貧乏神は意外と俺らのそばにいる!?
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一話 電貧乏神と聴けないオルゴール

 俺は百八十センチの長身を活かして、我が家のエアコン本体のボタンを押した。
 高校時代に「天野くんって捨てられたトイプードルみたいだよね」と女生徒に揶揄されてから、いまだ心のどこかで引きずっている茶髪ショート天パが……風圧で揺れない。
 いつか来るとは思っていたが、とうとうエアコンまでもが壊れてしまった。ついでに不必要な過去まで思い出してしまって、余計に腹立たしい。
 テレビ、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、思い出の機械式玩具、おまけに目覚まし時計まで、俺を一人残して壊れていく。
「なにかに呪われていたりして」
 まさか、二十五歳にもなって馬鹿らしい発想だ。
 どれもこれも、年季の入った物ばかりだったんだ、壊れて当然じゃないか。
 次に壊れるとしたら何が壊れるのだろうか。ポットか? 携帯か? 俺の脳みそだったりしてな。
 独立を目指して実家を離れ、ワンLDKのボロい格安アパートに引っ越してから、かれこれ三年が経つ。
 どうしたことだか、三ヶ月に一個のペースで、電化製品が順調に壊れていく。怪奇現象とまではいかなくとも、首を傾げたくなる奇妙な連鎖だった。
「あつい、にしても暑すぎる」
 季節は夏。時刻は午後の六時。
 茹だるような暑さにエアコンの風を妄想し、気持ちの赴くままに六畳ある畳に寝転がる。動きを最小限に抑えていても、じっとりとした汗が生まれてくる。
 明鏡止水の境地に至ろうかという時に、歯切れの悪い『ジ……ジジー、ジッジージ……ジジッ』という機械音が部屋に響いた。
 俺はこの音を『大家さんの呼び声』と名づけている。まあ壊れかけの呼び鈴が鳴ったのだが。
 実際、大家が賃料を取り立てに来る時くらいしか鳴らされることはなかった。
 額の汗をTシャツの袖口で軽く拭いながら玄関に向った。俺はドブの匂いを嗅いだような顔を意識的に改めてから、塗装が剥がれつつある木製のドアを開ける。
「大家さん、家賃の請求にはまだ早いんじゃ……って」
 よく見たら大家さんじゃねぇ!?
「すみません間違いました。なんの御用でしょうか」
「はじめまして天野さん。私はこの家のことで、なにかのお力になれたらと思いまして」
 胸の高さから甘く透き通った声がして、俺は一瞬暑さを忘れた。
 とても胡散臭い女がいる。何かのセールスか? 客商売にしてはカジュアルな白い洋服と、バカに明るい色の短髪をしている。膝丈まであるデニムの短パンから曲線美の綺麗な足がすらりと伸びる。均整の取れた体型はモデルに引けを取らないくらいに無駄がない。
 目深に被った黒いキャップ帽のせいで顔は見えなかった。人に見せられない顔なのか? んなことはどうだっていいか。
「結構だ、帰ってくれ!」
 先手必勝、俺は二の句を継げさせずドアを閉めた。
 ……ん、ちゃんと閉まらない? ――足だっ!? この女、ドアの隙間に足を差し込んできやがった!
 人怖系ホラーに耐性の無い人間であったのなら、尻餅をついて戦慄に身をゆだねて動けなくなるのかもしれないが、お生憎様、俺はそんくらいの人怖じゃ動じない。
「どういうつもりだっ。見てのとおり、この家にモノを買うお金なんてない。セールスなら他を当たってくれ!」
 反動をつけてドアを強引に閉める。相手の足を思い切り挟んでやった。
 きゃ! と小さな悲鳴が聞こえ、ドアは閉められた。
 悪徳セールスがざまぁ見やがれ。と言ってやりたい気持ちは確かにあるが、さすがに乱暴だったか。相手も一応は仕事で来ているのに、力尽くはやり過ぎたか。
 念のためにチェーンを付けて、ドアを少し開いて覗くように様子を窺う。
 壁に手をかけてバランスを取る彼女は、コミカルアニメのワンシーンのように右の素足を持ち上げて、赤くなりつつある親指の付け根に熱心に息を吹きかけていた。
 瞬間的に目と目が合う。深い蒼の差す黒い瞳だった。
 二十歳手前の小顔が万人受けしそうな愛らしい女の子で、アイドルグループに一人は混じってそうな親しみやすい雰囲気がある。
 見て見ぬ振りをするわけにもいかない、よな。目が、今にも泣きそうだ。
「あの……足、大丈夫?」
「とっても、痛かったです」
 とっても、のところで彼女はグスンと鼻を啜った。目尻に涙が溜まっていく。演技という風でもない。
 後々で治療費とか請求されても厄介だ。どうしたもんかな。
「セールスとかでは決してないので、家に上がらせてもらえませんか?」
 俺が眉間に皺を寄せているのを好機と見たのか、彼女は涙目を盾に要求してきた。
「はあ、分かったよ。俺も悪かったし、足を冷やすくらいでいいなら、手当する。その代わり、セールスだと思うような言動をしたら、簀巻きにしてゴミ置き場に放置してやるからな」
 知らない女を家に上げることに抵抗はあるが、まあいざとなったら、力を行使して叩き出せば良いだろう。
「この炎天下なら普通に死ねますね」
「かもな。そん時は一杯の水くらいは恵んでやるよ」
 もっとも簀巻きの状態で水が飲めるのか怪しいが。
「私が干からびて死んだ際には、その水がそのまま供養にもなって楽ですねー……」
 引き攣った微笑を口元に浮かべる彼女に、俺は呆れてしまった。簀巻き云々は冗談のつもりだったが、必要以上に怖がらせてしまったか。
 俺は改めて詫びの気持ちを込めて、ドアの隙間をチェーンぎりぎりまで押し広げた。
「で、俺の言い分は受け入れて部屋に入るか、それとも回れ右して帰るのか。どっちにするんだ?」
 正直を言えば気乗りしないが、ハッとした彼女にコクコクと頷かれてしまってはもう断れない。
 ドアのチェーンを外して、彼女を部屋に入れてやる。
 とりあえず和室に彼女を座らせて、ビニール袋に水道水を入れただけの即席コールドパックもどきを作って渡した。
「それ、無いよりマシだろうから使ってくれ」
「ありがとうございます」
 さっそく患部にあてがう彼女は、けれどもまだ落ち着かない様子だった。赤くなった足よりも、もっと別のことに意識を割いている、そんな感じだ。
「貧乏人の部屋は珍しいか?」
「あーいえ、見渡してしまってすみません。ただ、天野さんの家から気配がするんです」
「気配だぁ?」
 所々剥がれた白い壁紙、カビでまだら模様を作る緑のカーテン、クモの巣の張った天井の照明……なにか妙なものが出るには打って付けの光景だってのか。
「最近、電化製品が立て続けに壊れるようなことはありませんか?」
「なっ!?」
 なぜそれを知っている? さては、大家さんから情報を仕入れたか。あのデブ大家、口うるさいだけじゃなく、他人の秘密をすぐ漏らしたがる。
「あんたには関係ないだろ。それ以上減らず口を叩くと、悪徳商法とみなして簀巻きにして追い出すぞ」
「そんな……でも、たしかに居るんです」
 ほらそこに、と彼女は天井の照明にその頼りない口先を向けた。アホらしいと思いながらも、俺もつられて天井の照明を仰ぐ。
 電源の入っていないはずの天井の照明が、小刻みに明滅を繰り返し始める。しばらくすると光は収まった。
 ありえない、通常であれば起こりえない現象だ。
「さてはお前、人の天井になにか細工したな!」
「やめてください、そんなことするはずがないです。私ではありません。電貧乏神様の仕業です。本当なんです、信じてください!」
「んな言い訳があるか! 俺を騙そうったって、そうは問屋が卸さない」
 すこし優しくするとこれだ。可愛さを武器にすれば世の男がすべてコロッと騙されると思ったら、大間違いだぞ。
「約束だ。簀巻きは勘弁してやるから、すぐに出て行け」
「い、痛いです。――あっ!」
 彼女の二の腕を掴んで玄関まで引っ張り出す。その途中で、彼女から数世代前と思しき携帯電話が落っこちた。
 落っこちただけなら拾って突っぱね返すのだが、あろうことか、携帯電話は黒煙を立ち昇らせながら小さな爆音を奏で始めた。
「私の携帯電話が……」
「壊れたのか?」
 彼女は俺が掴んでいた手をするりと抜けて、物悲しげな背中で携帯電話を手に取った。うずくまって頻りに弄りだす。同じボタンを何度も長押ししている。極めつけに重たいため息をこぼして、その場で肩をガクシと落とした。
 どうやら再起不能なまでに壊れたらしい。
 この場合って、俺が悪いのか? 落としただけで壊れるなんて、そもそも寿命だったんだろ。そうだ、俺は断固として悪くない。
「やられました」
「同情するけど金は出さない。さっさと帰ってくれ」
「これでもまだ信じてくれないんですね」
 下から恨めしそうに見上げる彼女の目を、俺は腕組をして受け止めて返す。
「信じるって、何をだよ」
「電貧乏神様です! この家は電貧乏神様の住処になっています。電貧乏神様は古くてまだ稼動できる電化製品を好みます。そういった意味でここは、絶好の生息スポットなんです」
 たしかに古い電化製品を多く置いているが、なんで初対面の女に古い言われなきゃなんねぇーんだ。これら一つ一つ、俺にとっては大切なもんなのに。
「さりげなく人の家を貶したな、あんた。電貧乏神様だかなんだか知らないが、上等だ。居るんならかかってこいよ」
 馬鹿らしい、んな超常的な存在がいるはずが無い。
「わかりました、論より証拠です」
 彼女はポケットから一枚の折り畳まれた紙を取り出した。その紙を広げて、俺の前に突き出してくる。
「これを声に出して読んでみてください。電貧乏神様を感じられるようになるはずです」
「は? なんだよこれ」
 読みやすい達筆な細筆で、意味不明な漢字の羅列が記されている。
 これを読めってか? いいだろう、何が起きるか楽しみじゃないか。だけどもし読んでなにも起こらなかったら、こいつの処遇、どうしてやろうか。
「げんじつめいりょうしつふうらいきらいでんしんこうすいめい! これでいいんだな。で、どこに居るんだ、電貧乏神様ってのはよぉ」
 俺は威圧的に彼女ににじり寄った。
 ぞくり、と背後から熱を奪われるような感覚がした。
『逃げも隠れもせん、わしならここじゃ』
 妙に艶っけのある女性の声!? ってなんか居たああぁ! ここ俺の部屋だぞ、俺の部屋……だよな?
 まるで麦わら帽のように、頭頂部にブラウン管テレビをぶっ刺している変態女。澄んだ黒目はどこか誇らしげに俺を捉えている。洋服の代わりに旧式のオーブンを纏っていて――というか腹部のあたりを貫通していて、黒く半透明なドアの中に大きな二つの胸が窮屈そうに収まっている。
『ふふっ、そのドアは決して開けてはならぬぞ?』
「あ、開けねーよ!」
 危うく前のめりになりかけた体勢を立て直す。くそっ、調子が狂う。
 下も上も布要素は皆無だった。黒電話だの電動マッサージ器だのの色んな電化製品を引っ付けて、恥ずかしげもなく腰に手を当てている。折角のモデルのようなスラッとした長身も、腰まである綺麗な黒髪も、変態コスのせいですべてが残念だ。
 好い年した大人の女が、人の部屋でなにやってんだ!? っていうか、いつの間に入り込んだ?
「電貧乏神様! 私です、宮藤 咲です。どうかお願いします、元居た場所に戻っては頂けないでしょうか」
『嫌じゃ』
 変態女はぷいっとそっぽを向いた。
 おいおいおい、家主である俺は蚊帳の外か!? 勝手に交渉が始まって、一瞬で断られてるし。こいつら身勝手すぎだろ。
「俺にも分かるように説明しろ! 話ならその後、二人で外出て好きなだけ話せ!」
 思わず大声が出た。でもこれでさすがに俺の意思は伝わっただろう。
 と思ったが、期待に反して二人は出て行く素振りをみせない。
 それどころか変態女は畳にどっぷりとあぐらを掻いて、余裕を見せつけるかのように、背中を後ろ手でゴソゴソとさすりだした。
『わしはここを大変気に入っておる。今では此処こそがわしの祠じゃ。移動などせん。こんなに美味しい電化製品を食べれるところ、そうありゃせん。もぐもぐもぐ。美味いのう』
「おいコラちょっと待てよ変態女! それ……俺が子供の頃に学校の授業で作ったラジカセじゃねぇか! く、食ってるのか?」
『うむ。なかなかに美味じゃ』
 満点の笑顔で言ってのける、こいつはマゾか!? 本当に美味しそうに食べてるし……。口の中で破片が突き刺さってるだろ。
 いや、よく見るとラジカセは透けている。まるで幽霊みたく、ラジカセの存在があやふやだ。
「な、何者なんだ?」
『そう恐れることはない。わしは神でも、人間にはすこぶる優しい神じゃ。人様の電化製品の魂を勝手に食べてその寿命を減らす以外、人畜無害と言っても過言ではない。もぐもぐ』
 人の電化製品の寿命を勝手に食って減らしたら、十二分に有害な存在だろ。
 …………なんだろう、気が遠くなってきた。


 俺は幼少の頃を、田舎のボロくて狭い一軒家で過ごして育った。
 昔ながらの電化製品に、古びたタンスや机、それが俺を取り巻く環境だった。
 元旦もクリスマスも誕生日も、祝った回数は片手で数えられる程度。加えて親からのプレゼントなんて夢のまた夢。
 だからだろう、八歳の誕生日に両親から手渡されたプレゼントは、たった三秒で俺の陳腐な世界を覆した。
 丁寧にラッピングされた包装紙を破り、箱を開ける。すると中身は、父さんのなけなしの稼ぎで買ったと思われる、値の張りそうな銀コーティングの電池式オルゴールだった。
 ゼンマイの付いた長方形のデザインはシンプルだが、気品が感じられる。
 もらったプレゼントを俺はずっと大切にしていた。悲しいときや辛いときにその音色を聞くと、不思議と心が穏やかになれた。まるで、傍で母さんが子守唄を歌ってくれているみたいに感じられたんだ。
 大人になり、ボロアパートに引っ越して二年。何故だか、古い電化製品が次々と壊れ始めた。
 不安になった俺は、久々にオルゴールを取り出して、電池をはめ込み、電源のスイッチを入れてみた。耳を翳していても、一向に音色は聞こえてこない。
 ――オルゴールまでも壊れてしまった。
 どんなに悲しい気持ちになったことか。どんなに切ない気持ちになったことか。俺にとって大切な思い出の品だったのにっ!
 だけど仕方がないじゃないか。古いものだったし、いつかは壊れる運命だったんだ。
 それでも諦めきれず、涙を流したその足で、大手家電取扱店で修理を頼みに行った。結果は、基盤の回路が完全に壊れていて直しようがないって。
 十七年間も俺の心を陰で支えてくれていたんだ、頑張ってくれた方じゃないか。
 そう思うことにして、諦めたんだ。そう思えたからこそ、諦められたんだっ。


 昔の記憶がフラッシュバックした。
 この家の奇妙な出来事の数々は、全て電貧乏神のせいだったってのか!?
『どうした急にふら付いて、眩暈か? 人間とは真にか弱い生き物じゃのう。お主も座れ、畳はいいぞ』
 胡座を掻いている変態女は、隣の空いたスペースをぽんぽんと陽気に叩いた。
 呑気にしやがって、見ているだけで怒りの情が沸々とわいてくる。
「俺のオルゴールを壊したのは、お前なんだなっ」
『オルゴール? ……ああ、よく覚えておる。中でもあのオルゴールは絶品じゃった。たまらず基盤の髄までしゃぶり尽くしたほどじゃ』
 浮かれた顔は、その時の味を思い出しているのか。やっぱりこいつに壊されたんだ。機械の寿命なんかじゃなく、こいつにっ!
「ほとんどの家電製品は親から譲り受けた大事なモノだったけど、壊されたと知ってもまだ我慢できるっ。だけどな、あのオルゴールだけは特別だったんだ!」
『お主、怒っておるのか』
 キョトンとする電貧乏神に、俺は感情のままに詰め寄った。
「当然だろが!?」
 体をじっとさせていられなかった。気づくと電貧乏神の肩を左手で掴み、余った右手は拳を作っていた。
 あと一言、癇に障ることを言ってみろ、俺が頭で理解するよりも早くこの拳は飛び出すぞ。
『……お主にとって、とても大切なオルゴールじゃったのだな。わしは収納棚の奥で眠っていたそれを、もう要らぬ物だと思って食べてしまった。申し訳なかった。人間に恨まれるのはとても悲しいことじゃ、殴って気が済むのなら、殴るとよい』
 殴ってやりたい! なのに、肝心の右の拳が反応しない。
 こいつが今更反省しようが、オルゴールを壊された事実は変わらないんだ。恨んでいいはずだ、俺はもっともっと怒るべきだ。こいつだって殴っていいと言ってるじゃないかっ!
『殴らぬのか?』
「そんなに殴って欲しいか!?」
『殴られるのは嫌じゃ、痛いからの。じゃが、人間にそのような怖い目で睨まれるのは、もっと辛い』
「だったら最初から人のモノを勝手に壊したりしなきゃいいだろ!」
『許してはくれぬかのぅ』
 電貧乏神は、仏神にすがるかのように弱々しく眉を歪める。
『仕方ないのじゃ、わしはそういう存在なのじゃから。人の記憶の詰まった電化製品を糧にし、寿命を迎えた電化製品の残魂を浄化することを生業にしておる。慰めになるか分からぬが、お主のオルゴールの魂は、今もわしの中で生きておる』
 そう言って申し訳なさそうにさすった腹には、なにかのリモコンが突き刺さっている。そのリモコンも、こいつが何時か食ったものなのか。
「電化製品の魂? っ、笑わせるな。そんなもん、あろうがなかろうが俺には一切、関係ない! 許してくれだぁ? だったら直してくれよ。母さんや父さんがない金叩いて買ってくれたオルゴールをよぉ!」
 俺は電貧乏神を退かして収納棚に向かった。久々に扉を開けてオルゴールを探す。二段になったダンボールが三列あって、その真ん中の下のダンボールを取り出して開ける。
 銀色の塗装が剥げかかっているオルゴールを手に取り、電貧乏神に怒りのまま押し付ける。
「神様だって言うんなら、このくらいのこと簡単だろ」
 無理です! と電貧乏神の隣で女が大きや声を出した。
 宮藤 咲とか名乗っていたか。もう帰ったものだと思っていたけど、まだいたのか。
「電貧乏神様は破壊神の一種で、その性質は破壊。ましてや壊したモノを直すなんて、容易に出来るはずがありませんっ」
「お前に言ってるんじゃないんだよ、俺は電貧乏神とやらに言ってるんだ」
 関係ない奴が割って入ってくるな。俺が全身で怒りを放っても、宮藤 咲は怯まない。それどころか、震える足で一歩前に出た。その両の手は、恐怖からか、固く握られている。
「い、いえ、言わせてもらいます。無理なものは無理です。怒るのも分かりますが、電貧乏神様に悪意はなかったはずです。電貧乏神様をどうか責めないであげてください」
『もうよい』
 電貧乏神が静かに発した。悲痛な顔をしている。俺も被害者じゃなければ、その悲嘆にくれた姿に同情していたかもしれない。
『そのオルゴールはわしが預かろう。今日一日だけ、待っていて貰えぬか?』
「言ったな? 約束だぞ。失くしたりしたら、ただじゃ済まさないからなら、大切に扱えよ」
 同情なんてしてやるか! 睨みを利かせながら俺はオルゴールを手渡そうとする。だが、電貧乏神は受け取ろうとしない。
「どういうつもりだ?」
「電貧乏神様は物を持てないんです。代わりに私が受け取ります」
 そう言って宮藤 咲は、丁重に俺からオルゴールを取った。
『ほんにすまぬな』
 電貧乏神は悲惨な死を遂げた地縛霊のように、哀愁だけを残して玄関から消えて行った。
 はっ! 今まで取り憑かれていたのが居なくなると思うと、清々する。
「お前ももう帰ってくれ」
「い、言われなくてもそうします。失礼しましたっ」
 宮藤 咲は一礼してから出て行った。
 これで一先ず、元通りになったはずだ。厄介者が消え、家の電化製品が壊れる心配もない。一安心じゃないか。
 俺は何も間違ってない。不当に壊されたから修理を要求しただけだ。当然だろ? なのになんで、こんなに胸糞悪い気分にならなきゃいけないんだ……。
 月に一缶と決めている缶ビールを半分ほど胃に流し込む。冷蔵庫に入れていたのに、生温い。冷蔵庫は冷蔵庫でも、冷気の出ない冷蔵庫じゃ当たり前か。
「しっかし、酔える気がしねぇよ」
 茹だるような暑さも和らいできた、もうすぐ夜の七時を回る。テレビもなければパソコンもない、することがない。気分は良くならないしで、最悪だ。
「散歩でもするか」
 これ以上家に閉じこもっていると、頭が変になりそうだった。
 玄関のドアを開けると、ふんわりとした夏夜の空気が体を包み込む。
『お主、どこかに出かけるのか?』
 不意を突くように、覇気のない女の声がした。
「電貧乏神!? ……人の家の前で何してるんだよ。ストーカーか? オルゴールはどうした」
『すまぬ、まだだ』
 敷地の端で座り込んだ電貧乏神は、地面に置かれたオルゴールに視線をくれた。
 隣には口元を固く結んだ宮藤 咲が佇んでいる。目深に被った黒いキャップ帽で表情は読みきれないが、力んだ体で感情を抑えるような深い呼吸で察しはつく。
「どうでもいいけど、オルゴールを直す気ないんなら返してくれないか。壊れていても、俺にとっては大切な代物なんだ」
『何を言う!』
 電貧乏神の萎れた目尻が広がった。
『直すと約束して、お主はわしに預けてくれたじゃないか!? 約束は守るものじゃ』
 だったら早く直してくれよ。
「そこで二人して通夜みたいな顔を引っさげていれば、俺のオルゴールは元に戻るのか?」
『それは……そうではない。じゃが、約束は守るものじゃないか』
 これぞ正しく意気消沈。膝を抱えて体を丸める姿は、頑なに自分の身を先んじて守ろうとするダンゴ虫のそれだ。
「俺は散歩してくる。戻ってくるまでに直せそうにないなら、返してもらうからな」
『約束は今日一日のはずじゃが?』
「直せそうにないんだったら、いくら待ってもお互い時間の無駄だろ」
「…………分かった。それまでには答えを出そう」
 本当に分かっているんだか、いないんだか。とりあえず、俺はもう行く。ここで話していても陰気が移るだけだ。
 公園を通り、駅を通り、本屋で漫画を立ち読みし、もうやることがない。色々と行ってみたい所があったはずなのに、いざとなると思い浮かばない。
 どうにも、何かをして楽しむ気になれないんだよなあ。
 あのオルゴールは電貧乏神に壊されなくても、きっとそう長くはなかった。特に手入れをしていたわけじゃなかったし。十七年経ってる今、いつ壊れてもおかしくない。
 ――強く責めたのは後悔してきてる。大人気なかったと思う。
 電貧乏神、凄く悲しそうな顔してたな。たかだか壊れかけの電化製品に止めをさしたくらいでさ。あいつも俺の家に取り憑くなんて、運が悪いんだよ。
「気分悪りぃ。……もう八時半か」
 コンビニで晩飯を買っていこう。アンパンとカレーパンと、飲み物は最近不足がちの栄養を考慮してビタミン系のものを買おう。
 商品を手にレジの前に立つと、電池が目に入った。もしオルゴールが直っていても、肝心の使える電池がないと試せない。直るとは思えないが、電池のせいにされたら堪ったものじゃないし。ついでだ、これも買っていこう。
 家の前までくると、宮藤 咲が息を切らして立っていた。俺にはまだ気づいていないようだ。
 近づいて声をかけようとしたけど、なんて言えばいいのか分からなくなった。啜るような呼気とともに、静かに涙を流しているみたいだったから。
「なぁ、人んちのアパートの前でなにしてんだ?」
 結局、十数秒かけて出した言葉がこれだ。こんなんだから、俺には恋人ができないんだな。
「天野さんですか……。これを見てください」
 差し出されたのは、電貧乏神に預けたはずのオルゴール!
「で、肝心のあいつはどこ行ったんだ」
 俺は、街灯の明かりに照らされた辺りを見渡した。明かりの届かない暗がりも。民家の車庫や、裏陰も。どこにも居ない。電貧乏神の姿はなかった。
「このオルゴール、おそらく直っています。でも電池が入ってなくて動かないので、新しい電池はありませんか?」
「そう言われるんじゃないかと思って、電池なら買ってきてある」
 俺は戦利品の入ったレジ袋を軽く持ち上げた。
「だけどよ、どうして直ってるって分かるんだよ。あいつから聞いたのか?」
「私がここに戻って来たときには、玄関の前にこのオルゴールだけが置いてありました。きっと、もう会うことはないでしょう。それよりも電池を……」
「家の前に置いていって逃げたのか? ったく、無責任なやつだな。罪悪感を感じただけ損だったか――」
「電池を貸してくださいっ!」
 宮藤 咲の耳に障る悲鳴にも似た声が、ぬるりとした夜間を無遠慮に駆け抜けた。
 怖い顔つきで迫って来たと思ったら、持っていたレジ袋を奪われる。まるで乞食がゴミ箱を物色するみたいに、宮藤 咲は袋の中を漁り始めた。
「おいおい、そんな乱暴にかき回したら、中の菓子パンまで傷むだろ。電池は取っていいから、もっと丁寧に扱ってくれないか」
「電池、ありました!」
 そりゃ良かったな。
 レジ袋を返されたので、晩飯の具合を確認する。重傷者一名、即死だった模様。もう一体は軽症、とはいえ、中身が一部食み出している。
「はあ、ひでぇ、俺のアンパンとカレーパンが……。あのバイキンマンが絶句するレベルでひでぇよ。にしても、こんな短時間で直せるとは思えねぇけど」
「試せば分かることです。今電池を入れました。スイッチは何処にありますか?」
「ゼンマイがスイッチになってる。右に捻れば音が鳴る仕組みだ、直っていればだけど」
 カチ、という音に連なって、淀みのない音色が聞こえ始めた。忘れもしない、両親がプレゼントしてくれたオルゴールの音色、そのものだ。懐かしい。
「すげぇ……どんなマジックを使ったんだ」
「電貧乏神様は凄い方なんですよ。ですが、もう――」
 宮藤 咲は浮き沈みの激しい表情で、言葉尻を闇夜へと逃した。
「その電貧乏神はどこに居るんだよ。これなら、お礼のついでに詫びないといけない。ははっ、マジか、本当に直したんだ。で、どこに居るんだ、居場所知らないのか?」
「嬉しそうですね」
 深刻そうに俯いた宮藤 咲は、深い蒼の差す黒い横目で俺を蔑む。
 なんだよなんだよ感じ悪いな、人が喜びに浸っているというのに。
「電貧乏神様はここを自分の祠だと仰っていました」
「つまり、俺の家に居るってことでいいのか? なら家に入ろう、せっかくだしお前も来いよ」
「……そうですね、分かりました。無駄足だとは思いますが、確認のためにもお邪魔させてもらいます」
 一緒に家の中を捜索したが、電貧乏神の姿はなかった。狭い家だ、他に隠れられそうなところもない。
「やっぱりどっかに行ったんじゃないのか? それとも呑気にお出かけ中か。ここが居場所だって言うのなら、待ってればいずれ戻ってくるんだよな?」
 俺はいつもの癖で、部屋の丸テーブルに置いてあるリモコンを拾いエアコンをつけた。二十八度の省エネ設定だ。
「ん、んん!? エアコンが稼動したぞ!」
「ご自分で電源を入れたんじゃないんですか」
 他人(ひと)を小馬鹿にしたような宮藤 咲の言に、俺は頭を傾けて頬を掻く。
 本来であれば、その至極まっとうな指摘に異を唱えたりしないのだけど、今回はそうもいかない。
「だからさ、電源を入れたのになんでエアコンが点いたのかって話だよ」
「えっと、すみません、天野さんが何を仰っているのか……なんとなく分かってしまいました」
 宮藤 咲の瞳に力が宿っていく。
「このエアコンは壊れていたんですね? それが何故だか直っている――そういうことですか」
 俺は言葉にならない何かを感じながら、頷きで応えた。歓喜の予感に駆られて、他の電化製品に視線を移す。
「もしかして、他のも直っているのか?」
 テレビ、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、天井の照明、おまけに目覚まし時計まで、すべてが直っている。
 捨てずに取っておいて良かったー! ついでのついでに、十八年物の掃除機も動かしてみた。バイクのようながなり音を立てて稼動した。かと思ったら、二、三秒後に電源が切れてしまった。
 掃除機だけじゃない、テレビ、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、天井の照明、エアコン、すべてが一斉に動かなくなった!
 お、俺は幻でも見ていたのか?
「俺の家電たちが、また壊れた!?」
「落ち着いてください、ブレーカーが落ちたのではないですか?」
 宮藤 咲の鋭い指摘に、俺はハッとなる。
 ブレーカー? ブレーカーか! たしかに、家にはそういった機能があると聞いたことがある。
 何年、いや、何十年振りの体験だろうか。すっかりその存在を忘れていた。
 薄暗闇の中で分電盤にあるブレーカーを上げると、すぐに電気は復旧した。良かった……本当に。
 再びブレーカーが落ちてしまわないよう、照明を残して、愛すべき家電たちを一つずつ浅い眠りに就かせていく。
「なむさん、なむさん、なむさん、なむさん。これで良し」
 急に室内が寂しくなったが、ボタン一つでいつでも賑わいを取り戻せる。なんと満たされた環境だろうか。自然と顔が綻んでしまう。
「何かの代償なくして、何かを得ることはできない。たとえ神でも、この原則は絶対です」
 宮藤 咲は神妙な態度で神妙なことを言う。
「なんだよ。急に」
「電貧乏神様は天野さんの電化製品を直すのを対価に、自分の根源たる力を解き放ったんです。電貧乏神様の気配がぷつりと途絶えたのが、その証拠です。そもそも、電貧乏神様は破壊神であるのに、電化製品を直すなんて無茶だったんです」
「電貧乏神は自分の命を投げ打って、俺のためにオンボロ電化製品を直した、そう言いたいのか?」
「そうです、天野さんが……電貧乏神様を殺したんです」
 宮藤 咲は鬱陶しそうに黒のキャップ帽を取り払い、あの直視してきた。蒼い炎のように滾る瞳は、静かな怒りを湛えている。
 俺が、殺した? 事の飛躍が著しい。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺はそこまでして直してくれとは頼んでない! それに、あれでも神様なんだろ? そう簡単に死ぬものじゃないんじゃないのか」
「天野さんは、神様の何を知っているんですか」
 宮藤 咲の身を震わすような立ち居振る舞いは、言葉で語るよりも多くのものを伝えてくる。怒り、侮蔑、そして憐れみ。
「なにって……」
 なにも知らない。んなもん、知っているはずがないだろ。
「神殺しは存在します。これまでも、名のある神が死んでいったのを私は知っています。天野さんは電貧乏神様を殺したんです。あなたが、あんな無茶な約束事をさせたせいで」
 毅然としていた宮藤 咲の目元から、少しずつ雫が溢れた。
 女の子を泣かせてしまった。俺が電貧乏神を殺したから?
「なにかの冗談だろ? そんな深刻そうな顔をしないでさ、ここは待とうぜ。きっと何食わぬ顔して帰ってくるさ」
「私、そういう綺麗ごとはしんじ――」
 ません、そう宮藤 咲が言い切ろうとしたところで、『ジーーーーー』という機械の一定音が部屋に響いた。その音が我が家の呼び鈴であることに気づくまで、少しかかった。
「これ呼び鈴だ、誰か来たんだ。へへ、俺の言った通りだろ? 待ってろ、すぐに入ってきてもらうからよ」
 俺は意気揚々と玄関に向かった。こんなに心躍る瞬間はいつ振りだろうか。へへっ、ご苦労さん今開けるぜ。
「遅かったな、来るのを待ってた……って」
 よく見たら電貧乏神じゃねぇ!?
 厚化粧をした大家さんが、ぶくぶくに太った腹で間合いを詰めてくる。デザイン性より機能性重視の薄い洋服は、今にもはち切れんばかりに膨らんでいる。
「大家さん、こんな時間に何の御用でしょう」
「いやね、さっきブレーカー落としたようだから注意にね、来たのよ。あなたの家のブレーカーが落ちると、こっち家の洗面所の電気もね、一緒に落ちるみたいなの。次からはさ、気を付けてちょうだいね。お願いしますよ?」
 人の気持ちを削ぐようなネチっこい枯れた声だ。
「は、はい、気を付けます。わざわざすみませんでした」
 早々にドアを閉める。
 一生で一番の感動と絶望を味わった気がする。なんだよこの落ち。ってか、なんで俺ん家の電気と大家の洗面所の電気が繋がってるんだよ。
 どっと気が抜けた。
 崩れかけたその足で和室に戻ろうとすると、部屋の前で宮藤 咲が険しさを放って待ち構えていた。
 涙こそ流していないが、今にも涙袋からぽろりと零れ落ちてしまいそうなほど、目には涙が溜まっている。
「帰りますっ。もうここに居ても仕方がないようですから」
「あ、あの、夜も遅いし送っていこうか?」
 そんな義理は本来ないのだけど、夜も更けたしさすがに見過ごせない。
「車を待たせてあるので、お構いなくっ」
「さいですか」
 突っけんどっこんに吐き捨てられ、終いには出て行く間際でまたも睨まれてしまった。
「結果オーライなはずなのに、全然釈然としないな」
 俺は和室に戻って、暑さに任せて畳の上をのた打った。
 一人になった。つっても元から一人なんだけど。だから寂しくなんかない。電化製品が復活して使えるようになったんだ、テレビで漫才が観れる、それ一つとっても喜ばしいことじゃないか。
 本当に電貧乏神は死んだのか? 俺が殺したのか? 宮藤 咲の言うとおり、電貧乏神はきっと悪いやつじゃない。
 人が豚や牛を食べるのと同じで、電貧乏神は電化製品を食べた、それだけのことじゃないか。
 少なくとも、自らを殺してまで償うような罪じゃないと思う。
 俺は自分と価値観が合わないからって、酷いことを言ったのか……。子供だな。大人の形をした子供、性質が悪いったらない。
 ぐねぐねぐねぐね、思考が捻れて頭が重たい。後になって死ぬほど後悔する癖、どうにかならないか。このままだと発狂しちまいそうだ。
「うおおおぉぉーーーーー!」
 衝動的に窓を開けて叫んだ。
 スッキリした。これで口うるさい大家にまた小言を言われると思うと、何度でも叫びたくなってくる。
 プルルルルルル。
 ――家の固定電話が鳴った。元は純白のように白かったが、今では年季で黄ばんでいる。細長い液晶画面に『非通知です。』の文字が流れた。
 この時間帯は滅多に鳴ったことのない電話だ、間違いない……大家さんだ。
 あぁー、出たくねぇ出たくねぇ。
 電話をスルーすること一分、相変わらず鳴り続けている。二十秒くらい放置すれば、勝手に切れる仕組みのはずなのに、こういう時に限って微妙に故障しているとか。
「大家に喋らせたら面倒だし、一方的に捲くし立てて、素早く切ろう。……うし! 大家さん、そういうことだから、今日は本当にすんませんでした!」
 俺は頭を下げてから、息を吸って受話器を手に取った。
「度々すみませんでした。もう叫ぶようなことはないですから、安心してくださいっ。夜も遅いので、これで失礼します。今日は本当にすみませんでした!」
 ガチャリ。試合終了。完封勝利!
 プルルルルルル。
 ――どうやら三ラウンド制らしい。
 と、取りたくねえぇ! けど、後々のことを考えると欝になる。前門の大家さん、後門の大家さん。逃げ場なし。
 俺は渋々で受話器を取った。
「……も、もしもし」
『先ほどのはなんじゃ?』
「えっと、すみませんでした」
『まあ、いいがのう』
 なんだろう、声質といい口調といい、大家さんにしては違和感がある。妙に艶っけのある声は、精製したての油のようにギトギト感が取り除かれていて、どこか爽やかささえ感じる。
「大家さん、今何をしてるんですか? 声がいつもと違うようですが」
『わしは生まれたときからずっとこの声じゃ。変になってなどおらぬ』
「そうでしたっけ…………って」
 よく聞いたら大家さんじゃねぇ!?
「す、すみませんが、どちらさまでしょうか」
『今更なにを言うのじゃ。わしじゃよ、わし』
 オーキド博士? ……いやそれはないだろ。
「わしわし詐欺の方ですか?」
『たわけっ! 電貧乏神様じゃ!』
 えっ、ええぇぇぇーーー! 自分を様付しやがった!!
 って待て待て落ち着け俺、驚くべきところはそこじゃないはずだ。まあ途中から薄々で勘付いていたが。
「おまえ、死んだんじゃなかったのかよ」
『わしを勝手に殺すでない! まあ死ぬ覚悟でやったのじゃがな、幸か不幸か、女々しくも生き残ってしまったのじゃ』
 そう言う割りには声に弾みがあって、元気そうに聞こえる。
「今何処に居るんだ? どこから電話をかけてんだ? 教えてくれ」
『可笑しなことを言うのう。わしはここじゃ』
 ここ? こいつまさか電話初心者か……。ここってどこだよって話だよ。
『分からぬのか? お主の手元耳元、すぐ傍じゃ』
 手元? 耳元? 辺りをぐるっと見渡しても、電貧乏神の姿はない。もしかして、宮藤 咲が俺に唱えさせた奇妙な呪文の効力が切れたのか。それで見えなくなってしまっているのか?
『どこを見ておる。お主が手に持っているモノ、それが今のわしじゃ』
「いや、受話器しか持ってないが」
『ならば、それが答えじゃろ』
「この受話器が電貧乏神!? いやこれ、俺ん家の受話器だぞ」
『正確には、受話器を含めた電話機器じゃがの。――溜め込んできた力をすべて使い果たして弱ったわしは、とっさにあったお主の電話機器に憑依したのじゃ。しっかしお主がブレーカー云々と騒ぎ出したときは、常ならともかく、憑依していないと力を保てない今のわしは死ぬかと思ったぞ。げに恐ろしき体験だった。あれだけは、あれだけはほんに堪忍にしてもらいたいのぅ』
 ブレーカー騒動がかなり堪えたらしく、尻すぼみしていく声には怯えが混じっていた。
「悪かったな。次は雷が落ちてこない限り、ブレーカーは落ちないだろうから、安心してくれ」
『ならば、雷が落ちないよう天に祈るばかりじゃな』
 電貧乏神は冗談めかしてフフっとほくそ笑む。
「神も祈るのか」
『まあな。神と言えども、畑が違えば門外漢よ。あと一月もあれば動ける程度には回復するから、それ以降であれば、いくらでもこの家に雷を落としてもらって構わぬが』
「そういうものなのか……。っつーか俺が構うわ! 普通に怖ぇよ。お前、そんなんでも本当に生きてるんだよな?」
 こうして言葉を交わしていても、まるで死者と通信しているような奇妙な感覚が拭いきれない。
『ふふ。人間のお主は不思議に思うかも知れぬが、神の生死は形では判別できぬものなのじゃ。今は小さいながらも祠があり、少なからずわしを慕ってくれる者が居る。わしが電貧乏神として存続できる条件は揃っておるのだ』
 神の条件って、意外と単純なんだな。力を使いきって消滅する以外は、ほぼ無敵なんじゃないか。
「そうか、とにかく良かったよ。宮藤に俺が電貧乏神様を殺したって言われたときは、ドキッとしたからな。まさか、お前がそこまでするとは思っていなかったんだ。色々と言い過ぎたのは、その、悪かったな」
 なーにそんなこと、と電貧乏神は俺の気持ちもどこ吹く風で、大らかに言ってのける。
『わしは交わした約束を守っただけじゃ。神なんてのは響きこそ偉そうじゃがのう、その実、使えない神は山ほど存在するのじゃ。中には、人間に害しか及ぼさぬ神も居る。破壊神であるわしもまあ、その一人じゃな。そんなわしが死のうとも、お主が罪悪感を覚える必要はないのじゃ』
 電貧乏神が消えて困る人間は、たしかに極少数だろう。むしろ、喜ぶ人のほうが圧倒的に多いはずだ。こいつが居なければ、そもそも俺の家の電化製品が壊れることもなかったんだし。
 けどこいつが居なければ、オルゴールは今も暗いダンボールの中にいて、残りわずかな寿命を無駄にすり減らしてくだけだったのも事実だ。
「お前は、俺のために命を削って大切なオルゴールの存在を思い出させてくれた。お前はもう破壊神失格だよ」
『酷い言われようじゃ。わしは、お主の役に立てたのかのう』
「言いたくないけど、俺は電貧乏神と出会えて良かったと思う。今までの経緯を総合して、ほんの少しだけプラスだ。仮にも神様なんだから、讃えられたら偉ぶって胸を張るくらいしていいんじゃないか」
『……張れる胸がない』
 たしかに無いけど、そういう意味じゃねぇよ!
『冗談はともかく。無理を承知で言うのじゃが、もう一月ほどここに居させてもらえぬか。動けるようになり次第、お主が出て行けと言うのであれば、他の祠になりそうな場所を探すでの』
「ああ、もちろん。けどそうなると、俺の固定電話って……」
 やっぱり壊れるのか? 形あるものいつか壊れるとはよく言うけど、急速に壊れていくと知っていて指をくわえて見てなきゃいけないのは、心苦しい。
『この電話機器の寿命は少なく見積もって後一年半。わしが一月で削る寿命は、せいぜい二ヶ月くらいじゃ』
「すぐに壊れるわけじゃないのか」
『つい昔のわしなら一口でぺろりと平らげていたじゃろうがな。今のわしではそうはならぬ』
「そうか、良かった。一応、それも親からの大切な餞別品なんだ。できることなら長持ちさせてやりたい」
『心得た』
 ふう、安心したら腹が減ってきた。
 いったん受話器を畳に置いて、レジ袋に手を伸ばす。
 見るも無残なアンパンと、一部放送禁止のカレーパンと、ビタミン系飲料を取り出す。
「今思ったけど、ビタミン系飲料って相性悪いよな」
 見ているだけでブルーになってくる面子だが、それでも食欲は湧いてきた。


