異世界最強男の娘は普通になりたい『俺は男だって言ってんだろーが!』
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第一章 

 帝国の街外れで栗毛の少女が数人の男に絡まれていた。
 栗毛の少女──フィオナはフリルや刺繡のあしらわれた上等な服を着ており、見るからに身なりが良かった。目鼻立ちも整っており、特に好奇心旺盛な猫を思わせるつぶらな瞳が印象的だ。
 貴族かどこぞの金持ちのご令嬢といった風である。
 それが大通りから離れたこんな街外れに来るのだから、この辺りにたむろするゴロツキからすれば、鴨が葱を背負って来るようなものだった。
 人相の悪い男たちが馴れ馴れしくフィオナに近付き、逃げ出すフィオナの腕を掴む。
「ようお嬢ちゃん、どこに行くんだい?」
「は、離して!」
「おいおいつれない事言うなよ。俺たちと遊んでいこうぜ」
 フィオナは掴まれた腕を振りほどこうと暴れるが、男の手は外れない。
「見た限りいいとこのお嬢ちゃんらしい。上手い事家を強請れば、金になるかもしれねぇなあ」
「そうだな。それがいい」
 男たちは下卑た顔で笑う。
「でもその前に、少しくらい遊んでもいいだろ?」
「いいんじゃねーか? 味見くらいは」
「それじゃ遠慮なく」
 男たちは一層下卑た笑みを浮かべると、残飯に群がる野良犬のようにフィオナに群がる。
「だ、誰か!」
「声を出しても無駄だぜ。ここにはアンタを助ける奴なんかいな──」
「────やかましいィイイイイイイイイイイイイィイイイイイイイイイイイィィィ‼」
「ッ⁉」
 突如として起きた第三者の怒鳴り声に、男たちは固まる。
「人が寝てたらその脇で何やらおっぱじめやがって、眠れやしねぇじゃねーか!」
 道端に落ちていたズダ袋が捲れ上がる。どうやらゴミではなく、中にくるまって人が寝ていたらしい。
「どうしてくれんだ、アァ?」 
 ズダ袋から出てきた人物が凄むが、
「──ぎゃははははは!」
 男たちは大声で笑いだす。
「何が出てくるかと思えば、こいつは傑作だ!」
 まったく懲りた様子を見せない。
 それもそのはず、ズダ袋にくるまって寝ていた人物は、まるで天使のような美貌をしていたのだから。
 思わずフィオナも見惚れてしまう。
 キラキラと輝く艶やかな金糸の髪。宝石のような瞳。擦り切れた衣服も、まとっているボロ布もその美しさを損なわせてはいない。体つきこそ細いものの、まるで一流の芸術家の絵画から飛び出してきたかのような、絶世の美少女がそこにいた。
「こんな上玉が、こんなところにいるなんてな。コイツは拾い物だぜ」
「あぁん?」
 天使の美貌を持つ少女──メルは顔をしかめて凄むが、男たちは笑うばかりだった。
 可憐な少女が凄んだところで、何も怖くない。むしろ滑稽さが先に立つ。
 男の一人が、フィオナからメルに向き合う。
「俺はこっちを貰おうか」
「あっ、お前ズルいぞ」
「うるせぇ。そっちは譲ってやるから、こっちは貰うぜ」
 男は下卑た顔でメルを押し倒そうと手を伸ばす。
「お嬢ちゃんも不用心だなぁ、こんなとこにいなけりゃ、俺らの玩具になる事もなかったのによう」
「誰がお嬢ちゃんだ!」
 言うなりメルの拳が飛んだ。
 金槌のようなパンチが、手を伸ばす男の顔にクリーンヒット。 
「あがっ⁉」
 殴られた男は悲鳴を上げ、泡を拭いてひっくり返る。
「⁉」
 他の男たちは目を剥いた。
 まさかメルがこんなに強いと思っていなかったのだろう。
「このっ!」
「クソアマが!」
 青筋を立てて、メルに襲い掛かる男たち。だが──
「誰がクソアマだぁ!」
 襲い掛かる男たちを、メルは拳で迎え撃つ。
 力任せな大振りのパンチを、メルは思い切り振り回す。メルの細腕から想像できないような威力を誇るそれは、まるで小さな台風だった。
 メルのパンチを喰らった男たちは、まるでピンボールのように弾かれ、ノーバウンドで三メートルは吹き飛んだ。
 鎧袖一触だ。相手にならない。
「完全にむかっ腹が立ったぜオラァ!」
 可愛らしい見た目で、艶のある声をしたメルが、男たちをボコボコにするのは、何とも異様な光景だった。
 あっという間に男たちを全員殴り倒すと、さらに一人の男に馬乗りになり殴る。
「お前だよな? 俺を上玉だとか、クソアマだとか言ったやつ」
「は、はい……!」
 締め上げられた男は情けない声で答える。そしてそこに、メルの鉄拳がぶち込まれる。
「──俺は男だああぁぁぁっ!」
 メルの魂の叫びが辺りにこだまするが、男たちは全員気絶していたので、誰も答えなかった。
 静かになった男から、メルも離れる。
「ったく、失礼な奴らだぜ」
 メルは服についた埃を払い、押し倒されていたフィオナに向き直る。
「アンタも災難だったな。立てるか、お嬢ちゃん」
「はい!」
 差し出された手を取り、フィオナは起き上がる。
 その時、メルの横顔を見ながら、ポーっと頬が赤くなる。
「あ、あの──」
「ん? ああ、礼には及ばないぜお嬢ちゃん。俺はただ眠りを邪魔されたのが、ムカついただけで──」
「──でもありがとうございます、お姉様」
「……んん?」
 フィオナはとろんとした瞳でメルに熱っぽい視線を送るが、メルの方は固まる。
「お嬢ちゃん、聞いてなかったのか? 俺は男だって。断じてお姉様なんかじゃない」
「またまた〜。そんな綺麗なお顔をして言っても、説得力がありませんよ。きっと何かの事情があって、男のフリをしているのですよね」
「いや……あの……」
「一人称が俺なのもその一環ですね? それとも思春期特有の病か何かを引きずっておられるのでしょうか?」
「それは完全に馬鹿にしてんだろ!」
 メルは額に青筋を立てる。
「だ・か・ら! 俺は男だって言ってんだろーが!」
「いえいえ、お美しい女の子にしか見えませんよ。羨ましいくらいです」
「くそー!」
 苛立ったメルは、おもむろに上着をはだけさせた。メルの胸が露になる。
「ほら見ろよ。男だろうが」
「あらあらいけませんよ、こんな往来で服を脱いでは」
「ナチュラルに人の乳首を隠そうとするな!」
 メルの胸に手を当てて乳首を隠しながら、フィオナは首を傾げる。
「たしかに胸は大きくありませんが、細身の女性の胸もこのくらいですし、やはり男のようには見えませんね。わたくしの方が胸が大きくて、ちょっと安心しておりますが」
「俺は女と胸のデカさで勝負してない!」
 なんだその勝負、絶対勝ちたくねーぞ! ──とメルは鼻息を荒くする。
「クソッ! 上を脱いだだけじゃダメか……」
 ならばもう、メルが男であると証明するにはアレしかない。
 メルはズボンのベルトに手を伸ばす。
「ちょっと⁉ 何をしてるんですか⁉」
「最終手段だ。俺が男だって証拠を見せてやる」
「駄目ですよ! さすがに往来で下まで脱ぐのは」
「これしか俺を男だと証明するモノがねーんだよ!」
 ズボンを下ろそうとするメルを、フィオナは必死で止める。
 と、そうこうしているうちに、フィオナの手がメルの股に伸びた。
「あ」
「あっ……」
 二人揃ってアホみたいな声が出た。
 フィオナの手のひらは、ズボンの布越しに、女性なら絶対にないはずの肉の感触を、しっかりと感じ取っていた。
「…………!」
 しばらく衝撃に固まっていたフィオナは、パッと手を離し、メルから身を引いた。
 耳まで真っ赤になり、プルプルと震えている。
 そして、
「キャーーーーーーーーーーーーーー!」
「へぶし⁉」
 フィオナはメルを全力でビンタした。



 手の形に赤くなった頬を押さえながら、メルはむくれる。
 場所は近くの酒場。
 あの後二人は場所を変え、ひとまずこの酒場に入ったのだが。
「申し訳ないモノを触らせたとは思うよ? でも流れの中の不可抗力っていうか、何も全力でビンタかまさなくてもいいじゃねぇの?」
「申し訳ありません、わたくしったらつい気が動転してしまいまして」
 フィオナが対面に座るメルに頭を下げる。
 そしてまじまじとメルの顔を見る。
「……何?」
「いえ、本当に綺麗なお顔だなと」
「ぐ……」
「今でも男性だなんて思えないくらいにお美しいお顔をされていますね。惚れ惚れしてしまいます」
「ぐぐ……」
 うっとりと頬に手を当てて見惚れるフィオナに、メルは歯ぎしりする。
「ぐあーーーっ! 止めろ‼ そんな目で見るな!」
「あらこんな天使と見紛うほどの美少女顔ですのに」
「俺は男だぁぁぁっ‼」
 ダンとテーブルに拳を打ち付けて叫ぶと、メルは自分の顔を隠すように突っ伏す。
「いいか、俺を二度と『美少女』だとか、そういう形容詞で表現するのをやめろ……!」
「気にされていたのですね。申し訳ありません」
 フィオナは謝るが、すぐに首を捻る。
「しかし不細工というのならともかく、顔が美しいというのは、良い事なのでは?」
「良い事なんかねーよ。それは所謂イケメン顔だった時の話で、俺みたいな……女みたいな顔をしてて得な事なんかねーんだよ!」
 そう言って愚痴をこぼすメル。
「こんな顔だからいつも男扱いされないし」
「それはそうでしょうね。どこからどう見ても男には見えませんし」
「お陰でどこ行っても舐められるし」
「メルさん、体型も小柄で細身ですからね」
 先ほど見た限り、155センチあるフィオナより僅かに高いくらいの背丈だろう。おまけに筋肉も余りついてない体型なので、それがよりメルの中性的な雰囲気を強めている。
「おまけに女と勘違いして、よくゴロツキに絡まれるし。男だって言っても、『むしろそれがいい……!』とか言い出す変態に狙われるし」
「それは……大変ですわね……」
 さすがのフィオナも顔を引きつらせる。
「だーーーっ、クソッ‼ なんで俺がこんな面倒な目に合わなきゃならないんだ! 好きでこんな風に生まれた訳じゃねーぞ! チクショウ‼」
「相当溜まっていたようですね……」
 何やら神妙な顔で、フィオナはそれを聞いていた。
「……そう言えば、お嬢ちゃんは何であんな所にいたんだ?」
「私の名前は、フィオナ・エトワールと言います。どうかフィオナとお呼びください」
「んじゃ何でフィオナはあんな所にいたんだよ──って、エトワール?」
 聞き覚えのある名前をメルは聞きとがめる。
「エトワールって、確かにデカい商店の名前じゃ」
 帝都にある大店で、国内各地、さらには国外からも名産品を集め、高値で帝都の市民や貴族に売っている総合商店が、エトワール百貨店だったはずだ。
「はい。そこはわたくしの実家になりますね」
「マジかよ」
 エトワール百貨店のご令嬢といえば、下手をすれば下級貴族の娘よりも良い暮らしをしているだろう。
 帝都の片隅で家もなく徘徊するメルとは、違う世界の住人だ。
「余計に気になるな。何でそんないいとこのお嬢様が、こんな帝都の隅にある治安の悪い街に来たんだよ? 大層な屋敷で、何不自由なく暮らしているんだろ?」
「わたくしの人生を取り戻す為です!」
 今度はフィオナが両拳をテーブルに打ち付ける。
「……どゆこと?」
「先ほど何不自由なく暮らしていると、メルさんはおっしゃいましたが、そんな事はありません。むしろ不自由ばっかりです‼」
「……そうなのか?」
「ええ! 朝から晩まで勉学と社交界での振る舞い方の練習ばかり、おまけに実家の版図を拡大する為に、有力貴族へ嫁に出そうとする始末! わたくしはお父様の駒ではありませんわ‼」
 一気にまくし立てるフィオナ。 
 どうやらフィオナにも溜め込んだ鬱憤があるらしい。
「ええ、ええ、ええ! こんな事を言うとよく『裕福な家に生まれたんだから、それくらい当然じゃな〜い』とか『もっと大変な人がいるんだから、それくらい我慢しなよ』とか言われますが、余計なお世話ですわ‼ わたくし、好きでエトワールの家に生まれた訳じゃありません! なんでたまたまエトワール家に生まれただけでこんな苦労をして、生き方まで決められた挙句、周りからも嫌味を言われなくちゃいけませんの⁉ やってられませんわ‼」
「お、おい……落ち着けって」
「はっ! これは見苦しいところをお見せしました」
 我に返ったフィオナはしゅんと小さくなる。
 何となくだが、メルはフィオナにシンパシーを感じていた。二人は生まれつきの容姿や境遇のせいで、苦しんでいるのだ。
 それらは自分で選択したものではない。理不尽なものだ。しかしその理不尽さを説いても、誰にも分かってもらえない。
 その苦しさは、メルには痛い程よく分かる。
「フィオナも……苦労してきたんだな」
「分かってくれますかメルさん」
「ああ……」
 しみじみと答えるメルに感激するフィオナ。
「しかしそれで家を飛び出してきたのか? 随分と思い切ったことをするな」
「いえ、これは賭けの結果でして」
「賭け?」
「わたくし、お父様と賭けをしていますの」
 そう言ってフィオナは持っていた鞄から、羊皮紙を取り出す。どうやら地図のようだ。
「とある魔術師の作り出した霊薬を手に入れれば、わたくしの人生に今後一切干渉しないと!」
「ほう、それはまた凄い提案だな」
「お父様は無理難題をふっかければわたくしが諦めると考えたのでしょうが、そんな事で諦めるものですか! 言質を取りましたので、わたくし何が何でも霊薬を手に入れて、自由の身になりますわ‼」
 意気込むフィオナを、メルは冷静な目で見る。
「気持ちは買うが、ちょっと無謀なんじゃないか? その工房とやらに辿り着く前に、こんな街で絡まれて身ぐるみ剥がされそうになってたじゃないか」
「ぐうの音も出ません……」
 また小さくなるフィオナだが、すぐに名案を閃いたとばかりに顔を上げる。
「そうだ! メルさん、わたくしの用心棒になってはいただけないかしら?」
「え、嫌だよ」
「即答⁉」
「さっき俺がアンタを助けたのは、人が寝てる横で騒がれるのが嫌だったからで、別に俺は正義の味方でも何でもないしなぁ」
「お給料は出しますよ」
「う……」
 元浮浪児でろくな職に就けなかったメルは、時折日雇いの仕事をして金を稼いでいる。当然蓄えはないに等しい。
 フィオナの提案は魅力的で、メルの心はぐらつく。
 そんなメルを見て、フィオナはニコリと小悪魔的な笑みを浮かべる。
「それとメルさん、ここで耳打ちな情報が」
「な、なんだ?」
「これは他言無用に願いたいのですが……件の霊薬なんですがとても変わった効果のお薬らしいんですよ」 
「変わった効果?」
「なんでも──飲んだ者の姿を思うがままに変えられるとか」
「なんだって‼」
 ガタッとメルは立ち上がった。
「そ、それはつまり──もしそれを俺が飲んだら、もっと男らしい顔や体つきに変身できるという事か⁉」
「ええ、断言は出来ませんが、その可能性は高いかと」
(男らしい姿になれる、男らしい姿になれる、男らしい姿になれる、男らしい姿になれる、男らしい姿になれる、男らしい姿になれる────)
 メルの頭はそれでいっぱいだ。
「わたくしの目的は霊薬を手に入れて賭けに勝つ事なので、賭けに勝った後はその霊薬をメルさんにお譲りしても構いませんよ」
 それが決定打となった。
「やる! 用心棒やらせてくれ‼」
「そう言っていただけると信じておりました」
 オホホと口元を押さえて笑うフィオナ。
 こうしてメルはフィオナと一緒に、霊薬を手に入れる為の旅に出たのである。



第二章

 数日後、帝国北東部の宿場町にメルとフィオナが来ていた。
 二人は宿酒場に立ち寄り、料理を頼む。
「工房は森の奥深くにあります。もう日が暮れますし、今日はここで休んで、明日探索に向かいましょう」
「そうだな」
 丸テーブルについて、二人は談笑している。 
 給仕が持ってきた塩辛いミートパイを紅茶で流し込みながら、相づちを打つメル。
「この宿場町、結構栄えてる感じだな。割と辺ぴなところなのに」
「それは近くにバルキリス人の遺跡があるからでしょうね」
「バルキリス人?」
「この地方一帯の伝承です。かつて存在したという古代戦闘民族ですね。その遺跡がこの近くにあるので、この辺りは観光名所としても知られているのです」
「へぇーよく知ってんな」
「帝国の地理は叩き込まれています。各地の地形や特産品を押さえるのは、商売人の基本ですから」
「大商人のお嬢様教育か」
 また一口、ミートパイを頬張るメル。
「もう少し詳しく聞きたいんだけどさ、その霊薬は工房にあるって言ってたけど、その工房の魔術師はどうするんだ? 倒すのか?」
「いえ、魔術師はどうやら病死していると思われます」
「え、死んでんの?」
「はい」
「じゃ、戦わなくてもいいんだろ? 工房に入って行って、霊薬を取ってくるだけじゃないか。簡単じゃん」
「それがそうも行かないのです。何しろ魔術師の工房ですからね」
「魔術師の工房って、なんかヤバいのか?」
 まともな教育を受けていないメルには、魔術師がどういう者たちなのか、全く想像がつかないのだ。
「魔術師は魔法や霊薬の研究を生業とする者たちですが、彼らは自分の研究を邪魔される事を極端に嫌い、また研究の成果を誰かに奪われるのを警戒する生き物です。そんな彼らが、工房をつくったら──」
「どうなるんだ?」
「ありとあらゆる罠や魔法を仕掛けて、侵入者を撃退する魔窟になります」
「デンジャーな話だな」
 罠まみれの場所に進んで踏み込まねばならないわけだ。
「さすがは霊薬、そう簡単には手に入りそうにないな」
「それはそうと……メルさん」
「何だ?」
「わたくし達、周囲から見られてませんか?」
 フィオナが居心地悪そうに周囲を見やる。
 周りには人相のよろしくない男たちが何人もテーブルについており、ニヤニヤしたまま無遠慮に二人を舐めまわすように見ている。
「だな。なんだってこんな柄の悪い奴ばっかり、この酒場に集まってるんだ?」
 この辺りが観光名所だというのなら、もう少し衛兵隊の目が行き届いて、治安も良さそうなものだが。
「もちろん、客層が悪いというのもありますが……みんなメルさんを見ているようですよ」
「え……」
 絶句するメル。
「俺の格好、なんか変か?」
「変というか……」
 言いづらそうに口ごもるフィオナ。
 この宿場町に来るまでの間に、フィオナに新しい衣服を買い与えられたメル。以前のようなボロボロの服ではないのだが、それとは別の意味で目立っていた。
 何しろメルが着ているのは、男物の旅人風の服装──革のマント、頑丈なブーツ、丈夫そうなシャツとズボンといういで立ちで、護身用に剣を腰に下げている。
 だがその格好をしているのが、天使の如き美貌を持っているメルなのだ。
 男装をした可憐な少女という風に、はた目には見えてしまい、それが何とも倒錯的な美しさと色気を醸し出しているのだ。
 本人としては少しでも男らしい格好をしたいという気持ちの現れなのだろうが、多少の服装程度で、メルの持つ女性的な魅力は全く目減りすることはなく、むしろよりメルを魅力的に見せていた。
「わたくし、少し女としての自信を失いそうです。なんでメルさんはそんなに綺麗なのですか?」
「知るか! 好きでこんな風になってないんだよ!」
「でもでも、ろくにご飯を食べていなかったというには、お肌は綺麗ですし髪の毛もツヤツヤですよ」
「何にもしてないけど、昔っからこんなんだな」
「羨ましいですわね」
「嬉しくねぇ!」
 などと話している間に、いつの間にか数人のグループが二人のテーブルによりついていた。
「お嬢ちゃんたち観光かい?」
 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる男たち。
 その笑みから、下心が丸見えだ。
「お嬢ちゃん……たち……」
 忌々し気に呟くメル。
「どうやらわたくし達、女二人組だと思われているようですわね」
 女の二人連れなら与しやすいと思われているのだろう。
 メルとしては甚だ遺憾である。
「どうだい、これから夜の街に繰り出すっていうのは。俺たちが案内するぜぇ?」
「賭けもできるストリップバーとかな!」
 ぎゃはははっと笑い声を上げる男たち。
 見ているだけで腹が立つ連中だ。
「申し出はありがたいのですが、ご遠慮いたしますわ」
「そう言わねぇでよ」
「行かねぇって言ってんだろ」
 断るフィオナを強引に連れ出そうとする男の間に、メルが割って入る。
「何ならアンタだけでもいいぜ別嬪さん」
 メルの言葉遣いにやや驚きつつも、今度はメルに男が迫る。
「お前……!」
 メルの怒りが沸点へと到達しようとした、その時。
「待ちたまえ」
「あ?」
「?」
 明後日の方から声がかかり、男とメルはそちらに目をやる。
 見れば先程まではいなかった若い男が立っていた。
 高い身長に鍛えられた体躯と明るい茶色の髪の毛。嫌味なくらい爽やかな顔つきに、輝く白い歯をしている。
 軽装だが革鎧を着ており、腰に幅広のロングソードを下げている。左手のガントレットが特徴的だ。家紋と思わしき紋章があちこちにあしらわれている。
 どうやら貴族らしい。
「そこの可憐な少女たちは嫌がっているだろう。無理やり女性を夜の街に連れ出そうとするのは、美しい振る舞いではないな」
「ああ?」
 茶髪の若い男は、やたらと気障ったらしい口調で言った。その聞く者の神経を逆撫でする口調に当てられたのか、メルに絡んでいた男たちは一斉に気色ばむ。
「んだてめぇ、俺らの邪魔すんじゃねぇよ」
「どっかの勘違い貴族さまかぁ? 俺らに家名の御威光なんて通用しねぇぜ」
 男たちは凄むが、茶髪の気障な男は、その態度を改めるような事はしなかった。むしろ憐みの目で男たちを煽り返す。
「元より貴様らのような輩に、家名を持ち出すつもりはないし必要もない」
「おい、ボンボン貴族。喧嘩を売る相手を間違えてんじゃねぇか?」
「はて? 俺はただ婦女子を困らせる猿を、追い払おうとしているだけ──いわば害獣駆除だ。喧嘩などではないな」
「てンめぇ……!」
 そのセリフに男たちは怒髪天を衝いた。
「舐めくさるのも大概にしろ!」
 男たち四人が、一斉に茶髪の男に群がった。
 真っ先に一人が殴りかかるが、茶髪の男はそれを軽く躱し、すぐに殴り返す。
「あがっ!」
 茶髪の男のパンチが炸裂し、殴りかかった男はひっくり返る。
 すぐに二人目が掴みかかった。
 茶髪の男は今度は自分から掴みかかった男との距離を詰め、身体を密着させると腰を抱えて持ち上げた。
「せいやっ!」
 抱え上げた二人目を、茶髪の男は三人目と四人目めがて投げつけた。
 まるで立てられたピンをボールが薙ぎ倒すように、男たちは酒場の床に転がった。
 四人とも苦しそうにうんうんと唸っている。
「ふむ、獣は本能で勝てない相手には喧嘩を売らないものだが──どうやらこいつらは猿以下だったようだな」
 茶髪の男は息も切らしていない。
 見事な手際だ。どうやら気障ったらしい態度とは裏腹に、それなりに腕の立つ人物のようだ。
 周りで見ていた他の客たちは、さっきまでの視線はどこへやら、茶髪の男と視線を合わせないように、明後日の方向を見ている。
 茶髪の男は鼻を鳴らすと、転がっている男たちを表通りへ文字通り摘まみ出した。そしてにこやかな表情で、メルたちのテーブルへとやってくる。
「大丈夫かな? お嬢さん方」
 茶髪の男の笑顔はとても爽やかなのだが、
「(……爽やかすぎて逆に気持ちが悪いな)」
「(メルさんダメですよ、そんな事言っちゃ)」
 小声で囁き合うメルとフィオナ。
「(そう言いつつ、フィオナもちょっと顔引きつってるじゃねーか)」
「(それはその……)」
「(しかしどうやってんだアレ? 今、一瞬謎に歯が光ったぞ)」
「(何か特別な技術でも使っているのでしょうか)」
「(俺、正直こういうタイプ苦手だわ)」
「ん? どうかしたかな」
「「いえ、何でも」」
 ひそひそと話し続ける二人に茶髪の男は訝しむが、メルとフィオナは笑顔で誤魔化す。
「助けていただきありがとうございます、お名前を聞いてもよろしいですか騎士様」
「おおこれはご丁寧に。私はナッシュ・シュトラールと申します」
「シュトラール? ではあのシュトラール家の若君なのですか?」
(上手いなー)
 立て板に水で会話を進めるフィオナを、メルは横目で見やる。
 茶髪の男──ナッシュは、家の話題が出た時に一瞬だけ顔を曇らせたが、すぐにまた爽やかな笑顔に戻る。
「それは私の兄でしょう。私は次男坊でして、家督は兄が継ぎます」
「それは……無遠慮な事を聞いてしまい申し訳ありません」
「いえいえ」
 浅学なメルでも、家を継ぐのは直系男子の長男であるという事だけは知っている。男子が複数人生まれた場合、次男坊以降は親の領地を受け継ぐ事が出来ず、色々と苦労するらしい。
 そう言った事情に踏み込んでしまったから、フィオナは謝ったのだ。
「お嬢さん方、お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「わたくしはフィオナと申します」
「……メルだ」
 二人がそれぞれ答えると、ナッシュはメルの手を握ってひざまずく。
「何⁉」
「メル嬢、私はいたく感動しました」
「はぁ?」
 何を言っているんだこの男は。
「友を守る為果敢に悪漢に立ち向かっていく姿を見かけ、思わず助けに入らずにはいられなかったのです」
「はぁ……そうか」
 答えながらメルは自分の顔が引きつっていくのを感じていた。
「こうして出会ったのも何かの縁。よろしければ、私もご相伴に預かってもいいだろうか?」
 ナッシュは熱烈な視線をメルに送る。
 ナッシュがメルに気があるのは明らかだった。
(こいつ爽やかなだけで、やってる事さっきの奴らと変わりなくねーか?)
 もう我慢の限界だ。
「──いいか、俺はモゴッ」
 男だと言おうとしたところで、フィオナが後ろからメルの口を塞ぐ。
「ふぁふぃふんふぁふぉ(何すんだよ)」
「(メルさん、今だけ女のフリをしてくださいませ)」
 そっと耳打ちするフィオナ。
「ふぁんふぇ(何で?)」
「(ナッシュ様は他の柄の悪い輩からの虫よけになります。どうせ明日には工房へ向かうのですから、一晩だけ我慢しましょう)」
 ナッシュがいなくなれば、周囲からはまた女の二人連れだと思われて絡まれるかもしれない。もちろん絡まれてもメルが追い払えるが、結局乱闘になってしまうし、あまり暴れては宿を追い出されかねない。
 なら、虫よけとしてナッシュを利用するというのは理にかなっている。
(…………クッソー!)
 心の中で精一杯の悪態をつく。
「どうしたのですかメル嬢? 俺?」
「……申し訳ありません。女二人で心細かったところです、どうぞテーブルにおかけになって」
 心の中の葛藤を押し殺し、メルはフィオナを真似て女らしい言葉遣いで喋る。そうすると思った以上に可愛らしい声が出てしまった。
「メル嬢はお声も可愛らしいのですね!」
「……あら、人を褒めるのがお上手ですこと」
 メルは天使のような笑顔を振りまきつつ、心の中で滂沱の涙を流した。
(──絶対霊薬を手に入れて、男らしい顔と身体になってやるっ!) 



