を作れると思ったんでね。それに、手加減はするように言ってあったから怪我なんてしなかっただろう?」
 芹澤がすかさず説明に割って入る。
「ええ、まあね」
「おかげで、彼の能力の高さも実証できたじゃないか」
「そうね。まあ、いいわ。それじゃあ、また後で」
 そう言うと姫菜は電話を切った。
「フ、女狐が」
 切干は悪態をついて受話器を置く。
「持ってきた話は魅力的ですが、何とも信用には足りませんからね」
 芹澤も曇った表情で言う。
「まったくだ。ああいう輩は信用できん。しかし、まあ、利用価値はあるからな」
「ええ。何と言っても、最強の生物兵器の完成には役に立ちそうですからね」
「ああ。まあ、いざとなったら消せばいいだろう」
「そうですね。その手の専門家はいくらでも知っていますから。企業の不利益となれば、鉢巻フーズの幹部もすぐ動くでしょうし」
「ああ」
 二人はここまで話してほくそ笑んだ。
 その時、事務室の外の実験室から悲鳴のようなものが聞こえたため、芹澤は急いで様子を見に行く。
「ガァ、ガァ」
「キーッ、キーッ」
 実験用の動物達が何やら騒いでいる。
 実験室の奥には、猿、ドーベルマン犬、猫、それに頑丈な檻に入れられている熊やライオン、虎、チーター、ゴリラなどといった猛獣までいた。
 その隣の厚い壁で隔たれた一室には、透明な大きい試験管のようなものの中に、体中に様々なコードが付けられたX1と呼ばれていた、あの加藤がいる。そして、今日裕輔が蹴散らしたX2、3も。
「ウゥゥゥー……」
 X1達は鋭く眼光を光らせ呻いている。他の動物達が、その呻き声に反応し騒ぎ出したのだ。
「どうした?」
 遅れて来た切干が芹澤に尋ねる。
「X1達の点検が終わったようで目覚めたみたいです」
「そうか。こいつらに大河裕輔のデータが加われば、さらに強化された生物に進化できる」
「そうなれば、いよいよですね」
「ああ」
 切干と芹澤は期待に満ちた顔で頷き合っている。
「ジュールキシリンを注入します。そうすれば落ち着くでしょうから」
「そうだな。だいぶ薬品調整も分かって来たな」
「はい」
 芹澤は満足そうな笑みを浮かべパソコンを操作する。
 その時、切干がいきなり提案する。
「待ちたまえ芹澤君、ちょうどいい機会だ。X1とあの虎を戦わせてみようじゃないか」
 X1に反応して興奮している虎を見て笑っている。
「そうですね。昨日大会に出て経験値が、どれだけ上がっているのかを計るのにいいかもしれませんね」
「ああ。大河裕輔とも二度対戦しているしな」
「ええ」
 そう返事をして芹澤が戦わせる準備に入った。
 実験室内の鉄のフェンスの中にX1を移動させ、虎の檻の前に立たせる。
「ウガァーッ!」
 X1に向かって、興奮しきった虎が威嚇するように雄たけびを上げている。
「準備はできました。じゃあ、始めます」
 そう言うと芹澤は虎の檻の柵を上げるスイッチを押した。
 虎は下の部分が少し開いたところで、急いで頭を入れて柵をこじ開けようとしていきり立っている。
「ガアァーッ!」
 柵が半分まで開いたところで虎は飛び出した。
 X1はじっと睨みつけ威嚇する。その威嚇に反応した虎は、たまりかねて襲い掛かる。
「グゥゥー……ガアァーッ!」
 虎はまっしぐらに突進していく。X1は、若干半身になるように攻撃をかわして一気に頭を薙ぎ払った。
「ギャイィーンッ!」
 攻撃を食らった虎は飛ばされるように床に転がる。その虎に駆け寄ったX1は容赦なく、追い打ちをかける。
 完全に威嚇され縮み上がり戦意喪失となった虎に猛攻を仕掛ける。
「ウガァー!」
 最後には雄たけびと共に虎の腹に薙ぎ払うかのような突きを撃ち込んだ。
「グガッ……ァ、……ァ……」
 虎は、腹を突き刺され目をカッと開いた後、大量の血を流しながら絶命した。
 その様子を切干は満足そうに笑みを称えて見ている。
 頷きながら見ていた芹澤が切干に告げる。
「所長。経験を積めば確実に強くなりますよ。私は今確信しました」
「ほう。それは?」
「今のX1の動きですが、攻撃をかわした時、半身になりましたよね。あれは、大河裕輔との戦いの中で身に付けたものですよ」
「そうか。やはり必要だな。戦闘データは」
「ええ。まあ、あの女は胡散臭いですが」
「ああ。まあ、利用するだけ利用したら……」
「ええ」
 二人は目を合わせてほくそ笑んだ。
 芹澤は実験用カプセルにX1を戻し、興奮を抑えるジュールキシリンの注入を開始する。
 やがて、薬品が注入されるにしたがってX1の興奮は収まった。
 ちなみに、この研究所内には二人しかいない。定時巡回と夜間のみ飼育員が滞在することになっている。むろん、飼育員達はここで行われていることの本当の趣旨は明かされていない。鉢巻フーズの幹部と、その取引先が情報漏洩を恐れているからだ。
 なぜなら、今この研究所で進められていることが、悪魔の領域に行きつこうとしている事だから。
 秘密裏に行われている悪魔の領域への道、それは、土台となる人間に、動物の遺伝子情報を交配させた細胞を移植し、さらに進化や筋肉強化を促す物質を注入して、獣人を誕生させること。
遺伝子操作、組み換え、交配、これらの行為が生物学上に及ぼす影響は計り知れないものがあり、本来ならば、慎重な議論を重ねた上に進められるべきことである。
 しかし、鉢巻フーズの幹部達の欲望は、そういったことなどお構いなしに膨れていった。その欲望はとどまることを知らず、切干達に命じ、さらにその上を行く領域に踏み入ろうとしている。
 それは、生み出された獣人を、自分達の意のままに操る段階にまで引き上げようとすること。
意のままに操れる生物兵器を作り出し、それを必要としている、世界の紛争地域や為政者達へ輸出することを目論んでいる。
 先日の通り魔殺人事件は、この悪魔の所業の道半ばに起こった悲劇だった。
「だいぶ、X1の制御もできるようになってきましたね」
「ああ。まあ、薬の調整も分かってきたし、もう先日のようなことはないだろう」
「あの時は、覚醒させるために注入したデオキシコロニールによる興奮作用が、意外なほど強かったせいか、急いで、ジュールキシリンを注入したにもかかわらず飛び出してしまいましたからね」
「ああ。急いで追いかけたが、時すでに遅しだったからな」
「ええ。犠牲になった方々には申し訳ありませんが」
「本当だな。まあ、気の毒だが科学の発展に犠牲は付き物だよ。X1の元となった奴らも含めてな」
 切干は笑っている。
「所長、気の毒だなんてこれっぽっちも思っていないでしょうに」
 芹澤もからかうように笑っている。
「ん? そういう君もな」
「お互い様ですね。おかげで、スピードやパワーはデータ通りと分かったんですからね。まさに価値ある犠牲ですよ、ハハ」
「その通りだ。しかし、血の匂いを嗅いで落ち着いたのか、ジュールキシリンが効いてきたからなのかは分からないが、無事に戻ってきて良かった」
「本当ですね。もし、捕まったりしていたら、どうなっていたことやら」
「ああ。まあ、目撃者はいたようだが、警察はもちろんマスコミも嗅ぎつけなかったようだしな」
 切干達は、人の命が失われたことなど意にも介さず、嬉々として成果について語り合っていた。

 電話を切った姫菜は一点を見つめている。
「フ、心を伴わない科学の発展は、悲劇しか生まないわね……。まさに人類普遍の負の連鎖……か」
 こう吐き捨てるように呟きグラスを一気に開ける。
「さあ、急ごう。今日中にケリをつけないと、さすがに裕輔君も気付くわよね。なんてったって警察が付いているんだから。アレが動き出したら元も子もないわ」
 姫菜は急いで出かける準備に取り掛かった。
 
第九話 姫菜の素性

 姫菜と別れた後、裕輔は小松刑事と会うために地下鉄を乗り継いでいた。
 銅座⦅どうざ⦆駅について階段を上り指定されたカフェへと急ぐ。
 小松刑事は、京東大学法学部卒業の超エリート刑事だ。
 今は、この小松刑事が警察と大河一族のやり取りの連絡窓口を務めている。形式上捜査一課に所属はしているが、常に密命を帯び単独で活動している。年齢は三十歳のイケメン刑事。
 小松家は代々警察官僚の家柄で、大河一族の連絡窓口をずっと務めてきている。父は小松信⦅こまつまこと⦆と言い、現在は警察庁刑事局長を務めているが、信一の前は。彼がこの任務を請け負っていた。
 信一の事務所は、警視庁内ではなく、谷渋区⦅たにしぶく⦆の、小じんまりとしたビルの一階にあり、事務所のドアに書いてあるのは「(株)小松カンパニー」という架空の会社名。
 小松が裕輔から要請を受けて一緒に動く部隊も、警察内部とは全く別の組織で、諸々の事情を理解している者達十五名の精鋭で構成されている。
 裕輔は今この小松刑事に会おうとしている。姫菜が出現してからは逐一報告を入れており、小松に身上調査を依頼していたからだ。
 指定されたカフェに着くと、小松はすでに来ていた。
 裕輔がドアを開けると奥にある四人掛けのテーブルから手を上げて合図を送る。
 小松は裕輔が席に着くとメニューを渡した。
「事務所じゃなくていいんですか?」
 裕輔がメニューを見ながら尋ねる。
「ああ。あそこじゃ殺風景だからね。たまにはいいだろう?」
「まあ」
「遠慮せずに頼みなよ。何なら食事もいいよ」
 小松は気を使って言ってくれる。
「食事は大丈夫です。例の美人さんが天津丼を奢ってくれたので」
「へえ、気前がいいね。でも、その分は働いてきたんだろう?」
「まあ、報告した通りに。カプチーノで」
「了解」
 そう言うと小松はオーダーする。
「最近体の調子はどうなんだい?」
「バッチリです」
「ハハ、そうか。勉強の方は?」
「ああ、そっちは、相変わらず、からっきしですね」
「そう」
 小松は笑って聞いている。
 オーダーした物が運ばれてくるまで他愛のない話題を二人は展開する。
 テーブルに品物が並び店員が去ったところで本題に入る。
「さてと、頼まれていた身上調査だが、今分かっていることは……名前は偽名で、前科者リストには引っかかってこないということだね」
「そうですか」
「まあ、今日の帰り、彼女を尾行させたから、そのうち色々と報告は入ると思うけどね」 
 小松はここまで話してカフェラテを一口飲む。
「尾行ですか? 上手くいきますかね? それなりに用心していると思いますが」
「ハハ、心配には及ばないよ。こっちもプロなんでね。そこは対策済みだよ」
 裕輔の不安を小松は笑い飛ばした。それを聞いた裕輔も納得して微笑む。
「とにかく全てが計算ずくで動いているようで、何かを企んでいることは確かですよ。今日も散々な目にあいました」
 裕輔は、内容とは裏腹で笑っている。
「そうか。まあ、悪いがもう少しの間振り回されていてくれ」
 小松も裕輔の実力は重々承知しているから、言葉ほど深刻ではないことを理解しているので笑っている。
 裕輔は、その小松の言葉に黙って頷きカプチーノを口にする。
「しかし、まあ、本当に綺麗なバラには棘があるを地で行っている人だね」
 小松はため息交じりに転送されてきた姫菜の顔を見て微笑む。
「何もなく言い寄られているのならいいんですけどね」
「ハハ、確かに」
 そんな会話をしていると、新たな情報が届く。
「おっと、さっそく情報が届いたよ。住まいは、台西区⦅たいせいく⦆のスカイハイマンションの十階か。名義は崎谷朱音⦅さきたにあかね⦆二十二歳。京東都出身か」
 小松は読み上げ裕輔に伝える。
「ふーん。それが本名なのかなあ?」
 裕輔は腕組みをしながら聞いている。
「いや、違うね。崎谷朱音は高校の二年上の先輩らしい。志暮姫菜の本名は雲井美南⦅くもいみなみ⦆で二十歳。高校時は、まあ、ヤンキーまではいかないまでも、それなりのことはしていたらしい。当時の教師達の評価も良くはないね」
「それなりのこと……いわゆる不良ってやつですか?」
「ん? まあ、そんなところだろうね」
 小松は裕輔の質問に一瞬画面から目を上げて答える。
「卒業後は、アルバイトを転々としているようだね」
「だから先輩の家に転がり込んでいるのか」
「どんな経緯かは分からないけどね。そのうち新しい情報が入ってくるだろう」
 裕輔は黙って頷き、二人は、しばらく黙って考えている。
「まさか……あの人公安か何かってことはないですよね?」
 ふと、沈黙を破って裕輔が尋ねる。
「ハハ、それはないと思うよ。もしそうだとしたら、むしろ、危険があるかもしれない潜入捜査には、僕達を協力させるだろう?」
 小松が笑いながら答える。
「ああ、そうですよね……ハハ、分からないことだらけだなぁ」
「そうだね。しかし……何かがあることは確かだよね、何かが……」
 小松は送信されてくる情報を待ちながら呟くように続ける。
「君が相手にした獣のような奴らは一体何者なのか? そして、巣鷲プリズンの跡地で鉢巻フーズがしていることは何なのか? そして、彼女はそのこととどう関係しているのか?」
「そうですね」
 裕輔もため息交じりに反応し考えている。
「ここ最近の鉢巻フーズの動きだが、頻繁に幹部連中が東南アシュアに出向いていることは分かっている。目的は、食品の販路拡大らしい。まあ、これは食品会社なら当然のことだよなぁ」
「確かに、利益を生み出す必要のある企業としては自然の姿ですよね。しかし、さっき伝えたばかりなのに、さすがは小松さん。もう、そこまで調べちゃったんだ」
「ん? まあ、そこは、それなりのルートや装備は持っているからね」
「ハハ」
「それよりも……まあ、鉢巻フーズのその動きが何かの隠れ蓑でなければいいんだけどね」
 小松は画面から目をそらしてそっと微笑む。
「小松さんは、そこに何かがあると睨んでいるんですね」
「ああ」
「そして、それを探るために志暮姫菜を今まで通り泳がす……」
 警察の立場としては、言葉にはできない小松の心情を察して裕輔が口にする。
 裕輔の言葉に小松はそっと頷いた。
「仕方がありませんね。彼女のガードを続けますよ」
「すまないがそうしてくれ。僕も準備はしておくから」
 今度は裕輔が黙ってそっと頷いた。