 あれから二週間が経つ。
 電化製品が復活したことで、俺の生活は天地が引っくり返ったように一変していた。
 二度寝することのない朝。真夏日でも春先のごとく涼しい室内。家に帰れば迎えてくれる冷えた缶ビール。爆笑コントに一人ツッコミできる和室。
 大家さんに今月の電気代を請求されるまで、たしかにここは極楽浄土の楽園だった。
 領収書の記載額、一万三千円。はい? 一瞬、我が目を疑った。いつもの四ヶ月分が、たった一ヶ月でやってきた。
 それを来週末までに納めろって? 無理無理、絶対に無理っ。ただでさえカツカツの極貧生活なのに。
 俺は大家さんが帰った後も、玄関でしばらくフリーズしていた。
「って、こうしちゃいられない!」
 俺は急いで和室のエアコンの電源を切った。昼間から点けている天井の照明も落とす。無駄にうるさいテレビも黙らせる。
 ――黙らせようとテレビのリモコンを操作したんだけど、おっと、ボタンを押し間違えてチャンネルを回してしまった。
 光源がやたら鬱陶しい大きなステージ上で、アイドルと思しき若い女性がマイクを片手に踊りながら歌っていた。
 それを一万人はいようかという群衆が取り囲み、ときに跳ね、ときに揺れている。まるで地の池の亡者たちを歌を使って使役しているような、俺とは相容れない世界が繰り広げられている。
 お笑い以外に興味はねぇ。そう思っていたはずの俺が、テレビに釘付けになっている。その理由を頭で把握するまで、そう時間はかからなかった。
「宮藤 咲!? ……だよな」
 テレビの左下に申し訳程度に書かれた『ライブ再放送』、の下――『話題沸騰! 電脳妹系アイドル! サフジキミヤさん(19)の単独コンサート』のテロップ。
 サフジキミヤ、この芸名の文字列を入れ替えれば、宮藤 咲。歌声も踊っている背格好も、たぶん間違いない。
「あいつアイドルだったのか!?」
 驚いているのも束の間、『ジーーーーー』という家の呼び鈴が鳴った。
「あーはいはい、今行くよっと」
 今度こそテレビを消し、玄関まで移動してベリベリのドアを開ける。
 見覚えのある黒いキャップ帽を目一杯深く被った女性が立っていた。バカに明るい色の短髪と愛らしい小さな顔の輪郭には、強烈な近視感がある。
「お前は、まさか」
「この家のことで、何かのお力になれたらと思いまして」
 胸の高さから甘く透き通った声がした。
 これは夢か、幻か? やっぱり現実で、けれどドッキリの類なのか? それとも、またしても「……って、良く見たら○ ○ じゃねぇ!?」の再来か!?
「よし」
 一先ず、落ち着こう。そのためにも一旦ドアを閉めて、一人になろう。
 ドアを閉める。――はずが、上手く閉まらない!? ドアのどこかで何かがつっかえている。
「怪しいセールスではありません、私です、宮藤 咲です! 覚えていませんか?」
 覚えているし、今となっては怪しさの欠片もない。
 俺は一息ついてから、閉じかけのドアを開けた。そこにはキャップ帽を脱いだ可愛い系女の子――もとい、最低でも一万人以上のファンを持つであろうアイドルが立っていた。
「もう俺ん家には来ないものだと思ってた」
「私もそのつもりでした」
 宮藤 咲は久しぶりの親友に見せるような柔らかな笑顔を見せた。
「最近になって、少しですが、ここら辺で神の気配を感じるようになりまして。一応、名のある神かもしれないので、挨拶をしに来たんです。ですがまさか、もう一度この家に訪れることになるとは思いませんでした」
 話している最中も、しきりに固定電話のある奥の和室を気にしている。
「お前、この家に何の神がいるのか、知らないで来たのか」
「もちろん、知りません。そう言う天野さんはご存知なんですか?」
「えーっと、まあ気配的な何かを感じることがあるような気がするだけだ」
「それは変ですね。視現書を読んだ効果はとっくに切れているはずなのに、どうして神の気配を感じ取れるのでしょうか……」
 宮藤 咲はぶつくさと顎に手を当てて悩みだした。
 あぁ、あのとき読まされた紙は視現書っていうのか。別に興味ないけど。
「とにかくここで話すのもアレだし、中で話さないか?」
「そうですね、お言葉に甘えて、それではお邪魔させていただきます」
 宮藤 咲は和室に正座して、家の中を舐めるように眺めた。
 安いお茶と俺が大事に蓄えていたスナック菓子を奮発すると、歓迎されたのが嬉しかったのか、ニコニコと満足げだ。
「ありがとうございます!」
「はいはい、どう致しまして。そーいやその、足は大丈夫か?」
「足? さっきのですか? 前回ほどではありませんでしたよ」
 若干の皮肉こそ込められていたようだが、悪意らしき悪意はない。
 さっきのというか、前回の、なんだけど。見る限り普通に歩けているようだし、大事無さそうだ。
 ふふっと笑う姿はさすがアイドル絵になっている。のだけれど、危険なことはやめようね。そして学習もしてくれ。うっかり足を怪我させてしまった日には、俺がファンに血祭りに上げられてしまい兼ねない。
「んで、お目当てのもんは見えたのか?」
「残念ですが、気配だけしか感じ取れませんね」
 宮藤 咲は気さくに答えて、電話機器の方を見つめた。だけど、その正体までは掴みきれていないようだった。
「どうやら、わざわざ会いに来るほどの神ではなかったようです」
「小物には用はないってか」
 そんなところです、と俺の方に向き直ってお茶を啜る。
「ふぅ。少しだけ、懐かしい感じがしたのですが」
「電貧乏神だと、思ったのか?」
 俺があえて琴線に触れそうなことを言うと、宮藤 咲は体をすこし揺らして居直った。
「天野さんを責めるつもりはありません。ですが、やはり、知り合いが消えてしまうのは寂しいものです」
 宮藤 咲は過去を惜しむように目を伏せ、なにかに想いを馳せるように続けた。
「電貧乏神様は本当にお優しい方でした。私は五年前に、古い雑居ビルのエレベーターに一人閉じ込められたことがあったんです。そのときに、電貧乏神様はエレベーターの電気回路を壊して扉を開けてくださり、一介の人間にすぎない私を助けてくださいました。原因は一階で起きた火事とのことで、あのまま閉じ込められていたらと思うと……」
「そりゃゾッとするな。あいつ、やっぱり良い奴なんだな」
 まあ悪い神ではないと思ってはいたけど。
「正しくは『良い奴“だった”』です。住処を求めて彷徨っていたらしいので、私は古い電化製品の山を作ってプレゼントしました。ですが、ニ年前にふと居なくなってしまって……ずっと捜していたんです。アイドルとしてテレビに出れば、電貧乏神様が気付いて会いに来てくれると思ったんですけど」
 そりゃ人間のアイドルに神が興味を抱く方がおかしな話だ。
 さらっと言っているけど、アイドルって軽い気持ちでやって、テレビでライブが配信されるようになるもんなのか? 俺はその手のことは詳しく知らないけど。
「お前、努力家だろ」
「なっ、なんですか急に?」
 宮藤 咲は手にしたお茶を零しそうになって、顔を赤らめながら慌てた。咳払いを一つして冷静さを取り戻した、かと思えば、今度は蒼の差す黒いジト目で凝視してくる。
「人の容姿をジロジロ見て、なんなんですか、女性に対して失礼ではないですか?」
 別に変な意味で見てたんじゃなくて、反応がわかり易すぎて呆れていただけだ。
「いや悪い、なんでもない。それで、電貧乏神を殺した俺のこと、もう恨んでないのか」
「私、恨んでいるように見えますか?」
 おどけた感じで逆質問してきた。
 今のところそうと取れる態度は見せてないが、内心でどう思っているかは、人間分からんものだ。
 俺が茶化すように肩をすくめると、宮藤 咲は気の抜けたアンニュイな顔で応えた。
「あの夜、電貧乏神様はこれから起こるであろうことを話してくださいました。私が天野さんを恨む構図を作りたくなかったんだと思います。実際、電貧乏神様の気持ちを知らないままだったら、天野さんのことを多少なりとも恨んでいたと思います。とは言え、当時はかなり取り乱して、天野さんに酷いことを言ってしまいました、謝ります」
 正座のまま俺に向き直って、律儀にも頭を下げた。
 あの夜――電貧乏神がアパートの敷地の隅で蹲っていたときには、もう命と引き換えに俺の電化製品を直そうと考えていたんだな。
「気にすんな。そんなことより、もし電貧乏神とまた会えるとしたら、会いたいか?」
「この話は不毛です。私が電貧乏神様と会うことはもうありません」
 じゃあなんで、こんな僻地みたいな住宅街にわざわざまたやってきたのか。電貧乏神に会えるかも、と期待したからじゃないのか?
「私そろそろ仕事があるので、失礼しますね」
「もう行くのか? まだ来たばかりじゃないかよ」
「こう見えて結構忙しいんですよ、私」
 安っすい営業スマイルをした宮藤 咲が立ち上がるのと同時に、家の固定電話が鳴った。
 大家からか、質の悪いセールスマンからか、それは出てみるまでは分からない。
 分からないけれど、このタイミングで鳴らせられる人物を、俺は一人しか知らない。いや、それを人と呼んでいいものなのか。
 俺は受話器を取って、電話には出ず、そのまま宮藤 咲に受話器を差し出した。
「電話に出なくてもいいんですか?」
「たぶん、この電話に出ていいのは俺じゃない。出てやってくれ」
「えっと……」
 宮藤 咲はあからさまに戸惑っている。それでも俺は変わらず受話器を差し出す。ここで二人をつなぎ止めない理由がない。
「気味が悪いですよ。……相手の心当たりはあるんですよね?」
「出れば分かる。こうしている間にも、通話料やら電気代やらのメーターが回っているんだ」
 時は金なり、自分でもよく分からないことを言って、半ば強引に受話器を手渡した。
 宮藤 咲は猜疑心の眼差しで俺を見てくる。釈然としないのか、出るのにかなりの抵抗があるようだった。
「さ、なんなら一言交わすだけでもいいからよ」
「うーん、出ればいいんですよね」
「ああ、出てやってくれ」
 宮藤 咲は根負けしたように息を吐き、受話器をそっと耳に近づけた。
 この世に魔法の言葉があるのなら、それは間違いなくこの言葉だと思う。
「もしもし――」
 宮藤 咲がそう呟いた瞬間、渋っていた顔がパッと華やいだ。まるで子供がプレゼントを貰ってはしゃぐかのように、受話器を片手に目を輝かせた。
「電貧乏神様っ!!」



二話 筋貧乏神と開けないドア

 大家さんに請求された電気代は、結局、四分の一しか支払えなかった。残りは肩代わりという名の借金で、なんども頭を下げて猶予を得た。
 それから更に約一ヶ月。
 大家さんに小言を言われる頻度が増えて、精神的にかなり参っている。しかももうすぐ纏めて請求代を支払わないといけない。苦しい……。
「金金金、所詮この世は金なのか」
『好い年した男が、昼間っから腐るでないぞ』
 空調の効いたファストフード店で汗をしずめている俺に、妙に艶っけのある女性の声が反応した。
「痴女みたいな格好を平気でしていた奴には、言われたくないけどな」
『痴女だと? 神に向かって不敬じゃぞ』
 中古で買ったビデオカメラから、潜水艦のハッチから乗り出すみたくに、電貧乏神の上半身が生えている。
 一寸法師のような矮躯は、最初に会った頃と比べて見違えている。薄らと透けたデジタル時計を胴に巻いて、大きな胸ごと覆っている。
 エロさよりも可愛さが際立つ愛玩人形のような今の容姿は、まだ受け入れられる。初期のビジュアルは本当に酷いものだったから。
「神様のことは知らないけどよ、人間界であの格好は、立派な痴女だろ」
『痴女痴女言うでない。わしは、わしはな、出来ることならあの麗しい姿に戻りたいのじゃ……』
 しくしくと指先で目元を擦る仕草は、見ていてなんとなく同情を誘った。
 でも、痴女は痴女だろ。つーか、あの裸みたいな格好のどこに麗しさを見出せるのか。人間との美的感覚に差異があり過ぎる。
『しかし、依り代を乗り換えるにしても、もっと古い型がよかったのじゃがのう』
「言っておくが、俺の今の金欠はお前のせいでもあるんだからな」
 ワガママ言いやがって、安かったとは言えこのビデオカメラだってタダじゃねぇんだぞ。
 電化製品の中古を売る店で、寿命が長くて比較的安い代物がこれだった。
 記録機能がぶっ壊れ、撮っている映像を液晶画面に映すしか能のないジャンク品だ。
 サイズ感もでかく、手の大きい俺でも片手で構え続けると重みでだれてくる。だから普段は机の上かバッグの中だ。それでもかなり邪魔くさい。
『そうカリカリするでない。短気は福を遠ざけるぞ』 
「はあ。福はともかく、お前は遠ざけたいよ」
『面と向かって言われると傷つくのぅ。だからこうして持ち運べるビデオカメラに乗り換えて、お主の移動の傍ら、次の祠になりそうな場所を探しているではないか』
 あれから文字通り見る影もなかった電貧乏神だったが、数日後には固定電話にキノコの如く体を生やし、ぐんぐんと成長していった。
 今では電化製品から電化製品へと乗り換えれる程度には、力を回復させている。
「静かで落ち着ける場所が良いとか言って、俺の勧めた中古電化製品店を軒並み蹴ったのはどこのどいつだよ。移る気があるのか疑いたくなる」
『古い電化製品が多くあればどこでも良い、という訳にもいかんのじゃ』
 電貧乏神は現状を憂うその口で、ビデオカメラの角をボリボリと貪った。しまいには『悪くない味じゃぁー』と小さな頬を綻ばす。
 実際にビデオカメラが削れたわけではないが、その寿命が数時間単位で減ったのは間違いない。
「そいつがぶっ壊れたら次は買わないからな」
『殺生なことを言うでない。それよりほれ、待ち人が来とるぞ』
「お、来てくれたか!」
 暑そうに胸元の黒いシャツをはためかせながら、東郷 千世(とうごう ちせ)がドアを押して、遠くで鳴く蝉の声と一緒に店に入ってきた。
 高校生と言われても違和感のない子リスのような顔立ちをしているが、俺より一つ年上の二六歳だってんだから、ちょっとした驚きだ。
 すらっと伸びる長身は遠目だとか弱く見えるが、近くで見ればそれが誤りだとすぐに気付く。引き締まった筋肉質な体をしている。
 明るい茶色のショートボブから滝のように汗を滴らしながら、立ち上がった俺を見つけてすぐに寄ってきた。
 半ズボンから伸びる足は日焼けして肌黒く、裾で見え隠れする焼けてない肌とのコントラストが、彼女の活発さを雄弁に物語っている。
 ……でも、少し痩せたか? いつもより一回り小さく見えるような。
「ごめん天野、待たせちゃってたかな」
「気にしないでください、頼んだのは俺の方ですから」
「ならいいけど。――あ、すみません」
 東郷 千世はテーブルの向かいに座るや否や、通りがかった店員にオレンジジュースをオーダーした。
 止まらない汗を抑えようと必死に手で首元をあおぐ。自らが送り込んだささやかな風に、人懐っこい顔をふにゃりと弛緩させた。
 さっきからすごい汗の量だ。控えめな胸を濡れたシャツが侵食して、少しエロい。いやいや、何を考えているんだ俺は……。
「走ってたんですか?」
「まあね。来週の試合、天野も観に来てくれるんでしょ?」
「もちろんですよ! 応援するんで、頑張ってください!」
「もち! 期待しててよね」
 つい熱の入る俺に、東郷 千世は屈託のない笑みで親指を立てる。ボーイッシュな仕草が実によく似合っている。
 東郷 千世は鬼神ジムに所属する現役のプロボクサーだ。月に一回の頻度で、観戦試合を行っている。
 俺はその常連客だ。
「恥ずかしながら手持ちが少なくて」
「分かってる、臨時のバイトがしたいんだよね」
 話が早くて助かる。
 試合を観戦するのもタダではなくて、ぶっちゃけ俺の金欠要因の大部分がこれだ。
 以前電貧乏神に観戦料の話をしたとき、『お主がひもじいのは、わしのせいだけではないではないか』と疎まれてしまったが、好きなことを捨てて裕福な暮らしをするくらいなら、俺は喜んで貧乏になって好きなことをして生きたいと思った。
「メールで用件は分かってたから、おやっさんにも話は通してあるよ。天野の清掃は細かいところにも目が行き届いていて評判が良いから、是非にってさ」
 そう言ってもらえるとすごく嬉しい。
「お金をもらう以上は、全力で綺麗にしますよ!」
 観戦試合に何度か通い始めた頃、試合直後の東郷 千世に思い切って近くで応援のメッセージを伝えたのが、仲良くなるきっかけとなった。本当ならスルーされる所を、気さくに話しかけてくれたんだ。
 俺が慢性的な金欠人間だと知ると、軽いノリで臨時のジム内清掃の仕事をやらないかと誘われた。
 最初は右も左も分からなくて酷い仕事振りだったと思うけど、俺の熱意だけは伝わったのか、見限られることもなく、たまに仕事を与えてもらっている。
 その甲斐あってか、掃除の腕もかなり上達したと思う。
「天野は変わらないね。見ているだけで元気がもらえる」
「なに言ってんすか、元気もらっているのは俺の方ですよ。今でも思い出すなー、初めて見た東郷さんの試合。殴られても殴られても不撓不屈! 劣勢からのカウンターで入れた右のアッパーカットで勝利をもぎ取ったとき、俺感動で心底震えましたもん」
「あはは、天野もその話ホント好きだよねー」
 東郷 千世は恥ずかしそうにはにかんだ。イヤイヤと表情で訴えていながらも、どこか満更ではない照れが隠せていない。
 ウエイトレスからオレンジジュースを受け取ると、話題から逃げるようにストローでごくごくと飲んでいった。
 ――忘れもしない。
 引越しし立てで仕事先に馴染めなかったとき、同僚に連れられて観戦した。生きるとはどういうことなのか、闘い勝ち抜こうとする強い意識、頑張ることの意味と生きる希望の両方を与えられた。
 今の俺が世の煽り風にめげずに頑張れていられるのは、東郷 千世のお陰と言っても過言ではない。
 ここ最近の試合では負けが込んでいるけど、次の試合には是非に勝ってほしい。
「でも良かったんですか? 大事な試合前に、俺なんかのためにこうして時間を作ってもらっちゃって」
「いいのいいの、天野との会話は良い気晴らしになるから、さ。……ははは!」
 清掃の件はメールで済ませられたはずだけど、思えば毎回こうして会っている。
 俺なんかが役立てるのであれば、嬉しさの極みだ。
 ……だけどなんだろう、一瞬だけ笑う顔に翳りが見えた。俺の気のせい、だろうか?
「天野と会うと初心にかえれるんだよね。それで『勝つぞ!』って気力が湧いてくる」
「初心、ですか」
「話したことなかったっけ? まあ大した話じゃないんだけどさ、私が中坊の頃に好きって言ってくれる二つ年上の男子がいたんだ。その人ガタイも良くてさ、待ち伏せとか朝電とか平気でしてきて困ってたところを、格闘技習ってる友人にガツンと目の前で締めてもらったことがあって、無事解決! ……その時からかな、私が純粋な強さに憧れを抱いたのは。他人を助けるのにも、ある程度は強くなくっちゃ! ってね」
 他人を助けられる人になるため強くなった、そう明るく語る瞳が眩しいくらいに輝いている。
 やっぱり俺、東郷 千世のことを応援したい。改めて強くそう思った。
「東郷さんってモテそうですよね」
 長身でスタイル良くて、顔は人懐っこく愛嬌があって親しみやすい。性格は気さくで優しい。これでモテない理由が見当たない。
「わ、私が? うーーーん、どうなんだろ?」
 東郷 千世は半信半疑といった感じで小首をかしげた。
 あ、これ、めっちゃモテてた人の反応だわ。俺の勘がそう囁いている。
「も、もう、私の話はこの辺でいいでしょ。明日の午後の清掃のお仕事、楽しみにしてるよ」
 俺の清掃の仕事が楽しみとは、これ如何に。
 傍目から見て楽しむ要素はないと思うが。あー、普段使う用具が綺麗になっていく様はそれだけで気分が良いもんな、そういうことか。
「了解です、任せてください!」
 話が一段落したところで、俺は東郷 千世の黒シャツに付いている妙なものに気がついた。
 それは蜘蛛の糸を丸めたような、白い、ゴミ、だろうか? 右肩に乗っている。極々小さい。
 オレンジジュースを飲み干した東郷 千世に、俺はテーブルを跨いで手を伸ばした。
「え? なに?」
「すみません、肩に白いゴミみたいのが……」
「取ってくれようとして、いるんだよね?」
 それ以外に何があるというのだろうか。
 動きを止めた東郷 千世は、居住まい悪そうに一部始終を目で追っている。
「今取ります」
 俺はつまんだ指を開いて確認した。
 ゴミの姿はない。東郷 千世の右肩にあったゴミも消えている。
「――どう? 取れた?」
「はい、落ちたみたいで……って、あれ!?」
「なに?」
 右肩にあったはずの白いゴミが、左肩に移動している。こんなこと有り得るのだろうか?
 でも、実際に移動している。落ちたあと空調に乗って、運悪くまた付いたのか。
「すみません、左の方にもあるみたいです」
「え、こっちにも? なんだろう……幼少の頃にお母さんに身支度を整えてもらうのを思い出して、なんだか恥ずかしいや」
 東郷 千世は戸惑いながらも、体を軽くひねって左の肩を俺に差し向けた。
 ゴミキャッチャーと化した俺の指が、今度こそとつまんで、開く。
 キャッチ成らず。何処からともなく残念を告げる効果音が聴こえてくるようだ。
『ブッブ〜。残念無念また来週、じゃのう』
 気のせいじゃなかった。
 ビデオカメラから意地汚い声が聞こえていた。電貧乏神だ。
 人前でなければ、ビデオカメラを思いっきり揺さぶってやるところだ。バカにしやがって、あとで覚えとけよな。
「天野? テーブルの古いビデオカメラが、どうかしたの? ゴミは、取れた?」
 俺がビデオカメラを睨んだものだから、不審に思われてしまったじゃないか。
 東郷 千世の左肩から白いゴミは消えている。
「それなら多分――あれ? また移動した!?」
 こともあろうに、今度は控えめに膨らむ胸の合間に移動していた。
 ゴミの分際で、まるで神出鬼没だ。空調のためか白いゴミは小刻みに動いているようにも見える。
 俺はゴミを見失わないよう顔を近づけて視線をロックし、慎重に指を谷間に伸ばしていった。
 グイッと、誰かが横から手首を強く掴んだ。
「天野……なにを考えてるの?」
 東郷 千世だ。痴漢を見下すような胡乱な目が、試合中にも見せない末恐ろしい威圧感を放っている。
「ご、誤解です。胸元に白いゴミが!」
「ゴミ? 私も見てるけど、どこにも見当たらないんだけど」
「そんなはずは」
 俯く東郷 千世の角度からなら余裕で見えているはずだ。白くて、小さい、小刻みに動いているゴミが――跳ねた!?
 ふわりと宙にあがり、俺の目線の高でピタリと停止する。空調なんてなんのそのだ。
 おかしい……。
 目を凝らしてよく見てみると、ヨボヨボな顔のようなものがあり、白くて長い顎ヒゲに隠れるようにして貧弱な手足が僅かに伸びている。
『貴様、僕が見えているのか?』
 驚きをはらんだ嗄れたジジイの声がした。
 ひ、人型!? ゴミが喋った!? 常識では考えられない現象に、俺は思わず後ろに狼狽した。
「ちょっと!?」
 掴んだ手首を介し東郷 千世の体勢が引っ張られるようにして、テーブルに片手をつく形で前のめりに崩れた。
 上目遣いに見上げてくる不安げな視線と、噛み合うことのない俺の視線は、たるんで開いた黒シャツの中へと吸い寄せられる。
 薄水色の控え目なブラがわずかにうかがえる。……って、別に俺は覗きたいわけじゃない!
 すぐに視線を正すも、時既に遅かった。
「今日の天野はヤケに積極的だね」
 東郷 千世は俺から手を離して、ゆっくりと体勢を直していく。
 耳を赤くして好意とは真逆の態度で、俺と顔を合わせるのも嫌なのか、明後日の方を向く。
 嫌われた!? 誤解とは言え、最悪だ。
「違うんだ東郷さん! 白い変なのがいるんだ。ワケわからないと思うけど、本当なんだ」
「いる? ゴミに対して変な言い方。それに悪いけど、天野の言うゴミは無かった」
 東郷 千世は俺の言い訳に呆れ返っている。
 あれが見えていなかったのか? 言葉だって発していたあれを、知覚できていない? そうとしか思えない。
 白いそれは、音もなく空を滑り、東郷 千世の茶色のショートボブにしがみついた。その様は、まるで小さな寄生生物を想起させる。
「話も済んだし、私ジムに戻ってトレーニングの続きしなきゃだから、悪いけどもう行くね。私の分、置いとくから」
 オレンジジュース代を机に置いて、足早に立ち去る東郷 千世に、俺はなにも告げることができなかった。
「どうしてこうなった……。なんだったんだ?」
 東郷 千世には本当に無礼をしてしまったと思う。後で謝って謝って、謝ろう。
 にしても、俺は白昼夢でも見ていたのだろうか?


 俺は小一時間苦悶に苛まれてから、ビデオカメラ片手にファストフード店を出た。
 ここから鬼神ジムとの距離は近く、十分も歩けば東郷 千世に再会できるだろう。
 だけど今会いに行ったとして、俺自身良く分かっていない現象をどう釈明すれば良いというのか。
『お主よ、その道はよしておけ』
 駅周辺の雑踏から少し外れたなんてことのないT字路を曲がったところで、電貧乏神が忠告した。
「は? なんで」
『お主であれば、あれが視えるじゃろう?』
 電貧乏神はビデオカメラから乗り出した半身で、奥の四つ角を指した。
「あれ? あれってなんだよ」
 通りからも外れた四つ角には信号機もない。住宅街ではよくある光景だ。道幅は車が互いに気を遣えば交差できる程度には広く、見晴らしもそこまで悪くない。
 俺は考え事をしながら歩きたい気分だったから、あえて家まで遠回りの道を選んでいた。
 わざわざ足先を変えるだけの何かが、あの交差点にあるというのだろうか。
「ぬい、ぐるみ?」
 電貧乏神の忠告を無視してある程度進むと、たしかに不可解な存在がそこにはあった。
 全身を汚らしい包帯でグルグル巻きにした熊の縫いぐるみのようなものが、不気味に浮遊している。
 赤子ほどの大きさのそれは、車が近づくと反応して、光を反射しないくり抜かれた闇の眼(まなこ)でしきりに飛び回り、車が去ると定位置に戻って留まる。
 亡者のごとく禍々しい姿に、不気味な挙動も相まって、忌まわしいモノに見える。俺は本能が警告するがままに足を止めた。
「俺はいつから悪霊が視えるようになっちまったんだ」
『あやつは交通安全貧乏神じゃ。大抵の人間には無害じゃが、運値が極端に低い者が通ると、なにかしらの交通事故を誘発する』
「なんだそりゃ! やってることは悪魔の所業じゃねぇかっ」
 よく見ると『事故多発につき要注意!!』という看板が電柱に括りつけられている。その下には、生花とお茶の缶ジュースが添えられている。
 隣接する家の石塀の色がちぐはぐになっている箇所は、車にぶつけられて修繕した痕跡だろうか。一箇所二箇所三箇所……近隣住民の気苦労には同情を禁じえんな。
「触らぬ神に祟り無し、か」
『今のお主が直接祟られる心配はないが、事故に巻き込まれては面白くなかろう』
 俺は電貧乏神様の有難い御神託に一つ頷いて、違う道を探すことにした。
 どうやら俺は、電貧乏神以外の神も視える体質になってしまったようだ。
 神は神でも貧乏と名の付くはた迷惑な神ばかりと出会うのは、不幸としか言いようがない。


 コンビニに寄って、夕飯用の菓子パンを適当にみつくろって帰った。
 和室で大の字になっていると、虚しさの詰まった心が熱気で蒸れていくのをただ感じる。
 西日の差す夏の室内は、まるでコタツの中に押し込められているみたいに、赤く、暑苦しかった。
 あれから東郷 千世に謝罪のメールを送ったが、未だに返信はない。
 後悔と無気力、あるいは後悔ゆえの無気力が、全身に毒のように巡っては、体からじわじわと力を奪っていく。
「だりぃ……。なあ。ふと思ったんだが、あれも神様の一種だったんじゃないか?」
 俺は言葉を発した白いゴミのような何かを思い出しながら、ビデオカメラからテレビのリモコンに憑依した電貧乏神に、それとなく訊ねてみた。
『いいぞ健太ナイスステップ! 今回も決まっておるのう。拓磨の相変わらずの甘甘ボイスにポーカーフェース、クールで最高じゃぁ!』
 まるで人の話を聞いていない。さっきから手をばたつかせていて鬱陶しいことこの上ない。
 電貧乏神はテレビに向かってずっと一人で騒いでいる。どうやら、今流行っているらしい三人で構成されている男性アイドルグループにお熱のようだ。
 あんな偶像を塗り固めたような存在のなーにが良いのかねぇ。
「電貧乏神さんや、少しでも居候の自覚があるんなら、家主の質問に答えてくれたりしないか」
『なんじゃーうるっさいのぅ。今いいところだから後にせい』
「っるせぇのはこっちのセリフだアホンダラ!」
 テレビの電源を引っこ抜いてやる。ちったー自分の立場を弁えやがれ。
『ぬぉぉおおお!? 健太ぁ!? 拓磨ぁ!? 敏樹(としき)ぃぃ!?』
 泣きながらリモコンの電源ボタンを連打しているつもりのようだが、もちろん健太も拓磨も敏樹も画面には映らない。
『お主、なにをするのだ! もう少しで推しメンである敏樹の見せ場だったというのに……。わしの嫌がることをするとバチが当たるぞ!』
 んなことで当たってたまるか。
「そんなことよりだな」
『そんなこととはなんだ! そんなこととは!』
「…………そんなことより、東郷さんについていた変な白い物体、あれはもしかして神様の類だったんじゃないか? お前なら、なにか知っているんじゃないのか?」
『なんじゃ、そんなことか』
 電貧乏神は興が醒めたとばかりに、上半身をリモコンの上に寝転ばせた。
 その悪態は意趣返しのつもりか? そんなことで悪かったな。俺にとっては重要案件なんだよ。
「で、どうなんだそこんところ」
『あやつは筋貧乏神じゃな』
「やっぱり神なのか! っつーかまた貧乏神かよ。嫌な予感しかしないが、どういうやつなんだ?」
『単純じゃ。憑いた相手の筋力を少しずつ奪っていく』
「よりにもよってなんつーもんが……。東郷さん最近は負けが多いんだ、今日会った時も少し痩せて見えたし。全部、筋貧乏神のせいだったわけだ! そのダニみてぇなやつ、どうにかして引き剥がせないもんか」
『酷い言われようじゃな。ま、気持ちは分かるがの。神は悪霊などと違い祓うことはできんよ?』
「んじゃ、このまま見て見ぬふりをしろってのか? 俺は東郷さんが頑張ってるの知ってるんだ、そんなのってあんまりだろ!」
 東郷 千世の次の試合が近いこともあって、俺は焦りで息巻く声を太くしていた。
『そう興奮するな。祓うことはできなくとも、気分を良くしてから他所を当たるよう頼むことならできようて』
 御酒(みき)をお供えしたり祝詞を唱えたりとか、そういうことをすればいいのか? 俺が? 門外漢なのだが。
 最悪それはどうにかなるとしても。
「そうなると東郷さん本人の協力は必要不可欠だよな。いきなり御酒を出したり祝詞を唱えようもんなら、本格的に俺の正気が疑われかねない。……無理だ」
 場面を想像してみたが、絶望しかなかった。
『ならば、本人に事前に協力を求めれば良かろう』
「簡単に言うなよ。ただでさえ、昼間の件で嫌われたかもしんないのに。東郷さんに知覚できない筋貧乏神の存在を、どう信じてもらおうってんだ」
『あるではないか、方法が』
「…………え?」
 突拍子のないような返しに、俺は呆然と顔をしかめることしかできなかった。
 本当にあるのか? そんな都合の良い方法が。
 しばしの黙考の後に、冷静になった俺は、ぼんやりと答えらしきものを一つ探りあてた。
「宮藤か?」
『じゃな』
 正確には、宮藤 咲が持っていた視現書と呼ばれる特殊な紙に用がある。
 あの日の別れ際に渡された電話番号を、まさか利用する時がくるとはな。
 筋貧乏神の存在を東郷 千世に視認してもらえれば、協力も得られやすくなるはずだ。


