ヤンデレ諜報員小夜
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 第一章 ヤンデレ諜報員小夜

「ベルの旦那、これが例のブツです」
「ご苦労、ガロン。報酬はここにある」
「旦那も悪い人ですねえ」
「何、お前には負けるさ……」
「いや、仕事の話じゃねえです。女の話でさあ」
「……は?」
 女?
「ベルの旦那も隅に置けない人ですね。うちらとの取引の場にまで女を連れてくるなんて。まあもらうものさえもらえば文句は言いませんけどね」
「待て、何のことだ?」
「……は?」
「俺は女なんて連れてきてない」
「いや、いるでしょう。さっきから旦那の後ろに」
 男は後ろを振り向いた。
 そこには少女がいた。
「竜一さあん……」
 男は戦慄した。この女は誰だ。そして……なぜ既に捨てたはずの俺の本名を知っている? 俺の今の名はベル……
「はじめまして、竜一さんがいつもお世話になってます。竜一さんの彼女の今名小夜(いまなさよ)です……」
「あ、どうも。旦那の彼女さんね。でもね、一応言っておくとこの業界で他人の本名をいうのはルール違反だよ?」
 ちょっと待て。俺はこいつなんて知らんし、彼女だっていないぞ?
「すみません……私、この業界に疎くて」
 いきなり腕絡めてくるのやめてくれる? 俺、あんたを彼女と認めた覚えないからね? あと、そもそも業界に疎いならなんで俺の本名がわかるの。
 嫌な予感がした。
「旦那、これってもしかして」
「ナイチ……‼」
 内務省治安局、通称ナイチ。秘密結社や犯罪組織を取り締まる国家機関……‼
「そこまでだ」
 男の声がしてスポットライトが照らされた。
「誰だ⁉」
「竜一くん、君の予想通りだよ。内務省治安局防犯課木枯東風(こがれとうふう)。そして相棒の今名小夜……」
「防犯課、あの憲法違反の……」
 疑わしきは罰せよ、人を見たらテロリストと思え、罪状は作れるを三原則とする危ない国家機関。
「失礼だな。防犯課は憲法違反じゃあない。防犯の適用範囲が広すぎるだけだ」
 それを憲法違反というのだが。
「監視はもちろん、諜報活動も防犯、みなし逮捕も防犯、先制攻撃も防犯……」
 今攻撃って言いましたよね?
「最近私は防犯という言葉の意味が分からなくなっている。ならず者ども、防犯と犯罪は何が違う?」
 その違いは区別してほしかった。
「まあいずれにせよお前はこれまでってことさ。小夜、その旦那を拘束しろ……」
 まずい、と竜一は思った。やはりこの女は内務省のスパイだったのだ。ここまでか、と観念したその時。
「はあ?」
 小夜と呼ばれた女は首を傾げた。
「どうして私が竜一さんを拘束しなきゃいけないんですかあ?」
 え?
 竜一は思わず小夜のほうを見る。小夜は竜一の腕をさらにきつく抱き寄せた。
「竜一さんは悪い人じゃありません。小夜にはわかるんです」
 東風は一瞬困った表情を見せたが、落ち着きを取り戻したのか、諭すように言葉を発する。
「……自分で証拠を見ただろう。違法薬物の密輸に関係しているのは間違いない」
「きっと何かの間違いです。小夜にはわかるんです」
「捜査は証拠がすべてだ。物証も証言もある以上、拘束しなければ……」
「そういう風に何の根拠もなく人を疑うのって良くないと思います」
「話聞いてた? 物証も証拠もあるつってんだろ! ていうかてめーが持ってきた証拠だよ!」
「小夜が持ってきた証拠なら小夜が嘘をついてるかもしれないじゃないですか」
「あんた一応うちの諜報員だよね? そいつを拘束しないなら……」

 その瞬間、あたりは光に包まれた。

「旦那、こっちです!」
 取引先のガロンが竜一の手を引く。目くらましの発光弾を投げたのだ。
「あ、待て!」
「路地裏に逃走用の車があります……」
「でかしたぞ! お前のことはボスに言っておく!」
「へへへ、今後ともよしなに……」

 まばゆい光が消散した後、東風は闇夜に消えゆく売人二人の背中を眺めていた。
「俺は待てって言ったぞ……?」
 おとなしく逮捕されてた方が絶対に本人のためになるんだけどなあ。
 

 ベルこと浦見竜一とガロンこと酒場寅彦を乗せた車は夜のハイウェイを疾走していた。既に塗装、ナンバープレートの換装は済ませてある。
「旦那、無事に逃げおおせましたね」
「お前のおかげだ。礼を言うぞ、ガロン……」
「へへへ。しかしあのバカな女のおかげですねえ……」
「まったくだ。それにしても仲間内での意思疎通すらできていないとは、内務省も人材不足だな……」
「私のおかげですかあ?」
 ベルとガロンは凍り付いた。助手席に座るベルの首に背後から手が伸びてくる。
「小夜は……竜一さんのお役に立てましたか?」
 なんで乗ってるんだ?
「うれしい……私、竜一さんのお役に立てた……」
「……」
「大丈夫ですよ、きっと疑いは晴れます。東風さんはなにか勘違いしてるんです」
 いや、あの男はなにも間違ってないと思うけど。物証と証言に基づいてまともな捜査をしてたと思うけど。てか、なんで俺が内務省を擁護してんの?
「小夜……つったっけ? あのねえ、俺はねえ……」
「うれしい、名前呼んでくれた……」
 聞いちゃいねえ。
「名前を呼んでくださったんですから結婚ですよね?」
 その論理はおかしい。悪魔との取引じゃないんだから。いや、薬物の取引はしてたけど、それでもそんな論理を振り回す奴はいなかった。
「二人っきりの逃避行……ロマンチックですね」
 竜一はハンドルを握る寅彦の顔を見た。二人きりということはこいつはカウントに入っていないということなのだが、本人は知らぬ風を装っていた。本能的な身の危険を感じたのだろう。
 このままアジトに行くんですか、と視線で聞いてくる。
 この女をアジトに連れ込むことだけは勘弁してほしかった。だが……
「どうせアジトもばれてるよ……」
 根拠はないがそんな気がした。


「なにい、標的を取り逃がした⁉」
「も、申し訳ありません……」
 東風は治安局長に絞られていた。
「いくら何でもそれはないんじゃないの⁉ 今名小夜が標的の背後にいたのに⁉」
「面目次第もございません……」
 今名小夜が背後にいたから取り逃がした、と言ったほうが正確なのだが。
「私からも謝罪いたします……」
 防犯課課長の明石が頭を下げた。そして東風に耳打ちをする。
「この場は俺が収める。お前は小夜を追え……」
「す、すみません」
「小夜をスカウトしたのは俺だ。とにかく逸材なんだから首にするのは惜しい……」

 局長の執務室を去ると、廊下に背の高い女性が待っていた。富永常夜(とみながとこよ)、同じく防犯課の同僚である。今名小夜と夜がかぶっているが血縁関係ではない。
 なぜか防犯課には夜に関連する名前を持つものが多い。
 課長は明石晩山(あかしばんざん)。明け方から晩までさざれ石が山になるまで仕事との意味である。技術担当には深月悟(みづきさとる)、月が深くなるまで働く覚悟との意味である。富永常夜は富のため永常なる夜勤という意味である。今名小夜は「今なお夜」と読める。徹夜も辞さずのスーパー諜報員。その点木枯東風はホワイトである。せいぜい風が吹いて木々が枯れるに過ぎない。

「木枯君、行くわよ」
「富永……」
「絞られてたわね。ざまあって感じだったわ」
「殺す」
「小夜ちゃんは連中のアジトにいるはずよ」
「だろうな。だがアジトはどこなんだ?」
「それが分かれば苦労しないわ。でも小夜ちゃんはきっとそこにいる」
 東風は頭を抱えた。
 富永の言うとおりだ。今名小夜はきっとアジトにいる。明石課長ですら掴めなかった敵のアジトに。
 ところで、俺が絞られてる時に嬉しそうな顔でニヤニヤしていたのは絶対に許さないからな。
 東風と常夜は捜索に向かった。

 今名小夜。21歳。内務省治安局防犯課諜報員。
 明石晩山防犯課長がスカウトした諜報の天才。
 適性試験では試験官が用意した標的の自宅を最短時間で特定した。試験用に用意された架空の自宅ではなく、試験官自身ですら知らなかった標的の本当の自宅を。
 尾行の研修では訓練生を撒いてカフェで一休みしていた教官の隣の席に座っていた。
 初仕事では尾行対象の布団に潜り込んでいた。
 まさに、諜報の天才。
 明石がスカウトしただけはある。標的がどんなところに隠れていても必ず居場所を見つけ出す。家族構成も経歴も、恋愛遍歴も(これは特に)あっという間に調べ上げる。
 ……それなのに。
 彼女は優秀とは言われなかった。
 諜報員として致命的すぎる欠陥があったからだ。

 必ず標的に恋をしてしまうのである。
 
 それもどっぷりと。

「あの人は小夜の運命の人なんです」
「あの人の言葉は真実です。疑うなんてあんまりです」
「あの人が私を避けてる? そんなことありえません」
「いくら課長の命令でもあの人を裏切ることはできません」
「あの人が私を拘束して下さいました……心配性なんですから……小夜が離れるわけないのに」

 明石は困り果てた。
 自分の目に狂いはない。今名小夜は間違いなく諜報の天才だ。
 なのに。
 
「奴の資金源を吐けと言っているだろう!」
「嫌です。黙秘します」
 上司に対して黙秘権を行使する奴は初めてだ。
「お前が奴の資金源を言わないと連中はまた悪さをするぞ」
「そんなの噓です。私をあの人から引き離そうとする陰謀……」
「陰謀を企んでるのはあいつらだ!」
 なんで自分の部下を尋問せねばならんのだ。
 普通の諜報員が一週間で調べる内容を今名小夜は一時間で調べる。どこをあたれば標的の情報が得られるかを見抜く勘が悪魔的に鋭い。猟犬か何かかと恐怖を感じるほどだ。
 だが、情報を聞き出すのに一週間かかる。
 これではせっかくの才能が活かせない。明石が天を仰いだその時。
 当時仕事に慣れてきたばかりの木枯東風が自分に尋問を任せてくれと言った。
 木枯は地味ながら着実に成果を上げるタイプで明石はそれなりに信頼していた。そこでダメもとで木枯に小夜の尋問を任せたのだ。
「……今名小夜さん」
 木枯は対等な友人といった感覚で声をかけた。小夜は手を膝にのせて俯いたまま押し黙っている。
「驚かせてすみません。あなたの言う通り、彼の容疑は再考の余地があるかもしれません」
「……」
「彼が犯罪を犯しているからと言って悪人だというのは間違いかもしれません」
「……」
「でもね、彼と結ばれたいなら課長に情報を渡したほうがいい。実際、陰謀の可能性があるんです」
 小夜は少し顔を上げた。
「彼を陥れて我々防犯課に誤認逮捕をさせようとする勢力が存在する可能性があります。そいつらの尻尾を掴みたいなら、課長に情報を渡すべきでは?」
 小夜はうるんだ瞳で東風を見上げた。
「木枯さんだけです……あの人の言葉を信じて下さるのは」
 いや信じてないけど、と思いながら木枯は言葉を続けた。
「彼を助けたいなら資金の流れの全貌を明らかにする必要がありますね。その線に彼を陥れようとする勢力が存在する可能性が」
「私、やります。絶対にやり遂げて見せます」
「……素晴らしい。ご理解頂けて何よりです」
「私の愛であの人を救ってみせます。そうしたらきっと振り向いてくれますよね?」
「ええ、きっと振り向いてくれますよ」
 どちらに振り向くかは言っていない。おそらく反対方向に振り向いて逃げ出すであろう。
「早く私を部屋から出してください。すぐにあの人のもとに駆け付けたいんです」
「課長に情報を渡してからね」
「はい‼」
 かくして明石は今名小夜という天才を使いこなす術を得たのである。
 それはそれとして。
「木枯……お前クズだわ」
「ええっ」
 他に方法がないでしょう、と弁明するが時すでに遅し。
 木枯東風は女の敵として上司ならびに同僚に認知されることになった。
 この物語はそんな天才ヤンデレ諜報員今名小夜と、彼女を取り巻く昼夜逆転防犯課員の物語である。


「はい、あーん」
「……」
「どうしてあーんしてくれないんですかあ?」
「諜報員の料理を食べるやつがいると思うか?」
 なんで素直に食べると思ったんだろう。
「私のことを信じて下さらないんですね。わかりました。じゃあ小夜がまず毒見します。そしたら召し上がってくださいますか?」
「いや食わねえけど」
「口移しではだめですか?」
「だからなんでそれなら食べると思ったの?」
 浦見竜一(通称ベル)がアジトに逃げ込んでから一週間がたった。
 今名小夜とかいうこの捜査官が車に乗り込んでいた以上、もはやこれまでだと思ったが。
 アジトにはまだ内務省の人間が来ていなかった。
 ということは、彼女の言葉は嘘ではなかったということか。


 あの夜、逃走車に小夜が乗り込んでいることに気づいたとき。
 ベルは小夜を始末すべきか迷った。
 もともと女性に手は上げない主義である。だが、相手はスパイだ。スパイならば例外とすべきか。いや、しかし……
「アジトまで連れて行くわけにはいかん。この車を降りろ」
 そう言って銃を突きつけた。
「お前にアジトの場所を知られるわけにはいかん」
「でも小夜はもう竜一さんのお宅を知ってますよ?」
「やはりか。どうやって掴んだかは知らんが、それならここで……」
「小夜を殺しますか?」
 ベルが言いよどんだ言葉を小夜はにべもなく言った。
「素敵……竜一さんに殺されるなんて……一緒のお墓に入りましょうね」
 自爆用の爆弾でもくくりつけてるのか?
「小夜は竜一さんのアジトを誰にも言いません。それこそ防犯課の人間にも。だから私を竜一さんのおうちに連れて行って……」
「防犯課は手癖が悪い。防犯の名のもとに違法行為を平気でやる連中だ」
「信じてください、拷問されても言いません! 小夜は、竜一さんを裏切るくらいなら死にます」
「俺のためなら死ねるってか。ならここで引き鉄を引いても……」
「その時は竜一さんと二人きりで死ねるということです。小夜は幸せです、何も思い残すことはありません……」
 小夜は上着を少しめくってみせた。案の定、そこには爆弾が巻き付けられていた。
「……シリアスなところ悪いんすけど、二人きりで死ねるわけじゃねえですからね? あっしもいますからね?」
 さすがに空気扱いで自爆に巻き込まれるのは御免こうむりたかったのか、ガロンこと酒場寅彦が口をはさむ。
 瞬間、ガロンは軽率に口をはさんだことを後悔した。毒蛇が怨念と憎悪を煮詰めたような眼差しに射抜かれたからである。
「何ですか。あなたが私たちの関係を邪魔するんですか」
「邪魔はしてねえです……」
「ドロンさんは存在するだけで邪魔なんですよ。わかってます?」
 理不尽すぎるだろ。あとドロンじゃなくてガロンね?
 小夜は急にしおらしい態度になって、甘える猫のようにベルに身体を寄せる。
「竜一さん……私、この人嫌いです」
「……」
「へ……へへへへへ。どうもあっしはお嬢さんに嫌われたようで。じゃあそろそろお暇を……」
「ま、待て! 俺を置いてかないでくれえええ‼」
「いくら旦那の頼みでもそれだけは聞けません‼」
「な、な、な、小夜ちゃん。俺んちに来てもいいぜ」
「ほんとですか?」
 ぱあっと小夜の顔が輝く。一瞬スパイであることを忘れ、抱きしめたくなるほどのかわいらしさである。
「だ、だが、ひとつだけ条件がある。ガロンは俺のマブダチなんだ。こいつもアジトに連れていく」
「勘弁して下せえええええ‼」
「ベロンさんは嫌がってますけど……」
「ここここいつは俺のマブダチだ! こいつなしじゃ俺はやってけねえんだよお……」
 嘘だ‼ 仕事にしくじったときは「てめえの代わりなんざいくらでもいるんだよ」とか言ってたくせに!
 だが、ガロンはそこではたと気づいた。
 今、ベルはとんでもないセリフを口にしてしまったのではあるまいか。思い切り地雷を踏まなかったか?
「誰が……」
 小柄な小夜の背後から闇の伽藍が立ち上る。地獄の亡者を串刺しにして火あぶりにしてもこういう怨霊は生まれないだろう。
「誰が……誰なしじゃやっていけないですって……」
 あっしに飛び火させるなと叫びたかったが声が出ない。自分では声を出しているつもりだったが、聞こえてきたのはひゅーひゅーという気道を空気がかすめる音。
「バロンさんは……竜一さんの何なんですか……竜一さんには私がいれば十分なのに……」
 なぜ声が出なかったのかが分かった。首を絞められていたからだ。
「答えてください……竜一さんに必要なのは私だけですよね……バルンさんもそう思いますよね……?」
 おっしゃる通りでございます、バルンめに何の異論もございません。そう答えたかったが声が出ない。首を絞められているからだ。

 目を覚ました時、ガロンはアジトの布団の中だった。
 そして、薄目であたりを伺い……今名小夜の姿を認めると、寝たふりをしていた方が賢明であるとの結論に至った。 


 それから一週間、たしかに内務省の人間は来ていない。だから彼女はベルとの約束(一方的だが)を守っている。同僚にアジトの在処を伝えたわけではない。
 伝えていたら、とっくに防犯課の職員が来て、ベルとガロンを逮捕していたであろうから。
 だが、逮捕されていた方がよかったかもしれない。
 刑務所の中の方がまだしも自由であったかもしれない。 
「竜一さんはあ……どんなお料理がお好きですかあ?」
「俺は食い物の好き嫌いは言わない方なの……」
「ふふふ、そういう硬派なところも好きです……でも小夜は知っていますよ。竜一さんのお好きなお料理……」
 ですよねー。もう今更驚かないよ。
「お義母様のおつくりになったハンバーグですよね?」
 絶対に漢字が違う。声だけだけど絶対に漢字が違う。
 子供っぽい味覚なのが恥ずかしくて仲間には「そばが好きだ」とか言っていたが、バレバレである。
 ところでガロン。
 寝たふりをしているのは分かっている。そしてそこで俺の好きな料理を知って笑いをこらえているのも分かっている。
 怒らないから、会話に加わってくれ。
 一週間ずっと寝たふりはさすがに無理があるだろう。時々ゾンビみたいに起き上がって、空気と化して軽くカップ麺だけすすり、そそくさと寝たふりか。てかそろそろ風呂に入れ。臭うぞ。
「なんか生ゴミの臭いがしますね……生ゴミさん、はやくお風呂に入ってきて下さい。私と竜一さんの生活を穢さないで」
「……へい」
 ガロンは立ち上がってのろのろとドアの方に向かい……消えた。
「これで二人きりですね……いや、もともと二人きりでしたけど」
 この子、自分が何を言ってるか分かっているのだろうか?
 今名小夜。
 確かに美人だ。やや小柄だが割と好みのタイプかも……と思い、たぶんこっちの好みに合わせたメイクをしているのだろうと勘づいた。こいつならやるだろうという気持ちしかない。
 それだけ尽くす女なら都合よく利用してもよいのだが、そういう気にならない。ナイチだからではない。そういうのとは関係なく、ひっかける気にならない。
 端的に怖すぎる。端的に自由がなさすぎる。

「お料理もお洗濯も全部小夜がやりますからね……小夜は竜一さんに尽くすことだけが生きがいなんです」
「いや、今は男女平等だから……」
「たしかに今は男女平等の時代です。でも私と竜一さんは違います。私が一方的に尽くすの……尊敬してます崇拝してます信仰してます」
 信仰までされたのに嬉しくない。最後は磔になる予感しかしない。
「俺のどこを尊敬してるの? ……信仰してるの?」
「全部です」
「その答えは禁じる」
 そう言うと思った。もう予想ができている。
「では……列挙しましょうか」
「ちょ、やめて」
「目、口、鼻、耳、額、頬……の形、色、質量、香り、成分がそれぞれ好きです。髪の本数もたまりません。爪が好きです眉が好きです腕と足の長さ太さが完璧です。猫背の姿勢と角度が好き……今みたいに小夜から目をそらすのも好きです」
「やめてくれ……」
「震えてるお姿がたまりません。お洋服も素敵……保存して家宝にしたい。喉ぼとけだけを一日中見ていても飽きません。指だけを一日中はむはむして過ごしたいです。指と指の間の水かきも好きです」
 恥ずかしくなってきた。これどんな羞恥プレイ? 
「性格の方はもお……」
「もうやめてえええええ‼ 俺は犯罪者なんだああああああ‼」
「カッコつけてるのに意外と優しいところ。権力が嫌いなところ。仕事に厳しいところ。ご家族と仲が悪いところ。ボスに頭が上がらないところ、笑い声、猫好きなところ、天気予報を毎朝見るところ、意外とごみの分別をちゃんとするところ、舌打ちする癖、お風呂で必ず右足の膝から洗うところ、発泡酒が好きなところ、ハンバーグ好きなのにそば好きと偽る見栄っ張り、困ると髪を触る癖があるところ、怒ると睨みつけるところ、私のことを愛して下さるところ……」
 最後のを除いてかなり正確に自分の性格や嗜好を把握されている。最後のだけは明らかに間違いだが。
「何もおかしなところはありませんよね?」
「はい、ございません」
 俯いていたところ膝下から覗き込み視線を合わせて同意を求められる。思わず同意してしまった。
「……仕事。仕事に行かなきゃ……いくらお前でも俺の仕事を邪魔したら容赦しねえぞ」
 あまり効果はないだろうなと思いつつ言ってみる。これで引き下がるタマではない。それなら苦労はしていない。「私と仕事のどっちが大切なんですか私ですよね?」とか問い詰めてくるに相違ない。その時断れる自信がない。そんなことをしたら命が危ない。
「……お仕事。竜一さんのお仕事……」
「そうだよ。後ろ暗い仕事だけど俺にとっちゃ大切なんだよ悪いか」
「悪くなんてありません! 小夜が竜一さんのことを否定するなど天地がひっくり返ってもあり得ません‼ 竜一さんの思想、主義、決定、決断、判断、選考、意見、推定、推測、考察、命令、選択、信条、信仰、信念……それらはみな定義的に正しいと思います」
 定義的に正しいときた。
「小夜が竜一さんのお仕事を邪魔するはずがありません……どうして信じてくれないの」
 ところで今更気づいたが、一週間も仕事をほっぽり出したのにどうしてボスの連絡が来なかったのだろう?
「竜一さんのボスさんも始めは激怒していらっしゃいましたが、すぐに考えを改めてくださいました。竜一さんに有給を下さったんですよ。当然ですよね、竜一さんが小夜と過ごしたいと言ったのなら組織は有給を出す義務があるのですから」
 そんなこと言った覚えはないし、組織に有給を出す義務があるとも思えない。
「安心してください。ボスさんの弱みは既に小夜が握っています。今後は竜一さんが好きな時にボスの口座からお金をおろしていいそうですよ」
 やっぱりね……すみません、ボス。長年の恩を仇で返してしまいました。
「そんなことより……そろそろ小夜を召し上がりませんか? 同棲して一週間なんですし……」
「いやそれは」
 正直欲望を感じるけど怖すぎる。何をされるか分かったものではない。だが断れば命がない……
「お嫌、ですか?」
「いやそういうわけでは」
「小夜と結ばれることがお嫌なんですね」
「いやその」
 表情に出ていたのだろうか。いや、一週間共に過ごして分かったことだが、この女は表情になど出ていなくても人の心を読む。
「ゴロンさんと結ばれたいんですね」
 いやそれは違う。同性愛を否定する気はないがそれは違う。
「小夜には何が足りないのでしょうか? 見た目ですか性格ですか? 教えていただければ明日にも直します。あなた好みの身長体重体型性格になります」
「そんなにコロコロ姿も性格も変わったらもはや妖怪だろ……」
 もしかしたらできるのかも。諜報員なら変装とか得意だろうし。
「では何が足りないのですか」
「いや、足りないんじゃなくて多すぎるんだよ……」
「何が……」
「……」
 言葉にするのは恥ずかしいが。
「その……あ、愛が」
 死にたくなった。誰でもいいから自分を射殺してくれと思った。
 ガロン、風呂から上がったら俺を殺せ。




