蛇神祭りの夜―星神伝説と宿命の巫女―
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蛇神祭りの夜―星神伝説と宿命の巫女―
著:タジ

序章 そして、運命は動き始めた。

 その夜、彼等がこの屋敷に集まったことを証明出来る情報は、一切存在しないと断言できる。
 今この場にいる全員が、周辺地域に対する極めて巨大な発言力を持つ人物である。彼等は事前に相互の綿密なアリバイ証言を設定しており、この会合が表面化することはあり得ない。
 皆、一様に真剣な表情で沈黙しており、室内の空気は極めて重くなっていた。
 やがて一人の男が、重苦しい声で沈黙を破った。
「――既に承知の事とは思うが、玖守孝蔵が儀式を利用して邪神を蘇らせようとしたのは事実だ。彼がその知識を手にしている以上、なんとしてもその手段を与えてはならない」
 彼のそんな発言を受けて、別の男が挙手をした。年齢の割に筋肉質な腕と鋭い眼光は、彼の経歴を暗示していた。
「私の方からは、既に警察と医者に手を回してある。いつでも幽閉可能だ」
 続いて、彼の隣にいる人物が言った。
「藤堂龍一郎と玖守孝蔵、二人の調査結果の確保には成功しました。こちらに関しては神宮路家の管轄に置くという事でよろしいですね?」
 この発言に対しては、この部屋で最も落ち着いた雰囲気で椅子に腰かける人物が、深く頷くことで応じた。彼がこの屋敷の持ち主なのだろうという事は、容易に推測出来た。
「儂等にはあまり時間が残されていないのだ。第一に、藤堂龍一郎の後任の巫女をいち早く選出し、黒き蛇神の力を本来の方法で封印する必要がある。少なくとも、数十年後に控えている次の儀式は、絶対に執り行わなければならない。手がかりは限られているが、何としても玖守孝蔵の交流関係から遠いところにある神官の血を引く人物を探し出し、新たな蛇巫を擁立する必要がある。同時並行で、蛇塚新造計画を儂の仕切りで進めていく。儂等が組む以上、多少の強引な手段は実行可能だ。何としても、次の蛇神祭りを成功させるぞ」

第一話 夏休みの社会科の課題が出ました。

「……朝、か」
 虚ろな視界のままケータイの画面を確認する。目覚ましとしてセットしてあるアラームが鳴る凡そ二分前だった。
 まだ朝だというのに、カーテンの隙間から差し込む日差しは確かな熱を帯びている。
 現在は七月。季節はもう、疑いの余地なく夏だ。
 俺の名前は剣田弘人(つるぎだ ひろと)。地元である『上森町』の進学校、『私立上森高校』に通う、高校一年生だ。
 高校生になって新しい制服を着始めてから、思いの外早く訪れた衣替えで着ることになった夏服も、今ではすっかり違和感がなくなっていた。
「さて、行くか」
 まずはとりあえず、昨日のうちに作り置きしておいた朝食を冷蔵庫から取り出して食べる。そして教科書の入ったカバンを持って、玄関を開ける。夏休みが始まるのはもう少し先、来週の期末試験が終わってからだ。
 数日前から両親ともに長期で出かけている。そういう訳で俺は、暫くの間は一人暮らしをすることになっていた。
 俺の父親は民俗学者、母親は大学の地域社会学教授だ。
 聞くところによると、二人ともその筋では名前の知られた人物らしい。講演や調査などの用事で長期間家にいないことは、今までに何回もあった。
 今回は二人とも、長期間での現地調査のタイミングが被っていた。なので、夏休みが終わるくらいまでは、家に俺一人という訳だ。
 まあ、昔からこういうことは何度かあったので、何だかんだで慣れてはいるが。
 現在の時刻は午前八時の少し前。
 ともかく学校に行く必要があるが、俺にはその前に寄らなければならない場所がある。
 玄関を出てから肌を焼く朝の陽ざしの中を歩くこと数分。並び立つ人家の中に、古びた朱色の鳥居が現れる。そしてその先には、長い急勾配な石段が存在した。
 俺は神額に『上森神社』と書かれたその鳥居の前で軽く一礼する。そして鳥居を潜ると、長く連なる石段を登り始めた。
 足が少し疲れてきた頃に、ようやくその頂上に至り石段は終わる。そして、二つ目の鳥居とその先に広がる境内が見えてきた。
 境内に植えられた木が高く伸びて、涼しげな木陰を作っている。そのせいなのか、静かな住宅街の中にあるはずのこの場所が、少しばかり他とは違った空気を作り出していた。
 本殿の方から柏手を打つ乾いた音が響いてきた。
 気になってふと視線を移すと、一人の参拝客がいた。
 着ているのは薄手のランニングウェア。体格は長身であり細身な、長い黒髪をポニーテールにして纏めている女性だ。
 ……今日は来ていたのか。
 彼女とは話したことは一度も無いし、素性なんて全く知らない。だけど、朝の上森神社では何度か見かけたことのある人物だ。学生じゃないと思うけど、どうも年上の女性の年齢は分かりにくい。この近所に住んでいて、出勤前に運動をしているとかそんな感じなのだろうか?
 本堂と、それから少し奥にある雑木林の中の社の二カ所で参拝を終えた彼女は、踵を返すと足早に駆けて出て行ってしまった。
 俺は一人になった境内で、本堂の脇に視線を移す。その場所には、この『上森神社』の宮司家の住居兼社務所がある。
 俺はそこの玄関に向かい、インターホンを鳴らした。
 ――チャイムの音が響いた数秒後。
「今行く。少し待って!」
 何やら食器のぶつかるような音が響いてきた。それから少しして廊下を走るような足音が聞こえてくる。そして、勢いよく玄関が開けられると同時に、先ほどの声の主が姿を現した。上森高校の制服を着た長い黒髪の少女である。
「おはよう、弘人! いつもありがとうね」
 いつも通り元気のいい、弾けるような声と笑顔を俺に向けてくる。そんな彼女に対して、俺もいつも通りに応じた。
「おはよう、久遠」
「いやー、弘人のおかげだよ、学校に遅刻しないで済んでいるのは。昔からありがとね」
「今更いいよ、そういうのは。早く行くぞ」
「別にそんな急ぐような時間でもないじゃん、せっかちなんだから」
 隣を歩くコイツ、鏡宮久遠(かがみや くおん)とは、思い起こせば随分と長い付き合いになる。
 何しろ幼稚園から今通っている高校まで全部同じ所なのだ。そういえば高確率で同じクラスだった気がする。腐れ縁という言い方もあるけど、幼馴染みと言えば少しは響きがいいだろう。
 俺は久遠と並んで鳥居を潜ると石段を下り、上森神社を後にする。そして、そのまま高校を目指していつもの通学路を歩いた。
「でもホントに弘人には感謝してるんだよ。最近はお父さんもお母さんも朝から忙しくて起こしてくれないからさ。何だか知らないけど平日の朝って苦手なんだよね。土日は結構ちゃんと起きられるんだけど」
「……どうせ夜に遅くまで起きてるからなんだろ? 身長伸びないぞ」
「遅くまで起きてるのは、まあ、そうなんだけどさ」
 ……やっぱりそうだったのか。
「だけど、ほらウチの神社って夏祭りやるじゃん? 毎年やってる『蛇神祭り(へびがみまつり)』。あれの準備で夏になると結構忙しいんだよね。町内会との打ち合わせとか、そういうやつ。まあ打ち合わせとかは私は関係ないんだけど、いろいろ練習したりとかあるからさ」
「そっか、もうそんな季節か」
「そんな季節なんだよ」
「ほんと、毎年大変だな」
 そう、久遠は上森神社の宮司の娘であり、上森神社の巫女を務めている。
 確かに普段の久遠が巫女としてやっていることといえば、休日にやる気なく社務所の番をしたりするぐらいで、忙しそうにしているようには見えない。
 だけど俺は知っている。
 毎年夏に行われる上森神社の夏祭りでは、彼女が紛れもない『主役』になるということを。
 正装である特別な巫女装束を身に纏った久遠が、上森神社の神楽殿での御神楽と祝詞の奉納を行うのだ。
 夏祭りの夜の闇の中、幻想的な光と熱を放つ松明の明かりに照らされ、一人神楽殿で舞う久遠の姿。俺はそれを、毎年見続けていた。
 それは、やはり何度見ても、息をのむような神々しさがあった。
 あの瞬間だけは、いつも隣で見ていた筈の久遠の姿が、どうしようもなく遠くにあるように感じてしまう。
「ねえ弘人、今年の蛇神祭りも来る?」
「まあ行くと思うぜ、特に予定も無いしな」
「ま、そうだろうね」
「……どういういみだ?」
「別に? 大した意味はないけど? だけど残念だね。せっかくの夏休みの夜に、一人で地元の神社の謎の儀式の見学なんて、青春の無駄遣いなんじゃないの?」
 久遠は絶妙に腹立たしい表情を作ってニヤニヤしながら、そんなことを言ってきた。
 いつものことだし適当に聞き流してもよかったのだが、言われっぱなしというのも何となく負けたような気がする。なので久しぶりに言い返してみることにした。
「そういうお前はどうなんだよ。どうしてもその謎の儀式をドタキャンして抜け出すような予定は無いのかよ? 青春の無駄遣いじゃないのか?」
 少しの間、無言で視線を合わせる時間が流れた。
 最初に根負けしたのは久遠の方だった。
「……やめようか、この話。なんだかんだ言って弘人が見に来てくれるなら、それなりに頑張ろうって気にはなれるし。そういう意味では、この腐れ縁にも感謝してるんだよ」
「……その感謝は素直に受け取ることにするよ。とりあえず今年も、十数年見慣れた顔の見慣れない姿を拝めるってことで、満足しておくさ」
「十数年来、か。……そうだ弘人、最初に蛇神祭りに来た時のこと覚えてる?」
 久遠が、ふとそんな質問を投げかけてきた。
 最初に行った蛇神祭り、か。
 そういえばどんなだったのだろう。おぼろげな記憶は少しばかり残っているけど……。
「……流石に昔過ぎて覚えてないかな。……だけど、確か、お前、あの頃から巫女服で御神楽やってなかったか? 小学一年生の頃だよな? 正直すごいと思ったよ。うん、そう思ったってことだけは覚えている」
 初めて見た時本当に驚いた。
 久遠とは、それこそ幼稚園に入る前から面識があった。
 追いかけっこをしたり、ボール遊びをしたり、おもちゃを奪い合ったり、ずっと一緒に遊んでいたから、久遠のことをよく知っていると思っていた。
 だけど、神楽殿に上がった久遠の姿は、それまでの俺が全く知らないものだった。
 久遠は少しの間、口を閉ざしていた。
 そして、何か感慨に耽るように言った。
「……へー、意外と覚えてるんだ」
「それがどうかしたのか?」
「別に? なんとなく気になっただけ。……お、ちーちゃんだ。おーい、ちーちゃん! おはよー! 神宮路ちーちゃん!」
 久遠が唐突に手を振り、大声でそう呼びかけた。
 俺たちの少し前を歩いていた人物が足を止めた。
 上森高校の制服に身を包んだ、すらりと背の伸びた育ちのよさそうな金髪の少女だ。
 彼女は溜息混じりにこちらへと振り返った。
「……おはようございます、鏡宮さん。それに剣田さんも」
「ああ、おはよう、神宮路さん」
「鏡宮さん、昔から言っていますわよね? 私の名前は神宮路千佳(じんぐうじ ちか)です。神宮路でも千佳でもお好きに呼んで構いませんが――」
「じゃあ『ちーちゃん』だね!」
 神宮路さんの言葉に対して、久遠は間髪入れずにそう返した。
 そんな久遠に対して、神宮路さんは何かを諦めたような表情でため息混じりに言った。
「確かにそう言いましたが、高校生にもなって『ちーちゃん』というあだ名は、いささか幼稚に過ぎるのではないかということですわ。剣田さんからも言ってくれませんか? 貴方も鏡宮さんとは長い付き合いなのでしょうに。それこそ、私よりも長いと思うのですが……」
「長い付き合いなのはそうですけど、だから無理と分かることもあるんですよ。俺が何か言ったくらいで久遠が簡単に変わると、神宮路さんは本当に思いますか? 俺と久遠のパワーバランス、神宮路さんだって知っているでしょ?」
「……思えませんわね。お二人のことは、それなり以上には知っておりますので」
「私もちーちゃんのことは良く知ってるよ。私達三人、確か小学一年生の時に同じクラスだったよね」
「ですから『ちーちゃん』はおやめなさいと、……まあ、いいですわ。それにしてもよく覚えていますわね。本当に、不思議な縁というのもあるものなのですわ」
「縁があるっていうのは良いことなんだよ。腐れ縁なのは私も否定しないけどね」
 久遠はそう言いながら神宮路さんの背後に回り込んだ。そして、神宮路さんの綺麗な金髪を、一切本人の断りなく指でいじりながら言った。
「でもホント、ちーちゃんの髪って綺麗な金髪だよね。初めて会ったときは外国の人だと思っちゃったよ」
 ちなみに神宮路さんのこの見事な金髪、驚くことに地毛である。それこそ、小学生時代から変わっていないので間違いない。
「不思議なものですわよね、両親も祖父母も、生まれも育ちも間違いなく日本の黒髪ですのに。いわゆる隔世遺伝というものですわね」
「昔の神宮路家当主が外国の人と結婚したからなんだっけ?」
「ええ、そうですわ。当時貿易商だった神宮路家当主が、商売の関係で知り合った西洋人の女性と結婚。それ以降、低い確率ではありますが、隔世遺伝によって西洋人のような外見の子供が生まれることがあると聞きましたわ。この金髪こそが、神宮路家台頭の足掛かりを作ったかつての当主が、世界を相手に戦っていたことの証、神宮路家の繁栄と栄光、その証明であり象徴なのですわ」
 この話は、以前にも聞いたことがある。
 神宮路さんの家が、単なる『豪邸に住んでいるお金持ち』である『だけに留まらない』理由の根幹は、多分そういった、歴史的ともいえる物事の積み重ねの先にあるのだろう。
 神宮路さんは更に続けた。
「確かに神宮路家は戦前、十三財閥の一つと呼ばれておりました。その本家には今でも力があるのは認めますわ。ですが『上森の神宮路』には、もう殆ど力なんて残っておりません」
 そんな神宮路さんの言葉を受けて、久遠が言った。
「でも家が大きいお屋敷なのは本当じゃん。弘人も覚えてるでしょ? 昔遊びに行ったちーちゃんの家が凄いお屋敷だったもん。すごいよねー。さすがちーちゃんの家って感じだったじゃん。私達庶民には縁のない世界だよ。弘人もそう思うでしょ?」
 久遠がこちらに振り向き、いきなり話を振ってきた。
 確かに昔、小学生の頃だったか、俺と久遠で神宮路さんの家に遊びに行ったことはある。
 お屋敷とか、豪邸とか、そういう言葉が似合うような、広くて綺麗な家だったことは良く覚えている。
「俺も遊びに行った時のことは覚えてるし、確かに縁のない世界だとはおもうぜ。……だけどな、ご先祖様が云々で言ったら、久遠だってあるだろ? 上森神社の巫女なんだし」
「いやー、ウチはそういう凄い話みたいなのは無いかな? 探したらあるかもしれないけど、あんまりそういう話って聞かないんだよね」
 そんなことをダラダラと話しながら、俺達は学校に向かった。
 信号のある横断歩道を渡って、政治家の顔写真ポスターが張られた壁を通り過ぎて坂を下る。
 いつも通りだった。
 いつもと同じ、十年近く続けてきた、ごくごくありふれた日常だ。

× × ×

 俺達の通う高校、『私立上森高校』での授業は、いつもと変わらずに進行していた。
 俺と久遠、そして神宮路さんが所属する一年六組の四限目の授業は日本史だった。
 教壇に立つのは初老の日本史教諭、国原栄治(くにはら えいじ)だ。
 国原先生は教室を見渡してから言った。
「来週から期末考査で、それが終われば皆は夏休みだ。この前テストの範囲とポイントになる部分の説明は一応したつもりだが、勉強の方は進んでいるかな?
 とは言っても試験範囲は一学期にやった範囲全てな訳だが、まあ、それほど意地の悪い問題を出すつもりはない。要点を抑えておけば大丈夫なはずだ。
 ――さて、四月の最初の授業から日本の歴史について順を追って解説してきた。
 奇妙な造形の土器が残された神秘の時代や、八岐大蛇や草薙の剣が登場し天照大神やスサノオノミコトといった神々が現れ、『日本』という国家の根本が形成された神話の時代、華やかな都の裏に熾烈な権力闘争と怪しげな呪術や悪鬼悪霊が跳梁跋扈する時代を経て、ついには武士の時代となった。
 だけど忘れてはいけないことは、歴史の授業で取り扱う内容というのは実際に起こった出来事の一部、しかも一側面に過ぎないということだ。
 戦いの勝者と敗者では、当然異なった形で歴史を語るし、大きな記録に残されていないような出来事も、当然過去の歴史の中では確かに存在している。
 そんな『歴史』の奥深さと面白さを皆にも知ってもらうために、夏休みの課題をひとつ設定しようと思う。
 内容としては、『身近な歴史の研究』だ。
 近所のお寺や神社、史跡、祠、道祖神、自宅の家計図、題材はとにかく何でもいいが、自分の身近にあるものの『歴史』について調査、研究してその成果を夏休み明けの最初の授業で提出してほしい。
 課題製作の方式や分量に関しては全て自由だし、もちろんこの課題をやるもやらないも自由だ。
 ただしこの課題は二学期の成績に大きく影響する。やらなければ絶対に成績で『五』をとることができなくなるし、逆にこの課題をがんばれば、この先のテストで多少失敗してもある程度補えるようになる。
 この夏休みの皆の研究、私は期待して待たせてもらうことにする」

× × ×

 ようやく午前中の授業が終わった。
 昼休みになった一年六組の教室で、購買で買ったパンを片手に持った久遠が、いつも通り俺の席に自分の椅子を引っ張ってやってきた。
「ねえ、弘人。さっきの授業で言ってた話なんだけどさ」
「話って、夏休みの課題のことか?」
 久遠は持ってきた自分の椅子に座り、パンを片手に頷きながら言った。
「そう。弘人はどうする? 何か調べてみたいこととかあるの?」
「そうだな……」
 日本史の授業で夏休みの課題として出すと言われた『身近な歴史の研究』。
 そんな事を唐突に言われても、これだけ自由度が広いと何について調べるかなんてすぐに決められるものでもない。
 宿題とはいえ、折角なら何か面白そうな事でやりたい。無難に行くなら自分の家についてとかか? いや、そんなに面白そうじゃないな。身近な題材だと他には、例えば学校の歴史とかもあるけど、……何だかシックリこないな。……神社の歴史とかなら、うん、なんか面白そうだな。
 神社の歴史でやるとして、どこの神社だ?
 確かに上森町には小さな神社とか、更に規模の小さい社は色々ある。だけど、そうだな、規模が大きめで、しかも関係者の話なんかも聞けそうで簡単に取材とかまでできそうな場所に、一つだけ心当たりがある。
「……例えば、上森神社について、とかかな」
 ちょっとした思い付きではあるけど、意外と悪くないんじゃないだろうか?
 ちょうどそこで巫女をやっている久遠がいる訳だし、無難な感じにまとめるのはそれなりに簡単にできそうな気がする。
 対する久遠の方はと言うと、珍しく神妙な顔つきで無言のまま何かを考えている様子だった。
 しばらくの時間が経ち意を決したように顔を上げると、彼女はいきなり立ち上がった。
 そして、思ったよりもよく通る大きめの声で言った。
「やろう、弘人! 上森神社の調査! 私と一緒に!」
 ――昼休みの教室のざわつきが、一瞬だけ止み、教室が静寂に包まれた。
 いきなり、声がデカすぎる。
 教室の静寂はわずかな間で、すぐにいつも通りに戻った。……たまにやるよな、この手の無駄に元気のいいリアクション。今となってはクラスメイトも慣れた感じだが。
 その微妙な空気を作った張本人である久遠はと言うと、やたらと目を輝かせた満面の笑みで俺を見下ろしていた。……すごいな、中々の胆力だ。そうそう真似できるモノじゃないぞ。
 まあそれよりも、久遠のいきなりの発言の内容、それ自体が気になった。
「……一緒にやろうって、上森神社についての調査を、俺とお前でやるって事か?」
「そういうこと。どう、中々の名案だと思わない? ……って言っても、神社そのものってすると多分漠然とするし、絞ってやるなら蛇神祭りについてって感じかな? ねえ、悪い話じゃないんじゃない?」
「蛇神祭りについて、か。まあ、そもそもお前から話を聞こうとしていた俺にとっちゃ、特に断る理由がないぐらいにうれしい話だけど、……いきなりどうしたんだ?」
 久遠は立ったままで手にしていたパンを食べる。そして一息置いて俺の疑問に答えた。彼女の表情は、いつもよりも少しばかり真剣な物だった。
「実を言うと、昔から気になっていたんだよね。上森神社がどうして『蛇神』を祀っているのか、この祭りにはいったいどんな意味があるのか、そもそも蛇神っていったいどんな神様なのか……。いつかは調べてみたかったから、ちょうどチャンスだと思ってさ。それに、多分一人でやったら限界がありそうだけど、弘人と一緒にやるんだったら、色々出来る事が増えると思うんだよね」
「一緒にやるのはいいんだけどさ、そもそもお前の親に聞いたらその辺って一発で分かるんじゃないのか?」
 何しろ鏡宮家は上森神社の宮司なのだ。
 上森神社について一番詳しく知っているのが彼らだという考えは、誰だって当然のように思いいたるものだろう。
 そんなことを考えながら発した俺の言葉に対して、久遠は首を横に振りながら答えた。
「ウチは確かに上森神社の宮司なんだけど、それってそもそも父さんの代からなのよね」
「……そういえば前にそんなこと言ってたっけ? お父さんが引っ越してきて上森神社を引き継いだとかって話」
 ……そうだった。
 そういえば確かそんな話を、結構昔に久遠から聞いたことがあったような気がする。
「そうだよ。確かに上森神社は父さんが宮司をやってるし、私自身も巫女の役割を務めることもある。だけど、鏡宮家が上森神社にやって来たのは父さんの代からなのよね。先代の宮司が行方不明になったとかで、その遠縁である父さんが上森町の役場から呼ばれて宮司になったの」
「……先代宮司、行方不明になってたのか。そこまでは知らなかった」
 これについては本当に初耳だった。
 覚えてる限り、そんな話は噂話ですら聞いたことは無い。
 とはいえ、他ならない上森神社の宮司の娘である久遠が言っているのだし、先代神主の失踪というのは事実なのだろう。
「まあ、多分話したのは初めてだと思うよ。実際、私もその辺のことを知ったのは最近になってからだし」
「その失踪した先代宮司って、結局その後見つからなかったのか?」
「みたいだね。ずっと行方不明のまま何十年も経過して、宮司の役目は鏡宮家が引き継いだって感じみたい。もしかしたら昔の地元紙とかに、何か載ってるかもしれないけど、今更私がそんなこと調べたって、どうにかなるわけじゃないと思うんだよね」
 ……なるほど。
 そんなことがあったのか。
「後は、上森神社の氏神様、蛇神も中々珍しいっていうか、少し変わった神様でね。蛇って確かに神聖の象徴だったりとか畏怖になることは多いんだけど、氏神として祀ってるところは結構珍しいみたいなのよね。ましてやそれが『良い神様』みたいな扱いになってるところって、あんまりないんじゃないかな?」
「確かに、言われてみれば言い伝えとか神話とか、そういうので蛇が『良い物』として出てくるのはあんまり聞いたことがないような気がするな」
 すぐに思いつく蛇モチーフと言えば楽園追放の蛇とか、ギリシャ神話のメドゥーサとか、それこそ日本神話の八岐大蛇とかか。この辺りは『良い物』としての扱いとは程遠いだろう。
 頷く俺に対して、久遠はどこか勝ち誇ったような表情を見せながら言った。
「でしょ? だけど上森神社ではそんな蛇を蛇神として祀ってるし、それを『良い神様』として扱っている。そんな珍しい蛇神はいったいどんな神様なのか? そんな神様を祀っている上森神社はいつどんな風にして出来たのか? そんな世にも珍しい不思議神社である上森神社の夏祭りである蛇神祭りには、いったいどんな意味が込められているのか? ……解き明かしてみたいと思わない? 私達の手で」
 久遠は、ずいっ、と体をこちらに寄せつつ、俺の手を握りながらそう言った。
 ……やめろ、顔が近い。
 確かにその話しぶりからは、久遠が本気で上森神社について調べようとしていることは分かる。別に俺だって全く興味がないわけじゃない。
 だけど、だ。
「……所詮は高校の夏休みの宿題だろ? そこまでやるか?」
「なによー、往生際が悪いわね。どうせ夏休みの予定が無いのは、朝の時点でバレてるんだからね」
 久遠は頬を膨らませながら、握った俺の手をぶんぶん振ってそう言った。
 まあ、そのことを否定するつもりは微塵もない。
 そんなことよりも、久遠がこんな提案を持ち出してきた理由の真意が気になるのだ。
「……日本史の課題とか、神秘の探求とか言っても、本音はそこじゃないんだろ?」
「何のことかしら?」
「俺を神社に連れてって、夏祭りの準備を手伝わせるのが目的だろ?」
 久遠の動きが止まった。
 それと同時に、露骨に視線を逸らした。
 数秒の沈黙。
 その後久遠は絶妙な棒読みで返答した。
「……サ、サア、イッタイナンノコトカシラ?」
「……」
「……」
 なるほど、図星だったのか。
 まあ、大体そんなところだろうというのは予想できていた。
 伊達に幼馴染というわけではない。
 久遠は溜息をつき、どこか観念したような口調で言った。
「……そうよ。蛇神祭りの準備で色々と力仕事があるから、そこを弘人に協力してほしいの。もちろん上森神社について詳しく調べたいっていうのも本当だけどね。……改めて、協力してほしいんだけど良いかな?」
 さて、どうしようか。
 事の発端を言うなら、言いだしたのは俺なのだ。
 それを踏まえれば、実のところ断る理由は特にない。
 それに正直、面白そうだと思っている自分がいるのは事実だ。上森神社に奇妙な謎があるというのは事実みたいだし、その謎を解くというのならそれはとても面白そうだ。
「……分かったよ。神社の謎は俺たち二人で協力して調べる。俺は夏祭りの準備に協力する。オールオッケーだ。幼馴染みの我儘くらいは聞いてやるよ」
 それに、これで課題がどうにかできるなら、まあ、そこまで悪い話じゃないような気もする。
 腐れ縁だって縁のうちだ。
 幼馴染の面倒なワガママに付き合うのも悪くない。
 対する久遠は、再び俺の手を取ってブンブン振りながら笑顔で言った。
「いやー、悪いねー、ありがとう、ありがとう、助かるわ。持つべきものは友人、腐れ縁の幼馴染み、ご近所さんのお人好し男子」
「……でもまあ、それよりも先にまずは期末テストだな」
「……ですよねー。でもまあ、最悪日本史は点数悪くても、夏休みの提出課題の完成度で最終的な巻き返しも可能だし」
「どんな超大作に仕上げるつもりだよ」
「文系大学に問答無用で推薦入学できるぐらいのヤツとか?」
 それはヤバいな。
 そんなことが出来るなら本気出すしかない。

× × ×

 そして今日の授業が終わり放課後、俺は久遠と一緒に職員室に向かった。
 国原先生に、日本史の夏休みの課題を二人で協力してやってもいいか、という質問をしに行くためだ。
 職員室の前まで来ると、俺が代表して扉をノックし言った。
「失礼します、国原先生いらっしゃいますか?」
 少しすると、中ほどの席から声が返ってきた。
「少し待ってくれ、今行く」
 テスト一週間前の期間は生徒が職員室に入れないというルールがある。
 それに従って俺達が職員室の前で待っていると、国原先生が来てくれた。
「おお、剣田君、それに鏡宮君も一緒じゃないか。一体どうしたんだ?」
 国原先生の質問に、まずは俺が応じた。
「実は授業の時に言っていた夏休みの宿題の件で質問がありまして」
 俺の言葉に続き、発案者である久遠が前に出てきていった。
「あれって、協力してやったりとかしても大丈夫ですか?」
「ふむ、協力と言うと?」
「私と弘人の二人で協力して資料集めと、纏め、考察をやって、一つの内容として作成して提出しようと考えているんです。いいでしょうか?」
「……なるほど、中々面白そうだ。良いだろう、提出時は連名で一つにすれば良い。但し、内容についての評価は、一人でやった者よりも厳しく行う。どうだい?」
 その問いかけに対し、真っ先に答えたのは久遠だった。
「分かりました! ありがとうございます、やってみます!」
 ……俺の意見は関係なく即答か。
 評価は厳しめにつけるって言ってるけど、どうやら久遠にはそんなこと関係なしのようだ。こうなったら乗り掛かった舟、久遠の思い付きにとことん付き合ってやろうじゃないか。
「ありがとうございました、失礼します」
 俺からもお礼を言い、二人で職員室の前を後にした。
「よしよし、これで国原先生の許可も出た。夏休みは堂々と調査ができるね」
「やけに嬉しそうだな」
「嬉しいよ、実際。だって楽しみだもん。確かに面倒な課題なのは認めるよ、間違いなくめんどくさい課題だ。でもさ、楽しいじゃん、分からないことを調べて、それで分かるようになるのって」
「まあ、俺もその気持ちが分からないわけじゃないが、でも少し意外だったな。久遠がそこまで真面目……、いや、違うな、調査とか研究みたいなことに興味があるっていうのは」
 久遠が足を止めた。
 そして、何やら不敵な笑みと共に言った。
「ふふふふふ、幼馴染の意外な一面、思い知ったか!」
「ああ、本当に意外だよ。小六の時の自由研究なんて雑誌についてた紙飛行機を何個か作って、「一番よく飛ぶ紙飛行機がどれなのか調べました」とかやってたんだから」
「いやー、あれは楽しかった」
「神社の木に引っかかったのを取りに行ったのは俺だったけどな」
 そんなことを話しながら廊下を歩いていると、向こうから見慣れない人物が歩いてきた。
 若い女性だった。服装は制服ではなく飾り気のないワイシャツである。見たところ上森高校の生徒ではなさそうだ。それに、そもそも首から入館証をかけているので外部の人なのは間違いなさそうだ。年齢までは分からないけど、多分大学生くらいじゃないだろうか? 長い癖毛と大きな丸眼鏡、何よりその奥にある強い眼光がとても印象的だった。上森高校の卒業生、とかなのだろうか?
 周囲を見渡しながら歩いていたその人物が、俺達のところにやってきた。
「あー、君達、少し良いかな?」
 彼女の問いかけには俺が答えた。
「どうかしましたか?」
「職員室はこの先で良いのかな? この高校で日本史を教えている、国原栄治という人物に会いに来たんだが、何しろ初めて来る場所なものでね」
 ……と、いうことは卒業生じゃなさそうだ。だけど、国原先生に用事となると一体何だろう?
 とはいえ、入館証もつけていることだし、怪しい人物では無さそうだ。
「はい、職員室はこの先ですよ。国原先生もいるはずです」
「おお、そうか。いやー、すまなかったね、助かったよ、ありがとう」
 彼女はそう言うと、まっすぐ職員室の方に向かっていった。
 ふと隣を見ると、久遠が何かに悩んでいるような表情をしていた。
「久遠、どうしたんだ?」
 久遠は、少しばかり真面目な表情で思案していた。
「あの人、どこかで見たことあるような気がするんだけど……、うーん、流石に気のせいかな」
「神社の参拝客とかは?」
 久遠は普段の休日に上森神社で番をしている。当然何人もの参拝客の顔を見ているわけだし、その過去に来た参拝客の中にあの人がいたのだとしても不思議じゃない。
 久遠も納得出来たのか、頷きながら言った。
「あー、そういうのはあるかもね。確かにいちいち覚えたりはしてないから、うん、多分、そんなのかもしれない」

× × ×

 俺と久遠はそのまま帰るために下駄箱に向かった。
 それにしても、一階の廊下は外から来た人に向けてという意味もあるのか、色々な物が置かれている。
 上森高校についてのパンフレットはもちろん、図書館や民俗資料館の案内冊子、学校のイベント告知、歴代の賞状やトロフィー、授業風景を写した写真など様々だ。
 少し変わったところでは、学校建築時に出土したという土器の現物なんて物もある。
 校舎内はすっかり静かになっていた。そもそもテスト前期間な訳だし、残っている生徒なんて自分達以外にはいないと思っていた。
 だけど、一人いた。
「神宮路さん、どうしたんですか? こんな時間まで」
「あら、剣田さんに鏡宮さん。私はクラス委員長の仕事が残っておりましたので。貴方達こそ、もうとっくに帰ったものと思っておりましたのに。何かありましたの?」
「お疲れ、ちーちゃん。まあ、ちょっとね。折角だし一緒に帰ろうよ。そこで話すからさ」
「ええ、よろしいわ。行きましょう」
 そんな訳で、俺達三人で一緒に下校することになった。
 神宮路さんはクラス委員長をやっていて、掃除の完了確認や日誌の記録、その他諸々の雑事をこなしていた。結構忙しいらしく、昼休みも教室にいないことが殆どだ。
……そういえば今日もいなかったな。
「だけど、やっぱり神宮路さんは器が違うな。流石は神宮路家のご令嬢だ」
「お褒めに預かったと思えば光栄ですわ。財閥解体の憂き目にあったといえど、神宮路家の名を背負う以上は、この程度、造作もなくこなして見せるというものですわ」
「いやいや、ちーちゃん。実際のところクラス委員長って誰もやりたがらない実際雑用係みたいなもので、何か強力な発言権があるみたいなものじゃないからね? そういう意味では旧財閥令嬢らしい仕事とかじゃないからね?」
 そんな久遠の言葉を受けた神宮路さんは、どこか芝居がかった不敵な笑みを浮かべると、久遠の方に向き直って言った。
「ふふ、甘いですわね、鏡宮さん。財閥の本質は人脈。クラス委員長の責務を完璧に全うすることで先生方の評価を高め、この学校の生徒として一定以上の存在感を示すことは、先生方に対する大きな影響力を持つための、大いなる布石ということなのですわ。その意味するところ、お判りになれまして?」
「ち、ちーちゃんにそんな壮大な計画があったなんで! どうしよう弘人、このままじゃ上森高校は、いずれちーちゃんの力によって支配されてしまうよ!」
「いや、どうしようとか俺に言われても」
 というか、そもそも一年生のクラス委員長が学校全体を支配するという話そのものに、随分な無理があると思うんだが。
 ……まあ、この辺はいつものやり取りだ。深く考える必要は特にない。
 久遠は、そんな適当な反応をした俺の背中を叩きながら言う。
「なんだよー、もっと他にリアクションの仕方があるだろー。……まあ、それはいいや、そんなことよりもちーちゃん、さっき言ってた事なんだけどさ」
「……色々ありましたけど、どれの事を仰っているのかしら?」
「私と久遠が残ってた件の事。今日の日本史の授業で国原先生が夏休みの課題出すって言ってたじゃん、身近な歴史についての研究とかってやつ。あれを、弘人と一緒に協力してやろうと思って、それの許可をもらいに行ってたの。聞いてみたらやって良いって言ってくれたんだけど、ちーちゃんも良かったら一緒に協力してくれたりする? 上森神社について調べてみようと思ってるんだけど」
「なるほど、そういうことだったのですね。中々面白そうだと思いますわ。……でも、ごめんなさいね。私も実は個人的に調べてみたいことがありまして、課題はそれでやろうと決めていますの」
 そうだったのか。
 しかし、授業中にあの課題の話が出てから、それをすでにきちんと決めているあたり流石神宮路さんといった感じである。いや、確かに久遠も決めてはいたんだけど、久遠の場合は、どうもその場の勢いで動いているような感じがしてしまう。
 久遠の方も神宮路さんの回答は少しばかり残念だったようだ。
「そうだったんだ、せっかくならこの三人で、って思ってたんだけどな。まあいいや、因みに何についてなの?」
「簡単に言えば、神宮路家の歴史について、ですわ。解体された旧財閥ではありますが、その影響力が今でも残っていることは、わたくし自身理解しておりますわ。けれども、財閥を形成するに至った理由や、その過程、あるいは現在でも『上森の神宮路』が上森町を中心にその影響力を残している根っこの部分の理由について、自分なりに詳しく調べてみたいと前々から思っていたのですよ」
 そう、神宮路さんの家は『ただのお金持ち』ではない。
 神宮路家は戦前、貿易商を中心とした財閥であり、かつては国家の大動脈とすらも言われていた。その人脈と政財界に対する影響力はかなりのモノだったらしく、戦後の財閥解体を経た今でも、一定以上の影響力を持ち続けている。
 外様と言われる『上森の神宮路』でも力は間違いなく持っている。特に、こと上森町という狭い領域の話なら、今でも何らかの力を行使できる程度の発言力があるのは間違いない。
 そんな家の歴史となれば、中々に興味がある。
 久遠も俺と同じようなことを思ったのか、目を閉じて頷きながら神宮路さんの言葉に応じた。
「確かにそれは、ちーちゃんにしか出来ないことだ。うまく完成させられたらぜひ読んでみたいな。……けどさ、ちーちゃん。これって私の勝手なイメージだったんだけど、そういうのって小さい時から親に教えられていたりとかするものじゃないの? 特にちーちゃんみたいな家って」
 対する神宮路さんはやや苦笑交じりで応じた。
「そんなこともないのですわ。そもそも上森における神宮路家の家督を継ぐのは私の兄であると決まってしまっていますから、わざわざ私にそんな一族の深い事情を知らせる必要もありませんしね。それに今の歳で『一族の秘密』のようなものに触れようと思えば、それは結局自分で調べるしかないということですわ」
「へー、そういうもんなんだ」
「とはいえ、上森町とは縁もゆかりも深い神宮路家。調べていけばどこかで上森神社に関するような情報も出てくると思いますわ。その時は、すぐにお二人に教えて差し上げますね」
「だったら一応、俺のパソコンの方のアドレスも教えておくよ。久遠のやつは、昔教えてもらってたやつから変わってる?」
「え、いつのやつだろ、ちょっと見せて」
 そんなこんなで、俺達の夏休みの予定は決定した。