 第十話 姫菜の気がかり

 姫菜は準備を終えバイクのエンジンをかけ、自分へ気合を入れるように、スロットルを空吹かししている。
「よし、最後の仕上げよ」
 そう言うと微笑んで巣鷲へと急いだ。
 自宅マンションの駐輪場を出て一般道を走り、首都高速道路に乗り巣鷲へとひた走る。
 首都高⦅首都高速道路⦆を走りながら、一昨日からの裕輔とのやり取りを回想していた時、やはり不安が脳裏をよぎった。
(強いけど……彼……大丈夫かなぁ)
 大会や今日は上手くかわしたが、かわしただけで勝負をつけてはいない。
(確かに空殺拳の伝承者である大河裕輔は強い……でも、彼は非情になれるのかしら。今度の相手は、いつもの使命で関わるような奴らじゃない。非情に徹して戦かわなければ、おそらくは……)
 何やら得体のしれない胸騒ぎが襲ってくる。
(強くてイケメンで優しい……か。男としてはいい線行ってるんだけどね)
 姫菜はヘルメットの下で不安を払拭するように無理に笑った。
 しかし、不安は払拭されることはなく、あの日見て思い至った裕輔の一面ばかりがクローズアップされていく。
 あの日の裕輔の一面、それは、姫菜が大河空殺拳の存在を知り、情報収集のため裕輔を尾行していた時のこと。
 その日、姫菜は学校帰りに、ある障害者の入所施設に向かう裕輔の後を尾けていた。
(一体何の用かしら?)
 姫菜は疑問に思いながら外から見ている。
 一時間ほどすると裕輔は何とも言えない冴えない表情で出てきて、そのまま自宅に帰宅した。
(あら、ボランティア? それとも知り合いでもいるのかしら? 暗殺拳の使い手と福祉施設か。フフ、何をしているのか探りたいわね。よし)
 そう思い、姫菜は運良く募集していた介護補助員として潜りこんだ。むろんヘルパーの資格などはうまく偽装して。
 火曜日の午後、いつも通り裕輔は来た。
 玄関から入り、スリッパに履き替えて事務室に顔を出している。
「いつもいつもスミマセン。もう他の皆さんは来ていますよ」
 この施設のボランティア担当の職員が裕輔を出迎え笑顔で挨拶をしている。
(ボランティア活動? ふーん)
 裕輔は、毎週火曜日ここでボランティア活動をしていた。内容はその時々で色々なことを手伝っているようだ。
「こんにちは」
 裕輔は、笑顔で挨拶をしながら他のボランティアさんのいる控室へと入って行った。
 しばらくして、出てきた裕輔は時代劇の浪人侍の姿をしている。
 その日は、時代劇の寸劇を披露するようで、他のボランティアの後をついて、利用者が集まってくつろいでいるスペースへと向かっている。
 入所者達への挨拶が終わり寸劇が始まる。
 姫菜は、一人の女性入所者に寄り添いながら、裕輔の行動を観察していた。
 入所者達は拍手を送ったりして寸劇を楽しんでいる。
 寸劇終了後、そのままおやつの時間になり、それぞれにお茶を飲んだりお菓子を食べ談笑していた。
(さすがに暗殺拳の使い手だけあって殺陣⦅たて⦆は上手いわね)
 姫菜が意外なところに感心を持って、介助しながら見ていると、裕輔がそのうちの一人の入所者へと近づいて行った。
 若い女性職員に介助されながらおやつを楽しんでいるある男性入所者だ。
「このケーキ美味しい美味しい」
 三十代半ばの男性だが、子供のようにはしゃぎながら楽しそうに食べている。
「それは良かった。ケーキお好きですもんね」
 二十代前半の女性職員に話しかけられ、無邪気に笑っている。仕草なんかはまるっきり三歳くらいの幼児のようだ。
 近づいてきた裕輔に気付いた女性職員が笑顔で軽く会釈をしていた。裕輔も笑顔で会釈をして、しばらくその様子を見ている。
 姫菜も女性入所者の介助をしながら、裕輔の方へ気を配っている。
 見ていると、裕輔は特に話しかけるでもなく、笑みを称えながら食べ終わるまでいて、その場をそっと離れ帰って行った。
(あの人は誰かしら? 知り合い? 何のための慰問?)
 姫菜は帰って行く裕輔の背中を見ながら疑問を抱いていた。
 後で調べると、この男性は、頚椎損傷による下半身麻痺があるため車椅子での生活を余儀なくされている上に、頭部への打撲による後遺症も残っているため、右手も麻痺があり知的障害もあるということが分かった。そして、元暴力団員だったことも。
(外部後遺症による障害か。入所開始時期は半年前)
 他の職員との雑談の中で情報収集を図る姫菜は、断片的だが色々なものが見えてきた。
 収集した情報を元に推察するに、親戚や友人といった類ではないらしいことは分かった。ここで、姫菜は一つの結論に達する。
(おそらく、彼は使命時の相手のうちの一人)
 この結論に達した時、姫菜なりに裕輔の行動の理由付けをしてみる。
 大河空殺拳……無敵の暗殺拳。超絶技を繰り出し、対戦相手を確実に仕留めうる。そう、本来ならば、対戦相手に待っているのは、確実な死出の旅。
 だが、不文律然り伝承者達はそこまでの所業には達しない。それが故に、対戦相手は皆何かしらも障害を持った状態にとどまる。
 姫菜は想像した。暗く淀んだ冷たい暗殺者の眼をした裕輔と彼のやり取りを。
 麻薬現場の取引場所で突如現れた珍客に銃が向けられている。
「けっ。てめえなんぞはこれの敵じゃあねえんだよ!」
ニヤついた顔で、ヤクザは叫び銃を放つ。
 その刹那、銃弾が掴まれるという信じがたい記憶を最後に、このヤクザの意識は遠い闇へと葬られた。
(そして、気が付いた時には……いや、もう気付いたとしても、通常の会話や思考は不可能……か)
 姫菜はため息をついて続きを考える。
 ベッドに横たわる対戦相手。
 それは、もちろん対戦相手としては望んでいない姿だ。だが、果たしてそうだろうか?
 ここまで考えた時、不思議な疑問を姫菜は持った。
 そう、それは違う……望まないのは伝承者自身もなのではないか、と。
 数千年の長きに渡り受け継がれてきた、その間に、それを望まない者がいても不思議ではない。
 大河一族の男として生まれ、受け継いだ以上果たさなければならぬ宿命。個人の感情など許されぬ呪縛にも似た宿命。
 そう、まさに大河の血がなす呪縛。どんなにあがこうが抗えない。
 その自身が持つ血と裕輔も必死に向かい合っているのかもしれない。
 その必死さが、あの行動なのか。
 ここまで、思い至った時、姫菜は改めて大河空殺拳のことを思いやる。
 大河一族が使命で動く時、相手は必ず不幸になる。気は進まないが、それが課せられた宿命だ。
 伝承者は割り切るしかない。そう分かってはいるのだろうが……。
 相手にも、当然だが人生はある。そこには家族や恋人、友人達も存在するわけで、その人達にとっては、彼らもかけがえのない存在だ。
 あの状態の彼らを突きつけられれば、そこには当然ながら様々な感情も抱くだろう。
 そう、憎しみ、悲しみといった感情を。
 その後の人生……自宅で介護を受ける者もいれば、専門の施設や病院で生活する者もいるのだろう。また、これを機に愛想をつかされ一人孤独に療養している者もいるのだろう。
 身から出た錆……そう言ってしまえばそれまでだが、やはり後味は悪く気は重いはずだ。
 このような現実を突きつけられながら、裕輔は自身の受け継いだ血と向き合い続けているのだろうか。
(あの背中が見せる悲しみの表情。これが原因だったんだ)
 姫菜はそう確信した。
(贖罪、それとも憐み……おそらくは、彼自身も何のために会っているのか分からないのかもしれない。そう、会ったことでお互いの時間が戻るわけでもないのだから)
 会うことで自分自身の所業の結果を見せつけられるだけなのに……なぜあんな行動を? 裕輔自身も何をしたらいいのか分からないが故の行動なのだろう……姫菜は、そう思った。
(それぞれの立場で、それぞれのものを背負っているのね)
 姫菜は初めて裕輔が施設から出てきた時の、陰鬱な表情を思い出し理解した。
(暗殺拳を受け継ぐには優しすぎる……か)
 姫菜は一人やるせない思いで呟いたのを思い出す。
 ここまで思い出した時、巣鷲への出口に差し掛かった。
(おっと)
 姫菜は急いで首都高を降りるためハンドルを切る。
(ふぅー。強いだけでなく、思いやる優しさも兼ね備えている、ホント男としてはいい線行っているんだけどな)
 姫菜は、改めて呟き、信号待ちでウィンカーの点滅音を聞きながら、そっと微笑んだ。
(でも、その優しさを今日は封印してもらわないと。そうじゃなきゃ仕上げが完成しないからね)
 自分の不安をかき消すように強気に呟き、巣鷲プリズン跡地へと急いだ。

第十一話 闇からの招待状

 巣鷲プリズン跡地に着いた姫菜は、敢えて監視カメラの死角にバイクを路上駐車する。そして、ヘルメットを取り、正門へと歩いて向かう。
 正門は鉄扉で重く閉ざされていた。
 姫菜は、正門用の監視カメラに向かって微笑む。すると重く閉ざされた鉄扉が開いた。
 門から建物までは数十メートルあり、庭が広がっている。そして、この空間には、ご丁寧に数台の監視カメラとスピーカーが睨みを利かせている。
 その建物への数十メートルの道を突っ切り中に入り、切干達のいる実験室へ向かう。電灯のついていない暗い廊下には、動物達の騒ぐ声や唸り声が響き、相変わらず、薬品臭さも充満している。
「いつ来ても嫌な所ね」
 歩きながらポツリと呟く姫菜。
 実験室の入り口を開けると、奥には実験用の檻に入れられた動物達が見える。
 その手前にある実験ゾーンでは、いつもとは違って、見知らぬ作業員が三人何やら消毒のようなことをしている。気のせいか血なまぐさい臭いもする。
「…………」
 陰鬱な気持ちで深いため息をつき、隣の部屋を覗いてみる。
 そこにある大きな実験カプセルにはX1達が入れられ様々なコードが付いている。
「メンテ中ってとこかしら」
 微笑んで呟き扉を閉める。
 そして、改めて実験室内を見てみる。
 手前では切干達が忙しそうにパソコンのキーを叩いている。
「はーい」
 姫菜はおどけて挨拶をする。
「早かったな」
 切干がパソコンから目を離すことなく返事をする。
「まあね。あなた達も早く成果が欲しいかなと思って」
「フ、そうだな」
 鼻で笑って切干は姫菜を見る。
「彼……魅力満載でしょう?」
「ああ」
 切干はほくそ笑む。それに次いで芹澤が言う。
「今しがた、X1と興奮した虎を戦わせたんだけど、さっそく昨日今日の彼との対戦が生かされていたよ」
「へえ、それはそれは」
 姫菜は腕組みをしながら笑みを称えている。
「理詰めの動きが加わっていてね、本能に頼る今まででは考えられないことだよ」
 切干が付け加える。
「そう。まあ、何にせよ、お二人の言う科学の発展に貢献できているようで光栄だわ」
「君にとっても最高の結果だろう?」
「ええ、おかげさまで」
「こちらこそ、君のビジネスに貢献できて光栄だよ」
「お互いウィンウィンね」
 姫菜もそっと微笑んだ。
 三人の会話の最中も作業は続いている。一通りの片付けが終わったようで、大きな台車に毛布にくるんだ虎の死体を乗せて出ていく。
(何が科学者よ。このマッドサイエンティストがっ!)
 思わず、遠く離れていく毛布を見ながら姫菜は心の中で毒づいた。
 十分くらい経った頃、ふと切干が思い出したように言う。
「これから、どうするのかね?」
「決まっているでしょう。準備ができ次第大河裕輔をご招待するのよ」
「こちらの思惑通り動くのかな?」
 芹澤がパソコンのキーを叩きながら振り返りもせずに尋ねる。
「大丈夫よ。エサは蒔いておいたって言ったでしょう」
「用意周到だな」
 切干が感心したように満足して微笑む。
「まあね」
 姫菜は、そっと微笑んで答え、話を続ける。
「一昨日の意識付けに始まり、昨日今日のX1との戦いと、思わせぶりな話でたっぷりと仕込んでおいたから、私が『助けて』って言えばすぐに飛んでくるわよ」
「怖い女だな、君は」
「まさに、綺麗なバラには何とやらだね」
 切干達は感嘆の声というよりは、半ば呆れたという発言をし、姫菜に対して、より警戒感を強めていた。
「フフ、それは誉め言葉として受け取っておくわ。それより準備の方はどうかしら?」
「どうかね、芹澤君?」
「はい、大丈夫です」
「いいみたいね。じゃあ、呼び出すわね」
 そう言うと、姫菜はそっと微笑んで裕輔に連絡し始めた。
(人選としては不安な面もあるけど、彼のお父さんやその上を巻き込むとなると、ちょっと厄介になるから、まあ、彼に頑張ってもらうしかないのよね、フフ)
 姫菜は呼び出し音を聞きながらほくそ笑む。

 裕輔は、カフェで小松からの情報を聞いている最中だ。
 話が一段落してカプチーノを口に含んだ時、連絡が入る。
「もしもし」
「はーい。さっきは楽しいデートをありがとう」
「途中から、邪魔が入らなければ楽しかったんだけどね」
 裕輔は話しながら、スピーカーに切り替える。
「フフ、ゴメンナサイね。今度は、あんなことはしないから」
「そうしてもらえると嬉しいな。それより、どうしたの?」
 裕輔は用件を急かす。
「今から、潜入するわ」
「今から……随分急だね」
「まあね。『鉄は熱いうちに打て』って言うじゃない。あいつらが何をしようとしているのかを早く知りたいから」
「分かったらどうするの?」
「まあ、内容にもよるけど、どうしようかしらねぇ……ウフフ」
 裕輔は、おそらく電話の向こうで、悪戯っ子のような笑みを浮かべているであろう姫菜を想像している。
「とにかく、今から潜入するからさ、一時間しても私から連絡がなかったらお願いね」
「一時間経っても連絡がなかったら、助けに来いってことだね」
「そういうこと。ヨロシクね」
「うん。でも、なるべくそうならないことを祈っているよ」
 裕輔はこう答えて目の前の小松と目を合わせて微笑んだ。
「フフ、優しいのね。ありがと、じゃあ」
 こう言って姫菜は電話を切った。
 姫菜との話を終えた裕輔に向かって小松が話しかける。
「かなり急いでいるな」
「みたいですね」
「まあ、君の背後に僕がいることも知っているからね。時間をかけていたら、何か警察のチャチャが入って、計画が破綻ってことになると踏んでいるのだろう」
 小松が腕組みをしながら呟く。
「ええ。まあ、目的は分かりませんが、そんなところでしょうね」
 言いながら、最後の一口を飲んで立ち上がる裕輔。
「悪いが頼む。分かり次第情報は入れていくから」
「お願いします。連絡があってからじゃ遅いんで、とりあえず跡地に行っておきますよ」
「ああ」
 小松に告げ裕輔は店を出て巣鷲へ向かった。

 第十二話 姫菜からの招待状

 姫菜が電話を終えると、切干と姫菜は研究室の方へと移動する。
 階段を昇り切り、鉄のドアを開けて中に入り、切干が電気を点けると視界に入って来たのは、パソコンと大小様々なモニター数台、そして、その他色々な機械。
 この研究室も薬品の臭いがしていて、謎めいた闇のようなものが染み込んでいるように感じられ、陰鬱な気分になる。
 姫菜は正面の巨大モニターと対峙するように、奥の椅子に座った。
 小さなモニターには、通路や部屋、檻に入れられたライオンや熊が映っている。
 その小さなモニターの向こうで、芹澤が、X1を相手に何やら準備している姿が映っている。
 切干が、スイッチを回すと芹澤のいる実験室の音が聞こえてきた。
 様々な動物達の声が聞こえてくる。
「芹澤君、どうだねX1達は?」
「いいと思いますよ」
「最初の相手だが、X2、3に加えて例の奴も行けそうかね?」
「ええ、大丈夫です。行けますよ」
「そうか、楽しみだな。フフフ」
 芹澤の返事を聞いて含み笑いをする切干。
(例の奴? X1達以外にもいるの? 一体どんな……?)
 姫菜は訝しい眼で切干の背中を睨んでいる。切干は姫菜のその視線に気付くことなくモニターを見つめている。
 すると、モニターから消えた芹澤が、反対側のドアから現れる。
「では、迎撃の準備と、データ収集の最終チェックを始めます」
 芹澤は、入ってくるなり目の前の機器やパソコンをチェックし始めていく。
 切干も何やらパソコンのキーを叩いており、しばらくの間その音だけが室内に響いていた。
 その音に交じって、遠くから動物達の騒ぐような声も聞こえてくる。
 その声が、来るべき嵐を予感させるようで、姫菜の緊張は増していく。
 三十分くらい経った頃、姫菜が問いかける。
「もう、準備は万端かしら?」
「「ああ」」
 その声に姫菜の方を見て二人が同時に答える。
「じゃあ、大河裕輔を招待しましょうか」
 姫菜はスマホを取り出し連絡を取ろうとする。
「おや、一時間経って連絡がなかったら……じゃなかったのかね?」
 切干が不思議そうに尋ねる。
「ウフフ、潜入中に見つかってピンチの場面の方が、より切迫感が増していいでしょう?」
 姫菜がほくそ笑んで言う。
「確かにな。まったく、何から何まで計算ずくだな」
 切干が皮肉交じりに言う。
「こういうことはね、一つでもミスったらアウトなのよ。潜入したと思わせるために、わざわざ、バイクも監視カメラの死角に路駐しておいたからね」
「そういうもんかね」
「ええ。ま、私の言う通りにしていただければ、お二人には大金と破格の待遇をプレゼントできるから」
 姫菜は、覗き込むように切干を見て微笑む。
「フ、期待しているよ」
 切干も含み笑いをする。
「じゃあ、連絡するから」
 そう言うと姫菜はスマホを耳に当てた。