 結局、丸テーブルにナッシュも含めた三人で座り、食事を続けた。
 会話は主にフィオナが先導し、ナッシュに心地よく自慢話を話させている。商人としての教育によるものか、人を上手く乗せるのが非常に上手い娘だ。
 ナッシュは自慢話の合間に、チラチラとメルに視線を送ったり話しかけたりするので、メルはボロが出ないように言葉少なに答えるのみである。
「ナッシュ様は大変な苦労をされているのですね」
「そうですね、それなりに苦労はいたしました」
 フィオナの相づちにナッシュは大きく頷く。
「跡取りである兄がいたせいか、私は父や母に目をかけてもらえず、歯がゆい思いをしてきました。しかし、そんな両親や兄を見返してやろうと、粉骨砕身、少しでも多くの功績を打ち立てんと努力を続けてきました」
 いつの間にやら身の上に相当踏み込んだ話になっていた。
「では、この町にいらしたのも、何か功績を打ち立てるためなのですか?」
「はい。どうも妙な噂が流れているようでしてね。なんでもこの近くに工房を構えていた魔術師が病没し、その工房には秘蔵の霊薬が眠っているとか」
「「…………」」
 思わずフィオナとメルは顔を見合わせる。
 すでに情報があちこちに流れているらしい。
「裏でも高額の賞金が懸けられているようです。それを嗅ぎ付けて、幾つかの盗賊ギルドが既にこの宿場町に潜伏していると目されています」
(なるほどな)
 メルは胸の内で呟く。
 この宿酒場にやたらと柄の悪い客ばかりがいるのは、それぞれ別の盗賊ギルドの団員だろう。
 酒場には情報が集まる。
 全員が店内を監視し合い、互いに聞き耳を立てているのだろう。
 メルはさり気なく周囲を確認する。
(ざっと見ただけで五つの盗賊ギルドが出張って来てるな)
 正確には分からないがライバルが多い事は明白だ。
「そういった輩が集まっているのは好都合──盗賊を何人かしょっ引けば、それは功績になると考えたのです」
「なるほど。それは慧眼ですね」
 得意げに語るナッシュは、フィオナにおだてられて頭を掻く。
「……それでは、わたくしたちにかかずらっていてよろしいのですか?」
 おずおずとメルが口を開く。
 暗に自分たちに関わってないで、そこいらの連中を調べろと言っていた。
 メルの発言が聞こえていたのか、周囲の客数人が急にいそいそと席を立つ。
「どうやら霊薬はまだ誰も手にしていない様子なので、もうしばらく盗賊ギルドは逗留しているでしょう。それなら明日から調査を開始しても問題はありません。それよりも──」
「わっ!」 
 ズイッとナッシュがメルににじり寄り、思わずメルは上体を仰け反らす。
「今夜はあなたのような美しい人をお守りする方が大事です」
「そう……ですか……」
「あんな恐ろしい事があったと言うのに、私の事を気にかけて下さるなんて──メル嬢はお優しいのですね」
(やべぇ! ヤブ蛇つついた‼)
 熱に浮かされたようにこちらを見るナッシュの視線を、必死に躱すメル。
「よければお宿までお送りいたしましょうか」
「結構です。こちらの二階に宿を取っておりますので」
 きっぱりとメルが言うと、ナッシュは残念そうに唇を噛む。
(完全に送り狼じゃねーか)
 メルはげっそりした顔になる。
 言い寄られていると理解しながら、しかしそれを突き放さずに躱し続けるというのは、非常に疲れる。
 飲まないとやっていられない。給仕に向かって手を振る。
「すいません、麦酒(エール)のお代わりをお願いします」
「メル嬢は見かけによらず、酒精に強いのですね」
「ええ、わたくし以前からお酒には強くて、酔ったことがないんです」
 気を紛らわす為に、酒ばかり飲み続けていた。気付けば何杯ジョッキを空けたか分からないが、今だ酔う気配がない。ある意味で損な体質だ。
「──あれ?」
 とその時に、メルは違和感に気付いた。
「どうしたのですかメル嬢?」
「その……他のお客さんは何処へ行ったのでしょうか?」
 話し込んでいるうちに、いつの間にやら他の客がいなくなっている。さっき麦酒のお代わりを頼んだ給仕も、厨房に入ったきり出てこない。
(なんだろう──凄い嫌な予感がする)
 その予感は的中した。
「ぃよう、てめぇらか? うちの団員をボコった奴らは」
 荒々しく酒場の扉を開くと、ひと際強面の男が入ってきた。
 まるで熊の毛皮のようなごわごわとした黒い髪。顔に走る二筋の切り傷が厳めしい。背丈は高く二メートルに迫ろうかという大男だ。
 ごてごてと装飾を後付けしたコートを、前を開いて羽織っている。
 強面の男の後ろには、同じく人相の悪い男たちがぞろぞろと続く。
 口ぶりと風貌からして、この強面の男は盗賊ギルドの頭目だろう。後ろの取り巻きの中には、さきほどナッシュに追い払われた男たちもいた。
「後ろにいる男たちを叩きのめしたのは私だが」
 スッとナッシュが立ち上がる。
 強面の男はナッシュをジロリと目ね付ける。
「フンッ、こんな貴族のボンボンにやられたのか? 俺に恥をかかせやがって」
「ひっ」
 強面の男は背後の男たちを見やると、ナッシュにやられた男四人は、怯えて縮みあがる。
「私はボンボンなどではない! 誇り高きシュトラール家の男子、ナッシュだ」
 お坊ちゃま扱いされるのが我慢ならないのか、ナッシュは声を荒げる。
「いきなり押しかけて失礼な奴め、貴様名乗れ!」  
「俺か? 俺はダニアンってんだ」
(ダニアン? あいつ『赤蝮(あかまむし)』のダニアンか!)
 強面の男の告げたダニアンという名前を聞いて、メルは内心で驚く。メルの表情が伝わったのか、フィオナが袖を引っ張る。
「(あのダニアンという方、有名なのですか?)」
「(盗賊ギルド『赤蝮』の頭目だ。毒蛇みたいな狡猾さと残虐さを併せ持つ、ヤバい男だって俺も噂を聞いたことがある)」
 こんな大物が出てくるとは。
 どうやら霊薬の噂が出回っているのは本当らしい。
「うちの団員に手ぇ出したんだ、ただで済むとは思うなよ」
「はっ! それはこちらのセリフだ」
 ナッシュは剣の柄に手をかける。
「さっきは酔いの席での悪ふざけを諫めただけ──多勢に無勢となれば、こちらも手加減できん。来るなら容赦なく斬り伏せるぞ悪党ども」
「いいねぇ、これだけの数を前にして、それでも啖呵切るなんざ最高だ。誇り高い騎士様だなぁ、ホント最高だ」
 ナッシュの啖呵を受けてなお、飄々と応じるダニアン。
 ダニアンの目が怪しく光る。
「これからその誇り高い騎士様が、追い詰められて無様を晒すんだから──今から楽しみで仕方ねぇなぁ……!」
「やれるものならやってみろ!」
 ダッとナッシュが床を蹴った。
 剣を抜き放つなり、ダニアンへと斬りかかる。
 ダニアンも腰の短剣を抜き合わせ、ナッシュの一撃を受ける。
「中々鋭い一撃だが、卑怯卑劣が売りの盗賊に不意打ちは効かねぇぜ?」
「くっ」
「やれ!」
 ダニアンと鍔迫り合いをしていたナッシュの横合いから、子分たちが斬りかかる。流石にこれは防ぎ切れない。ナッシュは飛び退いて避けた。
 退いたナッシュに次々と盗賊たちが襲い掛かる。
「さぁやれ! 囲んで袋叩きにしろ‼」
 ダニアンの指示であっという間に囲まれるナッシュ。
 ナッシュは剣術もだいぶ腕が立つ。少なくとも一対一なら、子分の盗賊たちとやりあっても瞬殺できるだろう。
 だが、一度に何人も相手にするとなれば別だ。
 一人を倒している間に、三人に斬り付けられる。当然斬られないよう防御をしなくてはならないから、一人を倒すのにも一苦労だ。
 そうしてナッシュが盗賊たちを倒すのに手こずっている間に、ダニアンは動いた。
「動くな!」
「⁉ しまった‼」」
 ナッシュが固まる。
 見ればいつの間にかダニアンはメルの後ろに回り込み、その喉元寸前に剣を突き付けていたのである。
「そこまでだぜナッシュ坊ちゃん。剣を捨てな。でないとこのお嬢ちゃんがただじゃ済まないぜ?」
 イヒヒヒヒ──とダニアンは下卑た笑い声を上げ、ナッシュは歯噛みする。
「くっ! 卑怯者め──‼」
「おいおい言っただろう? 卑怯卑劣が俺たち盗賊の売りだってよぅ」
 前評判に偽りなしの狡猾な悪漢である。
 このダニアンという男の頭には、フェアとか騎士道精神とか、そういったものは一切ないのだろう。
「さぁ、どうした。さっさと剣を捨てろ」
「……!」 
 ナッシュは無言で顔を歪める。
 この状況でナッシュが剣を捨てれば、問答無用で袋叩きにあい、下手をすれば殺されるだろう。
「ほらほらどうした、さっさと剣を捨てろよ」
 勝ち誇った顔で笑うダニアン。
「たまんねぇぜ。てめぇみたいなスカした騎士様が、こうやって苦渋の決断を迫られる時の顔は、これ以上ない傑作だ──ん?」
 まくし立ててからダニアンはふとメルの横顔に目を向ける。
「んん? よく見りゃすげぇ別嬪じゃねぇか。ちょっと殺すのが惜しくなってきたなぁ」
 ダニアンの品のない声が耳元で聞こえて、メルは総毛だつ。
(うえっ! 超気持ち悪い!)
 しかしそんなメルの反応を怯えていると捉えたのか。嗜虐心が疼いたのか、ダニアンはさらに興奮したようだった。
「良い反応するな別嬪さん。ついでに今ちょっと味見してやろうか」
 ダニアンの左手が、メルの身体を撫で回そうと伸びる。
 その手が触れようとする瞬間、メルの我慢も限界に達した。
「気持ち悪ぃんだよぉぉっ!」
 メルはダニアンの左手を掴むと、そのまま肩に担ぐようにしながら、ダニアンの懐に肉薄した。小柄な体を利用して下に潜り込むと、そのままダニアンを思いっきり前へと落とす。
 鮮やかな一本背負いが決まり、ダニアンは酒場の床に叩きつけられた。
「ぐえっ⁉」
 潰れたカエルような悲鳴を上げるダニアン。
 さらにメルが追い打ちでダニアンを蹴ると、まるでボールのように蹴り上げられて酒場の壁に叩きつけられる。
 ダニアンは泡を吹いて気を失っていた。
「くたばれこの変態ド悪党が!」
「「……」」
 そんなメルを見て、ナッシュも他の盗賊たちもポカンとして目を瞬かせている。
「てめぇらも失せろコノヤロー!!」
 メルがそばにあるテーブルを掴むと、何とそれを片手で頭上まで振りかぶり、そのまま取り囲んでいる盗賊たちに投げつける。
 恐ろしい怪力だ。
 メルの剛腕で投げつけられた重たい木製テーブルが、砲弾となって盗賊たちをなぎ倒す。
「うあああぁぁ⁉」
「ボーっとしてんな! 逃げるぞ‼」
 メルは傍らのフィオナを抱え上げると、啞然としているナッシュをどやしつけた。
 そのまま呆気に取られたままの盗賊たちの間を縫って、メルは宿酒場から逃げ出す。すぐにナッシュも我に返り、それに続く。
 その頃になって、ようやく盗賊たちも動き出した。
「お、お頭! しっかりしてくだせぇ‼」
「クッソ! あの女共と騎士を追え! 絶対逃がすんじゃねぇ!」
「とっ捕まえろ!」
 ある者は倒れたダニアンに駆け寄り、ある者は逃げ出したメルたちを追いかけだす。
 日の暮れた宿場町を、メルたちは全速力で走った。
「だあーチクショウ! 今日くらいは宿のベッドで寝れると思ったのに、さっそく野宿かよぉ‼」
 メルのボヤキが夜の宿場町にこだました。



 ダニアン率いる盗賊ギルド『赤蝮』の追跡を振り切り、メルたち一行は宿場町から少し離れた森の中にいた。
 フィオナを抱えたメルの傍で、ナッシュは大きく肩で息をしている。
「今日は月明かりがあって良かったな。お陰でもし曇り空だったら、暗すぎて身動きとれなかったぜ」
 町から離れれば明かりのない森は本当に暗い。
 何があるか分からず、普通の人間は一歩も動けなくなる。
「いえ、わたくし全く周囲が見えないんですが……」
 メルの腕の中でフィオナが答える。
「あっそう? 俺はけっこう見えてるんだけどな」
「メルさんは夜目が利くのですね」
「まぁそうなるのか? 人と比べた事なかったから、気付かなかったぜ」
「……そのメルさん」
「何だ?」
「そろそろ下ろして貰えませんか」
 フィオナをずっと抱きかかえたままだったと、ようやくメルは気が付いた。
 いそいそとフィオナを下ろすメル。
「暗くてよく見えてないんだろ、足元気を付けろよ」
「はい……」
 妙にしおらしく答えるフィオナ。
(もしかして照れているのか?)
 フィオナも年頃の娘だ。男に抱きかかえられるというのは、気恥ずかしいのかもしれない。
(ちょっと無神経だったかな。でもああしないと逃げられなかったしな)
「メルさん」
「な、なんだ」
 改まって名前を言われて、メルは少しドキリとする。
「わたくし、メルさんの──」
 メルはゴクリと唾を飲み込む。
「横顔に見惚れておりました」
「──は?」
「実は最初に会った時から思っていたのですが、本当にメルさんのお顔は綺麗ですね。逃げている間に、月明かりにメルさんの顔が照らされて──月明かりに浮かび上がるメルさんの横顔は、まるで高名な芸術家の絵画のようでした。思わず見惚れてしまいました」
「あ……そう」
 なんだか肩透かしをくらったようで、メルは肩を落とす。
「凄い……体力をしているんですね」
 それまで黙っていたナッシュが口を開いた。
「ここまで走ってきて……息も切らしていないとは……」
 息を整えながらナッシュはメルに頭を下げる。
「ピンチのところを、貴方のお陰で助かりました。ありがとうございます」
「あ、ああ……別にいいって」
 ひらひらと手を振るメル。人に礼を言われるのに慣れていないのが態度に現れていた。
 不意にメルの身体がブルッと震える。
「あらメルさん、どうしたのですか?」
「ちょっと飲み過ぎた」
 気を紛らわす為に、酒を飲み過ぎたみたいだ。強い尿意をメルは覚えた。
 それだけでフィオナはメルの膀胱具合を察した。メルがいそいそと近くの茂みに向かうのを、黙って見送る。
 しかし事情を知らないナッシュは、のろのろと立ち上がるとメルを追う。
「あのナッシュ様、別に追いかけなくても」
「いえ、万が一戻したものが喉に詰まったら大変です。様子を見ておかないと」
 フィオナがやんわりと止めるが、ナッシュは聞かずに歩いて行った。
 どうやらメルが吐き気を催したと勘違いしているらしい。勘違いを正そうとフィオナは思ったが、既にナッシュも行ってしまい、暗い森の中でフィオナは動けなくなってしまった。
 仕方がないので、フィオナは二人が帰ってくるのを待つことにした。
(まぁナッシュ様は男性ですから、女性のわたくしに見られるより問題はないでしょう)
 とそこまで考えてから、フィオナは首を傾げた。
(あら? そういえば、まだナッシュ様はメルさんを女性だと思っていたのでしたっけ?)