 翌日の昼、と呼ぶにはまだ少し早い時間帯。
 俺は――俺たちは、電車から徒歩に切り替えて、目的地周辺まで来ていた。
『嫌じゃー! 行きたいのならお主が一人で行けばよい! わしは今からでも家でのんびり俊樹を観て過ごすのじゃあ』
 ビデオカメラに憑依した電貧乏神が、いつになく暴れている。
 昨晩に電話で宮藤 咲とやり取りをして、思いの外すぐに会うことが決まってから、電貧乏神はずっとこの調子だ。子供かよ。
「もう宮藤家の側まで来てるんだ、いい加減に腹を括れよ。っつーか、なにがそんなに嫌なんだよ」
『とにかくわしを巻き込むな。紙を取りに行くだけなら、わしは必要ないじゃろぉ!?』
 ここまで嫌がられると俺も少し気が引けるが、宮藤 咲に『電貧乏神様もご一緒に来てくださるんですよね!?』と興奮気味に言われてしまっては、モノを頼む手前蔑ろにすることもできなかった。
「お前なぁ……外出時にも一緒に行動してるのは、新しい祠を見つけるためっつー目的があることも忘れてないか?」
『むぅ、そうじゃった。だが、今日くらいは別にえぇじゃろ』
 なんも良くねぇよ、この我儘星人が!
 にしても、宮藤 咲とは親子のように仲良くしていたのに、なにをこんなに嫌がることがあるのか。
「おかっしいなー。教えてもらった住所だと、この辺りのはずなんだが」
 目的地近辺に来てから、しばらく経っている。
『はぁ。こうなればもう破れかぶれじゃ。節穴のお主よ、歩くだけでなく表札をよく見てみろ』
 そう言われてもなぁ。左手側にはマンションが丸々入りそうな敷地の豪邸があるだけで、他に家はなく、教えてもらった住所と若干ズレるが、道の反対側の家の立札にも逐一目は通しているものの、『宮藤』の文字はない。
 気付けば俺は、住所を頼りに豪邸をぐるっと一周していた。
『お主よ、いつまでも同じところをぐるぐるしていては不審者に疑われるぞ』
 た、たしかに……。
 前時代的に大きいビデオカメラを片手に豪邸の周りを歩き続ける男、怪しさ満点だ。
 でもな。
「お前にだけは不審者言われたくねぇよ」
『はいはい。お主と戯れてやる気分にもなれん。ほれ、騙されたと思って、十歩戻って左を向いてみろ』
「なんで?」
『神の啓示じゃ。いいから言われた通りにするが良い』
 俺は釈然としないながらも、車でバックする要領で後ろ向きのまま十歩戻った。やはり確かめるまでもなく、左手には豪邸しかない。
 騙された上で、どんな悪口を言ってやろうか考える。
 節穴なのはお前の方だ、とか、やっぱなんもねぇじゃん神様が人に適当こいて良いのかよ、とか。
 結果からして、頭に浮かべた罵詈雑言はすべて消し飛んだ。
「宮藤……家? なにかの冗談か?」
『紛れもない真実じゃ』
 風情とレトロを両立させたささら子下見塀に、雅な表札と呼び鈴が付いている。車が二台通れそうな格式高いおしゃれな鉄門扉が、勝手に開かれていく。
 いや、見知った顔が扉を内側から開けていた。
 二十歳手前の小顔が愛らしく、アイドルグループに一人は混じってそうな親しみやすい雰囲気のある……宮藤 咲。
 夏日に反射する短い金髪がこちらの目に眩しい。今回はキャップ帽をしていないのか。自宅だし、当然か。
「遅いと思って来てみれば、ちょうど会えましたね。もしかして、家からここまで後ろ向きに歩いて来られたんですか?」
 んなワケあるか! だが、約束した時間をすこし過ぎてしまったのは本当だ。
「こっちから頼んだのに遅くなって悪かったな。まさか、こんな豪邸に住んでるとは思わなかった」
「立派なのは大きさだけですよ。とりあえず、入ってください」
 貧乏育ちの貧乏人にとっては、絵に描くことさえ叶わないような豪邸だ。
 やってはいけないことを促されているような気がして、背徳感に触発された緊張からか、どうしても動きがぎこちなくなってしまう。
「お、おじゃまします」
 そろりそろりと敷地に足を踏み入れる。と、これまた夢のまた夢のような景色が広がった。
 住居用と思われる古き良き木造建築が大中と一棟ずつあり、すこし離れた敷地に金色装飾が目立つ高級感あふれる大きな蔵が建っている。
 日本庭園を模した優雅な庭には清らかな池が鯉と共に巡回し、計算された美しい草木は、煩わしく鳴くセミの声を涼しいものに変質させる。
 これがTHE 金持ちか……。
「あの、ところで、その、天野さん」
 地面の振動から餌の気配を察した鯉たちが水面にパクパクと口を突き出す、その橋の上で、宮藤 咲は声を上擦らせて立ち止まった。体を半分そらせて蒼の差す黒い横目でこちらを見る、その表情には、乙女の恥じらいにも似た憂いが見てとれた。
 突然の予期せぬ甘い雰囲気の到来に、俺はドギマギしていた。
 広い敷地の割りに、周囲には誰もいない。眺めの良い風景と、髪を撫でるように流れる優しい風。
「今日はお越しくださり、ありがとうございます。私……昨晩に電話を戴いてからずっと、ずっと、お会いできるのを楽しみにしてました」
 宮藤 咲のもじもじと照れるような仕草が、スウィートな空気感をより加速させていく。
「み、みやふじ?」
「天野さん!!」
 放たれるように弾き出された声に、俺は圧倒された。
 危ない薬を使ったんじゃないかと疑えるほどに、宮藤 咲は明らかに興奮している。
 俺の爪先から頭の天辺までまじまじとした視線を送り、かと思えば、一気に距離を詰めてる。
 もし宮藤 咲に犬の尻尾があったなら、ぶんぶんと振り回しているに違いない。
「な、なんだ……どうしたんだよ急に」
「なにって、もぅ天野さん、勿体ぶらないでくださいよ。えへへ」
 親に頭を撫でられた子供のように、宮藤は嬉しそうに目を細めた。俺から何らかの褒美を期待している、そんな風だ。
 だけど、俺が宮藤 咲にしてやれることなんて…………あっ、一つあった。
 俺は右手に持ったビデオカメラをわざとらしく持ち上げた。
「もしかして、用があるのはこいつの方か」
「電貧乏神様っ!! ――は、どちらに? こちらにいらっしゃるんですか?」
 凄い食いつきようだ。
「お、おう。そのはず、なんだがな。ん?」
 ついさっきまで不満を叫んでいた電貧乏神の姿が、ない。そんな貼り付けたような笑顔を俺に向けられても困る。さっきまで確かにいたんだ。
「おい電貧乏神さんよ、なにが理由か知らないが、往生際が悪いぞ」
 いったいどこに姿をくらませたのか。
 俺は唯一可動できる液晶画面を、見えるように展開した。すると、デジタル目覚まし時計の液晶並みに小さい画面に、そいつは映っていた。
 えらく低い解像度の世界で、最初に出会った頃の大人びた容姿で腕を組んでいる。なぜか頭上には、湯気のようなエフェクトが掛かっていた。
『わしはしばらくここに隠れておる。わしの事は気にするでない』
 怒っているつもりらしい、声に僅かながらの棘がある。
 隠れるもなにも、もう見つかってるんだよなー。
 なじる言葉を探す俺を押し退けるようにして、宮藤 咲は液晶画面に食い入った。
「お久しぶりです、電貧乏神様。私です、宮藤 咲です。この場所で再会できることを、心よりお待ちしておりました!」
 宮藤 咲は恋する乙女のようなテンションだ。
『ふむ、元気そうでなによりじゃな。お主も、わしの事はどうか気にせんでくれ』
 頭上の湯気エフェクトが霧散し、怒気も失せた様子だが、沈んだ気分はそのままのようだった。
「そ、そんな……私にできる精一杯のことをさせて頂きたく思います」
『気持ちだけ受け取ってこう』
「形も受けって頂きたいです。少々お待ちください!」
 宮藤 咲はそう言って、両手を横に広げたら飛び立ってしまいそうな素早い足取りで、蔵のある方へと駆けて行った。
 鍵を開けるような仕草をし、貫禄を感じさせる重厚な扉を片方ずつ開いていく。
「いつか戻ってきてくださる日を信じ、電貧乏神様のために数を増やしておきました」
 宮藤 咲が嬉々として側面のスイッチを押すと、蔵内は明かりで満たされる。
 カーブミラーほどの高さまで積まれたゴミの山々が、照明にあてられてテカテカとした光を反射する。
 ゴミはゴミでも、そこそこ大きくて光沢を持った物が集められていた。
「み、宮藤? そのゴミはいったい……」
「天野さん、失敬ですよ! これはゴミではありません。私が何年も掛けてコツコツ集めた、誰も使わなくなった電化製品です!」
 人はそれを指してゴミと言うのではないだろうか? そんな俺の些細な疑問はさておいて。
「なんたってこんなに集めたんだ?」
 近付いて改めてよく見てみると、思っていた以上に壮大な光景に息を忘れそうになる。まるで天を穿たんと聳え立つ氷山だ。
 テレビ、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、クーラー、ざっと見ただけで必要な家電製品が一式揃う。
 禿げた表皮に赤カビが繁殖していたり、頑固そうな黒い汚れが付着していたりと、年代をうかがわせる物が多くあった。
「なぜって、決まっているじゃないですか。電貧乏神様に祠として再び使って戴くためです」
 当たり前のように胸を張る藤宮 咲に、俺はそこまでする必要が果たしてあるのかと、問いたい気持ちでいっぱいだった。
 実際、電貧乏神は俺の家を祠として使っているが、目の前のゴミ――じゃなくて電化製品の百分の一も置いていない。
「色々と疑問はあるが、細かいことには目を瞑るとして……こいつは俺にとっても都合がいいな。なあ電貧乏神、お前今日からこっちに住めよ」
 俺は友達を遊びに誘うような軽い気持ちで、ビデオカメラの画面にそう持ちかけた。
『嫌じゃ』
 電貧乏神は不機嫌そうに背中を向けた。きっぱりと跳ね除けた短い口調からは、意思の固さが伝わってくる。
「いやなんでだよ。こんなお誂(あつら)え向きな環境そうはないだろ。ほらコレなんてどうだ? 今じゃ中古店でもお目にかかれないブラウン管テレビだぞ。子供の好きそうなシールがたくさん貼ってあって、美味そうじゃんか……知らんけど」
『そんな甘言でわしの食指が動くわけ…………たはぁ!』
 偉そうに言っておきながら、ブラウン管テレビを横目見るや瞳を輝かせて涎を垂らした。
「そちらのテレビは去年の正月に、親戚から譲って頂いたものですね。家族揃って長いこととても大事に使われていたと聞いています」
 宮藤 咲の折角の説明を聞いているんだかいないんだか、電貧乏神はビデオカメラを離れてブラウン管テレビに乗り移った。
『これは美味じゃ!』
「遠慮する必要はありません、ご存分にお召し上がりください」
『ほんとか!? わし、お腹いっぱい食べてえぇのか』
 電貧乏神は初めて人の温もりを知った乞食のように、声を震わせる。
「もちろんです!」
『嬉しいのぅ、嬉しいのぅ。では遠慮なく、いただくとしようかのう』
 まるで俺が酷い扱いをしてきたような感じだ。
 そりゃ文句の一つも言ってきたが。涙目にさせるほどひもじい思いをさせてたとは、知らなかった。
 でも、これで電貧乏神関連の悩みは全てが丸く収まる。みんなが皆んな万々歳だ。
「決まりだな」
 俺が締め括るように言うと、今まさに齧り付こうと歯を立てた電貧乏神の動きが、とまる。
『……ダメじゃ。やっぱりわしはここには住めぬ。すまぬな、ここまでお膳立てしてもらったのに、お主の気持ちには応えてやれそうにない』
 電貧乏神は何かを思い出したかのように寂しげな視線を宮藤 咲にくれると、ビデオカメラに戻って、再び画面の中に引きこもってしまった。
「い、いえ! 私の方こそ、気が急(せ)っていました。私はいつでも電貧乏神様のお帰りをお待ちしております。……では天野さん、もっと落ち着いて話せる家に行きましょうか」
 宮藤 咲は残念な気持ちを押し隠すような明るい調子で、蔵を出た。
 昔に何があったのかを問うてはいけない、そんな暗く重い空気がどこからともなく漂った。
 高級旅館のような玄関を抜けて、縁側のある廊下を歩き、汚れ一つない白い襖を開けて通された、静謐で満ち満ちた日本古来の部屋。
 達筆すぎてなんて書かれているのか分からない掛け軸やら、一見すると安物のように見える壺やらが、奥ゆかしく室内を飾っている。
「どうぞ」
 お盆を持って戻ってきた宮藤 咲が、座卓に湯呑みと茶菓子の入った皿を置いた。
「あんがとよ。正直、豪邸と知って面食らったけど、いざ和室に通されると気が休まるな」
 胡座をかく俺の正面に、「どういたしまして」とにこやかに微笑む宮藤 咲が正座する。
「良いですよねー、和室。私も好きです」
 開いた窓から風に乗って届くイグサの香りが、全身に染み渡っていくようだ。
 永遠であるかのような穏やかな時の流れ。老後はこうして過ごしたい、そう思わせる魅力がこの空間には詰まっている。
 って、俺は別に宮藤 咲と一緒に和むためにここへ来たわけじゃねぇんだ。
「それでその、俺が頼んでおいた物なんだが」
「ええ、分かっています」
 宮藤 咲は湯呑みの茶を一服してから、気怠そうにそう答えた。
 しばらく反応を待ってみたが、物思いに耽る老人のように、虚空を見つめて動かない。
 電貧乏神に蔵で断られたショックが、尾を引いているのだろうか。
 しつこく催促するのも気が引ける。俺はすこし気まずくなった間を潰そうと、湯呑みを持ち上げ――口を付けずに座卓に置き直した。
 妙に軽いし、宮藤 咲のと違い湯気が立っていない。まさか、と思い中身を覗く。
 空っぽだ。
 新手の嫌がらせか? 真面目そうな性格を捨ててボケに走ったか? んなアホな。
「な、なあ、宮藤さんよ。俺の湯呑みが空なのはどういう意味だ?」
「…………へ!? カラ? す、すみません入れ忘れました! 直ぐに淹れてきます」
 素っ頓狂な態度からして、わざとではないらしい。
「いやいいんだ、そこまで喉渇いてねぇしさ、気にしないでくれ」
 俺は宮藤 咲より先に自分の湯呑みを確保する。ショックを受けているであろう相手に気を遣わせたくないってのと、そんなことより視現書の話をしてしまいたかった。
「本当にすみません」
 宮藤 咲は罪悪感よりも反省の勝る表情で、咄嗟に浮かせた腰をしゅるしゅると畳んでいった。
 俺はここでとんでもないことに気が付いてしまった。いや、勘違いであれば良いんだけど、見れば見るほど疑念は確信に変わっていく。
 ――この子、ブラ、着けてなくね?
 服の上からなのに胸の形がくっきり表れている。特に特徴的な胸の部位が、あれだ、敢えて言うまい。
「なあ宮藤や、変なことを聞くようだが、最後に風呂に入ったのは何時だ?」
「なんですか? 本当に変なことを聞きますね。私、その質問に答えないといけないんですか?」
 予想はしていたが、思っくそ訝しまれてしまった。
「いやな、その時になにか大切な物を忘れているじゃーないかと思ってさ」
 俺は誤魔化すように空の湯呑みを口に当てた。ただの陶器に、無意識に安らぎを求めたのだと思う。
「大切な……物……忘れて……はっ!?」
 宮藤 咲はそこまで呟いて身体を反転させた。服の下から手を入れて、何かを探している。その何かが見つからないと知るや、真っ赤にした顔で振り向き様に俺を睨んだ。
「もっと早くに教えてください!」
「え、えぇ〜……」
 気不味いの覚悟で折角教えてやったのに? 胸元を抱えて脱兎の如く部屋を出る宮藤 咲に、俺の善意は届かなかったようだ。
 昨日今日で、女性の胸の件で似たポカをしている。悪いのは俺、なのか。正直、へこむぜ。
『お主よ、心構えをせよ。すべての元凶たる、奴が来る』
 だんまりを決めていたはずの電貧乏神が、卓上のビデオカメラから頭だけ出して、神妙に警戒を促した。
「やつ?」
 脈絡がない上に要領も得ない。
 困惑する俺を嘲笑うかのように、襖の奥から男の高笑いが聞こえてきた。
『カァーハッハッハッハ! 今日という日は素晴らしい! 君もそう思うだろう? 愛しの電貧乏神ちゃんよ』
 演者のごとく高らかに伸びる発声で、それは襖を透過して現れた。
 小学三年生くらいのタキシードを着た短髪の子供。もとい、人ならざる存在。白い靴下を履いた足は僅かに床から浮いている。
『久しいなのぅ、失(うせ)貧乏神。わしはお主と会(お)うて気が滅入るばかりじゃよ。そういや今日は晴れじゃったか、雨でも降っているのかと思ったぞ』
『安心してくれたまえ。俺様は雨も好きさ』
『意味がわからん』
 映画のワンシーンのようにこちらに手を伸ばす失貧乏神を、無視して電貧乏神はビデオカメラの内部に隠れた。
 付き合ってられない、といった感じの塩対応だ。
「おいおいおい、俺にも説明してくれよ。なんなんだ、このキザな野郎は」
 俺はビデオカメラに口を近付けて、声量を落として訊いた。
『奴は失貧乏神、物を失くさせたり忘れさせたりする神じゃ。咲のブラは、十中八九で奴の仕業じゃろうな』
『その熱い期待! 応えられて恐悦至極!』
『誰も期待なぞしておらんわ! まったく、話にならん』
 俺たちのひそひそ声に、無遠慮に割って入ってくる。こいつの図々しい感じはえらく鼻につく。無駄に大きい声もウザい。
『ときに電貧乏神ちゃんよ。俺様の知らぬ間に一回りも二回りも可愛らしくなったようだ! 天晴だ!』
『そういうお主も、小さくなったようじゃぞ。前は中学生くらいの背丈があったろう。……まさか、お主も力を解放したのか?』
『そんなことより電貧乏神ちゃん! 今朝の俺様は咲ちゃんのお萩を食べた、すごく美味かった! 電貧乏神ちゃんもどうだ? 残っているのか知らないが、咲ちゃんならまた作ってくれるだろう。カァーハッハッハッハ!』
『……さようか』
 会って一分だが、会話に参加していないはずの俺の精神までも、早くもギブアップの白旗を掲げようとしている。
「もしかして、お前が宮藤家に居着きたくない理由って」
『無論、奴がいるからじゃ。数年耐えたが、もう無理じゃ』
 こんなのと数年同居するとか、心中お察しするよ。
 一番の被害者は宮藤 咲だろう。こいつと同居というだけでストレスマッハだろうに、物を失くしたり忘れたりを頻発させられ、挙句一緒にいたい電貧乏神には去られて。
 失貧乏神を知ってしまうと、まだ言葉の通じる電貧乏神が善良に思えてくるほどだ。
『俺様への称賛であれば遠慮する事はない、もっと声を大にして言いたまへ!』
 身振り手振りが一々仰々しくて、鬱陶しい。
「お、お待たせです天野さん。さっきはその、すみませんでした」
 地獄と化した空間に、紅潮の抜けきらない宮藤 咲が襖を開けて戻ってきた。
 ブラは……良かった、ちゃんと着けてきている。
「天野さん、そんなにまじまじと見なくても良いじゃないですか」
 宮藤 咲は恥ずかしそうに口元を拗ねさせた。
 ちらっと見ただけのつもりだったのにな。俺が思っていたよりも長時間、視線を当ててしまっていたらしい。
『ブラのない咲ちゃんも麗しいが、ブラを着けた咲ちゃんもまた麗しきかな!』
「失貧乏神様、お褒めの言葉光栄です」
 俺が言ったらハッ倒されそうな台詞に、宮藤 咲は笑顔で対応する。
「すみません、ご紹介遅くなりましたね。こちら天野さん、貧乏神様を知覚する能力が御座います。――こちらにおわすは失貧乏神様、長いこと我が家に留まって御座います」
 披露宴で新郎と新婦を紹介するような簡潔さで、宮藤 咲は俺らを交互に紹介した。
「あーそうか、よろしくな失貧乏神」
 俺は失貧乏神との挨拶を早々に、というか適当に済ませた。
「それで宮藤さ、話の腰を折るようで悪いんだが、そろそろ視現書の話をしてもいいか?」
 話が面倒な方向に脱線する前に、ここへ来た目的を達成させておきたい。
「それなんですが、すみません天野さん。実は私、ずっとどこに置いたかを思い出そうとしているんですけど……」
 思い出すことができないんです、変に途切れた言葉の続きは困った表情が雄弁にそう告げていた。
 先ほど、宮藤 咲が老人のように呆けていて反応が鈍かったのは、そういう理由だったのか。
『失貧乏神よ、お主なら知っておるのだろう? どこにあるのか早よ言うてみぃ』
『さぁてなんのことでしょう? てんで記憶にございません。カァーハッハッハッハ!』
 真面目に話す相手を馬鹿らしくさせる最高に不愉快な高笑いだった。唯一の救いは、そのまま何処かへ消え去っていったことだ。
「なんて奴だ……。宮藤、本当に思い出せないのか?」
「すみません」
「そうか。ちなみに宮藤、最後に思い出せるのはどこだった?」
「うーん…………。昨晩、天野さんから電話をいただいた時には、仏壇に保管してあった、ような。なかった、ような? ――そう言えばそうです! 忘れてもいいように分かりやすいところへ置いておいたんです! けど、それがどこだったか……」
 悩んでも無駄じゃよ、と電貧乏神が諦めの言葉を投げ捨てて、続ける。
『今の咲が置いてある視現書を見ても、それと認識する事はできんから、結局は見つけられんのだ。それ込みで、失貧乏神の力なのじゃ』
あーでもないこーでもないと必死に頭をこねくり回していた宮藤 咲は、考えるのをやめた。所詮人間は神様には抗えない、と悟ったように深く俯いてしまう。
 流石にちょっと不憫だな。
「なあ電貧乏神、仮にさ、俺が見る分には認識できるもんなのか?」
『うむ。咲以外の者であればできるはずじゃ』
 可能性に光が差した。とは言え、なぁ。
「俺が勝手に家を歩き回って探すわけにもいかんよな」
「すみません、天野さん、それと電貧乏神様も。わざわざお越しいただいたのに、私が肝心の視現書をご用意できなくて」
 責任を感じているらしい宮藤 咲は、申し訳なさそうに額を傾ける。
「なんで宮藤が?」
 俺はどうして謝られたのか、すぐには理解できなかった。だって、宮藤 咲が直接の原因でないのは明らかだったから。
 それでも宮藤 咲が頭を下げるのは、安易に失貧乏神のせいにしたくないからだろう。
 相手が神様だから庇っているのか、宮藤 咲の根っからのプライドがそうさせているのかは、分からないけれど、肩身の狭そうな姿を見せられると、その気持ちは汲んでやりたいと思ってしまう。
「まあ、あれだよな……失貧乏神だって好きで意地悪しているって訳じゃ、きっとないんだよな」
 電貧乏神の時だってそうだった。こいつら貧乏神は、迷惑極まる存在だけれど、そこに悪意はないんだ。そういう性質を持った存在ってだけなんだ。
 宮藤 咲を通して気付けることができて良かった。危うく俺は、電貧乏神でした過ちを繰り返すところだった。
「天野さん……ありがとうございます」
 宮藤 咲は雲間から射す陽光のように、一瞬晴れやかな笑顔を作った。
「ぅ……いや。別に、お前に感謝されることでもねぇよ」
 面と向かって女の子に感謝させる経験の乏しかった俺は、困った末に、口ごもりながら言い返すのがやっとだった。
『いい雰囲気のとこ悪いんじゃが、わしにちょいと考えがあるぞ』
 わざわざ『いい雰囲気』と口にするこいつの性格には悪意を感じる。宮藤 咲と、無駄に気恥ずかしくなるじゃんか!
 俺と宮藤 咲は互いに目を合わせて…………ほらな、言わんこっちゃねぇ!
「で、で? なんだよ、そのー考えってのは」
『ふふふ。おっとすまぬ、つい笑みがこぼれ落ちてしまった』
 余計な小芝居が本当に腹立つわ。
『こほん! お主が勝手に家内を捜索するのは推奨できんが、そこに咲が一緒にいて許可を貰えるのであれば、問題もなかろうて』
「つまり俺に、宮藤の許す範囲で移動し、代わりの目になれ、ってーことか」
 たしかに家の人間の許可があれば、俺が捜索することの問題はなくなる。
「私の許可できる範囲であれば、構いません」
 早速、前向きな許可がおりた。
 残す問題は、視現書がどこに置き忘れられたのか、だ。
 これに関しても、電貧乏神になにか秘策があるようだった。まるで切り札を出す直前の子供のような、にんまりとしたイヤらしい顔をしている。
「言いたいことがあるんなら言えよ」
『なんじゃー藪から棒にぃ。わしはもっとこの全能感を楽しみたかったのにぃ。まったくぅ。咲よ、先ずはお主の部屋を探してみると良いぞ』
「私の部屋、ですか? うーーーん?」
 宮藤 咲は、熱暴走を起こす古いパソコンみたく、小さな唸りをあげた。
 ついさっき行ったばかりの部屋にあると指摘されても、頭では受け容れられないのだろう。
『今のお主は覚えとらんじゃろうが、失貧乏神対策で、忘れたくない物は部屋に置く癖をつけてあるんじゃよ。それすらも忘れてしまうお主に、わしが説得して教えてやる。ふふふ、懐かしいやり取りじゃのぅ』
 懐古に走る電貧乏神に、無言の宮藤 咲は同調できず困惑気味だ。
「直接見せてやれば、また認識できるようになるのか?」
 俺が聞くと、『まあそうじゃな』と曖昧な相槌が返る。
『失貧乏神の力は強力じゃが、絶対ではない。物は、忘れさせる事はできても、物自体を消す事はできぬのじゃ。記憶もそうじゃ、奥深くに押し込める事はできても、消す事はできぬ。再認識、記憶を想起させられるだけの刺激を得られれば、奴の力は打ち破れる』
「なるほどな」
 と、一口にすべてを理解できたわけじゃないけど、おおよその言わんとしている事は伝わった。
 要するに、宮藤 咲に視現書を直接手に持たせたり、眼前に翳してやりでもすれば、イヤでも認識せざるを得なくなる。といったところだろう。ブラの一件を鑑みると、外部から強く違和感を示唆してやる程度でも、効果はありそうだ。
「ということで、取り敢えずの話の方向性は決まったと思うんだが……。宮藤、俺お前の部屋に入っていいのか?」
「天野さんが私の部屋に…………」
 俺が心で漢涙を流すか流さないかくらいの間が空いた。
「いいですよ」
 ゆ、許された。
 質問内容にすこしは狼狽えるかとも思ったが、宮藤 咲は俺よりも平然としている。
 知り合いと友人の間くらいの年上男子を入れることに、抵抗はないのだろうか?
「無理はしないでくれよ。嫌なら嫌で、当然の反応だと思うしよ」
「抵抗がないと言えば嘘になりますけど、よく考えたら、天野さんに見られて困るような物は置いていませんので」
 さっきの間は、その確認を頭でしていたからなのか。俺が嫌われていたわけじゃなくて良かった。
『話が決まったのなら善は急げじゃ。また奴に悪さされては面白ぅないからのう』
 宮藤 咲を先頭に、部屋まで移動する。しっかし広い家だ、廊下だけで一分は歩かされた気がする。
「ここです。どうぞ、お入りください」
 先に部屋に入った宮藤 咲に招かれて、俺も後に続いた。
 春の野草をまとめて煎じたような、宮藤 咲の持つ柔らかな良い匂いが強まった。
 室内の印象を端的に表現すると、質素。付け加えるなら、機能的。
 女の子の部屋というよりか、血液型A型の男子受験生の部屋といった様相だ。本棚には教科書や参考書がびっしり。趣味気や色気はまるでない。
「一応聞いておきますけど、どうですか? 私の部屋を見たご感想は」
 まさか本人から感想を求められるとは、思っていなかった。
「そー、だな。いいんじゃないか? 凄く綺麗だしな。ただ、お前のファンが想像する部屋とは、ちょっと違うのかもしれんが、俺は悪くないと思うぞ」
「うふふ、すみません気を遣わせちゃいましたね。自分でも分かっているんですよ、味気ない部屋だなって」
 如何にも不器用な俺に気を遣われたのが可笑しかったらしく、小さく笑った。その言には、自虐の意図はないようだった。
「昔はアイドルに憧れていて、ポスターとかも貼っていたんですけど」
 自身がアイドルになって現実を知り、憧れから脱却した、ということだろうか。
 勉強机の上の棚、俺は部屋の特異物質とも呼ぶべき写真立てに目が行った。
 スターオーラ全開の長身の青年と一緒に、顔を赤くした中学生くらいの宮藤 咲がしゅんとして写っている。
 その隣にもう一人、同い年くらいの女の子が、やはり顔を赤くしながらもぎこちないピースを決めている。
「この写真がその頃のものか?」
「はい、映画の試写会に行ってきた時ですね。まさかツーショットを撮れると思っていなくて、もっとオシャレすれば良かったと、家の布団に包まって悶々とした後悔を抱いたのを覚えています」
 服装も可愛らしく、十分すぎるくらい華のある女の子にみえる。もし当時の俺のクラスに居たら、男子どもの視線の的になること請け合いだ。
 それよか、もっと気になる事がある。
「いや、ツーショット?」
「そうですけど?」
 なら、こっちの女の子は誰なんだろう? 宮藤 咲の知らない人? この女の子が誰かはさて置いても、これだけ大々的に写っていれば、ツーショットではなくスリーショット写真だろうに。
『お主ら! 雑談はもう良いであろう。早く用件を終えてしまえ。わしはこれ以上、あやつと噛み合わない会話をしたくないのじゃ』
「それもそうですね。お待たせしてしまい、申し訳ございません電貧乏神様」
 ぷんすかと抗議をとなえる電貧乏神に、宮藤 咲は平謝りする。
『咲は悪ぅないぞ。いつまでも不躾に部屋の物に関心を寄せる、主が悪いのじゃ』
 俺のせいかよ。短気は福を遠ざけるとか言って、お前が短気じゃんかよ。
「へいへい、悪ぅございました。じゃ、まー、探してみるか」
 探すと言っても、整然とした室内だから、首を軽く回すだけで事は済んでしまう。
「……ねぇぞ。たしか、分かりやすいところに置いたって話だったけど。本当に部屋に置く癖とやらがあるのか?」
 俺の記憶が正しければ、宮藤 咲は覚束ない記憶を頼りにそう言っていた。となれば、電貧乏神の言葉が怪しく思えてくる。
『主よ、ドアをちゃんと閉めてみよ』
 開け切っているドアに、何か秘密があるとでも言うのだろうか?
 電貧乏神は適当なことを言うようで、その実、結構正しいことを言う奴だから、今回も半信半疑で従ってみる。
「あった! こんなとこに」
 閉めていなければ視界に入らないであろうドアの一面に、封筒がクリップで留められていた。折り畳まれた紙が一枚透けて見える。
「あっ、私も気付きました。今、思い出しました。寝る前に留めておいたんです」
 その努力も失貧乏神の前では無駄だったわけだ。なにはともあれ、見つかって良かった。
「じゃーこれ、貰ってもいいか?」
「はい、そういうお約束でしたから」
「助かる」
「くれぐれも扱いには気を付けてくださいね。濡らしたり汚したりなどの穢れは御法度です。効果は短時間で一回限り。使用時以外は紙を広げないでください」
「あいよ、了解した」
 一呼吸おいて、宮藤 咲は優しい顔付きになる。
「その東郷という人、筋貧乏神様と無事に離れられると良いですね」
「だな。俺の手腕の如何にもよるから、俺がしっかりやらないとだ」
「実は、私の心境は複雑なんです。貧乏神様とて敬うべき神様、折角憑いてくださっているのを、あえて遠ざけようとするだなんて……」
 勿体無い、とでも言いたげな惜しむ顔をみせる。
「いやいや、神は神でも貧乏神だぞ? ……筋貧乏神はなぁ、さすがにちょっと相性が悪すぎる」
「天野さんだけでも、どうか筋貧乏神様にご無礼のないよう接してあげてください。お願います」
 律儀なやつだ。
 俺は、宮藤 咲には視現書の借りがある。
「絶対とは言い切れないけど、心掛けるよう善処するよ」
「はい」
 俺の約束とも呼べない口約束に、宮藤 咲は満足そうにした。
「お前って本当に根が優しいってか、心が広いっていうか。失貧乏神にもそういう態度なのか? スゲェよ」
「敬意を持って接する者は、敬意を持って接せられる者になります。相手が人でも、そうでなくとも。むしろ、神様相手の方がよりこの傾向が強いように思います。って、未熟者の私が言ってもあんまり様になりませんね。――天野さん、電貧乏神様のこと大切になさってください。いつか必ず、良かったと思える時が来るはずです」
 それこそまるで神の言葉であるかのように、清らかで、美しく、俺の耳に心地良く浸透した。
「お前みたいな女神相手なら、俺も喜んで敬意を払うんだがな」
「わ、私が女神!? そのような妄言は神様に対する冒涜です!」
 茶化すつもりの台詞で、顔を赤くした宮藤 咲に叱られてしまった……。
「これが冒涜になるんなら、世の中冒涜まみれだぞ? んじゃ、用も済んだし、長居する理由もねぇ。そろそろお暇させてもらうわ」
「え。もう、帰っちゃうんですか? もう少し居てはダメなんですか? 私、もっとお話ししてたいです」
 寂しそうな蒼の差す黒い瞳は俺を真っ直ぐに捉えているが、その心は電貧乏神へと注がれている。……はずだ。勘違いしてはいけない。
「この後すぐに実践が控えてるんでな。また何かあったら電話する。どうなったのかの事後報告もするつもりだ」
「そう……ですか。吉報、楽しみにしてます」
 物足りなさそうに佇む宮藤 咲に見送られる形で、俺は宮藤家を出た。
 途端、蝉の音が騒がしく聞こえてくる。じっとりとした背中を下る汗の不快感を思い出す。それはまるで世界と世界の境界線を跨いだような、不思議な感覚。
 数歩も進むと、夢から覚めたように、違和は消え去った。
『咲はえぇ子じゃなあ。ほんに、えぇ子じゃ』
 しみじみと二度繰り返したのは、きっと大切なことだからだろう。
「同感だ」


 俺たちは電車を使って東郷 千世のいる鬼神ジムへと足を運んだ。
 施設内は撮影禁止なので、ビデオカメラはバッグの中だ。
 男女合わせて所属ボクサーが八十人を超えるだけあって、中はただっ広い。全面鏡張りの壁が、あるいはそう錯覚させているのかも知れない。
 筋トレに使う縄跳びやハンドクリップなどの小道具から、背筋や腕力を鍛えるための大型器具まで豊富に揃っている。
 特に観賞しているだけで楽しくなるのは、天井から吊るされた黒いサンドバッグだろう。上級プロ、プロ、練習生と比べると、それぞれ打撃音が明らかに異なるのだ。
 でもやっぱり花型は中央のリング一択。これを普段から使用できるのは、プロボクサーの資格を持つ中でも上位の八名だけと聞く。
 ヘッドギアを装着した二人の選手が、今まさにリングでスパーリングを行なっていた。
 片方は東郷 千世だ。
「腕を下げるな! 足を止めるな! どうした千世、お前の実力はこんなもんじゃないはずたろぉ!? もっと熱くなれよぉおお!」
 オーナー兼コーチのおやっさんの発破に、前を向いたままうんうんと頷く。理想とは裏腹に鋭いパンチを連続で浴び、どんどん劣勢になっていく。
 あれよあれよとコーナーに追い詰められてしまった。いつものタフさがみられない。
 ……東郷さん、また少しやつれたか?
 俺は近くのパイプ椅子に座って、話しかけるタイミングを待つことにした。
 憎たらしいことに、東郷 千世の短髪に白いゴミ――もとい筋貧乏神がついている。この瞬間にも大切な筋力を奪っているのかと思うと……。
「天野んまで、そう険しい顔をしないであげてよ」
 傍からすっと現れて声を掛けてきたのは、美島 裕子だった。運動に適した身軽な服装。セミロングの茶髪から汗を垂らしながら、心配そうにリングの上を眺めている。
 同じ所属同じ階級似た年齢のプロボクサーとして、成績の振るわない東郷 千世に何やら思うところがあるようだった。
「鬼神ジム女子序列一位の千世が、序列五位相手にボコボコ。人間だもの、調子の乗らない時もあよね。後で天野んからも、元気になるような言葉を掛けてあげてよ」
「素人の俺なんかが何を言えばいいのか……」
「えー、そんなこと言っちゃうの? 彼氏ならもっと男らしくしなきゃ」
 からかうようにこちらを見る美島 裕子に、俺は「え?」と間抜けな音を返す。
「ん?」
「はい?」
「……え?」
 突如として始まった疑問符の応酬に、先に屈したのは美島 裕子だった。
「昨日だってさ、隙間時間を見つけて君に会えるって、朝から超が付くほどご機嫌にしてたよ?」
「いやいや。キツい練習の息抜きができる理由がみつかってラッキー、くらいじゃないですか?」
 だというのに実際は、東郷 千世に不愉快な思いをさせて怒らせてしまった……。俺ってやつはポンコツだ。
 ここで空々しくも彼氏面しようものなら、東郷 千世から一発K.Oのパンチが飛んできても不思議はない。
「私の勘違いってことは、ないと思うんだけどなー。練習を嫌がる千世ってのも、想像できないし」
 そうこうしている間に、息を切らした東郷 千世がヘッドギアとグローブを外して降りてきた。
 内容は聞き取れないが、おやっさんと専門的な会話をしている。どちらの表情も真剣そのものだ。
 今はまだ、俺が話しかけて良いタイミングではない。
「おやっさーん! 天野ん来てくれてるよー!」
 美島 裕子は場の空気を一切無視し、元気よろしく手を振った。
 ギロリ、と凄むような視線が二つ、俺に突き刺さる。胸倉を掴まれたような迫力に、思わず呼吸で胸がつっかえそうになる。
 ……だからもう少し待とうと思ったのに。
 だけど次の瞬間には、浮き輪に空気が送り込まれるみたいに、おやっさんの顔の深い皺が伸びて薄くなった。
「おう来たか。待っとったぞ、直ぐにでも始めてくれ」
 おやっさんの愛想はいつもより渋めだ。それだけ根を詰めている状態なのだろう。
「ねぇおやっさん、千世には休憩が必要だと思うんだけど、どうかな?」
 またまた美島 裕子が余計なことをしている。
「んー。お前はどうしたい?」
 おやっさんは受け流すように東郷 千世に訊いた。
「すみませんおやっさん、少し自分でも色々と考えてみていいですか?」
「うし、分かった。十分だけだ。その間にたっぷりと燃料を蓄えておけ。俺が全力で燃やしてやるからなっ」
 労わるように東郷 千世の肩を叩いて、今度はスパーリングの相手の元に行ってしまった。
 美島 裕子もおやっさんに続けとばかりに、筋トレ用具に向かっていく。去り際のよく分からない目配せは、本当によく分からなかった。
「私も来るの待ってたよ。メールくれてたのに、無視しちゃってごめんね。今ちょうど立て込んでて。だから、あんまり気にしないで」
 東郷 千世は、はははっと笑みを作ってはいるが、冴えない表情は痛々しげな翳りを消し切れていない。
「昨日は、俺が悪かったです」
「もういいって。天野が思っているほど、たぶん私、嫌じゃなかったから。……単純に慣れてないんだよねー、ああいうのにさ」
 俺が胸元を覗き見してしまったことについてだろう。これでこっちは許してもらえたと思っていいか。
 ならば、本題はここからだ。
「俺、東郷さんに読んでほしい手紙があるんだ」
 俺は、バッグから視現書の入った封筒を取り出して渡した。
「手紙? 変なこと書いてないよね? なんか最近の天野は天野らしくないなー」
「声に出して読んでほしいんだ。内容は……験担(げんかつ)ぎのためのものです」
「験担ぎ?」
 どう読んでもらおうかと、色々と策を考えてみた結果、こうなった。一にもニにも、読ませてさえしまえば、後は説明でどうにでもなる。
 俺の思惑に反し、東郷 千世は広げた視現書を忌々しげに見つめるばかりで、読もうとはしてくれない。
「なにこれ?」
「いやだから、験担ぎ……」
 流石に無理があったか。
 俺も読んだことがあるが、白紙に書かれている漢字の羅列には、験を担ぐ気がまるでない。
「ふざけてる?」
 東郷 千世の鋭さが増す、たったそれだけで不穏な気配が漂う。
「そんなつもりは……霊験あらたかな所に行って貰ってきたんです…………東郷さんのためを想って」
 くしゃり、と強く握られた視現書が音を立てる。
 ともするとそのまま破り捨ててしまいそうだったが、俺の最後の台詞で、すこしだけ溜飲を下げてくれたみたいだった。
「ね、天野、違う話をしようよ。いつもみたいにさ、なんてことのない、気さくな楽しい話がしたいな」
 なけなしの感情を掻き集めて作ったような、歪で積み上げられた笑顔での提案。もしこれを断って話を強行しようものならば、俺らの関係性に決定的な亀裂が生まれるのだろう。
 ――だけども、俺は、引けない。
 ここで逃げを取れば、視現書の話題は暗黙の禁忌となってしまう。
 それはすなわち、筋貧乏神を受容することに等しく、東郷 千世のプロボクサー人生が終焉に向かうことを意味している。
 嫌だ、嫌だ、そんなのは絶対に嫌だっ。自己満かもしれない、エゴかもしれない。
 それでも俺は、東郷 千世の戦う姿をもっとずっと観ていたい! 一番辛かった時期に、救われたあの勇姿を。
「天野? どうしたの? 大丈夫?」
 いつのまにか俺は、陰鬱な顔をしてしまっていたらしい。
 気持ちと一緒に切り替える。おそらく俺の、最後の一撃。
「東郷さん、嫌われること覚悟でお願いだ。その紙に書かれた文字を音読してくれ!」
「なんで? 天野のことがよく分からないよ。私のこと怒らせたいの? こっちはさー、これでも貴重な時間を費やしてるんだよ? それは天野と口喧嘩がしたかったからじゃ、ないのに、なのに……」
 怒りを超え、悲しみに打ち震えるような、悲痛な声。静かに責め立てるような口調が、ナイフのように俺の心を斬りつけてくる。
「俺、東郷さんに感謝してるし、尊敬もしてます。仲良くして欲しいし、嫌われたくない。こっちに単身で越してきて、初めての癒しだったんだ。俺も怒らせると分かっていて言うの、辛いですよ。でもさ、見て見ぬふり出来ねぇんだ……」
 切なさで目尻が熱くなる。どうやら俺の精神ヒットポイントは、とっくにゼロになっていたらしい。
 年甲斐もなく、半べそをかく。周りに人がいるのも忘れて、自分にしか分からないことを口にする。
「さっきから天野がなにを言っているのか、わからないよ」
「……ですよね」
 俺が飛ばした最後の一矢は、常識というありふれた壁に容易に阻まれてしまった。
 俺の心が悲鳴を上げている。もう諦めてしまえと。
「東郷さんには、筋貧乏神っつーのが憑いてるんですよ。渡した紙は視現書っつーもので、それを音読すると、短い期間視えるようになるんです」
 俺は尋問に堪えかねた犯人のように、すべてを告白した。
 常人には理解できない話だ。頭の狂ったやつだと思われて、終いだろう。
 宮藤 咲には敬意を持つよう言われたが、今も東郷 千世の汗で濡れた髪の毛を跳ねて遊ぶ筋貧乏神が、憎くて憎くて仕方ない。
「そう。じゃあ、読むよ。読んで、何もなかったら、悪いけど、もう……」
 それは決別を意味する最後通告であると同時に、俺にとってはまさかまさかの大逆転チャンスの到来だった。
「げんじつめいりょうしつふうらいきらいでんしんこうすいめい」
 抑揚のよの字もなく淡々と、東郷 千世は読み上げた。さもありなんといった様子で、深いため息が落ちる。
「合ってる自信ないけど、読んだよ」
「ありがとう東郷さん! 鏡を見てください! この辺、東郷さんのこの辺! 白いゴミみたいなのが見えませんか!?」
 壁一面に張られた鏡越しに、俺は自分の頭頂部を指差して伝えた。
「…………ん? なんか白いのが私の頭で、跳ねてる?」
 よっしゃあああぁぁ!! 俺は渾身のガッツポーズを決めた。まさしく起死回生だった。
「それです! そいつが筋貧乏神です」
「んんん?」
 東郷さんはルーペを覗くように片目を細めて、鏡に近づいていく。
『僕が視えるようになったのか!?』
 昨日も聞いた、驚きを含む爺いの嗄(しわが)れた声だ。
「ひゃああ!!」
 東郷 千世は盛大に腰を抜かした。百鬼夜行にでも出会したかのように、口をあんぐりと開けている。
「落ち着いてください東郷さん! あいつが東郷さんを不調にしている元凶、筋貧乏神です」
「きん……びんぼうがみ? 私の頭がおかしくなったんじゃなくて?」
「俺にも視えてますか、それは有り得ません」
 俺はふと思い出して自分のバッグをまさぐった。
 ――あった。紙パックの感触を手繰り寄せて掴むと、そのまま筋貧乏神に差し出す。
「コンビニで買った日本酒、その名も鬼ころしだ! 仮にも神なら好きだろ? 日本酒!」
『そ、そ、それを僕にくれるのか!?』
 筋貧乏神に他所へ移ってもらうためには、気持ちを良くした上でお願いすると良いと聞いて、準備しておいた一品だ。安物だが、酒は酒。
 効果は覿面だった。
 よろよろと滑空した筋貧乏神が、鬼ころしにピタリと止まる。
「ああ、くれてやるよ」
 俺が備え付けのストローを挿すと、そこから直ぐに潜り込んでいった。
 十数秒も待つと、肩翼を失った蠅のように、出鱈目な飛行で宙を舞い始める。
『久々の酒だぁ! 不味い酒だけど、僕の五臓六腑に染み渡っていっくぅううう! あひゃひゃひゃひゃ!』
「お気に召してもらえたようで良かったよ。そこで相談なんだが、取り憑く先を他に移してもらえないか」
 はたと、筋貧乏神の出鱈目な舞がやむ。
『嫌だ』
 こいつもか……こいつも電貧乏神みたいなことを言いやがる。
「なにが嫌なんだよ」
『侮るな人間! 僕はな、受けた恩はきっちり返す義理堅〜い神なんだ』
「うけた……おん……」
 心ここに在らずだった東郷 千世が、ゆっくりと反芻するように呟いた。
「東郷さん?」
「私、これみたことあるかも。三ヶ月くらい前の、雨の日……」
『そうだ。雨粒が苦手な僕はその日、貴様に助けられたんだ』
 まるで悪夢を思い出すかのように、東郷 千世はぽつとぽつと語り出した。
「あの日……試合に負けたのが悔しくて、反省も込めて、試合会場から走って帰った。すると誰もいないはずの地面から、助けを求めるようなおじさんの声がした気がして、しゃがみ込んだの。どこにでもあるような水溜りだった。ほとんど沈んだ飴玉の空包装に、白い小さな虫が乗ってたから、なんとなく拾って助けてあげた。――それが、コレと似てる……。後になって考えると凄い違和感だったから、覚えてる」
 視現書無しで神を知覚したのか? こんなこと、起こり得るのだろうか?
『もう力なんて要らない、苦しい状況から解放されたい。その想いが僕とリンクしたんだ』
「た、たしかに当時はそう思ってたかもしれない? でも、本気じゃない。私はまだまだプロボクサーとして上を目指したい。邪魔を……しないでっ!」
 面倒そうに立ち上がった東郷 千世は、人が変わったように、闘争の構えを取る。
 俺の視界を何かが高速で横切った。東郷 千世の右ストレートだ!
『僕は受けた恩は必ず返す』
 俺たちは消えた声の主を探す。近くのサンドバッグにくっついていた。
「そこかっ!」
 ……東郷 千世の汗が蒸発してそう見えたのかもしれないが、俺には私怨がオーラになって揺らめいてるように見えた。
「はぁぁぁあ! あんたなんか……蜂の巣にしてやるっ! おぉぉ、らららららららららららららら、っらしゃあ!」
 不調を忘れたキレのあるラッシュパンチが、パンパンと子気味良い打撃音を連ねる。その瞳は怒りで燃えており、その表情は憎しみで歪んでいる。
 アッパーカットで一先ずの怒りを鎮めると、憎き相手を再度捉えようと視線を彷徨わせた。
 結果からして、筋貧乏神は手の届かないサンドバッグの上端に避難していた。大事はなさそうだ。
「どこ行った!? た、倒せたのかな? 天野、どう思う?」
「えっと、筋貧乏神なら、あそこにいます」
「どこどこ?」
 黒を基調としたサンドバッグは、白い筋貧乏神を浮き立たせている。ボクサーなら目がいいはずだから、俺が教えても気付けないってことはないと思うんだけど。
「どこにいるの!?」
『貴様の持ってきた変な紙の力は、どうやら一時的なもののようだな』
 よろよろと降下して、俺の目線の高さで滞空する。悪びれもしていない。
「なあ筋貧乏神さんよ、どうしたら他所へ行ってくれるんだ?」
『貴様は愚かか? 何度も言っているはずだ、僕は義理堅いんだ』
 その義理のせいで、恩を返すべき相手が迷惑しているというのに。人間の気持ちなんぞ考慮するに値しない、とでも思っているのだろうか。そもそも、そういった思考すらない気がしてくる。
「天野、あいつはそこにいるの?」
 未だ戦闘態勢の東郷 千世は、あらぬ中空を睨み付ける。
 あなたの頭の上で元気にぴょんぴょんしてますよ、とは言えない……。
 おやっさんがこっちに歩いてくる。もう十分経ったのか。
「随分とはしゃいでたようだが……どうだ? 少しはスッキリできたか、千世」
 スッキリどころか、逆にもやもやを余計に与える結果になってしまった。
 東郷 千世は顔を曇らせたまま、おやっさんに連れられて次の練習メニューを開始した。
 俺は俺で施設の掃除を始めたが、身体に力が入っていかない。
 なにか、別の良い方法を考えないと。

 俺は事務の人に日当を貰い、鬼神ジムを後にした。
 少しでも気晴らしがしたくて、家までの道を適当に選んで帰る。
 地元であるはずの住宅街が、知らない顔を見せる。
 星の滅亡を称えるような朱に染まった空。遠くのカラスがたった一羽で抗うように、カァーカァーと鳴いている。
 今の気分は底なしだった。
「なあ電貧乏神、あいつはどうすれば引き剥がせる?」
 俺は右手にはめたビデオカメラに訊いた。
『あやつも言っておったが、あやつが恩を東郷 千世に返したと思わん限りは、離れんじゃろな』
「テコでもか?」
『テコでもじゃ』
 実力行使の通じない分からず屋ほど、質の悪いものはないと知る。
「そいや俺、この道を東郷さんと一緒にランニングしたことあるんだぜ。結局、一回限りになっちまったけど」
 自慢げに言う。
 俺は嫌な現実から、しばしおさらばすることにした。
 あれは知り合って半年くらいの、白々と明ける早朝でのことだった。
 俺が自身の運動不足を嘆いたら、東郷 千世が軽いノリで誘ってくれたのだ。
『それで? ついていけたのか?』
「まさか」
 過去を思い出し、自分で自分を鼻で笑う。


 いつもよりペースを落としてるであろう東郷 千世に、俺は十五分と持たずギブアップを告げた。
 脇腹の刺すなような痛みが、限界に達したんだ。
「大丈夫?」
 足を止めた俺に、少し先を行く東郷 千世が引き返してくる。
 三月のまだ肌寒い時期。俺と違って半袖短パンの東郷 千世は、まだまだぴんぴんしている。
「だ、大丈夫ですよ……こ、これくらい……十分も休めばっ……」
 言い繕うも情けなくなる。俺は民家の石塀に体重を預けるようにへたり込んでいた。
「東郷さん、これを……はあ……毎日ですか?」
「まあね。中坊の頃からだから、十年くらいになるかな」
 言うだけのことあって、走る姿は駅伝選手を彷彿とさせる、素人目にも綺麗なフォームだった。
「十年……毎日……はあ、はあ……」
 勝てる訳がない。
 少しでも良く見られたくて張り切っていた昨日までの自分を、殴ってやりたい気分だ。
「風邪を引いた時以外は、台風の日でも走ってたよ。高二の沖縄修学旅行中でもじっとしてられなくて、早朝にこっそり抜け出したこともある。それがさぁ、帰ってきたらちょっとした騒動になってて、先生にみっちり叱られた。流石に反省したよ。今じゃお笑い種(ぐさ)だけどね、ははは」
「はは! 可愛い生徒が修学旅行先で忽然と居なくなったら、さぞや心配したことでしょうね」
「ははは、まったくだ。せめて仲の良い友達に、一言伝えておくべきだった。でも、後悔はしてないんだ。あの時見た最高の朝景色は、今でも鮮明に覚えているから」
 さぞや素晴らしい沖縄の景色だったに違いない。
 その真っ直ぐな瞳は、願い星に淡い夢を託す少女のように、煌めいている。
「俺も走ってれば、そういう景色を拝める日がきますかね?」
「うーん。それは天野次第でしょ。たとえばこの景色だって、見ようによっては悪くないんじゃない?」
 そうは言っても、なんの変哲もない住宅街だ。電信柱の根元で雑草がかすかに揺れている。空は靄がかかったように白く、ただただ冷気を俺に送ってくる。
「今俺の目に特別に映るものがあるとしたら、それは……東郷さんのランニング姿くらいですかね」
「私!? やめてよ、こんな姿目に焼き付けなくていいからっ」
 拒否するには遅すぎた、もう俺の目にしっかりと焼き付いてしまっている。
 俺たちは同じ貧乏人として、お互い親しみやすかったのだと思う。
 プロボクサーとはとかく稼ぎの悪い職業で、一回の試合で手元に転がるお金は数万円。良くて十万ほど。頭を殴り合うスポーツだから、気楽に試合も行えない。次の試合は一ヶ月先、なんてことがザラにある世界。
 それ故に、頂点を抜かした約九割の選手は、バイトを掛け持ちしないと生活が成り立たない。東郷 千世も例に漏れなかった。
 プロボクサーは、およそ三十歳半ばで引退を迫られる。手に職を持たない人が大半で、その後も金満家とは縁遠い生活に落ち着くことが多いと聞く。
 人生の華々しい時間を背水の陣で闘争に費やし、己れの肉体を鍛え上げ、ひたすらに高みを目指す。そんな彼らを俺は――いや、東郷 千世を、格好良いと思った。
 だから応援する。戦うからには勝ってほしいと願わずにはいられない。


 現実を思い出すと自然と溜息が零れる。どうにかならないものかと、出ない答えに想いを募らせる。
『主よ、この道は避けよと言ったはずじゃ』
「はぃ?」
 何のことかと思ってみれば、俺はまた交通安全貧乏神の浮遊する交差点に向かっていた。
 行く先々で待ち構えているかのように、貧乏神と出会す。……不幸だ。
「貧乏神ってのは、世の中にどれくらいいるもんなんだ?」
『さぁな。じゃが、一体一体数えるのが馬鹿らしくなる程度にはおるぞ』
「俺が不幸体質なんじゃなくて、ただ単に見えなかったのが視えるようになっただけなのか」
 それはそれで碌でもない話に思える。
「なあ……あいつさ、一回り大きくなってないか?」
 邪気でも吸って膨らんだか、数センチは成長している気がする。
 冗句のような考えを裏付けるかのように、『事故多発につき要注意!!』の看板の『要注』の二文字が、ヤスリで削り取られたみたく読めなくなっていた。
 昨日今日で新たに車の事故が起こったのだと、容易に想像がついた。
 遠巻きで観察する俺に、交通安全貧乏神のくり抜かれた闇の瞳がかすかに傾く。
「俺に反応した?」
 深淵に覗かれているみたいで、ぞっとする。
『あまり見るでない。因縁を付けられるぞ?』
 貧乏神の類いは、一体に取り憑かれていれば十二分だ。
「さ、さてと、コンビニで夕飯でも買って帰るかな」
 独り言を空に溶かしながら、俺は踵を返した。


 家に着くと、大家さんがでかい腹を垂らしながら箒を手に掃除していた。
「あら、おかえりない。お金、いつでも払ってくれて良いのよ? なんならね、今だっていいの」
 ネチネチとした声を聞くだけで気が滅入る。
 今渡すつもりはなかったが、どうせ渡すものだしな。んで、とっとと話しを終わらせて部屋に入ろう。
「これ、まだ足りないですけど。残りも必ずお支払いしますので」
「あら、殊勝じゃないの。受け取るわね…………あら、足りないじゃない」
 大家さんは受け取った日当袋をその場であらためて、アクの強い顔をした。
 だから先に足りないって言って渡したじゃんかよ。
「ところでね、天野さん、あなた、貧乏神にでも取り憑かれてるような青い顔してるわよ? 陰気臭いったらね、ないわ。ちょっとね、待ってなさいね」
 俺を残して家の中に消えてしまった。数秒もすると、なにやらレジ袋を提げて戻ってくる。
「柿ね、貰ったんだけど、要らないからあげるわ」
「あ、ありがとうございます」
「これでも食べて、元気出しなさいね。あなたが居なくなると、洗面所の電気点かなくなるからね、困るのよ?」
「そっすか」
 自分勝手な物言いに、腹立つ気力も湧いてこない。疲弊もここまでくると、哀しみに変わる。
 大家さんは何事もなく掃除を再開させていた。どうやら話はこれで終わりらしい。
「お前、柿食うか?」
『柿は大嫌いじゃ。渋くてたまらん。……うげぇ、思い出したくもないわ』
 そりゃ誰だって、渋柿を美味しいと思って食う奴はいないだろ。
 四個ある柿を一つ掬う。クレヨンで描いたような緑色をしている。熟すまで半月はかかりそうだ。
「っつーかお前、柿食えんのか?」
『供えてもらえればのう、電化製品以外も口にできるのじゃ。力は得られぬがな』
 そういや筋貧乏神も酒飲んでたもんな。失貧乏神もお萩を食ったつってたし。そういうもんなのか。
「つか、鬼ころし! ……買え与え損だったな、畜生め」


 部屋に入って夕飯の菓子パンを胃に収めてから、宮藤 咲に電話した。その時は留守電で、一時間後に折り返しが掛かってきた。
 事後報告ではなく途中報告であることを、まず伝えた。
 筋貧乏神のことを改めて相談してみたが、貰えたアドバイスは電貧乏神から貰ったものと大差なかった。
「神様に力尽くは通じません。私たちにできることは、お願いすることと、事を真摯に受け入れること。だけだと思います」
 正直言って、身も蓋もない。
 大した役に立てずすみませんと謝られ、んなことはねぇよと俺が返して、それ以上話が進展することはなかった。
 電話を切って、うな垂れる。
 洗面所の件は提訴すれば勝てるんじゃないか。そんなしもしない事を考えながら、いつの間にか俺は深い眠りに落ちていた……。


