ルビーの軌跡
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 貴族ヴェルータ家の屋敷。
 美しいオルゴールの音色が鳴り響く。
 暗がりに古めかしい絡繰り小箱が、消えかけの蝋燭に浮かび上がる。
 少女がレースワンピースを広げ座る絨毯には、回転して影を踊らせる絡繰り人形。少女はそれをぼうっと見つめて、小さな指に触れた。
 次第に旋律は調子を外し、人形の踊りは鈍くなる。ついには、蝋燭の小さな灯火が一度ゆらりと揺れたと思うと、煙の残り香を一筋残し、辺りは闇に閉ざされてしまった。
 少女は途端に怖くなって泣いた。
 一気に背後から近づいた何者かに抱きすくめられ、少女は口を覆われ意識を失った。


 そこはジェリーア国。
 とある城址。古木に囲まれ崩れた塀のなか。
 灰色の空は、烏が寂しく鳴いて木から飛び立つと、冷たい雨は雫を降らせ始めた。
 カアカアと鳴く烏は雨を避けるように、小高い城址の丘の上から、周りを囲う黒い森へ羽ばたいていった。
 塀のなかは城の基礎だけが残り、地面はだんだん雨跡がついていく。
 だがよく見ると、基礎の隅の地面に石の蓋がある。それは雨に濡れることで、他の地面の色よりも灰黒く、四角に切り抜かれたように浮かび上がった。だから、発見できたのだった。
 その石の蓋が上げられ、暗がりの地下から黒いフードローブの人間が現れた。
 フード下に覗く口元は、雨にもぴくりとも動かない。石階段を上がりきると、蓋を閉ざした。
 ローブには、先ほどの少女が包まれていると見え、膨らんでいる。
 指笛をしんと鳴らすと、塀を囲う木々の先から、一頭の馬が現れた。馬はフードの人物の前に、雨の雫を毛に跳ねさせやってきては停まった。
 硬い蹄の音にも少女は目覚めた気配もなく、フードの人間は馬に乗った。ローブのなかの少女を片腕に抱え、片手に手綱を引き、一気に馬を走らせて行く。


 夜。
 雨はとうに止み、月さえ黄色く挙がっている。酒場の多い城下町は、あのかつて栄えた城址から、森を越えた先に広がる。近郊の山で輝石が採れるので、宝石職人が多い。周辺から商人が訪れては、酒場へと立ち寄って行った。
 そんな中心地の路地裏の陰から、ローブを脱いだ黒いフードマントの先ほどの人間が顔を覗かせた。
 約束の時間は、月が南南東のこの位置から、ちょうど教会の天辺の塔にある鐘と重なるころ。
 教会の向かいの酒屋の二階。木の窓がふいにあけられ、青年が顔を出した。その顔は月に照らされ、頬は黄金に光った。あの場からは、鐘に隠れる月もよく見えるのだろう。
 約束通り、数日前に港に到着し、この城下町へと彼はやって来たのだ。
 フードの人間は、マントのなかの少女をしっかり抱え、こちらをちらりと見た青年を見上げた。角から引いて、路地を暗がりへと歩いて行った。


 先ほどの青年が教会裏の墓地を進み、石造りの霊廟に入っていった。
 外気よりひんやりとした石壁の暗がりに、ランタンの暖色が広がる。石棺の装飾彫りの影が揺れた。
「お待ち申しておりました」
 凛とした女の声が、静かに石の空間に響いた。
 フードの人間が現れ、被り物を下すと、美しい金髪の若い女が現れた。恭しく青年を見上げる。
「エルフェイオ様」
 騎士貴族である青年エルフェイオは頷いた。
 彼はここジェリーア国から離れた国、アズマーリ王家の騎士だ。
「お待たせをしました。ディアーナ嬢」
 少女をマントのなかに抱えたディアーナは、マントの併せをひらいた。
 そこには、眠ったままの少女が抱かれている。
 その瞼は、あのオルゴールの絡繰り人形と同様、精巧な作り物であるのだ、と分かる。
 そう。少女の等身大の絡繰り人形なのだ。
「これで、二日間だけでも彼らジュリアーダ一族の目をごまかす事が出来れば、ルビーお嬢様を亡命させられるはずだ」
「はい……きっと。ヴェルータ家の屋敷より連れ出したルビーお嬢様は、現在、わたくしの借りた宿屋で、侍女と共におります。あの秘密の場所で職人に制作させましたこの人形のことも、知られてはおりません」
 百年前に、このジェリーア国を統治していたジュリアーダ王家の崩されたジュリアーダ城。
 城主等の生き残りは、ジェリーア王国の城下町を離れ、各所へと逃げ延びていた。
 なかでも、この少女の祖母である城主の姉妹であったサファイア第四王女と、大叔母の二人は当時若かった。そのため、町の者には顔が知られていなかったので、ジェリーア国の城下町に残った。そして、町の貴族主にもらわれ、少女の母と、少女が生まれた。
 それも三年前より、元ジュリアーダ王家の跡取りの子孫であり、貴族ジュリアーダ家が、亡命先のアズマーリ国で再び力を有し、再びジュリアーダ城と権力を取り戻すため、このジェリーア国に戻る計画が立った。そこで各地や城下町に残る弱い血筋に手をかける、という話が出たのだ。
 もとはと言えば、ジュリアーダ城内での争いが端をなして始まったいざこざが、ジェリーア国の他貴族を巻き込み、ついには城の崩壊にまで繋がったというのだ。当時は、鉱山の権利が他国に取られそうになっており、裏切り者の大臣が問題を起こしたという。その上、色恋沙汰で大臣は一族の女性に手を出していたのだと。表向きの話では、ということだが、真相は違った。
 目下、二人はルビー様を守り、この小さな国から逃がすべく好機を狙った。大人しい姫が跡目争いに巻き込まれることの無いように。


 元王家ジュリアーダ一族には昔より、奇妙な噂が町貴族間で密かに囁かれ続けていたためだった。
 王家一族は、とある専属の職人に依頼し、鉱物から跡継ぎを作らせてきた、というのだ。
 妃に子を産ませ、早くに亡くなってしまった世継ぎを、鉱物に宿る力と融合させ、生き返らせる悪魔と契約しているのだと。
 その生き返った赤子の瞳は、そのとき使われた鉱物の色になる。それが人々に知られないよう、妃の瞳の色に合わせた鉱物が使われる。が、やはり輝石なので、より色濃く、より魅惑的な色の瞳になった。男女をも惹きつけ止まなくなるので、崇拝の目で見られてきたのだ。
 または、世継ぎが出来ない場合は、精巧な人形を作らせ、輝石の瞳を嵌めさせ、悪魔契約で人形に命を与え、世継ぎにしていたのだとか。
 いずれにしろ、ジュリアーダ王家一族の血の半分は人間。半分は鉱物や人形であるのだと、貴族間で噂されていた。
 というのも、王家に娶られた貴族令嬢や関わりのあった者は、どうしても一族の者と愛し合うときに人間味が無い、と言う。異様一際妖し気に瞳が光り、陶酔を越えた夢心地に陥るのだ、と言うのだった。
 本当は、それらの噂を大臣が知り、そのため争いになったのだ。王家から人間でない者の支配権力を無くすためにも、正当な人間のみの血族を再形成すべく、現在残る貴族出の妃や、その血筋に権威を移すべきだと。その大臣の行動から、王家と争いになったのだと。
 ルビーお嬢様に関しては、やはり通常の子供らしからぬ、大人しく、無口で、お人形のようなお子だ。一度眠ると長く眠る。そのことを知るために、ディアーナも屋敷から宿へと連れ出すことが出来た。
 エルフェイオもディアーナも、ルビーお嬢様の母を知るが、片目はサファイア色の水色。片目はその母の婚姻した貴族青年と同じ深緑の瞳である。
 ルビーお嬢様の祖母であった第四王女サファイア様も、大叔母も、見事なサファイア色の瞳だったという。
 ルビー様の瞳は、両目とも淡い水色と黄緑色の虹彩のオッドアイであった。
 何故か、妃や王や女王が淡い瞳では、なかなかにして世継ぎに恵まれず苦しむそうだ。それも鉱物の力が薄まった証拠だと云われている。
 もしもルビー様も再びジュリアーダ城へ招かれることもあれば、世継ぎに難航して、その子供は生きた人形に変えられてしまうのだ。普通の幸せな生活など出来ずに。
 ディアーナは、幼いころよりルビー様を身近な女性護衛として見守って来た。元はエルフェイオと同郷のアズマーリ国出身である。
 エルフェイオは、ディアーナの生まれた里のアズマーリ国で今も騎士をしている。
 そのエルフェイオの里アズマーリ国に、百年前に移り住み、一貴族として生き残った元亡命者王家ジュリアーダが来たのだ。そしてジュリアーダ一族の王政復古計画を、エルフェイオは知った。
 そしてエルフェイオは、ルビー様とディアーナの亡命に手を差し伸べた。


 ルビーの母ヘメラルド・ヴェルータは、夜、影から影へと駆け、娘の匿われている宿へ来た。灰色のフードローブを脱ぎ、待ちかねていた侍女と顔を見合わせる。狭い部屋のベッドに眠る娘を見た。
 ヘメラルドの夫である貴族主ヴェルータは、元王家亡命者ジュリアーダが、再び百年で地下で力を取り戻し、アズマーリ国から本国ジェリーアへ戻ってこようとしている報せを、まだ受けていない。
 エルフェイオからディアーナへ、ディアーナからヘメラルドへと知らされたのだった。
 ルビーと護衛ディアーナの失踪を裏付けるためにも、ヘメラルドは、夫へと一芝居なるものを演じなければならない。森で二人は失踪したのだと。その影で生き延び他国で二人生きさせるため。
 元王家一族ジュリアーダは、アズマーリ国の地下で妖しい呪術をし、美しい令嬢、貴公子を作り出し、アズマーリ国の貴族へと嫁がせてきた。そして、少しづつ元の権力と結束を蓄え固めてきていたというのだ。
 ヘメラルドは、母である元第四王女サファイアが云い伝えてきた残酷な儀式の話が、他国でも囁かれ始めたことで、危機感を感じた。
 ヘメラルドは、ナイトテーブルにルビーの大好きなオルゴールを静かに置いた。
 そして蓋をあけると、絡繰りオルゴールが小さく鳴り始める。酒場横は外の軽快な音楽に紛れ、音色も外には漏れない。
「ルビー」
 ルビーはヘメラルドの声とオルゴールの旋律に、すうっと瞳をひらいた。
 無言のままぼうっと見つめてくる。ヘメラルドは優しく微笑み髪を撫でた。
 ルビーは、まるで誠に人形の血でも入るかと不安になるほど、このオルゴールの音色なくば、滅多に目覚めないのだ。
 まるでそれは、鉱物の効力も薄まれば、ただの人形となってしまうかと思われる恐怖。
 ヘメラルドは、まだ血が濃いから症状が現れてはいなかっただけで。
 これらの同じ症状が、アズマーリ国へ逃れた子孫らに早く現れたがために、呪術を急ぎ、母国ジェリーア国の城へ戻りたがっているのではないか。鉱山からもたらされる血脈を再び手にするため。
「ルビー。これよりあなたは、母とは別々に暮らすのです。ディアーナの言うことをよく聞き、正しく慎ましく生きるのですよ」
 はじめは了見を得なかったルビーの瞳は、ただ首をかしげ、意味も分からぬまま頷くだけである。無口なルビーを見続けてきたヘメラルドには、それがよく分かっていた。
 不憫なルビー。あまりにも理解が及ばないのに決まっているのだ。
「これからは、見知らぬ場で、あなたはディアーナと二人きりで生きるのです。この国にも、お屋敷にも、お父様とお母様とも、さようならをしなければならなくなったのです」
 ルビーの揺れ始めた目は少しずつ潤み、静かに瞼をとじると、ぽろりと頬を涙がこぼれた。それはまるで水晶の珠のようであった。
「ごめんなさいね。本当にごめんなさいね……」
 ヘメラルドは幼いルビーをひしと抱き、しばし熱い涙を流し続けた。


 ヘメラルドの夫ヴェルータは仕事から帰ると、毎夜お人形のように眠るルビーの部屋を訪れた。今宵も、眠るルビーの人形を見つめ、うんうんと微笑み頷くと、寝室を静かに去って行った。
 その顔を見て、ヘメラルドは心が痛んだ。夫は優しい。そして、時にほかの貴族主に押され気味になるほどに。その夫にこれから、「ルビーが森へとディアーナを伴い、散策中に失踪しました」と、言わなければならないのだから。
 明くる朝には、いつもの馬上にディアーナは精巧なルビー人形を前に跨らせ、霧煙る森へと散策に出かけるのだ。
 いつもの習慣。いつもの朝。目覚めが遅いルビーの頭をゆるやかに覚醒させるための日常。
 緊張をしたヘメラルドは、戻って来た侍女と顔を見合わせた。
「ルビー様は、既にエルフェイオ様と共に先に国をお発ちになりました。ディアーナ様は明日、あちらのお人形と共に森を抜け、その先でルビー様、エルフェイオ様と落ち合い、そのまま二手に分かれ、エルフェイオ様のみ母国へ戻られる予定でございます」
「ええ、ええ」
 何度もヘメラルドは深く頷き、ハンカチで目元の涙を拭った。