 
 
 茂みに入って、メルはベルトを緩める。
 そのまま立ち小便を始めた。
「は〜……すっきり」
 膀胱の破裂しそう感覚から解放された。
「危ない危ない、膀胱炎になるとこだった……ん?」
 ふと背後に何者かの気配がした。
 メルが背後を振り返ると、
「……」
「……」
 ナッシュが立っていた。
 まるで信じられないモノを見るように顔を歪める。
 メルはやや身体を捻って局部を隠した。
「そんなマジマジと見るなよ。男同士でも恥ずかしいだろ」
「うあああああぁぁぁぁーーーーーーーっ!」
 ナッシュの悲痛な叫びが森にこだました。



 その後、簡易式の天幕を張り、周囲に極力光が漏れないようにして火を起こして、三人で焚火を囲んだ。
 ナッシュは虚ろな目で日を眺めている。
「おーいどうしたナッシュ、目が死んでるぞ」
「うるさい!」
 メルの呼びかけに、ナッシュは声を荒げる。
「一目惚れした美女の正体が男だった時のショックが、貴様に分かるか! これほどまでに残酷な裏切りが、かつてあっただろうかと人生を振り返ったぞ‼」
「それこそうるせーよ! 別に裏切ったわけじゃねぇだろ、お前が勝手に勘違いしただけだ! ていうか一目惚れとか気持ち悪い事言うな‼」
「何おぅ! やるか貴様‼」
「上等だ表出ろ!」
 メルが男だと分かり、ナッシュも態度がぞんざいになる。互いに胸倉を掴みあって睨み合う二人。
「ま、まぁまぁ、落ち着いてくださいませ。二人とも!」
 慌てて仲裁に入るフィオナ。
「確かにメルさんのお顔が美しすぎるのが問題ではありますが、ここで喧嘩しても良い事はありません」
「フィオナ、フォローしてるのかもしれないけど、全然フォローになってないからな」
 というかそもそも、メルが女性だとナッシュが勘違いしたのを訂正しなかったのは、フィオナの発案なのだが。
「それでもやっぱりメルさんの顔に責任があると思ってしまいますね」
「顔に責任ってなんだよ」
 ジト目でメルを見るフィオナ。
「だって……最初の盗賊たちも、ナッシュ様も、ダニアンという盗賊ギルドの頭目も、みんなメルさんの方に行ってしまうんですもの」
 言いながらどんどんフィオナの顔が沈んでいく。
「いや分かっているんですよ? メルさんが超絶美形なのは。でもですね……男性であるメルさんばかりが言い寄られて、わたくしに何もないというのは……その、乙女として非常に傷付くといいますか……自信をなくすというか」
 気付けば今度はフィオナの目が死んでいた。虚ろな顔で膝を抱え、焚火を眺めている。
「おいメル! 貴様のせいでフィオナ嬢まで深く傷付いているではないか‼」
「俺のせいなのかよ⁉」
 ナッシュの理不尽な責めに、メルも声を荒げた。
「ちょっと待てよ、一番ダメージデカいの俺だろ! 会う奴会う奴、みんな俺の事を女だと思って薄気味悪い態度で口説いてくんだぞ⁉ それに耐え続けた俺の自尊心が、どんだけ削れたか──お前ら分かるか⁉」 
 言いながら、メルの目からも輝きが失われていく。
 気付けばメルも虚ろな表情で火を眺めていた。
「……」
「……」
「……」
 しばらく三人とも無言のまま、重苦しい空気が流れる。
 ナッシュはメルを女だと勘違いして口説いた事にショックを受け、フィオナはメルばかり言い寄られる事に自信を失い、メルは誰もが自分を女だと思う事に傷付いていた。
(なんだこれ、誰も得をしてねぇ──三人もれなくダメージ受けてるじゃねーか)
「今日の事はなかった事にしようぜ……」
「……そうですわね」
「……そうだな」
 メルの提案に、フィオナとナッシュは力なく同意した。
 メルはグッと拳を握りしめ、悲痛な面持ちで決意を新たにした。
「クッソ……絶対霊薬手に入れて、男らしくなってやる……!」 
「霊薬を手に入れて男らしく? 何のことだ?」
 ナッシュが首を捻ったので、メルとフィオナは霊薬を手に入れるために動いていることを説明した。
 ナッシュは霊薬の効果までは聞き及んでいなかったらしく、『飲んだ者の姿を自由に変える』という効果を聞いて、大きく頷いた。
「──事情は分かりました。自由を獲得する為に、こんな危険な旅をしているとは……敬服いたしますフィオナ嬢」
「いえいえ、それほどの事では」
 フィオナににじり寄るナッシュに、フィオナは手をひらひらと振って恐縮する。それを見てメルは口を尖らせた。
「ったく、今度はフィオナに粉かけてんのかよ。この女好き」
「黙れ。貴族の男子たるもの、魅力的な伴侶を得るために努力するのは当然だ」
「すげぇサラッと言ってるけど、ようは見境なしなだけじゃねーか」
 ナッシュの額に血管が浮き上がる。
「──やるか?」
「上等だ──」
 ナッシュとメルは剣の柄に手をかける。
 睨み合う両者の間で、バチバチと火花が散った。
 どうもメルとナッシュの相性は良くないようだ。
(これは止めてもキリがないですわね)
 フィオナは少し考えてから、話題の矛先をずらす事にした。
「ところでナッシュ様、成り行きでわたくし達に付いて来られてしまいましたがどうでしょう──わたくし達が霊薬を手に入れるのに、このまま協力していただけないでしょうか」
「何ですと?」
「おい、何言ってんだフィオナ⁉」
 睨み合ったままナッシュとメルは耳を疑う。
「フィオナ嬢には申し訳ないが、私はこんな男か女かも分からないような奴と組むことはできません」
「俺は正真正銘男だ! 俺だってこんなスカした野郎の手を借りるなんて御免だぜ」
「少し冷静になってくださいませ」
 異口同音に反対意見を述べる二人に、フィオナは飄々と言った。
「メルさん、件の霊薬を狙っていくつもの盗賊ギルドが動いています。この状況、少しでも協力者が多い方が良いのではないですか?」
「それは……」
 感情的な反発を抜きにして、少しでも霊薬を手に入れる可能性を高くするなら、たしかにナッシュを仲間に引き入れた方がいいだろう。
 それが分かるだけに、メルは言い返せなかった。
「ナッシュ様、手柄を立てて立身出世をしたいとおっしゃっていましたね。であればこれを機に、エトワール家に縁故を作っておくのはどうですか?」
「何?」
「この旅で霊薬を手に入れエトワール家に持ち帰った際に『この旅で無事だったのはナッシュ様のお陰』だと、わたくしがお父様に口添えいたしましょう。さすればエトワール家とナッシュ様の間に、太いパイプができるでしょうね」
「……」
 ナッシュは無言で考え込む。頭の中で算盤を弾いているのかもしれない。
 エトワール家は商人であるが、並みの貴族以上に財力を持ち、強い影響力がある。何をするにも先立つものがいるし、強力な後ろ盾や出資者というのは、いくらあっても良いものだ。
 ナッシュの気持ちはグラグラと揺れる。
「し、しかし……このような男と共に行動するのは、貴族としてのプライドが……」
 なおも悩むナッシュに、フィオナは止めの一言。
「エトワール家は皇室御用達の品を扱い、皇族や有力貴族にもパイプがあります──ゆくゆくは、ナッシュ様に貴族のご息女をご紹介できると思います」
「困っている女性を見過ごすのは貴族の名折れ、ナッシュ・シュトラールはフィオナ嬢に協力を惜しみません!」
 さっきまでの態度はどこへやら、ナッシュはフィオナにひざまずいて敬礼。その後、メルの手を握ってわざとらしくブンブンと振る。
「やー、すまなかったな。霊薬を手に入れるため、力を合わせて頑張ろうじゃないか」
「手のひら返しが早過ぎんだろ……」
 メルは開いた口が塞がらない。
「うふふ、良かったですわ」
 フィオナは口元を押さえて笑う。
(口八丁でこうも簡単に人を丸め込むとは……恐ろしい女だ)
 メルはフィオナの底知れなさに、少しだけ怯えた。



第三章

 翌日、帝国北東部の森の中。
 生い茂る木々に飲まれた古代の遺跡がある。石壁と樹木が絡み合った不可思議な形の建造物が、今は亡き魔術師の工房だ。
 その工房から少し離れたところに、小さな野営地が出来ていて、身なりの汚い男たちがたむろしている。盗賊ギルドの拠点である。
 既に工房を囲うようにして、いくつもの拠点が出来ている。
 どの拠点の盗賊たちも、少しくたびれているというか、暇を持て余している風だった。
 そしてその野営地の隅に、この森には似つかわしくない格好をした人物がいた。
 旅行者風の服装をした少女だ。
 天使のような美貌と、豊満な胸は、男たちの視線を釘付けにするだろう。少女は男たちの一人と話し込んでいた。
「──それで? あの遺跡の中に、魔術師の工房があるって本当なの?」
「ああ本当だぜ。中にある霊薬を手に入れたら三億ルミーだって、うちのお頭も大張り切りしてる」
「まぁ、三億ルミーも?」
 得意げに話す男に、少女は驚いて目を見開く。
 ルミーは帝国の通貨だ。三億ともなれば、一生遊んで暮らしても余るくらいの大金である。
「裏じゃ最近その話題で持ちきりだぜ。いろんなギルドが、霊薬を狙ってる」
「それじゃ他に先を越されないよう、急いで霊薬を手に入れなきゃいけないわね」
「それがそうでもねぇのさ」
 少女は首を傾げた。
「どうして? みんなその霊薬を狙ってるんでしょ?」
「知らねぇかお嬢ちゃん? 魔術師の工房ってのは、すげぇ入り組んでる上に罠だらけなんだぜ。そう簡単に侵入できるものでもねぇんだ。しかも先に入ったギルドが他に先を越されないように、後から自分たちも追加で罠を仕掛けていくんだ──最初の頃より、余計に難攻不落のダンジョンになってやがるのさ」
 男は肩をすくめる。
「今は他の奴らに霊薬を取って来させて、工房から出てきた時にぶん取っちまおうって、工房の前で睨み合ってるって寸法さ」
「なるほどねぇ……」
「お陰で退屈してたんだが嬉しいねぇ、アンタみたいな上玉がこんなところに来てくれるなんて」
 言いつつ男は少女に迫る。
 少女は男を拒むことなく、むしろ誘うように妖艶に微笑む。
「そうねぇ、わたしも遊びたいと思っていたの」
 ゴクリと男は興奮したように唾を飲む。
「ここじゃ他の人に見られそうで嫌だわ。楽しむならあっちの茂みに行かない?」
「おういいぜ」
 辛抱たまらないと言った風に、男は鼻息荒く答える。
 少女は男を連れて茂みへと向かう。
「そういえば……あなたのギルドでは、工房内にどんな罠を仕掛けたの?」
「あん? 入口近くに矢が降ってくる罠が一つ。後はしばらく進んだ所に、落ちたら槍で串刺しになる落とし穴を作ったりしたけどよ……それがどうかしたの──」
 か? ──と言おうとしたところ、男は顎に強烈なパンチを喰らって気絶した。


 
 盗賊ギルドの拠点から離れた茂みの中で、フィオナはうんうんと頷く。
「入口付近としばらく進んだ所に落とし穴ですね、なるほどなるほど」
「有益な情報を得られたようですね」
 ナッシュも相づちを打つ。
「女装(こんな)事までしてゲットした情報が、有益じゃなかったらたまったもんじゃねーよ」
 そう言って天使のような美貌を持つ少女──に扮したメルが口を尖らす。
「お手柄ですわメルさん」
 フィオナは手をパチパチと叩く。
 メルが女装して情報収集を行ったのは、フィオナの提案だ。
「昨夜の一件から分かった事ですが、既に複数の盗賊ギルドが先行して工房を調べているのは確実。わたくし達は現状出遅れて後塵を拝いている状態です。霊薬を手に入れるにはその遅れを取り返し、他を出し抜く必要があります」
「遅れを取り返して、他を出し抜くと言ったって、具体的にはどうすればいいんだ?」
「わたくしが家庭教師から学んだ東方の格言に『敵を知り己を知らば、百戦危うからず』というものがあります」
「おお! 遠い異国の格言まで知っているなんて、さすがはフィオナ嬢」
「? どういう意味だ?」
 ナッシュはフィオナの博学なのを褒め称え、メルは首を傾げる。
「つまりは情報です。相手の内情を知ることができれば、裏をかいて出し抜くことは容易になります」
「はぁ〜なるほどな」
 この抜け目のなさは、さすが大商人の血を引く娘と言ったところか。
「というわけでメルさん」
 フィオナのメルを見る目が怪しく光る。
 フィオナはにこやかな表情のままなのだが、それ以上に何とも言えない怖さがあった。
「な、なんだよ」
「お化粧とお着替えをしましょうか」
「──は?」
 メルの間の抜けた声が響いた。
 と、このようなやり取りがあった後、メルはフィオナが持参した替えの服と化粧品で、変装をする事になったのである。
「なんで俺がこんな事を……」
 茂みで手早く着替えたメルは、胸の膨らみをだすために詰めていたパッドを忌々し気に握りしめる。
 化粧で顔の印象を変えるだけでなく体型まで変えたのは、昨日の酒場での事を考え、メルのことが既に知られている可能性を危惧した処置だ。
「仕方がないだろう。私だと警戒されるし、フィオナ嬢だと何かあった時に危険だ。となるとメル、貴様がやるしかないだろう」
「正論で詰めるのはやめろ!」
「別に構わんだろう。今更女装したところで、減るものでもあるまい」
「減るんだよ! 俺の自尊心とかが‼」
「元から女装なんてしなくても、貴様は女に見えていただろうに」
「かーっ! 言ってることは事実だが、今更それをお前に言われるとすげぇ腹立つぞ‼」 
 諭すように言うナッシュに、メルはかみつく。
「くそ……何なんだよ。俺男らしくなりたくて頑張ってんのに、むしろ前より女扱いされること増えてねぇか?」 
「まぁまぁメルさん、落ち込むのはそれくらいで」
 あ〜、うん。俺が落ち込んでいるのは、大体お前の発案のせいなんだけどね──とメルはジトっとした視線で訴えたが、フィオナには伝わらなかった。
「さて──さっきメルさんが行ってきた拠点が、現在確認できる盗賊ギルドの最後でしたね。それでは得た情報を突き合わせて、作戦を練りましょう」
 とフィオナは羊皮紙を取り出して、集まった情報をまとめていく。
 工房内部の構造、仕掛けられている罠の種類を書き込み、さらに効率的な攻略ルートを割りだす。
「これなら行けそうですわ」
 フィオナが微笑む。
 それが攻略開始の合図となった。
 
 
 メルとナッシュはそれぞれ森を隠れながら進み、工房を見張っている盗賊ギルドの見張り役を気絶させた。
 そして工房の入口に進む。
「他の組織に邪魔されず、かつ工房から出てきたところを襲われないよう、ここは電撃作戦でいきます。見張り役の異常に気付かれる前に、急いで霊薬を手に入れますよ!」
 工房内に踏み込むと、フィオナが先導する形で進んだ。
  途中、いくつもの罠が待ち構えていたが、あらかじめ何が仕掛けられているのか分かっていたので、苦も無く突破できた。
 石造りの壁と樹木が絡まりあう陰から、不意に飛んでくる仕掛け矢を躱しながら、メルは呟く。
「随分入り組んだ構造になってんなぁ」
「元々あった遺跡を森の木々が飲み込んで、不規則な行き止まりと通路が出来ている。普通ならこんなところに入ろうと誰も思わない──隠れ潜むには都合が良かったんだろうな」
「天然のダンジョンでわけだ」
 ナッシュの相づちに頷きながら、メルは石造りの壁に彫られた模様を見る。どうやら人の絵のようだ。
 武器を持った人々が勇猛果敢に戦っている。ただ気になるのが、武器を持った人々がどう見てもみんな女であるということだった。
 こういう戦っている一幕を表した絵であれば、普通は男の兵士がいそうなものだが、この壁画には一人も描かれていない。
「なんだこれ?」
「バルキリス人の寓話を表した壁画のようですね」
「ああ、なんかそんなこと酒場で言ってたな。なんだっけ、たしかこの地方に残る伝承だったっけか?」
「ええ。数百年前に存在したと言われる、古代戦闘民族ですね。変わった民族で、バルキリス人は何故か女しか存在せず、恐ろしい強さと見る者を魅了してやまない美貌を持っていたと言われていますね」  
「はーん」
 それでこんな絵になっているのかと、メルは頷く。
「他にも一度死にかけたバルキリス人が、一騎当千の力を経て復活したとか、そんな話も残っていますね」 
「それは流石におとぎ話だろ」
 などと言いながら、あっという間に工房の奥深くまで進む三人。
「あれを見ろ!」
 ナッシュが叫んだ。
 見れば大きな扉があり、その傍らに巨大な石像──全長四メートルくらいあるだろうか、が立っている。
 そこだけ不自然なほどに新しく設えられた空間が出来上がっていた。
「どうやら罠を抜けて、工房までたどり着けたようですわ」
「ならあの奥に霊薬があるんだな!」
 駆け出すメル。
 しかしナッシュは一人慎重に腕組みをする。
「どうしたのですかナッシュ様?」
「いえ、どうも上手くいき過ぎているような気が……ここまで仕掛けられた罠は、盗賊ギルドが仕掛けたものもあれど、元々魔術師が仕掛けた罠も多々ありました。あれだけ用心深く引きこもっていた魔術師が、工房の入口になんの仕掛けもしていないという事があるでしょうか?」
「あ……」
 フィオナはアッと気が付いた顔をするがもう遅い。
 新しく設けられたレンガ積みの空間。そこにメルが踏み込んだ瞬間、
「──────!」
「何だ⁉」
 不快感を覚える異音が鳴り響く。
 ミシミシと聞きなれない音がして、扉の脇に立っていた石像が動き出した。
「おいおいマジか……!」
 さすがのメルも目を疑った。
 四メートルもある巨大な石像。神話に登場するような、古めかしいデザインの甲冑を着こんだ兵士の石像が、まるで生き物のように動き出したのだ。
 その輝きを持たない眼球が、メルを見据える。
「侵入者ヲ確認。コレヨリ迎撃体勢二移行」
 言うが早いか、動き出した石像は、手にしていた巨大なメイスを振りかぶる。
 メルは本能的に飛び下がった。
 一拍遅れて、石像の振り下ろしたメイスが打ち付けられる。凄まじい轟音が鳴り響き、その衝撃で地震のように床が揺れた。
 恐ろしい破壊力だ。
 喰らえばひとたまりもない。全身の骨を粉々に砕かれて潰されてしまう。
「やっべぇぞ──何なんだアイツは⁉」
「ゴーレムです!」
 メルにフィオナが叫び返す。
「ゴーレム?」
「石や粘土でできた魔力で動く傀儡ですわ。話に聞いただけで、実物を見たのは初めてですが……」
 そう言うフィオナも顔を引きつらせている。
 ナッシュもやや気後れしている感は否めない。
「あれが最後にして最強の門番というわけか……そもそも人が倒せるものなのか? 一度引き返して体制を整えた方が良いのでは」
「ダメです。わたくしたちは既に盗賊ギルドの見張り役に手を出しています。彼らが異常に気付く前に霊薬を手に入れて逃げるしかない──今から引き返している時間はありませんわ」
「何がなんでもあのデカブツを倒さないといけないって事か……!」
 誰も通さないと扉の前に立ちふさがるゴーレム。いつでもメイスを繰り出せる体勢のまま、メルたちを待ち構えている。
 あくまでも門番ということなのか、扉の前からは動こうとはしない。
 逃げても追ってこないのは、ある意味で僥倖といえるが、今のメルたちにとっては厄介以外の何物でもない。
「つってもあんな奴に剣じゃ太刀打ちできねぇぞ、どうする?」
「何か相手にダメージを与える手段があれば良いのだが……」
 メルとナッシュは冷や汗をかく。
「あります! 必ずどこかに弱点が」
 力強くフィオナが断言した。
「聞いたことがあります。ゴーレムはその身体のどこかに、魔力源となる核が付いているはずです。それを破壊することができれば──」
「魔力が尽きて動かなくなるって事か!」
 メルは剣を抜き放った。
「とりあえずゴーレムの核がどこにあるのか探るぞナッシュ。俺は右から攻めて様子を探る、お前は左から行け!」
「挟み撃ちか。お前に指図されるのは癪だが承知した!」
 ナッシュも剣を抜く。
 そのまま一気に弧を描きながら、左右に回り込む二人。
 ゴーレムは侵入者が二人同時に近づいてきたことに戸惑ったのか、一瞬反応が遅れる。しかしすぐに動き出した。
 ナッシュめがけて家の柱より太いメイスが振るわれる。
「ッ! ちょっと待てメル‼」
 ギリギリでそれを躱してから、ナッシュの怒声が響いた。
「どうした?」
「挟み撃ちで向かって左側に──相手の右手側に回り込むということは、私が真っ先にメイスの間合いに入るということではないか‼ しれっと一番危険な役割を私に押し付けたな⁉」
「ああ、今頃気付いたか?」
「メルッ‼ 貴様〜!」
 ナッシュは怨嗟の声をあげながら、縦横無尽に振るわれるメイスを必死に躱し続けている。その隙にメルはゴーレムの側面から背後までくまなく目を走らせる。
「魔力源の核らしいモノは見当たらないぞ!」
「そんな⁉」
 悲痛な声を響かせ、フィオナは被り振る。
(核がないなんて、そんなはずはないですわ。核がなければゴーレムは動かない──!)
 冷静に、論理的に思考を働かせる。
(核がどこかに在るのは確実。問題はどこにあるか)
 身体の側面にも背面にもない。もちろん前面にもそれらしいものはなかった。
 となればどこにある? 
「うおっ⁉」
 バックステップで下がるナッシュを、追いかけるようにゴーレムがメイスを唐竹割に打ち下ろす。無理に追いかけたせいで、大きくゴーレムの身体が前傾姿勢になる。
 その時、ゴーレムの頭部から、僅かに煌めくものが見えた。
(! アレは──‼)
「脳天です! ゴーレムの脳天に、宝石が埋め込まれています。アレがゴーレムの核ですわ!」
「脳天?」
 メルが苦虫を嚙み潰したような顔で反芻する。
「こんなデカい奴の脳天に、どうやって一撃喰わらせたらいいんだよ⁉」
 ゴーレムの全長は約四メートル。
 とてもではないが、メルの攻撃が届くような高さではない。 
「話は聞いていた! メル、私に良い考えがある!」
 息を切らしながらも、懸命にゴーレムの攻撃を避けながらナッシュが叫ぶ。
「本当か⁉」
「ああ! この方法なら、ゴーレムの核を攻撃できる‼」
「どんな方法なんだ?」
「それはだな──!」 
 不意にナッシュが動きを変えた。
 前後左右に動いて的を絞らせない動きから、一直線に駆け出す。一撃で致命傷になるであろうメイスの殴打をくぐり抜けて、ゴーレムの股をくぐり抜ける。
 そしてメルのそばまで駆け寄った。
 ゴーレムは振り返り、二人に狙いを定める。
 一瞬早く、ナッシュがメルの襟首を掴む。
「こうするのだ!」
「ちょっ⁉」
 ナッシュはメルの襟首を掴んだまま、まるで砲丸でも振り回すように、その場で急速に回転した。二週半の回転で勢いを付け、そのままメルを上空まで放り投げる。
「〜〜っ〜〜!」
 放物線を描いて飛んで行ったメルは、ゴーレムの顔面に激突。
 濡れタオルを投げつけたように、ベチャッとゴーレムの顔面に張り付いた。
「うおわぁっ! 揺れる揺れる‼」
 視界を覆われたゴーレムは、まるで酔っぱらったかのようにふらついた。メルは四メートル上空で、振り落とされないように何とかしがみ付く。
「メルさん、危ない!」
「⁉」
 背後を振り返れば、ゴーレムは空いた左手でメルを摘まみ上げようと、顔に左の手のひらが迫ってくる。ゴーレムのパワーを考えれば、メルは感嘆に握り潰されてしまうだろう。
 メルは視線を前に戻す。 
 目の前に小さく輝く赤い宝石が見えた。
(これだ!)
「うおおおおおぉぉぉっ!」 
 右手に持った剣の柄頭を、全力で宝石に叩きつけた。宝石に僅かな傷ができ、輝きが少し薄くなった。
「────────!」
 また耳馴染みのない不快な音がした。
 それはゴーレムの悲鳴だったのかもしれない。
 ゴーレムは左手で顔を抑えようとした姿勢のまま固まった。
「……何とか倒せたみたいですね」
 ホッとフィオナが胸をなでおろす。
「そのようですね──おわっ⁉」
 頷くナッシュの上に、メルが着地した。
「くっ! 何をするんだ貴様‼」
「それはこっちのセリフだ! 人をボールみたいに放り投げたんだ、クッション役くらいやれ!」
 メルとナッシュはギャアギャアと口喧嘩を始める。
「何が、私に良い考えがある──だ。人を鉄砲玉扱いしやがって!」
「貴様こそ、私に危険な役目を押し付けたではないか!」
「お前貴族で騎士なんだろ! 下々の民を守る為に身体張れよ‼」
「騎士がその身を盾にするのは、守るべき民の為だ! 断じて貴様のようなずる賢い奴ではない‼」
「……よくこれでゴーレムを倒せましたね──あら?」
 二人の次元の低い口喧嘩を、呆れ顔で見ていたフィオナがふと何かに気付く。
「メルさん腕に怪我してますね」
「ん?」
 見ればメルの二の腕あたりに血が滲んでいる。
「ありゃりゃ? どっかで引っ掛けたかな。でも大丈夫だって、このくらいならすぐ治るだろ」
「ダメですよちゃんと手当しないと。ここは町中じゃないんですから、傷口から菌が入って流行り病になったりしてもすぐ診てもらえません。破傷風になったら最悪腕を切り落とすハメになります」
 言うなりフィオナはメルの腕を診ると、薬草を貼り付ける。そして何やら不思議なイントネーションの言葉をポツリと呟いた。
 すると、
「おっ⁉ なんだこれ」
 貼り付けた薬草の葉が薄っすらと光ってハラリと落ちる。そして薬草の下から出てきた肌には、既に傷跡がなくなっていた。
「治癒の魔術(ヒール)です。このくらいなら、すぐに治せます」
「凄ぇ⁉ フィオナって魔法も使えたのか?」
「色々な家庭教師がいましたので、少しだけ習いました。使えるのは、簡単な魔術だけですが」
「いや十分凄ぇだろ」
 メルはしきりに感心し、ナッシュは自分もどこか診てもらえないかと身体中を確かめるが、何処にも大した傷がないので羨ましそうな視線を送るだけだった。
「そういやゴーレムが動き出した時も、すぐに倒し方を教えてくれたし──フィオナって物知りなんだな」
「アレは相似の理論という、基礎的な魔術理論の応用でしたから。すぐに察しが付きました」
「ソウジの理論?」
「魔術の働きを説明する理論の一つですね。簡単に言えば、『魔力を帯びたモノはその姿かたちが似ていれば同じような性質を持つ』という理屈です。ただの石は動きませんが、それが人の形をしていて魔力源があれば、人間と同じように動く──という訳ですね」
「はーん、なるほどな。魔法って言っても、何でもありじゃなくて何らかの制限はあるわけか」
「そうですね。必ず一定の条件と手順を踏まなければ、魔法は発動しません──と」
 フィオナが会話を打ち切って立ち上がる。
「さあさあ、わたくしたちには時間がありません。急いで霊薬を見つけませんと」
「おっとそう言えばそうだった」
「うむ、そうでしたね」
 メルとナッシュはゴーレムが守っていた大きな扉を開けて中に入る。
 中は一種異様な光景が広がっていた。
 かび臭い空気が充満している。所狭しと本が積み上げられ、壁のようになっている。一方には何らかの薬草と思わしき植物、見たこともない色合いの鉱石、乾燥させた獣や虫の手足──等々、胡乱な品物が立ち並んでいた。
 奥には大きな釜戸と、いくつもの管が繋がれた装置がある。
「これはまた……いかにもって感じですね」
「ですわね」
 ナッシュは独り言ち、フィオナはかび臭い空気にハンカチを鼻に当てた。
 メルはかび臭い空気の中に、わずかな腐臭──死臭とでも言うべきものが混じっているのを感じ取った。
 匂いの元を辿っていくと、メルは白骨化した死体を発見した。
「おーい、ここに死体があるぞ」
「ひぃっ⁉」
「む……本当か?」
 フィオナは小さく悲鳴をあげ、ナッシュは片眉を上げる。
「ほらここだ」
 メルは死体に近づいて、検分する。
「見たところ死んでから数週間は立ってる感じだな。多分、こいつが病死したっていう魔術師じゃねぇか?」
「お前……よく躊躇なく死体に近づけるな」
「俺は貧民街の浮浪児だぜ? 死体なら見慣れてるよ」
 おかげで死んだ人間が放置されたら、どのくらいの期間でどうなるか、大体分かるようになった。
(なんかこいつの周りに、霊薬がどこにあるかヒントになる物ないか?)
 メルは魔術師の死体の周辺を探る。すると、足元に小さな手帳が落ちていた。
 メルは字が読めないので内容は分からない。ただ、所々に/で区切られた数字が書いてあるところを見ると、どうやら日記のようだ。
「フィオナ、これなんて書いてあるんだ」
「わたくしが読むんですか?」
「だって俺、字読めないし」
「うう〜……」
 死体の近くにあった物を触りたくないのだろうが、渋々フィオナは手帳を手に取り、中身に目を走らせる。
「所々掠れたり虫食いがあったりで、断片的にしか分かりませんが、どうやら研究日誌のようですわね」
 パラパラとページをめくるフィオナ。
「霊薬作りとは関係のない、バルキリス人の伝承についても調べていたようですが……これは」
 フィオナは気になる部分を抜粋して読み上げる。