 名案が浮かぶこともなく、仕事に追われるようにして、俺の数日は過ぎていった。
 東郷 千世と何度か電話で話したが、解決案のない会議に進展があるわけもない。
 電話の度に、申し訳なくなる。こんなことになるのなら、教えなかった方がまだ良かったんじゃないか。
 一度そう思ってしまうと、自分の浅はかさが嫌になっていく。
「あのさー天野、言い辛いんだけど、明日の試合だけは来ないでほしいんだ。あ、先行チケットもう買ってるよね? 私が払うよ。だから、さ」
 電話越しでの会話だったけど、東郷 千世の思い詰めた気配は伝わってくる。
 なんて言い返せばいいのか分からない。東郷 千世だって、たくさん悩んでいるはずなんだ。
「あ、天野?」
「わかり、ました。でもチケット代は要りません。試合、頑張ってください」
「うん……ありがと」
 言葉短く電話が切れる。
 俺が東郷 千世を見限ったと、そう思われたんじゃないか。薄情なやつだと、そう思われたんじゃないか。
 だとしたら誤解もいいところだ。
 なにせ俺は、試合は観に行くつもりなのだから。心配しないでくれって? そいつは無理な相談だ。


 とうとう東郷 千世の試合の日を迎えてしまった。
 試合会場へと赴く足が重たく感じる。楽しみにしていたはずのこの瞬間が、ただ苦しい。
 二駅隣の試合会場へと向かう電車に乗った。
 昼過ぎの車内は人がまばらで、座席を見つけるのに苦労しない。
『勝てると良いのぅ』
「……そうだな」
 対戦相手は現タイトル保持者だ。一縷の望みまで捨ててはいないつもりだが、試合結果はほぼほぼみえている。そしてその原因も。
 ――せめて奮闘してほしい。
 プロボクサーは強さだけでなく、人気もかなり大切な要素だ。
 まず、純粋に声援が増えるのも馬鹿にできない利点だ。次に資金面、顔が売れれば雑誌のインタビューの仕事が舞い込むことがある。グッズ販売で得られる収益は、者によってはプロボクサー生命を左右する。ネットでカンパを募る最終手段も、名前が通れば現実的になってくる。
 とにかくプロボクサーにとって人気は、あるに越したことがない。
 だから同じ負けるにしても、負け方というものがある。
 俺はチケットを渡して会場に入った。およそ五百人分の熱気と共に、すぐに大声が飛び込んでくる。
「負けんなよー、押せ押せぇ! 頑張れぇ!」
「右ストレート右ストレートを打てっ!!」
「なにやってんだ、逃げてんじゃねぇーよ!」
 黄色い声援と品のない罵声がないまぜになって、場内を飛び交う。
 リング上で息を切らした二人の男性ボクサーが、脚光を浴びている。どちらも俺の知らない選手だ。
 腕時計を見やるに、東郷 千世の試合はこの次だろう。
 指定の席に座ってはみるものの、全然落ち着かない。
『じゃが、来て良かったのか? 本人には行かぬと言っておったろう』
「この薄暗闇と人の数なら、まずバレねぇさ」
『そういうことではないと思うが』
 電貧乏神の言いたいことは分かるが、今更気にしても意味がない。
 男性ボクサーたちの試合が終わりしばらくの休憩時間が空いて、ついにその時は訪れる。
 東郷 千世VS現タイトル保持者の試合が開幕する。
 ゴングが鳴り、先ずはグローブを互いに小突かせる。
 ――先に動いたのは対戦相手だった。
 体重を乗せた破れ被れのような雑な一撃が、東郷 千世の頬を掠る。
 傍目からは分かり難いが、笑って済ませられない程度のダメージは受けたようだった。
 東郷 千世の足元が一瞬ぐら付いたのを、相手が見過ごすはずもない。
 怒涛のような拳の連打が、一方的に放たれる。
 場内は一つの生物になったかのように静かに息を吸う、かと思えば、思い思いの野次が右へ左へ跋扈(ばっこ)する。
 近くの座席から「こりゃ決まったな」と聞こえてきた。
 俺はその方向に飛び掛かってやりたかった。
「東郷さんのこと、何にも知らねぇくせに。東郷さん、頑張ってくれ!」
 俺の念に反して、戦況はどんどん悪化していく。
 まるで大人と子供だ。
 体格差はそうないはずなのに、一回りも二回りも小さく見える。東郷 千世の防御に徹した前傾姿勢が、そう見せているのかもしれない。
「戦えよぉー! 勝つ気あるのかああー!?」
「反撃しろぉ! 負けちまうぞぉ!」
「いいぞー! そのままK.Oぶちかませぇ!」
 場内はいつも以上に荒れていた。もっと白熱した試合が御所望なのだ。
 東郷 千世には皆にそう思わせれるだけの実力が、本来ならばあるはずなんだ。
 今の東郷 千世は、いわば両手両足に重りを付けているようなもの。――その状態で、海の中を泳いでいるようなもの。
 前提条件からして、決定的な誤りのある闘い。
「こんなの……フェアじゃない」
 どうしようもなく、心が騒つく。
 あの背負ったハンディをどうにか埋められないものか? もう観ているだけなんて堪えられないっ!
 俺は思いの限り空気で胸を膨らませる。
「東郷 千世ええぇぇ! 頑張っくれぇええええ!!」
 生まれて初めて出た大声が、場内に渦巻く邪気を根こそぎ払うようにして駆け抜けた。
 俺の声に反応したのは、意外にも対戦相手の方だった。
 東郷 千世に荒波のように押し寄せていたラッシュが、やむ。
 一瞬きにも満たない刹那を、今度は東郷 千世が拾い上げる。
 予備動作のほとんどないお得意のアッパーカットが、対戦相手の顎を捉えた。
 一転攻勢!
「よし! いいぞ東郷さん、行けっ。やったれ!」
 後ろにたじろぐ対戦相手を逃さんとばかりに追いかけて、右の拳で相手の顔面に追撃する。
 夏祭りで打ち上げ花火を堪能する観衆のような、一体感のある嘆息が場内に落ちる。
 誰もがその光景に目を見開いた。
 東郷 千世の拳は相手の頬を確かに捉えていた。……だけども、それが敗因に繋がった。
 まるで初めから狙っていたかのような綺麗なクロスカウンターが両者に決まり、結果倒れたのは……東郷 千世一人だった。
「がんばれ。立ってくれ東郷さん」
 リングに拳を突き立てては崩れ、肘を立てては崩れる。カウントが十数えられる前に、おやっさんがセコンドから白い布を投げ入れた。
 ゴングが鳴る。試合終了。
 反撃したとはいえ、時間にして一ラウンドの半分も持たなかった。
 どこかから、またも心無い野次が飛んだ。内容を理解するのも億劫に感じさせる、酷い言葉だった。
 おやっさんの肩に担がれて、ひっそりと裏の通路の闇に消えていく。
 勝利を祝うファンファーレと眩しいばかりのフラッシュが焚かれ、リングの上はお祭り騒ぎだ。
 敗者の気持ちなど歯牙にも掛けていない。
 こいつら全員、東郷 千世がどんな想いでリングに立ったと思ってんだ!?
『心配じゃのう』
 そうだ……こんな奴らより東郷 千世が心配だ。
 俺は席を立ち、無心で後を追いかけた。
 会ったところで、なんて言葉を掛ければ良いのか分からない。でも、じっとしていられなかった。
「すみませんお客様、ここより先は関係者でないと入れません」
 東郷 千世たちが消えていった通路の手前で、ガタイの良い男性が大岩の如く立ち塞がる。
 首に吊るしたセキュリティーカードには、『警備員』と記されている。
「いや、でも俺は、トイレ……そう、トイレに行きたいんです」
「でしたら此方ではなく、向こうの通路を行って右手にございます」
 丁寧に教えてくれる、その親切心は毛ほども嬉しくない。
 トイレの場所くらい知っている、俺が何度東郷 千世を観にここへ来てると思ってんだ! ……って、ここで牙を立てても仕方がねぇ。落ち着け俺。
「中に知り合いがいるんです。通してもらえませんか?」
「すみません、例え知り合いの方でも、部外者は立ち入り禁止となっています」
 口調は優しいが、その実、取り付く島もない。
「部外者、か……」
 ここでは俺も、能天気に野次を飛ばす連中と同じ括り、同じ存在なのか。
 一歩外に出れば俺は、縁もゆかりもない所詮は部外者なんだな。
 妙にしっくりくると同時に、自身の無力さに胸が詰まる。やばい、つらい……。
「おっ!? 天野んじゃん! どうしたのー? お餅を貰えない子供みたな顔してさー」
「美島さん」
 会えて嬉しいような、嬉しくないような。
 少なくとも今は、美島 裕子のテンションに合わせられる気分じゃない。
「俺、部外者なんです……。だから、中に入れなくて」
「ん、そんなこと? ――あの、彼は私の知り合いなんです。たしか、一人までなら入れてもらえましたよね?」
 美島 裕子は俺の肩に手を回しながら、自身の首に吊るしたセキュリティーカードを掲げた。
「はい、そういうことでしたら問題ありません。お入りください」
 うそん。天岩戸のように立ち塞がっていた警備員が、すんなりと道を開けた。
「はい! これでもう天野んは、部外者なんかじゃないよ。行こっ」
 手を引かれて歩く。
 美島 裕子が浮き足立って見えるのは、俺の気のせいだろうか?
「ありがとうございます。でもあの美島さん、どこに行くんですか?」
「なに寝ぼけたこと言ってんの。天野んは、千世に会いに来たんでしょ?」
 こちらを一顧だにせず確信めいたことを言う。
 俺は心の中で頷いた。ああそうだよ、その通りだ。
 東郷 千世の憤りを少しでも肩代わりしたい。筋貧乏神の存在を知らせておいて対処できなかった、東郷 千世の心を惑わせた、その責任が俺にはある。
「ふふふ。千世から天野ん来ないって聞いてたけど、私は来るって信じてた。それにあの大声、ふふ、他人事ながらビリビリっと痺れたね!」
「か、からかわないでくださいよ」
「からかってなんかないよ。真面目な話だよ。ふふふん。フフフフフッ」
 人はこんなに上機嫌で真面目な話ができるものなのだろうか?
 美島 裕子は、選手たちの控室が連なる通路で足を止めた。
 それぞれドアに貼られた名前に『東郷 千世様』の文字は見当たらないが、おそらくこの奥の部屋のどこかに、傷心中の東郷 千世はいるのだろう。
「本丸までもう少しだけど、心の準備は良い?」
「……はい」
「分かってると思うけど、凄く落ち込んでるから。どんな結末になったとしても、千世の為になることをしてあげてね」
 千世の為、その意味するところはとても広い。仮に、プロボクサーを辞めるよう促しても、『千世の為』は成り立ち得るのだ。
「どうして俺のこと、ここまで信じてくれるんですか?」
「えーっと、私なにか打算的な考えがあるって思われちゃってる?」
 美島 裕子は少し困ったようなニヒルを浮かべる。
「そうじゃないです。……なんていうか、美島さんだって俺と同じくらい心配に思ってるじゃないですか。なのに、俺に行かせてくれるってのが」
 釈然としないとまでは言わないが、どこか腑に落ちない。
「そんなに不思議なことかな。どうせ来るなら白馬に乗った王子様がいいな〜、って私なら思うから。良いと思ったことは、親友にもしてあげたいじゃん」
 美島 裕子は照れたように白い歯をみせる。
 俺が連れているのは白馬ではなく貧乏神なのだが。にしても王子様って……ないな。うん、ない。
「まーぶっちゃけると、今の千世をなんて慰めれば良いのか分かんなくてさ。えへへ」
 自嘲にも似た浮いた笑い。
 それは打算的な考えのようにも思えるが、美島 裕子にとってはついでのついでくらいの浅い言い訳なのかもしれない。
 理屈は良く分からないが、俺は美島 裕子に多くを期待されているらしい。
「いざ行かーん!」
「うわっ?」
 再び手を引かれ、とうとう辿り着く。『東郷 千世様』の控室前。
 女性の忍び泣くような声が、ドア越しから聞こえてくる。
「千世、私だけど」
 美島 裕子はドアを二度ノックして、反応を待った。
 ドアから漏れていた泣声が止む。
「裕子、悪いけど、今は一人にしてほしい、かな」
 今にも力尽きそうな白熱電球のような、細い声だった。
「そっか。そうだよね、ごめんね。……あのさ、実はドアの前に天野ん来てるんだ。千世が会いたくないなら帰ってもらうけど、どうする?」
 俺の心臓が一拍、二拍、と焦らされて高鳴る。
「ははっ。ここまで来るとは思ってなかった。……いいよ、入れて」
 美島 裕子によってドアが開かれる。
「ほらね? 私だと入れて貰えないけど、天野んならオーケーだ。ふふふ。行ってこい王子様っ」
 俺はふいに背中を押し込まる。慌てて振り返った時には、数センチの隙間を残してドアはほとんど閉まっていた。
 隙間から見える美島 裕子の謎のウインクを最後に、ドアはガチャリと音を立てて閉まる。
 なんなんだ? と頭のリソースを割くのは後回しだ。今はもっと向き合うべき事柄がある。
「東郷さん。俺、なんて言ったら良いか」
 東郷 千世の目は、今の今まで涙を流していたのだとすぐに分かるほど、赤く腫れていた。試合でできた頬の鬱血は、見ていて居た堪れない。
「天野には、私の惨めな敗北姿見て欲しくなかったな」
 俺はがばっと頭を下げた。
「嘘ついてごめんなさい! 俺が行くと東郷さん嫌がると思ってああ言ったんですけど、でもやっぱり俺、東郷さんの戦ってる勇姿見逃したくなくて」
「天野はさ、知り合ってからは必ず試合観に来てくれてるよね。……なのに感謝しないなんて、贅沢だよね、私。……ありがと。今日の声援、ほんとは凄く嬉しかった。一瞬だけど、力出た」
 俺はゆっくりと頭を上げた。
 東郷 千世は泣いていた。
 涙も泣き声も出してはいないけれど、たしかに泣いていた。
「感謝される資格、俺にはないですよ。本当はこっそり観て帰るつもりだったんだ。……だけど気が付いたら、全力で声援を送ってました」
「それでどうだった? 声援虚しく惨めにK.Oされた私の姿は。負けると分かっててリングに上がって、ブーイングを浴びながら退場する、私の醜い姿は……失望したんじゃない?」
「そんなことない! 試合だから、そりゃ勝ち負けはあります。勝って欲しいって、勝手ながらも思うけど……」
「思ってるんじゃん」
「俺は東郷さんが練習頑張ってるの知ってるから、そんな東郷さんの闘う姿が…………好きなんだ」
 俺は沸々と込み上がってくる想いを、一つの言葉に集約させた。
 とどのつまりは、俺が好きかそうでないかの、エゴなんだ。俺は今エゴの塊を、きっと暴力のように、東郷 千世に押し付けている。
 醜いのは、俺の方だ。
「気持ち悪いの」
「え?」
「筋貧乏神っていう気持ち悪いのに憑かれてる限り、私は応援してくれる人の期待に応えられない。あんなのを軽はずみに助けちゃったから……ッ! 後悔しても、仕切れないよ!!」
 火山が噴火したような、悲愴な叫びだった。
 東郷 千世の赤くなった目は、活発な噴火口のように、涙袋の端に溜まっていく液体を垂れ流す。
「こんなのが憑いてたら、もぅ無理だよ」
 俺を押し退けるようにして、部屋を出て行ってしまった。
 すぐにドアが再び開かれる。
「天野ん、何があったの? 千世が凄い勢いで走っていっちゃったんだけど」
 半開きのドアから、目を点にした美島 裕子が頭を覗かせる。
「すみません、俺より美島さんに任せた方が良かったかもしれません。俺、また」
「んん? 一、ニラウンドが劣勢だったからって、なに虚しいこと言ってるの! 女ボクサーを射止めるなら、劣勢続きでも最終ラウンドでK.O取ってやる! くらいの気概がなきゃダメよ!」
「え、なにすんすか!? ちょっと?」
 美島 裕子は俺を力尽くで部屋の外に引っ張り出すと、無言で廊下の奥を指し示す。少年よ大志を抱け、と全身を使って言っているかのよう。
 二十代半ばの俺に、在りし日の純粋で無垢な少年の心が蘇る。そうだ……追え、追うんだ俺!
 明確な動機なんて無い。気付けば俺は、後先考えず通路を駆けていた。
「こっちのことは気にしないでっ! おやっさんには私から伝えておくからあ!」
 美島 裕子の声援のような声に、俺の背中は押されて更に速度が加速する。
「いたっ!」
 それは今まさに、裏口の玄関を早歩きで通過するところだった。
「東郷さん! 待って!」
 東郷 千世はこちらを認めると、大きく鼻を啜り、外に向かって駆け出した。
 相も変わらぬ綺麗なフォーム。それに比べて俺は……。
「まっ、待ってくれ」
 綺麗な走りとは言えないが、東郷 千世とランニングしたあの日から、たまに一人で走っていた。
 東郷 千世のように強くなりたくて。密かに積み重ねてきた努力の結晶を、今こそ結実させる時ではないか。
「着いてこないで!」
「今の東郷さんを一人には出来ないですよ!」
 交通量の多い通りに面した歩道で、追い掛けても捕まえられそうにない距離でやり取りする。自然と声も大きくなる。
 傍からすれば、ストーカー被害に遭っている女性、あるいは、彼女を怒らせた情けない男性に見えるだろうか。
「来ないでってば!」
「俺のこと嫌なら、話しかけません! だから、待って」
 そして、無情にも再開される追いかけっこ。
 ――どれくらい走っただろう。何度も信号機に救われて、どうにか見失わずにいる。
 いや、東郷 千世が本気なら、俺なんかが追い付ける道理はない。赤信号でわさわざ足を止めて俺との距離を確認してないで、その角を曲がってしまえばいいのだから。
「いつまで追いかけて来るの?」
「東郷さんこそ……はぁ、はぁ、どこに向かってるんですか?」
 俺は自分の両膝に手を置いて訊いた。
 この場でダッシュすれば、ワンチャン捕まえられそうな距離。だけども、俺にその体力がないと知っているからこそのこの距離でもある。
「家、だけど」
「家? ですか……」
 よくよく見渡せば、どこか見覚えのある景色だった。一駅分、いや、二駅分は走った気がする。
「私、試合に負けた日は走って帰るようにしてるの」
「そ、そうだったんですね」
 なんもかんも厭になって出鱈目に走っていた、という訳ではなかったのか。
「東郷さん、俺また東郷さんの試合を観戦してもいいですか?」
 暗に、プロボクサーを続けて欲しいという願いを込める。
「正直言って……嬉しいよ。私なんかのためにここまでしてくれてさ。でも、ごめん。分からなくなっちゃたんだ。だから答えられない」
「もし俺の存在が迷惑だって言うなら、出しゃばらないようにします。一ファンとして、これからは節度を持って陰ながら応援するようにしますから」
「違うよ! そうじゃない。天野の存在は嬉しいの! 本当に。脇目も振らず私のこと支えようとしてくれてさ。言っちゃえば無関係なのに、そんなこと気にせず真っ直ぐな瞳で応援してくれて。嬉しい。期待に応えたいって思う。……でももう、応えてあげられそうにないの」
 分かっているのに上手く出来ない、東郷 千世のそんなもどかしい気持ちが、空気を介して伝わってくる。
 筋貧乏神の悪影響は、俺の想像以上に東郷 千世の精神を追い詰めている。
 嫌でも分かってしまうのだろう、筋貧乏神がいる限り、これ以上芽が出ることはないと。後は落ちぶれていくだけなのだと。
「ここ、私の家の近くだから」
 もう追って来るな、という意味をふんだんに含んだ言葉。本当か嘘かは分からなかったが、男の俺には結界のように作用する。
 東郷 千世の背中が遠ざかる。緩やかなカーブを描く住宅街の奥へと、見切れてしまう。
 ――プツンと音を立てて何かが終わってしまった、そんな気が強くする。
 心の暗闇のどこかで大切な物が糸を切られて落下していくような、形容し難い寂しさと焦燥。
 俺の頭は空っぽになっていた。何も考えられない。考えたくない。
『主よ、道の端へと避けよ』
 なんのこっちゃか知らないが、ちょうど背中を壁に預けたい気分だった。
 汚れも気にせず石塀に背中から寄りかかる。
 すると、ケバケバに改造された白のプリウスが目の前を通過する。
 ロックな音楽は車内が密閉されているためかくぐもっていて、なおも煩わしく聴こえる。その速度は、敵地に乗り込む暴走族のごとく、法定規則ガン無視の住宅街にあるまじき猛スピードだった。
 東郷 千世が向かった方向と同じ……。
『お主よ、この景色に覚えはないか? あの時の道とは違っているようじゃが、あやつの気配を近くに感じるぞ』
 あやつの気配……て、あっ!?
 この道は交通安全貧乏神の居る四つ角に繋がっている。こっちは滅多に通らない道だから、気付くのに遅れた。
「た、たしか運値の低い者が通ると、交通事故を誘発するんだったよな」
 近くに供えられていた生花とお茶の缶ジュースが脳裏を過ぎった。
 誰がどう考えたって、今の東郷 千世の運値は奈落の底にある。
『うむ。何事も起こらなけれ――』
 ドン!!
 鉄塊を岩に叩きつけたような鈍い音が、四つ角の方から聞こえた。焔色の炎が数瞬間だけメラメラと空を照らす。炎が消えた後も、灰色の狼煙が上がり続ける。
 明らかに只事ではない何かが、この先で起きていた。
「と、東郷さん」
 俺はうわ言のように呟いて、体を四つ角へと向かわせた。
 急に世界から色が消えて、現実感がなくなる。
「うそだろ? ま、まさかだよな」
 確かめるのが怖い。だけど、確かめずにはいられない。
 視界を遮る緩やかなカーブを描く住宅街を、あとほんの少し進んだところで、瀕死の東郷 千世が俺に助けを求めているかもしれない。
 吐き気を催すような想像を振り払うようにして、両足に力を注ぐ。
「東郷さん! 良かったぁ。無事だったんですね」
 俺が青息吐息でそう言うと、東郷 千世は険しい顔付きで振り返った。
「大変だ天野!! 車の中に人がいる!」
 事故の正体はやはり、先程通っていった白の改造プリウスだった。
 車体の底から松明ほどの炎が盛っている。今にでも爆発の危険がある。
「東郷さん分かったから、もう少し車から離れてください!」
「なに言ってるの!? 後部座席に幼児も乗ってるんだよ! 見捨てられないよ!」
 それは分かったけど、東郷 千世にもし何かあったら、俺は悔やんでも悔やみ切れない。
「俺が助けます。東郷さんは救急車とか消防車とか、色々手配を頼みますっ」
「わ、わかった」
 東郷 千世を下がらせて、俺は白のプリウスに近付いた。
 歪んで盛り上がった車のボンネットの隙間からも、小さな煙が上がっている。煙は不吉な程にドス黒い。
 時間がない、急がないと。
 俺は車の窓越しから中を覗いた。
 運転席に中年の男がいる。エアバックに上体を預けて、ピクリとも動かない。
 後部座席には、チャイルドシートに括られた幼児が一人。癪に触るロックな音楽に混じって、泣き声を散らしている。意識はあるようだけど、状況を理解できる年齢に達していない。
「待ってろ、今助けてやるからな!」
 車体後部の改造されて発光するドアに手をかける。……っ!? ビクともしない。ロックが掛かっているのか、事故の衝撃で生まれた歪みが運悪くどこかで引っ掛かっているのか、開けられない。
「こなクソがぁー! くそ!」
 どんなに体重を乗せて引いても駄目だった。
 ならばと、前のドアに希望を託したいところだが、こちらは運命の悪戯のように、電信柱が蓋をしていた。車は歩行者や自転車が通るような隙間に、すっぽりと挟まれている。
 逆サイドのドアは、民家の石塀に塞がれて全滅。今ドアと呼べるドアは、車体後部の――開けないドアしかない。
 その時、ボンネットが小さく爆発した。持ち上がった蓋がフロントガラスを引っ掻いて、元の位置に下がる。中から、ビリビリと電流の激しい音まで聞こえてきた。細かったドス黒い煙が一気に太さを増す。
『主よ、わしをビデオカメラごとボンネットに置くのじゃ! このままでは底の炎より先に、エンジンが原因で爆発しかねぬぞ』
「そっちはお前に任せていいのか?」
『ぬぬぬ……。まだ新しい車じゃな。気は進まぬが、やるだけやってみよう』
 フロントガラスの麓あたりにビデオカメラを置く。幽霊のように離脱した電貧乏神が、ボンネットを貫通して内部に消えていくのが見えた。
『うっげええぇ〜、なのじゃ。無味無臭の渋柿を口一杯に詰め込んだような、ゲロ不味なのじゃああ!』
 それで殊更に渋柿を嫌っていたのか。
「後で美味いもんたらふく食わしてやるからよ、頼むぞ」
『むぅ。約束じゃぞ』
 仮にエンジンをどうにかできても、時間稼ぎが関の山だ。車の底からあがる炎がある限り、爆発の危険は付きまとう。
「くそっ! どうにも開かねぇ……。これならどうだっ! ぅオラ!!」
 自傷覚悟で車体後部のドアガラスに肘鉄をお見舞いする。
 ゴンッと弾かれて、痛みだけがじんわりと残った。
「固ってぇ……」
 傷一つ付けられていない。防犯対策だろうか、よく見ると特殊なフィルムが施されている。
 こっちを突破するのは、ドアを開くよりも無謀な手段に思える。それこそスーパーマンや、怪人ハルクのような怪力が必要だ。
「天野、どう? ドアは開けられそう?」
 通報を終えた東郷 千世が、痺れを切らしたように寄ってきた。
 俺は色良い返事を出来ずにいる。こうしている間にも底の炎は、爆弾へと繋がる導火線を着実に消化していってるってのに。
「私もやる」
 東郷 千世が果敢にもドアノブに食って掛かる。
 それに飽きたら、次の対戦相手はドアガラス。けれども、プロボクサーのパンチをも意図も容易く跳ね除ける。美しい無機質なボディには、一分の隙もありはしない。
「消防車はいつ来るって言ってましたか? っていうか危ないですから、東郷さんは下がってください!」
「八分くらいかかるって。そんなの待てない!」
 至極同感ではあるが……。
 神の奇跡か、プリウスに宿る電力が途絶えた。取手のケバケバしい光源が消え、煩わしかったロックな音楽も消える。
『うっげぇ! こんな思いは二度とごめんじゃ』
 顔を青くした電貧乏神がひょろひょろと高みへと昇る。
 ボンネットのビリビリ音も止まっている。不吉だったドスの利いた黒煙が、成仏するかのように、形を潜めていく。
 ――この瞬間を待っていた。頼む……開け、開いてくれ!
「…………っ!? なんでだよ。なんで開かねぇんだ!!」
 電源が切れればロックが外れて開く、という俺の淡い期待は盛大に外れた。
 より鮮明になった幼児の泣き声が聴こえてくる。助けてよ、このままだと焼け死んじゃうよ、と叫んでいるかのよう。
「開けっ、開けっ、開いてよ! この馬鹿、開けっ!」
 ドンッドンッ、と東郷 千世の拳が何度も何度もドアガラスを打ち鳴らす。
「開けぇ、開け開け開け開け開け開け開け開け開け開け開け開けっ!」
 何度も。何度も。
 次第に手の接触面は赤く腫れ、まるでトマトの皮を剥いたみたいに、鮮血が静かに腕を伝い、落ちていく。
「やめて下さい! 大切な拳でしょう!?」
 俺は、やるせ無く弱っていく拳を包んで止めた。
「ここは危険です。応援が来るのを離れて待ちましょう」
 爆発寸前だったエンジンを切った、それだけでも価値のある行動だったと信じたい。
『困っているのか?』
 筋貧乏神が、力無く俯く東郷 千世の目線の高さで浮遊する。
『なあ筋貧乏神よ、今こそ東郷 千世に恩を返すときではないか?』
『電貧乏神か、貴様もそう思うか。僕も、そんな気がするんだ』
 筋貧乏神は慈悲を滲ませる。喧々してばかりだったけど、落ち着きのある声はなんと優しいことか。
「私はあの子を助けたい。その為なら、この拳が砕けたっていいんだ!」
 隙をついて放たれた拳を、俺は寸でのところで受け止める。
「無茶ですって!」
「無茶でもなんでも! 止めないで天野!」
「止めますよ。だって、大切な拳が……」
 遠くから緊急車両のサイレンの音が鳴り響く。遠い、あまりにも遠すぎる……。
「思い出したんだ、本当の意味でさ」
「え?」
「私、困っている人を助けたくてボンシングを始めたの。プロとして上を目指す為じゃない。でも生活が、環境が、手段を目的に変えてしまってた」
「気持ちはお察しします。でもだからって、いくら拳を叩き付けたって、意味ないですよ」
『破邪顕正(はじゃけんしょう)……』
 筋貧乏神が小さく、けれどどこまでも澄み渡るような低い声で、呟く。
「破邪顕正……」
 まるで弟子が師匠の真似事をするかのように、東郷 千世も同じ言葉を呟いた。
『邪悪を破りて、正しきを示す……』
「邪悪を破りて、正しきを示す……」
 えっとー、これは? 俺の目の錯覚かな?
 東郷 千世の体がみるみる巨大化していく。いや、やっぱ目の錯覚だわ。目の前には等身大の東郷 千世がいる。ん? でも見上げるとやっぱり巨大化した東郷 千世もいる……。
 まるで、スクリーンに拡大した本人の像を重ねて映しているかのよう。その大きさたるや、怪人ハルクを思わせる。
『今こそ偽りを破り、あるべき力を示す時なり』
 今度はゴミクズのように小さかった筋貧乏神が、風船のように膨らんだ。
 長く立派な白髭をたなびかせ、煌びやかな一張羅を見事着こなすその様は、さながら七福神の面々を連想させた。
 よぼよぼの手が、巨大化した東郷 千世に軽く置かれる。纏う白いオーラが、山の湧水のように、東郷 千世へと伝っていく。流れるオーラは融解するように混じり合うと、バイオレンスな深紫に変化していく。
『主よ、惚けておる場合か! 離れるのじゃ! 巻き添えを食うぞ』
 電貧乏神に言われるまでも無く、俺は後ずさって距離をあけた。
「ま、まるで鬼だ」
 鬼と神、その両者が一つになろうとしている。
「鬼神ジム女子筆頭、東郷 千世、押して参るっ!」
 今日日聞かない名乗りをあげて、東郷 千世は正拳突きの構えを取った。――眉間に皺の寄った目が、カッと開かれる。
「破ぁあああああああああ!! ……破っ!」
 渾身の一撃を超え、会心の一撃をも凌ぐ、例えるならば雷(いかづち)の一撃。
 文字通りの目にも留まらぬ速さで、要塞と化していたドアガラスに放たれる。
 ガラスは蜘蛛の巣状に亀裂を生じさせ、所々切れたフィルムから、宝石のように輝くガラスの粒子が宙を飛ぶ。次いで砲撃のような轟音が大気を震わせた。
 が、まだ浅い。ガラスを穿つまでには至っていない。
『己の邪悪を破れ、拳で正しきを示せ。さすれば東郷 千世、貴様に僕の力の一部を授けよう』
「破ぁああああ! 破邪顕正……。私が鍛え上げてきた力の全てを、あの子を助けるためだけに捧げるっ。ぉおおお! オーラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ! ……オラァ!!」
 勝利確定演出であるかのような咆哮を上げながら、雷にも似た連打の霰を打つけていく。
「はあ、はぁ、はあ……。破邪……顕正」
 東郷 千世は血まみれになった拳を、ようやく収めた。
 ついぞドアガラスに穴を開けることは叶わなかったが、その澄んだ表情は一片の未練も感じさせない。
 がこん、とヘンテコな音を立てて、窓枠から外れたボコボコのドアガラスが地面に落ちる。
「す、す、スゲェや東郷さん。マジでパネェよ」
 東郷 千世の巨大な方がフッと消え、バイオレンスなオーラも霧散する。
 いつの間にか筋貧乏神も元のゴミクズ、いや、小さくて少しだけ愛らしい姿に戻っていた。
『ふぅ、僕の三十年分が……』
『また貯めれば良いではないか』
『……だな。あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!』
 マジで感謝だぜ、筋貧乏神。笑い方はキモいけど。
 がくし、と東郷 千世は顔は上げたまま片膝をついた。その歴戦の戦士のような貫禄に、俺は触発されて一歩前に出る。
「後は俺に任せて下さい!」
「ははは! 任せたよ、天野」
 東郷 千世の快挙を無下にしないためにも、車内の二人をなんとしてでも救い出さなければならない。
 俺はドアにできた空間に、頭から突っ込んだ。両手を伸ばす。良しっ、届いたぞ!
「今助けてやるからな」
 幼児を括るチャイルドシートを解除して、小さな命を抱き抱える。
 警報のような泣き声が、耳元でキンキンと響いた。元気な証拠だ。
「東郷さん、この子を頼みます。今度こそ危ないですから、離れていて下さい」
 東郷 千世は疲れなんて無いかのように、立ち上がって抱き抱えると、力強く首肯した。
「わかった。天野はもう一人をお願い」
「はい」
 今度は全身を侵入させて、運転席でくたびれている中年男性の様子をみる。……完全に意識を失っている。
「起きてくれ! 頼む、起きろ!」
 強く揺さぶっても反応がない。
 なんとかシートベルトを解除して、男の体を引っ張り出す。しかしエアバッグも作動している狭い座席だ、加えて男の体重はおよそ八十キロはあった、救出が捗らない。
「なあ、そこにまだ居るんだろ、筋貧乏神。俺にも力を分けてくれよ」
『寝言は寝て言え! 僕に貴様を助ける義理はない!』
 わざわざ車内に入ってきて激昂し、言うだけ言って去って行く。
 分かってはいたけれど、実際に否定されると、気力が一気に削がれる。
 その時。
 ボンッと爆ぜる音がして、車体が軽く上下した。下方でメラメラと盛る時限爆弾の音が強くなる。
 心なしか、車内が熱く感じる。たらたらと流れる汗は、熱気のせいか、重労働のせいなのか。
 どうにか男を後部座席に寝かせた時には、俺の全身は汗だくになっていた。
「……はあ。熱いな。あとは……」
 一度俺が外に出て、外から男を引っ張って救出する工程が残っている。猶予はとうに無い。息を整えている時間が惜しい。
「天野ー! なにしてるの!? 早く、早く出て!!」
 東郷 千世の声を遥か彼方に感じる。
 体がだるい。気を抜くと意識を手放してしまいそうだ。熱い……あつい……。
「火の手が強くなってる! 天野、早く出てきて!!」
 一息ついて、最後の力を振り絞る。
「はぇ?」
 出入り口が、無い?
 たしかに入ってくる時はあったはずのドアの穴が、闇に閉ざされている。
 深淵のような丸い闇が、二つ。闇が深過ぎて、まるで距離感が掴めない。
 それぞれの闇の中央に、米粒ほどの赤が妖しく生まれる。二つの赤が僅かに動いたことで、俺はそれが交通安全貧乏神の双眸だと理解する。
「か、からだが……う……ごかっ……」
 唐突な金縛りだった。指一本まともに動かせない。
 まるで全身に熱湯を掛けられているような、痺れを伴うひりつく感覚。
「天野! 天野、しっかりしてよ天野!!」
 どんどん東郷 千世の声が遠ざかって行く。瞼が、重い。酷い疲労感だ。もう全てを忘れて眠ってしまいたくなる。
『その人の子は見逃してくれんか? わしの、……なのじゃ』
 赤い双眸が横にずれていく。
 ほんの少しだけ、体の怠さが和らいだ。
『…………、良かろう、それで手を打つ。…………、案ずるな、わしは交わした約束は守るべきだと心得ておる』
 電貧乏神が淡々と、なにかを交渉している。途切れ途切れで、しかも俺はこんな状態だから、内容が頭に入ってこない。
 再び赤い双眸がこちらに向けられ、間もなく、交通安全貧乏神は天へと飛んだ。
 すると、俺を縛っていたなにかがフッと解けた。疲労感や眠気も薄れていく。
『主よ、大事ないか?』
「あ、あぁ……助かった、のか?」
『気を緩めるにはまだ早いじゃろ。わしでは、火の手までは止められぬ』
 電貧乏神がなにを代償にしたのか気になったが、生きて出れなければ話も何もない。
「……くはぁっ! こ、ここは? なにが?」
 後部座席に寝かせていた中年男が、目を覚ました。これも交通安全貧乏神が去った影響なのだろうか。
「あんたは車で事故を起こしたんだよ。で、今はそのあんたを救助してるところだ」
「俺の、倅(せがれ)は? 倅はどこだ」
「安心してくれ、救助済みだ」
「そうか。お前が助けてくれたのか? ありがとう」
 そう言って、中年男は眠るように瞼を落とした。
「天野! どうして出てこないの!? 手を貸すから、掴んで!」
 離れて待機していたはずの東郷 千世が、車内に両手を伸ばしている。俺は迷わずその手を掴んだ。
 俺が引っ張り出され、意志薄弱な中年男も東郷 千世によって無事に引っ張り出される。
「東郷さん、あの子はどうしたんですか?」
「あぁ、野次馬の人に預けたよ。だって天野、後部座席に移ってから全然動かないんだもん。とてもじゃないけど、見てられなくって」
 言いながら、自身の体重の倍は以上はありそうな中年男を、難なく背中で担ぎあげる。
「離れるよ!」
「お、おっす!」
 三、四歩離れたところで、とうとう改造された白のプリウスは大きく爆ぜた。
 焔色の空を背にしながら人命救助をする東郷 千世の横顔は、俺が子供の頃に観た特撮ヒーローそのものだ。
 どこからともなく拍手が巻き起こる。
「あんたら良くやったな、若いのに偉いぞ!」
「お疲れ様! 預かった子供だけど、怪我はないみたいだから、安心して」
「君たち最高にイカしてるぜー! 俺っちなんて怖くて車に近寄れねぇぜー! フゥーーー↑」
 この野次馬たちはどっから涌いて現れたのか。労いの言葉だけは、素直に受け取っておきたいと思う。
 東郷 千世は中年男を適当な壁に寄りかからせて、俺に振り返る。万感の表情を浮かべて、あろうことか、俺の背中に手を回して抱きついてきた。
 住宅がひしめく四つ角のド真ん中。
 収まりかけていた衆人の拍手喝采が、別ベクトルで勝手に盛り上がっていく。
「ひゅー、いいぞー。若い奴はこうでなくちゃあな!」
「おめでとう! 最高のカップルよ、あなたたち」
「ばっちし動画に撮ったぜぃ! 欲しかったらいつでも俺っちに言ってくれ! そして、リア充爆発しろぉー!!」
 労いだった言葉も、なぜか俺たちを揶揄するものに変わっていた。あと、やっかみも混じっていたような。まあいいか。
「東郷さん、お、落ち着いて」
 い、色々と当たってしまっている。
 さすがはプロのアスリートだ、抱きつく力も半端ない。
「私のこと守ってくれて、傍にいてくれて、ありがとう。私今、満たされてる。二人を助けられた、天野のお陰だ、ありがとう」
「俺は、大したことしてないですよ」
 ドアガラスを突破できたのは東郷 千世の功績だし、最後に中年男を助けたのも東郷 千世だ。なんなら、俺も一緒に助けられた。
「うまく言えないけど分かるんだ。天野が居てくれなかったら、こうはならなかった、って」
「だとしたら、神様にこそ感謝すべきかもですね」
「そっか、やっぱりあの筋貧乏神ってのが、私に力をくれたんだね……。あの時さ、急に無限に力が湧いてきて、言葉が浮かんできたんだ」
 東郷 千世は惜しむように体を離す。
「あの破邪顕正、ってやつですか?」
「そう、それ! 口にすると心がシンと静まり返って、どんなことでも拳一つで乗り切れるような気がしてさ。ところで、破邪顕正ってどんな意味だっけ? 天野知ってる?」
「東郷さん、知らずに使ってたんですね……。確か元は仏教用語で、剣道とかでよく聞く四字熟語です。間違った考えややり方を破壊して、正しいものを示す、とか、たぶんそんな感じだった気がします」
「そうなんだね。初心を忘れないようにするには、良い言葉じゃん。よし決めた! 私、この言葉を座右の銘にする! そしてこの拳は、この先も困っている人のために鍛えていくよ。ボンシングで使うのは、あくまでもそのオマケとして」
 一念発起といった感じで、東郷 千世は誓いの握り拳を作った。血で染まった拳は、未だに流血を滴らせていて……。
「東郷さん、手! 手っ! 止血しないと!」
「ん? あ、ほんとだね。ははは!」
「呑気に笑ってる場合じゃないですよ!」
 慌てて止血しようとした所で、救急車が到着した。中年男とその子供、そして東郷 千世も抵抗虚しく車内に連れていかれた。
 東郷 千世は恥ずかしそうに車内に腰掛けていて、ボクシングでできた顔の青痣の処置も同時に受けていた。
「あはは、東郷さん病院に行く手間が省けたな」
 少し離れた位置から他人事のように笑っていると、救急隊員が俺にも同乗するよう求めてきた。一連の関係者っぽい俺のことも、念のために怪我してないか診ておきたいんだそうだ。
 俺はやんわりと断った。これといった怪我も無いし。正直言うと、貧乏性が発動しての痩せ我慢もある。
『一件落着、かのぅ』
 電貧乏神の小さな体躯が俺の頭に乗る。こいつもお疲れのようだ。
「ああ。お前にも助けられたな。そいや、あいつとなにを交渉してたんだ?」
『……大したことではないわ』
「だったら教えてくれてもいいだろ?」
『お主が知っても意味のないことじゃ』
「やけに勿体ぶるな。言ってくれって」
 神同士の交渉が、生易しいはずがない。言い淀む電貧乏神が、その証左じゃないか。
『むぅ。神無月に神が出雲大社に集結するのは知っておるか?』
「ああ、有名だよな。信心深くない俺でも知ってるよ」
『そこでは飲めや歌えの大宴会が催されるのじゃがな、大層美味い料理を作る貧乏神がおるのじゃよ』
「ほうほう、そんで?」
『そこで皆に一品ずつ振る舞われる絶品デザートを……あやつにせびられた。めっちゃ美味いのにっ、今年のわしの分はお預けじゃあ。ぐすん』
「えっと。思ってたよりしょうもねぇな」
『なにを!? 絶品なのじゃ! あれを食べるために一年頑張れるほどなのじゃあ!』
 ぽこぽこと、乱暴に頭を叩かれた。
「いて、いててっ! 分かった、俺が悪かったよ。俺のせいでもあるし、今度なにか、美味いもんを食わせてやるから。機嫌直してくれよ」
『ほんとか?』
 頭を叩く手がとまる。
『既に似た約束をしておるが、二つくれると思って良いのか?』
「そういうことで。頭を叩くのは勘弁してくれ」
『むぅ』
 とりあえずは受け入れてもらえたようだ。
「疲れたし、帰るか」
『ときに主よ、なにか忘れとらんか?』
 はて、なんのことだろう。そんなことよりこいつ、まさか家まで頭に乗っていく気か?
「あれ? そいやーさ、ビデオカメラって俺どこ置いたっけ?」
『おう、正にそのことじゃ! ――車のボンネットで丸焼きになっておる』
 マジか!? ……マジだった。
「火が通って美味しくなったと思えば」
『そう思うのならお主が食え。わしは遠慮する』
 はあ、また余計な出費が嵩みそうだ。


