あ〜あ、ただの女子高生だったのにぃ…… |
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001 わたくしを助けたのはあたしでした…… 店内は物音一つせずにシーンと静まりかえっていました。 女子高生のわたくし冴内鈴音(さえないすずね)の足元では顔から血を噴き出している麻薬中毒の男がピクリともせずに倒れています。まだ、死んではいません……。 それは刹那の出来事で、そこに居合わせたお母様の真々代(ままよ)も巡査の大道寺一(だいどうじはじめ)さんもこの現実にただただ驚くことしかできませんでした。 それは今から、ほんの数秒前のこと…………。 わたくしは学校から帰ると、いつも通り玄関からではなく店から入りました。六月のジトーッという不快な蒸し暑さを感じながら、店の入り口の引き戸を勢いよくガラガラッと開けます。 「お母様っ、ただいま帰りましたぁっ! …………あらっ?」 …………!? 不快な蒸し暑さを吹き飛ばすように元気にあいさつをして入ろうとすると、店の中では何やら四十歳くらいの男の人がお母様に言い寄っているではないですか……!? なっ、何かしら……、このシチュエーションは……? 目の前の光景に戸惑いながらも刹那に地球何周分も考えを巡らして、これは……ひょっとして、わたくしにはまだ早いことかも……との考えに至ります。とりあえず見てはいけないと思い、ソーッと外に出て静かに引き戸を閉めました。 ひとまず、フーッ! 深呼吸。 「どういうことかしら……?」 ああ……見ていいものかどうかと迷いながらも見てしまう……人間とはそういうものですわね……などと自分の好奇心を肯定します。もう一度引き戸をソーッと開けて中を覗いて見ました。 よく見てみると、お母様が唇をワナワナと震わせ顔を引きつらせています。 その表情からは、言い寄られているというよりは、むしろ強引に襲われようとしていると考える方が自然な光景に見えます……。 わたくしの頭の中では『?』が急速回転……。 「うーん……どう見ても、お母様は嫌がっているみたいですわねぇ……? やっぱり、強引にお母様を……?」 そう思い直しもう一度中を覗いてみます。 「いっ、嫌っ、やめてよっ! 警察を呼ぶわよっ!」 お母様が大声で叫びながら必死に抵抗し始めています。いつもの優しいお母様の表情とは程遠くキッと男を睨みつけて……。 「やっぱりっ……!」 お母様の一大事ですわっ! 急いでガラッと引き戸を開けて中に入ります。 「おっ、おやめなさいっ! おっ、お母様から離れなさいっ!」 大声で男に向かって叫んでみましたが、完全無視で相変わらずお母様にしつこく言い寄る男。 あらっ……。でも、しょんぼりなどしていられませんっ! 何か良い方法はないかと考え、思い切ってブラウスのボタンを上から二つ外しますっ! ふっふっふっ、これぞ秘技『セクシー鈴音ちゃん作戦』。 「おやめなさいっ!」 さっきより大きな声で叫んで振り向かせようとしました。思惑通り男が振り向いたので、親指を噛んでスカートの裾をソーッと上げ太ももを見せる、至極のセクシーポーズをとります。 「わたくしが、お相手して差し上げますわ」 ウィンクをしながら、クイックイッと人差し指を動かして誘惑します。 男は口をポカンと開けながら見ていました。 さあ、こちらに、いらっしゃい。近くに来たらカバンで思いっ切り叩いて差し上げますわ。ウフフ……、我ながらナイスアイディア。この土壇場でこんなことができるなんて、わたくしって天才っ! 「どうした、姉ちゃん? 目にゴミでも入ったのか?」 あらっ……? 当の男は冷たくそう言うと、わたくしには目もくれず再びお母様を襲い始めました。 ガーンッ! 一体これはどういうことでしょうっ! 全く興味を抱きませんわ……? わたくしは、アイドル並みのキュートな顔とセクシーなボディを持ち合わせていますのよっ! それなのになぜっ? わたくしのセクシーポーズ作戦が効果なし。 頭の中で、お母様と比較。美人でスラリとモデル体型のお母様……色気もキレイさもやはり敵わない……かしら? 「ちょっ、ちょっと、鈴音っ! バカなことしてないでっ、早く駐在の大道寺さんを呼んできてっ!」 あらっ…………、ひどいっ、ひどすぎますわっ、お母様っ! わたくしの必死の行動をバカなことだなんて……。でも、まあ、奇策も上手くはまらなければただの愚策ですからね…………、そう言われても仕方がありませんかね。 なおもお母様への乱暴が続きます。いよいよ、ピンチですわっ! かくなる上は、とっておきの『コマンドー鈴音ちゃん作戦』に変更ですわっ! 「えいっ! このっ、土手カボチャがぁっ!」 ブオンッ! 見たままの感想を叫びながら、思い切り男にカバンを投げつけ気合を入れてつかみかかりますっ! 「ああっ! さっきから、ちょこまかと鬱陶しいガキだなっ!」 振り向き怒鳴りながら、男はわたくしの髪の毛をガシッとつかみます。 「髪は女の命なのにぃっ……!」 必死の抵抗空しく、凄い勢いでブオンと突き飛ばされ、勢いよくガツンと壁に激しく頭を打ちつけてしまいましたぁっ! 目の前に星がちらつくほどの衝撃ですっ! まさに頭の中では、キラキラとお星さまが輝きながらクルクルと回っております。 「痛あぁぁぁっ!」 わたくしは叫びながら、地球の重力に逆らうことができず引っ張られるがままに倒れていきます。ああっ、地球に引っ張られていますわ……動くことができません。そんなわたくしに、さらに追い打ちをかける男の一言。 「うざってぇなっ! さっきから邪魔なんだよっ! 色気もねえっ、ガキがぁっ!」 まっ、なんてっ、失礼なっ! あなたの方こそ…………土手カボチャで……ここから先は放送禁止用語ですので……あしからず……と怒鳴り返してやりたい気持ちでしたが、痛みのあまり声も出せません…………残念です。 「すっ、鈴音っ! だっ、大丈夫っ! お母さんにかまわず早く逃げなさいっ! はっ、早く、大道寺さんに知らせてっ!」 ご自分の一大事にも関わらず、手足をバタバタさせて必死に抵抗しながら、わたくしのことを心配するお母様の必死の叫びっ! ああっ、まさに母の愛は海よりも深しですわ……。鈴音はあなたのお子として生まれてこられて本当に幸せですわっ! お母様の言う通りにしたいのですが、頭がズキズキと痛み立ち上がれなかったのですよ……これが。 なっ、何とかしないとっ! 心の中では必死に念じていますが、頭が痛くて思うように動けません…………。