『■■■■様から依頼と多額の研究費をいただいた』
『これから霊薬の精製を始める』
『失敗続きだ。この霊薬は本当にできるのか?』
『いや、理論上は可能なはずだ。そう言い聞かせて研究を続ける』
『実験の結果、この地方から切り出される希少な鉱石と、■■の一部を混合したものが、身体の造りを変異させる効果があると分かった』
『このところ体調が優れないが、研究が進んだことで気分がいくらか晴れた』
『研究に没頭するあまり、どうやら病魔に侵されていたのに放置してしまったようだ。既に取り返しのつかない所まで来ている』
『私の命は長くない。しかし何としてもあの霊薬だけは完成させる。それが私の生きた証なのだから』
『蒸留装置を使い、霊薬は完成した。私は生きた証を遺せたのだ。しかしこの研究成果を、誰にも伝えられないのが心残りである』
 
「……読んだ限り、霊薬は無事完成したのは間違いなさそうですわね」
「どうやらここの魔術師は誰かから依頼されて霊薬を作っていたようですが、一体誰が……」
「んな事は別にいいだろ、それより霊薬の在りかだ。たしか蒸留装置って言ってたよな。てことは」
 メルは管がいくつも繋がった装置を見やる。
 慎重に上蓋を開けると、中には小さな薬瓶が入っていた。
 薬瓶を取り出し、灯りの下で透かして見る。
 薄桃色の半透明な液体が入っていた。よく見れば、光の反射ではなく、液体自体がわずかに発光しているように瞬いている。
 見るからに尋常な代物ではない。
「これが……」
「……霊薬ですわ!」
 呆然と薬瓶を見つめるメルに、フィオナが飛びつく。
「やりましたわメルさん! わたくしたち、霊薬を手に入れました‼」
「やったなフィオナ!」
 小躍りする勢いで盛り上がる二人。
「それじゃ早速」
 メルが薬瓶の蓋を開けようとした時、
「待て」
 ナッシュが待ったをかける。
「何すんだよ」
「少し確認させてほしい」
 苛立つメルを飄々と受け流すナッシュ。
「貴様がここで霊薬を飲んだら──フィオナ嬢が霊薬を手に入れたと、誰が保証するのだ?」
「はっ⁉」
「へ?」
 フィオナは息を吞み、メルは間の抜けた声を出す。
 ナッシュはフィオナに向かって再度確認する。
「たしかフィオナ嬢が御父上とされた賭けは『霊薬を手に入れられるか』──つまり本当に霊薬を手に入れたとしても、それを証明できなければ、賭けは無効になってしまうのでは?」
「そうです! わたくし霊薬を手に入れることばかりに頭がいって、肝心なところを忘れておりましたわ‼」
 フィオナはメルから霊薬の入った薬瓶をひったくる。
「何すんだよ!」
「メルさん、ここで霊薬を飲んじゃダメです!」
「何でだよ⁉」
「ここで霊薬を飲んだら、わたくしが霊薬を手に入れたと証明できなくなります」
 もしここでメルが霊薬を飲み、男らしい姿かたちになったとしよう。その後エトワール家に向かい、フィオナの父親にあって霊薬を飲んだと言って信用されるだろうか。
 何しろメルの元の姿を知っている人間が、変身したメルを見るから、霊薬の存在を信じられるのだ。
 メルを知らないフィオナの父に、霊薬を手に入れたと言っても信じてはもらえないだろう。
「じゃ何時なら飲んでいいんだよ! 俺はこの霊薬で変身できるって聞いたから、ここまで頑張ってきたんだぞ‼」
「帝都に戻ってお父様にあった時──その時に飲んでください。目の前で見れば、お父様も納得せざるを得ないはずです!」
「ぐぅ……!」
 メルは口惜しそうに歯噛みする。
 メルにとっては、長年抱えていたコンプレックスを払拭できるチャンスが、目の前にあるのだ。今すぐにでも霊薬を飲みたいと思うのも、当然だろう。
 メルの諦めきれない視線を察してか、フィオナは釘を刺す。
「メルさんはわたくしが賭けに勝つために、用心棒をすると約束してくださいましたわよね──まさか約束を反故にするという、男らしくない真似なんてしないですよね?」
「ぐぬぬ……!」
 血涙でも出そうな勢いで、メルは歯噛みする。
 本当は今でも喉から手が出るほど霊薬がほしい。だが、
(男らしくない、男らしくない、男らしくない、男らしくない、男らしくない……──)
 フィオナが付け加えた一言が、メルの心を押しとどめる。
 男らしくない──それはメルが一番言われたくない言葉だ。男らしくありたいという強烈な思いがあるが故に、どれだけ霊薬を飲みたくても絶対にメルは手が出せない。
(言葉一つでこうも人を手玉に取るとは……底知れない方ですねフィオナ嬢は……)
 二人のやり取りを見ていたナッシュは、フィオナの巧みな弁論に舌を巻く。
 と、不意に地響きのような音がして、工房が揺れる。
「な、何だ⁉ 地震か⁉」
「いえ! これは魔法の作用ですわ──‼」
 揺れる工房内。ほのかな光──魔力光が壁を縦横に走っている。 
「この工房自体も一種の罠だったのですわ! 研究成果を盗み出そうとすれば、建物が崩壊するように、魔法式を仕込んであったのでしょう」
「ボロボロの遺跡を工房に選んだのは、いざという時簡単に倒壊させやすいからか!」
「とにかく逃げましょう!」
 三人は出口目掛けて全速力で走りだした。
 


 工房の外では入口を囲むようにして、倒壊しそうになっている工房を遠巻きに盗賊ギルドの面々が見守っていた。
 気付けば見張りが気絶しており、霊薬がある工房が崩れようとしているのだから、ただただ驚くばかりである。
「気を付けろ! 倒壊に巻き込まれるぞ‼」
 盗賊たちの叫び声が木霊する。
「チッ! なんてこった! これじゃ三億ルミーが瓦礫の下敷きになっちまう!」
 遠くから工房を見ていたダニアンは舌打ちをする。
 工房は遂に崩れ落ち、砂煙がもうもうと舞い上がる。
「ん?」
 蛇の目とも言われる鋭い眼が、視界の端に見覚えのあるものを捉えた。
 砂煙の合間に、栗毛の少女の姿が一瞬だけ見えた。
(たしかあの娘は、昨日の酒場にいた金髪の女のツレ……)
 その娘があの工房にいた──それも倒壊寸前のところから出てきた。
(てぇ事は……!) 
 ダニアンはニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。
 

第四章  

 森の奥深くでメルたちは野営していた。
 開けた場所を選んで野営地にし、天幕を張って焚火を囲んでいる。
 焚火の周りには肉を差した串が並べられており、ジュウジュウと肉汁を垂らして食欲を誘う匂いをさせていた。
 辛抱たまらないという風にメルの腹が鳴る。
「なぁまだか?」
「焦らないでください、生焼けだとお腹を壊しますから」
「俺は腐りかけの肉食っても腹壊したことないけど」
「意地汚い上に生き汚い奴だ」
 フィオナは苦笑し、ナッシュは呆れる。
「……そうですね、そろそろ良いでしょう」
「やったぜ、飯飯! …………くぅ〜っ‼ うめぇ!」
 メルは気にすることなく、串焼きにかぶりつく。
「森の奥に逃げ込んだ時はどうなるかと思ったけど、何とかなるもんだな」
 美味そうに肉を頬張るメルに、フィオナとナッシュも頷いた。
 メルたちが森で野営しているのは、近くの宿場町まで戻らなかったからだ。
「このまま森を突っ切りましょう」
 魔術師の工房から何とか脱出したあと、フィオナがそう提案したのである。
「宿場町の反対側まで、森を突っ切るんです。そこから街道へ出ましょう」
「おいおい、正気か?」
 この森は深く、素人が簡単に踏破できるようなところではない。
「近くの宿場町に戻った方がいいのでは?」
 ナッシュもやんわりと反対したが、フィオナは首を振る。
「お二人も知っているように、宿場町には盗賊ギルドが多く滞在しています。昨晩の騒動で私たちの顔を見ている者もいるでしょう。そんな私たちがノコノコと宿場町に現れたらどうなるか──」
「霊薬を持っていると知れて、襲ってくるかもしれねぇな」
 メルは納得がいったと深く頷く。
 我が身を守るだけならいざ知らず、霊薬とフィオナを守りながら、盗賊ギルドがいる宿場町を通過するのは至難の業──いわば手枷足枷を嵌めたまま、狼の群れの中を脂ののった肉を持って歩くようなものだろう。 
「なので我々はこのまま宿場町とは反対方向へ森を突っ切ります。いいですね」
 霊薬を守るためだ仕方ない、とメルとナッシュは頷いたのだった。 
「──あれから二日歩いた訳だけど、そろそろ森を抜けられそうか?」
「そうですね……星の位置を見る限り、もう少しだと思います」
「街道まで出られたら、そこからは早いな。さっさと帝都に向かおうぜ」
 次の串にかぶりついて、メルは鼻を鳴らす。
「しかっし美味ぇな! フィオナが料理できる奴で良かったぜ」
「それ程でも。私のやった事は、肉の下処理と味付けくらいですし……むしろメルさんが野兎や野鳥の解体が出来る方で良かったです。おかげで助かりました」
「それでもすげぇって。ちゃんと下処理と味付けするだけで、串に刺して焼いただけの肉もこんなに美味くなるんだな。俺捕まえた獲物をバラした後は、適当に塩振って食うだけだったからさ。こんな美味い肉食うの初めてかもしれん」
「……こほん」
 ナッシュがわざとらしく咳払いをすると、すぐにフィオナが何か察する。
「ナッシュさんにも感謝していますよ。狩りが上手なのですね、おかげでこうしてお腹いっぱい食べられます」
「いえいえそれ程でも! 狩りは貴族男子の嗜みですから!」
 言葉とは裏腹にナッシュは得意げに答える。
「ちぇっ、俺より多く獲物が狩れたからって調子に乗りやがって……」
「ふん、負け犬の遠吠えだな」
「誰が負け犬だ!」
「悔しかったら文明の利器の使い方を覚えるんだな──というか、太めの木の枝を棍棒代わりに野兎を走って追いかけだした時はドン引きしたぞ」
 昼間の狩りを思い出し、ナッシュはげんなりとした顔をする。
「仕方ねぇだろ! 狩りの仕方なんて知らなかったから、今までも普通に追いかけてぶん殴るって方法で野兎だとかをとっ捕まえてたんだから‼」
 肉の解体だって、見よう見まねと実地の試行錯誤で覚えたもので、誰かにちゃんと習った訳ではない。
「よくそれで今まで生きて来れたな」
「大抵の事は人力で何とかなるだろ」
「うーん……脳筋ここに極まれりですねメルさん」
 ナッシュとフィオナが呆れ顔をする──と、こんな調子で森を突き進むこと三日。
 ついに三人は北東部の一大都市に到着した。



 街道沿いに建てられた小さな小屋。
 そこで顔に傷のあるひょろ長い体格の男──ダニアンは寝転んで酒を飲んでいた。
 不意に小屋に駆け寄る足音が聞こえて、サッと手元の短剣に手を伸ばすが、
「お頭ァ!」
 という部下の声で、短剣の柄から手を放す。
「おう、どうだった」
「いましたぜ。酒場でやり合ったあのガキども三人。この先の街道から街に向かって歩いていくのを見つけやした」
「へっ……よくやった」
 部下に労いの言葉をかけてから、酒瓶を投げてよこす。
「へへへっ! 森の回りの街道に網を張った甲斐があったぜ!」
 ダニアンは堪え切れず笑みを漏らす。
「しかしお頭、よくアイツらが逃げる先が分かりやしたね?」
「ああん? ちょっと考えればわかる事だろう。奴らが霊薬を持ち出したとして、その後どこへ行くにしても、森を出て街道を歩くしかない。となれば、森の近くの街道を張ってりゃ、そのうち奴らは網にかかるってのは道理さ」
 獲物を追いつめる蛇のような狡猾さと執拗さ。ダニアンの赤蝮の由来である。
「一度手に入れると決めた物は、必ず手に入れてやる! くははっ、待ってろよガキども」
(どうやって霊薬を奪う? 手下と一緒に数を頼んで囲むか? いや、街に入られると衛兵隊もいるし中々面倒だ……となると、俺一人で搔っ攫う方が早いか?)
 ダニアンは底意地の悪い笑みを浮かべ、どうやって霊薬を強奪するか、計画を練り始めた。







「つ、疲れました……」
「自分も、いささか消耗しました」
 街にたどり着き、宿の部屋に入るなり、フィオナとナッシュはぐったりと崩れ落ちる。
「なんだなんだ、だらしねぇぜ」
「くっ……この体力バカめ……」
 ナッシュは忌々し気に呟き、フィオナは反応さえしない。
 森の中を三日間行軍して、フィオナは完全にバテてしまっていた。その日はそのまま宿に泊まり、明くる日の朝。
「後は帝都のエトワール家に向かうだけだな。霊薬を飲めるのが待ち遠しいぜ」
「そのことなんですが」
 ウキウキとしたメルにフィオナが手を挙げて提案する。
「今日一日、ここで休養を挟むというのはどうでしょうか」
「え? なんで?」
 メルは首をかしげる。
「後は街道沿いを何日か歩くか、乗合馬車に乗せてもらえば二日で帝都だろ。なんでここで休む必要があるんだ?」
「それはそうですが……」
 いつになく歯切れの悪いフィオナ。
「その……皆さんも疲れが溜まっているのではないかと」
「そうか?」
「今までは他に先を越されないうちに、いち早く霊薬を手に入れようと動き続けていましたし、工房のあった遺跡からも三日歩き続けてきたでしょう」
「たしかに強行軍の連続だったかもしれないけどよ。昨日宿のベッドでしっかり寝たろ?」
「常人は一日寝ただけで体力が全回復する訳じゃないんです!」
「……まるで俺が異常みたいな言いぐさだな」
 その通りだ! ──とフィオナとナッシュの目は語っていたが、鈍感なメルには通じなかった。 
「と言う訳で! 本日は休養にして、帝都には明日から向かいましょう」
「私は賛成です」
 ナッシュは身体の強張りをほぐすように、大きく肩をまわす。
「盗賊ギルドが狙ってきたらどうすんだよ」
「工房の倒壊で、しばらく盗賊ギルドの連中はがれきの山と格闘しているだろう。我々が霊薬を手に入れたと知っている人間は誰もいない。ならば安全だと思っていい。ここで無理をして、途中で体調を崩す方が大きなロスになりかねん」
「決まりですね」
「……分かったよ」
 フィオナがパンと手を叩き、メルは渋々頷いた。
「そうと決まれば」
 一日滞在が決まった途端に、ナッシュは街着に着替えて部屋を出ていく。
「どこ行くんだ?」
「街の麗しい女性たちに声をかけに」
「ようはナンパだろうが」
「何とでも言え」
 メルの呆れた声に耳も貸さず、ナッシュは軽やかな足どりで街へと繰り出していった。
「めちゃくちゃ元気じゃねーか。あいつに休養とかいらねぇだろ」
「あ、あははは……」
 フィオナも乾いた苦笑いをしている。
「メルさんはどうします?」
「俺? 俺はフィオナのそばにいるよ」
「え?」
 フィオナは少し頬を赤らめるが、それも
「フィオナが持ってる霊薬に何かあったら大変だからな」
 というメルのセリフですぐに引く。
「ああ……そういう意味で……」
 どことなくガッカリしているフィオナに、メルは全く気付かない。
「? どうかしたのか?」
「いえ、何でもありません」
「……なんか怒ってないか?」
「何でもありません‼」
 声を荒げるフィオナに、メルは首をかしげるしかない。
 そんなメルを見て、フィオナは大きくため息をついた。
「……部屋にこもっているのも性に合わないので、市場でも見に行こうと思います。メルさん、エスコートをお願いできますか」
「あ、ああ分かった」
 フィオナのテンションの上がり下がりに、若干気後れしつつ、メルは頷いた。
 