第二話 夏休みが始まり、俺は調査を開始する。

 期末テストは、どうにか乗り切ることが出来た。
 点数については、……まあ、多くは語るまい。
 兎にも角にも、そんな感じの点数の記されたいくつもの答案用紙が返却され、金曜日の終業式を経ていよいよ下校となった。
「ねえ二人とも、折角だから寄り道してこうよ」
「寄り道って、一体どこだ?」
「上森公園。通り道って訳じゃないけど、真逆って訳でも無いよ」
「私は構いませんわ。特に差し迫った用事があるわけでもありませんですし」
 神宮路さんのその答えを聞いた久遠は「よし、行こう!」と言い、上森公園の方に向けて歩き始めた。
「待て久遠、俺は行くなんて一言も言ってないぞ」
 久遠が足を止めた。そして振り返り大股で距離を詰めてくると、少し背伸びして俺のワイシャツの襟元を掴み、引き寄せて顔を無理やり近づけ言った。
「おやおや我が幼馴染よ、美少女二人で両手に花だというのに、これ以上何を求めるんだい?」
 美少女を自称するのはセーラー戦士くらいだ、とは、まあ、ここではあえて言うまい。
「オッケーオッケー、文句はないしこれ以上は何も求めない。まさに男子高校生の本懐だ」
「大変よろしい。では気を取り直して向かうとしよう」
 ……そんな訳で俺と久遠、そして神宮路さんの三人で上森公園に寄っていくことになった。理由? まあ、とくには無いだろう。久遠は結構思い付きでこういうことを言いだす。
 思い返せば俺達三人は、小学校も中学校も同じだった。そして、別に示し合わせたわけでもないのに高校も同じになった。頭の出来が似たり寄ったりの俺と久遠はともかく、神宮路さんに関してはもっと上の高校でもおかしくないのだが、彼女もどういう訳か上森高校に入った。
 そのことについて少し前に聞いたことがあったが、「色々あるのですわ」とだけ返され、その『色々』の中身は結局分からなかった。まあ、本人がそう言うなら何か色々あるのだろう。
 そんなこんなで真昼の夏空の下を、ダラダラと歩くこと大体十五分くらい。
 ついに目的地の上森公園に到着した。
 久遠はいきなり公園内にある運動広場まで駆けていき、そして叫んだ。
「いよいよ夏休みだー!」
「……相変わらず元気ですわね」
「まあ、そこまで嬉しいかっていうと、正直微妙な部分はあるんだよね。ほとんど神社に貼り付けになっちゃうわけだし」
 久遠はそんなことを言いながら、再びこちらに戻ってきた。相変わらず忙しい奴だ。
「改めて、そう考えると大変なものなのですね、上森神社の巫女というのも」
「そうなんだよ、ちーちゃん。私の苦労、分かってくれるんだね、うん、それだけで私は嬉しいよ」
「『ちーちゃん』呼びは諦めますが、抱き着くのはやめて戴けませんか? 暑苦しいです、七月なんですよ? 今の気温何度あると思っていらっしゃるのですか!?」
 ……ああ、いつも通りだ。
 テスト、終わり。
 授業、終わり。
 夏休み、始まりだ。
 一方的に久遠が絡んで騒いでいる二人を遠目に見ながら、公園の様子を見渡す。昔は何度も来ていた遊び場だったけど、最近は全くと言っていいほど来ていなかった。
 入り口の近くにはトイレや水飲み場があり、その隣に比較的綺麗な弁天社が建てられている。そういえば昔久遠から、弁天様は水との関係が深いとかって話を聞いたことがあった気がする。そう考えると、あの場所に弁天社があるのも納得が出来るような気がする。
 水と言えば、上森公園には小さな池がある。
 池は公園の端の方にあり、水は濁っていて相変わらず中に何がいるのかまるで分らない。そんな池の中央には、綺麗な赤い鳥居が建てられている。上森公園の中では印象に残る不思議な場所だ。近くにあった小さな石碑によれば、鳥居が造られたのは今から一七年前とのことで、比較的新しいようだ。
 今久遠と神宮路さんがいる場所は、公園の中央にある比較的広い円形の運動場だ。小学生の頃は何人か集まって、そこでボール遊びをしたりしていた。
 運動場の先にはベンチや砂場、鉄棒などの遊具と一緒に、通称『上森ピラミッド』と呼ばれている物がある。
 それは大きな石を積み上げられた台のような場所で、高さは十メートル近くある。頂上には畳二畳分ほどのスペースがあり、そこから上森公園の様子を一望できる。その形から『上森ピラミッド』と呼ばれているけど、流石にエジプトのピラミッドとかみたいな考古学的遺跡ではない。前に神宮路さんから聞いたのだ。どうやらこの上森ピラミッドは、神宮路家傘下の建築会社が主導で、俺達が産まれる少し前位に造ったらしい。
 再び運動場の方に視線を戻すと、一通りはしゃいで満足したのか笑顔な久遠と、疲れた表情の神宮路さんがこちらに向かって歩いて来ていた。
「いやー、楽しかった。公園で走り回るなんて何年ぶりだろう」
「確かに普通の高校生は、特に理由もなく公園で走り回ったりはしないな」
「何を言ってるんだい、失礼な。夏休みが始まる解放感は立派な理由だよ」
 確かに理由はあったが、それは立派とは言い難い。
 ……そんなことを言おうか言わないか少し悩んでいると、久遠が更に続けて言った。
「じゃあ弘人、私達の夏休みの日本史の課題のタイトルは『上森神社と蛇神祭りについての調査』ということで、しっかり進めておいてよ」
「分かってるよ。久遠の方こそちゃんとやれよ? そもそもお前が言い出しっぺなんだから」
「当然よ。あ、何かあったらウチの神社に来てね。多分社務所にいると思うから」
 久遠がそう言う後ろで、しゃがみこんだ神宮路さんが「……鏡宮さん、いつもながら何のつもりですの? そしてこんな熱いというのにどうしてそんなに元気なんですの?」と小さく呟いていた。
「……お疲れ様です、神宮路さん」
 神宮路さんが顔を上げて立ち上がり言った。
「大丈夫です、慣れていますわ。それはともかく、日本史の課題についてですけど、私はお二人に直接的な協力はできませんが、何か関係してそうな情報を見つけたらすぐにお伝えしますわね」
 何とも心強い限りだ。
 しかし上森神社と蛇神祭りについて、か。
「そういえば上森公園って、蛇神祭りの御神輿の折り返し場所だったよな」
「そーだよ。ここで一時休憩したら、神社に戻ってくる感じだね。まあ、私は御神輿の方は参加したことないんだけどね。その時は本殿で祝詞あげたりとかあるから」
「そういう理由があったのは今初めて知ったよ。本当に忙しいんだな。神宮路さんも確か御神輿に参加したことありましたよね?」
「ええ、よく覚えていますわね。小学生の頃に一度だけですけど。それにしてもこの辺りは小さな祠やお地蔵様が多くありますのね。普段であればそれほど意識はしませんけど、探してみると驚くほど見つけられますわ」
 神宮路さんの言うとおりだ。
 何しろこの公園の中だけでも池の鳥居やら弁天社がある。
「確かにそうだな。そういえば学校にもなかったっけ?」
「下駄箱の近くに飾ってある土器ですか? 学校を建てる時の工事で出て来たそうですけど祠やお地蔵様のような信仰に関係するような物かと言われると少し違うような気もしますが」
「いや、そっちじゃなくて校庭の謎の石碑の方。うちの学校の七不思議だとかなんだとか」
 これに対して久遠が驚いたような声を上げた。
「え、あの変な石碑って昔の美術部とかが作って置いてったものじゃなかったの?」
「俺もそう思ってたんだけどな、どうやら出自が不明らしくて、それこそ校舎建てる時に出てきた物だって噂もある」
「そうなんだ、全然知らなかった。だけど上森神社の謎も相当深いよ。果たして解き明かせるかな?」
「何故お前が得意顔なんだよ、お前も一緒にその謎に挑むんだろうが」
 蝉の大合唱と、どこまでも青い空。
 容赦なく照り付ける日差しを受けて汗が滲んでくるが、決して悪い気分じゃない。
 ついに、俺達の夏休みが始まった。

× × ×

 夏休みが始まり最初の土曜日。俺は上森神社の歴史や、蛇神祭り、上森神社に祀られている神様である『蛇神』、そして上森神社の先代神主失踪について、自宅のパソコンを使って調べてみることにした。
 地元の公立図書館や民俗資料館で調べるのも良さそうだけど、まずは一番手軽な方法を試してみようという訳だ。
 ネットの海に散らばる諸々の情報を集めて分かった、上森神社の歴史。
 最初に分かった重要なこと。それは、上森神社はかつて別の名前だったという事だ。
 まず、室町時代の頃に大規模な工事が行われ、現在の場所に社殿を構える『蛇神神社』というものが建てられたようだ。
 更に言えば、そもそも蛇神神社が出来る前から今の上森町の辺りでは『蛇神』と呼ばれる存在に対する信仰が存在したようなのだ。そして明治時代の頃になると、周辺村落で信仰されていた稲荷神社や水神神社を一緒に祀るようになったようだ。そういった経緯もあってなのか改修時に社名が『上森神社』へと改称されたらしい。
 次はそこで行われている夏祭り『蛇神祭り』について。
 これも関しては当日の詳しいタイムスケジュールを知ることが出来た。
 蛇神祭りは毎年八月の第一日曜日に、一日を通して行われている。
 儀式としての蛇神祭りというのは午前六時に本殿で祝詞を上げるところから始まる。
 祝詞を唱え終えると、『イベントとしての蛇神祭り』の関係者が上森神社に集められるようだ。
 八時半頃から神輿担ぎの参加希望者の受付が開始され、午前九時になると上森神社から、集まった参加希望者に担がれた神輿が出発する。
 町中を練り歩いた神輿は、午前十時頃に折り返し地点である『上森公園』の広場に到着する。そこで小休止をした後に、今度は引き返して上森神社を目指すそうだ。そういえば小学生の頃、何回か子の神輿に参加したことがあった。上森公園での小休止の時には、お菓子とかジュースとかが貰えたような気がする。
 神輿が上森神社に帰ってくるのは十二時頃。その頃から祭りは本格的な賑わいを見せ始める。
 神社の境内やその周辺、それから少し先の商店街まで色んなところに出店が出て、毎年結構にぎやかな雰囲気になっている。
 午後七時になると、本殿で祝詞をあげた後に、巫女が神楽殿で御神楽を舞う。この神楽殿で御神楽を舞う巫女というのが、他でもない上森神社の巫女、鏡宮久遠だ。
 神楽殿は境内に設置された松明で照らされ、祝詞を上げるところから一時間ぐらいかけてこの儀式は行われる。
 そして午後八時頃、上森神社で行う蛇神祭りが終了する。
 更に近年では、この後上森公園にて町内会主催の花火大会が行われるようになったとのことだ。ネットで調べて出てくる蛇神祭りについての情報はこの位までで、起源などについては詳しい情報が見当たらなかった。
 続いて上森神社に祀られている神様、蛇神についてだ。
 そもそも日本の蛇に対する信仰はとても古いらしく、縄文時代には既に蛇を神聖な存在として祀る独自の風習があったようだ。
 そのせいか、蛇を象徴する物は結構な数があるみたいだ。例えば鏡、剣、鏡餅、など様々だ。
 ともかく、蛇はその生命力や脱皮という特性からくる神秘性、それに加えて相手を一撃で殺す毒など、確かに不思議な魅力の多い生き物だ。
 それらの特徴の相乗効果によって高められた神秘性は、やがて蛇を祖先神まで高めていったのだという。
 だけど、蛇が常に神聖視されて敬われていたのかというと、そういうわけでもないようだ。
 どうやら歴史が進んでいくにつれて、畏敬とは別に強度の嫌悪が含まれるようになっていったようなのだ。
 その結果生まれた畏敬と嫌悪の二要素によって、蛇信仰は直接的な蛇そのものに対するそれまでの信仰から、象徴としての蛇を信仰するという形に変化していったらしい。
 蛇、という存在に対する信仰というのは大体こんな感じみたいだ。
 ただ、どうにも肝心の上森神社の氏神である蛇神については、具体的な情報には辿り着けなかった。
 最後に、ついでに調べた上森神社の先代神主失踪について。
 小さな神社の神主が行方不明になったという、ただそれだけの話だ。大した事件ではないと思うけど、未だにその神主は見つかっていないらしいし、少し引っかかるのは間違いない。
 ……と思っていたのだが、少し調べた限りでは、これに関係ありそうな情報は何一つとして見つけることが出来なかった。
 失踪事件があってから久遠のお父さんが後任になったという話だったので、結構昔の事件なのは間違いない。
 そもそも全国的に知れ渡るような事件という事も無さそうだし、これだけ古い小さな事件についてネットで調べるというのは、流石に無茶だったようだ。
 それでもまあ試しに、しばらくの間上森町で起こった事件について、色々とキーワードを変えて調べながらネットを放浪していると、……これは上森神社の先代神主失踪とは無関係なことだけど、上森町を舞台としていると思しき都市伝説が、大きく分けて二種類存在していることが分かった。
 一つ目は、俗に『さまようゾンビ』の名前で呼ばれている都市伝説だ。
 これは、夜に池の近くを歩いている水死体を見た、というものだ。
 流石都市伝説と言った感じで様々に脚色して語られている。だけど、それらに共通して語られている部分と、噂が流れ始めた時期から推測できることが幾つかある。
 それは、この『さまようゾンビ』という事件が発生したのは今から二十年近くの事だろう、ということ。そして、この都市伝説の元となった何らかの事件があるということだ。
 確かに見間違いや出まかせを真っ先に疑いたくなる内容の都市伝説ではある。だけど、同様の証言がいくつも存在しているのは間違いない。噂の起点になる話が複数存在して、その上で『さまようゾンビ』という一つの形態の話に変化しているという事は、複数の人間が一つの事象についてそれぞれの主観で証言している証拠だと思う。
 ……一つ引っかかる部分があるとすれば、地元の都市伝説のはずなのに、俺自身がこの話をまるで聞いたことがない、ということだろうか。でもまあ、都市伝説や噂話なんて案外そんなものなのかもしれない。
 二つ目に上森町周辺の都市伝説として語られている物は、主に『白い仮面の怪人』の通り名で呼ばれる、白い仮面をつけた黒衣の怪人物の目撃証言だ。
 この怪人物は神森町周辺で目撃談のある存在だ。尋常ではない身体能力だった、いきなり背後に現れて警告を発した、抜身のナイフを持っていた等々、目撃者の証言として様々な特徴が挙げられていた。
 どうやら、上森町に封印された巨大な秘密を守っている存在とのことだという事が、まことしやかに囁かれている。
 ……まあ、この『白い仮面の怪人』については、かなりの誇張があると考えて良いだろう。その一方で、これだけの目撃報告があるという事は、上森町で何らかの奇妙な人物が幾度となく出現していること自体は事実と考えていいのかもしれない。

× × ×

 さらに詳しい情報を求めて、俺は翌日の日曜日になると地元の図書館に向かった。
 目指す場所は家から歩いて一五分位の場所にある町立図書館で、駅の近くにあるビルの二階に入っている。
 そういえば、ここに来るのも久しぶりか。中学の頃は、よくラノベとかを借りるために来ていたけど、高校生になってからは一度も行っていなかった。
 ともかく、今日の目的は夏休みの課題のための調べものだ。
 階段を登って自販機と長椅子の置かれた廊下を通り、冷房の効いた館内に入る。
 ……さて、始めるか。
 まずは、上森神社について調べてみることにした。
 蛇神祭りの開催が近い影響なのか、入り口近くの目立つ場所に上森神社関連を中心にした昔の上森町に関連するような資料のまとめられているコーナーが出来ていた。
 とりあえず、詳しいことの書いてありそうな資料をいくつか手に取り、机と椅子の置かれた閲覧室に向かった。
 だけど、正直期待外れの結果だった。
 蛇神祭り関連の情報が、昨日ネットで調べて出てきた以上のことが無かったのだ。
 強いて新しい情報と言えば、蛇神祭りの開催スケジュールの変遷についてか。
 蛇神祭りは現在、毎年八月一週目の日曜日に行われている。だけどこの資料によると、昔はもっと厳密に日程が決められていたらしい。しかし、祭りが『宗教的な儀式』ではなく『地域振興のイベント』という側面が強くなっていった近年に、こうした日程の調整が行われたとのことだった。
 確かに今では祝日なども本来の意味のある日付ではなく、休日として位置を調整された形になっているし、これも祭りの『地域振興のイベント』としての側面が強くなっていった結果なのだろう。
 他に蛇神祭りで言うと、例えば、江戸時代中期ごろにこの地を訪れた行商人の日記に『上森の地で古くからの伝統として行われている祭事とのことだ』と記されていたという記述を見つけることが出来た。
 じゃあ、そもそもの信仰対象である蛇神ってどんな神様なのかという事になるが、これについては思った以上に情報が少ない。
 災害や争いを退け、人々に知恵を授けてくれる大きな白蛇、くらいの説明しか見つけられなかった。
 蛇と言えば、上森町に関する民間伝承をいくつか見ていく中で、少し気になる地名のような物が何度か出てきた。
 それは『蛇塚』と呼ばれるものだ。
 重要な聖域として度々登場し、どうやら蛇神と深い関係があるようだ。
 だけど、今回調べた限りではそれがどこにあるのかまでは特定出来なかった。俺自身蛇塚と呼ばれる場所については、まるで聞き覚えが無い。間違いなく重要な場所のはずなので、何とか調べていきたいところだ。
 ……とはいえ、特設コーナーにある資料だとこのぐらいの情報が限界か。
 何はともあれ、まずは上森神社の歴史についての、もっと細かい部分まで調べたい。
 今度は図書館の奥の方にある郷土資料が置かれている書架に行ってみることにした。
 そして、書架から見える背表紙を見た時点で確信できた。この場所に置かれている郷土資料は、かなり専門性が強い。
 その中に、上森神社という場所が、とてつもない昔からの聖地だという可能性をにおわせる情報が出てきた。上森町で行われた遺跡発掘調査の報告書だ。
 これによれば、上森町では縄文時代の土偶が大量に出てきているらしく、今でも発掘調査を続けている場所がいくつかあるようなのだ。そして、その場所は上森神社周辺に集中しているようだった。
 出土するのは道具としての土器ではなく、宗教行事等で使われたと考えられている土偶が多いらしい。それはつまり、その時代から今の上森神社の場所が、何らかの宗教的な聖地であり、何らかの儀式が行われ続けていたと考えることもできる。
 それこそ、上森神社の蛇神祭りが縄文時代の儀式に起源を持つという説も、荒唐無稽とは言えないだろう。
 また、上森町周辺で発生した大昔の災害記録をまとめた資料もあった。
 調査の結果、現在の上森町がある辺りで、室町時代の頃に大規模な豪雨災害が発生したことが分かったらしい。これによって当時信仰の聖地だった場所を含めた周囲一帯の建物に大きな被害が出たようだ。その後で、この聖地だった場所に上森神社の前身である『蛇神神社』が建てられたということらしい。

× × ×
 
 図書館の近くにあるコンビニで買って昼飯を済ませると、再び図書館に戻ってきた。
 今日は一日図書館だ、午後も頑張るぞ。
 再び目ぼしい資料をいくつか持って、空いている閲覧席に戻ってきた。
 ふと視線を上げた時、大量の資料を抱えて館内を歩く一人の女性と目が合った。
 ……あの人、どこかで見たことがある気がする。
 長い癖毛と飾り気のない服装、そして分厚い丸眼鏡。
 顔に心当たりはあるのだが、名前が出てこない。いや、顔を見たことがあるというだけで、名前は知らないような人物なのか? テレビで見た有名人、ではなさそうだ。どこかで会った、例えば街中ですれ違ったり、道を聞かれたりした程度の人とか……。
 こんなことを考えていると、その女性がこちらに向かってやってきた。
 そして俺のいる閲覧席の隣に立ったその女性は言った。
「君、もしかして上森高校の廊下で会ったあの少年じゃないかい?」
 彼女のその唐突な言葉と声で、今までの疑問の全てに答えが出た。そうか、国原先生に夏休みの課題についての質問をした帰りに、廊下で会ったあの人だ。
「……ああ。あの時の。国原先生には会えましたか?」
「君達のおかげでね。助けられたよ。……そういえば自己紹介をしていなかったね。私の名前は勾坂奏(こうさか かなで)。赤牟大学で史学を専攻している大学生だ」
 そう名乗った彼女、勾坂さんの自己紹介に応じる形で俺も名乗ることにした。
 そういえば母が教授をやっているのも赤牟大学だったか。意外と世間というのは狭い物なのかもしれない。
「剣田弘人、上森高校一年生です」
「剣田クンか、よろしくね。何か調べ物のようだけど、夏休みの宿題か何かかい?」
「はい。国原先生の夏休みの宿題で久遠……、ああ、俺の友達です、そいつと一緒に地元の神社の上森神社について調べることになったんです」
「なるほど、……もしかしてその久遠という友人、あの時一緒にいた女の子かい?」
 どういう洞察力なのか、勾坂さんは一発でそのことに気が付いた。なんだ? 俺ってそんなに友達が少なそうな顔でもしているのか?
「まあ、はい、そうです。……どうしてわかったんですか?」
「いや、何の根拠もない直感だよ。しかし、……なるほど、君はあの時の子と一緒にあの神社について調べているわけか」
 勾坂さんはどこか感慨深そうに、『あの神社』と言った。もしかして……。
「知っているんですか? 上森神社のこと」
「まあね。実を言うと私は今大学の卒業論文の為に、この上森町の歴史について調べているんだよ。そして、そうなると上森神社については避けては通れないものなのさ。まあ、私もまだ調べている途中なのだけどね。しかしこれも何かの縁だ。ここはひとつ私たちの持っている情報を共有してみないかい?」
 中々面白い提案だった。
 それに、正直行き詰っている部分があったのは間違いない。専門に勉強している大学生なら、俺なんかよりも色々なことを知っているかもしれない。俺は頷き、勾坂さんの提案に乗る意思を示した。
 それを受けた勾坂さんは満足げな表情を見せながら言った。
「よし、まずは君からだ、剣田クン。……蛇神祭りについてはどれくらい分かったんだい?」
 俺は勾坂さんの質問に応じる形で話し始めた。
「それが、実は思うように調査が進んでいないんです。ネットで調べても祭りのスケジュールぐらいしか出てこないし、図書館の資料を見てもあまり詳しいことが載ってなくて……。かなり昔からあるお祭りだっていうことは分かったんですけど、その先がどうしても……」
「なるほどね。確かに蛇神祭りのもっと深い部分について調べようと思えば色々と難しい資料を調べる必要が出てくるものなのだ。ここは一つ、私の発見した論文を君に教えてあげよう」
 勾坂さんは俺の隣の空いている席に座った。そして持っていたカバンの中から、びっしりと文字の書かれたプリントを差し出した。
「……これは?」
「論文の写しだ。君にプレゼントするよ。ああ、読むのは後でいい。この論文は私もかなり参考にしたから、内容は頭に全て入っているんだ。少し難しいだろうから、噛み砕いて説明してあげよう」
 それは、正直助かる。パッと見ただけでいくつもの専門用語が使われている上に、あまり読みなれない硬い文章なのだ。
「この論文では、蛇神祭りで行われる御神楽の奉納に着目しているんだ」
「御神楽に、ですか?」
「ああ、そうだ。……どうかしたのかい?」
 蛇神祭りの御神楽、ということは久遠が毎年やっている奴の事だろう。素人目にはそれが特別なものだということは分からないのだけど、何かあるのだろうか? ……といっても、この辺のことを今のタイミングで勾坂さんに伝えるのも手間と言えば手間、か。
「……いえ、続きをお願いします」
「ふむ……。蛇神祭りで奉納される御神楽の内容には、実は全く別の地域のかなり古い神社での御神楽と同一の要素がみられるそうなんだ。それどころか、他の国の、大昔からの風習を守り伝えてきている少数民族の儀式とも、極めて特殊な同一性が見られるのだよ」
「上森神社で行われる御神楽と同じものが、他の地域にもあるってことですか?」
「そうだ。そして、こういったことはしばしば起こるのだよ。更に言えば、蛇神祭りの御神楽と強い同一性が見られる儀式を行っている神社や民族では、蛇と密接な関係のある宗教観を有しているのだというんだ。それらの地域での重要な儀式においては、信仰の対象である蛇と交信する巫女や女性のシャーマンが登場する」
「……そうか、上森神社も、祀っているのは蛇神っていう神様だし、蛇と繋がりは深いです」
「そういうことだ。この論文では、縄文時代の日本に海の向こうから文化が持ち込まれたり、逆に持ち出されたりした形跡が多くあると指摘している。いずれにしても、蛇と巫女という関係性の儀式が古代の宗教観で受け入れられ、世界中に存在していたことは間違いないんだ。それらが、一つの同一の起源をベースにして伝播していったのか、それとも、何かの地球規模の事件を経験したことによって世界各地に似たような文化が発生したのか、このことについては、少なくともこの論文の中で結論は出ていなかったのだけどね」
 俺は少しの間、勾坂さんの語る巨大なスケールの話に圧倒されていた。
 蛇神祭りの御神楽という小さな話が、突き詰めていくことで古代日本の原始的宗教観に、そしてそれは、全人類の文化の根源のようなモノにすら繋がっていくというのだ。
 そんな話になるなんて、正直、全く想像できていなかった。
 勾坂さんは絶句している俺の顔を面白そうに覗き込みながら、更に話を続けた。
「地球規模の事件が世界各地の文化に影響を与えた、というのは実際に他の有名な伝説を説明するために考えられているそうなのだよ。例えば大洪水だ」
「大洪水って、例えば『ノアの大洪水』とか、そういうやつの事ですか?」
「そう、まさにそれだよ。有名な『ノアの大洪水』だけに留まらず、大洪水に関する伝説というのは世界中に存在するし、それを神話に組み込んでいるところも多くする。そして、ある時期に実際に大洪水が発生しているのは、地質調査の結果事実であるという結論が出ているんだ。その大洪水の被害を、いくつもの異なる文化のコミュニティーが経験したとすれば、文化交流を持たないはずの場所で、極めてよく似た内容の伝説が発生することは、十分に考えられるというわけだ」
「理屈としては、そうですね、突飛な話のような気もしますけど、納得は出来ます」
 そういえば、神話や古代の文献に描かれている出来事をすべて事実と仮定して研究を進めるというやり方があると、国原先生の授業中の雑談で聞いたことがある。トロイの木馬はそういうやり方で発見されたんじゃなかっただろうか。
 大昔の伝説、或いは神話や民間伝承で語られている物事には、突飛な話や今の常識ではありえないようなことが多くある。
 それをすべて事実と仮定するっていうのは流石にやりすぎだとは思う。だけど、その一方で何かの事実は必ず含んでいるということなのだろう。
「蛇神祭りについて調べる糸口、何か掴めそうかい?」
 そう問いかける勾坂さんに対して、俺は頷いた。
「はい、助かりました。ありがとうございます。……それと、今まで調べた中で、もしかしたら上森神社と関係あるかもしれないと思うモノがあるんですけど、……勾坂さんは『蛇塚』というモノについて、何か心当たりがありませんか?」
 勾坂さんが、明らかな驚きの表情を見せた。そして一歩身を乗り出し言った。
「蛇塚、か。まさか剣田クンの口からその単語が出てくるとはね。中々深いところまで調べているじゃないか。実は私が今日この図書館に来たのは、その蛇塚に関連する資料について調べるためだったんだ。ちょうどいい、良さそうな資料をいくつか持ってきたんだ。剣田クンも協力してくれるかい?」
 俺は頷き、勾坂さんの持ってきた資料に目を通し始めた。
 彼女の持ってきた資料の多くは、本というよりは雑誌に近いような装丁の、論文集や調査報告書だった。
 上森町で行われた土器発掘調査の報告書、近隣地域の祭りにおける蛇神祭りとの類似点、現在の研究では偽書とされる様々な古文書の記述の考察……。
 どれも興味深い内容だけど、今探している蛇塚についての情報とは結び付かなさそうだ。
 しばらくの間、無言のまま資料を読んでいると、勾坂さんが唐突に言った。
「剣田クン。上森神社が、それ以前には蛇神神社と呼ばれていたという話は聞いたことがあるかい?」
 俺はその質問に対して、頷きながら「はい、そこまでは知っています」と答えた。これに関しては、最初にネットで調べた時点で分かっている。対する勾坂さんの方は、どこか満足げな表情を浮かべながら言った。
「ふむふむ、中々優秀だ。その蛇神神社が出来る前にも、その場所は重要な聖地であり何らかの宗教的儀式が行われていた形跡があるのだという。そして蛇塚は、後に蛇神神社が建てられることになるその聖地で行われていたという儀式と、密接に関係していると推測できる、様々な証拠があるのだよ」
「本当ですか? じゃあ上森神社に行けば何か分かるんじゃないですか?」
 最初に言ってくれれば、わざわざ図書館で悩むまでもなく久遠に聞きさえすれば解決するんじゃないだろうか?
 俺はそんなことを考えていると、対する勾坂さんは残念そうに首を横に振りながら言った。
「私も真っ先にそう考えて行動したさ。そして実際、以前に上森神社を訪れた事があるのだ。そして上森神社の宮司にもそのことを訪ねてみたのだが、有益な情報は何一つとして得ることが出来なかったのだよ。彼曰く、蛇塚という単語そのものに心当たりがないそうだ。故に私は情報を求めているのさ。そもそも蛇塚とは何なのか、それはいったいどこにあるのか、その答え、或いはそれを知るための手がかりを……」
 なるほど、そういうことだったのか。蛇塚と呼ばれる物が、上森町のどこかにあるのは間違いない。そして蛇神祭りや上森神社と、何らかの深い関係にあるはずだ、ということか。
 再びしばらくの間、俺と勾坂さんは無言のまま資料を読んでいた。
 そんな中、唐突に勾坂さんが声を上げ、俺の肩を叩いた。
「……あったぞ、これだ。剣田クン、これだ、やはり睨んだ通りだ。蛇塚というのは縄文時代から存在した何らかの祭祀施設、例えば古墳のような、かつての有力者を埋葬して神格化した場所だったのではないか、そんな説が学会誌に掲載されている」
「なるほど、これは俺にとっても助かる大切な情報です。……でも、これだけじゃ場所については全く分かりませんよ」
「ああ、そうだな。まずは蛇塚消失の理由について探ってく必要があるが……、もうこんな時間か。私は次の用事があるので失礼するよ。剣田クンの調査が上手くいくことを期待している。例の友達にもよろしく伝えておいてくれ」
 勾坂さんはそう言うと図書館を出ていった。

第三話 協力調査、開始!

 昨日は勾坂さんに出会うという、予想外の出来事があった。
 そして、そのおかげで調査はそれなりに進展した。勾坂さんに会わなかったら、全然進んでなかったかもしれない。
 だけど。
 勾坂さんと出会えたおかげで、少しだけ先に進むことが出来たからと言って、だ。
 俺一人でこれ以上の調査を進めるのは、限界なような気がしてきていた。
 我ながら情けない話ではあるが。
 久遠は確かに、『何かあったらウチの神社に来てね』と言っていた。
 ……いささか早すぎるような気もするけど、一人で足踏みしているよりかはマシな筈だ。試しに行ってみるか。
 行き詰ってきた、という言い方は確かに出来る。だけど、それだけじゃない。早めにお互いの進み具合を確かめておきたいというのもある。
 昨日は勾坂さんに会って資料のコピーも貰っているし、そういう意味でも頃合いなのかもしれない。
 そんな訳で、朝食を食べ終えて、いつもの道を歩くこと数分、俺は見慣れた鳥居と石段の前にいた。神額には見慣れた『上森神社』の文字が書かれている。
 ゆっくりと踏みしめながら石段を上ること数分。木陰に包まれた、少しばかりましな暑さの境内からは、蝉の大合唱が聞こえてくる。
 今まで調べてきた色々な資料によれば、『聖地』としてのこの場所の歴史はとても長いらしい。そのことを知ったからなのかは分からないけど、住宅街の中では場違いと言えるような生い茂る木々は、この場所が特別だということを強く印象付けた。
 そして、聖地である上森神社に大昔から祀られているという蛇神。
 この蛇神という神様は、どうやら白い大蛇らしいということは分かってきた。
 とはいえ、この程度のことは、上森神社の巫女である久遠だって知っているはずだ。或いは、この神社がかつて蛇神神社と呼ばれていたということも、彼女は知っているだろう。
 ……境内の砂利を踏み、こちらに向かってくる足音が聞こえた。
 視線を向けると、厳しい表情をした黒いスーツ姿の男が、社務所の方から歩いてくる。
 六十歳くらいだろうか? 間違いなく初めて会う筈の人物なのに、何故か何度も見たことがあるような、そんな不思議な印象の人物だった。
 彼は俺に向けて「おはよう」とだけ挨拶をした。低いが聞き取りやすく、印象に残る声だった。
 対する俺も、軽く会釈をしながら「あ、おはようございます」と応じた。
 彼はそのまま、鳥居をくぐって石段を下り、神社から出ていった。
 参拝客、だったのだろうか? 彼の表情や声色には、どこか苛立ちのようなモノも感じた。
「おーい、弘人!」
 俺がしばしの間境内で立ちすくんでいると、社務所に併設された授与所から聞きなれた声がした。
 声の主は、巫女装束で授与所の番をしていた久遠だった。
「よう、久遠。……さっき男の人がこっちの方に来てたと思うけど、久遠はあれ、誰だか知ってるか? 何かどっかで見たことある気がするんだけど」
「あー、あの人の事? 奥山さんだよ、奥山光一。今の上森町の町長さん。蛇神祭り関係の確認と打ち合わせに来てたんだ」
 なるほど、やっと納得出来た。
 よく考えたらその辺に貼ってあるポスターとかでしょっちゅう見てる顔だ。
 普段は全然意識してなかったけど、俺も何だかんだで顔を覚えていたってことか。
「……っていうか、今日は久遠が店番だったのか」
「店番って表現は何だか違うんじゃない? 今日が私の当番なのは正しいけどね。お父さんもお母さんも蛇神祭りの打ち合わせで出かけてるから、夏休みで家にいる私は基本的に毎日神社の中でお留守番って訳。……そうだ弘人、せっかくだからおみくじ引いてかない?」
 久遠はそう言いながら、お札やお守りなどと一緒に置かれているおみくじの入ってる箱を指さした。
「……いくらだ?」
「百円。悪くない値段だと思うけど?」
「……しかたねーな」
「まいどありー、……はい、どうぞ。……ねえ、どう?」
 財布から出した小銭と引き換えに、差し出された箱からおみくじを掴み取る。
 久遠はすぐさま「早く、早く」と身を乗り出して急かしてくる。
「急かすな。えーっと、中吉、願望、強く願い行動すれば成功します、失物、近くにあり、学問、努力すればよし、……あんまりパッとしないな」
 なんと言うか、ひたすら無難、みたいな内容のおみくじだった。『中吉』なのも、無難すぎてコメントが難しい。
「まあ弘人のおみくじの内容は、正直どうでもいいんだけどね」
 どうでもいいのか。なら、なんで急かした。
 そんなことを思いながらおみくじを結んでいると、背後から久遠が言った。
「それより例の課題の方、今どんな感じ? 何か分かったこととかある?」
「あんまり思った通りには進んでないかな。上森神社についていえば、例えば昔は『蛇神神社』って名前だったとか、そのへんかな」
 ……よし、こんなもんか。
 おみくじを結び終えて振り返り再び授与所の方を見ると、窓越しに見える久遠が嬉しそうな表情を見せていた。
「お、弘人もそこまでは気付いたか、……っていうかまあ、確かその辺の看板に書いてあったとは思うんだけどね」
 久遠の言葉を受けて俺は、境内にいくつも設置されている看板の一つに視線を移して読んでみた。
 ……本当だ。
 昨日まで頑張って図書館で調べていたことが、簡潔に要約されて記されている。まさかこんな身近な場所に答えみたいなものがあったとは。
 ……しかし、冷静に考えるとこの神社の看板に書かれているようなことは、久遠にとっては調べるまでもなく知っている知識という訳だ。つまり、もっと詳しいところまで調べないと久遠にとっては無意味という事か。これは中々大変だぞ。
「そうだ久遠、蛇塚って聞いたことあるか? 何か昔そういう物が上森神社にあったって話みたいなんだけど」
 俺が振り返りながらそう言うと、見本品のお守りをいじる久遠の手が止まった。
 そして、少しの間を置いて彼女は言った。
「……蛇塚、か。弘人はその話、どこで知ったの?」
「図書館で見つけた資料。昨日まで色々調べていて、そしたら偶然そんな単語が出てきてさ。昔そういう物が上森神社にあったらしくて、だけど今は何らかの理由で無くなったらしいんだ。気になって何で無くなったのか、そもそも蛇塚って何なのか、色々調べてみたけど良く分からなくてさ」
 久遠は考え込むような仕草のまま深く頷いた。
 そして静かに言った。
「私は蛇塚って単語事態初めて聞いたかな。神社とか蛇神に関係することは、昔からお父さんに教えてもらったけど蛇塚って単語は聞いたことが無いんだよね」
 ……勾坂さんが以前上森神社の宮司に話を聞いたが、何一つ情報を得ることは出来なかったと言っていた。上森神社の宮司ってことは久遠のお父さんのことだし、どうやら本当に何も知らないという事なんだろう。
 そうなると、この辺について調べるのは中々大変そうだ。
 蛇塚については一旦諦めて、とりあえず他の話題だ。
「あと調べたのは蛇神祭りについてだけど、正直あんまり情報が出てこないな。それこそ、祭りの進行スケジュールと、その辺ぐらいだし」
 対する久遠は苦笑混じりで応えた。
「まあ、調べてすぐ出てくるのってその辺ぐらいだもんね。じゃあ、私の知ってるとっておき豆知識を教えてあげる。蛇神祭りでやるお神楽って、全く別の地域のかなり古い神社でのお神楽とか、他の国の、大昔からの風習を守り伝えてきている少数民族の儀式とかと、共通する部分が結構あるんだって」
「それは俺も調べた中で出てきたな。全く別の地域で似たような伝説や信仰が生まれるみたいな」
 久遠は少し驚いたような表情を見せた。
 それを確認し、俺は内心ガッツポーズを決める。夏休みが始まってからの四日間、俺は蛇神祭りと上森神社について調べ続けてきたんだ。少しぐらいなら、専門的な深い部分だってわかる。ここまでやったんだから、久遠の驚く顔くらい見れないと割に合わない。
 ……いや、正確には勾坂さんからの受け売りだけど。
 俺がそんなことを考えていると、久遠の表情がさっきまでの驚きから、嬉しそうな笑みに変わった。
「お、流石に調べただけのことはあるか。じゃあ蛇神についてはどう? 弘人の方では何か関係しそうなもの見つけられた?」
「それなんだけどな、……あんまり情報が出てこないんだよな。正直なところ、どんなご利益があるどんな見た目の神様なのか、ってのがまるで具体的に分からないんだよな」
 俺のそんな答えに対して、久遠は苦笑交じりに応じた。
「あー、やっぱり? だけど、蛇神の見た目がどういう風なのかについて詳しく分からないのは、ある意味当然で正しいことなんだよ」
「どういう意味だ?」
「日本の神様っていうのは、具体的な外見っていうのが無いのが特徴なの。特に古神道から神社神道の流れを系譜に持っている日本固有の民俗信仰は、自然信仰が原則なんだ。外見とか性別、性格、具体的な能力とか恩恵っていうのは、後からついてくる感じなんだよね」
 流石に詳しいな。
 神社の巫女というのも伊達ではないと改めて思い知らされる。
 ……あれ?
「だけど、じゃあ本来具体的な姿を持たないなら、なんで『蛇神』なんて名前になったんだ? それに、確か白い蛇の姿をしている、みたいなことが書いてあったぞ」
「確かに今の私の説明だけじゃその辺とは矛盾しちゃうよね。だけど、普通の人に神様の姿は見えなくても、それを確認できる可能性のある人はいるんだよ」
「そいつは、いったい誰だ?」
 俺のそんな質問に対して、久遠は自分自身を指差しながら自慢げに、少し悪戯っぽく笑いながら答えた。
「神様と人を繋ぐ者、巫女だよ。……もし本当に神様がいて、それと対話することが出来たなら、巫女なら姿の見えない神様の姿を知ることが出来るんじゃないかな?」
 ……なるほど。
 確かに理に適っているような気がする。
 俺が無言で頷いていると、久遠が苦笑混じりに言った。
「あくまでも、『神様が実在すれば』だけどね。別に私は蛇神の姿を見たことがあるわけじゃないから、その辺は勘違いしないようにね。……実は私も少し調べてみたんだけど、あんまり情報が出てこないんだよね。蛇神に関連しそうな絵って実は私でもあんまり見たことないのよ。関係する絵がないわけじゃないんだけど、描かれているのは蛇神そのものじゃなくて、儀式をやってる巫女の姿とかだけで、肝心の白い大蛇の絵っていうのは、一回も見たことがないかな。……だけどね、実はヒントみたいな物には心当たりがあるんだ」
 そう言いながら久遠は、本殿の方を指差した。
 何の変哲もない、素人目には何か特徴があるようには見えないような、上森神社の本堂。
 中に祀られている御神体にヒントがあるとか言われても、普段は外に公開していないそんな物を持ち出されても俺には分からないぞ。
 ……いや、まさか。
 少しばかり、思い当たるモノがある。
 他の神社と比べた時に、上森神社の特徴と言えるような本殿にある要素。
「もしかして久遠、あの模様の事か? 本殿とか、よく考えたら神社のいろんなところに書かれてる、あの鱗みたいな模様が、蛇神と関係のあるヒントってことなのか?」
 上森神社の本殿。
 そこだけに留まらず、神社のあらゆる場所に描かれた、鱗のような、縄目模様とでも言うべき意匠。確かにこれは、上森神社の明確な特徴と言えるかもしれない。
 鱗、蛇の鱗、蛇神。
 ……なるほど、無関係とは言えないような気がしてきた。
 対する久遠は、どこか満足げに言った。
「流石弘人、中々良いところに目を付けたね。残念ながら神社中のあの鱗みたいな縄目模様については、明確な由来っていうのは分かっていないんだ。だけど、鱗を持つ生き物である蛇の名前を関する蛇神と、あの模様が無関係だっていうのは、逆に無理な話だと思うんだよね。多分あれが、蛇神を象徴する物なんじゃないかとは思うんだ」
「象徴、か」
 確かにありそうな話だ。
 とは言え、上森神社の社務所兼自宅に住んでる久遠ですらその細かい由来について知らないと来ている。そうなると、これを含めた蛇神の詳細について調べつっていうのは、中々大変そうだ。
「そうだ弘人、今から御神楽の練習やるからちょっと見ててよ」
 そう言って久遠は一度授与所から出て神楽殿の方に向かった。
 神楽殿の中に入った久遠は閉じていた扉を開く。
 そして一呼吸し足元に置かれていたスピーカーに繋いで置きっぱなしにしていたと思しきミュージックプレイヤーのスイッチを入れた。
 そして神楽鈴を手に持ち、蛇神祭りで毎年披露しているものと同じ舞を始めた。
 久遠のお神楽が始まった瞬間、その周囲、上森神社全体の空気が一変するような、そんな感覚があった。
 さっきまで他愛もない話をしていたはずの久遠の姿が、どこか神秘的で神々しく、とても遠い存在になってしまったようだった。
 スピーカーから流れるお囃子は決して音質がいいわけではない。
 久遠の衣装だって、儀式用のものではない見慣れた普通の巫女服だ。
 それでも、久遠が神楽鈴を振るたびに響く鈴の音が、お神楽に合わせて聞こえてくる久遠の息遣いが、何よりも、妖艶とすら思えるような久遠が舞うお神楽の一挙手一投足が、それを見る俺のことを遥古代の神秘に誘っているようだった。
 蛇神祭りで毎年見ている、見慣れたはずのお神楽。
 なのに俺は、そこから目を逸らすことが出来ずにいた。
 いかに木陰に覆われた境内とはいえ、夏の暑さの全てを消し去れるわけではない。
 事実、時折服の内側を汗が伝っていく感覚がある。
 それでも『暑さ』を感じないほどに、俺は久遠のお神楽を魅入っていた。
 気が付けば十数分、一度お囃子が途切れる区切りの部分まで舞い終わった久遠が、頬に汗を伝わせながら俺の方を向き、そして言った。
「……どうかな?」
 神楽殿からこちらを見下ろす久遠に対し、俺は思わず拍手をしながら答える。
「相変わらず凄いな、としか言いようがない」
 言葉で表せればいいのだけど、どうしても上手く言えない。
 お神楽を舞う久遠の姿は普段とはまるで違う存在感がある。
 『神憑り的』などという表現があるけど、まさにそれだ。
 上手だとか、綺麗とか、美しいとか、そういった形容詞で表現するというよりは、まるで別人のような気配を纏っているのだ。それこそ、物心ついたころから当たり前のように練習してきたからこそ、今の久遠の境地はあるのだろう。
 俺の方にやってきた久遠は額の汗をぬぐいながら言った。
「ありがと。やっぱり誰かに見られてるってなると、緊張感があっていい練習になるからね」
「それにしても、やっぱり不思議な舞だな」
「実際珍しいとは思うよ。私がやってるのは『蛇巫(へびふ)』って呼ばれる巫女だからね。日本原始の祭りの形だと、神の使いの蛇とそれを祀る蛇巫を中心に展開さるたみたいなんだ。蛇巫の役割は、『神の使いの蛇と交わり』、『神の使いの蛇を産み』、『蛇を捕らえて飼育し祀る』ことなんだって。蛇神祭りの御神楽は、その性質が強くあらわされてるんだって」
「……交わるとか、産むとか、それって……」
 そう応じる俺に対して、久遠はからかうようにニヤニヤと笑いながら言った。
「なんでアンタが動揺してるのよ? まあ、エロいのは否定しないけどさ、だけどまあ、蛇だしね、正直想像すら出来ないから最早どうでもいいって感じかな? っていうか土着信仰の儀式なんて大概そういうものだと思うよ。そもそも巫女には、色仕掛けで神を鎮める、っていう役割があるみたいだからね。曰く、巫女とは『あそび女』であり、『神遊び』っていうのは、要するにそういう事って訳。……理解できたかい? 少年」
 普通に考えれば、上森神社の巫女である久遠が、お神楽のそういった由来を知らないということも考えにくい。そういった背景を、伝統とか文化とかのレベルに昇華した知識として持っていれば、彼女のある種のドライともいえる反応も納得できる。
 というか、それで言うと俺が変に意識しすぎているだけなのかもしれないが。
「蛇って言えばさ、古代の日本人の死生観ってなかなか面白いんだよね。その当時、それこそ蛇に対する信仰の強かった縄文時代の頃には、人間の本来の姿は蛇で、人間の生誕は蛇から人への変身で、死は人から蛇への変身である、っていう死生観があったんだって」
「人間の本当の姿は不死の蛇ってことか? なんか凄い考え方だな」
 何ともいえない、独特の世界観だ。
 あるいは、これを奇妙と感じるのは現代人の感覚で、もしかしたら当時の人からすれば十分納得できる考え方なのかもしれない。
「あくまでも生とか死とかってモノを、そういう風に解釈して受け入れようとしていたって感じだとは思うけどね。宗教の役割の一つは『死』に対して折り合いをつけるためっていうのは、弘人も何となく分かるでしょ?」
「天国とか地獄みたいな死後の世界、あとは何かに生まれ変わるみたいなのもあるか」
「そういうこと。人間が死んだらどうなるのか、なぜ死んでしまうのか、二度と動かなくなってしまった体から『何か』がなくなったのではないか? ならそれはどこに行ったのか? きっと大昔は今の私たちよりも『死』って身近なものだったと思うんだよね。だからこそ、身近にある理不尽な『死』に対して、何か合理的な説明と、それに対する救いは絶対に必要だったはずなんだ」
 考えてみれば住む場所を探すのも食料を手に入れるのも、大昔は今と比べ物にならないほど大変だったに違いない。医療だって当然今みたいに色んな薬とか治療法とかが発達していないはずだ、そうなったら確かに、今よりも人の『死』は身近で切実な問題だっただろう。
「『死』とか『魂』に対して合理的で救いのある説明を考えた結果が、蛇と人間の姿を交互に繰り替えすっていう死生観、っていうことか」
「だと思うよ。因みにそんな、蛇を祖霊とするような考え方は、世界中の古い信仰に結構多くて、それ自体はそこまで珍しい物じゃないんだって。それに加えて、そんな信仰の中では蛇と太陽も密接に関連するので、原初の太陽神の姿が蛇であったという解釈も成り立つみたいなんだ。そうなると日本神話にも当てはまって、天照大神真の姿が日本最高の蛇巫であったとする説もあるくらいなんだよね。そう考えていくと、正体は全く見えてこないけど、蛇神っていうのがとんでもなく古い神様だって可能性は十分にあるんじゃないかな?」
「人間の正体が蛇だったとか、原始の神様の正体が蛇だったみたいなのが、真実かどうかはこの際問題にしないけど、大昔の人たちが蛇っていう生き物にとてつもない神秘性を感じていたのは間違いないんだろうな」
 神楽殿から飛び降りて俺の前に立った久遠が言った。
「……ねえ、今から一緒に蛇塚とか蛇神について、もっと詳しく調べに行ってみようよ。どこか神社の外部で面白そうな資料とか置いてそうな場所ってない?」
 久遠は神楽殿の下からサンダルを取り出して履いているところだ。まさか足袋のまま境内を歩くんじゃないかとひやひやしていたが、その辺は抜かりないようだ。
「……今からとは急だな。良いのか? 神社の方は」
「その辺は親に一言連絡しておけば大丈夫。なーに、夏休みの宿題のためと言えば、無下には出来まいよ」
 ……本音は授与所での番をサボりたいからなのか? まあ、良いなら俺はそれで良いんだけど、それにしたっていきなりだな。急に「面白そうな資料とか置いてそうな場所」と言われても、詳しい調べものができる場所がそれほど沢山思いつくわけでもない。
 強いて挙げるなら――。
「――まだ調べきれてないし、図書館の資料をもっと確認してみたいな。久遠の意見も色々聞きたい」
 俺のそんな無難な返答に対して、久遠は無邪気な笑顔を浮かべながら応じた。
「うん、良いよ、じゃあ決まり。今から一緒に図書館に行ってみよう。着替えてくるからちょっと待っててね」