「どんな人間も自分を理解し愛してくれる人間が欲しいと思うものよ」
 内務省治安局防犯課会議室。
 同課分析官の富永常夜が口を開いた。永久常なる夜勤の富永である。
「でも……そんな人間が本当に現れたら恐ろしいことになる。多くの人間はその恐怖を知らない」
「同感だ。正常な人間はそんな状況に耐えられない。羞恥心で死にたくなるはずだ」
 富永に賛成したのは同課技官深月悟。月が深くなるまで働く覚悟の深月。
「秘密や隠し事を持つことすら許されず、まともな話が通じない。何をしても嫌ってもらえず、ひたすら傍らで尽くされる。信仰に近い愛の恐ろしさ、か……」
 肩をすくめてみせたのは課長の明石晩山。明け方から晩までさざれ石が山になるまで働く明石課長。
 三人合わせて防犯課ブラック夜勤組!
「ベルが生きてるといいですね……」
 最後に口を開いた男の名は木枯東風。防犯課捜査官。
 名前からしてブラックな防犯課の面々の中、唯一ホワイトな人間である。せいぜい風が吹いて木が枯れる程度なのに、なぜか防犯課に配属された悲劇。
「今名から連絡は?」
「ありません」
 明石課長の問いに技官の深月が即答した。
 普通なら今名小夜諜報員の身を案じ、救援を送るところである。普通なら。
「心配なのはベルの身柄だ」
 明石課長の言葉に一同同意。
「同感です、廃人にでもなられたら裁判での証言に証拠能力がなくなります」
「心神喪失で無罪になるかもしれないわ」
「計画していた司法取引もおじゃんですね」
 一同、ため息。
「だから私は小夜ちゃんの派遣には反対だったのよ……」
「遺憾だ、小笠原小夜の諜報能力は信頼できる」
「諜報能力はね。でもそれ以外が……」
「それ以外の点に問題があることには同感だ。だがそこを補う方法は存在するはずだ」
 富永と深月の論争が始まった。
 東風は黙っていた。
 どちらかというと富永の肩を持ちたいが、彼女とは少々折り合いが悪いので黙っておくことにしたのだ。それに、沈思黙考をしているふりをすれば威厳ある聡明な男と思われるかもしれない……
「木枯、お前はどう思う」
「ふぇっ‼」
「君の意見を聞きたい」
「いや……」
 ブラック夜勤組の視線が木枯に注がれた。
  

 木枯東風というのは妙な男であった。
 一言で言うと風見鶏。主義や信念が存在しないのである。
 好き嫌いは結構激しい方である。が、主義や信念というものがない。
 しいていえば、主義や信念は利益の問題だと考えている。
 信念や主義の相違とはすなわち利害か趣向の相違に過ぎない。だから富永と深月の論争に興味がわかない。後から勝った方につけばよいかと思っている。
 省庁にありがちな派閥争い、政治論争も東風は勝ちそうな方につく気でいた。保守派が勝とうと革新派が勝とうと捜査官の仕事内容に大した差はない。もちろんどちらが勝つかによってその後の国の在り方は大きく変わるだろう。だが究極を言えば国の未来などどうなってもよろしい。自分が生きている間だけ財政破綻をせずに持ってくれればよいのである。最近はそれすら怪しいようだが、そこを何とかするのは財務省の仕事である。
 
  
 今名小夜が諜報員として優秀か否か。それを判定するのは自分ではない。課長が決めればよいことである。
 もし東風が課長だったら小夜は外しただろう。面倒を起こされて任命責任を追及されるのが嫌だからだ。だが明石は成果を求めるタイプだし、若者は少々やりすぎるくらいがよいと思っている節がある。
 東風は自分の給料さえ確保されれば仕事の成果などあってもなくてもよいと考えている。だが成果を上げねば給料が上がらない。小夜を使うかどうかは状況によるとしか言えない。他に人員がいなければ小夜を使うほかなくなる。どうしても通常の諜報員では追跡できない相手が現れたら、この場合も使うほかはない。だがそれ以外の時は微妙である。そこは戦略の問題である。

 だが意見表明としては小夜を支持した方がよいかもしれないと思った。将来的に彼女が必要になる時が来るとも限らないし、ならば少々危険でも使って悪いことはない。どのみち責任は課長がとるのだ。

「現時点では彼女に仕事を任せても問題はないかと」
 そう答えた。

 明石課長は木枯の言葉を聞くと、皆の方を見渡して言った。

「引き続き標的の居場所を捜索しろ。木枯と富永は現地付近を回れ。深月は通信の解析」
 うぃす、と疲れの抜けない返事が返る。
 
 防犯課は今まで何度も重要指名手配犯や犯罪組織の検挙に成功してきた。あらゆる反政府組織の内情を調べ上げ、選挙の直前、支持率低迷時など、政治的に重要なタイミングで彼らをお縄にかける。情報が得られるなら司法取引も担当する。
 内務省内には昼の軍警、夜の防犯という言葉がある。
 軍警察は日勤が多く、防犯課は夜勤が多いという勤務時間帯の問題もあるが、真に意味するところはもう少しひねこびている。
 軍警察はいわばわかりやすい国家正義の象徴として、パレードや式典に参加するのが務めである。民衆を畏怖・崇敬させ国威を発揚することを主任務としている。その反面、親しみやすさをアピールし、野党の批判を回避するため、権限は意外なほどに抑えられている。
 他国の政治学者は我が国の軍警察関連法規を読んで仰天した。こんなに権限を抑えられては取り締まりなどできっこない‼
 すかさず内務大臣が「わが内務省の民主主義尊重の証であります」と応じる。するとかの政治学者は母国に帰り、「あの国の軍警察はかなり民主主義的な組織だ」と触れ回ってくれる。

 もちろん、この話には裏がある。
 軍警察は歴史的に悪しき国家権力のイメージがつきまとっているため、どのみち強力な権限を与えることはできなかったのだ。そんなことをすれば野党の総批判を食らって支持率は低迷し、時の政権が吹っ飛ぶ。
 議会政治のもと、軍警察は手足を縛られたのだ。彼らはもはや顔役の仕事しかできなくなった。
 そこで、彼らが担当していた仕事を行う別の組織が必要となった。
 それが内務省治安局防犯課である。
「地域の安全は毎日の防犯から」「みんなで守ろう明るいくらし」をスローガンに、さりげなく新設されたこの組織。一見無害で学校の風紀委員みたいなものに見えるが、付与された権限を見れば皆震え上がるであろう。
「この権限は……もはやかつての軍警察ではありませんか」
 新設防犯課の課長に任命された明石晩山は当惑した。
「批判を食らうことが必至では」
「どうせ条文まで調べる物好きはいないよ。いてもメディア操作でかき消せるしね」
 内務大臣は肩をすくめた。
「国民の目が軍警察に向いてる隙に、防犯課に諜報をやらせる……昼の軍警、夜の防犯ってね」
「与党はあまりにも野党に譲歩していた……何か裏があると踏んでいましたが」
「ご明察、それが防犯課さ。安心なさいな、野党の連中が防犯課を表立って非難することはない。もう取引は済んでるんだから」
「と申されますと」
「野党は票が欲しいだけさ。軍警察を叩けば人気が出るからやってるだけで、本当はこの国に諜報機関が不可欠であることは知っている。叩きすぎて治安が悪化したら今度は野党が非難される……だから防犯課については見て見ぬふりをする」
 内務大臣はふうーと深いため息をついた。
「軍警察の反発は?」
「もちろん来るさ。だがまあ、お前が成果を出す限り、私が守ってやるから安心しな」
「……」
「実際……軍警察はちと大きすぎる。そろそろ叩いておかないと内務大臣の地位を奪われかねないからねえ」
「結局そこですか」
「おうよ。私はまだまだ引退する気はないしねえ」
 つまるところ防犯課は内務大臣の個人的野心と政治的必要から創設された鬼子なのである。
 ……こんな組織だからこそ、小夜のようなタイプでもやっていけるのかもしれない。 
 
 
 今回の任務の始まりを思い出す。

 
「これが今回のターゲットだ」
 明石課長は若い男の顔写真を取り出した。
「コードネームはベル。状況的に見て複数の犯罪組織とつながりがあるのは間違いない。だが物証がない」
 明石は皆の顔を見る。
「そこで防犯課にお鉢が回ってきたってわけだ。目的は奴の違法行為の物証の確保、関連組織の資金源の調査。司法取引に応じさせてもいいぞ」
 お前得意だろ、と木枯の方を見る。
「いつも通り現地調査は富永、木枯、今名。深月は通信傍受」
「……ラジャー」
「さっそく仕事にかかれ。成功したらボーナスをはずむと局長が仰っていたぞ」
「ラジャー‼」
 
 現地調査組の三人は公用車に乗って治安局を出立した。
 運転は木枯、助手席に今名、後部座席に富永。この席順は誰が決めたものでもないがなんとなく決まっている。木枯は運転が得意な方だし、頭脳派の富永は資料の読み込みに忙しいため後部座席。パソコンと、ファイルの山に囲まれている。小夜が助手席なのは、運転を任せるのは少々(正確にはかなり)不安なのと、得意の探知能力を活かすためには前の席に座らせた方がよいからだ。
「そろそろ目撃情報があった場所だ。ひとまず車で地域を一周する……」
「木枯君、カモ忘れてる」
「あー。はいはい」
 カモは嫌いなんだよなあ……
 キーンと嫌な音がして、おばちゃんの声がマイクから放送される。
「えー、地域の皆様。国民の皆様。地域の安全は毎日の防犯から。みんなで守ろう明るいくらし。治安局防犯課。治安局防犯課は日々皆様の安全を守っております……」
 カモフラージュ放送。これだけは嫌なんだよなあ。
 ちなみに防犯課の公用車は選挙カーじみたバンである。普通内務省の職員なら黒塗りのセダンで移動するところなのだが、無用な警戒を与えないようこの車なのである。
 普段仕事に意見を述べない木枯もこればかりは課長に抗議したことがある。
「いくらなんでもダサすぎませんか」
「仕方ないだろ。黒塗りの車じゃ警戒される」
「せめてあのマイクは外しませんか」
「絶対に外せないね。放送に使うんだから」
「……」

 富永はどう思う。この放送。
「……」
 頂けないよなー。
「ぶっちゃけ恥ずかしいわ」
 ですよねー。

「どうだ小夜。何か見つかったか」 
 決まりの悪さをそらすため小夜に声をかける。これも務めと思えば何のその、哀れな末端職員は抵抗する術を持たない。
「勘でいいぞ。どっちに進めばいいと思う」
「わかりませんよう……勘じゃ無理ですって」
「奴の写真を見ろ」
「無理ですってえ……」
「いいから見ろ!」
「ひいっ‼ 見ます見ます見ますからあ……」
 凄腕の諜報員のくせに普段は気弱で引っ込み思案なのである。後部座席の富永が小夜にファイルを渡す。
「赤の付箋があるところ。全部1年以内の写真よ」
「うう……」
 小夜はファイルを開きベルの写真を見た。
「どうだ、何か思うところはないか」
「ありませんよ……特には」
「もっとよく見ろ。瞳とか口元とか指先とか」
「そんなのでわかるわけ……」
「何かしら感じるものはないか」
「もしかしてセクハラですかああ……課長に言いつけ」
 そこで小夜の動きがぴたりと止まった。
 小さな肩がプルプルと震える。とくんとくんと高鳴る鼓動。視線が一点にくぎ付けになり、息遣いも荒くなる。
「何か感じないか……直感とか雰囲気とか、その、う、運命、とか……」
 木枯が運命といったところで後部座席の常夜が吹き出した。こいついつか殺す‼ 俺はまじめに仕事してんだぞ‼
「運命……?」
「そ、そう。う、運命……」
「木枯さんも、運命があると思いますか……?」
 んなこと俺に聞かないでよ。恥ずかしいから。
「あるわよ小夜ちゃん‼ 運命の相手っていると思うわ‼」
 背後から常夜が小夜の肩を叩く。
「富永さんもそう思いますか……小夜は、運命の男の人を見つけたかもしれません……」
 あっ、そう。そりゃよかったね。俺はもうお腹いっぱいだよ。
「本当の恋ってあると思うわ。木枯君は運命の相手に振られたことがあるから黙ってるだけよ」
「やっぱり……木枯さんなんかに本当の恋はできませんよねえ……」
 お前ら聞こえてるからな。てめえらの方がよっぽどセクハラだからな。あと小夜ちゃん、普段は健気でかわいらしいのに何で恋愛が絡むとそんなに口が悪いの。お兄さん泣いちゃうよ?
「小夜は……この人のことが知りたいです。この人のすべてが知りたいの……」
 ……これだ。これぞ内務省治安局防犯課が誇る……(?)
「この人は、小夜の運命の人です‼ この恋、死んでもものにしてみせます‼」
 ヤンデレ諜報員今名小夜‼



 今名小夜がベルのアジトに乗り込んできて10日がたった。いまだに内務省が来る気配はない。ということはハニートラップではない。つまり、この女は本当に俺に……こ、恋をしているのだ。
「テレビが見たい。頼むから、テレビを見せてくれ」
「はいどうぞ竜一さん」
「見てもいいのか」
「ええどうぞ」
 どことなく狂気を感じさせる笑みを顔に張り付けて小夜はリモコンを渡した。いくらなんでも間が持たない。質問(正確には尋問)と愛情の確認(強制自白に近い)と信仰告白(もはや愛の告白を通り越している)の無限ループである。息が詰まる。
 テレビをつけている間だけは息ができるかもと思いスイッチをつける。一瞬、画面が映り……そして消えた。
「なんで!」
「ほかの女性が映る番組はだめです」
 やっぱりね。分かってたけどね。
「どうしてもテレビをご覧になりたいのですか? 小夜ではなく? なんでなんでなんで」
 今や確信できる。
 ハニートラップの方がよかった。こんなのに惚れられるくらいならハニートラップの方がマシだった‼
「内務省は何してるんだあああ! はよ逆探知でも違法捜査でもせんかい‼ 早く逮捕してくれよおおお‼」
「小夜は竜一さんを裏切りません。竜一さんとの約束……小夜は決して破りません」
「命令だあああ! 内務省の連中にアジトの場所を伝えろおおおお!」
「え……でもそれじゃ竜一さんが」
「俺は自由に生きたいだけじゃあああ! 仕事がうまくいかなくてやけになって組織に入ったんだよお! 悪かったよお、何でもするからよお!」
「何でも……では」
 小夜の顔がぱあっと輝く。
「私と結婚」
「それ以外でだ‼」
「私と挙式?」
「同じじゃねえか!」
「私と同棲」
「今と変わらん!」
「私と司法取引はどうかしら?」
 別の女の声が割り込んできた。
「富永常夜。内務省治安局防犯課分析官。よろしくね竜一君」
 小夜とは違い背の高い女性である。小夜はショートヘアーだがこちらはセミロング。全体的に冷ややかな印象でいかにもやり手のキャリアウーマンといった感じがする。
「小夜じゃなくて……常夜と……司法取引してほしいな……」
 指をつんつんさせながら言われても。意外と茶目っ気があるようだ。
 まあそんなことはどうでもよい。
「するするするする! 司法取引する! 何でも証言するよさせてくださいお願いします‼」
「あらいい子……でも証言しても刑務所には入ってもらうわよ?」
「なんだよそれ‼ 証言したら減刑じゃねえのかよ!」
「もちろん減刑よ。ここでその子と暮らすのと刑務所で看守と暮らすの、どっちが自由だと思ってるの?」
 ベルは凍り付いた。
「刑務所……です……」
「はい、契約成立ね」
 ここにサインして、と言われるがままにペンを走らせる。
「小夜ちゃん、お疲れ様。そろそろ……行きましょ……う……」
 今度は常夜が凍り付く番だった。
 小夜の背後に悪霊が蠢いていたためである。
「何ですか……常夜さん……」
「ちょっと小夜ちゃん……?」
 先ほどまでの余裕ある態度はどこへやら、富永常夜は表情を引きつらせていた。身体が小刻みに震えている。
「何なんですか……私の恋を応援してくれたのに……小夜は……竜一さんは……私との生活が……刑務所……?」
「ひいいっ」
 思わずベルは常夜の背後に隠れていた。前に押し出された常夜がおもわず容疑者に耳打ちをする。
「ちょっとあんた、何とかしなさいよ‼」
「無理だよてめえの同僚じゃねえか‼」
「男なら責任を取りなさい……っ」
「刑務所つって地雷踏んだのはあんただろ!」
「同意したのはあんたでしょうが‼」
 二人の論争はそこで打ち止めとなった。小夜の手が二人の肩に置かれたからである。富永とベルはギギギと錆びついたドアのような音を立てて彼女の方を振り向く。
 史上最凶の諜報員がたぎる憎悪の瞳で二人を睨みつけていた。常夜は以前送還中のテロリストを見たことがあるが、彼の顔が菩薩の慈悲ある微笑みに思えてくる。
「わかりましたあ……小夜は気づいちゃいました……お二人はお付き合いをしていたんですね……そうなんでしょう……そうして小夜を笑いものにして……」
「ちちち違うのよ小夜ちゃん」
 ベルはもはや声が出ない。こくこくと首を縦に振って常夜に同意する。
「竜一さんは……常夜さんと……他の女の人を見ちゃダメって言ったのに……そっか……彼女さんがいたのかあ……そっかあ……そうですよねえ」
「お願いだから私の話を聞いて‼」
「常夜さんは……竜一さんの何なんですか……どこで知り合ったのなんで名前を知ってるのなんでお喋りをしてたのなんでなんでなんで」
「しししし仕事よ逮捕のためよそれ以外の何もないわ神と仏と天使と悪魔に誓いますうううう‼」
「仕事のお付き合いが……いつしか男女のお付き合いに……そっかそっかそっかあ……」
「ごごご誤解でありますどうか申し開きの機会を‼」
「おおお俺からもお願いいたします‼」
 なんで犯罪者が捜査官を擁護しているのだろう。
 小夜は親の仇を見るような目で二人を睨みつけた後、床に落ちていた一枚の紙きれを拾った。
「さささ小夜ちゃんそれは……」
「さっき何か……サインしてましたよねえ……契約成立……? 何の契約……? もしかして」
 この誤解はまずい。
「こ・ん・い・ん・と・ど・け……って書いてますよねえ……?」
「」
 ついに常夜もフリーズした。弁明を諦めたのである。
 婚姻届なんて誰も書いてねえよ。司法取引のサインだよ。落ち着いて字くらい読めよ、内務省の筆記試験通ったんだろ⁉
 だがそんな弁明が意味をなさないことはもう嫌というほど知っている。天を仰ぎ己の非運を受け入れることにした。
「竜一君……胸糞悪いけど同じ命日になりそうね……」
「そっすね……短い間でしたけど楽しかったっす……」
「君は全然タイプじゃないんだけどね……」
「楽に死ねるといいっすね……」
 一度思い込んだ今名小夜の容疑を晴らすことは不可能である。疑わしきは罰せよ、まさに防犯課の鑑。明石課長も鼻が高かろう。課員が一人死ぬけど。家族に遺族年金降りるかな。ていうかこれって労災にあたるの?
「また二人だけでお話をして……小夜を差し置いて……付き合ってたんでしょう……? 泥棒猫、動かぬ証拠……吐け……吐けえええ……!」
 証拠なんてないわよ付き合ってないんですから。ああそうか、この子の基準だと話したり顔を合わせた時点で付き合ってることになるのね。なんて拡大解釈、内務大臣もびっくりだわ!
「小夜は、小夜は……今でも竜一さんのことが好き……竜一さんは絶対、竜一さんの判断は定義上正しい……だから浮気は……小夜が未熟な証拠……小夜の愛が足りなかったから……」
 浮気なんてしてねえよそもそも付き合ってないんだから定義上不可能じゃん……と思ったが口にするのは憚られた。ベルとて苦しんで死ぬのは嫌だからである。
 ともあれ最期に言い残したいことがある。覚悟が定まったのか声が出るようになった。どうせならラスボス風にカッコつけて死にたいしね。

「内務省治安局防犯課諜報員今名小夜……まずはその辣腕を称えよう。俺の本名はおろか、家族構成や資金源まですべて明らかにしたその腕は見事だ。正直ちびったぜ(比喩ではない、念のため)。
 諜報員としての素質に疑いをはさむ余地はない。君は世界をとれるだろう。防犯課に向いてると思うよ、悪い意味で。
 以下は職務に関してではなく個人的に君の将来を思って助言するのだが……」
 
 一、お付き合いしたい相手がいたら、まず相手にその意思があるかどうか確認しましょう
 一、どんなに好きな人でも過ちを犯すことはあります。妄信せず、批判すべき時は批判しましょう。相手は犯罪者かもしれません
 一、君が恋人に捨てられるとしたら、それは愛の不足ではなく過剰が原因だから間違えないように。
 一、浮気を疑いだしたらキリがないからやめましょう。どんなに浮気相手が憎くても早まって相手の女性を傷つけてはいけません。100%君の誤解だから。
 一、通常の社会生活を送る男性に対して一切の女性との会話や顔合わせを禁じることは不可能です
 一、もう少し人の話をよく聞き落ち着いて行動しましょう。何をどうしたら司法取引と婚姻届を間違えるのですか
 一、恋人の友人の名前もちゃんと覚えましょう。間違えるのは仕方ありませんが、毎回名前が変わっているのはいただけません
 一、男性は意外と繊細な生き物です。好き好き好き好きの波状攻撃はやめましょう。
 一、男性はかなり繊細な生き物です。波状攻撃は本当にやめましょう
 一、上司や同僚を信頼しましょう。恋に落ちたら身近な人物に相談し、助言を求めましょう。その助言には必ず従うこと。
 一、君は興味のない相手や敵とみなした相手に対して少々高圧的なところがあります。パワハラで訴えられないよう注意しましょう
 一、君子の交わりは水のごとし。何でも知りたがるのはやめましょう。相手のプライバシーを尊重しましょう。
 一、愛も信仰も素晴らしいものです。ですが両者を混同してはいけません。信仰は神のもの、人間に捧げてはいけません。人間には愛のみを捧げるようにしましょう
 一、君の場合は愛も捧げてはいけません。
 一、恋人をその辺の生ゴミのように、それ以外の人々を恋人のように扱うことを心がければ多少はマシになるかと思われます。
 一、これらのルールが守れないうちは恋愛をしないようにしましょう
 一、それでも恋に落ちてしまったときは遠距離恋愛で我慢しましょう。ただしここでいう遠距離とは複数の国境をまたいだ距離のことです。1mは遠距離ではありませんので注意しましょう
 一、上記の文章を落ち着いて百回音読し、暗唱しましょう。ただし内容を改変・捏造しないよう、同僚の監視の下で行うこと。
 