 あれから二週間が経つ。
 黎明期を迎えたかに思えた東郷 千世のプロボクサー道だったが、あの惨敗に反して、人気は鰻登りになっていた。
「まさか、本当に撮ってたやつがいたとは」
『わしは、それが無許可で上がったことの方が驚きじゃ』
 人気上昇の火付け役となったのは、ネットに上がった一本の動画だった。
 今にも爆発炎上しそうな白のプリウスのドアガラスを拳で破壊し、燃え盛る炎をバックに、中年男を救助する東郷 千世の衝撃映像。
 かなり切り貼りされており、俺の姿は後頭部がすこし見えたかな? くらいにしか映っていない。
 まあ、俺のことは別にどうだっていいんだけどさ。
 ボクシング界隈がこの話題で賑わったのは勿論のことながら、全国ニュースにもチラっと流れたもんだから、東郷 千世を応援したいという一般人が爆増した。
 ほとんどが一過性の人気ではあったけど、その一割に継続して興味を持ってもらえただけでも、多大なる恩恵がもたらされる。
 具体的には、東郷 千世関連のグッズが売れ、雑誌のインタビューが舞い込み、さらに人気は高まり、本人の生活向上とやる気へと繋がっていく。
『来たようじゃぞ』
 カセットテープ専用の古いウォークマンから電貧乏神が浮かび上がり、薄闇を指した。
「東郷さん! おはようございます」
 世を忍ぶような未明に、俺たちは外で待ち合わせをしていた。
 夏の暑さにも翳りが差してきた季節。生憎の曇天は、じっとしていると肌寒さを覚えるほどだ。
「おはよう天野! ごめん、待たせちゃった?」
「今来たところです。東郷さん、その格好だと少し寒くないですか?」
 いつか見た半袖に短パンの姿だった。
「平気平気。走ってればあったかくなるから。ははは!」
 東郷 千世にとって最適解の格好なのだろう。
 これから一緒に走る俺は、目のやり場に注意を払う必要がありそうだ。
「ね、天野。やっぱり憑いてないのかな、筋貧乏神」
「う〜ん、見た感じだと、ないですね」
 これでもう三度目になる質問に、俺は同じ答えを返す。
 電貧乏神曰く『気配がしない』とのことだから、もう居ないと思った方がいい。
 だけども、東郷 千世は諦め切れないようだった。例え居ても見えもしないのに、体を捻って自身の背中を見ようとしている。
「ちっちゃい奴ですから、東郷さんの身体のどこかに隠れてたら、俺でも見つけられないと思います」
「はは! ありがと、天野」
 なんの感謝であるかは、気にしないでおく。きっと東郷 千世も分かってはいるのだ、筋貧乏神はもう居ないのだと。
 それでも探してしまうのは、やっぱり会いたいからで、感謝をしたいからで、その気持ちは俺も良く分かるつもりだ。
「離れていても、尊奉する気持ちは届いていると、俺は思います」
 これも電貧乏神の言になるが、『離れておっても、敬い奉る人の想いは力となって届くぞ。一つ一つは極々小さな力じゃが、溜まってゆけば大きな力にもなろう』とのことだ。
「私に大切なことを教えてくれた存在だからね、感謝してるんだ」
「授業料はだいぶ高かった気もしますけどね」
 俺が冗談を言うと、東郷 千世は「そうだったね」と言って、はは! と苦々しく笑った。
 東郷 千世はストレッチを始め、俺は一テンポ遅れて動きを真似ていく。
「手の怪我はもう大丈夫ですか?」
「もう二週間だよ? ちょっと切っただけだったし、問題ないよ、っと。それどころかさ、最近は過去一で調子良いんだ」
 東郷 千世は腕を回しながら白い歯を見せた。
 素人の俺でも、その引き締まった身体が最高に仕上がっているのだと分かる。以前のやつれた感じは全くない。
 早くも来週末に控える試合に、抜かりはなさそうだ。
「天野……さ、良かったらこれからも私のこと、応援してくれないかな」
 東郷 千世は照れ臭そうに言う。
「願ってもないです。なんなら俺、東郷さんにストーカーだって嫌われても、応援しますよ」
「ははは! 頼もしいや。――安心した。私、他の人に応援されるよりも、天野に一言声援を送ってもらえる方が、力出るから…………ッ!」
 東郷 千世は幸せを噛み締めるように口角を上げ、かと思えば、前屈の途中でいきなり走り出した。
 俺もストレッチを中断して、後を追いかける。
「東郷さん、は、速いです」
 前回は練習の邪魔になってはいけないと、たった一日でランニングの同行を辞退した。
 だけども今日からは、是が非でも食らい付いていく所存だ。俺の情熱が少しでも東郷 千世の力になるのなら!
「ははは! 天野ってば、走って二秒でもう音を上げたの?」
「ッ!? まさか、そんなわけないですよ!」
 俺は負けじと走った。
 その背中はやはり遠かったけれど、いつか憧れに指先を触れさせられる日が来ることを信じ、気張って走った。



三話 失貧乏神と知らない親友

 大家さんに今月払うものを全て払い終えて、我が家の家計は冷えに冷えていた。
「機は熟した」
 自室のテーブルに、前に大家さんから貰った四つの柿を並べる。
『主よ、血迷ったか。今すぐ曇った眼を晴らすのじゃ。毒々しいまでの艶やかな黄色、他を拒まんとする見るからに固い表皮……こやつらの正体は渋柿じゃ!』
 電貧乏神は、まるで森々(しんしん)の闇夜に擬態する毒蛇を、先だって察知したかのように、敵意を込めて騒ぎ立てる。
「っるせぇな。俺の背に隠れてキャンキャンと。こちとら腹が減ってんだ」
 柿を貰い受けてから約三週間、ピッコロのような緑色からスポンジボブのような黄色に変わってきている。
『警戒せよ!』
「しなくていい。朝からまともに食えてなくて、気付いたら仕事も終わって夜になっちまった。空腹の限界だ」
 すこし熟したとはいえまだまだ美味そうには見えない、そんな時に使える貧乏術がある。
 その名も、『貧術三ノ巻! 初めから不味いと思って食えば、意外と食べられる』の術。
 俺は柿を手にとって、心を無にして大きくいった。
「ガブリ」
『ッノオオオォォオオオォオオゥ!』
 いや、なんで食ってもないお前が身悶えてるんだよ。
「全体的にまだ渋いけど、甘いところもややあって、そこに意識を集中させれば……ガブリ。食えなくはねぇな」
 もはや病院食とか宇宙食とか戦場食とか、そんなノリだ。味は二の次、三の次。口内は渋柿成分でギトギト。
『わしのSUN値が削られてイクゥ!! ……のじゃ』
 ばたん、キュ〜、みたくテーブルに倒れて動かなくなった。
「そんな俗っぽい言葉、どこで仕入れてくるんだ?」
『うむ。昨晩のアイドル系番組で、TRPGなる遊びを俊樹たちが楽しげにやっとってな』
 そいや、深夜を憚って小さく『うほほ〜』とか興奮しながら観てたな。俺は無視して寝ちまったけど。
『疑問に思っとったんじゃが。お主よ、なぜにそうお金がないのじゃ?』
 電貧乏神はむくりと立ち上がり、無垢な視線を向けてくる。
「家(うち)に居座る貧乏神がそれを言うか」
『わしの存在だけでは説明がつかぬ。主は朝から晩まで平日は働いておろう。金遣いも貧相じゃ。加えて一人暮らしじゃろ?』
 たしかにそれだけであれば、趣味のボクシング観戦を差し引いても、食うに困るほどの極貧にはならない。
「親に仕送りしてんだよ。別に、よくある話だろ」
『身を削るほどの金額を、か?』
「今まで育ててもらった分くらいはな。二人には俺を育てるために、色々と苦労させちまったから」
『そうか。主は、優しいな』
「なんだよ、気持ち悪りぃなー」
 何もかんも理解しました、みたいな眼差しはやめろ。見てると身体がむず痒くなる。
『照れるでない、褒めておるのだ』
 ぺたぺたとテーブルを移動して、巣穴に戻るリスのように、新しく買ってやったウォークマンに入ってはひょっこりと顔を出す。
『明日は楽しみじゃな』
「ん、ああ。人生の掛かった大勝負だ。この日を心待ちにしていたとはいえ、緊張するぜ」
 残りの渋柿は明日の朝食に残しておいて、少し早いが今夜はもう寝ることにした。
『上手くことが進むと良いの』
「お前にそういったご利益があんのか知んねぇけど、ありがとよ」


 翌日の昼。
 俺は最寄りの駅前店のショッピングウィンドウを、鏡に見立てていた。
 どうせ風で崩れると知りつつも、癖っ毛の茶色い髪先を指でよじる。通勤用とは違う、外行用の洒落た服装でバッチし決めてきた。
「はあ、緊張してきた」
 有給申請で仕事は丸々休みにしてある。ポケットの財布には諭吉を一枚入れてきた。
 今日は貧乏を忘れて、この金を使い切るつもりで遊ぶつもりだ。
「天野さん、おはようございます」
 後ろから甘く透き通った声がした。
「み、宮藤!? おはよう、いつから居たんだ?」
 ちょいと恥ずかしい所を見られてしまったか。
「今きた所です。天野さん、背高いから、直ぐに気付けました」
 ウィンドウ越しに笑顔を向けられて、俺は振り返る。
 葡萄(ぶどう)の精のような、可愛らしい葡萄色(えびいろ)のゆるふわファッションをした宮藤 咲が立っている。
 深めに被った黄緑のハットは、やはり葡萄のヘタを意識してなのだろうか? どうにせよ似合っている。鼻孔をくすぐるような、香水のフルーティな良い匂いがする。
 近くを行き交う男たちは、香水に誘われてか、一瞬動きを鈍くさせる。ときに、立ち止まり振り返っては、宮藤 咲を見た後に俺を認めて、諦めたように去っていく。
「天野さん? 私の後ろに誰かいるんですか?」
「あいや! なんでもないから、気にすんな」
「……そう、ですか。それであの、私初めてなので、天野さんを頼りにしたいと思っています。よろしくお願いします」
 宮藤 咲は丁寧な会釈をする。
 そんなに畏まらなくてもいいのに。でもこれが、宮藤 咲というお人柄なのだとも思う。
「おうよ。今日は誘いに乗ってくれてありがとよ」
「私も気分転換がしたかったので、ちょうど良かったです。電貧乏神様ともまたお会いできますし」
 宮藤 咲の視線がちらちらと、俺の体に遠慮がちな探りを入れてくる。
「ああ、はいはい。いつものな」
『わしならここじゃよ』
 俺がバッグからウォークマンを取り出すと、すぐに姿を現した。
 それを見た宮藤 咲のテンションが明らかに上がる。
「おはようございます! 電貧乏神様っ。本日も素敵でございます。また一段と大きくなられたようで、ご健勝のことと存じます」
『おはようじゃ。咲も元気そうでなによりじゃな』
「電貧乏神様に心配頂けるだなんて、恐縮の至です!」
 相変わらず態度に温度差のある二人だ。
 だからって片方が一方を嫌っている風ではなくて、電貧乏神なんかは、あくまで自分のペースで接しているといった感じだ。
「お前はこいつがいると、途端に目がハートになるよな」
「神の存在は数あれど、私が一番にお慕い申しているのは電貧乏神様ですから」
 エレベーターに一人閉じ込められた時に電貧乏神様に助けていただいた、たしか宮藤 咲は前にそう語っていたな。
「そだ、今日はお前がこいつを持って歩いたらどうだ?」
「そ、そそ、そんな! 私が電貧乏神様を持って歩くなんて、畏れ多いです!」
「俺は普通にバックの中に入れて歩いてるけど」
「天野さん、不敬です!」
 UNO忘れー、みたく気軽に言わないで欲しい。
「いや、じゃーどうやって運べと? ほれ」
「わわ! 突然渡すなんて、不敬です、よ……」
 手のひらのウォークマンから半身を乗り出す電貧乏神と、宮藤 咲は無言で見つめ合う。
『うぬ? 咲が固まってしもたぞ』
「わ、わわ、ワタシ、ハ、ど、ドド、どうスレバ?」
 なぜか声帯をコンピュータに乗っ取られている。
「歩こうぜ。いつまでもここにいたら、時間が勿体ねぇ」
 目的地は決まっている。ここから徒歩五分の中古店『トレジャーファクトリリー』。ビデオカメラを買ったのはこの店だし、このウォークマンも先週ここで買った物だ。
 ――宮藤 咲は集合地点から一向についてこない。
 生まれたての子鹿のように、伸ばした四肢をぷるぷると震わせている。
「おーい。大丈夫か?」
「へ、平気です。ところであ、天野さん、良ければウォークマンに振動を全く与えずに歩く方法を教えてください。わ、わわ、私の歩行のせいで、電貧乏神様を酔わせてしまいたくありませんっ」
 歩行時の揺れで乗り物酔いを誘発しないかと、本気で心配しているようだ。未だかつて、そういった事例はないというのに。
「忍者にでもならなきゃ無理だろ。こうすりゃ万事解決か?」
「わ、私の電貧乏神様がっ!? ……ぁっ……あぁ……」
 俺がウォークマンを取り上げると、宮藤 咲は愕然としたまま魂のない抜け殻状態になってしまった。
『なあ主、わしはいつから咲のものになったのじゃ?』
 赤子のような純粋な目で、俺に聞いてくれるな電貧乏神よ。
 その後。
 宮藤 咲があまりにも残念がるから、ウォークマンを渡してやった。すると、十秒もしない内に満足したらしく、俺に返してきた。
 貧乏神の押し付け合いなら分かるが、まさか譲り合うことになるなんてな、とか言って笑いながら、気付けば目的地に着いていた。
『到着じゃ! 主よ、約束を果たす時が来たのじゃな!?』
「俺が払える範囲で、かつ、お前のお眼鏡に叶うモンが見つかればいいが」
 俺は電貧乏神に、美味いもんを二つ食わせる約束をしていた。内一つは、先日買ったこの古いウォークマンで手を打った。……かなり高かった。
 今日は残りの約束を果たすべく、やって来ていた。
「このために、強力な助っ人にも来てもらったからな」
「不肖ながら、電貧乏神様のお力になれるよう、精一杯尽くさせていただきます!」
 宮藤 咲はどんと来いと言わんばかりに胸を張り、力強い笑みを湛える。
 ――これは先週、筋貧乏神の事後報告を電話でした時のこと。物のついでで、安くて電貧乏神が気に入りそうな電化製品はないかと、宮藤 咲に相談したことがある。
 そこから会話があれよと弾み、今日という日に、一緒に中古店に行くことに相成ったのだ。
『じゃが、もう何度も来た店じゃし、電化製品コーナーもあらかた物色済みじゃ。新しく入荷した品々に期待はすれど、本当にこの店で良いのか?』
「ふふ、ご安心ください電貧乏神様。天野さんからお話を伺ったところ、大事なポイントが抜け落ちているように思います」
 俺は肩をすくめて、電貧乏神と見合った。それがどこなのかは、俺も教えてもらえていない。
 颯爽と歩く宮藤 咲の後に続いて、俺たちもトレジャーファクトリリーに入店した。
 もはやお決まりとなったBGMを肩で切るようにして、ずんずんと奥に進んでいく。
「宮藤さんや、電化製品エリアを通り越してるぞ?」
「問題ありません。店内のマップは事前に調べて、頭に入れてきています」
 むふふと聞こえてきそうな笑みを浮かべて、尚も進んでいく。
「おっ、ありました!」
「本当にここがお目当ての場所なのか?」
 陶器とか縫いぐるみとかトレーディングカードとか、いわゆる『その他』が置かれた無法地帯エリア。俺が最初に足を運んだ時、チラリと見て「ああ、ここは無いな」と切り捨てた場所だ。
 店内の角も角、奥まった所に宮藤 咲はしゃがみ込む。ガサゴソと、商品の入ったケースを漁り始めた。
「それが、そうなのか?」
「はい。見てください、これなんて如何でしょう?」
 それは古いモデルの、持ち運べるゲーム機のカセットだった。
 スーパーワイリーワールドか、疎い俺でも知っている有名なタイトルだ。
「三百円か、悪くねぇな」
 これで電貧乏神が納得してくれるのなら有難い。
『美味そうには見えぬのぅ』
「ま、そうは問屋が卸さないよな」
「では、こちらは如何ですか? 本体の色褪せ具合やシール部分の擦れ具合、期待できそうですが」
 今度はなんだ? 念力なんちゃら高校なんちゃら、擦れて読めないが、変なタイトルだ。お値段税抜き五百円。
『ほほう。午後のおやつに合いそうなじゃな。どれどれ』
 電貧乏神は興味を惹かれたらしく、ケースの中へと自ら飛び込んでいった。
『これー! これじゃー。わしはこれが良いぞ! 主よ、主よ、これを購入するのじゃ! ……いや待て主よ、こっちの奴も美味そうなのじゃあ!』
 待つも何も、俺は微動だにしていないのだが。
 新しい公園に来た子供のように、目まぐるしい速度でケースの中を右往左往し始めた。
『こっちも良い。こいつも捨てがたい! なんじゃこれ? くんくん、ペロリ……ゲロまずじゃあ! ぺっ! ぺっ!』
「決まったら言えよな」
 俺も宮藤 咲の隣にしゃがむ。
 一つに絞られるまで、もうしばらくかかりそうだ。
『すまぬが咲よ、この下のも調べたい。上のこ〜、どかしてくれぬか?』
 電貧乏神は交通誘導員のような動作をする。
「はい、喜んで。ふふふ」
 まるでショベルカーで運ばれるかのようにして、カセットの山は移動した。
『うっほほ〜!』
「まるでガキだな」
「天野さん。不敬ですよ? ふふふ」
 内心では俺と同じことを考えているじゃないかと勘繰りたくなるほど、口調が甘ったるかった。
 宮藤 咲がアイドルであることを、あまり意識してこなかったが、満面の笑みは流石の可愛さだ。
 って、買い物手伝ってもらっておいて、なにを考えてんだ俺は……。
「――ん?」
 ふと、宮藤 咲がこちらに小首を傾げる。
 じっと見ていたのを不審に思われてしまったか?
「に、にしてもよ、こんな穴場をよく知ってたな」
「私も色んな中古ショップに、足を運んだことがありますから。何が好みか分からず、カセットもケースごと買い取って、貢がせていただいたことがあるんです」
「ケースごとかよ、スケールがでかいな」
 しかも、『カセットも』ということは、他のもの『も』大人買いしたということだ。流石は金持ち。
「子供の思い出が付いている物は特に美味しいそうで、その中の幾つかを、大変に気に入っていただけました。ただ、難点もあるんです」
「そうか? 安くて満足、最高だと思うが」
「サイズが小さいんです。今は電貧乏神様も小さくなられましたが、当時はスナック菓子を摘む感覚で、一週間と経たずに食べてしまわれました」
「たしかに、それは盲点だな」
 だが今回した約束に、物の大きさは含まれていない。電貧乏神も認める美味いものを一つ食わせてやる、それ以上でも以下でもない。
『主よ、わしは決めたぞ! もう心移りはせんのじゃ』
 他を視界に入れないよう目をぎゅっと瞑り、足元のカセットを指している。『ハラハラ水着運動会』、だっさいタイトルだこと。
「っておい、これだけ頭一つ抜けて高いんだが? 千円って……。他はだいたい五百円以下なのに。お前、わざわざ高いのを選んでないか?」
『値段など知らぬ! これが良いのじゃ。約束なのじゃあ』
 くっ。約束を盾にされると俺も弱い。
 買わずにここで食べてしまえば良いのでは? と下衆なことを思い付いたが、非難轟々な気がして言葉を飲み込む。女子の前で提案する内容でもない。
 値段は気にしないようにと思っていても、培った癖は簡単には抜けねぇな。うし、今日は楽しむんだ!
「わかったよ。これでいいんだな。千円に抑えられたと思えば、宮藤に感謝だな」
『うむ。家に帰ってから食べるのが楽しみじゃ』
 果たして、『ハラハラ水着運動会』の寿命はいか程だろうか。宮藤 咲の話を聞いた限りだと、長くは持たなそうだが。
「良い物が買えて、良かったですね! 電貧乏神様」
 店を出たところで宮藤 咲が声を弾ませた。
『わしは満足じゃ』
「私もです。ふふ」
 宮藤 咲のそれは、まるで子供の成長を喜ぶ母親のようだ。
「うっしゃ! 野暮ったい用事も済んだな。こっからは、メインディッシュと洒落込もうじゃねぇか」
「楽しみですね。私初めてなのでちょっと不安です。この格好でも浮いたりしませんか?」
 宮藤 咲はスラリとした身体を捻る。
「たまに居るカップル連れとかは、お前みたいに洒落た服装もいるけど、周りは誰も気にしないよ。観客席は暗めだし、みんな基本的に中央にしか興味ねぇから」
 もうすぐ、東郷 千世の試合が始まる。
 俺はこの日を迎えるために、この一ヶ月生きてきたと言っても過言ではない。
 連敗続きでプロ存続の危機に瀕する東郷 千世は、必ずや今日返り咲く。傍で見てきた俺には確信がある。
 しかもなんと、今回は宮藤 咲が来てくれた。吉兆に違いない。まさか、本当に来てくれるだなんて、感激だ。
 電話の弾みで、断られるだろうことを見越して冗談めかして誘ったのが、受け入れられた。
 宮藤 咲はテレビでライブ映像が流れるくらいだから、アイドル活動も多忙なはず。なのに来てくれたのは、本当に嬉しい。応援は一人でも多い方がいい! そして、応援した人が目の前で勝利するあの感動を、分かち合える喜びよ。
 あぁ、待ち遠しいぜ。
『主よ、歩く速度くらい合わせたらどうじゃ?』
 四、五歩後ろから、宮藤 咲が早足と駆け足を織り交ぜながら付いてきていた。
「わ、悪い。つい気が急っちまって」
「アイドルやってると、自然と足腰も強くなるんですよ? ふふん」
 宮藤 咲は速度を落とした俺の脇を素通りしていく。小さい体に反して、中々逞しいじゃないか。
 駅に着いて、俺は二人分の乗車券を買った。
「ほらよ」
「ありがとうございます。お金、いくらですか?」
 ナチュラルに財布を取り出そうとする宮藤 咲を、俺は慌てて制する。
「要らねぇよ」
「でも、天野さんに悪いです。自分の分は自分で――」
「貧乏人に思われるのが嫌で、ってー訳じゃねぇんだ。ま、それもちょっとはあるけどよ。今日のお前には、俺のゲストでいて欲しいんだわ」
 俺の見栄だけど、本心でもある。貧乏人だって、人をもてなしてもいいだろ?
 宮藤 咲は考え込むように瞬きを数回して、財布を出すのを諦めた。
「わかりました。では、天野さんのご厚意に甘えさせていただきます」
 俺は差し出された小さな手のひらに、乗車券をのせる。
「あんがとよ。絶対楽しませてやるからっ」
「こちらこそです。天野さんの解説に期待します。ふふ」
 宮藤 咲はくすぐったいように笑った。
 電車に揺られること、二駅。さらに五分ほど歩いて会場に到着した。
 俺たちは当日入場券を買おうと、数人の列の最後尾についていた。
 ここに列が出来ること自体珍しい。主だったタイトル戦があるわけでもないし、となるとやはり、一躍名を馳せた東郷 千世の人気の賜物だろうか。だとしたら、スゲェや東郷さん!
『入場券は二人分買うのか?』
 電貧乏神が変な事を訊いてくる。
「ああ、そのつもりだけど。なんでだ?」
『お主は既に前売り券を買っておったろう』
「そうなんですか?」
 宮藤 咲が不思議そうに追従した。
「じゃないと、宮藤と一緒に座れないだろ?」
 前売り券は指定席で、当日券は自由席となっている。
「あ……」
 宮藤 咲はなぜか言葉を失っていた。
『むふふのふ、なのじゃ』
 電貧乏神はしたり顔で周囲を無駄に飛び回る。
 こいつら二人して、急にどうしちまったんだ? 俺は当たり前な事をしているだけなんだが?
「ありがとう、ございます」
「いや、当然だろ」
 離れて座ろうものなら、何しに二人で来たのか分かったもんじゃねぇし。
「あ、お金! ……私、自分の分は払いますよ?」
 控えめに言う宮藤 咲に、俺は小さなため息を返す。
「お前なぁ……。お前が気にすることじゃねぇってば。俺が好きでやってんだから」
「ですけど、最終的に行きたいと言ったのは私ですし。天野さん、余計に二枚買うことになりますよね? 金額も、電車の時とは訳が違います」
 本日の当日券三千円也、という看板を見たのだろう。
「金額の問題じゃねぇよ。俺は、これと決めた好きな物には金は惜しまない。そんだけだ。分かったら、変なやつに絡まれたと思って、素直に受け取ってくれ」
「これと決めた好きなもの……ですか」
 宮藤 咲は呟くように繰り返して、沈黙してしまった。並んでいると時折吹く風が少し寒いのか、頬がほんのりと赤らんでいる。
 当日券で入場すると、中は相変わらずむっとする熱気が漂っていた。
「思ったより野次が凄いんですね」
「圧倒されたか?」
「まさか。熱狂的なアイドルファンの声援に比べれば、可愛いくらいですよ」
「あはは! なら余裕だな」
 とても声援とは言えない口汚い言葉もたまに混じっているけれど、宮藤 咲はそれを聞いてもけろっとしている。
 俺なんかは、最初かなり気圧されたものだ。
「もし辛くなったら、無理せず言ってくれ」
「なにがですか?」
 もはや質問の意味すら分からない、といったご様子だ。場内は結構独特な空気感だと思うが、これなら溶け込むのも早そうだな。
 直に『自由席』と書かれたパイプ椅子に、二人して並んで腰掛けた。
 リングでは、二人の女性ボクサーが睨みを利かせて対峙していた。
「東郷さんの試合はまだまだ先だ」
「うぅ、痛そう……」
 受けも攻めも大雑把で、名勝負とは言い難い。前座試合なのだろう、プロ成り立てが務めることが多い。しっかし、まるで猫の喧嘩を観ているようだ。
 片方の女性ボクサーが鼻から血を出して、一時的なストップがかかる。
「今更だけど、血とか見ても平気か?」
「天野さん、心配してくれるのは嬉しいですけど、私はそんなか弱い女の子じゃないですよ?」
「みてぇだな」
 これ以上気を回したら、俺が馬鹿だと思われてしまいそうだ。
 試合が再開されると、隣から直ぐに「うぅ……」とか「うわぁ痛いですよ」とか嫌悪の声が聴こえてくる。
 俺も似た感じだったなぁ。これでも本人的には、結構楽しんでいたりするもんだ。
 俺は東郷 千世戦の予習を兼ねて、選手の動きを解説していった。
「赤い選手はガードが下がってきてるし、足の動きも悪い。体力的に限界が近いんだと思う。青い方もかなりきてるけど、根性でジャブだけは打ってる感じだな」
「どちらが勝ちそうですか?」
 とかく素人って奴は、勝負の行く末を知りたがる。
「難しい質問だな。お前はどう思うよ」
「え、私ですか? う〜ん……青、ですかね。なんとなく、押してる気がします」
 ただ痛そうに眺めていた宮藤 咲だったが、次第に、青の選手が殴られると身を竦ませて、逆に攻撃するとワクワクした顔をするようになる。
 これこそボクシング観戦のあるべき楽しみ方だと、俺は思う。誘導こそすれ、俺が説明するまでもなく、宮藤 咲は直感的にそれを理解してくれた。
 俺はボクサーの動きから、試合の細かいルールまで、必要に応じて逐一解説していった。
 三試合が終わる頃には、俺の解説がなくても、勝手に観て楽しめるようになっていた。
 次の試合では、いよいよ東郷 千世が登場する。心なしか観客も増えて、空いていた席も次々に埋まっていく。
 俺たちは間に挟まった小休憩で、一旦気持ちを落ち着けていた。
「楽しんでもらえてるようだな」
「はい。天野さんの解説が上手だから楽しいです」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」
「本当のことですから。観てて私が一番良いと思うのは、試合前と後に健闘を讃える行為があることですね。ただの殴り合いじゃないんだって、分かります。プロ……なんだなって」
「あくまでも観客を楽しませるスポーツだからな。俺だって、ただの殴り合いならわざわざ金を払ってまで観たくない」
「人を何かに熱狂させるのって、大変な事なんです。私は攻めた衣装で歌ったり踊ったり、トークでも可愛さを求められますし、SNSでも変な事は書けません。多方面で何年も努力して努力して、やっとファンを獲得できました。でもボクサーの方は、拳一つでこんなに沢山の人を熱狂させて……ちょっとだけ嫉妬しちゃいます」
 愚痴とも取れるが、見方によっては、素直な気持ちを吐露してくれたとも受け取れる。
「アイドルのことはよく知らねぇけどよ、ファンの数ならお前の方が多いんじゃねぇの? ま、平々凡々に生きてる俺からすれば、ファンがいるって時点でスゲェし、尊敬できるけどな」
「天野さんは私のこと、尊敬してくれていますか?」
「そりゃな。アイドルだって立派な職業だろ」
「……そうですか」
 求められた回答をしたつもりだったけど、宮藤 咲は思う所があるらしく、浮かない表情を浮かべた。
「もしアイドルを辞めたら、私は誰からも尊敬されない人になってしまうのでしょうか?」
「いや、そうはならないだろ。なんか、悩んでんのか?」
 宮藤 咲は催眠術が解けたかのように、沈む顔をハッとさせて、慌てたように頭を振る。
「すみません、今ここでする話じゃなかったです。忘れてください」
「話くらいなら聞くけどよ……。でもお前なら、俺よりもっと頼りになる奴沢山いそうだよな、無理に俺に話す必要もねぇか」
「そんなことありません。今抱えてる悩みだって、天野さんしか話せそうな相手いないですし」
「俺にしかって……もしかして、貧乏神関連か?」
「そうと言えば、そうなります。――私、電貧乏神様と再会したくてアイドルになったんです。その夢が叶った今、アイドルを続ける明確な理由がないんです」
 宮藤 咲は淡々と、業務連絡をするみたくに告げた。
「仮に辞めるとしてよ、後悔はないのか?」
「それが、自分でも良く分からないんです。深夜ですがドラマにバラエティ、アイドルとしてやってみたいことは全部やりました。そういう意味では未練はないと思います。でも、言葉でうまく言い表せられないんですけど、辞めることに凄く抵抗があるんです。……もしかしたら、自分が何者でもなくなってしまうのが怖い、臆病風に吹かれているだけなのかもしれません。――私のことですから、きっとそうですね」
 宮藤 咲は寂しそうに自らの胸に手を置いた。
「俺がとやかく言うことじゃないのは確かだけどよ、その言い表せない何かを言い表せられるようになるまでは、続けてみてもいいんじゃないか? だってよ、それで辞めたらモヤモヤが残るだろ」
「たしかに、そうですね。ありがとうございます。天野さんに思い切って打ち明けて、気が少し晴れました!」
 出来の良い営業スマイルだった。
 雑なアドバイスしかしていない。これでちょっとでも悩みを軽くさせられたのなら、良いのだが。
 リング裏の通路から、東郷 千世が登場した。脇を固めるおやっさんと美島 裕子の瞳が、スポットライトを反射して爛々と輝いている。
 よっ! 待ってました! とばかりに、場内がどっと盛り上がる。
「天野さん! あの人がそうですよね? 他の選手には悪いですけど、あの人だけ気迫が全然違います!」
 宮藤 咲は悩みなんて無いかのように、俺の袖をくいっと引っ張っては興奮する。
「おう。お前にも分かるか、あの凄味が。試合ってのは、直近の勝率が近しい者同士で組まされる。最近の東郷さんは負け続きだから、相手もそこまで強くない」
「そうなんですね」
「ああ。だがな、東郷さん本来の実力は、タイトル戦を狙えるくらいにあるんだ。おまけに……くくく」
「な、なんですか? 不気味ですよ」
 宮藤 咲は俺の下卑た笑みに生唾を呑む。
「今日の東郷さんは、かつてない程に仕上がっている!!」
 そう、絶好調なのだ!
 対戦相手には、心からお悔やみ申し上げたい。言ってしまえば、出来レースのようなもの。
 相手には、東郷 千世が華々しい復帰を告げるための踏み台になってもらう。
「くくくっ。くははははははっ! 東郷さあぁん! 勝ってくださいああぁーーーい!」
 俺は他の野次に負けないくらいに、声を張り上げた。
「あっ、今こっちに向かって頷きました! 天野さんの声援、聴こえたみたいですね」
「お前も叫んでみたらどうだよ。一日の間くらいなら、今ある悩みが軽く吹っ飛ぶぞ」
「とても魅力的な話ですが、私は遠慮しておきます」
 一応は身バレを気にしているのだろうか?
「そうか? なら、代わりに俺が――」
 試合は一ラウンド、二ラウンドと進んでいく。
 ステップ、ジャブ、回避、どれ一つ取っても技術力に雲泥の差があった。
 東郷 千世はそれでも一気には攻め込まず、生かさず殺さずの精神で相手の気力を削ぎ落としていく。これこそが東郷 千世の戦闘スタイル。慢心の二文字は存在しない。
 もはや前後不覚となった相手に、おやすみの右アッパーカットがえげつない角度から突き刺さる。
 糸の切れた人形のように、対戦相手はリングの床に倒れた。這い上がる術などない。既に意識は途切れているのだ。
 祝福のゴングが鳴る。試合終了。
 ファンファーレが鳴り響き、大喝采が巻き起こる。殺伐としていたリング上が、お祭り騒ぎの中心点に早変わりだ。
「見たか宮藤!! 東郷 千世、超絶スゲェだろ!?」
「はい……最後まで圧倒的で、凄かったです……」
 宮藤 咲はそれだけ口にすると、茫然とリングを見つめた。筆舌に尽くしがたい感動を噛み締めているのだろう。うんうん、分かるぞその気持ち!
「あの、天野さん、私が一緒していること、東郷さんにお伝えしてあるんですか?」
 宮藤 咲は視線をリングに固定したまま訊いた。
「ああ、知り合いと一緒に応援するって伝えてあるぞ」
「私のこと、詳しくは伝えていないんですね? 私が若い女性であることとか、アイドルのこととか……」
「お前がアイドルかどうかは関係ねぇだろ? 俺は宮藤とこの光景を楽しみたくて、連れてきたんだから」
「私が、アイドルじゃなくてもですか?」
「関係ねぇよ。お前がファミレスの店員でも、どっかの会社のOLでも。――お! 東郷さんこっち見てる! ナイスファイトでーす! 東郷さあぁん! ……ありゃ、違う方向いちまった」
 東郷 千世は色んな方角に向き直り、感謝のガッツポーズを決めていく。観客たちもこれにはご満悦のようだ。
 俺が胸に迫(せ)り上がった熱い想いを冷ましていると、東郷 千世は楽屋へと戻って行ってしまった。
 再びの小休憩の後に、次の試合が行われる予定だ。
「どうする? まだ一試合あるけど、知らん奴の試合だし、観るかどうかはお前に任せるぞ」
「もうお腹一杯になりました。今夜の夢にも出てきそうです」
 宮藤 咲は楽しそうに冗句を飛ばした。
「はは。お前の放つパンチなら、俺だったら幾らでも受け止められそうだ。んじゃ、帰るか」
「はい、帰りましょう」
 学校を終えた学生たちが、家路に就く時間帯になっていた。
「家まで送ってくよ」
「ありがとうございます。でも、マネージャーが気を利かせて、近くに車を待機させているみたいです。もし良ければ、天野さんもご一緒しませんか?」
 互いの家が近い訳じゃないから、単にもう少し話していたいってことなのだろうと思う。いや、俺とではなく、電貧乏神と少しでも長く居たいだけか。
 宮藤 咲には今日一日付き合ってもらったしな。
「そうする。でもオフの日なんだろ? 良く迎えに来てくれたな」
「私のマネージャーは、なにかと私の世話をしたがる人なんです」
 宮藤 咲に案内されて、近くのコンビニまで移動した。
 開けた駐車場の端に、黒塗りのワゴン車が停まっていた。ドアガラスはスモーク仕様で、外から覗けなくなっている。
 たぶん、車ってあれだろうな。
 近くまで行くと、運転席からグレーのスーツを着た背の高い女性が降りてきた。
 三十代前半くらいの歳で、いかにも仕事一筋って感じがする。とにかく姿勢が良い。背中に一本槍が通っている感じだ。鋭さのある切長の目が、固い表情と相まって、気安く近寄れないオーラを放っている。
「簡単に紹介しますね。こちらは天野さん。こちらが私のマネージャーの子守さんです」
「初めまして子守です。天野さんのことは良く聞かされてます」
 子守はビジネス口調で会釈した。
 俺はおざなりの会釈でそれを返す。
「ども、天野です。……聞かされてる?」
 俺は発信者と思しき相手に視線を投げかけた。
 宮藤 咲はなにか言い繕うとした末に、コホンとわざとらしく咳をする。目はどこか泳いでいる。
「な、中に入りませんか? 外で話すには少し寒いです」
 こいつ話を逸らしたな。まあ、陰口叩くような奴じゃないし、気にせんとくか。
 俺と宮藤 咲は後部座席に乗車した。車が安全運転で発進する。
「今日は楽しまれたようですね。咲の顔にそう書いてあります」
 子守がバックミラー越しに話を振った。
「はい、凄かったですボクシング! 人が人を本気で殴るのを、私初めて観ました。映画やドラマとは迫力が全然違うんです!」
「そうですか。それは良い経験をされましたね」
「たしかに……。もっと動きを良く観察しておけば良かったです。そうすれば、私の演技の幅を広げられたかも」
「お前、アクションヒロインにでもなりたいのか?」
 俺は似合ってないと思つつ訊いた。
「私がアクションヒロインやるの、変ですか?」
「変ってわけじゃねぇけど」
 俺が含みある返事をしたのが気に障ったらしく、宮藤 咲は「むぅー」と顔を膨らませた。
「けどー? なんですか?」
「咲はもっとエロ可愛い役が合っていると、私は思います」
「こ、子守さんなんてことを……」
 子守からの援護射撃で、宮藤 咲のふくれっ面は破裂した。
「断ってはおりますが、グラビアのオファーも定期的に舞い込んできています」
「すみません子守さん。いやらしい系のお仕事は、私ちょっと……」
「ですが、下着姿で家を出られたことありますよね? ご自宅前で待機していた私はその時、『この子はそっちの才能もある!!』と、確信致しました。と同時に、親心で心配を覚えました。さすがに、あれは……攻めすぎです」
 おいおい、マジか。色んな意味で、マジか。この人、とんでもない爆弾を投下したぞ。
「あ、あれは違うんです! 寝ぼけていただけなんです! 恥ずかしいので言わないでください」
 宮藤 咲は消え入りそうな声で、消沈した。
「違いますか? そうですね。私も下着姿のエロスより、下着を付けずに出かける何時もの着エロスの方が、咲には合っていると思います」
 上手いこと言い返せず赤面していく宮藤 咲を、子守は返す刀で容赦なく斬りつけていく。斬られた方は……息をしていない。
「えっと。平気か? 宮藤」
「…………はい。天野さんなら、分かってくれますよね?」
 涙袋をうっすらと濡らして、詰め寄るように哀願してくる。
「まあ、一応は」
 失貧乏神の仕業だろう。宮藤 咲が生粋の痴女だとは、俺も思いたくない。
「驚きました。私でも当惑せざるを得ない悪しゅ――変わった趣味を、天野さんはご理解なさるのですね。良かったですね咲、天野さんは良き理解者のようで」
 人の思いを手玉に取るような、それこそ趣味の悪い言い方だった。
「子守さんはSっ気こそ強いですが、仕事に関しては本当に有能で、私のことも我が子のように面倒をみてくれるんです。ああ見えて、素敵な方なんですよ」
 宮藤 咲は俺から不穏な空気を気取ったのか、釈明するように語った。
「そ、そうか。お前も大変なんだな」
 宮藤 咲の仕事の悩みの半分は、子守に起因しているんじゃないかとさえ思える。
 そんな相手にも敬意を払おうとする、宮藤 咲の精神は見上げたものだ。
 不意に、唇が俺の耳元に近づいた。
「子守さんには、神様のことは秘密にしてあります。あえてからかわれるネタを増やしたくないんです」
 こしょこしょと、耳を通して脳みそがくすぐったくなる。
「りょ、了解」
 俺は人知れず身震いしつつ、前を向いたまま小声で返す。
「あの、すみませんが、キスなら人目を憚ってしてください。……お二人はもうお付き合いされているのですか? そういうことは包み隠さず、早い段階で教えて頂けると助かるのですが」
 子守という人は遠慮を知らないようだ。
「宮藤とは友人です。今日だって、一緒に遊んだだけですよ」
 俺は語気を強くして言った。
「そうでしたか。私はてっきり……いえ、これは失礼いたしました」
 子守は意外そうに驚いた。どこかで反省したらしく、お喋りだった口を固く閉ざす。
「子守さんは、元はやり手の経営コンサルトをされていたんです」
 宮藤 咲は暗雲立ち込める車内の空気を変えようとでも思ったのか、明るい調子で話を切り出した。
「どこかでアイドルの卵だった私を知ったらしく、今までのキャリアを棒に振ってまで、私のマネージャーをしたいと申し出てくれたんです。――そうでしたよね、子守さん」
「ええ。結論から述べると、私の目に狂いはありませんでした」
 堅実そうに見えて、その実、随分と思い切りの良いことするもんだな、この人は。
「新人とも言えない未熟な私のために、何処からともなく仕事を見つけてくださって。今の私があるのも、子守さんの支えがあってこそです」
「私は仕事の切っ掛けを幾つか作ったに過ぎませんよ。咲の姿勢と人柄が、数少ないチャンスを確実にものにしていったんです。これは色眼鏡で言うのでなく、客観的事実です」
「子守さん、いつもありがとうございます」
「私はマネージャーとして、当然のことをしているまでです」
 子守の口調は冷ややかだが、その根底にはじんわりとした温かみを感じる。
 いつの間にか車内は、暖かい春風が吹き抜けた後のような、しんみりとした空気になっていた。
 どうやら二人は、俺が心配するような酷い仲ではないらしい。
 思えば、子守が着るべきを身に付けず外出する宮藤 咲をからかうのも、他の場所で恥を掻かないよう事前にフォローしているからこそ言えることだ。
 宮藤 咲は子守が居なければ、アイドルどころか私生活すらままならないのではないだろうか。
「着きました」
 車が停車して後部座席のドアが自動で開く。
 宮藤 咲が先に出て、俺も出ようかと腰を上げたところで、声をかけられる。
「先程の私の言動で不快な思いをさせてしまったのなら謝ります。今後とも、咲のことをよろしくしてやってあげてください」
「あー……。良くしてもらってるのは、俺の方ですよ」
 謙遜でもなんでもなく、本心からそう思う。
「今日だって、買い物で助けられたし」
 今日に限らず、出会った日も、東郷 千世の件も、こいつには世話になりっぱなしだ。
 俺が車から降りると、運転席の窓が開いて子守が顔を出した。
「では咲、私はこれで帰ります。また明日迎えにきます」
「はい、また明日です。送り迎えありがとうございました」
 宮藤 咲に手を振られて、黒塗りのワゴン車は走り去った。
 送りってことは、集合場所に来る時も子守の車に乗ってきていたのか。
「癖は強かったけど、まあ良い人じゃねぇか」
「ですね。サディスティックな性格がなければ、完璧なんですけど」
「それは完璧とは言わねぇだろ」
 宮藤 咲は可笑しそうにふふふと笑う。
 楽しそうに悪態をつくあたり、そんな子守の困った一面も、日々のスパイスとして受け入れているんじゃないかと思える。
「俺も別れる前に、お前に渡しておきたいもんがあるんだ」
「え? なんでしょう。プレゼント、ですか?」
「ま、そんなとこだ」
 俺はバッグから小物の入った紙の包装紙を取り出す。
 まるで俺が目の前で奇術を行ったかのように、宮藤 咲は驚嘆した。
「いつ買われたんです? 一緒にいたのに気付きませんでした」
「今日のために前もって買っておいたんだよ。気に入ってもらえるといいんだが」
「とても嬉しいです」
 その台詞は中身を確かめた後にも、ぜひに聞きたいものだ。
 俺はプレゼントを手渡した。
「ここで開けても良いですか?」
「ああ、開けてくれ」
「……キーホルダー、ですか」
 宮藤 咲は銀色の輪っか状の金具を摘み上げ、そこから吊るされたキャラクターに目を丸めている。
「分かんねぇかな? それはな、東郷さんをアニメ風にデフォルメしたキャラなんだ。ほら、右肩のとこに黒い点が付いてるだろ? それがなにか分かるか?」
「えっ……と。なんでしょう?」
「くぅー! ホクロなんだなぁこれが! デフォルメされたからこそ際立つディティールよ! グローブの質感も堪んねぇし。目にははち切れんばかりの闘気が宿ってる。踵が軽く浮いて脚がハの字になってるだろ?」
「……なってますね」
「それはな、必殺のアッパーを放つ直前の東郷さん特有の構えなんだ。こんだけ愛が詰まっていて、たったの八百円ってヤバいだろ? ちなみに俺も持ってるんだぜ」
 バッグに取り付けてあるのを見せつける。
「俺のは相手のパンチを優雅に避ける東郷さん。こっちのにも強いこだわりが感じられてな」
「ふふ。天野さんは、本当に東郷さんのことが好きなんですね」
「好きっつーか、憧れだな。俺もいつか東郷さんみたくなりたいって、そう思うと辛い時でも踏ん張れるんだ」
「これ、ありがとうございます。大切にします」
「ああ。でも無理に付ける必要はねぇからな。今日の記念に持っていてもらえれば、それでさ」
 東郷 千世の素晴らしさを一人の女性に教えることができた、これだけで俺は感無量だ。
「今日はありがとうな。そろそろ俺も帰るわ」
「あの! 良かったら上がっていきませんか? お茶菓子もありますよ」
 一日の活動を終えるには、まだ少し早い時間帯。俺に用はないけれど、宮藤 咲がそう言うのであれば。
「空っぽの茶飲みは勘弁だぞ?」
「あぅ。出したら直ぐに確認してください。もし無いようなら、私の茶飲みをお渡ししますので」
「いいよいいよ、冗談だから。ははは」
「……もぅ」
 宮藤 咲はからかわれたのだと分かって、ほっとする。ポケットから鍵を取り出して、車両兼用の鉄門扉に差し込み、捻る。
「そいや、家族は家にいんのか? 前来た時は見掛けなかったけどよ、やっぱ挨拶とかした方がいいのか? 俺、こういう家のしきたりとか分からなくてよ」
「親はいないので、大丈夫ですよ」
「そうか」
 親はいない。どういう意味だろうか……。深掘りしない方が良いのか。
「ん? ……違います違いますっ。共働きなんです、昔から。父はバリバリのサラリーマンで、母は学校の理事長をしています。だから私、小学生の頃から俗に言う鍵っ子なんです」
 宮藤 咲は憂いのない顔で使ったばかりの鍵を掲げる。
「驚かせるなよ。――それって、寂しくはなかったのか?」
「なかったと思います。中学生の頃まではアイドルに夢中でしたし。自慢じゃないですけど、こう見えて私、結構友達は多かったですから。ふふん」
 自慢じゃないと言うけれど、高くした鼻は、どう見ても自慢気じゃないか。
 もしかしたら、昔の楽しかった出来事を思い出しているのかもしれない。
「あっ、れ? 私、なにを?」
「急に立ち止まって、どうした?」
 宮藤 咲の手から鍵が地面へと滑り落ちた。心ここに在らずで、視線を彷徨わせている。まるでボケた老人のよう。
「あ、ああ……天野さん。あ! 鍵っ!? 開けて、入って……ポケットに無い!? そんな、どこにいったんだろう?」
 宮藤 咲はぼやきながら自身の衣服を必死に探る。もちろんそこに鍵はない。鍵はそこより下、足元に見える形で落ちている。
 だけれども。
「すみません天野さん。私が鍵をどうしたか、ご存知ありませんか? 敷地に入っているってことは、使ったはずなんですけど」
 ほんの数秒前に使った記憶すら朧気だというのか。原因はなんとなく、察しが付くが。
「こいつのことか」
 俺は鍵を拾って手渡した。
「そんなところに!? ありがとうございます、助かりました」
「良くあることなのか?」
「あはは……たまに。でも、忘れても一日もすると思い出せるので、なんとかなってます」
 宮藤 咲は、何でもないかのように笑顔で誤魔化そうとする。鈍い俺にも見透かせる程の、質の低いから元気だった。
『主らよ、今日は存分に楽しんだろう? すまぬがわしはもう帰りたい』
「しばらく静かにしていたと思ったら……お前はハラハラ水着運動会を食べたいだけだろ?」
 俺のツッコミに被せるように、遠くから癪に触る高笑いが近づいて来る。
『カァーハッハッハッハッハ! カァーハッハッハッハー!』
「失貧乏神様、お留守番ありがとうございます。ただいま帰りました」
『咲ちゃんおかえり! 電貧乏神ちゃんもおかえり!』
 相変わらず覇気が強い。近くにいるだけで頭がキンキンと痛くなる。
『変わった鳥が鳴いていると思えば、お主だったか。わしらは立ち寄っただけじゃ。すぐにでも帰る』
『かえる、と言えば……もうすぐ楓を愛でて楽しめる季節になる! 今年も紅葉が楽しみだっ! 桜も良いが、俺様は楓が大好きだ!!』
 体をいっぱいに広げての、全身から音を発しているんじゃないかと思える大ボリューム。
『それは良かったの。主よ、帰るぞ』
 浮遊した電貧乏神が、怠そうに俺の頬をペチペチと叩く。
 俺も、明日は仕事あるし、失貧乏神のせいで疲れを残すのは御免被りたい。
「悪い宮藤、電貧乏神もこう言ってるし、やっぱ帰るわ」
「分かりました。もし良かったら、また誘ってください、天野さん」
「もちろんだ! そうか、また観に行きたいって思ってくれたか。たぶん一ヶ月後くらいになるけど、対戦が決まったら必ず連絡する」
 俺は罪深い人間だ。何も知らなかった宮藤 咲に、東郷 千世の魅力を気付かせてしまったのだからなっ。あはは!
「楽しみにしてます。でも、ボクシング以外でも……」
「え?」
「いえ、なんでもないです! 東郷さんの試合、楽しみにしてますね!」
『帰ることはない。ゆっくりしていくと良い。なんなら俺様が、直々にもてなしてやろう! って、なぜ背を向けて歩きだす!? ときに咲ちゃん、夕飯は何かな? 俺様は猛烈に焼き魚が食べたい気分だ!!』
 宮藤 咲には申し訳ないけれど、俺は心で耳に栓をして逃げた。失貧乏神のウザさから、とにかく逃げた。
 家路でコンビニに寄った。
 部屋に着くと、早速電貧乏神が『ハラハラ水着運動会』に齧り付いた。
『おっほほ〜。うっうっ、うみゃうみゃ! …………うっうっ、うみゃうみゃ、ふぅ!』
「なんかの歌か?」
 俺は菓子パンを食べながら暇潰しに聞いてみた。
『うむ。俊樹が、こ〜手で耳を作って踊りながら、歌っとったのじゃ。うっうっ、うみゃうみゃ、ふぅ!』
 聞かなきゃ良かった……。人生に要らん知識を得てしまった。