× × ×

 そして数分後に現れた私服に着替えた久遠と共に、俺は地元の公立図書館へ向かった。
 館内に入ってすぐ、久遠が振り向きながら言った。
「弘人は昨日調べに来てるんだっけ?」
「まあな。だけど、正直全部の資料に目を通してる訳じゃないし、予備知識のある久遠と一緒のほうがいい感じに調べられるとは思う」
「そんなもんなのかな。弘人みたいに先入観がないほうが、案外早く『答え』にたどり着けるような気がするけど。……まあ、いいや。今の上森神社がある場所にかつて存在したという蛇塚。これの正体を探るというのが今回の私達の目的よ。さあ、始めましょ!」
 久遠のそんな言葉を合図に、俺達は蛇塚に関連しそうな資料を探し始めた。
 昨日久遠は、上森町では縄文時代の土器の出土が多く確認されていて、そのことから蛇塚は縄文時代から存在した何らかの祭祀施設か、有力者のお墓という説があると言っていた。そして、神森町における発掘調査は今でも定期的に行われ続けているのだという。
 だとすれば、だ。
「……あった、これだ」
 俺達が向かった書棚は、普段あまり人がいない場所だ。上森町とその周辺地域で行政が発行している広報誌や、古地図をまとめたもの、災害関連の記録、伝承や民話をまとめた資料などが置かれている、地域資料のコーナー。
 発掘調査が実際に行われていたのなら、その報告書は公表されているはずだ。
 何らかの事情で上森神社から蛇塚に纏わる資料が消滅してしまっていたとしても、発掘調査の報告書から消えてしまうなんてことはないはずだ。
 そこに、何かヒントになるような情報が載っているかもしれない。
 俺達はしばらくの間無言のまま、書棚から資料を出しては中身を数ページ確認するというのを繰り返していた。
 ……ん? これ冷静に考えたら、少しおかしくないか?
 資料をいくつか見ていく中で、俺の中に一つの疑問が生まれた。
「なあ久遠、ふと思ったんだけど、蛇塚の起源が縄文時代まで遡る可能性があるっていうなら、蛇塚は、それこそ何千年も前から存在していた筈だよな?」
「うん、その筈だよ」
「なのに、その跡地に建てられた神社からは蛇塚について書かれている資料が全然出てこない。これって変だと思わないか? 聖地としての役割を引き継いだ神社だっていうなら、流石に何か残ってないとおかしいんじゃないのか?」
 久遠は資料をめくる手を止めると、少しの沈黙の後に頷いた。
「……うん、やっぱり変だよね。もしかしたら、何か秘密があるのかもしれない。……それに、実は、上森神社の中にある巻物や古文書の中には、蛇塚について直接的に書かれているものが殆ど無かったのよね」
「もしかして、わざと記録から消して歴史から抹消しようとした、とか?」
「うーん、そこまでは何とも言えないかな。だけど、蛇塚に関して、意図的に隠しているって可能性は十分に考えられるね」
 再び作業に戻った俺と久遠は、蛇塚に関係ありそうな資料に片っ端から目を通してみた。
 それでも、全くと言っていいほど蛇塚の情報は出てこない。そこに何らかの意図があるのかもしれないと疑いたくなるぐらいに、だ。
 だけどその副産物というか、神森神社や蛇神祭りについての、今まで分かっていなかった断片的な情報に辿り着いた。
「発掘調査関係の報告書とかを見る限りだと、上森神社の周辺からの出土品には、破壊された人型の土器が幾つも見つかってるみたいだな」
「みたいだね。土器を壊すのって、それ自体に儀式的な意味合いがあるから、そういう理由でわざと壊したのかな」
「何でわざわざ作った土器を壊したりするんだ?」
 粘土を集めて形を作り、それを高温で焼き上げるというのは、かなりの労力が必要だ。
 そこまでして作った土器を、自分たちで意図的に壊すというのはどうにも違和感がある。そんな俺の疑問に対して、久遠が答えてくれた。
「色々理由は考えられるんだけど、用意した道具をわざと壊す儀式って結構あるんだよ。例えば人形に悪い穢れを移したりして自分の身代わりにした後で、それを壊すことで穢れを払ったり、道具を壊して『殺す』ことで死後の世界に送ったりね。他には豊作祈願の儀式で人形とか土偶を壊すみたいなのもあるかな?」
「……なんで土偶を壊すのが豊作祈願になるんだ?」
「神話の再現ってやつだよ。女神の体の一部が欠損することでそこから零れ落ちたものが人々の食料になったっていう神話を、土偶を壊すことで再現するってわけ」
 言われてみれば、日本神話の中にもそんなエピソードがあった気がする。なるほど、中々面白いな。
 しかし、久遠は色々と知っている。流石は上森神社の巫女、と言ったところか。

× × ×

 午後、昨日と同様に近くのコンビニで軽く昼食を済ませた俺と久遠は、再び図書館に戻った。
「ねえ弘人、あの人って確か学校であった人じゃない?」
「あの人?」
 久遠が指さす先には、閲覧室で本を読む一人の人物がいた。
 長く黒い癖毛、飾り気のない格好、大きな丸眼鏡……。
「……まさか」
 俺達に気が付いたのだろうか? 本から視線を上げた彼女は、こちらのほうに向かってきた。
「やあ、また会ったね、剣田クン。隣の子がこの前言っていた友人かな?」
 そんな言葉に対して、久遠は俺と彼女のことを見比べながら言った。
「あれ、もしかして弘人の知り合いだったの?」
「……そういえば言ってなかったか。この前図書館に行ったとき偶然会ったんだ。それで古代史関係の事とかを教えてもらったんだよ」
「この前神社に来た時に、やけに色々詳しくなってると思ったらそういう理由があったわけか」
 久遠が頷きながらそう言うのに対して、勾坂さんが言った。
「いやいや、剣田クンは中々勤勉だよ。夏休みの調べ物課題で何日も図書館に通えるような高校生なんて、なかなかいない。少なくとも私の周りにはいなかったよ。……そういえば自己紹介がまだだったね。初めまして、私の名前は勾坂奏。赤牟大学で東洋古代史を専攻している四年生だ。よろしく」
 そう笑顔で挨拶する勾坂さんに対して、久遠も笑顔で応じた。
「初めまして、勾坂さん。弘人の友人の鏡宮久遠と言います。よろしくお願いします」
 久遠がそう名乗ると、勾坂さんは少し驚いたような表情を見せた。
 そして、何かに納得したように頷いた。
 対する久遠が、少し怪訝そうな表情を見せながら訪ねた。
「どうかしましたか? 勾坂さん」
「いや、失礼失礼、上森町の歴史について調べている中で、まさか本当にその中心とも言える人物に会えるなんて、つくづく人の縁というのは奇妙だと思ってね……。剣田クンから聞くところによると、鏡宮クンは上森神社の巫女だそうじゃないか。ここは一つ、私の卒論のための調査に協力してくれないかい? 実はフィールドワークでの聞き取り調査というのが必須事項になっていて困っていたんだ。お礼と言っては何だが、私が調べた情報を君達にも共有しよう。前回剣田クンに渡した以上の君たちが使えそうな情報が、それなりに集まっていてね」
 大学生になると卒業論文なる物があるという話は聞いていたけど、聞き取り調査までしなくちゃいけないのか。中々大変そうだ。
 俺がそんなことを考えていると、久遠は勾坂さんに対して笑顔で応じた。
「良いですよ。といっても私の知っている範囲でしか答えられませんけど。あと、細かい歴史とかは流石に暗記していないので……」
「いいや、そんなに難しいことが聞きたいわけじゃないんだ。大昔からの伝統が現代にどうやって継承されているのか、その継承者がどのように考え、どのように生きているのか、その自然な姿が知りたいんだ」
「『継承者』ですか、……その表現、何だかかっこいいですね。分かりました、何が知りたいですか?」
「ありがとう。……閲覧室ではあまり喋らないほうがよさそうだな。出たところにソファーがあったはずだ、そこで話そう」
 勾坂さんはそう言って席を立ち歩き始める。俺と久遠は、そんな彼女の後に続いた。
 彼女に案内されて図書館の外の、廊下のソファーに腰かけた。
 メモ帳と筆記用具を取り出した勾坂さんが、改めて久遠に対する質問を開始した。
「まずは、そうだな……、鏡宮クンはいつから巫女をやっているんだい?」
「幼稚園のころから、神社の仕事を手伝ったりとかはしていました。だけどちゃんとした上森神社の巫女としての仕事、蛇神祭りでの蛇巫を始めてやったのは、小学一年生の時でした」
 それは、俺が初めて蛇神祭りで、久遠の御神楽を見た時でもある。
 ……そうか、あれは久遠が初めて披露する御神楽でもあったのか。
 頷きながらメモを取る勾坂さんは質問を続けた。
「なるほど。ちなみに蛇神祭りで披露するその御神楽だけど、どうやって習ったんだい? 小さな子がそれだけのものを覚えるというのもなかなか大変そうだと思うけど」
「父から古いビデオを見せてもらい、それで覚えました」
「直接演じて教えてくれるような人はいなかったのかい?」
「いませんでした。元々、上森神社の宮司は父が呼ばれてくるまで、かなりの間空白だったようです」
 これに関しては、夏休み前に久遠と話していた時に聞いた。
 上森神社の先代神主は行方不明になり、遠縁である久遠のお父さんが、次の宮司として呼ばれたという話だ。
 久遠の答えを聞いた勾坂さんは、満足げに頷いた。
「なるほど、上森神社の巫女の役割は、その継承に中々の紆余曲折があったようだ。因みに、お父さんが選ばれた理由とかは聞いているかい?」
「いいえ、詳しいことは特に。ただ、代々の宮司家の遠縁だったからとは言っていましたけど」
「となると、もしかして上森神社の守護者というのは、血縁で決まっているのかな?」
 わざわざ失踪した先代の遠縁を呼ぶということは、そうしなければならない理由があったと考えるのが普通だ。決められた一族とか、何らかの血統というのが上森神社の宮司の座に就かなければならないという、そんなルールが存在する可能性は、十分にある。
 もしかしたらそこには、上森神社をめぐる多くの謎の、解決のヒントが隠されているかもしれない。
 俺はそんな期待を込め、久遠が勾坂さんの質問に答えるのを待った。
 どうやら勾坂さんも、久遠の答えに期待しているようだった。
 しかし対する久遠は、どこか申し訳なさそうに答えた。
「……すみません、私も細かいところまでは知らないんです」
「いやいや、鏡宮クンが謝るようなことじゃないさ。……ふむ、質問はここまでだ。貴重な話を聞かせてくれてありがとう、お礼にジュースを一本おごってあげよう。付き合ってくれた剣田クンにもだ。二人とも何かリクエストは有るかい?」
「すみません、ありがとうございます。じゃあ、コーラでお願いします」
「じゃあ、私はカルピスでお願いします」
 勾坂さんは「分かった。少し待っていてくれ」と言って、廊下の端の方に設置されている自動販売機の方に向かった。
「……なるほどな、俺も全然知らないことだらけだった」
「あんまり人に話すようなことでもないからね。あとはまあ、……意外と分からないものなんだろうね、自分が客観的にどんな存在なのかって」
 久遠はジュースを買う勾坂さんの後ろ姿を見ながら言った。
「私は鏡宮家に生まれて、上森町で育って、神社の巫女っていう自分に与えられた役割が『普通』だって思ってたからさ、言われてみないと分からないものなんだよね、その『普通』が周りとどれくらいずれてるかっていうのは」
 コーラとカルピスを持った勾坂さんが戻ってきた。
「今回のお礼と言っては何だけど、私の調べた資料の写しをいくつかあげよう。きっと役に立つはずだ」
 俺は勾坂さんからコーラと一緒に、プリントアウトされた資料を受け取った。
「前回に引き続きありがとうございます。ところで勾坂さん、蛇塚については、あの後何か分かりました?」
「蛇塚か……。蛇の塚というその名前から考えれば、当然上森神社や、そこで祀られている蛇神、神事である蛇神祭りと関係するように思える。これに関しては間違いない」
 勾坂さんは渡した資料の一つを指さす。
 俺と久遠はそれを確認した。
「とりあえず手始めに上森町で行われた発掘調査の記録を読み直してみたんだ。これはあくまでも私の勘だけど、蛇塚には聖域としての何らかの機能があり、その機能を維持するためにどこかほかの場所へ移設されているんじゃないかと思うんだ」
「その移設先っていうのは、一体どこなんですか?」
「そこは、正直私の口から断言することが出来ない。ただ、私が考えるいくつかの候補地は今回渡した資料の中に記しておいた。正直なところこういうのにはある種の土地勘のような物が役に立つこともあるから、君達の方が答えに近い場所にいるかもしれないね。……さて、私は次の用事があるので今日はもう帰るけど、君達はどうするかね?」
「もう少し残って調べてみます。他にも色々と気になることもありますし、今日勾坂さんから貰った資料も、もっと詳しく読み込んでみたいので」

× × ×

 勾坂さんが帰った後、俺と久遠は閲覧室に戻って、調べ物を再開した。
 今回の話や前にあったときにもらった資料など、勾坂さんには随分と助けられている。
 上森神社の巫女である久遠も、当然色々な事を知ってる。
 そこへ来て俺はどうだ?
 歴史の授業が特別得意というわけじゃないし、古代史や考古学について詳しく知っているわけでもない。
 やはり久遠の足を引っ張らないようにするためにも、もう少し知識が必要だ。
「久遠、ちょっと検索機のところ行ってくる」
「おー、行ってらっしゃーい」
 そんな彼女の言葉に送られて、席を立って検索機の方に向かった。
 そして、日本の古代史や考古学に関する専門書の情報をいくつか出す。
 勾坂さんの話を聞いたりして、いくつかの資料を読んでいる中で気付かされてことがある。どうにも俺には、根本的にこの分野に対する基礎知識が足りていないようなのだ。
 何にせよ知識があるのに起こしたことはない。付け焼刃かもしれないけど、一応は一通り読んでおいたほうが良いだろう。
 どうやら、ここの図書館に置いていない本も何冊かあるようだ。
 ……そうだ、ついでに、こっちの方もやっておくか。
 俺は、ネットで調べて出てきた上森町に関係する都市伝説について、何か情報はないか調べてみることにした。夏休みの課題とは直接関係ないけど、個人的には段々と気になる謎になってきているのだ。
 もしもあの『さまようゾンビ』に関する話が俺の思っている以上に有名な話なら、そういった話題を扱っている雑誌とかで紹介されている可能性は十分にある。
 そして検索機に色々なキーワードを打ち込んで、試行錯誤すること数分、ついにそれらしき物が出てきた。
 どうやら『月刊オカルトワールド』という雑誌の掲載記事に、上森町に伝わる伝説や民間伝承を取り扱った号がいくつかあるようだった。検索機で表示されているタイトルから考えると、例のさまようゾンビに関連しそうな物もあった。
 ライターの名前は『沢辺陽子』というらしい。
 俺は検索機で月刊オカルトワールドの『さまようゾンビ』に関係ありそうな記事の掲載されている号の情報を出した。
 上森町の図書館には蔵書していないが取り寄せてもらうことも出来るみたいなので、取り寄せてもらって現物を確認してみたいと思う。
 申請用紙に必要事項を書き込んでカウンターに持っていき、取り寄せを頼んだ。他に借りている人がいるわけでも、予約がついているわけでも無さそうなので、数日中に届くだろうとのことだ。
 そんな訳で、俺は一通りの用事を終わらせて再び閲覧室の席に戻り、久遠と一緒に調査を再開した。
 ……そして、ふと時計を見上げると、もう五時だった。
「ねえ弘人、明日はどうする? また図書館?」
「そうだな……。確か、もうちょっと遠くに上森町民俗資料館とかいうのがあったよな。そことかどうだ?」
「ちょっと待ってね、調べてみる。……ここか、開館時間は九時から、火曜日は……、空いてるみたいだね。うん、面白そうじゃん。じゃあ明日はここに行こう。明日も、今日と同じ位の時間に神社に来て」

× × ×

 というわけで一晩明けて、火曜日の朝。上森神社で待ち合わせた俺と久遠は、地元の民俗資料館に向かった。
 現在の時刻は、午前九時ちょうど。場所は上森町の民俗資料館の前。
 今まさに入り口の自動ドアが動作を始めたばかりの、開館直後のタイミングだ。
 民俗資料館は、それなりに大きな建物だ。熱い夏場としてはありがたいことに、館内は冷房が効いている。
 俺と久遠は、入ってすぐの受付で職員さんの指示通り入館記録に名前と連絡先を書く。館内の資料には貴重な物が多いらしく、万が一の損壊や盗難への対策らしい。入館料自体は無料なので、そこはとてもありがたい。因みに、案内してくれた職員さんは、長身細身で黒髪の物静かな雰囲気の人だった。展示物についての解説等もやっているそうで、何か気になることがあったら何でも聞いてくださいとのことだった。心強い。
 入館証を受け取った俺は改めて館内を見渡した。
 入ってすぐの場所には、昔のこの辺りで使われていた農具や、その当時の建物の内装を再現したコーナーなどがある。どうやら上森町の辺りは、農村部だったらしい。
「なんか懐かしいね。昔社会科見学の時来なかったっけ? ほら、小学生の時」
「……あー、四年生の時、だったっけ? 来たってことは何となく覚えてるけど、流石に何をやったのかは忘れちまったな」
 そんな感じでしばらく展示を順路通りに見ていると、久遠が館内の一角を指差して言った。
「ねえ、あれじゃない? ほら、蛇神祭りのコーナー、あったよ!」
 久遠はいきなり俺の手を掴むと、その方向に向けて足早に歩き始めた。
 俺は驚く間もなく、久遠に手を引かれてその後をついて行った。
 そして久遠の言うとおり、確かにそこには蛇神祭りについてまとめたコーナーがあった。
「蛇神祭り関連の文献とか、道具とかの展示か。もしかして、上森神社からも寄贈とかってしてたりするのか?」
「確かしてたと思うよ。主に今の祭りでは使わない道具とか、出てきた古文書の一部とかは、神社に寄付したって聞いてる。ほら、あの鈴とかは昔うちにあったやつだよ」
 久遠はそう言いながら展示の一角を指さした。
 その先にあったのは、『鈴』という言葉のイメージとは少し異なる物だった。
「あの土器、鈴なのか?」
「うん。『土鈴(どれい)』っていう種類の鈴。厳密な昔の祭りでは使ってたみたいだけど、段々と内容を簡単にしていく中で使わなくなったんだよね。今でも一応鈴を使う場面そのものはあるんだけど、普通の金属製のやつを使ってるよ」
「へー、そうなのか。……ん、これって、蛇神祭りの時の巫女服か? 正装って言うか、本番用みたいな感じの、気合の入ってるやつ、久遠も祭りの時は着てるよな?」
「これは……、あー、これは今の私のやつよりも、更に古い大昔の正装巫女服のレプリカだね。私もモノクロ写真とかでしか見たことないけど……、なるほど、こんな感じだったんだ。今のやつでも随分デザインが簡略化されてるんだ」
 その巫女服のデザインは、一般にイメージするような袴姿の巫女装束とは少々趣が違った。
 装束の全体に縄目のような模様が走っている。そこに短剣を手に持って首からは勾玉と鏡を下げたその姿は、歴史の教科書で最初の方に出てくるイラストの印象に近い姿だった。
 蛇神祭りに関する展示を一通り見た俺たちは、普段は全く人目に触れていないような館内の隅にある資料コーナーに行ってみた。
 地元の図書館とは少し毛色の違う、学術書や研究論文等が多く置かれている。その中に一つ、気になる物があった。
「久遠、ちょっとこれ見てみろよ」
「どうしたの、弘人。何か見つけた?」
「ほら、その論文。『蛇神祭りでは巫女の負う役割が重要であり、その役割や古代の原始的なシャーマンの役割を色濃く残している』だってよ。前に蛇巫の事とかも話してくれたけど、本当に昔と同じような儀式と役割なんだな」
 俺は該当個所を指さしながら久遠に見せた。
「えーっと、何々『日本における古代の祭事についてであれば、例えば縄文時代の土偶の中には、頭に蛇を巻いた女性を象った物が幾つも存在する事が挙げられていた』。……そんな土偶あるんだ、これは私も知らなかった」
「頭に蛇って、すごいな。そういえばそんな怪物がいなかったっけ?」
「ああ、ギリシャ神話のメデゥーサか。そういえばあれも女神だったね。……弘人のその着眼点は結構いいかもね。ほら、これ」
 そういって久遠はページの端を指差した。そこには資料として縄文時代の土器の写真が掲載されており、『縄文のメドゥーサ』と記されていた。
「もしかしたら、この蛇と女性っていう関係性と頭の蛇っていう強烈なイメージの共通点から、日本の縄文文明とギリシャ神話をつなぐことが出来るかもね。……それで続きはっと『これらは、当時の巫女の姿を現しており、当時の人間が蛇を畏怖の対称とし、神聖な存在として崇め、その蛇と交流することでその強大な知恵と力を借り受けることが出来うる存在である巫女の存在も同時に神聖視されていたことが伺えるという』。……うん、この手の話って物心ついたころから聞かされていたから、漠然とは知っているんだ。だけど、学術論文の中であえて言われると、なんか不思議な気分だね。なんて言ったらいいのかな、テストの答え合わせみたいな感じ? 自分の知識が、正しいって証明してくれたみたいな、そんな感じだね」

× × ×

 一旦昼休憩ということで、近くのコンビニで昼ご飯を買って食べることにした。
 そして再び民俗資料館に戻ってきた俺達は、そこで意外な人物に出会った。
「ねえ弘人、あれって、もしかして国原先生?」
「まさかそんな、……いや、マジだ、国原先生だ」
 向こうも俺達の事に気付いたのだろう。
 彼は振り返りながら言った。
「おお、剣田クンに鏡宮クンじゃないか。民俗資料館で調べものとは、中々勉強熱心だな」
 そこにいたのは初老の日本史教諭、国原栄治だった。
 学校以外で先生に会うというのは、何だか新鮮な気持ちだった。
「二人揃って、何かの調べ物かね?」
 彼のそんな質問には、俺が答えた。
「先生の出した課題ですよ、身近な歴史についてのヤツです」
「なるほど、感心だ。そういえば、確か鏡宮クンは上森神社の巫女だったか。蛇神祭り、今年もやるのかね?」
「はい。先生も来ますか?」
「そうだな、今年も行かせてもらうことにするよ」
 ……今年も?
 少し気になったので訊いてみる事にした。
「先生、何度か来たことあるんですか?」
「よほどの用事がないときはね。実は昔、上森町の歴史を調査対象にしていたことがあって、何かと因縁のようなものがあるんだ。せっかくだから何か相談があれば答えよう」
 なるほど、そういうことだったのか。
 しかしこれは良い機会だ。お言葉に甘えて、気になっていたことをいくつか質問してみよう。
「いきなり課題と関係ない質問で恐縮なんですけど、先生って勾坂さんと知り合いなんですか?」
 最初に勾坂さんと会ったあの時、彼女は国原先生に用があると言っていた。名指しという事は、少なからず面識があるという事なのだろう。ただし、職員室も場所を訊いてきたという事は、上森高校の卒業生では無さそうだが。
 しかし、返ってきた国原先生の反応は、少し意外なモノだった。
「勾坂? ああ、あの子か、君達の方こそ彼女と知り合いなのかね?」
「知り合いというか、最初は学校の廊下で、国原先生に会いたいけど職員室はどこか? みたいなことを聞かれて、その後何回か図書館で会って話したりとかしたんです」
 国原先生は合点が行ったという感じに頷いた。
「なるほど、そういうことか。知り合いかということだと、君達が学校の廊下で会ったあの日、職員室に彼女がやって来た時に初めて顔を見ただけだ」
 あの時が初対面だったのか。
 俺が内心驚いていると、今度は久遠が国原先生に質問した。
「勾坂さんは国原先生にどんな用事だったんですか」
「彼女が大学で私の論文を見つけたらしく、一度詳しい話を聞きたいと電話で連絡があったんだ。あの時はテスト前で忙しかったが無下には出来ないと思ってね。あの論文についての質疑応答をいくつかと、参考文献の説明をやったな」
 そういえば、国原先生は昔大学教授だったという話を聞いたことがある。確か赤牟大学と言っていた気がするけど、……そうか、それで勾坂さんと繋がるわけか。
 少し興味が出てきたので、更に聞いてみることにした。
「ちなみに、勾坂さんが見つけた国原先生の論文ってどんなヤツなんですか?」
「三つだったな。『原始宗教の発生と類似点に関する考察』『生贄の儀式における心臓の象徴的意義に関する考察』『原始宗教における神の起源に関する、天体信仰の発生理由からのアプローチ』だったな」
 難しそうな内容だという事は、タイトルを聞いただけで簡単に想像できた。
 大学教授の論文ってそういう物なのか。
 しかし、そのタイトルからのイメージで、一つだけ疑問が生まれた。
「……勾坂さんって、確か東洋古代史が専攻だって言ってた気がするけど、少しイメージと違う論文だな」
 思わずそう呟いた俺に対して、国原先生は応じてくれた。
「直接関係のある論文じゃないのは確かだろうな。ただ、関係が全くないという事もないだろうね。特に、昔の日本における宗教という物の発生が、何か普遍的な要素による物だと仮定して調査しようとすれば、こうした論文に行き当たることもあるだろうな」
 なるほど。そういうものなのか。
 ……さて、それでは本題、夏休みの課題関連の質問だ。
 俺は改めて国原先生の方を向き直り、そして訊いた。
「国原先生は蛇塚っていう単語に聞き覚えありませんか? 蛇神祭りについて調べているうちに出てきたんですけど、その正体が何なのか全然詳細が分からなくて」
 現状、調べていて分からないことと言えば真っ先にこれだ。
 蛇塚とはいったい何であり、今何処にあるのか。
 上森神社の謎に迫る為には、このパズルのピースは必要なはずだ。
 国原先生は少しの間何かを考えるような仕草を見せ、どこか感慨深げな声で言った。
「やはり君達もそこにたどり着いたか。ということは本当に真面目に調べているし、進捗も順調ということだ」
「何か知っているみたいな言い方ですね」
 対する国原先生は深く頷いた。
「何故なら、その昔私自身が、まさしく『蛇神』や『蛇神祭り』、『蛇塚』といった、上森町の謎について挑んだからだ」
 意外な回答だった。
 国原先生も、俺と久遠がやっているようなことを昔にやっていたってことか。
 いや、確かに驚きはするんだけど、同時にこれによって納得できることもある。
 例えば勾坂さん。
 彼女が国原先生を訪ねて来た理由は、大学で偶然国原先生の名前を知ったからだと言っていた。だけど恐らく、どこかで国原先生が蛇神に纏わる謎に挑戦したことがあるという情報を得たからだという可能性は十分にあり得る。
「……それで、どうだったんですか? 謎は、解けたんですか?」
「……多くの学者がこの謎に挑み、いくつもの論文が作成され、そしていくつもの仮説が打ち出された。だが、結論はいまだに出ていない。少なくとも、私が先日確認した限りではそうなっている。蛇塚についても関連する論文や報告書はいくつも存在している。冷静に内容を読み解いていけば、必ずそこにたどり着けるはずだ。……今回の夏休みの課題だが、私が君達に求めるものは『正解』ではない。調査で手に入れたいくつもの資料と、そこから見えてきたもの、君達が正しいと感じられる仮説、つまり『自分達なりの結論』だ」
 『自分達なりの結論』か。
 確かに今の国原先生の話から考えると、上森神社に纏わる謎の全てを完全に解き明かすなんていうのは、現実的に考えれば無理な話だろう。だけど俺達は、あくまでも自分たちなりの結論に辿り着けさえすればいい。
 それなら全く無理という事も無さそうだ。
 それに、今の話によれば国原先生はかつての調査で、結論を出し切れなかったという事のようにも感じられる。
 だとすれば俺と久遠は、国原先生と対決しているような構図になるのかもしれない。
 そう考えると、奇妙なやる気が湧いてくるようだった。
 国原先生は腕時計を見て立ち上がる。
「何か聞きたいことがあったら、遠慮なく連絡してくれ。今年の夏休みは特別な用事もないから、電話には出られるはずだ」
 そう言うと国原先生は、連絡先の書かれた名刺を取り出し、俺と久遠に渡してくれた。

× × ×

 国原先生が帰った後、俺達は二人での調査を再開した。
 これだけ長時間居座っている利用者も珍しいのか、受付にいた女性の職員さんが何度か様子を見にやって来た。
 そして時間が午後五時を少し過ぎた頃、久遠が言った。
「色々調べてみたけど、この辺が限界なのかな……」
 確かに関係のありそうな情報というのはいくつか手に入れることが出来た。だけど、確かな答えのようなものは出てこなかった。
「……今日はこの辺までにして、とりあえず帰るか?」
「……賛成、そうしよう」
 そんな訳で、俺と久遠は大量のメモとコピーを持って、閉館時間の近づく民俗資料館を後にして帰路についた。
 遠くで鳴く蝉の声に交じって、草むらからも色々な虫の合唱が聞こえ始めている。夏の町は、人の気配がなくても意外と賑やかなものだ。
「――ッ!?」
 俺は思わず足を止めた。
 ……気のせい、なのか?
 周囲に人影はない。
 だけど何故か、誰かの視線というか、まるで尾行されているような、そんな奇妙な感覚があった。
「どうしたの? 弘人」
 隣を歩いていた久遠も足を止め、怪訝そうな表情でこちらを振り向いた。
 この感じだと、久遠は特に誰かの気配を感じたりという事はないようだ。
 本当に思い過ごしだった、のか?
 まあ、さっきまでいつもは使わないような集中力を使っていたせいで、変な部分で神経質気味になっているだけかもしれない。
「……いや、何でもない」
「ねえ、そんなことより弘人、明日って空いてる? もしそうだったらウチに来てよ」
「何かあるのか?」
「神社の中で見つけた資料とかを弘人にも見てほしいの。それに、まだ見られてない場所とかもあるから、弘人なら新しく何かを発見できるかもしれないし」
「俺は特に予定もないし大丈夫だけど、良いのか? そろそろ蛇神祭りの準備とかもするんだろ、迷惑にならないか?」
「あ、その辺は全然大丈夫。じゃあ、親には私から話を通しておくね。……まあ、ついでに蛇神祭りの準備の力仕事とかもお願いしたいってのもあるんだけど」
「だろうとは思ったよ。まあ、手伝うさ」
 俺は苦笑交じりに頷いて、久遠の誘いを了承した。
 蛇神祭りの準備の手伝いとかも、まあ想定していた通りだ。
「ありがと、弘人。じゃあ、明日の朝九時に上森神社の境内で待ち合わせね」