 巣鷲駅を出て跡地まで歩いている途中で、裕輔のスマホが鳴る。
「もしもし」
「ゆ、裕輔君!? ゴメン、失敗しちゃったぁっ!」
 切迫した姫菜の叫び声が聞こえてくる。
「どうしたのっ!?」
「見つかって、例の奴らに囲まれているのっ、お願いっ!」
「分かったよっ、すぐに行くっ! 何とか凌いでいてっ!」
「お願いっ! きゃあっ…………」
 叫び声の途中でプツリと連絡が切れる。
 裕輔は姫菜との連絡を終えると、小松に一報入れながら、跡地へと走り出した。
「分かった。僕も準備を進めておく。もしもはないと思うが、くれぐれも気を付けてな」
「はい」
 小松も裕輔の報告を聞き動き出す。
 裕輔は小松との会話を終え、一層スピードを速めた。

 五分後、モニターを見ていた芹澤が叫んだ。
「来ました、大河裕輔です!」
 芹澤はかなり興奮している。
「よし。準備はできているな?」
「はい。X1、2、3、に加え4⦅フォー⦆も行けます。もちろん例の奴もです」
 芹澤が意気揚々と返事をする。
 正面の巨大モニターにはこちら側から見た門の扉が、その他の小さなモニターには、通路や動物達、そして外の道路が映し出されている。
 その一つに塀沿いの道路を歩く裕輔の姿が。
「さあ、大河裕輔……君の戦闘能力を分析し、経験値を頂こうか」
 切干は舌なめずりをしながら嬉しそうに、正面の巨大モニターの前に座り微笑む。
 芹澤はパソコンの前で何やら操作を続けている。
(さあ、いよいよね)
 姫菜は表面上微笑んではいるが、胸の鼓動はかなり早く緊張感を募らせていた。

 第十三話 獣人達のおもてなし

 裕輔は正門入り口に向かって塀沿いを歩いている。
(でかい建物だな)
 しばらく歩くと目指す正門入り口があった。
 裕輔が入り口である門のところに着くと、いきなり開き出す。
「ようこそ、大河裕輔君。君の相棒がお待ちかねだよ」
 スピーカーから流れる切干の声。
「相棒……か」
 裕輔は、その声に苦笑いをしながら呟く。
 ここで何が行われているのか、何をしようとしているのかは分からないが、戦いは避けられないだろうという思いから、裕輔は、氣を高めスイーパーへと変貌していく。
「姫菜の目的も含めて謎だらけだな」
 裕輔はそっと微笑み、招待されるがままに門の中へと足を踏み入れて行く。
 高まった氣により、裕輔の感覚はいつにも増して、ぐっと研ぎ澄まされている。
中に入った途端に、突き刺さるような殺気を感じた。
 一歩、二歩とゆっくり、数十メートル先の建物に向かって歩を進めていく裕輔。
 すると、建物の扉が開き、強い殺気をまとった昼間の男達のうち二人が出て来た。そして、その後から、四つ足歩行の動物も付いてくる。
「ウゥゥゥー」
 二人共釣り目で眼光鋭く、呻き声を上げながら近づいて来る。その姿は、やや背中を丸めた前傾姿勢で、髪の毛が逆立っている。
 後ろから付いてきた動物は、よく見慣れている犬ではなく、だいぶ大きいドーベルマンだ。眼光鋭く、動きはゆっくりだが血に飢えている様子で興奮している。
 近づいてくると唸り声が聞こえてくる。
「ガルルルルー」
 ドーベルマンは唸り声を発しながら獲物を狙い定めている。
(皆殺気で毛が逆立っているのか? 相当なものだな)
 裕輔は正直に感嘆のため息を漏らした。
「まずは、手始めにその番犬達から相手をしてもらおうか?」
 スピーカーから含み笑いをした声が聞こえてくる。
(番犬? フ、言い得て妙だな)
 裕輔は敵ながら上手いことを言うなと感心しつつ戦闘態勢に入った。

 その頃、姫菜のいる一室では、裕輔が発する驚異の数値に一喜一憂していた。
「所長、もの凄い勢いで彼の体温が上昇して行っています!」
 芹澤が嬉々として叫んでいる。
「ん? まあ、戦う時は、誰もが『血沸き肉躍る』状態にはなるからな」
 切干は当然のことで、あまり驚くなと言わんばかりに冷静に答えるが、正直驚いてはいる。
「しかし、この上がり方は常人とは比べ物になりません。彼の周りの大気が動き始めていますから」
 芹澤は、切干の方を見ながら報告し、切干にも見えるようにモニターを切り替えた。
「確かに凄いな」
 モニターを見た切干が驚いて言葉を詰まらせる。
 少しずつだが前庭には風が吹き、草木が騒ぎ始めていた。そう、それは、もちろん裕輔が引き起こしていることだ。
(風……。自然現象まで引き起こすほどの超人になるのか。どうやら私が見ていたものは、空殺拳の序の口程度だったようね。本気になったら、こいつらなんか相手じゃないのかも。フ、どうやら杞憂に終わりそうで安心だわ)
 姫菜は、ジッと無言のまま、巨大モニターの中の出来事を見つめ微笑んだ。
 
「ガルゥゥー……」
 番犬と呼ばれた二人と一頭は、姿勢を低くし、より前傾姿勢になってジリジリと迫って来る。
(この二人は本当に犬そのものだな)
 裕輔がそう考えた途端、一斉に飛び込んで来た、いや、飛び掛かって来たが正確か。
 大地を蹴って、あっという間に目の前に現れると、鍵型に折り曲げた掌で薙ぎ払うように左右の手を振って来る。
 裕輔は上下左右に体を動かし避けて、手前の一人に右の突きを撃ち込んだが、後ろにいたもう一人が、あろうことか、その右腕に嚙みつく勢いで襲い掛かって来る。
「ちっ!?」
 裕輔は噛みつく寸前の頬に、すかさず左の突きを撃ち込んでやった。
「キャイーン!」
 二人は、攻撃に失敗するや否や、悲鳴のような声を上げ素早く距離を取る。
 しかし、二人を追い払った瞬間、ドーベルマンが死角から劣らぬスピードで迫っていた。
「…………っ!?」
 対応に遅れた裕輔の右腕に噛みつく。
 瞬時に氣を高め筋肉を鎧と化したため、噛みつかれた個所からは血すら出ない。ドーベルマンは本能で牙を食い込ませ、裕輔の頭を薙ぎ払おうとしている。
「グルルゥー」
 その間、二人が再び前傾姿勢で唸って威嚇している。
 そして、すぐさま先程のように時間差攻撃を仕掛けてくる。
「ちぃぃっ!」
 裕輔は、右腕に噛みついているドーベルマンを振り回し、向かって来る二人にぶつけて突進を防ぎ、左の突きをドーベルマンの右頬に突き刺した。
「ギャイーン!」
 ドーベルマンは叫び声を上げ、すぐさま離れた。
「二人は犬そのもの。そして、このドーベルマンは普通のスピードじゃない。こいつらに一体何をしたんだ?」
 目の前にいる相手の所作に戸惑う裕輔の脳裏に、あのX1と呼ばれた加藤の姿が浮かぶ。
「加藤もこうだったな」
 人間と言うよりは、犬そのものの二人。そして、異常なスピードのドーベルマン。ここでは一体何が研究されているのか、裕輔は戦いながら考えている。

「す、凄い……。また、対処しやがった……。それに、全ての数値が一般の成人男性を軽く超えている」
「ああ」
 最初の攻防を見守った芹澤と切干は、食い入るようにデータの数値を見て呟く。
「筋肉強度九十、反射速度時速二百二十キロ……。薬で強化したX2達でさえ、筋肉強度八十、反射速度は二百キロがせいぜいなのに……。ハハ、ドーベルマンが噛みついても平気なわけだ」
 芹澤は開いた口が塞がらないといった状態で驚いている。
「驚異の数字だな。X2と3の時間差攻撃にも対処できるわけだ。一般の成人男性の平均は、筋肉強度五十、反射速度百キロくらいだ。格闘家でも、筋肉強度は七十、反射速度は百八十キロくらいだからな。しかも、対応を可能にするあの動体視力……これに経験値が加わるのか……とんでもないデータが取れそうだな」
 切干は素直に褒め、期待感は益々高くなっている。
「「大河裕輔とは一体……?」」
 二人は裕輔の強さを数字で見て驚いている。
「科学的データに基づいても驚異のようね。それに、あのドーベルマンが、あなた達の言っていた例の奴?」
 二人の会話を聞いていた姫菜が尋ねる。
「ああ、そうだよ。ドーベルマンも交えることで、より複雑な対応データが得られるからね。あのドーベルマンはね、チーターに猫、そして……」
 芹澤は含み笑いをして、その先は言わない。
「そして?」
 じれた姫菜は答えを急かす。
「フフ、まあ、その先は見てのお楽しみだよ」
 切干も含み笑いをしている。
 姫菜は怪訝そうに二人の背中を交互に睨んだ。

(どうやら、少し本気を出さないと、ここは突破できないようだな)
 この時点でも驚異のようだが、空殺拳の伝承者が本気を出すということは、常識を逸脱した状態になる。
 裕輔は心の中で微笑んで、一層氣を全身に漲らせていく。眼も完全に暗殺者の物となった。
 ここからは、撃ち込む攻撃は全てが空転掌となる。大河空殺拳完全解禁。
 前庭の風はさらに強まり、風音が伝わってくる。カメラの向こうで驚いている三人の想像を、はるかに超えたことが起ころうとしている。
「グアァーッ!」
 呻いていた二人が大声で威嚇し、再び飛び掛かって来る。ドーベルマンも続く。
 裕輔は左足を地面でずらすように後ろに下げ、半身の態勢になり、先に飛んできた一人の頭を左手で掴んで右横に投げ飛ばし、その反動を利用して右の突きを素早く、後ろから来たもう一人に三発撃ち込んだ。
 そして、突っ込んでくるドーベルマンも突きで対応しようとしたが、寸前でいきなり横にステップを踏み、角度を変えて噛みついてくる。
 一瞬の戸惑いはあったが、裕輔は半身になって真空斬を撃ち込む、突きで二発喉と腹に。
 これで、ドーベルマンはしばらくは動けまい。そう思った瞬間、真空により身動きが取れず、攻撃を受けたドーベルマンの後方から、真空に巻き込まれるのを逃れた何かが素早く攻撃を仕掛けてくる。
「…………っ!?」
 それは鋭く尖った細い何かで、対応に遅れた裕輔の肩を鋭く突いた。
「ぐ……」
 痛みをこらえながら、裕輔は急いで、後方に飛び距離を取る。
 後ろに飛ぶ裕輔が見たのは、真空斬のダメージにより倒れていくドーベルマンと、裕輔に攻撃を仕掛けた後ピーンと張ったドーベルマンの尻尾だった。
 いや、よく見るとただの尻尾ではない。それは、何やらニョロっとした舌のようなものを出した……そう、蛇だ。
「へ、蛇!?」
 不注意にも戦闘中は全く気付かなかった。
 噛まれた肩を押さえながら、裕輔は倒れているドーベルマンを見つめている。
 主人であるドーベルマンは倒れて気を失っているが、憐れにも尻尾だけは動いている。
(憐れだな)
 裕輔は何とも言えない憂鬱な思いでその光景を見つめていたが、ふと毒蛇であったらと思い、氣を高めて全身の血流を上げていき、毒素を吐き出そうとした。
 しだいに、傷口からビュッと血液と共に毒素が噴き出されていく。
「もし、毒蛇でもこれで大丈夫だろう」
 そして裕輔は、さらに氣を操作して止血をしていく。
 こうしている間にも、残りの二人が間髪入れずに攻撃を仕掛けてくる。
 今度は二人が交互に横にステップを踏みながら仕掛けてくる。
「グガアァー!」
 裕輔の目線をごまかそうとしているようだが、スピードを上げて対応した裕輔は、先に攻撃を仕掛けてきた方に蹴りを入れ吹き飛ばす。
 そして、後ろから来た方には突きを撃ち込んだ。
 無防備の頭、頬、首の三か所に撃ち込まれた一人は、悲鳴を上げて転げ回っている。蹴り飛ばされたもう一人は、器用に回転して次の攻撃に備えている。
 ドーベルマンは息を吹き返したようで、倒れたまま呻いている。
 これで撃ち込んだ方はすぐには起き上がれない。ゆっくりと、もう一人に集中しようとする裕輔。
「ウォォーン!」
 前傾姿勢で眼光鋭く、威嚇するかのように声を上げる。それは、まるで狼の吠える声に聞こえる。
 人間と言うよりは、人の形をした狼を相手にしているような感覚に襲われる。
「姿勢といい、スピード、攻撃方法も、まさに四つ足歩行の動物そのものだな」
 裕輔は少々戸惑いながら呟く。何となくだが、降りかかっている火の粉の正体が見えてきている。
 先日の決勝戦で戦ったX1と同様の感覚。知性を感じず、本能のみで立ち向かってきている二人。
 姫菜から聞いた通り魔事件の鍵は、やはりここにある、そう確信した。
「こいつらの次に出てくるのは……おそらくX1。カメラの向こうで見ている奴らは、どうやら、とんでもない研究をしているようだな」
 目の前にいるのは、明らかな獣人……鍛えた格闘家や軍人とかではなく、明らかに人と獣の融合生物。
 その考えに至って見れば、彼らの仕草も理解できる。
「さっき、俺の腕に噛みつこうとしたのは、喉を掻っ切ろうとしていたんだな、きっと」
 裕輔がその考えに至った時、次の攻撃を仕掛けて来る。
 左右に素早くステップしながら、近づいて来ると思いきや、いきなり真正面から突っ込んできた。
 予測不能の動き。
「くっ……」
 裕輔も本能で喉を殺⦅や⦆られまいと両腕でクロスガードをして防ぐ。
「ガアァー!」
 頭突きがガードされると必死にしがみついて来るため、裕輔はバランスを崩し、そのまま組み伏せられる格好になった。
 相手からしてみれば絶好のチャンスのはずだが、その後の攻撃方法がないようだ。
「グガアァー!」
 裕輔の上で威嚇するのみ。動物的には、これで相手を制し、後は喉を掻っ切れば終了になるのだろう。
 人間と動物の差。経験値の差が出た格好になった。
 裕輔は膝蹴りを尻に食らわし、突き飛ばして態勢を整える。男も器用に回転して態勢を整え、再び突進してくる。
 ガードしても同じ轍を踏むだけと考えた裕輔は、大河真空斬で迎え撃つ。
 真空に巻き込まれ動けなくなったところに三発、頭、首、横っ腹に蹴りを撃ちこんだ。
「キャイィーン!」
 悲鳴を上げながら吹き飛び地面を転げ回っている。
 次第に息は整ってきているようだが、二人と一頭は空転掌により、相当なダメージがあるはずなので、簡単には動けはしないだろう。
 しかし、息が整ったのかドーベルマンが立ち上がったと同時に襲い掛かって来る。
「ガルルゥー!」
 ジグザグにステップを踏んで迫り、直前で上に飛び上がった。
 裕輔は、上から鋭い爪を振りかざし襲い来るドーベルマンの攻撃を、横に飛んでかわす。
「相当なダメージのはずなんだが」
 かわした後、態勢を整えながらため息をつき、突きと蹴りを数発撃ち込む。
「グフゥー……」
 ふらふらしながらも、なおも攻撃を仕掛けようとしている。
 裕輔は、攻撃に失敗し、なおも動こうとするドーベルマンの姿に憐みを感じ、これ以上の攻撃を躊躇っている。
「俺の予想通り、相手が獣なら、打撃でなくとも、この威嚇で終わりにできるだろう」
 そう考え、裕輔は二人と一頭を、暗く冷たい暗殺者の眼で睨みつける。
 ダメージの回復力もそれなりにあるようで、二人と一頭は何とか立ち上がってこちらを見る。
 だが、自分を見つめる暗く冷たい裕輔の眼に気付いた時、震えて動けなくなった。
 動物の本能で悟ったのだろう。この相手には勝てない……と。ブルブルと震え完全に怯え切っている。
 先ほどまで発せられていた、強烈な殺気はすっかり消え失せてしまっている。
 やがて、二人と一頭はそのまま建物方向へ走って行く、というより逃げ帰って行く。
 そして、建物に入ろうとした時、彼らは血を吐いて倒れる。それでも、虫の息になりながらも、這いずって建物の中に消えて行った。
 その姿を見つめながら裕輔は考えた。
 この建物の中では、とんでもないことが起きている。そして、あの二人や加藤が進んで実験台になったとは考えられないし、どう見ても日本人ではない。
 どんな経緯で実験台になったのだろうか? 出稼ぎ、あるいは留学等で来日していて騙された、それとも直に人身売買……。
(これだけでも、とんでもない犯罪行為だな)
 ここまで考え裕輔は首を左右に振りながらため息をつく。
 加えて、バイオテクノロジーという名のもとに、道徳や生物学、生命倫理に抵触する研究を進めていることが推測され気は重くなっていった。
(俺に協力願いたいって言っていたな。この所業とどういう関係があるのだろうか? 果たして目的は何だ?)
 裕輔は足取り重く建物の入り口へと歩を進めた。