 エルフェイオは前にルビーを乗せ、馬を駆けさせていた。山を二つ越えた先の森に、今の季節は使われていない小屋がある。これからそこまで行き、翌朝、人形を連れたディアーナと落ち合うのだ。
 そしてディアーナはルビーと共に、身代わりを悟られないため、人形も逃亡に連れて行く。
「!!」
 闇からいきなり松明が現れ、エルフェイオはマントにルビーを隠し睨み見た。
 まず、目も疑うほど澄んだ白水色の瞳の青年に、思わずエルフェイオは息を吸い込んだ。その横にいる狼と、その背後に子供がいることに気づいた。
 馬は狼の姿に驚き暴れかけたので、エルフェイオは必死にルビーを抱き脚で馬の胴体をがっしり掴み、手綱を強く引き寄せ馬をならした。
 暴れだした馬に驚いた青年も子供も叫んで、狼は馬をものともずにその前に立ちはばかり、馬が落ち着くまでを静かな目で待っていた。
 ようやく馬が落ち着くと、エルフェイオにまでルビーの震えと早鐘の鼓動が伝わり、しっかりと抱きしめた。
 エルフェイオは狼を護衛に連れる青年と子供を見た。
「……セイル様」
 エルフェイオは驚いた。彼の母国アズマーリの貴族となったあの亡命王家、ジュリアーダ一族の青年、セイル・ジュリアーダだ。
 まさか、追手か。ジュリアーダ一族からの刺客。
 エルフェイオは馬から降りることもなく、腰元のサーベルを確かめた。
 しかし、相手はもっと驚いた顔で、エルフェイオを慄き見上げて震えている。セイルは女のような顔で、長い黒髪にアクアマリンの色の瞳をしているのだ。ルビー同様、ジュリアーダ王家だった血筋のセイルに間違いない。
 子供は真っ蒼になって、エルフェイオと馬を見上げ、狼の背の毛を掴んだ。その瞳は、まるでダイヤモンドの輝き。松明に不思議な七色の虹彩を放った。
「どうか、見逃してほしい」
 セイル・ジュリアーダは口早く言い、エルフェイオは辺りを見回した。すると、木と木の間に暗い色の幕が張られ、一時の寝床にでもしていたようで、いきなり松明が現れた理由も分かった。
「ご安心を。あなたを捕まえはしない。もしや、国を逃れて?」
「シ、」
 青くなったセイルは、よく辺りを見回してから声を潜めた。
「僕は従姉妹と共に逃げるのです。従姉妹……と呼べるかは不明ですが」
 初めて見た子供だ。五歳のルビーより大きい。十歳ほどだろうか。一族の秘密の子供なのだろう。
 あのアズマーリ国の出ならば、呪術で子供を作っている噂は知っているだろう、と、セイルの目は訴えていた。
 まだマントのなかで隠れ震え続けるルビーの背を抱えたまま。
「エルフェイオ殿は、依頼され我々を追ってきたのだと」
「いいえ。断じて違います」
 相手も疑り深い目を変えず、実に不安げだ。
 しかし、エルフェイオも彼らを信用して良いものかは、まだ分からない。
 ルビーも隠れたまま静かにしていた。
「僕らは普通に生きていきたい。これ以上、あんな惨たらしい儀式を見るのも御免なのです」
 白い顔は、松明を横にしてさえも白く強張っている。
 子供は狼にしがみつき、震えていた。
 だが、これが演技だったら? 本当はどちらも陰で殺人術を仕込まれてきた追手。もしくは、この子供を暗殺するために、山に連れ出したのだとしたら、と、様々な疑惑が浮かぶ。
 しかし、王権を取り戻すために動くジュリアーダ一族が、暗殺をするとも思えない。だが、もしも、より良い血筋を選りすぐるために動くとすれば、後者のように動くのではないか。
 ただ、セイルは例にもれず、美男なうえに令嬢からも引く手あまたであるが、痩身に加えて文学的な青年のため、争いは嫌っている性質だ。
「とにかく、ここに長居は危険です。参りましょう」
 

 この山は、南方海沿いにエルフェイオの国アズマーリがあり、北に大河に沿ってルビーの国ジェリーアがある。エルフェイオはルビーを連れ、東へ向かっていたのだ。その先の東の森に小屋がある。そこからディアーナはルビーを連れ、森を抜けるのだ。
 なので、信用の不明な今、このままルビーを連れて落ち合う約束の小屋に行っていいのかも分からない。
 夜明けはまだ先だ。
 松脂の爆ぜる音と匂いと煙の出る松明を消させ、エルフェイオの持つランタンの明かりだけになった。
 セイルの連れる子供は、セイルとエルフェイオが幕を片付ける木の下で、ルビーと共にうとうととしていた。
 ルビーが何者なのかは、まだセイルには話していない。血の強いセイルとその従姉妹の瞳とは違い、ルビーの目にジュリアーダ一族の特徴は見られず、ただ変わったオッドアイだということが見て知られるのみだ。ルビーの膝の上の袋にはオルゴールが入り、彼女はそれを抱きかかえるように座って、眠り眼でずっと狼を見ていた。
 幕をたたみ、縄と共に背に担ぐと、セイルは言った。
「さすが、騎士殿は手際が早い」
 馬は狼が怖いので、離れたところに手綱を括り付けてある。
 エルフェイオは、大して力も無いのに、ぼろぼろになりながらも逃げて来た貴族のセイルに関心したが、一歩間違えれば、それがどんなに危険なことか。それほどに命懸けで出てきたのだろう。街で見かけたときよりも、セイルは随分と頬がこけてしまっている。
 経験があれば、馬が落ち葉を踏んで歩いてくる音に、能天気に松明をもって出て来はしない。悪ければ煙もあがって、人がいることを知られ、逃亡もままならないのだから。
 本当の追手もいるのかもしれないことを考えると、とにかく早く山を離れなければ。
「その狼は?」
「僕らの祖父、元国王一行が山を越えて向こうの国へと亡命するまでの山で、怪我をしていた子狼がいて、医者に介抱させたのだそうです。その母狼が祖父を訪れてお礼をするようになり、子狼は森や山に帰って成長すると、自分の子狼まで紹介しに来るようになったのです。アズマーリの街に来られると人間が怖がるから、山の麓に僕の父が青年時代に小屋を作りました。僕らが山へ来る際は、狼が僕らを団体で警護するように。そのなかの一匹です。他の人間には懐かないので、注意が必要ですが、僕らと親しいと判断した人間には危害を与えません。きっと、子供の匂いがしたから、この子も何もしなかったのでしょう」
「なるほど。それで」
「全ての狼が懐いているわけじゃないから、僕らも注意をしていますが」
 エルフェイオは頷き、ルビーが目を閉じたのを見て、その横に来た。
「今のうちに動かねばなりません」
 ルビーは頷いた。馬の上にルビーとセイルの従姉妹を乗せ、エルフェイオは手綱を引き、少し離れてセイルは狼と共に歩き始めた。
 馬は時々落ち着かなげにしていた。
「狼は影から付いてくることが出来るので、離れて歩かせましょうか」
 エルフェイオも、背後を取られているのは危険だと思っていたので、頷いた。狼は闇の茂みへと歩いて行った。
「儀式というのは?」
 セイルは、横顔を強張らせながら言った。
「噂でも聞いているかと存じますが、アズマーリ国のジュリアーダ屋敷地下に貴族の赤子、特に双子の片割れが集められ、生き血を僕ら一族の赤子に与えてきました。その後はどちらも成長させ、一族の病気になった際に臓器を移植させるのです。それが一つ目の施術。二つ目は、集められた輝石、宝石からの守護を受けられるよう、僕もよく分からない呪術で、死にそうな赤子を生き返らせる。あれは、どういった術が使われているのか、悪魔の所業としか思えません。とてもじゃないけど、医学の領域を超えている。僕も小さなころに虚弱で、何度か危険だったらしく、使うべき臓器も使われた。それも終わると、次には眠らされたままに鉱石呪術の儀式に挙げられ、僕は生き延びた。装飾職人が僕らの身代わりの体に合った人形を作り、心臓や内臓を移し、悪魔と契約した呪術師が鉱物を使い、魂を憑依させるのだとか。その人形と、眠らされた僕が融合し、一人の僕となるのだと。そんな信じがたい儀式が行われて、一部の一族が生かされてきたなど、言い伝えだけでまっぴらです」
 それは、エルフェイオからしても信じがたい話だった。
「様々な宝石はそれぞれが健康に作用すると言われています。サファイアは熱を冷ますとか、そういう具合に」
「確かに」
「僕までも将来、四男として、その道へ進まされるところだった。従姉妹というこの子……、D、ディアとお呼びください。この子も、とある貴族の双子の片割れを犠牲に、命が助かった呪術の子です。本当に僕ら二人が人なのかなど、分からないことじゃないですか」
 苦々し気に言うと、幼い従姉妹、ディアは馬上から初めて言葉を発した。
「逃げた先でなら、わたくし共は、魔女扱いもされず、恐れられず、太陽を浴びることができるのです。わたくしのために犠牲になった魂も、心置きなく弔えるのです。ともに体のなかで生きてあげられるのです。じゃないと、わたしは、生まれたことを恨むしか無い、憎むしか無い、到底許されないジュリアーダ一族の悪縁を絶たなければならないのです」
 ルビーは背後の少女ディアを肩越しに振り返り、ディアのダイヤモンドのような不思議な瞳を見た。ディアは泣いており、五歳ほど年が下のルビーの体を、ぬいぐるみを抱くように抱きしめた。
「今は、逃げる外は無いのです」
 セイルは言い、彼らは再び沈黙して歩き続けた。
ザッ
ザッ
「!!」
 木の幹に矢が二本刺さり、一気に暴れかけた馬にエルフェイオは飛び乗り、子供二人を抱え込んだと共に、闇から鋭い声が聞こえた。
「ぎゃああ!!」
「ガルルルッ」
「うああああ!!」
「ガアアアッ」
 子供二人はエルフェイオに必死にしがみつき、エルフェイオが剣を構え操る馬の前に、二人の男が倒れ込んだ。狼がなおも生きて暴れる男に噛みつくと、もう一人の、血の出る腕を押さえて目が血走った男が歯をむき、セイルの方へ走って行く。
「させるものか!!」
 エルフェイオが剣を振るい、その男の背を切りつけた。
 男はその場に倒れ、もう一人の男も狼に首元を噛まれて倒れた。
 セイルは白くなってがたがた震え崩れており、馬からエルフェイオは降りて、男二人の顔を確かめた。
「ジャグ。それにザリオ。ジュリアーダ一族の護衛ですね。セイル様」
「……やはりだ。王権を取り戻すには、弱い者を残さないつもりだったんだ。そしてこの子を取り戻しに来たのでしょう。健康的で、術も成功したから」
 セイルは腕で涙を乱暴に拭った。美しいセイルの顔はどんなに悔しさに歪んでも美しい。澄んだアクアマリンの瞳がどんなに涙に濡れても、頬を流れる清流に見えるほどの。
 エルフェイオはセイルを立たせ、抜けている腰を叩いて気をしっかり持たせた。
「早くここから離れましょう」
「はい」
 ルビーはずっと震えていて、ディアはルビーのボブの金髪を撫でてあげていた。
 この前まで、あたたかな屋敷で暮らしてきた子だ。何もかもがいきなりの事で、混乱しているのだ。
「よくやってくれた」
 エルフェイオは狼に言い、狼は口の周りの血をなめてきれいにしていた。
 狼は歩き出した一団の背後で、一匹引き返し、二つの死体の服をくわえ引っ張った。
「ああ、そうか。死体は隠さなければ気づかれてしまいます。狼は獲物を土に埋める習性があるんです」
「なるほど。確かに。丁寧にする時間は無いが、土と落ち葉を被せるだけでも、発見の時間稼ぎにな」
 なにか凄い勢いで狼が爪手で土を掘り返しており、一気に二つの死体を引っ張り込んで、後ろ足でざっざっと土を被せてしまった。
「これは見上げたものだな」
 土を掘ろうと腕をまくり、腰を折った格好だったエルフェイオは、腰を伸ばした。つい狼の頭を撫でようとした。途端に狼が顔を険しく牙を剥いたので、「すまない」と、エルフェイオは手を引っ込め眉を上げた。
 代わりにセイルが「どうもありがとう」と、狼を撫でた。
「行きましょう」
「ええ」
 先を急いで彼らは進んだ。
「まだ手が震えている。こんなで僕は彼女を守れるだろうか」
「男は鍛えられます。女性でも同じように」
 エルフェイオの言葉に、セイルはまだ頼りなげに微笑み頷いた。


 小屋に到着すると、子供二人を小さなベッドに寝させた。狼が小屋の周りを偵察して帰ってくると、一通り小屋のなかの匂いを嗅いで回り、子供の眠るベッドの足元に丸まった。
 エルフェイオとセイルは小窓の星明りだけになったなか、灯の消えたランタンを無言で見つめていた。
 まだセイルはショックを隠せずにいる顔だった。
「一番上の兄がけしかけたんでしょう。あれはそういう血も涙もない性格なんです」
 セイルは悔し気に声を絞り出して言った。
「僕はみすみす言いなりになどならない。既に兄は儀式を執り行っている」
「逃げた先でどうやって隠れ住むつもりで?」
「なんの準備も無い……情けないけれど、ただ国を出なければと思い出てきた」
 落ち込むセイルの横に狼が来て寄り添った。
 セイルは微笑んで狼の頭を撫でた。
「この子も、僕らが森を抜けたら戻らせなければ。狼は結束力が強い」
 窓の外をセイルは見上げた。
「どこかの小さな村にでもいって、出来る限り精一杯働きます。この子がそこで成長して、誰かにもらってもらえるまで僕は諦めない」
 覚悟のある横顔は興奮で震えていた。恐くて仕方が無いのだろう、生きることはそれだけで難しいことを、まだ貴族出のセイルは知らないのだから。
 しばらく考えてはエルフェイオは言った。
「海を越えるべきです。ジュリアーダ一族の噂さえ届かぬ異国まで」
 小屋の中は冷え込み始めた。エルフェイオは二人の少女の布団をさらに引き上げて、二人の顔を見つめた。
「私は明日には戻らねばなりません」
「その女の子とは、何故あの山に?」
 エルフェイオはセイルの顔をしばらく見ていたが、言った。
「この子を遠い国まで連れて行くのです。お付きの女性につかせて」
「養子……ですか?」
「そのようなものだと」
 セイルは頷き、いきなりエルフェイオの腕を強く掴んだ。
「僕と従姉妹ディアもどうか、どうかその国へとお供させてもらえませんか。ご迷惑はおかけいたしません。その国に着いたら、僕らはその養子先の方々と関わることなく、ひっそりと暮らします」
「その一存は私には出来かねる所だが、どうしたものか」
 実際は養子でもなく、ルビーとディアーナも、セイル同様見知らぬ土地へと逃れるのだ。明日、ディアーナの到着後、真実を話すべきかを決めたほうがいいだろう。