おまけに、目の前が真っ暗になってきています。段々と視界がぼやけてきて……そのまま意識が遠のき、フッと気を失ってしまいました。自然に『死んだふり鈴音ちゃん作戦』に変更です……。 ああ……万事休す…………と思いきやっ、捨てる神あれば拾う神ありっ、ヒーロー登場ですっ! その時、女性客と一緒に駐在の大道寺巡査さんが飛び込んできました。三十歳でスポーツマンのイケメンです。 「やっ、やめるんだっ!」 叫びながら襲っている男を後ろから羽交い絞めにしてお母様から引き離します。よっ、グッジョブッ! その刹那……そのまま取り押さえようとしたところ、大道寺さんの隙をついて拳銃を奪った男は、お母様の頭に突き付けました。 ああっ! なっ、何てことをっ! 男は異様に目が座って興奮しきっており尋常ではありません。 「動くなっ! 動くとこいつをぶっ放すぞっ!」 ゼェゼェハァハァと呼吸を乱しています。無言のままギューッと目を瞑って胸の前で手を合わせブルブルと震える……お母様。 「きゃあぁぁぁっ!」 女性客が悲鳴を上げながら外へ逃げ出して行きます。 「わっ、分かったっ! わっ、分かったからっ、おっ、落ち着くんだっ! だっ、大丈夫っ、何もしないからっ!」 大道寺さんは落ち着かせるためにそう言いながら男との距離を取って両手を挙げています。………………汗、汗、汗、冷や汗、タラーッです……。 「ま、まずいな……これだけ興奮していると……。……下手に刺激したら……。この目の座りようはヤク中(麻薬中毒)か……? だとしたら、本当に撃つかも……」 大道寺さんは心臓がバクバク、膝はガクガクで震えながら冷や汗をかいています。 ドクドク、ドクドク…………。沈黙の中、今にも聞こえそうなくらいに、お母様、大道寺さん、男の心臓は極度の緊張で高鳴っています……。 ちなみに、この沈黙は、ほんの数秒のことでしたが、お母様、大道寺さん、男には数時間くらいの長さに感じられていました。 その時ですっ! 大道寺さんが打つ手もかける言葉もなく体中から冷や汗を噴き出していると、意識を失って倒れていたはずのわたくしがスクっと立ち上がったのですっ! 「ふっ、拳銃かい? そんな物があたしに通じると思っているの? このっ、天然なすびがぁっ!」 普段のわたくしとは全く別人の口調と冷ややかな眼つきで叫びます。 えっ、えっ、わたくし一体何を言っちゃっているのですか……? この場にいる誰もがそう問いかけたかったのではないでしょうか? 突然のわたくしの変わりようにお母様も大道寺さんも驚き、目を丸くして無言のままわたくしをジッと見つめていました。みんなの視線が痛いです……。 「ああっ! 起きたと思ったら何言ってやがるんだっ? おいっ、お姉ちゃんっ! 撃つって言ったら撃つぞっ! 面倒だっ! てめえから、殺してやるぜっ!」 戸惑いながらも、男は口だけは威勢よく、ガタガタと震える手で銃口をわたくしに向けて引き金に手をかけますっ! 男は笑っていましたが、その頬にはタラーッと一筋の汗が流れていました。 まあ、当然緊張しますわねぇ……。人を拳銃で撃つなんてこと初めてでしょうからね……。震えもしますわよねぇ……。 お母様、大道寺さん、男の鼓動は、皆心臓が口から飛び出てきそうなほど、なおも人生最大の高鳴りを続けています……ドクドク、ドクドク……。 「ふっ、じゃあ、さっさと殺してもらおうかね……」 一人だけ冷静なわたくしは、不敵な笑みを浮かべゆっくりと男に近づいて行きます。 おいおい、意識を取り戻したわたくしは、すっかりわたくしでないわたくしになっていました。ややこしくてスミマセン……。って、どうするのよーっ、わたくしーっ! 「けっ! 死ねやあぁっ!」 バンッ! バンッ! バンッ! 銃弾、銃弾銃弾―っ! 雷撃が鳴り響き、冷たく無機質な銃口から放たれた弾丸は、熱く燃えたぎった生き物となり、わたくし目がけ一直線に飛んできます。 ズシンッ! お母様と大道寺さんは稲妻が轟き落ちた時の衝撃を感じていました。 いやはや、何とも言えない響きが耳の中を駆け巡っていきましたわよ。やはりテレビドラマの音なんかとは比べ物にならないくらいズシンと響くものですわね……本物は。 「すっ、鈴音ぇぇぇぇぇぇっ!」 天をカッと切り裂くかのようなお母様の金切り声が響き渡ります。 「フッ……」 その刹那、わたくしは短く鼻で笑って、両手を胸の前で素早くサッ! サッ! サッ! 空気を切り裂くように動かします。あろうことかっ、三発の銃弾を掴んでしまいましたぁっ! 「はあぁぁっ!」 わたくしは猛然とダッシュして腹の底から気合の込もった掛け声を発し、銃を持っている男の手を閃光一閃っ! 右足でバーンッ! 素早く蹴り上げましたぁっ! 当然スカートがはらり……。 まあっ、なんてことでしょうっ! わたくしったらっ、大大大大大サービスですわっ! 下着を見せちゃうなんてっ! もうっ、顔から火が出てしまうほど恥ずかしいんですけどっ! 銃弾を掴んだことよりも、なぜか、そちらの方が気になってしまいますっ! 当然ですわね……お年頃ですから……。 「ああぁっ! ……水玉っ?」 男は驚き、あ然としながらもニヤケています。 もうっ、こんな大サービスっ、本当っ、恥ずかしいやらっ、悔しいやらっ……。激オコ、プンプンッ! ああっ、何かイライラするぅっ! そんな感情をぶつけるかのように、わたくしは間髪入れずに、まるで速射砲から放たれたミサイルのごとき連打を豪雨のように撃ち込みました。 「はいっ、はいっはいっはいっはいーっ!」 小気味のいい掛け声。突き、突き突き突き突きーっ! 目に見えないスピードで数発も浴びせられる左右の突き。硬さは鉄球並みです。 「ふんぎゃっ! うぅっ……」 その衝撃に耐えられず、呻き声を上げていた男は途中から意識を失っていきます……。血をプシューッと噴きながら、重力に逆らうことなくバタンッ! 倒れました。 「ふっ、私を殺すなんて十万年早いんだよ」 お見事っ! 一本っ、それまでっ! と言いたいところですが、いやはやもはや、一体何がどうなっているのやら……ですます、はい。 わたくしは冷酷な笑みを浮かべながら男を見下ろしています。 「しっ、死んだのかい?」 血を噴きながら倒れている男に近づき、恐る恐る大道寺さんが尋ねます。 「いや、まだ死んじゃいないよ。殺してもいいって言うんなら、そうするけど、どうする?」 ニヤッと笑ってわたくしは右手を手刀のように指先をピンと伸ばし、男の首筋目がけて突き刺す格好をしてみせました。 