均衡機関バッグラドグラ
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「瀬戸内秀斗さん」
「はーい」

 先生に名前を呼ばれ返事を返した少年、瀬戸内秀斗の頭には、黒いニット帽が深く被されてあった。
 関東地方にある都市郊外に建つ、築三十年以上の公立小学校五年二組の教室。
 先生が次の生徒を呼ぶ間、秀斗は窓ガラスの向こう、今朝の天気予報通りであればもうすぐ雪が降る曇天を眺め、ぎゅうぎゅうと心臓を締め付けられるような痛みに耐えていた。
 秀斗は生まれつきの病気があるわけでも、治療をしているから帽子を被っているわけでもない。
 ただ、その日は異様に心臓が痛かった。
 苦しいわけでも動悸がするわけでも、今すぐ横になりたいような痛みでもないが、確かに痛かった。胸元の服を掴むと静電気が走る。手元を見れば手がピクピクと痙攣し、勝手に意思の外で手を閉じようとしていた。
 先生が出席番号最後の生徒を呼ぶ。

「全員居ますね。連絡ある人〜······今日は避難訓練があるので」

 朝の時間が終わったら先生に伝えて保健室へ行こう。何故だか今日は腰の下もウズウズしてたまらない。落ち着いて俺、ちょっと痛いだけ、落ち着いて、落ち着いて……。

 一つ。

 鼓動と共に内臓が熱くなる。ぐつぐつと煮えたぎるような熱が体を、思考を、感情を、脳の意識すら蝕んだ。
 椅子が床の上に落ち視線が集う。
 立ち上がり机に手をついた秀斗の周囲は、パチパチと静電気の音が、明るい教室でもわかるほどの電気が発生していた。

「フーッ……フーッ……!」

 うつむきポタポタとよだれを垂らす秀斗に、隣の少女は思わず身を引き、逃げるように立ち上がる。
 先生が近づこうと一歩踏み込み、床の軋りが電気の音と混ざった瞬間。

 ────閃光。

 けたたましいサイレンの音で覚醒した秀斗の視界は、雷が落ちたように教室は黒焦げとなり、燃える木材に、ふっと肉の焼けた臭いが鼻の奥を刺激し思わず口を塞いだ。
 よく見れば、人の形に近い肉のかたまりが、辺り一面に転がり落ちている。




 


 ぽろぽろ。
 ぽろぽろ。
 椅子に拘束され泣き続ける秀斗の頭にはテープが何枚も貼られ、一つとして同じ色のないケーブルが続き、両腕、胸部にも異なる装置が接続されていた。

「一つだけ約束しよう。これに耐えきれれば、ゲームでも漫画でもなんだって与えてやる、その代わり、これからは死ぬまで日々の実験に協力してくれ」

 スピーカーから聞こえる声に、秀斗は目先にある黒いガラスを見た。
 そこには頭から二つ黒い角が生え、犬であれば尻尾が生えている位置から黒い鱗のシッポが生え、蛇のような質感の先には包丁のように返しがある。
 俺は、俺はやっぱり、体が可笑しいんだ。
 小さいころはなんともなかった。五歳ぐらいから角と尻尾が出てきて、母さんと父さんは必死に隠して守ってくれて、同級生や今まで関わってきた人間のなかで唯一、俺だけがこの前テレビで見た悪魔みたいな姿してて。

「はじめろ」

 合図と共に、同じく白衣を着た彼らは並んだスイッチを操作し始めた。
 秀斗は疑問に思うも、そんなことすら考えたくなかった。悲しいでも辛いでもなんでもない、どうしようもなく苦しい感情が体の中で暴れまわり涙は一向に。

「例えば!そこに神が来たら!君は主人公!」

 黒いガラスを割って現れたのはあまりに場違いな明るい声を持つ袴を着たポニーテールの女。そいつは秀斗の腕を掴むと瞬き一つの間に姿を消し、パラパラと装置が床の上に落ちていく。





「瀬戸内秀斗だね!」
「ぐぇ」

 ぎゅうと抱き締められた秀斗は蛙が潰された声を出し必死に腹を押して体重を傾けると拘束が和らぎ、顔をあげる。目線が合った。
 上は赤に、下は紺の袴を着た女性、だろうか。目の前にいる人は後ろに髪の毛を一つにまとめ、僅かに癖のある髪は一部がぴょんぴょんと跳ねていて……。
 秀斗は彼女の赤い目を改めて見た。血のような怖い色をしている。でも、目付きはとても優しくて、悪い人の顔や雰囲気では決してなかった。

「やめろ何抱きついてんだよお前誰?!何?!」
「はじめまして俺はサラ!神って呼ばれてる人間!」
「はぁ?」

 女性の顔してポニーテールで袴を着て、自称神って呼ばれる人間で、何を言っているんだこの人は。

「男?」
「男」
「神?」
「神、そして人間!」
「矛盾にも程がある」

 サラと名乗る男は腕をほどき一歩身を引く。
 秀斗はそこで辺りの景色を初めて認識し、口を開け、目を見開き、肩の力が抜けた。
 透き通った青空と地面を彩る花が咲き誇る野原に挟まれ、目先には入道雲の上で存在を示す西洋の町並みや城を乱雑に組み立てた一つの大きすぎる街が、塔が、やはり、何度確認しても雲の上に浮かんでいる。

「しゅうちゃん!ようこそバッグラドグラへ!」

 両手を広げ空へ上げたサラに、秀斗は空へ投げた意識を呼び戻し嫌そうな顔を乗せる。

「”しゅうちゃん”はちょっと」
「しーちゃん」
「しゅうちゃんでお願いします」

 常に明るすぎる矛盾だらけの存在を前に、秀斗はそこらに落ちていた丸石を見つけると近くに寄り、しゃがみ、頭蓋骨よりも大きいことを確認すると、手と膝をついて四つん這いに。

「待って!」

 瞬きする間もなく、秀斗の腹を抱え持ち上げたサラに秀斗は力なくぶらさがる。

「急にどうしたの?」
「俺、おれは、友達を······友達を?」
「友達を?」

 秀斗は直前のことを思い出そうとするも頭や胸や腕に謎の装置をつけられ椅子に縛られたことと、その前のことは、今日は冬なのにものすごく暖かい日で、ドッチボールで五人倒せたのが嬉しくて、それで……。

「なんで、辛かったんだろう」

 サラは満足そうにニコニコと笑みを見せ、改めて告げる。

「しゅうちゃんはこれから俺たちと過ごそう。大丈夫、俺がみんなのママだから!」





 自称神であり人間だと名乗る『サラ』に、思春期真っ盛りの中学生が空想のなかで作り上げるキャラクターでもなかなかそこまで拗らせやしない設定の数々に、秀斗は混乱を隠せず表情にそれら全てを乗せていた。

「あの」

 サラは腹の前で両手を空に向け、瞬き一つもない時間でどこから取り出したのか、子供用らしき衣服と靴を出現させる。秀斗は尻尾を空に向け思わず弾む胸に自身が驚き、首を振ることで抱いた好奇心を誤魔化した。

「アンタ、何?こんなのただの誘拐だ」

 一歩、足を下げ警戒を示す。
 突然見覚えのない施設に連れてこられたと思ったら、今度は見知らぬ人から誘拐されるなんて、最悪にも程がある、普段は信じない運を今は恨もう。
 警戒心の強い秀斗にサラは瞬きを繰り返し、気づく。

「そっか着替える場所ないもんね」
「そうじゃない!」

 サラは左手に衣服を移すと右手に白く柔らかそうなタオルを出現させどうぞと差し出す。

「はいバスタオル」
「そうじゃないってだから!」
「一人で着替えられない?」
「そんな子供でもない!」
「なら着替えられるねよかった〜」

 ニコニコ、ニコニコ、サラと名乗る男は出会ったときからずっと、ずーっと笑顔が途絶えない。

「だから、これ誘拐なんだって!」
「そうだよ」

 返された言葉に秀斗は戸惑った。そんな簡単に肯定されては、何を言い返したらいいか言葉につまってしまう。

「あのまま実験されたかった?」

 思考する。訳もわからず突然連れてこられて、訳もわからず何かされかけて、とても、怖くて。

「……いや」
「確かに選択肢を与えないのは例え子供でも侮辱だったね」

 サラは両手に衣服とバスタオルを添えたまま思考し、決して秀斗の目から反らそうとはしなかった。

「どうする? 元の世界に帰してあげる、そのかわりしゅうちゃんはこの先辛くて寂しくて辛い実験の毎日だ。俺たちの所にいれば、元の世界には帰れないけれど天国で沢山遊べるよ」

 天国。
 秀斗は再び辺りを見渡した。雲の上に浮かぶ大きな大きな街。ここから数メートル先にはいくつもの岩肌が覗く島々が浮かび、よく目を凝らせば、背中から羽を生やした人間が自由に空を飛んでいる。
 背筋が震えた。もしかして、俺。

「大丈夫!大丈夫生きてる!生きてるよ!」
「だっ、ここ、天国」

 言われてみればそうだ。あり得ない光景が広がり、すぐそこに天使らしき生き物が平気な顔して飛んでいるんだ。それを見たらもう、死んだとしか思えないじゃないか。

「そうだねここは天国だ。でもね!生きてる人間でも行けるんだよ、後で生きてる人間にも会わせてあげるからね」
「あれ天使?」

 指先で示し、サラは首を縦に振った。

「天使」
「おれしんじゃった」
「生きてるよ!」
「ゆめ、かなうまえに、しんじゃった」

 うるうると目に水が張り今にも溢れてしまいそうで。
 サラは荷物を投げるように空中へ消し秀斗を抱きしめ、小さな角のあるどこかパサパサとした髪を撫でた。

「あぁぁ悲しいねぇ辛くなっちゃったね、夢はなんだったの?」
「せんせい」
「先生かぁいい夢だね。死んでないよ、生きてるよ、先生にだってここでなれる」
「こんなすがたなのに?こんな、今も、静電気がとまらないのに?」

 秀斗の周囲はパチパチと電気の流れが音と光を発していた。
 秀斗は己の姿があまりに人間とはかけ離れていることを、周りに人間しかいない世界で唯一自分だけが悪魔のような姿をしていたことを、たまに夏でも静電気が発生してゲーム機を壊してしまった異常性を、自分のことが嫌になるほど理解していた。
 そう、だから、俺は”普通”の毎日など過ごせないのだ。否、毎日すら終わってしまった。
 サラは肩に手を添え、背中を曲げると目線を合わせる。

「その電気で大切な物を壊さないよう一緒に頑張ろう。大丈夫、ここはね、天国だけど悪魔だって生きて暮らせているんだから」
「おれ、やっぱり悪魔なんだ」

 突然出てきた単語にやはりそうかと秀斗は納得し、サラは首を横に振る。

「いいや人間だよ。この体は人間の遺伝子だけで作られてる」
「いでんし?」
「体の設計図のこと。しゅうちゃんのお父さんとお母さんの間に産まれた、人間の子供で間違いない断言しよう」

 あまりに真っ直ぐな目に、秀斗は、涙が止まらず腕の皮膚で目を擦った。
 無理もない。今日だけで友達を殺して訳もわからぬまま施設に連れてこられ、恐怖を抱いたまま実験されかけ、改めても沢山のことが同時に起こりすぎた。記憶は消せても感情というのは覚えているものだ、間違いなく、今の秀斗は精神が壊れかけている。現に自ら命を絶とうとした。

 大丈夫、俺が居る。

 目線を合わせたサラに、秀斗は腕から顔を出すように赤い目を見た。

「瀬戸内秀斗、俺たちの所に居てほしい。元の世界には帰れないけど、そのかわり責任もって君を二十歳になるまで育てよう、これは”神との約束”だ」
「……サラ」

 初めて名前を呼ばれたサラは歯を見せて笑う。

「いっしゅうかん、考えさせて」
「賢いね!」

 確かに今日決めろとは言っていないしいつまでに決めろとも言っていない。それに、そもそもを考えると初対面だ、いきなり責任を持つと言われても信用ならない……はっ!この子雰囲気に流されずはっきりと言える子だ!

「分かった。まずは一週間よろしくね、しゅうちゃん」

 頷いた秀斗に、サラは嬉しそうに歯を見せて笑った。




「解説!瀬戸内秀斗ちゃんの生体コーナー!」

 白いチョークで文字が書かれた黒板の前、サラは青いラインが入った黒のジャージ上下を纏い、さっそく黒板が隠れてしまうほどの紙を一枚磁石で位置を固定する。
 秀斗は数ある席のなかから一番前の席に座り、ちらと窓をみると暗闇が広がっていることに心霊的な恐怖を覚え、ぶわりと鳥肌を立たせた。

「はじまりはじまり〜!」

 準備ができたらしく、渋々黒板を見た。着心地のいい新しい服が少し落ち着かない。

「秀斗ちゃんの体は、百%人間の体です」

 紙を見た。そこには自分らしき角と尻尾が生えた人の輪郭が描かれ、腹部には『100』の数字がある。

「しかし、魂はなんと、悪魔のものなんです!」

 胸には黒い四角のなかに白い丸が描かれ、白い丸には『100』の数字が書かれていた。

「秀斗ちゃんが居た世界では人間が唯一自然に反し社会を作り上げた知的生命体で、他に登録された知的生命体は存在しません」
「先生ー、言葉が難しいです」
「秀斗くんが居た世界には人間しか居ません!悪魔は居ません!」
「分かりやすい」

 サラは移動しもう一枚の紙を見せるように立つ。
 そこには角と尻尾がない自分のイラストが書かれ、胸には黒い四角のなかに白い四角が描かれていた。

「本当はね、人間の体には人間の魂を入れるんだ。それが手違いで、間違えて人間の体に悪魔の魂を入れちゃった」

 サラは角と尻尾が生えた秀斗を指先で示す。
 秀斗が手をあげた。

「たましいって何?聞いたことはあるけど」
「全ての生き物が持つ目に見えないエネルギーと設計図。色んな設計図があってね、悪魔の設計図、天使の設計図、人間の設計図、他にも色んな生き物の設計図があるんだ。これはお父さんとお母さんがいなくても作れる、そしてね!」

 サラは親指で自身を差した。

「俺が!そのエネルギーを作った神様です!」
「うっそだ〜」
「信じて?」

 眉を下げたサラは一瞬だけで、すぐにいつもの調子に戻り説明を続ける。

「人間の体に悪魔の魂がはいると、ほら、魂の形と、体の形が違うでしょ?」

 悪魔の自分には黒い四角に白い丸が、人間っぽい自分には黒い四角に白い四角が描かれている。

「うん」
「形が違うと体は動かないの。もしくは外へ勝手に出ていっちゃったりして生きれない」
「生きれない」
「しゅうちゃんは生きてるね?」

 ここは天国らしいから。

「多分」
「生きてるよ。しゅうちゃんのその角と尻尾はね、魂が覚えてる設計図通りに動こうと頑張って頑張って頑張った結果、人間の体なのに悪魔っぽい部分が出てきたんだ」

 体は人間、でも魂とやらが悪魔で、角と尻尾が出てきたのは魂が原因。なら、たまに出てきてしまう静電気ってなんだ。
 俯き思考する秀斗に、サラはまるで心を覗いたかのように答える。

「その電気は悪魔の力の一部だ。電気ってものすごく熱くて、炎よりも熱いの。しゅうちゃんはきっと炎を触っても熱いと感じたことすらないんじゃないかな」

 ハッと、記憶が浮かんだ。
 去年の夏に初めて川でバーベキューしたときだ。炭を燃やすはずの炎がなかなかつかなくて可笑しいと思って、触って、熱くなくて、お父さんも同じように触ったら火傷したことがあった。しばらく痛そうにしていたことも俺だけが火傷しなかったことも、よく覚えている。

「うん、無い。ならさ、夏は暑いのはなんで?」
「そこは研究中なのでまた今度!」

 研究中なのか。自称神の割に知らないこともあるんだ。

「体と魂の形が違うのに生きる子はそれなりにいる。でもね、百%人間の体で悪魔の形質が出てきた子は、阿僧祇年生きてきたけどしゅうちゃんだけだ」
「あそうぎねん?」
「阿僧祇はゼロが五十六個分」

 一十百千万、十万、百万、一千万。
 秀斗は固まったまま瞬きの一つもしない。

「あくまで数え初めてから、でしかないから本当はもっとあるかもしれないんだけど……この話やめよっか!」
「はい!」

 宇宙は広いことがよく分かった。
 サラは磁石を外し紙の上辺を掴むと、掌の中でくるくると回し一つの束へとまとめていく。

「だからね、しゅうちゃんは俺たちの切り札でもある」
「切り札……強いやつ」
「そう。俺たちの、全世界を救える鍵だ」

 秀斗は実感がわかなかった。突然そんなことを言われても、特別なのは俺の体だけなんじゃないか。しかしこの尻尾というものは随分と素直で、天井に向かってピンと立っていた。
 サラは教卓の上で紙を縦にし手の力を緩めると、トン、と軽やかな音を鳴らし教卓の上に紙を乗せる。

「だから俺は、君は主人公だと思うよ、全世界で一番弱い切り札だ!」
「先生、聞きたくなかったです」

 少しだけ、少しだけ浮かれていたのに。
 だらんと落ちた尻尾にサラは肩を揺らして笑う。

「今のままだとね」

 秀斗は声に違和感を覚えサラを見た。その目は出会った頃と変わらず血のように赤い目をしている。
 ふと、教室のなかだというのに冷たい風を感じた。
 目の前にいるサラの服がいつのまにか袴へと変わり、瞬きをすれば、青い空が、どこまでもどこまでも続く深い森林が、溢れるほど視界一杯に広がって。
 机を掴む、そこには実物などなく、腕だけが空回った。

「ャア”ア”ア”あ”ああぁぁ────……!!?」
「チキチキ!飛べるかなレース開催〜!」

 サラが両手を空にかざし拍手をしている間も、秀斗の叫び声は遠退いていく。
 そんな中、サラの隣に一つ影が増えた。

「実況は俺!サラと!」
「毎度お馴染みのゲスト、コウがお送りしま〜す」

 右目を隠すほど長い白髪に端正な顔立ちの男が、空中に向かって手を振った。








 残り三センチもないだろう。
 落下を止めた自身の体と影の下、目先すぐにある草や土や虫に背中から尻尾までぶるりと震え、突然、糸が切れたように落ち慌てて立ち上がる。
 慌てて服についた土や葉をふるい落し、漂う森の臭いとあまりの静けさに呼吸が浅くなる。
 森のなかであることは間違いない、木が沢山あって葉っぱや草は自由にのびていて、たまたまここは比較的日陰だから小さいけれど、木は見上げても天辺がどこか分からないほど、あまりにも大きい。だが、何かが、違う。

「いきなりは飛べませんでしたわねコウちゃん」
「そうねぇサラ、やっぱうちの子には厳しいかしら」

 見知らぬ声と、少しだけ知っている声がする。
 怒りと共に振り替えればやはり誰か増えていた。
 なんだこのじいさんみたいに髪の白いお兄さんは、また頭のおかしい奴だったら許さないからな。既に許してないが。

「誰だよ!何ごっこしてんの?!何上から落としてんの殺す気しか感じなかった!」

 秀斗の怒りなど露知らず、サラと謎のお兄さんは寸劇を続ける。

「飛べたらよかったわねぇ」

 サラは頬に手を添え残念そうな目を作るも、口だけは明らかに笑っていた。

「ねー、そもそも翼の器官が無いタイプだったわぁ」
「早く言いなさいよそれぇ」
「だれだよ!」

 秀斗の言葉に白髪の男は胸に手を添え、軽い会釈をした。

「どうもサラの恋人コウです」
「違うよ」
「毎晩寝てるから俺の家には来るな」
「寝たことすらないよ」
「あぁッまた変なの来た……」

 秀斗は両手で帽子をつかもうとするもそこにはいつも被っているニット帽などなく、仕方ないので腕で頭を覆った。
 思えば、久しぶりに帽子なしで外を出歩いている。

「コウちゃん、秀斗は十歳だからそういう話はダメ」
「十? はー、わかった大人しくしとく」

 コウはめんどくさそうに残念そうに息を吐くと腕を組み、片足に体重を傾けた。
 その隣でサラは青いレジャーシートを敷き、次から次へと何も見えない場所から荷物が落ちるように現れ、大きなリュックサックや大きなナイフが。

「しゅうちゃんには、今からサバイバルをしてもらいます!」
「嫌です」
「荷物はこちら!」
「あの」
「色々つまったリュックサックにサバイバルナイフ!」
「なにがどうしたらこうなんですか?」

 秀斗の問いかけに、サラはまるで誰かに伝えるような少し大袈裟な身ぶり手振りで伝えていく。

「このままでは世界で一番弱い主人公なので、これから先色んな極限状態を与えていくよ」

 嫌な予感、どころではない、既に最悪な未来しか見えてこない。
 その隣でコウはカラカラと喉で笑った。

「十三になったら覚えとけ、初めての極限状態を体感させてやる」
「阻止します」

 コウっていう人は一体何なんだろう、サラとこ、こ、恋人だとか言ってたけどサラは否定するし、今も何を言っているのかさっぱりわからない。サバイバルするよりもっと嫌な予感しか抱かない人だ。

「しゅうちゃん気を付けて。コウはね、赤ちゃんでもおじいちゃんおばあちゃんでも食うから」

 秀斗は三歩コウから遠ざかる。
 人を食べるなんて、なんて、なんて恐ろしい!それも赤ちゃんまで!

「殺人鬼……ってやつだ……」

 怯える秀斗の発言に、サラは今すぐ自分の家に帰りたい衝動にかられた。

「今の忘れて」
「サラが!んははははサラが墓穴掘ったあははは」

 コウの足元にそこだけ抜け落ちたかのような暗闇が広がり、コウは何の抵抗もできず落ちていく。

「サラぁぁ!今のかわいいぞォォ───……!」

 微かに聞こえる言葉に、秀斗は指差した。

「コウって人はいつもアレ?」
「アレ」
「サラも大変だね」
「ありがとう」

 黒が閉じ、周囲の地面とにたような形をした本来の姿に戻る。
 視界の端で違和感を覚えそれを見た。

「うわ」

 先ほど落ちていったコウが目の前にいる事実に、思わず喉から音が出てしまう。
 一瞬、としか言いようがないあり得ない移動。まさかこいつもサラと同類なのかと秀斗は嫌な汗をかく。

「あぁ忘れてた忘れてた。俺、物質を造った偉〜い神なんでよろしくー。その体の大元も俺が造ったからな、崇めろ少年」

 どこか胡散臭く片手をひらひらと左右に揺らすコウに、秀斗は目の前にいる自称神たちをやはり信じられず怪訝そうな表情を見せる。

「いっそ世界滅んだらいいのに……」

 こんなのが神なら、こんなのを知ってしまったら、きっと大抵の人はそう思うだろう。少なくとも俺は思った。








 サバイバルとは、困難な状況や異常事態を乗り越え、知識や技術を駆使し生き残ることである。
 一度でも自らの手で生き物を殺して食したことも、植物の繊維から衣服を作ったこともない十歳の少年には困難どころか死へ直結するだろう。
 そこで。

「この端末を使って、赤い丸のところまでジャングルハイキングしてこい」

 秀斗はコウから渡された「たんまつ」と呼ばれた液晶画面を見ると、簡略化された地図、現在地、時間を確認する。
 マウスが無いのにどうやって使うんだろう。
 コウは画面に指で触れ、動かし、人差し指と親指を器用に使って扱い方を見せつけた。

「すご」
「だろ?パソコンとほとんど変わらねぇから、まぁまずは動かしてみな」

 見よう見まねで画面を操作し、すぐに吸収して頬を上げる子供にコウは淡々と言葉を並べる。

「赤い線は短い時間でゴールに着くが大変な道。青い線は時間かかるが安全な道。緑の丸には便利なものか食料が入ってる……かもしんねぇ。おい聞けよ、人が教えてやってんだから」

 ボタンを押して別の画面を開き、戻し、開き、多種多様なアイコンの並ぶ画面から一つ選ぼうとするとコウは端末を取り上げる。

「だぁからコイツにこれは早いって言ったろ!」
「いいの、今回は審査だと思って」

 子供への表情ではない、どこか凛とした表情を乗せるサラに、渋々コウは秀斗を見た。オモチャを取り上げられどこか不満そうな子供、肉体と魂のみが特別でそれ以外なんの取り柄もなさそうな、可愛げすらない子供。

「さっきの説明聞いてた?」
「赤が近くて危険、青が遠くて安全、緑は、宝箱みたいなヤツ?」

 だが、取り上げられただけで泣くわけでもなく、話を聞いていないようで聞いている、人間の男の子らしい男の子。
 コウは端末を返し好きなように遊ばせた。画面を操作して勝手に他のプログラムを作動させようと、設定画面を開こうと、検索エンジンを見つけて使おうと、自由に遊ばせた。

「さっきの地図は百メートル進まないと、現在地が更新されないからな」
「コウ、これ調べられない」
「コウ様と呼べ」
「画像すっごい綺麗だけど、なんでキメポーズしたコウの写真しかないの?」
「俺ってかわいいだろ」
「うわ」

 心が動くままに顔を歪ませた秀斗にコウは「いいか?!お前もかわいい!」とムキになって秀斗を指差し、両腕を広げ表明する。

「名前も知らねぇハゲのおっさんもメンヘラもクラゲもヒマワリも地球も全部、全員かわいい!」
「サラは?」
「美しいッ!!」

 秀斗は理解した。コイツ頭おかしい。

「俺みたいにかわいいと写真ぐらい撮りたくなるだろ?犬とかさ」
「犬と並ばないでほしい」
「じゃあ猫!」
「オレオマエユルセナイ」
「オレオマエキライシネ」
「あー!成人男性が子供に死ねとか言ってるー!」

 コウは笑った。爽やかに、どこか儚い見目で笑った。

「パチカスコミュ障一生独身自己破産アルコール依存強盗罪殺人罪の前科鬱糖尿失明肺ガン併合で死ね」
「最悪な早口言葉作らないで」

 秀斗は理解した。コイツ俺と同じ小学生だ。
 サラに咎められたコウは大人しく口を閉ざし、まだまだ言いたげではあったものの、秀斗へ手を差し出す。その上には、赤い包装で包まれた秀斗もよく知るチョコレート菓子が一つ。

「これやる」
「あ、ありがとう」
「毒は入ってねぇから」
「食べにくくなったんだけど」

 サラはまたしてもどこから取り出したか分からない鍵を片手に、どこから出てきたのか、落ちてきたのか、それともずっとそこにあったのか、現れた扉を開けると広がる暗闇へ片足を入れ、コウを招く。

「予想だと五時間は必要だから、頑張って」
「俺の話聞いてほしいんだけど」
「安心しろこの俺と、サラが居るんだから」
「いい話にしようとしないで!」

 きゃらきゃらと無邪気で邪悪に笑う二人は扉の向こうへ姿を消し、パタンと、瞬きせず観察しても文字通り消えた扉に首をかしげ、一人取り残された秀斗は端末を見る。
 電源が入っていないのか暗く暗転した液晶画面には己の顔が映り、唯一つけられたボタンを押して起動させた。指先でなぞるように画面を動かして、ちょんと触れて、反応して、明らかに己が知る技術の遥か先を進む、見たことのない機体を前に、秀斗はもう一度感嘆を溢す。
 自称神と言っていたが、本当に、もしかしたら神様なのかもしれない。どこでも行けるドアが存在した時点で神か未来人だけど、俺はまだまだ疑っている。





 鬱蒼と生い茂る草木は肌寒い秋風に揺れ、見知らぬ誰かが何人も踏み慣らしたのだろう、土の見える通路を端末の画面と照らし合わせながら、ふと、分かれ道を見つけた。
 看板がある。しかし、秀斗では読めない記号だった。アルファベットですらないそれは象形文字のようで、秀斗は首をかしげるも、少なくとも人工物がある事実に胸を撫で下ろす。
 画面を見る。近くて危険な赤い道と、遠くて安全な青い道に別れていた。
 なんでこんなことしなきゃいけないんだろう。
 何度も何度も浮かび上がってくる疑問を押さえ込むように、秀斗は右手の近くて危険だと言われた、赤い道へと進む。
 早くこんなこと終わらせたい。家に帰ったら宿題を終わらせて、友達とゲームの続きをして、それか秘密基地に改造した平屋へ行くか、それとも録画した特撮か、アイツが好きな女児向けアニメを見るか、駄菓子屋さんでお菓子を買うか。
 悶々とこのあと何がしたいかを考えながら、画面の右上に表示された時間を見る。
 今は、午前十一時。
 そろそろ昼だが、不思議と腹は空いていなかった。
 ハッと、秀斗は目を開き、息を飲み、足を止める。


 猛獣狩りに行こうよ♪
 やーりだって持ってるし♪
 鉄砲だって持ってるもん♪
 あ!あ!


 角の生えた白い豹と、目が、あった。
 金色の鹿を食べていた白い豹は顔を上げ、赤く染まった口から血液が垂れ落ちる。
 背から白い翼が生えた。
 それは威嚇するかのように広がり、六つの足を動かし、腰を上げ、前足を出し、肌がピリピリと痺れて、逃げたいと思った頃には体が動いていた。獣へ背を向け来た道を戻り、知っているようで知らない生き物からとにかく逃げることだけを考え。
 ずるりと、足が滑る。
 手をついたと同時に機械を落としたが、拾ってる間すら惜しかった。
 足音が近づく。足音が大きくなる。
「だれかぁぁぁッ!」
 分かれ道にたどり着いた。後ろからゴンッと壁に頭をぶつけた音がした。ウマオと濁音混じりの甲高い猫の悲鳴が聞こえ振り向けば、看板のとなりにガラスが出現し獣は慌てて背を向ける。
 尻餅をつく。
「帰りたい、帰りたい帰りたい帰りたい!!うわぁぁぁもういやだこんなの帰らせてええ!」
 まさかこういった野性動物に関する危険だとは思わず、秀斗は逃げていく白くて大きくて足が六つと翼も角もある猫に、これからまた空想野性動物に出会ったらどうしようかと、端末落としたしどうしようかと、帰りたいと、感情を混ぜなから頭を両腕で覆う。
 くすくすと、肩を揺らす声がした。
 腕をどかし辺りを見渡す。しかし、どこにも人らしい影すらなく、心細さを抱えると小指になにかが触れた。
 端末があった。
 落としたはずの高性能機械があった。
 手にとって動作を確認すると問題なく機能し、心霊番組を観ているときのような恐怖を覚え立ち上がる。
「さ、サラー?!居る?ねぇ居んのどっかに、ねぇ?!コウ?!」
 秀斗には見えなかったが、コウはゲラゲラ腹を抱えて笑い、サラは片手で顔を覆い体を震わせていた。
 秀斗は大人しく、遠くて安全な青い道へ進む。






「リスクは取りたがらないね」
 サラは座るのには少々小さな石の上に腰掛け、液晶も専用機もなく空間に浮かぶ立体映像を、秀斗を追尾しているカメラからのリアルタイム映像を眺める。
「ねこちゃんに追われたらしゃあねぇわ」
 コウは焚き火の準備を終え、枝を重ねたその中央に綿を添えると、箱からマッチを一本取りだし、赤い先端を側面に擦り付け火を灯す。
「お、赤再チャレンジした」
 マッチから綿へ火を移し、口を近づけ酸素を送り込む。
「サラ」
「はーい」
「あの子の死体は偽造や修正も、無事に終わった」
 火はやがて炎となり、枝が燃え尽きる前に乾いた木材を上に重ねていく。
「それと人間の遺体の方、どっかの神が弄った痕跡がある。魂はとりあえず第三地獄に送ったし、寮の清掃は三時間後には終わる」
 コウからの報告に、サラは立ち上がる。
「ニャルが動いた。念のため俺も秀斗の所にいるから、何かあったら呼んで」
「はいよー」
 サラは音すらなく姿を消し、コウは焚き火の前で枝を片手にマシュマロを刺し、火で炙り始めた。







 コウは釘を打ち付けると、テントから垂れ下がったロープをくくりつけ縛り上げた。
 ハンマーを片手に立ち上がり、数歩下がれば大人二人は余裕で入れるテントが完成した。満足のため息を吐き出したコウは振り向き、順調に燃えている焚き火を見る。見上げれば、木々の向こうでは紺色の夜空が広がっていた。
 この世界の時刻は午後四時十分、太陽のある方角を見ると地平線の向こうへ欠け落ち、鮮やかなオレンジが青に包まれていく。
 コウは違和感を覚えていた。
 そろそろ戻ってきてもいい暗さだと言うのに二人は帰ってこず、秀斗の叫び声か、話し声か、怒りの声一つすら聞こえてこない。
 念のためおにぎり二つとペットボトル二つを持たせておいたから、例え遭難しても一日は持つだろうし、一日もあれば見つけ出すことぐらいはできる。問題は。

「コウちゃん!しゅうちゃんいる?!」

 焚き火の隣に現れたサラに、コウはやはりそうかもしれないと質問を返す。

「食われた?」
「生きてる」
「遭難か」

 横に首を振るサラの肩は強張り、珍しく焦っていた。

「しゅうちゃんの座標が乱れすぎてる。本部に戻るから帰ってきたら教えて」
「はいよー」

 音も残さず消えた姿にコウは確信を抱いた。
 神が秀斗と接触している。となると、サラは五分後にはこの世界の時間を止めているだろう、その間に何か約束を取り付けられてなければいいが。
 コウはハンマーを空中に投げ、音もなく物質が姿を消す。
 あとは必然が答えを持ってくるだけ。
 人探しの力はコウにはなく、やろうと思えばできるが、秀斗の魂には微塵の興味もなかった。







 草むらをかき分けると、見覚えのないようなあるような獣道を見つけ、屈んだ体勢で足を進める。
 サラが来てくれたときは安心したが、トイレに行ったらはぐれてしまったなんて。
 しかし、俺には便利な便利な機械がある。このまま進めば目的地であるテントに着くらしい。
 枝を掻き分けたそこには小さな川が流れていた。岩は丸く、苔が生え、ちょろちょろと音を奏で空気が涼しい。
 お、おかしい。
 画面を見る。現在地と地図の情報がまるで違うなんて。

「……サラーッッ?!」
「ん」

 肩が揺れる。尻尾も揺れる。
 ちょうど目先にある岩の上、手のひらサイズの苔がもぞもぞと芋虫のように動くと苔は白い布となり中からチラと人間の目が覗いた。

 小人?

 ソレは岩に手をつけゆっくりと起き上がると、頭を覆う布をぐいと引っ張り顔を隠し、腕を伸ばして背中を伸ばして、のんきにあくびまでしてまた横になった。

「食うんなら、食え」
「食う?何を?」
「何を、って、えぇ?」

 横になったままそれはじっーっと、黒い目をキョロキョロと動かして頬を上げると、力無く目を閉じ全身の力を抜いた。

「人間か。珍しいね」
「あの、小人、さん?」
「小人?私は、ああ、小人でいっか」

 秀斗は一歩前へ踏み出し、逃げる気配のない小人に恐る恐る問う。

「どうして倒れてるの?」
「もうすぐ死ぬからだ、人間」
「小人って、おにぎり食べる?」

 再び開いた真っ黒な目はどこか嬉しそうで、秀斗は小人よりも低い位置にある岩でしゃがみ、膝上でリュックサックを漁る。

「それは、穀物?」

 透明なビニールで包まれたおにぎりを指差すと秀斗は頷き、しばらく考えてから全部岩の上に乗せビニールを広げた。

「いいの?」
「いいよ、あと一個あるし」

 起き上がり、あぐらをかいた小人は頬を緩める。

「あ、ありがとう」
「どういたしまして。お水いる?」
「大丈夫。気持ちだけで腹一杯だ」

 一口よりも小さな米の塊を手に取った小人は更に小さな口で頬張り、口周りを汚しながら中に入っていた鮭も頬張り、それこそ無我夢中に、自身とほとんど変わらないサイズのおにぎりを、ものの数秒で平らげてしまった。

「ッはー!良いご飯!良い優しさ!」

 口元を布でぬぐう小人の腹は、一切膨らんでいない。

「胃袋おかしくない?」
「よく見たらはじめて見るねこんなの!人間と悪魔かな?珍しいね君ねえ」
「テンションおかしくない?」
「それにまあ随分とこんがらがっちゃって」

 久しぶりに何か食べたら、それぐらいテンションが高くなるものなんだろうか。
 小人は立ち上がると大きな布からこれまた小さな両手を出し、つい米粒のついた裾を見てしまう。

「手を出して。君にお礼がしたい」
「いやそんな、おにぎりだって貰い物だし」
「それでも君が贈ったことには変わりはない。ほら」

 右手を出した。小指を掴まれ、指の腹を額に押し付けられた。

「”瀬戸内秀斗”、君に新しい名前をあげよう」
「なんで」
「元の世界に戻れたとき、再び秀斗と呼ばれたら、そのこんがらがった楔を解き放って綺麗に直してあげる。それまでは私が君の魂を守ろう。そうだなぁ……決めた。これからは”セイ・カボルト”と名乗りなさい」

 冷たい風が吹いた。
 太陽は落ち、月が登り、星空が輝き辺りは暗闇に包まれる。

「これは”約束”です」
「わかった。それがお礼なら」

 暗闇のなか、微かに小人が悲しそうな感情を見せた気がした。
 小さな手が離され自分の小指を見る。なんの違和感もないし、周りは暗いだけ。それだというのにはっきりと指の形がわかり、周囲も昼間のように明るく感じた。

「何かした?」
「洗脳しちゃった?!」

 もう一度慌てて手を差し出す小人が、なんだか可愛らしく見えて思わず笑ってしまう。

「ふっ、ははは、いや、周りがよく見えすぎるから」
「そりゃあ目がキラキラ反射してるからね」
「きらきら?」

 小人は背を向け岩から地面の上へと飛び降りた。何回かよろつきながら歩くと振り向き、黒い目と視線が交わる。

「じゃあね、セイ・カボルト。おにぎりと気持ちをありがとう」
「帰るの?ばいばい」

 手を振った。小人は首をかしげ、どこかぎこちなく手を振ると風と共にゆらりと姿を消した。

「……俺、そんな名前じゃなくてせ……せ?」

 考えた。小指を見た。考えた。頭に触って角を撫でた。
 俺は、俺の名前は。

「セイ・カボルトで、いいんだ」






 草の揺れる音に、コウは背筋を伸ばし視線を向ける。
 そこには鼻水や涙で顔面ぐちゃぐちゃなサラと、背中を擦り慰めようとするセイの姿があった。

「んハハハハハ!!」
「がみどやぐぞぐじでだぁぁぁ」
「ンハーーァッ!」

 地面の上に倒れ腹を抱えるコウに、わんわん泣きじゃくるサラに、セイは内心疑問で満ち溢れながらも背中に手を添え続けた。






 何故、こんなことになったのか。
 何を、間違えたのだろうか。
 机も椅子も無い教室の真ん中、正座するサラとコウの目の前に、コウと瓜二つの顔が仁王立ちで二人を見下していた。

「で?」
「だからそのーえー、あはは!」
「兄さん、犯人は俺だ!殴り合うなら相手してや」
「黙って」
「はい」

 ”兄さん”と呼ばれた男はたった一言でコウの口を一つに結ばせる。それほどに、男からは怒りに染まりすぎて黒く変色したオーラが具現化し、周囲の床材を食らい穴が開いていた。
 この人浮かんでる?

「サラ、未成年をジャングルでハイキングさせるのは、楽しかった?」
「うん!とっても!ギャー!」

 袴が散った!上半身が裸だ!本当に男だった!
 髪や服までも乱す突風にセイは腕で顔を覆い、男の前髪や後ろで一つにまとめた髪は一切揺れていないことに気づく。

「人間の成人は何歳だっけ?」
「じゅ、うさんさいから……」
「彼は今、何歳?」
「じゅう……」
「で?元の名前は?」
「あは、あはは!うばわれましたすいません俺のミスですッ!」

 ごつんと、床が微かに揺れるほどの力でサラは深々と土下座し、男はそれでも足元の床材に穴を開け続ける。
 恐らくだがあと一分もすればサラと、気がついたら同じく上半身裸のコウの膝元まで穴が到達し、二分後には床材の下で広がるクモの巣だらけの地面まで落ちることだろう。
 バカみたいに頭だけ出してるんだろうか、とってもワクワクするなァ!

「十三になるまでは最低限の書き読みと、自分の種族についてや、力の扱い方を教えるのが大人なんじゃないの?」
「サオさんの言う通りでございます」

 俺サオさん好き!
 セイは腕を下ろし、未だに風が吹き荒れているが尻尾の先で左右に床をなぞる。土下座し続けるサラと、正座しているというのに舌をさらけ出し、目を大きく開いて、誰もが腹が立つ顔で煽るコウを見た。
 ああ、サオさんはなんていい人なんだろう。俺も子供だけど、あんな小学生みたいな人·······?人間ですらない相手に説教してくれるなんて。

「コウ、舌、引っ張り出していい?」
「すみませんでしたふざけすぎました」

 俺、サオさん好き!
 ついに尻尾は扇のように左右に揺れ止まることを知らなかった。
 あと三十センチもあれば奴等は落ちるだろう!笑ってやる準備をしてやろう!