 短い間でしたが、君と出会って天にも昇る気持ちを味わえました。君は神様が遣わした天使ですか。悪いことをしたら罰が当たるということをよく理解できました。いまや恩寵を授かり、あたかも刑務所が宮殿のように感じられます。自由とはかくも素晴らしいものであったかと毎日感謝をしています。司法取引をして本当に良かったです。悪い奴らは君の愛を知らないからそんなことができるのでしょうね。君に愛されればどんな悪人も心を改め、歓喜の涙を流しながら自首をすることでしょう。女性の愛情が悪人を悔い改めさせるなどというのは映画の中の話だと思っていましたが本当にあるようです。きっと君は神様が悪を滅ぼすために地上に遣わした天使なのでしょうね。天使なのですから、地上の人間に恋をしないようにしましょうね
 ――刑務所より悪意を込めて 浦見竜一

 



「びえええええええええええええええええええええん‼」
「あーはいはい。泣かないの泣かないの」
 内務省の休憩室にて富永常夜は小夜の肩を撫でていた。
「小夜は……小夜は、もう二度と恋愛なんてしません‼」
 そうしてくれると本当にありがたいのだが。
「小夜は……悪い男の人に騙されていたんです。弄ばれていたんです‼ 常夜さんを傷つけるつもりなんてなかったんです‼」
 ベルが悪い男というのには同意するけれど、騙されていたというのには語弊があるのではないかしら。いくら防犯課でもこの件に関してベルに詐欺罪を適用するのは躊躇われる。そもそも騙すとは何ぞや。
「常夜さん許してええええ何でもしますからああああああ‼」
 まずは始末書を書いてからね。あと、何でもするとか安易に言わない方がいいわよ?
「男の人なんてケダモノです‼ サル以下です‼ 小夜はもう、仕事だけに生きます……」
 その言葉、忘れないでね。本当にお願いだから、その言葉を忘れないでね。

 時を同じくして治安局長の執務室。
「明石君、何だねこの膨大な書類の山は⁉」
 執務室の床が見えない。ついでに天井も見えない。堆く積まれた紙の摩天楼が首都の高層ビル群のようにそびえたっている。前衛的なアーティストの作品か、はたまた公務執行妨害か。
「防犯課諜報員今名小夜の提出した報告書です。先日司法取引に応じた浦見竜一と酒場寅彦の身辺調査の結果です」
「もう少し要約の技術を指導しようね? おじさんこんなの読めないよ」
「浦見に関することはすべて細大漏らさず記載してあります。調査期間中に奴が会話した……失礼、訂正します……奴の視界に入ったあらゆる人物の情報まで完璧に調べ上げられております。局長ご所望の資金源も……」
「なにっ、本当か」
「えーとどこにやったかな……ああ、これです。すべて一円単位で調査済みですよ。使用された紙幣の番号に至るまで詳細に……」
「わかったわかった」
 治安局長は手を振って明石防犯課長の言葉を遮った。
「明石君、君の人を見る目は確かだ。私の負けを認めよう……今名小夜は稀代の諜報員になる素質がある」
 素質があるというよりもうなっている可能性が高いが。しかしさすがにあの性格では責任ある役職は任せられない。
「ご理解いただけて何よりです」
 明石は胸をなでおろした。これで俺の首もつながった。
 もともと今名小夜の登用を強行に主張したのは明石であった。治安局長の慎重論を、皆の前で痛烈に批判した。彼女を部下にくれなければ自分は防犯課長を引き受けないとまで言った。 
「明石君、あいかわらず軍警察時代の腕は鈍っていないようだな」
「……何のことです?」
 明石は首をかしげて見せる。そんな防犯課長の姿を見て治安局長は苦笑する。


 二年前、民主化の波にさらされ軍警察は人員の縮小を余儀なくされた。野党もマスメディアも軍警察の旧時代性を声高に非難し、このような非民主主義的な組織は不要と断じた。
 内務省は批判をかわし切れず、軍警察の権限の縮小と人員の削減を約束した。
 情報将校だった明石が肩を叩かれたのはそんな時である。
「……なぜ私が……」
 成果は残していたはずだ。治安維持のために危険をいとわず仕事をしてきたのに。
「優秀だからだよ……明石君」
 内務大臣は苦渋の表情で言った。
「野党は軍警察をスケープゴートにするつもりだ。今回ばかりはさすがにかわし切れん。歴代内閣が法整備を怠ったことが裏目に出たな……」
 明石は人員整理のリストを見せられた。そこには軍警察を支えてきた優秀な同僚たちの名前がずらりと並んでいた。
「安心したまえ、クビになるわけじゃない。近いうちに防犯課が新設される。選挙が終われば野党の攻撃も終わる。それまでは史料編纂室で身を潜め、その後防犯課に移りなさい」
「防犯……いやしかし自分は」
 バリバリの情報将校だぞ?
「なんだ、防犯などつまらん仕事だと思っているのか」
「いえ、そういうわけでは」
「ははは別に隠さんでもよい。だがまあ楽しみにしておきたまえ。もしかすると軍警察より楽しいかもしれんぞ?」
「……」
 その時はわからなかったが、局長の言葉に嘘はなかった。
 防犯課の権限は強力だった。野党が防犯課を攻撃しないことがまさに、彼らの軍警察叩きが票集めの手段であることを物語っている。カモフラージュのための地域活動は面倒だが、それをさしおいて余りある権限。犯罪組織の内部調査だけが生きがいの明石にはやりがいのある職場であった。災い転じて福をなす、というやつか。
「部下はファイルから好きなのを選んでいいぞ。初期人員は五名前後の予定だ」
 少数精鋭で行くということか。
 明石は頬がにやけるのを抑えることができなかった。
 これだけの権限、しかも部下は好きに選べる‼ そんなら地域活動でも清掃運動でもやってやらあ‼
「俺の理想の諜報部隊……‼」
「防犯課は気に入ったかね」
「感無量であります……‼」
 こんなチャンスはめったにあるものではない。軍警察時代にやり方が過激だとして批判にさらされてきた明石にとって、この防犯課こそは己のキャリアをかけるに値するものであった。
 さっそくファイルを開き、一晩中読み通す。己の経験と勘だけを頼りに、顔写真と経歴を穴が開くほどに読み込んでいく。
 諜報に関して明石の目をごまかせる奴はいない。才能の片鱗はどんな小さな仕事にも現れる。そいつの書いた報告書や論文を一目見れば、素質の有無は一発でわかる。自分で見出した才能を発掘して一から育て上げるほど楽しい仕事はない。自分自身の理想の諜報部隊を自分自身の手で育て上げる、こんなに腕のなる仕事があろうか!

「最高の、最高峰の人員だけを揃えねばならん……」
 机の前で頭を抱える。
 少数精鋭の最強情報部隊。それを自分の手で一から育て、自分の指揮下で働かせる。明石情報将校改め防犯課長は寝ても覚めてもそればかりを考えるようになった。
 技官は決まった。深月悟。通信傍受に関して恐るべき能力を持っていることは確信した。なのに、内務省の技術研究課でつまらん仕事をやらせている……
「……以上が新設される治安局防犯課の説明だ。質問があれば聞こう」
「……疑問だ。なぜ防犯課にそんな権限が付与される?」
 明石は防犯課の設立経緯を説明した。
「納得だ。つまるところ権限を縮小された軍警察の代役か」
「代役じゃない、軍警察を超えてみせる。俺が内務省一の、いやこの国で一番の諜報組織に育てて見せる。だがもし君が入ってくれるなら」
「私が入れば?」
「……世界一。世界一の諜報組織が出来上がる。どうだ、君の研究を私の下で活かしてみないか?」
「……最高だ! あなたについていこう……明石課長」
 ようし‼ こいつは絶対に欲しかったんだ! 


 続いて分析官、富永常夜。彼女の書いた報告書は読んでいるとうんうんと大きく頷きたくなる。独自の切り口を持ちながら論点は明快で、犯罪組織の行動パターンを正確に分析している。こちらが知りたい情報を完璧に整理された図表で説明してくれる。俺の参謀に欲しい!
「……防犯課?」
「そうだ。きっと楽しい仕事ができるぞ。権限は今説明したとおりだ」
「うーん……」
「何か不満かね。一時的に給料が下がるが、君の能力があればすぐに……」
「妙ね。防犯課にそんな権限が……」
「そのことか。私からきちんと説明しよう、実は……」
「軍警察の後継でしょう?」
「……」
「野党は軍警察を叩いて票稼ぎをしている。内務大臣は権限縮小と人員整理を約束してしまった。それで防犯課に権限を移したのね」
「……ご明察」
「この程度は誰でもわかるわ」
「それがなあ、それくらいの情勢分析もできん奴が内務省にはウジャウジャしているのだよ」
 して返答は? と彼女の意思を問う。俺の参謀になれ、富永常夜!
「お断りね」
 え……どうして……
 正直ショックだった。これだけすごい権限があるのなら……
「それだけの権限があれば軍警察は必ず防犯課の仕事を妨害する。私は軍警察に目を付けられたくないもの」
 なかなか抜け目ないな。そして、だからこそ欲しい!
「ここだけの話、今の内務大臣は軍警察を警戒している。むしろ防犯課にいた方が大臣の保護を受けられる」
「私は権力闘争に興味がないの。巻き込まれるのは御免だわ……それに今の内務大臣が将来失脚しないという保証もないしね」
 内務大臣すら内心では見限っているか。ならばいよいよ欲しい!
 富永常夜は腕を組んでつまらなそうな表情をしている。
 野心のあるタイプではない、どちらかというと保身が好きなタイプだ。自分の利益にしか興味がない、ならば……
「君自身の未来のためにも防犯課をおすすめするがね」
「どうして?」
「君の分析通り、今後の内務省は軍警察派対内務大臣・防犯課派で揺れるだろう。軍警察の権限が縮小され防犯課が設立されてしまった以上、これはもはや既定路線だ」
 富永常夜は黙って明石の話を聞いていた。
 ゆえに、と明石は説く。
「どのみち軍警察と防犯課の争いで内務省は二分される。君は『巻き込まれるのは御免だ』などと言うが、内務省にいて巻き込まれない道があるとでも思っているのかね?」
「……」
「不可能さ、そんな道はない。ならば落ち目の軍警察ではなく、強力な権限を持つ防犯課とのパイプを作っても損はないと思うのだがね……」
「……防犯課への異動を希望するわ」
「いいね、君は実に聡明な女性だね」
 握手を交わした後、富永はふと微笑んだ。
「失礼いたしました……実は明石課長のことを試していました」
「試す?」
「課長が内務大臣にいいように操られている間抜けに見えたのです」
「なかなか率直な意見具申だね。正直でよろしい」
「ですがおっしゃる通り……そもそも軍警察と防犯課の衝突は避けられません。内務省にいてそれを逃れる道もありません。権限と内務大臣の肩入れ具合を見る限り絶対に防犯課につくべきだと思っていたのですが、課長が政治の分からないタイプに見えたので」
「ククク……私がバカに見えたわけだ」
「失礼ながら。私の分析は間違えていましたか?」
「私がバカなのは事実さ。諜報活動にしか興味がない仕事バカだ。実は派閥なんて軍警察でも内務大臣でもどっちでもいいんだよね、諜報さえやらせてくれるなら」
「……私の分析は正しかったようね」
「だが安心しなさい、私は今の職場が気に入っている。とてもとても気に入っている……だから政治にだって気を配るさ。その時は君の諫言に耳を傾けるとしようか」
「ちゃんと私の言うことを聞いてくださいね?」
「政治に関してはな。だが仕事に関しては私の命令に従ってもらう」
「もちろんです」
 かくして内務省の曲者二名は手を結んだのである。
 

 さて。
 技官は深月悟。分析官は富永常夜。残るは捜査官と諜報員だが……
「ううー」
 明石は唸っていた。
 めぼしい奴がいない。技官と分析官は最高の人材を揃えた。だが捜査官に気になるやつがいない。これはという奴がいない。
 そして諜報員にも。自分の右腕として活躍してくれそうな奴がいなかった。
「明石君、いい加減に人事を決めてくれないと……」
 局長直々のお叱り。
「申し訳ありません。ですが最高の人材を揃えたいのです。今しばらくのご猶予を……」
「こないだ私が推薦した奴はどうなんだ」
「優秀なのは間違いありませんがそれだけです」
「優秀さ以外の何が欲しいんだ」
 治安局長の質問に明石は一瞬沈黙した。が、やがて

 ――狂気
 と言い放った。

「狂気……」
「技官と分析官には冷静さが要求されます。ですが捜査官と諜報員にはある種の狂気が必要です」
「なぜ」
「執念深さが重要ですから」
「……」
 局長は当惑した様子だったが、明石の目を見つめ、そして視線を外すと
「好きにしろ」
 と言った。
「納得するまで人材を探すといい。ただし通常の業務もしてもらう。地域活動の一環として非行少年の補導をしてもらおうか」
「はっ」
 カモフラージュにも手を抜く気はない明石である。なんせ自分の理想の職場なのだから。
「実はただの非行少年じゃない。司法取引に応じた政治犯の隠し子だ。別に悪質な犯罪をしてるわけじゃない、若者に特有の反抗期さ。だが政治犯の子には追跡調査が義務付けられているんでな」
「はっ」
「まあどのみちカモフラージュだから手軽にやんなさいな。本当は君に任せるような仕事じゃないんだが」
「いかなる仕事であれ手を抜くつもりはありません」
「それでこそ明石君だ。だが一つだけ……」
 治安局長は少し怖い顔をした。
「政情が不安定な時期だ。面倒事を起こすことだけは許さん」
「肝に銘じておきます」



 指定された現場に行き、非行少年の母校の教員と顔合わせ。防犯課の地域貢献をアピールする。どちらかというとこちらの方が主任務である。
「まあすみません……内務省の方にわざわざ」
「いえいえ、これも務めですから……」
 で、追跡。
「はいはいはーい。見つけましたあー」
 繁華街に出たら容易に発見できた。明石にとっては面白くもなんともない仕事である。あとは明日の夕方まで追跡して、問題がなければ「問題なし」で任務完了。軽犯罪でも犯してたらどうしようか。見て見ぬふりはさすがにまずいか。でも面倒事は起こすなと釘を刺されてるしなあ……
 あくびを噛み殺しながら非行少年の後を追う。そろそろお家に帰ってくれないかなあ。いい加減飽きてきたよ。こちとら君が自宅に帰るまではホテルに行けない決まりなの。
 その瞬間、妙な違和感を感じた。

 ――誰だ

 と思わず小声で口走る。
 明石の勘が告げていた。誰かに尾けられている……? この俺が……?

 あたりを見回すが誰もいない。気のせいだよな、と思い少年の尾行を継続する。そうだよ気のせいに決まってる、防犯課の人事に忙しく寝不足なせいだ……
 大体、例の非行少年の身辺調査は済ませてある。父親はいまでは反省し、犯罪からは足を洗っている。その後何らかの組織と接触した形跡はない。だから、奴を尾行する勢力がいるはずはない。いやそれ以前に、この俺に気づかれずに尾行できる奴など

 ……いる

 疑念は確信に変わった。明石は全身に鳥肌が立つのが分かった。その場に立ち止まり雑踏の音に耳をそばだてる。

 ――トントンツー、トントントン、ツー……

 森臼(もりうす)符号……!
 内務省関連の諜報員同士でしばしば使われる秘密の暗号。数学者の森臼博士が考案したためその名がついている。それを足音で送ってきやがった。
「同僚か? いや……」
 同僚同士がたまたま出くわした時に、互いの力量を試す意味もあって、敬礼代わりに森臼符号を送ることはある(本当は任務以外での使用は禁じられているのだが)。大概はオツカレサンデスとかノミニイコウゼとか他愛もない信号である。尚、明石がかつて同僚に送った挨拶信号の傑作は、チャックアイテルゾである。あれは笑ったね。サケクサイゾと送ったらニンムナリガマンサレタシと帰ってきたこともあった。あれは本当に任務だったのかね?
 でもこれは。
「友好的な挨拶じゃないみたいだねえ……」
 脳内にて符号を変換。飲みのお誘いでも身だしなみの注意喚起でもないようだ。
 トン、トン。ツーーートン、トンツー…… 
「タ……ダ……」

 ――タダチニソノバヲサレ

「……」
 緊張で身体が震える。冷や汗を流しながらも明石はこの状況をどこか楽しんでいた。そうだよこれこれ‼ こういうのが楽しみで俺はこの仕事を選んだんだ! 給料安いけど! (基本給は安いが危険手当を含めるとそこまで悪くはない)
 こんなに腕の立つ相手は滅多にいない。遊びたいところだが局長から面倒を起こすなと厳命されている。時間があれば互いに尾行の腕比べとしゃれこみたいところ……なんだが……ね……

「あれ……俺の負けじゃね?」
 向こうからこちらに信号を送ったということは、向こうはこちらに気づいていたということだ。明石が欠伸をしながら非行少年を尾行していた間に。明石は、奴に背後を取られたのだ。
 悔しさと恐怖のあまり歯を食いしばる。もしかして今日が俺の命日か? そんな馬鹿な……
 明石の靴は本能的に地面を叩いていた。傍から見ると突然街中でステップダンスの練習を始めたようで不気味である。だが信号を送らずにはいられない。自分の背後を取った未知の相手に……

 ――ワレニテキイナシ。クリカエスワレニテキイナシ。
 ――キカンノメイレイニシタガフ。アンゼンナテッタイヲホショウセヨ
 ――ワレハニンムヲホウキセリ。アンゼンヲヤクソクセヨ……

 返事は来ない。これまでか、と観念したその時。

 ――キカンノイシヲカクニンセリ。タダチニテッタイセヨ

 命は助かったようだ。
 明石はその場に立ち尽くした。はっきり言ってこの相手とこれ以上関係したくはない。慌てて逃げ出そうとするも、情報将校の意地が勝った。せめてこいつの名前と目的を知りたい……‼

 ――キカンノシメイトモクテキヲコタエヨ。

 答えてくれ……!

 ――シメイハナノラズ。モクテキハカレノアイナリ

 カレノアイ? 新しい兵器か何かか?

 
「任務は失敗致しました。未知の諜報員と接触したためです」
「もういい、この件について咎める気はない。むしろよく面倒事を起こさなかった……」
「面目次第もありません……」
 その晩の治安局長への定時報告は気が重かった。
 こんな簡単な任務すら満足にこなせないとは!
「それで……奴の所属は」
「わかりません」
「敵国かはたまた軍警察か……」
「防犯課を潰しに来たのかもしれません」
「ありうるな」
 しかし敵国はともかく軍警察の腕利きはみな人員整理で閑職に追いやられた。軍警察に残っているのは日和見主義の無能ばかりだ……と思っていたがあれほどの諜報員を隠し持っていたとすると。
 いやしかしそんなことが可能か⁉ 軍警察出身の俺が知らない諜報員……

 局長からはホテルにて待機を命じられていた。明石もそれに従う気でいた。救援は明日の朝にやってくる。それまで最大限の警戒を維持したままその場で待機せよ。フロントからの連絡にも応じてはならない……当たり前だ、身の安全を考えれば。だがどうしても。どうしても気になる。防犯課が潰されるかもしれないことなどもはやどうでもよくなっていた。防犯課よりも奴だ。
「俺の防犯課が世界を獲るなら」
 と明石は考えた。
「どのみち奴に勝たねばならない……‼」
 気づけばホテルを抜け出し、非行少年の自宅に向かって駆け出していた。
 大丈夫だ。あの時は気を抜いていたから不覚を取っただけだ。初めから最大限の注意で当たっていれば……!
 だが奴は任務の放棄を命じた。明石はそれを受け入れた。にもかかわらず少年の自宅に赴くのは明らかに約束を破っている。何をされても文句は言えない……
「かまわん、なるようになるさ……」
 どうせ諜報しかできない人間だ。ここで負けるなら潔く負ければいい。

 明石は耳を澄ませた。今まで培ってきたあらゆる技術を使って少年の自宅を見張っている人物を探す。だが、見つけられない。考えうる限りの監視ポイントを総当たりしたのに……
「どこだ……」
 もう向こうは俺に気づいているのか。気づいているんだろうな。そうして高みの見物ってわけか。クソっ‼
「どこにもいない……?」
 奴が少年に用があったのは間違いない。明石に任務の放棄を命じたのだから。ならば少年宅の近くにいるはずなのに。
「まさか……」
 もう既に任務は終わっている? だとしたらその任務の内容は? 単なる個人情報の収集であればよいが、まさか……
 明石は覚悟を決めて少年宅の庭に侵入した。少年の保護を名目とすれば局長も納得してくれるはず。そうさ、きっと……
 おそるおそる窓に近づきリビングを覗き込む。すると……
「どうして小夜のお料理を召し上がって下さらないんですかあ?」
「ひいいいっ! 頂きます頂きます」
「うふふ。うれしい……小夜のお料理おいしいですかあ?」
「ははははい! おいしいですおいしいです」
「お義母さまのお料理とどっちがおいしいですかあ?」
「……」
「答えてくださいよ、ねえ……」

 明石は窓からリビングを覗き込み立ち尽くした。傍から見ると変質者である。
「何あれ……」
 非行少年の隣に腰を下ろし、手料理を食べさせている少女がいた。小柄で黒のショートヘアー。怪しい光を湛えた瞳。全体的にあどけない印象を与えるが、どことなく近づいてはいけない香りがする。すなわち、たちのぼる狂気。
 あんなのこいつの家族にいたっけ? 恋人がいるって情報も掴んではいないが。
 少女は少年の肩に身を寄せ、腕をとんとんと指で叩き始めた。
「小夜は……あなたの二の腕が好きです……」
「へ……へへ……どうも……」
「ほかの人に見せたくありません……独り占めしたいの……」
 トントンツー……
 あ、指で叩いてるの森臼信号だ。俺が来たことに気づいてたんだな。