 第十四話 姫菜と切干達それぞれの思惑
 
 この一部始終を見ていた三人。
「ふぅー、完敗ってとこですか。しかし、驚いたな。また上がりましたね」
 芹澤が数値を保存しながら呟く。
「ああ。筋肉強度百五十……か。最後の速度は五百キロ……か。あの蛇の毒は確かに弱いものだが何ともないようだしな」
 切干は数値を見て愕然としている。
「ええ。大河裕輔こそ、人間なのでしょうか?」
 目の前の数字や出来事が信じられず、芹澤も呟いている。
「私達は、とんでもないものを目の当たりにしているようですね。え! 所長! 見て下さい、X3に攻撃を仕掛けた時の、この空間の歪みを!」
 芹澤は、裕輔が最後に放った攻撃の際のデータを見ながら叫んだ。
「な、何だ、この歪みは!?」
 思わず椅子から立ち上がる切干。
「X3周辺の全ての大気が失われ、真空状態となっています!」
「おいっ! 急いで映像を再生するんだ!」
 切干に言われ、急いで芹澤がキーボードを叩くと、正面の巨大モニターが切り替わり、最後の攻撃場面が映し出された。
 当然だが、裕輔の攻撃はスロー再生でも影しか見えない。コマ送りにして初めて蹴りを撃ち込んだのが分かる。それでも見えるのは影だけなのだが。
「「な、何なんだ、これは……」」
 切干と芹澤は、裕輔のスピードとパワーに驚き震えてすらいる。
(異次元の強さね。これならいけるわ。でも、やっぱり大河裕輔ね。とどめは刺さないか)
 姫菜は目の前の光景に満足と不満を抱いている。
「芹澤君、とにかく同時進行で収集した戦闘パターンをデータ化して、X1と4にインプットしていくんだ」
「はい」
 芹澤は返事をしたと同時に忙しくキーボードを叩き始める。
「数字や空間の歪みに関しては、後でゆっくり分析しよう」
 切干は再び椅子に腰かけながら、パソコンの画面を見て呟いている。
「満足のいくデータが得られているようね」
 姫菜が切干の背中に話しかける。
「ああ。期待以上だよ」
 満面の笑みで振り返る切干。
「お二人がお望みの生物兵器は誕生できそう?」
「ああ」
 切干はパソコンの画面を見ながら力強く頷く。
(フ、人間のクズが……)
 姫菜は軽蔑の眼差しを切干の背中に送るが、切干は気付かない。
「君だって、満足なんじゃないのかい?」
 そんな姫菜に、一通りの作業を終えた芹澤が振り向いて問いかける。
「まあね。出来が良ければ、それだけ先方が出す金額も上がるでしょうから」
 姫菜は、軽蔑の眼差しが気付かれないように、すぐ笑顔に変え返事をする。
「君も同類だな」
「そうね」
 ほくそ笑む芹澤にそう言われ、姫菜も負けじとほくそ笑んだ。
 内心では反吐が出るほど胸糞悪い気分だが、平静を装い心の中で呟く。
(人が自由に操ることが可能な獣人……生物兵器……か)
 鉢巻フーズの一部の幹部連中が切干達に命じて研究させているものだ。
 クローン技術と融合させ、遺伝子を操作し、交配、再生させることで人と動物の融合生物を生み出す。
 それは、本来なら、道義上も生物学上も慎重な議論の元で進められなければいけないもの……いや、進めてはいけないものだ。
 だが、研究は進められており、その事実を知った姫菜も妨害しようとはしない。
 裕輔や小松にリークすれば、すぐに妨害でき、世界への流出を防ぐことは可能だ。
 しかし、あえて姫菜はそうしない。彼女なりのある計画のために。
「フ、確かに道義上……いや、人として許されないことだ。だが、それは綺麗事だ。それを欲している人間がいる。いる以上はビジネスになるし、綺麗事では科学や文明の発展はあり得ん」
 姫菜の心を見透かしたかのように切干が呟く。
「確かに、進めちゃいけないことかもね」
「ん? まあ、そうだな……」
 切干は独り言を呟いたつもりだったが、姫菜に聞こえていて返事をしたことに苦笑いをしている。
「まあ、我々研究者の、純粋にバイオテクノロジーを探求したいという思いと、会社の利益を上げたいという思いが一致してのことだよ」
 芹澤が、姫菜の方を見て微笑みながら言う。
「操作については、薬品の調合もだいぶ分かって来てね、うまくいき始めていたんだが、如何せん、本能のみでは戦場で役に立たないからね。どうしたものかと思っていたところに」
「私が現れた」
「そういうこと」
 芹澤がデータを解析しながら頷く。
「いやあ、まさに渡りに船とはこのことだよ。彼の経験値が加われば戦闘能力は格段にアップする」
「昨日の試合での彼の動きは、まさに青天の霹靂だったよ」
「本当にいい人を紹介してくれたね。予想以上のデータが取れそうで、君には感謝しかないよ」
 二人は姫菜に向かって満足そうに言う。
「どういたしまして」
 自分達のしている事への罪悪感が麻痺しきっている二人に合わせて姫菜も微笑んで頷いた。

第十五話 再再戦、進化した生物兵器 

 裕輔はゆっくりと建物の中に入った。
 室内は電灯が煌々と点けられていて明るい。大きい建物だから、何階建てなのかと思いきや、倉庫のように、だだっ広い一室で、正面の壁を見ると、上の方に小窓があり明かりが漏れている。
 いわゆる体育館のようなものだが、壁から何まで鉄製でできているというのが異常さを表している。
 明るいけど温かさは感じない空間。
 壁の向こうの作りは分からないが、おそらくはあの小窓の向こうに黒幕と姫菜がいるのだろう。
 ここにも、ご丁寧に数台のカメラとスピーカーがある。
「さすがだね、大河君……と言いたいところだが、君の人間離れした強さには驚きしかないというのが正直な感想だよ。君は予想以上のようだ。さあ、もっと驚異的なデータを叩き出してくれ」
(データ? それが目的か……。俺のデータを取ってどうする気だ? その先の目的は?)
 自問自答しながら、裕輔は、室内へと足を踏み入れていく。

「さてと、いよいよ本番と行きますか」
 芹澤は両手をすり合わせながらニヤリと微笑む。
「X1へのデオキシコロニールは多めにしておいただろうな?」
「はい。今は抑制する必要はありませんから、限界量まで注入してありますよ」
「そうか。それなら興奮状態はマックスだな。まあ、限界を超えたら、さすがに血管が破裂してしまうからな」
「ええ。この状態なら、X2、3のように動物の本能で怯えて逃げ帰ることもないでしょう。逆に彼の身が心配ですよ」
「ああ。まさに戦闘マシーン……生物兵器そのものだからな。まあ、殺してしまったら、それは それで仕方がないだろう」
「そうですね。科学の発展に犠牲はつきものですから」
 二人は、さらなるデータ収集の準備を進める。
 完全に心が麻痺しきっているようで、おぞましく感じる反面憐れでもある。
 二人の姿を見て姫菜はそう思っていた。ただ一つの不安を抱きながら。
(おそらく、もう戦っている相手の背景が、普通ではないことくらいは想像がついているだろうな。そうなると、裕輔君の場合、憎しみや怒りよりは、悲しみや憐みの方が大きいはず。そうなると、計画の一つは破綻かぁ……)
 ここで頭をもたげてくるのが裕輔の優しさだ。
(相手を思いやることのできる暗殺者……非情に徹するようで徹しきれない)
 人間としては持ち続けていてほしい感性だが、今この場では不要のものだ。
(今は自分自身の葛藤とも戦っているのかしら。はたして、そんな精神状態で核となる氣を操りきることができるのかどうか……)
 ここから先は、さらに厳しい戦いとなるが、姫菜としては戦い抜いて勝利してもらわないと困るようだ。
(勝手で悪いけど、優しさは封印してよ。そうじゃないと、計画が完遂しないんだから)
 姫菜は唇を噛みしめながら、祈る思いでモニター越しに裕輔を見つめ、ふとあることに気付く。
(フ、考えてみれば、裕輔君をこんな形で利用している私自身が一番の悪でクズか。なんてったって、生物兵器扱いしているのと同じだものね)
 そのことに気付いた姫菜は、自分で自分を詰り苦笑いを浮かべていた。

 正面の壁の大きな鉄の扉が開く。
「ウガアァァーッ! ガルゥー……」
 先程とは比べ物にならないくらい、かなりの興奮状態で眼光もより鋭く、殺気を漲らせたX1が現れた。
 筋肉もより膨れ上がっており一回り、いや、二回り体が大きくなったように感じる。
「悲しみに満ちた眼だな……」
 その反面、立ち居振る舞いとは裏腹の眼を見て裕輔は思わず呟いた。
 どこから来て、どんな理由、経路で、この姿に至ったのかは分からないが、彼にも名前があり、愛する家族や国、夢があったであろうことを思うと、悲しさと憐みしか湧き上がってこない。
 X1の後ろの壁の向こうにいる黒幕に対する怒りは増すばかりだ。
 できれば対戦したくないが、姫菜を救うために戦わざるを得ない。
 裕輔は、X1に対する戦闘意欲はないが、黒幕への怒りをパワーに変えて戦う覚悟を決める。
 憐みを吹っ切って氣を体中に充満させていく。
 室内では、裕輔の発する闘気と、X1が発する殺気がぶつかり合っている。
「ウゥゥー……ウガァーッ!」
 呻きながら興奮を抑えきれないX1が飛びかかってきた。相変わらずのスピードで右手を突き出して迫ってくる。
 裕輔はとっさに右手を掴んでいなそうとするが、X1は左手で裕輔の頭を薙ぎ払おうとする。当たる寸前で何とかスエーで避けたが、間髪入れずに噛みつこうとしてくる。
「くっ……」
 苦し紛れの裕輔は、右手を掴んだまま体を反転させ一本背負いで投げ飛ばした。
「グオォーン!」
 X1は受け身が取れず床に叩きつけられる。しかし、すぐさま腕を振りほどき、態勢を整え距離を取って身構える。
 彼は一体何と融合させられたのだろうか? 攻撃や仕草、パワーは熊のようだが、スピードは違うように感じる。この瞬発力はどの動物のものだろうか?
 再び同じパターンで攻撃してくる。これが獣の限界。
と思いきや、裕輔が真空斬を放って迎撃に入ろうとしたところ動きが急に変わる。
 裕輔に接触する寸前に横に飛び、床を蹴り飛び上がって左上から襲い掛かってきた。
「なっ!」
 見事に真空に巻き込まれるのを避け、今度は両腕で組み伏せてくる。打撃技でなく組技での攻撃に変えてきた。
 裕輔は押し潰されるように床に転がりながら、急いで首元を防御する。
 X1の狙いは……確実な急所……喉だから。
 確実に経験値がアップしている。裕輔は防御しながら驚きを隠せない。

「素晴らしい! 素晴らしいぞ、X1!」
 椅子から飛び上がって喜ぶ切干。
「いかがですか、所長? 先程のX2達との戦闘から得たデータを、私なりに計算して加味したものをインプットしたのですが」
 芹澤が自信に満ちた笑顔で確認する。
「素晴らしいよ、芹澤君。我々の意図していることは順調に進んでいるようだ。経験値を加えていけば最強の生物兵器は作れる」
 切干が目を輝かせながら巨大モニターを見つめている。
「ええ。元々は人間なので、多少の知性と学習能力は残っていますからね。データを加えてやれば応用も可能なはずです」
「そうだな」
 芹澤の推論に笑顔で納得する切干。
(フ、過去の経験値は、所詮過去のものなのにね)
 姫菜は喜ぶ二人を尻目にそっと微笑む。
「ところで、X2と3はどうなんだ? あの犬も?」
 切干がついでとばかりに尋ねる。
「かなりのダメージを受けたようで、おそらくは……」
 芹澤もパソコンのキーを叩く傍らで答える。
「そうか。予定通り処分に回すか。フ、まあ、替えはいくらでも調達できるから気にすることはなかろう」
 特段、何の思い入れもなく切干が言う。
「そうですね」
 つられるように、さも当然と相槌を打つ芹澤。
(人間のクズの、うんざりするような会話ね。まあ、実験台にされている方も似たようなものだったけど)
 姫菜は軽蔑の眼差しで二人の背中を見ている。
 詳しい事情を知らない裕輔は、処分などしなくても、治療をすれば回復できるように、いつもとは違う形で追い払った。
 しかし、残念ながら切干達にその思いは通じていない。
「まあ、不法滞在に加え、犯罪まで犯したゴミの処分を、金までかけてやってるんだ。むしろ、感謝されるだろう、なあ?」
 切干が芹澤に語り掛ける。
「もちろんですよ」
 切干の言うことに芹澤も頷きながらキーを叩いている。
(なーに、自分達のことを正当化しようとしているのよ、まったく。命に肩書はないってことなんて、あなた達じゃ一生かかっても分からないでしょうけどね)
 姫菜は二人の会話を聞きながら心の中で、呆れながら毒づいている。

 そして裕輔。
 やられっぱなしというわけにはいかない裕輔は、膝蹴りでX1を跳ね除けようとする。
 だが、ここでもX1は素早く対応する。
 自分の両腕を支点にして地面を蹴り、下半身を上げることで膝蹴りを防いだ。
「ちぃっ! さっきの奴らとは違うのか?」 
 裕輔は、一転闇雲に首を掴んで、パワーでX1を投げ飛ばした。
 地面に転がるX1。裕輔は素早く起き上がり態勢を整える。
「様子見なんて呑気に構えてはいられないようだな」
 裕輔はX1より先に動く。
 瞬時に間合いを詰めると、掌に氣を込めて突っ張りのように連打で、大河空転乱舞を撃ち込む。
「グハァーッ!」
 さすがに避け切れなかったX1は、血を吐きながら片膝をついた。