「分かったら、まず彼に注射してあげて」

 尻尾が止まる。
 今、あの人はなんて言ったのだろう。

「今基準時間何時?」
「午後六時ちょっと」
「病院行こう!」

 立ち上がった二人に反応したセイは教室の端まで走り壁を背に向けた。
 瞬間、セイ以外の三人は悟り何もない空中からお菓子を取り出す。

「ほ〜らコウ様特製ショートケーキだぞおいで〜」
「イチゴが無い!」
「大丈夫痛くない!胸に刺すタイプのやつ!」
「ああああああッッ!」
「俺ラズベリーしか持ってなかった」
「合体」
「エーッ!ヴィエーーーッ!!」






 すん、すん。
 白いベッドの上で踞るセイに、サラは隣に腰掛け角のある黒い頭を撫でた。
 ベッドの前に置かれた足の短い机上には食べかけのラズベリーショートケーキとコップに入ったレモン味の炭酸ジュースが置かれ、微かにだがぱちぱちと空気の弾ける音が聞こえる。

「……ごめんね、名前、守れなくて」
「どういうこと?」

 目が合った。昨日までは確かに黒い目をしていたというのに、今では僅かに緑が混ざっている。
 名前を盗られた影響か、それとも、魂による身体への変化か。
 調べることは山積みだ。これからが楽しみだ。

「セイ、うーん、セーちゃん」
「セイちゃんでお願いします」
「セイちゃん」

 サラは立ち上がりセイを見た。彼はまだ目を合わせてくれている。

「俺、ちょっと離れるけど、明日の七時には起こすね」
「十時がいい」
「七時には起こすね。おやすみ」

 返事もなく目線が離れた。まだ警戒心を全部ほどいてくれた訳ではないらしい。
 それでいい、当然だ。少しの警戒心もなかったらかえって心配になってしまう。
 サラは壁につけられたスイッチに触れ、電気を消した。そして脳内で強く建物の形をイメージし、一秒も経たず予想通りの場所へ降り立つ。
 視界には数多もの画面が不規則な配列で不規則な大きさで並び、たった一枚のガラスの奥では、青白い球体が浮かんでいる。

「マキナ、解析結果は」

 数々の機械が設置され、無機質な床にはコードが波を描き、デスクの上には光で枠組みされた文字の羅列が浮かぶモニタールーム。
 デスク前にサラは腰掛けると音響機器から女性の声が響き渡った。

「セイ・カボルトの元の名前はあらゆる項目から削除されノイズが走ってます。因果すら変えられる名だたる神の仕業で間違いなく、どの映像データを見ても姿は見えません」

 だとしたら、考えられる神は三人いる。といっても約束の内容は本人すら忘れている特別仕様だ。恐らく、約束をした神の記憶からも消されているだろう。
 確認はしてみるが、望みは薄いな。

「解除はできそう?」
「十年から十五年かかりますね」
「やれるならやってみて」
「はい。それと、感染症予防の注射、一週間後も予約しておきました」
「ありがとう!」
「予定通り、録画を開始致します」

 サラは椅子の上でくるくると回り視界を回転させ、緩やかに止まったところで背筋を伸ばす。

「こんにちは〜!社長のサラです!」

 手を振り、笑顔を見せ、カメラの向こうに誰かが居る体でサラは舌と体を動かした。

「均衡機関の皆、天界の皆様、魔界の皆様へ、均衡機関バッグラドグラ社長サラよりお知らせがございます!みんなー!人間になってみたいかー!そうでないかたにも我々にご提案がございます。協力すれば大金が手に入り、交渉次第でなんでも願いが叶う契約を我々均衡機関と結びませんか?」

 天界のとある国の、とある高層ビルが並ぶ商店街。
 今日もさんさんと太陽が輝き、雲の上にある街と街とを繋ぐロープウェイが定期的にヒトやモノを運び、見上げれば真っ白な翼を持つ人の形をした生き物、天使が自由に空を飛んでいる。
 この街を象徴する時計塔では今日は珍しくホログラムの映像が写し出され、均衡機関代表取締役でもあるサラ様が、何かを喋っていた。
 石造りの道に白と青を基調にした大通りの商店街で、黒い鱗を持つ尻尾を揺らし、金髪から覗いた黒い角が空を向いて伸び、猫のように鋭い瞳孔を持つ赤い目がジッと、映像を眺め続けていた。

「その代わり、記憶を失い人間として生き最後には記憶を取り戻せると言われたら、そそられるのではないでしょうか?!晴れの日にチラシを空からお配りしますので、気になった方はお気軽に均衡機関へお越しくださいませ!」

 サラ様が話す神々の言語は全ての種族が聞こえるよう、個々人が話す母言語に翻訳される。こんなもの均衡機関の技術の極々一部であり、もっともっと素晴らしいモノが均衡機関では溢れかえっている。
 サラ様が『チラシを空からお配りします』と話した直後、頭上から紙が舞い落ち、通り行く生き物は大半が無視して各々目的をもって進む。
 あれがチラシか。後で拾おう。

「シオン!荷物運べ!」
「はーい」

 まぁ、均衡機関が俺程度の悪魔と契約してくれるわけが無いけどさ。
 呼ばれたシオンは黒い尻尾を揺らし、目先にいる大柄な悪魔のもとへ渋々戻っていった。
 次は第七天国産の野菜を第二地獄へ飛んで向かって、んで、現地についたら販売して接客して、たしか今日は、明日がサバトだから最後にレジ閉め全部やんなきゃいけねぇのか、めんどくせぇー。

「シオン・レンド・ラルトリア」

 知らない声に振り向き、シオンは顔をひきつらせ片膝を地面につけ頭を下げる。

「お呼びでしょうか!サラ様!」

 神様への礼儀作法ってこれでいいんだっけあれこれって魔王様に対する礼だったようなどちらにせよなんでサラ様がこんなデカイ都市から外れた街にいるなんてどういうことだよ。あれ、おれ、今、フルネームで呼ばれた気がする。あれれ?
 シオンを呼んだ悪魔も頭を下げ、突然頭を下げた悪魔になんだなんだと天使も目線を向け、サラを認識した瞬間、胸に右手を当て左手の甲を背中につける。

「気にしないでいいからね〜」

 サラは各々の文化に合わせ礼をする通行人に手を振り、各々恐る恐る目線を泳がせ再び歩き始めた。
 頭上から足音がする。とんでもない、いや、それ以上の形容詞が必要なとんでもない気配がする。映像なんかじゃ一生分からなかった。これが、神の気配。これが、全ての魂の根源。
 しゃがみ、膝に手を添えるサラは、シオンの金色の頭を見た。

「顔あげていいよ」

 視線の先には黒いブーツが見え、顎を上げるとサラの赤い瞳と視線が交わる。
 かわいい。かわいいと思うことすらきっと赦されないが、かわいいもんはかわいい。サラ様は男で俺も男だけど。

「シオンちゃん?レンドちゃん?どちらがお名前?」

 サラ様は本当に『ちゃん』を誰にでも付けてくれるらしい。なんだかくすぐったい、確かちゃんって神々の言葉で『愛する子』に付けるんだっけ。忘れたけど。

「シオンが、名前です」
「シオンちゃんに鍵を渡しに来た。もしよかったら均衡機関に入らない?」
「よろしくおねがいします!」
「よろしくね!」

 サラ様から気に入られたのかなんなのかは分からないが、あの均衡機関に入れるのなら俺の人生はこの先ずっと明るいも同然!見てろ血統主義者のクソ野郎共、近いうちに見下してやるからな!
 







 基準時間二月二十二日午前九時四分
 均衡機関敷地内集合住宅地ライ棟34階3407号室


 探索しようと思ったら、ぐっすり眠っていたようだ。
 ベッドの隣にある棚上を見れば電子時計が午前九時を指し、上半身を起こした視界には、白い壁に木材の家具が並んでいる。カーテンのように部屋を分けるスライドドアは全て開かれ、境界線の向こうではソファの背もたれが、右手には台所が僅かに見え、左手にはカーテンの隙間から太陽の光が射し込んでいる。
 ベッドから立ち上がり片付けられた机を見て、カーテンを開き、鍵を開け、ベランダ向こうに広がる景色をつま先立ちで確認する。

 やっぱり、ここは雲の上だ。

 青空の下、群れのように並ぶ雲の上では街が広がり、白い建物に屋根の上がオレンジの街や、一度だけ行ったことのあるギリシャのような石の街や、中にはビルが城のように乱立する都市らしい都市もあった。
 風が肌を撫で、空を飛ぶ白い翼の生き物や、なんということでしょう、恐竜のような生き物が空を飛んでいるではないか。恐竜と言うよりあれは、そう、ドラゴンと言ってもいい。
 真下を見た。ここは超高層マンションのようで、数えきれないほどベランダの格子が並んでいる。雲が途切れた先を見るとまたしても雲で、観察していると、どうやらこの雲は動いているらしい。
 自称神に二人も出会うし、見たことの無い生き物に食われかけたし、小人には出会うし、本当、たった一日のうちに色んな事が起きすぎた。
 早く家に帰りたい。この尻尾と角がいけないんだ。
 ───カンカンと、鐘の鳴る音がした。
 室内から聞こえた。
 今の音はなんだろう、もしかしたらこの家のチャイムかもしれない。
 台所の横にある扉を開け、伸びた廊下の先には茶色い木材で作られた扉がある。ガラスの枠向こうには人影もなく、あるのは向こう側から射し込む光だけ。
 トイレと風呂場の扉を通り、裸足で玄関の前に立ち、チェーンロックを差し込んでから扉を開ける。

「おはよう!遅刻したサラです!」

 扉を閉めた。
 さて、自由に食べていいと言われた冷蔵庫の中身漁って、なんか適当に食べるか。
 振り返るとサラの背中が見えた。

「ご飯作りに来ました〜」
「帰って!」





 人は見かけによらないと聞いたことはあるが、本当にその通りだ。
 ほかほかな白米に、表面が美しい黄色のだし巻き玉子に、オクラとなめこの味噌汁に、そして、小さなドラゴンと魚を掛け合わせた生き物の姿焼き。

「あの、これって」
「水竜の稚魚」
「そうですか」

 ちぎょ、ってなんだよ······。
 それを除けば、最高の朝食兼昼御飯が卓上に並んでいる。
 まさかサラが料理できるとは思いもしなかったし、突然まな板の上に生きた生物を置いて悲鳴をあげるそれを容赦なくトドメ刺したのは、もっともっとビックリしたな。

「い、ただきます」
「召し上がれ〜」

 台所で器具を洗うサラを横目にだし巻き玉子を頬張り、ちゃんと美味しいことに驚いた。焦げあとが一切なく断面も綺麗で、ほんのり甘くて、風味、ってやつだろうか、甘いとは違う味が美味しい。

「天国、なんだよねここ」
「そうだよ」
「生きてても行けるの?」
「行けるよ〜」
「なら、”地獄”って、あるの?」

 サラはセイと目を合わせ、濡れた手をタオルで拭うと、セイの元へ歩きながら答える。

「あるよ」

 目の前に座ったサラは机上に立体映像画面を表示させた。機械もないのにどうやって映しているんだろう、しらないものしかないな。
 画面の左側には地球とよく似ているが、地面のかたちが知っているものとは違う青い星が、右側には赤黒い雲でほとんど覆われ、土星の輪っかのある星が表示された。

「ここが天国!ここが地獄!」

 左は天国。右は地獄。それをなぞったサラは画面を切り替え、白い雲の上に建つ棟を中心に街が作られた、大きな大きな建造物を指し示す。

「そしてここが今居る所、均衡機関の敷地内」
「悪魔が天国にいていいの?」
「いいよ。悪魔はねぇ、そういう”種族”として結構前から認められてる」

 セイは味噌汁を飲み、想像は実際とは大きくかけ離れていることを思い知る。

「人間たちは何故か、天使と悪魔は未だに仲が悪いって考えちゃうんだよね。確かにこの二つの種族はなにかと競い合うけど、天国で働く悪魔は大勢いるし、逆に、地獄で働く天使も大勢居るよ」
「でも悪魔ってもとは、天使なんじゃないの?」
「よく知ってるね!」

 そんな話をしていたアニメを見ていたからたまたま知っていただけ。その言葉を飲み込みながら、米と魚らしきモノを頬張った。
 この魚が意外と美味しい。柔らかいし脂がのってるし、お肉のような満足感もある。

「そうだよ、一部だけどね。悪魔のなかにも種類があって、元は天使だったヒト、先祖代々から魔界に居たヒト、妖精から悪魔になったヒトとか、もう沢山の種類があるの」
「俺は?」
「天使だったヒト」

 つまり、つまり······。
 考えが上手く纏まらず思考がグルグルと巡った。俺は元は天使で悪魔になって、突然人間になって、俺の体は百%人間の遺伝子で出来てて、魂があって。
 何を言おうとしたか忘れてしまった。

「だからね、セイちゃんと同じ種族の、相応しい肉体で生きてる同年代の子と、今日会わせるつもり」
「……体も悪魔?」
「そう!」

 大丈夫、なんだろうか。
 頭に浮かんだ悪魔は体が大きく、凶悪な牙と爪を持ち、角は闘牛のように大きく鋭い、人の形をした獣だった。
 もごもごと米を噛み、飲み込み、セイは眉間にシワを寄せる。

「大丈夫、たまに出てくる静電気を抑える方法を、もしかしたら教えてくれるかもしれない」
「もしかしたら?」
「悪魔は気紛れな子が多いからな〜」

 セイは眉間に更に深いシワを作った。





 基準時間午後三時十五分
 
 黒い鱗を持つ尻尾を地面すれすれで揺らし、伸ばした金髪から覗いた黒い角が空を向いて伸び、猫のように鋭い瞳孔を持つ赤くぱっちりと開いた目。
 そして何よりも視線が向いてしまうのは、あまりに女の子らしい顔立ち。

「シオン・ラルトリアだ!よろしくな!」

 初めて見た自分以外の悪魔を見たセイは、サラを見て、もう一度視線を少し上げた先にいる悪魔を見た。
 ネクタイをせずスーツを着て、仁王立ちして、俺より十センチは大きいが同年代だとしてもなんだか幼く見える、女の子?

「はじめまして……」
「セイ・カボルトだっけ?お前、本当に人間なんだなすげぇー」

 シオンはまじまじと成長途中の角に、足よりも短い尻尾に、漂う臭いに感心しか抱けなかった。
 純粋に、すごい。こんな生き物が存在して生きているだなんて。

「話した通りによろしくね」
「お任せください、サラ様」

 シオンは軽く頭を下げ姿を消したサラを確認すると、さっそくセイを見た。
 赤黒い雲の下、赤黒い地面が広がり赤い葉を揺らす木々が周囲に等間隔に生えた小さな公園の中央で、シオンは背筋をピンと伸ばしたまま手を差し出す。
 握手、だろうか。
 と思った矢先、シオンの手元に赤い鍵が現れた。
 骨董品を扱う店に置かれていそうな豪華な装飾を施された鍵。持ち手にはバッテンの印が入り、よく見れば、凹凸部分にはミミズのような文字が並んでいる。

「鍵?」
「人間のセイに教えてやろう!これはどこにだって行ける鍵!均衡機関の人員にのみ与えられる超希少な鍵イイッ!」

 シオンは鍵を握りしめ何もない場所へ突き刺した。
 黒い扉が現れる。鍵は差し込み口に収まり、手首を捻ると音がした。ゆっくりと押し開かれたそこには青空の下透き通った藍色の海と真っ白な砂浜が広がり、海の臭いが、熱が、音が体を震わす。

「なんで?!サラたちだけができるんじゃないの?」
「道具さえあれば誰でもできる、それを開発したのがコウ様と大勢の偉人たち」

 シオンは扉を閉め鍵を抜きとる。扉が下から上へと姿を薄め、そこには影すらなかった。

「均衡機関ってのはすげぇんだよ、これがあるから車なんて必要ない」

 セイは公園の奥に広がる妙に黒い煉瓦の歩道と、コンクリートの車道を見た。所持者の好みが浮き出る十人十色の車やバイクが通りすぎ、随分とバイクの確率が多い気がした。それは、ここが地獄だからだろうか。

「シオンさん、均衡機関ってなに」
「シオンでいいって俺たち同い年だろ?」

 シオンは鍵をぷっくりとした丸いフォルムの、スプレーのついたガラス瓶に入れ替える。

「今日は最ッ高に気分いいから俺がセイの先生になってもいい。まずは臭いをどうにかする、後ろ向け!」
「はい!」

 開いた口から犬歯が見え、素直に従いシオンに背中を見せた。
 シオンはセイのパーカーを捲り「なにやってんの?!」中に着ていたシャツに上から全体を濡らすよう三回振りかけ「なにしてんの?!」ズボンのウエストを後ろから引っ張り尻尾の付け根に一回振りかけ「わッ?!」最後に首と足首に一回ずつ振りかける。

「なにすんだよ!」

 慌てて離れ睨むセイに、シオンは呆れたように答えた。

「若い悪魔はな、人間の骨からダシ取った人骨ラーメンが大好物なんだよ」
「え」
「豚骨もあるけどやっぱ人骨は手頃に食えるから最高。俺も昨日食ったし」
「えっ」

 全身の筋肉を強張らせ、尻尾の鱗が付け根からぶわと逆立ち耳元でパチパチと静電気の音がした。

「だから、俺は俺が普段使ってる香水を分けた。サラ様が俺を選んだんだ、任された以上、しっかりと守っていろんなことを教えてやる」

 セイの周囲では緑色の電気が僅かに走るも、シオンは気にせずセイに近づき、肩に手を添えた。

「俺たちは契約を絶対に守る誠実な悪魔だ、神に守ると誓った以上、俺はセイを命かけて守る」

 赤黒い空の下で赤い目がキラキラと輝き、一瞬うつむいたセイの電気はおさまった。




 手のひらよりも小さなワンピース、セイが三、四人は隠れられそうなズボン、それだけでなくベルトや鞄に帽子に、何もかもが小さなものから大きなものまで取り揃えられた、見ているだけで楽しい服屋。
 セイはきらびやかな角飾りや尻尾飾りを眺め、その周囲にいる大人の女性らしき悪魔を眺める。
 肌色が紫だったり、爬虫類だったり、獣だったり、立派な黒い角や白い角には金色の輪っかや黒いレース、中には長い尻尾の先にピアスのように体に穴をあけて、キラキラとした装飾品をつけたりして。 
 角と尻尾なんて普通にあって、皆普通に服を選んで悩んで買って。

「シオン」
「おー?」

 次は下着を買おうと探していていたシオンに、セイは山のように重ねられた服を持ち直しながら問う。

「俺お金持ってないのに、誰が払うの」
「グラグラ、均衡機関。いいか?子供に金求めるのはクズだから信用するな。かといって無償で渡されたものをホイホイ信用するな」
「矛盾してない?」
「臨機応変臨機応変〜」

 シオンは下着が並ぶエリアにたどり着くと子供用を探し、脱ぎやすく着やすい、ボタン式の物を手に取る。

「俺小さい頃確かボタンだった気がする、あれ、こっちだっけ?」

 ズボンもそうだったがパンツにも尻尾を通すための穴が存在し、ボタンやフックやチャックにリボン、全て調整できるような仕組みが施され、改めて尻尾すら体の一部なのだと認識した。
 今まではずっと邪魔でしか無かったし、見られたら人生が終わるとばかり考えていた。しかし、ここでは違う。見せてもいい体の一部であり、皆普通にあるものだ。

「ねぇ、均衡機関って、なに?」

 シオンは同じ形で異なる色の下着を七つ手に取りセイが持つ服の山に乗せる。

「うーん、なに、って言われても難しいな」

 シオンは真っ直ぐ出口付近にあるレジへ向かう。

「色んなことやってんだよ、食べ物作ったり、服とか家具とか機械とか薬まで作ったり、死んだ生き物に極楽を与えたり、輪廻転生から新しい種族の調査とか、もうほんと色々」
「会社?」
「会社……とも言えるのか?機関って税金で動いてないしむしろ税金払ってるとか聞いたから、会社だな」

 あの大きな建物も、マンションも、病院すら全部税金で動いてないってこと?

「意味分かんない」
「世界の均衡を保つ。そのために動いてる機関、でいいんじゃね?俺もそこまで詳しくは知らね」

 シオンは店員のいる会計の前に立ち、手のひらを広げると袋が現れた。
 セイは背伸びし服を机に乗せ、回転レバーと数字、だろうか、見たことはないが恐らく随分と古い銀色のレジを観察する。

「なんで俺がその機関に連れてこられたか、シオンは知ってる?」
「知らね。俺は下っ端の下っ端だし、そもそも機関に入ったの今日なんだよ」
「じゃあ知らないか」

 ふんと、セイは期待したのにと口を尖らせた。

「なんだその態度は!俺はこれから上っていくんだ、お前も知らないうちにな」

 シオンは袋から銀色の硬貨を八枚とお札を一枚出し、おつりの銅貨を数枚袋に入れ、渡された紙袋に触れるとそこにあったはずのものが消え去る。

「ありがとうございました〜」

 シオンは一言告げ、セイも続けてぼそりと呟く。

「物が消えたり出てきたりするのって、魔法?」
「いや、亜空間」
「あくうかん」
「四次元にあんだよ、普段は目に見えないし触れねぇけど、鍵を持ってる奴ならそこにあるものを取り出したりしまったりできる。あー、教えてもらったことをそのまま言うと、レイヤー、ってやつになってるらしい」

 シオンは手に薄い紙と分厚い木の板を取りだし、板を下敷きに歩きながら絵を描いた。
 一枚目には自分らしき金髪に黒い角に黒い尻尾を生やしたデフォルメされたギャラリーが、二枚目にはシャツが描かれている。

「絵上手い」
「だろ?こんな感じに普段は二枚が重なってて」

 ミニシオンが描かれた紙の奥でうすらとシャツが見え、シオンは一番上の紙を動かす。

「絶対にシャツには触れられない。でも、その絶対をねじ曲げて、シャツを手元に出したりしまうのが、鍵の力」

 シオンは紙も木の板もシャーペンも亜空間にしまった。

「魔法?」
「魔法にこだわるなお前。言っとくけど、これは魔法とは違う。いろーんな科学技術を集めて作られた”機械”だ。魔法は機械を使わずに作るもん」

 黒煉瓦の道路の上では数々の店が並び、今日はお休みの日なのか大勢の悪魔で賑わっていた。歩いているといい臭いが肺に流れ込み、看板を見ると『人骨ラーメン専門店』の文字。
 本当にあった。本当にあってしまった。

「あッ、食う?食べる?!」
「なんで?なんで?共食いしろって?」
「同族でも美味しければ食うだろ」
「食べない!絶ッ対やだ!」

 後ろに数歩下がったセイの太ももを見る。ズボンのなかで主張する尻尾は限界まで服を押しテントを作っていた。きっとそのなかでは鱗を逆立ちさせているのだろう。
 強い拒絶反応にシオンは感心を抱き、一つ言葉を溢す。

「へー、人間って同族食わないんだ。魂も食わないし、その辺りすごいよな」

 魂を、命を、食う?

「そうだ食事!悪魔はさ、成人するとやっと魂が食えんだよ!俺の地元じゃあ地域の皆が金を出して一人一人妖精の魂を買ってくれんだ。へっ、へへへへへははははは!」

 シオンは笑う。腹から、高らかに笑う。
 手のひらの上に袋を取り出し、中身を確認した彼はニヤニヤニヤニヤ笑い、どうやらイイコトを思い付いたようで。

「食べる?妖精の魂。同い年なら食えんだろ」
「俺まだ未成年」
「なに言ってんだ悪魔の成人は五歳、だ、から……人間の成人って何歳?」

 恐る恐る問うシオンはセイの角を見た。まだ完全には成長していない、まるで東大陸に住む小鬼のような小さな黒い角と、未成熟な顔立ちを見た。

「二十歳」
「クソーッ!」

 頭を両手で押さえ背中を反らし地面に口を向け発射するが如く叫んだシオンを見るのは、未成年の悪魔一人だけだった。

「なにしようとしてたんだよ」
「一緒に、妖精さんの魂食おうかなって……ほら、必ず必要な栄養素、みたいなもんだからさ。この袋に入ってる金全部使ってもいいからさ。だからさ……いいや、酒で誤魔化そ……」

 とぼとぼ、とぼとぼ、悲しそうに歩くシオンの背を見守るセイは、あまりの感情の変化と様子にニコニコ無邪気に笑んでいた。
 ものすごく面白いお兄さんだ。魂ってのは見たことないからよくわからないけど、俺は絶対に食わないからな。

「あと必要なもんは」

 シオンは背筋を伸ばし店を探す。随分と切り替えの早いヒトだ。

「その角の大きさだとたまに痒くならない?」
「なる、なる!」

 隣にならんだセイにシオンは再び肩を組んだ。視線をあちこちにずらし、観察し、警戒しながら店へ真っ直ぐ進む。

「今までどうしてた?」
「爪でかりかりしてた」
「その歪み、石かなんかで削るように掻いたんじゃねぇの〜?」
「ヴ……かいてました」
「ちゃんと整えながらやんねぇと後で絶対後悔するからな。どうせだし良いもん買うか!」
 


 持たされたのは研磨剤、三種類の紙やすりが入った十五枚セット、小さなのこやすり。
「工業道具?」
「ちげぇわ角整えるためのモノだわ。風呂とか水に浴びながらやれよ?その研磨剤ダイヤモンド入ってるから、皮膚には悪い」
「ダイヤモンド?!」
「人工のだから価値は低い。工業用のあのやっすいやつ、知ってる?」
「知らない、ダイヤモンドって作れるんだ」

 どうやって宝石を作るんだろう。やはり魔法?

「そそ、鉛筆の芯を圧縮するとダイヤモンドになるんだよ」

 シオンはしゃがむと並べられた布の中から二つ手に取り、セイに渡した。受け取った黒い布はゴワゴワと繊維が硬く、白い布はふわふわと柔らかい素材で作られている。

「ただの理科……」
「そうそう。ありがたーい科学サマ」

 肩を落とすセイを横見に、立ち上がったシオンは再び商品を探す。
 この店では日用品が取り扱われ、洗剤、美容品、絆創膏やタオル等の衛生品、中には『魔獣避けスプレー』の専用棚まで展開されていた。
 店内は辺り一面木材で広い天井から等間隔に電球がぶら下がり、蔓が綱渡りのように伸びている。一応棚はあるものの物によっては棚から落ちるほど溢れかえり、これでもかとばかりに詰め込まれ、かえって整えられたエリアが異様に目立つ、全体的にごちゃごちゃした店だった。
 先程いた服屋は見た目こそ周囲の店と変わらない出入り口だというのに、中身は床は白く壁も白く電球も天井についていて、金属の棒に吊るされた洋服に、中にはマネキンが全身コーディネートされ、俺が知る服屋と大差なかった。
 シオンは丁寧に並べられた薬、だろうか、瓶にラベルが張られただけの棚を確認し、一つ手に取るとセイに渡す。
 その瓶にはビー玉より一回り小さい透明な玉が敷き詰められ、傾けても音がしなかった。

「これは?」
「栄養がめちゃくちゃ詰まった薬。サラ様から頼まれたから買う。俺から見てもお前、体の大きさに対して角も尻尾も小さすぎるから、必要な栄養が足りないんじゃね?」

 そうなのか、これで小さいのか。
 大人しくついてくるセイに、シオンは内心均衡機関が運営する病院で診断し薬をもらった方がいいのではと考えたが、その病院は悪魔専門ではないと結論付け、思考はすぐに終わった。
 金色の硬貨一枚を出したシオンは銀色の硬貨を二十枚丁度受け取り、袋にいれ、渡された紙袋と一緒に亜空間へしまった。
 さっき服屋で銀色の硬貨を八枚とお札を一枚出してた。今回のおつりはそれの約二倍。金色の硬貨は一体どれぐらいの価値があるんだろう。

「俺たちの種族は角が骨で出来てるから、丁寧に磨けば艶が出るし、死んでも値段のつく財産になる」

 シオンの黒い角を見る。牛のように立派で大きく、わずかに赤が混ざるそれは触ったらツルツルしてそうなほど艶があった。

「安くても銀貨三十枚。ものによっては金貨二枚に届くし、俺のは一本だけで金貨五枚」

 店を出る。肩を組まれる。肩を掴まれる。
 歩き続けるシオンの様子が明らかに可笑しかった。しかし肩を掴む手があまりに強くて顔なんて見れず、ただ、明るい声を聞くことしかできない。

「金貨十枚あれば、天使の魂が食える。それが、俺の命の値段だ」

 煉瓦の上に黒い線が走り、目線でなぞると九十度曲がり、もう一本黒い線と繋がる。
 背後から足音がした。
 気にせず歩くシオンの後ろを見ると、一人、大柄な悪魔がナイフを構えたまま見えない壁に顔面をぶつけ、ナイフが弾かれ、尻餅をついていた。

「だから俺たちは常に狙われる。常に狙われるってことは、先祖代々場数を踏んだ猛者の一匹って事だ。よく覚えとけ」

 シオンは振り返り、悪魔の男が持つナイフに力を込め、黒に覆われたそれは剣となり頭と胴体を二つに分けた。




「お”え”ッッ」

 水がこぼれる音がした直後、荒い呼吸が路地裏で響き渡る。

「ごめんごめんごめんごめんごめんそういうの無理だったとはごめんな、人間苦手なんだな、ごめんごめんごめんごめん」

 一生懸命背中を擦るシオンは口から出てきた溶けかけた固形物を見て、今朝何を食べたのかを推理する。
 表通りで突如として始まった殺し合いで、シオンは見知らぬ悪魔を殺した。その死体は今もなお周囲にいた悪魔たちが骨すら残さない勢いで食い荒らし、ちょっとした祭りとなり騒がしかった。

「同族食わないもんなぁ、そりゃあそうなるよなぁ、ごめん」

 それを目撃したセイは拒絶反応を起こし、胃の中の物を全て吐き出しもはや液体しか出てこない。

「……あくまって、あんな、たのしそうに食べるんだね」

 セイの言葉に、シオンは思考し首をかしげた。

「そうかなぁ?」
「たのしそうで、だから、なりたくない」

 背中を擦った。ゆっくり、擦った。
 セイは産まれたときから、人間しかいない世界で育ってきたと聞いた。つい一昨日まで自分は人間だと強く信じることすらせず、当たり前のように人間として生き、人間に囲まれ、人間の価値観を持ったまま、突然魂は悪魔だと告げられ、悪魔の価値観を目撃した。
 一昨日だ、一昨日まで人間として生きてきた子供が、二日も経たず自分の本当の種族の本能を受け入れ生きるなんて、間違いなく過酷だろう。無理だとは言わないが。
 慣れろ。お前がいま拒絶している姿もお前の一部だ。映画でもよくあるだろ?

「あっそ。とりあえず、立てる?水飲も水、吐くと口の中気持ち悪いしさ」
「悪魔」
「俺は悪魔だけどちゃーんと名前がありますぅ〜」

 立ち上がったシオンに、セイは腹を立たせながら立ち上がる。
 あっそ。ってなんだあっそ、って。こっちは同族食ってるあの悪魔たちのようにはなりたくないって心に決めたのに。

「捕まれ、逮捕されちまえ」
「殺した程度で捕まらねぇって」

 またしても飛び込んできた悪魔の常識に、セイは疑いの目を向ける。その目の意味はなんだとシオンは考え、まさかと、降りてきた疑問を投げ掛けた。

「人間、誰か殺したら逮捕?」
「うん」
「えっえっ、じゃあさじゃあさ、誰かの財布奪うのは?」
「逮捕」
「家燃やすのは?」
「逮捕」
「商品の盗みは?!」
「逮捕!」
「こっちじゃ盗みは最悪死刑!」
「なんで?」

 二人は互いに意味がわからないと視線を向け、シオンは歩きながら水が売ってそうな店か食欲が満足しそうな飲食店を探す。

「盗みってのは経済を守るためにパン一個でも盗んだら逮捕、繰り返したら死刑なんだよ。あと店で買った小麦を割高で売る転売とか、機械を導入しすぎても場合によっちゃあ死刑、この前ニュースで小さな会社の社長が死刑になった話が流れた」
「意味わかんない。えっ、意味わかんない」
「俺からしたら当たり前なんだけどな」

 シオンは目についた黄泉の国式の焼き肉店の前で立ち止まり、久しぶりに肉だけをたらふく食いたいと胃袋を掴まれた。

「焼き肉!食おう!」
「俺さっき吐いてたの知ってる?」
「知らん!食おう!」





 
 香ばしい臭いが漂っている。
 肉が網の上で焼かれている。
 しかし、網の下では炭と炭の間で拳サイズの幼虫らしき生き物が蠢き、体に炎を纏わせていた。

「これ焼けてる、ぞ。ほら食え」

 小皿の上に乗ったネギ塩ダレの肉を箸で取り、視界なんて気にせず勢いよく頬張る。

 うっま。

 白米を頬張り海草と卵が入ったコンソメスープを飲み、ああなんて美味しいんだろう!視界さえ塞げば最高だ!

「酒飲みてぇー!でもまだ勤務時間ーッ!」
「おもいっきりごはん食べてるのに勤務時間なの?」
「そうだ。子守りするだけで金が貰えるんだ、これ以上楽な仕事はないね。だからこそやっちゃいけないことは守らねぇと」

 シオンは時計を見た。
 時刻は午後四時五十二分。今日の勤務は五時までだ、あと八分待てばいい。

「契約したからには仕方ない。調べたら勤務中と、勤務開始六時間前の飲酒はどの種族でも禁止されてた。守る俺偉すぎるわ〜ッ!」

 もごもご、もごもご、セイは気にせず米と肉を食べ、自分でもトングを使って焼き玉ねぎとカボチャと、なんの生き物か不明の肩ロースを皿に乗せ、タレを絡めて口へ運ぶ。
 美味しい。

「なぁ、東陸出身みたいな顔立ちしてるけど、それ先祖返り?ただの遺伝?」
「?」

 先祖返りってなんだ?いでん、って、遺伝子のことだろうけど、どういう意味だ?

「……まあいいか。それより、人間の価値観についてもう少し俺は詳しく知りたい」

 氷が入ったグラスを持ち、口をつけ、冷たい水を腹に入れる。

「シオンは人間が好き?」
「食い物としては好き」
「聞いたのが間違いだった」

 セイはシオンを見た。まだまだ知りたいことが沢山ある。

「逮捕すんのってやっぱり警察?」
「うん」
「警察は何で動いてんの、やっぱ税金?」
「うん、税金」
「てことは、警察が住民の暴力装置ってやつだ昔先生が趣味で話して」
「違う」

 シオンは笑った。
 セイの顔は曇った。

「警察は、人を守る人達だ」
「それはその通り。俺の実家売店なんだけど、監視カメラなんて一つもついてないのに警察のおかげで盗難されたことねぇから」

 セイの顔が緩んだ。
 どうやら尊敬するヒトが警察らしい。父親か母親が警察なのだろうか、それなら怒ることもある、それで怒れる子供なんだ。

「そこで機能してる分!俺は財布盗んで貯金してるけどな!ひはは!」
「貯金って言わないしやっぱりなんかしてたな、捕まれ」

 肉を食べるセイを眺め、時計をちらと見て、通路に手を伸ばし店員を呼んだ。

「八番注文しまーす!はーい!八番席!八番注文しまーす!」
 額に一本白くて小さな角を生やした、悪魔というよりかは鬼に近い女性が、紙とペンを持って机の前に立つ。
 日本人にしか見えないな。

「ご注」
「プレミアビール!ニンニク!プレツェンル!お願いします」

 店員の言葉はシオンの言葉で書き消され、お前はと視線を向けられる。

「……お水と、阿吽のレバーください」
「以上で」

 シオンは上機嫌に肉を並べグラスの中身を飲み干した。

「気を付けろよ、この国の法律でしかなぇから。天界で盗んだら即逮捕」
「やっぱり逮捕されるほどのことなんじゃん。で、結局お酒飲むんだ」
「勤務時間終了です〜」

 律儀と言えば律儀だが、どうやら『契約した内容』しか守らないらしい。扱いやすいようで扱いにくそうなヒトだ。

「魔法って無いの」
「見せただろ?」
 どれだ、いつのまに使ったんだ、まさか。

「詳しく言うと、あの黒い線は魔法の中でもただの”魔方陣”に分類される。本当の魔法は、ハーブやら石やら悪魔や天使の体の部位使って巨釜で混ぜて、専用の紙に専用の絵の具で式を書いたり、星の動きや月の満ち欠けに合わせたり、だからめちゃくちゃ高価で難易度が高いんだよ、魔法ってのは」
「……薬?」
「薬も作れるし、物に色んな力を籠められる。コレとか魔法で作られたもん」

 コトンと、シオンは昼間セイにかけた香水を見せる。
 ガラスの瓶の中には透明な液体が入っていた。ラベルが張られているが、どこにでも売っていそうな見た目をしている。

「これは臭いを完全に悪魔にしてくれる香水だ。ただの臭い付けでもないし臭い消しでもないから、一個で銀貨十枚もかかる。たけぇんだよ本当、一ヶ月の給料の四分の一なんだから」

 銀貨四十枚が給料で、銀貨八枚あれば服が二十三枚買えて、金貨一枚払って二十枚のおつり。んで、天使の魂とやらが金貨十枚。

「銀貨百枚が金貨一枚?」
「そ、そう!そう!よく分かったな」

 勘で言ったら当たった、やった。

「ふふふは、これからは、俺の給料は一月で金貨五枚だけどな、ははははは」

 嬉しそうだが顔がどう見ても悪巧みしている。
 女の子みたいな顔立ちしているからてっきり女の子かと思ったが、コイツもどうやら男らしい。これからは見た目で性別を判断するのはやめておこう、最悪とんでもない事故が起こる。

「お待たせしました」

 ゴトンと、両手でないと持てなさそうなビールジョッキと水の入ったグラスが置かれ、頼んだものが全て机上に並んだ。

「ありがとうございます」

 片手で取っ手を掴み持ち上げると勢いよく飲み、飲み、飲み·······いつ呼吸するんだろうか、半分まで飲んだところでぷはぁと満面の笑顔を見せ肉を頬張り、また飲み。

「は、は〜ッ誰かの金で食う焼き肉うめぇ〜……!」

 その笑顔と言葉に思わず肩を揺らしたセイは、グラスを手に取りストローで水を飲む。
 飲み物が書かれたメニューを見ると、水一つで謎の記号の後ろに銅貨一枚と記されてあった。
 街の中でもそうだったが、見る文字は日本語で書かれたり数字も見知ったものだが、たまにどこの国の言葉か全くわからない文字が目に飛び込んでくる。
 シオンの言葉は日本語で聞こえる。しかし、たまに言葉が全くわからない時があった。
 どうなっているんだろう、この国は、この世界は。美味しい肉たちが夢だったら少し悲しいが、早く覚めてほしい。

「俺シオンの介護できないからね」
「大丈夫大丈夫、今日は三杯だけにするから」
「ほんとにー?」
「ほんとにぃ〜」

 酒を飲んだ大人は信用できない。一杯だけと言っておいて、結局八杯は飲み酔い潰れる親を何度見たことか。

「魔法じゃないけどさ、近いうちに能力の使い方教えるから、その辺は楽しみにしとけ」
「使えるの?!俺も?」
「体の周りに電気発生させる人間がいるかぁ?」

 笑顔で問うシオンに、セイはタレの入った容器を眺め再び赤い目と視線を合わせる。

「居ない」
「俺もおんなじ性質だから任せろ〜、しかも先生が居るなんて特別待遇だからな理解しとけー」
「うん。分かった。酔ってる?」
「あぁ?!酔ってねぇわー」
「酔ってるね」

 鼻と頬が赤くなってるし、言葉もどこかふんわりとしている。
 セイは窓を見た。恐らくこれが夜なのだろう。空は相変わらず曇り空だが一時間前と比べると深い色を見せ、商店街の電灯が辺りを灯し、昼間よりも悪魔が増えている。

「あ!明日休みじゃなかったくっそ〜まぁいいかぁ」
「だから悪魔が沢山いるんだ」
「そりゃあ明日サバトだし。月に一度、第四週目の土曜日はみーんなお休み、観光地とかはあいてるし、みーんな遊びにいく。第七天国は特にいいぞその日は入国料がかかんねぇから。は!俺もう払わなくていいのか!やった〜さいこぉ〜!」

 シオンは随分と上機嫌に酔っていた。
 セイはシオンに飲みかけだがグラスを渡し、受け取ったシオンは感謝を告げながら全部飲み干す。
 窓を見た。
 大小様々な悪魔が居る。獣や、爬虫類や、時には小人や大きな体の悪魔が通る。
 例えばそこに尻尾を揺らして角を隠さず歩く自分が居たら、きっと何の違和感もなく溶け込めるのだろう。

 ここが、俺にとって相応しい場所。
 多分、俺でも普通に暮らせる場所。

 きっとこのままこの摩訶不思議な世界で暮らすのが一番なんだろう。
 それでも、同じクラスの友達に会いたいし、昼休みにはドッチボールしたいし、一緒にゲームしたいし、父さんのご飯が食べたいし、土曜日になったら母さんとご飯の買い出しに行って父さんには内緒でいつものプリンが食べたい。
 シオンはメニューを手に取り、ビールの項目を見る。

「あはははは!んぁははは!度数十五パーセントってなにバカじゃねぇの?!そりゃ酔うわぁ」

 シオンは笑い上戸のようだ。
 上機嫌に笑うシオンはビールを飲み干し、肉とニンニクを食べ、チーズを薄く焼いた煎餅のようなものをつまむ。

「やらかした〜やらかした〜鬼め本当に酒豪しかいねぇなぁ〜?なぁ〜?」
「俺に言われても」
「黄泉の国かぁ一回でいいから行ってみたかったんだよな明日いくか〜、あ?いまいけるな?行けるわぁ!んはははサラ様様様に〜呪いあれ〜!」

 呪うのか。いや、それでいい呪ってしまえ。








「来てくれたのは何人?」

 数々の機械が設置され、無機質な床ではコードが波を描き、デスクの上には光で枠組みされた文字の羅列が浮かぶ、モニタールーム。
 デスク前に腰掛けたサラの言葉に、音響機器から女性の声が響き渡る。

「基準時間午前九時から午後七時の来訪者は約六千名。機関内部では約二万名が書類を受けとりました」
「なかなか集まらないもんだね、そりゃあそうか」

 視界の端で黒い手が伸び、書類を持ち上げた。

「うんうん、記憶を失い、人間として生き、再び記憶を思い出すかどうかを最後に生きていた人格が決められる」

 よく知る男の声に、サラは視線を上げ男の赤い目を見た。

「事前に実験が終わったら人間になる前の記憶を無理矢理植え付け、元の人格に戻ることも可能。柔軟な対応だけれど、人間になりたい物好きが任意で百万人以上集まるとは、到底、考えにくいね!」

 男はサラの赤い目を見た。美しい、人間の血液のような赤を。男は褐色の肌を持ち、頬を上げ、癖の強い黒い長髪を揺らす。

「ニャルもそう思うよね、俺もだよ」

 ニャルと呼ばれた男はサラの隣に置かれた椅子に腰かけ、卓上に散らばるお菓子の袋やペットボトルを腕で退かし肘を乗せ内容を確認する。

「僕ならアダムのことを皆に報告する」
「最終手段にしたい」
「僕はサラの意思を尊重しよう。そこで提案をしに来た!」

 立ち上がったニャルはガラスに手のひらを付け、乱立する画面にノイズが走る。一瞬の点滅後、一つの画面がガラスに表示された。

「ルシちゃん」

 赤い髪に金色の鋭い目が一瞬微かに歪む。
 ルシちゃんと呼ばれた男は黒い背もたれに寄りかかり、顎に拳を添え不機嫌そうに低い声を揺らした。

「ニャルラトホテプから話は聞いた。希望者が集まらないそうだな」
「うん、もしかして、ルシちゃんも人間になる?!」
「バカがなるわけがないふざけるな」

 犬歯がちらと見え不機嫌になった男にサラは残念だと眉を下げ肩を落とす。

「えー、多分楽しいよそれなりに、だってさほら人間」
「俺の提案はこうだ」

 背筋を伸ばした男は、無愛想に言葉を並べた。

「俺の国の住民から十万人選んでそちらに引き渡そう。その代わり、お前らのミスで死んだ部下の代わりを二十名寄越せ、そのうちの一人は執事として相応しい人材に育てろ、こっちは特に質を求める。もう一つ、商売に関した悪魔の天界への入国料を減らし、第二から第四天国で我が国のブランド出展許可と、関税権利を”我々が”所持する契約をお前らが取って来い」
「無茶すぎー!」

 机を叩き立ち上がったサラは決断する。

「やってやらぁあ!」

 男は満足そうに微笑み目線を一瞬外すと、音響機器から扉の締まる音が微かに響いた。

「見とけ見とけ俺の外交!ハッハァッ胃がいてぇー……!」

 頭を抱えたサラにルシはどこか早口に言葉を並べ。

「では後程詳しい話と書類を」
「パパー!明日のサバトどの服が」

 突如として切れた通信に、ニャルラトホテプはニヤニヤニヤニヤ歯を見せて笑う。

「たまにああいう事故があるからいいよな通信ってのは」
「醍醐味だよね」

 ニャルラトホテプは次の映像へ切り替え、広大な緑色の麦畑が広がった。
 首をかしげるサラとニヤニヤ笑うニャルラトホテプは音声を聞いて顔を思い浮かべる。

「すまないなサラ、機械の使い方は未だに苦手で」
「大丈夫だよアテネちゃん、音声が聞こえるからいける」

 サラの言葉は届いたが、画面ではそよ風に揺蕩う緑の小麦畑が見えていた。恐らくアテネが設定したホーム画面だろう、案外シンプルだがファイルの名前や多彩なアイコンが丸見えである。

「アトランティスの食用天使を一万人、呼び掛けに答えてくれた妖精たち十万人を三日後そちらへ送ろう。条件なんて要らない、一時休戦を早く終わらせられるならなんだって協力する」
「アテネちゃんありがとう!俺の旅館来てくれたらもてなすからね」
「なら丁度その日極楽旅館に寄るからよろしくな。そうだ、ネクタルを持ってこよう」

 胸を膨らませ頬を上げたサラは今にも笑いだしそうなほど笑顔を見せ、ニャルラトホテプは、どこか呆れた表情を乗せる。

「ありがとう!」
「米の酒を用意してほしい久しぶりに一緒に呑もう」
「うん、うん!ありがとう、また後日ね」

 画面が消え、ニャルラトホテプが手を離すとノイズと共に画面は元の不規則な配列画面へと戻り、彼はじっと、訴えるかのようにサラを見つめる。

「僕が話を持ち込んで答えてくれたのは、二つの国だけだった」

 サラは俯き、目前の乱立する画面のなかから一つ、シオンとセイがアイス専門店で何を食べるか迷い、メニューを指差す姿を見た。

「サラ、君が本気で話せば百以上の国が、世界が協力してくれるはず」

 本気で話せば、か。それってさ。

「アダムのことを、死んだ神々のことを話せって?」
「もちろん、決めるのは君さ」

 影が消えた。頭を動かせばニャルラトホテプの姿はなく、サラは肘を机に乗せ額に手を添える。







 大浴場の天井は高く湯気が顔すら暖め、湯はさらりと熱く、虫の羽をもつ小さな妖精や、悪魔とは違い尻尾を持たない鬼に、頭に皿を乗せた河童らしき生き物が、同じ浴場の中で湯に浸かり全身の筋肉を緩めていた。
 第三地獄、黄泉の国。
 火山が多い黄泉の国では、一つの街に必ず一つは天然温泉があると言われ、生き物が住める街から少し出れば地面は延々と炎が燃え盛り、虫も木も草も花も燃える種類が存在するほど、地獄の中で三番目に熱い国。

「最高······俺もう最高すぎて最高〜」
「銭湯、初めて来た」
「俺も〜」

 シオンは正座したまま頭を背もたれに預け、全身の緊張をほどき顔まで緩めていた。

「上がったら瓶に入った牛乳かヨーグルトをおすすめする、あれはマジでうめぇよ」

 セイの隣に男が現れる。
 黒い目に、右に寄せた長い前髪。

「コウ様が来た!逃げろ!急げッ!!」

 シオンの言葉に合わせ慌てて立ち上がり、走ってでも逃げる者や転ぶモノ、髪の毛の泡を急いで流し出ていくモノ、そのなかで大人しく座り続けるセイと、コウに尻尾を掴まれたシオン以外皆慌てて浴場から飛び出していった。

「かわいいねぇ君、後で俺と寝ない?」
「誰が寝ると思うんですかッ?!」

 コウは尻尾を掴んだまま離さず、シオンも下手に動こうとはせず隙を狙い続ける。

「仕事中に高級焼き肉店行った悪魔はだぁれだ?」
「おおお俺ですなんだよ、わりぃかよ。サラ様から一食ならいいよって言われた上で」

 コウは手を離し慌てて逃げようとしたシオンは立ち止まる。ぎこちなく錆び付いた機械のように首を動かし、セイを見た。
 彼は何故皆逃げ出したのか意味がわかっていないようで、出口とコウを交互に見比べシオンを見た。
 シオンは、セイの隣に座る。

「へぇ?今勤務時間じゃねぇけど?」
「コウ様のとなりに子供を一人で、置いてはおけませんので」
「ひっでぇなぁ!良い、かわいい、男前な男の娘もかわいい」

 セイはなんとなく察した。コウは頭がおかしいだけではない、存在そのものが危険なのだと。

「さすがの俺も未成年の目の前でしねぇよ。安心しろって」

 言い換えれば未成年がいなければするということだ。なんて恐ろしい神だ。俺も逃げられるものなら逃げたいが、いや、逃げずにセイの隣にいれば安全なのでは?