第四話 上森神社にて

 翌日、朝食を食べた俺は上森神社に向かった。
 腕時計の針は、午前九時の少し前を指している。
 石段を上がって鳥居の先に目を向けると、参道のど真ん中には久遠が立っていた。夏の日差しに負けないような笑顔を見せながら、こちらに手を振っている。
「おはよー、弘人」
「ああ、おはよう。……今日は巫女服なんだな」
「まあ、一応ね。これが神社の制服みたいなもんだし。……正直暑いけど」
 焼けるような日差しの中、境内には蝉の大合唱が響いている。今日も夏真っ盛りだ。
 しかし、ここ数日の間に上森神社に関するいくつもの情報を知った後で、改めて見渡してみると中々感慨深いものがある。
 そもそも上森神社は、上森町の中でも地形的にはどちらかと言えば高台の場所にある。本殿の裏手に回れば、そこから上森町の様子を一望できるのだ。
 この場所が大昔から聖地の役割を持っていたという事は既に分かったけど、そう考えると太古の昔からここを訪れた人は上森町の様子を見下ろしていたのだろう。
 手水舎や社務所兼鏡宮家の家等は建て替えたり補修したりしたようで、で比較的新しいように見える。だけど拝殿や神楽殿などの建物は、一目でかなりの年季が入っていると分かる。
 さらには、その本殿よりも更に古いのではないかと思うような石像や、社、注連縄の巻かれた巨石などがある。
「それで、今日はどうするんだ?」
「うーん、色々あるし、どうしようかな……。そうだ、せっかくだからまずは、弘人にウチの神社の中を案内してあげるよ。どっか見てみたいところある?」
 上森神社の巫女である久遠直々の上森神社ツアー、というわけか。
 それはそれで面白そうだ。
「……そうだな。じゃあまず、拝殿の方からお願いできるか? そういえば中に入ったこと無かったし」
「いいよ、ついて来て」
 そう言って歩き出した久遠の後を追い、俺も拝殿の方に向かった。
 賽銭箱の脇を抜けると、久遠は取り出した鍵で拝殿正面の扉を開けた。
「そっか、弘人はここ入ったこと無かったんだ」
「多分、覚えてる限りはそうだな。そういえば、上森神社の御神体ってどんな感じの物なんだ?」
「では、特別に見せてあげよう」
 久遠はそう言いながら拝殿の奥にある木製の小さな社を開いた。
 その中に、『それ』はあった。
「……鏡、なのか?」
「そう、これが上森神社拝殿最深部に収められている御神体の正体だよ。……で、正直な感想は?」
「正直言うなら、拍子抜け、かな。もっと凄い物が出てくると思ってた。鏡だって言われなければ、そして神社の中になかったら、特別神聖なものとは思えない見た目かな。そもそも錆びて真っ黒だし、装飾もほとんど無い円形の金属の板だろ? 何も言われずにその辺でこれを見て、御神体だと気付けという方が無理難題だとおもうぜ」
「まあ、正直にってなったら素因な感想だよね。拍子抜けっていうのは分かる気がするよ。私も初めて見たときはそうだったしね。……そうだ弘人、実を言うと、祭りの準備で倉庫の奥にしまってある道具を出してこなきゃいけないんだ。悪いけど手伝ってもらうよ」
 悪いけど、と言いつつ久遠の表情は全く悪びれる様子もなかった。
 まあ、一緒に上森神社について調べると決めたときに、祭りの準備を手伝うことは約束していた訳だから、やるしかない。
 俺は久遠の指示で、境内の隅にある倉庫の方に向かった。そして二棟ある倉庫の片方から、その奥にしまわれている幾つもの頑丈そうな木箱を外に出してきた。
「いったい何が入ってるんだ?」
 背後から久遠の返答があった。
「祭りで使う飾りと、後は私が切る衣装だよ。一応文化財か何かに指定されてるのもあるから気を付けてね」
「……尚更自分でやった方がいいのでは?」
「だって重いんだもん。特に大切なのが宝玉と宝鏡ね」
 俺が一通り持ってきた木箱の、中でもひときわ厳重そうな鉄枠と南京錠の付いた物。
 久遠はそれを指差して言った。
「それの中に入っているのが、宝玉と宝鏡。宝玉は勾玉で首から下げるネックレスみたいなやつ。宝鏡は丸い鏡で、これも紐が付いてるから儀式の時に最初は首から下げる。お神楽の最初に外して供えるけどね」
「勾玉と鏡か。まるで三種の神器みたいだな」
「実際、宝剣もあったらしいよ。そもそもこれらは上森神社の前身である蛇神神社が出来るよりも昔から、この辺りの地域で儀式を行うために使っていた道具みたいなんだよね。だけど、大昔に水害があって、その時に無くなっちゃったんだって。他に何か見てみたいところとかある?」
 俺は一度倉庫から出ると境内を見渡した。
 一度詳しく見ておきたい場所、か。……他の所だとあそこだな。
「……神楽殿、とか?」
「よし、じゃあこっちだ。ついて来て」
 久遠の後について、靴を脱いで社務所に上がり、そこから橋を渡って神楽殿の中に入った。今は戸が閉められて外からの光が射し込まない状態だ。とても暗く中の空気と板張りの床はとてもひんやりしている。
 そんな暗闇の中を久遠は迷い無く歩いていき、馴れた手付きでスイッチを入れる。
 パチンッ、という音と共に、天井に着けられた小さな裸電球が、オレンジ色の光を放ち始めた。
「そういえば、弘人は神楽殿の中に入るのって初めてだっけ? そんなこと無いよね?」
「昔から何回も遊びに来てるし、初めてって訳じゃないな。だけど、こんな風にちゃんと観察するのは初めてだ」
 電球は勿論後付けだろうし、補修されて新しくなっている部分はそこそこある。だけど、基本構造そのものは何百年も前の建物だ。その歴史が持つ圧倒的な威圧感が、神楽殿の全体から感じられる。それは、本殿から感じたのとはまた別種のモノだった。
 きっとそれは、ここが御神楽を舞う場所として使われ続けてきたからこその、積み重ねた歴史の違いから来るモノなのだろう。
「弘人、天井を見てみて。外からだと見えないんだけど、面白いモノがあるから」
「天井?」
 俺は久遠に言われるままに上を見上げた。
 ――なるほど。
 これは間違いなく面白いモノだ。
 神楽殿の天井には、その一面に巨大な絵が描かれていた。
 その巨大な天井絵からは、何か只ならぬ、この世のものとは思えないような迫力が感じられた。
 俺には、それが何を意味しているのかまるで分からないにもかかわらず、だ。
 俺が言葉を失っていると、久遠が言った。
「……この絵が表しているのは、空だよ。あの白い渦みたいなのは雲。それから、よく見ると星と月も描かれている。星の位置もかなり正確で、これは丁度夏の夜空と同じなんだ」
「……写真、撮ってもいいか?」
「どうぞどうぞ」
 スマホを取り出し、何枚か写真を撮った。
 ……しかし凄いな。この神楽殿が建てられたのがいつの頃なのかは分からないけど、天井絵の状態はかなり良く、殆ど色褪せていない。写実的と言うよりは、星々の位置関係を重視して記号的に配置したような絵だけど、そこから感じる威圧感にも似た迫力は、本物の夜空に引け劣らない。
 ……ん?
 写真を撮りながら観察していると、奇妙な物が描かれているのに気がついた。
 雲、とは少し違う気がする。 
 星空を描いた天井絵の一部に、白い鱗雲のような巨大な模様が描かれていた。
 まるで蛇の鱗のような、巨大な白い縄目模様。
「……これ、蛇神を象徴する模様、だよな?」
 久遠が隣に立ち、一緒に天井絵を見上げながら俺の問いかけに応じる。
「うん。少なくとも、私はそうだって考えてる」
「それが星空に堂々と描かれている、か。中々意味深な絵だな」
 実体としての姿がまるで分からない蛇神という神様と、それを祀る神社の神楽殿の天井絵に描かれた謎の模様。無関係だと考える方が難しい。
 もしかしたら蛇神っていうのは、こんなに巨大な、途方もないスケールの力を持った存在だったりするのだろうか?
 或いは星々の位置関係が写実的であるように、本当の夜空にこんな模様が現れることがあるのだろうか?
 俺はそんな事を考えながら暫くの間、神楽殿の天井絵を眺めていた。
 そして、ふと我に返り今の時間を確認した。
「……っと、もう十二時か。良ければ昼ご飯を御馳走しようと思うけど、いる?」
「本当に良いのか? くれるっていうなら遠慮なくもらうけど」
 対する久遠は、満面の笑みと共に返答した。
「よし、じゃあ私の手作り料理をご馳走してあげよう!」
 そう言って神楽殿を出る久遠におれもついて行く。
 橋を渡って社務所に戻ると、久遠が集会場として使われることもある和室の方を指さしながら言った。
「じゃあ、そっちで少し待っててねー」
 そう言って別の部屋に向かう久遠の後ろ姿を見送った俺は、社務所の中にある長机の置かれた和室で、一人座布団に座って待っていた。
 そして数分後。
「なるほど、素麺か」
 お盆の上に、大皿の上に盛られた素麺と二人分の付け汁、そして二人分の麦茶の入ったコップを乗せた久遠がやって来た。
「もらい物とかがやたらとたくさんあってね。乾麺っていってもほっとけば悪くもなるからさ。……何、不満なの? 幼馴染の手料理だよ? あ、付け汁は足りなかったらその辺のやつ適当に使って」
「いや、内容に不満はない。感謝してるし、夏に冷や麦はむしろうれしい。不満があるのは、これを手料理と言い張るお前の根性だけだ」
「何よ、お湯沸かして茹でてるんだから間違いなく手料理でしょ?」
「いや、その理屈で行くとカップ麺も冷凍食品も手料理の範囲に入ることになる」
「手料理だと思うよ、私は」
「……そうなのか、まあ、そうかもしれないな」
 まあ、一応折角の好意で御馳走してくれるわけだし、美味しく頂くとするか。
 しっかりと冷やされた麵と、良い感じの濃さの麺つゆの、夏に相応しいコンビネーション。その確信的な美味しさは、料理にかかる手間や食材のコストが、食事という行為の満足感とは本質的に無関係であることを雄弁に語っているじゃないか。
 そもそも、久遠がこの素麺を美味しく食べることが出来る状態にしてくれたことは、紛れもない事実じゃないか。これに対して、感謝以外の何を思えというのだろうか?
「……弘人、さっきから神妙な顔で黙々と麺を啜ってるけど、一体どうしたの?」
「お前が素麺を作ってくれたことに対する感謝を、心の中で捧げているところだ」
「左様ですか。……なんで声に出して言ってくれないの? 多分私、喜ぶと思うよ?」
「いや、大仰な演説みたいなのを面と向かってやるのは、流石に恥ずかしいかな」
「なるほどね。じゃあ、恥ずかしいついでに質問」
 ……恥ずかしいついでって何だ?
 まあ久遠が相手なら、よっぽどの質問じゃない限り、問題なく答えられると思うが。
 そう思いつつ僅かに身構えて待っていると、久遠はいつもと変わらない調子で言った。
「弘人って、ちーちゃんのこと好き?」
 ――ッ!?
 油断していたところに、想定外からの角度の質問が飛んできた。
 思わずむせる俺を、久遠は殆ど真顔のまま見ていた。
 何? 俺が神宮路さんの事を好きかだって?
「因みに私は大好き。無二の親友ってやつだね! もはやちーちゃんがどう思ってるかなんて関係ないよ。私はちーちゃんが大好き、ちーちゃんも多分私のことが大好き」
「……あー、じゃあ多分、俺もそれくらい好きだわ。うん、それでいいや。……って言うか、いきなりどういう質問だよ、一体どういう風の吹き回しだ?」
「別に? 特に深い意味なんてないよ。ただ、強いて言うなら念のため、かな? うん、だけど良かった。私達三人の友情パワーは永久不滅だね!」
「……神宮路さんの意見を全く聞いてない上に、俺がお前のことをどう思ってるかも聞かないで、その謎の自信はどこから来るんだ?」
「あー、それは大丈夫。分かってるから。だから大丈夫なんだよ」
 ……良く分からんが大丈夫らしい。
 久遠がそう言うなら、まあ、そういう事にしておこう。

× × ×

 思ったよりも大量の素麺を有り難く頂き、午後。
 ここからは俺達二人で神社の倉庫の、二棟あった倉庫のもう一方を調べることになった。
「こっちの方には本とかが沢山しまってあるんだよね。それこそ、失踪した先代神主の時代とかそれよりも古くからの物が沢山、ね」
 久遠はそう言いながら倉庫の鍵を開け、軋む金属製の重そうな扉を開いた。
 想像以上に無造作に大量の本が積まれた暗い倉庫の中は、古本屋などと同じ様な独特の匂いがした。
「……これは、確かに何かありそうだな。間違いなく何かはありそうなんだけど、ここを調べるのはとんでもなく大変だと思うぞ」
「だからこそ一緒に調べようってこと。さあ、頑張るぞー」
 そんな久遠の掛け声で調査が始まった。
 とは言え全部に目を通すのは流石にキリがない。
 他では手に入らないような、上森神社に関する有益な何らかの情報が載っていそうなもの、例えば古文書とか、後は上森神社関係者の手書きのノートとか、そんな感じのものが見つかると良いんだが……。
 そんなことを考えながら資料の山を眺め、それなりの時間が経過した。気になった資料は取り出して軽く目を通してみはするけど、中々目ぼしいものには行き当らない。
「……これとかは、もしかして良い感じか?」
 それは、『大八島神代記写本』と書かれている、見るからに古そうな和綴じ本だった。
 明らかな古文書で見慣れないような漢字が多く使われているけど、それでも一応は日本語なので書かれている内容を読み解くこと自体は出来た。
 そんな大八島神代記写本の中を捲っていくと、気になる記述を見つけることが出来た。
『この大八島には、遥かなる古より蛇の神あり。
 時に猛々しく、時に慈悲深く、どこまでも美しきその蛇の神は、人々の恵みと守護を司らん。
 山野に住みて獣を狩り、木の実を採る人々は、遥かなる昔より蛇の神を祀る。
 空の国から神子が降り立ちし後も、彼等は蛇の神と共に有る。
 空の神子もまた、蛇の神と共に有り』
 ……この記述が具体的に何のことを語っているのかは、正直に言って分からない。
 だけど。
「久遠、ちょっといいか?」
「ん? どうしたの?」
「見つけたかもしれない」
 俺はそう言って、この古文書を久遠に見せてみた。
 久遠は上森神社の巫女だ。俺よりも間違いなく上森神社に関する諸々に詳しい筈なので、俺よりも更にいろんなことに気が付くかもしれない。
「大八島神代記写本? こんなのあったんだ、初めて見た」
「それで、ほら、ここのところ」
 俺は、見つけた例の一節が書かれている部分を示しながら言った。
 それを見た久遠の表情が変わった。
「……これ、もしかして蛇神のこと?」
「久遠もそう思うか?」
 彼女の表情には、いつにない緊張感が見て取れた。
「今日まで調べてきた情報から考えたら、ね。ここで語られている『蛇の神』っていうのが、私達の追っている蛇神だと考えるのは、まあ、自然かな」
「だよな、俺もそう思う。これでやっと、ちゃんとした手掛かりが掴めた。その先、何が書いてある?」
 久遠が大八島神代記写本を声に出して読み進めた。
「『――黒き蛇の神、天より来たりて力をもたらす。なれどその力、極めて強大。死と破壊、混沌と厄災をもたらすものなり。その力顕現せし時、一切ことごとくを壊滅せしめ、人の世を終わらせるものなり。終末を回避する術はただ一つ。大いなる契約を結びし、選ばれし巫女の命。それが唯一、黒き蛇の神に抗い、打ち勝つための方法なり――』」
 読み終えた久遠の表情からは、確かな動揺のようなモノが見て取れた。
「……久遠、これって」
 何なんだ? これは。
 一切ことごとくを破壊?
 人の世を終わらせる? 
 蛇神っていうのは、そんなヤバい神様なのか?
 少しの沈黙の後、久遠は言った。
「……知らない。私も、初めて聞いた。何だか、随分不吉っていうか、物騒なことが書いてあるね」
「いや、久遠、そんなことよりも――」
「――黒き蛇神、死と破壊、終末を回避する術、……選ばれし巫女の命。この辺りのことかな?」
「お前だって、他人事じゃないだろ!?」
 久遠が読んだ大八島神代記写本を引ったくるようにして取り上げ、俺自身の目でもう一度確認する。
 確かだ。
 確かに間違いなく、久遠が読み上げたとおりの文章が、そこには記されている。
「ここに書いてあることを、文字通りの意味として考えるか、それとも何らかの暗喩と考えるべきなのか、まずはそこからなんじゃないかな?」
「それは……」
 確かに久遠の言っていることは正しい。
 それは分かっている。
 だけど、俺はどうしても、不吉な予感を拭いきることが出来なかった。

× × ×

 気が付けばもうすっかり夕方になっていた。
「どう弘人、そっちは何か見つかった?」
「……いや、結局さっきのあれ以上の物は見つからなかった。久遠の方はどうだ?」
「私も全然ダメ。実際にやってみると、結構難しいものだね」
 目を通していない本はまだまだ沢山あるけど、今日確認できた中で言えば、俺が見つけたあの記述以上のモノは発見できなかった。
 ……しかし、大八島神代記写本についてはどう考えれば良いんだ?
 ここでいきなり、『蛇神は世界を破滅させる存在で、それは実在する』みたいな方向に話を持って行くのは流石に飛躍しすぎかもしれない。
 蛇神というのは何かの象徴で、あの表現も比喩なのだろう。
 しかし、だ。例えそうだったとしても、そこに付随する表現の数々は余りにも不吉なモノが多すぎる。
 確かに神社の中には、所謂『祟り神』を祀っているところもあるみたいだし、蛇神の正体がそういった
「弘人、もしかして、大八島神代記写本に書いてあったこと、気にしてるの?」
「まあ、な。そりゃ嬉しくはあったよ? 蛇神についての具体的に書かれた情報なわけだし。だけど、ほら、内容が内容だったからな。……それこそ、久遠にとっては、無関係な記述じゃなかっただろ?」
「巫女の命がどうのこうのってやつ? 大丈夫だよ。弘人は考えすぎだって」
 そうなのだろうか。
 上森神社、蛇神、蛇神祭り……、それらが大昔から受け継がれてきたこと、蛇神に対する強烈な信仰が存在する事は間違いない。
 だけど久遠は、いつもと変わらない明るい笑顔を俺に向けながら言った。
「何も心配することなんてないって。そりゃー、この世界に不思議なことなんて何一つないなんて言うつもりはないけどさ。万が一実在したとしても、蛇神は悪いことをするような神様じゃないことは、巫女の私が保証するよ。じゃあ、明日も今日と同じ時間ね」

× × ×

 一夜明けて木曜日。今日も昨日に引き続き、朝から上森神社の中で調査だ。
 因みに、久遠の両親は、蛇神祭りの打ち合わせに出かけていて遅くまで帰らないそうだ。
 そんな訳で俺と久遠は、昨日に引き続き倉庫の中で古書をひっくり返しながら、上森神社の成り立ちや蛇神の正体について探ることにした。
 だけど昨日の『あれ』以降、中々有益な情報を見つけることは出来なかった。
「……なんだこれ、地図、なのか?」
 それは、かなり古い上森神社の境内見取り図のようだった。
 つまり上森神社と呼ばれるようになるよりも前の、かなり昔の物ということになる筈だ。
「お、少し面白そうなものを見つけたみたいだね」
 そう言いながら久遠が覗き込んできた。因みに彼女は今日も巫女服だ。つくづく暑そうだとは思うけど以前「慣れれば意外と大丈夫だよ」と言っていたので大丈夫なのだろう。
「……ぱっと見、建物とかのおよその位置関係は今と同じだな。今よりも境内が広いように感じられるけど」
「今だと記念碑とかが建ってたりするからね。あとはほら、こことここ、今だと稲荷社と弁天社が建ってる場所だけど、この地図だと何もないでしょ」
 久遠の指さした場所は地図だと空白になっている。
 そういえばそうだ。今の上森神社には、それらの場所に社が建っている。
 確か稲荷者の所にある看板には、上森町のどこかから移動してきたみたいに書いてあった気がするし、そこそこ新しそうに見える弁天社に関してもそういうような事情があるのだろう。
「あれは他の場所にあったやつを移動してきて合祀してるって訳だよな。それが、少なくともこの見取り図が出来た後って訳か。……あれ、ここには何かあるな」
 地図上の境内の端の方に、小さな社があることが示されている。今って、この場所に何かあったっけ?
「これは、今でもあるやつだね。刃物供養の社だよ。祀ってる神様の名前はよく覚えてないけど、刃物供養だし鍛冶師関連とかなのかな」
「久遠も覚えてないのかよ。この見取り図にも名前は書いてないな。とはいえ、上森神社とは直接的な関係はなさそうだな。他を調べるか」
 少し気になりはするけど、昨日の大八島神代記写本に匹敵するような秘密を抱えている、なんてことは無さそうだ。
 そんなわけでしばらくの間、俺達は昨日に引き続き、倉庫の中の資料を漁っていた。
 ……しかし熱い。
 いくら直射日光の当たらないような薄暗い物置とはいえ、この夏場に扇風機だけというのは中々に辛いものがあった。
 黙々と古書に目を通していた俺達だが、遂に久遠が声を上げた。
「やっぱり熱い! 家の方に戻って何か冷たい飲み物持ってくるよ。麦茶とかでいいかな?」
「オッケー、凄く欲しい。正直、とても助かる」
「分かった。じゃあ、ちょっと行ってくるね」
 そう言うと久遠かは倉庫を出て、社務所の方に歩いて行った。
 しかし、改めて見ると凄い量の本だ。
「……ん? 何だあれ」
 何気なくその山積みの本を見渡していると、一冊だけ周囲の古書と比べると浮いているような本があった。
 手に取ってよく見てみると、それは本ではなく少々凝った装丁の手帳だった。
 古い、のは間違いないけど、この場にある多くの古書と比べれば、比較的新しい部類には入るだろう。
 書かれている内容の多くは上森神社の神事に関係あるようなメモであり、この手帳の持ち主が上森神社の関係者であることは間違いない。
 ……まさか、先代神主の持ち物なんじゃないだろうか?
 その可能性は、十分にある。
 だとすれば、この中に彼が失踪した謎の答えに繋がるヒントがあるかもしれない。そう思いながら、俺は手帳を読み進めていった。
 手帳は後半三分の一程度が空白になっており、何らかの事情によってこの手帳が使い切られなかったことは明白だった。
 『使い切られなかった理由』が何なのか、それを調べるために俺はこの手帳の、特に後半部分に何が書かれているのか読んでみることにした。
 そして、ついに気になる記述を見つけた。
『玖守孝蔵(くがみ こうぞう)の忠告は正しかった。黒き蛇神の復活は、想定していたより早いかもしれない。早急に備える必要がありそうだ』
 見覚えのない名前が出てきた。
 何らかの忠告を発したというこの人物とこの記述を残した人物は、蛇神にまつわる『何か』を知っていると考えて間違いないだろう。
 再び手帳を読み進めていくと、更に気になる記述があった。
『蛇巫に選ばれた歴代の巫女は、いずれも黒き蛇神を鎮める役割を背負っていた。過去の文献を調べる限り、生贄は例外なく蛇巫が務めている。ただ一件の例外も無い。故に、私ではその役目は果たせないと考えて間違いないだろう』
 ……昨日見つけた大八島神代記写本にも、生け贄に関する記述はあった。久遠はそれを、文字通りの意味とは限らない、と言っていたけど果たして本当にそうなのだろうか?
 失踪した先代神主、彼の持ち物だったと思われる手帳、そこに記された記述、そして上森神社の巫女である久遠。
 これらの単語を並べれば、どうしても嫌な想像が広がってしまう。
 蛇神というのがどんな神様かなんて、最早この際関係ない。
 それが実在するかどうかも重要じゃない。
 仮に、もし仮に、だ。
 上森神社に、生け贄を要求するような儀式を行う風習が継承されているとしたら?
 今まで得てきた情報から考えれば、その犠牲になるのは間違いなく久遠だ。
 手帳の記述は、まだ続く。
『黒き蛇神の復活阻止が最優先だ。儀式としては不完全だが、後継者を見つけるまでの時間を稼ぐことが出来ればいい。この覚書は、後に選ばれる者が正しく儀式を行う助けになるように残す』
 そして、次でいよいよ最後の一節になった。
『町内会役員、及び、警察関係者との打ち合わせは滞りなく完了。神宮路への連絡事項、全て完了。明日、儀式を行う』
 ここで手帳の記述は途絶え、後は全て空白のページだった。
 ……これが、失踪した先代神主の残した記録という俺の予感は、多分当たっている。
 当たってはいるだろうけど、だとすればこれはいったい何を意味しているんだ?
 彼は失踪する直前に、蛇神に関する何らかの儀式を行った。
 だとすれば彼の失踪は、その儀式が原因だと考えることには、それほど無理はない。
 そして、この手帳と大八島神代記写本の記述から考えれば、上森神社には生贄を要求する儀式が存在すると考えて間違いないだろう。
 ――足音が聞こえてきた。
 どうやら久遠が戻って来たようだ。
 俺はそのメモ帳を、元の場所に戻した。
 これを見つけたことを久遠に伝えるべきか、それとも黙っておくべきか。
「はい! 冷たい麦茶、持ってきたよ! ……って、どうしたの?」
 ……伝えるべきだろう。
 これが失踪した先代神主の残した物なら、蛇神に関する多くの謎を解くための、とても重要なヒントになるはずだ。
 これを足がかりにすれば、上森神社の隠された真実を解き明かすことが出来るかもしれない。
 そんなことは分かっている。
 分かってはいるけど……。
「い、いや、何でもない」
 俺は久遠に言えなかった。
 ある一つの、最悪の疑問に対して、俺の中で答えが出せなかったからだ。
 今、俺の目の前に提示されている情報を繋ぎ合わせた時に現れるのは、久遠が何らかの儀式で生け贄にされるのではないかという可能性。
 だけどもし、久遠は既にその事を知っているとしたら?
 自分が儀式の生け贄になる事を知っていて、その上で久遠は今日の、今に至るまでの態度をとっているのだとしたら?
 そんな時に俺は何と言えばいいのか、その答えを出すことが出来なかった。

× × ×

 昼食は、昨日と同じように久遠から素麺を御馳走になった。
 そして午後も、同じように倉庫へ古書を調べに戻った。
 調べてはいるのだけど、昨日の大八島神代記写本やさっきの手帳の事もあって、正直上の空だった。
 ちなみにさっき俺の見つけた手帳に関しては、まだ久遠がその存在に気がついた様子はない。
「ねえ弘人、少しいい?」
「ん? どうしたんだ?」
「……もし、もし仮にだよ? これはとんでもなく馬鹿げた、現代の日本で考えたら本当にバカバカしいような話なんだけど。蛇神っていうのがとんでもなく邪悪な、世界を滅ぼすような力を持っていたとして、その封印の為に私が生贄になる必要があるとしたらさ、……弘人は私の事、助けに来てくれる?」
 本当に唐突な質問だった。
 そう感じると同時に、昨日見た大八島神代記写本、そして、さっき見つけた手帳のいくつかの記述がフラッシュバックし、脳に氷水を流し込まれるような感覚に襲われた。
 ……あれが、あれらの記述が、文字通りの真実だとでもいうのか?
 あんな荒唐無稽が現実だというのか?
 あまりにも空想じみた、大げさでばかばかしいソレ、何かの真実を含んでいると、久遠はそう言いたいのか?
 久遠は口調の、その表所も、決して冗談を言っているようには思えないような真剣さがあった。
 ……俺は、試されているのか?
 久遠にとって、そんな壮大な秘密を共有する資格があるかどうかを。
 いや、待て。
 冷静になるんだ。
 意味を深読みしたって、何がどうなるわけでもないんだ。
 だから俺は、ただただ心に従って答えればいい。
 俺は一度目を閉じて深呼吸する。
 そして、開いた目線の先にしっかりと久遠のことを見据え、そして答える。
「正直に言って、久遠がその質問にどんな意図を込めたのかは分からない。だけど、もし本当にそんなことが起こったとしたら、それでも俺は久遠の命を助けたい。その上で、久遠が犠牲にならないで済む、世界を守る方法を探したい」
 今の久遠の質問が何処まで本気なのか、蛇神に関連する諸々の何が真実なのか、今の俺では断言出きることが何一つとして存在しない。
 そんな中で出せる、最大限の答えがこれだった。
 対する久遠は、少し呆れたような表情で言った。
「……まるで物語の主人公みたいだ。弘人がそこまで言ってくれるのは、うん、何だか少しだけ嬉しいかな」
「主人公になれるならなってみたいさ。だけどまあ、正直ガラじゃないかな? 似合うとは思ってないよ。だけど、だったらよっぽど久遠のほうが似合わない」
「え、私? 似合わないって、何が?」
「そんな、犠牲になるか助けてもらうだけの悲劇のヒロインみたいな役、久遠には似合わないと思うってことだよ。もし本当にそんなことになったとしても、俺が同行する前に、まず久遠自身が動いてると思うけどな。それこそ、俺の出番なんてなくなるくらいに」
 仮に、だ。
 仮に総て真実だったとして。
 余りにも荒唐無稽な仮説と目を疑うような記述が真実だったとして。
 それでも久遠なら、俺の知っている久遠なら、俺の助けなんか借りずに自分の運命に抗うはずだ。
 いつも側で見続けてきた俺なら、久遠のそういう強さは断言できる。
 対する久遠は、少しの沈黙の後に言った。
「ははは、こんな変な質問に、そこまで真剣に答えてくれるのは、何だか嬉しいかな。……ごめん、変なこと聞いちゃって。あんまり気にしないで」
「久遠の方こそ、あんまり気にしないでくれ。俺も少し、上森神社について調べてる中で色々思うところがあったからな。……っと、もうこんな時間か。今日はこれくらいにするけど、明日からはどうする?」
「明日から蛇神祭りの準備が、結構本格的になるんだよね。ここ数日みたいな感じに毎日のように会って一緒にやるのは無理そうかな。また何か新しいことが分かったりしたら、その時に連絡してよ」

第五話 藤堂龍一郎

 夏の日差しを遮る雑木林に、蝉の声が鳴り響いている。
 そんな雑木林の先で、誰かの啜り泣く声が微かに聞こえた。
 俺はその声のする方に向かって、ゆっくりと歩いていく。
 伸び放題の雑木林に隠れた石段がある。それを登った先に、苔むした小さな社があった。その社の裏側に回ると、数人の人間が入れる小さいスペースがあった。
 膝を抱えて俯きながら泣いている少女が、そこにいた。
 白と赤の巫女装束に身を包んだ、長い黒髪の幼い少女。
「久遠?」
 俺は無意識に、彼女のことをそう呼んだ。
 そうだ、この子の名前は久遠。
 俺と同い年の、幼なじみの少女だ。
 久遠が顔を上げて振り向いた。
 そして立ち上がり、怒鳴るようにして言った。
「――泣いてないからっ!」
 そう言って久遠は、しばらくの間俺のことを睨みつけてきていた。
 そのまましばらくの時間が経ち、少しだけ俯いた久遠が絞り出すようにして言った。
「……弘人、……私、ちゃんと出来るかな?」 
 その久遠の言葉に対して、俺は無意識のまま答えた。
「大丈夫だよ。だって久遠、凄いじゃん。御神楽の練習は昔からやってるし、凄くかっこいいのはボクだって知ってるよ」
 久遠が少し困ったような、そして呆気にとられたような表情になり、そして言った。
「……かっこいい、かな?」
 俺はその問いかけに、うなずきながら答えた。
「うん。それに――」

× × ×

 ――枕元で鳴り響くアラームを消して、俺は布団から這い上がる。
 室内の温度はぬるく、カーテンの隙間から射し込む朝日はとても眩しい。
 現在の時刻は午前七時三十分。夏休みの起床時間としては上出来すぎるくらいだ。
 ……それにしても、随分と懐かしい夢を見ていた気がする。
 あれは確か小学一年生の時、最初に久遠の御神楽を見た蛇神祭りの前日だっただろうか?
 確かあんな事があったような気がするけど。
 だけど、あれ以上のことは思い出せない。
 結局俺は、あの時なんて言ったのだろう?
 ……まあ、今そんなことはどうでもいい。考えなきゃいけないのは蛇神についてだ。
 蛇神の正体、蛇神祭りの真実、先代神主失踪の裏……。大八島神代記写本や手帳の記述からの俺の推測があっているにせよ、間違っているにせよ、今はとにかく少しでも情報が欲しい。
 蛇神に関わる、真実につながる情報が。
 朝食を終えた俺は、必要になりそうな物をカバンに詰め込むと早々に図書館に向かった。
 久遠にも声をかけた方が良いだろうか? と思ったけど、「蛇神祭りの準備が結構本格的になる。何かあったら私の方から連絡する」とのことだし、とりあえず今は、自分一人でやってみることにした。
 それに、取り寄せの予約をした資料が届いたという連絡もあった。それらも受け取って確認してみたい。
 図書館に到着すると俺は受付に向かい、取り寄せた資料を受け取る。
 そしてすぐに、広報誌や古地図、災害記録、伝承や民話をまとめた資料などが置かれている、地域資料のコーナーに向かった。
 前回、発掘調査の報告書から蛇塚に関する手がかりを探そうとして、どうにも上手くいかなかった。
 蛇塚の起源が縄文時代まで遡る可能性があるっていうなら、蛇塚は、それこそ何千年も前から存在していた筈だ。
 なのに、その跡地に建てられた神社からは蛇塚について書かれている資料が全然出てこない。聖地としての役割を引き継いだ神社だっていうなら、流石に何か残ってないとおかしいんじゃないだろうか?
 それでも、全くと言っていいほど蛇塚の情報は出てこない。そこに何らかの意図があるのかもしれないと疑いたくなるぐらいに、だ。
 上森神社の周辺からの出土品には、破壊された人型の土器が幾つも見つかっていることは、この前図書館に来たときに分かった。久遠が言うには、それは何らかの儀式で意図的に壊された可能性があるとのことだ。
 上森神社がその昔、蛇神神社と呼ばれていたことは、今までの調査で分かった。そして、蛇神神社が建てられるよりも更に前から、あの場所は何らかの聖地だった。
 このことは今まで調べてきた中ではっきりと分かったことだ。じゃあ聖地としてのあの場所は、一体どんな場所で、どんなことが行われていたのか?
 これを解き明かす為のヒントになるのは多分、過去に何度も行われている、上森神社周辺の発掘調査の報告書だ。
 俺は書架から、本と言うよりは雑誌に近い装丁の報告書を取り出し、内容を確認する。
 どうやら出土品の中で状態の良いいくつかは、上森町周辺の施設に教育目的で保管されているらしい。学校に置かれていた物も、これによる物なのだろう。
 報告書に記載されている発掘調査の参加メンバーの中に、見覚えのある名前があった。
 うちの日本史担当教師、俺と久遠が上森神社について調べるきっかけとなった夏休みの課題を出した人物、国原栄治だ。
 どうやら国原先生は昔の発掘調査に参加していたらしい。そういえばこの前民俗資料館で会った時に「上森町の歴史を調査対象にしていたことがあった」と言っていた気がする。もしかしたらそれが、この発掘調査のことなのかもしれない。
 俺の中には一つの漠然とした仮説が出来ていた。
 その仮説を確証に変えるために、確かにしておきたいことがあった。
 俺は、この前上森神社で撮った写真、それと、今まで調べた中で見つけた資料に掲載されていた写真や図説、今再確認している報告書の写真や図説を含めた、蛇神と何らかの関わりがありそうな物の外見を確認出来そうな資料を、片っ端から確認していく。
 ……やっぱりだ。
 蛇神に関する場所では共通して、蛇の鱗のような、縄目のような模様を見ることが出来る。だけど、やっぱり蛇神という存在を直接的に描写した物は一つも存在しない。
 蛇神があまりにも古すぎる神様だから残されていないからだと最初は思っていた。だけど、同じように大昔の絵画や土器などが残されて、あるいは出土している中で、蛇神の姿を直接的に表現する物だけが全く存在しないのだ。
 理由の一つとして、直接表現することがあまりにも恐れ多かったというのが考えられるかもしれない。
 だけど俺は、蛇神に対してこれは当てはまらないような気がする。
 確かに、日本古来の神に対する感覚としてそういったものが存在するのは確かだ。例えば神社のご神体は、その多くが鏡などであり、神はそれを依り代として顕現する存在だという。
 だけど、蛇神には上森神社の神楽殿の天井に描かれていたような縄目模様という明確なシンボルが間違いなく存在する。
 久遠は天井絵を指しながら『縄目模様こそが蛇神の象徴』だと言っていた。
 もしそれが真実なら、恐れ多いから覆い隠すなどということは感じ取れない。むしろ、その実在を誇示するかのように、その象徴は書き記されている。
 だとすれば、ある一つの可能性を推測できる。
 その推測の前提となる知識には、今回蛇神関連の諸々を調べる中で知った、いくつかの知識がある。
 それは、蛇神に限らず、そして日本に限らず、世界中の多くの原始的な古代信仰では基本的に『人々は神様と直接対話する術を持っていなかった』というものだ。
 神の言葉は巫女や神官、或いは預言者と呼ばれるような、特別な者達の口から語られてきた。
 神を祀る社は、そこに実体を伴う神が住んでいる訳じゃない。社の中に御神体という依り代を祀ることで、神と交信する場所だった、ということだ。
 つまり、神がこの世界に影響を与えるためには、この世界の物質を依り代にして顕現する必要がある。少なくとも、その必要がある神というのが、多く語り継がれ今なおその信仰の形が保たれているのだ。
 蛇神も、そういった物理的な実体を持たない、依り代への憑依によって顕現するタイプの神なんだろう。
 そういう事であれば、蛇神の実体としての姿を現す物が存在しないことにも納得が出来る。
 そして、蛇神が憑依したことを表すもの、それが恐らくは縄目模様の出現なんじゃないだろうか?
 蛇神の憑代に縄目模様が出現すると仮定すれば、様々な物体に刻まれたあの奇妙な模様の意味はとても分かりやすくなる。
 縄目模様の出現こそが、蛇神の出現と同義とも言える。
 建物や道具に縄目模様を刻むことは、そこに蛇神の力が宿ったことを意味する。
 あるいは土偶。
 多くの人型の土偶は女性であるとされているが、体中に縄目模様を刻まれたその姿は、自身を依代として蛇神を憑依させた蛇巫の姿を現しているのではないだろうか?
 久遠はこの前、道具を壊す儀式について教えてくれた。壊すという行為には、それを殺して死後の世界に送ることを意味しているのだという。
 そのことから考えるのなら、蛇神を憑依させた蛇巫の姿を示す土偶を破壊するという行為は、何を意味しているか? シンプルに考えれば、蛇神の憑依した巫女を生贄にする儀式の略式、という事になるんじゃないだろうか?
 そう考えると、『大八島神代記写本』に記されていた生贄の儀式というのは、千年以上昔の段階では実際に行われていた可能性が高くなる。
 俺のこの推測は、それほど大きく外れていないはずだ。
 ……それと同時に、あの手帳の内容が、いよいよ怪しく思えてきた。

× × ×

 蛇神については一区切り、といった感じか。
 次は、上森神社先代神主失踪について、どうにかして掘り下げてみることにした。
 先代神主の失踪事件は、上森神社関連の謎とは全く無関係な事だと思っていた。
 だけど、なにやら『裏』があって、それは上森神社と根深い関係がありそうなのだ。これについても改めて調べてみる。
 但し、まずは失踪事件そのものじゃなくて、先代神主がどんな人物だったかについてからだ。
 先代神主が失踪した時期はおおよその見当がついている。
 久遠から聞いた話を参考にして、神主失踪時期に近い、それ以前の時期に刊行された上森町の広報誌等の情報を調べていった。
 そして、いくつもの既刊本の記事を調べていく中で、該当人物と思われる記述を見つけることができた。
「赤牟大学、文学部、史学科、東洋古代史客員教授、上森神社神主、……藤堂龍一郎」
 藤堂龍一郎、多分この人だ。
 彼が、上森神社の先代神主だ。
 この記事に載せられている肩書きをみる限り、国原先生や勾坂さんと同じく、どうやらこの藤堂龍一郎という人物も、赤牟大学の関係者のようだ。赤牟大学は上森町からそれなりに近いところにあるし、多くの貴重な古文書を蔵書として持っている文系大学だと聞いたことがある。その辺が理由なのだろう。
 彼は上森神社の神主を務めると同時に、東洋古代史客員教授でもあったという。
 このあたりの情報を中心に資料を調べてみた。
 すると、彼が寄稿したいくつかの研究論文に行きついた。
 彼は『蛇』や『龍』といった存在を中心にその信仰や伝説を分析することで、日本におけるそれらの起源を探っていたようだ。そして、世界各地に存在する同様の性質をもった信仰や伝説との比較を行っていた。
 彼は『蛇信仰の始まりに関する考察』という論文の中で、今から一万年以上も前の段階で、世界各地の人類が巨大な力を持つ『蛇』あるいは『龍』のような存在を信仰し始めるような、何らかの決定的事象が発生した可能性があると結論付けていた。
 また『原始宗教における巫女』という論文では蛇巫について言及していた。
 蛇巫は儀式の中で蛇と交わることでその児を身に宿す『擬き』を行う。しかし、それですらも何らかの比喩である可能性があるのだという。
 また、蛇巫の役割は巫女、即ち女性でなければ果たすことができないものであり、そこには男女の性差が持つ生物学的な差異が、霊的な力においても同様の性質を持つものと解釈され、それが事実であると確信できる何らかの現象を引き起こしたことによって確立されたはずである、と記していた。
 どうやら先代神主である藤堂龍一郎は、上森神社の蛇神に関連づけられるような物事について、かなりの知識を持っていたようだ。
 ……それにしても、だ。
 いくつか彼の論文を読んでみたけど、そこにはある奇妙な特徴があるような気がする。
 いや、『ような気がする』なんて言う曖昧な予感じゃない。
 『一つの特徴がある』と断言できる。
 それは、神と呼ばれるような存在や、巫女の持つ特別な力といった所謂超現実的な存在や力について、それが実在することを前提として理論を組み立てている、ということだ。
 神は実在する、ならばそれはどのような存在なのか? どうすれば意志疎通できるのか? といった具合だ。
 確かに、原始宗教を信仰していた当時の人々はそう考えたかもしれない。だけど、現代の人間である藤堂龍一郎が、論文の中でそういった考えを披露することには違和感がある。
 加えて彼は論文の中で『原始の時代の人々は、常に死と隣り合わせにあった。それはつまり、現代の我々よりも遥かに、合理的で現実的な思考が要求される世界に生きていたという事になる』とも書いていた。
 これらを総合すれば、一つの仮定に行き着く。
 つまり、『原始宗教には合理性がある』ということだ。
 そしてもっと踏み込めば、藤堂龍一郎の論文を構成する大原則にも繋がるが『神と呼ばれる存在は実在する』ということになる。
 少なくとも、彼がそんな結論に達したのは間違いない。
 そしてその『神』というのは、俺たちが生きている現実に影響を与える力を持った存在、ということなのだ。
 上森神社の倉庫で見つけた手帳、そこに記されていた内容の切迫感、彼が神の実在を確信していたと考えるなら、蛇神という存在が実在し、現実世界に何らかの影響を与えることが出来ると思っていたのだろう。
 上森神社先代神主失踪については、今の俺が調べられることはこのあたりが限界かもしれない。
 どちらにしたって、余りにも突拍子もない話なのは確かだ。少し冷静に考えてみる必要がありそうだ。

× × ×

 ふと時計に視線を移す。
 まだ時間には余裕がありそうだ。
 どうせ本を読むなら涼しい図書館の中で読んでいこうと思い、取り寄せた資料の一つを手に取った。
 今から十八年前に刊行された、昔の月刊オカルトワールド。
 表紙や目次には一見しただけではただの作り話なのか、それとも本当にあったことなのか、判断のつかないような内容がいくつも書かれている。こんな内容の雑誌が毎月発行されてそれが今でも続いているという事も少しばかり不思議なことではあるが。
 まあともかく、今回俺がこの不思議な雑誌の昔の号を取り寄せた理由はたった一つ。
 上森町を舞台とする都市伝説、さまようゾンビに関係すると思われる記事だ。
 さまようゾンビの噂は『知る人ぞ知る』といった感じで語り継がれているようであり、俺が思っていたよりも随分と昔からある話だったようなのだ。
 そんな訳だから、当然のように月刊オカルトワールドにも関連する記事が掲載されることは、過去に何度もあったようだ。
 そして、それら多くの記事の中で、この十八年前の月刊オカルトワールドというのは、さまようゾンビの話題が記された最も古い雑誌なのだ。
 『上森町に出現した謎の水死体は、さまようゾンビなのか?』というタイトルの記事で、掲載されている記事の内容は次のような物だった。
 ある日、上森にある公園の池の近くで、身元不明の変死体が発見される。第一発見者である地元住人の通報を受けて、現場に警察が出動する事になった。
 最初公園の周辺は怖いもの見たさで集まった野次馬と、確認でやって来た警察関係者で騒然となっていた。
 警察に連絡をした第一発見者は、その現場を好奇心から観察していたところ奇妙なことに気が付いた。
 発見した変死体やその周辺は湿っており、また、その変死体と公園の池は、何かを引きずった跡のようなモノで繋がっていた。また、その変死体は全身に見慣れない文字のような物が刺青のようにして刻まれており、ボロボロになった無数の注連縄とお札のような物で覆われていたのだという。
 第一発見者の脳裏には、いささか荒唐無稽な想像が浮かび上がった。この状況はまるで、その奇妙な変死体が池の中から地上の今倒れている地点まで這ってきたかのように見えたのだ。
 もちろんそれが現実味の無い想像だという事は、その第一発見者自身がよく自覚していた。しかし、その後に起こった状況の変化を受けて、第一発見者は、この変死体に何か重大な秘密がある事を確信することになった。
 やって来た警察官が現場検証を開始し少し時間が経つと、無線機で何かやり取りをした警察官がやや強引に野次馬へ解散を指示し始めたのだ。更に、現場に車で乗り付けた数名のスーツ姿の男が規制線の内側に入り、警察関係者たちに指示を出していた。更に奇妙なことに、この変死体の発見に関する報道というのが、一切何も行われなかったのだという。まるで、その変死体の存在を隠蔽しようとしているかのように。
 もし変死体の存在が何らかの事情で隠蔽されているのだとすれば、あの変死体が本当に池の中から這い出してさまよったゾンビであるという可能性も十分にあり得る……。
 ……なるほど。
 これが上森町の都市伝説、さまようゾンビの発端となった情報という訳か。
 思っていた以上に掴みどころのない、とても奇妙な事件だ。
 だけど、ここまでのことが分かれば探っていくための糸口は見えてきた。
 空いたタイミングで、息抜きも兼ねて色々と調べてみようと思う。