 小屋の上空を数多の星が飾る頃。一陣の風も吹かず、木の葉も微動ともしない。
 セイルは深い眠りの底から、まるで何かに押し上げられたかのように、浅い夢まで引き上げられた。
 それは、声。恐怖する声。細い泣き声。それらは、あの儀式の行われるジュリアーダ一族屋敷の塔、天辺の部屋に反響した。
 セイルが暗闇に目をひらくと、そこは暖色の明かりが闇を揺らす儀式部屋だった。
 セイルは驚いて固まった。
 ジュリアーダ一族から逃げ切ったと思い込んだのに。あの静寂の森、月夜の小屋は、どこも掠りはしないこの情景。引き戻されたかとさえ思って、セイルは辺りの石壁に染み付くように広がる闇を見回した。従姉妹は、ディアはいない。
 ギイイイ、と、背後から重々しい鉄扉のひらく音が、石の空間に響き渡り体に振動する。なのに、叫ぶ声は全く外に漏れることも無いのだ。
 首の筋が強張って、後ろまでは振り向くことも出来ない。
 蝋燭に照らされるのは、儀式の石台。
 壁に鋭く、または鈍く光る武器や施術器具。
 黄金の高杯には、鉱物や輝石が厳かに光沢を受けている。
 端の檻からは人の息の気配があるが、犠牲となるものの姿は見えない。壁に空しく格子の影波が揺れるだけだ。何故なら、鉄の扉があけられたことで、身を低くしたからだ。逃げ場はないとしても。
 入って来た足音は硬く響く。セイルの背後を通って、歩いてくる。
 いきなり小さな足音が響いてセイルの横を通り、子供の黒い影が格子に駆け寄った。
 フードが降りて金髪が揺れ、今より幼い頃の従姉妹ディアだと分かった。
 これは夢なのだと分かった。過去に起きたことを見ている悪夢。
 鋭く光る眼差しで、彼女は振り返った。セイルの横に立った専属施術師を。
 檻の格子に手が現れ、ディアの手を握った。ディアのために犠牲となる子の手だ。
 冷酷な施術師は静かに歩き、セイルを振り返り、冷ややかに微笑むと慇懃に礼をした。
 施術師は鉱物や輝石の力を借り、他の子供の臓器を奪い、ジュリアーダ一族の病気を治す悪魔契約者だ。
 ここは東の儀式塔だが、北の崇拝塔で悪魔契約をするのだ。
 施術師は革の本をひらき、それを台に置くと、銀の皿に必要な宝石を高杯から選りすぐって行った。
 施術師の背後に揺れる影は、尖った髪形の関係で悪魔の角に見える。セイルは悪魔崇拝の塔には入れないが、どいつも悪魔の化身に違いないと思っている。
 喉が痛いほど緊張する。
 セイルは自分をようやく目だけで見下ろし確認した。
 鉄でできた重い肘掛椅子に鎖で拘束されていた。それで動けずに目だけ動かせるわけだ。その目が、施術師が壁の武器や器具を選び始めたことで、釘付けになった。
 ディアはずっと、格子の先の子供の手を強く握って、施術師を睨み見ている。
 鉄扉の左右に棚があって、今の拘束されたセイルからは見えない。施術師は棚から薬草や薬瓶を台に並べて行く。綺麗な布も横に積まれた。
 暖炉に火がくべられ、鉄鍋に湯が沸かされ始める。
 暖炉の炎を横顔に浴びる無表情の施術師は、ディアと檻の子供を見た。
 薬品をしませた布を手に、施術師は歩き、子供の手を強く握り震えるディアの前に来た。
 ディアは施術師の脚に思い切り突っ込んだものの、そのままローブを翻しただけの施術師に振り払われて、石の地面に転がった。ディアは怒って泣きながら立ち上がって、牢屋を開けようと鍵をさす施術師の脚にしがみついた。足に噛みついたが、小さな歯は分厚いローブで遮られて歯も立たない。
 ディアは施術師に胴を片腕で抱き上げられ、それでも暴れた。身代わりになる子供を助けようと施術師に抵抗するものだから、施術師はディアのフード首根っこを猫のように持ち上げた。施術師は、レバーを下げて降ろしたシャンデリアの鉤飾りに、ディアのフード部分を引っ掛け、また天井高く上げてしまった。シャンデリアとばたばた暴れるディアの影が、天井にぼんやり描かれる。
 ディアの心臓は耐えきれずに不整脈を打ち始め、血圧もさらに下がり、空を蹴る細い足の蹴りを弱くした。暴れたので、心臓が痛む。呼吸を浅くしなければ、さらに心臓が痛む。視界が膨張して嫌な汗が流れた。けれど、身代わりとなる子と引き換えまでしたくないというのに。
 セイルはどうしても鎖をほどけず、歯をむいた。汗が口に入る。声は出ない。セイルもディアも儀式で声が出ないよう、薬を無理やり飲まされてから連れ込まれるからだ。
 ぼたぼたと、蝋燭に光りながらディアの涙が天井から落ちてくる。
 セイルは泣きながら心が痛くて仕方なくなり、檻の錠の鍵を回す施術師の背を鋭く睨みつけた。
 美しい「人形」をこの世にとどめて生き続けさせるための犠牲? 血統のための儀式? そんなものに嫌気を感じて、セイルはディアの涙を浴びながら、ジュリアーダ一族の血を心底恨んだ。
 檻が開けられ、子供のおびえる声が響き渡る。シャンデリアがかしぐ程ディアが暴れて、まるで風に幽遊するカイトの様に大きく揺れては、くるくるディアが回転する。
『D様! D様』
 子供がディアを呼び叫び、檻から施術師に引っ張り出されて姿を現す。
『放して差し上げてください!』
 ディアの叫びも空しく響く。
 目元にきつく黒シルクで目隠しをされたこのアズマーリ国貴族の子供が、台まで連れていかれる。貴族の双子の片割れとして生まれ、呪術のためにジュリアーダ一族に来た子だ。
 恐怖に濡れた子供の目は、近づいていく薬品のしみ込んだ白い布で見えなくなり、口元が覆われたと思うと、布が離されたころには、子供の瞳がぐるりと回って頭も回り、すうっと眠りに落ちて行った。
 形代となる貴族の子の心臓を取り出し、停止した半人形であるディアの心臓を取り出す。
 悪魔の魔術により、匠の技随一の職人が制作した絡繰り時計化する。それには質の高い宝石が使用されており、命という時を刻むのだ。ディアの身体のそのなかで。
 ディアの波打つ金髪が石台に広がる。胸部の皮膚と肋骨のひらかれたなか、精巧な美しい黄金の絡繰りが、時計と心臓の形をして、施術者の手により慎重にはめ込まれる。
 宝石の粒が各所で妖し気に光ると、ぜんまいと歯車が、静かにゆっくりと動き始めた。
 心臓時計を通るクリスタルで出来た透明な血管に、体の血液が流れ始めた、それらが、ディアの身体にいずれ巡り始めるだろう。
 将来の施術者として、監視と目認を義務付けられていたセイルは、心臓を抜かれ、白くなった貴族の子供の身体を涙で腫れた目で、もう茫然自失として見つめていた。
 拘束された手首と足首は、衣服の下でさえ皮がむけて血も滲んでいるが、そんなものすら痛みではないほどだった。脳内は何も考えが及ばず真っ白になる。脳内を今も膨張して占領する二人の叫びが、セイルに頭痛を及ぼす。
 セイルは無力な自身を恨んだ。何故ジュリアーダ一族に生まれたのか。何故一族は存在するのか。何故自身はこの悪魔技術の一族に抵抗できないのか。全ては心弱さのためだ。
 一族は美しかれど、弱い体を持ち生まれ、その美と命に取り憑かれた。健康な貴族を犠牲にしてまで、類まれな美麗の血族を残そうとした。秀でた職人技術を有する王国に君臨し、最高級の輝石の産出される鉱山を有する。
 セイルは、施術者により綺麗に縫合されていったディアを朧げに見た。音もなく涙がこぼれる。
 施術者がセイルの前まで来ると、セイルは薬で眠らされた。
 長い時間が流れた。
 重くて痛い頭で瞼をひらいた。
 セイルは抜け殻のように体が軽いと気づいた。なのに体が重くて、嫌になるほど腕にも力が入らない。何かに心がやられると、すぐにこうなってしまう。施術せねばならない一族の身体の弱さに加えて、精神の弱さまであるからセイルは自分が嫌いだった。
 しばらく体力と気力が戻るまで、目を閉じていた。
 セイルが暗い寝台から、肘で支えた上半身だけ起き上がらせると、アーチ窓の外はうっすら明るかった。
 その窓の下にも寝台があり、ディアが眠っていた。
 まだ五歳という幼さである。
 施術したからだろう、顔は珠のような白肌に、頬と唇に紅い色がさし、波打つ金髪、金のまつげさえも光沢を受けていた。
 いつもの眩いばかりのダイヤモンドがはめ込まれた瞳は、瞼に閉ざされている。
 術後の経過は良いらしく、安眠している。
 セイルは一族の血に、そして美しい人形に、太刀打ちできない呪いを感じた。
 いずれは断たねばならない。
 セイルは朧げにそう思い、ふらりと立ち上がって、短剣を探し出すために歩き出した。
 寝室から廊下に出ては、窓からは、この国、アズマーリの海が見える。海の色のような瞳で見つめた。何が悲しくてこのような呪いを背負ったのか。亡命した先のアズマーリ国まで続く、この憎むべき儀式。もとから弱さは自然淘汰されるはずのものを、抗い続けた行い。自力で守り切れぬ血筋を、他の力に頼るしか保てない血が本当に求められるというにだろうか。それなのに、美の魔は一族をがんじがらめにし、多くの貴族の命を貢物に、悪魔をよろこばせ続けたのだ。悪魔の名を借り、ジュリアーダ一族は命乞いを続けて来たのだ。一族の終焉を恐れた王族は。代わりに美と宝石と職人の技術を捧げて。貴族らの美貌の水準さえも上げさせて。
 だが、もう嫌だ。セイルは耐えられなかった。
 いつのまにか、屋敷の奥まった遊戯室に来ていた。柱が区切る先にある空間っである。
 未成年のセイルは、まだ入室を禁じられていた場だった。
 大人が数名、昼だというのに、何かの薬にでも酔っているのか、ソファーやチェンバロにしなだれて眠っていたので、セイルは驚いた。大人のこんなにだらしのない姿を初めて見た。
 季節を告げる絡繰り円盤を見ると、あの儀式から十四日も経過していたのだと分かった。
 ディアは一度目覚めているかもしれない。儀式での傷の場合は、半人形の彼らの場合は治癒が早い。
 そんなに長くセイルは眠らされていたようだ。
 セイルは恐る恐る柱裏から遊戯室を見回していたが、壁の額に短剣を見つけると、目が離せなくなっていた。
 あれがあれば、運命を断ち切って解放されるかもしれない。屋敷内の目立つところには、元から武器は置かれていないのだ。貢物となる貴族や、一族の者が自害をしないためでもある。
 セイルは短剣の前に来てそれを手にし、ざっと寝室へ走った。勢い良く扉を閉ざして鞘を飛ばし、一気に呪われた自らの首筋に刃を向けた。
『お止めください!』
 腹部にどんっという衝撃があって、セイルは背後の寝台に転がった。小さなディアの金髪が揺れてはらはらと涙が落ちて来た。
『共に、共に国を出ましょう、セイル様』
『共に……、すぐ、すぐやられてしまう!』
 セイルは叫び、ディアは首を横に振った。
『我々が、もう少し大きくなるまで、どうか』
 セイルはそうして、その日からディアと共に逃れることを決心した。
 セイルは今、逃れて来た森の小屋で眠っていた。
 クリスタルやダイヤモンドのような星は、光っていた。命を絶たれた者が密かに宿り輝くように。
 時に、セイルにもディアにも、その光は彼らの痛いほどの目にも思えたが……。



 エルフェイオは寝ずの番を続け、ベッドにもたれかかり一度も動かない人形のように眠り込んでいたセイルは、小鳥の鳴き声で目覚めた。
 夜、エルフェイオは幾度もセイルの静かな寝息を確かめたほどに、人間を離れたものを感じた。やはり、それはルビー同様のもの、魂の危うさを感じて。
 器。
 そういった悲しい言葉が、エルフェイオの心の中に浮遊した夜だった。
 その魂の美しい容れ物。それは、泣いて、震え、微笑むのだ。
 セイルは硬い床で眠ったことに慣れずに、強張る全身をさすってから、長い黒髪をかき上げて顔をあげた。
「おはようございます。セイル様」
「おはよう。エルフェイオ様」
 狼はベッドに上がり込んで二人の子供をあたため眠っていたので、顔を上げた。
 エルフェイオは狼を見て、不思議に思っていたことを言った。
「元来、一族は優しいのではないのか。狼を助け、代を越えて慕われている」
「狼は僕らの守護神であり、気難しくも良き友です。僕ら一族の存亡と血族とは、相容れない崇高な場所にいるのです。信仰する神が生活の横にあって、それでも人間には愚かにもしがらみがあることと同じ」
 窓の外を薄く流れる霧を透かして、朝日がゆっくりと帳を降ろす。
 セイルの瞳は輝き、静かな口元は息をついた。
「そんなしがらみから脱却しても、愚かにもまた人間はしがらみを新しく作るでしょう。それでも、血の薄くなったしがらみは、きっとあの霧の薄いヴェールのように、少しは柔らかなはずです。そうしなければならない。僕自身で、何かを守るために心の輝石を本物にしなければ、僕が生きてきた意味は何になろうか……」