「セイ、今日お前の家泊めて」
「俺の家はないけど、好きに使っていいって言われた部屋ならある」
「泊めて」
「分かった?」

 あの部屋にある大きなベッドなら二人一緒に寝られるし、ソファもあるから大丈夫だろう。毛布も押し入れに二枚あった。

「コウは何しにきたんだよ」
「お前らの様子を見に来た」

 セイは疑いの目を向け、シオンはわずかに胸を撫で下ろしセイの耳元で告げる。

「コウ様は滅多に嘘つかないから安心していい」
「たまにつくんだ」
「セイだって、たまになら嘘つくだろ」
「うん」
「素直でよろしい」

 コウは掌を水面に出し、赤色に輝く鍵をセイに見せつけるように渡した。

「あとこれ、お前用に設定した鍵」
「ありがとう。でもさごめん、今ここで渡す?」
「今のうちに渡さねぇと忘れる」

 だからといっても、ここ風呂場なんだけどな。
 濡らさないよう手を水面から出しながら、シオンの物とは違う形を、持ち手には同じバッテン印がある鍵を、じぃっと観察する。
 重さは普通の鍵だ。見た目も、お洒落というか、海外の古い鍵みたいというか。
 アンティークなそれを指先でくるくると回す。

「濡らしても平気だし、マグマのなかに落としても溶けねぇよ」
「そうなんだ」
「すごいな」

 セイはじっと鍵を観察し、今度は水のなかに入れくるくると回す。

「移動できるのは機関内部と、天国と地獄の限られた場所だけだから」

 回していると突然姿が消え、どこだと探せば手のひらの上に鍵が現れた。もう一度消えろと思えば消え、出てこいと思えば現れる。

「すげー!え、すげー!」

 よしよし、ちゃんと機能してるな。
 浴槽の外で腕を広げたコウは後頭部もつけ、天井を真っ直ぐ見つめる。そこには動く浮世絵が描かれ、ゆっくりゆっくり、側面の壁へと移動していた。
 シオンはコウを睨みながら警戒する。自分で滅多に嘘はつかないと言ったものの、心の底から信頼していい神ではない。

「たーのも〜!」

 ガラッと戸を引き現れたサラは全裸で湯に飛び込んだ。
 温泉の波が頭まで濡らす中で、シオンは微笑む。
 コウ様はサラ様が大好きだから、これでもう襲われることはない。

「小学生かお前は!」
「俺に裸見せてくれたの二十一年ぶりだな!愛してるッッ!」
「コウちゃんお金払った?」
「行ってきまーす!」






 光の粒だけで作られた画面に触れ、ガラスの板も液晶もなく操作し明日の予定を確認する。
 明日は朝九時から午後三時まで雑務を任される。昼休憩は一時間、研修期間なので就業時間は五時間。集合場所はホーム。
 ホームってどこだ、鍵にお願いしたらそこへ行けるのか?
 読み進めていくと見知らぬ場所でも鍵が自動的に判断し、そこへ扉を繋げてくれるようだ。
 次の日も雑務、その次の日も雑務、次の子守りは、三日後。
 白いソファの背もたれに腕を乗せ後ろを振り向く。

「セイは明日何すんのー?」

 返事は、無い。だがセイの寝室は電気がついていた。
 立ち上がりセイの顔を確認すれば、目を閉じ、寝息が聞こえ、寝てしまったようだ。
 俺と同い年って聞いたけれど、やはりセイは二歳の子供だ。人間の成長はとても遅いという話は本当らしい。
 スイッチはどこだろうと壁を視線でなぞり、左手側にあったそれを押すと電気を消した。リビングと寝室の境界にあるスライドドアを二枚動かし、隙間なく並べ一息つく。
 俺も寝るか。雑務とは書いてあったが事務なのか肉体労働なのかさえも分からない以上、早めに寝るのが一番だ。
 振り向き、全身の筋肉が強張る。

「シオン」

 玄関を見る、体の向きを変える、リビングと廊下を繋ぐ扉が閉ざされ、今いる部屋に一度だって感じたことのない力が充満した。
 髪の毛が逆立つほどの気配、六感全てがざわめき少しでも気を抜けば伏せてしまうほどの、暴れる尊崇心。
 目を閉ざしコウがいた箇所をみる。見たら終わりだ精神が汚染され俺が壊れてしまう。

「コウ様、いや、歩くワイセツ物……!」

 立ち上がったコウにシオンは手に武器を出そうと思い描く。しかし、亜空間にしまったハズの物が出てこない。鍵を出そうとしても、出てこない。

「いいねぇ、威勢の良い悪魔って本当」

 景色が変わる。キングサイズのベッドが置かれた高級ホテル、否。

「かわいいよな」
 





 数々の機械が並ぶ。
 無機質な床の上でコードが波を描く。
 デスクの上には光で枠組みされた文字の羅列が浮かんでいる。
 巨大なガラスのその向こうでは、今日も青白い球体が部屋を照らす。
 その日は空のペットボトルがボーリング場のピンホールのように並んでいた。それ以外、特に変わらない。
 いつもの光景。
 いつものモニタールーム。
 いつもとは違う、サラの机上。
 椅子に座っていたサラは足を開き、太ももの上に肘を乗せ自身の頭を掴んでいた。なによりいつもと違うのは、後ろで結んだ髪をほどいていた事。

 俺は、またサラの異変に気がつけなかった。

 コウは拳を握りしめ、爪の先から赤い血液が流れる。彼は椅子に座ると流れた血液を濡れたタオルで拭い、綺麗にした事を確認する傍らで、何が起こったのかを理解した。

「サラはさ、何よりも美しい、誰よりも皆から慕われた素晴らしい神だと、俺は思ってる」
「俺は人間だ」

 サラは否定するも決して顔を上げない。呼吸すら止まっているのかと疑うほど肩は上がらず呼吸も聞こえず、だが、耳だけは傾けているようだった。

「分かってる。分かってるけど、皆サラの事を『神』として認めたから、サラは神なんだ。綺麗な、美しい神なんだ」

 コウはいつサラが顔をあげてもいいようにじっと、脳天の髪の分け目を見る。
 分け目が星の形をしていて、ああなんてかわいい。それすらかわいいなんて本当、愛してる。

「俺は大勢から恐れられた神の一柱だ。ついさっきもセックスしたし、何人とセックスしたか覚えてねぇほどクズな神だ。だから、きたねぇ事は俺が全部やる。俺が間違いを犯した神になる。サラが史上最高の神になれるなら、俺は史上最悪の神になってやる」

 サラは、動かない。

「これまでも、これからも」

 サラは、動いてくれない。

「俺に穢いもんを全部背負わせてほしい。それが、俺の望み」

 サラは、目を、目だけでも向けてくれた。

「明日、生放送しよう。俺の代わりに、ガブリエルたちを呼んできてくれない?」
「もちろん、俺の神様」

 コウは笑った。幸せそうに、笑った。





 漢字、苦手なんだよな。
 セイは鉛筆を動かし、漢字ドリルをちらと見てから、次の漢字を繰り返し書き続ける。
 今朝起きて顔を洗おうとしたとき、リビングの机には漢字と算数のドリル、筆記用具一式にA4のコピー用紙、国語と算数の分厚い教科書が置かれていた。
 セイはちらと、隣に座り算数ドリルを開き、真っ白な紙に式を書くサオを見て、また紙とドリルの問題を見る。

「······文章問題、苦手?」
「苦手。何千年も前から苦手」

 コウと瓜二つのサオは、どこかゆったりとした動作でセイを見た。
 サオの顔は、右側がほとんど黒い火傷で覆われている。長い前髪はそれを隠すためにあるのだろう。
 顔立ちは大人。身長は大人。思考も大人。

「俺、小学四年生までの勉強しかできない」

 しかし、頭脳は自称小学四年生。
 セイは一度立ち上がり椅子をサオに寄せた。
 再び座り一度自分で解いてみて、前のページを捲り確認する。

「このあたりできる?」
「……」

 サオさんは首をゆっくり横に振った。

「このあたりは?」
「少しできる」
「0.1って、分数にすると?」
「……」

 固まったまま動かなくなってしまった。本当に苦手らしい。
 セイは紙に円を描き、十字を描くように二回線を引いた。

「これ何分の何?」
「四分の一」

 次に細長い長方形を描き十等分に分けた。

「これは?」
「……十分の一」

 筆箱から定規を取りだし、見せるように机に乗せ鉛筆で指し示す。

「これが一センチ。この小さなやつは?」
「……十分の一センチ?」
「を、小数にすると、0.1になる。2.1たす5は?」
「2.6」

 答えは『7.1』だ。これはもしかしたら、もっと前から振り返らないといけないのかもしれない。
 セイは厚みのある算数の教科書を手に取り、四年生から三年生の範囲のなかで小数のページを開く。
 やらなきゃいけないことはある。でも、サオさんには教えたかった。教えなきゃいけないと思った。
 図を使って、言葉を使って、何が分からないのか確認して、一つ一つ理解して紙に書いて計算して、時には目盛のついたコップやペットボトルに目盛を書いて使って説明して。セイは何度サオが同じところで躓こうとも一緒に考えた。自分で説明できなくても考えた。

「そう、そう!サオさんできたじゃん!やったね!」

 セイは掌を見せた。サオはどこか戸惑いながら、はにかみながら、互いの腕を交差させる。
 一緒どうして腕をと思ったが、そういう文化なのだろうと強く押し返す。

「ありがとう、またできるようになった」
「また?」
「セイの宿題、終わってない……?ごめん」

 表情の変化は少ないが、サオは申し訳なさそうな声を出して伝える。

「いいよいいよ、俺、教えるの少し好きだから」

 セイは机上で散らかった沢山の式や絵を書いた紙を一つに纏め、疲労感はあるものの、急いで自分のやるべきことを片付ける。
 サオは時計を見た。今は、午前十二時頃、あれから三時間は教えてくれたようで、急いで立ち上がり昼食の準備を。
 音が鼓膜を揺らす。
 突然聞こえたリズミカルな音にセイはなんだなんだと辺りを見渡し、サオは机上の真ん中に画面を出した。そこには数字が表示され、一秒毎に数字が小さくなっていく。

「今のは緊急生放送の合図。それも、他世界にも伝えられる、ガブリエル放送の合図」
「がぶりえる?」
「サラと契約をした天使たち。ガブリエルだけは七人居て、世界にサラの言葉を伝える役目がある」

 サオは台所へ向かいエプロンを結び直す。

「お昼ご飯は、野菜が中心です」

 ぐにゃりと顔を歪ませたセイに、サオは気にせず調理を始めた。







 真っ白な床の上では複数の照明器具やスタジオカメラが設置され、壁から吊るされたグリーンバックが白へと変色する。

「最終確認おっけ〜」

 ヘッドフォン越しから聞こえた声に、銀髪に金色の瞳を持つ少女は頷き、完成した放送スタジオに満足した。
 長い髪を揺らす少女の元へ、五人の同じ顔をした少女が、円を描くように集まる。
 一人は長い髪に白に黒のラインが入った、クラシックワンピースを着ていた。
 一人は長い髪を後ろに纏め、黒いスーツに黒縁メガネをかけ。
 一人は短い金髪でクラシカルロングメイド服で身を包み。
 一人は短い髪に黒い生地に金の刺繍が入ったポンチョを羽織り。
 一人は短い髪に少年のようなシャツとデニムパンツを着て。
 一人は、真っ黒なツインテールに上も下も黒に包まれ、尾てい骨からは鱗状の尻尾が生えていた。

「たぶん、遅れなければ、コウが何かしなければ、二分後にサラとコウが来ます。数百年ぶりだけど頑張ろう」

 同じ顔を持ち、同じ背丈をした、服装も髪型も異なる六人は同時に頷き、少年のような服を着た一人が肩を組むと全員身を屈め腕を交差させる。

「ミスしたら地獄の炎で焼くからね〜」
「やれるもんならやってみろォッッ!!」

 少女たちの声がスタジオで反響した。
 物騒な掛け声の直後、六人は各々配置に着き一人はホワイトバックの前に立つ。
 クラシックワンピースを着た少女は目の前に置かれたカメラを見る。

「あのさぁ」

 カメラを操作する黒髪の少女は体を傾け、スタジオの中央にいる少女と目を合わせた。

「放送するって言われたから準備したけど、最近天国か神界でなんかデカイことでもあった?」
「ない」
「ないね」
「そっちは?」

 黒髪の少女は少し考え、やはり思い当たるものはなかった。

「それが地獄もなんも起きてないんだ。大きな災害もないし、亜空間の異常もいつも通り」

 はっと、スタジオの中央に居た少女が口を開く。

「そういえば昨日サラが人間になりたいヒト集まれ〜って言っていましたね。詳しいことはまだ聞いてませんが、準備を整え次第私達にも話すって。それを今回他世界にも伝えるのではないでしょうか」
「でも順序おかしくなぁい?まず私達に知らせんじゃん?」
「それはそうですけど······」

 出入り口の扉が勢いよく開かれた。

「ガブリエルちゃんたちありがとーうッ!」
「よろしく〜」

 サラとコウがスタジオに入り、ガブリエルと呼ばれた彼女たちは手を振ったり会釈したり親指をたてたり、各々反応を示す。

「放送三分前」

 黒髪の少女が告げる。
 クラシカルロングメイド服を着た少女はモップのついたマイクを構え、カメラの隣でしゃがんだ少年のような少女がテロップを構える。
 






「はじめましての方ははじめまして、一番目のガブリエル”リリー”です」

 褐色の肌を持つ男ニャルラトホテプは、静まり返った酒場のテレビを見上げた。

「今回もガブリエル放送では重大発表を行います。皆様、各自文化での礼を行い耳を傾けてくださいませ」

 数百年ぶりに聞いた定型文に、酒場に居る悪魔たちは軽く会釈するだけで各々会話を再開させた。しかし、今日はめでたいサバトの日ではあるが空気はどこか緊迫し、誰もが画面が気になって気になって仕方がないようだった。
 画面が切り替わる。
 サラと、コウが映し出された。

「おはよう!こんにちは!こんばんは!はじめまして!久しぶり!現在基準時間午前十二時三十分!」
「んで今年は三千二十五億年、二月二十二日〜、ガブリエル放送第、七回目!はい、おめでと〜う最悪なことおしらせしまーす」

 間違いなくテロップを読み上げ、なんの起伏もない声色でゆったりと拍手をするいつも通りのコウに、ニャルラトホテプは耐えきれず口許を押さえ、ぷるぷると肩を震わす。

「コウ様めんどくさそうだな」
「身構えてたのが馬鹿馬鹿しい」

 コウは右手を空へ向け手を軽く握ると、金色の鍵が現れた。
 サラがぎょっと目を開き、コウと視線を合わせた時には黄金に輝く檻の中。

「コウちゃん?!」

 画面の中では檻を叩き、蹴り、拳を鉄格子にぶつけるサラと、それを両手で押し画面の左奥へと寄せたコウの、随分と清ました顔が写る。
 サラは檻のなかを水で満たし、火で炙り、雷を発生させ、更には工業用ペンチまで取り出して脱出を試みるも音が一切伝わらず、叫んでいる動作しか確認できなかった。
 酔っぱらいしかいない酒場でさえ、その異常な光景に視線が集まる。

「ガブちゃんたちは落ち着けってなんの攻撃もテロもしねぇよ!神との約束だ!分かったな?!」

 恐らく、ガブリエルたちがコウに対し最大限の威嚇を示している。
 そして、コウがガブリエルたちへ”神との約束”を宣言したということは、これは計画的なものではない。彼が勝手に行っている予定外の事態。
 コウはホワイトバッグに背が当たるまで下がると鍵を白い床に刺し、『最高権限ZO3:解錠』の黄色く発光された文字が画面に収まりきらないほどの大きさで表示された。
 白い床から扉が五つ現れ、正方形のガラス容器が下から天井へと浮かび上がる。

「見てもらった方が早い」

 コウは一番右手のガラスケースの上に手を乗せた。
 そこには、人の形をした手が一つ。

「まずはコレ、最高神ゼウスの左手」

 ニャルラトホテプは察してしまった。
 酒場は、全員息を飲んだ。
 コウは右から二番目のガラスケースに手を乗せ、愛しそうに、どこか切ない表情を見せながら撫でる。
 そこには、青く揺らぐ小さな種火。

「次、たった十五パーセントしかない、スサノオノミコトの魂」

 コウは中央のガラスケースに手を乗せる。
 そこには、豹柄の動物の肉片。

「豹の聖獣に変身した、テスカポリトカの残骸」

 コウは次のガラスケースに手を乗せる。
 そこには、真っ白な動物の太股。

「白虎の左足」

 コウは最後のガラスケースに人差し指を添え、元気していたかいと問うように二回叩いた。
 そこには、巨大な虫の触覚。

「ベルゼブブの触覚」

 コウは鍵を手にすると、それらを扉の向こうへと戻し、閉めた。
 腕を組んだ彼は一つ大きな息を吐く。
 彼自身、顔を歪ませながら。

「ご覧の通りこいつらは全員死んだ。魂が残っていたのはただ一柱、スサノオノミコトだけ」

 ニャルラトホテプはサラを見た。彼は鉄格子を握ったままうつむき、動く気配が見られない。

「神は死んだ!名だたる天使も悪魔も妖精も巨人すらな!!数えきれないほどの奴等が死んだ!三千万の多種族混合軍隊が、死んだ!」

 ニャルラトホテプは、机上に金貨を二枚置いて酒場のベルを鳴らし、外へ出た。
 各地に点在する均衡機関が設置した中に浮かぶ巨大スクリーンに、街を歩く悪魔は全員目を奪われている。

「原因は誰かも教えてやろう。俺たち、原初の四柱の魂を持つ最初の人間───アダムだ」

 アダムは死んだ。三千億年よりも前に、死んだ。
 それが常識だった。常識すぎて、誰もがそれを常識とは思わないほど。

「死んだって話を世間に流して、そのアダムを逃がしたのは、俺だ。面白そうだったんだ、俺たちの魂を持つちっぽけな人間がどこまでやれるのか、愚かすぎる好奇心が動いたんだ。そして、結果として、約三千万の名だたる者たちが、死んだ」

 コウはその場で尻を床につけ、足を交差させて胡座をかき、額に手を添えた。

「魂ごと全員消滅した。残ったのはわずか二千人ちょっとの肉体の、どっかしらの部位だけ。皆薄々疑問に思ってたろ、あの万年発情期じじぃのゼウスが、誰かとセックスして子供を残さねぇんだろうって」

 放送禁止用語が響き渡る。きっと、ガブリエルたちも動揺しているのだろう。

「何故サタンの隣にベルゼがいねぇんだって、何故あのアマテラスが同仁会に出ねぇんだろうって、何故アトランティスでポセイドンじゃなくてアテネが指揮してるんだろうって、思ってただろ?」

 ニャルラトホテプは静かな街を歩く。虫一匹すら画面を見ているのかと疑うほど静かな街で、とある神の靴音だけがやけに響いた。

「全員、もう居ねぇんだ。全員、一切の魂のエネルギーもなにも残せず、死んだんだ。それも俺たち、均衡機関のミスで。もう一つ伝えたいことがある」

 ニャルラトホテプは、クスクスと肩を揺らす。

「アダムを一緒に倒してくれるやつら、昨日発表したように人間になってくれ。俺たちがミスをした。だが、俺たちだけじゃあどうしようもない」

 コウは立ち上がった。
 黒い目の元へ大勢の視線が集う。

「頼む。このままアダムが生きていたら、俺たちの世界は全部壊されてしまう。頼む。ほんっと、俺が犯した過ちを許さなくていいからさ、やっすい言葉に聞こえるかもしれないけどさ、頼む」

 黒い目は、ただカメラの向こうにいるあらゆる種族たちを見つめていた。
 ニャルラトホテプは爪先をたて、腕を使って、くるくると回りながら、誰も見ていない街で踊る。
 ああ!ああ!なんて最悪なサバトの日!
 ああ!ああ!なんて悲劇なストーリー!
 世界に絶望をもたらしたたった一人の人間!
 そして、それを変えられる答えは悪魔の魂をもつ人間の子、ただ一人!

「これだから、これだから人間は、面白いッ!!」

 神は笑う。高らかに、高らかに、低い声を揺らして笑う。











 机上の真ん中に置かれた耐熱皿の中には、パイ生地の無いキッシュが残り一人分残され、スープ皿にはコーンポタージュの黄色が微かに残っていた。
 放送が終わり、サオは隣に座るセイを見る。

「俺が、連れてこられたの、って」
「大丈夫」

 サオはセイの肩に手を添え体を傾ける。

「セイの遺伝子のうち、悪魔の力が出てくる原因の遺伝子を使って、用意した人間の身体に入れるだけ」

 セイは手を振り払い逃げるように立ち上がった。

「大丈夫」
「何が?!仕組みは全然分かんないけど、やっぱりお前らも俺になんかするんだろ?!」

 一歩、二歩、三歩と後ろへ下がるセイを、サオは追いかけず見守り続ける。

「もう、その遺伝子は見つかって、これから産まれてくる赤ちゃんになる前の……」
「有精卵?」
「有精卵。それを少しだけ弄って組み込んだから」

 とっても小さな人間になる前の生き物に、こいつらは俺の遺伝子の一部を入れたらしい。それも。

「勝手に?」
「そう、勝手に」

 サオさんはコウの兄だと聞いた。コウは神だからサオさんも神なのだろう。
 背がガラスにぶつかる。後ろを見れば今日も晴天、真下には雲。部屋のなかをいくら移動したって、外へ飛び出したって、俺には逃げ場なんて無い。

「でもさ、セイには何の関係もない、赤の他人ってやつだ」
「お前らは本当に勝手だ!何もかも勝手だ!」
「どうして?」

 サオは無表情だ。いつだって、ほとんど顔が変わらない。分からない。

「人の身体から何か取って他人に植え付けたんでしょ?!」
「うん」
「身勝手だ!俺はいいよなんて言ってない!」

 サオは首をかしげる。
 分からなかった。セイは何に怒っているのか、何一つ分からなかった。

「もしかして、痛かった?セイの口の内側にある、うすーい皮を取ったと思うけど、痛かった?」
「それを、そういうのを、勝手にやんなって言ってんの!!俺だけじゃない他人まで巻き込んで!」

 サオは頷く。言っていることは理解した。だが、何が言いたいのかは分からなかった。

「勝手にやらないでほしいってのは分かった。でもどうして勝手にやらないでほしいの?他人と言っても、そこにはまだ魂が入ってない、そこらにある金属やただの雑草となんら変わらないのに。教えて、金属に熱を加えて引き伸ばして加工するのと、有精卵の遺伝子を組み換えて加工するの、何が違うのか」

 セイは、理解した。理解してしまった。
 コイツらは人間ではない。人間の価値観なんて通用せず、彼らは人間の道徳など持っていないのだと。
 サオはただセイの気持ちが知りたかった。何に怒っているのか、何に対して恐怖しているのか知りたかった。大人として、対処できる恐怖を取り除いてやりたかった。

「生き物に、なるんでしょ」
「うん」
「その前の物も、大切にしないと」
「やがて生き物になるものは大切にしないといけないなら、木は?長い間生きた木には、魂が宿る。人間だってこれから魂が宿る木を殺して、自分達の手で都合よく家の材料にしてる。この机だって、やがて生き物になるハズだった」

 サオは左手で机を撫でた。死骸の上でご飯を食べることにセイは拒絶していないのに、まだ生きていないただの有精卵を利用することに拒絶する理由はなんだろうと、黙ってしまった彼の言葉を待ち続ける。

「······人間には、魂、見えない、から」
「それは言い訳だ。それが通用するなら、魂が見えない有精卵も、セイも、殺したり加工してもいいことになる」
「なら、お前らは俺の身体を勝手に使ってる」
「生き物は魂が入った動物を無理矢理殺して食べる。でも俺らがしてることは本人を殺してなんかいない、むしろ、快適な場所と、勉強できる機会だって与えてる」

 ふと、思い付いた。怒るほど自分の遺伝子を使われたくないようだが、これなら子供でも分かりやすく理にかなっているだろう。

「対価はそれだ。セイの特別な遺伝子を対価ってやつにしてるんだ。それがセイの価値だし、ここまで色んなものを与えるのは当然で」
「もういい」

 セイは寝室の扉を閉ざす。
 彼が何に対してそんなに怒っているのかサオには分からなかったが、野菜たっぷりのお昼ご飯をちゃんと食べていたことと、サラから言われたセイへの宿題を終わらせたことを確認し、食器を持って片付けを始めた。
 もう少し知りたかった。もっと、理解してあげたかった。しかしどうも、更に怒らせるだけだった。
 そこは子供だからいいか。俺に対して怒っているのか、答えが見つからない自分に対して怒っているのか、それともサラに怒っているのかすら分からない以上考えたって仕方がない。なにより、精神が未熟な子供に振り回される大人なんて、子供がかえって不安になりやすいものだ。




 
 居ない。
 居ない。
 ······居ない。
 どこまでもどこまでも広い機関内部で、恐らく彼が居るであろう場所へ扉を出しても、出しても、出しても、あの白い髪はどこにも見当たらなかった。
 癖の強い茶髪から一束生えた特徴的な癖毛を揺らす男は、もう一度ドアノブに手をかける。

「サオーッ!」

 見知らぬリビング、ここは、機関の寮か。
 男は扉を閉ざし物音がした台所を見ると、そこには求めていた姿と。
 あまりに強い、人間の臭い。

「ウリ!帰って!」

 サオは廊下奥の扉を指差すと同時に、寝室のスライドドアからうすらと顔が覗く。

「誰?」
「い”や”あ”あぁぁぁああッ!!!」

 廊下を走り滑り転び、背中から飛び出した翼がバサバサと暴れ黒い羽が舞い散った。

「ぢぇーんろッぐああああ!」

 開かないドアに怒声を上げる彼はガチャガチャとチェーンロックを外し、飛び出し、通路の壁を向いたままパーカーで顔を隠し、しゃがみ、黒い翼で身を隠す。
 サオは、額に手を添え、長い長いため息を吐き出した。
 セイは開いた扉の向こうにいる黒い翼を持つ生き物を見て、サオを見て、また翼を見た。
 烏のような、黒のなかで紫と青がキラキラと輝く綺麗な翼。青と白と黒が交互に宿る眼、それも、片方の翼だけで三つもある少し不気味な翼。

「誰?俺と目を合わせただけで逃げたけど」
「ウリエル。人間恐怖症の、俺の天使」





 サオはセイの肩に手を添え視線を自身の腹に向けさせると、黒い翼に閉じ籠ったウリエルの隣で名前を呼ぶ。

「ウリ、ほーら見て、この子悪魔の尻尾が生えてる」

 ウリエルはそっと、羽と羽の間から青い目を向けた。
 照明で照らされた黒い鱗。光の加減では緑色の光を反射し、尾先には包丁のような返しと小さな突起物がついている。視線で尻尾をなぞるとそこには子供の背中があり、ここからではうまく見えないが、黒い角がちょこんと生えていた。
 すんすんと、鼻を尻尾に近づける。
 人間の臭い、人間の、臭い、やはり人間の臭いしか感じない。ハーフでも悪魔の血を引くものでもない、ただの人間。
 力を使って胴体をもう一度見る。魂は、悪魔だ。

「魂は悪魔、体は百パーセント”人間”の」
「嘘づぎい”い”いいッッ!」

 ウリエルは姿を消した。と思ったら、真っ白な廊下の先にあるエレベーターに移動し翼を広げサオに威嚇する。

「ダメだったかぁ」
「百人間じゃねぇかじゃあ人間だわバカ野郎!怖くないとでも思ったか怖いわビビったわ失禁しかけたわ返してこいそんなものォッ!」
「天使って黒い羽のヒトいるんだ、茶色もいる?」
「悪いか黒くて好きで黒いわけじゃないわ生まれつきだわ死ねぇ!苦しんで死ねぇ!」

 軽く十メートルは離れているというのにあの人は俺の言葉が聞こえていたのか、地獄耳だ、すごい。
 サオは肩に添えた手を下ろし、やはり人間との混血ではハーフが限界らしいとウリエルと目を合わせる。

「セイ、ごめんね呼んで、ちょっと待ってて」
「わかった」

 サオはウリエルの元へ足を進める。孔雀とは違うが、翼を大きく広げ威嚇し続ける彼と、ただ目を合わせるだけで何も話さない。次第にウリエルの威嚇は解除され、サオがウリエルの隣にならんだ頃には、翼を背にしまっていた。

「これから、体は人間で魂は別の種族が、機関内部で増えていく」

 サオはウリエルの隣でしゃがむと、壁に寄りかかるウリエルは膝を曲げて腕を乗せる。

「慣れろって?」
「うん」
「まず順序ってのがこの世にはありまして、四分の一他種族でさえ怖いのに一分の一人間とかちょっと俺には早すぎると思うんですよね。ほらついこの間だよ?ハーフならギリセーフになったの」

 サオは頷き、ウリエルの青い目を見続けた。次第にウリエルは視線を下げ目前の照明が入った溝を左右になぞる。
 ふと、気がついた神と天使が立ち上がる。一拍置いて、床から一メートルほど離れた壁が端から端へと段階的に消え、外から冷たい風が入り込む。
 セイは現れた手すり壁に身を乗りだし首の皮が伸びるほど見上げ、どこまでも高い木の幹、どこまでも広がる葉っぱたち、こぼれ落ちる木漏れ日からは暖かい光が差し込み、下をみれば、大地の上で光輝く何かがビル街の照明のようにうじゃうじゃと居るのを確認した。
 更に更によくみると、なんてことだ、空飛ぶ木がこちらに近づいている。
 セイの視界が揺らぐ。
 走るサオの脇に抱えられたセイは尻尾を天井に向けた。

「世界樹?!ねぇあれ世界樹?!」
「よく知ってるね、そう、ユグドラシル。あいつらは機関から特別に世界渡航を許されてるから、一瞬でこっちに来れる」

 マンションの扉が次々と開く。
 人の形に近い生き物たちは通路から飛び出す。
 翼を広げどこかへ逃げていく者。
 真っ直ぐエレベーターに向かう者。
 翼を広げず落下する者。
 行動は多種多様だが、誰一人として扉を使っていなかった。

「サオさん鍵使えない!」
「今は使えない!」

 ユグドラシルの外側は空間の歪みが凄まじい。辺り一帯が電波障害、亜空間移動障害など様々な障害を及ぼす為一時的に鍵に制限がかけられている。
 サオは上手く言葉が出て来ず口を結び、手すり壁に飛び乗ると足元が黒に染まった。

「あぁぁぁぁ!」

 サオは、魚雷が如く真っ直ぐ機関本部へ飛躍する。
 音すら飲み込み壁が壊れ、セイは体を撫でる冷たい風に悲鳴をあげながら笑い、目前に現れた扉にサオは一切の迷いもなく空気を壊して進んだ。
 扉が開いた。潜り抜けた。サオはセイを空中に投げ自身を止めることすらできず壁に激突し、レンガと石と埃に埋もれる。

「あは!あはあはあはははは!」

 きゃらきゃらと笑うセイは、翼を広げたウリエルに背中の服を掴まれ、ゆっくりと足から地面に降りた。

「あ”ーッ!あ”ーッ!ねぇ俺帰っていい?!ねぇ俺帰っていい?!」

 天井に足をつけパーカーの中に翼をしまったウリエルは四つん這いのまま訴えるも、サオは何食わぬ顔で瓦礫を片腕で押し、立ち上がり、何も言わずウリエルを見る。

「なんか言えって心のなかでもいいからさぁ」
「ウリありがとう!」
「ウリエルさんありがとう今のすっごく楽しかった!」
「どぉいたしましてぇえ”?!帰っていい?」
「ダメ。サラがウリも一緒にいてって」
「サラ様がぁ?」

 ウリエルは、四つん這いからうつ伏せになりセイを掴んだ左腕を伸ばすと、右腕を枕に大人気なく泣いた。

「サラ様が言うんならもうやるしかない、ッは〜〜ぁぁ”あ”!帰りてぇよぉ〜、帰りてぇよぉお”!帰らせてよぉ……」
「ものすごく嫌がるなあのヒト」

 俺を掴んだ手でどこかに触れたくない程、本当に人間がダメらしい。
 気持ちは少しだけ分かる。俺は虫が苦手だし、最近知ったが内臓が見えてしまうものもダメだ。

「人間がいるとよく喋るし、年齢退行しやすいから」

 サオはセイの元へ近づくと隣でウリエルのいる天井を見上げ、どこか楽しそうに告げる。

「解放してあげて……かわいそう、解放してあげて……」
「そういうとこ好き」
「アンタやっぱりコウのお兄さんだね」

 黒いコンクリートに囲まれた空間では壁から広告布が垂れ、化粧品から服に鞄に時計に、ブランド製品を紹介する映像が絶えることなく繰り返されている。
 一直線の通路の両端では黄色い証明が帯のように続き、どこからか電車の通る音が耳に届いた。

「駅?」
「駅。鍵が使えない所だから、結構丈夫」
「鍵が使えないんじゃない、研究所が乱立してるから空間諸々歪めて外部から入ってこれないよう工夫してんの」

 ウリエルはサオが破壊した壁の目の前でうつ伏せになり、時間が巻き戻るように壁が元通りの姿へと戻っていく。
 うつ伏せだというのに当たり前のようにとんでもないことを行うウリエルに、セイは内心すごい!すごい!と興奮が冷めなかった。
 口に出したかったが、それよりも、それよりも。
 セイは首をあげながらとある広告を見る。
 携帯型ゲーム製品の広告映像だ。画面は全て現実を再現した立体映像、動き回るモンスターたちと騎士と思わしきキャラクターが戦い、画面が切り替わる。今度はキャラクターの見た目を細かに変えられる紹介や、どこまでも続く草原を走る馬の映像。
 その隣には、携帯型ゲーム機本体の広告。
 セイが知る携帯型ゲーム機は、ここまで映像が美しいものでも画面が大きいものではない。セイは認めた。自身がいた世界に存在する科学や技術など軽く超える物がこの世界で溢れているのだと、本当に、サラとコウは”神”なのだと。
 通路の先から人々が喋る騒音と足音が響き渡る。

「サオぉ?地上のやつらが大勢こっちに来る、下行こ下、ガブから許可下りたから、そこまで連れていけば俺帰れるからァ」

 ウリエルはサオの腕をつかみ、音のする方とは反対側の通路を指差す。

「セイ!行こ!」

 ちらとサオを見て、ちらと広告を見て、セイは大人しくサオのもとへ近づきウリエルは距離を取る。
 ふいに、ウリエルの鍵が通知音と共に自身の手に現れ、パーカーのポケットに手をいれながら画面を表示させた。

「ウリー、見せてー」

 渋々、嫌々、サオの隣をウリエルは歩きセイを視界に入れないよう画面を見る。

「配信始まった〜?見えてるかー?聞こえるかー?」

 短い金髪に青い瞳を持ち、クラシカルメイド服を着た少女が画面の中で手を振った。隣にもうひとつ細長い画面が表示されると丸いアイコンの隣に文字が並び、下から上へと流れていく。
 見えてる、聞こえる、聞こえる、見えてる、聞こえる········同じような単語が続くと少女は画面を切り替えある光景を映した。


「どうも〜、五番目のガブリエル”ルリギク”だよ、アーカイブは問題なかったら残すから、残ります様にって祈ってて」

 ルリギクは球体の障壁に囲まれた小型カメラを視線の中央右側で浮かし、右手を伸ばせば届く位置に画面を配置し、送られてくる文字を見た。イヤホンのついたヘッドセットを片手で抑えて走り映像をお届けする。
 均衡機関の北側、ゴシック建築が並ぶ死神の街。
 そこではヘリオポリス九柱神の一柱、ジャッカルの頭を持つセトがコウに拳を振るい、避けたコウも拳を振るうと避け、互いに殴り合うものの一向に当たる気配がなく、誰がどう見ても喧嘩していた。

「俺の!ホルスを返せテメェラぁぁあああッ!」
「だぁがら死んだんじゃボゲエ
エエ!」

 ルリギクは笑う。きゃらきゃらと笑う。

「えー、んははは!現在!ブチギレた色んな神や生き物が均衡機関を襲ってます!正当で笑っちゃうわぁもう」

 ルリギクは走り続ける。その奥では腹いせに建物を壊す金色の角を持った鹿や、燃えるからだを持つ赤い孔雀が空から火の粉を散らし、逃げる死神や天使に悪魔と、まさに魑魅魍魎な景色のなか流れる文字を読み上げた。

「『セトとホルスって恋人だっけ?』そう!そうなの!セトとホルスは同性の恋人なんだよ、みんな知ってた?んふふ、甥っ子と叔父さんだよすごいよね」

 爆発。悲鳴。笑い声。
 煙のなかから現れたのは、スーツ姿の男。

「うわ、最悪ロキだ」
『ロキ様!』
『トリックスター!』
『どうせ面白そうだからって来たんだろ』

 ロキと呼ばれた男は姿を消し、直後、杖を構え突撃するセトとナイフを構え突撃するコウの間に入ると姿を炎へ変え、二人は火柱に包み込まれた。

「アホロキがぁぁぁぁぁ!」
「ぢゃぁぁあ!」
「ギャハハハハ!ギャハハハハ!」

 ルリギクは振り向くも、気にせず走り続ける。

「『ルリギク様今日のお昼ごはんは?』この前自販機で売ってた缶詰めケーキ。あれねぇちゃんと生クリーム入ってるし、ショートケーキ味食べたんだけどちゃんとケーキしててビックリした!頭に入ってくる情報と味が違って面白かったよ、エズ銅貨二枚で買えて結構安いのもいいね」
『エズ二枚は安い』
『近所に無いわ』
『企業案件寄越せよ』

 突き当たりのT字路、悪魔が飛び出すとルリギクの目前で転び、彼女は容赦なくブーツで背中を踏みつけ左手に曲がる。

『ルリギク様!』
『ルリギク様ァ!』
『本日のご褒美』

「ありがとうございます!」

 ウリエルは叫んだ。セイは、顔をひきつらせ正気かと疑いの目を向ける。
 ルリギクがたどり着いた大通りでは建物のほとんどが溶かされた形跡が残り、地面は所々亀裂が入り抉られていた。目線の先では黒い龍と泣き叫びながらも剣を持つ金髪の美女が争い、龍の口から吐き出された紫色の液体が美女を狙う。