いやあ……それは、まずいんでないの? あらっ、わたくしとしたことが、あまりの展開に頭がオーバーヒート気味で思わず訛ってしまいましたわ……。 「えっ? そっ、それはダメだよっ! あっ、あとは俺に任せてくれっ!」 まあ、当然そう言いますわね……。大道寺さんは、わたくしが本気でとどめを刺しそうだったので、急いで拳銃を拾い上げ、男に手錠をかけました。 「ふあーあ……」 わたくしは、何事もなかったかのように、あくびをしながら首を左右に傾けたり腰を回したりストレッチをしています。そんなわたくしに、まだドキドキが収まらないお母様は、乱れた衣服そのままに恐る恐る尋ねました。 「す、鈴音、何ともないの? 銃弾が当たったんじゃ……?」 「えっ、銃弾? ああ、これね。はっ、こんなもん当たるわけないだろっ……、ほらっ!」 掴んでいた銃弾をお母様にポイッと投げながら、ぶっきらぼうに答えます。 お母様は三個のうち一個を両手で受け止めながら、恐ろしいものでも見るように目を見開いたまま娘のわたくしを見ています。 お母様っ、目の前のわたくしは、わたくしであってわたくしではありませんっ、誤解なさらぬようお願いいたします。……本当……いつものわたくしはどこへ行ってしまったのでしょうか……? すると突然、わたくしはひどい頭痛に襲われて、頭を抱えながら座り込んで苦しみ出しました。 「いっ、痛たたたたっ! なっ、何だ、いきなりっ! ぐうぅぅぅぅっ、あっ、頭が割れるように痛いっ! くぅぅぅぅぅっ!」 下唇をぎゅっと噛みながら苦痛に耐えるわたくし。娘の突然の異変に、自分に起こった出来事などすっかり忘れてお母様は心配し抱きしめてくれました。 「すっ、鈴音っ! 頭が痛むのかいっ! さっき、凄い勢いでぶつけたからねっ! ちょっと、待っていてっ!」 お母様は急いで水を持ってきて、痛がるわたくしに飲ませます。最初は抵抗していましたが、二、三口飲むとフウッー! 大きくため息をつき落ち着いてきました。すると、そこにはまるで別人、いやいつものわたくしがいました……。 「あっ、お母様? どうかしましたの、……わたくし……?」 そうっ、これっ、これですわっ! これぞっ、いつものわたくしですわっ! この話し方、この奥ゆかし(?)さ、これぞ、いつものわたくしですわっ! 冴内鈴音っ、只今帰還いたしましたぁっ! キョトンとした様子で尋ねながら、あたりを見回します。 「ああっ! そうですわっ! お母様っ、大丈夫なんですのっ!? なっ、何ともございませんのっ!? ご無事でしたのっ!?」 突然思い出し、お母様の手を握りながら涙を流して矢継ぎ早に尋ねました。 「ああっ! 大道寺さんが助けて下さいましたのね! 何とお礼を申し上げてよいのやら。本当にありがとうございましたっ!」 大道寺さんを見つけ、深々と頭を下げてお礼を言いました。お母様と大道寺さんは、そんなわたくしを見て頭の中を『?』が行ったり来たりしています。 「鈴音……ちゃん……自分が何をしたか覚えていないの?」 「何のことですの、覚えてないかって? 覚えているもなにも、お恥ずかしいことに、わたくし気を失っていたものですから……」 「いや、そうだったはずなんだけど、いきなり立ち上がって、銃弾を掴んだと思ったら、すごい連打で、あっという間にこの男を倒しちゃったじゃないか? 本当に覚えてないの?」 「えっ、仰っていることが良く分からないのですけど……。銃弾を掴むなんて、そんなことできるわけないじゃありませんか? 第一わたくしが男の人に勝てるなんてこと……。何を仰っているんですか、大道寺さん? ご謙遜なさらなくても大丈夫ですのよ、ねっお母様?」 わたくしはお母様に同意を求めながら笑っています。わたくしのその様子を見てお母様と大道寺さんは、今は聞いても仕方がないと目と目で合図をして頷いていました。 「とりあえず、詳しいことは明日聞きに来ますので……」 大道寺さんはそう言い残して男を連行して行きました。 その後、わたくし達は店の中の椅子やテーブルを元に戻して早々に暖簾をしまいました。 わたくしは、お母様がご無事で、悪い男も逮捕されたので、気分良く鼻歌交じりでお片付けをしています。時々訳の分からない頭痛はしましたが……まあ、結果オーライってことで、これにて一件落着っ、今日もお江戸は日本晴れっ! あっ、今は梅雨時でした……アハハ。 002 スイーパー鈴音活躍中です 月日が経つのは早いもので、あの出来事からもう三ヶ月が経ちます。 「今日はこの倉庫ですわね。それでは、大道寺さん行ってまいりますわ」 「ああ、気を付けてな……」 車を降りたわたくしは、バタンとドアを閉め、振り向きざまに笑顔で敬礼をしてから、倉庫の中に入って行きました。 倉庫の中では十五人のヤクザさんが取引で得た銃や麻薬を仕分けしています。 「へっへ、今日のブツは大量だぜ。これを売れば大儲けだな。しばらくは遊んで暮らせるぜ」 「本当ですね、組長(おやじ)。上々ですね」 「よしっ、サツにバレねえように上手く運び出せ。トラック何台かで分けてな。くれぐれも上手くやれよ、いいな」 「はいっ、承知しております。若いのに上手くやらせますので、ご安心を」 若頭さんが、若い組員さん達に指示を出して荷物をトラックに積ませていきます。その時です……。 「なんだっ! てめえはっ!」 突然の怒鳴り声っ! 皆が作業する手を止めて一斉に声がした方を見ます。 「ずい分と沢山のお買い物をなされたのですね……。お高かったでしょう?」 殺風景な倉庫には似合わないわたくしが現れ、笑顔で尋ねました。 「ああっ!? 姉ちゃんっ、いきなり現れて何言っているんだか分からねえけどよ、おめえ、この状況が分かっているのかっ? アイドルみたいに可愛い顔しているけどよ、ここはステージじゃねえんだぜっ!」 怒鳴った組員さんは半分笑いながらちゃかすように言います。 「ええ、十分心得ておりますわ。密輸で武器や麻薬をお買いになったのでしょう? そして、これからそれを売ってお金儲けをしようとなさっている? 本当、悪い人達ですこと……」 わたくしは動じることもなく平然と笑顔で答え、長い髪の毛をヘアバンドで束ね始めました。フゥー! このような方達と長々とお話をしましてもねぇ……。 「ああっ、悪い人だぁっ! 姉ちゃんっ、笑わせるんじゃねえぜっ! 今時な真面目にコツコツなんてやっていたら儲けなんて出やしねえんだよ、分かるか?」 下っ端の組員さんは自慢げに言います。 