 馬のいななきが聞こえ、エルフェイオはセイルを座らせたまま、窓から様子を伺った。
 ディアーナだ。人形を抱えている。
 彼女は辺りを見回し、扉へ歩いて行った。
 ノックだけがされる。
 エルフェイオは外に他に追手が無いかを十分気配を探ってから、静かに扉に近づいた。
 ベッドの下にセイルを隠れさせ、狼の上にも布団をかけたのは、万が一にディアーナがセイルとディアの追手につかまり脅迫されていたり、ディアーナ気づかぬ内に追手を隠れ連れて来ていたら困るからだ。
 少し扉をひらくと、ディアーナはエルフェイオに頷いた。小さく聞く。
「追手は」
「追手? いいえ。気配すら」
「入って」
「はい」
 ディアーナはさっと隙間から入り、精巧な人形はやはりルビーお嬢様に見えた。
 もう一度、エルフェイオは窓から外を確認した。
「すぐに発った方がいい。しばらくは私がつく。一つ報告も」
「心強うございます。報告、とは。追手というのも」
「僕らを追っての者です」
「あ、セイル様」
 ディアーナはベッド下から出てきたセイルに驚いた。
「あなた様もアズマーリ国を逃れて?」
「というのは? その子は今眠っている少女の双子で? まさか、双子の儀式を逃れて?」
「いいえ。セイル様。彼女らはあなた方ジュリアーダ一族が戻ろうとしているジェリーア国の者です」
「え? てっきり、エルフェイオ殿が着いているから、僕らと同じアズマーリ国から養子のために来たとばかり」
「養子」
 ディアーナは人形を抱えたまま、首を傾げた。
「小屋から出ながら説明を」
 まだ眠ったままの二人の子供を、二頭の馬の前にそれぞれ乗せ歩き出す。
 ディアーナが人形を背に括り付けて馬に乗るので、セイルは不思議そうに見た。狼は狼で人形の匂いを嗅いで、正体が分かっていた。
 エルフェイオも狼も様子を探りながら進んでいき、朝日を縫っていく。
「それでは、ルビー嬢もジュリアーダ一族から逃れて」
 セイルは遠い親戚であったルビーを、感慨深く見つめた。ルビーは話が分からないので、ただただセイルを見ていた。
「はい。確かに、どこかにご縁があり、養子に出せるのであればよろしいのですが、貴族間の繋がりは恐ろしくございます。実際、お声をかければ誰かしらの秘密裏の保護を十分受けられるのでしょうが、確実な内密は難しい」
「僕らは田舎の村に行き、ひっそりと暮らそうと。エルフェイオ殿も海は越えたほうがいいと」
「ええ。それが確実です」
 ディアーナもセイルに言った。
「我々も女二人。男手があるほうがいい時もあります。エルフェイオ様はじきに戻られるのですから」
「僕は足手まといになることが怖い。昨夜はあなた方との同行を願い出たが」
「わたくしもアズマーリ国の女騎士のはしくれ。セイル様、従姉妹様、ルビー様をお守り申し上げます」
 強い瞳でディアーナは言い、微笑んだ。
 随分と東の森を歩き、木陰に隠れる場所を見つけると、彼らは一度止まった。
 子供たちは目覚めており、ディアーナは持ち寄った食べ物を袋から出し、均等に分けて皆に食べさせた。
 馬は草を食べ、狼は自分で獲物を食べた。
 そこで初めてセイルは双子ではなく、片方は人形なのだと分かった。
「精巧ですね。美しい人形だ。やはり一族が母国の職人の技術を愛し、戻りたがる気持ちも頷ける」
「私は国に帰ったのち、一族の様子を伺います。ディアーナ嬢がルビーお嬢様をお連れし、どこまで行けるかは分からないが、出来れば私が一族護衛の騎士になれればジュリアーダ一族の内部を探れる」
「その為にも、城の再建を目前にする今、騎士募集がかけられる事でしょう」
 セイルが言うと、ディアーナは人形の衣服をまくり、人形の背中に描かせた緻密な地図を表わした。
「わあ」
 セイルは何事かと目を覆っていたので、驚きの声を上げた。さきほども、人形の腕の片方が水筒になっていたので、皆も驚いたのだ。
 言ってはいないが、脚は隠し剣が仕込まれている。頭の中は乾物の食べ物。胴の中は着替えなど。腿には七つ道具。さすがに今は、カツラを取れば頭部は琺瑯鍋、顔下は蓋になることなど言えないが。人形はバラバラにして馬の担ぐ鞄にも収納できた。
 彼らは再び経つ準備をし、歩みを進める。
 気候は落ち着いていた。脚も進めやすいが、もし追手があるなら相手側もそれは同じ。注意をしながら森を抜けなければ。
 セイルは唸っては、馬上の二人を見上げて言った。
「しかし、ルビー様のお父上ヴェルータ殿にもまだ話が通っていない事は気がかりです」
「貴族にも種類はおります。我が主ヴェルータ様は、今後要点を得るだろう領主、資材運びをまとめる主、以前より大臣を受けていた主、それらとは枠が違うのです。ヴェルータ様は、一角の小店舗を取りまとめている商人上がりのご家庭です。ルビー様のおばあ様であられた元第四王女サファイア様も、将来の王族との関りを危惧して、直接王侯とは関係の薄い貴族との縁談をし、保護をしていただいたのですから」
「他の主要となる貴族には、話が通っているのかもしれませんね」
「ええ。わたくしも注意を怠り、ジュリアーダ城址の地下室を使い、人形を職人に作らせたのは、今思えば間違っていたかもしれません。それでも、町の者が定期的に城址の管理や落ち葉拾いをしてきていたので、怪しまれなかったのかも知れません。これと言って、城を偵察する目は無かったものの、話の通った貴族方が管理の時分に見回っていたかもしれません。彼らが秘密裏に準備を行っていても、不自然に思われず、ジェリーア国の城下町の者も気づきませんもの」
「併せて私が偵察しよう」
「お願い申し上げます。エルフェイオ様」
 彼らは東の森の端まで来ると、エルフェイオは馬から降りセイルと変わり、彼らはエルフェイオと狼を見た。
「どうか、ご無事で」
 彼らは深く頷き、馬で颯爽と山へと駆けあがって行った。


 山を二つ越え、谷を進み、小川で水を汲み、河になって平原を行き、湿地帯を慎重に抜け、丘を越えると、森の奥へと入って、ようやく彼らは馬を止めた。
 ディアーナは琺瑯鍋で乾いた肉と麦を茹で、人形の五本の指を連ねた棒でかき混ぜていた。火の間から人形の逆さの瞼が見てくる。
 それを何ともつかずにセイルは見ていた。人形のボブカットのカツラを被ってみている金髪ボブカットのルビーは、冑をかぶったようになっていた。ディアとにこにこ笑い合っている。
 一体しか用意が無いから仕方がないが、ディアーナは子供二人の暗い色のマントを脱がせた。人形の胴体の背面と前面を外し、それぞれの胴体の前に、硬質の鎧のように縛り付けた。
「本来は、ルビー様の胴を前後から囲うように作らせた鎧ですので、寸法はどうかと思いましたが、どうにかディア様にも間に合ったようでございますね」
 ディアーナは嬉しそうに頷き、目をきらきらさせているので、セイルはドキドキして、耳を赤くしていた。セイルは貴族令嬢に言い寄られても初心で、文学にしか興味を示さない性質だっ。このように、自分から女性を可愛い、と思うことは珍しいな、と自身でも思うのだった。
 共に、自分がそんな女性に守られる側なのが、実に恥じ入ることだと、改めて認識した。自分に付いてくると頷いた従姉妹も、さぞかし不安で怖かったことだろうに。山や森では狼が彼らを守ってくれたから、まだ心強かったろうものを。あの時、どんな巡りあわせか、血が導き合ったのか、ルビーとエルフェイオが現れなかったら、追手からもっと危険な目に合わされていたのだ。昨夜泣いても、まだ癒えない心の弱さに、セイルは自分の男気をもっと上げたいと切に思った。
 ディアーナから剣術を教わろう、そう思った。
 自身は唯一の男であり、どんなに強がっても女性は女性なのだ。紳士として守るべきを護る術を手にしたい。
 いきなりセイルが「ぐぐぐぐぐぐぐ」と綺麗な歯をむいて腕立て伏せを始めたので、女衆は目を丸くしてセイルを見た。ディアはきゃっきゃよろこんで、その背に乗って、ルビーはぱちぱち手を叩いた。
 男なのでなんとか5回は行ったが、そのまま崩れて落ち葉が舞った。湿った草や土の香りと冷たさが全身に伝わる。従姉妹が重い。十歳にもなると抱っこすら無理だ。図書室で重い美術書を抱え運んできた日々が、どうにか役立って5回か。この様だ。先が思いやられる。セイルは思った。
 ルビーがにっこりと笑い、大きな楓の葉の上に麦飯と肉を包んでよこしてくれたので、セイルの背を降りたディアと共に、有り難く頂いた。
 一方ディアーナは、無茶をしてまで一若者が一念発起し、小さな子供を連れて逃げてきた勇気に、心なしか微笑ましく思い二人を見た。
 手袋を取って食べ始めたその手は、真っ白で柔らかいのにすでに傷がいくつもできている。
「セイル様はおいくつになられたのでしたか」
「十七です。この子は十歳」
「わたくしは、五です」
 ルビーはいつものように、立ち上がってマントの裾をつまみ、可愛らしくお辞儀をしながら、拙い言葉で言った。あどけないルビーの声に、誰もが微笑んだ。
「よろしくお願いいたします。ルビー嬢」
「よろしくお願いいたします」
 そうして握手を交わし合った。
 セイルはようやく安心したように、従姉妹ディアを見た。
 やはり、まだ互いに信用を本当に置いてよいものか分からなかったのだ。
 それはエルフェイオやディアーナも、セイルらに対して同じだったことだろう。どちらかがどこかで裏切り、どちらかの国へ連れ戻すか、刺客として差し向けられたかも知らぬ者同士なのだから。
 ディアーナは女騎士。セイルは危険思想を持ち合わせるジュリアーダ一族の一員だったのだから。気弱を装って刃を向けないとも言えないのであれば、エルフェイオも森で別れるのは不安だっただろう。
 それでも、本当にセイルにはそんな力も筋力も無いことは分かった。エルフェイオが腕を掴み立ち上がらせたり、馬に乗せるのに背後から腰を持ち引き上げた点でも分かっていたからだ。本当になんの筋肉も無い、内向的青年なのだと。
 逆にセイル自身の言う通り、足手まといになるのも不安だった。セイルは子供より経験がある分、恐怖に慄きやすい。子供の方がまだ無頓着で、どう、としている場合もある。
 ディアーナは子供が三人、と思って行動しているのだが。なので、セイルがディアーナに惚れても、しばらくは恋愛にもならず、男として見られる事もないだろう。
 第一、明らかにエルフェイオとディアーナは、夫婦かのように思えた。だからこそ、エルフェイオもディアーナに協力し、ディアーナもエルフェイオを信用したのだと。
「この子、ディアの本当の名前は、ディアマンテ・ジュリアーダ。ディアーナ嬢とお名前が似ている。儀式で使われた宝石と、瞳の色にちなんでつけられた名です。僕セイル・ジュリアーダの名も、アクアマリンの水色から、穏やかな海のごとく、シエルから、空の高みのように、と名付けられました」
「素敵でございます。セイル様。ディアマンテ様。ルビー様の名は、お体の弱いものですから、名から力を得ようと名付けられました。遠い昔の王家の鉱物の習わしは古い、呪わしい過ち。名称のみを鉱物からお借りするのに抑えることが、せめてもの行いだと」
「元第四王女は、見事なサファイア色の瞳と聞きました」
「はい。わたくしも幼い時分にはお会いしていたようなのですが、幼かったゆえに覚えがないのです。お美しかったとのお噂は、拝聴いたしておりました。昔の王侯時代、サファイア元王女の旦那様の先代が、子供のころに実験的としてエメラルドの呪術を試され、瞳にエメラルドが受けつがれた。そのことで、ルビー様の瞳の片方が、エメラルドを引き継がれました。当時、まだ力の弱かった貴族は子供が餌食にされたのです。そして、研究に提供されてきていたと聞いております。あの国の貴族は、どの方もそうだったのです。美しい王家の血筋のため、捧げられた城下の貴族らだったのです」
「それが再び、ジェリーア国で起きようとしているのですね。僕らの移り住んだアズマーリ国でも行われてきた魔の行いです」
 セイルは焚火に水の欠けられ白い煙が細く上がり、重なる木の葉にかき消された風を見上げながら言った。
「僕に力があれば、もう、そんなことは止めさせられるというものを。僕は逃げたのだ」
「セイル様。これは危険からの避難です。弱きが立ち向かうは命を落とすだけのこと。それを、本能的に分かって回避できたことが、まず一歩踏み出せたことなのです。手を拱いて見ているだけでは、変えられない。そのままではディアマンテ様も政治に使われていたことでしょう。心も失くし、儀式に誰ぞがあげられる恐怖の時間が来る所だった。それをセイル様は海に魚を放つがごとく、空に鳥を放つがごとく救い出したのですから」
 ディアーナの真っすぐの目を見て、セイルは耳から頬、首筋まで真っ赤にして、うつむいてしまった。