 それから市場を二人で歩いた。
 賑やかな市場を回っていくうちに、フィオナの表情も少しずつほころび、機嫌も直ってきたようだ。
 それを見計らってメルは口を開いた。
「それで……ここに一日滞在する本当の理由は何なんだ?」
「なんの事でしょう?」
「とぼけるなよ」
 市場の露店で売られているアクセサリーに目を奪われるフィオナ。こちらを振り向きもしない。
「霊薬を手に入れるまで、お前はずっと合理的に判断をしながら動いていた。だけど、今日の提案だけはいつもと違う気がする」
「……鋭いですね」
 フィオナが肩をすくめた。
「そうですね、たしかにメルさんの言う通り。今日ここで油を売っているのは、わたくしのワガママです」
「なんだってこんな事を」
「この旅を終えたくなかったんです」
 そう答えるフィオナの表情は、とても儚げであった。
「わたくしの願いはお父様との賭けに勝ち、自由を勝ち取ること──ですが、自由になるだけなら賭けなんてする必要はありません。その意味で、わたくしの願いは既にかなっている……お父様との賭けは、今までの鬱憤を晴らすための当てつけのようなものですわ」
 フィオナの目は遠くを見つめる。
「そして、それもかないそうになっている。そうなったら、急に途方に暮れるような感覚になってしまって……自由になったその時、わたくしは何がしたいのだろうと……」
 黙って聞いていたメルにフィオナは問いかける。
「メルさんは霊薬を飲んで、男らしい姿形になれたとして……その後は何がしたいですか?」
「俺か? 俺は……」
 その時になって、メルは気が付いた。
 今までずっと男らしい姿になりたいと──今の女のような顔や身体は嫌だと、ずっと思ってきた。だからこそ、霊薬を求めてフィオナの用心棒を買って出た。
 でも、その願いがかなったとして、その後メルはどうするだろうか。
 その先の願い。
 今の思いに引っ張られすぎて、その先をメルは思い描けていなかったのだ。
 答えに窮するメルに、フィオナは優しく微笑む。
「わたくしも、まだその先の答えに辿り着いてはいません。ただ……」
「ただ?」
「わたくしメルさんやナッシュ様と過ごす毎日が、この旅が、楽しいのです。とても」
 そう言うフィオナの顔には、掛け値なしの笑顔があった。
「だからですね……ちょっとワガママを言って、旅を少しでも長く続けてたくなってしまいましたわ」 
 いたずらっ子のように笑うフィオナが、メルには眩しいくらいに輝いて見える。
 ドキリ──メルの胸が高鳴る。
(ん……なんだこれ?)
 何故胸が急に高鳴るのかが分からず、メルは慌てる。急に胸が苦しくなって、身体が火照るようだった。
(そう言えば俺、女の子と街を歩くとか初めてじゃん……)
 そう思ったら、余計に身体の熱が増す。
「? どうしたのですかメルさん」
「ど、どど、どうしたって、何が?」
「言え、急に黙り込んでしまわれたので」
「別に何ともないぞ!」
「ですがお顔も赤いような……メルさんもやはり疲れがあったのでは?」
「いや大丈夫。胸が苦しいし身体が熱いけど、全然! 全然大丈夫だから!」
「それは大丈夫ではないのでは?」
 不自然なメルの言動にフィオナは首を傾げ、ジッとメルの顔を覗き込む。
「メルさん、本当に大丈夫ですか?」
「だから大丈夫だって言ってんだろ!」
(だからそんなに顔を寄せるな──!)
 とは言えず、メルは顔をそむける。
 と、
「おおフィオナ嬢。メル」
「うおあぁぁっ! ──ってナッシュか、脅かすなよ」
 通りの向こうから緩み切った顔のナッシュが、得意げに歩いてきた。隣には派手な服装の女性を連れている。
 それを見て気がまぎれたのか、メルの心拍数は一気に平常値へ戻る。
「うわぁ……もう女ひとり引っ掛けてやがる……」 
「ふん、何とでも言え」
 メルは呆れ気味だが、ナッシュは鼻を鳴らすだけだった。
「ナッシュ〜? この二人は?」
 派手なメイクと格好の女性が、甘ったるい口調でナッシュを見やる。
「こちらはフィオナ嬢。私の雇い主です。もう一人は……性別不詳の野蛮人です」
「オイコラ! 誰が性別不詳の野蛮人だ‼」
「性別不詳なのも、野蛮人なのも間違ってはいないだろうが」
「へっ、女好きの三流騎士に言われたくねぇな」
「……」
「……」
 メルとナッシュの間で火花が散ったかと思うと、お互いに胸倉を掴みあう。
「上等だ! てめぇ表出ろ‼」
「いいだろう! いい加減貴様とは白黒ハッキリさせんとなぁ‼」
 取っ組み合いのケンカを始めようとする二人。それを見ていた派手な格好の女性は、「うわぁ……ないわ……」と顔を引きつらせる。
「女二人連れのくせしてアタシに声かけてきた訳? しかも一人とはケンカしだすし……女相手にムキになるとか、マジないわ」
「……え」
「遊びたいならそこの二人と遊んでれば」
 ナッシュに幻滅したらしく、派手な格好の女性は踵を返して去っていった。
「うわあああぁぁ!」
 絶望に打ちひしがれた顔で、ナッシュは崩れ落ちる。
「……そのナッシュ様、お気を確かに」
「いいってフィオナ。コイツの自業自得だろ」
「──貴様ァァァ!」
 頭の後ろで手を組んで心底どうでもよさそうに呟くメルに、ナッシュは血涙を流す勢いで掴みかかる。
「お前のせいで、お前のせいで!」
「アアン⁉ てめぇが自分のナンパ成功を自慢したくて、俺らに話しかけたのが原因だろうが!」
 ボカスカと子供のようなケンカを繰り広げる二人を、フィオナは可笑しそうに微笑んで見ている。
「お二人とも仲が良いですね」
「「どこが⁉」」
 メルもナッシュも渾身のツッコミを叫ぶが、フィオナはただ笑うだけ──なんとも緩んだ空気が流れる。
 その時だった。
 大通りを歩いていた馬が、突然走り始めたと思った時には、フィオナは馬上から伸ばされた手に手繰られていた。
「⁉」
「フィオナ⁉」
 メルは突然の事に驚くが、すぐにフィオナを攫った馬を追いかける。一瞬遅れてナッシュも駆け出す。
 馬の手綱を握っているのは──
「また会ったな、お嬢ちゃん」
「「「ダニアン⁉」」」
 フィオナを馬に乗りながら、すれ違いざまに連れ去ったのは、盗賊ギルド『赤い毒蛇』の頭目、ダニアンだった。
 片手で手綱を握って馬を御しながら、もう片手で人ひとりを攫うなど、並みの人間にはできない業だ。さすが盗賊ギルドの頭目を張っているだけのことはある、見事な手際の良さである。
「ちょいちょい聞き耳を立てていたが、やっぱりお嬢ちゃんたちが霊薬を持ち逃げしてたんだなぁ?」
「!」
 霊薬を手に入れたことまでバレている。
 フィオナもメルも気付かないほど離れたところから、二人の会話を盗み聞きしていたとは何という地獄耳か。
 ダニアンは得意顔でメルを見やる。
 いくらメルでも、馬より速くは走れない。どんどんメルとダニアンの距離は離れていく。
「お嬢ちゃんごと霊薬はいただいてくぜ?」 
「クソッ! ──フィオナ!」
 叫ぶ声も虚しく響くばかりだ。
 フィオナもダニアンの腕を振りほどこうと暴れるのだが、びくともしない。
(このままじゃマズい……!)
 フィオナは咄嗟に持っていた鞄を投げた。
「メルさんこれを!」
「これは!」
「ッ⁉ しまった!!」
 ダニアンは臍を嚙む。
 投げられた鞄をキャッチするメル。中を改めると、割れないように緩衝材で包まれた霊薬の薬瓶が入っている。
「やってくれたなお嬢ちゃん……!」
「……」
 ダニアンは憎々し気にフィオナを睨む。しかしフィオナは毅然とした態度のまま、何も答えない。
 ダニアンはまた舌打ちをすると、背後のメルに向かって叫ぶ。
「明日の正午、近くのルミナスの滝に来い! そこでこの小娘と霊薬を交換だ! 来なければこの小娘の命はないと思え‼」
 街中でこれ以上騒ぎを起こせば、駐屯している衛兵が集まってくる──そう判断したダニアンは、それだけ言い残してフィオナを連れ去ってしまった。
「フィオナ……」
 後には途方に暮れたメルだけが残された。



「状況を整理するぞ」
 宿屋の部屋に戻り、メルとナッシュは顔を突き合わせて作戦を練る。
「フィオナはダニアンに捕まって、人質にされている。俺らの手元には霊薬があって、これとの交換が向こうの要求だ」
「まさか工房からここまで跡をつけていたとは……」
 ナッシュは沈鬱な顔で呟く。
「いささか油断していたようだ──不覚」
「そうだな。油断しねぇで帝都に向かっていたら、フィオナも攫われずに済んだかもな」
「……」
「なんだよ?」
 ジト目でメルを睨むナッシュ。
「お前なぁ……私が殊勝なことを言ってるんだから、少しはフォローするのがお約束だろう。追い打ちをかけるな」
「知るか! ──ていうかお前と漫才やってる場合じゃねぇんだ、話を進めるぞ!」
 苛立たし気にメルが地図を広げる。
「ダニアンが取引場所に指定したのは、ルミナスの滝。ここから少し離れた滝で、街の近くまで流れる川の源泉らしい。水場だけあって霧や靄が出やすいし、下草も伸び放題で隠れる場所に事欠かない……まず間違いなく罠だろうな。さて、どうやってフィオナを奪還するか……」
「素直に奴らが取引に応じるとも限らんし、今この瞬間にもフィオナ嬢に危機が迫っているかもしれん。明日の正午を待たずに、奴らの拠点を探して奇襲をかけた方が良いのではないか?」
「無理だな。俺たち二人じゃいくら何でも手が足りない。奴らの拠点を探し当てる前に、明日の正午になっちまう。言っとくが衛兵隊に話して助けて貰うってのもなしだぜ、大勢で動いているのを感づかれたらその時点でダニアンは取引に現れないだろうからな」
「……大人しく取引に応じて、霊薬は諦めてフィオナ嬢だけは助けるしか」
「ダメだ」
 気弱になったナッシュに、メルは毅然とした声で否定する。
「メル、貴様……まさか霊薬惜しさにフィオナ嬢を見捨てるつもりではないだろうな!」
「違げぇよ落ち着け」
 ナッシュの怒声をメルは軽く受け流す。
「相手は盗賊だぞ? 大人しく霊薬を差し出して、フィオナを解放すると思うか?」
「それは……」
「十中八九、霊薬もフィオナも持ってかれるのがオチだ──いいか? あいつらの狙いは、あくまでも霊薬だ。そして霊薬はこっちにある。状況はギリギリで五分五分(フィフティ・フィフティ)なんだ。こっちから主導権を渡せば、向こうに付け込まれるぞ」
 思いのほか理路整然としたメルの言い分に、ナッシュは目を剥く。
「驚いたな……お前からそんな意見が出るとは」
「お前は俺のことをなんだと思ってんだ」
「性別不詳、男だか女だか分からん変な奴だと思ってる」
「今だから言うが、実は俺もお前のこと、気障で女好きのいけ好かねぇ変な奴だと思ってる」
 しばし二人の間で火花が散る。
 今すぐにでも殴り合いを始めたいところだが、お互いにグッと我慢した。
「……とにかくだ。霊薬を渡す訳にはいかねぇし、フィオナを見捨てるつもりもねぇ。どっちも渡す訳にはいかねぇんだ」
「だが、言うは易し行うは難しだぞ?」
 メルは腕組みをして頭を捻る。
「服屋と材木屋はまだ開いてるかな」
「服屋と材木? 一体何をするつもりだ?」
「ちょいとカカシを作ろうと」
「は?」
 メルは思いついた策を、地図を指し示しながらナッシュに説明し始めた。



 メルとナッシュが宿屋で作戦会議を開いていたのと同時刻。
 都市部から離れ、街道からも外れた一角に盗賊ギルドの拠点は築かれていた。簡易式の天幕を複数張り、中央で焚火を囲んでいる。
 中でもひと際大きい天幕の前で、フィオナは後ろ手に縛られており、すぐそばにダニアンが酒を飲みながら見張っていた。
「ったく、手間かけさせてくれるぜ。えぇ? お嬢ちゃんよ」
「……」
 話しかけるダニアンに対して、フィオナは無言を貫く。
 下手に怖がって見せたりすると、余計に相手の嗜虐心をくすぐり、何をされるか分からない。なので黙秘を続けているのだ。
(随分と肝の座った小娘だぜ)
 ダニアンは品定めするようにフィオナを見据える。
「お頭」
「なんだ」
「その娘っ子なんですがね、俺たちに味見させてくださいよ」
「馬鹿野郎!」
 手下の一人が嫌らしい顔で揉み手をしながらすり寄ってくるが、ダニアンはそれを一喝した。
「この小娘はまだ使い道があんだ。手ぇ出したら、そいつを叩っ切るぞ!」
「明日の取引の事ですかい? どうせこの小娘を餌にして、アイツらが来たらまとめてぶっ殺すんでしょう? 別にちょっと味見するくらいなら、問題ないじゃねぇですか」
「馬鹿だなてめぇは。明日の餌だけで、終わらせるわけがねぇだろ?」
 何処までも強欲な笑みをダニアンは浮かべる。
「聞いた限りじゃ、コイツはあのエトワール家のご令嬢らしい」
「ホントですかい⁉」
 手下たちは目を剥く。
「ああ。てぇ事は──この小娘はエトワール家に身代金を要求する駒にも使える。そうだろう?」
 ダニアンはメルたちから霊薬を奪い、殺すだけでは飽き足らず、さらにエトワール家からも金をせしめようというのだ。
「だがいきなりエトワール家に身代金を寄こせと言っても相手にされねぇ。縛り上げたコイツをエトワール家の人間に見せつけて、ようやく交渉のテーブルに付ける。そん時だ──コイツが見るも無残な格好だったらどうなる?」
「どうなるんですかい?」
「エトワール家が怒り狂って、交渉にならねぇかもしないわけだ」 
 だが、フィオナが無事なら。
「無傷のまま助け出そうと慎重になる──そこに付け入る隙があるって訳だ」
 どこまでも強欲で狡猾で、本当に蛇のような男だ。 
 それでもまだ口惜しそうにフィオナを見やる手下たちに、ダニアンは
「エトワール家から金を踏んだくれたら、そん時はお前たちで好きなだけ使っていいぞ」
 と宥める。
 フィオナは極力反応しないようにしていたが、ゾワリと悪寒が走り、思わず肩を震わせた。


 
 ルミナスの滝──この地方を代表する巨大な滝で、水量が非常に多く、滝つぼから先の流れも速い。
 日が中天に登っているというのに、薄っすらと霧が出ており、視界はあまり良くなかった。滝つぼから飛沫も多いので、空気中に多分に水分を含んでいるからだろう。
 ひんやりとした湿った空気が辺り一面に流れており、視界の悪さも相まって不気味さを醸し出している。
 滝つぼの付近は岩場と草地に分かれており、草地の方は下草が腰くらいの高さまで伸びていた。
 その草原に人影が現れる──ナッシュとメルだ。
 先頭にナッシュが立ち、後ろにメルが控えている。ただ以前とは違い、メルはフードのついた大き目のマントを目深に被っていた。
 そのせいでどんな顔をしているのかは、周りからは見えないでいる。
「来たぞ、出てこいダニアン」
 メルの呼びかけに応えるように、また人影が現れる。岩場の陰から現れたのはダニアンとフィオナ。フィオナは縛り上げられており、後ろ手をダニアンが押さえている。
「ふふ、よく現れたな小童ども」
「メルさん! ナッシュ様!」
 ダニアンの下卑た笑みを浮かべ、フィオナは思わず二人の名前を叫ぶ。
「霊薬はちゃんと持って来たんだろうな?」
 ナッシュが肩に下げた鞄を軽く叩く。
「ここにある」
「出して見せろ。偽物を掴まされちゃかなわねぇからな」
「フン」
 ナッシュが鞄から瓶を取り出す。瓶には薄桃色の不思議な液体が入っており、仄かに発光していた。
 一見して尋常な物ではないと分かる。
「なるほど。どうやら本物みてぇだな」
「霊薬ならちゃんと持ってきただろう。早くフィオナ嬢を解放しろ!」
「そう焦るなよ」
 ニヤニヤとした顔でまるで嬲るように語るダニアン。
(てめぇらがここに来た時点で、霊薬も娘も俺の手の内なんだよ……!)
 ダニアンは内心でほくそ笑んでいた。
 霧が出て、草木が生い茂るこの場所を取引場所に指定したのは、部下たちを控えさせるためだ。
 今こうしている間にも、メルとナッシュの背後に、ダニアンの部下が迫っている。
(娘も霊薬も、俺様の総取りだ!)
 そう思うと笑いを押さえるのも一苦労だった──緩む頬を隠そうとダニアンがフィオナから手を離した。その刹那、
「オラァァァッ!」
 笑うダニアンの横っ面を、背後から現れた人影が思い切り殴りつける。
 バキィッ!
 硬い棍棒で殴りつけたような打撃音がして、ダニアンは吹っ飛ばされた。
「「⁉」」
 突然の事にダニアンは何が起きたのか分からず、フィオナも驚愕していた。なぜならダニアンを殴り倒した人影は、メルだったからである。
「メルさん⁉ どうして──⁉」
「んなもん、お前を助けるために決まってんだろ」
 メルはフィオナを庇うように、サッとダニアンとフィオナの間に割って入った。
「いや、でも、その……あれ? ではあのナッシュ様の後ろに立っているのは……?」 
 フィオナは眼を瞬かせ、何度も目の前のメルとナッシュのそばのマント姿を見比べる。
「ナッシュの後ろに突っ立ってんのは、ただのカカシだ」
「うぐ……」
 殴り飛ばされたダニアンが、顎を抑えながら起き上がった。
「っの野郎! 最初からカカシを立たせて、霧と草むらに紛れて忍び寄ってやがったな……!」 
「ご名答。さっすが盗賊ギルドの頭目、察しがいいな」
 皮肉を込めて言うメル。すぐにナッシュに向き直る。
「さてと、フィオナは取り返したし逃げるぞナッシュ!」
「おう!」
「──逃がすかぁっ!」
 逃げ出そうとするメルとフィオナではなく、ナッシュに向かって鞭を振るう
「赤蝮の名に懸けて、総取りなんてさせるかよ!」
 ダニアンが背中に手を伸ばす。取り出したのは小さく丸められた鞭だ。ダニアンが鞭を振るうと、まるで生き物であるかのようにしなり、ナッシュの持っていた霊薬の入った鞄に絡み付いた。
 ダニアンが鞭を引くと、鞄が鞭に巻き取られる。
「しまった!!」
「コラッ! 何やってんだナッシュ!」
「俺の通り名がなんでマムシなのか、分かっただろう? へへっ、これで近日中に大金が手に入る──笑いが止まらねぇぜ!」
「クソッ!」
 ダニアンが得意絶頂でほくそ笑み、メルはギリギリと歯噛みする。
 霊薬を奪われた。
 反射的に飛び出そうとするメル。しかし寸前で思いとどまる。今飛び出せば霊薬は取り返せるかもしれない、しかしフィオナを無防備にしてしまう。
 霊薬か、フィオナか。
(────クソ!)
 断腸の思いで、メルは飛び出すことを諦めた。
「おい、出てこい野郎ども!」
「へい! お頭‼」
 ダニアンの声に応じて、周囲に隠れ潜んでいた盗賊たちがぞろぞろと姿を表す。
 フィオナを連れたまま、この人数を相手に包囲網を突破するのは至難の業だ。
(やべぇ! 逃げるタイミングを逸した‼)
 本当はダニアンに一撃を入れてフィオナを取り返したら、すぐに逃げる算段だったのだが、こうも囲まれてしまってはそうもいかない。
 メルはチラリと横を流れる川を見やる。滝から流れ出した水量は相当なもので、川も激流だ。
(一か八かだ!)
「──仕方ねぇ。ナッシュは一人で何とか逃げろよ!」
「えっ」
 きゃあああああああああ──とフィオナの悲鳴が響いた後に、ドボンと水飛沫が上がる。メルがフィオナを抱えて激流に飛び込んだのだ。
「ああっ!」
「あの女顔、飛び込みやがった⁉」
 盗賊たちは慌てて後を追おうとするが、
「止めておけ」
 ダニアンが止める。
「この川の流れは速く、おまけに水温はとんでもなく冷たい。下手すりゃ溺れ死ぬぞ」
 ダニアンは手の内の霊薬を見やる。
「お目当ての霊薬を手に入れた。コイツさえ有れば、あのガキどもなんか些末な事──行くぞお前ら、三億ルミーがもうすぐだ!」
 ダニアンの高笑いが響いた。