「それは、そうかもしれませんけど……、でも、やっぱり悪いことは悪いことですわ」 わたくしは思わず首をかしげながら真面目に答えてしまいました。何やら訳の分からぬ禅問答になりつつあるような……。 「まっ、まあ、確かに悪いことかもしれねえけどよ……、でも、まあ、その、なんだ……」 組員さんも言い淀みながら答えました…………が。 バシーンッ! 残念なことに、お話の途中で、いきなり若頭さんに頭を叩かれてしまいました。お可哀そうに……せっかく、何かを言おうとしていたのに……。よくは分かりませんが、ちょっぴり同情です。 「バッ、バカヤロウッ! てめえは何さっきからゴチャゴチャと話になんか付き合っているんだっ、ああっ? だから、てめえはバカだって言われるんだよっ!」 若頭さんは組員さんを怒鳴りつけました。 「すっ、すいませんっ、若頭っ! こいつが話しかけてくるものだから、つい……」 理不尽に頭を叩かれたにも関わらず、組員さんはペコペコと頭を下げて言い訳をしています。 ハァー! これが今時の日本の若者ですっ! しかし、これからは若くても、しっかり意見を伝えられるようにならないといけませんっ! だから日本人は……って言われるんですっ! いつまでも、語らずが美しいなんて言っていてはいけないんですっ、ダメなものはダメっ、ノーはノーッと言える日本人にならないといけないんですっ! これからの時代を生きていくには……まっ、わたくしったら、熱く語ってしまいましたわっ……で、何でしたっけ? 「いいかっ、こういう時はな……こう言うんだよっ、よく聞いとけっ!」 若頭さんは偉そうに言って一呼吸置いてからわたくしに怒鳴りました。 「姉ちゃん、なんでここにいるのかは分からねえけど、そこまで分かっているんじゃあ、仕方がねえな。可愛いから色々と利用してえけど、後々面倒になると困るんでな。可哀そうだが、ここで死んでもらうぜ。おいっ! ちょうどいいっ! 試し撃ちをしろっ!」 (ふっ、決まった……。我ながら惚れ惚れする啖呵だぜ……。若いもんの教育には苦労するよ、まったく) 若頭さんは心の中でニヤニヤしながら一人悦に入っています。 「は、はいっ!」 命じられた組員さんは、返事をしてオドオドしながら急ぎ入荷したばかりの銃を取り出します。銃を扱うのは初めてだったようでガクガクと震えていました。 「姉ちゃん、残念だが、さようならだぜ……。……じゃあな……」 上ずった声で言い、わたくしに向かって半ば目を瞑った状態で引き金を引きました。はぁ……引いてしまわれた以上は仕方がありませんわね……まあ、後悔して下さいな。 バンッ! バンッ! バンッ! 銃弾、銃弾銃弾―っ! 倉庫の中でけたたましく鳴り響く銃声。その刹那、わたくしの表情は一変して、三発の銃弾をいとも簡単にサッ! サッ! サッ! 空気を切り裂いて素早く、掴んだり弾いたりしてしまいました。カラン、カラン、カラン……床に転がる銃弾の乾いた音が倉庫内に響きます。 「へっ?」 わたくしの行動に、銃を撃った組員さんはただただ言葉を失うだけです。人生初と言っていいほどの緊張感に包まれながら目を見開いたままの状態で、冷淡な笑みを浮かべたわたくしに鋭く冷たい眼で睨まれています。 銃を撃つ、銃弾が素手で弾かれる、見たこともない鋭く冷たい眼で睨まれる、未経験三段攻めにあい頭の中は真っ白……。ただただ背筋にゾクゾクッと冷たいものが走り続け、冷や汗をかいて震えが止まりません。それを紛らわそうと首を左右にブルッ、ブルッと振りながら上ずった声で叫びます。 「こっ、このっ、女(あま)ァ!」 続けざまに引き金を引きますが、狙いは定まらず、わたくしの遥か後方の天井付近の壁に吸い込まれるようにガシッ、ガシッ、ガシッと当たっただけでした。恐怖で錯乱しており銃弾を撃ち尽くしたのに、まだ引き金を引いています。 カチッ、カチッ、カチッ……。倉庫内に唯一空しい音が響きます。 シーンと静まり返った倉庫内。その静寂の中、わたくしは、その様子をあざ笑いながら、ゆっくりと近づいて行きました。 「どうしたんだい、もう終わりかい? ……じゃあ、あたしの番だね……。はあぁぁぁぁっ!」 気合を込めた掛け声と共に、突きや蹴りを素早く撃ち込みます。 突き蹴り、突き蹴り突き蹴りーっ! ズバッ、ボゴッ、バシッ! 打撃音に続いて……ベキッ、グシャッ! 骨が折れたり、何かが潰れるような音も響き渡り、無抵抗の組員さんは血まみれになってドサッと倒れました。 わたくしは勢いのまま足を喉元のところまで振り下ろします。……とここで寸止めです。 「おっと、殺しちゃいけないんだった。……ったく、面倒くせえなっ!」 ゆっくりと顔を上げて、呆気に取られ静まり返っているヤクザさん達を見回します。 「ふっ、ボーッとしているじゃないよっ! さあっ、パーティーを始めようかねっ! 天然なすび共ぉっ!」 ダーンッ! わたくしは叫ぶなり、サッカーボールのように倒れた組員さんを蹴り上げます。さあっ、戦闘開始ですっ! ドサッ! 宙に舞った組員さんが床に落ちる音で、我に返ったヤクザさん達は思い出したかのように持っている銃を一斉に撃ち始めました。 バーンッ! バーンッ! けたたましい音を立てながら銃弾が飛び交う中、わたくしは体を上下左右に素早くシュッ、シュッと動かして避けたり、指で掴んだり弾いたりして対応しています。 この時のわたくしについて説明しましょう……。全身の筋肉は瞬間的にグッと力が込められて筋張り鋼鉄と化しています。打撃や防御は、この鋼鉄と化した筋肉で、肉眼では追えないほどのスピードと正確さ、パワーを伴って行われます。ヤクザさん達が右往左往するしかないのも当然ですわね。 バーンッ! バーンッ! 「はいっ! やぁっ!」 「ぎいやぁっ! ぬぅおぅっ!」 倉庫内に響き渡るのは銃声とわたくしの気合、ヤクザさん達の悲鳴、それと……。 ドバァーッ! ドサッ! ヤクザさん達が血を噴き出し倒れる音のみ。 いきなり目の前にわたくしが現れたと思ったら、蹴りとも突きとも区別のつかない攻撃を受け、気が付いたら重力のままに床に倒れていくヤクザさん達……。全員、骨折に加え、筋、腱が断たれています。 むごいですわねぇ……。倉庫内は蜂の巣をつついたかのように、てんやわんやの大騒ぎです。 「ぜっ、全部弾かれちまう! こいつは何なんだっ!」 ヤクザさん達は口々に叫びながら弾がある限り銃を撃ち続けます。 「無駄と分かっていても撃ち続けるなんて健気だねぇ……、ホント」 銃弾を処理しながらわたくしは、冷ややかに笑みを浮かべて呟いていました。 