× × ×

 夕方にもなったし丁度区切りがよくなったので、図書館を出て帰宅する事にした。そして家に帰ると俺は、神宮路千佳に連絡を取った。少し、彼女に確認したいことが出来たのだ。
「久しぶり、神宮路さん」
「お久しぶりです、剣田さん。……とは言っても、まだ夏休みが始まって一週間ぐらいしか経っておりませんわ。お久しぶりと言うほどでもないですわね」
「まあ、それもそうか」
 電話越しの神宮路さんは割といつも通りの感じだ。
「それで、何の用事ですの?」
「例の夏休みの課外で、神宮寺家について調べるって言ってましたよね?」
「ええ、進めているところですわ」
「その中で『藤堂龍一郎』って名前が出てきませんでした?」
 俺のそんな質問に対して、神宮寺さんは怪訝そうな声で応じた。
「……いまいち話が見えてきませんわね。詳しく聞かせてくださるかしら?」
「『藤堂龍一郎』っていうのは上森神社について調べている時に出てきた名前で、失踪した先代神主の名前なんだ。それでその人は、神宮路家先代の誰かと繋がりがあるはずなんだ」
 藤堂龍一郎の残した手帳の中には神宮路家と何らかの連絡を取り合っていた形跡があった。
 必然的に、神宮路家の側も藤堂龍一郎という人物について知っているはずなのだ。
 となれば、彼に関わるような記録が神宮路家の側に残っている可能性は十分にある。そして、そこから藤堂龍一郎が失踪した原因、あるいはその手がかりを見つけることだって出来るんじゃないだろうか?
 そして、どうやら神宮路さんの側にも、そんな俺の思惑は通じていたようだった。
「見えてきましたわ。失踪した先代神主について調べてみたけど情報が足りない。だから、繋がりのある神宮寺家の方から調べてほしい、そんなところですわね?」
「まあ、そんなところです」
「承知しましたわ。何か情報をつかめたら連絡差し上げます。……それはそうと、鏡宮さんは最近どうです?」
「最近どうって、いつも通りあんな感じだけど、どうかしたの?」
 ややあって、神宮路さんは少しばかり声を潜めながら言った。
「……いえ、上森神社関連、特に蛇神祭りに関連して、どうも奇妙な動きがある感じですので」
「奇妙な動き? 一体どんな感じの?」
「……『今度こそ成功させねばならない』『先代の過ちを繰り返すな』『警察との連携を確認しろ』、それから、……『憑代の巫女は覚悟を決めた』……、そういった会話がしばしば聞こえてきますので、もしかしたら鏡宮さんに何か関係する、良くない事が起こるような気がしていて、……いえ、もちろん単なる思い過ごしというか、考えすぎだとは思うのですけど」
 ……どういうことだ?
 神宮路さんの語る『奇妙な動き』。その会話の内容について、俺は少なからず心当たりがある。
 藤堂龍一郎の残した手帳の記述と、大八島神代記写本に書かれていた内容、即ち、上森神社に伝わっている可能性のある、巫女を生け贄とする儀式の存在だ。
 万が一、大昔には儀式が行われていたのだとしても、今現在にそんな儀式を本当にそのままの形で実行するはずがない。そう俺は考えていた。
 そもそも、どうしてそんなことをする必要がある?
 まさかと思うが、本当に蛇神のもたらすという災厄を畏れて、それを抑止するために?
 だけど、現代に生け贄の儀式なんて事を、そのままの形で行うなんて事が本当にあり得るのだろうか?
 確かに情報は増えた。
 実際にそういった会話がされていたという以上、『何か』が起こっているのは間違いない。
「……分かった。俺から久遠にそれとなく聞いてみるよ」
「助かりますわ。よろしくお願いしますね」

第六話 蛇神

 図書館で色々と調べて見えてきた蛇神という存在の特徴と、それに加えて昨日神宮路さんから聞いた話。いち早く正確に真実へ至るためには、謎に包まれた存在である蛇神について、正しく知る必要がある筈だ。
 今のところ図書館にある閲覧出来る資料は、可能な限り確認したと思っている。
 勿論時間をかければ図書館の中から更に資料を見つけ出すことが出来るかもしれない。
 だけど、それよりも効率の良さそうな場所が他にある。
 民俗資料館だ。
 膨大な専門書と貴重な古文書、そして書籍に留まらない様々な資料を有するあの場所なら、きっと何かがあるはずだ。
 そんな訳で俺は、朝からほとんど開館と同時に民俗資料館を訪れた。
 受付を済ませて館内を見ると、見覚えのある人物がいた。
「……勾坂さん!」
 赤牟大学で史学を習っているという大学生、勾坂奏さんの姿がそこにあった。
 彼女は何冊かの古い地図や発掘調査の報告書などを持っていた。卒業論文関係で色々調べていると言っていたし、その為の資料なのだろう。
「やあ、剣田クンじゃないか。また会えたね。今日は一人なのかい?」
「……ええ、まあ」
「あれから調べ物の方は順調かい?」
 勾坂さんと最後に会ったのは、図書館で久遠にインタビューをした時か。あれからいろんな事があったけど、日数自体はそれほど経っていなかった。
 そんなことを思いながら、俺は勾坂さんの質問に応じる。
「それなりには進んでいます。……とは言っても、まだ分からないことが沢山でそれを調べに来た感じです」
「ははは、まあ、ここに来たということはそういうことなんだろうね。それについては私も同じだ。いくつか確認しておきたいことがあったものだからね。少し考えを整理したいんだ、少しだけ私の話に付き合ってくれるかい?」
 実の所、民俗資料館に来たからといって、特別何かアテがあるというわけでもなかった。それに、もしかしたら勾坂さんからまた有益な話を聞くことが出来るかもしれない。
 そんなわけで俺は勾坂さんの頼みに「良いですよ」と応じた。
「助かるよ。……さて、君は上森神社についていろいろと調べているみたいだけど、そこにはある共通のモチーフがあり、それらと同一のものが日本の古代文明において好んで用いられていたということに気付いたんじゃないかい? あるいは発見された土器、信仰の根底にある哲学等、ある文明との強烈な接点を感じずにはいられなかったはずだ」
 勾坂さんの言葉が何を指し示しているのか、思い当たるモノはすぐに出てきた。
「日本の、縄文時代、……ですか?」
 上森神社や蛇神祭り、そして蛇神について調べていく中では、この縄文時代というキーワードは幾度と無く出てきた。
 勾坂さんは頷きながら言った。
「その通りだ。ところで剣田クンの認識として縄文時代と、その先の弥生時代というのはどのように区別するモノだと考えているかね?」
 勾坂さんのそんな質問に対して、俺は授業で習ったことを思い出しながら答えた。
「狩猟と採取が主だった縄文時代に対して、渡来人が稲作を持ち込んで定住しての農耕生活に切り替わってからが弥生時代、って認識です。というよりも、そういう風に習いました」
「まあ、それが学校教育を受けた生徒の最初の認識だろうね。だけど、はっきり言おう、その学説は今ではもう古い。朝鮮半島経由で稲作がもたらされたという考え方は、多くの証拠によって否定されつつある。むしろ、稲作が日本の縄文時代起源である可能性すらも、真剣に議論されているというのが現在の考古学なのだよ」
「初耳です。だけど、例えば土器の形状とかで明らかな変化はありますし、渡来人がやって来たのは事実なんですよね」
「ああ、それらは事実だろうね。だけど、縄文と弥生、この二つが異なる性質を帯びた『時代』となったことには稲作は関係がない。それはむしろ、大規模な気候変動というどうにもならない巨大な自然現象があったと考えられている。これに加えて、その昔日本列島には決定的な事態が発生したことが判明している」
「いったい何が?」
「一万五千年以上の太古から存在していた縄文文明に、壊滅的損害を与えたのは四千五百年前の海底火山の噴火だった。このことは地質調査によって確定的な事実となっている。火山弾や火山灰による直接的被害、あるいは噴煙によって太陽がさえぎられることによる気候への被害。太陽系全体の事情として寒冷期に入ろうとしていた時期にそんなことが起これば、当時の人々の生活基盤には壊滅的なダメージが与えられたことは簡単に想像出来るはずだ」
 確かに、例えば恐竜が滅んだ原因は巨大隕石の衝突をトリガーとする気候変動とされている。科学技術が発達していない、自然の気候変動の影響を強く受けやすいような時代なら、それだけの出来事が起こればとてつもない被害を受けるだろう。
「縄文時代と弥生時代の土器、この双方を比較したときに、君は弥生時代の土器が実用性に優れ洗練された形状への進化と習ったかもしれない。だが、それは本当に正しい物の見方なのかい? 生活環境を破壊され、寒冷期に入ったことで食料の余裕がなくなり生活に困窮した者たちが、生存戦略の合理性という名目で装飾文化を切り捨てていった結果ではないかね?」
 初めて聞く話だった。
 だけど、確かに考えてみれば勾坂さんの言い分には説得力があるように感じた。
「……すまない、少し熱くなってしまった。今重要なのはこの土器の変遷に関する考察ではない。重要なのは、巨大な環境変化によって、日本中の縄文文化が壊滅的なダメージを受け、その文化の多くが途絶してしまったということだ。もちろん、地形的な好条件によってダメージが最小限となり、長きにわたって縄文文化を継承していた者達がいたとしても不思議ではない。……ここまでは分かるかい?」
「はい、どうにか。火山の影響が少なかった遠い地域、後は、元々寒い地域の人なら、受ける影響は少ないような気がします。そういう所なら、縄文文化を継承できるような気もしますけど、そういうことですか?」
「考え方としてはそれでいい。……しかし、上森町でその継承が行われていた可能性があるとしたら、君はどう考えるかね?」
「この地域で縄文文化が、ですか?」
「そう、この地域で、だ。事実として、上森神社を中心としたいくつかの史跡、あるいは考古学的な発掘が行われた結果、それらの中には確実に縄文文化の痕跡があり、一万五千年以上の昔に発生した文化を直系として受け継いでいることが分かる。しかし上森町から、より厳密にいうのであれば、上森神社から離れれば離れるほど、縄文文化の痕跡は薄くなっていく。そして、隣町まで行けば完全に消滅してしまうという訳だ」
「……仮に縄文と弥生の文化の違いが気候変動に由来しているとして、上森神社の周辺だけが無事だった、みたいな感じですけど……。でも、本当にそんなことあり得るんですか? それこそ、神社の周辺だけ結界で守られていたとかそういう話が、……でも、流石に現実的じゃないし……」
 現実的じゃない。
 俺は、確かに自分でそう言った。
 上森神社の周辺地域を庇護するような、そんな超常の力が存在するなんて考え方は、余りにも常識はずれで現実的ではない。そう考えるのが普通の筈だ。
 だけど。
 例えば、巫女を生け贄にするという上森神社に伝わる儀式。
 例えば、そんな儀式が、現代において実行されようとしているかのような、色々な兆候。
 例えば、さまようゾンビの都市伝説と、噂の発端となった事件の裏に見える、警察の不穏な動き。
 ……そんな現実の中で、上森神社の周辺が結界で守られているという発想は、本当に現実的じゃないと言えるのだろうか?
 勾坂さんは言った。
「そう、私の疑問もそこなのだよ。今見つかっている資料だけでは、この奇妙な現象に理屈の通った説明ができない。君は今結界と言ったが、まさにそういった超常的な力が働いていたと考えずにはいられないのだよ。……もっとも、案外大昔というのは、そうした現実離れした力が実在していたのかもしれないが」
「意外です。勾坂さんは、そういう目に見えない力を信じるんですか?」
「考古学にオカルトや都市伝説がつきものなのは君だって知っているだろ? 例えば、……そうだね、君は古代宇宙飛行士説というモノを知っているかい?」
 俺は勾坂さんの質問に対して首を横に振りながら「いいえ、初めて聞きました」と答えた。
「簡単に言ってしまえば、超古代に地球に飛来した宇宙人が人間を創造し、同時に超古代文明を授けた、という人類の起源に関する一説だ。一般的な常識に照らし合わせれば馬鹿げた説かもしれないが、現地で遺跡の発掘を行い、それらを調査している人間の中には、そんな荒唐無稽に見える説を真実であると信じて研究している者が少なからず存在するのだよ。まあ、およそ現実社会の役に立たないような学問を大真面目にやっている人間は、極めつけのロマンチストという訳さ」
 俺は勾坂さんのその言葉で、この前見つけた上森神社先代神主の論文を思い出した。彼はまさに、目に見えない力の実在を、確信しているかのようだった。
「しかし、君に話してみたことで自分の中の考えが纏まってきた気がするよ。やはり上森町には、いや上森神社には『何か』がある。それは、この地域が環境変化に抵抗しうる地理的特徴を持っていないにもかかわらず、同一の文化を継承していることからも明らかだ。……それこそ、何か不思議な結界があるのかもしれない……」
 上森神社には『何か』がある。
 勾坂さんはそう断言した。
 夢がある、なんて風には、とてもじゃないけど思えなかった。
 その『何か』の中には、久遠が死ぬかもしれない可能性すらも含んでいるのだ。
 こちらに向き直った勾坂さんが言った。
「私だけ一方的に話してしまってすまなかったね。ところで、剣田クンは、今日はここに何を調べに来たのかね?」
「上森神社で祀られている蛇神についてです。だけど、なかなか上手くいかなくて。……蛇塚についてはいくつか思い当たる場所があるんですけど、こっちも流石に馬鹿げているというか、あんまり現実的とは思えないですし……」
「……ほう、蛇塚についての思い当たる場所か。少し詳しく聞かせてもらえないかい?」
「蛇塚は大昔の重要な聖地で、ってことは多分神殿みたいな物だったんじゃないかと思うんです。そんな重要な物なら、壊れた後でも作り直すと思うんです。勿論、壊れた時点で儀式とかの伝統が無くなっちゃったならそんなことはしないと思いますけど、蛇神の信仰や伝説、蛇神祭りっていう儀式が絶えずに受け継がれているんだから、蛇塚に纏わる部分だけが途絶えてるとは思えないんです。だとしたら、新しい蛇塚を後から作ると思うんです」
「……新しい蛇塚か。なるほど、中々面白い着眼点だ」
「ありがとうございます。要するにそこまで大昔に作られたわけじゃない神殿の機能を持った場所っていうのが蛇塚なんじゃないか、ってことになるわけです。後はそういう場所を探せばいいとは思うんですけど、だけどこれって、そもそも蛇塚で儀式を行うっていうのがそこまでの手間をかける程の重要なことじゃない限り成立しないんですよね。……ただ、少なくとも美術的な価値がありそうだったり権力の象徴になりそうだったりしそうな神社なんてこの辺にはないんですよ。そこが蛇塚探しで一番の問題なんです」
 勾坂さんは暫くの間目を閉じたまま沈黙していた。沈黙しながらどこか満足げな表情を作り、しきりに深く頷いていた。
 そして改めて目を開くと、俺に向けて言った。
「なるほど……、いや、中々興味深い話だったよ。おかげで私もうまい具合に真実へ辿り着けそうだ。そのお礼と言っては何だけど、一つのアドバイス、こうした物事を考える時のヒントのような物を教えてあげよう。大胆に発想を変えてみるといいかもしれない。『かつて蛇神は実在した』。これを前提として様々な物を見返してみると、何か新しいことが分かるかもしれない」

× × ×

 他の所にも行く用事があるとのことで、勾坂さんは先に民俗資料館を出ていった。
 一人残った俺は、展示を見ながらさっき勾坂さんに言われたことについて考えていた。
 勾坂さんが提案してくれた、かつて蛇神が実在した、という仮定。
 それをやるためにはまず、蛇神がどんな神様なのかを明確に定義する必要があるだろう。
 今まで調べてきた中で、蛇神には二つの特徴があるのが分かっている。
 一つ目は、蛇神は基本的に実体を持っていないということ。そして二つ目に、依り代に憑依することで顕現し実体としての力を行使する、ということだ。
 これらのことを前提として、改めて民俗資料館にある蛇神関連の展示を見ていると、いくつもの仮定が組みあがっていった。
 そして俺は、一つの巨大な事実を確信した。
 それは、そもそも蛇神は一柱の神様ではなかった、ということだ。
 着目するべきは、蛇神を象徴する縄目模様だ。
 縄目模様には大きく分けて、白色で描かれたものと、黒色で描かれたものがあった。
 上森神社の倉庫で見つけた大八島神代記写本や藤堂龍一郎の残した手帳には、黒き蛇神という記述があった。だけど、蛇神には黒き蛇神と対になる、真逆の性質を持った別の蛇神が存在する可能性がある。
 蛇神の持つとされる力について書かれる場合、獰猛さと慈悲深さ、災厄と恩恵、暴力と知性等といった、相反する二つ性質が同居しているかのように記されていた。
 古来の神は人々に恵みをもたらす有難い存在だけど、それ以上に、災害をもたらす大自然で、それが祟りと呼ばれていたという。人智の及ばない大自然の力こそが古来の神の所業。だからこそ古来の神は相反する二面性を持っているのが普通だ。
 色々調べて来たんだし、今の俺もそれくらいは理解している。
 だけど蛇神はどうだろう?
 古来の神だから、相反する二面性を持っているのは当然、と最初は思っていた。
 だけど、そんな前提を覆すかもしれない事実が存在することに、俺は気が付いた。
 蛇神の力の顕現を記した物と、それに付随して描かれる印象的な縄目模様。
 これを観察していくと、蛇神とは相反する性質を同居させる二面性を持つ神様ではなく、むしろ相反する対極の性質を持った二柱の神様の総称であると考えた方が自然だった。
 それは描かれる模様の色だ。
 蛇神が慈悲深さ、恩恵、知性を司るとされる場合には模様には白が用いられている。これが、言ってみれば『白き蛇神』の象徴。
 そして獰猛さ、災厄、暴力を司るとされる場合には、黒い色が用いられている。こちらが対となる『黒き蛇神』の象徴、という訳だ。
 そんなことを考えながら館内の展示を眺めていると、少しばかり気になる物があった。
 そのコーナーには古書や巻物等の、文字で書かれた資料が展示されている。大半が漢字で書かれているけど、見慣れない難しい漢字や崩された行書体になっている物が多い。
 そんな中に、俺は『白き蛇神』の文字を見つけることが出来た。
 正しく、俺が仮定したのと同じ単語だった。
 ……見つけられたのは良いんだけど、想像以上に文章が読めない。「書いてあるのはどうせ日本語なんだから普通に読めるだろう」とか考えていたけど甘かった。普段見ないような漢字が結構使われてる上に、行書の崩し字だ。そもそも書いてある文字が読みにくいのだ。
 そんなわけで、展示資料を前にして独り困り果てていると、一人の女の人がやってきた。
 そう言えばこの人、どこかで見たことがある顔だけど……、ああ、分かった、ここの職員の人だ。入館する時に受付で何回か見ている。
 その人が俺の隣までやってくると言った。
「あの……、もしかして、何かお困りですか?」
 正直なところ声をかけられるなんて思っていなっかた。少しばかり焦りながらも、俺は応じた。
「ああ、いえ、学校の課題関係で少し調べ物をしていて、それに関係ありそうな単語が見えたんですけど、流石に読むのは難しいなって言う感じで……」
「よろしければ、私が解説しましょうか?」
「良いんですか?」
 意外な申し出だった。そんな手間をかけさせてしまうのも悪いんじゃないかと思ったが、どうやら彼女の方は随分と張り切っている様子だった。
「はい、任せてください! ……大学でせっかく学芸員の資格を取ったのに、この民俗資料館想像以上に来る人少なすぎてぜんぜんやることがないですし、それにここの募集要項よく見たら学芸員の資格関係ないですし、これじゃあ何のために資格を取ったのか……、とにかく解説させていただきますね!」
「お、お願いします」
「ありがとうございます! あ、申し遅れました。私、この民俗資料館の学芸員、黒沼詩織(くろぬま しおり)と言います、よろしくお願いしますね」
 彼女、黒沼詩織さんは首から下げている名前と顔写真入りの社員証を見せながらそう自己紹介した。そして、嬉しそうな表情を浮かべながら展示物の解説を始めた。
「解説にも書かせていただいております通り、ここに展示してある古書や巻物は、上森町に関係する民話や伝承等を記した物になります。例えばこちらの和綴じ本ですが、制作されたのは江戸中期と推測されています。そして、その制作時機の時点で既に昔話となっていたような物が書かれています」
「……ってことは、相当昔のことが書かれてるって事ですよね?」
「そうなりますね。……ちなみにですが、学校の課題で見つけた単語って言うのは何ですか?」
 俺は開いた状態で展示されている巻物の一つを指さしながら答えた。
「あの巻物の所の『白き蛇神』です」
「ああ、なるほど。もしかして上森町の古い歴史とか、上森神社関係のことについて調べているんですか?」
「そんな感じです。よく分かりましたね」
「上森の歴史を紐解くのなら、蛇神を避けて通ることは出来ませんからね。ですが同時に、蛇神には多くの謎があるので、理解する事もとても難しいのです。そして、まさにこの巻物には、蛇神という存在を正しく理解するための助けが記されているとされているのです。この巻物の記述は、『星神書記』という別の本を読んだ人物が、そこに記されている蛇神に関する内容をまとめた物になりますね。星神書記という本が書かれたのは、一五〇〇年頃だと言われています。内容としては日本各地に伝わる『星神』と呼ばれる存在についてまとめ記した本となっていますね」
「その『星神』っていうのは何なんですか?」
「古事記や日本書紀に代表される一般的な日本神話とは別の系統の信仰が存在するという話は、聞いたことがありますか?」
 俺は黒沼さんの問いかけに頷いた。
 彼女は、どこか満足げな表情を浮かべ、話を続けた。
「『星神』も、そういった古くから広く深くこの国に存在している神様の一種なんです。実は全国の神社に『星神』の伝承は数多く伝えられていて、『星神』を祀っている神社も少なくないんですよ。星神という単語は、この星神書記では、その定義はこのように記されています。曰く『この大八島と、海を隔てた大陸、また海に浮かぶ幾つもの島々。それらの地には、遥かなる太古より崇められし神々あり。なれど、それら神々のいずれかは、この天にある神々の国よりもはるか遠く、月よりも遠き外なる星々より降り立ちし者なり。それらを星神として区別し、大八島の星神をここに記す』とのことです」
「……要するに、宇宙からやってきた神様、ってことですか?」
 中々壮大な話であり、俺としては半信半疑だった。しかし、対する黒沼さんはすぐに頷きながら答えた。
「そうですね。その考え方が、一番わかりやすいでしょう」
「ってことは、蛇神もその宇宙からやってきた星神だってことですよね?」
 俺の質問に対して、黒沼さんは展示されている巻物を指し示しながら答えた。
「この巻物は、まさにその事についてかかれているんです。ここに記されていることによれば『上森の地で蛇神は遥か昔から人々に信仰されてきた。そんな蛇神には二柱あり、人々に良く知られているのは、慈悲深さ、恩恵、知性を司る白き蛇神である』とのことです」
 どこかで聞き覚えのある説明、……そうだ、大八島神代記写本で蛇神について説明する時に出てきた言葉だ。
 黒沼さんは更に説明を続けた。
「そして『これと対をなすのが、獰猛さ、災厄、暴力を司る黒き蛇神。この二柱は遙かなる空の彼方からやってきた星神である』と続きます」
 やっぱりそうだったのか。
 蛇神が二種類、それぞれ相反する性質を持つ二柱存在するという俺の考え方は、どうやら間違っていなかったようだ。
「蛇神に関してはこうも書かれていますね。どうやら、白き蛇神も戦いのための力を授けることがあるそうです。それは、人類が神と呼ばれるような存在と、やむを得ず対立した時だと書かれていますね。白き蛇神が最も強い戦いの力を授けてくれるのは、黒き蛇神と対立した時のようです。人類が明確に覚悟を示して、神々の戦いの勝者になる資格があると認められれば、白き蛇神の力は人々に委ねられるのだと、ここでは語られていますね」
 俺は黒沼さんが話してくれたことを、急いでノートに書き留めた。とても重要な、そしてあまりにも想定外の情報だった。
 二柱の蛇神が存在することは、確定したと言ってしまっていいだろう。これは、考え方の前提が大きく覆ることになる事実だ。のみならず、これらが明確な対立関係になるともなれば、今まで得た情報の読み解き方が大きく変わってくるはずだ。
 俺が無言のままノートに向き合っていると、黒沼さんが少し遠慮がちな声で言った。
「あの……、もしよろしければ、地下の古文書保管庫の見学ツアーとかって、興味ありませんか? ……一応、日程ですと今日の今からが開催時間なんですけど……」
 俺はそんな言葉と一緒に彼女から渡されたパンフレットを確認する。
 なるほど、確かに保管庫の見学ツアーについての案内だ。そういえば入り口の近くにも、これと同じものが張られていたような気がする。
 一度館内を見渡してみる。
 ……どうやら来館者は俺一人のようだ。
 黒沼さんは困り顔でこちらを見ている。
 夏休みの企画として準備していたが、利用者が少なくて企画そのものを実施できずにいる、みたいな感じなのだろう。
 そもそも、正直言って人の集まりそうな企画とは思えない。
 館内を少し見渡してみたけど、今日の来館者は今のところ俺一人のようだった。
 ……これも、ある種の人助けみたいなものか。
「分かりました。古文書保管庫の見学ツアー、参加させてください」
 まあ、何かの縁だ。折角のなかなか出来ない体験だし、息抜きには丁度いいだろう。
 黒沼さんの方はというと、今までの不安げな表情を一転させて笑顔になっていた。
「ありがとうございます! では、今から見学ツアーを始めますね。ついてきてください!」
 黒沼さんはそう言いながら歩き出した。俺はそんな彼女の後について行く。
 施錠されていた『関係者以外立ち入り禁止』の張り紙がされたドアを開けてもらい先に進むと、簡素な作りの古いエレベーターがあった。それに乗って地下に降りる。
「さあ、着きましたよ。ここが上森町民俗資料館古文書保管庫です」
 古文書保管庫の中は、古本屋や、或いは上森神社の倉庫と同じ様な独特の匂いがした。
 敷地面積で言えば、地上階の展示スペースを上回っているように感じる。
 そこに、巨大で丈夫そうな本棚が備え付けられ、多くの書籍が収蔵されていた。いや、よく見ると書籍以外にも置かれている物がある。
「ここには主に、当館が収集した歴史的資料である古文書が保管されています。ですがその他にも、常設では展示していない様々な道具類の保管なんかもしているんです」
 俺は黒沼さんの説明を受けながら、狭い通路を進んでいく。
 空調機によって気温や湿度がコントロールされているせいなのか、真夏であるにもかかわらずとても過ごしやすい。
「そういえば、お客さんは最近当民俗資料館を何度か利用していただいていますけど、学校の課題と言っていましたね。具体的にはどんな課題なんですか?」
「日本史で出されたヤツで、身近な歴史について調べてくるっていう課題なんです。それで上森神社について色々と調べてるんです」
 俺のそんな答えに対して、黒沼さんは頷きながら言った。
「なるほど、そういう事だったんですね。何度か女の子と一緒に来られていましたけど、一緒にやっているんですか?」
「あいつから一緒に課題をやろうって言われて、それで協力することになったんです」
「仲がよろしいんですね」
「幼馴染で、腐れ縁ってやつですよ」
 黒沼さんは、どこか昔を懐かしむかのようにして言った。
「私にとっては少し羨ましいですね。親しい友人というのがそれほどいませんでしたから。……何度も来られていることから察するに地元の方ではないかと思っていたのですけど、もしかして通っているのは上森高校ですか?」
 俺はその質問に対して「そうです」と頷いた。
「やっぱりそうだったんですね。では国原先生という方をご存じですか?」
「知ってますよ。というか、さっき言った日本史の夏休みの課題を出したのが国原先生です。だけど、それがどうかしたんですか?」
「国原先生も良く当館を利用していただいているのですけど、それだけじゃなくて色んな収蔵品の提供を頂いているんです。昔は大学の発掘チームで上森町の大規模発掘調査に参加されていたのですが、それ以外でもプライベートで色々と活動されているようなんです」
 ……なるほど。そういう事か。
 意外だ、とは思わなかった。国原先生がこの課題を出した理由だとか、どうしてこの前民俗資料館に来ていたのかとか、そういう諸々について納得できた気がする。
 俺は、説明を交えながら古文書保管庫を進む黒沼さんの後についていく。
 そして、一番奥の行き止まりまで来た黒沼さんは、そこで足を止めて施錠されている金属製の扉を開いた。彼女はそこから一冊の本を取りだしてページをめくりながら言った。
「先ほどの解説の中で出てきた、星神書記という本を覚えていますか?」
 俺は黒沼さんの質問に頷きながら「はい」と答えた。
 それを受けて、黒沼さんが解説をしてくれた。
「この星神書記は一六〇〇年代に書かれた比較的古い写本であるとされていて、現存している星神書記の中ではかなり状態が良い方と言われているんですよ。内容についてもかなり正確に書き写されていると思われます」
「……少し、読ませてもらっても大丈夫ですか?」
 俺は黒沼さんに、ダメもとでそう訊いてみた。対する彼女は、笑顔を見せながら答えた。
「はい、どうぞ。貴重なものですから、気をつけて扱ってくださいね」
 思いがけず快諾してもらえた。訊いてはみるものだな。
 本を渡してもらい、さっき黒沼さんが読み上げていた辺りのページを急いで確認する。
 ……あった。
 ここにあったんだ。
 まさかとは思ったけど、そこには確かに蛇塚についての重要な記述があった。
 このところだいぶ目が馴れてきたのか、書かれている内容はどうにか理解することが出来た。
『――上森の地に蛇塚なる霊場あり。蛇塚には二つの異なる役割がある。一つ目は、巫女が蛇神の声を聴く、その助けを与える事なり。二つ目は、黒き蛇神の復活を阻止する棺なり。まことに重大な責務を負う上森こそ大八島の要石であると言える――』
 ……蛇塚は確かに存在したんだ。そして、それは蛇神と深い関係のある施設だということは間違いなさそうだ。
 ここでは蛇塚のことを『大八島の要石』と表現している。
 要石とは、地震を鎮めているとされている霊石のことだ。
 その事から考えると、蛇塚というのは巨大な力を持った蛇神を封印するための施設だったということだろうか?
 そして、何らかの理由で蛇塚が破壊されてしまい、蛇神の封印が解かれてしまった。或いは、蛇塚でも押さえきれなくなり、蛇塚を破壊して蛇神が蘇った……。
 そんな荒唐無稽な推測が真実だった場合、もしかしたら今までの謎の多くが説明で来るんじゃないだろうか?
 例えば上森神社周辺で発見されたという、歪んだ出土品の数々。
 その原因が、常識の及ばない、それこそ荒唐無稽な力の影響だったとするなら、それはある種の逆説的な説得力を持つ。
 俺は、更に星神書記を読み進めていった。
 そして遂に、蛇神についての重要な記述を発見した。
 慈悲深さ、恩恵、知性を司る『白き蛇神』と、獰猛さ、災厄、暴力を司る『黒き蛇神』の異なる二柱が存在する事が明言されている。
 白き蛇神と黒き蛇神は対立関係にあり、記すところによれば、何度も神託を得る中で、蛇巫達は、二柱の蛇神の持つ考え方の違いを知ることになったという。
 二柱の蛇神はこの地球の人間が、いずれは自分達と同じような領域の存在になるべきだと考えていたのだという。
 だが、そのアプローチを巡って、二柱の蛇神の間に対立が起きた。
 白き蛇神は、あくまでも人々に力を貸すのはそれを願われた時に留めて、人類が自分たちの意思で緩やかに進化していくのを手助けしていけばいいと考えていたのだという。
 対する黒き蛇神は、積極的に人間の精神に働きかけて、進化するのに相応しい選ばれた人類を、効率的に進化させるべきだと考えをもっていたそうだ。
 ……蛇神に関する重要な情報は、まだまだ他にもありそうだ。だからといって、暗記したりメモを取ったりするのにも限界がある。
 俺は試しに、黒沼さんに尋ねてみた。
「……流石にここの資料って、貸し出しとかはやってないですよね?」
「ええ、残念ながら。ですが、ここにある古文書については、スキャンして電子化していますよ、閲覧や印刷も出来るようになっています。よろしければ、後でご案内いたしますね」
 ……そんなサービスあったのか。全然気が付かなかった。だったらそれを利用してみることにしよう。

× × ×

 そんなこんなで古文書保管庫の見学ツアーが終わり、民俗資料館の地上階に戻ってきた。
 俺は軽く昼食を済ませた後、黒沼さんに教えてもらって端末を操作しながら、古文書のかなりのページ数を印刷して持ち帰る事になった。
 これに思ったよりも時間がかかったことで、結局民俗資料館を後にしたのは予定していたよりも遅い時間になってしまった。朝からの雨は依然として降り続いている。
 家に帰った俺は、今日までに知った事と手に入れた資料を参考にして、改めて蛇神という神様について考えてみることにした。
 勾坂さんから教えてもらった『かつて蛇神は実在した』という仮説に基づいて考察するという思考法。
 展示されていた巻物に記されていた蛇神に関する記述。それに加えて、古文書保管庫の見学ツアーで出会った星神書記と、手に入れることが出来たその大量のコピー。
 それらを今まで手に入れた情報と組み合わせていくと、蛇神と上森神社に関する一つの真実が見えてくる。
 それは、上森神社に祀られているのが、白き蛇神である、ということだ。
 これは、上森神社の境内で見られる縄目模様の意匠の色に着目することで、導き出せる。あれらは総て『白』で描かれていたのだ。
 黒と白の二柱の蛇神が存在し、縄目模様こそが蛇神の象徴だというならば、それらを色で区別して表現していると考えることは、それほど突飛なものでもないはずだ。
 だけど。
 そこまでの確信的な推測が出来るようになった今、一つの最悪な可能性に至ってしまった。
 それは、上森神社の倉庫で見つけた手帳の記述だ。
 あの手帳の持ち主は藤堂龍一郎という先代上森神社神主と考えて間違いないはずだ。
 そんな彼の手帳には、繰り返し『黒き蛇神の復活』という言葉が登場する。
 そして、彼はこれを何としても阻止しようとしているようだった。
 俺はその手帳の記述と、今まで手に入れた情報から、一つの大胆な仮説を立てることが出来た。
 それは、現在の上森町周辺の地域で、かつて起こった出来事。
 黒き蛇神と白き蛇神という二柱の神が戦って、人々は黒き蛇神を封印することで決着をつけた。そして、時代は流れて現代。何らかの目的によって黒き蛇神の復活を画策している存在がいて、実際に行動を起こしている。
 ……という筋書きだ。
 俺の得た情報を繋ぎ合わせた結果浮かび上がったのは、そんな余りにも現実離れした仮説だった。
 そして仮にこの仮説が真実だった場合、あまりにも最悪に近い情報が存在する。
 それは、上森神社の倉庫で見つけた、大八島神代記写本の記述だ。
『――終末を回避する術はただ一つ。大いなる契約を結びし、選ばれし巫女の命。それが唯一、黒き蛇の神に抗い、打ち勝つための方法なり――』
 仮に今、黒き蛇神が復活しようとしているのだとしたら、だ。
 それを阻止するためには、『選ばれた巫女の命』が必要なのだという。
 つまり、蛇神が巫女を生贄として要求する可能性がある事だ。
 その『選ばれた巫女』というのは、現在の上森神社の巫女、鏡宮久遠だと考えて間違いないだろう。
 勿論、俺のこんな仮説は、ただの勘違いだって可能性も十分にある。
 むしろ常識に当てはめて考えれば、こんな荒唐無稽なことが起こっている筈がない。
 ……だけど。
 もしもこれが真実だったとすれば。
 久遠が、生け贄になる、ということになる。
 ……俺は、時計に視線を移した。
 今の時間なら、多分大丈夫だろう。
 ケータイの連絡先から鏡宮久遠の名前を選び、電話をかける。
 数回のコール音の後、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「もしもーし、久遠でーす」
「……もしもし、弘人だ。久しぶりだな」
「久しぶりってほどかな? で、何かあったの?」
 まさか「もしかして久遠って蛇神の生け贄になるの?」なんて訊くわけにも行かない。だけど、何かは分からないけど万が一何かがあるかもしれない。
 何であれ、久遠に直接会って確認してみたい事は沢山ある。
 俺はそんな色々なことを考えながら、どうにか捻り出した言葉で久遠に尋ねた。
「……民俗資料館とかで調べているうちに、いろんな資料を手に入れたんだ。電話越しで話すってのも難しそうなんだけど、どっかで会えそうなタイミングあるか?」
 少しの沈黙の後、降りしきる雨が屋根を叩く音がやけに響く中、久遠は言った。
「……分かった。明日の朝上森神社に来てくれる? 私の方からも、話しておきたいことがあるの」

第七話 鏡宮久遠

「……誰だ? こんなに朝早くから」
 現在時刻、午前七時三十分を少し過ぎた頃。
 夏休みという事を考えれば、まだ寝ていてもおかしくないような時間だ。ケータイのディスプレイに表示されている発信先を確認すると、そこには意外な人物の名前があった。
「……父さんからだ。一体何の用事だろう?」
 まあ、考えたところでどうなるわけでもない。
 ケータイを操作し、着信に出る。
「もしもし父さん? 一体どうしたの、こんな朝早くから」
「おはよう、弘人。今はテストも終わって夏休みかな? どうだ、そっちは変わりないか?」
「まあいつも通りだけど、どうしたの? こんな朝からいきなり電話してきて。忘れ物とか言われても持ってけないよ?」
「いいや、そういうのじゃないんだ。……ただ、ふと思い出したことがあってな。父さんは昔、上森神社の神楽殿の天井絵について少し調べたことがあったんだ」
 意外なタイミングで、父さんの口から上森神社の名前が出てきた。
 とは言え、意外だったのは俺が調べているこのタイミングで丁度名前が出てきた事だけで、父さんが上森神社を話題に上げること自体には意外性は無かった。
 そもそも父さんは民俗学者で、それ自体趣味が高じたようなものだと、昔本人の口から聞いている。地元の神社について気になることがあれば、仕事にならなくても軽い調査ぐらいやるだろう。
 しかし神楽殿の天井絵か。俺がこの前久遠に見せてもらったあれだな。
「神楽殿に天井絵があるのは知ってるけど、それがどうかしたの?」
「知ってたのか、なら話が早い。実は後で、写真に撮っておいた天井絵を天文に詳しい友人に手伝ってもらい色々調べてみた。あの天井絵に描かれた星空は、実際の天体の配置をかなり正確に示している物だったんだ。で、確か直近だと日付でちょうど明日が、あの天井絵の示す星空の出現する日だったんだ。まあ、それ以上深く調べてはいないし、多分時期的には蛇神祭りのあった日の星空を写し取ったとかではあると思うが、それでも少し気になってな。……そっちで何か変わったこととかは起こってないか?」
「いや、変わったこととかは無いけど」
 だけど、なるほど、確かに何か意味ありげではあるな。
 もしかしたら父さんなら何か上森神社や蛇神についての重要な情報について、偶然辿り着いている可能性はありそうだ。
 ……試しに聞いてみるか。
「父さん、実は今夏休みの課題で上森神社とかその辺のことに付いて調べてるんだ。それで、さっき言ってた神楽殿の天井絵についての話だけど、調査の結果ってどこかに纏めてあったりする? もしよかったら見せてほしいんだけど」
「なるほど、お前が神楽殿の天井絵について知っていたのはそういう事か。調査資料なら好きに見て良いぞ。とは言っても仕事でやったわけじゃない、ただの興味本位だったからそんなに詳しく調べてはいないが。それでも、上森町から見た場合の時間の詳細についてはノートに纏めておいたはずだ。書斎のどこかにあるはずだから、気になるなら見て良いぞ」
 俺は、快諾してくれた父さんに対して「ありがとう、助かるよ」と感謝の言葉で応じた。よそうがいの展開だけど、これは中々いいことだ。
 そんなことを考えていると、父さんが少しばかり申し訳なさそうに言った。
「すまないがもうしばらく帰れそうにないんだ。うまくやっていてくれ。……そうそう、出かける前に上森神社に行ってみたんだ。その時、ちょうど久遠ちゃんに会ったんだよ。何だか終始思い詰めたような表情だったんだ。そういう事もあって、あの天井絵の日付が何か不吉な意味を持っているんじゃないかと少し気になってな」
「……父さんが出かける直前って、あの頃は確か期末テストの直前だぞ。流石にあの久遠だってそういう表情をしてる時期だと思うけど」
「まあ、そういう学生らしい理由なら全然いいんだ。ただ、出来れば久遠ちゃんのことは少し気にかけてやれよ。あの子はあまりたくさん友達を作るタイプではないようだし、その上随分と真面目だ。神社の巫女なんて役目をしっかりとこなそうとすれば、本音や弱みをぶつけられる家族以外の誰かは、いるに越したことはないんだ」