 ――ナニミテルサッサトキエロ
 ――コノヒトハワタサナイ
 ――ストーカーデスカ。ケイサツヲヨビマスヨ

 乙女の恋路を邪魔してごめんねー……ってあれが例の諜報員か‼ この俺を出し抜いた諜報員か‼
 明石はふうううと深いため息をつき……彼女に信号を送った。

 ――ストーカーハナンジナリ。タイホサレルノハナンジナリ
 
 ――イミガワカラナイ。セツメイヲヨウキュウス

 ――セツメイハショニテオコナフ。ドウコウヲヨウキュウス


「びええええええええええええええええええええん‼」
 今名小夜は明石の手配したホテルの一室で泣き崩れていた。

「おいこいつか……明石君を出し抜いたのは」
「恥ずかしながらそうです……局長」
 未知の諜報員……今名小夜と遭遇後、明石は警察を呼んだ。すぐに治安局長も駆け付け、慎重な取り調べが行われた。取調べを担当したのは富永常夜分析官。女性のことは女性に任せようとの配慮からである。
「小夜が何をしたっていうんですかあああ! 内務省は人の恋路を邪魔するんですかああああああ!」
「小夜ちゃん……私たちはあなたの敵じゃないのよ」
 引きつった笑みを浮かべながら常夜は粘り強く説得を続ける。
「内務省のアホ! 民衆の敵! 全体主義者! 税金泥棒! ヘンタイ! ストーカー! 変質者! キモイキモイキモイキモイ」
 前半はマスコミからよく受ける批判だが、後半は完全に自己紹介じゃないかなあ。
「内務省に彼氏奪われたあああ! 運命の人だったのにいいいい! 恋愛の自由がある国に亡命してやるううう‼」
「落ち着いて小夜ちゃん。この国の憲法でも婚姻の自由は認められています。両名の合意があれば誰でも結婚は可能よ」
「嘘だああああ、じゃあなんで小夜はあの人と結婚できないの⁉ 憲法のせいじゃないですかああああ」
 あなたが結婚できないのは相手との合意が形成されていないからです。憲法のせいではありません。どんなキワモノ議員もそんな理由で憲法を批判したことはありません。
「お願い、あの人に会わせて……」
「ダメです」
「家族なんだから面会の権利があるでしょおおおお違法捜査! 人権侵害! 中世並みの魔女裁判!」
「小夜ちゃん、婚姻届を提出しなければ法律上の家族にはなれないのよ……」
「事実上家族じゃないですかああああ事実婚ですううう形式主義官僚主義前例踏襲主義!」
 内務省批判の言葉選びが妙にインテリっぽいのがむかつくな。
「事実婚の認定には最低3か月にわたる継続的な同棲の証拠が……」
「3か月! 小夜は半年前からあの人と一緒でしたあああ」
「嘘をつけ。お前が家に上がり込んだのは一週間前だと奴は言ってる」
「ほんとですうううずっと家にいたんですううう押し入れに潜んでたんですうう!」
 あ、これたぶん本当だ。押し入れを調べたら証拠が出てくるかも。
「事実婚じゃないですかあああ会わせてくださいよおおお」  
「私たちじゃなくて向こうが面会拒否をしてるのよ……」
 ば、お前……
 明石は思わず常夜を制止するも時すでに遅し。常夜も地雷を踏んだことに気づいた。
「あの人が……小夜を拒絶……?」
 どう顔の筋肉を動かしたらああいう表情になるのかね。抽象絵画じゃないんだから。
「あなたたちが……あることないこと吹き込んで……」
 吹き込んでません。規定に基づき事実の説明は致しました。少年は説明を受ける前から面会拒否を希望しました。
「会わせてよおおおお誤解だからああああ話せばわかってもらえるからああああ‼」
 面会して対話したらかえって溝が深まると思われます。また、我々の見る限り、少年は落ち着いた受け答えをしており、事実関係を正確に把握している印象を受けました。ただしあなたの名前を出すと少々言動に混乱が見られました。
 治安局長がドアの方に忍び足ですりよるのを常夜は見逃さなかった。
「じゃあ、私はそろそろ。明石君、富永君、後のことは頼んだぞ……」
「局長、内務省まで自分が護衛いたします」
「待ってください! 私が護衛します!」
 明石はものすごい形相になって「これはお前の仕事だ」と言った。
「職務を放棄することは許さん。お前が引き受けたのだ」
「て、てめ……小夜に遭遇して逃げ出してきたくせに……!」
 だんまりを決め込む明石に、治安局長が加勢する。
「うん、明石君の言うとおりだ。それに、女性の対応は女性に任せるのが一番良い」
「男衆ではわからぬことも多いですからな」
「女にもわかりません‼」
「それじゃあ後のことはよろしくねええええええ!」
「富永、お前は優秀な部下だった……一緒に働けて嬉しかったぜえええええ!」
「ま、待って、後生よ……」
 局長と明石課長は消えてしまった。これぞ内務省名物トカゲのしっぽ切り。いつか今日の出来事をマスコミにリークしてやる……!
 一人取り残された富永の背後に悪霊の影が忍び寄る。
「常夜さん……あなたですか……小夜の運命の人をたぶらかしたのは……」
「違うのよおおおお‼」
 誤解ですらない一方的な思い込みによる判決。魔女裁判をやってるのはどっちだろう。   
 この時以降、今名小夜のメンタルケアは慣習的に富永常夜の仕事となった。常夜はこの仕事を安請負いしたことを生涯後悔したそうである。


「……確実だ。今名小夜の能力は結果が示している」
 深月悟技官の解析結果に耳を傾ける局長、明石、富永。
「驚愕だ。猛禽類並みの視力、イルカ並みの聴力、オオカミ並みの嗅覚、瞬間記憶能力、顔識別能力。走らせても蚊の羽音並みの音しかしない。またさいころを振らせてもなぜか統計的に有意な分布のばらつきが見られる。つまり、確率すら操るということだ」
 怖すぎるだろ。特に最後のは人間じゃねえ。
「それで一番肝心な点だが……誰かに惚れるとどうなる」
「不明だ。様々な方法で何度も試しているが惚れてくれない」
「そこが分からなきゃどうしようもないじゃない‼」
 昨晩、命からがら小夜の下を逃げ延びて内務省に戻った常夜に、明石課長はとんでもないことを言ったのだ。

 ――今名小夜を防犯課の諜報員としてスカウトする

「ふ・ざ・け・る・な」
「ふざけてなどいない。彼女の能力は君も見ただろう。俺ですら気づけない尾行能力、探査能力……そして何より俺が諜報員に一番求める素質……すなわち狂気の執念‼」
 最高の諜報員に育てて見せる、と息巻く明石課長。
「あの……私、異動願を提出しても……」
「却下。君は小夜のサポート役だ。分析屋の力を小夜のために活かしてみせろ。それに、昨日の今日で異動願は印象悪いぞ?」
「く……分かりました。ですが条件があります……」

 常夜の出した条件は採用の前に深月技官のテストを受けさせること。そこで彼女の能力にいちゃもんをつけてやめさせようとしたのだが。

「最高のスコアを叩き出しやがったわね……」
「これで決まりだな。今名小夜は明日から俺たちの同僚だ」
「乾杯だ! これほど興味深い人間はいない! 論文のネタの宝庫だ……」
 深月、てめーは研究目当てかい。
「待って……せめて恋愛時にどうなるか調査してから……」
「不要だ。どうせ任務に出せば誰かに惚れる。データはその時に手に入れればよい」
 技官はそれでいいかもしれないが分析官の気持ちも考えろ!


「あーそれと……明石君」
「はい、何でしょう局長」
「諜報員は今名君にするとして……捜査官はどうするのかね?」
「あー……」
 ぶっちゃけ小夜という最強レベルの逸材を手に入れたのだから捜査官のことは忘れていた。なんかもう、色々ありすぎて選考が面倒になった。
「富永、捜査官はお前が決めていいぞ。小夜と一緒に現場に出る相手はお前が選べ」
 富永に譲ることにした。
 実を言うと、小夜の登用の件で富永と少々険悪な関係に陥っていたのだ。明石と深月は賛成派、富永は反対派。ならば富永の機嫌を直すためにも彼女に捜査官は選ばせてやろうではないか。富永とて失うのは惜しい人材なのだから、関係を悪くしたくはない。
「そうですねえ……」
 富永はファイルをパラパラとめくった。
「誰でもいいぞ。能力で選ぶもよし、好みのタイプを選ぶもよし……」
「この人」
 富永はある人物のページを開いた。
「むむ……木枯、東風……? 聞かない名前だな」
「同感です。能力的には中の上。若手の中堅どころといった感じですか」
「どうしてこいつにしたんだ。お前こういうのがタイプか」
「セクハラですよ」
「いや失礼失礼。しかし、まじめな話、どうして……?」
 富永は一瞬口をつぐむも、やがてはっきりとした声で言った。
「一番まともそうだから」
「あー……」
 身に詰まされるものがあるのか、明石と深月は富永の選択を尊重してくれた。

 富永常夜が木枯東風を捜査官に推薦したのには理由がある。
 自分と同じタイプに見えたからだ。
 富永の考えでは、人間は大きく二つに分けられる。思想をもった人間と、思想のない人間。
 内務省はやはりどちらかというと国家はかくあるべしという独自の思想をもった奴が多い。常夜はその手の手合いが苦手だった。知らねえよてめえの個人的な思想に私を巻き込むなよと思ってしまうのだ。
 実は、防犯課に移ったのはそれが理由でもある。
 明石は無思想な男に見えた。諜報さえさせてもらえば軍警察でも防犯課でもいいのだと。それが彼のスタンスだった。
 深月も似ている。自分の研究が何より大切で、他のことには興味がないタイプだ。
 こういう人々とは付き合いやすい。
 だが思想家は他人にあらゆることを要求する。崇高な理想のために身を捧げることを強制する。
 思想とは偉い人が他人に命令を下すために編み出したカモフラージュであろうというのが常夜の考えである。好き嫌いがあるのはよいが、思想家はいただけない。
 無思想であること。
 これが富永が捜査官に課した第一条件だ。次に、癖が少ないこと。
 この条件に合致しそうな人物のうちで一番優秀なのを取ろうと思った。だが内務省の上位層はみな何らかの意味で思想家である。ナントカ主義にかぶれてみたり、カントカ史観を信奉していたりする。
 所詮この世には実証可能な科学的事実と、議会を通過した法律の束と、個々人の趣味選好の違いしかないのである。常夜はそう信じていたので、それ以上の大きなものに興味がないのだ。歴史観と言われても困るではないか。歴史とは史料から推定可能な個々の事実の集まりにすぎない。なのにどうしてそれ以上のものが必要なのか。主義と言われても困るではないか。法律でもないのにどうして人を縛ろうとするのか。
 富永は自分自身の経験から、なんとなく思想家と無思想人を見分けることができるようになっていた。それで、それなりに仕事のできる人たちの中から、思想のないタイプを同僚に迎えたいと思ったのである。

 木枯東風にはピンときた。
 こいつは必要な時にはコウモリになれるタイプだ。明石が軍警察から防犯課に移ったように、常夜が内務大臣と軍警察の値踏みをしたように、情勢が変わればさらりと姿を変えることができる。
 つまるところ、天をもたない。
 天をもたないとはどういうことか。それはつまり、己の直接・間接の利害関係を超えたいかなる崇高な価値も原理的に認めないということである。徹底的に地上的な人間。
 それなりに仕事はできるようだし、特に思想信条もなさそうだ。それなら手元に欲しい。バランサー的な役割を期待して。
 この木枯東風という男を捜査官に選んだことも常夜は後に後悔するのだが、それはまた別の話である。

「局長、明石課長より人事案です」
 秘書が治安局長のもとにやってくる。局長は案を受け取ると、中身を確認した。

 内務省治安局防犯課人事案

 同課課長明石晩山は以下の人事案を内務大臣ならびに治安局長へ提出するものである。
 課長 明石晩山
 分析官 富永常夜
 技官 深月悟
 捜査官 木枯東風
 諜報員 今名小夜

 なお、諜報員今名小夜は民間よりスカウトした。必要な書類は後日提出する。
 以上、よろしければ承認願います。

「はい、承認……と」
 局長はハンコを押した。
 かくして内務省治安局防犯課は活動を開始した。
 彼らの軌跡は功罪相半ばし、マスコミや政治評論家による評価もなかなか定まらない。ある者は最高峰の諜報部隊と称え、ある者はただの犯罪者集団と非難する。創設時に明石が書いた人事案を先見の明に満ちた偉大な歴史的文書と評価する向きもあれば、このふざけた人事案のせいで内務省の輝かしい歴史に汚点が残されたと酷評する向きもある。この物語は彼らの活躍と不始末(どちらかというとこちらの方が多い)をなるべく評価を交えず、中立的に記述しようと試みたものである。



 第二章 脱税犯を追え! 

「これが今回の標的だ」
 明石課長が男の写真を取り出した。金髪にチャラチャラとしたアクセサリーをつけた軽薄そうな男。常夜の嫌いなタイプである。
「名前はビリー・バーンズ・ベーカー。複数のバーの経営者だが違法な脱税を繰り返している疑いがある。まあ疑いがあるつってもほぼ確実なんだが、物証がなければ手を出せないのが法治国家の宿命なのだよ」
 と肩をすくめてみせた。
「そこで防犯課の出番というわけだ。こいつの周辺を嗅ぎまわり、脱税の証拠を掴んでほしい、とのことだ。税理局からの要請だ」
「質問だ。今回の任務は管轄外のようだが……」
 深月技官が手を挙げた。脱税捜査は内務省治安局ではなく財務省税理局の仕事。管轄の死守とセクショナリズムは官僚の鉄の掟、税理局が自分たちの仕事をよその部署に依頼するとは思えない。
「あー、それね。ちゃんと説明しよう」
 明石は肩をすくめた。
「一言で言うと今名小夜の試験運用だな」
「……」
「深月が調べた通り、彼女の基礎能力に疑義をはさむ奴はいない。問題はただひとつ、制御可能であるかどうかだ」
「あー……」
「実は税理局からの要請というのは形式上の話だ。本当は俺が無理を言ってこちらに仕事を回してもらった。今名小夜の能力を実証する機会が欲しかったのさ」
「……内務省は仕事を回してくれなかったの?」
 常夜の質問。
「地域防犯や住民相談の仕事はひっきりなしさ。現時点ではカモフラージュが一番重要な任務だからな。局長も俺もそこは一致してる。お前らもカモフラージュに手を抜くんじゃないぞ」
 だから毎日のように地区の見回りや非行少年の補導、清掃活動などに振り回されていたわけね。まあ覚悟はしていたことだが結構面倒くさい。とはいえこうした地味な地域とのつながりが思わぬ情報に結びつくこともあるから手は抜けない。
 常夜と東風はそれなりにこなしていたが、技官の深月はげんなりとしていた。明石課長もである。
「限界だ……なぜ子供はあんなに動き回る、エネルギーの無駄遣いだ……」
「学校の先生ってすげえな……」
 こいつらか、別の仕事が欲しくてよそ様に無理を言ったのは。
 保身のためセクショナリズムを重んじる常夜は、内心いら立ちを覚えた。言われたことだけしてれば給料が出るんだからそうすりゃいいのにふざけるなよ……!

「だが防犯課の力を示すにはもう少しそれらしい仕事が欲しい。局長に頼んだが今はダメだという。そこでだな……」
 嫌な予感。
「つてを頼って税理局の仕事を回してもらった。今は繁忙期だし、向こうも防犯課とのパイプを持つのは悪くないと思ったんだろう。快諾してくれたよ」
 快諾するな、セクショナリズムを守れ税理局!
「納得だ、それに脱税捜査は諜報と通じる部分がある」
「深月の言う通り。部署こそ違えど税理局員と情報将校にはお互いに通じ合う部分があるんだ。要するに嗅ぎまわるのが仕事ってことさ」
「仕事が似てるなら敵対しそうなもんだけど」
 同業者はつまりライバルなのだから。
「そこは微妙なラインだな。税理局と防犯課の間に利害関係は特にない。向こうは税金、こっちは犯罪が専門だ。だが仕事の技術は似たようなところがある。同業者ならライバルだが、単にスキルが近いだけなら意外と仲良くなれるもんさ」
「そんなもんかしらね」
「それに今の税理局長がいい人なんだな、これが」
「ふーん……」
 何か裏がありそうだなと思う。だがどうせ何らかの意味で裏がない仕事などないのだし、常夜自身、さすがに地域活動ばかりというのにも飽きていたところだ。
「木枯君はどう思うの?」
「え……私が?」
 木枯東風。富永常夜がまともそうであるという理由で推薦した捜査官。
「いいんじゃないですか。税理局の許可があるんなら」
 当たり障りのない返事。
 そういうところは嫌いではない。
「というわけだ。小夜に連絡を入れろ……」

「私が……この人の調査を?」
「そうだ。こいつの情報を収集してほしい」
「承知しました。今名小夜、ただちに出動します」
 あれだけの衝撃的な登場をしておきながら、今名小夜は普段は常識人だった。
 常夜の命がけの説得によってあの晩、今名小夜は自分が非行少年の恋人ではないことを理解した。数々の証拠も法律の条文も彼女に対しては何の説得力も持たなかった。最終的には非行少年本人の言葉が決め手となった。
「どうか協力をお願いします……彼女を説得できるのはあなたしかいません」
「嫌ですよおおおおお! 俺はもうあいつと話すのだけは御免だ!」
「私だって御免よおおおおでも物証も法律も無視するのよおおお」
「説得するのはあんたの仕事じゃないんですか!」
「やんのかこらクソガキャア! 別件逮捕で拘束してもいいんだぞ!」
 さすがに問題発言でしまったと思った。危ない危ない。こういうのが積み重なって内務省のイメージが悪くなるんだから……
「別件逮捕というのは冗談よ。ごめんなさいね」
「ほんとに冗談だったか……?」
「ほんとほんと。お姉さんは面倒事が嫌いだもの。でも……」
 常夜は少し怪しげな笑みを浮かべる。
「法律の規定により私たちが今名小夜を拘束できるのは48時間以内。つまり明日の朝にはどのみち釈放されるのよ。誤解が解けないまま彼女がシャバに出てきたらどうなるか……」
「やります。説得します」
「ご協力感謝します」
 本当に、心の底から。 

「え……すると何ですか……小夜は……小夜は……」
 涙がこぼれ始める。
「ふられたってことですか……?」
 ふられたつーか付き合ってないけどね。一応訂正しとくけど。
「じゃあ小夜は……小夜は……ただのストーカー……?」
 ようやく気付いてくれましたか。さっきからそう言っているのに。
「びえええええええええええええん! 小夜は騙されてただけなんですうううう犯罪者じゃないんですううううう」
 騙されてはいないだろう、騙されては。
「その人が悪いの! 詐欺罪! 結婚詐欺!」
「……俺もう帰っていいすか」
「どうぞ。車は用意させるわ」
「起訴は許して下さあああああい! 親が泣きますからあああああああ」
「……」
 ぶっちゃけ起訴したい。が、明石課長の命令がある。
「小夜ちゃん、あなたにいい話があるんだけれど……」
 司法取引。
 今名小夜は起訴を免れる代わりに諜報員として内務省の臨時職員となる。

「私たち……仲良くなれると思わない?」
「なれますなれます! 私、内務省のファンでした! 生まれたときから内務省の支持者でした! 国家主義者でした軍国主義者でしたああああああ」
「……」
 てめー、30分前まで民衆の敵だの税金泥棒だの言ってたよな? 公式に記録してあるんだぞ
「どんだけ都合いいねん……」
 今名小夜もまた無思想の人であった。それは明らかだ。ならば富永の好みに合うはずなのだが。
「こいつはあかん……!」
 いくら無思想で有能でも、こいつだけはあかん。

  

 そんな小夜をチームに据えて今回の標的ビリー・バーンズ・ベーカーを調査することになったのだが。
「惚れるなよ惚れるなよ惚れるなよ惚れるなよ……」
 富永常夜は小声でぶつぶつ祈っていた。
「惚れろ惚れろ惚れろ惚れろ」
「同感だ同感だ同感だ同感だ」
 あいつら……ふざけたことを! 
 直属の上司ながら思ってしまう。
「ねえ小夜ちゃん……」
「はい、何でしょう常夜さん」
 こうしてみるとただの可愛い子なんだけどなあ。
「答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど。その……好みのタイプとかっているの?」
「何ですかあコイバナですかあー?」
「仕事とは関係がないから答えなくてもいいのよ」
 実は関係が大ありなのだが。
「小夜は誠実な男性が好きですね。まじめな人……」
「そう……まじめな人が好きなのね。なら、ビリーみたいなのは……」
「苦手ですね。ああいう人は」
「そう……よかったわ」
「どうしてですか?」
「こっちの話よ」
 今後は金髪のチャラ男だけを標的にするよう具申してみよう。 
「それにしても常夜さんってば、突然コイバナだなんて〜小夜がこの人に惚れるとでも?」
「……」
「公私混同なんてしませんよお〜そもそもタイプじゃないんですし」
 その言葉、断じて忘れるなよ。

「今後はもう少し違うタイプを標的にせねばならんなあ」
「残念です、チャラ男はタイプではない、と……」
 今名の力を局長に証明するチャンスだったのになあ。明石はうーんと天を仰いだ。
「まあいいさ。あれだけの基礎能力があれば脱税犯なんざどうにでもなる。いざとなったら俺が現場に出ればいいしな」
 富永も深月もいる。木枯もまあそこそこできる奴だ。今回の任務は試験の延長のようなもので、そこまで心配してはいなかった。


 調査開始から三日目。
 なかなか有力な情報が集まり、もう少しで物証も押収できるだろう。出入りする人物の素性も掴んだし、順調に調査は進んでいた。小笠原小夜も特に問題はなく、明石に叩き込まれた尾行術を駆使して、ビリーと一味の自宅を見事特定してみせた。普通に能力はあるのだからまともにやっていればおかしなことにはならないのである。
 ……が。
「小夜は、運命の人に出会ってしまったかもしれません……」
 開いた口が塞がらない常夜である。
「そう……本当によかったわね……」 
「常夜さんにも応援してほしいんです! この恋、失うわけにはいかないんです!」
 絶対に嫌じゃ!