「かっ、勘弁してくれぇぇぇっ! あっ、謝るからっ、ゆっ、許してくれっ! たっ、頼むぅっ!」 わたくしが目の前に来た時、突然土下座をして、床に頭をこすりつけて謝りだすヤクザさんがいました。 「ふっ、だらしがないねぇっ! プライドってもんはないのかいっ!」 わたくしは、そのヤクザさんの腕を掴み鼻で笑いながら、ギュウッと後ろ手に搾り上げていきます。 「うぎゃあぁぁぁぁっ! やっ、やめてくれぇぇぇぇっ! おっ、折れちまうぅぅっ!」 ただただ恐怖と痛みで抵抗することもできずに子供のように泣き叫ぶことしかできないヤクザさん……。 「お前、今まで、目の前で命乞いをしてきたやつをあざ笑って生きてきたんだろ? 因果応報だねぇ……。はあぁぁぁぁぁっ!」 気合を入れてさらに搾り上げます。ボキンッ! 驚愕の顔で乾いた音を発したヤクザさんは、ドタバタと転げ回り腕を押さえながら泣き叫んでいます。 「ぐうおぉぉぉぉぉぉぉ! あああぁぁぁぁぁっ! いっ、痛えぇぇぇぇよぉぉぉぉっ!」 「おりゃあっ!」 わたくしは邪魔でうるさいため、気合を込めて突きを顔面にビシッと撃ち込みました。ヤクザさんはグシャッという音と共に血を噴きながら、黙ってピクリとも動かなくなりました。 あらまっ……でも自業自得です。残念ながら、わたくしの顔は一度までです……仏様ではないので……。 「けっ、てめえみたいのはめっちゃムカツクんだよ……。胸糞わるい……」 吐き捨てるように呟いて見渡すと……。 「あらら、あんなにいたのに、あと二人だけかい? まったく、物足りないねぇ……」 十五人もいたヤクザさん達はあっという間に、地面に這いつくばらされ、残るは若頭さんと組長さんのお二人だけになっていました。 「うわあぁぁぁっ!」 若頭さんは、この光景を見て恐怖のあまり突然逃げ出します。 さっきの若い組員さんへの態度は何だったのでしょうか……。まあ、こんなもんですかねぇ……。 「バっ、バカ野郎っ! おっ、俺より先に逃げるやつがあるかっ! 死んでもいいからっ、戦えっ! 盾ぐらいにはなって、俺が逃げる時間稼ぎぐらいしろっ、バカがっ!」 咄嗟に逃げ出そうとする若頭さんの襟をグイッと捕まえる組長さんの主張……。いかにも悪の親玉……らしいセリフですわねぇ……。 勢いよく若頭さんをわたくしの前に突き出すように投げ飛ばします。若頭さんは勢いのあまり足がもつれて前のめりに倒れてしまいました。顔を上げた刹那、わたくしが鋭く冷たい眼でガン見しています。 「かっ、勘弁してくれぇっ!」 恐怖で顔を引きつらせながらドタバタと四つん這いで組長さんのところまで戻りました。 「オ、オヤジィっ! あっ、あんまりだっ! さっ、盃を交わした仲じゃねえかっ! 俺だけ死ねって、どういうことだよっ! こっ、こんなバケモンにかなうわけねえだろっ!」 組長さんの足にギュウッと凄い力でしがみつき、幼児が引きつけを起こした時のようなかすれた声で必死に叫びます。 「バっ、バカっ、はっ、放せっ! うっ、動けねえじゃねえかっ! てめえの代わりなんぞいくらでもいるわっ! 俺さえ無事なら、いくらでもやり直せるんだっ! さっさと、放しやがれぇっ!」 組長さんは叫びながら若頭さんの頭を上からボゴッ、ボゴッと殴りつけています。見苦しい、本当に見苦しい……。悪者の末路は所詮こういうもの……ですわね。 「フッ、くだらないコントは終わったかい?」 わたくしは近づきながら言い放ち、若頭さんの首元を左足でギュウッと踏んづけます。 「はあぁぁぁぁっ!」 踏んだ左足を軸にして、右足で組長さんの首筋に思い切り回し蹴りを食らわしました。 ブンッ! あっ、言い忘れていましたが、今日はパンツスタイルですので、セクシーサービスはございません……。ふふっ、関係ありませんでしたかね……。 ボガッ! 鈍い音と共に、組長さんはピーンと背筋を伸ばしてドサッ! その場に倒れました。 「ぐあぁぁぁっ!」 首元を踏んづけられている若頭さんは呻き声を上げたままガタガタと震えています。 「安心しなよ。どっちも五体満足でなんか帰しやしないからさ。フッ、覚悟はいいかい……?」 震える若頭さんを起こしながら呟きます。はあー……相変わらず残酷ですこと……。優しくしておいて……実は……ってやつですね。 「はあぁぁぁぁぁぁっ、はいっ、はいっはいーっ!」 突きっ、突き突きーっ! わたくしは、若頭さんの顔面はもちろん体中に、両方の拳で数発、目にも止まらぬスピードで撃ち込みました。三発目以降は完全に意識は飛んでしまった若頭さんは、血まみれで倒れピクリとも動きません。 「はいっ、はいっはいっはいっはいーっ!」 さらにピクピクしている組長さんの後頭部へ撃ち込みます。 突きっ、突き突き突き突きーっ! ブシュウゥゥッ……果物が潰れて中身が飛び出す時のような、あの嫌な音がして、組長さんの顔の下からは血がにじみ出てきました。こちらもピクリとも動かなくなりました……。 「フウーッ……」 全員を倒し終えたわたくしは、深く息を吐きながら緊張した全身の筋肉を弛緩させていきます。 「まったく、ヘドが出るほど後味の悪い奴らだ……」 髪の毛をまとめていたヘアバンドを取り、顔を二、三度左右に振ると、サラサラッという動きにつられて、優しいシャンプーの香りがフワーッと広がります。その香りのおかげでわたくしの緊張は心身共に完全に解けました。 フウーッ! ミッション完了っ! さてと……帰りますか。 全員を倒した後、わたくしは倒れているヤクザさん達や積み荷には目もくれず倉庫をあとにしました。これ全てわたくしが倉庫に入ってからわずか数分間の出来事です。 倉庫を出ると、突然頭痛が襲ってきます。 「くっ、痛たたた…………」 頭を押さえながら、急いで大道寺さんが待っている車に戻ります。 「大丈夫かっ? ほら、これ」 「……痛っ…………」 わたくしは手渡されたペットボトルの水を急いで飲みます。 「痛むか? まあ、いつものだろうから、水を飲めば治まるだろう」 なんか、毎度毎度のことのようですわねぇ……大道寺さんが、大して心配もしていないようですから……。 「おっ、そうだ。これ今日の分な」 大道寺さんは頭痛が治まりかけ、水を飲んでいるわたくしにポンと封筒を渡しました。 「まあっ、今日は一万円もっ! 松岡さん、ずい分と奮発されましたのねっ! よろしいんですの! こんなにいただいてしまって?」 あらまっ、すっかり頭痛は治まったようですわね。それに、さっきまでとは全く別人のわたくし……。