「ん? 今度は対応できなかったか……」
 切干がため息交じりに呟く。
「急いでプログラミングして送信します!」
 激しくキーボードを叩きながら芹澤が叫んだ。
「まさか……?」
 切干は、先程から感じていた疑念を確認するため、パソコンを操作している。
「どうされましたか?」
 パソコンから目を離すことなく芹澤が尋ねる。
「いや、もしや、大河裕輔はサイボーグか何かなのかと思ったんだが……」
「ハハ、私も先程確認してしまいましたよ」
「そうか、君もか。しかし、サーモグラフィーやX線画像を見ても普通の人間だな」
「ええ」
「今の攻撃なんかは、筋肉強度二百、速度は六百五十キロか……。とてもじゃないが……」
「本当ですね。筋肉は完全に鋼鉄の鎧と化しているはずです。それでいて、この速度を出せるというのはどういうことなんでしょうか?」
「まったくだ。全てが規格外だな」
 切干はため息をついて腕組みをしている。
「ましてや、高校生ですからね。本当にどういうことなんですかね」
 一連の作業が一段落したようで芹澤も腕組みをしている。
「しかし、このサーモグラフィーに映る血流は異常だな。攻防の際には真っ赤になるぞ」
「ええ。体の細部に至るまでもの凄い勢いで……まさに迸っていますね」
 裕輔が、空殺拳を使う際のことのようだ。
(氣の流れってやつのことかしら?)
 二人の会話を聞きながら姫菜も考えている。
 姫菜も詳しくは分からないが、それが核となる氣の流れを指している。
 それによって、潜在能力に至る百パーセントの力が引き出され、全身の筋肉を鋼鉄と化し、瞬発力などの身体能力が常人を遥かに凌げるようになる。
 まさに超人となるわけだから、一般人の数値など比較になるわけがない。

 裕輔は片膝をついたX1を見下ろしながら話しかける。
「なあ、日本人じゃねえから通じないかもしれないけどよ、俺には勝てないぜ」
「ハァ、ハァ」
 やはりダメージは相当のようだ。声が出せないでいる。
 空転乱舞が全部命中したのだから当然の状態だ。
「何とか自分の意志ってやつを取り戻してくれるとありがたいんだがな」
「…………」
 これ以上戦う必要はない、黒幕が喜ぶだけだと裕輔は考えている。
「人を待たせているんでな。そろそろ幕引きにしたいんだが……なんて言ってみたけど、どっちみちもう動けないよな」
 一応は相手を尊重する意味で話してみたが、もう決着はついた。
 裕輔はそう思い、とりあえず、X1が出てきた真正面の鉄扉へと向かう。

「X1はどうした?」
 切干が芹澤に確認する。
「興奮状態は継続できていますが、肉体が言うことを聞かないようです」
 芹澤が数値を確認しながら答える。
「そうか。しかし、大河裕輔は何寝言を言っているんだ、笑えるな」
「本当ですね。ただの実験動物相手に」
「意志を取り戻すだと? 元々下等な奴に、まったく笑いしか起きんな」
 切干は腹の底から笑っている。
 姫菜はその背中をジッと睨んでいる。
「人身売買ブローカーなんていうクズに顎で使われるしか能のない下等生物に、こんな能力を持たせてやったんですから、X1は、きっと感謝しているでしょうね?」
 芹澤も調子に乗って笑っている。
「ああ。まあそんなことより、芹澤君いよいよX4の出番だな」
「はい。準備はできています。ちなみに今の戦闘データも分析して加えてあります。デオキシコロニールも限界量ギリギリまで注入しました」
「フ、場合によってはリミッターも外してしまおう」
「そうですね。プログラミング信号の送信で簡単に操作できますからね。でも、そうなると文字通りの残虐非道な殺戮マシーンになってしまいますよ」
「フ、願ったり叶ったりだ。さあ、さらなるデータ収集と行こうか」
「はい」
 二人は目を輝かせながら準備をしている。
(何だか自信ありげだけど、フフ、さすがは私が見込んだ裕輔君ね。普段は飄々として掴みどころがないけど、やっぱり伝承者ね。スイーパーモードになると変わるわ。これなら上手くいきそうかな。でも、全てが予定通りってわけには、やっぱりいかないか)
 準備をする二人をよそに姫菜はそっと微笑んでいる。
(まあ、彼を選んだ以上は仕方がないわね。でも、その方が良かったのかも……)
 そして、微笑みながら自分に言い聞かせている。

 第十六話 生物兵器の脅威

 裕輔は鉄扉に手を掛けようとしたが、扉の向こうから今まで以上の殺気を感じ離れた。
 圧倒するような物凄い威圧感。
「グワァァァーッ!」
 何者かが発狂した猛獣のような唸り声を上げながら、重量感溢れる足音を響かせて近づいてくる。
 ドッガーンッ!
 鉄扉が破壊されそれは現れた。
「グゥオォォー!」
 叫び声をあげ自分の胸を叩いている。二メートルはあるだろうか、ずんぐりとした体形だが筋肉質で腕や足も成人男性の二、三倍はある。体重は百キロはゆうに超えると思われる。
 茶色の長髪はボサボサで目は細く鋭い。ゴリラと何かの融合生物と推測された。
 少しキョロキョロしていたが、裕輔を補足し眼光鋭く睨みつけ、巨体を揺らしながら近づいてくる。
 しかし、数歩進んだところで、立ち止まり衝撃の行動に出た。
「グアァァーッ!」
 雄たけびを上げたと思ったら、足元で蹲っているX1の後頭部に拳を振り下ろす。
 無防備のX1は、そのまま床に顔面を押し付け、いや押し潰され、一言も発することなく、血を噴き出し手足をピクつかせている。
 そんなX1の首を掴んで持ち上げると、反対側の拳で胸を思いっきり殴りつける。
 その衝撃で、勢いよく壁まで飛ばされたX1。壁に激突すると、背中から多量の血が飛び散る。
「……グ……ッ…………」
 飛ばされたX1は、そのまま床にずり落ち、壁にべっとりと血を付着させ絶命した。

「…………」
 モニター超しに見ていた姫菜は絶句している。
「残虐性といい、パワーといい申し分ないな」
「まさに戦闘、いや、殺戮マシーンですね」
 切干達は罪悪感のかけらも感じていないようで嬉々として満足していたが、突然芹澤が叫んだ。
「所長、見て下さい! 数値が、さらに上がって行ってます!」
「ほ、本当だ。上がるというより、跳ね上がっているといった方が的確だな。一体何者なんだ、彼は? ひっ……!?」
 パソコンを見ながら感心していた切干は、モニターを見て悲鳴を上げる。
 カメラに向かって全開モードになった裕輔がこちらを睨みつけているからだ。そう、暗く冷たい暗殺者の眼で射るように。
 目指す敵がカメラの向こうでせせら笑っていることくらい分かり切っているから、怒りの矛先はこちらに向かう。
(フ、目の前であんな光景を見せつけられたら、そうなるわよね。氣が爆発するくらいまで高まっているんでしょうね。ひょっとして、今度は……)
 姫菜はそう考えながらモニターを見つめている。
 
「うおぉぉーっ!」
 裕輔は雄たけびを上げ一気に氣を開放する。
 それに伴い、建物が地響きを立てて揺れる。
 放たれた氣は波紋状に広がっていく。X4の巨体も、その威力に押し戻されて数歩後ろに下がる。
 裕輔の体温は一気に上がり、体の周りの大気が動き始めている。再び室内に微風だが風が吹き始めた。

「また、風が吹き始めた!?」
「自然現象まで起こすほどの熱量。どうなっているんだ、一体?」
 裕輔が引き起こしている現象に度肝を抜かれ、ただただ驚く二人。
(彼の怒りがいかほどかってことね)
 姫菜は、冷静に黙って見ている。

 X4は負けじと、より眼光を鋭くして睨みつけてくる。殺気と殺気がぶつかり合う。
 裕輔は、怒りのあまり闘気ではなく殺気を漲らせる。X1達と戦っている時は自制できていたので闘気に収まっていたが、今は制御できないでいる。
「ウガアァーッ!」
 たまりかねたX4は威嚇のため吠えて、胸を叩き出す。
 知性のかけらも感じられない、猛獣そのものの状態だ。
 庭先で相手をした彼らは、威嚇することで戦意を喪失させることができたが、X4に至っては、興奮状態の方が勝っていて、それも難しそうだ。
 意図的に興奮させられているようだから、おそらくは恐怖心や痛みを感じてもとどまることはないだろう。
「グオオォォーッ!」
 そんなことを考えているうちに、雄たけびと共に攻撃を仕掛けてくる。
 巨体のわりに素早い。左右にステップを踏んで飛び跳ねてくる。
 下半身はサバンナを駆け抜ける動物の何かを想像させる。 
 驚いたことで、裕輔の対応が一瞬遅れた。気が付いた時には、目の前に顔が現れている。
 先程からの戦闘の癖で、すかさず首元のガードに徹したが、無防備の体に、突っ込んできた勢いそのままに膝蹴りを撃ち込んできた。
「ぐっ……」
 珍しくモロに食らった裕輔。筋肉の鎧がなければ致命傷となっていたと思われるほどの威力だ。
 息つく間もなく、裕輔の両肩を掴もうとしてくる。固定して再び膝蹴りを撃ち込む気のようだ。
「させるかぁー!」
 裕輔はとっさに左右の突きで怒涛の連打を繰り出す。
 だが、これにも対応しようとしている。裕輔の動きに合わせ必死になって左右の拳を撃ち込んでくる。
「グアァーッ!」
 防御なんて関係ないとばかりに、裕輔の繰り出す突きを何発も食らいながらも撃ち返してくる。しかも、蹴りも加わってきている。
 裕輔は撃ち込みながらも、防御も加えて対応するが、X4は違う。ダメージを負うのは承知の上で防御なしに撃ち込むのみ。
 仮にも裕輔の打撃だ。通常なら一撃必殺の威力のはずだが、X4は耐えながら撃ち込んでくる。
 恐怖や痛みはごまかせてもダメージは募るはず。だが、X4は耐えうる体を持ち合わせているようだ。
「…………!?」
 それにも増して信じられないことが起こりつつある。裕輔同様に攻防が成り立ちつつある。
 X4は撃っては避けたり、はたいたりして、ダメージのない攻撃ができるようになってきた。
 まさに真似ることで学んだようだ。

「いいっ、いいぞっ、X4!」
 切干が、この攻防を見て手放しで喜んでいる。
「いかがです? ゴリラに加え、サル、チンパンジーも交配してありますからね。学習能力も高いはずなので応用もバッチリですよ」
 芹澤は勝ち誇ったように胸を張る。
「元の奴も、残虐非道な性格の上に体格もがっちりしていたからな」
「ええ。さらに筋肉増強剤やデオキシコロニールで強化しましたからね。まさに鋼鉄の鎧をまとった破壊兵器です」
 二人は満足そうに会話を交わしている。
(おぞましい……)
 この狂気の沙汰の会話を聞きながら、姫菜は吐き気を催すほど苦虫をつぶしている。

 ガードしては撃ち合う、地響きを伴い、突きと蹴りが激しく交錯する。
 拳と蹴りがぶつかり合いながら、ジリジリと裕輔は後退させられている。体格差、体重差は否めないから仕方がない。やがて背中に壁が迫ってきた。
 裕輔は隙を見て回りこもうとするが、なかなかできないでいる。持久力も相当なもので、攻撃が弱まる気配がない。
 逆に隙を見逃さなかったのはX4だった。
 裕輔の背中が壁についた途端、攻撃方法を瞬時に変えた。突きと蹴りのパターンを変え、膝蹴りまで加えてくる。
 これ以上は裕輔が後ろに下がれないと分かったからだろう。
 裕輔は、腕の動きを速め膝蹴りへの対応もする。だが、これはX4なりのフェイントだったようだ。
 いきなり、両腕の掌を合わせて振り下ろしてくる。とっさのことで対応が遅れた裕輔は、後頭部に食らってしまった。
「ぐはぁーっ!」
 思わず崩れ落ち片膝をつく。なおも振り下ろし撃ちつけてくる。
 そのさなか、X4の股の下の隙間を見つけた裕輔は、躊躇うことなく前転しながら飛び込み、その攻撃から逃れた。
 振り向いてすぐさま態勢を整える。
 X4はこの攻防を繰り返しながら、確実に成長している。裕輔の動きを元に、応用して、確実に自分のものとして昇華させている。
 裕輔は、より一層氣を高めていく。
「グガァー!」
 力強く床をけって、飛び跳ねるように迫ってくるX4。一瞬にして間合いが詰まる。
 裕輔が、苦し紛れにぐっと睨み据えると一瞬怯んだのか動きが鈍る。そのため、近づいたと同時に撃ち込まれた突きのスピードが鈍った。
 裕輔は掌で受け止め拳を強く握り締める。
「グオオォォーン」
 痛みに耐えかね悲鳴を上げながら、もう片方の拳を何の規則性もなく振り回してくる。
 より凄みを増した裕輔の眼が、X4に恐怖を思い出させたようだ。薬物で感覚を麻痺させようが、本能は騙せない。
 裕輔は数段アップしたスピードで振り回される拳をなんなく避けて見せる。X4の恐怖は焦りを加え増していく。
「ウオォォーッ!」
 苦し紛れに威嚇してくるが、全開モードの裕輔にはもはや何の効果もない。
 裕輔は握りつぶしていた拳を放すと同時に真空斬で蹴りを三発撃ち込む。
「グハァーッ!」
 真空に巻き込まれ身動きが取れない状態で食らったため、相当なダメージを負ったようだ。
「グウゥゥゥ……」
 呻きながら、ヨロヨロと後ずさりしていく。それでも、立っていられるだけ大したものだが。

「ん? どうしたんだ、X4は? 動きが鈍くなったようだが」
 この様子を見ていた切干がパソコンを見ながら考えている。
「特に、体に異変があったようではありませんが……。ただ、急激にアドレナリンの分泌が減少しています」
 芹澤が数字上分かることを伝えていく。
「なぜだ? デオキシコロニールを大量に投与した副作用か何かか?」
「……かもしれません。しかし、すぐに学習して盛り返すでしょう」
「そうだな」
 二人は楽観的に考察している、そう、大事なことを忘れたまま。
 あくまでも、X4は生きている人間だから、理性もあれば本能もある。いくら薬物でコントロールしようとしても限界はある。
 あの眼になった、大河空殺拳伝承者として本気になった裕輔と対峙しているのだから、本能が強さを感じ取り、恐怖という呪縛をもたらしてもおかしくはない。
(己の思考に傾きすぎたがゆえに肝心なことが見えていないのか。ホント憐れね)
 姫菜は、現実が見えていない状態の二人を見ながらそっと目を伏せる。
 所詮イミテーションはイミテーション、オリジナルを超えることは不可能だ。
 なぜなら、生きとし生ける者は常に経験し、成長しているのだから。たとえ一分一秒でも過去は所詮過去。その過去を真似しても、常に一歩前の未来を生きているオリジナルを追い越すことはできない。
 真似をして対応しても、常にその先を行くオリジナルには。
 そもそも、本気を出した裕輔を真似ることなど不可能なことなのだが。
(勝負ありってとこかしら……。まあ、裕輔君のことだから、これ以上は続けないしね)
「ご自慢の坊や達、負けちゃったの?」
 姫菜は、意地悪く笑みを称え問いかける。
「心配するな。まだまだ勝負はこれからだ。X4を甘く見るんじゃない」
 切干は振り返って自信満々に答える。
「そうなの? 随分と旗色悪そうだけど」
「ハハハ、慌てなさんな」
 芹澤も余裕で答える。
「自信があるのはいいけど、あんなに気圧されちゃっていて大丈夫なの?」
 姫菜は意地悪く事実を指摘してやる。
「何を言っているんだ、まったく。あいつに感情なんてものは存在していない。ただの殺戮マシーンだ。まあ、残っているとしても、怒りと憎しみくらいだし、あいつは元々慈悲なんてものは持ち合わせていないからな」
 切干は、バカにするようにせせら笑いをしながら言い返す。
「そうなの? それにしてもねぇ……」
 姫菜は首をかしげながらモニターに目をやる。
「まあ、ゆっくり見物しているんだな。仮に、あんなクズが壊れたところで替えなんかはいくらでもいるからな、さあ、芹澤君限界を越えさせようじゃないか」
 切干が芹澤に合図を送る。
(あなた達も負けず劣らずのクズなんだけどね)
 姫菜は返事をすることなくそっと微笑んだ。
「はい。今からデータを送信します。まったく、人身売買ブローカーなんぞやっていたクズが。しっかり働け!」
 芹澤が含み笑いをしながらパソコンを操作している傍らで、姫菜の眉がピクっと反応する。
「まったくだ。奴だけじゃなく、1も2も3もだがな。女を人とも思わない悪魔の所業をやっていた奴らだからな」
「本当ですね。こいつらの所業で数知れない女達がむごい死に方をしていきましたからね」
「ああ」
 二人は自分達のしていることを棚に上げて笑っている。
 姫菜は唇を噛みしめてその会話を聞き流し、モニターを睨むように見ている。
 