 翌日、一世一代の大事件が起きた。
 仕事から帰って、洗面台で寝る前の歯磨きをしていた時のこと。
『主よ、こっちに来てテレビを観てみるのじゃ』
 まーた始まったよ。
 テレビから聞こえてくるのは、いつものアイドル系番組で多用されている効果音。観に行ったら最後、電貧乏神によるジュゲムにも似た理解し難い言葉の数々が待ち受けている。
『主よ、早よ来んか! 主が映っておるぞ』
「んが?」
 歯を磨く時は口を閉じる派の俺の口が、勝手に開いた。
 なにかの冗談だろ? そう思いながらも、早々に口を濯いでテレビの前に急ぐ。
 番組の一コーナーである『今日の気になるアイドルNEWS☆』がやっているところで、宮藤 咲改めサフジキミヤのライブ写真がアップで表示されている。
 カラフルな衣装のアホっぽいおっさんが、適当なことを喋りだす。
「いや〜まさかサフジキミヤさんも、こうなりますか〜。最近多いですね〜、アイドルの熱愛発覚。僕としては、若い子が恋に現を抜かすのは悪いことではないと思うんですけどね、ファンからしたら突然の報道で溜まったものじゃないでしょうね〜」
「あいつ、彼氏いたのか?」
 なら言ってくれれば良いのに。流石の俺も気を利かして、遊びに誘ったりしなかったのに。というか、良くそれで誘いに乗ってくれたな。
 いや、あれ? じゃあなんで子守は俺と宮藤 咲が付き合ってるかどうか聞いてきた? 宮藤 咲に彼氏がいるのを知らなかったのか? うーん?
 次から次へと、頭にハテナが浮かんでくる。
『ほれ主じゃ』
 画面が切り替わった瞬間、俺の抱えていたハテナは大爆発して弾け飛んだ。
「俺だ!」
 昨日待ち合わせて会った駅前の光景が、一枚の写真に収められていた。俺の頭部はモザイク処理がなされているが、服装や背格好からしても見間違いでないと分かる。
 便宜上『A氏』となっている。天野の頭文字を取ったのだろう。
「でも、熱愛と言っても、まだ憶測の域を出ませんよね」
 大きなディスプレイを挟んで、バーにありそうなカウンターチェアに座るイケメン三人衆の一人が、冷静にコメントした。
『俊樹じゃ俊樹ぃ! 良いこと言うのぅ俊樹は』
「俊樹はいいから、少し黙っていてくれ」
 テーブルの上で、カヌーみたく下半身をリモコンと同化させる電貧乏神を、逆端にまで遠ざける。
『むぅ。そんなに近付いたら、わしの俊樹が観れんではないかぁ』
 俺はテレビに齧り付いていた。
「そう思いたい気持ちも分からんではないですよ、そりゃ僕だってアイドルたるもの清純でいてほしいですもん。ははは。でもさ〜、一緒に買い物を楽しんで、一緒にボクシングまで観戦しちゃって、あまつさえサフジキミヤさん宅前でプレゼント渡してですよ、終いには家に入って行っちゃうんですよ? これを友だちで納得するのは難しいんじゃないかな〜……ってー、僕なんかは思いますけどね」
 そんなことまで知られているのか!?
 背筋にぞわぞわとした恐怖が駆け抜けた。足元の畳が溶けて沼地になったかのように、感覚がぐら付く。
『主よ、気を強く持つのじゃ』
 無気力に尻餅をついた俺に、電貧乏神が何か言っている。けれど、耳に入ってこない。
 現実感のないまま、目の前ではテレビのニュースが進行していく。
「俺にも仲の良い女性友だちいますよ。一緒に映画観たりカラオケ行ったり」
「あははー、なら俊樹君も気をつけた方がいいかもね〜。例え誤解だとしても、騒ぎ立てるのがニュースってもんだから、僕みたいに。ははは〜」
 全然笑えねぇよこの変態オヤジ!! だいたい家に入ったっつっても、すぐに出たっての! そういう肝心なところはまるで報道されない。虚飾まみれのインチキ報道だ。
「実は俺彼女――サフジキミヤさんと一度お仕事をご一緒させて頂いたことがあるんです。その時の印象は、誠実で真面目でとても謙虚で、ファンの気持ちを裏切るような子ではないと感じましたよ」
 俊樹ぃ〜、お前ってやつは最高かよ!? 今なら電貧乏神の気持ちが分かる気がするぞ。見れば見るほど、なんて男前なんだ!
「そう言う子に限って、ってーやつですかね? 細身なフリして脱いだら凄いんです、私……みたいな。ちょっと違う? ははは。ままいいや。でもさ俊樹君、サフジキミヤさんはこの日入れていた仕事を休んでるんですよ? それは誠実さとは真逆じゃない? 以前には急遽休んだ時があったらしくて、噂ではその日も彼と密会してたんじゃ〜みたいな言われてますけど、こっちの方は擁護できないでしょう」
 休んだ日付とその日の仕事内容が、テロップで表示される。
「……これ、俺が視現書を取りに行った日だ。たしか前日の夜に電話して、翌日に会えることになって、俺も急いでいたから運が良かったー、って思ってたけど、そんな……」
 プツン、とテレビの画面が暗転した。音もしなくなる。
「あ、あれ? 消えた?」
『これ以上は目に余る。俊樹を愛でる気分も失せてしもうたわ』
 電貧乏神はリモコンの電源ボタンに指を伸ばしていた。物理的に触れることはなく、指先は貫通している。
「電貧乏神……俺は、どうすりゃいい?」
『お主がすべき事は至ってシンプルじゃ。息を吸って、息を吐く。今ここで慌てたところで、どうにかなる問題でもなかろう』
「そうは言ってもよ、アイドルにとってスキャンダルって、大敵みてぇなもんだろ? その辺は、お前だって詳しいはずだろ。なのに落ち着けって? 無茶言うな」
 気が立って仕方なかった。狭い和室をぐるぐると歩く。ともすると窓を開けて叫んでしまいたくなる。
 テレビ馬鹿野郎! ニュースの馬鹿野郎! 適当なことばっか言ってんじゃねぇ!
 俺なんてまだ良い、仮名扱いされてるし、実害も少ない。
「そうだ、宮藤はどうしてる?」
 ダムに生じた僅かな亀裂のように、思考が巡るととめどない不安がどっと押し寄せた。
 俺は家の受話器を手に、番号を押していく。
「頼む」
 なんの願掛けなのか、そう呟くことしか出来ない。
「お客様のお掛けになった電話番号は、ただいま混み合っているため繋がりません。時間を空けてからもう一度――」
 そこまで自動音声を聞いて、受話器を戻す。
「繋がらねぇ」
 夜の十一時を回ろうかという時間帯で、誰かと通話中? スキャンダルの対応に追われているのか。
「俺がもっと周囲に気を張っていれば」
『過ぎたことを悔いても意味がない。お主が思っておるほど、事態が深刻とも限らんぞ』
「お前はやけに落ち着いてるな」
 こっちは人様の人生を台無しにしちまったかもと、気が気じゃねぇってのに。
 菩薩のように平静さを保つ電貧乏神に、俺が恨み節をぶつけていると、固定電話が鳴った。小さなディスプレイには『宮藤 咲』と表示されている。
「もしもし! 宮藤、今テレビで観たんだが、そっちは大丈夫か?」
「天野さん、ご心配お掛けしてすみませんでした。私は問題ありません。天野さんの方こそ、こんな形でニュースになってしまいすみません」
 声はいつもの宮藤 咲だ。
「俺のことはどうだっていい。お前はどうなんだ? アイドル活動に支障が出たりとか」
「ふふ。アイドルにスキャンダルは付き物ですよ。子守さんなんて、『これで咲にも箔がつきましたね』なんて軽口を言ってくるくらいです」
 子守はこんな時にもふざけた事を言うのか。もっと真面目に考えて対応するのが、あんたの仕事じゃないのかよ。
 当の宮藤 咲はなぜか浮かれてるし。俺がおかしいのか?
『炎上商法というやつじゃの』
 電貧乏神は知った事を言いながら、電話を勝手にスピーカーモードに切り替えた。
「電貧乏神様っ! 私事で夜分遅くにご心配お掛けてして、申し訳ございません」
『気にするでない』
「んなことより、なんだよ……炎上商法? 格ゲーの必殺技名じゃねぇんだよな?」
 俺は呆気に取られつつ訊いた。二人が落ち着いているのも、なにか理由があるらしい。
『秘技! 炎上商法! うーむ、響きは悪ぅないが、字面が致命的に弱そうじゃ』
「……おい」
『コホン! 炎上商法というのはのぅ、とにかく世論を騒がせて認知度を上げようという遣り口じゃ。今回はこちらの意図せずそうなったが、必ずしも悪い側面だけではない、ということじゃ』
 ピンチをチャンスに変える、的な意味だろうか。
「でもよ、俺と宮藤が付き合ってるなんてデマもいいとこだが、これに踊らされるファンはガッカリするじゃねぇか?」
『主はファン心理というものを、なにも分かっとらんようじゃな。よいか。コアなファンはな、咲が認めん限り熱愛なんぞ認めん、絶対に認めんのじゃあ!』
 人格が変わったかのような、鬼気迫る叫びだった。
「な、なんでそこまで言い切れる」
『ソースはわしじゃー。俊樹に熱愛が発覚しても、俊樹が認めぬ限りわしは認めぬぞぉ! 限りなく黒に近くとも、一縷の望みを信じるものなのじゃ。それこそがモノホンのファンなのじゃあ』
 一理あるのかも知れない。
「でもああもう、お前が言うと説得力があんのか無いのか、分かり難いんだよ」
 電話機器から「ふふふ」と笑う声がする。
「天野さん。神様は皆、人の願いや想いを離れていても糧にすることができるんです。言ってしまえば、人の人気に敏(さと)いアイドルに通ずるところがあります。その電貧乏神様がこう仰るんです、信じて良いと思います」
「宮藤が言うんなら、そうなのか」
 アイドルは信仰に似ている。ファンの期待や願望を一方的に押し付けられる存在。ファンにとって不都合な情報は、決定的な証拠や証言がない限り、いくらでも歪められて認知される。
 仮に、東郷 千世の黒い噂が流れたとしても、俺は最後の最後まで信じない自信がある。と、つまりはそういうことか。
『むぅ、なんぞわしの言葉は信じてもらえんのか…………。さらに言えば、一般層で好き勝手話題に出るじゃろうが、そういう興味は七十五日もすれば忘れられると相場は決まっておる。熱愛が事実なら話も変わろうが、事実無根なのであろう?』
「当たり前だ。俺と宮藤はそういう関係じゃねぇから」
「一応、事務所を通して火消しを行う予定です。残念ですが、私たちが会うのはすこし控えましょう。活動も自粛することになりますが、今の私にはちょうど良い機会とも思います」
 既に方針は決まっているらしい。しかし、自粛がちょうど良いとは、皮肉な話しだ。
 モチベーションの維持に悩んでいたようだが、今回の件がトドメにならなければ良いけれど。
「天野さん、電話戴けて嬉しかったです。夜も遅いので、もう切りますね」
「とりあえず俺も安心できて良かった。俺も他人事じゃないからよ、何かあったら教えてくれよな」
「はい。お休みなさい」
「おやすみ」
 電話を終える。まるで散らばっていた平常心が再集結して、胸中で確かな塊になっていくような実感がある。
「なんとかなった、のか」


 二日、四日、と時は平穏無事に流れていった。
 宮藤 咲の事務所が短文で熱愛を否定して、世の中を憶測が飛び交ったが、その勢いは次第に弱まり、もはや下火になりつつある。
 もともと『電脳妹系アイドル――サフジキミヤ』のターゲットファン層は、狭く深くがコンセプトにあるらしく、その団結力たるや強固で揺るぎのないものだった。
『一部のファンは未だに嘆いとるようじゃが、そんなのは俄じゃ、俄か。残念ではあるが、遅かれ早かれ離れていくようなファンは、この場で捨て置けば良いのじゃ』
 見ず知らずの相手に対して、辛辣な言いようだ。だけど世の中は案外と、そうして回っているのかも知れない。
 乾いた風がすっかり秋の気配を纏うようになった、そんなとある昼下がり。
 たまのオフ日を寝て過ごそうと計画していた俺の元に、電話が掛かってきた。非通知だ。
「もしもし天野です。どちら様でしょうか」
「……わ、わかれてよぉ」
 荒い鼻息が気持ち悪い、若い女性と思しき声だった。
「はい?」
「あなたですよね、分かってるんです。咲と別れてよ」
 抑揚の定まらない声は、脈絡もなくそう告げた。
 気味が悪い……。突然で無礼だし、なんなんだこの女は。
「いたずらなら切るぞ?」
「いたずらじゃない!! いたずらはあなたの方でしょ? 咲の大切な時間を奪わないでよ!」
 俺は思わず受話器を遠ざける。なんつー大声だしやがる!
「あんたは誰なんだ、宮藤のファンか?」
「ゆかりが誰かなんてどうだっていい。話を逸らさないでよ! 咲の一番のファンはゆかりなの。咲のファン第一号はゆかりなんだから。お願い、出てよ咲……。自主謹慎で家にいるの、ゆかりは知ってるんだから。こんな男と一緒にいたら、咲が駄目になっちゃう。出てよ、出て出て、別れて別れて別れてっ、お願いだからゆかりの言う事を信じてよぉ」
 独り善がりな女の意識は、俺以外のものに注がれているようだった。電話越しの声が遠いいし、インターフォンを連打しているような、不気味なチャイムの効果音が間断なく聴こえてくる。
 困惑する俺を置き去りにするように、電話は切られた。
「なんだったんだ?」
 怒りにも勝る不吉な感覚は、むしろ電話を切った後の方が強まっていった。虫の知らせより確かな直感が、頭の中で大音量の警鐘を鳴らす。
 なにか取り返しのつかない事が、遠くで起ころうしている。
 と、またも電話が鳴った。今度は宮藤 咲からだ。
「もしもし。俺だけど、どうかしたか?」
「あ、天野さん……」
 雷に怯える子供のような声で、俺の名を呼んだ。これだけで尋常ではないと分かる。
 謎の女との通話で聴こえたインターフォンの音が、宮藤 咲との通話からも聴こえてくる。
 もはや疑いようもない。宮藤 咲は頭のいかれた自称ファンの女から、攻撃を受けている!
「すぐに行く! 待ってろ!」
「……はい」
 電話を切ってすぐ、その辺のジャンバーを引っ掴み、役に立つか分からんが、オタ芸に励む電貧乏神をウォークマンごと掻っ攫う。
『なんじゃなんじゃ! なにが起こった』
「わからねぇけど、宮藤が危ない」
 俺は急いで家を出た。
 東郷 千世と朝ランをしてきた成果がここで表れた。
 チャリで駅まで全力で行き、駅からもどかしい思いで電車に揺られ、そこからダッシュで宮藤家に向かった。
 時間にして三十分は経過していたと思う。
 宮藤家のインターフォン前で、青いレインコートを頭から被った小柄な不審者が立っていた。
 インターフォンこそ押していないが、他に何をするでもなく亡霊のように、門の隙間から宮藤家を仰いでいる。
 俺が警戒しながらも足早に近付くと、そいつはゆっくりとこっちを向いた。
「お前がゆかりか?」
 俺は万が一の距離を空けて尋ねた。
 若い女の顔が窺える。その表情は俺を認めると、般若の如く烈火に染まっていった。
 こいつがゆかりだ!
「ふごぉーーーー!?」
 ゆかりは警笛のような奇声を上げ、覚束ない助走で一心不乱に駆けてくる。体当たりでも仕掛けてきそうな勢いだ。いや、頭を下げているから頭突きの構えだろうか。
「刺し違えてでも、刺し違えてでもぉおおおお!!」
「う、うおっ!」
 俺は咄嗟に伸ばした両手で、ゆかりの両肩を受け止めた。――拍子抜けするほどに、軽い。
「はなせぇ、ゆかりを離せぇ! あなたが居るから、咲に悪評が立つんだあ」
「あ、暴れるな」
 ブンブンと振り回されるゆかりの腕は、ことごとく空を切った。
「うわああぁ〜ん! どうして咲はこんな男に。どうしてなの咲ぃ。うああーん!」
己の身体スペックでは俺に有効打を与えられないと悟ったのか、ゆかりは泣き崩れるようにして、地べたにへたり込んだ。
 恥も外聞もない、というか、周りの物が視界に入っていない感じだ。
 俺はその幼気(いたいけ)な様に、半分呆れてしまった。
「なにがしたいんだよ、あんた」
「うぅ。お願いします、これで手を引いてください。咲のためなんです」
 ゆかりは地面に平伏しながら、レインコートから茶封筒を取り出して、俺に差し出すように置いた。茶封筒は意味深げに膨らんでいる。
「五十万あります。ゆかりが咲のために、汗水垂らして貯めたお金です」
「ふざけるのも大概にしろよ。そんな金、受け取れるわけねぇだろ」
「そこをなんとか!」
 小動物のような機敏さで、俺の足に抱きついてくる。
「なにすんだ!」
「あなた貧乏なんでしょ!? お金、欲しいでしょ? 五十万じゃ足りませんか? 後で幾らでも追加融資しますからっ! 今すぐ咲と別れてよぉ」
 捲し立てながら、俺の体を這うようにして顔を近づけて来る。
 涙で濡らした目と視線がかち合った。真っ赤にした顔の右頬の下辺りに、深い切り傷のような醜い痕がある。顔立ちだけなら整っていて、美人と称して差し支えないほどだった。
「すこしはこっちの話も聞けって」
 俺は力で強引に引き離す。
 押されて後ずさったゆかりは、しょげ返った表情を浮かべている。
「うぅ。ぐすん」
 そして、所在無さげに鼻をすすった。
 ゆかりについて最低限分かったことがある。どうやらこいつは、宮藤 咲に対して悪意を持っているわけではないらしい。
 俺は地面の茶封筒を拾って返す。
 力に物を言わせて撃退するのは簡単だけど、また同じような事が起こるなら意味がない。
「話しがあるんなら、聞いてやろうか?」
 ゆかりは静かに頷いた。
 取り敢えずの停戦協定が結ばれた、と思っても良いだろう。
 たしか、ここへ来る途中にファミレスがあったな。東郷 千世との待ち合わせに使う店の、チェーン店だ。あそこなら落ち着いて話ができる、少なくとも俺は。
「と、その前に宮藤に状況を伝えておかねぇとな」
 なんとはなしに宮藤家を見上げると、二階の窓から宮藤 咲がこちらの動向を窺っているのが見えた。とは言っても、壁が阻害していて、長身の俺の頭くらいしか見えていないだろう。
 俺が手を振ると、安堵したように手を振り返してくる。
「咲? 咲がいるの!?」
 ゆかりはその場で跳んだが、それでもまだ壁の方が高い。
「とてもじゃねぇが、お前とは会わせられねぇよ」
「うぅ」
 しっかし、ゆかりの顔をどこかで見た覚えがある気がするのは、俺の気のせいだろうか?


 晴れの日にレインコートを頭から被ったままのゆかりと、入店する。お陰で俺まで奇異な目で見られたが、今は些細なことだ。
 店のテーブル席に着いて、近くを通った店員にアイスティーを二つ注文した。
「あんた、宮藤のファンってことでいいんだよな?」
「ただのファンと一緒にしないでよ。ゆかりはファン一号なんだからっ」
 来る途中で泣き止んだかと思ったら、今度は膨れっ面だ。
 その自惚が、宮藤 咲が俺にSOSを送るほど怖がらせたという自省はないのだろうか。
「まず言っておくが、俺と宮藤はメディアが騒いでいるような関係じゃないからな」
「それ、ダウトです! 仲良く朝から買い物して、ボクシング観て、咲の家に入って行ったの、ゆかりは知ってるんだから」
 まんまニュースに踊らされてやがる。まあ、事実ではあるんだけど。
「それはだな、友人として遊んでただけで――」
「それをデートと呼ばずして、なんて言うんですか!?」
 まるで検察官が被告に詰め寄るように、ゆかりは食い気味に詰問してくる。それに対して、俺には異議が有る。
 が、デート云々については水掛論になるだけな気がしてやめた。言葉尻なんてどうだっていいことだ。
「俺は宮藤をそう言う目で見てないし、宮藤だってそうは思ってないはずだ」
「あくまでも白(しら)を切るんですね」
「白もなにも、本当のことだからな」
 つーか、どうして俺がいつまでも責め立てられてる側なんだろう。……逆じゃね?
「お前が宮藤のことを想っているのは分かったけど、こんなやり方は逆効果だからもうやめてくれ」
「うっ。ゆかりは咲のことを想って……」
「お前がストーカーとして逮捕されでもしたら、またメディアが好き勝手なこと言って、宮藤の評判を落とそうとするんじゃねぇのか?」
 俺の問い掛けに、ゆかりは気まずそうに黙した。
 ちょうど良い間でアイスティーが届いたので、ゆかりにも一つ渡してやる。
「ファン一号って言うけどよ、いつからファンなんだ?」
 俺はゆかりを刺激しないよう、できるだけ穏やかに聞いてみた。
「昔からだよ。ゆかりは、中学の全学年で咲とは同じクラスだったの。それだけじゃないよ。ゆかりと咲は、アイドル好きという共通の趣味を持った親友だったの。……なのに」
 ゆかりは苦い過去の記憶を噛みつぶすかのように、ぽつぽつと語り始める。
「咲はゆかりのこと、知らない子のように振る舞い出したの。クリッとした可愛い目で、誰ですかって惚(とぼ)け顔で言われた時、ゆかりがどれほど辛く恐ろしかったか」
「思い出した!」
「わ!?」
 宮藤 咲の部屋に飾ってあった写真の女の子と、目の前のゆかりの容姿が重なってゆく。
 ただ、今のゆかりの方が幾分か大人びており、写真の方には顔に目立つ傷は無かったけど。
「急になんですか、びっくりするじゃないですか! 折角ゆかりが心の傷を抉る思いで話してたのに。あなたの家の冷蔵庫の中身とか興味ないですよ。適当に、腐った卵とか入ってるんじゃないですか」
「俺が思い出したのは、んなことじゃねぇ! 腐った卵も置いてねぇし。――お前、昔に宮藤と映画の試写会行って、アイドルと一緒に写真を撮った覚えはないか?」
「え、怖い。エスパーですか? 長期間付き纏ってるストーカーですか? 普通にホラーなんで、やめてもらって良いですか?」
「お前にだけはストーカー言われたくねぇんだけど。その反応からすると、図星みてぇだな」
 話をしていると、裏で失貧乏神の存在がちらついてならない。
 こんな芸当ができるのは、あいつしかいない。
「なあ、その話し詳しく聞かせてくれないか?」
「どうしてあなたに咲のプライベート情報を、教えないといけないんですか」
 もっともな主張だ。
 でもお前、さっきまで疑問を抱かず話してくれてたじゃん。こっちが要求するとなんにでも反抗してくるタイプか? 面倒くさい。
 ゆかりは不服そうにアイスティーのストローに口を付けると、「あっ、これ美味いやつ!」と打って変わって破顔する。
 そして丸みを帯びた耳を、アンテナのようにぴこぴこと微動させた。
「お店の名前、なんて言ったっけ?」
「サイツゥエリアだ。んなこと今はいいだろ……」
「ああそれだ。変な名前。でも昔に咲と来たことある。安いんだよね〜。懐かしい」
「無理に話をさせるつもりはねぇけどよ。あいつモチベーションで悩んでるみたいだったから、なにかアドバイスになるヒントでもと――」
 ガタッ、とテーブルが揺れた。
 見ると、ゆかりがアイスティーを飲むポーズのまま、瞳を潤ませている。次第に、いく筋もの涙が目尻から溢れ出していく。
「嘘、だよね。咲、アイドルやめないよね?」
「そりゃ俺だって続けて欲しいと思うけどよ、最終的にどうするか決めるのは本人だからなぁ」
「やだ。アイドルをやってない咲のいる世界なんて、生きてても面白くない。うぅ」
 泣くのを堪えているようで、でもやっぱり涙は止まらないようで。
 ゆかりから、明日にでも屋上に靴を揃えて身投げしそうな、そんな悲壮感が滲み出ていた。
 俺はテーブル脇の紙ナプキンを一枚、いや二枚取って渡してやる。
 ゆかりは震える指で受け取ったが、見つめるばかりで使おうとしない。
「まだそうと決まったわけじゃねぇから。辞めない可能性だってあるわけだしよ」
「ゆかり、咲がアイドル続けるならなんだって協力する!」
 ゆかりは紙ナプキンを握りつぶすと、テーブルに前のめりになった。
「お前のその宮藤を想う気持ちを信頼して打ち明けるが、あいつさ、アイドルを辞めることに言い表せない抵抗があるって、そう言ってたんだ」
 これは俺の想像でしかないが、宮藤 咲からゆかりの記憶が消えていることと、関係があるんじゃないか。
 昔は部屋にポスターを貼るほどのアイドル好きだと語っていたが、俺が部屋に入った感じだと、その趣味趣向が失われていたのも気に掛かる。
 電貧乏神と再会したいがためというアイドル活動の動機も、本当にそれだけだったのだろうか? そんな取っ手つけたような動機で、何万ものファンを持てるほど頑張れるものなのだろうか?
「分かったよ。ゆかりも話すよ。ゆかりたちは、放課後や休日にアイドルグッズを売ってる店を探しては、二人でキャッキャウフフするのが楽しみだったの。いつかどっちかがアイドルになったら、そのコネでサイン沢山貰おうね、なんて談笑したりしてさ。ある放課後に、咲がネットで見つけた店に行ったんだ……。そこは如何にもな古い雑居ビルでさ、エレベーターを上がっていく必要があったの。目的の三階に着いたところで、なぜかエレベーターの扉が開かなくなっちゃって」
 ゆかりはそこで一旦区切ると、右頬の傷を労わるように手で摩った。
「お前も居たのか? 宮藤は一人で行ったって、言ってたけど」
「そんなっ……ゆかりも居た! じゃなきゃこんな話できないよ。というか、なんであなたが知ってるの? 筋金入りのストーカーなんですね、ドン引きなんで、そろそろ警察呼んでも良いですか?」
 ゆかりはアイフォンを手に、こちらの様子を窺ってくる。
「警察を呼ぶタイミングを計ってんじゃねぇ! っていうか、なんも良くねぇわ。――話は宮藤から直接聞いたんだよ。はぁ」
 真面目な話の合間にこれじゃー、調子狂うぜ。
「すみません。茶々でも入れて話さないと、ゆかり辛くて」
「そうか。まあ、話を聞かせてもらえるだけ、ありがたいと思うよ」
 そうでも思い込まないと、気が変になりそうだ。
「でも閉じ込められてた時の咲は、凄く変だった。まるで、幽霊か精霊にでも助けを求めてるような」
『わし登場』
 電貧乏神がバッグを貫通して顔を出した。
 ここで宮藤 咲は、電貧乏神と偶然の出会いをしたわけか。ゆかりからしたら、さぞ奇妙な光景だったことだろう。
「しばらくすると扉が勝手に開いて、ゆかりたちは急いで出たの。なんだかフロア全体が騒がしくって、外付けの避難用階段に、店員がお客さんを誘導してた。ゆかりたちも訳も分からないまま行こうとしたんだけど、爆発音と同時に突然ビルが大きく揺れて、ゆかりは倒れた拍子に運悪く――」
 ゆかりは再び顔の傷を撫でた。その傷は、その時にできたもののようだ。
「それは、なんつーか、災難だったな」
「普通はそう思うかもね。すぐに救急搬送されたけど、残っちゃったし。でも良いんだ。ゆかりはさ、顔可愛いしプロポーションも抜群だけど、咲と違って性格がアイドル向きじゃ無いから、どのみちアイドルにはなれない。それに今は咲がアイドルになってくれた。それだけでこの傷は、咲とアイドルとしての礎を一緒に築いたという……ゆかりにとって勲章のようなものなの」
 ゆかりはずっと被っていたレインコートのフードを下ろして、誇らし気に素顔を晒した。
 セミロングの髪がよく似合っている、笑顔の素敵な女の子だ。
 ゆかりは「でも」と続けて、折角の笑顔を曇らせていく。
「ゆかり、咲を責めるような言動したつもりないよ? ないんだけど、咲は自分のせいだって思い詰めちゃったの。自分があのビルに来ようって言ったからだって。それだけならゆかりもまだ理解できるんだけど、退院して学校に行ったら、咲……ゆかりのこと……」
「知らない子のように振る舞いだした、か」
 ゆかりは小さく頷いて、鼻をすすって泣き出した。
 さっきから情緒が不安定だ。これ以上を聞き出すのは酷に思う。聞きたい話も聞けた気がするし、もうこの話は良いだろう。
「それでも宮藤のファンでいるって、お前はスゲェよ。大した根性だと思う」
「咲はゆかりの全てだから。咲がアイドルを続けるためなら、ゆかりは何だってするの」
 ゆかりは泣きながらも、確かな決意を表した。
「そこで悪いんだが、この件さ、しばらく俺に預からせてくれないか」
「どうするつもり?」
「それは……まだ考えてねぇけど。お前が宮藤の親友っていう理由一点であいつを心配に思うように、俺にとっても宮藤は友人なんだ。余計なお世話にならない範囲で、出来ることをしてみようと思う」
「なんで他人事みたいに言うのよ。あなたは咲の悪評を立たせた元凶でもあるだから、責任取らないと駄目なの! ゆかりも、できることがあれば協力するから」
 勢い付いたかと思えば、最後はしゅんとする。ころころと忙しいやつだ。
「なら、俺の携帯の番号とメルアド教えとく。非通知でかけてくるなよ? あれこそホラーだからな。俺の家の番号をどうやって知ったかにも目を瞑っとく」
「行くとこ行けば、住所も電話番号もSNSのアカウントも、簡単に丸裸だよ」
 あの場で五十万持っていたってことは、後で俺の家にも来るつもりだったのか。俺がたまの休日で家にいるのも織り込み済みなのか。怖すぎだろ。
「くれぐれも気を付けてね。もし咲のブランドイメージをまた傷付けるようなら……ゆかり、刺し違えちゃうから」
 ゆかりは道徳の死んだ目で、うすら笑みを浮かべた。
 冗談なのかマジなのか。聴き方によっては立派に脅迫罪が成り立ちそうだ。
「あはは……はあ。俺もまだ死にたくねぇから、肝に銘じとくよ」


 店を出て、暗黒闘気を背負った猫背気味のゆかりと別れた。
 俺の口からどんよりとした長いため息が、自然と漏れる。怒涛のような今日を振り返る。
「死傷者がでなかっただけ、御の字だな」
 これがゆかりに対する俺の総評だ。
「宮藤に一報入れておくか。……やべっ、電話とメール来てる。マナーモードで気付かなかったな。心配させちまったか」
 宮藤 咲から、メールの次に電話が一件ずつきていた。
 俺が折り返し掛けると、ワンコールで繋がった。
「あー宮藤、こっちは一応穏便に済ませた。そっちは大丈夫か?」
「はい、こちらは大丈夫です。実は、子守さんにも来て頂いています。――あの子はどうなりましたか?」
 宮藤 咲は恐る恐るといった様子で聞いてきた。無理もない、あんなことがあった後じゃあな。
「ファミレスで話をしてさっき別れた。同じことはたぶんしないと思う。というかお前、あいつの顔見たのか?」
「見ましたよ、インターホンのカメラ越しですけど。……私の知らない子でした」
「まったくか? 中学の頃のクラスに似たような奴も居なかったか? ゆかりって名前でさ」
「いえ、居なかったです。もし居れば、覚えています」
 宮藤 咲は何の疑問も抱くことなく言い切った。まるで、忘れていることすらも、忘れようとしているかのように。
 ゆかりの話と真っ向から食い違う。かといって俺には、どちらかが嘘を吐(つ)いているとも思えない。
「その子、ゆかりさんでしたっけ? 私のファンの子だと思います。子守さんに覚えがあるらしくて、後で直接注意すると言ってました。あ、子守さんが話があるみたいです、代わりますね」
「ああ」
 すぐに電話相手が子守に代わった。
「子守です。この度はご迷惑をお掛けしました。暴力事件になりそうな事は起きませんでしたか?」
 流石は有能なマネージャーだ、俺の身を案じているようで、宮藤 咲の行く末を案じている。
「問題ないと思う。初っ端で体当たりもどきしてきたけど、可愛いもんだったよ」
「両者に怪我がなければ良いです。咲は動揺して、真っ先に天野さんを頼られたようですね。ですが、会うのであれば細心の注意を払うべきでした。宮藤家の前にパパラッチが潜んでいた事、お気付きになりましたか?」
「ま、マジですか……。すみません、そこまで考えが及んでなかったです。またニュースになるんですかね……」
 ゆかりの道徳の死んだ目が脳裏にチラつく。
「それはないでしょう。私が引っ捕えて、撮られた画像は消去しておきましたから」
「あ、ありがとうございます! 良かった。お陰で俺、刺し違われずに済みます」
「刺し違う? 物騒ですね。いったいなんの話ですか?」
 安堵のあまり口から出てしまっていた。
「いや、こっちの話だから気にしないでください」
「はあ。ゆかりの事ですが、後のことは私に一任してください」
「覚えがあるって話ですけど、宮藤のライブで見たことがあるんですか?」
「ええ、それはもうライブに限らず、事あるごとに来てますよ」
 まー、あの感じだとそうなんだろうなー。
 それに、顔に目立つ傷のある女だ、一度見かけただけでもしばらくは印象に残るだろう。
「それで、どうやって探し出すんですか? 個人情報って特定できるもんなのか?」
「今の時代、行くとこ行けば簡単です」
 そのフレーズ人探しをする際の決まり文句か何かなのか? ついさっきも似た台詞を聞いたんだが。恐ろしきかな、現代社会の闇。
「今のは冗談ですよ。天野さん、もし次に止むに止まれぬ事情で咲の家に来る際は、出来るだけ顔を隠し裏口から入るようにしてください。そちらはパパラッチに知られていないようなので」
「了解です。こうして考えると、俺の行動は軽率でした。子守さんには助けられました」
 今にして思えば、何を仕出かすか分からない相手と無防備に対峙したのも、かなり危険な行為だった。
 それに俺が行かなくとも、きっと子守がいれば上手いこと対処できていただろう。
「私は私の責務を果たしたまでです。天野さんの行動力の高さは、なにも悪いことばかりではありません。――はい、分かりました。すみません、咲に電話を戻します」
 宮藤 咲に相手が変わる。その声色は明るく弾む。
「宮藤です。今日は巻き込んでしまってごめんなさい。駆けつけてもらえて嬉しかったです」
「あんな怯えた声出されたらな、どっからでも駆け付けるっての。でも俺要らなかったかもな、子守さんがいればさ。あはは」
「頼れる人が一人でも多く居てくれた方が、私は安心できます。その、今日の天野さんはいつもにも増して頼もしかった、と思います」
 照れたように言うから、俺もなんだか恥ずかしくなってくる。
「そ、そうか?」
「はい、とても」
「…………」
「…………」
 互いの息遣いを交信させる。無価値なようで、そうでないような。じれったい静の時が流れた。
 なにか言おうと思うのだけど、言葉が出てこない。宮藤 咲も、同じなのだろうか? 聴こえてくるのは、やはり息遣いだけ。
 止まりかけた世界に動きを与えたのは、後ろから聞こえる子守のわざとらしい咳払いだった。
「なっ、長話も難なのでもう切りますね!」
「あ、ああ。また何かあったら電話してくれ」
「はい、また電話します。今日はありがとうございました。失礼します」
 通話が切れる。
 ジャンバーを滑る乾いた秋風が、頬を流れては冷やしていく。上がった体温の帳尻を合わせるかのように、何度も何度も。
 女子とこんな風に心を通わせるのは、何時振りだろうか。――初めてでは、ないだろうか。
 東郷 千世を思い浮かべるも、女子というより尊敬できる姉貴、姉御といった感じで、少し違う。
 まるで名前のない花が太陽に照らされて、陽気を吸って成長するような、ポカポカとした温かみを胸の奥にじんと感じる。
 だけど同時に分かってもいる、この気持ちは寒くなった季節の魅せる淡い幻想なのだと。人恋しいだけなのだと。年齢イコール彼女いない歴の実績が、そう囁いている。
「コンビニ寄って飯買って帰るか、寒いし」
『じゃな。主よ、おでんが恋しくはないか? わしは恋しいぞ。あれこそが、大和国が誇る最高傑作の一つよ』
「恋しいけど、却下だ。高い」
『むぅ。今夜も菓子パン三昧かぁ』