 木枯東風はあるマンションの入り口にいた。
「ビリー・バーンズ・ベーカーの恋人……キャシー・キャロル・キャラハン」
 ビリーには恋人がいる。それもかなり深い関係にある相手が。
「知りたいことがあるならキャシーちゃんに聞いた方が早いでしょうに……」
 それくらい誰でもわかっている。なのになぜ明石も富永もキャシーを調査しなかったのか。
「内務省の不文律ね……くだらん」
 内務省の諜報担当職員の間にはある不文律が存在した。

 ――標的の家族・友人・恋人を調査してはならない

「内務省の仕事にはたしかに後ろ暗いものが多い。やっていることだけを見れば犯罪と見まがうものすらある。だがそれはあくまでも治安維持のために行う必要悪なのであって、決して私利私欲のために行うわけではない……」
 上の言葉は初代内務大臣が議会で発表した有名な演説の一節である。
 標的の仕事仲間は犯罪に加担しているのであるから徹底的に調べつくさねばならぬ。だが標的の家族・友人・恋人に手を出してはならない。彼らは悪を犯したわけでも加担したわけでもないからだ。犯罪に加担した証拠がない限りは、彼らを通して標的の情報を入手してはならない。内務省の捜査に一般市民を巻き込むことはまかりならぬ……
 これが初代内務大臣の思想であった。
 彼は内外から危険な国家主義者との批判にさらされながらも自身の信念を貫き、今では偉大な政治家として歴史にその名を残している。(もっとも彼を否定的に見る学者も存在する)
 この初代内務大臣の思想は内務省の不文律となった。逆に言えば、不文律にしかならなかった。
 新人職員は研修にて初代内務大臣の演説を暗唱させられる。その根本思想を叩き込まれる。
 だが実は……法律を調べればわかることだが、標的の家族・友人・恋人を調査してはならないという条文は存在しない。これは単なる不文律・慣習に過ぎず、従って法的拘束力はない。
 単なる一大臣の思想で法律を作るわけにはいかないのだから……

 内務省の職員は大きく二つのタイプに分けられる。
 この初代大臣の思想を尊重する奴。そして尊重しない奴。両者を見分けるポイントは不文律を守るか否かだ。
 
「……思想家は嫌いだね」
 そんなことをつぶやきながら木枯東風はマンションの階段を上がっていく。
 部屋に行くまでもなく、ビリーの恋人と踊り場で遭遇した。
「ひっ……あなたは……」
 怯えた顔で東風を見る深緑のロングヘアの女。おしゃれに気を遣う性格なのか、先端にパーマをかけており、ファッションもあか抜けている。
「はいはいキャシーちゃん。お兄さんとお話をしてくれる気になったかな?」
「な……なりません! あの人は何もしてないの!」
「それは調べなければわかりませんね。あなたが領収書を持ってきてくれれば話は早いんだけどね」
「渡したじゃない!」
「あれは偽物でしょう。本物はどこにあるのかって聞いてるんですよ」
「そんなのあるわけないわ。あったとしてもあなたたちには渡さない」
「……」
「私はビリー君の彼女……だから、ビリー君のことを信じてるの! ビリー君が私に嘘をつくなんてありえない」
「それはちと考え直した方がいいなあ」
「何よ脅迫? あなたはどうせ私に暴力をふるうことはできない。法律で禁止されてるからね。それくらい知ってるのよ」
 ちっ。意外と法律に詳しいみたいだな。
 明石課長や富永分析官がこちらに来ることはないだろう。どちらも不文律を信奉するタイプではないが、防犯課の立ち上げ時に不要な悪評を買うのは嫌なはずだ。それを見越したうえで木枯は一人だけ別行動でキャシーを追跡していた。明石課長に断りは入れなかったが、実はアイコンタクトで秘密裏に許可を取ってある。

 ――あー、お前そっち系? いいよ、いってらっしゃいな

 と彼の眼差しは語っていた。
 いずれにせよ応援は見込めない。引き返すか、と諦めかけたその時。  
「考え直した方がいいですよ、キャシーさん」
 背後から声が聞こえた。応援? 富永か?
「だ、誰よあなた⁉」
「ビリーさんが嘘をつかないというのは誤りです。彼の言葉は定義上正しいので、そもそも嘘をつけないんです」
「て、定義上正しい? いやいやいくら何でもそれは」
「はあ? ビリーさんが間違えるわけがないじゃないですか! あなたは……あなたは……」
 こ、こいつは……明石課長がやたらと推していた諜報員か! 応援に来てくれたってわけか、お手並み拝見と行こうじゃないか……!
「ビリーさんの……か……か……彼女……なのに……」
 すごい迫力だ。さすがスカウトされて入ってきただけはある、気迫だけで自白に誘導できそうだ。
「ビリーさんのこと何もわかってないじゃないですか‼」
 ……あれ? お前どっちの味方だ? いや、そもそも対立の構造を理解しているのか。
 言われたキャシーの方も黙ってはいない。一瞬怯むもすぐにハイエナのような眼差しに変わる。
「はあ? 私がビリー君のことをわかってない? 彼女に対して失礼じゃない? てか、そもそもあんた誰。ビリー君の何」
「……」
「何黙ってんの。私はビリー君の彼女。か・の・じょ。あんたは何なの? 何でもないならさっさと消えてくれない?」
「か……彼女彼女彼女って……彼女だから何なんですか……どうして小夜が消えなきゃいけないんですか……」
「はあ? ビリー君に変な虫がつかないようにするのは当然じゃん。さっさと消えてよストーカーさん」
「はああ? 彼女だからって小夜のビリーさんへの想いを邪魔するんですか⁉ そんな権利があるんですかー⁉」
 邪魔すると思うよ、普通。これに関してはキャシーが正しいわ。
 やだもう帰りたい。やっぱ不文律を守るべきだった。助けて明石課長。
 ギャアギャアと怒鳴りあうビリーの彼女と諜報員。彼女の方が激怒する理由は分かる、だが諜報員が怒る理由がわからない。
 やがて二人はヒートアップして、どちらがビリーをよく理解しているかについて勝負を始めた。
「そんなに言うんならビリー君の歯ブラシの色言ってみてよ。どうせ言えないでしょ、ストーカーさん」
「言えますー。二週間前までは緑でしたが今は青ですね。意外と几帳面な方で歯ブラシを数週間に一度買い替えるんですよまじめですよね」
「く、正解よ……なら靴のサイズ」
「26.5。ただしメーカーによって微妙に変わり素材が固い場合は余裕をもって27」
「せ、正解……じゃあ筋トレのメニュー」
「腕立腹筋背筋スクワットそれぞれ……ってこの変態! そんなこと言ったら小夜は恥ずかしくて死んでしまいます……」
「へー、言えないんだー! じゃあ私の勝ちってことでOK?」
「質問がセクハラだからですよ変態さん。今度は小夜から問題を出しますね。ビリーさんのひいおじい様の名前と職業と学生時代の部活動くらいは言えますよね?」
「そ……そんなんわかるわけないじゃん!」
「はあ? 彼女なのにこの程度の基礎知識……正解はベンジャミン・ベンサム・ベーカー、海軍士官、ボート部です」
「ビリー君に関係ないじゃん。問題が間違ってる!」
「はあー? ビリーさんの完璧な遺伝子を遺してくださった恩人ですよ! 許せない、素人のくせに……」
「あんたがヤバいストーカーなだけじゃん! 次、ビリー君本人に関する問題出してよ!」
「じゃあ昨日の夜抜けた髪の毛の数」
「わかるかああああああ!」
 どうでもいいけど楽な仕事だなあ。黙っていればビリーの情報が手に入る。もう少し捜査につながる情報が欲しいが。 
 そこで、東風に悪知恵が浮かんだ。
「やあやあお二人さん。ビリー君が羨ましいよ、両手に花といった感じだね……」
 片方は致死性の有毒植物だが。
「このまま言い争ってもどうせ埒はあかない。そこでどうだろう、私に勝負をゆだねては」
 二人は黙って東風の話を聞いていた。
「私がビリー君に関して出題する。五問勝負、先に多く答えられた方の勝ちだ。無論、公平な審査は約束しよう」
「いいわよ……あんたが出題しなさい」
「いいですよ。どんな問題でも答えられます」
 では、と東風は口を開いた。
「第一問。ビリーの職業……ほぼ同時!」
「「バーの経営者!」」
「同着だ! 待て待て今のは同着だ、ほんとに!」
 私の方が早かったと詰め寄る二人に東風は慌てて手を挙げる。
「いいね二人とも。本気の愛が伝わってくるよ。では第二問、ビリーの家族構成は?」
「「父母と姉がいる。祖父母も健在だが家は違う……」」
「はい両者同時正解」
「……そして恋人にキャシー・キャロル・キャラハン!」
「……婚約者見込み正妻見込み(ほぼ確実)に今名小夜!」
「……」
 キャシーは正解だが小夜のは判定に悩む。
「ちょっと出題者! 今のは明らかにこいつの間違いでしょ!」
「間違ってません! 見込みにとどめました!」
「(ほぼ確実)は間違いでしょ!」
「間違ってません! 出題者!」
「まあ……見込みだからいいよ」
「よっしゃああああああああ!」
「はああああああああああああ⁉」

 第三問、ビリーの店の規模。第四問、ビリーとつきあいのある会社の名前。
 お気づきであろう。これぞ内務省伝家の宝刀、誘導尋問! このまま必要な情報を喋らせてやるぜ!
 二人とも実によく喋ってくれる。私の策略に気づいてすらいない。
 次の問題が決定的に重要だ。今までのは小手調べに過ぎない。
「では、第五問。最後の問題。ビリーは罪を犯したか?」
 我ながらひどい捜査手法だね。
「犯してないわ」
「犯してないです」
 ……ほう。
「二人ともそれが最後の答えかな? 今なら変更を認めるが」
 キャシーはともかく小夜は奴の犯罪に気づいているはずだ。正直に答えればビリーはお前のものになる(?)のだが。
「……」
「……」
「それでいいのか? 今なら答えを変更できるぞ?」
 しばしの沈黙。やがて、耐えかねたようにキャシーが唇を震わせた。
「……ごめんなさい。やっぱり回答を変更……わからない」
「キャシーは回答を「わからない」に変更。棄権だな。小夜が正解ならビリーは小夜のもの。外せばキャシーのもの……これでいいな」
「ええ、いいわ」
 今更気づいたけどなんでビリー本人の許可もなく景品扱いにしているんだろう?
「小夜。答えの変更は?」
「変わりません。ビリーさんは罪を犯していません」
「……よろしい。正解は……」
 東風が正解を言おうとしたその時。
「もうやめて‼」
 キャシーが泣き崩れた。
「こんな意地悪やめてよ……あなたたち内務省の人間なんでしょ……わかんないよ……信じたいのに……最近ビリー君の様子がおかしくて」
「キャシー、……」
 やっぱり本当は気づいてたんだね。さすがに胸が痛むわ。かわいい彼女泣かせてんじゃねえよ、刑務所できっちりと反省しやがれビリー。
「君も薄々気づいていたとは思うが、ビリーには脱税の疑いがある。ほぼ確実だが物証がない。君が奴から預けられた領収書を見せてくれればそれが決め手になる」
「……知らない。領収書なんて受け取ってない!」
「嘘はよくないな。君が領収書を受け取る瞬間を目撃していた人物は存在する。監視カメラにも映っていたんだ」
「……」
 キャシーはうなだれたままだったが、やがて諦めたように胸元から封筒を取り出した。
「ご協力感謝します。キャシー・キャロル・キャラハン」
「ねえ、一つだけ教えて。最後の問題の解答は……」
「わからない、で正解ですよ。これは重要な証拠ですが、真実を明らかにするのはあくまでも法廷です。現時点ではビリーは容疑者に過ぎない。だから「わからない」で正解だ。あなたは今名小夜との勝負に勝った。ビリーの恋人はあなただ、それだけは確かですよ」
「ふ……ふふ……ふふふふ……」
 キャシーは涙を拭う。
「嬉しくないわね……そこの恐ろしい子に勝ったのに」
「まだ罪が確定したわけじゃない。初犯ですし減刑や執行猶予に持ち込める可能性もあります。証言をして頂けるなら、優秀な弁護団を紹介しますよ」
「そうね……私、あの人のために法廷に立つわ。もし悪いことをしてしまったのならきっちり償わせて……それから二人で新しい生活をやり直します」
「それが一番です」
「それにしてもあの質問は酷いわ……そうやって女心を弄ぶのね、内務省は」
「これも仕事ですから」
 なんだこれ……映画みたいな名シーンじゃねえか! 俺、いつかかっちょいい二つ名で呼ばれちゃうかも!
「はあ? なんですか、それ」
 ぬらりと忍び寄る悪霊の影。
「絶対小夜の正解でしょ……ビリーさんは罪を犯してません」
「……俺の説明聞いてた? 全内務省が泣く屈指の名シーンよ? 映画史に残るセリフ」
「ビリーさんが罪を犯すはずがない……」
「だからそれを決めるのは法廷だって」
「はあああああああああ⁉ ビリーさんが有罪だとしてもそれは法廷が間違ってるんですうー! ビリーさんを裁く法律が悪いの!」
「……」
「罪ってそもそもビリーさんに反する行為全般を指す言葉じゃないですか」
 違うよ。どんな専制君主でも罪という言葉をそんな風に定義したことはないだろう。
「だから、原理的にビリーさんが罪を犯せるはずがないじゃないですか!」
「俺が罪と言ったのは法廷が有罪判決を出すという意味だ……」
「へー! 法廷がすべてなんですかー! 法廷が死ねって言ったら死ぬんですかー!」
「だから……」
「法廷だって間違えることはありますよね」
「それはまあ……」
 冤罪とかはあるな。あってはならないことだが。
「だったら、ビリーさんは無罪に決まってるじゃないですかー!」
 その理屈はおかしい。
「小夜は、ビリーさんを守ってみせます。そしてそこの泥棒猫からビリーさんを取り返してやる……!」
 泥棒猫はどうみてもお前だよ。泥棒というか強盗と言ったほうが正確だけど。キャシーさんがあきれてるよ。
「私、この子に勝てる気がしないわ……」
「相手にしない方がいいですよ。せっかくの美人がやつれはてる……」

 その後ビリーは起訴され有罪判決が下された。しかし、バーの経営が逼迫していたという事情と初犯である旨が考慮され、弁護団の答弁が素晴らしかったこともあって、量刑は低めに抑えられた。

 キャシー・キャロル・キャラハンの弁護は司法の歴史に刻まれた。人を許すことの大切さ、罪ある人にも更生の可能性があることを説き、法廷で見事に恋人を守り抜いてみせたのだ。被告ビリー・バーンズ・ベーカーは己の過ちを恥じ、落涙とどまるところを知らぬ有様であったという。
 閉廷後、被告は「必ず更生してみせます‼」と叫び、法廷は温かい拍手に満たされた。

 陪審員は記者団に対し次のような感想を述べた。
「人を裁くことのつらさというものを身に沁みて感じました。キャラハン氏の弁護は今後も司法の歴史に刻まれることでしょう」
「罪を許してはいけません。しかし、罪人は許さねばなりません。釈放後、被告がキャラハン氏とともに更生の道を歩まれることを期待します」
「陪審員として許されざる感情ですが、被告が羨ましい。キャラハン氏のような人物に支えられた被告は幸せ者であるといえるでしょう」


 防犯課にも事の顛末が報告された。
「いい話じゃねえか……不覚にもうるっときちまったぜ」
「同感だ。ビリーとキャシーの結婚式に出席したいくらいだ」
「キャシー・キャロル・キャラハン……立派な人だったわね」
 明石課長の開く新聞記事を覗き込む深月と富永。
 だが不満げな表情を隠せない人物が約二名。木枯と今名である。
「新聞記者は何を書いてる……私がキャシーを説得したんだぞ、私が。こっちを取材せんかいクソが!」
「おかしいですよこの記事! ビリーさんを守ったのは私なのに! なんで私の弁護が載ってないんですか!」
 小夜の弁護が掲載されなかった理由は、彼女自身の名誉のためである。どうしても弁護団に加わると言い張り、キャシーと大喧嘩した末、ついに参考人としての出廷を許された。
「はあああああああああああああ⁉ 意味がわかりませーーーーーん! ビリーさんと法廷ではビリーさんが正しいに決まってるじゃないですか!」
「おい、もうやめてくれ……俺が悪かったんだから……」
「ビリーさんが稼いだお金をどうして国に納めなきゃいけないの! ドロボーはそっちです!」
 小夜にしてはまだまともな弁護である。そうなんだよな、徴税は合法で窃盗は違法というのはかなり危うい論理なんだよな。徴税とは国家による窃盗ではあるまいかという視点は常に持っておきたいね。小夜にしてはほんと鋭い批判だよ。だが以下の論理はすごすぎる。
「だいたい事実確認が不十分だと思います。あなたたちがビリーさんの何を知っているの!」
「参考人。我々は十分な調査を行いました。手元にある資料をご覧ください……」
「はああーーーー⁉ こんな資料でビリーさんの素晴らしさが分かるはずがないじゃないですか! お風呂でどこから洗うのかすら書いてないし!」
「参考人。それは被告の脱税と何か関連がある議題なのでしょうか」
「あるに決まってるじゃないですか! ビリーさんが背中を流されるとき、シャワーの出が悪かったんですうーー! 背中を洗うのがお好きな方なのに! 水道局のせいですうー! 水道局が仕事してないんだから税金を払う義務はないんですうーー!」
「ねえ小夜ちゃん……あなたはビリー君を弁護しに来てるのよね?」
「当然じゃないですか! 泥棒猫さんなんかに弁護させたら心証が悪くなって刑が重くなります!」
 陪審員の心証が悪化したのは小夜のせいである。かくして彼女の弁護は司法の黒歴史に刻みこまれることになった。記者の筆を抑えることができたのは、明石課長がマスコミにパイプを持っており、平謝りに頭を下げ続けたからである。
 それにしても小夜による心証の悪化をこの後の答弁で覆したのだからキャシーは偉大である。本当に偉大である。
 ぶっちゃけ小夜の弁護がなければ執行猶予もらえたんじゃないか?  



「びえええええええええええええええええええん‼」
 会議室で泣き崩れる小夜。またか。
「今度はどうしたのよ……」
 あきれる常夜に東風が答える。
「昨日ビリーに会いに刑務所に行ってな」
「面会拒絶をされたのね」
「もちろん食らったんだが、執念深く待合室に寝袋を持ち込んで待機した。きっと振り向いてくれると信じて。だが……」
「だが?」
 東風は少し青ざめた顔になった。
「キャシーと遭遇したんだよ……‼」
「それはまずい……」
「しかも、婚姻届を持ってきていた」
「よく血が流れなかったわね」
 最期はビリーの言葉で小夜の報われぬ恋は終わった。
「君とは付き合えない。僕にはキャシーがいるんだ。キャシーと結婚する。君にはきっといつか、僕よりも素敵な人が現れるよ……」
 その言葉を聞いた小夜は泣きながら刑務所の強化ガラスを突き破って地平線のかなたに消えたそうだ。
 心配したキャシーが面会終了後に防犯課へ連絡をよこし、明石課長と東風が町中を探し回って回収したのである。発見現場は公園の砂場。虚ろな目でビリー像を制作していた。
 小夜の前に婚姻届を持って現れ無傷で済んだキャシーは本当に大した女性だな。ビリーよ、さっさと更生するんだぞ。


 第三章 恋は実らず  

「えへへ……やっと見つけましたよ……照れ屋さんなんですから……」
「ひいっ! ぼぼぼ僕は君のことを知らない……」
「どうしてそんなひどいことを仰るんですかあ? 一か月前に監視カメラを通して視線を合わせてくださったじゃないですかあ……あんなに情熱的に見つめあったのに……」
「ほほほほんとに知らないんだ……君のことなんて記憶にない!」


「うふふ……小夜の膝枕はいかがですかあ?」
「嬢ちゃんみてえな別嬪さんに尽くされるのは、ありがてえんだけどよ……」
「えへ……えへへへ……別嬪さん……小夜が……えへへへへ……」
「わしの屋敷に勝手に上がりこまないでくれる?」
「え……でも庭先が開いてるから……小夜のことを求めておられるのだと思って……」
「和風建築だからだよ! こちとら女房もいるんだよ!」
「ねえあなた。誰が別嬪さんなのかしら」
「ひいいいっ! 違う、目が覚めたらこいつの膝に……ぎゃああああ!」


「てめえか……最近俺の周りを嗅ぎまわってるネズミは」
「うふ……嬉しい……あなたの方から会いに来て下さるなんて……」
「覚悟はできてんだろうな?」
「覚悟……結婚の……はい! 小夜は元気な赤ちゃんを産んでみせます!」
「てめ……狂ってんじゃねえのか?」
「はい……小夜は狂ってます……幸せで狂いそうです……挙式はいつにしますか?」
「やべーよこいつ……」


「小夜は……あなたになら何をされても平気です。でも浮気だけは許せません」
「してねえよ! 命令通り仕事の時も目隠ししてたよ!」
「でもいかがわしい妄想をしておられました。小夜以外の女性で」
「頼む、警察を呼んでくれ……」

 
「あの幼女……あの人が座ったベンチに座りやがった……小夜の特等席……許せない許せない許せない」
「小夜ちゃん、さすがに幼稚園児に嫉妬するのはやめなさい」
「離して常夜さん! あのベンチは私のものなのおおおおお!」


「手首が素敵……骨の形も浮き出た血管も、いつまでも見つめていたい……」
「おい、何日見つめるんだ。いい加減手錠かけろよ……!」
「ダメですよ……傷をつけるわけには」
「手錠で傷なんてつくかああああ! いいから早く逮捕しろおおお!」


 界隈に防犯課の名は響き渡った。
 ――……あそこもやられたらしい。
 ――マジか、うちの兄貴もミイラみたいになってたぜ……

 彼女に目をつけられたが最後、発見されつきまとわれ調べ上げられアジトに乗り込まれ質問(尋問)され外堀を埋められ意味不明の論理で恋人を名乗られ尽くされ愛され身の周りの世話をされ束縛され独占され見ること聞くことを禁じられ思考すら支配されて、数週間で廃人同様となる。
 被害者(?)が口をそろえて言うには
「手錠をかけられたときやっと自由になれると思った」
「警察の取り調べが和やかな茶話会に思えた」
「お願いだから自分を独房に入れてほしい」
「判決は受け入れるが、自分だけが逮捕されるのが納得いかない。あの女は犯罪者ではないのか」
「では、彼女と刑務所に入りたいのか?」
「ひいっ! 何でもありません、彼女は無罪です!」


 業界を揺るがせた内務省の新設部署治安局防犯課。規模の小ささゆえに検挙数は少なかったが、お縄にかけられた容疑者の有り様を見て震え上がらない者はなかったという。
「ボス……どうしちまったんですか……」
「生ける屍……」
「違法な拷問をしたんだろう。薬物で自白を強制したに違いない」
「いや、違うらしい。女が来て色々尽くされたんだそうだ」
「ハニートラップだろう。だから遊びも大概にしろと……」
「いやそうじゃねえんだよ。本当に愛されてたらしいんだ。ボスの彼女が言ってたから間違いねえ。女ならわかる、と」
「でも内務省の人間だろう。スパイに決まってる」
「いやだからスパイなんだけど本気らしいんだ」
「お前何言ってんのかわかんねえよ」
「俺もわからんわ!」
 防犯課の恐るべき捜査力を前にして、ならず者どもの悲鳴が夜の街角にこだまする。
 