× × ×

 今日も小雨が降り続いていた。
 俺は傘を差し、昨日久遠と約束したとおり上森神社に向かった。
 上森神社に多くある縄目模様の意匠は白い色で描かれていた。その事から考えると、上森神社は蛇神の中でも白き蛇神に縁のある場所だと考えるのが妥当だろう。
 それらのことを踏まえた上で、改めて蛇神祭りについてその内容を分析してみた。そうすると、今まで隠されていた蛇神祭りの持つ役割が見えてきた。
 蛇神祭りにおける伝統祭事は二つある。
 一つ目は御神輿による上森神社と上森公園の往復。
 そして二つ目は、夜に行われる蛇巫のお神楽だ。これは、一般的な蛇巫の『蛇と交わり蛇の児を産む擬き』だと久遠から説明された。だけど蛇神という存在が、何かに憑依する神様だという性質を考えると、ここに違った意味が見えてくる。
 つまり、上森神社の巫女が行っていたのは、蛇と交わる擬きではなく、蛇神を降ろすことによって神託を得る儀式の擬きである、ということだ。
 上森の蛇巫は、憑依という特性を持つ蛇神と、文字通り一体化することによって、蛇神の持つ知恵と力を引き出して来たはずだ。
 蛇神祭りは、そのための方法を伝えるための手段だったんじゃないだろうか?
 或いは、蛇神祭りそのものが、周期的に蛇神との交信を行う為の儀式だったのかもしれない。
 ……このことに、久遠は気付いているんだろうか?
 多分、気付いていないだろう。
 だからこそ久遠は俺に御神楽のことを、『蛇と交わり蛇の児を産む擬き』だと説明したんじゃないだろうか? ……或いは、……いや、そんなことをして久遠に一体どんなメリットがある?
 上森神社が見えてきた。
 どちらにしたって真実を、確かめる必要がある。
 この際誇大妄想だろうが勘違いだろうが構うものか。むしろそうであってほしい。久遠に笑われてバカにされるなら、それでもう十分だ。
 石段を登り、鳥居を潜る。
 目の前に広がるのは、毎日のように来ている見慣れた境内。
 今日は珍しく神楽殿の扉が開かれている。そして、その神楽殿の中に巫女服姿の久遠が立っていた。
 シトシトと降り続ける雨の中、久遠は静かに言った。
「……ねえ弘人、どこまで知ってる? 弘人はどこまで気付いた? この神社の役割、蛇神の正体、蛇神祭りの意味……。弘人はどこまで分かってるの?」
「久遠、お前は一体……」
 俺は、久遠の言葉に対してすぐに答えることができなかった。
 おかしい。
 今日の久遠は、明らかにいつもと様子が違う。
 久遠は無言のまま神楽殿に上がり、御神楽を舞い始めた。
 何年も、何回も見たことのある、蛇神祭りの巫女舞い。
 そして彼女は、そのお神楽に合わせるようにして語り始めた。
「大昔、そう今から何千、何万年も前のことだよ。体を捨てて宇宙に旅立った二柱の神様が、大いなる旅人の意思に導かれて地球にやってきたの。そして二柱の神様は、大昔の人間に様々な知識を授けたわ」
 御神楽を舞う久遠が語り始めたのは、あまりにも壮大なスケールの物語だった。
 だけど、思い当たるモノがある。
 星神だ。
 星神書記が定義される、『月よりも遠き外なる星々より降り立ちし者』だ。
 久遠の言葉と御神楽は続く。
「二柱の神様は、この地球の人達にも、自分達と同じような存在になってほしかったの。それが、人間にとっての本当の幸せだと考えていたから。二柱の神様は、協力して人々を導こうとしていたわ。……だけど、ある時事件が起こった」
 久遠はその言葉と同時に、神楽鈴を勢いよく鳴らした。
 たった二人しかいない境内に、その鈴の音は勢いよく鳴り響き、永遠に反響し続けているかのように錯覚できた。
「二柱の神様、後に人々が白き蛇神と黒き蛇神の名前で呼ぶことになる二柱の神様の間には、致命的な考え方の違いがあることが表面化してしまったの。白き蛇神は、人々に力を貸すのはそれを願われた時だけで、人類の望む速さで緩やかに進化していくのを手助けしていけばいいと考えたわ。これに対して黒き蛇神は、積極的に人間へ干渉して、進化するのに相応しい才能の持ち主だけを、効率的に進化させるべきだと考えの」
 白き蛇神と黒き蛇神。
 星神書記にも、その存在については記されていた。
 蛇神には、慈悲深さ、恩恵、知性を司る白き蛇神と、獰猛さ、災厄、暴力を司る黒き蛇神が存在する。そして、この二柱の神は対立関係にあるという。
 そして俺は、いくつかの資料から見えてきた推測である、蛇塚の消失の原因がこの二柱の力のぶつかり合いであったという仮説を立てることが出来た。
 俺が白き蛇神と黒き蛇神という二種類が存在することを知ったのは、民俗資料館の地下の古文書保管庫で星神書記を見せてもらった時だ。
 だけど、もしかして久遠は最初からそのことを知っていたのか?
 ……俺の疑問をよそに、久遠の言葉と御神楽は続く。
「二柱の神の意志を知った人々は、その時選択を迫られたわ。自分達は、どちらの神に付き従うのかを。かつてこの上森にいた神官と巫女は、白き蛇神に従い、黒き蛇神と対立することを選択したの。そして、白き蛇神の加護を受けた蛇巫が、更に黒き蛇神を憑依させ、自身の中で二柱の神の力を拮抗させ相殺することで、黒き蛇神の力を排除しようと考えた」
 人類が白き蛇神の側について戦ったというのは、俺が得ている情報とも矛盾しない。
 久遠がこの情報を得たのは、もしかすると上森神社に伝わる伝承という事なのだろうか?
「……其れを実行した結果、黒き蛇神を宿して一体化した蛇巫は、その多くの生命体の魂の融合体ともいうべき蛇神を取り込んでしまったことによって、心が完全に壊れてしまった上に、死ぬことが出来ない存在になってしまったの。その蛇巫は、石の棺の中に封印されることになったわ。そして、その石の棺は蛇塚と呼ばれた。だけど、蛇塚の封印は時間が経つにつれて弱くなっていったの。人々は、黒き蛇神を完全に封じ込めることが出来ないと悟ったわ。このままではいずれ黒き蛇神は、封印を破って蘇ってしまう。だから、その時が訪れるたびに、選ばれた新しい蛇巫が、新たに自身へと二柱の神の力を宿して蛇塚に封じる役目を引き継ぐことで、未来永劫に渡って黒き蛇神の力を封じ込めることになったの」
 俺達が調べていた、久遠自身の口からは単語すら聞いたことがないと言われた、蛇塚。
 なのに今の久遠は、その蛇塚についての詳細を語っている。
 ……最初から、知っていたのか?
 真実を知った上で、俺に黙っていたのか?
 だとしたら、一体何のために?
 俺の疑問をよそに久遠のお神楽は続く。
 彼女は手にする神楽鈴を、刀の様に鋭く振り下ろした。
 二人きりの境内には、その鈴の音がより一際強く鳴り響く。
「かつて上森町周辺地域を壊滅させた『上森の大水害』として記録される、黒き蛇神と白き蛇神の戦い。これによって当時の蛇塚は、完膚なきまでに破壊されてしまったわ。そして、その戦いによって当時の巫女や神官達の直接の関係者の殆どが犠牲になっている。だから、当時の詳細や各種儀式の手順などの詳細な記録こそ奇跡的に継承することが出来ていたけど、儀式の要となる蛇塚の復元は先送りになってしまっていたの。そして、ようやく最近になって新しい蛇塚が完成した。そこに私という蛇巫が揃ったことで黒き蛇神の力を封印する為の儀式を再開できるようになった。……これが、上森神社に伝わる歴史の真実と蛇神の正体、そして巫女に与えられた本当の役割」
 久遠のその言葉と同時に御神楽が終わった。
 彼女が、一体何処でこれだけの知識を得たのか?
 彼女は、いつからこのことを知っていたのか?
 疑問は幾つも浮かぶが、確かなことが一つある。彼女の語った、神話とでも呼ぶべき物語。それは、俺が今まで調べて得てきた情報と矛盾しない。いや、むしろその空白を埋めるようなものだった。
 久遠は神楽殿から俺のことを見下ろしながら言った。
 その声からは、どうしようもない冷たさを感じた。
「蛇神祭りは、黒き蛇神を封じる蛇巫の継承を正しく行うために、その手順を伝える方法よ。黒き蛇神の封印が解かれるタイミングは、大昔の星占術によって正確に予見されている。……そして、その儀式を執り行うのが、……今年」
 久遠がそう言って言葉を区切ると同時に、異変は起こった。
 彼女の立つ神楽殿を中心に、境内中のありとあらゆる場所へ白い縄目模様が浮かび上がったのだ。
 久遠は神楽殿の天井絵を見せてくれた時、描かれた模様は蛇神を象徴する物なんじゃないかと思うと言った。
 あらゆる文献の中にその実態を写されることのない蛇神。
 蛇神に纏わる場所へと遥か昔から共通して描かれる縄目模様。
 ……そうか。
 ……そういう事だったのか。
 ……俺は今まで蛇神について勘違いをしてきたのだ。
 もしも古代文明の人々が儀式によって蛇神と交信で来ていたのなら、彼等はその様子を何らかの形で残すだろう。
 少なくとも、彼等は多くの壁画や土器などから、極めて高い工芸技術を持っていたことが明らかになっている。
 彼らが蛇神を目撃していたのなら、それを描写する力がある筈だ。
 そして、実際に彼らは、この世界に顕現した蛇神の姿をあまりにも的確に描写して記録していた。
 それは、蛇の鱗のような、無数に連なる縄目模様。
 実体を持たず憑依することによって力を行使する蛇神がその場所に宿ったことを現し、蛇神の力に由来する超常の力の発現を示す証。
 描かれた縄目模様とは、蛇神の憑依と力の顕現の写実的描写であると同時に、蛇神そのものを示す象徴。
 ……ああ、そうだ。
 蛇神は本来、蛇という生物とは全くの無関係。蛇神とは、まるで蛇の鱗のような紋様を伴って力が顕現するが故に与えられた名前。それがやがて蛇に対する別の古代の信仰と合流したことによって、今の形に変化した。
 蛇神の力の顕現を示す縄目模様は、久遠自身にも浮かび上がった。
 それと同時に、久遠の身体にも変化が出始めた。
 黒かった長い髪の色が、白へと染まっていく。
 瞳の色が赤へと塗り変わっていく。
 何よりもその全身からは、押しつぶされそうな威圧感が放たれる。
 そんな久遠の話す声が、耳からではなく直接俺の脳内に響くかのようにして聞こえてきた。
「私の体はもう既に、先代の巫女を引き継いで、黒き蛇神を受け入れる準備ができている。全ての人類に対して、先人たちの下した決断を継承するために、古の誓いを受け継ぐために、私は今日という日まで生きてきた。……この覆ることのない運命の意味、ここまで蛇神に関する歴史を知った貴方なら、私の決断、私がこれからしようとしていること、その意味が分かるわよね?」
 神楽殿に立つ久遠が俺に向けて手をかざした。
 次の瞬間、『何か』が俺のことを吹き飛ばした。
 風、突風、……いや、まるで見えない手のようなもので突き飛ばされた感覚だった。
 何が起こったのか理解できないまま、俺の体は数メートル後方まで弾き飛ばされた。
 持っていた傘が吹き飛び、背中が境内の石畳に打ち付けられる。
 どうにもならない痛覚と服に染み込む雨水の不快感の中、俺は何が起きているのか理解できずにいた。
 久遠は一体何をした?
 俺の馬鹿げた推測が、本当に正しかったとでも言うのか?
 蛇神という存在の実在、黒き蛇神と白き蛇神、上森の蛇巫、生け贄の儀式……。
 総て、真実だったって言うのか?
 俺は、どうにか必死に起き上がろうとする。
「ッ!?」
 起き上がる拍子にふと何気なく横を向いた時、いつの間にかそこに奇妙な格好の人物がいることに気付いた。
 服装は上下共に黒の無地で、その裾や袖口、胴回りなどを同様に黒いベルトで縛っている。脛、膝、腕、肘、胸にはプロテクターのような物が取り付けられ、それらも服と同様に光沢のない黒で塗られていた。
 そして何よりも異常なのは、その顔だ。
「……まさか、……白い仮面の、怪人!」
 その人物は白い仮面をつけていた。
 目の二か所に丸い穴の空けられただけの、無機質な白い仮面。
 その姿を見た時、真っ先に思い出したのはとある都市伝説。
 蛇神について調べ始めた頃に偶然見つけた、神森町で目撃談のある存在。
 主に『白い仮面の怪人』の通り名で呼ばれる黒衣の怪人物。
 ……まさか、それがこいつなのか!?
 いったいいつの間にここに、いや、それよりも何故ここに現れた?
 一方の久遠の反応は、突然の事態に混乱する俺とは対照的だった。
「……『鴉(カラス)』か!」
 目を見開いて叫ぶ久遠に対し、鴉と呼ばれたその仮面の人物は答えた。
「我々としては、余り事を荒立てるのは本意ではない。それに秘匿のための隠蔽を考えるならば、派手な行動を避けてほしいところだ」
 仮面のせいでこの人物の素顔は確認できない。声は仮面のせいなのかくぐもっており、万が一知っている人物だったとしても気付くことは難しいだろう。
 対する久遠が吐き捨てるようにして言う。
「……そんなこと、分かっている!」
 そして一度の深呼吸の後、視線を俺の方に向けた。
 今の久遠の表情からは、どんな感情も読みとれない。
「弘人、今の私は、もう人間じゃない。黒き蛇神の依り代になるために生きてきた今までの人生の、その集大成としての、人を超えた蛇巫。……剣田弘人君、今まで本当にありがとう。君と出会えたから、一緒に歩いてこれたから、一緒に笑ってこれたから、一緒に泣いてこれたから、私はこの運命を受け入れて、今日という日を迎えることができた」
 まるで、久遠が何かを終わらせようとしているかのような。
 彼女の正しさを理性では理解しているかのような。
 他の手段が無いことを知っているかのような。
 そんな焦燥感と無力感が、抵抗できない程に沸き上がってくる。
「だけど、今日で全部終わり。明日、私は儀式を行う。君が来たからってできることは何もないけど、何が起こるか分からないからね、絶対に来たりしちゃだめだよ」
 やめろ久遠!
 そう叫ぼうとした。
 その筈なのに、俺はその、たった一言すら発する事が出来なかった。
 言葉は虚空に消え、そこへ覆い被さるようにして、久遠が言う。
「……じゃあ、さようなら。今までありがとうね。……楽しかったよ」
 その言葉が合図だった。
 俺の体は、最初と同様に見えない力によって、勢いよく吹き飛ばされた。
 境内が、神楽殿が、そこに立つ久遠の姿が遠くなっていく。視界を流れていく景色が、入り口の鳥居を捉えた。
 ……石段、ああ、そうか、まずいな。高さはあるし、あそこにこのまま叩き付けられたら、冗談じゃなくかなり本気でやばい。頭だろうが背中だろうが、受け身も取れずにぶつけたら確実に大惨事だ。
久遠、どうしてこんなことしたんだ? いったい何が起こってるんだ? これは本当に現実なのか? どうすればいい? 何ができる?今の俺に一体何が……。
 直後。
 俺の体が何者かに抱えられたのが分かった。
 ……あの仮面に黒服の謎の人物か。
 数秒間の奇妙な浮遊感の後、ズンッ、という衝撃が伝わった。
「立てるか?」
 鴉と呼ばれていた仮面の人物のそんな、問いかけに応じるようにして足を下ろすと、地面があった。俺はどうにか大地に重心を移して立ち上がる。
 この仮面の謎の人物は、久遠の謎の力で吹き飛ばされた俺のことを空中で掴み、その上で上森神社の石段の最上段から地面までの距離を飛び降りたのだ。
 起き上がって神社に入ろうともしてみたが、見えない壁のようなものに阻まれて、中に入ることができなかった。
 仮面の人物が、石段の先に視線を向けて呟く。
「……霊脈を利用した結界か。賢明な選択だ」
 何もかもが異常だった。
 俺の日常と常識を明らかに超越した、どうしようもない現実が、今目の前で繰り広げられていた。
 俺のことを助けてくれた、鴉と呼ばれていたその人物が、俺の方を向き直り言った。
「剣田弘人、君はもう、この件に関わるべきではない」
「……それは忠告ですか? それとも、命令ですか?」
「両方だ。滞りなく儀式が遂行されれば、再び黒き蛇神の力は抑え込まれ世界に安定が訪れる。君が上森の歴史と役割を理解しているのなら、それを妨害することの意味、その愚かさについても知っているはずだ」
「だけど、それでも……」
「警告はした。いずれにせよ、今の君に出来ることは無い」
 その言葉に俺が俯き視線を外した、その直後だった。
 アスファルトを強く蹴る音が響き、驚いて視線を上げると、鴉と呼ばれた仮面の人物の姿はなかった。
 俺は一人、降りしきる雨の中で立ち尽くしていた。

第八話 最後の切り札

 どうする?
 どうすればいい?
 俺は、どうすればいいんだ?
 久遠は言った。
 蛇神祭りは、黒き蛇神を封じる蛇巫の継承の為の手段だと。
 黒き蛇神の封印が解かれるタイミングが今年なのだと。
 ……そして、自身の体はもう既に先代の巫女を引き継ぎ、黒き蛇神を受け入れる準備が出来ていると。それは全ての人類を守るために、先人達の下した決断を継承する為のものだと。遙か昔の誓いを受け継ぐために、自身は今日という日まで生きてきたのだと。
 ……俺は一体、どれくらい久遠のことを知っていたんだ?
 腐れ縁、昔からの知り合い、幼馴染み。
 幼稚園の時、小学生の時、中学生の時、高校生の今。
 毎朝のように一緒に登校した。
 授業中に居眠りしていたところを起こされた。
 やり忘れた課外を写させてあげた。
 放課後に、暗くなるまで遊んだ。
 誰にでも見せる笑顔も、誰にも見せない泣き顔も、俺は確かに知っている。
 ……だけど。
 それで一体、俺は久遠の何を知っていたっていうんだ?
 上森神社の巫女として、彼女に与えられた役割。
 世界のために死ぬ日を、最初から決められた人生。
 人々が常識と呼ぶ知識が、どれほど浅はかなのかを知りながら見る世界。
 俺は、そんな久遠の何を知っていたっていうんだ?
 あの姿が、あの力が、今の久遠が人智を超えた存在に変化していることを、あまりにも雄弁に物語っている。
 そして久遠は、全部終わりだと言った。
 儀式を行うと言った。
 俺に対して、絶対に来るなと言った。
 今の俺は、久遠の言葉を否定できる理由を持っていなかった。
 ……だけど、本当にそれでいいのか?
 久遠が語ったことを合わせても、まだすべての謎に答えが出たわけじゃない。
 仮に何か見逃していることがあったとすれば。
 例えば、当事者である久遠ですら気が付いていないような、蛇神や上森神社に関する『何か』があるのだとしたら?
 そこに何か、今の状況を打開する鍵が隠されている可能性だって、決して否定しきれないじゃないか。
 そうだ、まだできることを全てやり切ったわけじゃない。 
 俺はケータイを手に、連絡先の中から神宮路千佳の名前を探し出して電話をかける。
 数度のコール音の後、神宮路さんは怪訝そうな声で電話に出た。
「もしもし、剣田さん。いきなり電話だなんて、何かありましたか?」
「こんにちは、神宮路さん。……いや、この前『藤堂龍一郎』って人について、それ以外にも上森神社の先代神主失踪に関係しそうなことが何か分かったら連絡するって話してたから、それがちょっと気になってさ。俺と久遠の方は進めてはいるんだけど、少し行き詰っていて神宮路さんの方はどんな感じなのか気になったからさ」
 嘘は、言っていない。
 それに、今の状況を素直に説明するのは、電話越しともなればなおさら難しすぎる。
「……なるほど、そういう事だったのですね」
 神宮路さんは、いつも通りの丁寧な口調だ。
 そこから、彼女がいつも通り冷静だということが分かる。
 ……この感じなら、少なくとも久遠のことや今の上森神社の状況について、何か深く知っているということはなさそうだ。
 とにかく、今の俺が優先するべきなのは、久遠が憑代になる以外の方法で、黒き蛇神の脅威を回避する手段を見つけることだ。
 そして、これ以上悪い状況を作らないためにも、神宮路さんを巻き込むわけにはいかない。
 神宮路さんが友達思いで面倒見が良いのはよく知っているし、家の立場を利用すれば何らかの介入は出来るだろう。だけど、それをさせる訳にはいかない。少なくとも神宮路千佳という個人は、今の状況に対して無関係だ。
 少しの沈黙があった。そして神宮路さんの深呼吸をする音が聞こえ、その後に彼女は言った。
「……実は少し気になることがありましてね。伝えるべきかどうか悩んでおりましたの。ですが、剣田さんの側から連絡をいただけたことですし、単刀直入に申し上げる事に致しますわ。剣田さんは、玖守孝蔵という名前に聞き覚えはありませんか?」
「玖守孝蔵……、ああ、あるな、見覚えがある。久遠と一緒に、上森神社で調べものをしていた時に、偶然見たな。だけど、それがどうかしたのか?」
「……やはりそうでしたのね。この人物は、以前剣田さんの仰っていた、藤堂龍一郎と深い関係のある人物だったようです」
「まさか、一体どんな……」
 玖守孝蔵という名前を見たのは、久遠と一緒に上森神社の中を調べていた時、偶然見つけた手帳の中だ。その手帳の持ち主こそが、失踪した上森神社先代宮司である藤堂龍一郎だ。
 この二人が何らかの形で面識があっただろうということは、手帳の記述から推測出来る。
 そして、その二人の名前が神宮司さんの口から出てきた。
 ……まさかとは思うけど、上森神社を取り巻く一連の謎に、神宮路家も何らかの形で関わっているのだろうか?
 推測とも言えないような憶測を巡らせる俺に対し、神宮路さんは答えた。
「玖守孝蔵は、藤堂龍一郎の後任になるはずだった人物ですの。藤堂龍一郎とは以前から交流があり、後任として推薦していたようですわ」
「でも、結局はそれなりに時間が経ってから、久遠のお父さんが継ぐことになったんだろ?」
「ええ、上森神社宮司は先代の推薦を反故にして、鏡宮家が継ぐようになりました。……ですが、ここに至るまでの間にかなり大きな動きがあったようですわ。神宮路家先代はこれに意見を求められ、玖守家を後任として認めない立場をとった。のみならず……」
 いつもの神宮寺さんからすると珍しく歯切れが悪かった。
 彼女が何かを迷っているのは明らかだった。
 そして少しの沈黙の後、神宮路さんは話し始めた。
 その口調には、今までの俺の知っている彼女のどんな口調とも違う、戸惑いと緊張感の入り交じったような気配があった。
「……今から、この件に関連すると思われる情報を、可能な限りお伝えしますわ。但し、これらの情報について、私の立場では真偽を断定することは出来ません。今の私に断言できることは、神宮路家の書斎の奥にこれが隠されていたという事実のみですわ。……当時の神宮路家が出した結論は、最初に後任として指名されていた玖守孝蔵の追放と抹殺ですわ。この表現が文字通りの意味なのか比喩なのかは分かりませんが、ともかく神宮路家が出した結論は、玖守孝蔵を何らかの手段によって排除することだったようです」
「……どっちにしたって穏やかじゃない話だけど、一体どうしてそんな結論に至ったんだ?」
「『彼は儀式を利用して邪神を蘇らせようとした。彼がその知識を手にしている以上、なんとしてもその手段を与えてはならない』『玖守孝蔵の調査結果はすべて押収し我々の管轄に置ことが決定した』『後任の巫女をいち早く選出し、本来の方法で封印する必要がある。少なくとも、数十年後に控えている次の儀式は、絶対に執り行わなければならない』『蛇塚新造計画は我々が主導する』……それが、神宮路家先代の手記に遺されていた記述ですわ」
「……邪神、上森神社、蛇塚、……そして儀式、か」
 少し前なら笑い飛ばしていただろう。
 上森神社の謎について調べ始めたばかりの頃の俺なら、その単語の奥にある意味を探ろうとしただろう。
 だけど、今の俺にはそんなことは出来ない。
 そうだ。
 その記述は文字通りの意味なのだと、今の俺は確信している。
 人知を超えた神秘は実在する。
 そんな力や存在を巡る思惑は、今この瞬間に至るまで続いている。
 黙ってしまった俺に向けて、神宮路さんが言った。
「正直なところ、私としては判断に困っているところですわ。これらの記述が、何らかの手の込んだ悪戯だとは考えられません。ですが、これを文字通りの真実と考えるには、あまりにも突拍子もないといいますか、常識外れの話ですわ。……でも意外ですわね。笑われるかと思っていましたわ」
「……笑えたら、良かったんだけどな」
 そんな常識外れの現実が存在することを、今朝俺は突きつけられたばかりだった。
 少なくとも、今の俺には笑えない。
 少しの沈黙の後、神宮路さんは躊躇いがちに言った。
「……剣田さんは、例えば神様とか……、そういった、目には見えないけど、大きな力を持つ存在、あるいはその力そのものが、現実に存在すると思いますか?」
「……神宮路さん、全部終わったら、ちゃんと話します。だから今は……、『そういう力は絶対に存在する』とだけ、答えさせてください」
 多分、神宮路さんは、今の上森神社や蛇神を取り巻く諸々の、その答えにかなり近い場所にいるはずだ。
 直接彼女の力を借りれば、解決できることだってあるかもしれない。
 だけど。
 やっぱり俺に、それは出来ない。
 久遠を運命から救いたいのは本心だ。だけど、確実な勝算のないこの状況に、これ以上誰かを巻き込みたくはない。知ってしまった上で失敗すれば、神宮路さんはどうしようもなく後悔するはずだ。
 責任感が強く友達思いの彼女なら、昔の神宮路家の決断に対して、何らかの責任を感じてしまうことは簡単に想像できる。
 もしも。
 もしも久遠の運命を変えられなかったとしても。
 そんな最悪な状況が訪れてしまったとしても。
 無力感を感じるのは俺だけでいい。
 神宮路さんが、そんな悲しみ方をする必要なんてない。
 久遠だってそう考えたからこそ、親友とも言える神宮路さんにだって何も伝えなかったんじゃないだろうか?
 ……少しの沈黙の後、神宮寺さんは答えた。
「……分かりましたわ。……今、神宮路家の内部で何かの動きがあります。いくつもの巨大な権力が動き、それはおそらく上森町の、上森神社を中心とした『何か』に注目しています。状況次第では、貴方達にも危険が及びかねません」
「久遠にこのことは?」
「……本来ならば伝えるべきでしょうね。ですが、神宮路家の人間が鏡宮さん本人に接触することは、あまりにも危険であるというのが、今の私が下した判断です。申し訳ありませんわ」
 ということは、当然久遠の側からも連絡は無かったということか。
 そして、この神宮路さんの言葉を聞く限り、彼女が久遠に連絡をとる可能性もなさそうだ。
 なら後は、俺が一人でこの状況を解決すればいい。
 何事もなく久遠が戻って来さえすれば、俺達の全ては元通りだ。
 神宮路さんだって、もうこのことで何かを悩む必要はなくなるし、人知を超えた存在に関わる必要もなくなる。
 最悪の結果はもちろん想定する。
 だけどそれ以上に、最高の結末を掴んでみせる。
 その決意を込め、俺は神宮路さんに言った。
「神宮路さんは悪くない。……今年の蛇神祭りの夜に三人で集まりませんか? 花火の見える良い場所を、俺が案内します」
「三人で、ね。……ええ、約束ですわ」

× × ×

 神宮路さんと電話で話した後、俺は父さんの書斎に向かった。
 あの時久遠は俺に対して「来るな」と言った。だからこそ当然のことだけど、久遠は儀式を行う場所と時間を明言しなかった。
 だけど俺はそれが何時の何処なのか、それを示している物に心当たりがあった。
 上森神社の神楽殿に存在する、巨大な天井絵だ。
 あれこそが、儀式の日時を明示している筈だというのが、俺の読みだ。
 勿論それなりの根拠はある。
 父さんはこの前電話で、あの天井絵の示している日時を割り出し、それが明日だと言っていた。それはつまり、そもそもあの天井絵が多くの星々の位置関係を正確に書き記していたからこそ成立する解析なのだ。
 或いは星神書記にあった記述や、久遠があの時言った「星々の位置関係が再び正しい位置に巡ってくれば黒き蛇神、力を取り戻して蘇ってしまう」という言葉から分かること。即ち、星神と呼ばれる存在にとっては大宇宙における星々の位置関係が自身の力に大きな影響を及ぼすという事。
 これらのことを前提に考えれば、神楽殿という儀式にとって重要な施設の天井絵に意味のない日付の星空を描く筈が無いことはすぐに分かる。
 そして、ならばそれがいつの日の夜空なのか、という問いに対しては明確な推測を回答出来る筈だ。
 そこに描かれていた星空。
 あれこそが、白き蛇神の力を借りて黒き蛇神の力を封じ込めるという『本当の蛇神祭り』を行うタイミングでの、儀式を行う場所から見た星々の位置を正確に記した物のはずだ、と。
 天体の位置関係には不変の規則性がある。
 太古の旅人は星座を目印にして旅を行い、星占術師は日蝕や月蝕のタイミングを正確に導き出したという。
 夜空の星々の動きの規則性を知る術は、遥か昔の時点で確固たる技術として確立されていたのだ。神楽殿の天井絵に、そういった知識や技術がフィードバックされているとしても、それほど不思議な話だとは思えない。
 そして父の書斎を漁る事数十分。
 表紙に『上森神社の神楽殿天井絵に関する調査結果』と記された、古びた大学ノートを見つけた。急いで内容を読み進めていくと、ちょうど俺の求めている情報に行きつくことが出来た。
 ――時刻は明日の夕方。
 時間は確かに少ない。
 だけど、最後の抵抗をする、その準備を整えるのには十分すぎる時間だ。

× × ×

 ただ儀式を行う時間が分かっただけで、それだけじゃ何も出来やしない。
 勿論そんなことは分かっている。
 俺だって、何のアテも無しに久遠を助けようとしているわけじゃない。
 この状況をどうにか出来る物に、一つだけ心当たりがあった。
 蛇神は実在する。
 神話や伝説には真実が含まれている。
 そして、人智を超えた力は、この現実に実体を伴って干渉できる。
 それらの総ては、昨日図らずとも久遠が俺に証明してくれたことだ。
 だからこそ気付くことが出来た。
 今を覆す『鍵』は、伝説の中にあるはずだ。
 現在の時刻は午前十時を少し過ぎた頃。
 俺はケータイに、以前教えてもらった電話番号を打ち込む。
 発信先は俺たちの日本史の担任、国原先生だ。
 数度のコール音の後、彼は電話にでてくれた。
「はい、もしもし、国原です」
「お久しぶりです、国原先生、剣田です。実は、無茶を承知で一つお願いしたいことがあるんです。……国原先生が昔発掘調査に参加した時に持ち帰った『剣』は、今も上森高校にありますね?」
 我ながら突然すぎたと思う。
 だけど今は、それ以上に時間が惜しかった。
 少しの沈黙の後、電話越しに国原先生の声が返ってきた。
「……ああ、学校に保管してある」
「それを、貸してもらうことは出来ますか?」
「……それは、夏休みの課題と、……上森神社と関係がある理由か?」
「はい、そうです」
 正直にすべてを話したところで信じてもらえるとは思わない。
 それに、夏休みの課題や上森神社と関係があるのは事実だ。
 正直、国原先生が許可をくれるという確証はない。
 だけど、この『剣』は何があっても手に入れる必要がある。
 俺の推測が正しいなら、この『剣』こそが、最後の『鍵』になるはずなのだ。
 国原先生が、静かに答えた。
「……今から学校に来てくれ。そこで詳しく話を聞こう。余すことなく全てだ」
「……全て、ですか?」
「そう、今の君が知っている、上森神社や蛇神、それに付随する事柄の全てだ。そして、例え剣田君がどれだけ荒唐無稽な話をしようとも、その真偽は私が判断する。だから、全てを話してほしい」

× × ×

 空には相変わらず雲がかかり、小雨が降り続いていた。
 傘をとろうとして、ふと思い出し手が止まる。
 ……そうだ。
 傘は昨日、神社に置いてきたんだ。
 久遠に吹き飛ばされた、あの時に。
 俺は予備のビニール傘を手にとって学校に向かう。
 そして歩くこと十数分、俺は上森高校に到着した。
 校門の前では、国原先生が立っていた。
 先生は「ついてこい」とだけ言うと校舎に戻っていく。俺は先生の言葉に従い、後に続いた。
 人気が無く薄暗い校舎の中を暫く歩き、国原先生は準備室の前で足を止めた。そして鍵を開けると言った。
「とりあえず座るといい。……さて、教えてくれ」
 国原先生にそう促された俺は準備室に入り、近くにあった椅子のホコリを払って座る。
 そして、約束通りに知っていることの全てを話し始めた。
「……人知を超えた強大な力を持つ蛇神と呼ばれる神様が存在します。そんな神様が実在して実際に力を振るったことは、例えば蛇塚の消滅や、それに関する発掘調査で見つかった奇妙な破片からも分かることだと思います。上森神社の巫女である久遠は、そんな蛇神の力を鎮めるために生け贄になることを使命とする、蛇神の巫女なんです」
 俺は一度国原先生の表情を見る。彼は真剣な表情のまま「……続きを」とだけ言った。俺は頷き、更に話を続ける。
「儀式はもうすぐ執り行われます。……俺は、久遠に死んで欲しくない。蛇神の巫女としての役割から解放したい。……だけど、久遠を蛇神の巫女としての役割から解放するのなら、黒き蛇神の力に対応する為の、別の手段を用意する必要があります。そのための手段、最後の切り札となるその武器が、恐らく上森町に存在している筈なんです。……国原先生は、かつて行われた上森町の大規模発掘調査に参加していました。そして、その時の出土品の一部は調査隊のメンバーが持ち帰り管理しているということが、図書館で見つけた調査報告書に記されていたんです。国原先生はその時採掘した『剣』を持ち帰り、上森高校に保管していることが、その時分かったんです。前に久遠は、上森神社には蛇神にまつわる三種の神器があって、本来儀式はその三つを用いて行うと言っていました。……もしこの『剣』が、白き蛇神から与えられた武器だったのなら。蛇神にまつわる三種の神器の、最後の一つだったとしたら。久遠が蛇巫として犠牲になる以外の、例えば元凶である黒き蛇神を打ち倒すことができるような武器になる可能性だって、十分にあり得るんです」
「……根拠になるモノはあるか? 発掘された剣を使うことで、黒き蛇神に対抗できるという考えの根拠は」
 国原先生の質問は、俺の予想していなかった角度から来た。
 まさか国原先生は俺のこんな荒唐無稽な話を、真実だという前提で質問しているのか?
 だとしたら一体何故?
 まさか、国原先生も、蛇神に纏わる何か重要な何かを知っているっていうのか?
 ……いや、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
 俺は国原先生に、剣が蛇神に対抗できることの根拠について答える。
「根拠は、あります。過去の上森町で起こった大水害発生と蛇塚の消失という出来事。国原先生が参加した発掘調査はこれに関係したものだった。今まで調べて出てきた情報から考えると、過去に起こったこの大水害の正体は、当時の人達が蛇神と戦ったことによって引き起こされた被害だと考えることができます。……これはあくまでも俺の推測ですけど、当時神官の一族達はこの戦いで黒き蛇神に対抗するために三種の神器を使った。だけど、その最中で受けた被害によって『剣』を紛失してしまった、ということは十分に考えられます。もしそうだったなら『剣』は間違いなく蛇神と戦うための力になり得る筈です」
「具体的な物証は無く、あくまでも剣田君の推論の積み重ね、ということか」
「否定はしません。それでも、僅かでも久遠のことを助けられる可能性があるなら、そこに賭けてみる意味は十分すぎるくらいにあるはずです」
 それは、客観的に考えればあまりにも荒唐無稽な話だろう。
 ……だけど。
 蛇神の力が実在すると分かった以上、それに対抗しうるという武器もまた、何らかの強大な力を秘めていると考えることは、決しておかしな話ではないはずだ。
 少しの間思案していた国原先生が口を開いた。
「……一九二六年、かつてインドに駐屯していた元英国陸軍大佐ジェームズ・チャーチワードは『失われたムー大陸』という本を出版した。その本の中では、超古代にムーという大陸が太平洋にあり、火山の活動によって一晩にして海中に没したという伝説を紹介している。現在に至るまで行われた多くの調査の結果、失われた大陸の実在については慎重な意見が多くなっているが、太平洋、インド洋を中心とした広大な地域に『ムー文明』と称されるような文化圏があった可能性は否定出来ない。世界最古の未確認飛行物体目撃談は、紀元前十五世紀に古代エジプトの『トゥーリー・パピルス』へ記されたとされているとも言われているし、南メキシコの洞窟では異様な親子の頭蓋骨が発見されている。この子供は多くの解析によって判明した異様な特徴から『スター・チャイルド』と呼ばれているんだ。超古代文明、オーパーツ、ミッシングリンク……、考古学の世界ではしばしば今の常識では理解できないようなモノが、現実として現れる世界だから、ある種の非科学的な話や、ロマンが先行しすぎたような話はいくらでもある」
 唐突に始まった先生の話を、だけど俺は黙って頷きながら聞いた。
 今の俺には、国原先生の語るそれらが、デタラメな与太話とは思えなかった。
「日本の古代史を研究する者達の間では、日本神話成立よりもはるか以前から存在したという『星神』と呼ばれる存在に関する信仰が存在したと知られている。あの民俗資料館の古文書、星神書記を見たか?」
 先生の問いかけに俺は頷いた。
「だとすれば、星神という単語をすでにみているな? 或いは、異形の者や神仏、超常の力の実在を前提とするような古文書や論文を、上森神社と蛇神祭りを調べる過程でいくつも目にして読んでいるはずだ。そして、いくつかの仮説を得たはずだ。その果てに君はどんな結論を導いた?」
「……上森の巫女、蛇神を守護する蛇巫には、抗うことの出来ない運命、……世界を存続させるために犠牲になる必要がある。……だけど、その運命を覆す方法が、一つだけ存在する。そのためには、……失われ、忘れられたはずの、『剣』の力が必要なんです!」
 対する国原先生は、俺に背を向けると無言のまま部屋の奥に向かった。そして、一つの大きな木箱を取り出して抱えてくると、俺の前に置いた。
 木箱の蓋には黒い墨で文字が大きく記されていた。中身の名前、だろうか?
「僅かに遺されていた古文書の記述から、これは『天裂之剣(アメサキノタチ)』と呼ばれることになった。必ず返しに来い。……それと、君達のレポートを楽しみにしている」