「旦那を返しなさいよおおお!」
「ヘラ様落ち着いてくれえええ!」

 ルリギルは笑う。きゃらきゃらと笑う。

「均衡機関人員の一匹!ファフニール、バーサス、オリンポス十二神の一柱、ゼウスの妻ヘラ!ファイッ!」
『逃げて』
『逃げろ』

 影が、ルリギクを覆った。
 振り向き、見上げると、空から数々の岩の塊が降り注いでいる。

「霜の巨人が向こう岸から岩投げてる。これは私の担当じゃない」

 ルリギクの目前に黒い戦闘服で身を包み、フェイスヘルメットで顔を隠した一匹の天使が現れた。

「攻天機動隊頑張れ〜!」

 一瞬。
 岩は全て水となり、水となった塊は蒸気となって霧散する。

「さすがっすー!お疲れさまでーす!」
『何?!』
『は?!』
『フンッ』
『今のが我々天使の力です』
『ほらみたか天使舐めんじゃねぇ』
『天使たちが急に結束しはじめた』

 ルリギクは走り続ける。空から霧が降り注ぐも気にせず走り続け、機関で”今”起きている事実を皆に知らせる。
 それが、彼女の役目だからだ。

「あとで改めて文章としても公表されるけど、死んだ神々はね、自ら参戦したんだよ、全員」

 画面を見ていた者は皆ルリギクの声を聞く。建物が壊れる音や、悲鳴に、笑い声に、怒声が混じる中で、皆集中してルリギクの声に耳を傾ける。

「秘密裏に全て終わらせようとして失敗した。それが、五百年前。あたしはねぇ均衡機関が全部悪いとは思わないんだよ、責任なすりつけてどうすんの?じゃあ誰が世界の均衡を保つんだよ祈りでも捧げんの?神が?サラが?神が祈ったら終わりだっつーの、神が奇跡を与えるんだからさぁ」

 ルリギクは、立ち止まる。

「次の策を考えて動いて責任取ろうとしてるやつを怒りの感情に任せて邪魔すんの、本当うちら執行妨害、神がウキんなって猿だけでいいわ」

 ウリエルは、四つん這いになった。

「ルリ好ぎッッ!!推すッ!」

 このヒト本当に天使なのかな。
 セイはウリエルの行動が理解できず、だが、ルリギクが言いたいことは大体理解した。
 ”責任”というのはまだよくわからないが、何かしでかしてしまってそれを償うことが責任であるのなら、邪魔をするのは確かに良くないと思う。
 映像に写る生き物たちはみんな怒っていた。きっと、大切な人が死んでいたと今日知らされて、どういうことかと怒っているんだろう。俺なら怒る。だからといって物を壊すかは別、いや、うーん、俺すぐ物に当たるからな、絶対とは言えないな。俺も彼ら側の生き物だ。
 黒いコンクリートの通路の真ん中、サオは画面を見続ける。

「ねぇ、サオさん」

 セイは視線をあげ、黒い目を見た。

「俺の体があれば、その、解決、できるの?何をしようとしてるかは、まだ、よくわかんないけど」
「……うん」
「なら、いいよ、使っても」
「自己犠牲は綺麗じゃない」

 画面のなかではまた一人、怒りのまま声を荒げ泣き叫ぶ者が居た。

「セイが心の底から協力したいと思うのならいいよ。でも、同情はダメだ。いつか見返りを求める」

 ウリエルは立ち上がり、目線は通路の先を見ているものの、耳だけはサオの声へ傾けていた。

「何があっても誰の責任にはしないって、何があっても見返りは求めないって言うのなら、いいよ」

 セイは黙る。目を泳がせ、迷い、俯く。

「言葉遮りますけどサオそんな喋れんの?!普段ほとんど喋らねぇのにどうした?」

 むすっと、サオは口を尖らせウリエルを睨む。

「俺だって喋る」
「ならもっと会話を試みようよ、心のなかでばっか喋んじゃんもっと喉震わそ?」

 身振り手振り全力で表現するウリエルに対し、サオは無表情でどこか後悔に満ちた表情を乗せた。

「ごめん、ウリなら分かるよなってつい······」
「ならばよし!よくないわぁ!いや嬉しいわぁなら良いわ!」

 上機嫌にウリエルは速足で進み、視線を後ろにずらすと眉の間にシワを作る。
 遠目から見ると悪魔だ。どこからどう見ても悪魔の子供だ。
 この距離なら精神的苦痛度が低いと前へ前へと進む。

「あのヒトはなんであんな人間嫌いなの?」
「昔人間に羽全部切断されて」
「サオさん?」

 ばっと振り返ったウリエルは淡々と話すサオに目を見開き、信じられないと口を開け声も張る。

「加工品にしたかったからゆっくりゆっくり切られて」
「ちょっ、サオさぁん?!」
「目も取られた」
「人間怖い」
「ヒトの過去勝手に話すのやめてもらっていいですか?!」
「調べたら出てくるよ」
「そうですね!」

 はーもうそういうところあるんだからあの神は。小言を溢したウリエルはぶるりと震えた背中に、落ち着かない翼に、ピクピクと勝手に閉じようとする両目に、未だに恐怖で締め付けられている心臓から目を反らすように歩き続け、ようやく行き止まりにたどり着きエレベーターの扉が開くのを待った。

「ウリ〜あと十秒待って〜」
「はーい」

 天井の隅に設置されたスピーカーから少女の声が響く。

「お外すごいよね、まさかユグドラシルの子まで来るとは思わなかった」
「やっぱ子だよなアレ。寮はどうなった?」
「サラがお話しして和解した」
「サラ様万歳」

 扉が開くとウリエルは壁まで歩き、背中をつけしゃがむ。
 セイは石造りの広々とした空間を見渡し、円形の床は全てガラスで、その奥には蛍光色が使われたサイケデリックで線対照の絵画が広がっていた。ドーム状の天井には床から伸びた四つの柱が交差し、中央に球体の電球が嵌め込まれてある。

「エレベーター?」
「エレベーター」
「広すぎない?」
「たまに大きなものも運ぶから」

 『均衡機関』って、全体的にあらゆる物において規模がでかすぎるな。一体どれだけ大きいのかすら予想つかない全体図に、何階あるのか数えられないほど大きいマンションに、おまけに駅まであるらしい。建物のなかに駅だよ、外でも地下でもなくて、浮かんだ島の中にだよ。何それ、意味わかんない。
 サオはルリギクの配信を見続ける。
 未だにあちこちで戦闘が行われ、ついには二つの勢力が争いにまで発展していた。それもただの争いではない。

「左側!ヘラ様率いる”どういうことだオラ”チーム!右側!コウ様率いる”どうか鎮まってくださいボケ”チーム!私が手を下ろしたら戦闘開始です!エズ!ファブ!ライ!ファイッ!」
「いい加減受け入れろババァァァア!!」
「んだと万年性病おおおおお!!」

 ぶつかり合う神々やその他種族の戦争に、セイは無表情で呟いた。
「やっぱ、一回世界滅んだ方がいいって」





 そこは、均衡機関へ唯一通じる橋の上。
 白いレンガの両端には等間隔に丸い電球が浮かび、いつもは誰も通らないそこでは、大勢の天使が集まっていた。
 次から次へと空から雲の上へと天使が降り、目前の橋に並ぶ天使の行列のなかから空いていそうな所へ足を進める。
 天使の次に集まったのは悪魔だった。
 彼らは列など全く気にせず各々隙間があれば無理矢理でも入り込み、中には天使と天使の間に割り込む者、俺が先だ私が先だと抜かす者まで、とにかく前へと進もうとする。
 その次は聖獣、その次は妖精、その次は。
 橋の上は飛ばなくては落ちてしまいそうなほど生き物で溢れ、橋の後ろで広がる雲の上の街ですら生き物で満ち、その前にある街でも列が続いた。
 通行許可証と地図を貰い、門を潜り抜けた天使たちは真っ直ぐ受付へと進もうと、ふと、白いレンガの向こうから走ってきたサラを認識する。

「サラ様!お初にお目にかかります、私でよろしければ協力させてください!」
「生放送拝見しました、私も協力させてください!」
「サラ様たちがお困りでしたらなんだってします」
「サラ様!」
「サラ様!」

 一体何人居るのか、視界では収まりきらない数の生き物が押し寄せていた。
 サラの目の前で天使たちは距離をとり一列に並び、各々意思を表明する。彼等は何時だって神の味方だ。彼等は何時だって、何があっても神を愛している。
 そう、造った。そうなるように、一から造った。
 天使を抜かした悪魔が来る。

「サラ様ー!!仕事抜けてきたから礼しねぇけど話聞きに来たぜー!じゃあなー!」

 悪魔は颯爽と走り抜け目的地へと迷い無く進む。

「礼しろ勝手に隣走り去るな悪魔が!」
「無礼すぎんぞそこの悪魔ァ!!」
「うるせー!こちとら仕事抜けてきたんだよ!」

 天使たちは悪魔へ向け声をあらげて非難し走り去った悪魔は馬のように長い舌を出し侮辱する。

「サラ様やっほー、書類貰いに来たー!」
「サラ様!俺の店モウルスバーをよろしくな!来てくれたら酒とチーズも奢ってやんよ!」
「だぁから敬語使え悪魔ァー!」

 次から次へと悪魔は天使を抜かし、天使は信じられないと翼を広げ威嚇し、サラは。

「んふ、んは、あははははははッ」

 通り過ぎ去った悪魔たちに手を振った。

「ありがとう!ありがとう悪魔たち!天使たちもありがとう!いいよ、隣歩いて、書類受け取って、ありがとう!」

 天使たちはサラの周りを避けるように歩くなか悪魔はサラの肩を叩き、ハグをし、頭上でハイタッチしたり、妖精は全員がサラに触れもはやサラの姿は覆われ、聖獣たちは妖精しかいない塊になんだなんだと思いながら隣を過ぎ去っていく。

「んははは、んははははくすぐったいって、ありがとう、ありがとう!」

 今もなお怒りに染まった神々は荒れ狂い、破壊音や衝撃が僅かながらも伝わっていた。

「七番目のガブリエル”モクレン”だよ〜、配信見えてるね〜?音は?よしよ〜し」

 広場の周囲に並ぶ建物の屋根上。
 銀色の髪に短髪で少年のような格好をしたモクレンは、球体の障壁に囲まれた小型カメラを視線の中央右側で浮かし、右手を伸ばせば届く位置に画面を配置し送られてくる文字を見た。
 イヤホンのついたヘッドセットを片手で抑え、モクレンは映像をお届けする。

「現在、均衡機関の北橋エンゲス前広場はこうなってる、今から来たい生き物は明日の方がいいんじゃないかな、多分一ヶ月ぐらい日夜行列になってると思うんだよね〜」

 文字の並ぶ画面を見た。

『何であそこだけ妖精が集まってるの』
『虫?』
『虫かな?』
『夏に発生する虫の群れにしか見えん』
『妖精怒ると怖いからやめとけ』

 言われてみれば、確かに虫の大群に見える。

「妖精の群れの中心には今サラが居るんだ。ほら、妖精って大抵目上のヒトには体のどこかに触れるのがマナーだからさ」
『だとしても虫』
『サラさま息できる?』
『サラ様今反対側大変なことになっております』
『モクレン様、出口他にも用意した方がいいと思います』
「そうそう、出口ね、街に繋がるロープウェイを二つ用意したよ〜」

 流れる言葉はどれもこれも賞賛の意味を持つ文となり、モクレンは視界の左側にもう一つ画面を表示させる。
 そこには機関の地図と断面図に、各地で何が起こっているのかの報告文や、常に変動する九桁の数値が写し出されていた。

「じゃあ、定点カメラここに置いておくから、私作業してるね」
『ありがとうございます!』
『モクレン様ありがとうございます!』
『攻天機動隊隊長殿!頑張ってください!』

 モクレンは屋根の上に座り拡大した画面を目前に表示させ、更に二つ小さな画面を左側に、手前には水色の半透明なキーボードを出現させる。

「攻天機動隊ライ班、作戦開始」




「待って待って待って待って待って待って待って待って」

 セイの胸倉を掴むサオの間に入ったウリエルは下ろしかけた拳の手首を掴
み、空いた片手でサオの胸を押した。
「許そ?ね?ほらまだ子供よ子供に暴力はよくないってほら後ろでめちゃくちゃ怯えてんじゃんいやいやいやいやサオの気持ちも分かるよ世界守りたいもんね分かるよ分かるってでも流石に暴力はよくないし守りたいって思ってる世界に滅べばいいって言われたらそりゃあ怒るのも分かるようんうんとりあえず手を離そ?ねっ?」

 頬をひきつらせた笑顔を見せるウリエルに、サオはゆっくりと、掴んだ胸倉を離し、セイは慌てて壁に背をつけ尻尾を震わし嫌にうるさい心臓の音を聴いた。

「うん、うん、いやぁさぁほら、あんな感情に任せた神たち見たら呆れるのも無理ないって。他にも見せてあげればいいんだよ、働いてるとことか諸々」

 サオは喋らず、じっとウリエルの青い目を見続ける。

「それは大人気ないって。ああそれ、それはさぁ、まあ確かにね?そうかもしれないけどね?あのまま殴ったら死んでたって間違いなく」

 はっと、息を飲んだサオは眉を下げ、シワを寄せる。

「充分伝わった、言っちゃいけないこともあるって。俺が言うんだから間違いない。······うん、大丈夫大丈夫結構賢いじゃん?でしょ?ほら俺の腕掴んでいいから、俺目を閉じてるけど掴んでいいから、ぶつかりそうになったら言えよ?よーし行こう!」

 目を閉じたウリエルとパーカーの袖を掴んだサオはセイの元へ歩みを進め、すぐに止まった。
 わずか五歩しか進んでいない。

「すっごい、あぁ、すっごい人間の臭いすっげぇ」

 サオはウリエルを睨む。

「目を閉じると尚更うわすっげぇわこれ、俺ちょっと、ほら見て足が鹿さんよりガクガクしてなぁい?はは!あはは!チビるぞいいのかあ”?!おっさんがオシッコもらしていいんだなあ”?!」
「やめて」
「やめてほしい」

 ウリエルはうすらと目を開け隣に居るサオの肩に額を乗せた。

「あっすっごいここら辺サオの臭いするからこれで進も」
「やめて」
「ならオシッコだあ!」

 サオはウリエルから手を離し十歩進んだ。

「ストーップ!サオ!ステイ!めっちゃ怯えてる!めっちゃ怯えてる!それ以上はやめてあげて!」

 目を閉じたままウリエルは下がり鼻に腕を押し付け目を開ける。
 やはり遠目から見た方が体が怯えない。
 サオはセイと目を合わせ、肩が上がっている彼に、後悔の感情だけが暴れまわる。

「ごめんなさい、殴ろうとして」

 サオは目を合わせ続ける。謝るとき頭を下げるのはセイが暮らしていた世界の、とある国の文化でしかない。
 セイは胸に手を添え深呼吸を繰り返し、サオの目を見ていると自分にも非があったと頷いた。

「ゆ、許すよ。俺もごめん」
「偉いわぁあの子の両親きっと素敵だわぁ怖いのに許すとか聖人すぎて涙ちょちょぎれるけど近寄れるかどうかは別だからなサオ」

 奇妙な立ち位置の三人は扉が開くと同時に視線を向け、真っ白な通路をサオ、セイ、ウリエルの順番で等間隔に進み始める。






「愛してたぞほるず!!」

 辺り一面廃墟となった死神の街の上で、セトはジャッカルの大口をあけ酒の入ったジョッキを片手にわぁわぁと泣き叫ぶ。

「お父様ぁぁぁ」

 その隣で、弓矢を瓦礫の上に乗せセトと肩を組ながらわぁわぁと泣き叫ぶのはゼウスの娘アルテミス、二人は共に空が星たちで彩る時間になるまで酒を片手に涙を流し続けた。
 時刻は基準時間午後九時半頃。
 約三時間続いた戦争はやがて悲しさの海に呑まれ終息し、誰が持ってきたのか、酒を飲み始めた神々は皆酔っぱらい、頭に酔いが回るにつれ胸の内をさらけ出し、近くにいた者と飲んだくれていた。

「ライ班、もう一度水をお配りして」

 モクレンの言葉と共に私服の攻天機動隊たちはレモンの入った大容量ポットを両手に水をジョッキやグラスに注ぎはじめ、手伝いに来た一番目のガブリエル、リリーもポットを傾ける。

「どうぞ、お水です」
「えっ?ぁ、あぁ……ありがとうガブリエル……」

 グラスを軽く上げたのはスサノオノミコトの母であり、現在黄泉の国で亡者を裁く副官をしている、イザナミノミコトだ。
 どのガブリエルか分からなかった彼女は注がれた水を飲み、ほのかに感じた柑橘類の風味にほうと肩の力を抜く。
 その隣には、サラが居た。

「後で顔洗おうねイザナミちゃん」
「うん……洗う……ありがとう、少し、一人にさせてほしい」
 サラはとんとんと二回背を叩き、リリーと共に足を進める。

「神も他の種族も極楽旅館へ運びました」
「ありがとう、そっちは大変だったね」

 瓦礫の中には死神たちのコップや雑誌や衣類が転がり、いつもであれば仕事を終えた彼等は、今頃各々自由な時間を過ごしていたのだろうと思いながら、荒れ果てた街を眺めながら、神と天使は並んで歩く。

「受付の方も大変だったと聞きましたよ、今日のところは無事に終わったそうですけど、今新たに書類を作っているんですよね?」
「そう!今日だけで十五万以上も来てくれた、明日は倍になるかもしれないって皆慌ててるね」
「ですよね、こっちは落ち着いているので、手伝いに行きましょうか?」

 サラは首を横に振る。

「リリーはこれが終わったら休んで。全員の魂に触れて無理矢理悲しさを膨らませたでしょ?絶対大きな反動が来る。二日は休んで」

 リリーは頷き体に対して大きなポットを抱え直す。

「分かりました。休みます」
「モクレンと攻天も、できる限り休んでねー!」
「こっちは五分休めれば丸々一週間動けるよー!」

 一斉に攻天機動隊たちはサラに視線を向け、お任せくださいとばかりに真剣な眼差しを向けた。

「終わったら旅館おいで〜!」
「皆喜べー終わったら温泉だー!」

 静かに右手をあげ喜びを表明する最も優秀な天使たちの姿に、サラは肩を揺らして笑った。
 そこへ、銀髪の少女が駆け寄る。

「サラ〜!聞いて〜!」
「どうしたの」

 アシンメトリーな長い髪を揺らし、黒い生地に金色の刺繍が入ったポンチョを羽織るネリネはサラの前で立ち止まると、身ぶり手振り全力で感情を表現する。

「セイくんがね!地下研究所のね、仮眠室でね魔獣変身して五キロワットアワーの雷出した」
「今?!」
「三時間前」
「そういうのはもっと早く伝えようか」
「暴れてたから麻酔撃ってね今獣の姿のまま寝てる!もふもふなの!おっきいわんちゃん!でねでね!」

 ネリネはサラの目の前に画面を表示させ、指で数値を示す。

「皮膚細胞も毛の細胞も全て人間の遺伝子のみで構成されてる!しかも悪魔特有のじゃない、物理法則に則った実質的な物質」

 検査結果の数値を大まかに確認したサラは口を隠すように指を添え、リリーは背伸びしてそれを流し見るとかかとを下ろし、画面を出して検索するとどうやら五キロワットアワーとやらは約千世帯の電気一日分のエネルギーらしい。

「これ、足切り落としても再生する」
「九割その可能性がある。これだけのエネルギーを出しても肉体と魂の結合率は変わらず二百五十パーセント、意味わかんないの、まず百超えてるって意味わかんないの」
「二百八十超えたら無理矢理でもいいから数値下げといて。念のため妖精の魂も用意してね、次暴れたら間違いなく誰か食おうとする」
「ベータ剤使っていい?」
「まだ研究段階だからダメ」
「えー」

 眉間にシワを寄せ不貞腐れるネリネは画面を消し、そういえばと腕を背中にまわし自身の手首を掴んだ。

「あとね、サラの予想通り、環境的ストレスと身体的ストレスがある程度の数値を超えるとね、魂が自己防衛するために身体に影響を及ぼすで間違いない」

 となると残りの問題は、どうやって種類の異なる魂と肉体を合わせ大量に稼働させるかだ。予想通りこの問題が最も難しい。今までゼロだった現象の再現をするにもたった一つの事例でのみ可能にしなければならないなんて、俺たちですら根を上げたくなるような難問だ。

「分かった」
「もふもふしたいから戻るね」
「何かあったらすぐ伝えて」
「たぶ〜ん」

 姿を消したネリネに、サラは細いため息を吐き出す。
 今のが、均衡機関のあらゆる頭脳と技術を駆使した成果の報告だ。あれで全てであり、ほとんど俺の予想通りの結果でしかない。
 時間がない。いつだってそうだ、時間がない。
 だがそれを俺たちは可能にしてきた。今回だって俺たちの手で奇跡を起こしてやる。
 サラは足を前へと進め、瓦礫の上を進む。









 星空の下、腫れ上がった頬を抑えあぐらをかくコウは、目の前で酒を飲みすんすんと鼻を鳴らすヘラを見た。何度も何度も手の側面で目を擦った為わずかに腫れ、ようやく整い始めた呼吸で膝上に腕を乗せ顔を隠す彼女は、コウからすればいつでもどこでも、こんなときだって可愛らしく見えた。

「ゼウスいねぇし言うわ。俺とセックスしない?」
「殺されてぇか?」

 向けられた強い視線に、コウは歯を見せて笑う。

「そう、ヘラはそこがかわいいんだよ」

 手のひらに顎を乗せたコウに、ヘラはそこらに落ちていた白い布を投げつけた。





 基準時間二月二十二日午後十時十八分

 全長約五メートル、高さ約二メートル、自動車のなかでもそれなりの大きさの黒い毛の塊が、四面真っ白な部屋の中央で寝転んでいる。
 姿形は狼の子供、頭からは黒い角がちょこんと生え、尾てい骨からは足よりも短い鱗の尻尾が生えている。
 全身柔らかそうな黒い毛に覆われた、大きな子狼が心地良さそうな寝息をたてている。

「セイ、お前、後で毛刈りしていい?」
「やめて差し上げて」

 コウの何気ない言葉に隣で佇む人型の黒い影が言葉を発し、霧のように輪郭が怪しいソレとしゃがんでいたコウは目を合わせる。

「んでー、ラプラス?なんで俺をわざわざ呼んだ。内容すら教えてくれないってどういうことだよ、場合によっては無理矢理肉体を与えるからな」

 ラプラスと呼ばれた人の形をした影はピンと伸ばした姿勢で低い声を震わす。

「この形態のセイ・カボルトの”コピー”を頂きたいのです。骨、内臓、生殖器、角、尻尾、そして魂、数えきれないほどの謎がその体に詰め込まれている。生きたままのサンプルだけでは到底、足りないのです」

 淡々と告げる影にコウは肩を揺らし、獣姿となったセイの頭と顎を撫で、ピクリと手をはね除けるように動いた耳に頬を上げて笑った。
 動物も好きだ。触った時の感触がいいし素直でかわいいからな。

「お前ずるいな、どうせサラは許可しないって分かってるから俺を呼んだんだろ?さすがはラプラス。お前に生身の体与えるから俺と」
「結構です」

 立ち上がったコウは影のもとへ一歩近づき、あと数センチ動けば鼻先が当たる位置で動きを止めた。

「分かった、その代わり、俺と約束しろ」
「内容によります」
「お前も実験に協力して、人間として生き、お前の人格の所有権を俺に寄越せ」

 ラプラスは目を開ける。
 影のなかで灯る真っ白な光を、目と呼んでいいのかすら怪しい目を。

「”今の私”ですか、それとも”全て”?」
「全部」
「”今の私”のみであれば頷きましょう」

 コウはラプラスと目を合わせ続け、手を影の胸に添え、沈み、掴み、ズルズルと黒い泥がこぼれ落ち脈打つ臓器が引き出された。

「ラプラス、全部だ。全部の人格を俺に寄越せ」

 弧を描く瞳に、頬をあげ歯を見せる神に、悪魔は淡々と言葉を告げる。

「”今の私”のみであれば」
「なら、そうだな、ラプラスに最高品質の天使の肉体を与える。反転するかどうかはお前次第だが、どうだ?悪くはないだろ?」

 ラプラスは、目を閉じた。

「最悪ですね。いいでしょう」
「本当お前ぐらいだわ俺と交渉するやつなんて、そこがかわいいからいいけど」

 波打つ臓器をラプラスの中へと戻したコウは、手を黒に染める液体をタオルで拭い、セイの鼻先で足を揃えズボンのポケットに手をいれた。
 セイの前足を中心に、鏡のようにもう一つ同じ肉体が同じ格好をして現れる。

「ありがとうございます」
「決めた」

 振り向いたコウは、一見爽やかな青年の笑顔を見せた。

「ラプラスは明日から身長百七十センチ以上の金髪碧眼貧乳六眼天使の女の子だ。一日待ってやるからLサイズのレディースもの用意しとけ」
「俺、どうせなるならかわいい系に、なりたいです……」

 『俺』って、え、『俺』ってそれ。
 まさかとコウは性別不明のラプラスを下から上まで観察し目を見開く。

「嘘だろお前人格男だったの?!」
「男だと思って生きています」

 尚更良い!性別不明の生き物が自称男でこれから女になるなんて、最高が過ぎる!

「分かったかわいい系な。参考写真見せろお前の中のかわいいを再現してやる」

 人差し指を向け宣言するコウに、ラプラスは表情の見えない顔で微かに喜び、直後、歪ませた。
 嬉しいが半分、拒絶が半分。

「ありがとうございます、後程画像をいくつか送りましょう」
「こうなったら拘ろうぜ、いいよお前の趣味全開の造るから黒髪でも茶髪でも赤毛でも何でもこい!」
「ありがとうございます!」

 上機嫌なコウは何の音も動きもなく姿を消した。
 ラプラスはなんとか達成できたと無い呼吸で胸を撫で下ろし、気まぐれな神の相手に疲労感を抱いた。




 基準時間午後十時二十七分

 均衡機関南側、ベンズ広場。
 白いレンガと青いレンガが円形に広がり模様を描く広場では、両端には等間隔に丸い電球が浮かび、今日は屋根の上に照明器具も設置され広場の中央が照らされている。
 そこへ、合図も音もなくコウが現れ耳に無線イヤホンをつけた。
 通路のその先では白いレンガの道が途絶え、木の枠が両端に設置されたその先には、雲とアーチ橋の基盤となる木の橋を屋上に設置されたスポットライトが照らしている。

「雲の準備と人員の配置は?」
『できてます』

 イヤホン越しから聞こえたオペレーターの声に、屋上に居るお揃いの緑のツナギを着た天使、妖精、悪魔、妖怪、神をコウは一瞥し、白いツナギに白いシャツへと瞬きすらない時間で衣服を切り替えた。

「時間調整はいいな?」
「いつでも」

 拡声器を手にしたコウは、ゆっくり、ゆっくりと息を吸い込み。

「今から南橋の建設を開始する!敷きレンガをまずは一万!路盤材!砂入りセメント!それぞれ五千キロ造るから持っていけ!」
『はいッ!』

 返事と共にコウの髪を冷たい風が撫でた。
 コウの後ろで白いレンガが一つ、コトンと音を発て、二つ、三つ四つ、十二十三十四十百二百千二千、五千。隣に青いレンガも五千、壁のように規則正しくならんだ塊が十個をワンセットに紐で括られ現れた。
 同時に路盤材が二十キロずつビニールに入れられ、プールのように大きな木板の中に砂とセメントが混ぜ合わせられたものが徐々に徐々にカサを増していく。
 コウも屋上へ移動し作業を眺める。合図と共に宙へ浮かんだ袋は木の枠の内で破き、大雑把に詰め込まれていく路盤材に、妖精たちは作られた荒石の地面に宝石を均等に並べる。通路と橋の間にちょっとした道が作られ、その上に木板が現れると変身を解き巨大化した一人の巨人が地面を均した。バケツでセメントを運ぶ天使たちは木板が消えた瞬間一斉に撒き、泥のようなそれを平らにしていく。

「レンガ敷き詰めたら門造り始めるからな、時間は?」
『基準時間は午後十時半、作業現場周囲の時間は午後十時四十分』
「午後十一時半になったら基準時間で一分経過したか教えろ」
『わかりました』

 コウは足元で作った木箱の前でしゃがみ、手を伸ばし、握り、力を軽く抜くと夜でも光り輝く虹色の宝石が箱の中へと落ちていく。
 ちらと、橋を見た。
 白と青のレンガが木の橋の上で波のように並んで整列し、ただのレンガがレンガの橋となっていく光景を。

「妖精たちー!通路のセメントが終わったら路盤材の中にこれ混ぜろー!何度でも言う五メートルに一個ならべろよー!」

 木箱を持ち石をじゃらじゃらと鳴らすと、コウの元へ小さな視線が集まる。

「はい!」

 微かに聞こえた声に、コウは屋根の上に座り並んだレンガの上に石が落ちていく音を聞きながら、集まる妖精たちに手のひらサイズのバケツを虹色の石の中に入れ、溢れぬよう適当に掬ったそれを渡す。

「勝手に自分のものにすんなよ〜」
「しませんってそんなこと」

 どこか呆れたように答えた蝶の羽を持つ中年男性の妖精の次に、トンボの羽を持つ同い年程の妖精がバケツを受け取った。

「今日バイト居るからちゃんと見とけってことだろ?なぁコウサマ?」
「そうそう、よくわかってんじゃん」
「終わったら風俗?」
「いいや、一人目星つけた」
「誰だよ女?男?」
「いいから行けってお前ら!」

 ギャハギャハと下品に笑うおっさんの妖精たちに、世の幼い女の子たちがあんな下品な笑顔見たら泣くぞとコウは呆れの混じったため息を吐き出す。

『あのー、通話繋いだままそのような話はしないでもらえますか』

 若いオペレーターの声もどこか呆れが混ざり、コウは内心疑問に思いながら問う。

「お前も男だろ」
『そういう問題ではないんです』
「そっか周りに女性も普通にいるもんな。分かった控えるから、休憩時間になったら性癖教えろよ」
『そういう問題でもないんです……』

 はっと、石を取りに来た女の子の妖精にコウは話しかける。

「レインちゃん今日かわいいね、そのピアス新し」
「話しかけんなイカれ変態万年発情期野郎」
「そこがかわいい〜」

 バケツを渡したコウに、レインと呼ばれた妖精は逃げるように作業へ向かった。

「本当、出会い頭に性行為しないか聞く貴方のメンタルだけは敬いたい」

 若い男の妖精にバケツを渡し、もう一ついけるとさしだされた片手を見て石を掬う。

「もっと敬うとこあんだろ」

 渡したバケツを受け取った妖精は笑った。

「包み隠しなって」
「あとから下心丸出しにするやつより良くね?」
「よくないんだな、これが」

 やはり賛成してくれるやつはどの種族でも珍しい。例え一夫多妻制の種族でもだ、むしろ一夫多妻の方が反対しやすいかもしれない。
 


 七時間が経過した。橋は順調に造られ、今は仕上げ段階である目地砂をレンガとレンガの間に詰める作業に入り、白いレンガの上は白い砂にまみれ箒で隙間を埋めている。
 橋と機関の境目上空、口のように開かれた黒い空間から二つの柱が時間をかけて降り、ロープに吊るされたそれは目印に合わせ土台の上に乗った。
 悪魔たちが確認作業に入り土台の元へ駆け寄る。目印とのズレがないか、内側に入れた金属との接続は、配線は、大丈夫だったようで合図を出し天使たちがロープを外した。
 ロープが上空で開かれた亜空間へと戻ったのを確認し、コウはイヤホン越しに令を出す。

「壁との接続を始める。時間をもとに戻せ」
『はい!』

 コウは目前に出した画面を見る。
 現在基準時間は午後十時三十七分、現在位置の時間は午前五時四十八分。

『完了です』

 現在基準時間は午後十時三十七分、現在位置の時間は、午後十時三十七分。
 第零世界の時間を鍵が認識したことを確認し、コウは肩に力を込めた。

『壁を出現させます』
「はーいよろしくー」

 オペレーターの言葉と共に柱の隣に真っ白なガラスの壁がレンガと雲の三回目から姿を出し、柱と同じ高さまで昇ると柱の中に埋めた金属と反応し合う。一、二、三秒後、ガラスは視認できなくなるほど透明になり、美しい星空が映し出された。

「よっし!!」
「終わったー!」
「終わってねぇって!」
「ひとまず休もー?」

 ワッと騒ぎ出した作業員たちに、コウも肩の力を抜き屋上で胡座をかいた。
 まだ終わりではないが、一番重要な行程がミス一つ無く終わって良かった。久しぶりに橋の建設に携わったからいつもの仕事より達成感がある。
 拡声器を持った人員が「休憩〜!」と辺りに知らせ、広場の後ろで控えていた死神たちが広場の中央に集まり亜空間の中から机や飲み物の入った段ボールやお菓子を広げる。

「差し入れでーす!お疲れ様〜!」

 作業員に一人一人に多種多様な姿を持つ死神たちが飲み物や食べ物を渡し、広場の後ろでは外部からのキッチンカーが二台も並んでいた。
 やはり準備していたか。広場の外でゆっくりゆっくり走ってくる車があると思ったら、気がついたら展開して店を開いている。さすがは桃源郷の住民、金を稼ぐことが本当に上手い。
 ずっとキッチンカーが気になっていた者たちはすぐに看板を確認し、蟹黄大湯包屋とクレープ屋それぞれに列ができ、微かにだか魚介類の香りがここまで届いていた。

『コウ様って、ああいうの行きませんよね』
「桃源郷には俺の金を銅貨一枚すら流したくねぇの。俺からして十時間前に桃源郷の住民から移動販売申請が来た、間違いなくアイツらはそうだ」

 オペレーターからがさごと物音をたてる音が聞こえ、何かを開ける音と割り箸を割る音がした。

『本当嫌いですね』
「お前はしらねぇだろうけど、桃源郷の四十合会っていう会社がサラの魂と俺の魂を狙ってんだよ、今でもな」
『それ本当なんですか?』

 キンと痛む耳にコウは顔を歪ませ、手元に出したクリームパンを頬張る。

「マジだっふーの、大企業だからこっちも手がだしずれぇしさ。お前今年やっと重役任されたんだろ?その地位なら今まで閲覧規制かかってたやつも読めるから読み漁れ」
『わ、わかりました。通話切ります』
「んー」

 あとは目地砂を水で軽く流して、同時に門の扉を部分俺が作ったら終わり。今造るか。
 クリームパンを口に詰め込んだコウは立ち上がり、一柱騒がしい場所から離れるように柱と柱の間で立ち止まる。目線は橋のその先へ、手は上空で開き、空いた左手でパックのブドウゼリーを口にいれた。
 白い水晶の欠片が一つ遥か上空で月の光を反射し、枝分かれし伸びていくそれは草花を描いて宙を彩り、コウの目線を基準に鏡のように反転した扉が現れ、芸術品と言っても誰も疑わない門がものの一分で完成した。

「コウ様そんなことできんのー?!」
「コウ様ー!見直したー!」
「そこだけ尊敬しまーす!」
「敬えー!俺を崇め奉れえええ!」

 全く、もう少し敬ってくれよ普段から。
 コウはパックを空中に投げ、自身の亜空間にしまうと新たに手元に甘いミルクティーが入ったペットボトルを出し、歩きながら傾けて飲みこむ。




 基準時間二月二十二日午後十一時二分

 合計九時間の橋と門の建設が無事に終わり、点検も済ませた直後、コウは目の前に画面をだし数値を弄った。ベンズ広場でのみ時間の流れを早くし、均衡機関のある第零世界を基準とした”基準時間”ではわずか一分の時間がコウのいる広場周囲では二時間経過するよう設定した。

「コウ様!コウ様!かべをむらさきいろでバーッしていい?いい?」

 ぴょこぴょこと小鳥のような茶色い羽を揺らす天使の子供に、コウはイタズラっぽく笑むと手を伸ばし合図を出す。

「行け!ぶちまけちまえ!」

 きゃらきゃらと笑いペンキの入ったバケツを互いに掛け合う多種族の子供たちに、コウはローラーで無機質な白い壁を塗る。

「ペンキは全部食べられるからなー!安心して食えー!」

 コウの言葉など一切耳に入っていない子供たちは三組に別れた。
 真っ白な洋服を友達同士で汚し合うグループ、真っ白なレンガや壁にペンキをかけ手のひらや筆で絵を描きながら広げるグループ。
 そして。

「誰だよ俺のケツにペンキ塗ったの?!」

 悪戯っ子のグループ。

「キャハハハハハ!」
「やーいお漏らしー!」

 犬神の子と竜人の子が一緒に逃げ笑い、コウは手元に小銃のような大きさの水鉄砲を出した。

「紫だからちげぇわ!いいか!実際に漏らしてみろこんなもんじゃねぇからな、お前らで再現してやる!」
「水鉄砲とかずるい!」
「俺たちにもくれよそれ!」
「ヘッ!神様舐めんなぁぁぁあ!」

 きゃあきゃあと逃げる二人の子供に神は容赦なく水鉄砲で紫に染め、子供は滑って転んでもなお楽しさが勝り屋根上からコウの頭にペンキをかけた。

「あめぇなぁ、ふはははははは効かねぇなぁ?!」

 コウはそらに手をかざした。その上では、球体の紫色の液体が作られ今にも悪戯っ子二人へ放たれようとしている。

「おとなげない!おとなげない!」
「クソ神ー!」
「誰がクソだ敬え!」

 きゃはきゃは笑い逃げる二人の後ろで巨大な液体が落下し誰も住んで居ない白い家の屋根は紫で染まる。ふと、コウは辺りを見渡してそろそろかと広場の端に向かう。
 ペンキを一列に並べる。赤、黄色、白、青、水色、黄緑。
 コウの動きに子供たちは気がつくと周りに集まり、紙コップにそれぞれ六色注いだ頃には二十三名全員が集まっていた。

「誰かこうやってみんなに配ってくれるヒトー」
「私やる」
「私もー」
「俺もやる」

 三人、妖精と半魔獣と天使が手を上げ、二色ずつ担当し全員に配る。その間コウは六つ穴が開いたホルダーを造り、持ちやすいよう取っ手を二つ付ける。

「んじゃ、あとは好きなように描きまくれ」

 立ち上がったコウに、本気かと子供たちは互いに目を合わせ、問う。

「壁も?」
「壁も」
「でられないところ以外?」
「そう、でられないところ以外、自由にどうぞ」

 子供たちは固まる。
 直後。
 一目散に走り去った子供たちは全員筆を使って絵を描き始めた。
 全員、絵が好きかと聞かれ手を上げた子供たちだ。
 夜の部で働く親たちが子を預ける保育所で、なかなか寝付かない子達の中から絵が好きな子たちのみ広場へ連れてきた。絵が好きではない子供など大抵が糞を描くが、連れてきた子達は、皆そうではない。花を描き始めたり友達を描き始めたり、なかなかに上手い大きな怪物を描いたり、やはり限定して正解だった。
 ベンチを出しどかりと腰かけたコウは手元に炭酸ジュースの缶を出す。メロンソーダとかかれた缶の蓋をカシュッと開け、目の前で広がりつつある鮮やかさを眺めながら喉仏を上下に動かす。
 建設中、殺風景な白しかないエリアを見てどうも落ち着けなかった。もちろん白も好きだが、白だけでは白のよさなど見えてこない。
 だから、白に似合う色だけを持ってきた。
 コウの隣で絵を描く天使の男の子は花を描いている。大きな大きな黄色の花を。
 そして手を白に染めるとペタペタと羽につけ、床に転がる。起き上がったそこには魚拓ならぬ羽拓が出来上がり、彼は 筆で花の茎を描いた。
 なにそれ良い。
 男の子の隣に並んだコウに、ちらちらと青い目が向けられる。

「……なに?」
「その発想大事にしてけ」

 何を言っているんだと、男の子は怪訝そうな顔を乗せ、そんな子供をコウはがむしゃらに撫でてやった。

「やめろ!」
「その発想貰っていい?」
「いいからやめて!」

 立ち上がったコウは黄色のペンキが入ったバケツを片手に、どうやらまだ誰も中央を使っていないそうなので新品のモップを出し、中央でペンキをひっくり返すとペンキをモップで伸ばした。
 くるくると回りながら円を作り、そろそろいいかとモップを端に寄せ円の回りに炎のように揺らめく線を定規で大まかな距離をとりながら描いていく。

「コウさま、私も定規とモップ欲しい」

 妖精の女の子が近づき、妖精でも持てるような大きさの定規を出すと彼女は首を横に振る。

「これ?」
「うん」

 コウは手にしていた定規をコピーし、手渡すと彼女は能力で浮かした。コピーしたモップも力で浮かすとふよふよと共に飛び立ち、屋根上で作業を再開する。
 あの年であそこまで器用に使えるのか、すごいな、後で名前聞こう。
 コウも作業に戻り、一周回った頃には大きな太陽が完成した。ふと時間を見るとあれから一時間が経過し、更に円の中に紫で模様を描く。
 気がついたら周りに女の子が三人集まっている。

「コウ様、絵、すごい」
「すごい」
「すごい」

 人に近い姿をした狐の三つ子だ。白い尻尾を立てている彼女たちをコウは手のひらでこっちおいでと誘う。

「こういう模様描くの好きなんだろ?」
「好き」
「なんで知ってるの」
「描きたい」
「どうぞ」

 立ち上がったコウに、三つ子の狐は筆をもって円の中で並んだ。

「三日月?」
「そう」
「私たちの模様描いていい?」
「おう、描いて欲しい」

 描いていたモチーフを邪魔しないように、彼女たちなりに続きを描いてくれるそうだ。
 そろそろペンキが乾くだろう。乾いても、チビッ子たちはきっと気にせず描き続ける。
 念のためシャワー室の使用許可を取ってきた、四十度の熱で溶けるペンキだからしっかりと洗い落とせば大丈夫。

「羽持ってるやつー!こっち来ーい!」

 わらわらと集まったのは十人。

「ここら辺でさ、羽に黄色いペンキつけて寝転がって欲しい」
「分かった!」
「キーベ私の羽に塗ってー」
「ザキも私のに塗ってねー」

 次から次へと寝転び、出来上がった羽の跡を確認した悪魔の女の子は慌てて緑のペンキを入れた紙コップを持ち、模様を描き始める。

「何描いてんの?」

 隣でしゃがんだコウに、女の子はどこか嬉しそうに筆を動かしていた。

「お母さんの羽ね、赤色のね、心臓のタトゥー?いれてるの」
「なにそれすごいかっこいい」
「私もね、かっこいいになりたい」

 蝙蝠の羽を持つ彼女は緑色の髑髏を描き、蛇だろうか、随分とロックな組み合わせを描く。
 それを見て衝撃を受けた子は真似をし、俺ならこうする!と鳥の翼の回りに目を描き己がなりたいヒーローを描いた。