 寝て起きて飯を食べて歯を磨き、仕事に出掛けては疲れて帰ってくる。
 ただただ世界を動かす歯車の一つになったかのような、変わり映えのない同じ日々が続いていた。
 目覚まし時計の日数だけが、俺を取り残すように刻々と数字を進ませている。
『お疲れじゃの』
 晩飯の入ったレジ袋を引っ提げて仕事から帰ると、下半身をリモコンに同化させた電貧乏神が振り向きざまに労いをくれた。
「ただいま」
 ジャンバーをハンガーラックに掛けて、すぐに後悔する。
「今日は冷えるな。出してる机、そろそろコタツ机と入れ替えるか」
『名案じゃな。主のコタツは見ているだけで食欲をそそる』
 食欲って、一ミクロンも共感できない……。
「悪かったなオンボロの旧式で。お前にとって俺のコタツは、梅干しみてぇなもんなのか」
『梅干のような曲者ではない、どちらかと言うと、唐揚げやウインナーに近いのう』
「さいですか。テレビ、点けてくれよ」
『うむ、そろそろじゃな。わしもそうしようと思っておったところだ』
 テレビが点いて、しんとした和室に賑わいが生まれる。
 俺であれば、まず設定しないチャンネル。アイドル情報統合バラエティニュース番組なる、要はアイドル関係なら何でも有りのごった煮番組が始まる頃合いだ。今はCM中のようだ。
「そういや、宮藤の話題ってまだテレビでやってるのか?」
『あれからはとんと観のぅなった。中秋の名月のごとし、過ぎれば皆忘れてしまう。世の中とは、そういうもんじゃ』
 流行り廃りは世の常、か。電化製品もそういうとこシビアそうだよな。一応、こいつも電貧乏神という性質上、そのへんは敏感なのか。
 宮藤の積み上げてきた頑張りを食い物にされただけのようで、気分は良くないが、世の中に苛立っても虚しいだけだ。
「あいつ、いつまで活動自粛すんのかな」
 サフジキミヤのオフィシャルサイトには、未だに『無期限活動自粛中』と書かれている。
「まさか、このまま辞めたりってこと」
 ジーーーーー、と家の呼び鈴が思考を遮った。
「夜の十時だぞ、こんな時間に誰だよ。大家さんか? 家賃はまだ先のはず。前にくれた柿の感想でも聞きに来たとか? いや、まさか」
 表皮の剥がれた木製のドアを開ける。と、思いも寄らない人物が不服そうに立っていた。
「こんばんは、です」
「ゆ、ゆかり? なんでお前が」
 そこまで言って思い出す。そうだった、こいつ俺の住所調べ済みなんだった。
 意味のある質問に変えよう。
「なにか俺に用か?」
 メールでも電話でも、用件を伝える方法はあるのに、わざわざ会いに来た理由とは。
 ゆかりは手にした紙袋を広げて、中に片手を突っ込んだ。
 まさか刃物か!? メリケンサックか!? こいつなら取り出しかねない。
 いつまでも活動を自粛するサフジキミヤを悲観して、俺と刺し違えにやって来たとでもいうのだろうか。
 肝を冷やす俺の前に、取り出されたのは『もみじ饅頭』と書かれた色彩豊かな化粧箱だった。
「ば、爆弾じゃねぇだろな?」
「イラ。実家広島の由緒正しきもみじ饅頭だよ。由緒正し過ぎて、心の曇った者が食べると爆発する…………という逸話があればいいのに」
「お前の願望混じってんぞ! そんな事実があったなら、銘菓の名声もろとも粉微塵になってそうだが。――で、えっと、本当に何の用なんだ? 広島の銘菓を見せびらかしに来た、って訳じゃねぇんだろ」
「さっきから失礼! ゆかりをなんだと思ってるの!?」
 なにって、そりゃー……。
 人聞きの悪い言葉を思い浮かべていたら、ゆかりに怖い顔で睨まれた。
「悪い悪い、冗談だから落ち着いてくれ」
「まったく冗談に思えないんだけど。これ、前のお詫びに」
 どうやら地元の銘菓を俺にくれるらしい。
「これを渡すためにわざわざ来てくれたのか。あ、ありがとよ。ありがたく食べさせてもらうよ」
 お詫びという割には、ゆかりは不服そうにしている。開幕からそうだったから、俺の対応のせいではないはずだ。
「あれから、お母さんに叱られたの。色々、ごめんなさい」
 ゆかりは頭を深く下げた。
 反省している、と受け取って良いのか。やらされている感があるにはあるが、同じ過ちを繰り返さないケジメとしては、信用に足る誠意だろうか。
「頭を上げてくれ。こうして謝ってもらったし、水に流すよ。正直お前のことちょっと怖がってたけど、俺も改める。怖がって悪かったな」
 頭を上げたゆかりは、不安そうに眉根を寄せている。
「うん、じゃあこれでチャラだね。それでさ、咲のことで何か知ってることない? サイトもブログもSNSも事務的なことしか更新しないし、ネットの掲示板には不安を煽るようなコメントばっか目に付くし。あなたなら、何か内部情報を知ってるんじゃない?」
 どうやらこっちが本題らしい。
「お前の知っている以上のことは知らないと思うぞ。あの日から、宮藤とも連絡取ってねぇしな」
「そう……」
 期待外れ、といった感じでゆかりは分かりやすく落胆した。
『主よ、主よ! 俊樹じゃ、俊樹が喋っておるぞ! こっちへ来るのじゃ』
 和室で電貧乏神が騒いでいる。
 好きが高じて、とうとう頭のネジが外れてしまったようだ。俊樹は知能を失った化物にでもなったのか? だとしたら驚きもあるが。喋ったくらいで一々呼ばれてたんじゃ、俺もたまらない。
『咲が活動自粛から、活動休止になるらしいぞ』
「な、なんだって!?」
 俺は反射的に和室に振り返る。僅かに窺えるテレビに宮藤 咲もといサフジキミヤが映っていた。
「わ!? いきなり何なんですか。そうやって大声出して、ゆかりをビックリさせて」
「いや、悪い。ちょっとここで待っててくれ、すぐに戻るから。……というか、お前も一緒に部屋くるか?」
 ゆかりは女子特有の防衛本能を働かせるようにして、身構えた。
「ゆかりのこと、そういうエッチな目で見ないでよ。……あ! あなたのストーキング対象って、咲じゃなくて……ゆかりだった?」
「今になって重大な過ちに気が付いたような、蒼白な顔をするな! 俺がストーキングしている前提の時点で間違ってっから。そうじゃなくて、たった今、宮藤の話題がテレビでやってるみたいなんだ。俺は観てくるから」
 事情を伝えて和室に戻ろうとする俺の脇を、何かが高速で通り抜ける。
 ゆかりだ。靴を脱いだ体勢を直すのも惜しかったのか、低い前傾姿勢のまま和室に突っ込んでいった。
「咲!? 咲咲咲咲っ! ……どうして?」
 和室で、益体の無くなったゆかりがテレビに縋りついていた。『速報! 活動休止!? サフジキミヤ苦渋の策か』という香ばしいテロップに心を奪われている。
 活動自粛からの活動休止は、活動終了への数少ない階段を一つ上ったような格好だ。ファンとしてショッキングなのも頷ける。
 だが、その憤りが瞬時に俺へと向けられるのは、咄嗟のことで予期していなかった。
「どういうことなの!?」
「怒鳴らないでくれよ、俺だって何がなんだか」
「俺に預けてくれって、そう言ったじゃない!」
 たしかに言った。このところ仕事で忙しくて、落ち着いた時間を取れずにいた。明日が休みだから、なにか行動を起こそうと思っていたが、遅かった。
「少し時間をくれ。メールして聞いてみる」
 俺は夜遅くに電話するのを躊躇って、簡単なメールを送った。
 数秒の後に、固定電話が鳴る。宮藤 咲からだ。
 俺は深呼吸を挟んで受話器を取った。
「天野さん、こんばんは」
 堂に入った甘く透き通る声が聴こえる。
 ゆかりは受話器の外側に耳を付けて、じっと息を殺している。
「こんな時間に悪いな。メールで伝えた通りなんだが、活動休止って本当なのか?」
「本当です。勘違いしないでくださいね、天野さんのせいではないですから。……前に天野さんに相談したこと、ありましたよね」
「ああ、アイドルを続ける動機がなくなったって話だな」
「天野さんと遊んだ日に、電貧乏神様と触れ合って思ってしまったんです。心が満たされているなって。これ以上アイドルを続ける意味って、なんなんだろうって。でも天野さんに頂いたアドバイスも気になっていて」
 アイドルを辞めるのに抵抗を感じる理由が分かるまでは、続けてみてもいいんじゃないか? たしか、そんなことを言った覚えがある。
「その結果が、活動休止か」
 あの一日は幸か不幸か、活動休止に追いやったのと同時に、活動休止で踏み留まらせる楔にもなったわけか。
「中途半端な態度をとって、ファンの方達には悪いことをしちゃいました。だけど、気持ちのこもっていない状態で演技をするのは、一番の失礼だと思います」
 宮藤 咲らしい真摯な答えだと思う。
 俺の考えが正しければ、宮藤 咲がアイドルになった源流とも呼ぶべき切っ掛けは、ゆかりにある。
 そのゆかりを忘却し続けている限り、サフジキミヤに永遠に明日はやってこない。
 それどころか、宮藤 咲は出口のない迷宮に囚われ続けることになる。
 そうと分かっていて、黙って見過ごせるかってんだ。
「もし忙しくないようなら、明日お前の家に行ってもいいか?」
「えっ……と、電話では話せないことですか?」
 色々あったからな、その戸惑いは至極当然だと思う。それでも。
「電話だと、失貧乏神と話しはできないだろ。あいつとちっと、話したいことがあるんだ」
「失貧乏神様と? わかりました。裏口からこっそり入っていただければ、大丈夫だと思います」
「突然で悪いな」
「いいんです、私も家にばかり居て退屈していたところですから。でも珍しいですね。天野さんから失貧乏神様に用があるなんて」
 お前関連の話だよ、と仮に教えたところで、きっと上手くは伝わらないのだろう。
 俺は適当に話を煙(けむ)に巻いて、おやすみの挨拶で締めくくり、受話器を戻した。
 途中まで盗み聞きしていたゆかりが、なぜか畳の上でのたうっている。
「人の畳でゴロゴロして、猫の気持ちでも研究してるつもりか? 気はたしかか?」
「それはゆかりのセリフだよ、あと、ゆかりは猫ちゃんじゃない!」
 ゆかりは反撃と言わんばかりに立ち上がり、眉を吊るす。
「あの咲と、よく普通に会話できるね。あの咲だよ!? 羨ましいけしからん許すまじ化けて出てやる」
 最後の方、ゆかりさん死んじゃってるんだが。
 ゆかりの中で、俺に対する黒い嫉妬が渦巻いていることは、良く分かった。
「あの咲って言われても、ファンじゃない俺には大して特別感ないんだよな。そりゃ、他の子より多少は可愛いとは思うけど」
 ぬっ! とゆかりは背伸びをして渋い顔を近づけて来る。
「咲は見た目はもちろん、内面も完璧なの!」
「お、そうだな。お前の言う通りだから、一歩下がろうな? 顔が近い」
「ふんっ」
 ひとまず怒りを鞘に収めたゆかりは、武士のようなへそ曲がりな面で口をつむる。まるで、何も知らない小僧めが! と言わんばかりだ。
「俺の都合で明日会いに行くことになったが、お前も来るか?」
 ゆかりの顔が一瞬で花開く。
「行く! …………でも」
 そして萎(しぼ)んだ。
「お前も働いてるんだろ? 仕事は平気か?」
「それは仮病で休むから問題ないよ。それよりも」
 ゆかりは悩み深そうにしている。
「なんだよ?」
「どうしよう」
「なにが?」
「なにを着ていこう!?」
 唐突に泣きついてくる。
「知らねぇよ!」
 俺は夜半を忘れて思わず叫んでしまった。
「そもそも、ゆかりなんかが咲のお家に上がり込んでいいの? おこがましくなーい? どんな顔して会えばいいの?」
 ゆかりは矢継ぎ早に、悶々とさせる体とは真逆の思いを口にする。
「いや、そういやお前さ、青いレインコート着て宮藤の家をピンポン連打してたよな?」
「あの時は気がどうにかなってたの!」
「今も大概、気がどうにかなっているように見えるのだが……」
 申し訳ないが、ゆかりとの会話が面倒臭くなってきた。
「もみじ饅頭、あんがとよ。もう夜だし、お前もそろそろ帰った方が良いんじゃねぇか? 送ってやろうか?」
「送り狼ですか?」
 送り狼かも知れない相手にその質問は、ナンセンスだと言わざるを得ない。
「人の親切心を……。嫌ならいい。気をつけて帰ってくれ」
「明日はきっと、忘れられない一日になるよね? ゆかり、何が起きてもいいように、準備だけはしておく」
「だな」
 どう展開するのか、正直俺にも予測がつかない。出たとこ勝負だ。
 ただ、宮藤 咲にとって良い方向に転ぶよう、できる限りのことはしたいと思う。
 俺はゆかりを敷地の外まで見送った。
 和室に戻って、バラエティな話題に花を咲かせている俊樹を、ボタン一つで消滅させる。
『俊樹ぃ〜!? 藪から棒に、なにをするのじゃ。主には俊樹を思うファンの心がないのかっ』
 ねぇよ。善なる人間にはあって当然、みたく言わないでほしい。
「たしかに俊樹は良い奴だけど、今は後しにしてくれ」
『むぅ。今あるテレビの寿命が尽きたら、次は録画機能のあるテレビがえぇのう』
「まさか、買って欲しいとか思ってねぇよな? お前がここにいる条件、忘れてないよな?」
『む、無論じゃ。祠になりそうな場所を見つけたら、そっちに移動する。――ただし、失貧乏神のいないところに限る』
 電貧乏神は小声で但し書きを付け加えた。
 一緒に宮藤家に行った時はうやむやになったが、その但し書きを俺はまだ認めてないぞ。
「まあ、あいつと同じ空間に居たくない気持ちは分かるよ。同居できてる宮藤が特殊なんだ。……物を忘れたり失くしたりってのは分かるがよ、視界に入ってもそれを認識できないって、どういう感覚なんだろうな」
 ふと、そんなことを考えた。想像しようと試みたが、上手くいかない。
 だって、探してる鍵が足元にあって視界に入ってたら、普通は気付くだろ? でも宮藤は気付かなかった。
『人は目で見た物、耳で聞いた音、五感を脳が処理した情報を、真実と思い込んで生きておる。主とて例外ではあるまい。思い出してもみよ。主が咲の家に初めて訪れた時、豪邸を咲の家ではないと誤認し、不審者よろしく外壁を周っておったろう』
「そ、そいやーんな事もあったな」
 あの時は電貧乏神に指摘されるまで、豪邸が宮藤 咲の家などと、思いも寄らなかった。
 貧乏人生を送ってきた経験からか、知らず知らずの内に脳が勝手に判断し、選択肢から除外してしまっていたんだ。
 ――認知の歪み、か。
「でも失貧乏神って胡散臭くねぇか。物を失くさせたり、記憶を封印したり、認知をこじらせたり、多機能過ぎだろ」
『あやつは貧乏神の中でも、別格と言えよう。人間の生活に近しい性質ほど、広く信仰が集まり易い。わしのような地味な貧乏神と違い、多くの力を得易い。対峙する際は、あの外面に騙されてはならぬぞ』
 それは、神を侮るな、という一種の警告にも聞こえた。
「まだ何か隠し球も持ってるかも知んねーってことか」
 ここにきて不安要素が増えるとは。今更だが、俺は神について知らないことが多過ぎる。
『さて、話はもう良いじゃろ。明日は長い一日になりそうじゃ。主も英気を養っておくとよい。おやすみなのじゃー』
 電貧乏神は、まるでベッドに入るかのように、リモコンに横たえた身体のほとんどを埋(うず)めた。
 そこは買ってやったウォークマンじゃねぇのかよ、とツッコミたい気持ちを抑える。食事用とベッド用は別であるらしい。というか、貧乏神って寝るもんなのか。ずっと一緒にいて、初めて見た気がする。
 色んな謎を残しつつ、夜は静かにふけていった。


 朝起きてトイレ行って歯を磨いて、はたと空腹に気付く。
「そいや、饅頭があったな。もみじ饅頭だっけか」
 テーブルにある色彩豊かな化粧箱を開ける。種類ごとに色の異なる和紙調の包みが、それぞれのスペースに鎮座している。四種が四個ずつあって、計十六個。
 親切にもお品書きのカードまで同梱されている。
 銀杏、桜紅葉、紅葉、楓、各々で趣向が違うらしい。一つ一つちゃんと大きいし、お値段結構したんじゃなかろうか?
「お前も食ってみるか?」
 俺は、一見すると何の変哲もないリモコンに話しかけた。
 リモコンからむくりと電貧乏神が起き上がる。
『くんくん、これはっ! ……もみじ饅頭!?』
 いや、まだ包みを開けてないから匂いはしないはずなんだが。
「どれにするよ」
 まるで働き蟻のように、リモコンから這い出てもみじ饅頭に寄ってくる。小さな指を口元に添えて逡巡し、名案を閃いたかのように瞳を輝かせた。
『銀杏と桜紅葉と紅葉と楓にするのじゃあ』
「答えになってねぇよ!」
 むふふと笑う、電貧乏神は朝からお気楽で羨ましいぜ。
 適当に支度を済ませて、フード付きのジャンバーを羽織り、お昼前には家を出た。
「寒っ」
 宮藤家の手前で着けようと思っていたマスクを、早くも着けてしまおう。
 空では厚い雲が呑気に浮かんでいる。地上は風が強くて大変だってのに。僅かながらの薄雲から、溢れる日差しは頼りなく、遠くのビルを申し訳程度に照らしている。
 憂鬱な天気を忘れてしまうほどの紅葉を、電車の窓から眺めて、徒歩でも眺めて。
 余裕があったら紅葉狩りに行きてぇな、などと考えていたら、着くべきところに辿り着いていた。
「あ、来た」
 宮藤家の裏口の側で、電柱に隠れるようにしてゆかりが待機していた。
 服装で悩んでいた割りには、地味な格好をしている。
「こんちは。饅頭美味かったよ」
「ゆかりは合図を貰ってから登場すればいいんだよね?」
「ああ。いきなりお前が出るとややこしくなるからな、俺が一人で行って先ずは説明する。――緊張してるようだけど、大丈夫か?」
「緊張するよ! あの咲の家ってのもあるし、また『誰ですか?』って言われたら、ゆかり……」
 強ばらせた顔からは、今にも瞳が潤みだしそうだった。
 ゆかりは過去の恐怖に打ち勝ってここへ来た。それなりに勇気が要ったはずだ。その頑張りには報いてやりたい。
「きっと上手くいくさ」
「きっとじゃなくて、絶対って言ってよ」
「んじゃ、絶対」
「なんか軽くてイヤ」
 何を言っても不平が返ってくる……。
 メールで宮藤 咲に到着を告げる。開けゴマ! 心の念に反応するかのように、電子ロック式の鉄製ドアが自動で開いた。
 俺はジャンバーの襟を正す。どうか最後は大団円できますように。
「じゃあゆかりはここで待ってるから」
「おう」
 ゆかりは裏口から一歩入ったところで、身を固めている。
「マスク取るか」
 俺が母家(おもや)の裏から表へと回ると、宮藤 咲が待っていた。失貧乏神の姿はない。
「天野さん、いらっしゃいです」
「おう。家にいること多いんだってな。あいつと一緒の時間が多いと、大変じゃないか?」
「失貧乏神様ですか? 大変じゃないと言えば嘘になりますけど、お陰で退屈せずに済んでます」
 宮藤 咲は強がりなどではなく、笑顔で言ってのける。尊奉精神は流石と言うべきか、正直俺の理解をすこし超えている。
「子守さんも毎日様子を見に来てくれますし。私はそこまでしなくてもいいって、言ってるんですけどね」
 マネージャーにとって、世話すべきアイドルの喪失は死活問題だろうから、気が気でないのだろう。
 宮藤 咲は困ったように言っているけれど、子守を邪険にしている感じはない。
「勤めていた仕事を辞めて、宮藤にキャリアをオールインするような人だからな。――で、あれは居ないのか?」
「すみません、今は失貧乏神様のお姿がなくて。気分屋の神様ですから、家のどこかにはいらっしゃるはずですけど」
「ま、その内に出てくるか。失貧乏神に用があるのはたしかだけど、お前とも話したいと思ってたんだ」
「私でよければいくらでも。縁側で駄弁りますか? お茶とお茶菓子も用意してあるので、すぐに持ってきますね」
 宮藤 咲は家の外から木製の雨戸を開いて、露わになった廊下に座布団を二つ並べる。沓脱石(くつぬぎいし)で靴を脱いで家に上がると、奥へと消えてしまった。
 俺は両足を縁側にほっぽり出すようにして座る。と、妙に気分が和(やわ)らいだ。
 そこから見える日本庭園は壮観で、一本だけある楓の樹が秋を強く思わせる。どこからやってきたのかアキアカネも一緒だ。鯉のいる池で滞空しては、なにかを見定めるかのように節足を動かしている。
「お待たせしました」
 盆に乗ったままのお茶と茶菓子を間に置いて、宮藤 咲は隣の座布団に正座する。
「この景色、いつ観ても飽きないんです」
「ほんと、良い眺めだよな〜」
 二人してお茶をすすり、悠然と横たわる景色を愛でた。
 ついついのほほんとした気分に浸ってしまう。寒い中外で待たされているゆかりを想うと、悪い気がしてくる。
「ずっとこの時間が続けばいいのに」
 消え入るような独り言だった。
 そんなささやかな宮藤 咲の願いを、これから俺が無下にするのかと思うと、心苦しい。
「まだ、アイドルを辞めることに言い表せない抵抗っての、感じてるのか?」
「あー、はい。そうですね。でも以前に話した時ほどには強くないです。このまま絶頂期でフェードアウトするのも、悪くないような気がしています」
 宮藤 咲はふ菓子を食み、まったりとお茶を啜る。
 アイドルモード零パーセント。それはもう、何処にでもいる女の子だった。
「どうかされましたか?」
「いや。その喉に挟まった小骨みてぇな感覚を、取り除いてやれるかも知んねぇんだけど」
 想定していたより宮藤 咲の反応が薄い。もう気にならないくらい、どうでも良く思っているのだろうか?
「どういうことですか?」
「お前には知らない親友がいたんだよ。いや、いたっつーか、今も一応いるんだけど」
 俺は軽いジャブを放つ。手応えはどうだ?
「ん? よく分からないです」
 そうだよな、身に覚えのない話しをされても、釈然としないわな。
「だけど、教えていただけるのなら、教えていただきたいです。胸に支えるようなあの感覚が、なんであるのか。気持ちを探ろうとすると、何故だか切なくなるんです」
 宮藤 咲は胸に手を置いて、朧げな何かに想いを馳せる。
 ゆかりの存在はたしかに芽吹いているんだ。ただ、闇のベールに覆われて見えなくさせられているだけで。
 やっぱ、こんなの良くねぇよ。
 アイドル云々以前によ、失貧乏神になんの権限があって、こんな酷い所業が許されるって言うんだ。
 良い記憶も悪い記憶も、そいつの人生を彩るものだろ? なのによ、いくらなんでも、あんまりじゃないか。
 俺は覚悟を決めて宮藤 咲に向き直る。
 ゆかりの事、そしてあの日の真実を打ち明けよう。一度にすべてを理解してもらえなくてもいい。記憶を紐解くヒントにでもなれば。
「宮藤、もしかしたらお前にとって辛い事なのかも知んねぇ。でも、思い出してやって欲しいんだ。お前には――」
『カァーハッハッハッハ! カァーハッハッハッハー!』
 耳障りの悪い高笑いが水を差す。
 まるで聞き耳を立てて出るタイミングを見計らっていたかのように、俺を遮って天から失貧乏神が舞い降りた。
『俺様としたことが、電貧乏神ちゃんの帰還に気付くのに遅れるだなんて、失態失態!』
『帰還とは大仰な』
 電貧乏神が俺のバッグから頭を覗かせる。
 水と油。蛇とマングース。いや、そう思っているのは片方だけのようだ。
『世界の誰よりも会いたかったよ! 電貧乏神ちゃん!!』
 失貧乏神は、さぁこの胸に飛び込んでおいで、と言わんばかりに両手を広げた。
『主の偏屈な世界に、わしを巻き込むなっ』
 電貧乏神は愚鈍な亀のように、ジト目で首を引っ込める。もう出てこない。
『参った参った! まったく、照れ屋さんだなぁ! 電貧乏神ちゃんは!』
 失貧乏神は謎の決め顔でそう言うと、なぜか盛大に高笑う。間近で聞くと、うるせぇのなんの。
「今日は貧乏神様が家に二人もいる。うふふ」
 楽しげな宮藤 咲が小さく笑って、俺の中のカオスは極まってしまう。
 分かってはいたが、失貧乏神が出てくると場が一気に混沌となる。だが、今回は流されてばかりではいられない!
「前回も、宮藤の昔の友達について触れていた時に水を差してきたよな」
 あれは宮藤家に一緒に入った直後、宮藤 咲は鍵っ子の話題から過去の友人を思い出そうとしていた。それを邪魔するように、こいつの仕業で手にしていた鍵を失くしてしまう。
 気紛れの嫌がらせなんかじゃなかった、意図された話題逸らしだったんだ。こいつはふざけているようで、計算して動くことのできるタイプ。油断ならねぇ。
『ん? おぉ! 君のことは見覚えがある!』
「そりゃそうだろうよ」
『いつだったが、この家に迷い込んだ一匹のメスの牛蛙――擬人化したのか!?』
「んな訳あるか! だぁれがメスの牛蛙だ!」
『こりゃ失礼、牛蛙から産まれたオタマジャクシの方だったか!! カァーハッハッハッハッハ!』
 こ、こいつ、完全に俺を舐め腐ってやがる……。
「あれは池に大量のオタマジャクシが発生して、取り除くのが大変でしたね」
 宮藤 咲が呑気に会話に混じってくる。
 一瞬で話の流れを持って行かれてしまった。
 ……まだ負けねぇ!
「お前がちょっかい出すのは、そういう存在だからってことでまだ分かるけどよ。親友のことを丸々忘れさせるのは、ちとやり過ぎなんじゃねぇか?」
 失貧乏神から威勢が失せる。呆然と立ち尽くして、ただこっちを見てくるだけで、刺すような圧を感じる。
「なんの話ですか? さっきから天野さんばっかりズルいです」
 ブレインフラワー状態の宮藤 咲が、楽しい会話に自分も混ざりたそうに声を上げた。
「ズルいって……。お前が失貧乏神に、大切な記憶を封印させられてるって話だよ。たぶんだけど、それが言い表せない何かと深く関係してるんだと、俺は睨んでる」
 宮藤 咲はようやく話を飲み込めたらしく、ハッとした表情で失貧乏神を見つめた。
「そうなのですか? 失貧乏神様」
 失貧乏神はここぞとばかりにニヤッと笑う。
『てんで記憶にございません! さぁーてさてさて、いったいなんの〜話やら〜』
 しまいには、くるくると回って踊りだす。
 暖簾に腕押しとはこのことだな。いいぜ。そっちがその気なら、俺にも考えがある。
「宮藤、辛いかも知れないけどよく思い出してみてくれ。中学の頃、お前と同じクラスに、お前と一緒になってアイドルを追いかけている女の子は居なかったか?」
 突き詰めて思い出そうとすれば、必ず何処かに齟齬があるはずだ。
 それも含めて忘れていたとしても、特定の記憶が穴ぼこだらけになっていたら、それはそれはで違和感になり得る。違和感が積み重なれば、きっと思い出せるはずなんだ。
 視現書を部屋で見つけた時がそうだったように、無理にでも意識を向けさせれば蓋は開く。
「…………私の他に、誰か?」
『石が流れて木の葉が沈む、それもまた世の理なれば、逆らうこと此処にまかり成らん』
 詠うように澱みのない綺麗な声。その口元を見ていなければ、失貧乏神の発した言葉とは思えないような、響きの良い声。
 それを聞いてか、宮藤 咲は頭を抱えて苦しみ出した。
「嫌な感じがします。思い、出したくないっ」
「なっ! 思い出すことを忌避させる力もあんのか!?」
 これが、危惧していた失貧乏神の隠し球なのか?
「いやぁあああ! わたしは、最低な人間です。思い出せないけど、とても許されないことをしてしまいました……」
 記憶の封印が中途半端に解けたらしい。
 宮藤 咲は頭を抱えたまま懺悔を始めた。仮にもアイドルを夢見る親友の顔に、目立つ傷を作ってしまった、その後悔からなのか。
 皮肉にも、ゆかりは顔の傷を気にしていない。そんなことよりアイドルである宮藤 咲の将来を憂いて、どうすれば続けてもらえるのかと、奔走している。
 宮藤 咲は知るべきだ。
「お前はもう苦しまなくていいんだ。すべて済んでることなんだよ。だからっ」
 俺は改めて失貧乏神に向き直る。そして頭を下げて願う。
「頼む! もう宮藤を解放してやってくれ。宮藤だって、こうなると分かってわざとしたことじゃない。罰のつもりなら、もう十分に罰したろ?」
『なんのことやら』
「お前はそうやって、宮藤の記憶を封印し続けるつもりなのか?」
『まったくもって一理ある。ここらが良い頃合い、か』
 失貧乏神は諦めたように呟いた。いつもの癖のあるウザさがない。人格が切り替わったかのように、立ち尽くす姿は凛としている。
「それはどういう意味だ、失貧乏神」
『約定あればこそ、今日という日もいつかの泡沫の夢と消えよう』
 憐憫の眼差しで、宮藤 咲の心に寄り添うように続ける。
『咲ちゃん……幼かった心では耐えきれなかった傷も、いつかは乗り越えなければない。咲ちゃんには親切にしてもらった恩があるが、約定は交わした通りに果たされねばならない。如何様にする? 咲ちゃん』
 失貧乏神の周囲に白いオーラが生まれる。それはシャボン玉が弾けるように、大小様々な白い球がいくつも浮き上がり弾けて、弾けてはまた浮き上がる。
 筋貧乏神が東郷 千世に力を与えた時も、似たようなものを見た。
 神の慈悲を可視化したような。近くにいるだけで、心地の良い温もりを感じる。
「嫌です! 思い出したくない! 何も。なにも……」
 宮藤 咲は俯いたまま縁側を降りて、失貧乏神の足元に伏した。
「忌避の悪影響がまだ残ってるんじゃないのか? 解いてやってくれよ」
 俺は見兼ねて頼んだ。
『勘違いするな。俺様は何もしていない』
 失貧乏神の澄んだ瞳に睨まれる。すると、喉の奥がキツく締まった感覚がして、空気が通らなくなる。……あれ、呼吸ってどうするんだったっけ?
 一瞬の出来事だったから、軽く咽せただけで済んだ。神の成せる業なのか、俺の本能が過剰に反応しただけなのか。ただ一つ言えることは、長時間睨まれていたら息がもたない。
「ゆ…………ちゃん……。会いたい、けど、もう会えない。私が酷いことをしてしまったから」
『忘却を望むか?』
「分からない。もうなにも……。忘れられるのなら忘れたい……」
『良かろう。約定は継続される』
 失貧乏神から浮き上がる白い球が、熱湯のごとく激しく沸き立つ。
 ここまでして、すべて無駄に終わるのか。再びゆかりとの記憶に重い封印が施されてしまう。今日という日も忘れるらしい。それが本当に正解なのか? これが宮藤 咲にとって最良の結末なのか?
 ビリリリリリ、という控えめな電子音が、玄関付近から聞こえた。
「子守さんが来たみたいです。――すみません失貧乏神様、ほんの少しだけ、私に時間をください」
 底で燻る未練がそうさせたのか。宮藤 咲は音のした方へ向かった。
『んっ……んん……』
 失貧乏神は歯切れ悪く、沸騰していた白い球を鎮めていく。
 なんとか首の皮一枚で繋がった。
 だけどどうする? 混乱醒めやまない宮藤 咲の前に、ゆかりを登場させるか? 悪手にしか思えない。だけど、打てそうな手がこれしか浮かばない。
 うん、やっぱ駄目だな。時期尚早だ。
 一番に考えるべきは宮藤 咲の心だ。不用意に傷付けていいものではない。慎重に。登場させる際は、絶好のタイミングを図る必要がある。
 ゆかりには悪いけど、もう少し出番は待っていてもらおう。
 宮藤 咲は玄関側で、なにやら機械を操作し始めた。子守が入って来られるよう門を開いているのだろう。『ピー』という控えめな電子音を響かせてから、俺のいる縁側に戻ってくる。
「あれ?」
 変だな、正門に変化がない。閉じたままだ。誰かが来る気配もない。
「いったあああぃ!! いったたいたいたいったたたーい!!」
 母家の裏から、軽めに太鼓を叩いたような、ゆかりの悲痛が聞こえた。
「な、なにごとでしょう?」
「なあ宮藤、まさか子守さんは裏口から入ってくるのか?」
「そうですけど、なぜですか?」
「いや。うん……」
 ま、まずいことになった。
 しばらくの沈黙の後、背中で逆手を取られたゆかりが、グレーのスーツ姿の子守の一歩前を歩いてやってくる。その光景は、警察にしょっ引かれる犯人の構図そのものだ。
「さ、ささささささっ、咲!?」
 身悶えるゆかりに、子守の容赦ない仕置きが加わる。
「腕いったああぁいぃ!! ゆかりを放してよぉ! お願い、咲の前なのぉ!」
「俺からも頼む。実はそいつ、俺が招き入れたんだ。はは、はははは……」
 今日はとことん上手くいかない日のようだ。
 子守は怪訝そうにする。
「招き入れた? ゆかりの独断で不法侵入していたのではなく?」
「俺が勝手に入れました、すみません」
「そうですか。事情は分かりませんが、分かりました。その代わり、暴れないでくださいね」
 ゆかりは解放された手首を摩りながら、宮藤 咲を見た。
 宮藤 咲も、ゆかりを不思議そうに見ている。そして、ぽつりと呟いた。
「どちら様ですか?」
「さ、咲? ゆかりだよ? 咲……わたし、ゆかり」
 声を震わせ、涙腺は崩壊して滝のように涙を落としていく。
「あの、えっと……ゆかり、さん?」
 宮藤 咲は助け船を求めるように、俺を見た。
「待て待て宮藤。流石にその反応はないだろ。ほら先日、お前ん家にピンポン連打してきた青いレインコートを着た女がいただろ? お前もインターフォン越しに顔を見たって、言ってたじゃねぇか」
 けれども。宮藤 咲は首を横に振る。
「知りません。誰ですか?」
「そ、そんな……」
 俺は言葉を逸した。
 だって、どういうことだよ。――いや、分かる。分かってしまう。どうしてこんな事になってしまったのか。全ては失貧乏神の前にて明快だ。
「ち、ちなみによ、その日に俺とした会話も、無しになっちまってるのか?」
「だからっ、ずっとさっきからっ、天野さんは何の話をしているんですか!?」
 魂を震わせるような特大な叫びだった。
 宮藤 咲は即座に「すみません、大声を出して」と詫びたが、凍てつくような空気は残る。
「悪い。そうだよな」
 一番に現状をもどかしく感じているのは、宮藤 咲なのかも知れない。理解が及ばない中、自分が関係あるらしい話を一方的にされる、怒りやストレスが溜まって当然だ。この点は、俺の配慮が全然足りていなかった。
「うわああぁーん。さきぃ〜、どうしてぇ、うんああぁ〜!」
 ゆかりは子守の背中に抱き付いて、とうとう号泣した。決まり手は、宮藤 咲の『誰ですか?』の一言だろう。
 当人に悪意はないのだろうが、ゆかりの心にクリティカルにブッ刺さったのは言うまでもない。
 もうどっから収拾をつければいいのか分からん! あの失貧乏神でさえ、ことの成り行きに目を丸めてんぞ。
「うっ! わたし、彼女にどっかで会ったことがある?」
 宮藤 咲は頭を抱えた。痛みに耐えるというよりは、必死に記憶を手繰り寄せようとしている感じだ。
 もう一押し。あとちょっとの切っ掛けがあれば、思い出せるんじゃないか?
「悪い宮藤、家に上がらせてもらう!」
 俺は返事も待たずに廊下を走った。
 宮藤 咲の部屋のドアを開け、勉強机に飾られた写真立てを手に取る。
「一か八かだ」
 すぐにみんなの元へともどる。
「今のお前なら、こいつが見えるんじゃないか?」
 俺は頭を抱えて俯く宮藤にも見えるよう、写真立てを下から差し向けた。
「私と、私が好きだったアイドルと……この子は?」
 見えている!?
「そいつはお前と同じアイドル好きの、お前の中学時代の親友だ」
 宮藤 咲は写真立てを手に取ると、呆然として動かなくなってしまった。懐古の念に浸ってくれていれば良いんだが。
「ゆかり、ちゃん?」
「思い出したか!? そうだ、その子はゆかりだ」
「わたし……この子に酷い仕打ちをしてしまいました。とても、許されないようなことです」
 表情は俯いているせいで見えなかったが、頬から滑り落ちる水滴が写真立てを濡らしていて、泣いているのだと分かった。
「顔の傷のことなら、もういいんだよ。お前のせいじゃない。ゆかり本人もそんなに気にしてねぇし。というか、自慢気だったくらいだぞ」
「違うんです。それも申し訳ないことをしたと思ってますけど……それだけじゃないんですよ」
「違うって、それが負い目で思い出すのを嫌がってるんじゃないのか? なら、何があった」
 宮藤 咲は涙でやつれた面を上げて、俺に一瞥をくれた。
「逃げたんです。ゆかりを傷付けた現実を認めたくなくて」
「逃げた?」
「わたしは、知らない振りをしてしまったんです。ゆかりなんて知らない。親友でもなんでもない。初めから関わりなんて無かった……と。本当は全部覚えていたのに」
 な、なんてことだ。あれは失貧乏神が忘れさせたから起きた悲劇ではなかったのか。
「でも、どういうことだよ。今のお前が演技で忘れた振りをしているとは、到底思えねぇ」
「そうですね、そこでも私は卑劣で最低だったんですよ。失貧乏神様に忘却を願ったんです。全部、嫌なこと、悪いことを、失貧乏神様に押し付けたんです。だから私は最低の卑怯者なんです」
 それはきっと、若さゆえの過ちだったのだと思う。
 親友の顔を傷付けた現実から目を逸らしたくて、ふとした弾みで、そうした態度を取ってしまう。中学生なんてそんなもんじゃないか。
 不幸だったのは、強力な力を持った失貧乏神が近くにいたことだろう。そのせいで振りだったことが現実になり、拗れていってしまったんだ。
 もし……なんて考えても意味はないが、せめてこれからの未来は、二人には親友であり続けて欲しい。
 少なくともゆかりなら、今の宮藤 咲を受け入れてくれるはずだ。
「ゆかり、ちゃん……」
「さき?」
 宮藤 咲が俺に寄り掛かるようにして、ゆかりを見て名前を呼ぶ。
 子守に泣きついていたゆかりはそれに呼応するように、ぴたりと泣き止んで、同じように宮藤 咲の名を呼んだ。
 まるで失った時間を超越するかのように、見えない思いが二人の間を交差している。
 それ以上の言葉もないままに、ゆかりは再び泣き出した。宮藤 咲も静かにだが、涙を流している。
「ゆかりちゃん、ごめんなさい、わたし……あなたに酷いことをしました。許してください……」
 ゆかりは子守から離れて、一歩ずつ宮藤 咲に近づいていく。
「もういいよ。昔のことなんてどうだっていいの。ゆかりもごめんね、咲。ゆかりがこんな怪我しちゃったから、たくさん悩ませちゃったんだよね」
「あれはゆかりちゃんのせいじゃない。私が全部悪いんです。なにもかも、全部わたしが……」
 その場に泣き崩れる宮藤 咲を、透かさずゆかりが支えになる。
 絵になるような美しい友情が、そこにはあった。
「もういいの。咲は十分苦しんだ。ゆかりは許すよ。全部許す」
「ゆかりちゃん!!」
「わ!? ……咲」
 子犬のように懐に抱きつく宮藤 咲を、ゆかりはぎこちない手で背中をさすって応じる。
「本当にごめんなさい! ゆかりちゃん、何度もアイドルの私に会いに来てくれてたよね。握手会とか、公開ラジオとか、ライブも。なのに私、そのことも次の日には全部忘れてた」
「うん、なんか、そんな気はしてた。一ファンとして接してくれただけでも、ゆかりは嬉しかったから、全然気にしてないよ」
「ゆかりちゃん、こんな私のこと嫌いにならないでくれて、ありがと」
「嫌いになんてなる訳ないよ! 咲はいつだって私の憧れなんだもん。それで、あの、もし良かったらなんだけど……ゆかりとまたお友達になってくれない、かな?」
「私なんかでよければ、もちろんです!」
 宮藤 咲は面を上げる。そこに悲しみの色はない。憂いの晴れた素敵な笑顔だった。
「さ、ささささ、咲と、お友達になっちゃった!?」
 素っ頓狂な声を上げる。
 ゆかりはこんな時でもブレねぇな……。一安心したことで、自分が一ファンであることを思い出したか。
 なんとか大団円にできそうだ。良かった、ほんとに良かった。一時はどうなることかと冷や冷やした。
『咲ちゃんに改めて問う。忘却を望むか?』
 宮藤 咲は凛として立ち上がり、失貧乏神と真っ向から対峙する。
「望みません」
『ならば、約定は破棄される。破棄にあたり、約定に従い、支払うべきを支払ってもらう』
「支払うべき……はい。思い出しました」
 なんだなんだ、穏やかじゃねぇな。これで幕引きじゃねぇのかよ。
「咲?」
「ゆかりちゃん、ごめんなさい。もう少しだけ、待っていてください」
 宮藤 咲は親友を心配させまいと、優しく言う。
 失貧乏神を知覚できないゆかりは、ただただ不思議そうに宮藤 咲を眺めている。「あの時と同じだ」そんな独り言をぼやいて。
「なあ失貧乏神さんや、その支払うべきってのはなんなんだ?」
『俺様は咲ちゃんの記憶を封じる為、この地に自らを縛り付けた。結果、その日に得られる力は限られた。埋め合わせをしてもらう。俺様の力が満ちるまで、咲ちゃんからはすべての記憶を対象に、一番大事な記憶から順に奪わせてもらう』
「ちょ、ちょっと待ってくれ。んなことして宮藤は平気なのかよ」
 記憶ってのは人格を支えるものだ。その支えが抜けてしまったら、最悪廃人となってしまうのではないか? 痴呆老人が街を徘徊するように、宮藤 咲もなってしまうんではないか?
「天野さん、ありがとうございます。でもいいんです。当然の代償……いえ、報いなんです」
「良いわけねぇだろ。また、ゆかりを忘れちまったらどうすんだよ」
「咲?」
 ゆかりが不安そうに宮藤 咲の名をつぶやいた。
 二人はようやく復縁できたんだ、そっとしておいてやってくれよ。
『ならば、君が肩代わりするか? 約定にも、対象者は定めていない。俺様は力を得られればそれで良い』
「いけません、失貧乏神様! どうかお考え直しを。ことの発端は私にあります、私が支払うのが筋というものです!」
 珍しく、宮藤 咲が神様相手に意見をぶつけている。
 俺を心配してくれているのか。もしくは単に責任感からなのか。どうにしろ嬉しいぜ。
「失貧乏神! 脅しのつもりか知んねぇけど、俺はお前のことなんか怖くねぇ」
「天野さんも! 挑発するような言動を取ってはいけません。相手は神様なんですよ? 本当に奪われてしまいます」
 宮藤 咲は制しようとするけども、俺は止まる気になれない。
「色々と分かったことがある、お前の力について」
『ほぅ。興味深い、話してみろ』
「お前の力はなんか胡散臭かったんだ。物を失くさせる? 記憶を封印する? 認知を歪める? 出来過ぎだろ。本当は、これらに共通した別の力が元なんじゃねぇのか?」
『その力とは?』
「……一言で言うのなら、注意力だ。特定の物事に意識を注ぐ力――お前はそれを人から奪うことで、別の色んな力を持っているように思わせていた。違うかよ」
 特定の物を失くすのも、特定の記憶を思い出せなくさせるのも、特定の視界内の物を認識できなくさせるのも、ブラを着けていないことに違和感を覚えないのも、すべて、意識が向かないからこそ起こる事象だ。
『天晴れだ! だが、思わせていた訳ではない。名に失(うせ)と冠しているのも含め、俺様をこういう存在として生んだのは人間どもの想いだ』
「ならよ、今からでも名前を変えてみたらどうだ。こんなのはどうだ、注意力貧乏神!」
『ならん。浅はかな人の歴史を背負(しょ)って生きるも、神として世に出でた俺様が務め』
 変なところにプライドをお持ちのようだ。
「その注意力を奪っていられるのも、一日二日が精々なんだろ?」
 数日前のことを思い返す。宮藤 咲に失くした鍵を渡した際、一日もすると思い出せる、と言っていた。
 失貧乏神がゆかりに関する記憶を消す為、この地に自らを縛り付けたのも、継続的に注意力を奪い続けるのに必要だったからじゃないか。
「廃人になったとしても、たかが数日だろ? 恐るるに足らずだ」
『カァーハッハッハッハ! カァーハッハッハッハー!! 人の分際で神を恐れぬ豪胆さに、俺様は恐れ入るぞ! では、その認識の甘さを思い知らせてやるとしよう』
「なに?」
 失貧乏神のオーラの色が、白から攻撃的な赤紫に移っていく。沸き立つ球に粘度が生まれて、マグマのように弾け飛ぶ。
『人が記憶を思い出せるのは、切っ掛けとなる違和感を得られてこそ。すべてを忘却し更地と化せば、無から抜け出せる道理はない。いやはやそれ以前に、呼吸の仕方を忘れてしまっては、何かを思い出す間もあるまい』
「ま、マジかよ」
 俺は完全に威圧され、指一本まともに動かせない。
 俺の考えが甘かったのか……。でも後悔はない。尚のこと、宮藤 咲からは奪わせなくて良かったと思う。
 宮藤 咲は俺と違って、多くの人を幸せにできる力があるんだ。男で凡庸で年上である俺が、犠牲になれるのなら、むしろ望むところじゃないか。
『今一度問う。咲ちゃんに代わって、支払うべきを支払う覚悟はあるか?』
「あ……ああ。やってくれ」
 貧しても鈍しない、それが俺の生き様だ。育ててくれた両親には申し訳ないけれど、感謝の気持ちでいっぱいだ。
『その意気や良し』
 赤紫のオーラが膨らんで、俺の全身を包み込んだ。シャボン玉が潰えるように、俺の人格を形作るなにかが消える。それがなんであったのか、もう思い出せない……。
 どれくらいの時間が経っただろうか。数秒なのか、数時間なのか、俺の中の時間の概念すら揺らいでいるように思う。
 赤紫の視界が薄まると、宮藤家の日本庭園の風景が見えてくる。
 紅葉した楓の樹。橋のかかった鯉の泳ぐ池。その上を飛ぶアキアカネ。秋の乾いた風が吹くと、露出した肌が冷たさを覚える。
 宮藤 咲。電貧乏神。ゆかり。子守。家の事や職場の事。今日の経緯。すべてを鮮明に思い出せている。
「天野さん、私が誰か分かりますか?」
 宮藤 咲が俺の顔を覗き込んでくる。
「宮藤だろ? ど、どうなったんだ。俺は、なんもかんも忘れてしまったんじゃないのか?」
『戯れじゃ』
 空中浮遊した電貧乏神が、やれやれといった感じで現れた。
『やつの力は既に満ちておる。であれば、奪われる注意力も無きに等しい。よって、すべては戯れなのじゃ』
 たわむれ……。俺は失貧乏神に弄ばれただけなのか。
 全身からどっと力が抜けて、俺はその場にへたり込んだ。
「天野さん!? 大丈夫ですか? しっかりしてください」
 宮藤 咲が付き添うように背を撫でてくれる。俺は思わず余ったその手を強く掴んだ。
「あ、天野さん?」
「よ、良かった……」
 宮藤 咲が無事で、俺が無事で、本当に良かった。正直、最後の方は破れかぶれになっていて、めっちゃ怖かった。
「手、震えてますよ」
 言われて気づく。俺の手、雪遊びをした後みたく小刻みに震えやがる。
『カァーハッハッハッハ! カァーハッハッハッハー!!』
 相変わらず高笑いが鼻に付くやつだ。
 こいつのこと、憎むべきなのか。なにか、違う気がするな。こいつを憎むのは違う。
「こけ威(おど)しとは趣味が悪いぜ、マジで」
『命拾いして良かったな、人間!! だが、安堵するにはまだ早いぞ!?』
 荘厳さの欠片もなくなった失貧乏神は、両の足を天に向けて嘲笑う。その体勢にきっと意味など無い。
「まだなんかあんのかよ」
 これ以上辟易としたら、家まで帰る気力が持たんぞ。
『人生は楽しまねば損だ!』
「そ、そうだな」
 本日の『だからなんだよ!?』案件。
『さて、肩の荷も降りたところで、俺様もそろそろ!』
 失貧乏神のオーラが白くなり、眩いばかりの光を放つ。
 光が収まるとそこには――誰だこいつ?
 小学生くらいの容姿でタキシードだった失貧乏神が、黒のスーツを着こなす好青年に変貌していた。
『成ったか』
 電貧乏神が俺の肩でつぶやいた。
「成ったってなんだ?」
『やつは失貧乏神に非ず。力を集めて神格を上げた事で、福神に成ったのじゃ。改め、失福神(うせふくしん)じゃな』
「うせふくしん?」
 よく分からないが、上限に達した将棋の歩が、好きなタイミングで金に化けたようなもんなのだろうか?
『咲ちゃん、ここへ』
「は、はい」
 失びん――福神に促されて、宮藤 咲が戸惑いながらも前に出る。
『咲ちゃんに、福神となった俺様から加護を授けよう!!』
 失福神が軽く息を吐くと、白いオーラが続いて宮藤 咲を包み込む。次第にオーラは、空気に溶けるようにして消えていった。
『物忘れ防止! 記憶力向上! 集中力増加! しかも福神となった俺様の効果は一生ものだ! 凄い!!』
「身に余る加護、ありがとうございます失福神様」
 宮藤 咲は上手く状況を飲み込めていない様子だが、感謝が先立つところは流石だ。
『では咲ちゃん、お別れだ!』
「え? ここに留まってはいただけないのですか?」
『福神となった俺様は、すべき事が山積みだ! 電貧乏神ちゃんも、しばしの別れだ! 一足お先に高天原(たかまがはら)に行っている!!』
『そか、達者でのぅ』
 天へと通じる光の柱が現れたかと思えば、光の柱ごと跡形もなく消え去った。
「失福神様! 今までありがとうございました! この御恩は一生忘れません!」
 宮藤 咲の感謝が空に響く。あの厚い雲を抜けて、失福神様に届きますようにと。
「失福神様には、何から何まで良くして頂きました。実は電貧乏神様の居場所を特定できたのも、失福神様が教えてくださったからなんです」
 宮藤 咲は、俺に向かって寂しそうに話す。俺にも良いように思って欲しい、そんな意図が透けてみえる。
「あいつ、そんなことまでできるのか」
「失福神様はとても器用でいらっしゃいますよ。あの時はどうやったのか分かりませんでしたが、今にして思うと、御自身の注意力を高めて、遠く離れた電貧乏神様の気配を気取ったのかも知れませんね」
「でも、お前が電貧乏神と再会したのって、割りと最近の話だよな?」
 それまでの間の空白はなんなのか。
「そうですね……。私が電貧乏神様とお会いしたい気持ちは、失福神様も分かってくれていたと思います。その上で、よい加減で私が過去と向き合う切っ掛けになればと、そう思ってくださったのかも知れません」
 すべては宮藤 咲の都合の良い思い込みのようにも思える。
 いいじゃねぇか思い込み。人間は信じたいものを信じて生きてくもんだ。それの何が悪い。
「あの……」
 ゆかりにコアラのように抱きつかれた子守が、探るように声を忍ばせた。ゆかりを振り払う素振りもない。
 あ、すっかり二人のことを置き去りにしてしまっていた。かといって、事情を一から説明するのも難しい。
「お二人が何と話されていたのか、聞くつもりはありません。聞いても仕方がないですから。……それで、話は終わったんですか?」
「はい。終わりました」
 宮藤 咲が屈託のない表情で答えて、続ける。
「気を遣わせてしまってすみません。もう平気です」
「なら良いですが。ゆかりのことは、まだ覚えていますか?」
 他ならぬ子守が訊いた。その腰にぎゅっと抱き付くゆかりは、母親に甘える子供のようである。
「もちろん、覚えています。神に誓って、二度と忘れません」
 その言葉は子守に対して、というより、どこか不安そうにしているゆかりのためのものだった。
「咲」
「ゆかりちゃん!」
 二人を阻む障害のなくなった今度こそ、手に手を取り合い、存分に喜びあった。
「子守さんがゆかりをしょっ引いて来た時は、俺はどうなる事かと背筋に冷たいモンが流れたよ。でも、なんか仲良さそうに見えるんだけど、二人は知り合いだったりするのか?」
 ゆかりのストーカー事件の時に、子守はゆかりを探し出して注意するような旨を話していたが、そこで知り合いになったのだろうか。
「お母さんとゆかりは、親子だよ?」
 ほんとアホかよゆかりは、まーた変な事を言い出したよ。
 冗談にしてはツッコミ難い内容だ。だって、否定するこれといった明確な材料がないのだから。……いや、嘘なんだろ?
「ゆかりの証言だけでは、天野さんを納得させるのに足りないようですね。僭越ながら、ゆかりは私がお腹を痛めて産んだ実の娘です」
 子守まで冗談に乗っかってきた。ん? 本気で言ってる……。
「子守さんお子さんがいらしたんですね、私、知りませんでした」
 宮藤 咲が感心する。その口調は、事を受け入れているようである。
「私情を仕事に持ち込むのは嫌だったんです。もちろん、マネージャーの立場を利用して、ゆかりに内部情報をリークすることはありません。それが条件の一つでもありましたから」
「条件って、なんの?」
 たまらず俺は訊いた。
「ゆかりは中学の頃、親友である咲と一騒動あって、酷く元気を無くしました。それでもアイドル好きの趣味だけは、変わりませんでした。数年が経ち、ゆかりは咲がアイドルを目指して活動していることを、どっかから聞きつけたようで、久々に私に楽しく話すじゃありませんか。そこで私は今あった職を手放し、ゆかりのため、咲のマネージャーに転身することを決めたのです。その際に交わした条件の一つです」
 宮藤 咲も知らなかったらしく、驚きを顔に隠せていない。
「そうだったんですね。当時は、アイドルの卵である私にマネージャーが付くのは異例で、上の人たちがどうしたものかとぼやいていたのを覚えています。ふふふ」
 宮藤 咲は人様の困った表情を思い返してか、天使のような笑みを浮かべた。
「私がアイドルをやれているのは、陰でゆかりちゃんの支えがあったからなんですね。ゆかりちゃんと子守さんには、恩が出来ました」
「ゆかりはともかく、私に恩を感じる必要はありませんよ。私はただ、給料に見合った働きをしているだけですから」
「当初はまともな給料が払われていなかったと、聞いていますよ?」
「それは……私は人に投資するのが得意なんです。結果として、咲はアイドルとして大成し、それに伴い私の給料もその辺のサラリーマンを超えました。なので、すべては投資です」
 無給に近い期間を投資の一辺倒で通すのは、聞き苦しい言い訳のように思える。
 ツンとした顔を若干赤らめている子守を刺激するのは、藪蛇待った無しだろうから、あえて突っつく事もなかろう。
「しっかし、二人が親子かぁ」
 改めて見ても、違和感しかないな。
 先ず持って、性格に開きがあり過ぎる。片やおっちょこちょいで自分勝手、片や堅実で世渡り上手。
 美人なのは共通しているが、同じ美人でも趣が少し違う。言われてみれば似てる箇所があるかも、といった程度でしかない。性格も容姿も、父の方に似たのだろうかね。
 にしても一番のミステリーは二人の年齢差だ。
 宮藤 咲がたしか十九歳で、ゆかりは同級生だから、子守の年齢は……だいたい四十前後? いや、三十代前半にしか見えないんだが。それもスーツだから大人びて見えるのであって、ラフな格好なら大学生でも普通に通りそうだ。ましてや成人した子持ちなどとは、想定しろという方に無理がある。
「私の体をジロジロと見て……。なにか邪な感情をお持ちですか? 死にたいのですか?」
「そういうつもりじゃ」
 俺の視線は子守の毒舌によって撃沈する。別に変な意味で見ていた訳じゃないんだが、とりあえず、まだ生きていたいです。
「そうだ天野さん、ゆかりからのお詫びの品はちゃんと受け取りましたか?」
「ああ、もみじ饅頭な。すごく美味かったよ。となると、あれは子守さんの差金だったのか」
「半分はそうですね。直に行って謝罪するよう言い聞かせましたから。その際は、最高に美味い土産を持つようにとも」
「大変だったんだよ!?」
 ゆかりが頬を膨らませて、腹に抱えた感情をあたりにぶち撒ける。
「電車に揺られて片道三時間、わざわざ買いに広島まで行ったんだから! 無駄に交通費かかったし。私はその辺のを適当に買えば良いって言ったんだけど」
「ゆかりへの罰でもあります。あれが私の知る、一番美味しい郷土土産です。すこしは反省したでしょう?」
「ぐぅー。反省したよ、すっごくね」
 ははは。それで詫びに来るまでに、数日の空きがあったのか。俺の知らなかったところで、ゆかりも色々あったんだな。
 この話はひと段落着いた、かのように思えたが、子守の口撃は休まることを知らないようで。
「ところでゆかり、天野さんの手引きがあったとは言え、咲の許可なく敷地内に侵入していたのは、事実ですか?」
「えっ!? でもそれは天野が……咲、たすけて咲!」
「私ですか?」
 宮藤 咲は逃げるゆかりに突然頼られて、というか、盾にされて、戸惑った。
 戸惑いながらも、子守を抑えようと笑顔で対応している。
「私なら気にしていないので、どうかゆかりちゃんのことは許してあげてください」
「天野もなにか言ってよ。あなたが主犯なんだからっ!」
 宮藤 咲だけでは飽き足らず、俺にまで臆面もなく救いの手を要求して来やがった。
「それとこれとは話が別です。ゆかり、往生際が悪いですよ。ここでは難ですから、さぁ帰りましょう。帰ったらお説教です」
「いったたいたいたいったたたぁーい! ゆかりの耳たぶを引っ張らないでよぉ。伸びちゃう。取れちゃう! もっと咲とお話したいのにぃ」
「それが今回の罰です。もう社会人なのだから、人に会う前には約束を取り付けるという常識を持ちなさい」
 俺がなにかを言うまでもなく、天誅は下った。いや、下るのはこれからか。すまんなゆかり、半分は俺の責任だ。あとで余ってるもみじ饅頭をくれてやろう……。
 子守に連行される形で、ゆかりも遠ざかっていく。
「咲ぃ! また会いに来ても良いかなぁ!?」
「もちろん! アイドルの話とか、いっぱいしようねー!」
 ゆかりの最後は喜色にまみれた退場となった。
「アイドルになった方がコネを使ってサインを貰ってくる、その約束を、私はちゃんと思い出したよ」
 もうゆかりの姿はないのだけれど、宮藤 咲は誰かに言い聞かせるように呟いていた。
「アイドル、続けていけそうか?」
「はい。天野さんのお陰で、言い表せない何かの答えを、見つける事ができました。本来なら忘れちゃいけない、苦くもあり甘くもある、とても大切な想いでした」
 苦いと言う割りには、どこか吹っ切れた明るい顔をしている。
「忘れていた天野さんとの会話も、思い出しましたよ。もう一生忘れません」
 それは、ゆかりストーカー事件の日のことだろう。宮藤 咲との電話で、切り際にぎこちない感じになった。思い出すだけで気恥ずかしい。
「ああ、そいや、失福神はもう戻ってこないのか」
「あの口振りでしたから、おそらくは」
「そうか。ってーことはだ、電貧乏神。お前の新しい祠の移転先、決まったな。新しいというか、古巣だが。もう嫌だなんて言わないだろ?」
『そうなるのぅ』
 あまり嬉しそうじゃないな。俺のとこより美味いもんを自由にたくさん食える宮藤家の方が、電貧乏神にとって喜ばしいもんだと思うが。そうではないのだろうか?
「電貧乏神様っ! 電貧乏神様がついに私の家に……ふふ、ふふふふふふふ! 感無量です」
『うむ。また世話になるのぅ』
 低いトーンの声だ。
 宮藤 咲は大喜びしているのだから、それに合わせてテンションを上げてやってもいいだろうによ。
「あの……天野さん、本当に良いんですか?」
「え? 俺は別に」
 宮藤 咲は俺に気を回した。んな必要ないってのに。
 そりゃここ数ヶ月電貧乏神と共に過ごして、愛着が湧かなかった訳じゃない。
 わがままでアイドルのこととなるとうるさい奴だったけど、一人の生活よりも賑やかで華やかで、ずっと楽しかった。教えられることも多かったと思う。その辺は、腐っても神様だったな。
 でもそうか、これからまた一人の生活に逆戻りなのか……。
「なにも会えなくなる訳じゃないしよ。電貧乏神も、元いた所に戻るだけだし」
 俺は強がりを言っていた。そんなつもり全くないのに、なぜか強がりになる。
「天野さんは、電貧乏神様のために新たに中古のウォークマンを買われたんですよね?」
「そうだけど?」
「その寿命はあとどれくらい持つのでしょうか?」
 宮藤 咲の脈絡のない質問に、俺が首を捻っていると、代わり電貧乏神が答えた。
『三ヶ月くらいかの』
「お答えいただきありがとうございます、電貧乏神様。――天野さん、祠の移転はウォークマンの寿命が無くなってからでも、差し支えありませんか?」
「ああ、まあ。その為だけに買ったもんだし、それ以外の電化製品に手を付けないってんなら、なんの問題もないな」
 そう考えると、なにも移転を急ぐ理由はない。俺の家に電貧乏神による被害が出ないなら、俺はそれで良いのだから。
『そうか。ならば訂正じゃ、三ヶ月ではなく四ヶ月は持たせるぞ』
 急に電貧乏神が元気を取り戻す。
 『ならば』の意味がよく分からないが、それってつまり、食事制限をするってことだろ。なんで、そこまでするんだよ。
「食えよ、普通にさ。でも良いのかよ宮藤。お前は一日でも早く電貧乏神に戻ってきて欲しいんじゃねぇのか?」
「……戻ってきて欲しい。心から、そう思っています。ですが、電貧乏神様の幸せも、同じくらいに大切に思っています。それに天野さんも、電貧乏神様が側についていた方が安心だと思います」
 安心、か。それは悔しいけど、その通りだ。神様を知覚できる体質になったせいで、色んな貧乏神と関わりを持つことも増えたし、この先でもきっといざこざは起こるだろう。
 その時に、電貧乏神が身近に居てくれると頼りになる。……ほんと、悔しいけど、良い奴なんだよな、こいつ。
「私はもうしばらく我慢します。代わりに一つ提案をさせてください。私、天野さんはもっと神様について知るべきだと思うんですけど、天野さんはその点、どう考えていますか?」
「返す言葉もないよ。いつまで視現書の効果が続くのか知れないけど、もしかしたら、死ぬまでこの体質なのかもだし。だったら知って損はないし、付き合い方は学んでおきたい。どっかで講座でも開いてくれてれば楽なんだがなぁ、そんなとこねぇよな」
「ふふふ。講座は開いてませんが、お詳しい人なら知っていますよ。私はその方から神様のイロハを教わりました。もし良ければ、今度一緒に会いにいきませんか?」
「そいつは渡りに船で有難いな。どういう人なんだ?」
「私の祖母です。とってもユニークで、気前の良い明るい方です。視現書でもお世話になっています。そうそう! 視現書を取り寄せた時に、天野さんの話をしたら、大変興味をお持ちになっていました」
 おいおい、情報量が多くて処理が追っ付かないんだが。
「色々と聞きたい所だが……。視現書ってお前の祖母が書いてたのか」
「はい。稀有な力を宿した代物で、私は一枚だけ、備蓄することを許されています。昔に、一枚五百万で譲って欲しいと、交渉を持ちかけられたことがあったそうですよ」
「い、一枚で五百万!? 俺、二枚も使っちまってるんだが……」
 視界がグラつく。頭から血の気が引いてくのを感じるぜ。ははは! って笑えねぇよ。
「祖母は笑顔で一蹴したそうです。お金で神様を売るような真似はできません、って」
「は、はぁ!? 断った? 信じらんねぇ」
 白い紙に一筆走らせただけで五百万得られるのに、断るやつがあるだろうか? 並の神経では無理だろう。それこそ大富豪でもない限りは、プライドより金欲が先に立ちそうなもんだ。
「私この時期は毎年、学校やお仕事を休んで、祖母の家で暮らすんです。アイドルを思い切って活動休止したのも、この時期が近かったからというのもあります」
 どうせこの後に長期休暇を取るのだから、いっそのこと活動休止にしてしまおう、っ魂胆もあったのか。
 それでも活動休止となると、熱心なファンほどショックを受けざるを得ないと思うが。そこは、他の細かい事情もあったんだと思いたい。
「察しの悪いゆかりみたいに猪突猛進な輩も少なからずいそうだがな。ちなみに、滞在期間ってどんくらいなるんだ」
「二週間くらいが恒例ですね。その短い期間に、神様についてのことを教えていただきます。私にとって、すごく大切な学びの時間です」
 それこそ学校の授業なんかより、よっぽど人生の為になるのだろう。
 十月も終わろうかという微妙な時期なのが、気になるっちゃあ気になる。夏休みでは駄目な理由があるのだろう。
「二週間か、残念だけど、財布的に厳しいな」
 その間仕事ができないとなると、経済的に破綻してしまう。両親への仕送りは、絶対に滞らせたくない。
「ご心配には及びません。祖母にその旨伝えれば、ユニークな仕事を紹介していただけると思います。ふふふ。私も毎年駆り出されてます。少し早いお年玉を、たくさん貰えます。天野さんも、一ヶ月暮らすのに困らないくらいのお金は、貰えると思いますよ」
 ユニークな仕事が具体的になんであるのか、想像は付かないが、神様に関連した何かなのだろう。
「……仕事休めるか、後で職場に相談してみるよ」
「是非にそうしてください! ふふふ。今年は天野さんと一緒かぁ。楽しくなりそうです」
「お手柔らかに頼む」
「天野さんとは長い付き合いになる気がします。改めてよろしくお願いします」
 宮藤 咲がにこやかに握手を求めてくる。
 畏まり過ぎな気がしたが、俺は差し出された細い手を握って返した。
「よろしくな」
「私、天野さん天野さんって呼んでましたけど、下の名前はなんて言うんですか? 聞きそびれてました」
『わしも知らぬ。なんと言うのじゃ?』
 電貧乏神まで知らなかったのか……。別に隠していたつもりはないんだけどな。
「天野 翔(かける)だ。飛翔の翔で、翔」
「ふふふ。いつか高天原に行けちゃいそうな名前ですね!」
「縁起でもねぇ。そん時は、帰りのチケットがポケットにあることを切に願うよ」
「私の分のチケットも、確保お願いしますね。天野……翔さん」
『高天原は人間が電車で行って帰ってこれるような、気易い場所ではないぞ』
 だろうな。そもそも行かねぇっての。
 握手を解くと、話題は雑談に逸れていった。ゆかりの事や、子守の事、失福神の事、天界の事、アイドル活動の展望や、俺の仕事についても。
 縁側から秋の日本庭園を愛でながら、思い付いた話題の端から盛り上がった。
 宮藤 咲と別れた頃には、すっかり日も暮れていた。
「喋りすぎたな。たくさん笑ったせいで喉もイガイガする」
『尊い時間じゃった。またコンビニに寄って帰るのか?』
「だな。たまにはおでん食いてぇなぁ」
『良いな良いな! 今夜はパーっとおでんでパーティじゃあ』
 合いの手を差して喜ぶ。その姿は尊厳な神様ってより、楽天的な妖精のイメージのが近い。
 コンビニで電貧乏神にあれよあれよ気分を持ち上げられて、大食漢一人前のおでんを購入した。他にも菓子や菓子パン、飲み物に明日の仕事の昼食用にと弁当も、目に付いた食いもんをとにかく購入した。
 買い物って楽しいな。たったの四千余円で、宮藤 咲と別れて空いた心が一瞬で満たされる。解放感も半端ねぇ。
 俺は家に帰って、俊樹の出演しているテレビドラマを鑑賞しながら、胃袋と腸がいっぱいになるまで食べまくる。
「卵うんめぇー!」
『主よ、主よ! 今度はわしにハンペンを捧げるのじゃ。あと卵と大根、ついでにコンニャクも頼むぞ』
「ほらよ」
 小皿に箸で注文の品々を乗せてやる。電貧乏神が食べたおでんは消えずに残るから、既にあるおでんの具に積み重なって、山のように高くなっていく。
『うっほ〜。今夜の主は太っ腹じゃあ。今だけは大将と呼ばせてもらおうかのぅ』
「今夜と言わず、また食わせてやるよ。はあ〜至福だー」
 二リットルのオレンジジュースをラッパ飲みして、空いた手でポテチを掴む。
 ……こうして楽しい夜は更けていった。