 急流をメルとフィオナは流れていく。水が冷たい。指先が刺すように痛い。心臓が止まるかと錯覚する。
「メ……さん……!」
「フィオナッ!」
 叫んで水を飲みむせる。
 フィオナは後手に縛られたままだ。上手く泳げず藻掻いている。メルも上手く泳げない。手足が痺れるように痛い。濡れた服がまとわりついて動きづらい。
 それでも必死に泳ぐ。
 どれだけ流されたか分からない。
 時間にして数分か、それとも一時間以上掛ったのか──メルはフィオナを担いで何とか岸にたどり着いた。
「大丈夫かフィオナ……」
「…………」
 返事がない。メルが覗き込むと、フィオナは意識を失っていた。
「おい、しっかりしろフィオナ! おい‼」
 軽く頬をぺしぺしと叩くが、それでも意識が戻らない。
「クッソ、マズったか……⁉」
 メルはフィオナを比較的平らな地面に寝かせる。胸が動いていない。呼吸が止まっている。
「命に関わる事だからな、悪く思うなよ……」
 言い訳のように言ってから、メルは空気を送るためフィオナの唇に自分の口を合わせ、両手を重ねて胸の中心を押す。
「ゲホゲホ!」
「おわっ⁉」
 フィオナが飲み過ぎた水を吐き出した。
 苦しそうにえずいてから、目を見開く。
「め……メル……さん」 
「何とか生きてるみたいだな、安心したぜ」
 ホッとメルは胸を撫でおろす。
「危うく死にかけました……メルさん、次は飛び込む前に一言確認を取ってください。私、泳いだことないんですから」
「しょうがないだろ、緊急事態だったんだから。ていうか何だよ次って。こんな冷たい川に、そう何度も飛び込みたくねぇよ」
「ふふ、そうですね──ふぇくち」
 フィオナが小さなくしゃみをして恥ずかしそうに鼻を押さえる。
「すみません、はしたないところをお見せしました……」
「川の水超冷たかったしな……このままだと風邪引きそうだし、火を起こそう」
 手早くメルは周囲の枯草や乾いた枝を集め、懐から陶器の小さな器を取り出す。
「良かった。コイツは無事だった」
「何ですかそれ?」
「火種だ。大きく燃えないが、小さく燃え続ける蔓で出来てる。これがあると火起こしに手間取らない」
 メルは取り出した火種を組んだ枝の中に投入する。すぐに火が広がり、しっかりとした焚火になった。
「これで温まろう。濡れた服も上着は脱いで乾かした方が良いな」
「分かりました」
 メルは着ていた上着を脱いで絞る。フィオナもそれに倣って上着を脱いだ。
「……」
「どうしたんですかメルさん?」
「いや……」
 メルはフィオナから目を逸らす。
 濡れそぼって薄着になったフィオナ。濡れた服が薄っすらと透けて、さらに身体に張り付いており、身体のシルエットが見えてしまっている。
 それが非常に扇情的な姿であり、メルは目のやり場に困った。
 誤魔化すように咳払いをして、メルは焚火の前に座る。その様子を見て、フィオナは悪戯っ子のように笑う。
「えい」
「うわっ」
 フィオナはメルの横に腰掛けると、ぴったりと身体を預けてくる。
「ちょっフィオナ⁉」
「私とっても寒いんです。こうして身を寄せ合っている方が、暖かいでしょう?」
「それは……そうかも、だが……」
「何か問題が?」
「いや、問題っていうか……」
 メルがアタフタする様子を、フィオナは心底面白いという顔で見ている。
「……フィオナ、俺をからかってるだろ」
「バレました?」
「もはや悪びれもしねぇのかよ!」
 ブスッとした顔で拗ねたようにメルは焚火に枝を追加した。
「ったく、霊薬は奪われるし、冷てぇ川を泳いで凍えるし、お嬢様にはおもちゃにされるし、踏んだり蹴ったりじゃねーか」  
「……」
 フィオナはジッとメルを見つめる。
「……何だよ」
「正直、少し意外だなと思いまして」
「意外?」
「はい……」
 誤魔化すことなく、フィオナは頷く。
「メルさんが自分の容姿に関して、とても不満に思っていることは重々知っていましたから……正直、メルさんがあのまま霊薬を飲んでしまってもおかしくないとは思っていました」
「……普通なら、もっと俺を信じろよって怒るところなんだろうけどな」
 やれやれとメルは頭を掻く。
「俺が自分の顔や背格好を嫌っているのは本当だし……お前がそういう女だってもの、なんとなく分かってはいたからな」
 フィオナ・エトワールという少女は、育ってきた環境のせいなのか、表向きは愛想を振りまきながらも、腹の中で常に計算高く考えを巡らす傾向が強い。
「お前はどこかで人を信じ切れていない──というか、損得勘定抜きにした人の善意を信じ切れてないところがある」
「そうですわね……それは否定しませんわ」
「まぁ、商売人としては必ずしも悪いとは言えない資質だと思うけどな」
 常に損得を目ざとく計算するくらいでなければ、商売人などやっていけないだろう。
「だからこそです」
 鋭くフィオナは切り出した。
「どうしてメルさんは、私を助けに来たのか……それが何故なのか教えてくれませんか?」
「……」
「あの時、メルさんの『自分の容姿を変えたい』という願いを叶えるのに、私を助ける必要はなかった……だけど貴方は私を助けた。それは何故ですか?」
「ん……」
 メルは言いづらそうに頬をポリポリとかいてから、ボソリと
「仲間だからじゃねーか?」
 と呟いた。
「は?」
 それが余りにも素朴で──ともすれば青臭い返答だったので、フィオナは普段の口調も忘れて思わず口をポカンと開けた。
「これはまた……随分とクサいセリフを言うのですね」
「うっせぇ」
 いじけたようにメルはそっぽを向く。
「勘違いすんなよ、オトモダチじゃなくて仲間だ」
「それってどう違うんですか?」
「なんつったらいいのかな……同類って言ったらいいのか」
「同類……わたくしとメルさんが?」
 片や豪商に生まれた令嬢、片や貧民街に生まれた孤児。
 ある意味正反対と言ってもいいだろう。
 しかしメルは続ける。
「ほら、俺は生まれつき女っぽい今の顔や身体が嫌いで、フィオナはエトワールの家に生まれたせいで生き方を決められるのが嫌なんだろ? どっちも生まれつきの何かのせいで、自分の人生を決められるのが嫌ってところは同じなんだ──だから分かるんだ」
 たとえ性別が違っても。
 生まれた環境が違っても。
「自分で選んだわけじゃない……『そう生まれた』ってだけで、自分のこの先の人生が決まっちまう──その理不尽さに対する思い、やり切れなさ、苦しさ。そういうのが、分かっちまうんだよ」 
 それはメルが生まれてからずっと、感じ続けてきた苦しさだから。
「だから見捨てられない──見捨ててなんていられなかったんだよ。自分を見捨てちまうみたいで」
 どこか子供っぽい口調で言うメルを、フィオナは見据える。
「……ありがとうございます、ちゃんと話してくれて」
「別に誤魔化すような事でもないしな」
「でしたら今の話、ナッシュ様にもお話ししていただけますか?」
「なんでだよ」
「だって今の理屈で言ったら、ナッシュ様も仲間でしょう? 貴族の次男に『生まれた』ことに苦しんでいるのですから」
「いや、それは──そうだけど。嫌だって! 俺アイツがピンチになっても、助けに行きたくねぇって!」
「──私がなんだって?」
「うわあああぁっ⁉」
 見れば息を切らし、頭や肩に葉をつけたナッシュがそこにいた。
「な、ナッシュ、いたのかお前」
「ああ」
 眉間にしわを寄せるナッシュ。
「あれ、なんか怒ってんのか?」
「当たり前だ! 人が心配して川沿いを全速力で走って追いかけてみれば貴様! フィオナ嬢と薄着でイチャつきおって‼ いい身分だなぁ? んん?」
「べ、別にイチャついてなんかねぇよ!」
「そうですナッシュ様、ただ寒いからくっ付いていただけです」
「やっぱりイチャついていたんじゃないか‼」
「フィオナ、火に油を注ぐのはやめろ!」
 ギャアギャアとケンカを始めるメルとナッシュを眺め、フィオナは目を細める。
 この女神のような美貌をした不器用で仲間思いな男は、憎まれ口を叩きながらも、きっとナッシュが窮地に陥った時、見捨てることが出来ないのだろう。
 それがフィオナには分かってしまう。
 メルを見つめるフィオナの瞳が熱を帯びる。
 トクン──僅かに高鳴る胸の鼓動を抑えながら、フィオナは微笑む。
「メルさん」
「なんだよ」
 ナッシュと取っ組み合いをしながら、メルは答える。
「わたくし達の願いために──霊薬、必ず取り返しましょうね」
「! ──おう‼」
 


第五章
 
 ルミナスの滝つぼの下流にある岸辺で、とりあえず野営をしたメルたちは、改めて今後の方針を話し合うことにした。
「さぁて、これから霊薬を取り返すために盗賊ギルドを追いかけるわけだが」
「ちょっと待て」
 メルのセリフにナッシュが待ったをかける。
「さも当然のように霊薬を奪い返すというが、アイツらがそれをすぐに飲んでいないという保証はあるのか?」
「百パーセントじゃないが、飲んでる可能性は低いだろうな」
「何故?」
「俺はアイツらからも情報を入れてるからな、『三億ルミーで売れる』ってよ」
 そう、盗賊ギルドが狙っているのは霊薬そのものではなく、霊薬を手に入れた対価の三億ルミーである。
「アイツらは霊薬を手に入れても飲もうとはしない──そう考えてもいいはずだ」
「なるほどな」
 メルの説明にナッシュも頷く。
「霊薬が無事ならそれに越したことはないが……ではどうやって探す?」
「それにも当てがある」
 メルは腕組みをする。
「他の盗賊ギルドにも探りを入れたから分かるが、どうやら霊薬を手に入れたら三億ルミーって依頼は、複数の盗賊ギルドにまたがって出されている。そこで気になってたんだけどさ……お前ら三億ルミーって額をどう思う?」
「どうって……」
「そうですねぇ……」
 ナッシュとフィオナはそれぞれに考え込む。
「正直とてつもない大金という感覚しかないな。現実感が薄いというか」
「そうですわね。わたくしもお父様から霊薬の話を聞いていなかったら、眉唾だと思っていたでしょうし」
「それだよ」
「「?」」
 メルの発言にナッシュとフィオナは揃って首を傾げる。
「普通ならこんな依頼、誰も信じたりしないんだよ──姿を変える霊薬を手に入れたら、三億ルミーで買い取る。怪しすぎるだろ? そもそも三億ルミーなんて大金、普通の人間には払えない」
「でも盗賊ギルドは動いた……」
 という事は──
「盗賊ギルドが三億ルミーを支払ってもおかしくないと思うような、そんな人物が依頼人って事になる」
「確かに筋は通っているな……‼」
 ナッシュは内心でメルの推理に舌を巻く。
「さらにアイツらは近日中に金が手に入るとまで言っていたから、依頼主は近くに住んでいる可能性が高い。フィオナ、三億ルミーの支払いが現実的に出来そうで、かつこの近くに住んでいる人物に心当たりはないか。有力な貴族とか」
「それなら該当する人物は一人だけです。バルムント公爵──皇族の遠縁にして、帝国の北東部一帯を治める大貴族です」
「決まりだな──その公爵の屋敷を目指すぞ」
 三人は取り急ぎ街道に出ると、街で馬を借りて(フィオナがエトワール家の名前を出して無理やり借りた)北東への道をひた走った。 
 


 馬を走らせて公爵の領地に向かう。北東部の一大都市。
 灰の公都グリムガルに到着し、そのまま公爵邸へと向かった。
 時代を感じさせる古めかしい豪邸が公爵邸だった。
「すげぇなおい。やっぱメチャクチャでけぇ屋敷だぜ」
 メルは想像よりもずっと大きく立派な屋敷に舌を巻く。
「勢い込んで来たはいいが、これからどうする?」
「取り敢えず屋敷の前を怪しまれないように見張っていてはどうでしょうか」
 三人は屋敷の近くの店に陣取り、公爵邸の入口を見守る。
 公爵邸の近くにあるような店なので、高級店ばかりだ。
 出された料理はどれも絶品で、ついつい食が進んでしまう。
「美味ぇ、これマジでうめぇ」
「張り込み中だって忘れるなよ?」
 などと問答をしている間に、それは来た。
「ん? アレは──」
 一人の男が公爵邸に近づいていく。
 小汚い格好の男で、とても公爵に用があるような人間には見えない。
「ありゃダニアンの手下の一人だ」
「本当か⁉」
 ナッシュの問いにメルは頷く。
 男は公爵邸の門番に何か──小さな紙片を渡すと、すぐに去っていった。門番は胡散臭さそうな顔をしながら、屋敷の中に入っていく。
「どうやらただの呼び出し役みたいだな」
「盗賊ギルドの頭目が公爵邸に立ち入るわけにもいかないから、どこかで密会するようですわね」
 しばらく様子を見ていると、公爵邸の門が開き、馬車が出てきた。
 しかし人が走るのと変わらない程度の速さでしか走らない。
「どうしたんだ?」
「お忍びで出かけるようですし、目立ちたくないのでしょう。見たところ馬車もあまり派手なものではありませんし」
「こりゃあツイてるな。後を追うぞ」
 ゆっくりと走る馬車が向かったのは、公都の歓楽街にある高級志向の賭場兼酒場だった。
「ここで密会をするようですわね」
 賭場のある石造りの建物を見上げ、フィオナは呟く。
「賭場なら大金を持っていても怪しまれないし、ある程度客の素性には目をつむる傾向があるからな。霊薬なんて胡乱な品を取引するには、うってつけかもしれないな」
「だが、どうやって賭場に入る? どうやらここは会員制の賭場で、会員か招待状を持っていないと入れないようだぞ」
 ナッシュが憎々し気に呟く。
 見れば客は賭場の入口でカードのようなものを取り出し、門番に見せている。
「アレがないと入れないぞ」
「でも待てよ。じゃあアレは何なんだ?」
 露出こそ少ないが、体のラインが出る艶やかな衣装をまとった若い女が、カードも見せずに賭場へと入っていく。
「……どうやらあの方たちは、この賭場の従業員みたいですね。おそらくあの恰好が会員証代わりになっているのでしょう……はっ!」
 フィオナが何かに気づいたように顔を上げる。
 それを見てメルはゾクリと身体を震わせた。
「なぁフィオナ、俺なんかすげぇ嫌な予感がするんだけどさ……」
 フィオナはニコニコと笑ったまま答えなかった。



 賭場の一番奥。いわゆるVIP席にあたる場所に、バルムントは陣取っていた。
 豪奢な服装ではないが、それでも質の高い服を着ていると分かる。小太りな中年だが、しかしその目だけは野心に溢れた若者のようにギラギラと輝いている。
「おい、酒を」
 バルムントは給仕にキープしているボトルを出すように命じる。何かイライラしているようだ。気難しい顔をして、ソファにふんぞり返っている。
「よう旦那」
 絡みつく蛇のような粘着質な声がかかる。
 蝮のダニアンだ。
 高級志向の店に合わせたのか、いつもと違う小綺麗な格好でバルムントに歩み寄る。
「いい店だなぁ、ここには一度寄ってみたいと思っていたんだ、感謝してるぜ」
 ダニアンは懐から招待状を取り出し、ひらひらともてあそぶ。
「フンッ」
 対するバルムントは鼻を鳴らすだけだった。
「前置きはいい。さっさと霊薬を出せ」
「おいおいそう急かすなよ公爵の旦那」
 苛立たし気なバルムントを、ダニアンは飄々と受け流す。
「──というか今、俺霊薬を持ってねぇしな」
「なんだとっ⁉」
 バルムントが思わず声を上げる。
「大きな声を出すなよ旦那。目立っちまうぜ?」
「どういうことだ! 霊薬を手に入れたら、ここで交換する事になっていたはずだぞ!」
 この店には不正に流したバルムントの資金をプールしてある。
 霊薬を手に入れたら、ここでその資金の兌換券と交換するという手筈だったのだが──ダニアンはニタリと笑う。
「気が変わった。報酬を上乗せしてもらおう」
「……!」
「四億だ。報酬は四億ルミーに変更してもらおうか」
「ダニアン、貴様……」
 バルムントは青筋を立てる。口調こそ静かに抑えているが、怒り心頭なのは明らかだ。
「欲をかくなよダニアン……私を怒らせたらどうなるか、分からん貴様でもあるまい」
「いいのかい。せっかく手に入れた霊薬を、俺が他所へ売り払っちまっても」
「……ぐ」
 バルムントは歯ぎしりをして押し黙る。
 その瞬間に両者の力関係、主導権をどちらが握っているかは確定した。
「言っとくが俺たちだって苦労したんだぜ? 他の盗賊ギルドとやりあったり、変なガキ三人に霊薬をかっさらわれたりな。それなりの苦労はしたんだ、報酬の上乗せを要求するのは当たり前だろう」
 恩着せがましくのたまうダニアン。
「裏に霊薬の情報をバラまいてまで、霊薬を手に入れようとしたアンタの事だ──どんな額をふっかけられてでも、霊薬を取ると思っていたぜ」
 そういうダニアンの顔は、まるで獲物を締め殺そうとする蛇のようだ。
 と、そこへ。
「お持ちしました。カペルシャルドーネ877年になります」
 給仕の女性が盆にボトルとグラスを乗せて、二人のテーブルに寄ってくる。
「さすが公爵の旦那だ。賭場にキープしてるボトルも、とんでもない高級ワインじゃねぇか」
 ダニアンは当然のようにグラスを受け取ると、ワインを飲み干し美味いと独りごちる。
 バルムントの方はといえば、忌々し気にダニアンを睨むだけだった。
「……いいだろう。四億ルミーを出してやる」
「いいねぇ! やっぱり旦那は話の分かるお方だ。それじゃ場所は、ミルサントの廃堂。金は現金で頼むぜ──それじゃあな」
 それだけ言うと、ダニアンは去って行った。
「小知恵ばかり回る男だ……」
 バルムントの忌々し気な声が静かに響く。
 それを給仕の女はじっと見ていた。



「──て訳で、霊薬の取引はミルサントの廃堂ってとこらしいぜ」
 場所は賭場の裏手、給仕の女──に変装したメルが言う。
 既に何度か顔を合わせているダニアンへの対策として、今日はカツラを被って髪色を変え、さらに化粧までしている。
 メルは被ったカツラを取った。茶髪のカツラの下から、メルの地毛である金色の髪の毛が零れ落ちる。
「ふぅ〜……カツラって頭が蒸れるなぁ」
「ああ、もうカツラを取ってしまうんですか。似合ってますのに、それにお化粧も」
 メルがゴシゴシとタオルで化粧を落とすのを見て、フィオナは残念そうに口を尖らせる。
「……なぁフィオナ、お前楽しんでるだろ」
「だってメルさんのお顔綺麗だし、化粧乗りもするからメイクしてて楽しかったんですよ」
「俺の顔で遊ぶな!」
 さっさと衣装も着替えてしまいたいくらいなのに。
「とにかく、取引の場所は突き止めた──そこを狙うぞ」
「ダニアンの事だ。本当に取引現場に霊薬を持ってくるとも限らん。後を尾行してもよかったんじゃないか?」
 ナッシュのセリフにメルは首を振る。
「相手は盗賊ギルドの頭目だぜ? 普段から憲兵やら衛兵やらに捕まらないよう、逃げ回ってる奴だぞ。俺たちに気付かれずに尾行するなんて真似できると思うか?」
「なるほど。あまり現実的ではない……むしろ警戒されて、霊薬を隠されるほうがマズいか」
「そう言う事だな」
 ともかく霊薬の取引現場が何処なのかを突き止められたのは大きい。
 これなら先手を取れるというものだ。
「という訳で俺たちはミルサントの廃堂とやらに向かうぞ」
「今からか?」
 既に日が暮れている。
 こんな時間に向かうような場所ではない。
「だからこそ今向かうんだよ。先に場所を調べて、霊薬をかっさらうのに都合の良いところがないか探すんだ──これが最後のチャンスになるかもしれないんだ。それくらい出来るだろ」
「まったく嫌な奴だ……そう言われたら首を縦に振るしかないではないか」
「ですね」
 ナッシュが肩をすくめ、フィオナも首肯する。
 三人は郊外にあるというミルサントの廃堂へ向かった。 


 ミルサントの廃堂は、街外れにある古い聖堂だった。
 松明やランタンの明かりに浮かび上がったそれは、神秘的な雰囲気を醸し出している。
「昔の精霊信仰の聖堂らしいですね」
 草木に浸食された聖堂に入り、中を確認する。既に祭壇などは朽ち果てており、石造りのだだっ広いドームでしかない。
「街からは離れているし、人も寄り付かないから、秘密の取引をするには丁度いいかもしれんな──む?」
 崩れかけた聖堂の模様を見ていたナッシュが何かに気付く。
「どうかしたか?」
「いや、この壁面に描かれている物に見覚えがあるなと思ったのだが……これは魔術師の工房に使われていた遺跡の壁画と同じじゃないか?」
 メルもナッシュの見ていた壁画を見やると、確かに見覚えのある意匠だった。
「ホントだ。てぇ事は、ここもバルキリス人が関係していた施設ってことなのか」
「どうもそのようですね」
 メルの疑問にフィオナが首肯する。
「ここにもバルキリス人か──結構バルキリス人の逸話とか遺跡とかって、帝国のあっちこっちにあるんだな」
「広く信じられていた神話だからな」
「一説には、我々帝国人の先祖はバルキリス人であったとも言われているんですよ」
「いや神話なんだろ? 前にも聞いたけど、女しかいない民族なんてあり得ねぇだろ。生物学的に」
「まあ……それはそうですが」
「おっといけねぇ。とにかく明日に備えて、下調べしねぇとな」
 聖堂は半分崩れており、特に街側の壁が全て崩落している。
 隠れられそうな場所、そして取引が行われるであろう地点を予測してから、聖堂から少し離れたところで野営した。