「それ、メタトロン?」
「そうだよ!昼間はね先生してね、夜は怪物倒すヒーローだよ!」

 そういえばアイツ十年ぐらい前から俳優やってたな。今もなお教師をやりながら俳優やるなんて本当すげぇよ。
 青い目をキラキラ輝かせる天使の子は笑顔を見せる。

「メタトロン様って、ここに居たんだよね」
「居たなぁ百年前まで」
「コウ様ありがとう、ここで絵を描かせてくれて」

 コウは、目を細め穏やかに笑む。
 今を生きる子供たちにとって俺が世界に伝えた事実なんて興味ないんだろう。今がとっても楽しくて、それを誰が用意したのかたまたま分かっていたから、たまたまそこにいたから感謝を告げるだけで。

「楽しんでくれて何より。全部コーティングして残しておくからな」
「本当に?これ全部そのまま?」
「思い出したとき恥ずかしくならない傑作残せ?」
「傑作描く!見てろコウ様!」

 嬉しそうに鼻唄まで歌って絵を描く子供にコウは顔を下げこっそり歯を食い縛った。
 立ち上がったコウは青い目を持つ天使の男の子の元へ近づき、今度は黄緑で葉をひたすら描いていた。所々覗いた白いレンガの上には描かず、紫が散った跡を残して丁寧に丁寧に、一枚ずつ描いている。

「世界樹?」
「俺の木」
「俺の木かぁ」

 ちらと、青い目がコウを見た。

「何」
「何ヵ月?」
「七ヶ月」
「やっぱ天使って成長早いよなぁ、あと五ヶ月で成人だろ?」
「そうだけど、コウ様がつくったんでしょ」
「確かにそうですけど?いやさぁ、色んな種族の子供見てると、天使って子供の時期早く終わっちゃうなぁって」

 男の子は興味ないのか手を止めない。
 それでいいが、無視されたらされたでちょっとさびしいものがある。

「もう少し子供の時期長い方がいい?」
「僕は、丁度いい」

 男の子は目を合わせないまま答えてくれた。
 何をもって丁度いいのかは分からないが、やはり七ヶ月にしてはどこか達観している男の子だ。

「そう?」
「うん」

 天使の子供のうちたった一人の意見だがコウはならいいかと、新しい世代の天使についての案を捨てる。今を生きる子供のうちどこか達観した奴がそう答えたんだ、同世代のバカに聞くよりはいいし、なにより、なるべく環境を変えるべきではない。少なくともあと百万年は新しい世代を作るのは止そう。

「あっちで描かなくていいのお前」

 コウは親指で羽に模様を描く彼らを指差す。

「僕は、今、これが描きたい」
「いいねぇその精神。大事にしてけ」

 顔は見えなかったが、微かに笑った気がした。




 

 すやすやとベッドの上で眠る子供たちに、保育を担当する鬼の人員は部屋から出ると廊下の壁によりかかるコウに頭を下げた。

「ありがとうございます、なんとお礼をしたらいいか」
「楽しかったしいいって。仕事終わったら俺とセックスしない?」
「お断りさせていただきます」

 無表情できっぱりとフラれてしまった。

「はーい、お邪魔しました〜」

 切り替えたコウは保育の人員に手を振り、鬼の彼女はもう一度深々と頭を下げる。
 最後の一言さえなければ、素敵な神様なのに。





 基準時間二月二十二日午後十三時五十五分

 一日は二十五時間しかない。残り五分で明日となり、明日になったら更に忙しくなるだろう。
 コウはとある世界の昼の南極に居た。
 全身毛皮コートで身を包んだコウは断崖絶壁の氷の上、アルミと合成繊維で作られたキャンプ用の椅子に腰掛け、釣り糸を足らし魚が来るのを待ち続ける。
 南極にはペンギンが居る。だが、それは第一世界だけの常識だ。
 地球ではあるものの一つ一つ世界地図が全く異なる第二世界、通称『異世界』では大抵が剣の魔法のファンタジー世界であり、コウが居る世界も所謂ファンタジーな世界だった。
 そして、この世界の南極ではスライムが居る。
『スライム』
 形状不定形生物だの軟体生物だの様々な名称で呼ばれている、共通認識としては半透明でぶよぶよとした液体の生き物スライムが、コウの隣でなんだなんだと集まっていた。
 そこへ、一匹の巨大な四足歩行のフクロウが空から近づき、コウの隣で静かに降り立つ。

「よう」

 声を揺らすフクロウに、コウは釣り糸を垂らしたまま答える。

「久しぶりー、何年ぶりだっけ?」
「三十年ぶりだ」

 フクロウは紫色の目をコウの隣に並ぶバケツへと移し、まだ一匹も釣れていない事を確認した。

「こっちだと三十年か。俺からしたら五年ぶり〜」
「よく俺のこと覚えてたな」
「忘れねぇよ、いつかセックスするって決めたやつと、セフレの名前だけは絶対忘れないからな」
「呆れるほど最低だし何度も言うが、俺、獣、お前、人間」

 フクロウはどこからどう見ても獣だった。当然だフクロウなんだから。といっても魂は聖獣の類いであり、肉体は妖精と獣が複雑に混ざりあっている。妖精と聖獣は互換性が高く類似点もかなり多いため、希に彼のような存在がいる。
 肉球の前足でフクロウはちょんちょんとバケツを触り、爪先で器用に持ち上げた。

「なーんも入ってねぇな。俺がドラゴンでも狩ってきてやろうか、人間好きだろドラゴン。目玉すら食うんだろ?」
「そうそう、人間ってのはなんでも食うよ」

 コウは釣り糸を掴むと立ち上がり、自力で引き上げていく。

「あと、今日はお前に衝撃の事実をお伝えします」
「ついに里から追い出されたか」
「ちげぇわだとしても何でだよ」
「里の女全員に手を出してそう」
「否定できねぇー」

 見かねたフクロウは嘴で釣り糸を噛み、下がりながら氷の上に糸を引き上げた。

「ありがと〜」

 木の椅子に座ったコウは、腕でぐるぐると巻きながら口を動かす。

「俺さ、神なんだよね」
「俺が魔法をかけてやろうそのイカれたヅラ貸せ」
「まぁまぁ待てって最後まで話聞こ?」

 座ったフクロウの紫色の目には、どこからどう見ても人間の姿をしたコウしか映らない。一つだけ異変があるとしたら、コウが持ってきたバケツが得体の知れない、この世界には存在しないプラスチック製の、青いバケツであることぐらいだろう。

「お前、人間になれるとしたらなってみたい?」
「なれるとしたら、興味はある」
「記憶を失って、赤ちゃんから人間になってみたい?そのあとまた記憶を取り戻せるとしたら?」

 黙ったフクロウは釣り糸を見て、コウを見る。

「面白い」
「だよな、やっぱりそうだよなお前は」

 コウは纏めた釣り糸を、亜空間にしまった。
 突然消えた物質にフクロウは辺りを見渡しコウを見る。

「んで話戻すと、俺は神だ。今からお前を別の世界に連れていくことができる。この世界にあるもの全部置いてって、新しい自分になる覚悟はあるか?」

 フクロウは、声で笑った。

「なんだそれ、俺はその世界についてなんも知らず、頭がイカれてしまったらしい自称神の人間についてこいと?」
「最高だろ?」
「最ッ高に頭可笑しいな!いいだろう!もうすぐ俺も寿命だ、最後に賭けをしてやる」

 コウは椅子とバケツを亜空間にしまい、フクロウに手を伸ばす。

「お前名前無かったろ、これから向かう世界では名前が必要だ。希望は?」
「お前がつけろ、俺にはそういうセンスがないし、それに、さっきも言ったが俺はもうすぐ寿命だ。どうせなら誰かにつけて欲しい。ただし、恥ずかしくない名前かつどこの国でもオスっぽいやつにしろいいな?」

 何個も釘刺され、よほどその辺りの信頼が低いのだろう、視線にも『変なのつけたら殺す』と殺意が込められている。

「任せろ俺のセンス舐めんな」

 フクロウは訝しげに前足を伸ばし、コウは足よりも高い位置にある柔らかな毛に手を埋めた。

「”アーサー”、とある世界のとある国を守った英雄の名前だ」
「メスっぽい、却下」

 振り落とされた案にコウは前足の毛を撫でながら抗議する。

「これから行く世界だと男限定の名前なんだよ!国によって女っぽい名前と男っぽい名前ってちげぇだろ?それと一緒」

 ため息を吐いたフクロウは、やはり動物が好きらしいコウを信じて頷く。

「分かった、アーサーな、分かった」

 一人の自称神と、一匹の獣は姿を消した。



 基準時間二月二十二日午前零時四十二分
 悪魔の血肉で造られた人の形に近い肉体はコートを羽織り、癖のある茶髪に紫の目を持つ青年は姿鏡を見て満足そうに笑った。

「これ、悪魔の体だろ?」
「正解〜、人間になるのは二年ぐらい後」

 実際には少しだけ違う。
 元四足歩行のフクロウだった彼アーサーの魂は、セイの遺伝子のうち悪魔の力が出てくる原因のみを混ぜた肉体に入れ、どうやら簡単に適合してしまったらしく正常に機能していた。

「これ、何て書いてある?」

 赤い紙に白で『赤』と書かれたものを見せつけるように持つ。

「赤」
「そう。赤」
「赤!これが赤か」

 紙をしまい、今度は一本の色鉛筆を出した。

「何色に見える?」
「何言ってんだそれさっき赤だって言ってたろ」
「正解。色覚は問題ないな。次紫外線」

 コウは黒い紙を見せる。

「何が描いてある?」
「えぇ······?」

 目を細めた彼は椅子に座るコウに近づき、ようやく見えたそれを答える。

「今日のご飯何?って書いてある」
「色も紫外線も見えてるけど視力が悪すぎる。歩けるようには見えるけどまだ覚束無い、右手出せ」

 何がしたいんだと、渋々右手を出したアーサーはようやく気がついた。

「俺の手、痙攣してるな」

 手を裏返し、手のひらを天井に向け、止めようとしても手が勝手に震えている。
 コウはアーサーの目の前で光の粒のみで作られた画面を表示し、再度数値を確認するとアーサーの紫色の目を見た。

「悪い初期不良だ。もう一度、眠れ」

 命令を出した瞬間。
 アーサーは糸が切れたように目を閉じ、倒れ、コウは青年の体を支えるとベッドの上に寝かした。
 起きたときの数値は百五十三パーセント、現在の数値は九十六。
 大幅に適合率が下がったことで神経が脳の言うことを聞かず右手が痙攣したのだろう。視力は恐らく関係ない、これは俺のミスだ。
 やはり名前を与えておいて正解だった。おかげで一言命令を口にすれば簡単に言うことを聞いてくれる。
 コウは黒い手袋をつけ、アーサーの胸に触れると魂が外へゆっくりと飛び出し掌に吸い寄せられていく。
 掴んだ魂をそのままに彼の肉体に触れ、もう一度肉体を内側から造り直し端から見たら何も変わっていないものの、コウから見たら全てが変化していた。
 魂を胸の中へと戻す。
 止まった心臓は再び動きだし、目を開けたアーサーは慌てて飛び起き壁に背を付ける。

「なにぃ?!ゾワァァアってしたぁ?!」
「右手かーして」
「毛が逆立ったからな何かしたんだろ?!」
「毛は逆立ってないし何かはしたわ」

 恐る恐る差し出された手をコウは掴み、数値を確認する。
 二百、二十三。
 いける。
 ただ遺伝子を組み換えたらいいわけではない。更に遺伝子の配列を弄り魂と肉体の凹凸を限界まで合わせなければ、意味がないんだ。
 悪魔の肉体に聖獣の魂を入れると通常は反発し、九割以上の確率で生きられない。しかし、セイの遺伝子を使った上で、魂と肉体二つの設計図をパズルのように組み合わせると簡単に適合する。
 魂の設計図もいじったんだ。あとで記憶に関しても確認しなければ。

「……あれって、カレンダー?」

 コウは振り向き、リビングの机に置かれたカレンダーを見て頷く。

「そう、カレンダー」
「あそこの数字が読める。さっきは読めなかったのに読める」
「よかった、視力も安定したな。もう一回立って歩いてみろ」

 立ち上がったコウに、アーサーも立ち上がり部屋のなかを一周して見せる。
 やはりどこか覚束無いが、これは俺のミスでも初期不良でもない、元の肉体が四足歩行だった為に起こるバグだ。むしろ、なんの練習もしてないのに歩けるなんて大天才だと褒め称えてもいい。

「歩き難い?」
「あるきにくい」
「ずっと四足歩行だったからしゃあねぇわ、そのうち慣れる」

 そういうものだろうかと、アーサーはコウを疑った。
 しかし、コウも大丈夫だと言って安心させてやりたかったが、隣に同じような被験者がいない状況で、ましてや、そんなこと一切告げていない状況で下手に言葉をかけることができず、手のひらの上に鍵を出した。
 アーサーは種族故の特徴でもなんでもなく、頭が良すぎて嘘を見抜くのがうますぎるからな。おまけに今は若い肉体で、脳だって悪魔のものだ、より一層賢く頭の回転が早くそして柔軟。
 コウはアーサーに鍵を渡す。
 銀色の鍵、凹凸に文字を記し、持ち手にはバツ印のあるアンティークな鍵を。

「話した通り、これがあれば何処へだって」

 アーサーは何の躊躇もなく鍵を宙に挿し、現れた扉を前に手首を捻り、中世ヨーロッパの活気溢れる市場の風景が現れた。
 閉め、もう一度開け、今度はどこぞの泉が現れる。
 そして鍵をポケットにしまおうとしたのか消えた鍵に肩をびくりと上げ、手のひらの上に出し、またびくりと上げ、目の前に画面を出し人差し指でちょんと触れると肩を上げた。

「お前ってさ、アーサーってさ、天才だよな」
「そんなことはある」

 画面を弄り検索エンジンでなにか検索できることを知ると、すぐにキーボードを出し人差し指で一つ一つ入力し、なんと今日は何の記念日かを検索している。目線で画面の右上に表示された時刻と日付も確認している。更に俺の名前を入力して俺がどんな神かを読んでいる。

「天才過ぎておれこわぁい」
「なぁ、均衡機関の創立者その二」

 アーサーはコウと目を合わせた。

「年間金貨五百兆枚も稼いでる民間企業のお偉いさんが、俺なんかを勧誘して何を企んでいる?」

 アーサーは、笑む。
 ああ、その顔、本当にあのフクロウなんだ。そんな顔を今までしていたんだ。
 コウは、喉を鳴らして笑った。

「どこまで推理してんのか俺にはさっぱりだけどさ、したよ、何かをな」
「ここ、お前の部屋?」
「正解」

 アーサーは部屋を見渡す。
 ベッドは黒一色だが、カーペットは極彩色の模様が描かれ、カーテンは取り外された形跡のみ残り、ガラスの向こうのベランダには大きさの異なる梯子が二つと大きさ順にバケツと缶詰が規則正しく並んでいる。ベッドの足元に設置された木造の船は造りかけなのか木の板らしきもの(段ボール)の上で破片が散らばり、リビングにおいてある椅子は全て形も大きさも異なり、火の球(電球)は鳥の形のまま動かない。
 なんというか、全体にごちゃごちゃとしてはいるが整理されているところは整理されているし、決して物で溢れているわけでもないが各々が主張していてうるさい。
 これを見せられて逆に俺の知らない他人の部屋だったらどうしようかと。もし家族の部屋に案内されてたら、俺急いで鍵使って逃げ出す自信ある。だって怖いじゃんそんなの本格的に頭イカれてるって。

「お前個性がうるさいもん」
「静かですー、おしとやかですー」
「はいはい」

 コウは安心した。会話もできているし、脳も順調すぎて次から次へと推理を当てている。
 やはり天才。俺よりは天才じゃないけど。
 何せ彼は一つだけ大きな間違いを犯している。名前を与えたい理由を彼は深く掘り下げなかった、この世界では必要だからと納得して。ではなぜ必要なのかと掘り下げなかった。
 あぁ愚かなフクロウ。なんて愚かな。

「ところで、コウよ」
「はーい?」
「今調べたんだが、神は名前を与えた生き物を眷属にできるらしいな?」
「べべべべべべつにそんなことねぇって」

 突然舌を噛みまくる神に、アーサーは画面を閉じ鍵も亜空間にしまった。

「まぁいい、これが賭けの結果だ、受け入れるしかない」
「そうだよ物分かりいいよな本当助かるわー!」

 肩を組んだコウの足をアーサーは足をフクロウの足に変化させ爪で握る。

「あャーッスゲェー?!」
「んでぇ?俺の主サマァ?エサぐれぇ寄越せ。ちゃーんと主人らしく衣食住の確保と働きに応じた対価と標準以上の常識と識字も備わった眷族にしてくれんだろぉなぁ?」

 開いた紫の目に、コウはアーサーの肩をつかみ無理矢理にでも剥がそうとする。が、本当に剥がしてしまったら足の皮が取れてしまうだろう。
 なんて、なんて恐ろしい聖なる獣。

「そういうとこ、ヘヘッ、好き」
「聞いてねぇわ」
「皮ぁぁぁあ!」





 基準時間二月二十三日午前二時十八分

 巨大、としか言いようがない四面真っ白な空間の端で、元の姿に近い獣姿でアーサーは腕を枕に丸まって眠り、こうしてみるとただのかわいい動物にしか見えないが、その内に潜むのはひね曲がったクソ野郎かつどこまでもどこまでも狡猾な、時に面白さだけで人を弄ぶとんでもない人格のおっさんだ。
 コウは扉を閉め、隣にいる青い目を見た。

「本気でアレ眷属でいいんすか?」
「ウリエルもああいうの好きだろ?」
「どうせおっさんを眷属にするなら、真っ直ぐなおっさんがいい」
「わかるいいよな。俺はひねくれてる方が好き、かわいい」

 ニヤリと笑うコウにウリエルはため息を吐き出し、コウに書類を一枚渡す。

「第一天国からの要請。今年の分のウラン寄越せって」

 書類を受け取ったコウにウリエルはパーカーのポケットに両手をいれる。

「あそこ本当核で賄うよなー、気持ちはわかるけど、廃棄所にサバーニャたち使って欲しいわ間違いなくあっちのがいいって」
「俺に言われても……まぁ、ほら、居たとしても極悪人しか居ないから、誰も問題にしないのが一番の問題だと思うよ俺は」
「だよな、俺たちからしちゃ善人も悪人も等しく命だって、あっちに何回伝えりゃいいんだか」

 コウは書類を亜空間にしまいさて次だと移動しようと、ふいにウリエルに腕を掴まれ視線を向ける。

「結構前だけど、サオがセイを殴りかけて落ち込んでた」

 殴りかけたということは、その時止められるのはウリエルだけだったのだろう。
 しかし兄さんが子供を殴るとしたら、ああ、きっと「世界滅んだらいい」とか兄さんにとって一番聞きたくない言葉を言っちゃったんだろうなぁ。忠告しておくべきだった。

「ウリ、ありがとうな止めてくれて。兄さん今どこか分かる?」
「今日はもう寝た。最近また睡眠時間延びてるから、そろそろ新しい肉体を用意した方がいい」
「昨日何時間寝た?」
「十二時間」
「分かった準備始めとく、他には?」
「なし」
「はいよーおつかれ〜」

 コウはウリエルに背を向け姿を眩まし、次に現れたのはこれまた無機質な空間、とある研究室のとある会議室。
 いくつもの椅子が並び円を描くように配置された白い机に、コウは部屋の両端にそれぞれ一つだけ置かれた片方に腰掛け足を机の上に乗せる。
 コウの右手に腰掛けていたネリネは数々の書類を乱雑に広げたまま口を開いた。

「聖獣の魂に悪魔の肉体は安定してる。人間の魂に妖精の肉体も、天使の魂に悪魔の肉体もようやく安定しはじめたよ」
「俺なしでいけた?」

 コウは天井を見て目を閉じる。少し疲れた、ここらで少し休もう。

「いけた。安定はしてるけど、数値を見る限りでは能力が外に出てくる可能性はかなり低い。アーサーはもう変身までしてたけど、あの被験者は別格の最高品質だから研究データには入れられないね」
「良すぎちゃったか」
「うん、良すぎだね。今回は中央値ぐらいの被験者でどこまでいけるのかが大事だから、別の例として数える」

 コウは全身の力を抜き、ネリネは書類を一枚目の前に移動させる。

「昨日の会議で決まったんだけどもう実験世界を用意するんだって。月の裏側に拠点置いて、今大量の人間の有精卵を準備してる。今のところ一千万は用意したから、一ヶ月後には終わるんじゃないかな。それと、その世界は”アグリス”って呼ぶことにした」

 目を開けネリネと視線を交えるコウは記憶の奥底にしまった情報を引っ張り出す。

「アグリス?それさぁ、俺らのふっるーい言葉で”怠惰以外の欲”に使う冠詞だけど?皮肉効きすぎじゃね誰が考えたんだよ」
「アズラ」
「あのひねくれか〜!じゃあしゃねえわ〜」

 再び天井を見て目を閉じたコウに、ネリネは淡々と情報を伝える。

「問題はまだある。やっぱりこれが大きいね、人間の肉体と他種族の魂を弄っても適合率が百以上にならない限り反発し合うことと、実際に十人で試した結果全員五パーセントにも届かなかった。できれば一ヶ月後にはセイ・カボルトに可能な限りのストレスを与えてどれが一番反応して、再現可能か、一番効率がいいか色々見たいっていう話になったから、コウも一応目を通してね」

 渡された書類をコウは視線を向けることもせず受け取り、手を頭上より高く上げ軽く目を通す。

「これってようは、世界渡って苦しみましょうってことだろ?」
「そうだね」
「俺とサラでやる」
「いいよ」

 ちらと、コウはネリネを見た。

「サラもね、コウならきっとそんなことを言うって言ってたから」
「さすがサラ、後で愛してるってつたえないと」

 コウは書類を亜空間にしまい、しばらくの間目を閉じ腕を腹の上に乗せ仮眠をとる。





 基準時間二月二十三日午前三時
 第二天国、アースガルズ

 ユグドラシル本体の幹がそびえ立ち、雲の回りに海が存在するそこはかつてとなってしまった最高神オーディンを長とするアース神族の国であり、壁に囲まれたそこは大抵の生き物は許可されない限り立ち入ることができない。
 コウはウルズ泉の周囲で栄えた都市を訪れ、かつて戦士だった人間たちの街はいつしか都市となり、他の親族の神ですらたまに足を運ぶ地となったそこで辺りを観察していた。どうやら今日も午前三時だというのに賑やかで酒場の周囲など特に笑い声が響き渡っている。
 恐らく、世界に文章として公開したある文が、この辺りの土地では栄誉あることだったからだろう。

『神々は死に絶えた。たった一人の人間との戦争で、ほとんどのモノが肉体すら残せず死に絶えた』

 勇敢な戦士を称えるこの国では栄誉あることだ。悲しんでなどいられない、来る終末ラグナログに備え今日もまた訓練へと勤しむ。それが彼らの生き様だ。
 だが、終末の際に予言を受けるはずの最高神オーディンが死んだ。それ以前に、束縛されていたロキは解放され均衡機関の人員であるし、ロキの子である狼フェンリルも人員の一匹で、いくつか存在する予言の一つではオーディンはフェンリルに倒されるが実際にはこの二人は仲良しになった。既にラグナログは破綻しているが、今回知らされた事実により根本から破綻したと言ってもいい。
 それすら酒と共に流す彼らはこれから先、どうやって生きるのだろうか。
 それとこれとは別として、この辺りは特に異変はないと判断したコウは裏道へ進む。
 ゴミの一つも転がっていない裏道、生き物の気配は薄く、大通りから外れていくにつれ誰もが眠りについていた。

「やっほ〜」
 コウの隣で両手を開き歓迎するロキに、コウは肩を組み同じ歩幅で足を開く。

「お前義兄弟死んだって聞かされてもなーんも気にしねぇのな、しかも俺とセト燃やすし」

 スーツ姿に今は黒髪黒目色白の端正な顔を持つ彼はニヤニヤと頬を上げて笑う。

「それよりさぁ、神ですら勝てなかったのにどうやって異種族混合の、しかも体は人間の奴等で勝つつもり?俺にも教えてよその算段をさ」
「極秘情報」
「けち。死んだとは聞かされたよ、でもさぁ、どんな戦いだったかは皆に教えないのは、コウちゃん、どうして?」

 ロキは楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。これからなにがおこるのか全く分からない、それだけで笑ってしまうほど楽しいんだろう。

「お前に教えてもロクなことにならねぇからやーだ」
「そこらへん真面目だねコウちゃんは」
「俺はいつだって真面目だわ」

 クスクスと喉をならし、俯き、口許を手で押さえて笑う彼はコウの肩に腕を乗せた。

「俺、今日は女の子の気分〜」

 二人の黒い目が交わり、同時に立ち止まる。

「金髪碧眼がいい」
「本当金髪好きだね、なんで?」
「俺の渇望」

 真剣な眼差しで答えたコウの目の前には、金髪碧眼の美女がシャツのボタンを上から二つ外していた。

「そこらへんもまだ聞いてなかったな、いつか教えて?」
「気が向いたら」

 ああまた来たのかと、今月で十回目だと、とあるホテルの店主は頬杖をつきながら白髪と金髪の男女が二階へ上がるのを見送った。






 基準時間二月二十三日午前五時五十一分

 肉や魚や野菜の焼ける食欲をそそる臭いに、焼き途中のパンの腹を刺激するどこか甘い香り。手際よく包丁を動かし忙しなく大鍋をかき混ぜ下準備を行う調理人たちに、コウはカウンターで頬杖をつき時間が来るのを待ち続ける。
 一人、鹿頭を持つ半人間の悪魔が、コウの目前に立った。

「コウ様、何食べたいんですか?」

 コウは背中を伸ばし頭上のメニュー表の更に上に設置された時計を見る。

「まだ時間じゃなくね?」
「受付は六時半からですけど、コウ様は別です」
「いいの?ありがとう。そこのスープ鍋の列あんじゃん?あれの一番手前のやつと、さっき取り出してたカレーパン、よろしく」
「かしこまりました」

 指をさし示しながら伝えたコウはどこか無愛想な鹿頭の彼を目線で追い、しばらく床を片足で叩いて待っていると紙袋に入ったカレーパンと赤カブとサワークリームが入った、恐らくボルシチをトレイで渡され受け取る。

「ありがとな」

 彼は再び自分の持ち場であるパンのエリアへ戻り、コウは食堂でカウンターにもっとも近い席で腰掛けまだ熱いパンを頬張った。
 栗カボチャ入りだ、香辛料も沢山入っているのか結構辛い。そこが旨い。
 のんびりと、ゆっくりと噛んで食べていると、ちらほらと生き物が食堂へ集まりはじめていた。
 城の正門のような大きな扉の手前には長机と長椅子が等間隔にならび、ステンドグラスで彩られた窓や西洋様式の建築にオブジェと共に飾られた電球、ゴシック建築の豪華絢爛な広々とした空間、向かって左側には注文する装置がずらりと並び、半分はそこへ立ち寄ってから食券を片手にカウンターに並ぶ。
 今はまだ朝食時であるため残りの半分はカウンターから見て左側にあるパンやらチーズにジャムに、米やらスープやらドリンクまで並んだエリアへ足を運び各々食べたい物を運んで空いている席に座る。
 いつもの光景だ。朝、昼、晩、それぞれ少しずつ生き物の流れは違うが、いつもの光景だ。
 この時間にはコウが必ずいることを知っていた機関の人員は特に気にすることなく朝食を食べ始め、たまたまコウの目の前で腰掛けた人の形をした死神は朝からステーキを頼み、恐らく五百グラムもの肉を頬張ると満足そうに噛んでいる。
 さすがは死神だ。死神の約六割以上が大食いと言われているが、朝っぱらからステーキとはさすがとしか言いようがない。そして何より、俺の目の前でステーキ食えるとか相当な。
 顔を見る。三十代の男の顔、黒縁メガネをかけたオールバックでスーツ姿の男。

「リジネルってさぁ、たまに無神経だとか言われねぇ?」

 ちらと、肉を飲み込んだ男はコウと目を合わせた。

「言われるが」

 コウは笑い、リジネルが持ってきたまだ手をつけていない茶を飲み、ジャスミンティーだ、カレー食った後だとこの爽やかな味が丁度いい。

「お前には言われたくない」
「ごっそさ〜ん」

 飲みかけのコップを渡されたリジネルは重い息を吐き、姿を消したコウの席に別の誰かが腰掛け、また肉を噛んだ。





 基準時間二月二十三日午前九時十三分

 机上には数々のメイク用品が並び、目前の壁にはガラスとその周りには電球が取り付けてある。控え室の白い椅子に腰掛けていた艶のある白髪を揺らす女性はヘアメイク担当の悪魔が整えた髪に満足そうに笑み、真っ赤な唇の間から白い歯が覗く。

「コウ様ー、出番でーす」
「はーい」

 呼ばれた女性姿のコウは立ち上がり、鏡の前で胸元が薄いレースで飾られた黒い服と、黒いタイツに、ブーツを確認してその出来映えに頷く。
 案内された撮影スタジオではホワイトバックの中央に黒い椅子が一つ置かれ、その前に設置されたカメラを確認していたカメラマンの烏天狗が扉が開いた音に反応する。

「こんにちは〜、今日はよろしくお願いしますー」

 全員に手を振ったコウにスタッフ全員が拍手をし挨拶の言葉が飛び交う。
 コウは烏天狗に手を振りながら近づき、肩を組んだ。

「最高に美しい俺を撮れよ」
「お任せください!……その香水、いいですね」

 椅子に腰掛けたコウにアシスタントは照明器具を調整し、スタッフの一人が化粧品を手渡す。

「だろ?魔女から貰った一級品だ」



 椿の花が咲いたよう真っ赤な唇を、艶やかな爪が、親指が押さえつけ、顎を撫でる男の手が離れると真っ黒な瞳がうすらと開き白い髪が流れ落ちる。
 白髪の男は赤い親指を自身の唇につけると、白い歯を彩る薄桃色の唇に鮮やかな芍薬の色が落ちた。

「おにゆり美鬼、新作ルージュ発売」

 白髪の男性と白髪の女性が互いの肩に腕を乗せ、芍薬と椿が二人の背後で咲き誇る。
 その広告を見たコウは、何気なく見ていた動画に突然自分の顔が二つも写り思わず腹から声を出して笑った。



 とある本屋の出入り口に並べられた雑誌の中で、女性向けファッション雑誌に口紅を塗った男性の写真がでかでかと表紙を飾り、それを目にした、否、それを目的に来た女性たちは一世に手を伸ばす。
 コウが表紙の雑誌を大切そうに抱えた小鬼の少女は微笑みが絶えず、道端で開き裏側の表紙が女性の姿のコウであったことに肩を跳ね腹から笑いだす。

「コウ様ステキすぎる〜!」

 黄泉の国のとある町で、少女の歓声が響き渡った。






 基準時間二月二十三日午前十一時四十分

 姿鏡の前で、裸の少女は自身の頬を触った。
 艶のある黒い髪は肩まで伸び、吸い込まれそうなほど黒い瞳はパッチリと開き、胸はほとんど無く、手で寄せても無く、腰も女性らしいラインは無い。

「こんな、こんな、美しいからだを貰っても、よろしいのですか?」

 鏡の前で嬉しそうに笑む少女に、コウは壁に背をつけながら頷いた。

「心の底から喜んで受けとれ」
「感謝いたします」
「もう一つ、ラプラスのために俺が服を用意してやろう、前に無理言ったからそのお礼」

 コウは腕を開き手のひらを内側に向ける。
 胸の前で何本もの糸が中心に集まり布が形成され、形を造り、やがて次から次へと完成した衣服が宙に浮かび誰の手も使わず折り畳まれる。
 糸と作りかけの布を亜空間にしまったコウは手のひらを天井に向け、畳まれた布を支えると白い机に乗せた。

「着方はわかる?」
「大体は」

 ラプラスは白い下着を一枚広げ、首をかしげながら自力で着ようと体を動かすも布に腕が引っ掛かっていた。もう一度脱ぎ再挑戦する彼にコウは下着を貸せと手を出し、渋々渡された下着の腹部の布をまとめ円形にし、頭から被せ、広げた袖口に腕を通した彼はさて次だとパンツを手に取った。

「悪魔の魂で天使の肉体となると不具合が起きやすい、一日様子を見るからな」
「ああ、視覚は異常ないし、体もこれといった違和感はない、思考力も落ちていないし、あと、文字が書けるか確認したい」

 服のとなりに紙とペンを置いたコウは、やり方を理解したらしいラプラスが黒いワンピースを一人で着て、一人でボタンを止めるもどこかぎこちない動きをじっと観察する。

「ボタンすら留めたことがないから、ちょっと、私には難しい」
「良かった。いつも全裸だもんな」
「別の言い方があるでしょう」

 一番上のボタンを留めた彼は満足そうに頬を緩め、見た目は少女、体は天使、魂は悪魔、中身は恐らく男のとんでもない生命体にコウも満足する。
 ラプラスは椅子に座らず紙の上でペンを動かし、問題ないと判断した彼はコウを見上げた。

「襲わない、のですね?」

 今だったら好き勝手できるだろう、力の使い方はまだ分からず、出てこず、これだけ華奢で小さな体であれば願望通りのことができるというのに。
 コウは腕を組み眉間にシワを寄せる。

「襲わねぇよ。不具合があるかもしれないって思ったら、気になって気になってそれどころじゃねぇわ」
「その真面目さを他のところでも発揮すれば、きっと素晴らしい神として崇められることでしょう」
「うるせうるせッ」

 ぷいとそっぽを向いたコウにラプラスは微笑んだ。
 急いで力を扱えるようになりコイツから逃げなくては!
 猶予は、わずか一日。明日になったら間違いなく食われる!嫌だそんなの!俺は男なんだ嫌だそんなの!
 逃げるための、立ち向かうための算段をラプラスは頭を回転させ組み立てていく。

「外歩いてもいいけど、もし突然動けなくなったら最悪だからラプラスの鍵の設定弄っていい?」
「どうせ、この部屋から出られないように設定するんでしょう?」

 黒い瞳が交差し、コウは、悪い企みがバレてしまったとばかりに歯を見せて笑う。

「天才少女には後でチョコレートケーキをやろう」

 ラプラスは玄関へと足を進める。

「結構です。砂糖はどの種族もとりつかれる麻薬だ」
「なら薬でもある」
「その薬を制御できない出不精がどれだけ居るか、貴方はよくわかっているハズ」
「おー怖い怖い。ところで、靴ないけどいいの?」

 ドアノブに手を添えていたラプラスはハッと足元を見て、扉を開けた。

「結構です。私も機関の人員だ、好きな場所で好きなだけ買いに行ける。洋服、ありがとう」

 ちらとコウと目を合わせた彼は賑やかな商店街の向こうへと姿を消し、ラプラスが書いた文字に視線を移す。
 ”ラプラス”って、おいおい、自分の名前を書くとか狡いほどかわいいな。




「はーッ············はー〜ッ············!」

 水色の作業椅子に腰掛けていたリリーは、キーボードの前で手を震わせ顔を赤く染め上げていた。
 パソコン画面の再生スイッチを、マウスを動かして、カーソルを合わせて、深呼吸し、勢いよく押す。

『何故あの万年発情期じじぃのゼウスが誰かとセックスし』

 再生を止めた。

「え、こ、れ、わたしっ、文章にしなきゃいけないんですか······?」

 手は動き、パソコン画面にコウが発した文章が綴られていく。
 手が止まる。
 呼吸が激しくなる。
 リリーは、どうしても『セッ』のあとが書けずにいた。

「何で私セクハラを受けているんですか?!」

 誰もいないリリーの自室で少女の悲鳴が木霊する。

「分かってる!分かってる!包み隠しちゃいけないから放送禁止用語も特例で書かなきゃいけないのは分かってる!でも……」
 リリーは画面をマウスの上に出しアプリを開いた。
 ある人物のアイコンを触り、操作し、すぐに出てきてくれたことに心から大きな感謝を抱く。

「モクレーン!」
『うわなにちょっうるさい』
「助けてください私下ネタ書けないよおおお」
『は?』

 通話を始めた相手はモクレンだ。彼女はリリーと特に仲が良く、こうして突然通話をかけてもモクレンは出てくれる。

『どういうこと?』
「昨日の!生放送!言葉を全部文章にして保存しないといけないんです!」
『あ〜、セックスが書けないと?』
「言わないで!」

 察しがいいんだか悪いんだか。
 リリーは汗をかきはじめ机の端に置かれたリモコンを手に取り、エアコンのスイッチを入れた。

『私が書こうか〜?その場合、この文章はモクレンが書きましたって表示され、だめだマニアが元気になる』
「マニアってなんですか」

 もしくは思いきって書くしかないのだが、それはそれでマニアが喜んでしまうだろう。
 モクレンは次の案を出そうとするもどれもこれもマニアが喜ぶ結果となり、やがてめんどくさくなり、リリーにとって一番辛いであろう言葉を告げる。

『そのまま書くのが一番!』
「そんなぁ……」
『頑張れ〜頑張れ〜』
「えぇ……え、ええぇ……」

 リリーは、キーボードの上に手を乗せた。
 酸素を吸い込み、ゆっくりと、吐き出す。
 ぽち、ぽち、なんとか、なんとか『ク』を入力することができた。しかしこのあとが!もうすでに恥ずかしいがやりきってしまうのも恥ずかしい!

『頑張れ〜!』
「う、う、うおおおおおッッ!!」

 一文を一気に入力したリリーは、力尽きたように机に額を乗せた。

『おっつかれ〜!』

 なんで私、セクハラされたんだろう。
 リリーは今日はもう休もうとベッドに潜り、モクレンと何気ない会話で心を癒す。





 基準時間二月二十三日午前八時二十四分

 「ドック」と印刷された底の深い食器の中には野菜のスープと焼いたブロック肉があり、一見ペット用にしか見えないそれは一メートルはある食器の中に一メートルは軽く越える魚の姿焼きが置かれているため決して普通ではない。

「あの、このまま食えと?」

 大きな獣姿のセイは、ニコニコと微笑むサラを見た。
 朝目覚めると全身黒い毛皮で覆われたセイは己の肉球の前足をみて動きと思考を止め、声は出せるのかと恐る恐る出せば、いつもと変わらない声が無機質な仮眠室を揺らし、その直後にサラが現れたかと思ったら随分と小さく感じるサラが朝食と共にやってきた。

「だって、セイちゃんは自分でもとの姿に戻れないんでしょ?」
「そうだけどさ、いや、まず、何で俺動物になったの?」

 ばしん、ばしん、尻尾は苛立ちの感情に合わせ床を叩いている。

「魂が覚えていたセイちゃんのもう一つの姿だね。悪魔って魂が感情を記憶している傾向が特に強い種族なんだけど、まさか過去の形状まで覚えているとは思わなかった、これは大発見だ。研究を更に進めたいと思う。まず人間の遺伝子には魚や動物に植物だって色んな遺伝子が含まれているから、かつての記憶が呼び起こされて可能な限り」
「サラ?サラー?」

 ハッと、サラは口に添えていた手を下ろし両手を広げる。

「まずはお食べ!」
「サラって、研究者?」
「いいや、知的好奇心の塊」

 知的好奇心が溢れているから研究者なのではないのかと、セイは言葉を飲み込み、目の前のブロック肉に恐る恐る歯を立てる。
 食べにくい、というより、ほとんど食べ物を切るための歯しかない気がして、切りやすいんだけど食べにくい。
 犬歯で肉を挟み、頭を前にして舌も使って食べ物を奥へと移動させ、ようやく見つけたいつも使っているような、似たような感覚がする歯で食べる。
 あれ、これスッゴい美味しい味がする。なんだろうこの味胡椒じゃないし食べたことない味するけど、美味しい。
 セイは醤油風味の塩胡椒にフライドガーリックやオニオン粉末、パセリにレモンにオレガノにマジョラム等が入ったブレンドスパイスがかかった鳥むね肉であることなど分からず、ただ美味しい美味しいと夢中で食べた。そして思い出す。こんなに腹が減っているのは昨日の晩何も食べていないからだと。

「サラはさ、食べないよね」

 ふいに投げ掛けた言葉に、犬に近い歯と骨格で犬に近い食べ方をするセイを観察していたサラは息を飲んだ。

「セイちゃんごめんね!人間の体になってくる!」
「なんで?サラ?!」

 慌てて部屋から飛び出したサラにセイは一体なんだと首をかしげ、まあいいかと食べ続ける。行儀が悪いがこの姿なら仕方がないだろうと溢したスープも舌で舐め取った。
 これも本当に美味しいんだ。美味しいのが悪い。


 何てことだ俺としたことが。
 責任もって育てると宣言したというのに人間を育てる上で一、二を争うほど大事なことを忘れていた。
 人間は社会性を持つ生き物だ。社会性を持つ生き物は同じグループに属する”家族”と共に食事をすることで信頼関係を育む。そんな特徴を持つ生き物にとって影響を受けやすい子供の時期は特に重要だ、安心して誰かとご飯を食べる経験があるかないかで他人への信頼度や信頼関係の作りやすさが全く異なる。
 一つ思い出せば次から次へと情報が頭に流れてくるもので、もう随分と昔になってしまったが、親に捨てられた元奴隷の人間の子供を思い出してしまった。

 あの子は、与えたパンを奪われないように、必死に抱えて食べていたな。

 サラは研究所内の無機質で乱雑に増設された通路を進み続け、とあるセキュリティロックのかけられた扉の前に立ち鍵をポケットのなかに出した。
 鍵を認識し開いた扉の奥では、人の形をした生き物が液体の入ったガラスケースで保管され四列にずらりと並び、全員サラと同じ顔をして来る日を待ち続けていた。
 そのなかから一つのガラスケースを選んだサラは右隣に設置された液晶画面に触れ、画面に識別番号『O-4s5』、人間、解除の文字が記されると、袴が床に落ちた。


 戻ってきたサラは空になっていた朝食に肩を落とすも全部食べてくれた事に喜び、部屋で暇そうに寝転ぶ魔獣姿のセイの元へサラは近づく。

「ん?……ん?」

 セイは鼻をすんすん動かし、寝転んだままサラの方へ頭を動かした。
 アルコールの臭いがする。それだけじゃない、サラの臭いって、柔軟剤の臭いは変わらないけど、こんな、焼きたてのパンみたいないいにおいしてたっけ。

「消毒液と、なんだろう、この、んん?アンタ、サラでいいんだよね?」
「やっぱりその姿だと嗅覚すごいのかな?」
「焼きたてのパンみたいな感じの、ちょっとちがうけど、そんな感じの臭いする」

 だとしたら正常かつ嗅覚が普段から優れていた。悪魔にとって人間はいい香りで、思わず食べたくなってしまうように脳内物質が働くものだ。
 人間の体になったことは、やっぱり伝えないでおこう。
 伝えたらきっと俺も人間の体にしてほしいと言ってしまう。理論上可能だが、それはあまりにも惜しい。惜しすぎる。
 しゃがみ、顎を撫でようとしたサラにセイは逃げることなく目を閉じて口を動かした。

「サラ、おかわりある?」
「あるよ。お腹すいた?」
「すっごいお腹すいた」

 子供がお腹が空いたと言うのなら食べさせてやりたい。しかし、きっといくら普通のご飯を与えても、欲が満たされることはないだろう。
 どうしようか。魂を与えるべきだろう、だがこの子は食べてくれるのだろうか。悪魔である己を拒絶しているのに?