ああっ、やっと、いつものキュートでセクシーなわたくしのようですわっ! 冴内鈴音っ、只今帰還いたしましたぁっ! 敬礼っ! 「ああ、今日はな。けっこう、奮発したみたいだな。ただ、いつもこうとは限らないからさ。そこんところは、よろしく頼むよ」 「ご心配せずとも、承知していますわ」 おどけて敬礼し、わたくしは笑っていました。 (まったく、あの三ヶ月前のあの夜からこの子は、一体どうなっているのやら……。さっきまでの無敵のスイーパーとは全くの別人だぜ……) 大道寺さんは、そんなおどけているわたくしを見ながら、心の中で首をかしげ呟いています。 「松岡さんにご連絡しなくてよろしいんですの?」 「ん? ああ、もうしてあるよ。今頃は奴らが後片付けしているだろう。今度も、また奴の手柄さ」 「そうですの……。では、もう今日は終わりですのね」 「ああ」 それからしばらく会話が途切れていましたが、車が大きくカーブを曲がったのを契機に……。 「なあ、鈴音? やっぱりチェンジ後のことは覚えてないのか?」 「ええ、いつもの通り……。でも今日はチェンジする前に少しだけヤクザさん達と話しましたわ。それは覚えています、……途中までですけど」 「へぇー、会話したんだぁ……」 「ほんの、ちょっとですわ。まあ、その後はいつもと同じで覚えていませんけど……」 「そうか……」 「わたくしも、どうしてそうなるのかは、本当にまるで分からないんです。ただ、いつも、ああいう場面になると、ふっと記憶が途切れるんですの」 「その瞬間とかも、まるっきり……なのかい?」 「ええ……きっかけの瞬間も覚えておりません……。気づくと、いつも、こうして大道寺さんと車で話をしています……」 「なるほどなぁ……」 「本当、不思議ですわねぇ……。大道寺さんは、そのチェンジしたわたくしを見ていますけど、当のわたくしはただの一度も見たことがないんですもの。……それって、本当にわたくしですの?」 「ああ、正真正銘の鈴音さ。言動や雰囲気はまるっきり別人だけどな」 「そう……ですの。一体、あの夜以来わたくしはどうなってしまったんでしょうか? 何者からか正義の力でも授かったんでしょうか?」 「えっ? ヒーローみたいにかい? うーん、どうだろうな……」 「ふふっ、そうだとしたら、なんか夢があってよろしいじゃないですか? そうじゃありません?」 「ああ……そうだな」 「そうですとも……」 最後の言葉を言い終わらないうちにわたくしは急にウトウトし始めていました。あのわたくしにチェンジすると、その後は必ず強烈な睡魔に襲われるんです。 (やはり身体には相当な負担がかかっているのかもしれないな……。もしもチェンジしなかったら……かなりヤバイことになるな……。もし、そうなってしまったら…………やめよう、考えただけでゾっとする……。しかし、この子のチェンジって一体……解離性同一性障害……? いや、それとは違う気がするな……。不思議ちゃんなくらいに天然で明るいし、何よりも両親に愛されて育ってきているしな……。あは、考えても分からないや、まっ、何はともあれ上手くいっているからいいかな) 大道寺さんは眠り始めたわたくしを見ながら少し心配しています。 わたくしが目を瞑って一時間もしないうちにわたくしの自宅に着きました。 「さあ、着いたよ」 「うーん……。もう着きましたの。せっかく眠れそうでしたのに……、ふあーあ……」 「じゃあ、また連絡するよ。おやすみ」 「おやすみなさーい」 わたくしは去っていく車に向かって、かったるそうに呟いてから自宅に入っていきました。 003 さてさて、次なるミッションは……? 大道寺さんは、わたくしを送り届けた後、西荻窪駅前派出所兼自宅に戻りました。 プシューッ! いつもの慣例であるシャワー後の缶ビールを飲んでいます。 「くあぁっー! いつ飲んでも仕事上がりの一口目は格別だぜっ! この一口目がたまんねえんだよなぁ、本当にっ!」 一口目で一気に半分くらいまで飲み干します。すると、一息つくかつかないかのタイミングで、電話が鳴りました。 「ちっ、せっかくのひと時が台無しだぜ……。ん? やっぱり松岡か……。よしっ……。ただいま電話に出ることができません。しばらくたってからお掛け直し下さい……」 「おいおいっ、思いっきり、お前の声で出ているじゃねえかっ! バレバレだよっ、まったくっ!」 松岡さんは、大道寺さんの警察学校時代の同期で同年齢の刑事さんです。松岡正義(まつおかまさよし)さん、三十歳、ちょっとお調子者ですが出世欲はあり、今は警視庁捜査一課に所属しています。顔は三枚目ですが正義感は人一倍強い刑事さんです。 「あっ、やっぱり分かった?」 「普通に分かるだろうっ! 分からねえ方がおかしいよっ!」 「アハハ……、で、用は何だ?」 「ああ、とりあえず、今日はごくろうさん。毎度毎度助かるよ」 「俺はただの送り迎えさ。実際に掃除しているのは鈴音さ。礼なら鈴音に言えよ」 「謙遜するなよ。お前がいるから鈴音ちゃんも安心してスイーパーできているんだからさ」 「まあ、そうだといいんだがな。……で、用は何だ?」 「ああ、また、鈴音ちゃんに頼みたいことがあるんだけど、その前に大道寺に聞いておいてもらおうと思ってね……」 「へぇー……。どんな内容なんだ?」 「囮捜査だよ……」 「囮捜査か……」 「まあ、今までとはちょっと違うからさ……。俺なりに色々と練ってはあるんだけどな」 「ほう……」 「ふっ、まあ、俺は緻密に計算のできる男だからな……。聞いたら驚くぜ……」 「何が緻密な計算だよっ……」 「ちっ、ちっ、ちっ。大道寺君……、君は分かっていないようだねぇ……。俺は常にミリ単位で物事を考えて動く男だよ。今回のも緻密な計算に基づいてだねぇ……」 「分かった、分かった……。能書きはいいから、早く説明してくれっ!」 「ふっ、急かすなよ……。どんなミッションかというとだな、ナンパされてカラオケに入る前に騒ぐって、ただそれだけさ。どうだっ、この練りに練られたミッションは……?」 「ほう……なるほど……って、それの、どこが練りに練っているんだよっ! ミリどころかキロメートルくらいざっくりじゃねえかっ! それじゃあっ、さっぱり分からねえよっ!」 「あっ、やっぱり…………」 「分かるわけねえだろうっ! もっと真面目に説明しろっ!」 「分かった、分かった。怒るなよ、冗談だよ、冗談」 「お前の場合、区別がつかねえからな……。まあいい、真面目にどんな内容なんだ?」 