 第十七話 悲しみに満ちた行進

 X4は、しばらく肩で息をして耐えていたが、やはりダメージが大きかったようで片膝をついて崩れる。
「無理するな。動けやしねえよ」
 裕輔はそう言うと、カメラをチラ見して破られた扉の向こうへと歩を進める。
「カメラの向こうで相棒が待っているんでな。悪いが先に行かせてもらうぞ」
 裕輔は、横を通り過ぎる時にこう語り掛けた。
 その刹那。
「ウガァーッ!」
 突然ひときわ大きな声で叫び出し、裕輔に掴みかかって来る。
 まさに獣が必死にという感じで、ただただ掴みかかったり殴りつけてきたりする。こういう攻撃は、規則性がないから反って対応しにくい。
「また、興奮してきたのか!?」
 裕輔は不思議に思いながらも、避けたり突きや蹴りを食らわして引き離す。
 真空斬、空転乱舞を交えながら容赦なく撃ち込む。
「グオォーッ!」
 大河の技、空転掌で撃ち込んでいるから、筋や腱には相当なダメージがあるはずだ。それでも、吠え、涙を流しながら血を噴き出し突進してくる。
 満身創痍……見るに堪えない悲しい姿だ。理性では止めたいのに止められない。まさに、そんな葛藤を抱えながらの行進だ。
「グワァーッ!」
「このやろうっ!」
 相手に対する憐れみはあるものの、執拗な攻撃をかわし切れない裕輔も段々と焦って来る。
 合わせる形で、裕輔も技のオンパレードで対抗する。
「くっ……」
しかし、焦りからか当然のごとく集中力も散漫になっており、気付かないうちに技が技でなくなってきている。
 そう、もうただの乱れ打ちでしかない状態だ。
 そんな打撃が効くはずもなく相手の肉体と己の心がただ荒んで行くだけになっていた。
「くあぁっ!」
「ウガァーッ!」
 咆哮しながら乱れ打ちを繰り返す裕輔とX4。
 闇雲の撃ち合いになってしまうと、体格差がハンデとなってくる。裕輔は、どんどんと押し込まれていき劣勢は明らかだ。
「ちぃぃっ!」
 裕輔自身は真空斬を放っているつもりだが、真空を巻き起こせていない。
「ウガァーッ!」
 撃ち込んだ際にバランスを崩し、頭を上から押さえつけられてしまった。
 同時にX4の強烈な膝蹴りが突き上げられる。
「ぐはぁー……」
 口から血を噴き出し、天井を仰ぐ裕輔。
 一瞬だが目の前が真っ暗になり、意識が飛びそうになる。
 そんな裕輔にX4は、容赦なく上から両手を合わせた握りこぶしを何度も撃ち下ろしてくる。
「ゴガァーッ!」
 X4は叫び声を上げながら、狂ったように何度も何度も撃ち下ろし続ける。

「よしっ、そうだっ、いいぞっ、X4!」
 切干はモニターに映る攻防に満足して叫んでいる。
「リミッターを解除したあいつは、まさに無敵の殺戮マシーンですね!」
 芹澤も嬉々として見つめている。
「さあ、どうするんだ大河裕輔? こういう時お前ならどう行動して、どれほどの数値を見せてくれるんだ?」
 切干は、目の前の死闘を楽しみ、手もみをしながらニヤニヤしている。
(この二人には、もはや命なんていう概念は存在しないのね)
 半ば分かっていたことだが、二人の様子を見て、姫菜は苦笑いを浮かべている。
「はっは、どうだい? 言った通りだろう?」
 芹澤は姫菜の苦笑いを、満足の笑いと勘違いしているようで、振り返って同意を求めてくる。
「そうね。大したものね」
 姫菜も合わせるように演技を続け同意し、そっと微笑む。
「芹澤君、このままだと殺してしまうかな?」
 切干は何のためらいもなく笑って問いかける。
「ええ、そうなりそうですね。でも、まあ、ここまでデータが取れればいいでしょう」
「フ、そうだな。これだけのデータが取れる奴は、そうそういないが仕方がないな」
「ええ。まあ、大健闘したということで手厚く葬ってやりましょうよ」
「ハハ、そうだな」
 聞くに堪えない会話、マッドサイエンティストの欲望は尽きるところを知らない。
(フ、狂人共が)
 姫菜は、唇を噛みしめながらぎこちない笑みを称え、心の中で吐き捨てた。

第十八話 本能が支配する時 

「グガァーッ!」
 X4の攻撃は続いている。 
 撃ちつけられている裕輔の意識は、益々遠のいていき、痛みはもちろん打撃音も聞こえなくなってきている。
「ぐ……このままだとマズイな……」
 薄れゆく意識の中で、打開策を探ろうとしているが、体の踏ん張りも利かなくなってくる。
やがては膝立ちとなってしまい、完全に意識は途切れてしまった。
「ウガァーッ!」
 それでもなお撃ち続けるX4。室内には重厚な打撃音のみが無機質に響く。
「………………」
 裕輔は膝立ちのまま撃たれ続けていた。
「グオォォーッ!」
 X4は、勝ち誇ったように咆哮しながら、一層力を込めていく。

「勝負あったようだな」
「ええ。完全に動きは止まりましたね」
「まあ、あの怪力で殴られ続けたんじゃ仕方がないな」
「本当ですね。善戦はしましたが、ここまでのようですね」
「科学の発展の犠牲者だ。丁重に葬ってやろう」
 切干は、含み笑いをしながら言い、データを見ている。
 その横で芹澤はデータ解析と処理をしている。
「しかし、所長。驚異的な数字ですね」
「ああ。本当だな」
 二人はため息交じりに呟き、データの分析をしようとしている。
(………………)
 姫菜はしばらくの間、思考が停止したまま、モニターを見つめている。目の前の出来事を受け入れられないでいる。
(ダメ……なの……? まさか…………こんな形で計画変更になるなんて)
 祈る思いで見つめるが、モニターに映る裕輔の姿は撃ちつけられっぱなしのままだ。
 姫菜は、この絶望的な状況を受け入れられず、そっと目を伏せた。
 土壇場に来て、切干達は意図せず、裕輔の弱点をつけた格好になる。非情になれず相手を思いやりながら戦う姿勢が生み出す、ほんのわずかな心の隙を見事につかれてしまった。
 様子を見ながらギアは上げて行っていたが、トドメを刺さずに済まそうとした姿勢が、相手に付け入る隙を与えてしまい、逆襲のチャンスを与えてしまったのだ。
(死闘である以上、非情さは必要。それに徹しきれなければ必然の結果か。人としては持ち続けてほしい感性だけど、難しいものね)
 姫菜はため息交じりに首を左右に振っている。そして、ギュッと唇を噛みしめ目を瞑り、数秒後意を決して顔を上げる。
(さあ、しっかりしなきゃ! 裕輔君には悪いけど、感傷に浸っている暇はないわ。ここから先は自分でやるのよ!)
 姫菜が、そう自分を鼓舞し、次の行動に出ようとした時、芹澤の叫び声を聞いて立ち止まる。
「所長、様子が変です!!」
 モニターに目を移した芹澤の叫び声。
 つられるように切干と姫菜もモニターを見る。

「ウガァーッ!」
 咆哮しながら撃ち続けているX4の声に戸惑いのようなものが混じって聞こえてくる。
 はた目には大男が、完全に獲物を倒し、なおも無抵抗の相手に攻撃を続けている図でしかないのだが、明らかにX4の様子がおかしい。
 よく見ると、撃ち込んでいる両手の握り締めた拳は、裕輔にクロスガードされており、段々と持ち上げられ始めている。
 次第に裕輔も膝立ちから立ち上がってきた。
 そして、クロスガードした腕が持ち上がり顔が見えた瞬間、姫菜、切干、芹澤、X4の一同は絶句し、背筋に悪寒が走った。
 裕輔の眼は、暗く冷たいものに加え、奥底には何やら怪しげな淀んだ光を帯びている。にもかかわらず、全てを達観したかのように無表情だ。
 その無表情のまま、口の端から血を流し、まっすぐにX4を見つめている。
 表情とは反比例するようにX4の怪力を平然と受け止め、何事もなかったかのように突っ立っているのだ。
「ウ……ウォ……ウォォーッ!」
 ゴリラとの融合生物のX4は、湧き上がる恐怖を打ち消そうと胸を叩いて必死に威嚇している。

「い、一体、どうなっているんだ……」
 切干が息をのんで呟く。
「な、何が起きたんでしょうか……」
 芹澤も言葉を継げない。二人共目の前の出来事に完全に気圧され冷や汗をかいている。
「…………」
 姫菜も言葉を発することができないでいる。
「あ、あの怪力で撃ち込まれても平気なのか……。重機並みの威力のはずだが……」
 切干は受け入れがたい現実を突きつけられ動揺は収まらない。
「か、完全に倒したはずなのに……」
 芹澤も呆気に取られてしまっている。
(何が起きているのか分からないけど、喜ぶべきかしら)
 姫菜は、絶脳の中に見えた一縷の望みにホッとしている。

 三人以上に恐怖を感じているX4は、訳も分からず両腕を薙ぎ払ってくる。
 裕輔は、何百キロはあるであろう打撃を、いとも簡単に腕で払うようにガードしてしまう。
「グゴォーッ!」
 今度はX4が右足で蹴りを撃ち込んでくる。
 裕輔は左腕で受け止めると、ガラ空きの腹に右の強烈な突きを撃ち込んだ。
「グハァーッ!」
 X4は、口から血を噴き出し背中をやや丸めながら数歩後退する。
 依然無表情のままゆっくりと裕輔は間を詰めていく。
 そして、流れるような動きで真空斬、空転乱舞で、突きや蹴りを撃ち込んでいく。
 肉体強化も興奮も極限状態のX4だが、耐えきれないようで顔をゆがめ声を上げる。
「ウォーン! ウォーン!」
 まるで幼児が泣いているような声で。
 そんなX4を裕輔は無表情のまま見つめている。

「ええいっ、何をしているんだX4は!? 情けない声を上げおって!? 芹澤君、何とかしたまえっ!」
 切干はイライラしながら叫び、芹澤に八つ当たる。
「は、はい! とりあえず、これを打ちこんできます!」
 芹澤は、何やら薬品が入ったロケット鉛筆のようなものを持って、下へと向かった。
「デオキシコロニールか……。あんな奴は死んでも構わん。とにかく負けは許さん」
 切干はモニターを見つめながら独り言のように呟いている。もはや、データ収集という本来の目的を忘れ、打倒裕輔に固執してしまっている。
(まっ、自分の作品が否定されるのは嫌でしょうから、こうなるのも当然なのかしら)
 姫菜は憐みの眼で切干の背中を見ている。
 その時、ふと切干が声を掛けてきた。
「さっきから、大人しいが、いつものチャチャはどうしたんだね?」
「あーら、殿方が一生懸命に仕事をされているようだから静観させていただいているだけよ」
「フ、そうかね」
「申し訳ないけど、私には勝ち負けなんか関係ないから。少しでも良質な製品を提供していただければそれでいいのよ」
「フ」
 切干は鼻で笑うだけで、それ以上は何も言わない。
(この女狐が)
 そして、姫菜に聞こえないように、残りの言葉は心の中で吐く。
(本当に憐れね。結局恐怖と痛みで泣いているじゃない。感情も消せず、破壊力でも最強になれない失敗作。あなた達の研究なんて、もう破綻してしまっているのよ。まあ、半ば気付いているからこそ焦っているんでしょうけど)
 姫菜は、裕輔のこの様子に安堵したため、再び切干達を皮肉る余裕が出てきた。

 切干達がこんなやり取りをしている間に、芹澤は二人が戦っている部屋に姿を現した。
「よし!」
 拳銃のようなものに薬品入りの鉛筆型のものをセットして狙いを定めている。狙いはもちろんX4の背中。
 先端が尖っており、刺さってへこむと中身が出てくる仕組みのものだ。
「ウォーン! ウォーン!」
 狙いの先では、相変わらず幼児のような悲しい声でX4が泣いている。
「そのまま動くなよ……」
 祈るように呟きながら芹澤はトリガーを引く。
 グサッ。見事に背中に突き刺さり、薬が注入されていく。
 それを見届けると芹澤は急いで研究室へと戻った。
「ウ、ウ……ウガァーッ! ガァァァーッ!」
 泣いていたX4は、一瞬苦しそうに呻いたが、突然堰を切ったように咆哮しだす。
 そして、再び攻撃を仕掛けてくる。
 ブオン、ブオン。先程までとは風を切る音が比べ物にならないほどの勢いだ。
 だが、そんな攻撃でも今の裕輔には通じない。
 全ての攻撃を腕でガードしたり、体を動かして避けていく。
 避けたと同時に突きや蹴りを撃ち込む。
 X4は、もう攻撃するのみの殺戮兵器と化した状態だから、防御することもなく、ただただ撃ち込まれるのみだ。
 ダメージは相当なもののはずだが、薬やリミッター解除による精神破壊で後退や静止は許されない。
 空しく痛み傷つくだけだが、裕輔への攻撃は止まらない。

「よし、それでいい。お前なんかどうなってもいいから、そいつを仕留めろ」
 切干は聞くに堪えないセリフを吐きながら笑みを浮かべている。
「興奮状態は戻ったようですね。あの量を打てば、完全に精神は飛んだでしょうから。行進は止まらないでしょう……そう、死ぬまで」
 芹澤も息を切らしながら平然と言い、パソコンのデータを見ている。
「X4の数値もだいぶ跳ね上がったな。フフ、どちらが先にくたばるかな」
「破壊力も数倍になりましたからね。大河裕輔も、いつまでも耐えられはしないでしょう」
 二人は満足そうに数値を見ている。
(本当にバカね。攻撃ったって全然通用していないじゃない。暗殺拳の使い手として、生まれた時から鍛錬を積んできた大河裕輔。その大河裕輔の中で、あなた達の坊や以上のことが起こったっていうことが分かっていないのかしら? あっ、大河空殺拳のことを知らないんだから無理もないのか。ま、何が起こったのかは分からないけど、とりあえずは、安心かな)
 姫菜は依然憐みの眼で二人の背中を見つめ、ほくそ笑んでいる。

 裕輔の中で起こったこと、それは、生命の危険を察知した本能による精神の支配。
 大河一族が数千年に渡り受け継いできた、冷酷非情な暗殺者としてのもの。そのものの覚醒だ。
 普段は理性が勝っているため、精神の奥深くに眠った状態だが、戦いにおいて生命の危険が迫り、いよいよとなった時に理性に勝り発動する。
 まさに遺伝子、いや血がなす業。
 暗殺拳を身に付けた冷酷非情な暗殺者、これこそが本来の大河空殺拳伝承者の姿。
 危険を察知した本能のみで動いている状態、これが今の裕輔だ。

第十九話 究極奥義「大河龍頭翔⦅たいがりゅうとうしょう⦆」

「ゴガァーッ!」
 なりふり構わずX4が撃ち込み続けるが、裕輔は避けたり攻撃をしたりして捌く。
 X4は、威嚇しながら攻撃しているが、先程のように押し込むことができない。だが、行進をやめることもできない。
 裕輔は、突っ込んでくるX4を殴りつけた後、腕をつかんで投げ飛ばした。そして、構え始める。
 腰を下ろし左足を前に出して右足を後ろに下げる。
呼吸を整え、右手を引いて一気に氣を高め右の拳に集中していく。