 明るい森を越えると、小さな田舎の村に出る。だが、そこも通らずにその先の森と山を越え、海のある村に出るつもりだ。
 通行場所として警戒される港のある町は避けたかったので、小さな村に向かうのだ。河は一方通行なので、発見されやすく危険だった。
 顔が知られていないディアーナだけがフードを被り、食料調達のために一度村へ向かった。
 のんびりとした村である。が、この村も古い昔は、ジェリーア国から男爵が土地を与えられ、統治していた歴史がある農村でもあるので、貴族に顔の知られたセイルが来るのは危険だった。
 ディアーナが食料と用品を手に入れると、すぐに皆の野営している森の入り口へ向かった。
 異変に気付いたディアーナは駆けつけた。
「……、ルビー様?! セイル殿、ディアマンテ様!」
 森の野営の場所は、暴れたあとがあり、木の幹には剣の傷があった。
「ルビー様! ディアマンテさ……」
 ディアーナは、ぞっとした気配を背後に感じ、手に下げる袋を強く掴んだ。
 背に何かが飛びつき、首筋に刃物が向けられた。
「……ディアマンテ様」
 ふわっと波打つ金髪が視野端に現れた。ディアーナは横目で睨み見た。
 ダイヤモンドで出来た短剣。身軽な体。子供と思っても、十歳にもなれば十分殺人術など、地下で秘密裏に仕込める。
「黙って。殺しはしません。あなたが本当に危険じゃ無いか、問うのです。わたくしは本家のセイル様をお守りするため、幼き頃より父から護身術を叩きこまれてきたのです。我々分家の兄弟はそれぞれが、一人ずつ本家のお方を護るために育てられ生かされてきた守護人形」
 顏を向けると、ディアマンテは顔を歪めて真っ赤に泣いていた。ぼたぼたとディアーナの首筋に涙が落ちていたのだ。
「何故、お泣きになられるのです」
 ディアマンテは嗚咽をもらし、言った。
「さきほど、わたくしは人を、初めて、人を、殺しました、知らない顔の追手でした、セイル様とルビー様は、森の奥へ逃がしました。わたくしは、怖くて、何を信じたらよいのか、わからなく」
 ディアマンテの涙と洟だらけの顏は、それでも可愛らしかった。ディアーナは、人を殺して震えるディアマンテを背からゆっくり降ろし、ダイヤモンドの短剣を鞘に戻させて抱きしめた。
 腕の中でディアマンテの小さな体が震え切っている。かわいそうに、こんな弱い立場の少女に殺人術など仕込むなどと。そんなジュリアーダ一族の命令に、ディアーナは硬く目をつむった。
「分かります……恐ろしかったことでしょう。ディアマンテ様。わたくしも、もっと隠れた場に野営をしなかったことが愚かだったのです。本当にごめんなさい。今すぐ二人のもとへ急ぎましょう」
 ディアマンテの顔を拭った。まだディアマンテは鼓動の激しく興奮してひらききった瞳孔のまま、泣きながら頷き、共に走って行った。
 野営横の木の裏に、男の死体があり、木の裏と落ち葉には血が飛び散っていた。暗い色で見えなかったが、ディアマンテのマントも返り血で濡れていた。
「ここまで追手が来たということは、東の森からずっと付けていたのかもしれません。平野や湿地では姿は見えなかったのに、しつこい連中……。わたくしが離れて、あなた方が三人になるのを待っていたのでしょう」
 ディアマンテは急いで歩きながら頷いた。
 その風で頬は涙が乾き、逆に怒りのこもった目でまっすぐを見て、ディアーナの横を大股で歩いていく。
「要人や貴族、刺客や護衛の顔は、小さなころからたたき込まれておりましたけれど、知らない顔ということは、誰かに依頼させたのでしょう。きっとセイル様の長兄筋の刺客です。いくらなんでも、わたくしのことを他の兄弟もセイル様の長兄についている護衛も手にかける依頼は断ったと見えて、他の者に依頼したのだと」
「わたくしもジェリーア国で見かけない男だったので、そうなのかもしれません。これでは海の村も危ない。どうにかして巻かなければ」
 ディアマンテは立ち止まり、ディアーナは振り返った。
「わたくしが囮になります。その内に、三人でお逃げください」
「ディアマンテ様。セイル様はあなたをお守りするために、普通の生活をさせたいがために共に逃げて来なすったのですよ」
「セイル様のそのお言葉だけで、わたくしはどんなにか救われ、うれしかったことか。セイル様は本当にお心が優しく、たおやかなお方です。セイル様をお守りするためならば、日々受けてきた辛い特訓さえ、意味があったことなのだと」
「それならばなおさら、共に生き延びるのです。あなた様の体に生きる身代わりとなった子供たちを、あなた様の金剛の心と生きさせてあげたい。わたくしは、そう思うのでございます」
 ディアーナはディアマンテの頬に手を当て、優しく微笑んだ。
「だから、さあ、行きましょう」
 ディアマンテの手を引き、走っていく。

 それは二時間前の事だった。
 ディアーナが森の入り口から、海の村まで食料を得に向かって、一時間ほどした頃だった。先ほどの二人の刺客が襲ってきたのは。
 ディアマンテは、広げ干していた衣服をルビーと共に着ていた。セイルは木の実やキノコを摘んで、戻って来た所だった。
「!」
 ディアマンテは、マントをルビーの頭に被せたところで、セイルを振り返った。
 落ち葉が擦れ重なる、静かな複数の重い足音。すぐに、軽快な細身のセイルの物ではない、と気づいた。
 ディアマンテはルビーを後ろに行かせ、その手を握った。
 セイルが木々の間から笑顔で現れた。が、その背後の低木裏から、ガタイのいい大男が二人、ぬうっと立ち上がったのだ。手には一人は棍棒、一人は剣。
「こっちに早く」
 ディアマンテは手を振りセイルに言い、セイルは笑顔を無くし、緊迫してすぐに走った。
 走ったセイルに驚き、木の上の鳥がバタバタと飛んでいく。
 ディアマンテは走ってセイルの腕を掴み、思いもよらぬ力で背後のルビーの横へとなかば乱暴に行かせ、足首の短剣を手に走った。
 驚いて転がったセイルは顔を上げ、ルビーがセイルの横に駆けつけた。セイルは走って行ったディアマンテを振り返った。
 彼女は身軽に回転しながら飛び、棍棒を振り上げた大男の顔面に鉄板のはまる膝をかました。勢いで肩に踏み乗ったところで、剣の男の顔面に両足蹴りをして倒れさせた。棍棒男の肩に乗ったまま、鉄板のはまる肘を脳天にかまし、掴んだ耳を切り落とす。完全に男を前屈にさせ、背を両肘で踏み倒すと、棍棒男の首筋を短剣で切りつけ倒した。
 ディアーナは棍棒を奪い、頭を振り起き上がった剣男を見た。ディアマンテは木に駆け上って、剣男は「すばしっこいガキだ!」と怒鳴って剣を振り見上げて、武器を持たないセイルの所に走って行った。
 背を向けた男に、木の上から棍棒を振りかぶったディアマンテだが、男は回転して剣で棍棒を叩き落した。その男の勢いを使って、ディアマンテが男の太く硬い腕に飛び乗り、反動で短剣で頸動脈に切りかかった。
 セイルもルビーも草地に崩れ座り、ディアマンテの背を見上げた。
「森に逃げてください。付いてきて」
 ディアマンテの驚くほど冷静で粗さの無い息は静かで、セイルはディアマンテを見上げて動けずにいた。だが、ルビーの手の震えに視線を落とした。言葉も出ないままでいる。ディアマンテは、摘んできた木の実やキノコの転がるなか、セイルを引き立たせ、その背を押した。
「他に追手がいるかもしれないのです」
 ディアマンテが硬い声で言うと、ルビーの手を引いて歩かせた。セイルを振り返り、付いてこさせる。
 木々が折れ曲がって入り組んだ場所に二人をこさせると、ディアマンテは落ち枝を被せ、襲撃のあった場に戻って行った。
 ディアマンテが一人、そこに戻ると、ようやく心臓がぎくぎく、ギュウギュウと変な音を立て始めた。死体を見ると、息と手が震え出した。
 歯をかみしめて、ディアマンテはその震えに目を鋭くし、横拳で木の幹を打った。震えを抑えるように拳を握りしめる。
 ジュリアーダ一族の差し金? ディアーナが差し向けたのだったら? ディアーナはジュリアーダ家のいるアズマーリ国の出身だ。まさか、ルビーもセイルを狙えるほどの技を持っていたら? そもそも、本当にルビーは王家の子孫かも不明なのだ。ディアーナが本当にセイルの知るエルフェイオの知人なのかも。
 手が痛い、嫌な、するっとした感覚。全身に残る重い衝撃。小さな頭の中までどくどく血脈は脈打って、心音が鼓膜と全身を打った。
 馬が草をかき分け歩いてくる音で、ディアマンテは咄嗟に木の上に飛び乗った。その鋭い目で、戻って来たディアーナを見た。
 ディアーナはすぐに異変に気付き、駆けつけたのだった。そしてディアマンテは、敵か味方かもわからないディアーナの肩に飛び乗ったのだ。
 正直ディアマンテは、初めて人を殺した恐怖に流した涙もあったが、女性であるディアーナを見て、痛いほど安心をした涙でもあった。ディアーナの母性や女騎士という頼りある部分は、震え強張ったディアマンテが甘えに行きたくなるものがあった。飛び乗ったときに香った、ディアーナの女性らしい柔らかな香りに、抱き着きたくなったほど。


 海の村を避け、彼らは進んだ。
 闇のうちに灯りも消し、海に詳しい者と共に舟で出られればと思ったが。
 陸路をしばらくは行ったほうがいいだろう。
「彼らの目的はなんなのか」
 ディアマンテが実は自身の護衛だ、と初めて知ったセイルは驚いていた。
「僕のことはもし生かして返すとすれば、儀式を執り行う技術・医師にする目的でしょう。ディアマンテは守護の役以外にも、もとより本家と同等なほど優れた血を持つと言われて来ていたのです。女性姉妹が本家にはいない今、十分に政治的に婚姻で使うことが出来ます。ルビー様に関しても、すでに失踪ではなく、逃走なのだと知られていることと思います。王家の目的の一つには、輝石の目を持つオッドアイの人間を作ること。そのためにも、母国でオッドアイで生まれたルビー様のお母上も、ルビー様も、奇跡の血筋なのです」
「母上」
「大丈夫です。ルビー様のお母上はすでに婚姻を結ばれている。我々が引き入れるのは、未婚の貴公子や処女の令嬢なのです」
「よかったです」
 ルビーは小さな手の甲で目元をぬぐった。
 最近、片目が見えづらいのだ。いつも室内にいたから、お外に慣れていないのかもしれない。
 大好きなオルゴールを聴きたくなったが、今は恐い人から逃げているから聴けなかった。
 最近、手首や足首もちょっと硬い……。
 ルビーは不安だったが、それを言えずにいた。もしかしたら、皆の言うように、本当にお人形になってしまうのではないか。と。
 心配をさせたくなくて、言えなかった。
「移動手段を変えるべきか、それとも馬は目立ちますが、そのまま一気に駆けさせるべきか」
 ディアーナは渋くうなり、馬は向こうで馬同士で鼻で会話をしあっていた。
「子供がいる以上、移動は馬の足の速さは必要です。それに足で追ってくる追手からも高さでいなせる」
 ルビーの胴に括り付けた、鎧代わりの人形の背に描かれている地図を見て、皆は経路を練り直していた。
 ルビーがそれを自分でも見下ろしているうち、心臓がとくとくと鳴って、次第に、とく、とくん、と、と変わり始めていた。
 こういったときは、いつも眠くなって眠ってしまう。そしてオルゴールの音色で目覚めてきた。
 まるで、蓋を開けたら現れ踊りだすオルゴール人形のように。
 ルビーはうとうととしだし、瞼を静かに綴じた。
 ディアーナは気づき、ルビーを横たえさせて自身の腕を枕にした。
「今日は眠りましょう」
「はい」
 皆も頷き、穴に入り、蝋燭を消して辺りを見回してから小さくなり、眠りについた。
 ここは、倒れ掛かり他の大木に幹をかける木の下の土を掘り返した穴のなか。その穴の上に幕を敷いて落ち葉で覆ってある。
 馬はそれぞれ、目立たない場所に括り付けてあった。馬が動物に襲われないようにと、周りの木にセイルが狼の毛や尿を瓶から出して振りかけてある。これで一次の縄張りとなって動物は近づかない。この辺りの狼も見知らぬ狼の匂いに警戒して、一晩様子を見て馬には手を出さないことを祈る。