「たぶんねぇ、いくら食べても満たされないなぁ」
「どういうこと?」

 開いた目は、緑色だった。

「悪魔はね、皆、五歳になったら全員魂を食べるんだ」

 緑色の目のなかで、小さな瞳孔の回りで黒い円が一つ描かれていた。
 いつからだろう。観察している限りでは、目の光彩や瞳の変化は今日が初めてだ。

「セイは十年も食べてないから、そろそろ何を食べても満たされなくなるかもしれない」

 サラは顎をなで続ける。いい毛並みだ、柔らかくて、艶があって。
 セイは頭を引き起き上がる。

「昨日決めた。俺は、魂なんて食わない」

 サラは笑った。喉を震わせて笑った。

「俺は誰も殺さずに、元の世界に帰る」

 サラは笑った。腹から声を出して、誤魔化すように笑った。
 君はもう三十人以上殺してるよ。なんて伝えたら、また自殺するんだろうか。
 サラは言葉を飲み込み笑い声も止めた。

「いいよ、俺の予想を覆して」

 悪魔が魂を食わず何年生きられるのか非常に興味が湧いて仕方がない。
 それ以上に、その意思が、人間として生き続けようとする意思が、あまりにも愛しくて愛しくてたまらない。
 恍惚を乗せて笑う神に、セイは思い通りになってたまるかと尻尾を床に叩きつけた。




 基準時間二月二十三日午前九時十二分
 均衡機関南側、ベンズ広場

 新しく建設された橋の前で、数多の種族が壁や床を眺め子供が描いたような絵の前で立ち止まっている。
 広場とその周囲はどこもかしこも薄紫色で彩られ、ペンキを散らした跡や小さな動物の足跡や手形が残り、広場の中央では大きな太陽の花が咲いていた。
 ベンズ広場は大通りから少し外れた通路のその先にある。普段は誰も通らない、誰も住んでいない白だけが広がる住宅地で、そこだけが鮮やかに彩られそこだけが書類を受け取った種族や機関の人員が足を止めて眺めている。

「この太陽はコウ様が描いたのかな?」
「コウ様って画家なの?初めて知った」
「たまに描いたり作ったり色々してるよ。この辺りは子供が描いたって感じしてかわいい。あっちも良いな、大きな木のところ」
「これ絶対メタトロン様だろ!映画人気だもんなぁ」
「ロック好きが居る、この子絶対ロックが好き」

 大人たちは子供の絵を見て、友達と来たヒトは感想を告げたりちょっとした会話をしたり、一人淡々と一つ一つの絵を見たり、探したり、中には賑わっている広場になど目もくれず帰る者も居たが、大半が白い町のなかで唯一色を手にいれた広場に足を運んだ。


 コウは黄泉の国のとある都市を歩きながら画面を見る。
 均衡機関人員限定会員制ソーシャルネットワークサイトを見ていたコウは、とあるインフルエンサーが投稿した写真を見てふふんと鼻を鳴らす。
 モデルを兼業にしている女性悪魔が紫と絵で彩られた広場を背景に写真を撮り『新しくできた広場と私の服最高に似合う』とコメントを添え沢山の反応を貰っている。
 コウは画面を操作し、ベンズ広場の周囲に作った住宅地についての問い合わせ数を確認した。昨日までずっと誰も問い合わせなかったというのに既に十三件ものメールが来ているそうで、これからもっと増えるだろうと更に鼻をならす。
 コウはソーシャルネットワーク通称SNSはあまり長続きせず、一応会員ではあるものの毎日のように文字を発信する事に違和感があり、実際に会って、話して、一緒に飯を食べながら笑う方が好きだった。故に、極々限られた人数しかコウがアカウントを持っていることすら知らない。
 その方が面白い。誰が描いたのか分からないが、純粋に好きだと思ったやつが知らない他人に伝え広まっていくのを見る方が、面白い。
 コウは画面を閉じ、三階建ての和風建築の建物に足を踏み入れた。





 基準時間二月二十三日午後十二時三十九分

「どうしたー?!」

 画面を開き通話を始めたコウは拳を突き刺し、人とは呼べないヒトの形をした『怪異』の肥大した手が爆発し血肉が散らばる。
 全身が震えるほどの悲鳴を怪異は叫び、わぁわぁと子供が泣く声が夜の高速道路の上で木霊した。

『コウちゃんなにしてるの?』

 怪異はコウに向け手を振り下ろしコンクリートの地面が凹む。
 腕が十二本首から生え、人の頭を持ち、脳天で口を開き、背骨に沿って桜の木を何本も生やした怪異は目の前に現れたコウの回し蹴り一つで高速道路からビルへと体が飛びガラスが飛び散っていく。

「今は、神様として人間を救ってる」
『沢山救ってあげてね〜!終わったらお昼ごはん食べよ。セイちゃん育ち盛りだから今日ずっと飢えては暴走してて』
「いいけどそれ大丈夫?」

 桜の花が散り視界を彩った。
 高速道路の中央で身を寄せあっていた幼稚園児たちと保育士二名の前にいる、とある男をコウは睨む。

「ユダ!テメェあの雑魚倒せねぇってどういうことだよバカッ!」
「ご覧くださいこの両腕!見事に切断され血が止まりません!」

 ユダは笑いながら失った両腕を空に向け、緑色のスーツが赤に染まっていく。

「んでまーたお前だけ生き残ったって?!運がいいなぁテメェはよぉ!」

 迫る怪異の口に、コウは振り向くことなく白い拳銃を向け引き金を引いた。
 弾かれた銃弾は怪異の喉に当たり、鉄柱が四方八方に伸び怪異を貫く。

「サラ、今日の昼食は何が食べたい?」
『まだ決めてない』
「俺は今パンケーキが食いたい、ふわっふわのやつ」
『たべたーい!』
「すぐそっち行くから待ってて」
『待ってるね』

 途切れた通話と共に鉄柱が液体のように形を変え六面サイコロの中に怪異は閉じ込められ、縮み、白い魂が飛び出す。男は慌ててサイコロの元へ駆け寄り生えた手で魂を捕まえ、目前に現れたプラスチックの虫籠に魂を入れる。

「後片付けと記憶処理、よろしく」
「助けていただき、ありがとうございました」

 礼をしたユダは姿を消したコウに微笑み、なんだかんだ言って助けてくれる神に心からの信仰を向けた。




 基準時間二月二十三日午後一時三十四分

 金色の檻の中で獣姿のセイは何度も頭突きを繰り返し、全身に纏わせた緑の電気が度々空気の間を潜りグルグル音をならす。
 その目の前で、サラとコウは床に敷いたクッションに座り食後の飲み物でふうと一息ついていた。
 サラは緑茶で、コウはコーヒーだ。

「無理矢理魂食わせたら?ずっとグルグルしてんじゃん」
「そう思って、今寿命で死んだ妖精のおじいちゃんの魂を持ってきてもらってる。ちゃーんと本人から許可降りた子のやつ」

 仮眠室の扉が開き、妖精の肉体を持つ死神が金属の箱をサラの目の前に置いた。

「ありがとう」

 手を振ったサラに死神は目を合わせてから立ち去る。
 サラは箱を持ち床に手を添え立ち上がった。目の前で暴れるセイは未だに鉄格子に角をぶつけたり歯で噛もうとしたり、まさに獣らしい動きで食事を求めている。
 サラは箱を開け、手に持った黄色い魂を鉄格子の間に入れる。
 犬の口を開け魂を頬張り、飲み込み、尻尾が震えると鱗が逆立ち緑の稲妻模様が走った。
 落ち着いた悪魔は横に倒れると目を閉じ、すぐに眠りに落ちてしまう。

「よく食べたね〜偉〜い」

 頭を撫でたサラに、コウはカップを床に置いた。

「サラ、また一年後には間違いなく飢えるけど、どうすんの?コイツ魂食わない宣言したんだろ?これから何年いきるかは知らねぇけど、自分で食えなきゃこっちが疲れるって」

 サラはわずかに覗いた白い犬歯に触れ、唇を上げ歯の本数を数える。
 切歯が三、犬歯が一、前臼歯が四。

「そうなんだけど、人間として生きてるんだよセイちゃんは。人間は魂食わないから余計に受け入れにくいみたいだし……」
 合計、四十二本、体の動きや形は犬だが頭の形は、狼だ。

「どうしようね?」

 困ったように目を合わせたサラに、コウは床の上で視線を動かす。
 どうしようもこうも、例えば人間の血が混ざったハーフが居たとして、そいつらの大半はハーフとしての己を受け入れどちらでもあると答える。しかしそれを許せないヤツも当然居て、そこで魂はどちらなのかではっきりさせる者も居る。その場合でも、結局本人が決めるべきものだ。
 セイの場合は肉体と魂がはっきりと別れている。たまに存在するが、大抵は己は肉体の種族だと思い込んで生きて死に、自分の魂は別の種族であると告げられることはまぁまずないだろう。
 だから問題なんだ。前例がないから俺たちも考えながら行動するしかない。
 どうしようねと問われても、結局、こういう問題は本人が決めていくしかないんだ。

「悪魔か人間かは本人に任せればいいだろそんなの、そこまで俺たちが決める必要もないって。死んでほしくないなら縄で縛って無理矢理食わせればいい」
「確かにそっちの方が効率がいいよ。でもさ、食べるなら、心から美味しく食べてほしいんだ、俺は」

 赤い目が揺らぎ子に向けられた慈悲に、コウは胸を膨らませ言いかけた『愛してる』を払いのける。

「サラ、そいつはセイだ、セイ・カボルトだ。サラが寄り添うべきはそいつの心でも気持ちでもない、セイが判断した結果が、正解だったら寄り添ってやれ」

 立ち上がったサラは、いつもの笑顔を見せてくれた。

「そうだね。ちょっと悩んじゃった」
「サラ、愛してる」
「ありがとう」

 コウは簡単に受け取られ簡単に流されてしまった言葉に、決して悲しむことなく微笑んだ。



「すっごい!体、すっごい軽い!」

 目覚めてわずか一分も経たず、人の形に戻ったセイはつき先ほどまで閉じ込められていた檻の上で立ち上がる。
 バカって高いところ好きだよな。
 コウの思考にサラは顔を背けて笑い、二人の目の前に飛び降りたセイは痺れない足と浮き立つ感情に今朝よりも大きくなっている犬歯を見せて笑った。

「で?俺になにしたの?」

 サラとコウは互いに目を合わせる。

「うふふ」
「うふふ」

 肩を上げて笑う二柱にセイは遠ざかり「やっぱりな!やっぱりな!聞きたいけど聞きたくないわ!」と部屋の壁に背をつけ尻尾を天井に向け、明らかに威嚇していたが二柱は気にすることなく午後についての話を始めた。

「今日このあとルシちゃんのとこ行くから、コウは来ないでね」
「やーだ」
「来ないでね」
「やぁだ」

 楽しくて楽しくてたまらないとばかりにコウは笑むも、一息吐き出すと左足の爪先を床につけ腕を組む。

「俺、このあと音楽祭についての会議あるわ」

 頭を掻いたコウは普段よりも声が暗く、誰か見てもめんどくさいが伝わる態度だった。

「もうそんな時期?大丈夫?放送したあとだよ荒れない?」
「荒れるから俺が行くしかない。サボりてぇけど、あの九人姉妹が来るからさぁ」
「終わったら一緒に夜ご飯食べようね」

 ピンと、背筋を伸ばしたコウは嬉しそうに頬を上げもしも尻尾がついていたら千切れんばかりにぶんぶん振っていた。

「よっしゃあ片付けてやるよ見とけ見とけ穏便に済ませてやるから!」
「いってらっしゃ〜い」
「あ、え、っと、いってらっしゃい?」

 手を振ったサラとセイにコウは手を振り返し、音も風も何もなく、そこだけ切り取られたかのように姿が消えた。

「コウって働いてたの?」

 ふうと、小さなため息を吐いたサラはどこか呆れたように答える。

「心配になるほど、たくさん働いてるよ」





 基準時間二月二十三日午後一時五十八分

 一面赤で彩られた壁には数々の印象派の絵画が飾られた縁に納められ、木材の彫刻品が天井で主張し六つ並んだ電球を上品に引き立たせている。
 そこは会議室と呼ぶには相応しくないほど数々の芸術品が並び、ティーカップ一つにも職人の熱が込められていた。
 並べられた長机に座る九人の姉妹は各々全く種類の異なる衣服で身を包み、唯一共通していたのは、今から会議をすると発言しても誰もが信じない装いをし、目前にはアフタヌーンティーの菓子と紅茶が揃っていたこと。

「こんにちは〜、女神ミューズたち」

 九人の女神たちと対面になる位置に腰かけたコウは軽く手を振り、コウの隣では七人の男と一匹が一列となって各々女神たちと対になるよう腰かけていた。
 二つの机が並ぶ中で、豪華絢爛な部屋にはあまりにも不釣り合いなホワイトボードの前に立つのは、化粧をした恰幅の良い男。

「本ッ当毎回ギリギリで来ないでくれる?」
「遅れてねぇからいいじゃんはやく始めようぜ?」

 コウと化粧をした男がいがみ合っている中で、女神たちは相も変わらず自由気ままに茶菓子を食べていた。

「このケーキ美味しいからお姉さまのちょうだい」
「なんでだよ誰がやるか」
「ねぇねぇパパのお葬式どうするー?明日だってー」
「行かなーい、行きたくなーい」
「絶対ヘラおば様荒れてるって行くわけないじゃん」
「全員強制参加だ大人しく来い」
「えー」
「プライベート考慮しろー」
「そーだそーだ」
「葬式以上に大事なプライベートとは何だ答えろ」

 コウは、コウだけが、女神たちを見てかわいいと思い、他の七人の男は皆手を汗で湿らせ、一匹の猫、バステトは呑気に毛繕いをしている。

「では、第五千回目均衡機関運営音楽祭会議の新企画会議を始めます」

 化粧をした男を合図に男七人は拍手をするものの、女神たちは全員勢いよく立ち上がり私が、私が、いいや私がと我先にと互いに目を合わせた。

「待って?女神たち、待って?」

 手で制止を促すコウに視線が集まる。

「お前ら、父親も親戚も死んだんだよね?」
「だから何?」
「いや、そのー、ほら、まだ一日しか経ってないのにさぁ」

 一柱は、呆れたように肩を落とし、茶色の前髪を耳にかけた。

「私たちのここでの役目は、あらゆる種族を音楽やダンスでいかにして心から喜ばせるか。それだけのためにアトランティスからわざわざ来て集まってるんだ」

 一柱は、腕を組み男たちをねめまわす。

「そうそう、全種族を音楽で喜ばす運営側が、親族死んだぐらいで泣いてどうすんの?私たちが楽しまないと、真剣じゃないと意味無いから」

 一柱は、持ってきた案の書類を掲げ両手を開く。

「むしろこういうときこそ音楽だ!歌!演奏!躍り!全身全霊魂かけてこそ!」

 一柱は、やっと口の中の食べ物を飲み込み、穏やかでゆったりとした声で書類を抱える。

「そうねぇ、歌で背中を押して笑顔になってくれたら、芸術に関した女神にとって、最高の捧げ物ね」

 一柱は、椅子に座り紅茶の入った赤いカップを両手で持つ。

「むしろ、去年の倍は張り切らないと」

 一柱は、爽やかな笑顔で脅す。

「ぐずぐずしてる女神はここには一柱もいないんだから、そっちも震えてないで考えに考えた素晴らしい案をだしてね?」

 他の三柱は案の定喋らなかったが、コウは胸を撫で下ろし立ち上がる。

「やっぱり女神たちはかわいいな!誰か俺と」
「ナイフ投げんぞ」
「死ねカス」
「ケルベロスの餌になってしまえ」

 大人しく座ったコウに、化粧をした男はクスクスと肩を鳴らす。

「では、手前から順番にどうぞ」
「ッしゃあ!ありがとうブラギ姐さん!」

 ブラギ姐さんと呼ばれた男、俗に言うオネェも椅子に座り女神の案に耳を傾けた。
 ブラギは最高神オーディンの息子の一人だ。人間の間ではあまり語られることはないが詩人の神であり、舌にルーン文字が刻まれている為歌唱力にも優れている。彼女もきっと内心悲しんでいるだろうが、ああして平然を装って来てくれた。
 女神ミューズたちも父であるゼウスが死んでも己の誇りをかけて突き進み、誰よりも真剣に、誰よりも誠実に、誰よりも魂をかけて今年も音楽祭を盛り上げようと頑張ろうとしている。
 良かった、これなら今年も順調に進むだろう。
 コウは椅子に寄りかかり、女神に注意されてもニヤニヤ笑って誤魔化した。





 基準時間二月二十三日午後六時四十分

 渡された紙にサインをしたコウは、目の前にいる女性から視線を移し次から次へと門から姿を現し整列しては案内にしたがう食用天使たちをちらと見た。

「悪いな、突然今日に変更してしまって」
「いいっていいって、明日葬式なんだろ?んでー、アテネ?天使一万に妖精が五十八万、精霊が二十六万って、そちらさんは諸々大丈夫?」

 先日の話では妖精は十万ほどだったのに、倍以上が機関に来ている。
 アテネは頷き紙とペンを受け取った。

「世界を守る均衡機関が悲鳴をあげているんだろう?なら、全力で手助けさせてほしい」
「アテネは本当誠実で美しくて凛々しさもあるよな、かわいい好き」

 困ったように肩を揺らして笑ったアテネに、コウはいつもの誘い言葉をいいかけ飲み込んだ。もしも言ってしまったら、この至近距離であれば間違いなく全力平手打ちされ壁に体が埋まる。

「ありがとう。誉め言葉だけは受け取ろう」

 あ〜〜〜かっわいい〜!

「それに、実験の協力者は全員均衡機関の人員にしてくれるんだろう?ほとんどが若い者で働き先が見つかったと喜んでいる、むしろ感謝させてほしい」
「マジ?それいろんなやつに伝えとくわ。あとこれもできれば伝えといて『均衡機関は別にエリートだけを選んでるわけじゃねぇし五体満足じゃなくても誰でも歓迎してる』って」
「そうだったの?!」

 目を見開いたアテネに、コウはため息混じりに腰に手を添える。

「一応動画でも配信して何度も伝えてんだけどさぁ、なーんか知らねぇけど均衡機関って選ばれた者だけが行けるっていうイメージがついててさぁ」

 アテネは親指を唇に添え真っ白な石材の床を見た。

「それは、わかる気がするな。構成員を考えろ、ガネーシャにアヌビスにヘラクレスやアレクサンドロス、引退した妖精王やかつては人類の神キリストまでいたんだ」

 指を折りながら数えたアテネにコウは納得する。

「ほら、優秀じゃないと入れなさそうな面子が揃ってる」
「そいつら並べられると確かにそんな感じする」

 これは改めて世間のイメージを変えなければならない。均衡機関は今のところ百億以上の構成員が居るものの、万年人手不足で常に仕事で溢れている。
 今回を期に誰でも気軽に来てほしいから、後でどう宣伝するかを考えなくては。
 今まで放置していた問題を改めて認識したコウに、アテネはまた善くないことでも考えているのかと疑いの目を向ける。
 コウは通知音に気がつき画面を開いた。
「全員搬送したらしい。今日旅館泊まんの?送ろうか?」

 貴様の送り迎えなど嫌な予感しかしないわ。

「気遣ってくれてありがとう、大丈夫、明日のためにも今日は帰るとサラにも伝えた」

 そうだ明日葬式だ。

「そっかそうだもんな、じゃあな〜ありがとな〜」

 手を振ったコウにアテネは礼をし、開いた門の奥へと足を踏み入れ空間断裂装置が停止し、そこにはいつもの意思の壁が広がった。
 振り返り、通路の先では大勢の生き物が交差するホームとホログラムの球体が今日も稼働している。

「コウ、空き部屋が残り五万以下となりました」

 コウの目の前に現れたスーツ姿の黒髪の女性に、コウはやはり胸がでかいなと思いながら、報告に頷いた。

「分かった、明後日にはまず五千増やしとく。今んとこ書類は何人受け取った?」
「今日だけで五百万人以上来ました。待ち時間は平均して二時間以上、中にはあまりの人数に引き返す者もおりましたので、一時的に各地で人員を配置し書類を配布した方がよろしいかと思います」
「それはしたくない。今マキナちゃんが一生懸命一人一人魂の識別をしてスパイを探してるから、ここでわざわざ配るしかないんだ」

 加え、書類を何人受け取ったかを数える目的もある。それをもとに大まかな下準備をして、本格的に契約をする日までに寮を増やしたり鍵の材料揃えたりどれぐらいの人員をそこに割くべきか、等々考慮しやすくなる。

「しっかし待機時間長すぎ、某テーマパークかよ」

 これも問題だが、今日来てくれた妖精のなかには早速明日から働きたい者もいると聞いたので、書類を配ってちょこちょこっと説明する雑務をお願いしよう。ここに何人来てくれるかな、最低千人は欲しい、千人来てくれたら少しはスムーズになる、かな?なってくれたらいいが上手くはいかないだろう。

「今日八時上がりだろ?一時間早いけど今日はもうやることねぇし、ゆっくりお帰り〜」

 その言葉に、彼女は軽く頭を下げる。

「分かりました。先に失礼します」
「おつかれ〜」

 手を振ったコウに深々と頭を下げた彼女は鍵を出し、扉の向こうへ姿を消す。
 書類に関しては現場に任せ、欲しいものがあったらすぐに渡すのが一番だ。昨日建設した出口用の橋は損傷や事故の報告は今のところ来てないし、ああ、音楽祭の新しいスタジオ建設について話をしなければ、それは恐らく来週になるから、寮だ、寮増やさねぇとまずは。一日かけて五千しか作れないから今のうちに増設しないと。あと当初の実験協力者目標百万人だったのに軽く越えたから、食堂増やして農業用世界の食料倉庫使う検討もしないと。もしかしたら生産数あげないといけないし、調理人と清掃員諸々の募集も今のうちにした方がいいかもしれないな。俺並みじゃないけど天才なアイツらならもう考えてるか。この辺は任せてしまおう。
 石壁の前で呆然と立ち尽くし悶々と思考するコウは、ふいに時間見て午後七時二十分になっていたことに驚く。
 考えるとつい時間を忘れてしまう。
 コウは画面を操作しサラに着信を入れるも、一向に出る気配がない。
 ああ、昼間ルシファーのとこ行くって言ってたな。何の用件かは知らないけど、どうせなんかの約束の締結に時間かかってんだろ、悪魔の長はとくに約束事には厳しいからな。

『コウちゃんやっほー』

 コウが諦めかけた瞬間、待っていた声が聞こえ石壁を背に挨拶をする。

「はーいやっほー、そっち終わった?」
『ニャルの亜空間入っちゃった』

 絶望的な言葉を聞いたコウは、静かに正気度を減らした。





 基準時間二月二十三日午後十時四分

 機材の並ぶモニタールームで、コウは画面一面に表示された経歴に目を通す。

「コイツ、前に鍵製造室に潜入して材料奪おうとしたやつだよな?」

 作業椅子に腰掛けデスクの上に足を乗せ、椅子が軋む音を聞きながら背中に体重をかけ腹に両手を添える。

「間違いないかと」

 女性の声がモニタールームに響き、コウは手元にペットボトルをだし蓋を開けるとストローを差し込む。
 やはり異物が居たか。どうやら書類を受け取っただけでなにもしていない様子だが、どこかに小型監視カメラやら魔法やら能力やらしかけているのかもしれない。

「念のため通路全体とコイツが使ったトイレも全部掃除してほしい」
「既に手配し三分前から清掃が始まりました」
「さっすがぁ。攻天機動隊からの連絡はないな?」

 ストローを歯で挟みミルクティーを吸い上げる。やはり市販のものでは甘さが足りないが、昼頃にラプラスが言ってたな『薬を制御できない出不精がどれだけいるか』とかなんとか。俺が普通の生き物の肉体で生きていたら、今頃糖尿病かなんかで腕か足を切り落とすことになっていただろう。俺もその制御できない出不精の一柱だ。
 だからといって砂糖は大好きだ。

「連絡はございませんが、予算もっと寄越せとメールが届きました」

 コウはストローから口を離し天井を見上げ体を左右に揺らす。

「モクレンちゃんすーぐ良い物かつ最新のもの使いたがるからなぁ。まぁ確かにぃ?機関が金かけるべき機動隊サマですけどぉ?半年後に期待しろって返事しといて」

 これから人員が増える。今はそっち関連に金を使うべきだ。

「かしこまりました」

 ああそういえば。

「兄さんの肉体って、ストックあったっけ?」
「残り妖精の肉体が二つです」
「そろそろまた補充するか……次どうしよっかなできたら巨人の肉体がいいんだけどなぁ〜」

 妖精の肉体であれば三年持つ。巨人の肉体であれば十年は持つ。神の肉体であれば百年は持つ。だが神が死に兄さんの力と適合する確率はかなり低い為、比較的手に入りやすい巨人の方がいい。

「明日の午後二時までには家具が届くそうですね」

 なら寮の家具配置作業が午後二時半頃から始まるだろう。明日の予定を考えたら、ちょっと遅れるがどうせ半日は間違いなく使う。

「んじゃあ俺も手伝うか〜」
「明日は神界での報告会なのでは?」
「そのあとそのあと。四時頃には多分終わる、いや、頼むから終わってほしい」

 マキナはいつもの変わらない声に僅かながら心配の色を混ぜて告げる。

「明後日は休日ですよ、今日を入れて百五十日間一切の休みも一日五時間以上の睡眠もとっていません」
「もうそんなに経ってんの?早いなぁ」
「今年も長期休暇まで休まないつもりですか?」

 体の揺れをとめたコウは目を閉じ、飲み干したミルクティーのペットボトルを床に置いた。いくら休まなくてもいい肉体でも、一日最低三十分の仮眠を取らなければすぐに脳が悲鳴をあげてしまう。

「充分休んでるって。それに、楽しいことの方が多いからいいんだよ」

 マキナは返事を返さない。これ以上は無駄だと判断したのだろう。それでいい、俺はそういうところは頑固だからな。
 コウは目を閉じ、深い呼吸を繰り返す。
 今のところ俺個人向けての憎悪による行動は起きていないようだし、サラに対する不満も均衡機関に対する不満も不評も目立ったものは無い。良かった、よくはないが良かった。大勢の神を失ってもこの世界は機能しているし、何より生き物たちは希望を持って生きている。俺が予測していた未来はどれもこれも杞憂だったようで、本当に良かった。
 安心すると疲れを認識し、疲れを認識すると脳は快楽を求め始めた。

「ラプラスがいまどこにいるか分かる?」
「サラが個人の位置情報のアクセスを禁止していますよ」
「そうだった。んじゃ後で侵入してやろう」
「可哀想……可哀想に……本当に可哀想……」

 マキナの同情にコウは肩を揺らし、そういえばマキナは女の子だったことを思い出す。
 ふと、通知が来た。
 椅子に体重を預け天井を見たまま目前に画面を表示する。どうやら鍵の制御装置に異常が起こり一部世界との空間断裂と修復が行えず、全世界での渡航を緊急停止させたらしい。
 立ち上がったコウにマキナは声をかけようとするもすぐに姿を消してしまい、ここに戻ってきたらしつこく休めと言ってやろうと決意する。




 基準時間二月二十三日午後十二時十一分

 暗いリビングのなか、白いソファに腰掛けたコウは両腕を広げ全身の力を抜いた。
 約二年ぶりに鍵の制御装置が異常を起こしたが、無事に修正作業が終わり、集中力を使い果たしたような疲労感が全身を襲う。鍵の制御装置に関しては特に慎重に扱わなければならず時にサラにもダメージが入ってしまう為、どの仕事よりも意識や集中や熱を注いでいる。だからこそ、何よりも、とてつもなく疲れる。

 こんなときこそセックスだ!

 立ち上がったコウは寝室に繋がる扉を開き、人がいる膨らみのあるベッドへ飛び込むと毛布を捲り剥がすように床に投げた。

「う?うッ?!うわぁぁぁあッ?!」
「ラプラスお前全裸で寝る派か!」
「来るな変態!このッペド野郎!」
「いい眺めだなぁ?!」

 げしげしと足、手、全身を使って攻撃し能力も使おうとするもやはり使えず、ラプラスの手首を上から押さえるように掴んだコウは舌で自信の唇を舐める。

「本当に……ははッ、いいな……」
「嫌だぁぁぁぁあ!」

 少女の叫びは誰にも届かず、齢一万超えのラプラスは悲鳴をあげた。













 セイは、まるで鏡のように景色を反射する黒光りの鎧を前に、尻尾を天井に向け目を輝かせていた。
 自身の顔が写るそれは蛇をモチーフにした紋様が胸元に描かれ、腹の前で掲げられた剣は銀色に輝き証明の光を反射している。金の柄にはオレンジの宝石が一つ、己はここだと存在を主張し、じぃと見つめていれば中央から緑に変化しびくりと肩を上げサラを見た。

「うん、はーい。セイちゃん、このお城自由に探索してもいいって」
「サラ、サラ!」

 慌てて色が変わってしまった石を指差すと、サラは柔らかな笑顔で答える。

「大丈夫、それ近くにいる悪魔に反応して色変わるから」
「そう、なの?」
「そうだよ壊してないよ」
「よかったぁ」

 ほうと胸を撫で下ろしたセイは今度は青い炎が灯る暖炉に近づき、しゃがんで手を翳すと赤い炎と変わらず暖かくパチパチと音がなり、本物の炎であることに胸を高鳴らせ、その次は壁にかけられた馬と熊を混ぜたような一角魔獣の頭の剥製に、その次は筋骨隆々のゴリラと牛を混ぜた生き物が一匹、白い翼を持つ天使を踏み潰す絵画と、どれもこれも見たことのないものばかりで好奇心が暴れ視線と体があちこち動き回る。
 そんな今にも走り出しそうな十歳の子供に、サラはもう一度伝えた。

「俺はルシちゃんと話してくるから、セイちゃんはこのお城探検してね」
「いいの?!」
「このお城の持ち主ルシちゃんが子供は遊ばせとけって許可してくれたんだよ、あとでお礼言いに行こうね。何かあったら誰かー!って呼んだら来るから」
「分かった」
「またあとでね」

 サラはセイに手を振り、燕尾服を着た悪魔の後をついていく。
 扉が閉じた直後、セイは左手にもある赤い扉へ駆け寄り、開くとそこは案内された客間よりも更に更に、見上げるほど大きな客間が広がった。
 シャンデリアが部屋を照らし、赤いテーブルを挟んで黒いソファが誰かが座るのを待ち続けた、天井も、床も、壁すら計算尽くされた部屋。一つ一つが重圧で豪華絢爛を体現した空間は子供にとってただ好奇心が擽られるものばかりで、セイは物語の世界に飛び込んだ気持ちで口を呆然と開けたまま部屋を靴のまま歩く。
 ここは誰かの家だと言うのに靴で歩いていいらしい。確か海外ってそうなんだっけ、じゃあここは海外、いや、違う、知らない世界の知らない国か。
 そう考えると尚更行けるところ全て回りたくなり、セイは駆け足で扉を開け長い長い廊下や階段を乗り降りしては城の中を探検する。
 サラとセイが訪れたのはサラが普段ルシちゃんと呼んでいる男、第二地獄ゲヘナの魔の王『サタン』が住む地獄のなかで最も面積の大きい城、所謂魔王城である。
 そんな部屋も従者も国宝も底知れず、城内の地図すら非公開の場所をセイはスニーカーで駆け巡り、ゲヘナで生きる悪魔にとって恐れ多すぎてできない城の探検を平気で行い、遊び、時にはピアノや魔獣の毛皮に触れ子供らしい好奇心を満たしていく。
 あぁ、もしもこの場所にアイツが居たら、もっともっと楽しかったのに。
 そんな寂しさを覚えながら公園の木よりも大きな柱が並ぶ廊下を歩いていると、ふと、弦楽器が奏でる軽やかな音色が鼓膜を揺らす。
 反響する音は遠く離れ、威厳溢れる城の廊下には相応しくないほどアップテンポな音階。耳を澄ましていればたまに音が止まり巻き戻り、おそらく誰かが楽器を練習しているのだろう。音色は素人でも分かるほど透き通り耳障りがここちよく、自然と爪先が音の方角へと向いた。
 廊下を抜け、階段を下り、強くなる音に胸を弾ませる。
 やがて音の発生地と思わしき扉にたどり着くと、周囲は華々しさよりも効率を重視されたどこか質素で装飾などなく、目の前にある扉でさえ取って付けたようにただの木材で作られている。誰がどう見ても様子が異なっていた。
 わずかに、部屋のなかから外へと光が溢れている。ちょっとした申し訳なさを抱きながら中を覗き、自然と呼吸も浅くなる。
 黒い動物が、二本足で服を着ている。
 黒い動物が、長い長い尻尾を揺らしてヴァイオリンを弾いている。
 黒い動物は遠目から見てもセイと比べて頭一つ分は小さく、足をよく見ると馬や牛のように蹄があり、手にはピンク色の肉球が黒い毛の間から覗きどこか人間のような五本指の形をしていた。
 ピンと、動物の耳が立ち音が止まる。
 振り向いたのは四つの目を持つ黒山羊。二人は視線を交え、セイはぞぉっと背筋が凍り。
 思わず逃げようと下がるセイに言葉が投げ掛けられた。

「今日一般公開の日?」

 恐る恐る、再び部屋のなかを見たセイは首を横に振った。

「違うの?じゃあなんでこの城に入れたの?」
 黒山羊はセイもよく知る言語を話す。

「え、っと」
「あ〜」

 どこか納得した様子の黒山羊は手際よくヴァイオリンをケースに仕舞うとセイのコツコツ足を鳴らして近づき、扉を開け手を差し出した。

「はじめまして、チャドです」

 動物の手。肉球のついた、人間にも近い動物の手。
 恐る恐るセイは手を握る。

「はじめまして、セイ・カボルトです」

 握手をして挨拶するのは初めてで落ち着かない。どうするのが正しい挨拶かも分からない。
 どこか困った様子のセイをチャドの四つもある目は細かく観察する。
 上等な生地の服だが随分とラフなパーカーとジーンズだ。見るからに子供で、角も小さく尻尾も落ち着きがなく制御が効いていない、恐らくまだ二歳頃だろう。だとしたら俺より一つ下だ。あれ。
 漂う臭いに、一度しか嗅いだことのない随分と濃い”神”の臭いと確かに混ざる人間の臭いに、チャドは内心首をかしげた。
 目の前に居るセイと名乗った子供から、悪魔の臭いが全くしないのはなぜだろう。
 まぁいいか。どうせどっかのお偉いさんが連れてきた子供だ下手に聞くのはまずい。
 手を離したチャドは目を合わせる。

「そうだ!今日もね魔王様へって生け贄に捧げられた魂が届いたんだけどこっそり食べる?」
「大丈夫です」

 慌てて首を横に振ったセイに、チャドはきっと成人するまで魂は食べない真面目なヒトなんだろうと推測する。

「ああそっかまだ昼過ぎだもんね、食べるならやっぱりお腹が減ったときが一番だよ。ならさ、地下にいるマンモス倒さない?」
「マンモス?!」
「知らない?ほらあの角がすんごい長くて中にはそこら辺の家並みに大きなヤツ」

 分かりやすく尻尾を立たせ目を輝かせた彼にチャドは安心し、石で作られた廊下を蹄で鳴らしながら進む。

「倒したくはないけど見てみたい」
「絶滅危惧種じゃないから大丈夫だって」
「沢山居るの?」
「本当は北の方にしか居ないんだけど、あっ、マンモスがいる部屋の隣にドラゴン居るから気を付けてね」

 そういえば一昨日水竜食べたな。あれは美味しかったが想像している竜よりもずっと小さい。ああ大きいのも空飛んでたな。気を付けてねと注意されて、おまけにドラゴンと呼ばれているということは、もっと大きくて翼が生えたあれなんだろう。

「居るよ五種類男女二匹ずつ。いつもは本読んだりなんかしてるから大人しいけど」
「ドラゴンって本読むんだ……」
「そりゃあ読むよ、悪魔よりも賢いやつ沢山居るから」

 頭のなかでドラゴンが本を呼んでいる姿を想像する。何故だろう、似合うと思ってしまった。
 チャドはセイの目を見る。ドラゴンは賢い生き物であることなど常識なのだが、それを知らないなんて。

「セイはどこ出身?そもそも、欲界出身、でいいんだよね?」
「よくかい?」
「もしかして六天?」

 何がなんだかさっぱりだとセイは首をかしげ、チャドは少なくとも理解した。
 この子は魔界も天界も神界も存在しない場所から来たのだろうと。

「えっと、出身じゃないけど、均衡機関?っていう」
「あー!」

 ならこの世界とは全く違う世界から来たんだ。だとしても、グラグラで魔王様と関わりを持てるヒトなんて、そんなの。

「サラ様の関係者?」
「うん」

 この濃い臭いはサラ様のものか!覚えておこう、この先、サラ様の臭いを覚えられる機会なんてきっと来ない。いいなぁグラグラの関係者っていいなぁ、毎日色んなことが起きてて楽しそうだもん。
 セイはチャドの赤の混ざったオレンジの目をよく見ると、案内された部屋にあった宝石と同じ色をしていた事に気がつき、ぼんやりとここで住んでいるのかなと想像する。

「サラ、ってそんなすごい神なの?」
「呼び捨てかぁ。少なくとも、神ですら呼び捨てなんてできない神だよ。俺の魂もセイの魂も、魔王様の魂ですらサラ様の一部だったんだから」
「え”、じゃ、じゃあコウって」

 その名前を聞いた途端、チャドは目を伏せわずかに歯を見せて笑う。黒山羊の苦笑いだ初めて見る。

「ああ、あの下半身暴走神ね······仕事以外で関わるとロクなことにならない事で有名だから、成人したら気を付けてね。それを除いたらとっても偉い神だし、グラグラの鍵作ったのコウ様だから俺もそこら辺は敬える」
「グラグラ?」
「正しい名前だと均衡機関は”バッグラドグラ”って呼ぶから、皆略してグラグラって呼んでるよ、魔王様もグラグラって呼んでるしね」

 グラグラ。均衡がどうのこうの言ってるのに、略すと”グラグラ”になるのか。
 セイは改めてサラとコウが本当に神である事を知り、神が実在していた事実に呆然と呆れが混ざった感情を覚える。
 神は実在している。でも、神とやらはどんなに祈っても、困っても、助けてはくれない。結局居ようが居まいがどうにかするには自分でなにかしなきゃいけないんだ。
 手元に鍵が現れ、落としかけたそれを握り掌を天井に向ける。

「これってやっぱりすごい鍵?」
「要らないなら頂戴!」
「やだ」

 両手を開いたチャドにセイは鍵に消えろと心のなかで告げ消えたことを確認する。

「いいなぁ俺もいつかここ抜け出してグラグラに入りたい」
「なんで?」
「毎日楽しそうだし、毎日飽きなさそうだし。ここも結構楽しいよ?ずっと、楽しいよ。でもどうせなら色んな世界見てみたくない?鍵がないと行けない他の世界にもいつか行ってみたいな」

 他の世界。
 世界という言葉はよくわかってないが、目の前にいる悪魔の子供は羨ましそうに俺を見ている。均衡機関って、本当になんなんだろう。未だにうまく掴めないが少なくとも今日分かったことは、どうやら魔王と会話できるほどの機関であること。

「俺は……元の世界に帰りたいかな」
「鍵あるじゃん」
「え?」
 ぴくりとチャドの耳が揺れる。
「だから、さっき持ってた鍵。それあればどの世界にも行けるし、行けない場所なんてないって聞いたけど」

 セイは手元に赤色の鍵を出す。
 取っ手を掴み、空中に差し込み、現れた木材の扉を前に体重を前へ傾ける。
 開けると、そこには変わらず廊下が広がっていた。何度も何度も閉めては開けるも景色は変わらない。

「なんで?!なんで?!」
「知らないけど、ここ一応は家だから制限かけられてるんじゃない?突然他人の家に誰か現れたら怖いじゃん」
「確かに」

 なら仕方ないと鍵を消し、消し、あれ、消えない。
 鍵を抜いても扉が消えず口を結ぶと、冷たかった鍵が暖かくなり見ればパチパチと火花を散らして、銀色に染まっていく。
 壊れたのか。壊してしまったのか。いやでもコウがマグマにおとしても壊れないって言ってたからそれ以上の乱暴な扱いなんてできるわけがないし、やはり壊れてしまった?!