「な、何だ?」
 裕輔の様子を見て切干が芹澤の方を見て言う。
「何か構えに入ったようですね。また、風が吹き始めてきていますが」
 芹澤も首をかしげながら呟き、パソコンの画面を見ている。
 全ての数値が跳ね上がっていっている。
「しょ、所長。見て下さい、また数値が!」
「ああ、分かっている。どんどん上がって行くな。一体何が起ころうとしているんだ……」
 二人は画面を見つめながら一抹の不安を覚えていた。
「「な、何だ!?」」
 パソコンの画面を見ていた二人が同時に叫ぶ。
「気温上昇に伴い風が発生するのは当然だが、何なんだこれは? まるで小型の台風並みの威力になってきたぞ!」
 切干が立ち上がりながら叫んだ。
「しかも、右の拳を中心に何かとてつもないエネルギーのようなものが集中していっていますよ! 筋肉強度もどんどん上がって行ってます。二百、二百五十……さ、三百を越えて行くぞ……。一体、何が起ころうとしているんだ!」
 芹澤が切干の方を振り返って、助けを求めるように叫ぶ。
「このエネルギーは何だ?」
 切干はパソコンの画面を食い入るように見ながら考えている。
「プラズマか、何かでしょうか?」
 芹澤が画面を見ながら呟く。
「そう……かな」
 切干は目の前で起きていることに困惑しきっている。
(大河空殺拳の核となる氣ってやつのことかしら……)
 姫菜もモニターを見ながら考えていた。

「グオォォーッ!」
 X4は、恐怖を打ち消そうと必死に雄たけびを上げ、胸を叩いて威嚇している。本能が、これからとてつもないものが襲い掛かってくることを察知している。
「…………」
 裕輔は、無表情無言のまま、氣を練り上げて右の拳に集中させていく。
 右の拳には大気の渦が取り巻き、竜巻のような物になっている。
 ブオォォー。室内では、風が吹き荒れる中、振動を伴い轟音が響きだす。
 大河龍頭翔……大河空殺拳究極の一撃必殺の奥義。
 右の拳に集中させた氣を、突きもろとも一気に撃ち込む技。撃ち込まれる際の拳は氣をまとい数十キロの風圧になる。その軌道は、まるで龍が昇天するかのように見えるため、この名がつけられている。
 撃ち込まれた後のダメージは、骨は打ち砕かれ再起不能、いや、死は免れない。
 完全に殺戮マシーンと化したX4を止めるには、この技を撃ち込む以外に方法はない。
 相手の未来に待つものは確実な『死』。
 普段の裕輔なら、躊躇ったり、威力の加減を考えるだろうが、本能に支配され行動している今は、そんな思考は回らない。
「グオオォォーッ!」
 己に気合を入れるように、ひときわ大きな雄たけびを上げ、X4が飛び掛かって来た。
 右の拳に氣を充満させた裕輔は、飛び込んでくるX4に、一気に撃ち込んだ。
「ハァーッ!」
 裕輔の撃ち込んだ拳は、氣の渦をまとい、まさに龍の形となってX4に襲い掛かる。
 その軌道にある床は波動でめくり上げられていく。
「グアァーッ!」
 より一層大声で雄たけびを上げ突進してくるX4。
だが、気合など何の効果もなく、龍頭翔が炸裂した。
 ドゴォーンッ! 
「グワァーッ!!」
 X4は、激しい衝撃音を伴い数メートル後方に吹き飛ばされ転がった。
 拳と共に襲い掛かった氣の渦は炸裂した後、天井に向かって飛んで行き、そのまま雄たけびのような風音を発しながら消えていく。その様は、まさに龍が天へと駆け上がるように見えた。
 やがて、室内に巻き起こっていた風は収まってきて静寂が訪れる。
 裕輔と倒れているX4の間には、波動でめくれ上がった床が、窪んだ一筋の道となって引かれている。
「グウゥゥ……」
 室内にはX4の荒い息遣いと呻き声のみが聞こえる。そして、呻き声を上げながら大の字に転がり天井を見つめているX4の眼にはうっすらと光るものがあった。
 裕輔は、その姿を暗く淀んだ冷たい眼で見下ろすように見つめていた。
 危険が去ったためか、精神を支配していた本能は、次第に影を潜めていき理性が蘇ってくる。
「これは……」
 やがて、正気に戻った裕輔の目に映った光景は、転がり呻くX4とめくれ上がった床。
 その光景を見つめながら、己の拳に残った衝撃の感触を確かめ、全てを悟った。
「参ったな……龍頭翔を撃ち込んじまったか……。例の防衛本能が発動しちまったんだな。できれば避けたかったが」
 伝承者である以上、己が持つ奥の手のことは承知している。もちろん、それが発動された時、どのようになるのかも。
「まったく、厄介な血だな」
 裕輔は苦笑いを浮かべ、姫菜がいるところへと向かった。

 第二十話 姫菜の置き土産

 破壊された鉄扉の奥に階段がある。ちょっとした小部屋になっていて、横の壁が同様に破壊されている。
 その向こうには、いくつかの檻に入れられている動物達が見える。
 裕輔は、ため息をついた後、外で待機している小松に連絡し、奥の階段をゆっくりと昇り始めた。

「お、おい、何が起きたんだ!? X4が負けたのか? もの凄い威力だったが……」
 切干がうろたえながら叫んでいる。
「……のようです。まだ、死んではいないようですが、血圧、心拍数共に風前の灯火です」
 芹澤はその場で脱力しきっている。
 受け入れがたい光景を目の当たりにして茫然自失といったところのようだ。
 実験段階とは言え、生物兵器と自負していた者達が、悉く粉砕されてしまったのだから、己の 今までの行程が全否定されたに等しい。
 茫然自失となっても当然だろう。
 その芹澤が突然立ち上がって叫ぶ。
「しょ、所長,見て下さい! 信じられません、こ、こんなことが……」
パソコンの画面を見ながら、またしても言葉を失い、その場でうなだれた。
 画面に映る驚愕の数値……測定幅が完全に振り切られていて、コンピューターも機能を失ってしまったようだ。
 そこには各数値が『∞《むげんだい》』と表示され点滅している。筋力、瞬発力、衝撃等全ての数値が。
 大河空殺拳は、伝承者の精神力に比例して氣が高められ超絶技を繰り出す暗殺拳……故に、その力は無限大。
 まさに、無敵の暗殺拳。大河空殺拳に限界は存在しない。
「む、無限大……だと。大河裕輔とは何者なんだ? この強さは一体……」
 うわごとのように呟く切干。
(無限の力を秘めた超人……か。まさに無敵ね。おっと、感心している場合じゃないわ。裕輔君が来る前に仕上げにかからないと)
 そっと微笑んだ後、姫菜は隠し持っていたスタンガンを手に、次の行動に出た。

 裕輔は、ゆっくりと階段を昇り扉を開けた。男達に捕らわれた姫菜がいると思い開けたのだが、そこには予想外の光景が広がっている。
 左壁面には大きなモニターが張り付けられており、今まで自分が戦っていた部屋が映し出されている。
 そこから数メートル離れた所の長いテーブルの上には、パソコンや様々な機材が並んでいる。各パソコンの前には椅子が放置されていた。
 そして、最も予想外な光景。
 なんと、両手両足をロープで縛られ、タオルで猿轡をされた男二人が部屋の中央で転がっていて、お目当ての姫菜の姿はない。
「ん…………何が起きたんだ?」
 裕輔は、扉を開けたまま、呆気に取られている。
そんな裕輔に向かって、男二人が何かを訴えている。
「「ウ、ウ、ウウ……」」
「フ」
 裕輔はそっと微笑んで、しばらくの間二人を見ている。
 すると、連絡を受けた小松が部屋に入ってきた。
「よお、ごくろうさん」
 入って来るなり、裕輔の肩を叩いて労をねぎらう。
 そして、一通り部屋を眺めまわした後、話し出した。
 その話には、裕輔が戦いながら感じたことも含まれており、鉢巻フーズの幹部連中が行った、とんでもない犯罪についての説明があった。
 切干、芹澤の両名に命じ、多額の予算をつけたバイオテクノロジーという名の遺伝子操作、培養、移植による人と動物の融合生物の生成の研究。
 そして、さらに薬品や機械によって強化し、人が完全支配可能な生物兵器の生産と販売。
 研究素材の猛獣の密輸、さらには元になる人間達の人身売買及び殺人。
「そうですか。じゃあ、一応は諸々オッケーってとこですか?」
「まあね。でも、これからが忙しいよ」
 小松は苦笑いを浮かべながら姫菜のことも話題に出す。
「ところで、大功労者のお嬢さんは?」
「さあ、この置き土産だけかな、あるのは」
 裕輔はため息交じりに笑いながら、転がっている二人を指さし、置き去りのパソコンにも目をやる。
「本当だね。まあ、彼女には、もう少し時間をあげようかな」
 小松は含み笑いをしながら意味深発言をする。
「まだ、何かありそうですね」
「ああ」
 小松の返事を聞いて裕輔もそっと微笑んだ。

 第二十一話 今明かされる姫菜の計画の全貌

 数日後、裕輔は田鳴国際空港⦅たなるこくさいくうこう⦆に向かう車の助手席にいる。
 運転するのは、もちろん小松だ。
「へぇ、あいつらちゃんと喋ったんですね」
「まあね。あれだけの証拠と一緒に保護されたんじゃ申し開きのしようもないからね」
 あの後、警察に保護? された二人は洗いざらい白状した。鉢巻フーズの関係者達はトカゲの尻尾切りを謀ったが、密輸ルートは解明されており、ごまかしようがなく、関わっていた幹部達は全員逮捕された。
 人身売買ルートも解明され、扱っていたマフィアは国際警察によって逮捕された。
「一連の関係者達は、やっと牢獄へ行くことになりそうですね」
「ああ」
「あとは、大功労者だけってことですか?」
「そうだね。さあ、着いたよ」
 裕輔達は車を降りて、空港の中へと入って行く。

「ありがとう、美南さん。私……何と言ったらいいのか……」
 あるフィロピン人女性が頭を下げ涙ぐんでいる。
「お礼なんかいいのよ、エンジェル。私達日本人があなたにしたことを思えば、むしろ、謝らなければいけないのはこちらなんだから」
 返答しているのは姫菜だ。
「そんなことありません。美南さんは真剣に相談に乗ってくれて……」
 エンジェルは言葉を詰まらせる。
「いいから、いいから。さ、時間よ。もう行かないと。お金はあなた名義の口座に振り込んだから、それで、お母さんの手術をするのよ、いいわね?」
「何から何まで、本当にありがとうございます。残ったお金は、他の人達のために使うようにします」
「うん、そうね。あれは、本来あなた達が受け取るべきお金だから。皆さんのお役に立てて」
「はい、そうします。手紙書きます」
 エンジェルは何度も何度も頭を下げている。
「ええ。お手紙楽しみにしているわ。気を付けてね。それに何かあったら、また相談してね。もし私がダメでも頼りになる人達を紹介するから」
「ありがとうございます」
 エンジェルは顔を上げてそっと微笑んで手続きを終えると、搭乗口へと入って行く。
「じゃあ、気を付けて。お母さんの手術の成功を祈っているわ」
 姫菜は、その背中に向かって、言葉を投げかけた。
 エンジェルは、振り返っては頭を下げる動作を何度も繰り返しながら搭乗口の中へと消えて行った。
 姫菜は見えなくなるまで、満面の笑顔で手を振っていた。