 × × ×

 大きな木箱に入れられた剣、『天裂之剣』を預かった俺は国原先生にお礼を言って学校を後にした。
 天気はまだ小雨が降り続いている。
 俺は傘を差して預かった大きな木箱を抱えながら歩いていた。
「振り向くな」
 ――っ!?
 突然のことだった。
 背後から何者かに声をかけられた。
「そのまま聞け」
 声の主には心当たりがあった。
 俺は足下の水溜まりに映し出された背後の様子を確認する。
 黒いコートと白い仮面。
 間違いない、昨日上森神社で俺のことを助けてくれた、鴉と呼ばれる人物だ。
「君はまだ、この件に関わり続けるつもりか?」
 ……やはり、と言うべきか。
 鴉の、まるで俺の動向を把握しているかのような物言いも、それほど不思議なことのようには感じない。
 俺は鴉に言われたとおりに振り向かないまま、その問いかけに答える。
「……今の上森神社の巫女である久遠を生け贄に、黒き蛇神の復活を止める儀式を行おうとしている。そうですよね?」
「そこまで知っているなら、何故君はその儀式を妨害しようとする?」
「……確かに、巫女である久遠は全部終わりだって言いました。儀式を行うと、絶対に来るなと言いました。確かに今の俺は、そんな久遠の言葉を否定できる理由なんて持っていません」
「ならば尚更、君は行くべきではないな――」
「――それでも」
 久遠は、黒き蛇神の力を封印するための生贄となる儀式を、受け継いできた手順に従って実行するだろう。
 それは確かに、この世界の未来の為に必要なことかもしれない。
 この星の全ての命と、たった一人の少女の命。それを天秤にかけるなら、どちらを選ぶべきかなんて、深く考える必要もないことだ。ましてや上森の巫女は、その犠牲の為に存在しているのだ。
 そんなことは分かっている。
 ……だけど。
 俺は絞り出すようにして、鴉の言葉を遮る。
「それでも俺は、絶対に認めたくない!」
 叫ぶ。
 感情に任せて。
 吐き捨てるようにして。
 鴉の反応を待たずに、俺は叫び続ける。
「俺は受け入れたくない! まだ諦められない、諦めたくないんです! まだ何か、俺に出来ることがあるはずだ。今ようやく、その為の『鍵』を手に入れたんです!」
 鴉がその仮面の下で何を考えているのかなんて、今の俺には分からない。
 それに、どうせ俺の行動は監視していたんだろう。
 俺が国原先生から何を預かったのか、そしてそれが持つ力の真偽だって、きっと知っているに違いない。
 それでも尚、鴉は沈黙する。
 俺は背後のこの人物に向けて、雨粒に揺れる水溜りに写った鏡像を睨み付けながら、ひたすらに叫び続ける。
「確かに、久遠は俺に対して、絶対に来るなと言いました。或いは貴方も、上森の歴史と役割を理解しているのなら、それを妨害することの意味、その愚かさについては知っているはずだと言いました。確かに、それは正しいことだと思います。……だけど。例え、それがどんなに正しいことだったとしても、久遠の命を生贄に差し出さなきゃ維持できない世界の在り方なんて、俺は絶対に認めたくない! そんな現実を覆すことの出来る可能性が、今ここにはある! なら俺は、その可能性に賭けて行動します!」
「それが一体何をもたらすのか、今の君には分かっている筈だ」
 鴉のその言葉と同時に、背中にわずかな刺激があった。
 まるで、――そう、まるで刃物の切っ先を押し当てられたような、鋭い痛み。
 冷たく、硬く、鋭く、それは確かに俺の痛覚を刺激した。
 切っ先が僅かに皮膚を破り、背中に血が滲んでいくのを自覚する。
 だけど。
 不思議なことに恐怖は無かった。
 そうだ。
 この程度の事は、今から俺がやろうとしていることに比べたら、まるで恐怖するに値しないじゃないか。
 俺が傷つくことなんて、まるで取るに足らない。
 今俺が恐怖するべきことはただ一つ。
 今の俺が、何も出来ずに終わり、久遠を救えないことだけだ。
 覚悟なんて、もうとっくに決めているんだ。
 だからこそ俺は、背後の鴉に向けて宣言する。
「――例えそれが、全ての人類の未来を左右するような暴挙だったとしても、俺は久遠の命を助けるために行動します!」
 そして。
 僅かな、或いは永遠のような沈黙の後に、背中を突き刺す刃の痛みが退いた。
「……やってみせろ。どちらにせよ今はイレギュラーな状況だ。それ故に何らかの行動を起こす必要はある。君がこの状況に対処するというなら、私は一度静観する。君が思うようにやってみせろ。……ただし、その果てに何が起ころうとも、私は決して君の命を救う為には行動しない」
 直後、強く地面を蹴る音と共に、水しぶきが跳ねた。
 振り返ると、背後には既に誰もいなかった。
 背中に残る僅かな痛みだけが、今まで俺に語り掛けてきていた者の実在を証明していた。
 俺は一人、雨の降りしきる虚空を睨む。
「……ああ、やってみせる。絶対に、久遠の命は奪わせない」

第九話 古の神々

「……久遠が儀式開始の時間は、今日の午後六時頃、だな」
 俺は父さんのノートをもう一度確認した後、壁きかけられている時計を睨んだ。
 まだ間に合う。
 そして、少しでも躊躇えば、何もかもが手遅れになる。
 俺はノートを書斎の元の場所に戻すと書斎の電気を消した。そして、国原先生から預かった天裂之剣の収められた木箱を抱える。
 依然として雨は降り続き、その勢いは一層増しているようだった。
 傘は邪魔になるだろうし、持って行ったところで役には立たないだろう。
 俺はレインコートを羽織り、そのフードを被って家を出る。そして目的の場所に向かって踏み出した。
 そして午後五時三十分を少し過ぎた頃。
 時間経過とともに天気は荒れていった。容赦なく降りだす暴風雨と落雷の中、目的地を目指して傘もささずに走った。
「――ッ!」
 息を切らしながら、俺は久遠が儀式を行う場所、蛇塚のある場所を目指す。
 そして遂に、その場所に辿り着いた。
 その場所は、上森公園。
 俺がそこに辿り着いた時、それはついに『黒き蛇神』の復活が始まってしまった瞬間だった。
 久遠は一人で蛇塚、即ち上森公園にある『上森ピラミッド』の頂上に立っていた。
 ……そうだ。
『上森ピラミッド』こそが、『蛇塚』としての役割を継承するために新たに作られた場所だったんだ。
 大きな石を積み上げられた台のようなその場所は、高さが十メートル近くある。頂上には畳二畳分ほどのスペースがあり、そこから上森公園の様子を一望できる。
 確かに、この『上森ピラミッド』の名で呼ばれる場所は、考古学的な価値を持つような遺跡ではないだろう。だけど同時に、かつて存在した『蛇塚』を再現することで機能を維持する為に作られた、力を持つ新しい聖域、蛇神と交信し、その巫女を封印するための祭壇なのだ。
 ……そして。
 そこに久遠がいるということは。
 それはつまり、彼女が自身の存在と引き替えに『黒き蛇神』を封印する儀式を開始したということでもある。
 俺はすり鉢状の階段に囲まれた上森公園の運動広場から、蛇塚の上に立つ久遠のことを見上げる。入り口の近くにある中央に鳥居のある小さな池には、激しい雨粒で無数の波紋が出来ていた。
 ここから見える彼女の姿はあまりにも小さい。だけど、彼女と目が合ったということは感覚的に分かった。
 そして、もう一人。
 この激しい雨の中で、傘もささずに運動広場の中央に立つ人物の後ろ姿があった。
 その人が、ゆっくりと俺の方へ振り向いた。
「やあ、遅かったじゃないか剣田クン。やはり君も来たのだね」
 上森神社と蛇神祭りについて調べ始めてから、幾度となく見た顔だ。
 長い癖毛と分厚い丸眼鏡の、肩から鞄をかけた大学生くらいの女性。
「……勾坂さん」
 この場所に彼女が来ることは、俺も予想していた。
 その最悪の予想が、外れればいいと思っていた。
 だけど勾坂さんはここにいる。ということは、俺の辿り着いた最悪の可能性が現実になろうとしているということだ。
 睨み付ける俺に対して、勾坂さんは言った。
 その表情には、どこか好戦的な気配を感じずにはいられなかった。
「君の方もそんな顔をするのか。随分と嫌われてしまったかな? 君達にそんな悪いことをした記憶は無いのだけどね」
 勾坂さんのそんな言葉の直後に、久遠の言葉が聞こえてきた。
「……弘人、来ないでって、あれで最後だっていったのに」
 そんな久遠のつぶやくような言葉が聞こえる。
 これだけの距離を離しているにも関わらず、だ。
 恐らくは久遠がテレパシーのような、何か超常的な力を行使しているのだろう。
 勾坂さんが俺の方を向き、そして言った。
「――剣田クン、君は一体何のために、わざわざこんなところまでやって来たんだい?」
 俺は勾坂さんの不敵な瞳を見据え、そして答える。
「勾坂さん、貴女は蛇神の巫女に成り替わろうとしている。そして独自の儀式を行うことで、今まで復活を阻止し続けてきた黒き蛇神を復活させようとしている。……違いますか?」
 俺の問いかけに対して、勾坂さんは不敵な笑みを浮かべながら答えた。
「さて、一体何のことだね? 仮に本当にそうだったとしても、私が素直に首を縦に振ると思うかい? それに、君がそう考えた事には何か確信的な理由があるのだろ? その理由とやらを聞かせてもらいたいね。それ次第ではどうとでも答えてあげようじゃないか」
 ……元よりそのつもりだ。
 俺は勾坂さんに向けて言った。
「本来、藤堂龍一郎の後を継いで上森神社の守護者になるはずだったのは、勾坂さんの一族だった。……だけど、何らかの想定外のことが起こった。後継者として最も高い序列にいたはずの先代が、上森町の有力者達から不適格とみなされて、後継者からの指名を外されてしまった」
「……面白い、続けてくれ」
 そう言う勾坂さんは複雑な表情を浮かべていた。
 怒りと、悲しみと、そして喜びを混ぜ合わせたような、そんな笑みで久遠を見上げていた。
「そこから時代が流れ、赤牟大学で東洋古代史を習っていた勾坂さんは偶然、先代が企てていた黒き蛇神復活の計画を知った。そして先代が果たせなかった儀式を完遂させ、黒き蛇神の力が支配する世界を作ろうとした。……違いますか?」
 想像で補った部分があることは認める。
 だけど、今まで得られた情報を統合した結果、俺はこの結論にたどり着いた。
 対する勾坂さんは少しの間沈黙し、そして静かに応えた。
「……勾坂ではない。私の、『私の一族』の名は玖守(くかみ)。かつてこの地において蛇の神を守る使命を受けし者達の末裔の一つ。巫女の力を受け継ぎし、正当なる血族の末裔なのだよ」
「玖守……、まさか」
 それは、藤堂龍一郎の手帳にあった名前だ。
「藤堂龍一郎が命と引き換えに黒き蛇神の災厄を封じたことで、早急に蛇神の巫女を擁する後継者を選ぶ必要が生まれた。蛇神が妄想やおとぎ話の類ではなく、現実世界に明確な災いをもたらす存在だということは、他でもない藤堂龍一郎が犠牲となるその儀式で証明された。その後継者に選ばれるのは、本来ならば私の祖父、玖守孝蔵になるはずだった。……だけどそうはならなかったんだ」
 ……確か、前に久遠から聞いた。
 上森神社先代神主の遠縁である鏡宮家の当時の家長、久遠の父が跡を継いで神主となった。そして、長女の久遠が産まれ、彼女が巫女としての役割を継ぐことになった。
 勾坂さん、いや、玖守奏は俺に、そして蛇塚の頂上に立つ久遠に対して語り続ける。
「当時古代日本の歴史に関する研究を行っていた玖守孝蔵は、もちろん自分が蛇神に仕える神官の一族であることを知っていた。継承し続けてきた口伝と古文書は玖守家に対し、蛇神に関する歴史の真実を明確に伝えていた。誰よりも自分こそは蛇神の守護者に相応しいと自負していた彼は、藤堂龍一郎に再三警告していたし、最後の捨て身の封印にも多くの知恵を貸した。彼の働きが藤堂龍一郎の捨て身の封印を成功させた以上、玖守孝蔵は間違いなく英雄の一人に数えられるべきだった」
 例の手帳の記載とも、勾坂さんの話は矛盾しない。
 恐らくこれが、あの裏で起こっていた出来事なのだろう。
 暴風雨はさらに激しくなり雷鳴も響き始めた。
 そんな中、後ろからこちらに近付いてくる足音が聞こえた。そして、その足音は俺の背後で止まり、堂々としたよく通る声で話し始めた。
 とても、聞き覚えのある声だった。
「ですが、当時の上森町の町内会は、玖守孝蔵の排除と追放を決定しましたわ。それが、最善の道であると結論を出したが故に。そして、藤堂龍一郎と玖守孝蔵の共有していた蛇神にまつわる調査結果を没収して神宮路家の管轄に置くことになった」
「神宮路さん!? どうしてここに」
 現れたのは俺のクラスメイトであり友人、旧財閥の娘、神宮路千佳だった。
「何者だい? 君は」
 不審げにそう言う玖守奏に対して、神宮路さんは怯むことなく堂々と応じた。
「神宮路家の人間で、『こちら側』から見た一連の騒動について知っている者、というのが貴女にとっての私に関する必要な情報なのではないかしら?」
「何をいまさら、懺悔でもしに来たのかい?」
「さあ、どうでしょうね。一つ私から言えることがあるとすれば、先代の決断がどのような結果を導いたのか、それを知ることが私の役割だと、そう考えたということですわ」
「好きにすればいいさ。何をしたところで、今更変えることも止めることも出来はしないのだから。……玖守孝蔵は、当時研究者としては異端だった。彼の古代日本の研究は正史とされる記紀ではなく、偽書と断じられた多くの書物の分析を土台としていたからだ。のみならず、蛇神に纏わる真実を知る一族の彼は、この世界にはかつて、多くの神秘が現実として力を持っていたことを理解していた」
 偽書と切り捨てられた古文書、人知を超えた力の実在、そんな、荒唐無稽な話が、真実の一端を担っていることが、今の俺にはよく分かる。
「彼の研究結果の理論は完璧だった。いや、完璧すぎた。数多の神話、伝承、古文書、石碑、そこに記された物語を紐解き、ついには『真実の歴史』を解き明かしたのだよ。この世界に神秘が存在することの、反証不可能な完全なる証拠を、高天原の系譜が持つ二千六百年の歴史の、隠された真の姿を!」
 そう叫ぶ玖守奏に対して、久遠は沈黙を貫いた。
 多分久遠は、玖守奏の語った話について、そのほとんどを知っていたはずだ。少なくとも、上森神社の側の視点から見た概要については。
「多くの組織が彼の研究を察知しその危険性を理解したからこそ、単なる異端者に過ぎなかった玖守孝蔵は、治療の必要な異常者の烙印を捏造されて幽閉された。そう、彼等は恐れていたのだ。真実の歴史を知った一人の男が、その力を行使すると共に研究結果を世界に公開することで、神秘を黙殺した上に成り立つ偽りの世界秩序が崩壊することを! それによって己の権威と権力が失墜し、真実の光の下に裁かれることをっ!」
 沈黙を貫いていた久遠の声が、頭の中で不意に響き始めた。反応を見る限り、この場所にいる全員が、その声を聞いているようだ。
「玖守家の無念が理解出来ない訳じゃない。認められず、否定され、存在を消された悔しさだって、分からない訳じゃない。だけど、それはこの儀式を妨害していい理由には成らないはずよ。いいえ、黙殺された歴史と神秘の実在を知る貴女なら、この儀式を成功させなければならない理由を理解しているはず。なのに、どうして――」
「――鏡宮久遠クン、それこそが、白き蛇神の力こそを正義とする者の価値観なのだよ。今の私は、その前提を間違いであると否定する立場にいるのだ。黒き蛇神の導く世界こそが、人類にとってあるべき姿だと、私は結論づけたのだよ。上森町発掘調査の記録、関連する論文を独自に精査した私は、この儀式を実行することが現実的に可能だと確信した。……アンデスの黄金版に刻まれた神代文字、バルディビア土器と縄文土器の類似性、そしてインカ帝国と日本の接点、世界にはこの国と同じ起源を持つと推測出来る文明とその遺産が多く存在する。この『アステカの儀式短剣』もその一つだ」
 そう言いながら勾坂さんは、持っていた鞄から古びた一振りの短剣を取り出し、入れていた鞄を放り捨てた。
 刃渡りは五十センチほどの両刃で、柄や鍔には宝石のような物が埋め込まれている。刀身には見たこともない文字のようなモノが彫り込まれており、この短剣が戦うための武器ではなく、何らかの儀式に用いることを前提に作られたのだということがよく分かる。
 何よりも、その短剣からは異様ともいえる程の、この世のものとは思えない気配を感じた。
 ……間違いない。
 あれは『本物』だ。
 玖守奏は振り返り、上森公園の入り口付近にある池の方を向いた。
「中々に涙ぐましい努力じゃないか。霊脈の力を利用する必要がある関係で蛇塚の位置を移動することは出来ない。そして、蛇塚にさえ近付けさせなければ、蛇神の力を第三者が利用することも、儀式の妨害すら不可能と考えたのだろう。大方この新造された蛇塚にしたって隠蔽工作の一環なのだろ? しかしそれらもすべて無駄だったという訳だ。何しろ、私が現にこの場所にいるのだから。……知っているかい? 生贄の儀式に用いられる者は、その直前に大量のアルコールと秘薬でトランス状態にさせられるのだよ。しかし、それは本来の魔術を喪失した後年に、再現の為に行われた苦肉の策に過ぎない。生贄として選ばれた者は本来神の加護によって不死者となり、その時が訪れるまでの間魂の純度を高めていく。そして来るべき時が来ると、この短剣によって心臓を切り取られて、最も力ある血を流しながら最高の贄となる。つまり、この短剣は、不死者の魂を解き放つための力を持つように作られているのだよ。……『河童の詫び証文』、『八百比丘尼伝説』、『わんず様信仰』。人々の心に根付いてきた多くの土着信仰は、最終的に上森の蛇神のような星神と呼ばれる存在の伝説へと繋がっていく。抹殺された一族、幻の王朝、見つからぬ墓……。しかし、歴史の裏にある血塗られた権力闘争は、やがて『勝者にとって都合のいい歴史』を生み出すに至った。『黒魔術』と『邪神』の烙印の元に数多の神秘は抹殺され、正義の名の下に作られた偽りの平穏は、命の力の真実を消し去っていく。それは、明らかな生命に対する冒涜だ。故に私が玖守の名のもとに始めるのだ。黒き蛇神の時代を、人類の歩むべき、大いなる黒魔術の時代を、誰にも覆い隠せぬ偉大なる神の掲げた理想の、進化と繁栄と栄光の歴史をっ!」
 玖守奏はその宣言と共に短剣を右手で構えながら、左手で池の方に向かって空中に文字のようなモノを素早く描いた。
 直後だった。
 最初の数秒は対して気にも留めない揺れだったが、数秒後には地震のようになった。
 同時に、今まで池の中にあった水の、その全てが一瞬にして弾け飛んだ。
 それに伴って、池の中央に立つ鳥居の、その下にあった物の姿が露になった。
 そこにあったのは、巨大なコンクリートの塊だった。
 面積は大体一畳くらいで高さ約五十センチメートル。倒された柱か、或いは、棺を連想させるような物が、鳥居の下には存在していた。
 そのコンクリートの塊には注連縄が巻かれ、梵字のような物が刻印されている。注意深く見ると、コンクリートには無数のヒビが入っており、何らかの要因で急速な劣化が起こっていると分かった。
 ……これは多分、急造の疑似的な蛇塚だ。だとすれば、この中には――。
「――彼方なる星の神よ、我が声に応えよ! 今こそ時の牢獄より目覚め給へ! 汝、我に宿りて肉と為し、――その威容、遍く世界に示し給へ!」
 彼女の口から最後の真言が唱えられた瞬間、コンクリートの塊は瞬く間に崩れ去り、中から横たわる一人の人間が現れた。
 肉体は腐り、骨格も歪んでいるが、身に纏っているのは間違いなく上森神社神主としての正装だ。
 そして、それを覆うようにして全身に浮かび上がっている、黒い光を放つ縄目のような模様。
 ……都市伝説にあったさまようゾンビ、その元になった上森公園での奇妙な事件、そして、その裏にあった真相――。
 池の中央に真新しい鳥居が出来たのは、都市伝説『さまようゾンビ』の元ネタになったと思われる上森公園での謎の水死体が発見されてから、その少し後である今から十七年前だった。
 そして、上森公園で死体が発見されたことや、その後については一切の報道がない。
 報道や調査の痕跡すらも発見出来なかった、かつて起こった上森神社の神主失踪事件。
 蛇塚という場所の持つ意味。
 あるいは、これだけの隠ぺいを可能とする権力や、隠蔽を必要とする理由。
 ……俺の脳内を、いくつもの仮説が連鎖していく。
 そんな中、玖守奏が狂喜とも言える声を上げた。
「やはりここにいたな、藤堂龍一郎! これでついに全てが揃った! 大いなる時代は、今、この瞬間から始まるのだ!」
 これに対する久遠の声が響いた。
「今更何を企もうが無駄です。どちらにせよ、私が白き蛇神の力を得ている以上、ただの人間に過ぎないあなたがこの場所で出来ることなんて何一つない」
 久遠の凛とした声に対して、玖守奏は不敵に笑った。
「今に分かる。……これで、全てが揃ったというわけだ」
 玖守奏はその言葉と同時に、藤堂龍一郎の方に向けて走り出した。
 あっという間に、水の無くなった池の淵まで辿り着き、躊躇なく飛び降りて中に入る。
 そして、藤堂龍一郎の目の前まで間合いを詰め、手にした短剣を突き立てた。
 この彼女がとった一連の動きは、決して素早いわけでも、無駄のない動きという訳でも無い。
 しかし同時にその一挙手一投足には、一切の躊躇いが無かった。
 俺も、神宮路さんも、久遠ですらも、彼女の行動を制止する声を上げることすら出来なかった。
 全員の思考の虚を突いた彼女が、手にしたその短剣で藤堂龍一郎の心臓を突き刺した。
 皮も筋も容易く貫いたその刃が、心の臓を的確に穿つ。そして、それに伴って吹き出した血が、玖守奏を赤く染める。
 ――次の瞬間、藤堂龍一郎の心臓から霧状の『闇』が放出されるのを俺は見た。
 その放たれた『闇』は、玖守奏の体に吸い込まれていく。それと同時に、吹き出した血が意志を持つかのように動き回り、玖守奏の全身を這い回りながら複雑な紋様を描く。
 まるで蛇の鱗にも似た、縄目模様を。
 そして放出した全ての闇が玖守奏に取り込まれると同時に、藤堂龍一郎の姿は完全に崩れ去った。
 直後、玖守奏の体に異変が起こった。
 華奢とも言えるような彼女の体は、瞬く間に二メートルを優に超える巨体に変化し、全身の筋肉は衣服を内側から突き破るほどに肥大化する。
 体表を覆う鱗は鎧のようになり、夜のような闇の色に染まっていく。
 骨格が、明らかに人の在り方を越えて、より闘争に適した形状に変化していく。
 その両目は獲物を射抜く蛇のように、氷のように冷たい殺意の光を宿していく。
 その牙と爪は犠牲者を引き裂く獣のように、より硬く、より大きく、より鋭く研ぎ澄まされていく。
 そして全身を覆う、その体色よりも尚黒い縄目模様が浮かび上がり、ここに大いなる破壊と混沌を司る黒き蛇神の力が顕現したことを、雄弁に物語っていた。
 その黒き蛇神の顕現たる存在は、空間そのものを揺るがすような、産声とでも言うべき雄々しく禍々しい咆哮を、遥かなる天に向かってあげた。
 ……やがて、永遠かに思えた巨大な咆哮が止んだ。
 僅かな残響まで消えたつかの間の静寂は、黒き蛇神の力の顕現とでも言うべきその異形の存在自身によって破られた。『それ』は池の場所から出ると真っ直ぐに、ゆっくりとこちらの方へ歩みを進めてきた。
 その圧倒的な、本能の領域に根ざすかのような威圧感を受けて、俺は声を上げることすら出来なかった。
 一目で人の領域を超越していると分かる、そして突き刺すような殺意を放ち続ける存在の接近に、俺も神宮路さんも、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
 それでも、俺はどうにか手を広げて神宮路さんを、庇う姿勢をとった。
 そんなことに、いったい何の意味があるのか分からない。
 だとしても、俺は目の前の現実に少しでも抵抗したかった。
 ……だけど、黒き蛇神はそんな俺を無視して通り過ぎていった。
 蛇塚の上に立つ久遠の方に向かって、一歩ずつ真っ直ぐに歩を進めていく。
 そんな中、久遠の声が脳内に響いた。
「今のアイツは、私を狙いに来てる。巻き込みたくないから、弘人とちーちゃんは下がって」
 俺と神宮路さんは一度顔を見合わせた後、ゆっくりと公園の端まで後退した。
 人知を超越したような筋肉を有する二メートル超えの巨体が、一歩、また一歩と大地を踏みしめて久遠に近付いていく。
 今の俺達には、その様子を離れて見守ることしか出来なかった。
 そして、遂に黒き蛇神は蛇塚の最上部に登り詰め、久遠と対峙した。
 ――黒き蛇神が、無造作に拳打を打ち込んだ。
 俺はその事実を、巨大な衝突音で知った。
 黒き蛇神の一撃は、久遠に直撃したのか?
 目を凝らした俺は知る。
 それは『否』だった。
 黒き蛇神の拳は久遠に命中する直前で、出現した半透明の盾のような物に阻まれて停止していた。
 恐らくは結界だ。
 先日、神森神社で俺を吹き飛ばし、境内への進入を不可能にしたあの力の、何らかの応用ということなのだろう。
 余りにも荒唐無稽な現象だけど、今の久遠が白き蛇神の力の加護を受けている状態だということを考えれば、この程度のことが出来るのは大して不思議でもないように思えた。
 対する黒き蛇神は、結界の盾によって身を守る久遠に向けて、幾度と無く拳を打ち込んだ。そのたびに、鈍い衝撃音が何度も響く。
 しかし、遂に盾の役割を担う結界が破られた。
 阻む物の無くなった黒き蛇神が、久遠の首を掴もうと手を伸ばす。
 久遠の反応は早かった。即座に結界を再展開し、それをぶつけることで黒き蛇神を弾き飛ばした。
 不意を付かれた黒き蛇神は、吹き飛ばされて蛇塚から落とされる。
 だけど、久遠に安堵する暇は与えられなかった。
 最初に階段をゆっくりと登ってきたのが嘘のように、素早く起き上がった黒き蛇神は、目にも留まらぬ速度で蛇塚を駆け上がった。
 そして久遠に向けて、勢いを乗せた拳の一撃を放った。
 久遠が結界を展開することも、防御態勢をとることも出来なかったのは、それを遠くから見ていた俺の目にも明らかだった。
 今までとは明らかに質の違う打撃音の後に、久遠がよろめくのが見えた。
 しかし、黒き蛇神は、久遠にそのまま倒れることすら許さなかった。
 そのまま久遠の首を掴み、蛇塚の下の運動場まで、叩きつけるようにして投げ飛ばした。
 凄まじい音とともに、久遠は運動場の中央へと叩きつけられた。
 降り続き堆積した雨水と、それを吸って軟らかくなった土が、衝突に伴って弾け飛ぶ。
 明らかに人体の許容を超えたダメージに見えるが、当の久遠は、仰向けになって倒れているものの五体無事であり、意識も失っていないようだった。
 黒き蛇神は蛇塚から飛び降りて、久遠に向けた更なる追撃を開始した。
 対する久遠は、即座に起き上がりこれに応戦する。
 彼女は黒き蛇神からの猛攻に、ひたすら回避と防御に専念することで対処する。
 時折逸れた黒き蛇神の攻撃が、植えられていた木の幹を抉り斬り、踏みしめられた大地が陥没する。
 その事から考えても、これが生物の領域を遥かに越えた戦いなのは明らかだった。
 俺の隣で久遠と黒き蛇神の戦いを見ていた神宮寺さんがぽつりと言った。 
「……一体何なんですの? あの黒き蛇神が尋常ではない身体能力を持っていることはまだ納得出来ます。ですが、鏡宮さんのあれは一体……」
「……推測は出来ます。玖守奏が黒き蛇神の憑代になった結果があれなのと同じように、今の久遠は白き蛇神の力が憑依している。並外れた頑強さを成立させているのは、多分その白き蛇神による加護の結果だと思います。元々儀式では、久遠の中に二柱の蛇神を憑依させ、力を拮抗させた状態を維持して封印することになっていた。だとすれば、今双方の力は拮抗するはずです」
「……拮抗、しているのかしら。私には、とてもそうは見えませんわ」
 確かに、今目の前で繰り広げられている戦いは、拮抗した状態とは言い難いモノだった。
 戦況は、明確な攻撃手段を持たない久遠の、明らかな不利だった。
 彼女に格闘技の心得があるという話は聞いていないし、実際その様子もない。
 そもそも今の久遠が行う回避や防御は、白き蛇神の加護によって引き上げられた身体能力を使って、無理矢理にやっているような状況だ。
 相対している黒き蛇神は、憑代こそ玖守奏だが、体の構造はおろか思考や知識に至るまで、元々の彼女の性質は何一つ継承されていないと見て良いだろう。
 それ故に、黒き蛇神には武術的な理合などまるで無かったとしても、本能的な殺戮衝動に任せた鋭い攻撃が実現出来る。
 その結果として、真っ正面からの殴り合いになってしまえば、久遠が不利な立場に追い込まれるのは必然だった。
 黒き蛇神が渾身の一撃を打ち込んだ。
 完璧な虚を突いて放たれたその一撃は、久遠に避けることも守ることも許さなかった。
 直撃を受けた久遠が吹き飛ばされ、蛇塚に登る階段へ背中を叩きつけられる。
 石造りの階段が砕ける。
 それほどの衝撃を受けたとしても、久遠に体には傷一つ見えず、白き蛇神の加護を示す縄目模様が一層強い光を放つ。
 久遠の表情が苦しそうに歪んでいた。
 ……大丈夫な訳ないんだ。
 外傷が見えなくても、何の傷みも感じていないわけがないし、あれだけの動きを何の代償もなく出来るわけがない。痛覚は活きているだろうし、ただ単に負ったそばから傷が回復しているだけなのかもしれない。
 その上で、例え明確な勝ち筋が無い戦いだったとしても、今の久遠には逃げたり諦めたりするという選択肢が無い筈だ。
 久遠は死ぬつもりだった。
 命と引き替えに世界を救うことが使命だと、教えられて生きてきたはずなのだ。
 その為の儀式を台無しにされた上で目の前には新たな、そして確実な世界の脅威が存在する。
 久遠はそれを無視出来ない。
 今日失うはずだった命で、久遠は何度でも立ち上がるだろう。
 今の俺は、ただそれを見ている事しかできないのか?
 傷付き倒れ、世界の全ての痛みと苦しみを一身に受け続ける彼女のことを、ただ見ている事しかできないのか?
 ……違う筈だ。
 出来ることがある筈だと、運命を受け入れている彼女に、その先を示すことが出来る筈だと、そう思ったから、俺は今日、ここに来たんだ。
「……神宮路さん。もしも俺が、この状況を打開できる久遠の武器を持ってきているって言ったら、信じてくれますか?」
 対する神宮路さんは、俺の顔を見た後、一度その視線を『俺の持って来た物』に移した。
「貴方は、この一連の事件について多くのことに気が付いているようですし、こうした戦いが起こり得ることも予測していたのではないかしら? そんな貴方が鏡宮さんを助けるためにここまで来たのなら、当然何か秘策があるものだと思っていますわ。例えその方法が、どれほど常識外れで荒唐無稽だったとしても、私は貴方の信じるやり方を信じます。……この際、世界の未来なんてことは考えなくてよろしいのではないかしら? 私は、鏡宮久遠という一個人を助けたいというあなたの思いを、正しいことだと信じます」
「ありがとう、神宮路さん」
 俺は、抱えてきた木箱を開いた。
 その古びた木箱の中には、更に古びた剣が入っていた。
 いや、何も知らない人がこれを見た時に、剣であると判断できるかはとても疑わしい。
 鞘も、柄も、鍔も存在しないその抜身の剣は、左右に三本ずつ、合計六本の小さな刃が付けられた七支刀だった。
 全体が錆付き、軽く触れただけで崩れてしまうのではないかと錯覚するようなその剣を、俺は手に取って箱の中から出す。
 そのざらついた感触が、冷えた温度が、存在感を意識させる重量感が、遥か古の伝説と現代の連続性と、立ち向かうべき現実の意味を再認識させる。
 ――そう、今ここに至って確信出来た。
 上森とは、即ち『神守り』。
 その真の意味と役割は、黒き蛇神が復活した時に、それを打ち倒すための白き蛇神の力を守って受け継いでいくということ。
 この剣は、その為の力を与える宝物。
 かつて白き蛇神と対峙した時に、先代の巫女が力を認められ契約の証として受け取ったもの。
 それは即ち、この古びた剣が、白き蛇神と強烈な結びつきを持っていることを意味する。
「……行くぞ」
 俺は、その古びた剣を、より一層力を込めて握った。
 ――トクンッ。
 古びた剣から、小さな鼓動のようなモノを感じた。
 内側から、僅かな熱が上がってくるのを感じた。
 この瞬間だった。
 俺の中にあった冗談じみた仮説が、全て現実に塗り変わった。
 そして確実なる真実の確信と共に、俺は古びた剣を握ったまま一歩を踏み出す。
 そうだ。
 これでいいんだ。
 これが、今の俺に出来る最大であり最善だ。
 一歩、更に一歩、背後で神宮路さんが息をのむのを感じながら、俺は久遠と黒き蛇神が戦う場所に向けて駆け出した。
 ……前に久遠は言っていた。
 『人間の本来の姿は蛇である』という古代宗教の世界観が存在すると。
 蛇神と蛇は本来無関係だ。蛇神という名前の本来の由来は、蛇神が憑依した証として、蛇の鱗を連想させる模様が浮かび上がるという部分にある。だけど時間が経つにつれて、他の蛇そのものを対象にした古代宗教と融合していき現在の形に変化していった。
 この前提に立ち返る時、一つの注目するべき部分が浮かび上がる。
 人間の『本来の姿』という言葉の意味。
 もしも、『人間』という動物の誕生の真実が、進化論的帰結ではなく古代宇宙飛行士説的なモノだったとしたら、大昔の先祖のことを示している、人間の本来の姿であるとされる『蛇』とは、一体何のことを指しているのか?
 古代宗教の世界観における『蛇』というのは、生物としての蛇ではなく『蛇神』のことを指すのだとして。
 蛇神は実体を持たない存在なのは既に知っての通りだ。
 だけど、蛇神の意志を代行する者を、蛇神そのものとして同一視することは可能だ。
 地球人類の血縁を、その初代まで辿っていったとする。するとそこには、常に全身に憑依の証となる鱗の模様を示し続けていた伝説の一族が現れる、という仮説が構築出来る。そして、その一族は外惑星からの来訪者なのだ。こんな考え方は、実はそれほど突飛なことではないのかもしれない。
 少なくとも、今俺の目の前に存在する現実を踏まえれば。
 そして俺は、そんな馬鹿げた仮説から、更に一歩踏み込んだ結論を導き出した。
『ならば実は、本来すべての人類には、蛇神の力を使う資質と権利があるのではないか?』
 そして、だ。
『それは、俺も例外ではないはずだ』
 俺は、そんな結論に辿り着いた。
 その結論に、賭けてみようと思った。
 その賭けは、見返りの大きさを考えれば、こんな状況なら、決して分が悪い賭けではないはずだ。
 駆け足は徐々に早くなる。
 気付いた久遠は驚きと焦り、そして戸惑いが入り混じったような表情をしている。一方の黒き蛇神は、久遠に背を向けて俺の方に振り向いた。
 黒き蛇神の表情は、どこか嗤っているかのように見えた。
 黒き蛇神は、自分自身の力を理解しているのだろう。己の力が人間よりも、地球上に存在する既存のいかなる生物よりも、圧倒的に優れた存在であると、自分自身の力を認識しているのだろう。
 黒き蛇神は俺を、とるに足らない存在だと侮っている。その感情がありありと伝わってくる。
 ……だからどうした!
 構う事無く、気圧されることなく、恐れることなく。俺は握る古びた剣を上段に振りかぶる。そして、眼前に仁王立つ黒き蛇神めがけて、袈裟切りに振り下ろした。
 ――ッ!
 権を握る手に、確かな手ごたえがあった。
 その切っ先が、黒き蛇神の胴を切りつけた、確かな感触が伝わってきた。
 俺は更に一歩踏み込み、返す刃の切り上げによるさらなる斬撃を狙う。
 ――黒き蛇神の反応は、俺の反撃よりも早かった。
 黒き蛇神は地面を蹴り、一瞬で数メートル後方まで飛び距離を離した。
 ダメージらしいダメージを与えられたようには見えない。一太刀目の袈裟切りにしても、黒き蛇神の胴に出来ていた切り傷は僅かなうちに再生してしまった。外見だけ見れば何事もなかったに等しい。
 俺は握りしめたいる剣に視線を移す。
 驚くことに、その刀身には僅かな変化が生じていた。
 箱から取り出した直後は、確かに錆びだらけのボロボロで、今にも崩れてしまいそうだった。
 だけど、今は少し違った。
 全体の色はくすんで鈍い光を放つ鉛色になっていた。
 ボロボロに欠けていた刃は綺麗に整っていた。
 そして、刀身の内側からは、僅かな熱のようなものを感じることが出来た。
 それはまるで、……そう、まるで時計の針を巻き戻したかのように。
 俺の仮設、蛇神の力を俺でも行使できるという仮説が正しかったのか、それを確かめる術はない。だけど、今俺の目の前には重要な真実がある。
 この剣が本当に何らかの力を秘めているという事。
 そして、この剣が黒き蛇神への有効打になったという事。
 それに、本当にこれを使うべきなのは俺なんかじゃない。
 それを使うべき時が、使うべき者が、使うべき相手が、今この場所に全て揃っている。
「久遠、これを」
 俺は、無言のまま俺の背後まで来ていた久遠に、剣の柄を差し向けた。
「『天裂之剣』。上森に伝わる三種の神器の最後の一つ、蛇神祭りの本来の形を完成させる為の最後の鍵、かつて黒き蛇神を打ち倒した、白き蛇神の力の象徴だ」
 黒き蛇神が俺達の方を向き、拳を構えて迫って来た。
 久遠の決断は速かった。
 迷うことなく無言のまま天裂之剣の柄を掴んで構える。そして、迫り来る黒き蛇神を見据えた。
 俺は、久遠の後ろに下がり、この戦いを見届けると決めた。
 彼女が振れたその瞬間から、天裂之剣に更なる変化が現れ始めた。
 錆び付いていた刀身は本来の白刃に、総ての損傷は打ちたてのごとく、元の姿へと還っていく。
 黒き蛇神の拳が打ち込まれた直後、久遠は素早く、そして躊躇い無く天裂之剣を振り上げた。
 美しい、鮮やかな一閃だった。
 そのたった一太刀で、突き出された黒き蛇神の腕が切断された。
 久遠は、流れるような足捌きと太刀筋で、更なる追撃を試みる。
 対する黒き蛇神は、先ほどまでと一転して後退と回避に専念し始めた。
 その変化は、戦いの主導権が久遠の側に移ったことを、余りにも明確に象徴していた。
 やって来た神宮路さんがどこか呆れたような口調で言った。
「剣田さんも随分と無茶なことをするのですね。正直言って肝を冷やしましたわ。……だけど驚きましたわね。まさか鏡宮さんに剣術の心得があったなんて」
 確かに、俺も久遠に剣術の心得があるなんて話は聞いたことがない。だけど……。
「多分あれは剣術じゃない」
「どういうことですの?」
 怪訝そうに言う神宮路さんに対して、俺は久遠の戦う様子から目を離さずに答える。
「天裂之剣を握ったばかりの最初の久遠の動きは、反射的な無意識からのモノだったと思います。そして、それ以降気が付いた久遠は、多分意識的に動き始めた。あの動作は、蛇神祭りの御神楽で披露する巫女舞です」
「……なるほど、理解できましたわ。御神楽で使う神鈴は剣の見立てで、あの御神楽には型や演武の側面があった、ということですわね」
「全部が全部そうだった、というのは流石に言い過ぎかもしれませんけど、一部にはそうした側面が存在するというのは、事実と言っていい筈です。恐らくあの御神楽は蛇神と交わることの擬きであると同時に、その蛇神の力を使った邪悪な存在との戦い方の手本を示す演武でもあった」
 久遠の繰り出す、まさしく舞い踊るかのような絶え間ない斬撃に対して、攻撃の機会を失った黒き蛇神は、僅かな隙を見つけると逃走を試みた。
 紙一重で斬撃を回避した黒き蛇神が、柵を飛び越えて上森公園から向けだした。
 久遠はそれに対してすぐに反応し、天裂之剣を手にしたまま後を追って走っていった。
 俺が呆気に取られていると、頭の中に久遠の声が響いた。
「次で追い込んで決着をつけたい、どこかある? この辺りの、そこそこ広い良い感じの場所」
「この辺りで、戦うのに適した開けた場所、……上森高校の校庭だ! そこに誘導して決着をつけろ!」
「分かった、ありがとう」
 今のやり取りの久遠の声は、神宮路さんにも聞こえていたのだろう。
 彼女は俺の方を向き直り、そして言った。
「剣田さん、私達も」
「ああ、行くぞ!」
 躊躇いは必要なかった。
 俺達は降りしきる雨の中を、傘も差さないまま上森高校を目指して走った。
 激しい風を伴って振る雨に濡れは衣服が全身に張り付き、アスファルトから跳ねる雨粒が霧のようになっている。俺と神宮路さんは、そんな状況の中で走っていた。
 久遠と黒き蛇神が繰り広げる戦いによるものと思われる音が、遠くから響いてくる。姿こそ見ることは出来ないが、人知を超えた死闘が繰り広げられているのは間違いなかった。
 俺の隣にしっかりと付いて走る神宮路さんが言った。
「てっきり『危険だから来るな』と言って追い返してくるものだと思っていましたわ」
「仮に言ったとして、神宮路さんはそれでおとなしく引き下がりますか?」
「引き下がりませんわね」
 神宮路さんは、先代の決断の結果を知るためと言ってここまでやって来た。彼女が自分で言ったことを簡単に曲げないことは良く知っているし、神宮路家の人間としてある程度の内情を知っている彼女なら、こうした状況になることもある程度予想できていただろう。
 その上で上森公園までやって来たのだから、今更大人しく引き下がる筈もないのだ。
 建物の隙間から見える上森高校のシルエットが、降りしきる激しい雨の先に次第に大きくなり始めた。
「広い場所なら他にもあったと思いますけど、あえて上森高校の校庭を選んだことには、何か意味があるのですか?」
「一応な。神宮路さんは、ウチの高校を建てる時に大量の土器が発掘されたって話は知ってますよね?」
「ええ、そういえば以前にもそんな話を合いましたわね。中には損傷して奇妙な形状に変形している物もあったと記憶しています。……まさか」
「ええ、そのまさかです。神宮路さんも、さっきの戦いを見ていて気が付いたでしょ? 久遠が展開した結解の接触した場所や、黒き蛇神が攻撃の為に踏み込んだ地面。そういった、明らかに超常の力の影響を受けた個所が、その物体の本来持っている強度を完全に無視した奇妙な形に変形しているのを。あれは多分、文字通り空間そのものを捻じ曲げるような力の流れが、そこに存在した物体に影響を与えた結果なんだと思います。そんな力の影響を周りに与えるような出来事が、今の上森高校の場所で過去に起こっているんです」
「だから、過去に戦いの起きた場所で、現代にもう一度戦うということですか? 正直なところ、それほど意味があるとは思えませんが……」
「意味はあると思うんです。問題は場所なんですよ。久遠が白き蛇神の力を使えるのは、白き蛇神に関係ある聖地の中だけだと思うんです。少なくとも、上森町から離れてしまったら使えなくなる筈です。……白き蛇神の結界によって上森町の周辺が守られていた、っていう仮説があります。仮にそれが真実なら、白き蛇神の力が及ぶ範囲というのは、その結界の有効範囲と同じという事になるはずです。それはつまり、憑代となって白き蛇神の力を行使する久遠も、同じなんじゃないだろうか? ってことですよ。……少なくとも今まで何度もあった筈の黒き蛇神との衝突は、白き蛇神の加護を得た人達が勝ちを収めてきた筈なんです。だから、こんな願掛けみたいなことにだって、もしかしたら状況を有利にするための『何か』があるかもしれない。そう考えて行動することは、全くの無駄なんかじゃないと思うんです」
「……確かにそうですわね」
 激しい雷鳴が轟き始めた暴風雨の中を十分程。日常的に見慣れた校舎の姿が見えてきた。
 当然、正門が開いている様子はない。
「裏にある職員用玄関は、休日でも鍵が閉められていない筈だ!」
「よくそんなことを知っていますわね!」
 俺と神宮路さんは、降り続く雨でぬかるんだ校庭に足を踏み入れた。
 久遠も黒き蛇神もまだいなかった。
 だけど、刃が空を切り裂いて、盾代わりの結解が破られ、力強く足場をける音が、どこか近くから聞こえてくる。
 人の力と生命体の常識を凌駕した、超常の存在の戦いの音が。
「っ!! 剣田さん、あれを!」
 神宮路さんが指差した先、上森高校の屋上に、久遠と黒き蛇神はいた。
 片手で持った天裂之剣を上段に構えた久遠が、一気に間合いを詰める。
 黒き蛇神はそれに対して、久遠がやったのと同じ様に結界のような物を出現させて盾にした。
 久遠は構う事無く、黒き蛇神の結界の上に天裂之剣を振り下ろした。
 斬撃は、黒き蛇神の結界に阻まれ、その刃が届くことはなかった。
 しかし、久遠がそれで怯んだ様子はなかった。
 冷静に一歩引き、今度は天裂之剣の柄に両手をかけて、渾身の袈裟切りを再び打ち込んだ。
 黒き蛇神は、この攻撃の威力を完全に殺すことが出来なかった。
 直接斬撃が命中することこそ避けられたものの、盾として展開した結界は破られ、殺しきれなかったその衝撃によって吹き飛ばされることになる。
 黒き蛇神の巨体が屋上のフェンスを突き破り、そのまま校庭に落下する。
 僅かな時間の後、黒き蛇神は校庭の中央に背面から激突した。
 その様子を確認した久遠もまた、屋上から校庭に向けて飛び降りる。
 ぬかるんだ土と雨水を弾き飛ばして降り立った久遠は、何事もなかったかのように立ち上がって、倒れる黒き蛇神に向けて油断なく右手に持った天裂之剣を構える。
 そして、左手の指で印のようなモノを描きながら、蛇神祭りの御神楽の時と同じ祝詞を唱え始めた。
 彼女に呼応するかのように校庭全体が小さく振動する。
 周囲を見渡してみると校庭の四隅が仄かな光を放っていた。
 ……あの場所、確か何代も前の卒業生が作った像がある、……いや、あれの出自については、あくまでも噂で本当はあれが作ったのか先生達も知らないって話だった、……まさか、本当に意味のある物だったっていうのか!? 
 やがて校庭の四方を起点として広がっていく光が、壁のようになって明らかに目に見えるほどの強力な結界を形成していく。
 そんな中、倒れていた黒き蛇神がゆっくりと立ち上がった。
 久遠のことを睨み付け、刺すような暴力的な殺意を一点に向けていることが、離れた場所から見ている俺にも分かった。
 ――次の瞬間だった。
 黒き蛇神が天を仰ぎ、雄叫びを上げた。
 空気を、いや次元そのものを振動させるかのようなその叫びに併せて、切り落とされ欠損していた黒き蛇神の腕が再生していく。
 そして、瞬く間に腕の再生が完了すると同時に、その全身が急速に巨大化し始めた。
 体長が、十メートル近くまで伸びていった。
 その全身の筋肉は、今までとは比べものにならないほどに肥大化し、鋼鉄の鎧を思わせる形状となっていく。
 体色は黒鉄色となり、その上から黒き蛇神の力の顕現を示す更なる漆黒の縄目模様が浮かび上がる。
 明確に生物の領域を超越した闘争のための体躯。
 幾重にも積み重ねられた堅牢な鱗。
 総てを射抜くかのような抜き身の殺意を放つ瞳。
 暴力の具現化たる獰猛な牙。
 抵抗可能の余地を見いだせない鋭い爪。
 神話に語られる災厄の巨人の実体を伴った姿が、遂に俺達の眼前へと出現した。
 巨体となった黒き蛇神の、より一層巨大な叫びが響く。
 存在するだけで放たれる破壊と殺戮と暴力の力が、絶え間なく拡散する。
 校舎のガラスが砕け散り、雨粒と共に白い光を反射して降り注ぐ。
 置かれていたサッカーのゴールが、体育倉庫の壁面が、校庭のフェンスが、水道の蛇口が、放たれる力に浸食されて、強度を無視したままいびつな形状へと変化していく。
 正しく、世界そのものの法則を一変させ、暗黒と混沌と破壊をもたらす星神、黒き蛇神の力の具現。
 ……それでも久遠は、白き蛇神の力の具現は、そんな暴力的な力に対して正面から抵抗し受け止めた。
 久遠が、祝詞の最後の一節を唱え終わる。
 目視可能な光を放つほどまでに堅牢となった結界は、黒き蛇神の放出する総ての破壊の力を、その内側に押さえ込んだ。
 鳴り響く地響き、校庭に走る亀裂、身動きできないほどの力の渦、だけどそれらは久遠の展開した結界の内側に押し留められて、上森高校の敷地の外に漏れ出すことはなかった。
 ……そうか。
 これは、外敵から守るための、盾の役割を持つ結界ではない。
 その内側に総ての災厄を封じ込めるための、檻の役割を持つものだ。
 巨体を得た黒き蛇神が拳を振り上げる。
 そして、久遠の方に向けて駆け始める。
 ほんの数歩の距離。
 その距離を、降り続く雨水を吸った校庭を踏みならし、黒き蛇神は進む。
 一歩、また一歩、泥をはね飛ばし、地響きをさせて、巨大な足跡を残しながら、殺戮の化身は容赦なく久遠に迫る。
 だけど、久遠は動かない。
 天裂之剣を下段に構え、接近する黒き蛇神を冷静に睨む。
 そして、遂にその時が訪れた。
 黒き蛇神が、己の拳の間合いへ久遠を捉える。
 そして、一切の迷い無くその拳を叩きつけるようにして振り下ろした。
 直後、久遠は下段に構えた天裂の剣を、真上に向けて切り上げる。
 その一閃は天の暗雲に伸び、黒き蛇神に縦一文字の太刀傷を付けて打ち上げる。久遠は更に一歩踏み込み、力強く握り直した天裂之剣を振り下ろした。
 完全なる同一軌道を描いた二度の刃は、神すらも打ち倒し、暗雲の天を切り裂いて、星々の光を再び呼び覚ます、鮮烈なる太刀筋を成立させた。
 それは、この地で何千年と繰り返されてきた二柱の蛇神の戦いに、一つの決着を成立させた瞬間だった。