「どうしたの?」
「分かんない」

 鍵を見せるとチャドは扉と鍵を交互に見る。

「なんか変わったね」
「色が変わったよね」

 チャドは首を横に振り、扉を見るとごくりと喉を動かし生唾を飲み込む。

「いや、臭いが、扉の奥から、人間の臭いがする」

 セイはすぐに扉を押し、広がった景色に、いつも通っていた学校のグラウンドに、胸一杯に膨らませ呆然と口を開けた。
 前へ前へと足を進め、黄色がかかった平らな地面と、晴天の間横に長い静かな校舎へと近づき、チャドも見たことのない景色が広がる校庭を蹄で踏んだ。
 扉がしまり、音も無く消える。

「はじめましての方ははじめまして、私はニャルラトホテプ。今回ゲームキーパーを務めますのでどうぞお楽しみください」

 放送が始まる。知らない男の声が響く。

「プレイヤーは、セイ・カボルト、チャド・ロ・ヘズンズバーン、そしてサラの以上三名」

 目を合わせた二人は振り向き、鍵と扉が消え、セイがいくら鍵を出そうとしても出てこないことに嫌な汗をかいた。

「これより、現実型ロールプレイングゲームの開始となります」

 チャイムが響き渡ると授業を終え、休み時間となった生徒が一斉に校庭へ飛び出し、誰もチャドが洋服を着た動物の姿であることもセイの角と尻尾にも反応せず各々遊びに夢中となっていた。






 咄嗟に角を手で覆うように隠したセイは、目の前で生徒が通りすぎてもチャドのことなど気にも止めず走り去り、ふいにチャドが低学年男子の腕を掴んだ。なんだと目を見開く男子にチャドはすんすんと鼻を首に近づけ「うわあああ?!」叫ばれても気にせず男子の目を見た。

「チャド?!ちょっ離してあげて?!」

 慌ててセイがチャドの腕を掴んで引き離そうとすると彼は大人しく指を広げ、驚かせてごめんねと低学年男子に掌を合わせて謝るセイを見る。

「いきなり嗅ぐのは誰でも驚くからね!?」

 そりゃあそうだ、悪魔だって通りかかったヒトに突然首に鼻を近づけて臭いを確認する奴なんて居ない。いやまずはそうじゃない、ここ、ここは。

「人間の、臭いしかしない」

 どういうことだ。人間しか居ないのは何故だ、それにしたって生きてる人間の恐らく子供も悪魔の子供並みにうるさいな。待て、子供しかいないのは何故だ。違う、それよりも先に。

「うん、学校だよ。人間の」

 そうか、学校か。人間も学校に通ったりするのか。人間しか居ないのは何故だ。
 思考は回る。ぐるぐる回る。ごはんを食べたあとだと言うのに胃袋は悲鳴をあげて餌を求め、脳が食欲を関知して口内の分泌液を促した。

「人間、一緒に食べない?」

 涎を飲み込む。飲み込んでも、飲み込んでも涎が止まらない。俺の尻尾が揺れている。興奮しているんだ、目の前に沢山生きた人間が居るから、また食べられるって肉体が興奮しているんだ。
 ぽたりと、口から溢れた涎を見たセイは背筋が震え、冷たい風が服の間を流れた感覚に足を下げ首を横に振る。

「食べちゃダメ。ここ、確かに俺が通ってる学校だけど、俺たちを見て誰も驚かないなんて可笑しい」

 セイは下げた足をもとに戻した。

「放送だって可笑しい。ゲームだとかなんか言うわけがないし、俺と、お前と、あとサラの名前だけが呼ばれた。絶対ここは可笑しい場所だ」

 言われてみればそうだ、サラ様を呼び捨てして、しかも俺の名前を全部知っているだなんてあまりに不自然すぎる。
 辺りを見渡したチャドは、初めて見る青い空とたった一つ光り輝く眩しい太陽を眺め、あまりの輝きに目が眩む。次は地面を見た。整えられた土と、周りを囲むように植えられた木と、たまに点在する遊具らしきものを見た。白い建物を見る。随分とのっぺりとした建物だ、効率だけを重視した面白味のない建物だ、まるで犯罪を犯した悪魔が収容される監獄のようだ。
 セイも辺りを見渡して自分の記憶通りの景色に、見つけた同じクラスの友達に、酷い安心感を覚えながらもチャドの腕を掴み歩き始めた。

「何?」
「お前、気がついたら人間食べてそうだから付いてきて」
「よく分かったね」

 まさか当たってしまうとは。
 当たってほしくなかったがチャドは大人しくついてきてくれるようで、セイは手を離して校舎へと向かう。



 キョロキョロ、キョロキョロ。四つもある目で校舎内の廊下を観察し、蹄で音を鳴らすチャドは、精霊一匹も居ない施設に好奇心も高鳴らせていた。
 まず、空気の味が違う。
 建物の中だと更に人間の臭いが強くなり、まだお昼ご飯を食べたばかりだというのに食欲を刺激されて仕方がない。しかしセイの言った通りここは可笑しい、下手に食べるのは止めておこう。だが!だが!理性と本能は違うんだ!本能は今にも食いたがっている!ああ、今となりを走っていたふくよかな女の子食べたい!この子は体が美味しそう、あの子魂が綺麗な色してる美味しそう、ああ、ああ!
 袖で口元を拭ったチャドは動きを止めたセイの尻尾を認識し、セイが見ている視線の先に首を動かした。

『5ー2』

 見たことのない記号だ。やはりここは、俺が知らない世界なんだ。
 改めて実感したチャドは、この世界を知っているらしいセイの背中を見る。恐る恐る、まるで何かしでかしてしまったように、ゆっくりと部屋の中へと入っていく。

「セイ!どこ行ってたんだよ学校二周したのに」

 名前を呼ばれたセイはよく見知った顔と言葉に頬を上げ、堂々と教室の中を走る。

「涼策ーッ!」
「なになになになに?!」

 涼策と呼ばれたセイと全く変わらぬ背丈に似たような雰囲気と顔つきをした彼は肩を揺さぶられ、がくんがくんと頭が上下に動く。

「涼策、昨日のおやつは?」
「はぁ?」
「いいから!」

 揺さぶるのを止めたセイに、涼策はなにがなんだか分からないまま昨日食べたおやつを思い出す。

「おはぎが三個と、ポテチと、さつまいもにバター塗ったやつと、あとホットケーキ食べた」
「涼策だー!」

 目の前で会話する二人に本を読んでいた女子生徒は思う。それは夜ご飯であり食い過ぎだと。

「ちょっと待って」

 涼策から離れたセイは教室を見渡しながら自席の引き出しとロッカーを一つ一つ確認し、持ち物は全て自分のものであること、自分の記憶となんら違和感がないこと、そして日付が遡っていることに言い様のない恐怖を覚えた。
 正しい日付は二月二十三日なのに、黒板に書かれた日付は二月十八日。サラに誘拐されたその二日前になっている。
 その様子に涼策は首をかしげた。

「もう帰るの?体調悪い?」
「いや、探し物してて」
「あとさ、なんでチャドは教室に入ってこないの?」

 涼策が向けた親指の先を見ると、チャドは扉から顔をひょこりと出し、見知らぬ教室をじっくり観察していた。

「なんで知ってるの」
「何が?」

 チャドのことを何故知っているのか、あの四つ目を見ても驚かないのは何故なのか、聞こうとしたが、それすら疑問に思っていない本人に聞いても無駄だろうと、開きかけた口を閉ざす。

「……なんでもない」
「いつも音楽室でピアノ弾いてるのに、珍しいよな教室にいるなんて」

 チャドはピアノが弾ける設定らしい。ヴァイオリンも練習していたし、きっと音楽が好きで得意なのだろう。
 俺より彼のことが詳しいのなら、もしかして。

「チャドの席ってどこだっけ?」
「え?お前の二つ隣の、ほらここ」

 セイはロッカーを背に涼策が手を添えた机を見る。
 おかしい。このクラスは二十九人しかいないのに、一番後ろの左の席は空いていたのに机と椅子があるなんて。ロッカーを見れば黒いランドセルが増え、その上に設置された黒板の張り紙を見るとチャドの名前を見つけた。
 同じクラス?なんで?チャドとは今日会ったばかりなのに。

「ごめん!行ってくる!」
「どこに?!おい!というかお前」

 セイは教室から飛び出しチャドの腕を引いて廊下を走ってしまう。涼策はその背を追いかけようとしたが、やめた。

「なんで帽子、取ってんの……」

 



 プラスチックと木材で作られた檻の中、白ウサギが二匹チャドの指にすんすんと鼻を揺らして反応し、噛みつこうとした所でチャドは蝙蝠の翼を広げて威嚇する。慌てて巣穴に潜ったウサギとセイはぎょっと目を見開いて驚き、なんでもないように翼を服の中へとしまった。

「つまり、俺がこの世界にもとから居た設定になってる、ってこと?」
「うん」

 目を合わせず告げたチャドは立ち上がり、ウサギ小屋と思わしきそこの出入り口を探す。

「じゃあここは、どっかの誰かが作った、亜空間の中かもしれないね」
「亜空間って、物をしまうところ?」
「そう。たまにね、生き物が亜空間の中で外から生き物が来たら食べられるよう設定したり、幽霊の巣穴になってたり」
「幽霊って居んの?!あっ、そっか、魂あるから居るのか」

 魂があるなら幽霊も実在する。なら、よくある怪談話って、もしかして事実なのでは。
 チャドはウサギ小屋の出入り口を見つけ、中に入り鍵を閉めると巣穴に腕を突っ込み、怯え暴れるウサギを抱っこした。

「食わないでね」
「どうせ食うなら加工品がいい」

 チャドはすんすんとウサギの臭いを嗅ぐ。見たことのない動物だ、知らない臭いだ、あぁメスだこいつ、ふわふわでかわいらしい真っ赤な目をしていて、俺の牙を見た瞬間縮こまって、かわいい。

「そうそう、俺は聞いたことしか無いし記憶もあやふやだけど、もしも亜空間に閉じ込められたら作った本人を殺すか、規則に乗っ取って出口を探すか、この空間まるごと壊すしかない。まるごと壊すなら、グラグラの鍵を持ってないやつは死ぬけどね」

 チャドは格子越しにセイを見た。俺を置いて外へ出るのが一番簡単だが、目の前にいる悪魔かどうかすら怪しい子供は何をするんだろうかと、少し興味が湧いた。

「出口か。校門行ってみるから、ここで待ってて」
「俺もいく〜」

 ウサギを下ろしたチャドはウサギ小屋から出ると土を払いながらセイの隣を歩く。

「ここの生徒なんでしょ?他にも動物いんの?人間の学校なんだよね、他に何があんの?」
「動物はいないし人間の学校だしここに珍しいものなんてないって」
「あるよ!青い空」

 チャドは空を指差し、見上げると現れた真っ白な雲に口を開ける。

「白い雲なんて久しぶりに見たし、こんな青い空なんて、ずっと見てると空に落ちそう……」

 セイはシオンと歩いた魔界の空を思い出す。見上げるとそこは一面赤黒い空が広がり、朝昼晩どんよりとしていて、青空が見えることなんて一分も無かった。
 俺が珍しいと思うものとチャドが珍しいと思うものは違う。だからウサギを抱き締めていたし、教室だってまずは入らず中を観察して、目の前にたまたまいた名前も知らない子供の臭いを嗅いだんだ。

「珍しいかどうかは分かんないけど、学校全部歩いてみよう」
「うん」
「人間食べないでね」
「もう食べないってだから」

 チャドは歩きながら視線をキョロキョロと動かし、ふと、鏡に映る二人の人間を認識する。一人はセイで間違いないが角と尻尾がなく、一人は、己と同じ動きをする知らない人間。

「セイ」
「ん?」

 腕をつかみ、鏡を指差す。
 セイは鏡を見てからチャドと目を合わせ、鏡の中にいるどこからどう見ても日本人にしか見えない子供を上から下までねめまわし。

「俺だ!これ人間の俺だ!すげー!」
 頬を触ったチャドはいつもと変わらぬ柔らかな毛と、鏡に映る皮膚を両手で押し上げ笑顔を乗せる人間に腹から声を出して笑った。
 変身してる。俺が、変身してる。はははは人間になってる!

「俺も、角も尻尾も、無い」

 頭を触ったセイは角の感触はあるものの、鏡の中では角などなく揺れ動く尻尾もなかった。
 もしも俺が普通の人間だったらきっとこうだったんだろう。なんだか、嬉しさともどかしさがある。

「俺が人間だったらこうなのかぁ、へぇ〜全然イケメンでもなんでもない、そこら辺にいそうな顔してる」
「そういうのはね、期待しちゃいけない」

 鏡に映る己を見ながら二人は進む。
 きっと皆俺たちの姿は見ている鏡の姿なんだろう。だからチャドが四つ目の動物でも誰も驚かないし、俺も帽子が無くても誰も違和感を覚えないんだろう。




 校門にたどり着いた。
 一種の罪悪感を覚えながらセイは門扉に手をつき、軽く飛んで足をかける。すると隣で柵をジャンプ一つで飛び越えるチャドが見え、そのまま真っ直ぐ走り、ゴン!と体が障害物に当たる痛々しい音が聞こえ尻餅をついた。

「う”ッ?!」
「大丈夫?!」
「大丈夫」

 立ち上がったチャドの隣にセイは並び、ゆっくりと手を伸ばすと指先に感触を覚え、掌で押し、足で蹴り、背中をつけ学校に植えられた枯れた桜を見る。

「神が作ったのかな。そんな感じしない?」
「わかんない」

 見えない壁って実在するんだ。どうしようかな、家に帰りたかったんだけど、どうしようかな。
 チャドはセイと同じように見えない壁に寄りかかり、教師用の車を見た。この世界にも車があるらしく、ほとんどが白、黒、銀、たまに青と赤。どれもこれもつまらない色ばかりだ、そういう規定があるのだろうか。

「襲わずに閉じ込めるやつってさ、大抵このエリアを探索するよね」
「そうなの?」
「わかんない」
「チャドがわからないなら俺もわからない」

 予鈴が鳴り響く。昼休みが終わる合図が響く。

「とりあえず、教室戻ろう」
「なんで?」
「授業あるから」

 チャドは首をかしげた。

「授業サボればよくない?ここ他人が作った世界だよ?」
「探索にはなる」
「そうかなぁ?でも、うん、わかった」

 頷いたチャドに、二人は門扉を飛び越え校舎へ戻る。





 セイは、頭を抱えていた。

「第一世界の宇宙物理学で言うなら、転生した人物が肉体を維持できる物理法則の異世界にたどり着いた瞬間、ほぼ百パーセントの確率で素粒子レベルで分解されるのでまず生きていません!そこで!今から転移方法及び亜空間を利用した空間断裂、空間結合、空間復元、そして魂のエネルギーの解説を行います!」
「サラ先生ー!何言ってるのかまったくわかりません!」

 見たことのあるジャージ姿のサラに、セイはやはりお前の仕業かと頭を抱えることしかできずにいた。

「大丈夫、テストには出さないから」
「テストに出されたら困る」
「まず宇宙物理学ってなに?」

 サラは三十名の子供を前に堂々と黒板が隠れるほど大きな紙を磁石で固定する。

「今から話すのはほとんどの世界で解明されてない亜空間や魂についての話だから、知らなくていいよ!」

 じゃあなんで教えんだよ。
 全員がそう思うものの、サラの明るさと勢いに負けた子供たちはとりあえず耳を傾ける。中には、既に興味を失い本を読む子や他の勉強をしている者も居たが。

「全部解説するとなると難しいから、まずは触りだけね。トイレの花子さん知ってる人〜」

 サラが手をあげると半分ほどの生徒が手を上げ、残りは興味なさそうだった。

「先生、そういうのはもう興味ないです」

 一番手前の席に居る一人の男子生徒がどこか不機嫌そうにサラを見上げるも、本人は気にすることなく話を続ける。

「うんうん、知ってる人が沢山いて、困っちゃうな」

 セイは、目の前に座る涼策と目が合い、乱雑に切り取られた紙を受けとり折られたそれを開いた。

『なんで角と尻尾が無くなってんの?』

 ノートを開き、紙を指で切り取ると筆箱に手をいれ、手探りで鉛筆を取り出す。

「トイレの花子さんは皆の意識が作り出している。皆がトイレの花子さんを怖がればトイレの花子さんは怖く恐ろしい存在となり、トイレの花子さんが別の世界へ連れていくものなら、本当にそんな存在になってしまう」

 セイは紙を涼策に渡し、綴られた文章に目を見開いた。

『俺の角も、尻尾も、涼策たちには見えないみたい。チャドの目が四つあるの涼策には見えないんでしょ?』

「魂は意識そのものだ。皆が願えば本当に実在してしまう。一人じゃダメだ大勢が必要だ」

 突然訳の分からぬことを語りだした”先生”に生徒たちは動揺する中、涼策は視線を後ろへ向けチャドの目を見る。なんてことはない、目は二つだし、顔も相変わらずの何を考えているのか分からない微笑みだ。
 新しい紙に文字を並べ、視線はサラを向けたまま後ろへ回す。

『何言ってんのどうしたの?目が四つある生き物なんて居るわけない。どうしたの?』

 それが目が四つある生き物は実在してるし、翼を持つ生き物や頭だけ動物や小人や悪魔や神まで居るんだ。そんなこと言ってもきっと信じられないだろうけど。
 再び紙を破ると文字を書き、肩を叩いて差し出された手に紙を乗せる。

『後で話そう』

「やがて集められた意識は魂を作り出す。世界は皆だし皆は世界の一部なのに、それすら忘れて魂を作り出す。付喪神もそれだ、悪魔だって一部はそれだ。魂は亜空間に干渉できるから自分が存在できる世界を作り出す。それが亜空間であり、その中にいるのが”怪異”、恐ろしいと思えば思うほど怪異は強くなる」

 静まり返った教室でサラはグラウンドを見る。生徒たちもグラウンドを見ると、チャド以外の全員が悲鳴を上げ椅子を蹴り机を退かし、教室の端へ集まる。
 そこには、巨大な目玉が一つサラと目を合わせ、黒い髪の毛が肌の上を撫で滑り落ちていた。

「こんにちは、花子ちゃん!」

 サラは窓辺へ近づきまるで生徒を守るように堂々と胸を張り、腰に手を添えた。

「取引だ、君に肉体を与えよう。その代わりこの世界に囚われた命を襲わない事と、ニャルラトホテプをこちら側へ引きずり出すことを”神と約束”しろ」

 目玉が閉じ、再びガラスのような黒い目でサラを見る。

「ありがとう。皆!これが怪異だよ!皆が想像して作り上げた生き物だ」

 サラが振り替えると目玉は空へと消え、いつものグラウンドの光景が広がる。

「セイ、セイ、怖いからって床にうつ伏せになるのはやめよ?逃げられないよ?」

 涼策は膝を床につけ、教室でうつ伏せになり震え怯えるセイの背中をさすった。

「これは魂のエネルギーのうち一番些細な効果でしかない。けれどこれが一番厄介で、困りもので、同時に素晴らしい力でもある」
「せ、んせい?先生って、なんなの?」

 一人の女子生徒が問う。

「俺は人間だ、君たちと同じ、人間」

 セイはサラの言葉に酷く呆れ、チャドは唯一椅子に座りながら本物のサラに目を輝かせていた。





 ここは、物質に囚われた生き物ではたどり着けない魂の世界。そこでは光も無く、音も無く、上下左右の概念も肉体も存在しえない。
 そんな世界でニャルラトホテプは笑う、一柱、笑い続ける。

「全くサラは少し過保護な所があるからなぁ。当然と言えば当然だけどさ。まさか、僕のルールに便乗して怪異を呼ぶなんて」

 僕が作ったルールは三つ。
 一つ。どの生き物でも許可なく学校の外へは出られない。
 二つ。人間の魂と悪魔の魂を持つ者は、校内であれば制限なく自由に動くことができる。その為、神とされるサラには制限がかけられ、彼だけが能力を一切使えない。
 三つ。亜空間に呼べる魂はどの魂でも構わない。

「ねぇ花子さん?」

 ニャルラトホテプは近づく魂の気配に語りかける。

「君はカテゴリー上人間に分類され、サラに呼ばれても校内を自由に動けた。しかし結局、君も人間でしかない」

 暗闇をこじ開けるように子供の指がちらと覗き、開いたそこから深淵のようにどこまでもどこまでも続く黒い目が二つ、ニャルラトホテプを認識する。

「サラのおかげで君を恐れる子供が増え、力をつけようとも、僕は神なんだ」

 白い手が伸びる。ニャルラトホテプが花子さんを認識すると、彼女の白い腕は血色がよくなり伸びた腕は縮み、顔も女の子らしいどこかぷっくりとしたものへ変化していく。

「今日から君は、子供たちの願いを叶えてくれる、優しい優しいトイレの花子さんだ」

 世界の常識が全て塗り替えられた。それは本人すら気づかぬうちに変化し、花子さんは誰もがかわいらしいと認識する姿でニャルラトホテプを睨む。
 



 サラは教師用のクッションのついた椅子に腰掛け、生徒たちは未だに教室の端で壁に背を向けたまま警戒し続ける。

「大丈夫、花子ちゃんは皆を襲ったり食べたりなんてできないよ」
「破ったらどうすんだよ、化け物なんだろ?!」

 男子生徒が問う。サラは背筋を伸ばしたまま机に肘を乗せ、指と指を交互に重ねると表情を暗くさせ目線を下げた。

「”神との約束”をしたんだ。破った者は人間でも神でも即座に裁判所へ転送され、どの程度の違反かによって灼熱の地獄で過ごす年数を決める」

 すんと、落とした表情は元の笑顔に戻る。

「信じてあげて。君たちと同じ人間なんだから」

 そんなこと言われても、化け物と認識した生き物を同じ生命体だと信じられる生き物なんて、果たしているのだろうか。
 チャドは立ち上がるとサラの目の前まで蹄を鳴らし、片膝をつけ背中を見せるように頭を下げた。

「サラ様、はじめまして。チャド・ロ・ヘズンズバーンと申します」
「頭あげて〜サラでいいよ〜。なんなら、ここではサラ先生って呼んでよ、俺はゲームキーパーから先生の役を任された先生だからね」
「はい!サラ先生」

 立ち上がったチャドは満面の笑顔を見せる。同級生であるはずの彼が突然礼儀正しく挨拶をしだした光景に、セイ以外はどういうことなのかと疑問を抱くものの、誰も疑問を口にはしなかった。

「魂を見せてあげたかったけど、生憎今の俺は普通の人間ができることしかできないし、皆の魂に触れて記憶を見せることもできない」

 サラは目の前にいる人間姿のチャドを見た。本来の姿はきっとこうではないだろうし、セイを見ても、やはり彼の特徴である角と尻尾がない。視覚すら人間のものしか使えないようだ。

「チャド、君の能力をできる限り教えて」
「魔水と、錬金術と、魔法が少しと、魔獣変身と、女性に限り操ることができます」
「悪いけど、年齢を聞かせて」
「三才です」

 サラは目を閉じ、赤い目で生徒たちを見渡す。

「何か起きたら、君も生徒たちを守ってくれる?」
「対価はありますか?」

 チャドの黒い目を見る。この子はどこからやってきたのか分からないが、三才で神に対価を求めるなんて悪魔として素晴らしいとしか言いようがない。

「そうだな……禁呪の書一ページでどうかな?」
「百ページがいいです」

 サラはフフッと肩を揺らし、笑顔を消し去った。

「欲張りだね。一ページだ、これ以上は実力に見合わない。いい働きをしたらその分上乗せしよう」
「分かりました。全力尽くして守ります」

 目の前で行われた生徒と教師の取引に、神や地獄という単語に、生徒たちはいよいよ混乱を極め友達同士目を合わせる。
 さっきから一体何が起きているんだ。
 立ち上がったサラは手を二回叩く。

「さ、皆席に座ろう!」

 生徒たちは渋々といったように自席に戻り、見知ったはずのサラ先生に違和感を抱き始める。今目の前にいるのは本当にサラ先生なのか?いつものサラ先生と変わらず明るいしよく笑うが、言葉が、あまりに現実のものからかけ離れている。
 そんな中、ただ一人セイだけがサラのいる教卓へ近づき、チャドはサラが座っていた椅子に腰掛けくるくると回り始めた。

「サラ、ここにいる皆は、本物?」
「さぁ俺にもわからない。でも、本人だよ」
「ここは?この場所は?」
「偽物」
「自由にしていい?」
「いいよ。というより、そうしてほしい。ニャルの目的は間違いなくセイちゃんだ、セイちゃんの行動次第で出口が見つかる。って言った方がかっこいいかな?!」

 ため息を吐き出したセイは振り向き、名前を呼んだ。

「涼策!こっちこい!」
「俺?!」
「セイ〜俺もついていっていい〜?」
「チャドはもう好きにして!」

 教室から飛び出したいつもの三人を全員が目線で追い、サラは一部の学者であれば心が踊って仕方がない、瞬間移動の法則についての解説を始めた。






 大抵の生徒が普通とは呼べない授業を受けている中、三人の子供は普段着替えの時に使われる空き教室で、輪を作るように座っていた。

「それで?なんで帽子取ってるし角がないの」

 涼策は腕を組ながらセイを見る。

「本当はあるんだけど、普通の人間だと見えなくなってる」
「そっか、なくなったわけじゃないんだ……」

 自分の事のように落ち込んだ涼策に、セイは何故だか懐かしさを覚えながら尻尾を床の上で左右に動かす。

「実を言うとさ、サラ先生は本当は俺たちの担任じゃないし、チャドはそもそも人間じゃない」
「何言ってんの?」
「ならさっきの巨大な目は何?説明できる?俺もできないけどさ」

 涼策はあまりにリアルな目を思いだし、ぶるりと体を震わせた。

「分かった、とりあえず信じる」
「ねぇねぇ俺人間の学校を隅まで探索したーい」

 呑気に足を伸ばしゆらゆらと爪先を揺らすチャドに、涼策は何をいっているんだと眉間にシワを寄せ、セイは淡々と説明する。

「それとチャドは元々この学校の生徒じゃないし、俺たち今日初めて合ったから」
「うん、初対面」

 涼策は眉間のシワを深くした。

「涼策、これもたぶん信じられないだろうけど、学校を出ようもしても出られないし、出るためには出口を探さなきゃいけないんだって」
「誰か俺のほっぺた叩いてくれない?」

 チャドが涼策の頬を全力で叩き、なんの躊躇もなく振られた肉球の手からずいぶんと心地のいい音が響いた。

「いッッだああ?!え、そんな全力でやる?!」
「叩いてほしいって言うから」
「言ったけど!言ったけどさぁ。いった……」

 頬を擦り口を尖らせる涼策に、セイはニヤニヤと頬をあげ満足そうに尻尾を揺らす。

「夢じゃないでしょ?でさ、出口のヒントなんもないから、どうしようって呼んだの」
「出口があるとは限らないけどね」
「どいういうこと?」

 チャドは立ち上がると窓辺に近づき、三階から見える校庭のその向こうに広がる街を見た。誰も空を飛ばず似たような建物の家が並び、しかしどこか不規則に並んだ景色に、ものの三秒見ただけで飽きた。

「決められたゴールがある、って言った方がいいかな。とある扉を開けたら出られるとか、木を枯らすことができたら出られるとか、そういうの」

 チャドは青い空にも白い雲にも飽きを覚え、もっと心を弾ませてくれるものはないのかと二人を見る。

「ゲーム、って事?なら出口のヒントがある?」

 涼策の呟きに、セイも腕を組んで思考を巡らせる。

「それすら分かんないから困ってる」

 どうやらニャルっていうヒトは俺が目的で、俺の行動次第で出口が見つかるらしいが、やはりどう考えても出口らしきものはない。

「ねぇねぇ人間の学校ってさ図書館ある?」
「図書”館”はないけど図書”室”ならある」
「行きたい!人間って何読むの?漫画ある?」
「あるよ」
「あるけど」

 それどころではないとセイが言いかけた所で、チャドの表情を見てすぐに頷いた。
 初めて見る景色に高鳴って高鳴って仕方がないのだろう、俺だってそうだ、気になるところは全部見てみたい。

「分かった。行こう」
「チャドってやっぱり自由人だよな」
「俺は真面目です」
「真面目なやつは先生の椅子に座ってくるくる回らない」

 セイの言葉にチャドはきゃらきゃら笑い、ちらと見えた犬のような牙や揺れる柔らかそうな尻尾に、動物に対する可愛らしさを感じた。
 




 図書室に入ると出入り口のカウンターに、両手を広げて歓迎するサラが居た。

「よってらっしゃい見てらっしゃい!」
「お前本当なんなんだよ!」
「分裂中のサラ先生六号!」
「六人居るなんて最悪すぎる」
「いやいや、サラ先生は三十五人いるから」
「少しは違和感を覚えてほしい」

 セイと涼策がカウンターでサラ先生と会話している間チャドは図書室にたどり着くとすぐに本棚を眺め、何故か読めてしまう文字に驚きながら気になった本を一冊手に取る。
 タイトルは『ハッター・リッポーと鋼の三枚舌』随分と分厚い本だ、中身を捲ると、どうやら長編小説らしい。
 三回出しては戻し出しては戻しを繰り返し、カウンター近くに並べられたオススメの本を眺める。

「気になるものあった?」

 二人はチャドの隣に並び、彼が手に取ったどうみたって手作りの『ニャルラトホテプ作のヒント』と書かれた一枚の紙を見る。

「にゃるらとほてぷ?って知ってる?」
「わかんない」
「俺も聞いたことない」

 チャドが知らないならお手上げだ。
 裏を見ると文字が書かれている。

『ヒントそのいち。日付』
「あーッッ?!」

 驚いたセイに二人も驚き彼の目を見る。

「今日!五日前だ!サラに誘拐される日からだと、二日前」

 なんだなんだとチャドと涼策は目を合わせ、何かに気がついた直後だというのにセイは口を開けたまま固まった。

「……でも、なんで、日付がヒントなんだ?」
「ニャルラトホテプって誰かの名前?」

 すんすんと、チャドは紙の臭いを嗅いだ。

「サラ先生の臭いしかしない」
「サラって犯人なのー?」

 サラはカウンターで新聞を広げながら答える。

「犯人じゃないし、犯人だとしたらコウちゃんもここにいるよー」

 ああ確かに、サラとコウはいつも一緒だ。
 チャドは紙を折り畳むとズボンのポケットに入れ、オススメの本から一冊手に取る。タイトルは『一繋ぎの財宝』中をペラペラと捲るとどうやら漫画のようで、まずは一冊読もうと一番最初のページを。

「それ三十巻まであるから今はやめといた方がいいよ」
「しかもそれ三十一巻じゃん」
「もう三十一巻出たの?」
「セイって何巻まで読んだ?」
「二十ぐらいかな」
「全部読んで面白いから」

 チャドは漫画を閉じ、元の位置に戻す。

「よし。すぐに読めて面白い漫画教えて!」

 二人は同時に図書室の漫画コーナーからあれがいいこれがいいと話し合い、涼策が五冊手に取ると一巻をチャドに渡した。

「これは宇宙人が主人公のほぼギャグ漫画だから読みやすいし、好きな人は好きだしかなり作者の趣味が入ってるんだけど人間と宇宙人の友情が」
「涼策落ち着いて」

 セイは涼策の腹の前に腕をだし目線のなかに入るよう動くと彼は口をきゅうと結んだ。

「悪い、こいつ漫画とかアニメの話になると、口が止まらなくなる」

 チャドは並んだ二人を見比べ、ふと思ったことをそのまま告げる。

「二人って、種族違うけど兄弟みたいだね」
「違う!」
「違う!」

 同時に否定した二人に、チャドは気にせず肉球で漫画を開き読み始めた。セイの視界では四つ目の黒山羊が漫画を読んでいるという随分と不思議な光景だが、涼策からすると、人間の友達に漫画をおすすめしただけの日常でしかない。
 二人はチャドの両手左右に並び、一緒に漫画を読みながら会話を始める。

「ほんっと顔が似てるからって」
「ほんとだよ。名字違うのにさ、皆してさ」
「涼策ぅ、俺さぁ母さんにも似てるねって言われて」
「えぇ……はぁ?もういっそ認める?」
「嫌だね。認めたら負けた気がする」

 二人の会話を聞いていたサラは顔を上げ、満面の笑顔を乗せて告げる。

「そこの兄弟!」
「うるっさいアンタには言われたくなかった!」
「俺たちも一応は出口探してるんだけど、全然らしいものが見つからないしどこにもニャルの紙なんてない。俺たちの推理だと場所移動によるイベント発生なぞなぞ答え合わせゴールか、時間経過によるイベント発生ゴールのどちらかになった。結局セイちゃんが動かないと意味がないけどね」

 セイは口を開き、サラが真面目に物事に取り組みここから出ようと行動していたことに酷く驚いた。

「俺が、動けばいいの?」
「たぶん。もしくは、チャド、君が動いても変化する可能性がある」

 チャドはページを捲りちらとサラの赤い目を見ると、すぐにまた漫画を読み視線を左右に動かした。

「俺もできる限り協力するから、頑張って」

 サラは再び新聞に目を通し、セイが歩き始めると涼策が隣に並び、その後ろをチャドがついていく。焦るべきなのか、焦らずじっくりヒントを集め答えを見つけるべきなのか、何も掴めないまま三人は手当たり次第に教室を見回る。





 音楽室、理科室、保健室、体育館、それぞれ一枚ずつヒントの紙を見つけ、三人は昇降口手前の廊下で紙を五枚並べる。

『ヒントそのいち。日付』
『ヒントそのに。あの日』
『ヒントそのさん。包丁』
『ヒントそのよん。新聞』
『ヒントそのご。駅』

 チャドは漫画を読み終え、涼策が抱えた四冊の上に五巻を乗せる。

「面白かった!」
「よかった面白かったでしょ!」
「俺はコイツ好き」

 腕を伸ばし五巻のとあるページを開くとこのキャラクターだと見せつけた。パッと笑顔を咲かせた涼策は肩をチャドに寄せ「さすがはチャドさ〜ん!」と喜びが溢れて仕方なさそうに体重を預ける。
 チャドは、胡座をかいたまま微動だにせず涼策を観察していた。

「チャド、食べないでね」
「取引したから食べないよ。人間は違うの?守らなくてもいいの?」
「いや、守るべきものだけど」

 悪魔は約束を守ると聞いたし実際に守ってくれたりしたが、悪魔にとって人間は人骨ラーメンにしてしまうほど美味しい生き物だ、チャドにとっては目の前に餌があるようなもの。

「何の話?なんか食べんの?」

 涼策はチャドから離れ二人を交互に見る。

「人間食べないでねって何度も言われる」
「何言ってんの?」
「なんでもない」
「涼策の服は科学繊維なんだろ?なら消化できないし体にもよくないからいきなりは食わない」

 確かに服は不味そうだし食べられないものだ。
 涼策は二人の会話には入れないと判断し、紙を見る。
 日付、あの日、包丁、新聞、駅。

「セイ、図書室で言ってた五日前だとか、二日前だとかってどういうこと?」
「俺からすると今日は五日前、過去なんだ」
「七日先から来た未来人?」
「めんどくさいからそういうことで」
「今のタイトルっぽい」

 チャドも暇だし推理でもしようと文字を見る。
 言葉遊びかと思ったがそれとは関係がなさそうだし、頭文字をとっても聞いたことのない単語になってしまう。
 セイはこの七日間なにがあったかを思い出す。
 七日前は、月曜日。いつも通りに学校へ行って、いつも通り家に帰ったら涼策と遊んで、いつも通りにごはん食べて寝た。特に変わらないなんてことはない一日。
 六日前は、火曜日。今日からしたら明日、明日は。

「あっ。明日、近所の駅で包丁持った男が女の子を殺す日だ」

 まるで明日の天気は雨であると告げるように、セイは殺人事件のことを思い出した。

「なんでそんな大事なこと忘れてたんだよ?!」
「他にも色々ありすぎたんだよ!自称神に出会うわ小人も天使も居るわ建物めちゃくちゃになって岩が水蒸気になるわ」
「ねぇセイ、その男権力持った娘を食い殺して大規模抗争にでも発展したの?」
「チャド一体何者?」
「人間も食べる悪魔で〜す」
「ややこしくしないで!」

 涼策とセイは同時に口を閉ざし、チャドも大人しくなった。
 火曜日に何があったのか、一つ思い出せば次から次へと鮮明な記憶が溢れてくる。

「明日、近所の駅で女の子が殺される。その日は大雨で、俺と涼策は一緒に居て目の前で殺された」
「その子を助けられたら学校から出られ……ん?駅にいくとしても出られないんじゃ意味ないね?」

 セイは今日から見て明後日のことも告げる。

「あとさ涼策、明後日の水曜日。犯人が逃げて学校が休みになった」

 それだけで学校が休みになるのか。人間の教師ってそんな弱いのか。

「犯人、逃げたの?」
「うん。水曜日のうちには捕まるよ」
「よかった……」
「俺と涼策は犯人探しに外出歩いて、そこで、俺」

 ああ、なんでこんな大事なこと、今まで忘れていたんだろう。

「自販機に触れたら、手から雷出て溶けて穴が開いて、停電した」

 涼策は目を輝かせる。そんなの、そんなの全国の小学生が一度は妄想する『能力』じゃないか!

「なにその少年漫画みたいな!」
「俺は怖かったよ。もしも誰かに触れてこうなったらどうしようって」

 視線を下げたセイに、涼策の興奮は静まり眉を下げた。
 俺なんかよりもずっと本人は悩んでいるのに、羨ましいだなんて簡単に言ってはいけない。セイは角も尻尾も消えたらいいと願っていておまけにそんな異常現象まで起こしてしまったら、ああ悔しいな、セイが今何を考えて思っているのか、俺には想像することもできない。

「ごめん」
「この世界って監視カメラあんの?」

 チャドはゆらゆらと体を揺らしながら二人に問う。
 自販機を壊したということは、子供でも捕まる可能性がある許されざる罪だ。この世界の科学力は把握しきれていないが教室に液晶画面があるということはカメラの技術もあるハズ。

「あるけど」

 あるのか。それなりに発展している世界なんだ。

「セイは悪意をもって自販機壊した訳じゃなさそうだけど、捕まった?」
「捕まってないし、もしも捕まってたら俺は見知らぬ研究施設かなんかに連れていかれたよ」
「そっか、この世界は人間だけの世界なんだね」

 体を揺らすのを止めたチャドは鏡に写る己が人間の姿だった理由が分かり、同時に二人の発言から考えてセイはこの世界ではイレギュラーな存在であることを推測する。
 人間だけの世界に悪魔の子供が居たら、悪魔に負けないほど好奇心旺盛な人間にとって素晴らしい研究対象でしかない。セイは普段帽子を被っていたらしいが、なるほど、角を隠していたのか。イレギュラーな存在だったから均衡機関が動いて、待てよ、恐らくだが何故サラ様はセイを城にまで連れてきたんだ?共に行動しているのは何故だ?おまけにサラ様の力を封じるほど強力な”ルール”を作れる神が、何故セイを狙っている?
 これは、下手に首を突っ込んでいいのか?なんの権利も力も持たない悪魔が知っていいモノなのか?
 ああなんでだろう、危険なものとわかっているのに、押すなと言われると余計に押したくなるような、そんな衝動が出てくるのはなんでだろう。

「ふふ、っふ、あはははははは!」

 突然腹から笑いだした悪魔に二人は身を引き、チャドは昇降口の隣にある階段を見た。

「サラ先生!俺にも教えてください、セイはサラ先生にとって守るべき対象であるその理由を!」

 ひょこりと、ずっと身を潜めていたサラは顔をだし、白衣姿のサラは階段から降りてくる。

「いつか教えてあげる」
「約束は、してくれないんですね?」
「うん、しない。俺も、推理を持ってきたんだ」

 三人の元へ近づくサラに、セイはぶるりと背筋と尻尾を震わせ涼策の後ろに隠れ腕を掴んだ。
 怒って、いる。サラが何かに対して怒っている気がする。

「ニャルはセイちゃんに追体験させようとしてる」
「追体験?殺人事件の?」

 涼策は先生に問うも先生はゆっくりと首を上下に動かす。

「そうとも言えるね」

 サラは三人の前で両膝を曲げ、涼策の後ろに身を隠したセイを見る。

「セイ、俺はセイの記憶を操ることも、消すことも、魂に触れて気持ちを紛らわすことすらできない」

 恐る恐る、床を手でペタペタと鳴らし涼策の隣で正座したセイは、サラの血のように赤い瞳と目を合わせた。

「それでも、俺と、神と、絶対に自殺しないことを約束してほしい」

 あまりに真っ直ぐな目と『自殺』という単語にセイは戸惑い、思わず涼策を見た。
 見ているだけでこちらまで不安になってしまう表情に、そっと、彼の背に手を添える。

「その代わり、終わったらゲーム機本体とカセットを好きなもの二つを誕生日にプレゼントするよ、あと一ヶ月あるから決めておいてね」
「俺は元の世界に帰るから要らない」

 こつんと、涼策はセイの腕に肘をぶつけ小言で促す。

「貰えるもんは貰っとけって」

 けど俺は機関に居るのは一週間って決めて、その間にどうするかを決めるっていったから更に一ヶ月後の約束をするのは一ヶ月後もサラと関わってしまうことになるし。まて、プレゼントを貰えるだけだ。機関に居続けるとは言ってない。

「分かった。生きていればいいんでしょ?」

 セイが約束を受け入れ、サラは笑顔でセイの肩に手を添える。

「そうだよ!生きていれば合格百点!」
「無理に先生にならなくていいって」
「今はサラ先生だから俺は先生」

 チャイムが響き渡る。今日は月曜日、五年生は五時間の授業で下校となる。
 涼策とセイが立ち上がるとチャドも立ち上がり、子供よりも子供らしく元気一杯なサラに連れられ教室へ向かった。



「先生さようなら」
「さようなら〜!」

 サラが全力で手を振ると、さようならの合図と共に時間が早送りされる。
 時計も、人も、太陽も全て、セイとチャドを置いて目で追えぬ速さで動き、時刻は二月十八日火曜日午後三時半となった。教室には二人の子供しかおらず雨音だけが鼓膜を揺らし、セイは自席で漫画を読むチャドを見る。

「本当、急いで本を返してまた借りてきて良かった、おかげでゆっくり読める」

 チャドは相変わらずのマイペースだ。俺は、そこまで呑気にはなれないし、今ものすごく驚きすぎて心臓がうるさい。
 セイは立ち上がり、廊下を走る音を聞き案の定教室にたどり着いた涼策と目を合わせる。

「セイ!」

 涼策に呼ばれたセイは、机に置かれたランドセルを背負った

「涼策、今日は殺人事件起こる日なんだけど」
「え?なん、今朝」

 戸惑う涼策にセイはどういうことかと目線を移す。

「今朝、殺人事件があるって俺言ったのに、セイもチャドも、信じてくれなかった……」

 どんどん声が小さくなっていく涼策に、セイはますます混乱していく。
 チャドは理解した。
 今朝は俺もセイも殺人事件について知らなかった。ということは、涼策の居る時間軸もしくは世界と、俺とセイが居る時間軸には大きなズレがある。そのズレによって生じる”俺とセイが存在しない時間”を無理矢理修正するため、涼策は用意された俺たちと出会ったんだ。
 すごいな、これが亜空間か。これが、サラ様すらルールに従わせる存在の力か。

「涼策が今朝出会ったのは別の俺たちだよ。今の俺達がおそらく本物。涼策と、セイと俺とでは過ごす時間軸が違う、いや、書き換えられたのかな」

 チャドは漫画を読み続け、セイと涼策は頭を混乱させる材料が増えていた。

「とにかく今の俺は本物のチャドだよ」
「俺も!多分、本物?」

 涼策は二人がからかっているわけではないと判断し、教室に入りさて何をするべきだろうかと話し合う。

「わかった信じる。でさ、なんで俺とセイは駅にいたの?」

 涼策は二人の間にある席に腰掛け、セイもランドセルを背負ったまま再び椅子を引き向い合わせで座る。
 
「俺の父さんに傘を届けに駅に行ってた」
「そっか。今日の天気予報さ晴れだったのに、こんな雨降ってるもんな」

 涼策は窓を見ると、なんだかさっきよりも雨が激しい気がした。

「そう、このあともっと激しくなるよ」
「なんっか、セイが未来予知してて、ははっ似合わない」

 鼻で笑った涼策にセイは口を尖らせる。

「俺からしたら過去なのここは」
「分かってるよセイからしたらそうだけど、俺からしたらお前殺人事件を予言してるんだからな。殺人事件なんてそうそう起きないのに、ましてや近所でとか、ちょっと、まだ信じられないというか」

 涼策からしたらそうなるのか。そっか、過去の、涼策だもんな。そもそもこの現象すら不思議そのものだ。何で俺は今過去にいて、亜空間とやらのなかに居るんだろう。誰かが作ったらしいけど、なんでわざわざこんな大がかりそうなことを。
 いや、まずは。