 鼻高々の成果を前にして、なぜか防犯課の会議室にも泣き声がこだましていた。
「びええええええええええええええん‼」
「はいはい泣かないの。男なんて星の数ほどいるわよ……」
 失恋に失恋を重ねて狂乱する敏腕諜報員に、富永常夜はハンカチを渡した。小夜は、渡されたハンカチを咥えると……そのまま両手で引っ張り嚙みちぎった。どういう咬合力してるのお前は。
「……私が言うのもなんだけど、この子はどうしてこう悪い男にばかり引っかかるかなあ?」
 脱税犯ビリー・バーンズ・ベーカーの公判を終えたばかりの恋人キャシー・キャロル・キャラハンまで今名小夜に同情していた。
「あんた、もう少し男を見る目鍛えた方がいいよ。いや、私が言うのもなんだけど」
「でもビリーはいま頑張ってるそうじゃない。意外といい男に化けるかもよ」
「そうね……私がビリー君を育てて見せるわ」
 裁判ののち、ビリーは更生を誓った。彼はその言葉通り、今刑務所で日夜勉学に励んでいる。キャシーとの生活のため、将来は税理士になることを希望している。釈放後、一定の観察期間が終われば試験は受けられる。刑務所内の夜間学校での成績はトップクラスだそうだ。本人は自分自身の苦い経験を糧に、将来は生活困難者のための一時的免税制度を確立するのだと意気込んでいる。
「まあ……半分は私の手柄ですけどね」
 そんな横やりをはさむのは木枯東風。
 あの裁判は語り草となり、新聞がキャシーの弁護とビリーの更生を美談として書き立てた。だが木枯東風の説得(?)は無視された。やり方がいやらしいうえ、内務省の不文律に違反しており、イメージダウンを恐れた治安局長が東風の貢献(?)をもみ消したのだ。
 それですっかり不貞腐れたのがこの捜査官である。
「まあいいんだけどね……どうせ新聞なんて都合のいいことしか書かないしね……でもいつか伝記作家に……いやドキュメンタリーとして」
「木、木枯さんにも感謝してるわ……一応」
 キャシーが引きつった笑みを浮かべる。
 木枯東風の捜査手法を後で聞いた明石課長はドン引きした。内務省の不文律に法的拘束力はない。だから咎めるつもりはないが、ぶっちゃけ人間のクズだわ。
「本気で恋をする乙女二人を争わせ、誘導尋問で相手の男の罪状を吐かせようとするとは……」
 いくら俺でもそこまではできんわ。しかもそれを自分の手柄話として映画にするつもりだった? どういう神経しとんねん。 
 捜査は順調に進んでいたし、もともとビリーの脱税は出来心であって根っからの悪人ではない。東風がいてもいなくても無事二人は更生の道を歩んだろう。領収書も深月技官のハッキングで電子データを入手していたしね。
 なのに本人はそれを自分の偉大な業績と信じて疑わなかった。
「マスコミは狂ってる……あのクソ外道めが有名人……? すごいのは私だろうが……なぜだ、キャラハン……!」
「こ、木枯さんは縁の下の力持ちってタイプだから。ちゃんと見てる人はいると思うわ……」
 上手にかわしたねキャシー。お前、ほんと出来た人だわ。ビリーには惜しいくらいだよ。 
 キャシーに褒められ、ニチャアと薄気味悪い笑みを浮かべる木枯捜査官。確かに見てる人はいるね。課長の俺はお前のことよく見てるよ。 
「黙ってニコニコしてればまだしも尊敬されたろうに……!」
「同感です。変に功名心が強いタイプです」
「器小さすぎでしょ……からまれるキャシーが気の毒だわ」
 人選間違えたかな、と己の選択を悔いる常夜。
 だが富永常夜はキャシーの心配をしている場合ではなかった。自分の身に別の災厄が降りかかってきたからである。
「常夜さんは……キャシーさんの味方なんですかああああ……泥棒猫なのに……小夜からビリーさんを奪ったのに……!」
 奪ってねえよ。もともとビリーの彼女だよ。
「応援してくれるって言ったのに……」
 そのような発言をした覚えはございません。まったく記憶にございません。すべて諜報員がやりました。
「小夜ちゃんにもきっといい人が現れるから……ね?」
 なだめに入るキャシー。
 ほんと出来た人ね。彼氏の犯罪を弁護し、東風の逆恨みをかわし、傷心の小夜のケアまでやるとは。聖母かよ、うちにスカウトしたいくらいだわ。交渉担当(ネゴシエーター)としてこれほど心強い人材はない。
 かくして防犯課の創設は、ならず者どもを阿鼻叫喚の地獄に叩き落した。ついでに内務省にも阿鼻叫喚の地獄が生まれたのである。
「聖母キャシーに甘やかされたい……」
 常夜はため息をついた。



「愛川さん、治安局の防犯課ってご存じです?」
「あー、最近噂の」
「マジでヤバいらしいですよ。大物が次々捕まってる……愛川さんも」
「あー。俺は大丈夫だよ」
「でも……!」
「大丈夫だって。だって俺は……」


「……愛川恋次(あいかわれんじ)。彫刻家志望のフリーター」
 明石課長が甘めのルックスの青年の写真を持ってきた。ビリーとは違うが恋愛経験豊富そうな感じ。どことなくダメ男の香りもする。
「女をたぶらかして大金を巻き上げてるらしい」
「……結婚詐欺ね。逮捕よ逮捕」
 富永の言葉に明石課長はにやりと笑った。
「違うんだな、それが。こいつは詐欺師じゃあない。億単位の金を巻き上げてるが、詐欺はしてない」
「……どういうこと?」
「まあこれを見ろ。警察が入手した映像だ……」
 明石はプロジェクターのスイッチを入れた。
 うおおおおおおおと女に頭を下げる男の姿。
「頼むよお、お前にまで見捨てられたら俺はおしまいなんだよおおおおおおお」
「恋次君、もういい加減に……」
「これが最後だ! 俺は必ず彫刻家として成功してみせるからよお……」
「もう……ダメな人。私がいないと何もできないのね……」
 プツン。
 映像が途切れた。
「これ以上見るのは時間の無駄だからやめるが……」
「納得だ。こいつの手口がよくわかった」
「これは騙される方も悪いわ……」
「ひどすぎますね……三文小説にもなりません」
「ビリー君みたいでちょっと可愛いかも……」
「キャシー、それだけはよしなさい」
 聖母属性を発揮しかけたキャシー交渉人を止めに入る富永分析官。結局ビリーが経営していたバーはつぶれ、キャシーは勤め先を探していた。そこを常夜がスカウトしたのだ。
「キャシー・キャロル・キャラハンの採用を進言します! ネゴシエーターとして最適の人材です」
「確かにあれだけの弁護ができるならな。それに、なんというかこう……」
 テストで測るのが難しくとも、どんな人間にも天与の資質というものがある。それが明石の考えだった。
「キャシーにはなんというか、持って生まれた、その……」
「聖母スキル」
「それな」
 うまい言葉が見当たらずもごもごしていたところに常夜が当意即妙の答えを与える。
「どのみちいつまでも5人でやるわけにはいかん。そろそろ人員を増やさねばならんところだ。だが……」
 例によって面白い奴がいない。
 せっかく強大な権限を与えられたのだから、尖った連中だけを集めて最高の諜報部隊をつくりたい。それが明石の望みだ。
 彼氏を守るために行ったキャシーの弁護は、法廷の歴史に残る傑作であった。その後も諸々の手続きで顔を合わせる機会があり、そのたびに小夜に絡まれていたが、上手になだめていた。刑務所でうなだれるビリーを励まし続け、税理士という新しい夢を与えた。東風のいちゃもんも「本当に偉大な人は新聞には載らないものよ」などと言ってかわしていた。
「絶対にうちに欲しいわ……」
 常夜の強力な推薦。それもそのはず、自分の胃袋がかかっている。これ以上小夜の相手をさせられたら胃潰瘍で入院する羽目になる。
「キャシーをネゴシエーターに……ふふ、面白いかもしれんな。局長に打診しておこう」
「よっしゃあ!」
 本当はネゴシエーターというよりも今名小夜対応係として欲しかったのだが。あと甘やかされたい。個人的に。

 局長の許可はすぐに下りた。
 そんなわけでキャシー・キャロル・キャラハンは防犯課のネゴシエーターとして着任したのだ。当初は対抗心をあらわにしていた小夜も、やがてキャシーの聖母スキルにほだされた。
「ふ……認めてあげてもいいですよ……ビリーさんはキャシーさんにお譲りします……」
 もともとあんたが一方的に宣戦布告しただけだからね?
 ここまで言われてもにこやかに「ありがとう、今名さん」と返せるキャシーはほんと人格者だなあ。ちょっと派手めだからって偏見もってたわ。


「……で、今回の標的。愛川恋次だが……」
「あのふざけた三文芝居で金巻き上げてんでしょ? そこを抑えて……」
「抑えてどうする?」
 はっとする富永に明石はにやりと笑った。
「そうだ。愛川は詐欺なんてしてねえのさ。億単位で金を巻き上げるがやってるのはあくまで金の無心だけ。詐欺をした証拠はない。俺の勘だがたぶん本当に詐欺はしてない。だから、単なる贈与扱いだ。贈与税も払ってるよ」
 つまるところ天性の女たらし。それが愛川恋次という男だった。
「疑問だ。ならそもそも逮捕などできないしする必要もない。単なるダメ男だろう」
 ここまで行くと逆に才能かもしれないが、と深月は付け加える。
「深月君の言う通りなんだがそういうわけにもいかないんだな、これが」
 明石の説明が始まる。
 愛川恋次。彫刻家志望のフリーター。
 美大卒業後ふらふらとしていた。彼を知る教師からは「芸術の才能はない」と言われていた。実際その通りで、彼が作る作品はお世辞にもうまいとは言い難かったが、本人はそれを時代を先取りした表現だと言い張っていた。
 ここまではよくある話。だがここからが面白い。
 愛川には芸術の才能はなかったが、女たらしの才能はあったのだ。
 生活の困窮を心配した美大時代の恩師が簡単な仕事を回してやった。だが本人はやらないという。世紀の大傑作を残す仕事以外はしたくないという。生活はどうしているのかと聞くと、女のもとにいるのだという。
「恩師が調べると、ある貴婦人から数千万円の贈与を受けていたことが明らかになったんだ」
「その貴婦人は頭が悪いのね……」
「ちょっと気持ちわかるかも……」
「正気に戻りなさい、キャシー! あなたはうちに必要な人材よ!」
 そっち方面で聖母スキルを発揮しちゃダメ! 私を甘やかすのに使ってよ!
「……無罪だ。残念な奴だが犯罪は犯してない。貴婦人の同意があるなら問題ない」
「深月の言う通り。だが……」 
 御多分に漏れず愛川には遊びの癖があった。夜な夜な貴婦人の金で遊びほうける。その金は怪しい方面に流れ、巡り巡ってならず者たちの資金源となる。
「怪しい店で遊んでるところを逮捕しなさい!」
 声を荒げる常夜。少々感情的じゃないか。もしかしてこいつ、昔何かあったのか?
「不可能だ。現行法では違法組織の経営する店に金を落としても客を罪に問うことはできない」
「その通り。法改正の動きもあるんだが、それをやられると困る人が上にもいるんだなー、これが」
 愛川恋次が貴婦人から受け取った金はほぼそのまま怪しい組織に流れる。だがその過程で法を犯しているわけではない。愛川はその後も数々の女性に無心を繰り返し、受け取っては遊び惚け、ついには地区の予算に匹敵する金が違法組織に流れたと推定されている。
「今では法に触れない天然の資金源としてならず者たちに重宝されているらしい」
「なんて迷惑な話……!」
「きっと思うように作品が作れなくて苦しいのよ……」
「ダメえええええ! そっちに行っちゃダメえええええ」
 たしかに犯罪は犯してない。だが莫大な金が違法組織に流出するのは見過ごせない。
「局長も手を焼いている。こんなふざけた方法で法の目をかいくぐられるとは……」
「法律に問題があるんじゃないかしら……」
「だから言ったろ? 改正したくてもできねえの! 偉い人も遊んでるんだから!」
 この国の未来が心配である。
「いいか、今回の任務は愛川の逮捕じゃない。罪状がないからそれは不可能だ。目的はあくまでも奴を通した資金の流れの調査だ。奴が遊びに使った金がどこに吸い込まれているのかを調べるんだ」
 うーわ、めんどくさそう。常夜はげんなりとした。
「キャシー、よしよしして……」
「この人、やっぱりビリー君みたい……よしよししてあげたいかも……」
「……」
 やっぱり人選間違ってたかも。またか、また私は人選ミスったのか!
 
 富永常夜の懸念事項はもう一つあった。小夜のことである。
 先ほどのミーティングに小夜は出席していなかった。単独である犯罪組織の情報収集にあたっていたからだ。ヤンデレモードになった小夜は正常な会話が不可能になるので放し飼いにしておいた方がよい。そろそろ定時連絡の電話が来る頃か。

 ――プルルルル……

 来た。
「はいもしもし、防犯課分析官富永常夜……」
「びええええええええええええええん!」
「その様子だと任務成功みたいね……」
「ひどいんですううううう君と暮らすより刑務所に入ったほうがマシだって……!」
「任務成功おめでとう。じゃ、切るわね」
 ガチャリ。
 受話器を置く直前、容疑者の悲鳴が聞こえた気がしたが気のせいだろう。

「ふう……」
 コーヒーを口に含み、富永はパソコンの前で腕を組む。
 愛川恋次調査作戦の計画立案が行き詰っていたからだ。張り込むべき店が分からないのではない。金の流れが追えないのでもない。
「誰を現地に行かせよう……?」
 今名小夜だけは行かせてはならない。これは確実である。愛川恋次に惚れられでもした日には、内務省の予算が溶ける可能性がある。
「キャシーがうまくやってくれればいいけれど……」
 とはいえキャシーは潜入捜査の訓練は受けていない。彼女の担当はあくまでも交渉なのだから。
「木枯君……いや」
 意外と虚栄心の強いタイプだったなあ。めんどくさいことこの上ない。
「まあ……木枯君と私で行くほかはないか。今後キャシーには訓練を受けさせて……」


「絶対に今名小夜を送り込まねばならん」
「同感です。富永は反対するでしょうが……」
 愛川恋次。この最強の女たらしと防犯課の誇る(?)最凶の諜報員を衝突させたい。明石は小夜への入れ込みから、深月はデータが欲しくて。
 小夜が愛川に惚れたらどういう泥沼になるのか、想像しただけでも心躍るものがあるではないか!
 事によってはあの突然変異のジャガイモのような作品に内務省の予算が溶けてしまうわけだが。
「絶対、富永は反対するだろうなあ……」
「同感です。しかし興味深い結果が得られることは間違いありません」
「何とかして小夜と愛川を引き合わせたいものだなあ……」


 その夜、防犯課会議室。
「反対! 断固反対っっ!」
「いくらなんでも惚れさせて失恋させるのはかわいそうだわ……」
「別に惚れさせるわけじゃない。けしかけるだけだ」
「誘導だ! 誘導だから犯罪ではない……」
 反対派は富永とキャシー。賛成派は明石と深月。
「木枯君はどっちなの?」
「……え? 私はどっちでもいい……」
 風見鶏が一名。木枯東風である。
「だいたい小夜が奴に惚れるかどうかわからんしな」
「小夜ちゃんが奴に惚れたら内務省の予算が傾くわ……」
「どっちでもいいよ。給料さえ出るなら」
「その給料が出なくなるわよ」 
 東風は肩をすくめた。
「まあいいじゃないか。仕事はできるみたいだし。そんならやってくれた方がいいさ」
「そんな……」


「ねえ、小夜ちゃん。この人についてどう思う?」
「どうって……」
「答えたくなければ答えなくてもいいのよ」
 富永は小夜に愛川恋次の写真を渡した。
「んー、別にタイプじゃないですね」
 毎回そう答えるのよね。
「この人に貢いだりしない?」
「ええー、するわけないじゃないですかー。小夜は財布のひもは固い方ですう」
 本当だろうな?

「……残念だ。今名小夜は愛川恋次がお気に召さなかったようだ」
「いやいや、まだわからんよ。これからデレるかもしれんぜ」
 おいこら推進派二名。聞こえてるからな。

 結局、諜報員としては小夜が派遣されることになった。
 成績が圧倒的であったことと、明石の後押しが原因である。
「あの子が貢がせるタイプの男に惚れたら最悪よ……!」
 富永の反対を押し切って小夜の派遣は決定された。今日ほど自分に人事権がないことを恨んだ日はない。
 
 
「作戦の概要を説明する」
 明石晩山課長が皆の顔を見渡した。
「目的は愛川恋次(以下標的)の資金調査だ。調査期間は三週間を予定。キャシーが加わる初めての任務となる……」
 実働班は富永常夜、木枯東風、今名小夜。後方班は明石晩山、深月悟、キャシー・C・キャラハンだ。
 実働班は尾行と標的への接触を担当する。後方班は指揮、通信、交渉を担当する。

 標的の自宅は既に分かっている。発見次第、初めの一週間は尾行に徹する。標的が出入りした建物、接触した人物はすべて記録する。
 続いて標的とのコンタクトを図る。
 場所は繁華街の会員制バー・オレンジクラブ。内務省の囮捜査用の偽装店舗だ。この店に標的がしばしば訪れることは確認済みだ。
 そこで今名小夜は常連を装い標的と接触する。接触の方法は実働班に任せる。
 その後は本人から情報を引き出しつつ、後方班が裏を取る。状況次第では愛川恋次を我々の協力者に仕立て上げる……
「え……愛川を協力者にするの?」
 富永が驚いた声を上げる。
「そうだ。愛川は資金が集まるハブだと言ったろう。ならば奴を我々の協力者にできれば、以降は放っておいても違法組織の動きを奴を通して追跡できるってわけだ」
 富永は明石の考えがようやく読めてきた。
 なぜ彼が小夜の派遣にこだわったのかがわかった。
「愛川に音を上げさせるため……!」
 小夜を送り込めばどんな男も悲鳴を上げる。参ったところで交渉人キャシーの聖母スキルで落とす! そうすれば地下経済の中心に防犯課のスパイを手に入れたことになる!
「やりますね……さすがは課長」
「ふふふ……なんのことだ?」
「小夜はお二人のお話が分かりません……」
 わからなくていいのよ。

「さあ、明日の朝から作戦はスタートだ。うまくいけばこの町の地下経済の全貌が分かるかもしれんぞ?」


 作戦開始!



 第四章 愛はすべてを解決するか? 

「ねえ恋次君、今は何を作ってるの?」
「今世紀最大の傑作……宇宙の瞬き、という題だ……」
「破裂したタイヤにしか見えないよ……」
「ああ⁉」
「ご、ごめんね、私が恋次君の作品を理解できないから……」


 防犯課の6人は愛川恋次の作品を鑑賞していた。愛川はネット上に小さなウェブサイトを開いており、そこで作品を買うことができるのだ。RENJI光と闇の作品展。一点5,000円から。 
「おいおいただのゴミじゃねえか!」
「交尾に失敗したイソギンチャクよね、なかなか個性があって……え、壷なの、あれ?」
「駄作だ、才能は皆無だ……」
「何がRENJIだ、あれで5000円だと……ウナギが食えるわ!」
「私、あのカタツムリ買おうかしら……」
「やめなさい! それにあれはカタツムリじゃなくてトンボだそうよ!」
「形からして違うじゃないですか……小夜には彫刻は理解できません……」
 結論。
 愛川に彫刻の才能なし!
「一応接触の前に作品を鑑賞したんだが……まさかあれほどとは」 
 選挙カーじみた公用車の中で明石が天を仰いだ。
「なんであんなのに貢ぐ奴がいるかね? それも億単位で」
「資金の流れだけ洗い出せばよかったのよ! 誰よ作品見てみようとか言いだした奴!」
「私です……」
 常夜の怒声にキャシーがおずおずと手を上げる。そうだったね、あんただったね。
「キャシー……あんたちょっと男に甘いところあるわよ」
「すみません……」
 愛川恋次の尾行を開始して一週間が経過した。標的の行動パターンは掴んだし、接触のある人物もリスト化した。犯罪組織に莫大な資金を流しているのは間違いない。富永はパソコンのディスプレイにくぎ付けになっている。
「……複数の店でお金を使っているわね。内務省の偽装店舗オレンジクラブを除いて、いずれも違法組織と繋がりのある店ね」 
「これでも逮捕できないってのがなー」
「矛盾だ。法治国家の矛盾というものだ」
 富永のキーをたたく音が止まった。
「これはすごいわ……この町の地下経済の総売り上げの3割がこいつ一人で回ってるようなものよ」
 明石の瞳が怪しく輝く。
「やはり俺の見立て通りだ。こいつを抑えれば相当な情報が手に入る。何としても説得してこっちに引き込まないとな!」
 防犯課の面々に緊張が走った。
「接触は今夜だ……みんな、頼んだぞ!」


 内務省偽装店舗オレンジクラブ。
 繁華街の路地裏にある目立たないバーだが、値段の割に味のいい店ということで地元ではなかなか評判であった。値段の割に味がいいのは当然、内務省が裏で資金提供をしているから安く提供できるのだ。
「やあマスター、席空いてる?」
「ああ愛川さん、お席は用意してありますよ」
 マスターは愛川をいつもの席に案内した。そしてカウンターに戻ると、レコードのCDを入れ替えた。
「……来たみたいだな」
 奥の席に待機していた東風が呟く。BGMの変更は標的の来店を意味するのだ。
「深月……明石課長につないでくれ」
「了解だ。ちょっと待て……」
 通信の切れる音がして
「はい、こちら明石」
「標的が到着しました」
「了解。状況開始……標的に接触せよ!」

 今名小夜は標的に接近した。
 まずは標的から二つ離れた席に座り、常連客の風情でマスターを呼ぶ。
「はい、いつもの。かしこまりました……」
 その様子を祈るように見つめる防犯課の面々……

 後方班(明石、深月、キャラハン)
「頼むぞ小夜。奴に惚れろ!」
「期待です。貴重なデータがとれそうです……」
「あなたの力で更生させるのよ、小夜ちゃん!」
「キャラハン……、お前こっち派か」
「意外です。だが仲間が増えて困ることはない」


 実働班(木枯、富永)
「お願いだから惚れないで……」
「手柄になればどちらでもよい……」
「ああいうタイプはだめよ……身の破滅よ……」
「富永、お前昔何かあっただろ」
「うるさい‼」


 小夜は席に着き音楽を聴いている風を装う。傍から見ると完全に店の雰囲気に溶け込んだ常連である。
 近すぎず遠すぎない距離で愛川の様子を観察する。しばらくはこのまま時間をおき、愛川の警戒が解けるのを待つ。
 愛川にまったく関心を持たないと、逆に不自然である。といって関心を持ちすぎても不自然である。その中間的なライン、常連客が別の常連客に対して持つであろう適切な関心を小夜は抱いていた。

「うーん、やっぱ尾けるのうまいなあ」
 現場の映像を前に明石は舌を巻いていた。
「あれだよ、あれ。最近の内務省には尾行すら満足にできない奴が多いんだから……」
「やはり違うんですか?」
「キャシーよ、そこが違うんだなー。標的を追い回すには、やはり、ある種の執念みたいなものが必要なのさ」
「納得です。どうりで非行少年の尾行で負けたわけです」
 グサッ!
「深月……お前言うねえ」
 非行少年の尾行で今名小夜に後れを取ったこと。これは未だに明石の内部でくすぶっている。あの時、自分は彼女を発見できなかった。だが彼女は自分を発見した。
「いや、油断していたんだ……完全な言い訳だが」
「はあ……」
「次は万全な状態で手合わせ願いたいね。このままじゃ俺の立つ瀬がないからな」
 はっはっはと愉快そうに笑う明石。
「問題は小夜ちゃんの執念の動機です……捜査への執念じゃなくて異性への執念でしょう」
「動機なんて何でもいいよ。俺だって楽しくてやってんだから」
「同感です。楽しんでやるのが一番」
 はっはっは、と笑う明石と深月。この人たちって似た者同士よね。
 キャシーは呆れて映像の方に目を落とす。
 そこには、小夜の席の向かいに腰掛ける愛川の姿があった。二人は何やら話をしている。聞き取ることはできないが、どうも愛川が会話の主導権を握っているらしい。
「これって……」
「ん……おお! 接触に成功したか!」
「疑問です。計画では今名が標的に接触する予定でしたが……」
「向こうから来たみたいだな。ナンパか?」
「不明です。音量上げます……」