× × ×

「久遠! 大丈夫か!?」
 駆け寄る俺と神宮路さんに対して、久遠は無言のまま頷くことで応じた。
 久遠の全身を覆っていた白い光と縄目模様は徐々に消えていき、眼や髪の色も普通に戻っていく。
 まるで、今までの出来事が白昼夢であったかのように。
 上森高校の上空にあった雨雲は総て消え去り、月と星の淡い灯りが降り注いでいた。
 そんな静かで幻想的な校庭の中に、今までの出来事が紛れもない現実だったと示す存在が横たわっている。
 黒き蛇神の、巨大な亡骸だ。
 奇妙なことに、そして幸いにも、縦一文字の太刀傷からは全く血が流れておらず、悪臭を放つということも全くなかった。
 今はまだ暗いからいいが、もし朝になって学校の近くを誰かが通れば、間違いなく大騒ぎになるだろう。そもそもの問題として、校庭側の校舎の窓ガラスはそのほとんどが砕けているし、校庭にあった多くの設備が修復不可能な状態になっている。
 しばらくの間、俺達三人はそんな惨状を無言のまま見つめていた。
 そんな中、俺はこの場所に誰かがやってくる足音を聞いた。
 どこかで見覚えのある顔の男だった。
 しばらくの間倒れた黒き蛇神を見ていたその男だったが、やがて俺たちの方に向き直って歩み寄ってきた。
「どうやら、終わったようだな」
 彼のその言葉に対して神宮路さんは軽く会釈をして応じた。
 久遠の方は、彼の言葉に対して静かに応える。
「はい、奥山さん。当初の計画とは大幅に変化しましたが、黒き蛇神の力を封じ込めることには成功しました」
「ああ、確認した。既に事後処理の人員がこちらに向かっている」
 ……奥山さん? まさか、上森町の町長、奥山光一さんか!?
 間違いない、町長だ。
 毎日のようにポスターで見ている顔出し、そういえば前に上森神社で出会っている。
 正直、あまりにも予想外の人物の来訪に驚いた俺だったけど、どうやら久遠と神宮路さんにとっては、彼が現れることは想定通りのようだった。二人ともまるで驚いていない様子だった。
 奥山町長は俺達三人を見渡して言った。
「後は我々が引き受ける。君達はもう帰って大丈夫だ」
 状況のあまりの急変に俺が呆然としている中、久遠と神宮路さんは奥山さんに対して一度会釈をすると、踵を返して裏口の方に向かって歩き出した。
 俺もあわてて二人に倣い、帰路に就くことにした。
 腑に落ちないことは多くあるけど、今この場所で何を聞いたところで答えてくれそうな様子ではなかった。
 雨はすっかり止んでいるがぬかるんで荒れ放題の校庭を歩いて裏口に向かっている、その時だった。
「……ありがとう」
 背後から、彼のそんな言葉が、聞こえた気がした。

最終話 蛇神祭りの夜

 ――今年の八月某日。その日は数日前から降り続いていた雨が一層激しさを増していた。そして、夜になるにつれてとても強い暴風雨になっていった。最早これをただの自然現象と片づけてしまう事が出来ない程度には、余りにも尋常ではない状況だった。私は直感的に『何か』が起こっていることを悟り、カメラを片手に宿泊先のホテルを飛び出した。
 この時私は取材のために上森町に来ていたのだが、突然の異常事態には町に古くから伝わる、とある伝説に強い因果関係があるように思えて仕方がなかった。
 その伝説は、上森町のとある神社と密接な関係があり『蛇神伝説』と呼ばれている。
 伝説の大まかな内容というのは次の通りだ。
 この地域は大昔から『蛇神』という神様を祀っており、その力の加護を得ていた。しかし、ある時その神様と対立する事態が発生して、周辺地域を総て巻き込むような壊滅的被害の果てに、再び和解することが出来たのだという。
 古文書等に残された伝説を読み解くと、この時発生した被害というのが、どうやら暴風雨だったようなのだ。
 さらにはこの上森町は、数十年前にも大規模な暴風雨の被害に見舞われている。
 読者諸君は既に承知の事と思うが、蛇信仰は水に関する事柄と結びつけられることがよくある。その為『蛇神』という存在が暴風雨を引き起こすというのも納得が出来る。
 奇しくもこの上森町は、以前本雑誌で紹介した『さまようゾンビ』事件の発生した場所でもある。
 やはりこの町には、超自然的な『何か』が存在すると考えた方がいいだろう。
 『月刊オカルトワールド十月号』掲載記事(著:沢辺陽子)より抜粋

× × ×

 あの黒き蛇神との戦いから、あっという間の一週間が経過した日曜日。
 上森神社の蛇神祭りは、予定通り開催された。
 夕方のこの時間でも上森神社の境内とその周辺には、幾つもの屋台が出展しており、ソースの焼ける匂いと人々の話し声で明るい賑わいを見せている。
 神社の境内には松明が灯され、夏の夕闇に神秘的な影を彩っている。
 祭りの人混みの中には、色々な人に挨拶をして回っている町長の姿があった。俺とも一度目が合い、その時町長は俺に向かって軽く会釈した。彼のその表情は、どこか憑き物が落ちたような穏やかさがあった。
 祭りの喧噪の中に、尺八と太鼓の音色が響き始めた。
 それは、上森神社の神楽殿にて巫女、鏡宮久遠による御神楽の奉納が始まったことを意味している。
 物珍しそうに御神楽を見に来る人もいるが、大半はこれを合図に上森公園を目指して移動を開始した。
 もうすぐ上森公園で花火大会が開始され、手持ち花火が振る舞われるからだ。
 俺は上森神社に留まり、同じくこの場所に残った人の少し後ろの方から、久遠の御神楽を見ていた。
 不思議な気分だ。
 今の俺は、久遠の御神楽が持つ本当の意味と、そこに秘められた力を知っている。今まで本当は全然知らなかった久遠のことを、少し知ることが出来て、その上で彼女の姿を見ている。
 知らなかった頃には絶対に戻れない。
 なのに、俺は今でも彼女の舞う姿に魅せられている。
 綺麗だと、美しいと、凄いと思い心が動かされている。
 きっとこれは、どこまで行っても変わることのない、真理とも言えるような感動だったんだろう。
「よう、剣田君」
 背後から不意にそう声をかけられ肩を叩かれた。
「……びっくりした、国原先生ですか。こんばんは、先生も来ていたんですか?」
「前にも言ったような気がするけど、毎年とまではいかなくても来られる時には来るようにしているんだ。何しろ、上森神社や蛇神祭りには少なからず個人的な因縁があるからな。……あの剣、何かの役に立ったか?」
「……はい、とても役に立ちました。今は久遠の所にあります」
 結局あの後、今日に至るまで久遠からの連絡はなかった。天裂之剣は最後まで久遠が持っていたので、恐らく持って帰った久遠が神社のどこかに保管しているはずだ。
「始業式の時に持ってくればいい。課題のレポート、楽しみにしているからな。……じゃあ、楽しい夏祭りだが、余りはしゃぎすぎるなよ」
「国原先生は御神楽、最後まで観ていかないんですか?」
「……調査で来ているわけじゃないからな」
 そう言うと国原先生は、踵を返して神社の境内から出て行った。
 そんな彼と入れ違いになるようにしてこちらにやってきたのは、黄金色の長髪が特徴的な育ちの良さそうな少女、神宮路さんだった。
 今日の神宮路さんは落ち着いた色と上品な柄が印象的な浴衣を着ており、夏祭りの雰囲気によく溶け込んでいた。
「こんばんは、剣田さん。一週間ぶりですわね」
「ああ。神宮路さん、こんばんは。……珍しいな、浴衣姿なんて初めて見た」
「こんな時でもないと着る機会がありませんからね。先ほど国原先生とお話していたようですけど、一体何を?」
「日本史で出た夏休みの課題について、少しだけ」
 俺がそう言うと、神宮路さんは何かを察したように「……なるほど」とだけ言った。
 それから俺達二人は、無言のまま久遠の御神楽を見ていた。
 すっかりと日が落ちた境内は、灯りを放つ屋台と、いつの間にか増えていた客による、少し静かな祭りの賑わいがあった。
 俺と神宮寺さんは、しばらく無言のままそんな光景を眺めていた。
 今年の、神事としての蛇神祭りはこれで終わった。
 毎年繰り返す、ただの季節行事。
 だけど、そんな風に思っていた蛇神祭りには、この世界そのもののバランスを制御し続けるという、どうしようもなく巨大な意味が込められていた。そのことを、今の俺は知ってしまったのだ。
 そんなことを思いながら久遠のお神楽を見ていると、隣に立つ神宮路さんが言った。
「……そういえば、一つだけ剣田さんにお伝えし忘れていたことがありましたわね」
「何かありましたっけ? 心当たりは特にないけど」
「状況の補足説明、といった感じの事柄についてですの。私の立場上ハッキリとしたことを申し上げる訳にもいかないので、まずは『察してほしい』と申し上げておきますわ。神宮路グループ傘下の建築会社は、かなり昔になりますが上森町のある二か所で工事を行っておりますの」
「いったいどこです?」
「上森神社と上森公園ですわ。工事の内容は、下水道の点検口設置、となっていましたわ」
 下水道の点検口? そんな物境内では見たことがない。
 ……いや、待てよ。
 この二か所で同じ工事?
「神宮路さん、それって、いつ頃の話?」
「およそ四十年前ですわ。上森町は国内でも比較的早い段階で合流式下水道網の設置が行われていたそうで、それの完成後少し経ってからですわね」
 雨水や生活排水を一括して流す下水道は町全体の配管から合流して、いくつもの巨大な道を作り出しているはずだ。
 ……まさか。
 地上の障害物を一切無視した抜け道を、地下空間になら作ることが出来る。
 そして、既存の重要インフラに便乗する形であれば、その安全性はある程度担保される。
 それに加えて、俺の脳裏には以前久遠から教えてもらった豆知識がフラッシュバックする。
 ――弁天様は、水に纏わる神様なのだ。
 上森神社と上森公園の双方に存在する、比較的新しい弁天社。普通の人であれば小さな社の中をまじまじと見たりはしないし、ましてや鍵を開けてまで中に入ろうとはしないだろう。それは裏を返すなら、誰も深く調べようとしない場所という事になる。
 つまり、何かを隠すのであれば最適の場所という事だ。
 そしてここに、過去に儀式を実行しながら、新たな蛇塚の場所を隠し通していたという、一つの事実が存在する。
 限られた関係者のみが、秘密裏に蛇塚で儀式を実行するための隠し通路、その出入り口が、二か所それぞれの比較的新しい弁天社だとしたら。
 ……とはいえ、こんなのはただの憶測だ。
 それに、今の俺が知るべき秘密でもないだろう。
 神楽殿では、久遠の巫女舞が全て終わり、こちらに向けて一礼をした。
 境内に残ってそれを見ていた人々の拍手に送られて、久遠は橋を渡り社務所の中に戻っていく。
 俺と神宮路さんは暫く無言のまま、無人になった神楽殿を見つめていた。
「こんばんは」
 突然、背後から声をかけられた。
 どこかで聞き覚えのある女性の声だった。
 俺が驚いて振り返る。
 それが誰なのか、理解するのに少し時間が必要だったけど、ようやく思い出した。
 長身で大人しそうな印象のその人物は、上森町民俗資料館の職員で俺がここ数日で度々お世話になった人物、黒沼さんだった。
 俺は会釈しながら挨拶に応じる。
「こんばんは。黒沼さんも来ていたんですか?」
「はい。お友達の巫女さん姿も素敵でしたよ」
「ああ、ありがとうございます。伝えておきます」
 いや、俺がお礼を言うのはおかしいのか?
 ……まあいいや。
 俺と黒沼さんがそんなやりとりをしていると、それを見ていた神宮寺さんが言った。
「剣田さん、こちらの方は?」
「そういえば神宮路さんは初対面か。上森町民俗資料館の職員さんで、調べ物の時に何度もお世話になったんだ」
「なるほど、そういうことだったのですね。――初めまして、こんばんは。私は剣田さんの友人、神宮寺千佳と申します」
 そう言って会釈する神宮寺さんに対し、黒沼さんは応じる。
「初めまして、神宮寺さん。上森町民俗資料館の学芸員をやっている黒沼です。上森町の歴史について調べたくなったら、いつでもいらしてくださいね。その時はご案内させていただきます。……では、私はこの辺で」
 そう言うと黒沼さんは踵を返し、緩やかな祭りの気配が残る境内を出ていった。
 その後ろ姿を見ていた神宮寺さんは、いつになく神妙な顔つきをしていた。
「神宮寺さん、どうかしました?」
「……いいえ、何でもありませんわ。恐らくは、私の思い過ごしでしょうから」
「黒沼さんと実は面識があったとか?」
「……どうでしょうね、仮にそうだったとしても、相手が初対面だと言っているのなら、そう言うことにしておいた方が良いというものですわ。……どちらにしたって、何か確証があるわけではありませんから」
 そういうものなのか。
 まあ、神宮寺さんみたいな家なら色んな人達と面識があってもおかしくない。顔を少し見たことがあるだけ、みたいな人も沢山いるのだろう。
 そんなことを考えながらふと社務所の玄関に視線を向けると、そこから一人の少女が出てきた。
 化粧と髪飾りを解き地味な色の甚兵衛に身を包んだその少女こそが、先ほどお神楽を舞っていた上森神社の巫女、鏡宮久遠だと気付くことが出来る人間は、この境内の中には殆どいないだろう。
 彼女は、俺たち二人のところまで来ると、境内の裏にある雑木林の方を指差して言った。
「二人とも来てくれてありがとね。ついて来て、花火のよく見える秘密の穴場を紹介するから」

× × ×

 久遠が案内してくれた『穴場』は、境内の中でも目立ちにくい場所にある刃物供養の社のある場所だった。
 あまり手入れされていない伸び放題の雑木林に隠れた石段を上った先に小さな社があり、その社の裏側に回ると、数人の人間が入れる小さいスペースがあった。夜の境内から見えないようなこの場所では街の様子が一望でき、そのちょうど正面には上森公園があった。
 そういえばこんな場所もあったな。
 よく覚えていなかったけど、ここには昔来たことがあるような気がする。
 俺達三人は、しばらく無言のままこの場所から上森町の夜景を見ていた。
 ……そういえば久遠は前に、刃物供養の社には、何の神様が祀られているのか厳密に伝わっていないと言っていた。
 道路の整備や建物の建築でその場所に維持できなくなった稲荷社が上森神社に移されて祀られているのは知っている。
 他にもいくつか、様々な事情で維持できなくなった地元の『聖域』や『神仏』は、今ではこの場所で合祀されている。
 だけど、そういった経緯でこの場所にある蛇神とは無関係な小さな社や石碑の中で唯一、この刃物供養の社には、何が祀られているのか判明していない。
 上森神社の古書を調べた時に、この刃物供養の社は『蛇神神社』の時代から存在することが分かった。
 ちょうど上森公園、即ち、『蛇塚』を監視できる場所に作られたこの社。
 そこに祀られているはずの、『刃物』に纏わる神聖な存在。
 ……玖守奏が持っていたのは、アステカ文明の儀式短剣で、そこには儀式のために用意した不死者を殺し贄にする力があると言っていた。
 そして、実際にその力を発揮した。
 ……だけど、そもそもそういった武器は、蛇神の守護者達が準備しているべきじゃないだろうか?
 やむを得ない事情で、今回の俺たちのような事、巫女ではなく不死者となった男性神官による儀式。それが、過去数千年の間に一度も発生しなかったとは考えにくい。
 当然、この儀式を考えた当時の人達だって、こういった状況が発生することは予測出来ていたはずだ。
 だとすれば、当然何らかの対策を用意していただろう。
 その『何らかの対策』が、この刃物供養の社に封じられて祀られているという可能性は、十分現実的なんじゃないおだろうか?
 ……とはいえ、今それを確認する必要はないだろう。
 正体を伏せたまま封印しているというなら、そこには相応の理由があるはずだ。そしてそれは、本当に必要になった時にこそ、解かれるべきだ。
 少なくともそれは今じゃない。
 遠目に見える上森公園では現在花火大会が開かれており、それによって生まれたいくつもの光が見える。
 ほんの一週間前にあの場所で何があったのか、それを知る人は、恐らくあの中にいないんだろう。
 無言のまま熱の冷め切らない闇の中で、そんなことに思いを巡らせていると、不意に久遠が言った。
「……二人とも、今回はありがと。それから、……ごめんね、こんなことに付き合わせちゃって。本当なら、二人を巻き込むべきじゃなかった。そもそも私が最初から最後まで黙っていれば、こんなに大事にならなかったかもしれないのに……」
「久遠、俺は……」
「もちろん二人には感謝しているよ。だけど、やっぱりこれは、本来あるべき結末じゃなかった。この年の蛇神祭りで、私は黒き蛇神の力を取り込んで封印される。私が産まれる前から決まっていた、上森神社の蛇巫が背負うべき使命。それを果たすことは、この世界の為に必要なことだからね。人間としての私の命は今年の夏に終わって、それで世界は正しく維持される。何度も聞かされてきたこの仕組みを、理解して受け入れているつもりだった。自分ではそう思っていた。……なのに、最後になって少しだけ抵抗しようと思っちゃったんだ。もしも万が一、この儀式を行うことなく、私が生きたまま世界を維持していく方法があったなら、それを使って生き残りたいって」
「……だけど、だけど結果として久遠は生き残れた。黒き蛇神の力を封じるという目的は達成できた。だったら――」
「――この結末は、上森神社の継承する予言には存在しないんだよ! そもそも昔にあった黒き蛇神との全面対決のせいで、儀式を行うべき正確なサイクルが分からなくなってる。その上で起こった今回の一連の事件。確かに黒き蛇神の力を封じることが出来たけど、所詮それは一時的なものでしかないんだよ! いずれ未来のどこかで、黒き蛇神の力は蘇る。しかも次の復活は、いつ起こるかの予測が出来ない上に、前任の蛇巫からの封印を引き継いでいくという今までの方法はもう出来なくなった」
 それは、確かに久遠の言う通りなのだ。
 今回の一件によって二柱の蛇神の対立に決着が付き、世界は再び平穏を取り戻した。
 ――なんてことには、ならないはずだ。
 そもそも俺達が対峙し、久遠が白き蛇神の力を借りて打ち倒したのは、黒き蛇神そのものではない。玖守奏の体を依代として顕現した、黒き蛇神の力の一端に過ぎないのだ。
 多分今回の一件で、二柱の力の均衡は白き蛇神の側に傾くということはあるかもしれない。
 それでも、何年、何十年、何百年か先の未来で、蛇神の力を何らかの目的に利用する者が現れたり、或いは儀式が失われて白き蛇神の加護が無くなってしまえば、巨大な災いは再び起こるだろう。
 今回の一件は、この世界そのものに対して、致命的な結末を迎えてしまった。それは事実として否定できないだろう。
 だけど……。
「久遠っ!」
 俺は両手で彼女の肩を無理やりに掴み、こちらを向かせる。
 彼女の表情は、いつもの日常のモノの範囲だ。
 だけど、それが無理矢理に作った表情だということぐらい、俺にだって分かる。
 さっきから言葉の端々が感情的だったのに、ここまでの平静を装っていることが平常である筈なんてない。
 そんなことは、いつもコロコロと感情的に表情を変わる久遠の事を見てきた俺が、一番良く分かっている。
「久遠、もしもお前が何の抵抗もせずに儀式の日を迎えていたとしても、玖守奏が行動を起こして計画を実行していたことは変えられない。そもそもの原因を辿るなら、先代神主の時に儀式を失敗した時点で、蛇神祭りに関係する全ての事象が、本来の形からズレていたんだ! どの道これしかなかった、これが、今の俺達に出来た最善の答えなんじゃないのか!?」
「だけど私は、巻き込まなくてもいいはずの人を巻き込んで、その上で生き残っちゃったんだよ!? 私一人で立ち向かうべきだった、私一人で解決するべきだった、私一人で、全てを正しく導かなくちゃいけなかった、上森の巫女である私が! ……だけど、私が弱かったから、私がまだ弘人のことを頼っているから、一人じゃ最後の一歩を踏み出せないままだったから! ……強くなりたかった、強くならなきゃいけないはずだったのに、私が白き蛇神の加護を得ることが許されたのは、私一人の命で世界の犠牲を肩代わりするためだったはずなのにッ!」
「……っ」
 久遠は涙を流していた。
 感情に任せて怒鳴りながら、肩を震わせて俺を睨み付ける。
 ――そんな最中だった。
 突如、防災無線を使ったアナウンスが流れ始めた。
『――これより上森町花火大会の、打ち上げ花火を開始します。初めに上森町商店会一同様より、町のますますの発展と商店街の今後一層の商売繁盛を祈念致しまして、五号玉!』
 上森町花火大会では、それぞれの団体が資金を持ち寄って花火を購入し、メッセージと共に打ち上げてもらうのが恒例行事となっていた。
 微熱を残した夏の夜空に、鮮やかな色彩の巨大な火の華が咲き誇る。
 メインの会場になっている上森公園では、大きな拍手が上がっているのだろう。
 しばしの間を置いて、二発目の打ち上げを告げるアナウンスが鳴り始めた。
 突然のことに虚を突かれたことも相まって、俺は次の言葉を発することが出来ずにいた。
 ……分からない。
 じゃあ俺は、一体どうすればよかったんだ?
 久遠が今までの人生で積み重ねて来た事、正しいと教えられてきた事、白き蛇神の加護を得て力を振るえるようになった時に感じた事、自分の人生が終わる日を知りながら生きるという事……。
 そんな生き方、俺には想像することだって出来やしないじゃないか。
 気休めにもならない言葉で助けた気になっていれば、それで自分を満足させることは出来るかもしれない。だけど、そんなことに何の意味があるっていうんだ?
 万が一、俺が何の介入もしなければ、それで久遠が一人で儀式を成功させていれば、本当はそれが一番正しいことだったのか?
 久遠が犠牲になることでこの世界が救われる。
 それ以外の道は、総て間違いだったって事なのか?
 ――花火が何度も上がり、そこに託した色んな人の思いが読み上げられ続ける。
 なのに俺は、今目の前にある久遠の表情以外、何も見ることが出来なかった。
 しばらくの間向き合って沈黙する俺と久遠の肩を、神宮路さんが叩いた。
「お二人とも、少し冷静になりませんか? 確かに、どちらの意見も間違ってはいないと思います。ですが現実的な問題として、今更既に起こってしまった過去を悔いた所でどうすることも出来ませんわ。それでも――」
 彼女がそこまで言ったところで、花火大会のアナウンスが鳴った。
『――それでは最後です。神宮路千佳様より、学び舎の友との友情を祝しつつ、上森町のより一層の発展を願いまして、八号玉!』
 思わず、夜空に向けて視線をずらした。
 ひゅるひゅるという風切り音と共に、一筋の光が夏の夜空に昇っていく。
 そして光の華が一面に開花し、それに遅れて、和太鼓の音にも似た炸裂音が響き渡った。
 俺と久遠はしばらくの間、夜空を見つめたまま言葉を失っていた。
 そんな中、神宮路さんが言った。
「花火に関しては、久しぶりに我儘を言って父の力でスケジュールにねじ込ませていただきましたわ。今回の事件がひと段落したことに対する、私なりの感謝の贈り物のつもりです。……まあ、それはともかく、……これは、あくまでも私の個人的な立場からの言葉ですが、……鏡宮さんが生き残ったことは、それが未来にどんな結果をもたらすものだったとしても、良かったことであると断言してみせますわ」
 そう言う神宮路さんは、確かに微笑んでいた。
 ふと視線を久遠の方に向けると、彼女は呆気にとられたような表情で固まっていた。
 ……ああ、そういうことか。
 それでいい。
 それでいいんだ。
 こんなにも単純で、あまりにも分かりやすい。
 そんなことで構わないんだ。
 俺は久遠の両肩を握る手に今一度力を込めて、彼女をこちらに向かせる。
 そして久遠の姿を、その顔を、その瞳を真っ直ぐに見据えて、そして言った。 
「久遠、未来の保証なんて何一つ無い。それでも俺は、絶対に上手くいくって信じていたから、だから俺は、久遠に今、生きていて欲しかったんだ!」
 久遠に死なないでほしかった。
 犠牲になんてならないでほしかった。
 生きていてほしかった。
 例えそれが無思慮な偽善だったとしても、俺はその責任を受け止めてみせる。
 目の前にある理不尽に抗うと、その覚悟を決めたから。
 しばらくの間、呆けた表情をしていた久遠の瞳から涙が流れる。
「――――――ッ」
 肩を震わせ――……。
「…………ひろとぉ――!」
 久遠の中の、何かのタガが外れたかのようだった。
 大声を上げながら泣き崩れる久遠が、そのまま俺に体重を預けてしな垂れかかってくる。
 ……どうしよう。
 こういう時、どうすればいいのかまるで分らない。
 困惑のまま助けを求めて神宮路さんの方を見るが、何故か楽しそうに微笑んでいる。
 頼む、助けてくれ、せめて何か助言を!
 ……そういえば、こんな風に泣いている久遠を見るのはいつぶりだろう?
 凄い昔、一度だけこんな久遠を見たことがあるような気がする。
 場所は上森神社だった。
 確か、あれは蛇神祭りの前日。
 あの時久遠を見つけたのも、この場所だったような気がする。
 流石に十年近く前の自分の言葉なんてまるで覚えていないけど、あの時俺は何て言ったんだろう?
 久遠なら覚えているのだろうか?
 流石に、もう覚えていないんだろう。
 ……世界の在り方そのものを揺るがしかねないような神秘の力は、確かに実在する。
そして、それは意外なほど身近な領域に実在している。
 その神秘の領域に踏み込んだ俺達は、決められていた筈の運命を変えてしまった。
 その先に待つのがどんな未来なのかは、今はまだ分からない。
 それでも、俺達は悲劇に至るはずだった運命を覆すことが出来たんだ。
 だから、きっとこの先も、俺達は何度だって、運命に抗えるはずだ。

× × ×

 小学校に通うようになってからの、最初の夏休みのある日のことだった。
 夏の日差しを遮る雑木林に、蝉の声が鳴り響いている。
 そんな雑木林の先で、誰かの啜り泣く声が微かに聞こえた。
 俺はその声のする方に向かって、ゆっくりと歩いていく。
 伸び放題の雑木林に隠れた石段がある。それを登った先に、苔むした小さな社があった。その社の裏側に回ると、数人の人間が入れる小さいスペースがあった。
 膝を抱えて俯きながら泣いている少女が、そこにいた。
 白と赤の巫女装束に身を包んだ、長い黒髪の幼い少女。
「久遠?」
 俺は無意識に、彼女のことをそう呼んだ。
 そうだ、この子の名前は久遠。
 俺と同い年の、幼なじみの少女だ。
 久遠が顔を上げて振り向いた。
 そして立ち上がり、怒鳴るようにして言った。
「――泣いてないからっ!」
 そう言って久遠は、しばらくの間俺のことを睨みつけてきていた。
 そのまましばらくの時間が経ち、少しだけ俯いた久遠が絞り出すようにして言った。
「……弘人、……私、ちゃんと出来るかな?」 
 その久遠の言葉に対して、俺は無意識のまま答えた。
「大丈夫だよ。だって久遠、凄いじゃん。御神楽の練習は昔からやってるし、凄くかっこいいのはボクだって知ってるよ」
 久遠が少し困ったような、そして呆気にとられたような表情になり、そして言った。
「……かっこいい、かな?」
 俺はその問いかけに、うなずきながら答えた。
「うん。それに、もしも何かあったら、ボクが絶対助けるよ!」
タジ 

2023年02月22日(水)21時10分 公開
■この作品の著作権はタジさんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
 ジャンル的には『伝奇』といったところでしょうか。

 一応、ライトノベルの新人賞用として書きました。
 ただ、結構長くなってしまったので、レギュレーション的には微妙かもしれないです。

 とは言え今後の指針のためにも、容赦ない感想、批評、ツッコミ、その他お待ちしております。
 勿論一言感想でも構いませんので、なにとぞよろしくお願いします。


この作品の感想をお寄せください。

2023年03月01日(水)18時38分 oku  +10点
 はじめまして、タジ様。okuと申します。拝読させていただきました。

 まずは長編の執筆、たいへんお疲れ様でした!

 生まれ育った地域の謎を解き明かしつつ、幼馴染が直面している運命をなんとかしようと奮闘する主人公、という軸がはっきりしていたのが良かったです。
 風景や表情の描写も、するべき箇所ではしっかりと書き込まれており、青春の爽やかさや、そこにひそむ伝承の不穏さなどがありありと伝わってきました。登場人物、特に女性陣のキャラ立てもきちんとしてあると思います。
 書き手には民俗学に関する基礎知識があり、下調べなども十分になされていることが分かる文章には、読む側としての安心感もありました。

 その一方で、描写や表現の細部には、やはりブラッシュアップの余地があるかと思います。
 例えば冒頭部分の、

 >「さて、行くか」
 >まずはとりあえず、昨日のうちに作り置きしておいた朝食を冷蔵庫から取り出して食べる。そして教科書の入ったカバンを持って、玄関を開ける。

 といった一連の文章は、主人公が読者に向かってわざわざ自分の行動を説明してあげているような雰囲気があり、小説としては少々不自然では、と感じました。

 >「さて、行くか」
 >作り置きの食材で手早く朝食をすませた俺は、教科書の入ったカバンを持って玄関を開けた。

 のように、「まずはとりあえず」「そして」といった接続詞を削ってあげるだけでも、随分と説明文っぽさが薄れるのでは、と思います。
 あるいは、主人公が久遠と一緒に図書館を訪れて、そこで偶然勾坂と会ったシーンの終わりでは、

 >「貴重な話を聞かせてくれてありがとう、お礼にジュースを一本おごってあげよう。付き合ってくれた剣田クンにもだ」

 というセリフを言った勾坂は、戻って来てから再度、

 >「今回のお礼と言っては何だけど、私の調べた資料の写しをいくつかあげよう」

 と発言しています。時間の経過がそれほどないにも拘わらず、「お礼に〜」という言い回しを二度も使っている点は、文章として読み返せる形で残ってしまっているだけに、読み手にとっては不自然に感じられました。

 上に挙げた二点はあくまでも例ですが、こういった箇所を一つ一つ潰していくと、作品全体を洗練された文章でまとめ上げることに繋がり、応募作として更に上質なものになるのでは、と思います。


 また、これが最も気に掛かった点なのですが、物語の進め方に難がある気がします。

 この作品においては、主人公が図書館や民俗資料館に行く→ 関連する資料を見付ける(地の文や登場人物のセリフによって、その資料の内容が語られる)→ 主人公がそれを元に仮説を立てる、といったことの繰り返しによって、上森神社の謎が解かれていきます。
 これでは読み手を物語の佳境まで引っ張って行くことがかなり困難だと思います。
 ドキドキやハラハラ、この先どうなってしまうんだろう……という期待がないと、読者は途中で退屈し、読むのをやめてしまいます。公園のピラミッドの伏線回収や、勾坂が実は……というオチ、黒と白の二柱の蛇神という展開は見事だっただけに、それはとても惜しいかと。
 具体的なアクシデントを積み重ねる中で、主人公たちが真相に辿り着く方式にすると、ぐっと物語の魅力が上がると思います。

(例えば「さまようゾンビ」の都市伝説を、主人公がネットで得た過去の情報として処理するのではなく、上手い具合に現在進行形の出来事に落とし込んで、主人公が実際に目撃する場面を作るとか。
 あるいは、主人公が神宮路さんのお宅に遊びに行く場面を作ってあげて、そこで主人公自らが偶然「彼は儀式を利用して邪神を蘇らせようとした」などの不穏な会話を聞いてしまった……、という展開にするとか。
 臨場感と刺激を読者に与えつつ、ストーリーを進めて行くことが出来るかと)

 最後に、その他で気になった箇所をいくつか挙げておきます。

 主人公の父親がいきなり電話をかけてくる場面は、やはり唐突と言うか、説得力がないように思います。主人公が元々熱狂的な伝承オタクで、父親とも日頃からそういった話で盛り上がっていたなら別ですが、そうではないなら不自然な出来事かな、と。

 また、久遠の家族は、自分の娘がそういった役割を担わされていることについて、思い悩んだりはしなかったのでしょうか? 国原先生は教え子が危険な場所に赴こうとしていると察しつつ、教師として止めようとは思わなかったのでしょうか? 結局、鴉とは何者だったのか?(私が読み飛ばしているだけだったら、ごめんなさい)
 これらは大筋には関係ありませんが、違和感を覚える読者は多いと思います。ある程度は丁寧に処理してあげた方が、物語の奥行きがきっちりと確保され、他の応募作品との差が付くかと思います。

 あと、神宮路の表記が、ところどころ神宮「寺」になっています……。
 

 とりあえずは以上になります。長々と書きつつ、私は所詮素人なので、的外れなことを言っていたらごめんなさいの気持ちでいっぱいです……。適度に取捨選択してください。

 今後の創作活動が実りあるものでありますよう、祈っております。
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pass
合計 1人 10点


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