 夜が明けると同時に、三人は目を覚ますと所定の位置に付いた。
 聖堂の右側にメルとフィオナ。左側にナッシュ。
 それぞれいざとなったらすぐに飛び出せるよう、窪みや茂みで息を潜める。そうしながらどれだけ待っただろう。
 日が高く天に昇る頃。人相の悪い男たちがぞろぞろと集まってくる。
 もちろん男たちの中心にいるのはダニアンだ。
 手に持っているのは、霊薬の入った包みだ。それを見て、窪みに隠れるメルの身体に力が籠る。
「まだですメルさん。抑えてください」
「……分かってる」
 メルは今にも飛び出したい気持ちを、グッとこらえる。
 三人の計画では取引の最中、霊薬を公爵に渡すその瞬間を狙う手筈になっていた。ダニアンは名うての盗賊だ。奴が持っている物を奪うのは至難の業だろう。
 ならば公爵に霊薬が渡った瞬間を狙う──そういう筋書きになっていた。
 ほどなくして公爵の乗った馬車が来た。馬車から降りてきたのはバルムントの他に護衛の者が数名。バルムントは丸腰だが、周りの配下は全員武装している。
 さらに配下の一人は、何やら重そうな箱を手押し車に乗せて運んでおり、もう一人は人の背丈ほどもある長剣──いや大剣と呼ぶべきか──を背中に担いでいた。
「お早いご到着で」
 慇懃に礼をするダニアンに対して、バルムントは不機嫌そうに鼻を鳴らしただけだった。
「随分と物々しいご登場ですな」
「四億ルミーという大金を運んできたんだ、当然備えはするに決まっていよう」
「心外ですな。俺たちが公爵様を襲うとでも?」
 おどけた口調のダニアンにバルムントの不機嫌さは増していく。
「土壇場になって一億も吹っ掛けてくる輩が何をいう」
「へへ、その通りで。そのデッカイ剣も自衛用で?」
「アレは私のお気に入りだ。かのバルキリス人が使っていたという曰く付きの剣──こういう場には必ず持っていくようにしている」
「それはそれは」
 ダニアンが鼻で笑う。あんな大きな剣、バルムントが使いこなせる訳がない──見栄を張り、使えもしない剣を持ち運ぶバルムントに、ダニアンは失笑を禁じ得なかった。
「前置きはいい、さっさと取引を始めろ。霊薬は出せ」
「へいへい」
 ダニアンが懐から薬瓶を取り出す。中には妖しく発光する液体。 
(霊薬だ)
 取引を見ていたメルの喉がゴクリと鳴る。それを押さえるように、フィオナがメルの手を握る。
(メルさん焦らないで)
(分かってる)
 物陰でヤキモキするメルをよそに、取引は進んでいく。
「なるほど。わずかに魔力を感じる──本物のようだな」
 メルと同じく、バルムントもまた霊薬を前にして目の色が変わった。それを感じ取ったのか、ダニアンが釘を刺す。
「おっと、霊薬を渡す前に、こっちも確認させてもらいますぜ。四億ルミーは?」
「フン……ここだ」
 バルムントの指示で、手押し車を押していた配下が前に出る。手押し車に乗せられていた箱の蓋を開けると、中は金貨で埋め尽くされていた。
「ちょいと調べさせてもらいますぜ」
「好きにしろ」
 ダニアンが顎でしゃくると、今度はダニアンの手下が箱の金貨を確かめる。
「お頭、どうやら全部本物みてぇです」
 ダニアンは満足そうに頷く。
「よしっ、それじゃあ取引成立ですな。霊薬を渡しますんで、そこの手押し車は置いてってくだせぇ」
 ダニアンが霊薬を差し出すと、バルムントはようやくわずかに笑い、うっとりと霊薬を眺める。
 その眼差しが余りにも熱を帯びており、ダニアンは一瞬悪寒を覚えた。何かとんでもない事をしてしまったような、そんな気がして胸が騒ぐ。
 それを誤魔化すかのように、言葉がダニアンの口をつく。
「しかし旦那も酔狂ですな、そんな薬に四億も出すなんて」
「酔狂なものか、この霊薬にはそんな大金以上の価値がある」
「でもその薬、姿を変える事しかできねぇんでょう?」
「ふ──魔術を知らん者からすれば、そのくらいの認識しかないのだろうな」 
 バルムントは物分かりの悪い生徒に答える先生のように、得意げに語る。
「姿を変えるだけの薬──しかし、魔術的に見れば、それは非常に意味のあることなのだ」(どういう事だ?) 
 霊薬は飲んだ人間の姿を変えるだけじゃないのか? ──物陰でバルムントの話を聞いていたメルも首を傾げる。
(いや、今はそんな疑問よりも、霊薬を確保する方が大切だ)
 メルはバルムントの持つ霊薬を凝視する。
(今飛び出せば、バルムントの護衛とダニアン達盗賊ギルド全員を相手取ることになる)
 そうなれば、霊薬を奪って逃げおおせるのは難しいだろう。
 取るとしても最後の手段だ。
(チャンスが、チャンスが必ずあるはずだ──!)
 バルムントもダニアンも油断し、上手く逃げられる絶好のタイミング──それを今か今かと待ちわびていると、
「者共、神妙にしろ!」
「「⁉」」
 その場の全員が何事かと驚いた。
 馬の足音を響かせて、何十人という数の甲冑を着込んだ衛兵隊が駆け付けたのだ。意外な乱入者に、物陰に隠れていたメルたちも驚きを隠せないでいた。
 衛兵隊の先頭にいた、おそらくは隊長であろう男が朗々と語る。
「盗賊ギルド赤蝮の一党と頭目のダニアン、さらにはバルムント公爵──この場に居る者、全員を捕縛する」
「何ぃ⁉」
 ダニアンは図ったなという顔でバルムントを見るが、当のバルムントもこれは寝耳に水だったようで、啞然としていた。
「無礼な! この私をバルムント公爵と知っての事か‼」
「如何にも。最近、胡乱な輩と関わり、陛下に対する反逆を企てているという噂を調べて見れば、このような場に出くわすとはな」
 メルとフィオナは物陰で顔を見合わせる。どうやらバルムントの事を、衛兵隊は以前からマークしていたらしい。
「くっ! ……証拠は、証拠があるというのか!」
「このような人里を離れた場所で、盗賊ギルドと密会しているというだけでも状況証拠は十分でしょう。すでに皇帝陛下からもバルムント公爵捕縛の命令は下されている」
 なおも言い逃れようとするバルムントに、衛兵隊の隊長はすげなく答えると羊皮紙を取り出した。取り出した羊皮紙には、バルムント逮捕を命じた文章と、皇帝家の紋章が描かれている。
「大人しく縛につかれよ」
「くぅ……!」
 バルムントはギリギリと歯噛みする。その場は混乱の様相を呈していた。 
(今だ、今しかない!)
 この混乱に紛れてなら、バルムントから薬を奪える。盗賊ギルドの連中も衛兵隊から逃げるのに必死で、メルたちを追いかけられないだろう。
「……!」
 決断してからは早かった。脱兎の如くメルは駆け出す。霊薬に向かって、一直線に走った。
「てめぇは⁉」
「⁉ 何だ貴様‼」
 一瞬早く、ダニアンが気が付いた。さすがは盗賊ギルドの頭目といったところか。
 ダニアンにつられてバルムントもメルに気が付く。
 しかし既に、メルは霊薬の瓶に指をかけていた。バルムントの手から、無理やり霊薬をひったくる。
「よっしゃ! 霊薬ゲットォォォ!」 
「させるか!」
 ダニアンの鞭が唸りを上げる。 
 鞭がメルの手と霊薬の瓶を弾いた。
「ああ⁉」
 やべぇ!
 霊薬の瓶が宙を舞う。
 僅かばかり中の霊薬が飛び散る。
「──うおあああああっ!」
 バルムントは霊薬の瓶に飛びつくと、これ以上霊薬を無駄にすまいと、瓶の口を塞ぐようにして、残りを一気に飲み下した。
「あああああああっ⁉」
 メルの絶叫が響き渡る。
 ここまで来て──最後の最後で、霊薬をバルムントに飲まれてしまうとは。
 気落ちするメル、呆気に取られる衛兵隊を尻目に、
「フハ──フハハハハハ! フゥアハハハハハハハハハハハ──ッ!」
 バルムントの哄笑がこだまする。
「どれだけこの瞬間を待ちわびたことか──!」
 すぐに異変が現れた。
 まるで粘土細工のように、バルムントの輪郭がグネグネと動く──それはまるで、見えない神の手が、人間という創造物を作り直すかのよう。
 やがてバルムントの姿が徐々に定まっていく。
 余計な肉がそげ落ち、スラリとした体型。
 背丈は先ほどより、少し縮んでいる。
 肩幅は狭く、腰に丸みのある張りができ、そして胸がたわわに実っている。
 そして何よりも特徴的なのが、その顔立ちだった。
 輝くような金髪。そして目もくらむような美しい美貌。
 その美貌の前には、黄金や宝石さえも霞むほどに美しい。神々しいという言葉が正に相応しい顔立ちだ。
 女神が降臨したのかと思うほどの、絶世の美女がそこにいた。


第六章

「ふむ──思った通りの美しい身体だ。気にいった」
 身体の変化に合わせて、声も女性的な少し高い美声になっている。
「バルムント様、なのですか?」
 おずおずと尋ねるダニアン。
 思わず確認してしまうほど、霊薬の力で変身したバルムントの姿は別人だった。
「うむ」
 絶世の美女──に姿を変えたバルムントは鷹揚に頷き、緩んだ衣服の各部を調整する。
 と、それまで呆気に取られていた衛兵隊が、我に返って動き出した。
「美女に姿を変え、皇室に取り入ろうとでも思ったかバルムント卿!」
「我々の前で変身したのが運の尽き──大人しく縛についてもらおう‼」
 迫る衛兵隊たちに、バルムントは冷めた目で一言、
「何も知らぬ愚か者どもめが」
 と呟いたのと、動き出したのは果たしてどちらが先だったのか。
「ぐぁああ⁉」
「ぎゃっ⁉」
 一瞬でバルムントを取り囲んでいた衛兵隊六名が、斬り倒された。
「⁉」
 メルは目を見張る。
 何が起きたのか、全く理解できなかった。
(一体今何をした⁉) 
「冥途の土産だ。教えてやろう、愚か者ども」
 バルムントの声が朗々と響く。
 その手には衛兵の標準装備である長剣が握られていた。
(一瞬で近くにいた衛兵の剣を奪い取って、そのまま斬り伏せたのか!)
 だとしたら今のバルムントは、とんでもない速さで動けるということだ。メルの額に冷や汗が流れる。
「かつてこの地にはバルキリス人という戦闘民族がいた。彼女らはまるで女神のような神々しく美しい姿をし、その強さは一人で一騎当千であったという」
 バルムントのセリフ。
 それはまるで、自分のことを評しているようだ。
「私は考えた──どうにかそのバルキリス人の力を手に入れられないかと」
「馬鹿な! バルキリス人はただの伝説のはず‼」
「しかし実態なきところに伝説は生まれない。バルキリス人がかつて存在したのは、調査から断定できる事実だ。それが分かった時から、全ては始まった」
 私は持てる権力と財力を結集し、バルキリス人のことを調べ続けたのだよ──得意絶頂といった風にバルムントはニヤけ面で語る。
「その結果分かったのは──彼女らは、その身に魔術式を帯びているということだった。何の儀式も、祭具も、杖も、秘薬も、詠唱も──一切要らない。バルキリス人は存在するだけで、魔術を行使し身体能力を強化する」
 それがどれだけ凄い事なのか、学のないメルでも分かる。
「バルキリス人の力、その強さは、彼女たちが身に帯びた魔力と、その身体の魔術式に依る──ならば、身体をそのバルキリス人と同じようにすれば、バルキリス人の力は手に入る」
「相似の理論──」
 それは最も基礎的な魔術理論。
 対象の荷姿を造ることにより、対象に近しい効力を得ようという理論だ。石でできたゴーレムを動かしたければ、人間に近い身体をしていればいい──それと同じだ。
「かつて地上を支配下に置いたバルキリス人の力。それを持ってして、私はこの国の頂点に立つ!」
 バルムントは高らかに宣言する。
 それは皇帝に対する明確な反逆の意思表示であり、通常なら領地や爵位を没収されてもおかしくない大失言だ。
 しかし今のバルムントにはばかるものなどありはしない。
 それほどまでに、彼は強大な力を得ている。
「さて──手始めに、貴様らを殲滅するとしようか」
 言うが早いか、バルムントは持っていた長剣を投げ捨てると、配下に持たせていた巨大な剣の柄を持つ。人の背丈ほどある巨大な剣──おおよそ儀礼用としか思えないそれを、バルムントは易々と担いで見せた。
 瞬間、バルムントが消える。
 一拍遅れて響くのは、両断された兵士の悲鳴。
「ふむ、カカシを斬るようだな」
 呟くバルムントに罪悪感はない。
 彼にとってこの殺戮は、子供がアリを潰して遊んでいるようなもの──文字通り児戯に等しい所業なのだ。
「お前たちを一人残らず斬ったあとは、地方の貴族を制圧しながら、帝都に攻め入るとするか──クハハハハハ!」
「──ふざけんじゃねえぇぇぇぇ‼」
「?」
 メルの怒声が響いた。
「おいこのクソジジィ! てめぇ、そんな事のために、俺らが苦労して手に入れた霊薬を飲みやがったのか‼」
「そういえば先ほどからちょこまかとうろついていたようだが、なんだ貴様は?」
「俺は流れ者のメル! その霊薬を魔術師の工房から持ち帰ったモンだよ」
「ほう、それはご苦労だったなぁ」
 バルムントは肩を竦める。
 その仕草が余計にメルの神経を逆撫でした。
「お前が飲んだ霊薬はな、本当だったら俺が飲んで普通の男になるはずの薬だったんだよ!」
「はて? そもそもあの霊薬は私が作らせたものだぞ。私が作らせた、私のための霊薬だ。私が飲んで何が悪い」
「……何?」
 どういう事だ?
 訝しむメルを、憐れむように見やるバルムント。
「姿を思うがままに変える霊薬などという物を、なぜ魔術を極める事以外に興味のない魔術師という人種が作ったと思う? ──私が金を払い、依頼したからだ。まさか霊薬を完成させた後、持って来る前に死んでしまうとは思わなかったがな……お陰で、裏社会に噂を流して懸賞金をかけたりと、余計な手間がかかってしまった」
「んじゃ、今回の事の発端は──」
「──全て私だ」
 得意げにバルムントは首肯した。
「であれば私がこの神々しい姿になれたのは、貴様のおかげでもあるわけだ。なんとなれば、私の軍門に下るかね?」 
「ぬかせぇ!」  
 抑えきれない怒りを迸らせ、メルは吠える。
「よくも俺の──俺たちの未来がかかった霊薬を飲みやがって‼」
「「‼」」
 一瞬、フィオナもナッシュも目を見開く。
 もし霊薬を得ることが、メル一人だけの目的であったのなら、ここまでメルが激昂することもなかっただろう。
 霊薬を得ることが三人の目的であったから──霊薬に三人分の夢や希望が詰まっていたから、メルは三人分の怒りを抱いたのだ。
「俺はお前を絶対許さねぇ!」
「うるさい小娘だ」
「俺は男だぁ!」
 剣を構えて突進するメル。バルムントは忌々し気に顔をしかめると、大剣を無造作に振り払った。
 反射的にメルは長剣で受けるが、それでも質量の差が大きすぎる。メルは放物線を描いて、五メートル程吹き飛ばされた。
「……ぅぐっ!」
「メルさん⁉」
「メル!」
 思わずフィオナとナッシュが叫ぶ。
「ほう、まだ仲間がいたか」
 バルムントの視線が二人を射貫く。
 アリを踏みつぶすような気軽さで、バルムントはフィオナに向かって剣を向けた。
「マズい!」
 咄嗟にナッシュが割って入る。しかしメルと同じように、ナッシュもバルムントの一撃を受けて、成す術もなく吹き飛ばされてしまった。
 バルムントの前に、フィオナ一人が立ちすくむ。
「ひっ……!」
 フィオナは息を呑む。
 それを地に伏せながら、メルは見ていた。
 たった五メートルの距離が随分と遠くに見える。バルムントの凄まじい膂力と、大剣の質量が相まって、さっきの一撃は筆舌に尽くしがたい威力を持っていた。
 身体が衝撃で痺れている。
 力が入らず、立ち上がれない。
「クソッ……!」
 ナッシュも同じのようだ。
 懸命に立ち上がろうとしているが、フラフラして足元が定まらない。
(クソッ、クソッ、クソッ!)
(立て、立て、立て!)
 このままだとフィオナは殺される。
 それだけは嫌だ。
 絶対に嫌だ。
「動けよ俺の手足──!」
 散々この身体を嫌ってきた。この身体に、容姿に、苦しんできた。
 ならばせめて、
(こんな時くらい役に立てよ────‼‼‼)
 ──その時、それは起こった。
 今までにないほどの魔力の波動。強い力がそこに存在するという感覚が広がる。
 その魔力の波動の中心に、メルはいた。
「何⁉」
 バルムントは目を見張る。
 メル自身も、何が起きたか正確に把握しているわけではなかった。ただ、力が身体中に漲っている。その事実だけで十分だった。
「う──おおおおぉぉぉ!」
 雄叫びと共にバルムントに突撃する。凄まじい速度だ。バルムントも反応が追い付かない。
 メルのブチかましを喰らって、バルムントは砲弾の直撃でも喰らったかのように吹き飛んだ。
「メルさん……!」
「フィオナ! 無事か‼」
 メルの問いに、フィオナはこくんと頷く。
 ただただ目の前の事態が飲み込めていない。唖然としている。
 吹き飛ばされ、寺院の石壁に埋もれるようにしていたバルムントは、身体を起こしながら冷や汗を流す。
「これ程の力──貴様は一体…………!」
 バルムントはメルを凝視した後に瞠目する。
「まさか、まさか貴様──!」
「?」
「バルキリス人か‼」
「ッ⁉」
 思わずその場にいた全員が息を呑んだ。
 そうだ、何故気付かなかったのだろう。
 その輝く黄色の髪に、女神か天使と見紛う美貌。身に帯びた魔力が可能にする、常人離れした力。
 それらは全て、バルキリス人の特徴であった。
「よもや、こんな所にバルキリス人の末裔がいたとはな……」
 バルムントはその美貌を歪めて、酷薄に笑う。
「伝説のバルキリス人は二人と要らぬ。貴様には死んで貰おう」
「はっ! うっせぇ」
 いつもと変わることなく、メルはケンカ腰で啖呵を切る。
「何がどうなってんのか訳が分からねーけどよ、とにかく俺はお前がムカついて仕方ねぇんだ。ボッコボコにしてやるから、覚悟しろ!」
「減らず口を!」
 両者共に斬りかかる。
 超高速の踏み込みから繰り出される互いの剛剣が火花を散らす。
「おおおおぉぉぉ!」
「はああああぁぁぁ!」
 バルムントの大剣とメルの長剣が交錯する。
 互いの剣が悲鳴を上げるような、甲高い金属音が木霊する。
 そこから秒間七〜八太刀を互いに繰り出すような、剣戟が始まった。華麗な技など何もない。ただ一瞬でも速く、ほんの僅かでも重い一撃を繰り出す──ただそれだけの斬り合い。
 見ようによっては、素人の斬り合いと変わらない。
 しかし互いの膂力が桁違いなので、その剣戟は見苦しいどころか生半可な達人では及びもつかないものであった。
 両者の膂力はほぼ互角。
 それ故に得物の差が如実に攻防の差となって現れる。バルムントは大剣、メルは普通の長剣。その質量は段違いであり、頑丈さも当然違う。
 何度も何度も剣を打ち合わせていくうちに、メルの長剣が徐々に嫌な音を上げ始めた。
 直感的に分かる──この剣はじきに折れる、と。
「くふふ……後がないぞ、どうする?」 
 バルムントの煽るような笑み。
 ガギンッ──ひと際大きな金属音。そしてついにメルの長剣が、刀身の半ばで折れた。絶体絶命である。
「これで終わりだ!」
「どうかな‼」
 メルに止めを刺そうと、バルムントの振りが大きくなる。その瞬間を、メルは待っていた。
 剣の柄から手を離し、空中に折れ飛んだ刀身を、手のひらが裂けるのも構わず掴む。
 そのまま折れた刀身で斬り付けた。
 剣術の常識から外れた、我流の喧嘩殺法だ。
「なっ⁉」
 予想外の攻撃に、バルムントは驚嘆する。
 大きく振りかぶった大剣では、メルの攻撃を防げない──咄嗟にバルムントは、左腕を盾にした。
 左の前腕に深々とメルの刀身が喰い込む。
 うめくバルムントに構わず、メルはそのまま刀身を押し込もうとするが、
「ぐぅ──猪口才なぁ!」
 痛みに喘ぎながらも繰り出す、バルムントの足裏を使った突き放すような蹴り。それをまともに喰らって、メルは再度吹き飛ばされた。
 両者の間合いが一旦切れる。 
 バルムントは左腕を庇いながら、メルは蹴られた腹を押さえながら、互いに隙を伺う。
 その攻防の凄まじさ、息の詰まるような殺気に、周りはただ固唾を飲んで見守るしかできないでいた。
「何故だ! 身体能力はほぼ互角のはず──なのにどうして、私が貴様の剣を喰らっている⁉」
「そりゃお前、俺の方が喧嘩強いからだろ」
「何ぃ?」
 さも当然のようにメルは言った。
「俺はお前と違って、ずっと貧民街で暮らしてた。殴り合い、斬り合いの刃傷沙汰はガキの頃から腐るほどやってる。そんじょそこらの奴とは場数が違ぇよ。だが、アンタはどうだ? どうせ屋敷でふん反りかえってばっかだったんだろ。剣術とか真面目にやるような奴には見えなかったしな」
「ぐ……!」
「ガキと大人が喧嘩したら、そりゃ大人の方が勝つだろうが──大人同士が喧嘩したら、そりゃ場慣れしている方が勝つに決まってる。簡単な理屈だ」
 バルムントが数人の兵士を一瞬で倒すことができたのは、充溢する魔力による桁外れな身体能力によるところが大きい。スペックの差によるゴリ押しで、大抵の相手は倒せるのだろう。
 だが、同じだけの身体能力を有するメルに、ゴリ押しは通じない。
 そこから先は純粋に戦闘技能の差が勝負を分ける。
「どうだ業突張りのクソジジイ。次は腕じゃなくて、首を取るぜ」
「どこまでも生意気な小童だ……!」
 メルの挑発にバルムントはギリギリと歯噛みする。
 メルは右手を開け閉めする。折れた刀身を握り込んだ事で手の平からは、ポタポタと血が流れているが、それもすぐに止まる。
(……伝説のバルキリス人の『回復能力』か。ちょっとやそっとじゃ死なねぇな、こりゃ)
 剣を握れなくなったら戦闘能力は大きく落ちる。それを避けられたのはいいが、だがそれはバルムントも同じ。
 多少の手傷では僅かな時間、動きを鈍らせるのがせいぜい──倒すにはいたらない。
(内臓か、頭。もしくは首──一撃で殺せる場所にぶち込まないと倒せねぇってわけだ)
 いよいよ血みどろの戦いへと発展しようかと思われた。
 その時だった。
「なっ、何だッ⁉」
 バルムントに異変が起きた。
 左腕の傷が癒えていくかと思ったその時、突如として腕が膨らんだのだ。まるで伸縮性のある皮を内側から膨らませたかのように、グニャグニャと嫌悪感を催す動きで、バルムントの腕が数倍にまで膨れ上がった。
 さらにそれが腕から胴へと伝わり、バルムントを内側からどんどん大きくしていく。
「うぐ──ガアアアァァァァ────!!」
 バルムントの悲痛な叫びが響き渡る。
 しかしなおもバルムントの身体は膨らみ続け、その体積を増していく。
「おいおいおい! 何だってんだ一体⁉」
 さしものメルも、流石に呆然としている。
 そしてそれは居合わせた他の者も一緒だった。次から次へと起きる、常識外れの事態に脳が悲鳴を上げている。処理が追い付かない。
 そんな中、魔術に対して多少なりとも知識のあるフィオナが、真っ先に異常事態の原因に気が付いた。
「これは──魔力の過剰供給によるバランス崩壊です!」
「魔力の過剰供給?」
「バルキリス人は『相似の理論』を用いて、『女神の荷姿になることで、魔力をその身に帯びる』者です。常人にはあり得ない量の魔力をバルムント卿は持っていましたが──そのバランスが崩れ、暴走を起こしているんです!」
「でもなんだって暴走を?」
 メルも同じバルキリス人であるというのなら、なぜ暴走していない?
 何故、バルムントだけが暴走している?
「バルムント卿は霊薬によって、後天的にバルキリス人になりました。もしかしたらそれが不完全だったのでは?」
「……あ!」
 メルは地面を見やった。
 そこには僅かにこぼれた霊薬が、シミとなって残っている。
「そうか! 俺が飛び出たせいで霊薬を少しこぼしたから──飲んだ霊薬の量が足りなかったんだ‼」
 それ故に、バルムントのバルキリス人への変身は、完全ではなかったのだ。 
「それでフィオナ嬢、その魔力が暴走を起こすとどうなるのですか⁉」
「通常魔力が暴走すれば、魔術は発動しません。術者に反動として帰って来ます」
「つまりバルムントはその反動で死ぬと?」
「いいえ──」
 ナッシュの問いに、フィオナは冷や汗を流す。
「放出系の火や風を起こす魔術であれば、単に術が発動しないだけで済みますが──身体を強化するような付与(エンチャント)系の魔術は、反動で術者の身体が変異し、怪物になってしまう場合があるんです!」
 今バルムントに起きている異変は、正にそれだった。
「■■■──!!」
 もはや人の声とは思えない咆哮を上げ、バルムントは内側からはち切れんばかりに膨らみ続けている。
「しかもバルムント卿が行ったのは、霊薬によって『伝説のバルキリス人になるよう、身体を作り変える』という高度な魔術です。ただでさえ膨大な魔力がその身体に集まっているというのに、それが暴走したらどうなるか──」
 フィオナは息を吞むしかできない。
 バルムントの異変がひと段落した。
 そこに顕れたのは、もはや人ではない。
 五メートルはあろうかという長身と、大理石の柱を思わせる極太な手足。肌は灰色に変色し、まるで硬質な樹脂のよう。
 あれほど美しかった顔は見るも無残な変貌を遂げ、不自然に大きな顎とせり上がった眉、血管の浮き出た頬、眼球は白く何処を見ているのか分からない。
 頭髪だけが美しい金髪のままであり、それだけにバルムントの醜く変質した容姿を、より際立てていた。
「巨人族(トロール)……!」
 絞り出すようにフィオナが呟き、メルとナッシュも冷や汗を流す
 魔術の反動で怪物となったバルムントは、神話に登場するトロールそのものだった。
 トロールの姿に変身したバルムントは、おもむろに周囲を見やると、
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■──────‼」 
 天を仰いで雄叫びを上げる。
 すでに人としての意識は残っていないのか──その行動は完全に獣のそれだ。
 無造作にバルムントが足を踏み鳴らす。すると、