 翌日の仕事から帰宅し、俺は自室を一望しては愕然とした。
 ゴミ、ゴミ、ゴミ……食べ物のゴミ。それはまだ良いが、机の端っこで翻っている長いレシートに、否応なく嫌悪感を覚える。
 俺はまるで死んだゴキブリにでも触れるように、震える指先でレシートをめくった。
 四千余円。なんど目を瞬いてみても、四千余円は四千余円。二日で消費し切るには、あまりにも度が過ぎた食費。
 馬鹿な自分を殴ってやりたい。つか、殴った。ちくしょうが! 殴られた頬が痛い……。
 今考えると、あの時の俺はどうかしていた。正気の沙汰ではなかった。
『おう、おかえりじゃ。主よ、おでんはどこじゃ? しばらくはおでん三昧だと、主が言ったのじゃぞ。おでんを出すのじゃ。おでん! おでん!』
「じゃかましいわ、ボケ! 誰がそんな散財してやるかっ!」
 俺はさっさとゴミを片して、形だけでも平静を取り戻す。
『むぅ。やはり、時間切れか』
「なに?」
『主は失貧乏神の赤いオーラに包まれて忘却していたのじゃよ、一番大事な記憶――自身が貧乏である記憶をの。当然、引っ掛かりとなる違和感も多くあろう、すぐに取り戻すのは自明の理じゃ』
「そこにつけ込んで、俺におでんを買わせまくったわけか、お前は」
『怖い顔をするでない。あの時の主は、際限知らずの飢えた獣のような物で、止める術などなかった。むしろ、食費という比較的安価で済ませられる物欲で欲求を満たせたのは、不幸中の幸いと思うべきじゃろ』
 電貧乏神はもっともらしい御託を並べ腐りやがる。
 ……まあ、中古の電化製品店に行くよう仕向けられたら、それこそこいつの思う壺だった訳だけど、そうはならなかった。温情と言える、のか。
「俺の金が……」
 湯水のごとく流れて、涸れた。
 仕事も長期休暇を取ってしまったし、これで余計に背水の陣で、宮藤祖母家であくせく働くしか道がなくなってしまった。
「お前ら貧乏神と関わってみて、一つだけ確かなことがある」
『なんじゃ?』
「俺の暮らしがますます貧乏になっていくってこった」
 だけれども、いつかの父は言っていた。貧乏とは、幾ら与えられても満たされない心の性質を指すのだと。
 父は、そして俺は、そうならないよう肝に銘じて生きてきた。
 俺の家計は相変わらずの火の車だが、父の教えのお陰か、心はそう窮屈ではない。
『視現書を読んでわしらを知覚できる体質になったこと、後悔しとるのか?』
 テーブルに佇む電貧乏神が、物寂しげな顔を向けてくる。
「いや、まー……人生ってそういうもんだよな。楽しまないと損っつーか。あと数ヶ月だけど、よろしく頼むよ、電貧乏神」
『うむ。良き心構えじゃ。それでこそ主じゃ』
 金が無いなら働いて稼げば良い。簡単だ。結んだ縁を失うくらいなら、俺は苦しくても労働を選ぶ。
 その方が、ずっと人間らしい生き方だと思うから。金はなくとも人間らしく、この先も俺は生きていく。


 それから二週間が経った。
 朝出発して、何時間も電車に揺られ、夕方頃にやっと敷地に到着した。
 そこから視える景色に家はなく、続く階段はまるで、山の中へと続く森だった。
 重いスーツケースを持ち上げつつ、落ち葉を踏み砕いては、眩暈を誘うような長い階段をひた登る。
「これ、何階あるんだ……」
「百八階段あると聞いたことがあります」
 隣りで軽快な足取りの宮藤 咲が答えた。息を切らせていないのは、いったいどんな魔法を使ったのか。ここまで来るのにバスを利用したが、そこからもかなりの山道を歩かされたというのに。
「煩悩塗れでもいいから、今すぐ階段を取っ払ってやりたいよ」
「天野さん、それこそが煩悩ですよ」
 煩悩が百八個あるからって、階段の数を同じにする必要が何処にあったのか。訪問者に対する嫌がらせとしか思えない。
 宮藤 咲の祖母がよそ者に対して肩肘張った態度を取る人だったら、嫌だな。俺、帰るに帰れぇのにさ。
「もうすぐです」
 見上げると、赤い鳥居に、なんだかよく分からない生き物の石像の番いが俺を見下している。
「し、しんどい」
 やっとこさ階段を制覇する。開け放たれた空間の奥に、神社のような大きな建物が見えた。
「お前の家、これで神社じゃないって……マジ?」
「模していますし、よく勘違いする訪問客がいらっしゃいますが、一応神社ではないです。中でやってることも、まあ、神社さながらなんですけどね」
 それもう神社じゃん、と口に出す気力も湧かない。
 真っ直ぐに伸びる石畳の、その脇に、何百年、いや、何千年と生きていそうな巨大な御神木が天に向かって突き抜けている。太い幹にはしっかりとした注連縄(しめなわ)が結ばれており、やっぱりこれもう神社じゃん、って思う。
「ババ様!」
「よう咲、よく来たねぇ」
 柔らかな人相からして人の良さそうな婆さんが、愛らしく手を腰の位置で振って寄ってくる。すぐに駆けつけた宮藤 咲と合流して、手をはわせて再会を喜び合った。
「初めまして、天野といいます。この度はご厄介になります」
「あんたも、よう来たね。待っとったよ。咲から事情はかねがね聞いとります。都会と違って寂しいところかもしれませんが、ま、上がってください」
 丁寧に迎えられて、俺の一抹の不安は消えていく。
 言葉の端々から穏やかさが滲み出ている。初対面なのに、話しているだけで身を委ねて安堵したくなる、そんな不思議な魅力を秘めた人だった。
 歳は八十歳半ばくらいに見える。髪はまだ黒く、後頭部で丸く纏めて団子になっている。背筋はピンと伸び、それだけでも若々しく見える。地味な色合いの和服は、景観に溶け込むように良く馴染んでいた。
 これから二週間、俺はここで神について多くを学ぶだろう。
 だけどまさか、ここにも複数の貧乏神がいて、しかもあんな事件に巻き込まれることになるなんて――いや、ちょっとだけ予感はしていた。
 もはや、こっちが慣れた方が早い気がする。貧乏神は意外と俺らのそばにいる、先ずはそこを受け入れるのが、ここでの最初の学びになりそうだ。
日暮れ 

2022年01月17日(月)21時14分 公開
■この作品の著作権は日暮れさんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
目次。
一話 電貧乏神と聴けないオルゴール
二話 筋貧乏神と開かないドア
三話 失貧乏神と知らない親友

後書き。
拙作は、私の書き上げた二作目の長編となります。
前作は女性主人公だったので、今作は男性主人公にしてみました。
ジャンルは、現代、貧乏神、非日常。恋愛要素もちょいありますが、ジャンルで括るには足りていないと感じております(敢えてそうしました)。

分かりやすい文章とストーリーを心掛けて書きました。軽く読んで、読み捨てていただけたら幸いです。そのくらいどちらも軽っ軽な感じを目指しました。

締め方は賛否あるかもしれませんが、私はこういう締め方も有りだと思っています。皆様にも、拙作は独立した完結作としてお読み頂きたい。
その上で、なんですが、お聞きしたいことがあります。
もし四話、五話、六話……と話しが続いたら、読んでみたいと思いますでしょうか? もしくは、もうお腹いっぱいで、この作品はこれで十分だと思うでしょうか?

※一作目の長編を読了してくださった皆様、本当にありがとうございました! 拍手の数が増えるのを見るのは、私の密かな楽しみでした。
私の新年の抱負は、前作の拍手を拙作が上回ることです(もはや他力本願?)。今回もご協力のほどお願い申し上げます。


この作品の感想をお寄せください。

2022年02月17日(木)06時39分 日暮れ  作者レス
かもめしさん
御作を手に取っていただきありがとうございます。

>日暮れ様が意識された分かりやすい文章とストーリーは、ラノベ読者に受けると思います。
それを聞けて安心しました。
ですがまだまだ未熟なので、もっと精進していきたいと思います。

>「世の中のネガティブな事象はそれぞれ貧乏神が憑いているせい」というアイディアは中々斬新で、これからどんな貧乏神が登場するんだろうっとワクワクしました。
興味を惹けるアイディアになれたようで、良かったです。

>例えば、冒頭の主人公が藤宮さんの足をドアに挟むシーン。
なるほどです。
拙作が最後まで読まれないのは、ここのシーンの読者受けが悪いのが理由の一つのようです。
開幕早々で「女の子に暴力振るうのはちょっと……」となる人が多いのかもしれません。
ここは、やりようを考え直した方が良さそうです。参考にします。

>それから宮藤さんの美貌にどぎまぎしている描写などを加えると読者から共感を得やすいと思います。
やはりラノベでボーイミーツガールしたら、こういうのが必要ですね。
拙作ではあえて恋愛要素を抑え気味にしたのですが、それが却って良くなかったようです。

お読みいただきありがとうございました。

pass
2022年02月16日(水)17時01分 かもめし upMT8OuaYE +10点
初めまして日暮れ様。かもめしと申します。
作品を読ませていただきました。ド素人ながら感想を書かせていただきます。

日暮れ様が意識された分かりやすい文章とストーリーは、ラノベ読者に受けると思います。
「世の中のネガティブな事象はそれぞれ貧乏神が憑いているせい」というアイディアは中々斬新で、これからどんな貧乏神が登場するんだろうっとワクワクしました。
全体的に読みやすい印象でしたが、読みやすさを意識しすぎて所々描写が足りないなぁっと個人的に思いました。

例えば、冒頭の主人公が藤宮さんの足をドアに挟むシーン。
確かに藤宮さんが強引ではありましたが、それを力技で締め出す主人公の荒っぽさは読者から反感を買う危険性があります。
締め出すにしても主人公が躊躇する描写を入れた方がいいと思います。それから宮藤さんの美貌にどぎまぎしている描写などを加えると読者から共感を得やすいと思います。

以上で感想を終了させていただきます。拙い感想で申し訳ありません。
33

pass
2022年01月29日(土)22時13分 日暮れ  作者レス
カイトさん
この度は拙作を読んでいただき、ありがとうございます。

>まず、「世の中のネガティブな事象はそれぞれ貧乏神が憑いているせい」というアイディアが、とても面白いと思いました。
ありがとうございます。
拙作の独自性はこれ一本なので、面白いと思って頂けて良かったです。

>そのほかの貧乏神たちも、クスリとくるいいネーミングだったと思います。
電・筋・失と頭文字で性質を表せるのは作者として楽で、読み手にも分かり易いのかなと思いました。
(失に関しては、これを利用して読者を引っ掛けるような内容にしてありますが)
たった一文字で多くを語ることのできる漢字の偉大さが、身に沁みた作品でもあります。

>『四話、五話と続いても興味を引きますか?』とのご質問ですが、「どんな貧乏神が出るのだろう」と、気になりました。
そう言っていただけるとモチベーションが高まります!何年後になるかは分かりませんが、いつかは続きを書き上げてみたいです。

恋貧乏神も髪貧乏神もすごく面白いアイディアだと思います!いつか使わせていただくかもです!
(髪貧乏神って、絶対笑い取れるじゃん!(笑))

>お話は、全編通してテンポ良くサクサク進んだ印象です。
自分で書いておきながら後になって「これいる描写かな?」と思えるところもあったので、感想聞けて安心しました。

>かといって予定調和な印象は薄く、次々に巻き起こる事件と、濃いキャラクターたちが魅力的でした。
楽しんで頂けたようで嬉しいです。
今作はキャラ重視のつもりで書いていて、ストーリーは結構勢い任せでした。物語で粗はたくさんあったかと思いますが、あまり深く考えてしまうと完結まで持って行けそうになくて(汗)。
ゆかりは三話のキーパーソンでありながら、主人公たちと比べて登場時間が短いので、とにかく印象に残れるようぶっ飛んだキャラに設定しました。書いていて凄く楽しい、私にとっても好きなキャラの一人です。

>・宮藤咲は何者なのか、天野が気にしない点について
たしかにそうですね。
これに関してはご都合主義的といいますか、主人公の神経が謎ですね。どこかで一言突っ込んだ方が自然だったと思います。ご指摘感謝です。

>・壊れたオルゴールについて
なるほどです。
回想を挟まないで済むのなら、その方が展開がスッキリしそうですね。主人公の心理ももっと繊細に表現できそうですし。
すこし考えてみたいと思います。

>・会話している人以外が空気になる点について
なるほどです。これは完全に私の実力不足だと思います。
電貧乏神は空気を読んで喋らないキャラとして描きたかったというとはあるのですが、宮藤咲もそう思われてしまうのは問題ですし、どちらにしても唐突感を与えてしまうのは良くないですね。
複数人いる時は会話に参加していないキャラにも気を配る、今後の課題にしていきたいと思います。

>・ラストについて
宮藤祖母の家に行くシーンは、私の逃げであり、蛇足と言える部分かもしれません……。(纏めきれなかった世界観の説明を、放り投げた格好です)
仰るように、最後に開き直って締め括ることもできたはずなんですよね。むしろこっちの方が締まりが良い。

>「宮藤 咲」「東郷 千世」とように、苗字と名前の間に空間があるのに微かな違和感が。
なんとなくでやっていたことで、私もどういう意味があるのか実はよく分からずこうしてました。(おぃ
無くても問題なさそうですし、次回からフルネームはスペースを空けずに書こうと思います。

沢山のご意見戴けて嬉しかったです!色々とためになりました。
新作長編にも役立てていきたいと思います。

重ね重ね、お読みいただきましてありがとうございました。

pass
2022年01月29日(土)00時02分 カイト  +20点
こんにちは、カイトと申します。
貴作を最後まで読ませていただきました。執筆お疲れ様でした。
僭越ながら、感想を書かせていただきます。

まず、「世の中のネガティブな事象はそれぞれ貧乏神が憑いているせい」というアイディアが、とても面白いと思いました。タイトルにもある『電貧乏神』ってどういう意味だろうと思っていたのですが、なるほど、「家電を貧しくする神」なのですね。そのほかの貧乏神たちも、クスリとくるいいネーミングだったと思います。
『四話、五話と続いても興味を引きますか?』とのご質問ですが、「どんな貧乏神が出るのだろう」と、気になりました。恋愛がまったくうまくいかなくなる恋貧乏神とか、頭髪が貧しくなる髪貧乏神とか、色々想像できますね。
お話は、全編通してテンポ良くサクサク進んだ印象です。かといって予定調和な印象は薄く、次々に巻き起こる事件と、濃いキャラクターたちが魅力的でした。一番好きになったのはゆかりでしょうか。(自分には、ああいったぶっ飛んだキャラクターはなかなか書けないので……)

さて、気になったところもいくつか。
・宮藤咲は何者なのか、天野が気にしない点について
読者目線では、「この子の正体は段々明かされていくパターンなのね」とわかるんですよ。でも、彼女の正体について、共に行動する天野がまったく言及していない点が気になりました。貧乏神が見えて、実はアイドルで、実家は大金持ちで……と、どんどん現実からかけ離れていくような彼女を、一般市民の天野がごく当たり前のように受容し付き合っていくのがなんだか不思議というか。
特に一話の冒頭では、「宮藤咲」という名前しか明かしていない彼女に対して「てゆーか、お前一体何者なんだよ⁈」という一言がなかったことに違和感を感じました。自分自身が読んでいてずっと感じていたことだったので、そこは代弁してほしかったかなと思いました。

・壊れたオルゴールについて
せっかくの両親との思い出のオルゴールですから、回想ではなく壊れた瞬間の描写があったほうがいいかな、と思いました。
冒頭エアコンと共に壊れたことに気づき、実用的なエアコンよりもオルゴールが壊れたことに肩を落とす天野。その理由は、壊れた理由が電貧乏神にあると分かって明らかになる、みたいな。

・会話している人以外が空気になる点について
天野と電貧乏神が会話中は宮藤が、天野と宮藤の会話中には電貧乏神が、という感じで、完全に空気になってしまう人物がいるように感じました。なので、その人物が話し始めるとひどく唐突な印象を受けました。
会話には入らずとも、何かしら反応したりの描写があったらいいかなと思いました。

・ラストについて
現行のラストも決して悪くはないと思いますが、個人的な好みで言えば、「失貧乏神のせいで『貧乏』であることを失念して浪費した天野が、そのことに呆然とする。それでも、人生は楽しまなければ損だと開き直る」シーンで締めるのがスッキリした気がします。
このシーンを読んだとき、「うまく落として締めたなぁ」と感心しました。

あとはとても細かい点ですが、「宮藤 咲」「東郷 千世」とように、苗字と名前の間に空間があるのに微かな違和感が。わかりやすいと言えばそうですが、なくてもいいかなと思います。

以上です。あくまで個人の一意見なので、あまりお気になさらないでくださいね。
今後のご活躍も期待しています。
35

pass
2022年01月20日(木)01時26分 日暮れ  作者レス
志稲祐さん、初めまして。
この度は拙作を読んでいただき、ありがとうございます。

>僕を含めて、ラノベ好きの人の肌に合う書き方だと思います!
お褒めの言葉ありがとうございます。
できるだけ広い層に読んでもらえるよう、軽さを重視して書いて良かったみたいです。

>しかしながら、気になる点も多くありました。
多くのご指摘ありがとうございます。
……こんなに多いとは、私もまだまだ全然のようですね。

>・冒頭で、足をドアに思い切り挟むシーンは、主人公の倫理観に違和感を覚えました。
なるほどです。
非礼には非礼にを、にしてはやり過ぎだったみたいです。
少しの加減や躊躇いがあった方が良かったかも知れません。

>という文章のあとで電貧乏神様が登場しますが、電貧乏神様は家のどこに現れたのかがわかりにくいです。
ご推察の通り、部屋の中であり、主人公の背後に現れたのを表現したかった文章になります。
改行を挟んだ方が、確かに分かりやすいですね。改稿時に直したいと思います。

>物を食べるときに実際に「もぐもぐ」と発音しながら咀嚼することはできないので不自然です。
仰っていることはその通りだと思います。
私もリアルで考えたら可笑しいな、と思います。ライトノベルならではの表現のつもりでした。
読み手に違和感を与えるのなら、一考する価値がありそうです。

>・主人公が買った夕飯(あんぱん、カレーパン、栄養ドリンク、電池)の入ったコンビニ袋を漁る場面も不自然に思えます。
中身がぐちゃくちゃになるのは、やり過ぎでした。少し抑えたいと思います。

>近所迷惑を顧みず、さらには注意されることがわかっているにも拘わらず何度でも叫びたくなる主人公の人間性がどうしても未熟に見えてしまいました。
こちらは主人公の未熟なところを出したかったシーンになります。
魅力減とのことで、あまり良い方法ではなかったようです。
拙作を直すのはちょっと厳しいので、ラノベで主人公の魅力を下げるのはよくない、ということを次回作から意識して書こうと思いました。

重ね重ね、お読みいただきましてありがとうございました。

pass
2022年01月19日(水)20時50分 志稲祐  +10点
初めまして。志稲と申します。
作品を読ませて頂きました。
文章が織りなす雰囲気やテンポから、ポップな印象を受けました。僕を含めて、ラノベ好きの人の肌に合う書き方だと思います!
しかしながら、気になる点も多くありました。

・電貧乏神様の読み方について、造語などの場合はルビを序盤の部分で記載したほうがわかりやすいかと思います。

・冒頭で、足をドアに思い切り挟むシーンは、主人公の倫理観に違和感を覚えました。見知らぬ相手が半ば強引に関わろうとしてきているとはいえ、相手は女の子ですし、多少の躊躇があったほうが自然な気がしました。また、足を挟んできた彼女は靴を履いているのか描写がないため、主人公は彼女の素足を思い切り扉に挟んだという解釈もできてしまうため、その解釈ですと、一層倫理の違和感が増してしまいます。

・俺は威圧的に彼女ににじり寄った。ぞくり、と背後から熱を奪われるような感覚がした。
という文章のあとで電貧乏神様が登場しますが、電貧乏神様は家のどこに現れたのかがわかりにくいです。
【ぞくり、と背後から熱を奪われるような感覚がした】という文章から、恐らく主人公の背後に現れたのではないか? と、推察できますが、下記に記すように、一度改行して文節を分けたほうがわかりやすくなると思います。
【例】
俺は威圧的に彼女ににじり寄った。
そのとき、『ぞくり』と、背後から熱を奪われるような感覚がした。

・『わしはここを大変気に入っておる。今では此処こそがわしの祠じゃ。移動などせん。こんなに美味しい電化製品を食べれるところ、そうありゃせん。もぐもぐもぐ。美味いのう』
上記のセリフのように、【もぐもぐ】という、咀嚼を表す副詞が含まれたセリフが見受けられます。しかしあくまでセリフなので、キャラクターが自分で「もぐもぐ」としゃべっていることになります。
物を食べるときに実際に「もぐもぐ」と発音しながら咀嚼することはできないので不自然です。こういう場合は下記のように分けて表現するほうが良いかと思います。
【例】
『わしはここを大変気に入っておる。今では此処こそがわしの祠じゃ。移動などせん。こんなに美味しい電化製品を食べれるところ、そうありゃせん。――美味いのう』
 もぐもぐもぐ。

・主人公が買った夕飯(あんぱん、カレーパン、栄養ドリンク、電池)の入ったコンビニ袋を漁る場面も不自然に思えます。コンビニの袋一枚に入っている品物の数は数えられる程度なので、上からのぞき込めば取り出したいものの位置も把握できるでしょうし、中身がぐちゃぐちゃになるほどかき回す必要性を感じません。また、パンは基本的に1つ1つが袋に入っていると思います。それらが崩壊するほど乱暴にかき回すとなると、コンビニの袋も破れるはずです。

・電貧乏神に家電製品を直してもらったあと、主人公が部屋の窓を開けて叫ぶ場面で、
【スッキリした。これで口うるさい大家にまた小言を言われると思うと、何度でも叫びたくなってくる】
とありますが、近所迷惑を顧みず、さらには注意されることがわかっているにも拘わらず何度でも叫びたくなる主人公の人間性がどうしても未熟に見えてしまいました。
前述に【子供だな。大人の形をした子供、性質が悪いったらない】という心理描写があり、自己省察しているにも拘わらず、その直後に身勝手な行為をしてしまうあたり、自己コントロール力のなさがより強調されているように感じます。あとで主人公の成長を見せるための演出だとしても、マイナスの印象がかなり大きいです。


こういった多くの不自然な点について、例えばですが、一週間から一か月ほど間を空けて、今一度ご自身の作品を客観的に見直してみてはいかがでしょうか?

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pass
2022年01月18日(火)04時02分 日暮れ 
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よろしくお願いします。
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pass
合計 3人 40点


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