 目を覚ました暗がりのなか、ディアーナは眠ったままのルビーを抱き上げ馬に乗る。セイルも前にディアマンテを乗せ馬に乗った。
 セイルは普段使わない乗馬筋肉で全身は強張っている。まだ全身は緊張して、痛くはならないのが幸いしている。はじめ山を馬が走りだしたとき、セイルは死に物狂いで手綱ごと馬のたてがみにしがみついた。鐙を踏み込む土踏まずも足全体も痛くなったが、今思えば、胴の下で小さくなっていたディアマンテが、強くセイルのベルトを掴み引き付けてくれていたのだ。それでセイルが落馬しないようにしてくれていたのだった。
 現に今も馬の鞍に括り付けた鉤爪を、セイルのベルトに通してくれてあった。ディアマンテは乗馬も慣れたことだ。鉤爪は回転させればすぐ外れるようにもなっていた。
 月明りさえも注意しながら進む。
 ディアーナは、コンパスを見ながら地形を読み進み、追手の気配も探りながら馬で先を急いだ。
 彼らの目は月の光りにも花やいで輝く。フードを深くかぶり、走らせて行った。
 そうやって、平野を避けて三日間移動し続け、そんななかでも一切ルビーは目覚めなかった。
 浅い呼吸は変わらずし続け、頬はほんのり温かいが、手足は冷たい。
 ディアマンテは不安げに顔を覗き込み、ディアーナを見た。
「人形化です。血が薄くなる末端は、次第に硬化してしまう。これも、我らがさだめ……」
「どうにかできませんか」
「それには、今のところでは再び鉱石の儀式を行って、ルビー様の心臓にルビー鉱石の力を与えなければ。しかし、それは他の犠牲は使わないとしても、鉱石との融合施術がルビー様の体で耐えられるか、本人がそれを望むかが問題です。それには、ジェリーア国に近づく危険を冒さなければならないのですから。このまま生きさせて、いつまで体がもつかはわたくし共にも分かりません。我々は血が薄くなった者は、直ちに儀式に挙げられ、生きながらえておりましたから」
「……っく、普通に生きさせるにも、儀式が必要などと」
 ディアーナは歯ぎしりをして、目を固く閉じた。
 ルビーは幼気な顔で眠っており、呼吸をしている。
「そろそろ目覚めさせ、お食事を召し上がっていただかなければ」
「ディアーナ嬢。地図に確か、滝がありましたね。そこでなら、目覚めのオルゴールの音も紛れるのでは」
「セイル様。そう致しましょう」
 彼らは滝に向けて馬をすすめる。
 滝までつくと、ルビーも食事をして、しばらくはいつものようにボウ、としていた。
 いつか、この子が動かなくなり停止し、安心した村でバラバラになって崩れてしまうことが恐い。せっかく幸せを手にした先。それは村に着いたすぐかもしれない。美しく成長できたあとかもしれない。愛しい人を見つけ、頬を染めるということも知らぬままに、安住の地で。
 誰もが目を閉じ、そんな不安を振り払った。
「もしかしたら……」
 セイルは滝を見ながら考えていたのを、顔を向けた。ルビーはぼうっとしながら回転する絡繰り人形の踊りを見ている。
「ルビー鉱石の装飾品を血脈の近くに身につけたり、その粉末を胸部に塗れば、効果が何かしら得られるかもしれない。僕らは他の人々よりも、鉱石への反応が著しいのです」
「どこでルビーを手に入れるべきか、が問題です」
 セイルもディアマンテも所持金は宝石を手に入れられるほどは持たない。
「鉱石……奥様がこれをと」
 セイルとディアマンテがディアーナを見ると、彼女は人形の片腕を袋から出した。左腕は水筒になっていたものだ。
 ディアーナは、その人形の右下腕をひねりあけて、筒状のなかから鉱石をたくさん出した。上腕からは装飾品が漏れ出てきた。その全てが、ルビーとダイヤモンド、サファイアだった。
「これらは、ルビー様がお生まれになり、名付けられた時より鉱石から力を得るため与えられたルビー。そして、元王女様とルビー様のお母上から譲り受けたサファイアでございます」
「それを使えるかもしれない」
「旅の道中、危険と思い身につけさせることはございませんでしたが、ヴェルータ屋敷では、常にルビーの指輪と、ルビーの首飾りをお下げになっておいででした。まさか、本当に効力が適っていたとは」
 ディアーナはさっそく、ルビーの身に着ける鎧代わりの人形の背面の下に、ルビーの首飾りを下げさせた。それは以前から、ちょうど心臓の高さにルビーが来るようになっていたのだ。それに留め具で長さも変えられるのは、成長に合わせて一生身につけられるためだった。
「きっと、効力はあります。僕らには不思議にも、鉱石の血脈が流れているようなものなのですから」
「本当に、不思議です」
 ディアーナはルビーの背中を撫で、ルビーも慣れた首飾りの心地に、ディアーナを見上げて微笑んだ。   


 一行がゆうに三ヵ月もの放浪が続いていた。
 ジェリーア国やアズマーリ国から相当に離れたからか、追手が来ることは無かった。
 その内にも、セイルは日々をディアーナとディアマンテから訓練を受け続けていた。
 ディアーナは村の酒場で肉とパンを買っては、セイルに食べさせ、体力をつけさせていった。
 セイルはその甲斐もあって、森で動物が襲ってきても馬を操って上手に逃げきれるようになった。山賊が現れた時は飛び上がることもせずに、ルビーをしっかり抱えて剣を片手に馬で離れさせていった。
 二年、三年もすれば、剣を扱えるようになる素質もあるかもしれない。
 その内にも、手先の器用な女性軍は手芸品を作り、売ったり物々交換などをして、行動資金を作っていた。
 ディアマンテは歌が得意なので、それでも十分その日ぐらしに金を得られそうでもあるが、姿はまだ人前に出すのは危険だ。特に、ふとした時にフードがとれ、特徴的なダイヤモンドの瞳を見られたら、噂になる。
「そろそろ、海を越える手はずを整えてもいいのかもしれないわ」
 ディアーナは呟き、セイルとディアマンテも頷いた。
「その前に、ジェリーア国が今現在どうなっているのか、それを少しでも知ることが出来ればよいのですが。アズマーリ国へ戻られたエルフェイオ様は、どうなさっておいでかしら」
「ジュリアーダ一族に偵察に入ることは出来たでしょうが、城の復興や貴族との関係修復は、そう早くは進むものではありません」
「ええ。酒場でも、市場でも、誰かがジュリアーダの噂をしている言葉を聞いたことはございませんでした。年も明けて二か月目。春には一気に動き出すことも予想されます」
「今は裏から根回しをするなどしている準備期間でしょうね」
「はい。きっと」
 ディアーナはセイルの横顔を見た。
 女性にも見えるほど繊細な美貌の青年は、この三ヵ月で顔立ちがしっかりとしてきた。瞳の光りが強くなってきている。腕も少しずつだが、筋肉の筋が着き始めている。
 ディアーナは微笑み、うれしくなった。
 エルフェイオと子供時代に、共に修行と訓練に励んだ日々を思い出すようだった。
 幼馴染だったエルフェイオとディアーナは、子供時代から共にアズマーリ王国の青少年機関で剣術と馬術の訓練を受け、将来はアズマーリの王家に仕える身分の家系だった。お互いに切磋琢磨し合い、海では小さな帆舟を走らせ、共に夜空を見上げた。互いが思いを寄せあう時代もあった。ディアーナは乳母係の親戚がジェリーア国にいたので、幼い頃からジェリーアを訪れていた。なので、サファイア元王女にも会ったことがあり、親戚を通してルビーの遊び相手と護衛にとヴェルータ家に依頼され、少女時代にやってきたのだった。それでからは、エルフェイオに会うことは稀になっていたことが寂しかった。共に剣を握って明け暮れた修行の日々、将来護るアズマーリ王国のことを語り合った日々、その誇り。その先に暮れ行く夕日は壮大で、アズマーリの青い海を、黄昏に染め上げていた。その風景も、共に見ることが出来なくなっていたのだから。互いが守るものと仕える主は変わったけれど、離れた場所で頑張ろうと決意し合って、ディアーナは船上からエルフェイオに手を振った。
 だからこそ、そんな時代を思い出し、ディアーナはセイルを見ていてうれしくなった。
 互いを信じあい高めあえる間柄は、強い絆と力を生むと、ディアーナは信じている。
 時代も違えば、もしジェリーア王国の第四王子でもあったセイルだが、彼の気質は元来やはり穏やかだ。王宮で立ち回るより、静かに文学に親しんでいる方がよく似合う。今のうちに、どこか村にでもつけば、花でも育て出すと思われた。
「我々は村へと住まずとも、森のどこかに居を構えることも出来るかもしれない。以前、他国の災害復興時に、みなで丸太で小屋を作ったり、石を積んで家を作ったことがあったので」
「それもいいかもしれない」
 そこでディアマンテは、木の実摘みから帰って来て、ルビーに二粒食べさせながら話を聞いていたのを言った。
「しばらく数年、森に姿をくらましていれば、わたくし共も成長して姿かたちが変わり、セイル様も二十代となれば、鍛えようにより、立派になられます。鶏も育てれば、お肉も得られましょう」
「ディアマンテ様。そうしましょう」

 アズマーリ国。
 ジュリアーダ一族の屋敷。
 窓からは、青い海が濃く広がる。現ジュリアーダ一族主の大叔母王女であったサファイア元王女の瞳も、このアズマーリの紺碧の海のごとく美貌を持っていたという。
 逃走したままのセイルは、春の空と穏やかな朝方の海のように淡いアクアマリン色の瞳を有していた。
 性格も淡く、もとから体が弱く、施術を幾度も必要としたが、それも自らが思い立って、従姉妹を連れて逃亡するまでになったという。
 即刻引き戻させて儀式の塔に閉じ込め、医学を叩きこませ、施術者にするつもりが、追手はいずれも帰ってこない。
 主ジュリアーダは海原を見つめ、複雑な心境で息をついた。
 もとから言う事を聞かないがの強いディアマンテが、セイルにはついているのだ。実戦前に出て行ったものの、殺人術訓練は年齢に見合わないほどに高かった。静かな性格のセイルへの忠誠心の高さがそうさせたのだろう。
 どちらも即刻引き戻させる。ジュリアーダ一族が、ジェリーア王国に戻るには、彼らの存在はやはり必要だ。
「ジュリアーダ様」
 偵察隊がようやく戻って来た。主ジュリアーダは出迎えた。
「なに。アズマーリ出身の女騎士が?」
「はい。村のバーで見かけ、不審に思い付いていくと、セイル様とディアマンテ様がおりました。一瞬で馬で見失ってしまい、追いましたが、二週間しても見当たらず。しかも、幼い少女も連れ立っていたのです」
「引き続き捜索をしろ。港の街を重点的に張れ」
「はい」
 主ジュリアーダは、女騎士の素性を調べさせた。それはなんと、母国ジェリーア国でサファイア元王女が嫁いだ先の孫娘ルビー・ヴェルータのお守り役だと分かった。
「いいか。その女騎士は始末しろ。ルビー・ヴェルータの身も確保し、連れ帰るのだ」
「はい」
 偵察者は屋敷を後にし、再び一行を捜索し始めた。
 だが、一体彼らは何処へ行ったというのか、それから先、発見するのに難を要することとなった。


 山脈の麓の木々に囲まれた崖の近く。
 川は崖から渓谷に落ち流れ込み、岩場は風よけにもなっていた。
 人が一切、足を踏み入れない場所。
 彼らは岩場から石を集め続け、赤土と砂と水を練って、それらを積み上げていき、ドーム型の小屋を作り上げた。
 村からディアーナは鶏と山羊も買ってきて、野菜の種も買ってきた。戻るまでの森では花の種も摘んできて、周りに植えた。
 セイルは日々、ディアーナとディアマンテから訓練を受け、農作業をし、野菜は失敗してもめげず、山羊の病気で二度ほど残念なことになってしまったが、ディアーナが夜に村の医者に通いつめて学び、山羊に備えて、乳しぼりや、チーズを作れるようになったりしていた。


 そうやって五年の歳月が過ぎていた。
 十歳になったルビーと、十五歳になったディアマンテ。二十二歳になったセイルと、二十八歳になったディアーナは、逞しく暮らしていた。
 ディアーナは姿こそは優美さに加えた冷静な勇ましさは変わらないままだ。二人の子供と、男であるセイルは、見違えるほど変わった。
 雄美となったセイルは肌が浅黒く焼け黒髪に映え、白肌で神秘的だった頃から、野性的で魅惑的な風になっていた。
 十五の年頃の乙女になったディアマンテは、顔立ちが派手な作りで気が強そうになっていた。時に山の動物を従えて山脈を遊び回るなどして、自身の身体能力をいかんなく発揮している。
 十歳になったルビーは、子供のころには分からなかった繊細な声の美しさで歌う。ディアマンテの吹く笛とよく合い、よく共に歌っていた。顔立ちも少しずつ大人びて、実に愛らしい。
 すでに男のセイルには、女二人では敵わなくなっている。嵐や大雪で壊れる小屋部分も、一人で修復できる。小石を積んで作った初めの小屋などは、村に出ているうちにその年の冬に雪で潰れてしまっていた。一人残っていたルビーがあたふた潰れた小屋の前で立ち往生していたので、驚いて皆駆けつけたのだった。
 なので、どうにか冬越えのためにも、小石のなかから日用品を引っ張り出し、洞窟に逃げ込んだ。が、冬眠中の熊を発見してしまい、あえなく引き下がった。
 それで馬に乗って、顔をフードと首巻で隠して村に入った。そこで、寒空の下、割れた窓の前で困って立ち尽くしていたおばあさんをルビーが発見した。ディアーナが木板で窓を作ってあげると、おばあさんが皆に食事をご馳走してくれたのだった。彼女はどうも盲目らしいと分かると、おばあさんも、「今年は子供が遠くの国へ出稼ぎに出て、半年は帰って来ないというし、冬があけるまで共に暮らしてくれたならこちらも助かる」、という事だった。彼らは感謝して、冬越えをさせてもらったのだった。


 山脈の春から初夏はすがすがしい。
 ディアーナはいつものように花に水を撒いている。
 山羊と鶏の柵に肘をかけたセイルが、青空を背にした白い山脈の麓岩壁に反射する太陽の眩しさに目を細め、美しいディアーナを見つめていた。
 ディアーナは笑顔で水を撒いていたのを、ふとセイルに気づいて顔を向けた。
「………」
「………」
 二人とも頬と耳を染め、顔を反らした。
「わ!!」
「うわあ!」
「きゃあ!」
 「っぷー!」と木の上から、豊かに波打つ金髪を翻させディアマンテが降り立った。ダイヤモンド色の眩しい目で笑いながらやって来た。
 この五年間で、令嬢であった言葉遣いもちょっと変わり、軽快になっていた。まるで太陽を味方付けたような美貌に圧倒させられる。
「わたしがお二人の心の内を語り歌って差し上げます」
「まあ、結構でございます。D嬢」
 真っ赤になってディアーナは言い、セイルは急いで小麦の麻袋を持ちに行った。
「N様もS様もおかわいらしい。まるでS極とN極のよに違いましたのに。今ではわたしには、お二方が向き合っておられるか、どちらも同じ方向を見てらっしゃるようよ」
「D。大人をからかうのではない」
 セイルも咳払いをして、倉庫小屋から担いできた小麦袋を、小屋へ運んで行った。
「R嬢はとんと疎いから、まだ分からないのね」
 木の幹の裏側に座り、膝に鶏とお花を乗せていたルビーは、幹に背をつけて聞いてきたディアマンテをオッドアイの淡い瞳で見上げた。黒いリボンを飾った金髪ボブヘアの小首を傾げた。
「ほら。パンをこねるから皆も手伝うように」
「はーい」
 ディアマンテも言い、ルビーもうれしそうに鶏を放って走って行った。
「困ったお方ね」
 ディアーナは苦笑して、自分も小屋へ入って行った。
 すっかりここでの生活に慣れてしまっているが、そろそろ居場所を変えることを考えなければならない。
 海を越えて、全く違う土地へ行くのだ。