 予想外の事態が起きた。
 小夜がポジションについて20分程度。実働班がそろそろ接触するかと考えていたところで、愛川の方から小夜に声をかけてきたのだ。
「ちょ……計画にないぞ」
「アクシデントね……でも好都合だわ」
 向こうから声をかけてきたということは警戒をしていないということだ。
「チャンスよ……小夜ちゃん、うまく懐に忍び込んで!」
「音声拾いまーす」



「君、かわいいいいねーーー」
「……」
「チミのお名前なんてええの? 俺はあ、愛川恋次! 天才彫刻家RENJI! よろしくねかわいこちゃん」
「……」
「俺の作品気になる? 気になっちゃう⁉ 小夜ちゃんには特別に見せてあげよっかなあ……」


「……なんじゃあいつは」
「標的です。愛川恋次です。顔写真と一致します」
「知ってるよんなこたあ! あんなボケナスに地下経済が依存してるってのか⁉」
「ビリー君よりひどいわ……」
 

「しゃキタこらああああああああああ!」
 実働班の富永は小さくガッツポーズをした。
「あれにはさすがの小夜ちゃんも堕ちないわ! 硬直してるもん!」
「完全に固まってるな……」
「うまくかわしながら話を引き出しなさい……そうすりゃ任務完了よ!」


 こちらは後方班。
「あー……。めんどくせ。俺もう帰ってビール飲みてえ」
「同感です。ふざけた彫刻を作るだけはあります」
「……」
 防犯課の面々にしらけムードが漂う中、キャシーだけは小夜の動きを注視していた。男を見る目がない者同士、通じるものがあったのかもしれない。小夜の唇は真一文字に結ばれていたが、やがて少しだけ開いた……!
「小夜ちゃんが何かしゃべります!」
「……‼」

 ――小夜は……

「待て、このパターンは……!」
「小夜ちゃんだめええええええ!」

 ――小夜は……

「おいおいあんなのに惚れるのか⁉ 勘弁しろよだがそれでいい!」
「同感です、恋に落ちろ今名小夜……!」


 ――小夜は、あなたみたいな男性は嫌いです‼


「キタああああああああああああああああ!」
「何で惚れねえのおおおおおおおおお!」
「同感ですううううううううううう!」
「私よりかは見る目あったのねえええええ!」


 標的と小夜の言い争いが始まった。
「な、なんだよお前……RENJI様がナンパしてやってんのに……!」
「はあああ⁉ あなたなんかに言い寄られても嬉しくありません! 個展だって開いてないくせに!」
 グサッ! 
「これから開くんだよおおおおおおおおおお!」
「だいたい何ですかあの作品! 鋳造に失敗した鎧ですか!」
「サボテンじゃああああ!」


「それでいいのよ小夜ちゃん……! お姉さん嬉しいわ……!」
「まあ一応標的だからもう少しおだててもいいんですけどね」
「運命の人に出会ってしまいました……じゃないんかい!」
「同感です。ビリーには惚れたくせして……!」
「あら深月さん、ビリー君は素敵な人よ?」
「ふぇっ……すみません失言です」
 これ以降、キャシーと深月の間にはかなり深い溝ができてしまった。


「もうブチ切れた! お前なんざ知らん! 俺が世界のRENJIになってから謝ったって遅いからな!」
「なれるわけないですうー! 痛いだけの珍事で終わるに決まってますうー!」
 なんか色々見てきて思ったけど小夜ちゃんって結構口悪いわよね。 
 愛川はそのまま怒って帰ってしまった。
 標的を取り逃がしたから任務失敗なのだ、が……
「よくやったわ小夜ちゃん……!」
 富永は泣きながら小夜に抱き着いていた。
「それでいいのよ! ああいう手合いにはビシッと言って追い払わなきゃダメよ!」
「いや標的だから追い払っちゃダメなんですけどね?」


「……なんなんだよもー、惚れねえのかよ!」
「残念です……今名小夜の潜在能力を調べるチャンスだったのですが」
「RENJI君……帰る当てはあるのかしら……」

 実働班では小規模な宴会が開かれていた。任務には失敗したくせに。
「マスターちょっと! もう少し持ってきて!」
「い、いいんですか? 今の旦那って標的だったんじゃ……」
「いいのよ! 小夜ちゃんってばほんとにいい子!」
「同僚がまともな人間である可能性が出てきたんです……祝うのは当然でしょう」
「痛いだけの珍事は傑作だったわ!」 
 
 後方班の空気は重かった。任務に失敗したからではない。
「んだよもう……やってらんねえよ……」
「疑問だ。ああいう口だけの男は嫌いなのか……じゃあなぜビリーには惚れた?」
「深月さん。ビリー君はまじめな人です」
「ふえっ……訂正します」
 かくして深月とキャシーの溝はいよいよ深まるのである。どうでもいいけど深月君は舌禍事件に気をつけようね。課長は君のこともう少し慎重な奴だと思ってたよ。
「まあ仕方ねえ……小夜が任務に失敗したことだし……」
「局長に怒られるかしら」
「大丈夫大丈夫。俺が奴の後をつけるよ。久々に軍警察スキルを発揮するわ」
 ちょっと外すぞと言ってその場を後にする明石課長。
 だが事態はまだ終わっていなかったのである。

 ところ変わって実働班。
「なんかわかりませんけどいいことあったみたいですね」
「そうなのよマスター……もう小夜ちゃんったらあ、お姉さんは今まで誤解してたわ……」
「やればできるじゃないですか、いいんだよそれで!」
「能力があるんだから変な惚れ方さえしなければ言うことないのよ!」
 宴会からしばらく黙りこくっていた小夜は、ようやく口を開いた。
「小夜は……小夜は……」
「ん、どうしたの? 何か欲しいものでもあるの?」
「今なら富永が買ってくれますよ。私は奢らないけど」

 ――小夜は……運命の人にひどいことを言ってしまったかもしれません……!
 
 オレンジクラブに常夜の悲鳴が響き渡った。


「はいはい世界のRENJI君はどこかなー。正義の防犯課が捕まえちゃうぞー?」
 いや逮捕は無理だったわ。あいつ犯罪は犯してないもん。
 肩を落としながら明石は愛川の後をつけていた。向こうは少し酔っぱらっているし、特に難しいこともない。
「んだよ……小夜はこういうのはタイプじゃねえのかよ……がっかりだよ……」
 その瞬間。
 トントンツー。トントントン、ツー。
 こいつは……!
「お出ましか。でもタイプじゃなかったんじゃねえのか?」

 ――タダチニリダツセヨ。レンジハワレノヒョウテキナリ

「相変わらず姿を隠すの上手だねルーキー。でも課長さん、今度は負けるわけにいかねえの!」

 ――キョヒスル。ニンムノホウキハユルサレズ!

 明石は犬歯をむき出しにした。愛川の情報を多く入手した方の勝ちである。

「聞いてたな? 深月、指揮代われ。俺は今から実働班だ」
「了解です。が、早く帰ってきて頂きたい」
「約束はできないね。相手が相手だもん」
「後生です。キャラハンと二人きりは嫌だ……!」
「深月さん。あなたは少しビリー君のことを誤解しているようね……」
「自業自得。人間関係を勉強するチャンスよー?」
 ぎゃああああ、と深月の声が聞こえてきた。

 明石課長は深月との通信を切った。こういう機器の類はこれからの戦いでは邪魔になる。ここからは己の五感だけが頼りだ。
「南西……250m」
 今名小夜はあまり動いていない。こちらの様子を伺っている。
 下手に先行して愛川に接近すれば背後から襲撃されると踏んでいるのだ。実際、明石もそれをやる気でいた。
 同じチームだが今はライバルだ。俺が先に動けば奴が、奴が先に動けば俺が、互いの背後を取る。
「我慢比べだな……」
 小夜の足音に耳をそばだてながら少しずつ愛川との距離を詰めていく。
 ちょうど正三角形。
 愛川、小夜、明石を頂点とした一辺100m前後の正三角形。それが今の陣形だった。
 その形を保ったまま、愛川が移動すればそれに付随して残りの頂点も動く。そして……
「別の店に入ったか……」
 愛川は飲みなおそうと思ったのか、別の店に吸い込まれていった。店名はラ・モール。内務省の息はかかっていない。
「どうする? 小夜……?」
 向こうもこちらの様子を伺っている。店に入るか入らないか? 入るならどちらが先に入るのか?
 いつまでも外にいるわけにもいかない、だが先に入れば相手に有利なポジションを与えることになる。
「俺に背後を取られるのは嫌か……だが」
 森臼信号。 

 ――オンナノコガイルミセダゾ

 動いた! 小夜が先に店に入っていった! 足音から窺がう限り、100mの距離を10秒足らずで詰めている。化け物か? 

「ちいっとズルだったかねえ。でもさすがに二度も負けるわけにはいかないの」
 明石は店の壁に耳を押し当て、中の様子を伺う。そして小夜の潜伏位置を確認すると、裏口に回って悠々と小夜の背後を取ることに成功した。

「気づいてるよな? 俺に背後を取られてること……!」
 気づいていないはずがない。だが愛川恋次が他の女性と遊ぶのを見過ごすわけにはいかない。
「ジレンマだねえ……どうする? ルーキー」
 物音はしない。だが小夜の焦りといら立ちが伝わってくる。
「優れた諜報員は盤外戦術も使えるのさ……覚えとくといいぜ」


「ねえ聞いてよ。今日めっちゃ生意気な奴がいたの!」
「えーマジあり得なーい。恋次君に言い寄られてそんなこと言うとかー」
「だよなー! みんなそう思うよなー! あいつマジいつか泣かしてやる……」
 口裏を合わせてはいるが、正直恋次に同意できないラ・モールの女性たちである。
 ――その子の言葉って正しかったんじゃないかなあ……
 ――痛いだけの珍事ってセンスあるわその子
 ――いい加減才能がないことに気づけよな……客だから言わないけど


「恋次さあああああああああん!」
 突如、乱入してきた女がいた。見ない顔だなと思うが、恋次の態度からたぶん例の子だとわかる。殴りに来たのか? いいぞ、スカッとするからやっちまえ。私たちが普段言えないことをよくぶちまけてくれた!

「恋次さんごめんなさいいいいい。小夜は恋次さんの才能が見抜けなかっただけなんですううう」
「なんだてめえ! さっきまで俺の作品侮辱してたじゃねえか!」
「誤解だったんです許してくださいいいいい! 小夜は今になって恋次さんの才能に気が付きましたあああああああ!」

 ――あれ? 聞いてた話と違うぞ 

 泣きながら世界のRENJIに許しを請う謎の女の姿に、店員たちも戸惑う。

 ――君、道間違えてるよ! 痛いだけの珍事で正解だよ!

 今名小夜はすっかり愛川恋次にほだされていた。

 残る4人のメンバーも急遽現場に集合していた。明石課長の通信を受けて、彼の潜伏場所に集合したのだ。肩で息をしながら、富永が吐き捨てるように言う。
「なんなのよあれ……! ひどすぎるわ……!」
 東風もひどいと思った。せっかくまともな道を歩もうとしていたのに。
「……複雑だ。乙女心は複雑だ……」
 深月技官。もしやそいつは俳句かな。季語すらないじゃん下手ですね。
「深月さんわからない? つれなくされると惚れるタイプなのよ……」
 さすがはキャサリン氏。その道の専門家。
「背後は取ったが襲撃のタイミングが……」
 あなたは小夜の上司ですよね?

 追われると拒み、拒まれると追う。それが今名小夜の厄介な性格であった。絶対幸せになれんだろうな。
「ほんと諜報員向きの性格だな……!」
 明石課長が感嘆の声を上げた。
 標的が逃げれば逃げるほど追うというわけである。
 ラ・モールの店内は既に修羅場と化していた。


「恋次さんごめんなさいいいいい! 小夜は恋次さんの才能が見抜けなかっただけなんですううう!」
「へー。じゃあこの作品の題名当ててみてよ」
「ふえ……それは……」
 無理ですよ。いくら小夜でも無理ですよ。植物か軟体動物か……いやもしかして脊椎動物か? 予想だが「目薬を差す鮭」だろう多分。
「か……髪を切る人……?」
「ブブー! 前髪を切る人だ!」
「びええええええん! すみませんすみません」
 ほぼ当たりじゃねえか! あれで髪を切ってる人間だと分かった小夜がすげえよ! 脊椎動物かすら怪しいのに!
 絶対その子逃がしちゃダメだよ……お前の才能(あるとしたら)理解できるのはそいつだけだよ!

「じゃあこれは」
「う……ううー……」
 以下は防犯課面々の予想回答。
「ビール腹の松ぼっくりじゃねえか……?」
 なんか丸いですもんね。まだ気持ちはわかる。てか単に酒が飲みたいだけでしょ課長。
「確定申告を出し忘れたたい焼きじゃないかしら」
 富永さん、もはや意味が分からないよ。たい焼きって法人なのか? 書類仕事で疲れたから甘いものが食べたいのね。
「難解だ……が、処理落ちしたピアノだろう」
 深月技官、ピアノはデジタル機器ではありません。あんた技官だろ!
「冬眠してるビリー君、よね……?」
 キャラハン氏、弁護の才能はどこ行った。あんたの大切な恋人は熊か?
 なお東風の予想はメロンから生まれたスイカ、である。丸いからこれで正解だろう。

 小夜の解答は?

「ひ、一休みする蜂……」
「ぶぶー。腰痛の蜂!」
 蜂ってところ当たってた! あいつ天才か?

「なかなかやるな。じゃあ次」
「ふええええ……小夜はRENJIさんの才能についていけません……」
 ついていかなくていいと思うぞ。なんか知らんが、ただの針金だろう。以下、予想回答。
「……お通しのイカ刺し!」
 課長はもう酒のことしか頭にないんですね。次、富永!
「白い壁を見るとでてくるもやもや……」
 それは飛蚊症じゃないか? 眼科に行きましょう。富永は疲れてるみたいだ、頼むぞ深月技官。
「簡単だ。中古のアンテナだ」
 私もそのあたりだと思うんだがなあ。キャシーさん!
「ビリー君のハンガー?」
 いい加減恋人から離れましょうキャサリン氏。あんた少し小夜に似てるよ。そっちの素質あるよ。
 気になる小夜の解答は?

「ペガサスのたてがみ……ですよね?」
 待て。妙に確信めいた言い方だな。これはまさか……
「……正解だ! お前は俺をわかってくれる女だ!」
 ええー。それはペガサスに蹴られるんじゃないかなあ。針金がたてがみとか、乗ったら痛いじゃんか!
「うふふ……嬉しい……小夜は、RENJIさんの才能がわかっちゃいましたああ……」
「おう、お前は俺のファン第一号だ!」
「ファン第一号……うふふ……本当ですか……? 小夜がRENJIさんの才能を理解した唯一の女ですか……?」
「……え? ああ、唯一だよ唯一!」
「うふふ……素敵……」
 あーあ、やばい言質与えちゃったね愛川君。
 愛川恋次の受難が確定したところで、明石課長の締めのお言葉。

「今日はこれで引き揚げよう。俺が奢るからみんなで飲みに行こう。あの二人は……諦めよう」
 それがいい。

 ……課長のおごりで飲むお酒はおいしかったです。
 明石課長がうわばみなのは予想の範囲内。軍警察時代の武勇伝は聞いててうんざりしました。ご婦人がいる席でお話ししていい内容ではありません。絶対にバレない盗撮の方法など教えられても困ります。今はそういうの厳しいですよ。
 富永分析官と深月技官の論争はうるさかったです。今名小夜の運用方法について激論を交わしていました。賢い人間同士が意見を対立させると面倒なことになるんだなあと思いました。正直あまり論点が嚙み合っておらず、無益な論争に思えました。よいこの皆さん、仕事に関する議論はお酒が入っていないときにやりましょう。
 キャサリン氏はお酒が入ると泣き始めました。ビリーの逮捕をまだ引きずっているようです。気持ちは分かりますが、私にビリーとの思い出を語られても困ります。初めて出会った場所は病院の待合室。初めての口づけは仏滅の日だったそうです。あまりロマンチックではありませんが、黙っておきました。この人やっぱり小夜に似てます。
 東風は、かえってストレスがたまりました。
 
 そして翌日。一番面倒な人が現れました。

「どうしてみんなRENJIさんの才能がわからないんですかああああ!」
「小夜ちゃん目を覚ましなさい……」
「私、ビリー君よりこの子の将来が心配だわ……」
「RENJIさんは犯罪なんてしてないじゃないですかああああ」
 それは本当だから厄介なんだよな。この場合。
「みんなしてあの人のことを誤解するんですうううう! あの人を評価しない画壇が悪いの!」
 あの晩。
 今名小夜はラ・モールの一室でえんえんと世界のRENJIの芸術論を聞かされた。普通の人間なら気分が悪くなるであろうが、今名小夜はいたく感銘を受けたそうだ。  
 いよいよ自分の理解者を得たと思ったRENJIは、近く公募に出展する計画を打ち明けた。恩師は恥をさらすだけだからやめておけというのに、小夜の無条件の盲信と信仰を受けて、愛川恋次はいよいよ創作意欲をかきたてられたのである。
「やれます! RENJIさんなら必ず特賞です!」
「やはりそう思うか! 最近自分の才能を疑ってたところだが、君がそう言うんなら間違いない……」
 小夜の狂信的な愛情と芸術家気質は案外相性がいいのかもしれない。嫌な話だなあ。

「……意外とアリかもしれんな」
 明石課長の言葉に東風は耳を疑った。
「え……あの作品がですか」
「違う。愛川と小夜の関係がうちらにとってプラスになるということだ」
 どういうことです、と問う東風に明石は説明を始めた。
 調査の結果、愛川は遊びを通して予想以上の金を違法組織に流していることが明らかになった。富永は激怒していたが、彼を裁く法律がない。結局愛川の遊びを止められなければ、この難題は解決しないのだ。
 愛川の資金源は金持ちの婦人からの贈与。だが今名小夜はそれを許さないだろう。
 加えて言えば、女性のいる場所で遊ぶことも小夜は許さない。
 愛川は女から金を受け取り、別の女に金を流すことで結果的にならず者の資金源となっているのだ。
 ……だが。
「小夜が嫉妬すれば他の婦人らを蹴散らすのは間違いない……」
「小夜ちゃんなら遊びも許さないでしょうね……!」
「そうか……そしたら資金の流れは入り口も出口も丸ごと断たれますね」
「うまくいくと恋次君も芸術家として大成するかも」
 相変わらず愛川恋次に甘いキャシーである。あんたやっぱり奴を飼いたいんじゃないか?
 もっとも愛川恋次は犯罪者ではない。資金の流れのハブになってはいるが、犯罪者ではないのだ。芸術家として独立できるならそれが一番いい。
 ……さっそく局長に作戦計画を提出せよ!


「おい小夜……俺は金をもらいにいくだけだって」
「ええ……でも恋次さんの作品を理解できるのは小夜だけだって」
「それとこれとは別なのおおおお! 今月の生活費が足りないのおおお!」
 はあ? と光の消えた小夜の瞳。
「生活費は小夜が工面します。恋次さんは作品の完成だけに集中してください」
「いやでも他の女性たちも」
「恋次さんは……小夜が唯一の理解者だって……」
「面倒見てくれた女性は他にもいるんだよおおお」
「っ……恋次さんは黙っててください。小夜が話をつけてきます……」

 いいね。実にいいね。さすがは今名小夜。俺のみこんだ諜報員……
「この分ならば明日にも恋次の資金源は断たれるだろう……」
「同感です。遊びの金も潰してくれれば助かりますが」

「恋次さん? 小夜をおいてどこへ行かれるのですか?」
「あー、ちょっと飲みにだよ。インスピレーションを得るには遊びも必要なの」
「女の人がいるお店ですよね」
「芸術家にはそういうのも必要っつーか……君ならわかってくれるよな⁉」
「わかりません。芸術に女の人は関係ないと思います」
「そのお……世の中付き合いというものが」
「それなら小夜がお供します。唯一の理解者なんですから文句ありませんよね?」
「いやだから」
「お供します」
「はい……」
 すげえ。完全に尻に敷いている。
 こうなったら小夜は止まらないぞ。安易に唯一の理解者とかファン第一号とかぬかしてしまったことを後悔するんだな。
「朗報だ。奴を通した金の流れが急激に縮小している……」


「おい、最近愛川さんが店に来ねえぜ……」
「なんでだよ! いいカモだったのに……」
「愛川さんのファン第一号とかを名乗る奴が営業妨害するそうだ……」
 店の入り口が開いた。いつもあれだけ羽振りの良かった愛川恋次が干物のようになって少女に引きずられている。
「愛川さんの唯一の理解者にしてファン第一号、かつ婚約者の今名小夜です。……本題ですが、恋次さんはもうこのお店には来ないそうです。本人が行くのも嫌だと仰っていました」
 婚約者と言った覚えはないけどね。この店に行くのが嫌と言った覚えもありません。
「ええー。恋次君ってば、もう私たちとは遊んでくれないのおー?」
「……」
 愛川は震えてうずくまっている。
「どうなんですか。恋次さん?」
「いやその」
「……れ・ん・じ・さん?」
「そ、その……芸術家として大成するまでは、来ないかもしれないこともないかもしれない……」
「歯切れが悪い」
「公募で大賞取るまでは来ませええん!」
 そーいうわけなんでえ、と小夜が店の女性たちを睨みつける。
「恋次さんはもう二度とこのお店には来ません。あなたたちがそばにいると恋次さんの才能が輝かないの……」
 なんか話変わってないか。俺が大賞取るまでは来ないんじゃなかったのか。それともあれか、俺に大賞は無理だと言いたいのか。

 
 かくして小夜の監視のもと、愛川恋次は缶詰での創作活動を余儀なくされたのである。
「うふ……素敵……恋次さんが制作をしてるところを間近で見られるなんて……小夜は幸せ者です……」
 3日3晩、愛川の真正面に座り制作の様子を眺めている。編集者かお前は。
「お前……見てて飽きない?」
「飽きません……恋次さんの綺麗な指の動きを見ているだけで、小夜は頭がおかしくなりそうです……」
 できれば作品を見て欲しかったが。
「ねえ……こいつの題名わかる?」
「はい、もちろん……」
 まだ題名付けてないんだけど。
「水の鳥……! ですよね……?」
「……!」
 水の鳥。なんだそれ。徹夜続きで思考が鈍り、さっきから感覚だけに頼ってわけもわからず作品のようなものを作っていた。題名なんて考えてもいなかった。だが、確かに言われてみれば、水の鳥。そんな気がしてくる。その題名がしっくりとくる。
「水の鳥……」
 もしかして俺が求めていた作品とはこれだったのか?
 愛川は小さなころから彫刻が好きだった。将来は彫刻家になるのだと決めていた。だが、いざ美大に進んでみると自分が何を作りたいのかがわからない。
 既存の作品はすべてつまらないものに思えた。上手なだけの作品に思えた。教師の出す課題がどうしてもやる気にならない。どんな作品を見ても虚しさとやるせなさだけがこみあげてくる。これでもないしあれでもない。俺の求める理想の彫刻。それはどこにも見当たらなかった。模倣すべき作品がなかった。

 ――俺は、本当に彫刻が好きなのか?
 