 ドゴンッッ‼

 投石機で発射された巨石が地面を穿つような──否、それ以上の衝撃で地面を抉り、土が巻き上げられる。
「「「……!」」」
 それを見て、その場にいるもの全てが絶句するよりなかった。
 先ほどまでのバルキリス人になったバルムントでも、十分な脅威だった。しかしそれ以上の脅威が現れるなど、考えもしていなかった。
 今のトロールに変身したバルムントなら、ひと蹴りで民家を更地にできるだろう。
「……あんな怪物が街に出たら、一体どれだけの被害がでるか……!」
「……見た感じ、半日で都市を壊滅できるんじゃねぇか……?」
 さしものメルも、ナッシュに返す軽口に力がない。
 それ程までに圧倒的だった。
 これがダメ押しとなり、衛兵隊は総崩れになる。
「もうダメだ!」
「お終いだ! 俺たちみんな殺されるぞ!」
「逃げろ、逃げるんだ!!」
「待てお前たち‼ ここで逃げてなんとする、我らがここでこの怪物を押しとどめるのだ!」
 逃げ惑う衛兵たちに、隊長らしき男が激を飛ばすが、それでも陣形は総崩れとなっている。
「くっ……このままじゃマズい! 俺たちも避難を──」
「何処へですか?」
 妙に静かな声でフィオナが言う。
「あの怪物は、獣の本能のままに、街を襲い人を殺すでしょう──逃げようにも、馬の数は限られていますから、今から逃げても食い殺されるのが関の山でしょうね」
 恐ろしい程淡々と、フィオナは事実を口にした。
「じゃぁここで諦めるのか⁉ ここで死ぬって」
「いいえ!」
 メルに力ずよくフィオナは言い返す。
「ここであの怪物を倒しましょう」
「なっ⁉」
「正気ですか⁉」
 目を見開くメルとナッシュに、フィオナは頷きを返す。
「ええ、どのみちあの怪物を倒すしか、我々に生き残る道はありません。なら倒すだけの事です」
「理屈はそうだが──あんな怪物、本当に倒せるのか? マジで神話の化物だぜ?」
「何を言いますか、こちらにも『伝説のバルキリス人』がいるじゃありませんか」
 メルは反論に詰まる。
 フィオナはふと表情を緩めた。
「勝機はあります」
 フィオナは作戦を説明する。
 その作戦は確かに筋が通っており、突破口としては十分といえるものだった。
「──私を信じてください」
「……」
「……」
 メルとナッシュは顔を見合わせる。
 フィオナはナッシュに向き直る。
「ナッシュ様、あなたの望みは『一門の貴族として成功したい』でしたよね──今がそのチャンスだとは思いませんか?」
「チャンス……」
「国家転覆を企て、衛兵隊が逃げ出すほどの怪物になった公爵を打ち倒す──これ以上ない名声を手に入れる好機ではないですか?」
「……」
 静かにナッシュの顔色が変わった。
 どうせこのままでは死ぬ。ならば華々しく戦い、名声を得るほうが余程いい──そう思ったのか、先ほどまで悲壮感を漂わせていた目に、今は小さな炎が宿っている。
「メルさんの望みは『男らしい容姿を手に入れる』でしたね」
 今度はメルに向き合うフィオナ。
「霊薬は失われ、その望みを果たす手段はもうない──悔しくないですか?」
「悔しい……」
「あなたの望みを叶える手段を、横から取られて口惜しくはないですか? やり返したくなりませんか? ハラワタが煮えくり返っているのでは?」
「……」
「それなのにすごすごと引き下がるなんて、男らしくないとは思いませんか?」
 男らしくない──それはメルの心を焚きつけるキーワード。
「やってやる……やってやろうじゃねぇか‼ あの野郎を絶対にぶっ飛ばす‼」
 握りしめる拳に力が宿る。
「行くぞナッシュ!」
「おう!」
 二人はバルムントへと駆け出した。
 

 
 メルはバルムントの右側、ナッシュは左側へと二手に別れて回り込む。
「オラオラどうしたクソ公爵! 俺はここにいるぞ‼」
 喚き散らすメルにバルムントが気付く。
 すぐに固めた握り拳が振り下ろされる。
 それはさながら神の鉄槌──恐ろしい程の破壊力を秘めた拳が振り下ろされる。
「おっと!」
 間一髪、メルは振り下ろされた拳を避ける。メルなど片手で握り潰せそうな巨大な拳が、眼前で地面を打つ。
 轟音と同時に土砂が巻き上げられる。
 その音と衝撃の余波が、その威力を物語る。
(一撃でも受けたら死ぬ──!)
 内心で冷や汗を流しながら、メルは歯噛みする。
(さっさと配置に付けよナッシュ!)
 

 メルが注意を引き付けている間に、ナッシュはバルムントの左側に回り込み、冷静にバルムントを観察していた。
 メルへと繰り出される攻撃の合間に、バルムントの左腕を凝視する。
「あった!」
 ナッシュは感嘆を漏らす。
 バルムントの左前腕部に、縦筋の小さな傷がたしかに見えた。
『──バルムント公爵が変異する前、メルさんが彼の左腕に大きな傷を残しました。この変異が不完全な魔術によるものである以上、おそらく傷の再生・回復も不完全である可能性が高いです』
 脳裏に掠めるのはフィオナの示した勝算。
『左腕の傷を再度攻撃すれば、あのバルムント公爵にも攻撃が通じるはずです!』
 筋は通っている。
 だが確証はなかった。
 それでもフィオナの作戦に乗ったのは、合理的な判断によるものではない。ナッシュもまた、この極限の状況に酔っていた。
 雄々しく戦う自分に。
 そして勝利し、富と名声を得る未来に思い焦がれる──そんな熱さに追いたてられたのだ。
(こんな無茶な作戦に乗せられてしまうとは──)
 男を進んで死地に進ませる──フィオナはとんだ悪女かもしれない。
 ナッシュはそう思いながらも、今の自分を嫌いではないと思っていた。
「メル! 来い‼」
 ナッシュが叫び、それに応じてメルが駆ける。
 途中でバルムントが使っていた身の丈程もある大剣を拾う。
 ナッシュは自分の長剣を鞘に納めたまま、斜めにして固定する。まるで土台のように。ナッシュが鞘込めの長剣で造った土台に、メルは脚をかける。
 バルムントが振り向く。
 飛び上がるメル。
 その脚力に物をいわせ、空高く飛び上がったメルは、空中で大剣を振りかぶる。
「────くたばれぇぇぇぇ!」
 バルムントに向かって大剣が振り抜かれる。 
 左側に回り込まれてからの斬撃──バルムントは咄嗟に左腕で防御態勢を取る。しかしそれこそが狙い。
 空を切り裂き、大剣はバルムントの左腕にできた傷を、寸分過たずに直撃した。
 剣や槍の刃を弾いてきた硬質な表皮を、メルの振るう大剣は断ち切った。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────ッ‼」
 斬り落とされたバルムントの左腕から、夥しい量の血が流れる。
「やったか⁉」
「まだだ‼ 気を付けろメル!」
 切り落とされた左腕を庇いながらも、バルムントは着地したメルを丸飲みにしようと牙をむく。
 牛さえも一飲みにしそうな口が眼前に迫る。
 高所から着地したばかりのメルの体勢は崩れている──逃げられない。
(やべぇ‼)
 濃厚な死の気配に背筋に走る悪寒。
「メルさん‼」
「う────おおおおおぉぉぉぉx!」
 フィオナの声に我に返る。
 メルは逃げなかった。逃げるのではなく、剣を構えてそのまま前進した。ランスを構えるナイトのように、大剣の切っ先を真っすぐ前に向けて、全力で突っ込んだ。
 大剣の切っ先が、バルムントの喉の奥を貫き、脳髄までも切り裂いた。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────ッ‼」
 絶叫とともにバルムントは悶え苦しみ、周囲をさらに破壊しながら血をまき散らし、最後には動かなくなった。
「メルさん⁉」
「無事か! メル⁉」
「──おう」
 フィオナとナッシュの悲鳴にも似た声が響く。その声に答えるように、倒れて動かなくなったバルムントの死骸から、血だらけのメルが這い出てくる。
「へへ──やってやったぜバカ野郎!」
 緊張の糸が切れたメルは、大の字になって空を仰いだ。


エピローグ

 一か月後、帝都グランドール。
 中心部から少し離れた場所に皇帝家の離宮がある。豊かな自然に囲まれた豪奢な造りの宮殿──そのテラスで、メルは手すりに寄りかかりボケーッと空を見ていた。
 首元に手を伸ばして襟を緩める。今まで着ていた旅装とは違い、今日着ているのはカッチリとした正装で、どうにも窮屈だった。
「メルさん、一人で何を黄昏ているんです?」
 グラスを持ったフィオナがテラスに現れる。フィオナも同じように正装だ。ただメルと違って様になっているのは、やはり豪商の娘だからか。
「いや〜別に」
「なんだかずっと元気がありませんね。式典が始まる前からそうでしたけど」
 頬に指をあてて記憶を呼び覚ますフィオナ。
 ──そう、今日はバルムントを倒し、彼の企みと被害を食い止めた事を表す勲章授与式だったのだ。
 煌びやかな離宮の装いに反して、集められた者の数は少ない。しかしその面子は錚々たるもので、現皇帝の代理として姫、衛兵連隊長や将軍、等々帝国の中枢に連なるメンバーが集まっていた。
「な、なんという豪華な顔ぶれだ……!」
「わたくし緊張してまいりました」
 そんな面々に囲まれ、ナッシュとフィオナはひたすらに恐縮していた。
「……はーん」
 ただ一人、いつもと変わらぬ調子なのはメルだけである。
「お前……よくそんな気の抜けた顔でいられるな」
「いや、すげー面子が集まってるってのは聞いてんだけどよ、なんか正直ピンと来ないっつーか。何がどう凄いのかよく分からん」
「……まぁメルさんは貧民街での生活が長いですからね。王政の重鎮と聞いても、違う世界のこと過ぎて現実感がないのかもしれません」
 ナッシュは鼻を鳴らす。
「モノを知らん馬鹿は、こういう時得だな」
「あん? 喧嘩売ってんのかテメェ」
「ほう、その程度は分かるらしい」
 メルとナッシュの間で視線が火花を散らす。
「止めてください二人とも! これから勲章をいただくというのに!」
 慌ててフィオナが割って入る──なんて事が式典前に起こったくらいだが、ナッシュといつもの喧嘩をしたくらいで、メルはずっと妙に静かだった気がする。
「おかげで式典がスムーズに済んだとも言えますが」
「それって俺が元気だったら、式典中に何かやらかすと思ってたって事か?」
「ええまぁ」
「即答で肯定すんな!」
 と突っ込む声にもどこか張りがない。
「ナッシュ様はあんなに元気ですのに」
 フィオナとメルが離宮の中に視線を送る。式典後にささやかな宴が開かれたのだが、そこでナッシュは自分を売り込むべく、帝国のお偉方相手に必死で挨拶回りをしていた。
「まぁ、アイツは騎士として身を立てるっていう目標がほとんど叶ったようなもんだからな、嬉しくって仕方ないんじゃねぇの」
 少し寂しそうに、眩しいものを見るような目でメルは言う。
 それでフィオナも気付いた。
「すみません、私も実家の事が片付いて少し浮かれていました……」
 メルだけは容姿を男らしくして生まれ変わるという願いを叶えていないのだ。
「ああ、フィオナも今回の件が認められて、親父さんからもう何も言われなくなったんだっけか」
「はい。私はもう自由に生きていけます、親から自分の人生に関して干渉されることはありません」
「そっか、良かったな」
 力なく笑ってから、メルは大きくため息を漏らす。
「こういうのガラじゃないんだけどよ……やっぱ霊薬で男らしい見た目になれるって期待してたから、ちょっとショックがデカくてさ……」
「……」
「あ〜〜〜……男らしくなりたかったな……」
 女神のような自分の顔を、呪うかのようにメルは撫でる。
「前々から聞きたかったのですが、メルさんはどうしてそんなにも『男らしさ』に拘るのですか。自分の容姿にコンプレックスを持っているというには、少々度が過ぎるような……」
「ん〜……」
 メルはポリポリと頬を搔きながら、ゆっくりと口を開く。
「それは俺を育ててくれたオッサンの影響かな」
「おっさん?」
「ああ。孤児だった俺を、育ててくれたオッサンがいたんだ。俺には親が居ないけど、もし親がいたらこんな風だったのかなって思うような、そんなオッサンだ」
「そんな方が」
 どこか懐かしむように微笑むメルの横顔に、フィオナは意外な物を見たきがした。これまで見たことのないメルの顔だった。
「そのオッサンがさ、事あるごとに言うんだ。『男なら……』とか『……してこそ男だ』みたいに、オッサン特有の男の美学を。今思えば暑苦しかったけど、それでも俺にとっちゃそのオッサンがヒーローみたいなもんでさ、だから今でも俺の中でのカッコいいとか憧れるものって、男の美学を語って実践してるオッサンの背中なんだよな」
「何となく分かりました。メルさんにとって『男らしい』というのは、単純な容姿のコンプレックスというだけでなく、生きていく上での指針なのですね」
 少しだけメルの事がより深く分かった気がして、フィオナもまた微笑む。
「その方は今どこに?」
「何年も前に流行病で死んじまったよ」
「…………」
「そっからかな、以前にもまして男らしくなりたいって思う事も増えて、余計自分の顔が嫌いなって……しまいには自分そのものまで嫌いになっていった──」
 もう一度、メルは深くため息を吐く。
「──だからどうしても霊薬を手に入れたかったんだ」
 落ち込むメルに、フィオナは少し考えてから口を開く。
「メルさんがどう思っているかは知りませんが……私はメルさんのこと、男らしい方だと思っていますよ」
「──え?」
 意外な言葉にメルは間の抜けた声を出す。
「でも俺、顔はこんなだし」
「男らしさって、見た目だけをさす言葉ではないですよね。その人の行動や言動、生き方を含めて表現する言葉ではないでしょうか」
 フィオナは瞼の裏に、今まで見てきたメルの姿を思い浮かべる。
「メルさんは何度も私を助けてくれました。そして様々な試練や困難に屈することなく、突き進んできた──それはとても男らしい事だったと私は思います」
「……」
「だからメルさんは、もう十分に男らしいと思いますよ」
「そっか……」
 人間はどう生まれるかを選べない。
 自分がどんな性質を持ち、どんな場所、境遇に生まれるかを選べない。
 それでも、どう生きるかを選ぶ事はできる。
「俺は男らしい見てくれに生まれなかったけど……男らしい生き方をすることは出来た──って事かな」
 自分が憧れた姿に、少しは近づけていた。そう思えたら、不思議と胸の中のモヤモヤが晴れた気がする。
「ありがとう……ちょっとスッキリした」  
「お役に立てたのなら良かったです」 
 ニコリと笑ってからフィオナは冗談っぽくメルの顔を覗き込む。
「それにこんな綺麗な顔を変えてしまうのは勿体ないですよ」
「ッ!!」
 迫るフィオナにメルは顔を赤らめて逸らす。
「ふふ、そういうところは可愛いままなんですね」
 クスクスと悪戯っ子の顔で笑うフィオナを、メルは必死に睨みつけるが、顔が赤いので全く様にならない。
「うるさい! ていうか俺が嫌がると分かってやってるだろ!」
「もちろん」
「良い性格してんな」
「だって──」
 フィオナが口を尖らせる。
「メルさん、鈍い上にヘタレなんですもの」
「ヘ、ヘタレ……」
「そうですよ。メルさんほどじゃありませんが、こんな可愛い女の子が隣にいるのに、全然こっちの事を見てくれないんですもの」
「あのなぁ……」
「でもいいですよ。わたくしメルさんの可愛らしいお顔も好きなので」
「ああもう!」
 メルは声を荒げた。
 メルがどれだけの理性を持って気持ちを抑えているのか、フィオナは理解していないようだ。
 だったらそれを分からせてやる。
「だから──」
 メルは顔をフィオナに向けるとグイと近付けた。
 元々フィオナがメルに寄っていったのもあって、二人の顔はかなり近い距離にある。
 吐息さえ感じられそうな程に近く、二人は見つめ合う。
「俺は男だって言ってんだろーが」
「!」
 柔らかな陽射しが、二人の足元に影をつくる。
 二つの影が重なり合って一つになった。
十二田 明日 

2023年08月02日(水)01時17分 公開
■この作品の著作権は十二田 明日さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
どうも十二田明日です。
しばらく書けていなかったのですが、久しぶりに一本書き上げられたので、こちらに投稿させていただきました。

こちらも何処かのラノベの賞に送ろうとおもっています。つきましてはラノベの賞に送ることを前提に、もっとこうしたらいいんじゃないかとか、色々とご意見をいただけたらと思います。

コメントをいただけた方の作品は、必ず目を通しコメントさせていただきます。



個人的には、新しいチャレンジとして今まで手を出してこなかった、『コミカルなファンタジー』を書いてみました。
後、可読性を上げる試みとして、セリフでお話を展開する(地の分を減らす)というのもやってみました。

狙いが上手くハマったのか、それともズレているのか。そこらへんは特に聞かせてほしいです!


この作品の感想をお寄せください。

2023年10月16日(月)22時43分 十二田 明日  作者レス
きゃつきゃつお様、コメントありがとうございます。

>十二田さんの作品は読んで「ああ、面白かった」と素直に思えるので拝読していて楽しいです。

こんなに嬉しいコメントはありません! とても嬉しく思っていますし、励みになります。


さて、ご指摘のあったメルの由来に関してですが、どうやら直接的な描写がありすぎたようですね。読者にストレスをかけずに情報を上手く小出しにして伏線を張るというのは、やはり難しい。そのあたりがまだまだ上手くいかないですね。
投稿までにどこでどのくらい情報を出すか、もう少し練ってみようと思います。


貴重なご意見ありがとうございました。
きゃつきゃつお様の新作が読めるのを、楽しみにしております。
それでは。




pass
2023年10月15日(日)11時42分 きゃつきゃつお  +30点
十二田様

 作品拝読させていただきました。
 こちらに投稿された十二田さんの作品は全て拝読させていただいておりますが、今作も面白かったです。
 十二田さんの作品は読んで「ああ、面白かった」と素直に思えるので拝読していて楽しいです。
 作品を書かれるにあたって、常に勉強され、工夫されているところは本当に勉強になります。心がけられているキャラのセリフによる世界観の説明といったところは、地の文とのバランスも良く、作品自体のテンポを良くしていたと思います。
 ただ、メルの由来を仄めかすところですが、もう少し、分かりづらく仄めかしておいても良かったかも……と感じました。あまりにもストレートなので、その部分で「ああ、なるほどね」と何となく最後の盛り上がりと言うか展開が想像できてしまいましたので。
 私は、あまり深く読む能力がないので、他の皆様のような指摘ができませんので、賞に投稿されるのに、こんな感想では役に立ちませんね、スミマセン。
 私も今作品を書いていますが、どうにもまとまらなくてプロットの域を出ずに詰まっております。この際なので、もう少しまとまったら投稿したいと思いますので、ご意見をいただけたらと思います。
 こんな感想では何の役にも立たないと思いますが、楽しませていただき、ありがとうございました。
 
19

pass
2023年08月14日(月)01時38分 十二田 明日  作者レス
ふじたに様、コメントありがとうございます。

本作は『とにかく立ったキャラを書こう!』が最初のコンセプトの一つだったので、それは何とか達成できた──というところでしょうか。


さて、ご指摘いただいた点ですが、まず魔術アリの世界観設定について。
ちょっと説明不足だったようですね。タイトルで『異世界』って付いてれば、何となくドラクエ的世界を想像してもらえると思ってたんですが……甘かったですね。
最初の主人公がヒロインを助けるシーンで魔法を使おうとするシーンを挟むとか、そんな感じで改稿しようと思います。


後は本作のウリについて。
まず十二田としては本作のウリとして、『コミカルなキャラの掛け合い』と『主人公がとにかく活躍する』を中心に据えようと考えていました。なので、世界観設定などはあくまでオマケというか、そこまで力をいれていません。その点はふじたに様のご指摘の通りです。

『いざこざシーン(戦闘関係)も丁寧に書かれているので、もしかしたら私だけかもしれませんが、ウリがわかりづらくなっているように感じました』


バトルシーンがくどかったですかね?
あのくらい書かないと、主人公たちが何やってるか分からないと思ってたんですが……
一意見として受け止めさせていただきます。



貴重なご意見ありがとうございました。
ふじたに様が作品を投稿された際には、是非とも読ませていただきます。
それでは。





pass
2023年08月10日(木)20時07分 ふ じ た に 
お久しぶりです。
第二章まで読ませていただきました。
ここまで読んで感じたことは、キャラが光っていたことでしょうか。
美少女外見のメルたちとの掛け合いはとても良かったと思いました。凹む三人、面白かったです。

一方でここまで読んで気になったところですが、
一つ目は世界観や設定です。

「とある魔術師の作り出した霊薬を手に入れれば、わたくしの人生に今後一切干渉しないと!」

読み落としだったら申し訳ないのですが、この台詞が出てくるまでファンタジー要素のある設定だと説明はなかったと思います。
なので、現実に似た世界観だと思っていたので驚きましたし、どんな風に魔術が生活に浸透しているのか全く分からないので、魔術師がいて霊薬が存在してもおかしくない世界観なのかも分からないので気になりました。
さらっとでいいので、冒頭でどういうファンタジー要素があるのか魔術について世界観の説明があった方が良かったと思いました。


二つ目の気になった点は、作品のウリが分かりにくい点です。
ここまで読んで、魔術師が工房を持っていてセキュリティが厳しいことは理解できましたが、魔術が生活にどう関わっているのか全く描写がないです。なので、御作がメインで描きたいのはオリジナルティのある設定での主人公の活躍ではなく、キャラ萌えかな?と思ったんですが、いざこざシーン(戦闘関係)も丁寧に書かれているので、もしかしたら私だけかもしれませんが、ウリがわかりづらくなっているように感じました。
あくまで個人の意見ですが、キャラ萌えを目指すなら、戦闘シーンはサクサクッと最低限に端折ったような書き方が良かったと思いました。
その方がテンポ良くて良かった気がしました。

作品は投稿してないので感想返しは結構です。
色々と書きましたが、あくまで個人の意見ですので合わなければ流してくださいね。
ではでは失礼しました。
24

pass
合計 2人 30点


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