 思いのほか、十歳になったルビーは身長が高くなっており、首や手足が細長い。五歳のころは本当に三歳ぐらいの小ささだったのだ。
 村では一年前から噂を聞き始めていたのだが、母国では新しい城の建設が続いているという。その後も、幾度となくディアーナが様子を見に行っている五年前に出会た盲目のおばあさんの子供というのも、大工だったのだ。ジェリーア国から招集や募集がかかって、ジュリアーダ城の建築に向かっていたのだ。
 今のところは噂ではこうだ。百年前の王侯貴族が亡命国から母国へ戻り、城を立て直している。まだ商人からは値上げや税金の上がり下がりの話は出ていない。商売に支障は来していないらしい。ということだ。それでも、資材運びで運河の船は往来が多くなったので、新しい通行手形を取る手間が増えた、という。きっと、その裏で百年前のように、鉱石の流通を管理しはじめているのだろう、とのことだ。
 ルビーが心配してることは、ルビーの家族が今どうしているかだ。ヴェルータは商店地区をまとめている家庭だから、その点で何か変わったのか。忙しくなっているだろうが、村では限定的な噂を聞き込むわけにもいかない。元王女の血を強く引くオッドアイの母上ヘメラルドは、築城されたのちにジュリアーダの王宮へ呼ばれるのではないか。流通に関して父上は手を貸すように王から打診されるのではないかと、様々が考えられた。
 そこには必ず裏で鉱石を使った儀式が行われ、城下町の者を美しくし尽くそうとしているのだから。
 この世は我らが自然の帳を有した巨大な宝石部屋であるというばかりに。
 国全体の国民・職人技術の美の水準を上げること。美と輝石は交易を担うから。彼ら自身が美の体現でありながら、美の魔力に魅せられ、美の魔物に魅入られているのだから。
 美は狂気であることを、今でもセイルは震えながらも語って聞かせてくるのだった。
 ディアーナはその魔の手が伸びる前に、三人をもっと遠い異国へとお連れするのだ。
 彼らは硬パンをたくさん作り、硬チーズを作り、鶏で干し肉を作り、馬を一頭売り、山羊を三頭のロバに変えた。
 農民一家を装って、家畜と共に船へ乗り込んだ。水色の片目をルビーは隠していた。農民は裕福ではないので、怪我をするとすぐには治せないから、目立つことも無くオッドアイを隠せた。ディアマンテはどうしても瞳が目立つため、すっぽりとフードを被っている。
 船は他の人間も乗せ、海上を滑っていく。

 船上でのこと。
 いきなりの衝撃で寝台は揺れ、すぐに皆は目覚めていた。飛び起きたセイルとディアマンテは扉横で様子を伺うディアーナの横顔を見て、ルビーはすぐにディアマンテの横に来た。
 船は立て続けに故意のように揺られている。丸い窓の外は星さえ見える夜で、天候は落ち着いていた。
 すぐに、乱暴な足音と男どもの粗暴な声が複数聞こえてきた。叫び声も。
 武器で壁や扉を攻撃しているのだろう音も聞こえて、蹴りつけている振動もそれ毎に響く。音からするに、武器は薄手の刃だろう音だ。三人の武器は王家から一族にまつわる強靭な剣でもある。ルビーは震えてディアマンテにしがみついて、不安げな目でじっと扉を見つめた。
「海賊」
「ああ」
 足音が響き、ガツガツとこの船室の扉が外かjら叩かれる。
 誰もが口をつぐみ、三人は武器を手にする。
 このボロ船には、貧しい農民や家畜、穀物、水などが乗るのみだ。海賊が狙うべき貴族など乗っていなければ、貴金属も無い。食料を狙っての事だろう。海域によっては無差別かもしれない。
 セイルが室内中央で武器を向け待ち構え、ディアマンテは扉横から剣を横に向け待ち構え、部屋奥でディアーナはルビーを後ろに隠した。
 足音は多く、通り過ぎて先へ行く足音もある。
 言語は不明。きっと、二、三人ほどがこの部屋に入ろうとしている。
 ルビーはディアーナに抱きつきながら、丸い窓を見て、松明がともる海賊船を見て、さらに震えあがって身を丸くした。ジェリアーラ一族の旗ではない。
 意外に扉は丈夫なようで拳や蹴りに耐えているが、時間の問題だろう。海賊避けに扉だけでも頑丈にしてあるのだろう。
 隣の船室側から叫び声が聞こえる。扉が蹴破られたのだ。ルビーはその部屋の人と話すこともあったので、声を漏らさないように布を噛んで泣いた。
 扉の蝶番が一つ歪み始めて、セイルが扉前に倒した棚も揺れる。ディアマンテはいよいよ鋭くした横目で扉を見て、一度セイルとディアーナと頷きあった。
 ガタガタと棚と扉が飛んでいき、海賊が二人現れた。
 ディアマンテが横から、入って来た海賊の顔面に重しの入った袋を叩きつけ、セイルがその腹部に突っ込んで、ディアマンテが海賊の項を剣で叩きつけた。
 もう一人の海賊は一瞬怯んだが、すぐに剛腕の剣を振るってくるも、胴ががら空きで、セイルは倒れた海賊の背を盾にしながら、二人目の海賊の横っ腹を切りつけた。ディアマンテは武器を奪い、顔の血を腕で拭うと、横の船室を襲った海賊がすぐに来た。
 その海賊は、奥で小さくなるルビーと、美しいディアーナにすぐに気づき、嫌な笑みを浮かべた。海賊は四人いる。まだ声もそこかしこからする。
 セイルとディアマンテが応戦し、四人を負傷させると通路に出る。ルビーとディアーナにボロを被らせ船室に残させ、海賊を甲板に誘導させて、二人から気をそらしたい。もしまた海賊が船室に来ても、ディアーナが応戦する。
 ルビーとディアーナを見た海賊を切り捨て、セイルとディアマンテは通路を走って海賊がそれを追う。
 火を放たれたら面倒だ。家畜が鳴きながらうろうろしていて、通路の向こうでは、麻袋や樽を肩に抱えた海賊共が歩いていく。若い娘や綺麗な顔の少年も引っ張られていっている。
 セイルとディアマンテは、追ってくる海賊に応戦しながら甲板に出た。セイル同様に男だと思われていたディアマンテのフードを、大男が背後から掴み、布できつくまとめられていた金髪が長く垂れ揺れた。その海賊はディアマンテの手から剣を奪い取り、太陽に焼けた顔で嫌な顔で笑って、連れて行こうとする。
 セイルは若い娘を開放していたところを振り返り、ディアマンテを見て、辺りと上部をぐるりと見回した。セイルは走り、マストに飛びついて、繋がっている縄の経路を目で追い、一つの縄を思い切り引き寄せた。
「壁際に走れ! 皆頭を低くしろ!!」
 同じ国から乗った農民は言葉が分かり、頭を低くしたり、海賊の胴に捉えられていても出来るだけ顔を背けた。
 セイルが剣で縄を切っていくと、滑車と重りの付いた縄が放たれ、大蛇のごとく甲板上空に乱暴に暴れた。セイルがまた他の縄を切り、帆をまとめていた縄の横の、まとめられていた重い網がずしっと甲板に落ちて行った。
 海賊が何事かを怒鳴り倒れていく。セイルは船内から出て来た海賊に、上から飛び蹴りをして倒し切りつけ、通路を走って来た山羊も甲板端の馬も、やたらめったら人を蹴りつけ暴れる。
 海賊船に残った連中は、仲間も関係なく踏みつけ飛び乗って来て、剣を振り回して来る。ディアマンテは縄の下だ。すでに海賊は縄の重みでディアマンテに覆いかぶさって来た所を、ディアマンテが剣で下から貫いた。ディアマンテは網を一部切って抜け出すと、向こうで暴れる馬を見て、壁にかかる縄で輪を作り、馬を引き寄せて飛び乗った。
 縄で馬の足がとられない範囲の甲板上から、海賊を馬に蹴散らせていく。セイルは外れた扉で海賊の横面を殴り倒して切りつけた。
 ここまで来ると、海賊は松明を手にして、海賊船から酒瓶を甲板に投げつけて来た。
 セイルとディアマンテは睨み見て、瓶がいくつか甲板に弾け割れ、網に液体が飛び散る。海賊の仲間もろとも焼き尽くすつもりか。
 ディアマンテは馬の上からマストの縄に飛びつき、身を大きく振って海賊船に飛びつき、松明を持っている海賊共を蹴散らしていった。
 灯は取り落されたが、海賊船の甲板に火が広がる。ディアマンテは海賊に足首を掴み上げられ逆さになり、それをディアマンテは腹筋でぐるんと海賊の胴に飛びつき、足首を持たれたまま、海賊のその腕を切り離させ、長い髪に火が揺らめいたのを、ダイヤモンドの眩い目を見ひらいて焦り、海賊船から海に飛び降りた。
 それを見てセイルが船から海に縄を降ろすが、既に海に飛び降りた海賊が、ディアマンテの方に泳いでいく。海賊の方が泳ぎに長ける。
 ディアマンテは下から足を引っ張られ、水中で蹴りつけて、靴のしこみ剣が奪われる前に、暗闇のしょっぱい海中のなかで足首を引き寄せ、海賊の体のどこかを掴んで短剣で切りつけた。ディアマンテは海賊の暴れる腕から抜け出して、海中は上も下も分からず混乱するが、海賊の体を蹴って離れると、力を抜いて、マントの重みで体が沈んでいく方とは逆に泳ぎ浮き上がっていくと、海面に海賊船の大きな炎の影が揺れる。
 息が続かなくなってきて、海面に顔を出してディアマンテはゼイゼイと辛い味の息を継いだ。
 海賊船はさらに燃えている。帆にまで移っていた。
 ディアマンテは元の船まで戻り、縄を伝って行った。セイルは縄の下に絡まれた海賊共の頭を、鉤でぶん殴りまわって気絶させ回っている所だった。



 言葉も通じなかった異国に来て二年目。
 あのジュリアーダ王国の紋章が押印された装飾品が、この国にまで出回り始めていた。
 噂では、ルビーの家族ヴェルータ家は、元王女サファイアの家系として位が与えられ、管理する店舗が国の三分の一にもなったという。
 勇健なる美しい王も、花やぐ美麗なる妃も有名だ。だが、セイルの長兄であったあの底意地の悪かった第一王子は一年前に何者かに暗殺されたという。あとの二人の王子は一人が亡命していたアズマーリ国の姫をもらい子供もおり、もう一人は医学の方面に明るいそうだ。
 元第四王子だったセイルは、それらの噂を異国のこの地で聞きながらも、情報を集めていた。
 エルフェイオの噂は聞かない。一騎士でもある。
 ジェリーア王国は商業の国であって、もとより領地に帰って来た種類の王族だ。亡命先のアズマーリ国での繋がりも強固であり、争いをけしかける国も無い。むしろ、上等品を欲して貿易をしたがる国が多いのだ。
 そこから遠く離れたこの山を背景にした農地。
 長い金髪を全てしまって帽子を目深にかぶったディアマンテはいた。「ほーい、ほーい」と言いながら、ぴしぴしと山羊のお尻を枝で叩き歩かせている。薄衣に包まれる豊満な胸元は、太陽に照らされている。町へ行くときは、国にならって、女性たるもの肌をすっぽり隠さなければ、国に逮捕されてしまうのだが。
 ディアーナは、一頭ずつ手際よく乳しぼりをしていた。番犬はその横で、あくびを吐き出して藁にまみれてごろごろ転がって遊んでいる。
 ルビーはりんごの木陰で、原色の糸で、小鳥や山羊の刺繍をしている。ルビーは身長が伸び続けていて、十二歳にして美しく、十七歳ほどに見えた。
 バザールと町から帰って来たセイルは、荷と香辛料をロバから降ろして行った。
 すっかり流浪癖も板について、彼らは多くの流れ者一家の一つだ、と誰もが認識するばかりだった。
 夜、皆が小屋に入ると、夕食を頂いた。
「今のところ、聞かないな」
「ええ。見かけはするけれど」
 ジュリアーダ一族の地下儀式の噂も、もとが貴族間での密やかなものに限られたのだ。一農民が知りうる事でも無いが、有名貴族や交渉先の王族に死者が出たりすると、儀式が執り行われたことも示唆されるのだった。
 この二年間で、怪しまれる敬語を話さないように、癖をつけていた。誰もがそうだった。この国の言語は、皆が元が教養のある者だけに習得が早く、生活できている。多少乱暴なほどの言葉遣いの方が自然で、母国の訛りを消すのにも役立っていた。母国語のジェリーア国と近隣のアズマーリ国は、語尾が放物線を描くように声音が落ちる。よくディアマンテが掛け声で「ほーい、ほーい」というが、それだ。
 名前も偽名を使っていた。ルビーはリラ。ディアマンテはマーガリー。セイルはルゴール。ディアーナはマルチェと名乗り、バミーチ一家となっている。