 そんな疑問に苛まれるようになった。
 そしていつしか意欲をなくし、金持ちの婦人のもとに入り浸る毎日を送っていたのだ。

 水の鳥。
 山名小夜が言ったその題名。
 それはなぜか愛川の心をとらえた。その言葉だけが愛川の頭の中をぐるぐると駆け巡る。水の鳥水の鳥水の鳥……!

「ねえ……少し休ませてくれない?」
「お休み? はい、いいですよ。小夜のお膝でお休みになりますか? それとも添い寝……それと」
「いや……そこのソファで仮眠する。君は、おにぎりを作ってくれないか」
「……はい! 小夜は、愛情とお店の女性への怨念を込めておにぎりを作ります!」
「愛情だけでいい」
 そうしてもう一度構想を練り直す。
 なにもわからずに作っていたが、水の鳥という題に合致するようもう一度全体を練り直せないか。大きな部分はそのままでいい……
 いつしかこの作品を完成させたいと望むようになっていた。他ならぬ自分自身がこの作品を最初に鑑賞する人間でありたい。出世のためでも、賞のためでもなく、己自身のために。水の鳥、この未知の作品を完成させることができなければ、自分はこれから何をしても満たされないだろう。救われないだろう。喜びを感じることすらないだろう。
 だが逆に、もしこの作品を己の手で完成させることができたなら。それが誰の目にもとまらずとも、あるいは皆からけなされて酷評されたとしても、愛川恋次はやはり大バカ者であったと世間に大笑いされたとしても――自分は生涯幸せだろう。

 ――俺だけが問題だ

 愛川は思った。
 本当の問題はただ一つ。愛川恋次が心の底から納得のできる作品を作れるかどうかだ。それだけではないか。自分自身をごまかさないこと。大切なのはそれだけだ。
 
 自分が彫刻家になれるかどうかすらどうでもよかった。彫刻家なんて肩書の一つに過ぎないし、なれなければバイトでもしながら完成させればいいのだ。それだけのことではないか。

 ――俺は何を迷っていたんだろう……

 既存の作品がつまらない? ならば学校に文句を言っていないで、面白いと思うものを作ればいい。自分が作りたいものを作れば済む話ではないか。

 一か月後、作品は完成した。

 
「あー……」
 明石課長はきまり悪そうにポリポリと頬を掻いた。
「いやまあ……俺はあいつの才能をはじめから信じていたぞ」
「私もよ。なにか光るものがあったわ」
「同感だ。ビリーとは違う立派な男だ」
「世界のRENJIの才能をはじめに発見したのは私です。年末の特番ではぜひ私を……」
「ふふ。なんだかビリー君と同じ香りがしたのよね」

 愛川恋次の作品「水の鳥」は公募にて副賞を受賞した。残念ながら大賞には届かなかった。
 だがまったく新しい表現の境地を切り開いていたことは事実だ。
 審査員からは「荒削りのためどうしても評価を落とさざるを得なかった。だが彼の今後に期待する」との総評があった。

 愛川恋次は悔し涙を流した。
 大賞が獲れなかったからではない。満足のいく作品に仕上がらなかったからだ。
 結局、今の彼の力量ではどうしても理想の作品を完成させることはできなかったのだ。だが、進むべき道は見えた。
「今後とも精進を続け、必ずや審査員の皆様のご期待に応えて見せます」
 会場は拍手に満たされた。

 愛川恋次は彼の創作活動を支えたファン第一号の女性と結婚するかに思われた……が。
「はあああああああーーー⁉ 女性の像を制作する⁉」
「そ、そうなんだ。新しい仕事で、女性の美しさを彫刻で表現したくて……」
「小夜では不十分だと仰るんですか⁉」
「いやそうじゃない。仕事なんだよこれも……」
 ぷううとフグのように膨れるファン第一号。やがて本棚につかつかと歩み寄り、分厚い本を引っ張り出した。
「恋次さん……これは何ですか。小夜にはわかりません」
「し、資料だよ! やましいものじゃない! 仕事に必要なものなんだ!」
「小夜以外の女性の写真がこんなにたくさん……許せない許せない許せない」
 ビリビリビリビリビリビリ!
「ああっ、何をするんだ! 絶版なのに!」
 あんな分厚い本を素手で破るとは。絶句する彫刻家をよそに、小夜は彼のスマホをいじり始めた。昨晩変更したばかりの30文字のパスワードなど何の役にも立たない。
「携帯の中にも女性の画像がいっぱい……!」
「君に言われて三次元のは消したよ! 仕事の資料しか残ってない!」
「この女の人は誰ですか。いつどこで出会ったのどんな話をしたの恋次さんの何なの」
「その人(?)はベロのヴィーナスだよ! 学生時代海外の美術館で出会いました! 彫刻だから話をしたことはありません! 僕が感銘を受けた数少ない人(?)です!」
「学生時代の女……! 私の恋次さんに色目を使ったんですね絶対に許さない」
 使ってない。彫刻だから使ってない! 使えたら逆に怖い!
「なんだこの女……私の恋次さんをたぶらかして楽しいんですかあああああ!」
 一事が万事この調子である。
 そしてついに決裂の時が訪れた。
「今名小夜さん……僕は君には感謝している。本当に感謝している。でも、君とは付き合えない」




「びええええええええええええええええええん!」
「今回ばかりは小夜ちゃんに同情するかな……」
 さすがに気の毒である。実際、愛川が世に出ることができたのは小夜の貢献(?)によるところ大なのだから。
 当初、愛川は小夜のことを憎からず思っていた。君が僕の仕事を支えてくれるならとても嬉しい、とまで言った。これでハッピーエンドになるかと思いきや。
「まあ……さすがに彫刻にまで嫉妬するのはないか……」
「小夜は悪い男の人に騙されたんですうううう! 仕事に成功したら恩を忘れる人なんですうう!」
 忘れてたかなあ。ギリギリまで譲歩しようとしてたと思うけど。
「よしよし。泣かないの。愛川さんは小夜ちゃんに感謝してたよ……」
 聖母キャシーが小夜を慰める。
 富永常夜は最近少し自信を無くす。常夜とて、内務省とは一応正義の味方だと思っていた。だが彼女の様子を見る限り、内務省の方が危ない組織に思えてきた。

 ……そもそも防犯とはなんぞや。

 そんな哲学的な疑問が常夜の脳内を占める。先制攻撃もとい一方的住居侵入の間違いでは。

 今名小夜の恋愛遍歴はさんさんたる有様である。キャシーですら同情するほどだ。
「変な男に惚れて入れ込む癖さえなければ……!」
 有能な諜報員で終わっただろう。
 いや、逆か。あの性格ゆえに諜報員に向いているのか。
「常夜さああああああああああああん! 小夜はもう恋愛なんてしません! 男の人の言葉なんてもう二度と信じません!」
「……」
 一週間くらいでまた「運命の人に出会ってしまいました」とか言い始めるぞ。
 学習能力あるのかしらこの子?

 防犯課は今日も今日とてならず者どもを追いかける。そのたびごとにうたかたの恋が生まれては消えゆく。ああ男女の契りの儚さよ。逢瀬の道は春の夜の霞のごとし。切なくももの悲しくも、人はみな思い悩むものなり。げに刹那なるは乙女の慕情。明日をも知れぬ恋の空。
「小夜は……運命の男性を見つけてしまいました……」
 もういいよ。君のことは諦めているよ。
「報告だ。今名小夜が標的のもとに乗り込んだ……」
「行くぞみんな。標的が心神喪失になる前に」
「これって違法捜査にならないのかしらね……」
「私はもう疲れた……はやく印税で暮らしたい」
「我ながらよくあの子に勝てたもんだわ……」
 町には自由を求めて逮捕を望む犯罪者の悲鳴が響き渡った。


 完




くまたろう 

2023年02月16日(木)00時04分 公開
■この作品の著作権はくまたろうさんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
 初の長編投稿となります、くまたろうと申します。

 初めて書き上げた長編を投稿させて頂きました。
 ヤンデレの少女が諜報員として活躍? する物語です。群像劇みたいなものでしょうか……勢いだけで書いてしまいました。

 飛ばし読みで結構ですのでご感想いただけますととても嬉しいです。感想返しは時間の都合上確約はできませんが、可能な限りやらせて頂きます。ですのでどうかご笑覧をば。お好きな一章だけのご感想でも大喜びで読ませて頂きます。一章すべて読まずとももちろん構いません。一行でも構いませんのでご感想を下さると作者が狂喜乱舞いたします。

 
 作品の内容に関してご不快に感じる方がいらっしゃるかもしれません。その点に関しましては予めこの場を借りて謝罪させていただきます。

 至らない点、お見苦しい点、数多いと思いますが、皆様のご感想・ご指摘を賜りたく存じます。

追記
2023/3/6
先ほど、本作を「小説家になろう」様にも投稿させて頂きました。続編を投稿する可能性もございますので是非ご笑覧ください

2023/3/9
先ほど、本作をノベルアッププラス様にも投稿させて頂きました。編集を加え、続編も掲載しておりますので、よろしければご笑覧ください


この作品の感想をお寄せください。

2023年08月21日(月)21時01分 くまたろう  作者レス
十二田 明日 様

拙作をお読み頂き、また感想まで頂きありがとうございます!
返信遅れまして大変申し訳ありません💦

ギャグやキャラクターについては評価して頂けましたようでなによりです。
問題点はやはり、他の方からもご指摘頂きましたが、

世界観とストーリー

の問題になるようです。

本作はキャラクターメインで書こうと決めていたので大きなストーリーはあまり考えておりませんでした。


>キャラ同士の絡み、わちゃわちゃやってる所を楽しませるという所謂日常系的な面白さを出すという方向性だと、今の形でもありっちゃありだと思いますが

個人的には日常的な面白さを描く作品が好みなのですが、なかなかお気に召さなかったようです。この辺りは私もまた考えているところで、日常の面白さは背後にメインストーリーがあるから引き立つのか、はたまたそれなしで日常のみを描きうるのか。まだまだ改良の余地がありますね。

>本作だとそういった目標が薄いので、どうしても何かを成し遂げたカタルシスだったりも薄かったですね

ううむ。これは重要な視点ですね。キャラクターだけで引っ張るのは無理があるのでしょうか……

色々と今後の参考になるご意見を頂戴致しました。
また作品を投稿致しました際にはご覧頂ければと思います。

最後になりますが、返信の遅延、誠に申し訳ありませんでした💦


pass
2023年08月21日(月)20時47分 くまたろう  作者レス
きゃつきゃつお様

返信遅れまして大変失礼致しました💦
しばしサイトを確認できておりませんでした。

多少は楽しんで頂けましたようで何よりです。キャラクターを気に入って頂けたならば私としても嬉しいです。

>初投稿とは思えないほど上手で面白かったです。

もったいないほどのお言葉です。

>私は今、次の作品を執筆中ですが、いつ投稿できるかは不明です。もし投稿しましたら、色々とご意見を頂ければと思います。

こちらとしても是非今後もご意見頂ければと思います。

まずはきゃつきゃつお様の新作を読ませて頂ければと思います。




pass
2023年08月05日(土)20時08分 十二田 明日  0点
くまたろう様、拙作の方にコメントありがとうございました。しばらくサイトを離れていたこともあり、気付かず申し訳ありません。
遅くなってしまいましたが、本作を拝読させていただきました。


本作ですが、タイトル通りにヤンデレの小夜のキャラクターが非常に立っていましたし、ヤンデレあるあるをしっかりギャグとして見せていたのは良かったと思いました。
周りのキャラクターたちも個性的に仕上がっていたと思います。


気になるところとしては二点ほど。

まず序盤の情景描写や世界観設定に関する文章が少ない事。
キャラクターに関しては分かるのですが、『なぜこういう状況になっているのか?』『こういう状況があり得る世界とはどういう舞台なのか?』かが分かりづらく、それが作品を読み込むうえでちょっとマイナスになっていたかと思いますね。
もちろん、序盤に設定を語りすぎるのも良くないんですが、個人的には最低限シーンの意味が分かる説明をもう少し入れてもいいのかなという気がします。


もう一つは、キャラクターの目的(お話のゴール)が分からない事。
本作だとキャラクターたちのコミカルなやり取りが目立つのですが、それぞれが何を目的に動いているのか、何を目指しているのかが分からなかったですね。
例えば鬼滅の刃でいったら、まず『妹を人間に戻す。その為に無惨を倒す』という目的があり、主人公・炭次郎の全ての行動がそこに繋がってくる。それがブレていないから、ストーリーを理解しやすいし、感情移入もしやすい。
本作だとそういった目標が薄いので、どうしても何かを成し遂げたカタルシスだったりも薄かったですね。
 
キャラ同士の絡み、わちゃわちゃやってる所を楽しませるという所謂日常系的な面白さを出すという方向性だと、今の形でもありっちゃありだと思いますが……それ系は十二田が苦手なので、特に言える事がないですね。


さて、十二田から言える事はこんなところでしょうか。
少しでもくまたろう様に資することがあれば幸いです。
それでは
26

pass
2023年03月11日(土)09時41分 きゃつきゃつお  +10点
くまたろうさま

 作品拝読させていただきました。
 初投稿とは思えないほど上手で面白かったです。

 ただ一部、一人称と三人称が混在しており、セリフの主が?になることがありました。地の文で、上手に感想なども書かれているので、面白くはあったのですが。

 各キャラ設定も特徴を出せていて、良かったと思います。

 私は今、次の作品を執筆中ですが、いつ投稿できるかは不明です。もし投稿しましたら、色々とご意見を頂ければと思います。

 くまたろうさんの次回作も楽しみにしています。

39

pass
2023年03月09日(木)21時27分 くまたろう  作者レス
okuさま

ご感想ありがとうございます。

少しは楽しんで頂けたようで何よりです。

あと、失礼ながら私は「くまたに」ではなく「くまたろう」であります。一応訂正をば。

>全体を通して楽しい時間を過ごせました

 何よりのお褒めの言葉です。キャラの魅力も楽しんで頂けたようで安心しております。励みになります。


改善点といたしましては、皆様からご指摘頂きました視点変更の問題。これは完全な力量不足であります。

>どたばたコメディのようなものを想定して書かれたのかな、と推察します。あまり詳しくないジャンルなのですが、もう少しだけ世界観を固めてみても良いのかも?とは思いました。
例えば、軍警察や諜報官という単語にはどことなく緊張感がただよっていて、戦中とまでは行かなくても戦争が想定される世界観が連想されます。その一方で、防犯課がカモフラージュで流す放送(ところで、私はこのシーンがかなり好きなのですが)はとてものどかで、現代日本の地方都市ような雰囲気があります。
このちぐはぐさが、読み手としては上手く消化できなかったです。

 仰る通りどたばたコメディを想定いたしました。世界観はギャグ系に寄せたつもりでしたが、ハードな物語も楽しめるようカモフラージュの設定を入れました。こうすると日常の防犯も重犯罪も両方扱えるようになるぞというさもしい計算ですが、世界観がちぐはぐになってしまったようです……今後の課題といたします。
 ともあれカモフラージュのシーン自体はお気に召して頂いたようで何よりです。

 世界観としては大正デモクラシー期をイメージしております。民主化によって藩閥政治(作中の軍警察)が徐々に解体されていった時代ですね。戦争というより内政問題で揺れている設定のつもりでした。

 しかしいずれにせよ世界観がちぐはぐとのご指摘は重要だと思います。塩梅を工夫しなければなりません……

どちらかに振り切るのも考えましたが、中途半端にしてしまいました。これはよくなかったですかね……ご指摘感謝いたします。


ともあれ、多少は楽しんで頂けたようで何よりです。そのお言葉こそが一番の励みであります。

ご感想本当にありがとうございました!

pass
2023年03月07日(火)19時22分 oku  0点

くまたにさま、拝読させていただきました!そして執筆、大変お疲れ様でした。

明快かつ簡潔な文章が好印象でした。おかげでさくさくとテンポ良く読み進めることができました。
タイトルのセンスも素敵だと思います。この物語は一体どんな内容なのか、端的に表してくれているかと。
小夜ちゃんをはじめ、キャラクターにもそれぞれの魅力がありました。

どたばたコメディのようなものを想定して書かれたのかな、と推察します。あまり詳しくないジャンルなのですが、もう少しだけ世界観を固めてみても良いのかも?とは思いました。
例えば、軍警察や諜報官という単語にはどことなく緊張感がただよっていて、戦中とまでは行かなくても戦争が想定される世界観が連想されます。その一方で、防犯課がカモフラージュで流す放送(ところで、私はこのシーンがかなり好きなのですが)はとてものどかで、現代日本の地方都市ような雰囲気があります。
このちぐはぐさが、読み手としては上手く消化できなかったです。

(どちらかに振り切って、戦争が想定される世界観なら竜一さんのようにスケールの大きめのミッションを中心に、平穏な世界観なら恋次くんのように少しとぼけたミッションを中心に扱ってみても良いのかも?と思いました。)

文章については他の方が述べていらっしゃるので、私からは割愛しますが、視点が変わる部分ではやはり混乱しました。

私は未熟者ですし、コメディは読みますが、自分で書いたことはありません。的はずれな意見だと感じられたら、どうかお捨て置き下さい。
前述した通り、キャラクターが本当に魅力的でした。全体を通して楽しい時間を過ごせました。
42

pass
2023年03月02日(木)19時51分 くまたろう  作者レス
紫さま

ご感想をいただきありがとうございます。貴重なお時間を拙作に割いていただき感謝の念に堪えません。

>とても面白かったので、また時間があるときに続きを読ませていただきたく思います。

ひえええ、もったいないお言葉です。続きを読みたいなどと……一年後でも構いませんのでぜひお読みください。楽しんでいただけると嬉しいのですが。

ユーモアやくすりとした笑いを楽しんでいただけたなら何よりです。第一章以降も基本的にはこのノリで続きます。ヤンデレ小夜とそれに振り回される哀れな連中を描いただけの作品ですから笑



反省としてはやはり地の文が甘かったようです。
三人称か一人称かも決めず、その場その場で視点を交代させるという反則技をやっております。今後の課題といたします……


ともあれご感想まで頂きありがたく存じます。
続きまで読んでくださいましたならばもう喜びの念に堪えません。ひたすら感謝の極みであります。

実に励みになります。
ご感想、ありがとうございました。


pass
2023年03月01日(水)22時34分 紫 09SquFN9wU +20点
くまたろう様

長編とのことで、執筆お疲れ様です。
今回一部となりますが、読ませて頂きました。とても面白かったので、また時間があるときに続きを読ませていただきたく思います。

処々にくすっと笑える部分が点在しているところがとても良かったです。笑いと言葉選びセンスを感じました。「小夜がいると分かって居眠りした」「そばが好きだ」「一週間も居眠り」のところ、つい声に出して笑いました。
そして犯罪者なのは正直そりゃ解せませんが、ベルの性格が結構泣ける部分が見受けられるところもミソなのかなと思いました。
ヤンデレな小夜の描写ややってることが本当にヤバいですね…(;’∀’)

読んでいて、誰が何のことを言っているかは私には分ったのですが、読む人によったら、もしかしたら以下の部分が分かりづらく感じるかもしれません。

・三人称の地の文(台詞以外の本文)に、台詞のような一人称が見られる。それが誰の言葉なのか、読者によっては混乱する恐れがある点。地の文に「俺」と出てくる。
 →思い切って「」で囲ってもいいと思います。思想駄々洩れ状態になっても、それもギャグになりそうで。
・主語(誰が、何が、誰を、何を)が無い部分があるので、しっかり書くと読者も分かりやすいと思います。
(私自身、文が下手なのに申し訳ございません…汗)

続きが読みたくなる作品なので、またいつか感想を寄せさせていただきたいと思います。
52

pass
2023年02月18日(土)12時08分 くまたろう  作者レス
ふじたにさま、丁寧なご感想ありがとうございます。

>レベルの高い初投稿ですね。

>文章は書き慣れている感じですね。
>話の導入も良かったですし、テンポが良く読みやすかったです。

>キャラも面白かったです。


私にはもったいないくらいのお褒めの言葉です。励みになります。

以下は、ご指摘頂いた問題点に対する私なりの返答となります。

1,物語をひっぱるキャラがわかりにくい
 主人公が曖昧であったというのが弱点でしたね……常識人の視線(すなわち読者様の視点)をもったキャラを配置すべきでした。その役を東風と常夜に任せたつもりだったのですが、視点がころころ変わってしまいました。その結果物語に没入できなくなってしまったとのこと。力量不足で申し訳ありません。

2,キャラの年齢がわかりにくい
 やはりそうでしたか……キャラの年齢は細かく設定しませんでしたが、練りこみ不足でしたね。きちんとそのあたりも描写すべきでした。年齢は重要な要素でした……
 一応イメージとしては

明石課長 40代
深月技官 30代前半
東風、常夜 20代半ば
小夜 20代前半
犯罪者たち 20代なかば

となっております。ここはきちんと描写すべきでした。

まだまだ力量不足ですね。

ともあれ少しは楽しんでいただけたようで何よりです。

また機会がありましたら読んでくださると嬉しいです。
ご感想ありがとうございました!


pass
2023年02月17日(金)22時53分 ふ じ た に 
途中までの感想です。
レベルの高い初投稿ですね。

文章は書き慣れている感じですね。
話の導入も良かったですし、テンポが良く読みやすかったです。

キャラも面白かったです。

個人的に気になったところですが、
物語を引っ張るキャラ(感情移入して読み進めるキャラ)が
分かりにくいところでしょうか。

だからなのか、面白いと思うんですけど、物語に没入しづらくなりました。
これが漫画なら、気にならないと思うんですが。
あくまで私の場合ですが、小夜を傍観する主人公がいたら、読みやすかったかな?と思いました。

あと、他に気になったのは、キャラの年齢が分かりにくい点でしょうか。
最初の竜一さんですが、セリフでキャラの個性は出ていてすごく良いんですが、青年なのか中年なのか分からず、どんなキャラを想像すればいいのか曖昧でした。

色々書きましたが、あくまで個人の意見なので、合わなければ流して下さいね。
あと、私は現在投稿してないので、感想返しは気にしないでくださいね。
ではでは失礼しました。

37

pass
2023年02月17日(金)13時53分 くまたろう  作者レス
七種八葉さま

ご感想ありがとうございます!

一章だけでもうれしいです。
登場人物たちの会話が小気味よかったとのお褒めの言葉、励みになります。

随分な高得点まで頂きました。

また気が向いたときにでも読んでくださると嬉しいです!
ありがとうございました。

pass
2023年02月16日(木)17時44分 七種八葉  +20点
一章までですが普段ラノベを読まない自分でもスラスラ読め登場人物たちの会話が小気味よかったです。
43

pass
合計 6人 50点


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