「なら、今日をもう一回やって殺人事件が起きるかどうか試そう。不吉だけど、チャドは居なかったけど」
「漫画読んでてもいい?」
「分かった。別行動ね」

 涼策はチャドの相変わらずのマイペースさに心からの羨ましさを覚えた。

「チャド〜、気に入った?」

 涼策がチャドに問いかけると、目線は無いが彼は頷いた。耳だけはこちらに傾けてくれているらしい。

「後で一繋ぎの財宝?だっけ、それも読む」
「チャドって気に入った漫画見つけると、一気に全部読むよな」

 そうなんだ。涼策がチャドについて詳しいって、やっぱりむず痒さがあるな。
 立ち上がった涼策にセイも立ち上がる。

「学校普通に出られるからさ、チャドも暗くなったら帰りなよ?」
「大丈夫ー、俺夜も見えるタイプの目だからー」
「じゃあな自称悪魔」
「またあとで?」

 涼策とセイが昇降口へ向かい今度こそ教室は冷たい静けさに包まれ、赤の混ざったオレンジの目は絵と文字を認識し、何かが喉奥でつっかかる。やがてそれは小さな怒りとなり、ちらと、チャドは二人が出ていった扉を見た。

「……腹立ったな今の。いつか食ってやろ」

 一人呟いたチャドは背筋を伸ばしたまま漫画のページを捲り、くすくすと肩を揺らす。



 バケツをひっくり返したような雨に、どこか青の混ざった景色に、二人の子供は歩道を歩き靴を濡らす。

「俺さ、殺される女の子、助けたいんだけど」

 涼策の言葉に、セイは尻尾が雨で濡れる感触を覚えながら、大人用の黒い傘を片手に目線を下げる。

「だとしても子供が『このあと殺人事件がおこる』って警察に言ったって」
「セイのお父さんに言えばいいじゃん」

 涼策の言葉に、セイは振り向かずコンクリートの道路を見続けた。

「確かに俺の父さんは警察だけど、交番勤務だし、そもそも事件がないと動けないよ」
「そ、っか、そうだよな。まだ殺してないのに逮捕はできないか」
「何かしてやれるとしたら」

 二人は横断歩道を渡り、交通量と店が増えて雨も強くなる中、靴下まで濡れようとお構いなしに歩き続ける。

「その女の子を突き放して、逃げるしかない」
「一番やっちゃいけないやつだ」
「うん、やっちゃいけないやつ」
「ちなみに女の子って何歳ぐらい?」
「十七才って報道されてた」
「間違いなく俺たちよりでかいね」
「まだ百五十センチもないからね」

 角を曲がると、目前に改装されたばかりの真新しい駅が見えた。
 天気予報を大きく外れた大雨だからか道行く人々は皆傘を持たずに走り、中にはきゃーきゃーと叫びながら雨に打たれる女子高生も居る。
 ふと、セイは立ち止まった。

「ここにいて、事件が発生して、それを確認するだけでもいいんじゃないかな」
「でもそれは」
「ものすごく怖かったんだ」

 思い出せば思い出すほど、全身が強ばり心臓がきゅうと締め付けられ、嫌な脈動がどくんどくんと脳を揺らす。

「動けなくて、近くに居たおじさんに腕を掴んで守られなかったらって思うと、今でも鳥肌がたってるし尻尾がほらこれ、見えないか」

 セイの尻尾は鱗が逆立ちピンと空を向いていた。鱗が逆立つ感覚がするときは大抵怖さを覚えているか、警戒すべきだと思ったとき。今回は、恐怖による逆立ちだろう。

「しかもさ、近くにいた人も襲おうとしたんだ。また生きて帰ってこれないかもしれない」

 セイの言葉に、涼策は駅を見てまたセイを見た。

「分かった」

 助けられるものなら助けたい。けど、二年生の時に六年生と喧嘩したほど勇気も力もあるセイが怖がっているんだ、当然俺も恐怖を覚えるだろうし、できることなんて何もない。
 涼策は寒さで震える指でコンビニを示す。

「そこのコンビニ行こ、ヴァミチキ食べよヴァミチキ」
「奢ってくれんの?」
「半分あげる」
「ありがとう!」




 二人がコンビニに入りヴァミチキを分けあって食べ終わった頃、駅周囲はパトカーで囲まれ、けたたましいサイレンがコンビニの中にいてもよく聞こえた。ガラスの向こうでは雨に濡れた警察が行き来し、コンビニ店内で広がる『女の子が殺された』『犯人が逃げた』の単語に、涼策は本当に起きてしまった事件に内臓をぎゅうと掴まれているような恐怖に、見覚えのある恐怖に正気度を失う。

「このあと、俺たちどうやって帰ったの」
「おじさんが交番まで連れてってくれて、母さんが来て、涼策を送った」
「交番行こう」
「そう、だね」

 二人が外へ出るのを見た店員が声をかけようとすると、再び人々は早送りされ夜になり朝になり昼になり、瞬きをするとそこはいつも涼策と遊んでいる小さな公園だった。
 ブランコに座っていたセイは隣を見ると、涼策は棒のついた飴玉を食べながら足を軸にブランコを揺らし、聞こえてきたパトカーのサイレン音に二人は立ち上がり、ドーム型遊具の内側に身を隠す。

「っはー、怖〜」

 目の前の車道を通りすぎるパトカーに、涼策は犯人の気持ちはこんな感じなのかと胸を押さえながら想像する。
 セイは涼策の袖を掴んだ。

「涼策、涼策、チャドは悪魔です」

 その単語に、涼策は笑顔を見せる。

「やっと記憶戻った!よかった、さっきさお前んち行った時、まずチャドは何の生き物か聞いたんだけど人間だろ?って返ってきてすごい不安だった」
「何その確認のしかた」
「分かりやすくていいだろ?なんかさ、セイもチャドも全然いつもと変わんないのに、二人いるみたいな感じして、あはは、ちょっと、ちょっと楽しい」

 歯を見せて笑う涼策にセイもつられてくすくす笑い、しゃがんだまま尻尾で砂を撫でた。

「今日はね結局見つからなくて、自販機壊しただけで慌てて家に帰ったんだ」
「その日通らなかった場所行こ」
「そうだね。確か、学校の方行って、田んぼのとこ歩いて、林のなか歩いたから、空き家行ってみよ」

 空き家か。確かにあそこなら隠れそうだし、誰もすんでいないから俺達の秘密基地となっている。

「でも空き家ってほらあそこ駅に近いし学校もあるし、そのわりに隠れられそうな場所沢山あるじゃん?パトカー多そう」
「前回はそれが理由で反対側行ったんだよ」
「だからか」
「反対側もパトカー巡回してたし、警察犬が居たけどね」
「警察犬って本当に居るんだね」
「居る、居た。ほんとドキドキした」

 目をキラキラと輝かせる涼策に、セイは唇に人差し指をつけ静かにしろと合図を送る。

 足音が、した。

 コツコツと、高いヒールが歩いているような足音。足音はドーム型遊具の前で止まり、人の影が目前に一つ。
 目が、合った。

「どうして隠れてんの」
「チャド!なんだ、緊張した〜」

 胸を撫で下ろす涼策とは裏腹に、セイは突然現れた四つ目に慌てて遊具から飛び出し公園の端まで走ると、涼策の声に気がつき、振り向き、チャドの姿を見てようやく足を止める。

「セイはなんで走ったの」
「ホラー系苦手なんだよ」
「へぇ涼策裏切られたねぇ?」
「あいつは走って逃げるかうつ伏せになって現実逃避するタイプだから」

 トイレの花子さんとやらが現れたとき、確かにセイはうつ伏せになりがたがたと身を震わせていた。
 セイはうるさい心臓を落ち着かせながら二人のもとへ駆け寄る。

「ごめん!四つ目が出てきたからびっくりした!」
「四つ目」
「なんでびっくりするんだよ目が多いって事は強いんだからな、俺、結構強いんだからな!」

 チャドの隣に並んだセイはチャドの角の上に手を添える。

「そうなの?頭一個分は小さいのに」
「変身してあげようか今ここで!」
「しー!しーッ!」

 人差し指を唇に当てた涼策に、チャドは首をかしげセイは言いかけた言葉を押さえ込む。

「何それどういう意味?」
「静かに、ここ住宅街なんだから、もうバレてるかもしれない移動しよう」

 唇に人差し指を当てるのは『静かにしろ』ということか。でもなんで静かにしなきゃいけないんだろう、犯人は逃げてるだとか聞いたが、むしろ声を上げればここには近づかないだろうに。
 涼策の提案にセイは乗り、チャドもその後ろをついていく。

「ねぇねぇなんで飛ばないの?」
「は?」
「人間には翼なんてないから」
「不便だなぁ」

 三人は住宅街の細道に入り、いつもより静かな街を走り続ける。
 向かう先は秘密基地と化した空き家だ。不法侵入は犯罪だが、そんなことも知らない二人は自分達だけの拠点とし、食料や漫画や懐中電灯等を持ってきたりいい感じの木の棒を隠したり、週に三回のペースで足を運んでいた。涼策のなかではチャドも一緒に居て空き家で集まるのが定番だ。

「そこの三人!家に帰りなさい!」

 恰幅のいい警察官が三人を見つけ、三人は振り返ることなく走り涼策とセイは二手に別れ、チャドは蝙蝠の翼を広げると屋根上まで飛んだ。
 子供から蝙蝠の翼が生えた。
 子供から、蝙蝠の翼が生えた?!

「はいこんにちは」

 驚く警察官の後頭部で夜よりも深い黒が広がり、伸ばされた褐色の手が警察官の目を覆う。がくがくと足が震え呆然と立ち竦む彼は、腕と暗闇が消えた後もまるで廃人のように空を見上げ。

「あんこくのファラオばんざい、にゃるらとてっぷばんざい、くとぅるふふたぐん、にゃるらとてっぷつがーしゃめっしゅ、しゃめっしゅ、にゃるらとてっぷつがー、くとぅるふふたぐん」

 ぼつぼつ、ぼつぼつ、もうすぐ雨が降るように、どこか呂律の回らない舌で警察官として生きていた彼は同じ言葉を繰り返す。





 すとんと、チャドは走るセイの隣に降り立ち広げた翼を服の中へとしまった。

「その翼って普通の人には見えないのかな?」
「さぁ?」

 後で確認しよう。
 二人が走り続けていると目の前に石で積み立てられた壁が広がり、森と住宅街の境目となるコンクリートの通路をセイは進む。

「セイは飛ばないの?」
「飛べないの」
「あぁ翼の器官がない悪魔か。そういう悪魔って確か、二歳頃に背中のツボ押すと飛べるようになるやつもいるって」

 セイは足の動きをゆっくりと緩め、立ち止まり、隣に居るチャドの肩を食らいつくさんばかりに掴んだ。

「俺、飛べんの?」
「ツボがどこかは分かんない」
「飛べんの?」

 あまりの気迫に、あまりに鋭い目付きに、チャドは頬をひきつらせ頷きながら答える。

「う、うん、飛べない悪魔なんて、居ない、し、多分……」

 セイは拳を空につきだし全身で歓喜の感情を表現した。
 ああそうことか。セイは周りに人間しかいなかったから、自分の肉体に関する知識も無ければ同じ悪魔についての知識もないんだ。だから、飛べるって聞いて嬉しくて嬉しくてたまらないんだ。もしも俺がセイの立場だったとしても、きっと全身で喜びを表現しただろうな。

「ねぇ、車の音が近い」
「よーっしチャドいっくぞ〜!」

 上機嫌に尻尾を空へ向け走り出したセイに、チャドうすらと頬をあげ、白い牙を出し、後ろをついていった。





 腹よりも大きな枯れた草を分け、人の気配が全く感じられない林に囲まれた平屋を前に、チャドはすんすんと鼻を揺らす。

「チャド?」

 後ろから物音が聞こえなくなり振り返ったセイとチャドは目を合わせ、こそこそと小さな声で会話をする。

「どうしたの?」
「涼策の臭いだ」
「ありがとう教えてくれて」

 セイは草を揺らしながら進み、いつも開いている玄関口から平屋に足を踏み入れる。
 廃れた壁材に、クモの巣だらけの天井、廊下はまだ壊れていないが一部が歪みどこか埃臭い。チャドはすんすん鼻を揺らし続ける。動物が居ても可笑しくないがそのような臭いはせず、アンモニア特有の臭いも感じない。ただ、カビ臭いしかなり湿気ってはいた。

「涼策ー?」

 返事がない。
 まさかと足を前にだし走り出そうとしたセイの腕をチャドは掴み、それでも行こうと抗う腕を強く握りしめる。

「いッッ?!」
「セイ、お前の小指ちょうだい」
「は、え?」

 セイは振り向くと、チャドはなんでもないように目を合わせた。

「右の小指をちょうだい。お前の肉体、人間なんだろ、なら友達を助けてあげる」

 チャドは牙を見せて笑う。
 セイは、洗い呼吸を、うるさい心臓を、嫌な予感も全部押し込めるように、舌を動かす。

「あげる、から、たすけて」

 チャドはポケットに手を入れ、一本の小さな黒い油性ペンを取り出す。百円均一の店で買えそうな見覚えしかないそれにセイは眉間にシワを寄せ、歯でキャップを開けると、セイの右手の小指に記号を書いた。

「なにしてんの?」
「魔法の準備」
「魔法、って」

 口で挟んだキャップを手に取り油性ペンに蓋をつける。それをポケットに入れると今度はビニールの小袋に入った数本ある骨のうち一本を取りだし、口に入れ、ゴリゴリと音をならしながら食べた。
 ふと、チャドはリビングからこちらを覗き見る人間の目を認識し、笑う。喉を鳴らして笑う。

「カッ、ははははは!お前も見てろ、この世界では珍しい珍しい魔法だ」

 チャドはセイの手首を掴み、小指を口に入れ、歯を立てた。

「───ッあ”あぁああ”ぁああ”ああ”!!!」

 子供の悲鳴が響き渡る。
 子供は指を食らった子供の胸を押して引き剥がし、倒れ、喉を潰してしまうほどの悲痛な叫びと共に止まらぬ血を押さえ、失った小指に嘆くことなく、ただ痛みに喘ぎ続けた。
 もごもご、もごもご。
 子供は味わうように小指を舌で転がし、食べ物を擂り潰すための歯に挟み、一回の咀嚼で肉も骨も押し潰す。
 カランと、リビングで刃物が転がる。
 一人の男の右腕は泥のように溶け、肉も骨も混ざり合い激痛としか言いようがない痛みに暴れ狂う。
 悲鳴が、平屋に木霊する。
 子供の叫びが、周囲に異変を伝えた。
 リビングから涼策が飛び出し、思わず転びながらも目の前で倒れ右手を必死に掴むセイに、涼策は小さな手で背中を擦り何度も何度も「なんで?なんで?」と彼に、己に、犯人に、チャドに、世界に問い続ける。
 右足が溶けた男は這いずりながらチャドに近づこうとするも、ついに顎が溶け、脳が溶け、意識を失った。

「セイ、涼策、見て見て!液体になった人間だよ!すごくない?!俺はじめてこんな成功した!本当に全身液体になってるんだよ!」

 ただ一人、チャドだけが無邪気に液体となった人間を指差し、子供らしい笑顔を見せる。





 いつもの教室。いつもの自席。変わらず存在する、己の小指。
 腕を伸ばし手を広げ、指を曲げ、再び開いても小指は動くし左手の親指と人差し指で触っても感覚があった。

「なんで生えたの?」

 目の前に座るサラに問う。

「魂が肉体の形を記録通りのものにしようとした結果だ。可能性はあったけど、本当に再生して俺も驚いてるよ」

 感心するサラの傍らで、セイの隣で顔を伏せた涼策はぐったりとしたまま頭を動かしセイの小指と、目の前の席に座るチャドを見た。
 首に当てられた包丁が落ちたと思ったら男の腕が溶けていて、セイが倒れていて、必死に右手を押さえていてとっても痛そうで、後ろでは男の叫び声が聞こえるわチャドの楽しそうな声が聞こえるわで、なんか、どっと疲れた。ものすごく疲れた。気がついたら教室の中にいたことにツッコミをする体力もない。

「サラ先生、涼策は守れたけど犯人の体は守れなかった。俺、ここ出たら裁判行き?」

 チャドはサラの袖を掴み、不安そうに眉を下げて問うとサラは彼の頭に手を添えた。

「大丈夫だよ、したのは約束じゃなくて取引だから裁判には行かない。ありがとうチャド、涼策ちゃんを守ろうとしてくれて」
「よっしゃー罰則無し〜!」

 安心したチャドは椅子に寄りかかりふうと一息ついた。

「ご褒美だ、禁呪の書のページ数を一枚増やそう」
「本当?!本当に?ありがとうサラ様俺サラ様呪いあれするー!」

 ピンと背筋を伸ばし両腕を広げたお調子者な彼にサラは笑い、精神力を大幅に削られた涼策の背に手を添える。
 彼の精神は普通の人間よりも少し弱い。セイは強い方で今はもう平然としているが、少なからず一度指を失ったという損失はあるだろう。チャドは恐らく悪魔のなかでも特に感受性が乏しい子供だ、加えて精神力も強い所謂鋼の心の持ち主。いい意味でも悪い意味でも揺さぶられないヒトだと言える。

「涼策ちゃん大丈夫?」
「疲れた……」
「疲れたね、よく頑張ったね」
「二度と犯人探しなんてしない」
「それがいいよ」

 そもそも殺人犯を探すなんて、バカだとしか言いようがないんだけどね。
 しかし子供だ。バカだなんだと言われても、やりたいと思ったらやってしまうものだ。

「セイちゃん、危険なことに首突っ込むとこうなるから、胸に刻んでね」
「……はい」

 正論だ。何も言い返せない。
 うつ向いたセイの次に、サラは呑気に漫画を読み始めたチャドを見る。

「ちなみにだけど、チャドはなんで二人を止めなかったのかな?精神的にはチャドの方が年上のはず」

 チャドは漫画を見続ける。

「言っても止まらなそうでした」
「一声でもかけた?」
「かけて、ないですね」
「きっと駄目だろうと思っても決めつけないで、ちゃんと確認しようね」

 チャドは漫画を閉じ、サラと向き合うと目を合わせた。

「はい、やってみます!」

 この子今声のトーンで異変に気づいたな。感受性が低い分、過去の統計から他者の異変にいち早く気づくようになったんだろう。なんて狡猾さだ。

「やってみて。それと、君は頭の回転が素晴らしいけどその分思い込みが強い、空想の理論と現実の結果を区別する練習もやってみるといい」

 思い込みが、強い。
 そう言われ、過去を思い返し、チャドはゆったりと確認するように頭を上下に動かし、目線が左右に動ぐ。

「あ〜確かに……練習しまーす」

 チャドはサラの方へ体を向けたまま、漫画を見ずに、視線を床にぐるぐると思考を巡らせ、セイは涼策に手を添えながらサラを見る。

「サラは全員見るんだね」
「何を?」

 セイはうんうんとあーでもないこれでもないと単語を拾っては捨て、探すように言葉を並べた。

「なんて言うのかな、あんまりうまく言えないけど、全員を評価?して、くれてる?見てる?観察してる?全部違うんだけど、とにかく見てくれてるから」

 精一杯の表現に、サラは綻ぶような笑顔を乗せる。

「うん、みるよ。全員みてあげたいんだ」

 セイは、サラの優しさを初めて認識した。
 いつも突飛で突飛すぎてジェット機のように飛んでくるような、超新星爆発並みのいっそのことうるさいと思うほどの明るさを持つ、混沌の具現化と書いてサラと読むような男だが、思えば出会った最初の日でさえ受け取りきれない優しさがあった。いつだって、どんなときにでも、俺がサラにいくら冷たくしても、サラは怒らないで見守り続けていた。
 しかも、この人は誰に対してもそうなんだろうきっと。裏表なんて存在しないし、現に、三人それぞれで対応が全く違った。三人それぞれに相応しい対応をしようとしていた。常に誰かを見ているから何が相応しいかが分かるんだ。
 負けた。勝負なんてしてないのに、負けた気がする。

「セイちゃん、明日、何があったか思い出せる?」
「明日?」

 明日は、木曜日、二十日だ。特になにもない、いつもと変わらない一日だ。

「明日は、特になにもない普通の日……あ!サラと会った日!」
「そうだ、俺と会った日だね」
「それがなに?」

 サラは、言いにくそうに表情を曇らせる。

「約束、守ってね」
「うん。なに?何を隠してんの?」

 サラは口を閉ざし、チャドは床を歩く蟻を目線で追いかけると、蹄で踏みつけた。




 



「セイ・カボルト!」
「はーい」

 先生に名前を呼ばれ返事を返した少年、セイ・カボルトの頭には、黒い角が生えていた。
 関東地方にあるベッドシティとも呼ばれる地域に建つ、公立小学校五年二組の教室。
 先生が次の生徒を呼ぶ間、セイは窓ガラスの向こう、記憶通りであればもうすぐ雪が降る曇天を眺め、ぎゅうぎゅうと心臓を締め付けるような痛みに耐えていた。
 セイは生まれつきの病気があるわけでも、治療をしているわけでもない。
 ただ、その日は異様に心臓が痛かった。
 苦しいわけでも動悸がするわけでも、今すぐ横になりたいような痛みでもないが、確かに痛かった。胸元の服を掴むと静電気が走る。手元を見れば手がピクピクと痙攣し、勝手に一瞬だけ手を閉じようとしていた。

「チャド・ロ・ヘズンズバーン!」

 先生が出席番号最後の生徒を呼ぶ。

「はい」
「全員居るね。連絡ある人手ーあげて〜!居ない!今日は避難訓練あるから、皆全力で逃げよう!」

 朝の時間が終わったらサラに伝えよう。何故だか尻尾がウズウズしてたまらない。落ち着いて俺、ちょっと痛いだけ、落ち着いて、落ち着いて········。

 一つ。

 鼓動と共に内蔵が熱くなる。ぐつぐつと煮えたぎるような熱が体を、思考を、感情を、脳の意識すら蝕んだ。
 椅子が床の上に落ち視線が集う。
 立ち上がり机に手をついたセイの周囲はパチパチと静電気の音が、明るい教室でもわかるほどの電気が発生していた。

「フーッ······フーッ······」
「皆!立って!今すぐ逃げて!」
「セイ、君雷の性質なんだね、なら俺の方が強いよ!でもそれ」

 セイの魂が暴れている。セイのエネルギーが、今にも破裂しかけている。
 チャドはぶるりと尻尾を震わせた。

「サラ様!俺では守りきれません!」
「全員逃げろ!」

 初めて聞いたサラの怒声に、生徒たちは異変を感じ立ち上がるなか、チャドだけが窓を開け蝙蝠の翼を開く。
 うつむきポタポタとよだれを垂らすセイに、隣の少女も椅子を倒すと真っ直ぐ扉へ足を向ける。
 生徒全員が動き、床の軋りが電気の音と混ざった瞬間。

 ────閃光。

 けたたましいサイレンの音で覚醒したセイの視界は、雷が落ちたように教室は黒焦げとなり、燃えている木材に、ふっと肉が焦げた臭いが鼻の奥を刺激し思わず手で口を塞いだ。
 よく見れば、人の形に近い肉のかたまりが、辺り一面に転がり落ちていた。

「サラ様ー?サラ様ー?」

 教室に降り立った悪魔は翼を仕舞い、サラが居たはずの教卓を確認し、こんがりと焼け香ばしい臭いを発する肉の塊と化したサラを見る。

「サラ様も、人間か」

 呟いた悪魔は、口許を押さえ顔を歪める一人の少年と目を合わせた。その顔は、辛いと、悲しいの感情だろう。

「セイは、なんでそんなに辛そうなの?」

 少年は気がついてしまった。
 この教室にある肉の塊はついさっきまで生きていた生き物であることに、今、一番近くにあって、手の届く位置にある同じ背丈の肉は、涼策であることに。
 涙を流す少年に、悪魔はぴくりと耳を動かし首をかしげる。

「ああ、友達を殺しちゃったから辛いのか。なら、食べてあげなよ、責任もって命の糧にしてあげなよ」

 言葉を投げ掛けても少年はぽろぽろと涙で服を濡らすだけだ。
 悪魔は肉を踏まぬよう蹄を鳴らす。少年の目の前でしゃがむと涼策だった肉に手を添え、右手に黒い包丁が現れた。
 なんの躊躇もなく悪魔は包丁の刃先を天井に向け、振り落とす。ストンと床を叩いた包丁に、切り取られた腕の断面に、どろりと肉の間から血がこぼれ床に広がる。
 悪魔はもう一度人間の腕に包丁を下ろし、溶けた服を削ぎ落とすように皮を剥ぎほわりと蒸気の漂う二の腕を差し出す。

「これなら食べやすいかな?」

 少年は悲鳴すら上げられず、悪魔を突き放した。
 力の入らない足を引きずって床を進み、呼吸することすら忘れた少年は扉へと手を伸ばすも悪魔が襟首を掴み仰向けに転がす。
 力なく抵抗する少年に悪魔は上に股がり、両腕を足で固定すると顎を掴み無理矢理開く。二の腕を口の中へ押し込み、泣きながら息を吸い続ける口を閉ざし、腕の骨が歯に当たった事を確認するとずるりと引き抜き顎を押さえたまま咀嚼させる。

「俺さぁ思うんだよね、短命で、普段は食料にしてる人間の友達が居たとしたら、死んだあとは食ってやるのが一番の友情ってやつなんじゃないかなって」

 悪魔は歯を見せて笑う。

「ペットもそうでしょ?飼ってたペットが死んだら皆食うでしょ?これも愛情だって俺は教わった」

 なかなか飲み込まない少年に、顔を反らし頬を床に付ける少年に、悪魔は顎から首へ手を動かし喉仏を押した。
 ごくんと、喉が動く。
 手を退かし咳き込む彼の顎を再び無理矢理開かせ、同じことを繰り返す。

「だから俺も教えてあげる。こんな面白いところに連れてきてくれたお礼だよ」

 悪魔は落ち着いて食べてほしいと願いながら、優しい笑顔で微笑んだ。

 ───拍手の音。

 視線を向けると、教室の中央、黒いズボンに黒いシャツを着た褐色肌の男が拍手をしながら、児童用の小さな椅子に腰掛け足を組んだ。

「友の為に小指を失う決断をし、友を殺し、食わされ、それでも神との約束を守る。素晴らしく人間らしい優しさだ!」

 カラカラと喉をならす男は手を動きをピタリと止め、赤い目を二人の少年に向ける。
 よくみると、その男の脇には赤いワンピースを着た少女のぬいぐるみがある。

「サラが君から奪った記憶は殺人事件が起きる日から、サラと出会う直前までの記憶だ。その記憶を持っていた君は自殺しようとしたからね、そうするしかなかったんだろう」
「貴方は誰?」

 チャドは問い、立ち上がる。

「僕はニャルラトホテプ、ニャルと呼んでくれ」

 腕で顔を隠し胎児のように蹲るセイをチャドはちらと見下ろすと、隣に座り脇腹に手を添えた。

「これでゲームは終了だ。鍵を使えば元居た世界に戻れる、おめでとう」
「セイ〜、鍵だして〜、一緒に戻ろ?ゲーム終わったって」

 ゆさゆさとセイを揺らしても、彼は荒い呼吸で泣き続ける。

「ニャル、サラ様は?」
「すでにこの世界から追い出した。彼は今僕にとんでもなく大きな怒りを向けているからね、下手したら殺される」
「よくわかんないけど、自業自得ってやつな気がする」
「正解!」

 笑顔で人差し指をチャドに向けたニャルラトホテプは手のひらを天井に向け、銀色の鍵を出す。

「これは僕の鍵ではないけど、チャド、君にこれを渡そう。元の世界に戻ったら消えるけどね」

 チャドはじぃと鍵をみると、ニャルラトホテプの赤い目をみる。

「涼策は死んだ?」
「ああ、三日前そこのセイが殺して、元の肉体は完全に機能しなくなり既に葬式も行われた」
「てことは、ここ、魂だけの世界?」
「いいや、僕が物質も記憶も全て再現した本物に近い偽物だ。セイは本当に友達の肉を食ったと言ってもいい」
「そっか」

 再び立ち上がったチャドはニャルラトホテプの元へ近づき、銀色の鍵を手に取る。鍵は外から差し込むわずかな光を反射させ、凹凸の部分には神々の言葉らしき記号が刻まれていた。

「セイ、先戻ってるからね」

 チャドは空中で鍵を差し込み、現れた扉を押すとその向こうへ姿を消した。
 扉が消え、ニャルラトホテプとセイ、二人きりの空間となる。
 変わらず周囲は肉の焦げた臭いとプラスチックが溶けた臭いが混ざり合い、一部は今も燃え続けているが黒い煙が発生していない。一部の物理法則がネジ曲がった教室でニャルラトホテプはぱちんと、指を鳴らした。
 辺りは一面暗闇に包まれるも椅子と、ニャルラトホテプと、セイだけが光もない空間で唯一色を持っている。

「僕に聞かせてくれないかい?これからどう生きるのかを。十歳の子供だろうが事故だろうがなんだろうが、君が三十人の人生を奪った事実は変わらず存在している」

 すんすんと、鼻を鳴らす音が空気を揺らす。

「その上で、君はどう生きる?優しさをばらまいて罪を償うのかい?それとも、元の世界に戻り一人だけのうのうと普通の人生を歩むのかい?どちらにせよ僕は、身勝手な選択だとは思うけどね」

 ニャルラトホテプは楽しそうに告げる。もしもこの場にサラが居たらセイを別の場所へ転送させる言葉を、もしもこの場にサオが居たらニャルラトホテプを殴る言葉を、楽しそうに楽しそうに告げる。

「いくらでも待とう。どう生きるのか、おおまかでもいい、君なりの選択を聞かせてはくれないかい?もちろん嘘でもいいし、後から変更してもいい」

 セイは、動いた。
 手を床につけ、肘を突き、起き上がる。

「生き、かえさせられない、の?」
「ああ。そういう条約だ。一度身体が機能停止した生き物の復活は神々の間で禁止されてね。破ったら最悪魂そのものの破壊となるから、僕でもそればかりはなんとしても回避したい」

 セイは震えた両腕をピンと伸ばすと膝を床に靴の裏を床に、震えながら、呼吸を整えながら、ゆらりと立ち上がる。

「さっき、俺が殺した、人達全員、まだ、ある?」
「それは、焼けた肉体のことかい?」

 セイは頷きニャルラトホテプは首をかしげる。

「教室まるごとまだ残っているぞ」

 緑の目が赤い目を捉えた。

「······食べる」
「た、べる?あんなに嫌がっていたのに?」
「いいから!!あの教室に戻せ!」
 犬歯が剥き出しになるほど顔を歪ませ命令する少年に、ニャルラトホテプは何の動作も無しに元の教室へと二人まとめて転送する。
 何故?何故?
 セイは靴を脱ぎ服を教室に脱ぎ捨て、最後にパンツを投げると泣きながら体を変化させた。腕や足に毛が生え、骨格が変わり、体が膨らみ、魔獣となった少年に、ニャルラトホテプは腹から笑った。
「本当に変身した!悪魔が!人間の遺伝子だけで!あははハハハハ!!君にとって自分は人間かい?!それとも」
 獣の腕がニャルラトホテプの胴体を狙い。
「悪魔かい?」
 セイの隣に現れた彼は攻撃を回避し、問う。
 セイは大粒の涙をぽたぽたと床に落とし、足をたたむように座ると腕を切られた涼策だったそれに鼻を近づけ、口を開け、歯を胴体に食い込ませ引きずるように噛み、涙を流し、喘ぎながら、嗚咽混じりに、飲み込む。
「何故、食べる?ふ、ふふ、それは弔い?それとも罪を背負うため?」
 涼策、涼策、お前ってこんな、こんなに美味しいんだな。服が混ざっているのにものすごく美味しい。俺、今年の冬休みに涼策と行った海楽しかった。冬だったけど水着着て、初めて海で角と尻尾隠さないで友達と遊べて、楽しかった。帰りに食べたあったかいうどん美味しかったけど、お前にさつまいもの天ぷら食われたの、今でも悔しい。去年の夏、涼策に角と尻尾バレて良かった。はじめてバレたのが涼策で、本当に良かった。クラスのみんなに、兄弟って、からかわれるのが、涼策で良かった。一年の時からずっと、涼策と、一緒に遊べて、本当に。
「うわああああぁぁぁあああ!あ”ぁぁぁああぁぁぁあ!」
 泣き叫ぶ子供を慰める大人は居なかった。居るのは自ら選択した事に喚く子供を見てくすくす笑う神だけ。
 子供は食べ続ける。涙で前が見えなくても、喉が枯れようと、腹が苦しくても、一人一人胃袋に押し込んで。
 やがて教室の死体は全て食べ尽くされ、子供は。
「ごちそう、ざまでしたッ······!」
 あまりに場違いな拍手だけが、セイの決断に喜んでいた。




 産まれたときの姿で服を抱えたまま踞るセイに、ニャルラトホテプは何度も「服着ないのかい?なぁ服着ないのかい?風邪を引いてしまうぞ?」と心配の声色を乗せながらサラの居る暖かい待合室の暖炉前にセイと共に転送した。
 ニャルラトホテプの声に気がついたサラは立ち上がり、手元に木の棒を出すとニャルラトホテプの脳天を狙う。が、案の定彼はサラの後ろに現れ攻撃を回避する。
「許さない」
 ちらと振り向いたサラはニャルラトホテプに一言告げ、ずっと脇で抱えていたぬいぐるみをサラに投げて渡す。
「それはトイレの花子さんだったものだ。オモチャ会社が販売する女児向け製品となり、事実上、学校の怪談からトイレの花子さんは消えた。元に戻したかったらそれを破けばいい」
 サラはニャルラトホテプの言葉にわずかに耳を傾けながら、セイの隣でしゃがみ風邪を引かぬよう毛布をかけると亜空間にしまったぬいぐるみを取り出す。
 客室からニャルラトホテプが消えると同時に、サラはぬいぐるみを縦に破き断面から飛び出した白い綿をじいと見て、暖炉に投げた。青い炎はちりちりと綿を燃やし、ぬいぐるみの顔は黒く歪んでいく。
「約束だ。ニャルラトホテプは俺が言った世界に降りてきた、後で肉体を用意しよう」
 地面の底を撫でるような低い声でサラは呟きすすり泣くセイが力尽き眠る頃まで、ただ呆然と炎を眺めた。



みずしろ 

2022年04月04日(月)20時18分 公開
■この作品の著作権はみずしろさんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
ストーリー展開、引き込まれるかどうか、キャラクターについて、等々どんな感想も、評価も欲しいです!


この作品の感想をお寄せください。

2022年09月22日(木)18時48分 元々島の人  0点
「人間の体に悪魔の魂を入れた」と言うのは新しいですし天界にも悪魔がいるなどの舞台は何となく説得力があります。ただ他の方も仰いますように悪役が誰かとか目的が何かよくわからない点がありました。シオンは、コウは存在感がありますが彼らが出てしばらくした辺りで少し読むテンポが下がってしまいました。
21

pass
2022年05月03日(火)10時43分 きゃつきゃつお  +20点
みずしろ様

 作品読ませていただきました。
プロローグが上手ですね。衝撃的で次どうなるのだろうと、引き込まれてしまいました。物語を書く上でもの凄く重要な部分なので、このように書けるのが羨ましいです。
 各キャラの掛け合いもテンポよく読みやすかったです。
 色々と勉強させていただきありがとうございました。

 ただ、物語の内容は、独特な世界観で進んでいきますので、途中で分かりづらくなってしまう部分はありました。最終的にどこへ向かうのかがプロローグ後に示されるような内容だと良かったのかなと思います。読者によっては途中で読むのをあきらめてしまう可能性も出て来るかもと感じました。

 以前投稿した拙作の改稿版を再投稿しました。お時間のある時に、お読みいただけましたら幸いです。

35

pass
2022年04月24日(日)21時45分 みずしろ  作者レス
モリッシー様、感想ありがとうございます!!
返信遅くなり申し訳ありません。

文章だけでなく、ストーリーにキャラクターまでお褒め頂きありがとうございます!特に、キャラクターの会話は最も力をいれているので、感想頂いたとき頬が上がって仕方がありませんでした。
小難しい設定も、難しい言葉も並べずに、まずは楽しんで読んでもらう為に書いているので、本当に嬉しく思います。

所々混乱する、一文が長い等、他の方からもご指摘頂きましたが、やはり場面の説明や目標が、圧倒的に足りていないことを痛感いたしました。この点についてはもう一度よく考慮しながら、書き直していこうと思います。

嬉しい感想ありがとうございました!
モリッシー様の作品も読ませて頂きますね!




pass
2022年04月24日(日)21時35分 みずしろ  作者レス
十二田 明日様、感想ありがとうございます!
返信遅れて申し訳ありません。

掴みに関しては何度も考え、個人的趣味ではありますが、某少年漫画の第一話を目指したのでとても嬉しいです!!

他の方からも目標の不明瞭さを指摘されたのですが、この話は「ファンタジー」かつ「ラスボスが魔王ではなく人間」のストーリーなので、そこをもっと詳しく、分かりやすく伝えるよう直していきたいと思います。

主人公の意思に関しても、確かにまだ設定しか出てきていないなと気づけました。ありがとうございます!

また機会がありましたら、よろしくお願いします!

pass
2022年04月24日(日)21時14分 みずしろ  作者レス
でんでんむし様

こちらこそ感想ありがとうございます!返信遅くなり申し訳ありません。

個性の強さや世界観についてのお褒めの言葉、本当にありがとうございます。私自身この点に関しては唯一誇れる箇所だと思い、それを第三者からも言われると尚更嬉しくてたまりません。
ご指摘された、構成と物語の目標地点の不明瞭さや、読み手への配慮、記号後の空白、等を書き直しております。同じ書き手からのご指摘は何が足りないのかよくわかり、くどいようですがありがたいとしか言えません。


また機会がありましたらよろしくお願いします!!


pass
2022年04月24日(日)20時53分 みずしろ  作者レス

きゃつきゃつお様、返信ありがとうございます。遅れて申し訳ありません。

改訂版が完成したらまた読ませていただきますね!

pass
2022年04月17日(日)16時58分 モリッシー  +30点
読了しました。

まずキャラクター同士の掛け合いが面白かったです。ラノベならではの会話文の応酬です。ですが、誰と誰が喋ってるのか分かりにくい個所が散見しました。
話しの展開がぶっとんでいて個人的には楽しめましたが、混乱してしまう読者もいるんじゃないでしょうか。
読み手はかなり限定されてしまうと思いますが、僕は好きな作品ですね。ただ読んだ後にかなりの疲労感がありました。村上龍のコインロッカーベイビーズを読んだ時より疲れましたね。一文が長いところが結構あるので、舞城王太郎をちょっとだけ思い出しました。それほど内容と文体に勢いがあります。
一見すると悪文とはいかないまでにしろ、アクが強すぎて混乱してしまうのですが、僕には文体が合っていて好みです。

ラノベらしい軽快なノリだけではなく、物語にヘビィな部分があってそのギャップも良かったです。
ファンタジーなのに商店街という庶民的な言葉が出てきて、そこも面白かったです。

小難しい設定も極力排除されていて、楽しく読みすすめられました。
作者さんは文章力があると思いますのに、あえて砕けた文体で書いているのにも好感が持てます。

文体、会話文、キャラクター、すべてが作者さんの個性が爆発している作品でしたね。
30

pass
2022年04月10日(日)09時39分 十二田 明日  +10点
みずしろ様、『均衡機関バッグラドグラ』拝読させていただきました。

他の方も書かれていますが、かなり個性の強い作品でしたね。最初、いきなりクラスメイトを殺害したところから始まるのは驚きましたし、掴みとして上手いなと思いました。


ただ非常に申し上げにくいのですが、そこからが読み辛かったというのが、正直な印象です。
思うにですが、状況や設定、主人公の目的などが分からないため『どんなゴール地点に向かって進んでいるのか分からない』状態になっているように見えます。
ファンタジーだったら魔王を倒すとか、ラブコメなら好きな異性に告白して恋人になるとか、一読者としてもある程度ゴール地点が分かっていた方が、状況が理解しやすいのですが、今作にはそれが少なかった印象ですね。


繰り返しますが、個性は強いです。出てくるキャラには一癖も二癖もあり、インパクトは十分あります。舞台設定も凝っています。
しかしそういう非テンプレ的な作品なだけに、状況を読者に伝えるのが難しくなっていて、今まで触れてきたストーリーの類型から展開を察しにくい(個性的で似たタイプの小説が少ないから)。


なのでよりキャラの、特に主人公が『どういう価値観で、何を目指して行動している』のかを端的に分かりやすく伝えるように心掛けて、書かれる方が良いと思います。

少しでもみずしろ様に資するものがあれば幸いです。
それでは。

35

pass
2022年04月09日(土)20時44分 でんでんむし  +20点
みずしろ様 以前は感想をありがとうございました。『均衡機関バッグラドグラ』、読ませていただきました。

神話をモチーフにした壮大な世界観や、神ならではの独自の価値観など個性が光る作品だと思います。

特にキャラクターは価値観による個性が強く、独自の魅力を持つ作品だと言っていいでしょう。

ただ、かなり人を選ぶ作品だと思います。対応している読者でなければこの物語を魅力的だと思うのは難しいかもしれません。逆に言えば型破りな個性を持つタイプなので、神話が好きな方や性癖等が合うタイプの方だったら大きくハマる可能性も高いはずです。

気になった点としては地の文章がかなり読みにくい部分でしょうか。一つの文章が長くて目が滑る印象です。台詞も不用意な倒置法が多く自分はややストレスに感じました。また、メインでないとはいえ登場キャラクターが多く特に後半は混乱しやすいイメージもありました。

物語の構成的に目標や目的が分かりにくく、それも引きが弱い部分かもしれません。元々込み入った設定に加え、セイ視点とコウ視点でシナリオが独立している点も混乱しやすい原因の可能性もあります。もう一歩読み手に対する配慮を強くすればより多くの評価を得られるかもしれません。個性が弱まる危険もあるのでこの部分は一長一短ですが……

個性が強い作品であるのは間違いないと思います。この強みを伸ばすか、読みやすくして読者層を広げるかは難しい部分ですね。

ちなみに一応ですが文章の途中の場合、感嘆符や疑問符の後には空白を入れなければならないルールがありまして、それが原因で敬遠されたらもったいないので、もし手間でなければ修正してもいいかもしれません。

「例えば!そこに神が来たら!君は主人公!」

       ↓

「例えば! そこに神が来たら! 君は主人公!」

みたいな感じです。

それでは失礼します。機会があればまたよろしくお願いします。
29

pass
2022年04月09日(土)17時17分 きゃつきゃつお  0点
                 みずしろ様

 拙作を読んでいただきありがとうございました。
 貴重なご意見もいただけて嬉しいです。
 皆様からいただきましたご意見を参考にさせていただき、改訂版を書いているところです。近日中には投稿できると思いますので、もしお時間がありましたら、またご意見をいただけると嬉しいです。

 みずしろ様の作品も、拝読させていただき勉強させていただきたいと思います。
 感想等の評価は後日書かせていただきたいと思います。

 とりあえずお礼まで。 

きゃつきゃつお
31

pass
合計 5人 80点


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