「じゃあ、改めて……」 松岡さんの説明によりますと……十分な証拠が握られていないため警察として動くことができない案件とのことです。まあ、それは毎度のことなんですが…………その証拠を握る手伝いをわたくしに頼みたいということだそうです。 「お前が勘だけで動こうとしていて、まだ話題にすらできない案件ってことだろ? いつものことじゃないか」 「まあ、そうなんだけどな……。銀竜会の構成員がイケメンの上に、ホスト顔負けの口説きのテクを持っていてね、ナンパした女子高生や女子大生をうまくカラオケに誘い込んでは虜にし、その女を利用し麻薬(やく)の運び屋をさせているんだ」 「ほう……。年齢的には鈴音はピッタリだな……」 「まあな。奴のこの特技を生かして組も上手く麻薬を売りさばいて、ぼろ儲けをしているのさ。おかげで、どんどん勢力を伸ばしていてね、今のうちに何とかしておかないと、とんでもないことになっちまうよ」 「そこまで分かっているなら、その運び屋と思われる子を尾行して何とかできないのかよ?」 「いや、俺もね、奴と別れた後の女を尾行してさ、わざとぶつかってバッグを落とさせて中身を確認しようとかは試みたんだけど、中身が上手く飛び出なくて……。なんてったって、カラオケから出て来た、ただのカップルじゃ職質(職業質問)はかけられないしな」 「まあ、そりゃそうだ……。しかし、わざとぶつかってねぇ……」 「笑うなよ……。俺は俺で一生懸命なんだからさ。でも、まあ、現実はドラマみたいにはいかなくてね。証拠の品を確認できないんだよ。だからさ……」 「それなら、ナンパされた鈴音がカラオケに入る前に騒げばいいな。尾行していた俺達が職質(職務質問)をして所持品の確認をすることができるもんな」 「そう。それが一番確実だろう?」 「うん、そうだな。まあ、やるやらないは鈴音が決めることだけど、あいつのことだ。きっと、ノリノリだろうな……」 「……だろう? 今回のは、お前にも色々と手伝ってもらわないといけないからさ、そう思って事前に電話したのさ」 「そうか……俺は協力できるぜ」 「おお、助かるぜ。とりあえず、鈴音ちゃんにも頼んでみるよ」 「ああ、そうしろよ。きっとノリノリだぜ、あいつ」 「そうだろうな……。じゃあ……」 プツリ! ツーツー……。 「ふう……、今度のミッションも面白そうだな……」 通信音を聞きながら、大道寺さんは残りのビールを一気に喉奥に流し込みました。 わたくしは松岡さんからお話を伺い、快くお引き受けしました。さっそく大道寺さんに連絡です。 「やっぱり、引き受けたか? 鈴音らしいな」 「ええっ、悪事は許せませんものっ!」 「嘘つけ、面白そうだからだろう?」 「あらっ、バレました? 「バレバレだよ」 「でも、それだけじゃありませんわよ。だって、わたくし達は、悪事は絶対に許しませんっ! がモットーの『チーム鈴音』じゃないですか?」 「まあ、そうだけどさ……。しかし、なんだよ、その『チーム鈴音』ってのはさ……?」 「松岡さんとお話している時にひらめいたんです。いつもこの三人トリオで、いくつもの事件を解決してきたじゃありませんか。なんかこう……、名前があったらいいなって思ったんですの。そう思ったら、自然と出てきましたの。おかしいですか?」 「いや、なかなかいいネーミングだな……。『チーム鈴音』……か」 「松岡さんも気に入って下さいましたわっ!」 「そうか……、あいつはそういうの好きだからな……。で、いつ決行するんだ?」 「急なんですけど……明日ですわっ!」 「そうか、明日か……。準備は間に合うのか?」 「ええ、明日はラッキーなことに金曜日なのに学校が午前で終わりなんです。ナンパされるのには金曜日の夜なんて一番いいですしね。なんてったってウキウキのウィークエンドですから」 「ハハッ、それも、そうだな。よし分かった。迎えの時間は?」 「松岡さんと五時半に待ち合せましたので……。そうですね……、五時にお願いします」 「了解」 「ふふっ、明日のセクシーなわたくしにご期待くださいませ」 「ああ、楽しみにしているよ。じゃあな、おやすみ」 「はい、おやすみなさいませ」 さてさて、明日はセクシー鈴音ちゃんの大活躍ですわよ。今日は、早めに休んで明日に備えましょうかねぇ……お楽しみに……。 004 セクシー鈴音降臨 はいっ、あっという間に金曜日の午後です。 わたくしは只今、新宿の某百貨店で本日のミッション用の洋服の買い物中です。百貨店と言うところは、すぐに店員さんがいらしてくれるので助かります。 さっそく、お目当ての洋服の説明をしてみます。まあ、さすがにナンパされやすい服とは言えませんので、パーティー用のちょっと大人な感じで目立つものと言っておきました。 「お客様、これなどは大人っぽく目立ちますが、嫌みがなく控えめな感じのするものですが、いかがでしょうか?」 言いながら、白のワンピースを持ってきてくれました。なるほど、確かに前も後ろも控えめに開いていて、派手な感じはしないものです。色も白なので、純情可憐(?)なわたくしにはピッタリでした。試着をしてみると、サイズもピッタリで、セクシー鈴音ちゃんに早変わりです。 これでメイクを派手めにすれば、ナンパ男などはちょちょいのちょいと釣れますわ。ついでに、ハイヒールも購入。ふふっ、大人女子って感じです。 えっ、高校生なのにお金は大丈夫かって? それはもちろん、松岡さん持ちなのでご心配には及びません。さあっ、準備も整いましたし、レッツゴー、ホームッ! 四時半を回ったところで、お着換え開始ですっ! いつもより派手めなメイクにして、大人女子っ、セクシー鈴音ちゃんの完成ですっ! 我ながら器用かも……、自画自賛をしながら気分を高めて、モデルポーズをとり確認していますと、大道寺さんからラインがきました。 「鈴音、そろそろ車を回すから」 「あっ、あの、大道寺さん、今日はお店の前ではなくて、少し離れたところにしていただけませんか? お店の前だと、お母様に見られてしまいますので……」 「ああ、そうだね。じゃあ、少し過ぎたところで待っているから。別に急がなくてもいいよ」 「ええ、でも、もう出られますから」 そう返事をして、わたくしは急いでバッグを持って部屋を出ます。 こんな派手な服装、お母様に見られたら大変ですわ。いつもと違い過ぎて、わたくしが変な人達と付き合っているんじゃないかと、心配をかけてしまうかも……です。お母様……ご安心を、鈴音は良いことをしてきますので……。 階段を下りてソーッと廊下を歩きました。