 そんなこともあって、山脈麓にこもったり、異国で酪農一家をしていたりのこの七年間。一切、エルフェイオは彼ら四人を見つけられずにいたわけだった。
 てっきり田舎の村で慎ましやか静かに暮らし、ルビーは頬を染めて結婚相手を見つけていると思っていた。お付きのディアーナは涙を流し、ルビーの幸せを喜んで生きていると思って探していた。そしたら、思わず野性的に逞しく生活しているのだから、今も見つけられずにいる。
 エルフェイオの報告で、ルビーの家族ヴェルータ殿とヘメラルドには、ルビーが無事に国を出たことが伝えられていたので、両親も安心をしていた。
 ジュリアーダでは、海の町で偵察隊を長年張っていた
ある年、海賊壊滅事件があってから、なおのことセイルらの姿が確認できずまま。その後は捜索者も戻ってきた試しが無い所を見ると、どこか危ない場所でもろとも行方不明になったのでは、とようやく諦めをつけたようである。
 エルフェイオは、休暇ごとに様々な村や町、国を探しまわっていた。当然ディアーナは見つからなかった。真っ青だったセイル青年も、幼い二人の少女も。
 四人の姿を確認するだけでもいい。
 確認するだけでも……。
 エルフェイオは城下町の空を見上げ、遥か上空の鳥を見つめた。
 あの鳥は、いつぞやの彼らを上空から見たことはなかっただろうか。木の上から、飛び立つときや、子育ての時にでも。
 どこかで彼らを。誰か一人でも、いずこかで。
 ともすれば、七年も前にエルフェイオも加えた四人が行動していた間際を、あの鳥や、どこかの鳥は、逃亡していた山や東の森で、見たことがあったのかもしれないのだ。
 そんな不確かな心までも抱きかかえながら、エルフェイオは寂しく口端を上げて、上空の鳥から視線を落とした。自身の影を見る。
 今年生まれた鳥かもしれない。もとよりこの辺りしか飛ばない鳥かもしれない。それでも、エルフェイオも羽根があれば、ルビー、ディアーナ、セイル、セイルの従姉妹ディアも見つけられるかもしれないのだ。
 城下町は人々が行きかい、異国人も多くなってきていた。国交が始まってこの一、二年で。
 その先の城は、国を分けず辺り一帯の大工、美装の職人が集められ、築城された。小振りながらもロマンティックな城である。特に広く取られた庭園が目を見張る。
 やはり、儀式は行われている。だが、赤子や城下町貴族の命を犠牲にすることは無い。まだ、ということかもしれないが。
 すでに、新しい王家の城は、絵画や、陶器、刺繍などに描かれ見られていた。百年前まで聳えていた厳かだった旧城のものも共に。それらが屋敷内や城下町で見られ、売られてもいた。
「……?」
 エルフェイオは、ふと、前を通りかかった刺繍店の窓に並ぶ、異国情緒漂う刺繍の施されたスカーフに、不思議と視線が釘付けになった。
 エキゾチックな花の刺繍に囲まれた、灰色の狼の刺繍。
 狼の刺繍が珍しいからだ、と思い、そして、すぐに七年前に森で行動を共にした勇敢な狼の面影に繋がった。
 エルフェイオは懐かしく思い、つい、じっとそのスカーフを見つめていた。
 その周りには、赤い小鳥、白い小鳥、金糸の馬、水色のロバ、それらの刺繍が施されていた。
 先ほどまで鳥を見ていたからか、目も離せずに再び隅々まで小鳥の刺繍を見つめていて、はたと首を傾げた。
 赤、白、金色、水色、狼、馬……。
 そして、鮮明にエルフェイオの脳裏に浮かんだ。
 ルビーの眠った顔と抱きあげたときの軽さ。白く照るダイヤモンドの瞳をフードで隠したディア様の表情。金髪を翻し剣を振るう十代のころの美しいディアーナ。アクアマリンの瞳を震わせ泣いたセイル青年。その姿の横には、彼らを護って来た狼も、そしてエルフェイオ自身と彼らの馬もいた。
 偶然だろうか。いや、いいや。そうとは思えないこの狼と色の組み合わせ。
 間違いではない、と思うほど、信じたかった。
 そう。それは紛れもない、ルビーの刺した刺繍だったのである。
 言葉もましてや手紙も無く、出すわけにもいかず、異国の地で、ルビーも、ディアマンテも、ディアーナも、セイルもちゃんといる証拠。
 いつか、海を渡って遠い地から両親のもとに刺繍が届くようにと、エルフェイオに無事を伝えられるようにと、ルビーが願いを込めて、エルフェイオにしか分からない形で、糸に紡いで想いを乗せたのだった。
 あの異国の地に、母国の品が船に乗り運ばれるということは、ルビーの刺繍も商人に交渉して、母国へ渡らせることが出来るということ。だから、ルビーはそうしたのだった。
 ルビーとディアーナ。ディアマンテとセイル。その二組が山で出会って、行動を共にしていることも、今となってはエルフェイオと、報告を聞いたルビーの両親しか知らない事なのだ。
 外国の品も扱っているこの刺繍の店に入ったエルフェイオは、同じ系統の刺繍を見つけるために、視線を巡らせ探した。
 シャツ、スカート、ハンカチーフ、スカーフ、手袋、それらが店内には点在し、同じ作者と思われるに等しい刺繍が刺されていた物が見つかった。それほど特徴的で、色使いも決まっていた。
 山を背景にする山羊と馬と鶏の刺繍。
 りんごの木の下に座る青い右目をした横顔の少女の刺繍。
 ふわふわの金髪少女が山羊の群れのなかで笛を吹く刺繍。
 鍬を担いだ黒髪の農夫の刺繍。
 花を抱えた女の笑顔の刺繍……。
 右目が水色で、左が黄緑だったルビー。
 ふわふわの金髪だったセイルの従姉妹ディア。
 単純ながらも、一番よく似ている、ディアーナの笑顔。
 唯一彼らのなかで黒髪だった青年セイル。
 エルフェイオは、笑顔の女の刺繍ハンカチを震える指で触れ、一粒涙を落とし、微笑んでいた。ディアーナ。ああ、ディアーナ嬢。
「いらっしゃい。今日は誰に祝いの品を?」
 エルフェイオは顔を上げ、微笑む店主を見た。
 エルフェイオは、友人の祝いによく様々な店を訪れているのだ。
「この、このスカーフと、ハンカチを。スカーフは夫人用に包んでくれ」
 早口になってしまわないように伝え、店主も「はいはい」といつものように頷いた。
「毎度あり」
 店主はそれらをレジへ持っていった。エルフェイオはその間も刺繍から目が離せなかった。
 ハンカチは自分用に。スカーフはルビーお嬢様のお母上ヘメラルド様へと、お贈りするのだ。


 エルフェイオは、その夜まで気がはやって仕方がなかったが、ようやく長い時間を越えて夜になり、刺繍のスカーフを持ち屋敷を訪れた。
 いつものように、優しく夫妻はエルフェイオを迎え入れた。
 彼ら夫妻が、五歳だった令嬢ルビーと生き別れてからというもの、この七年間、エルフェイオの報告を受ける日々だった。世間では、ルビーと女護衛ディアーナは、森で行方不明となってしまっているのだから。
 エルフェイオは、大切そうにスカーフの包みをルビーの母、ヘメラルドへと渡した。
 ヘメラルドやその旦那様にも、このようによく贈り物をするのだ。
「まあまあ。素朴で愛らしいスカーフ。あなたもご覧になって」
 ヘメラルドはソファー背後に立つ夫にも見せ、二人は微笑んで、刺繍の隅々まで見つめた。
「ああ。本当だね。なんとも愛らしい」
 ヘメラルドの優しい夫は、うれしそうにする妻の座るソファー背後から、目元をさらに柔らかくしてうんうん頷いた。
 ルビーの親は微笑んで、愛らしい贈り物をくれたエルフェイオの顔を見た。
「旦那様。奥様」
 エルフェイオは、姿勢をいつも以上にまっすぐにしたまま、改まっており、緊張した面持ちで言った。
「……見つかってございます。そちらが、その証拠と相成りますことに、相違はないことと存じます」
 エルフェイオの言葉に二人は首を傾げ、その仕草はよく首を傾げていたルビーと重なった。ヘメラルド様のオッドアイも。旦那様の優しい目元も。そういった節々に、ルビー様の家族の血の繋がりを感じるのだった。
 再び二人は刺繍を見た。狼の周りに、色とりどりの小鳥、馬、ロバ。赤、白、金色、水色。
 ハッとした二人は目をみひらき、スカーフの刺繍を見つめた。
「ああ、あの子……!」
 ヘメラルドは口を手で覆い、もう片手に持つスカーフ
を震わせた。
「あなた……!」
 ヘメラルドの夫は驚いた顔で刺繍を見ていた。妻の指先は、確実に赤い、ルビー色の小鳥を指している。
 彼の脳裏に、幾度も浮かび続けた七年前までの日常。毎夜仕事から帰って来て、寝室で眠る幼い娘の姿を見つめてきた日々が浮かんだ。あの夜、いつものように静かに眠る娘の金髪を見守った日を最後に、あの子の懐いていた護衛と共に、見失ってしまったのだ。
 朝の弱いルビーは、朝早く仕事のために屋敷を出る父の顔を見れたことはなかった。その分、休日にはよく河へ共に小舟を滑らせてくれた。岸辺には三人を見守る女護衛ディアーナも侍女もいた。
 そんな日々を思い、共に過ごした五年間の想い出が去来する。二人の脳裏に穏やかに、そして軽やかに。
 ディアーナは、立派にルビーを護り通してくれたのだ。ルビーのはとこの二人も共に。危険も顧みずに。
 なんといううれしい便りだろうか。
 ヘメラルドはスカーフに頬を寄せ涙を流し、ルビーの父上も妻の肩を強く持ち、涙ながらにうんうん深く、深く何度も頷いた。
「よくぞ、よくぞ持ってきてくださいました」
「本当に、本当にお礼を申し上げます。エルフェイオ殿」
 エルフェイオも涙を膝に落としながら、慇懃に礼をした。
 二人はいつまでも刺繍のスカーフを抱え、エルフェイオに深く頭をさげ感謝をし続けた。
紫 09SquFN9wU

2023年01月08日(日)22時01分 公開
■この作品の著作権は紫さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
短編の間にアップしたものに、アドバイスを頂いたのちに推敲・加筆を施し、長編の長さとなったので、こちらへと投稿させて頂きました。よろしくお願いいたします。


この作品の感想をお寄せください。

2023年03月01日(水)21時16分 紫 09SquFN9wU 0点
くまたろう様

はじめまして。
感想を下さり。どうもありがとうございます。
とてもうれしいです!

ご指摘くださった点、読み辛さ、固有名詞の多さと構成の問題は、私の文の下手さからくるものです! それなのに一部でもお読みくださったことに感謝いたします。本当にありがとうございます。そして申し訳ございません。
今も実は推敲をし続けている作品なのですが、今回なかなか進行が芳しくなく、いまだ読み辛いままの投稿となっております汗

短編時に、固有名詞が無さ過ぎて分かりづらかった部分を補填したところ、あだとなり混乱をまねいたのも、ご指摘いただいた通り、西洋系でなじみの薄い名称であること、文の順序と組み立てが甘くて、場面が頭に入らないことにあるのだと思います。

私も長年、小説を読むことが苦手で、自分の書く小説なら読めた部類の人間なので、文の構成や様々な点の下手な面がそのまま出たのだと思います。
推敲にはまだ時間がかかっている段階ので、今年中に投稿できるかも不明ですが、執筆頑張らせて頂きます!
どうもありがとうございます!
49

pass
2023年02月16日(木)11時34分 くまたろう 
紫さま、はじめまして。くまたろうと申します。

作品拝読させていただきましたので感想を書かせていただきます。

と申しましたが申し訳ありません……いきなり嘘をつきました。こちらの読解力不足の可能性が大なのですが、どうしても読み通すことができませんでした。
もし他の方が楽しく読めたと仰ったならば、以下は完全なる読解力欠如人間の的外れな指摘となります。どうかお許しを。


 一応、紙に冒頭から登場人物の関係図的なものを書いてはみたのですが、私にはキャラの関係性や所属組織がよくわかりませんでした。
 以下は読んだ範囲で細かい点の感想をさせて頂きます。

 冒頭から固有名詞が多い印象を受けました。舞台はヴェルータ家の屋敷なのでしょうが、そこからジュリーア国の話がでて、青年エルフェイオが登場します。彼はアズマーリ王家の騎士なのですが、ここでアズマーリ王家とはどこの組織だ?となり、私は混乱してしまいました。
 その後ジュリアーダ一族の目をごまかす話が出て参りますが、このあたりで私のキャパオーバーで国名と家名と人物名を覚えきれずに固有名詞を裁けなくなり、その後ルビーお嬢様がヴェルータ家から連れられてきたのは分かるのですが、ヴェルータ家ってどこかで出てきたな……と冒頭にさかのぼり、でもエルフェイオはアズマーリ王家だよな?となり、このあたりでギブアップしてしまいました。

 その後細かい王家の設定が書かれていますが自分にはよく理解できませんでした。まことに申し訳ございません。
 
 ううむ……私の読解力不足のせいか、失礼ながら紫様の文章構成のせいなのかわかりません。


 素人の意見ですが、名前がヨーロッパ名だと国名か家名か人物名か混乱するのかもしれません。和風なら日本人なので家名と人物名の区別はつきますし、国名もそれらしくすれば読んだだけでわかるのかもしれないです。しかしちょっと読み通せなかったです。

 冒頭から読ませるストーリーが展開すれば固有名詞も自然に頭に入ってきたのかもしれません。
ですがどちらかというと地味な冒頭ですし(それ自体は悪いとは思いません、念のため)、そこから固有名詞を展開されるとかなり苦しくなってしまうのです。

 その後は先に全体の流れを読めば理解できるかもと思い、一気に下の方まで飛ばしてみましたが、ディアマンテやセイルまで出てきたあたりでギブアップ……となりました。

 もとは短編だったというお話ですが、それならまだ理解できたのかもしれません。量が増すとストーリーを細かく描写できる反面、全体の流れが追いにくくなる、ということなのかもしれません。


 なんだか酷評のようで申し訳ありません。ですが率直に申し上げて、読みたいのに読む前に挫折してしまう、というのが正直な感想でした。

 こちらの読解力不足の可能性大です。私は小説を読みなれていないので……(じゃあ書くな)

 私一人の意見で判断せず、他の方々のご感想も参考になさってください。私が小説を読めない人間である可能性は高いですから。

 ですが、小説になれていない人間の感想としては読み切れない、というのが正直なところです。もう少し頑張ればなんとかなったのかもしれませんが……

 読み切れていないので、点数評価は致しません。まことに申し訳ありません。

 執筆お疲れさまでした。紫様の今後の作品に期待しております。
48

pass
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