 エンジェルを見送った姫菜は、そっと呟く。
「さてと、これからどうするかな……」
 呟いた後、踵を返して出口へ向かおうとする姫菜の目に、裕輔と小松が近づいてくるのが見えた。
「!? ……フ」
 姫菜は、一瞬驚いたが分かり切っていたようでそっと微笑む。
「さすがは小松刑事と言ったところかしら。現れるタイミングもバッチリね。まさに仕事のできる男って感じで惚れ惚れしちゃうわ」
 姫菜はそう言葉を発し、首を横に傾ける。
「お褒めに預かり光栄だね。ところで、彼女は無事に帰ったようだね。お土産を持って」
 小松が負けじと言い返し微笑む。
「ええ。お陰様で」
 姫菜は怯むことなく堂々としている。
 今この場で小松が自分を逮捕することがないということを、何となくだが察知している。
「さっきの彼女とは、半年前に出会ったのかな?」
「ええ。極悪な人身売買ブローカーの手によって日本に連れて来られてね、それで……」
 そして、姫菜はその後のことを語り始めた。
 人身売買ブローカーに騙され、強制的に日本に連れて来られたエンジェル達には、言葉通りの地獄が待っていた。
 彼女達を連れてきたフィロピンのマフィアは、日本の暴力団と結託しており、まずは彼女達を麻薬漬けにして自由を奪い、要人の奴隷として精神や肉体が崩壊するまで働かせていた。
 そんな地獄の日々から逃げ出したい一心で、エンジェルと数名は必死の思いで逃げ出してきた。
 逃亡のさなかに、他の数名は捕まったり、その場で撃ち殺されたりしてしまったそうだ。
 何とか逃げ伸びたエンジェルが辿り着いたのが、姫菜がバイトをしていた倉庫街の一角だった。
 そして、深夜バイトの帰りの姫菜が、倉庫街の路地で蹲っているエンジェルを見つけた。尋常ではない様子だったので、急遽、間借りをしているマンションに連れ帰って話を聞くことにした。
「当たり前だけど、最初はもの凄く怯えていて、見るもの全てが信じられない状態だったわ」
 裕輔と小松は黙って頷く。
「それでも少しずつ話をしてくれて、それで……」
「君の正義感に火がつき、復讐へと赴いたってとこかな」
 すかさず小松が言葉を継いで微笑んだ。
「正義感? フ、ただの私の興味本位よ」
「そうかい? じゃあ、そういうことにしておこうか」
 姫菜はそっと微笑み話を続ける。
「警察に相談と思ったんだけど、それじゃあね……」
「犠牲になった女性達が、あまりにも浮かばれないし、ブローカー達も許せない。何とか復讐し、彼女を無事に返してやりたい……そう思ったんだろう?」
 小松は、そう言い微笑んだ。
「ええ。お土産も持たせてね」
 姫菜は、そう言って遠慮がちに微笑んだ。
「色々と調べていくうちに、あの鉢巻フーズに行き当たって。とんでもないことをしようとしていることを知って、それで情報収集していくうちに僕達の連絡も傍受して……」
「大河空殺拳の存在を知った」
 小松に続いて、裕輔が言葉を挟む。
「ええ。無敵の暗殺拳のことをね。ああ、これだと思った。この人なら、あの獣人達を、人身売買なんて、とんでもないことに加担した奴らを倒せると思った。組織に雇われ、結局は実験台にされちゃったのだから、奴らも悲惨な末路を辿ったと言えばそうなんだけど、でもね……。まあ、そう思ったから利用したのよ。フフ、怒ってる?」
 姫菜は、試すように上目遣いで見る。
「いや、姫菜さんの気持ちは分かるから。そりゃあ許せないよね。本人達に天罰は下っても、やった罪は消えないし、犠牲になった彼女達は帰ってこないんだから」
「相変わらず、お人好しね」
 裕輔の言葉に姫菜は呆れながら微笑んでいる。
「振り回されはしたけど、ある程度は計算の内だったからね」
 裕輔も負けじと微笑む。
「……みたいね」
 姫菜もため息交じりに小松をチラ見して、また微笑む。
 このやり取りを微笑みながら聞いていた小松が口を挟む。
「ところで、例のデータなんだけど……」
「ああ、それなら、あの二人を縛り上げてパソコンからコピーしたのがこれよ」
 そう言いながら、メディアを取り出し小松に渡す。
「もちろん、カナラディア国に売ったデータは、私が改ざんして肝心なところは省略しておいたわ」
「ふーん、でも、相手だってお金を渡す前に確認はしたんじゃないの?」
 裕輔が疑問を口にする。
「フフ、そこはね、わざと人の多い街中で現金でのやり取りにして、さらに、データの始めの部分は分かりやすい、植物の生成データに改ざんしておいたのよ。そして、徐々に難しくなるように配置しておいたってわけ」
「なるほど」
 小松は受け取りながら笑っている。
「そうか。とりあえず開いてみて、ああ、間違いないなと思わせたんだね。人目が多いから、相手も早く済ませたいだろうし」
 裕輔は納得がいき頷いている。
「そういうこと。あとは帰ってから、ゆっくり見れば……と思うようにね」
「ハハ、頭がいいな」
 小松は感心し、裕輔は呆れるようにため息をつく。
「切干達もバカじゃないから、元々自分達じゃないと解析できないように工夫はしていたとは思うけどね」
「まあ、そうだろうな。誰もが分かっったら、自分達を売込む時の価値が下がっちゃうからね」
「ええ。まあ、複雑な上に、私がいじっておいたので、今頃は躍起になって私を探しているはずだった……」
 姫菜はここまで話して含み笑いをしている。
「ふぅー、カナラディア国で起きた昨日のクーデター、やっぱり引き金を引かせたのは君か?」
「ええ。民主化を進める改憲党に、ちょっとした情報をね」
 姫菜はしてやったりの笑顔で舌を出す。
「そのおかげで、今やカナラディア国は、てんやわんやの大騒ぎ。軍主導だった現政権が転覆され、今後は民主化が進められるだろうね」
 小松も笑いながら説明する。
「ええ、とてもいいことでしょう。国民は食べる物もなくて餓死しているのに、実権を握った少数の者達だけが、贅の限りを尽くしていたんだから。感謝されまくりよ、きっと。神様として崇められちゃうかも」
 姫菜は、例の人差し指を顎に当てるポーズで首を傾ける。
「その通りだ。今頃は、君のデータを買った連中皆牢獄に入れられて、まあ、即日処刑されちゃうだろうね」
 小松も頷いて同意している。
「フフ、自分の身は自分で守らないとね。情報も使いようによっては兵器になる……こういうことよ」
 小松の隣で黙って聞いていた裕輔に姫菜が語り掛ける。
「本当だね。姫菜さんの情報が国一つを破壊し、多くの人を救ったし、僕だって、いいように情報で踊らされて、思惑通りに生物兵器を打破させられたんだからね」
 裕輔がこう言って、そっと微笑む。
「怒ってる?」
 姫菜が微笑みながら覗き込むように聞いてくる。
「ハハ、何言ってんだか……僕が怒らないだろう、そう動くだろうってことも計算済みだったんでしょう?」
 裕輔は半ば呆れて、笑いながら返事をする。
「まあね。全てが計画通りってわけじゃなかったけど、エンジェルにはお金を持たせて帰国させてあげられたし、犠牲になった彼女達の仇は討ってあげられたし……。まあ、カナラディア国はついでなんだけどね」
「一つの国を潰しておいて、ついでか……姫菜さんらしいね。仇を討ってもらえてと言ってくれたけど、僕がとどめを刺せないってことも計算済みだったんでしょう? でも、結局三人も副作用に耐えられずに……残念だったけど」
 裕輔は最後の方のトーンが下がる。
「そう……あの犬も?」
「うん」
「それは、残念だったわね」
 姫菜もそっと目を伏せる。
「でも、とどめを刺さなくて良かったわ。だって……」
 姫菜は言葉を飲み込んでそっと微笑む。
「だって?」
 裕輔は不思議そうに問いかける。
「ん? ううん、何でもない。まあ、一時はどうなることかとヒヤヒヤしたけどね」
 姫菜は言いかけた言葉を伏せて話題を変える。
「え? ……ハハ、大河の血が助けてくれたよ」
「大河の血?」
「そう、呪われた暗殺一族の血だよ。本能の奥底に潜む呪いの血のことさ」
「そう。あれは、その仕業なの」
「うん。忌まわしき血だけど、これも宿命だからね、ハハハ」
 裕輔は笑顔で話すが、姫菜は真剣な顔で聞いている。
「随分さらっと言うわね、まったく。その宿命のおかげで大変なくせに。辛くて逃げ出したい時もあるでしょうに……ホント、嫌味なぐらいイイ男なんだから」
 ため息交じりに言いながら、一瞬だが、裕輔を見る姫菜の目が女の目になった。自分でも分かったのだろうか、それを隠すように、隣の小松に話を振る。
「ところで、逮捕する気もなさそうだけど……」
「ん? 事件解決の大功労者だからね、おこがましくて逮捕なんてできないよ」
 小松は笑いながら返事をする。
「冗談ばっかり。私が動かなくても、いずれは小松さんがキャッチして動いていたでしょう。もちろん、裕輔君もね」
 姫菜が鋭く指摘する。
「さあ、どうかな?」
「フフ、あと、データを取引する時間もくれたでしょう? 小松さんにも感謝しているわよ」
 小松は微笑んだまま否定も肯定もしないでいる。
「まったく」
 立場上そうせざるを得ないのを理解している姫菜が、呆れてため息をついたのを皮切りに小松が話しを続ける。
「それよりさ、せっかくの君の正義感と行動力……あとはその魅力かな。それを見込んでスカウトしたいんだよね」
「はぁ、スカウト? 犯罪者の私を?」
「そう。ぜひ、前向きに考えてくれないか?」
「偽証罪に、詐欺に盗聴までやった人間よ」
「だって、そんなのは今時、国家や企業でも日常茶飯事でやっていることなんだろう?」
「え? ま、まあ、そうだけど……」
 思いがけない反論に言葉に詰まる姫菜。
「逮捕したくても証拠もないし、探すのも面倒だしね。それに、色んな才能が組めば、相乗効果が起こるが君の持論だろう?」
「え? ええ……まあ」
 姫菜は、かつて自分が裕輔を巻き込むために使った口説き文句を言われ言い返せない。
「どう?」
「フフ、見逃す代わりに手駒になれってことね? 私は人の心を弄んで己が利益のみを追求する蝙蝠よ。それでもいいの?」
「…………」
 小松は何も言わずに微笑んだままだ。
「まあ、悪い誘いじゃないけど……考えておくわ」
 姫菜はそう言うと首を横に傾ける。
「決心がついたら、ここに連絡してもらえるかい? いい返事を期待しているよ、それじゃあ、行こうか?」
 小松は、そう言うと名刺を渡して裕輔を促す。
 裕輔も黙って頷き、姫菜の方に微笑んで小松と共に空港の出口に向かう。
「…………」
 姫菜はその後姿を笑みを称えながら見送っていた。

「どんな返事が来るかなあ?」
 裕輔が歩きながら小松に問いかける。
「どんなだろうね?」
「でも、小松さんも粋な計らいをしますね?」
 裕輔が笑いながら言う。
「粋かどうかは別にして、今回の彼女のやったことは法的には引っかかることだらけだけど、人としては僕は支持したいからね。まあ、立場上はいけないことなんだけど」
 小松も笑いながら自虐的に言う。
「やっぱり、そうですよね」
「まあね。でも、人の感情ってさ、法律だけでは裁けないものじゃないか」
「ええ」
 裕輔も素直に頷く。
「警察関係者の僕がそれを言ってはいけない事だけども、被害者や加害者自身はもちろん家族やその関係者の感情は複雑で、はい判決が下りました、刑が確定しましたと言っても、残された感情やわだかまりはそのままだろう?」
 小松が裕輔に同意を求める。
「確かに」
「僕はね、そんな人達にとっては、確かに法的には許されない存在かもしれないけど、君や彼女のような存在は必要だと思っているんだよ」
 裕輔はその言葉にそっと微笑んで頷く。
「何て言っているけど、そもそもずっと君達一族と手を組んでいること自体が、本当は誰もがそう思っている証拠なんじゃないかと思うけどね」
「ハハ、本当だ」
 裕輔も小松同様に笑っている。
「だから、彼女に対しても君同様の措置を取ったということさ。もちろん父さんには報告してあるからね」
「へぇー、お父さんは何て?」
「お前に任せるってさ」
「そうですか。彼女の答えが楽しみですね」
「ああ」
 二人は後ろを振り返ることなく会話を続け空港を後にした。

 エピローグ

 放課後になり、裕輔は学校の門を出る。
 鉢巻フーズの件から一週間後のことだ。
 トゥルルル……。突然電話が鳴る。
「はーい、学校は終わったかしら?」
 電話の向こうから、姫菜が陽気に話しかける。
「うん」
「ちゃんと授業は聞いてたの?」
「聞いてたよ」
「本当? 今度、お姉さんが優しく教えてあげようか? フフ」
「ハハ、遠慮するよ。勉強は苦手だ」
「フフ、開き直っちゃって。もしかしたら、近くであなたのことを心配している女子がいるかもよ」
「え?」
 そう言われ、思わず裕輔は周りを見てみる。
 そこには、級友や彼と楽しそうに会話をしながら歩いている女子達がいる。
「あらあ、ひょっとして、今キョロキョロしちゃったぁ?」
「え、そんなことしてないよ」
「まあ、そうよねえ、ウフフ」
「そんなことより、用件は何?」
「まったく、少しは会話を楽しもうとかっていう気がないんだから。今日も九時から晴海のふ頭で麻薬の取引がらみの使命でしょう? 頑張ってって言ってあげようと思って連絡したんじゃない」
「ハハ、そのことか。相変わらずの情報収集力だね」
「まあね、なんてったって」
「世界一の情報屋だからね」
 裕輔が先回りをして口をはさむ。
「その通りよ、まったく」
 電話の向こうで姫菜は笑っている。
「ねえ、なんで、僕達とタッグを組まないの?」
「フフ、それはね……謎の女でいたいから。棘のあるバラのままの方が魅惑的でいいでしょう?」
 姫菜は含み笑いをしている。
「え? まあ……ハハ」
 裕輔もため息交じりに言うが微笑んでいる。
「そうは言っても、必要な時が来たらいつでも、ね。私もあなた達と同じスタンスではいるから」
「うん、そうだね。ところで、これからどこでバカンスなの?」
「内緒よ……と言うより、分かってたぁ?」
「そりゃあね。エンジェルさんに渡したのは、軍政権からの報酬でしょ? そんでもって、改憲党側からもしっかり自分の分の報酬はもらっておいたんでしょ? 姫菜さんがただ働きなんてするわけがないからね」
「フフ、その通りよ。あんなに苦労したんだから、それなりのものは貰わないとね」
 姫菜はさも当然とばかりに言う。
「まあ、支払った奴らはろくでなしだったし、国民は救われたんだから問題ないけどね」
「そういうこと。ドゥー・ユー・アンダースタンド?」
「まあ、ゆっくり羽を休めてきてよ、蝙蝠さん」
「フフ、そうさせていただくわ。じゃあね」
 そう言うと通信が切れる。
「ふぅー、お互い食えないわね。フフ、なんで組まないのかですって? 私も女だからさ、あなた達みたいないい男と一緒にいたんじゃ、いい仕事が出来なくなっちゃうからね。少し適当な距離は必要なのよ、イケメンスイーパーさん。これからも、人の痛みの分かる……そんな心優しき暗殺者でいてね」
 姫菜は微笑みながらスマホをしまってこう呟き、裕輔の後姿を見つめている。
 校門から駅へ向かうのとは真逆の数十メートル離れた所から連絡していたのだ。
「ウフフ」
 そっと微笑んだ後、片目を瞑り指で銃を撃つ格好をして放つ。
「バーン!」
 すると、彼方を歩く裕輔がこちらを見ることなく大河空指弾で捌いたかのような腕の動きをした。
「えっ!?」
 姫菜は、一瞬その裕輔の仕草に驚いた後ため息をつく。
「まったく、いつも飄々としていて掴みどころがないんだから……。凄いんだか凄くないんだか……フフ、でも…………そこがいいのよね」
 ため息交じりにそう呟いて微笑むと、ヘルメットを被りバイクを走らせる。
 バックミラーには駅へと向かう裕輔の姿が、どんどん小さくなっていく。
(伝説の暗殺拳、大河空殺拳第五十六代伝承者大河裕輔か。ナイスガイなスイーパーさん、今日も大掃除頼んだわよ)
 姫菜は、その小さくなる背中に、そう言葉を投げ掛けた。
 遠ざかって行くエンジン音を聞きながら裕輔はそっと微笑む。姫菜が見える距離から連絡してきていたことは分かっている。
「必要な時には…………か。ま、その時はヨロシク」
 裕輔もまた、遠ざかる姫菜の背中に、そう言葉を投げ掛ける。
 そして、いつも通り飄々と歩いていた。そう、使命の時間が来て暗殺者となる、その時までは。


きゃつきゃつお 

2023年11月25日(土)06時32分 公開
■この作品の著作権はきゃつきゃつおさんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
 まだ、プロットの域を出ないのですが、自分でも色々と考えすぎていてまとまらない状態なので、とりあえず、投稿してみました。
 もしよろしかったら、途中まででの感想でもいいので、色々とご意見をいただけると助かります。


この作品の感想をお寄せください。

2023年12月17日(日)15時59分 きゃつきゃつお  作者レス
十二田様

 拙作をお読みいただきありがとうございます。
 その上、貴重なご意見もいただきありがとうございます。

 >?セリフで説明しすぎているように感じられる
 作中の設定を地の文ではなくキャラのセリフに混ぜて説明するというのは、非常に有効なテクニックですが、ちょっとそれが強すぎたかなと思います。説明口調になり過ぎて、会話として不自然に見えてしまうというか。
 やり方自体は間違っていないと思いますので、もう少し作中設定をセリフで開示する際に、一度のセリフ・会話に出てくる設定を少なくしても良いのではないかと思います。

 会話文と地の文の割合は本当に難しいものですね。どちらかが多くなっても読者にストレスがかかってしまう、テクニックとして使いこなすには、本当に難しいものですが、物語を進めるにあたっては、必要なものですので、今後も悩みながら取り組んでいきたいと思います。

 >?主人公の目的・動機が分かりづらい
 読んでいて、結局主人公の祐輔が戦いたいのか、戦いたくないのか。何を目的に戦っているのかが、分かりづらく感じました。
 主人公なのにその辺りを掘り下げるエピソードが少なかったといいますか……。
 キャラクターの動機(こうしたい・こうするべき)が明確だと、その行動に説得力が増しますし、よりドラマチックに感じるようにもなりますので、その辺りは補強すべき点かなと思いますね。

 ご指摘ごもっともです。確かに、結局はどうなのかが作中で主人公自身から語られることもなければ、エピソードとして取り上げられていることもありませんね。ここは、おおいに反省する所であり、さっそく改稿作業に取り掛かりたいと思います。
 
 >初期の作品から少しずつ良くなってきていると感じましたし、次回作も是非とも読んでみたいと思っています。

 十に田様のように、色々と勉強されて多数の作品を書かれている方から、こんなことを言っていただけるのは、本当に嬉しいですし、大変励みになります。
 私は、お読みいただければ、お分かりの通り、所詮はド素人ですが、これからも創作活動を続けてみようという前向きな気持ちになれます。

 私の方こそ、十二田様の次回作を楽しみにしております。
 ご意見ありがとうございました。

pass
2023年12月13日(水)23時34分 十二田 明日  +10点
きゃつきゃつお様、コメントが遅くなり申し訳ございません。
『二つの顔を持つ少年〜日常の僕と非日常の俺』最後まで読ませていただきました。

血の宿業に思い悩む主人公という図式が、十二田の好みもありますが、とても魅力的だったと思います。


その上で気になったところを二点ほど。

?セリフで説明しすぎているように感じられる
作中の設定を地の文ではなくキャラのセリフに混ぜて説明するというのは、非常に有効なテクニックですが、ちょっとそれが強すぎたかなと思います。説明口調になり過ぎて、会話として不自然に見えてしまうというか。
やり方自体は間違っていないと思いますので、もう少し作中設定をセリフで開示する際に、一度のセリフ・会話に出てくる設定を少なくしても良いのではないかと思います。


?主人公の目的・動機が分かりづらい
読んでいて、結局主人公の祐輔が戦いたいのか、戦いたくないのか。何を目的に戦っているのかが、分かりづらく感じました。
主人公なのにその辺りを掘り下げるエピソードが少なかったといいますか……。
キャラクターの動機(こうしたい・こうするべき)が明確だと、その行動に説得力が増しますし、よりドラマチックに感じるようにもなりますので、その辺りは補強すべき点かなと思いますね。


十二田から言えるところはこのくらいでしょうか。
ただ、口幅ったい物言いになりますが、初期の作品から少しずつ良くなってきていると感じましたし、次回作も是非とも読んでみたいと思っています。

きゃつきゃつお様の創作活動を応援しております。
それでは。


13

pass
合計 1人 10点


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