お店ではお母様が開店前の仕込みをしています。わたくしは、そっと頭を下げて小さい声で挨拶をしました。 「すみません、お母様。週末の忙しい時にお手伝いできなくて……。それでは、行ってまいります」 気づかれないように事前に用意しておいたハイヒールを履いて、裏口からそっと出ました。 わたくしは少し離れたところに停められていた車に乗り込みます。 「すみません、遅くなりまして……」 謝りながらドアを閉めて笑顔で振り向きました。そこには、紛れもなくわたくしがいたのですが、普段のキュートなわたくしとは別人のキレイな大人の女性に変身したわたくしが座っています。 ノースリーブの白いワンピースで、胸の谷間も程よく強調されていてセクシーです。リップもいつもより濃い朱(あか)で全体的に何となく妖艶な感じさえし、おまけにスカートの丈も短く太ももが大胆に露出しています。まさに、完璧なお色気ムンムンのセクシーレディの降臨です。 「おおっ、バッチリだなっ! これならイケるな……。ようしっ、テンション上げて行こうっ!」 大道寺さんのテンションもいきなりクライマックスです。 松岡さんとは、例の男がナンパするスポットの近くの駐車場で待ち合わせをしていました。わたくし達が到着すると松岡さんはすでに来ています。 「おおっ! 香水もメイクもバッチリだねっ! こっちのテンションも上がるぜーっ!」 松岡さんも車から降りてきたわたくしを見て大盛り上がり。 ウフフッ、そうでもありませんてこのくらいは……。……などと少し殊勝に思いましたが、いえいえ、今日は自信を持って臨まなくてはいけませんから、背筋を伸ばし前を向いてシャキッとしましょう。 さっそく三人で今日のミッションの確認です。 「場所は、あのビルの一階のギャラリー前だ。あそこが奴のナンパスポットだ」 「いつものところか……」 「ああ。ナンパしたら必ずお気に入りのカフェで食事をしてカラオケってのがパターンだ」 「ふーん。……なあ、俺今気が付いたんだけどさ、仮に奴が鈴音に引っかからなかったらどうするんだ? 別の女を選んだら?」 確かにそうなんですよ……、実はわたくしも気にはなっていたのですよ。キレイや目立つ以外にも、その人独自の声をかけやすい理由もあるでしょうからねぇ……。 「そうだよな、選ばれなきゃ始まらないもんな。そこでだ、俺なりに考えたんだが、まあ、外見上は上手く目立てているからさ、奴と目線を合わせるようにして、目線が合ったら意味ありげな含み笑いをするってのは……、どうかな?」 「おおっ、それ、いいかもな……、男に限らず女でも、目が合って何かしら反応があれば気にはなるだろからな。ましてやナンパしようとしている時に微笑まれれば、そりゃあ声をかけてくるだろうな」 「そう言われれば、そうですわね」 わたくしも合点承知でウンウンと頷きました。 まあ、聞けば聞くほど女の敵なのですが、引っかかる方も引っかかる方なのかしらとも思えますわねぇ。そもそも、ナンパスポットで物色しているのはお互い様ですから……。なんか、一夜限りの出会いを求めて、目標の持てない現代の若者が集まる……。何とも言えない悲哀の縮図ですわねぇ……。あらっ、わたくしって大人っ! 「おっ、そうだっ! 肝心なことを忘れていたっ! これが奴の写真だっ!」 「ほう、話通りのイケメンだなぁ……」 「本当、イケメンですわねぇ……」 「鈴音はナンパされればいいけど……、松岡? 俺達はどうするんだ?」 「まずは、カフェを出てから尾行するために、あらかじめカフェの前の通りにそれぞれの車を停めておこう。まあ、これはタクシーで移動した時の保険だけどな。その時によって、移動方法を変えるからさ」 「ケースバイケースってやつだな」 「ああ。鈴音ちゃんは、奴と食事をして、いざカラオケに入るってところで、抵抗して大騒ぎをしてくれ。そうしたら俺達が駆け付けて、職質(職業質問)かけるから。いいかい、鈴音ちゃん?」 「ええっ、分かりましたわっ! わたくしは、とにかく一緒に話を合わせながら、誘われるがままカラオケに行って、入る寸前に騒げばよろしいのですね」 「ああ、頼んだよ」 「お任せあれっ!」 いつも通り、おどけて敬礼っ! ふふっ、楽しそう。 「あっ、そうそう、鈴音ちゃん、念のためこの小型発信器も持っておいて」 可愛らしい発信器を松岡さんはわたくしに渡しました。 念には念を入れて……ですわね。さあさあ、盛り上がってまいりましたわよ。 005 さあてっ! ナンパ男を一本釣りですわよっ! カフェの前の通りに車を停めるとわたくし達はナンパスポットのビルに向かいました。もちろん三人共バラバラでツレとは分からないように離れて歩いています。歩いている最中にもすれ違う男の数人は振り返ってわたくしを見ていました。 ふふっ、見ていますわ、見ていますわ、それだけ目立っていてイケてるということですわね。その様子を見て松岡さんも大道寺さんも満足し、そっと微笑んでいます。 ナンパスポットに着いたのは、ちょうど日が落ちて暗くなり始めた頃でした。さすがに、その場に行くと緊張感は高まります。心臓、ドックンドックン。周りの女子達もそれなりの方達ばかりでしたから……。一夜限りの出会いを求めているだけあって、皆ギラギラしています。思わず気圧されそうになりましたが、弱気は禁物。わたくしも堂々とせねばっ! 松岡さんと大道寺さんは、わたくしを挟んで十メートルくらい離れたはす向かいに左右に分かれて立っています。それぞれ雑誌や新聞を見るフリをして、常にわたくしに目を配っていました。やはり、お二人も緊張しており何となく落ち着きがありません。 十分も待たないうちにわたくしは二、三人の男の人に声をかけられました。わたくし自身は堂々としているつもりでしたが、やはり緊張していたためか、ややうつむき加減になっていて、オドオドしているように見え声をかけやすかったのかもしれません……。 「ねえねえ、君? 一人? これからカラオケでも行かない?」 「いいえ、すみません、待ち合わせですので……」 うんうん、なかなか上手い断り方ですわ……。 「向こうにさ車停めてあるんだよ。ドライブでも行こうよ。外車だぜ」 「すみません。もう少しで待ち合わせの彼が来ると思いますので……」 「チェッ! 彼氏待ちかよっ! 紛らわしいところで待ち合わせるんじゃねえよっ! バーカッ!」 中には強引に腕を掴んで引っ張りながら連れて行こうなんて人もいましたが、断るとパッと手を放して悪態をつきながら行ってしまいました。 もうっ、なんで 、わたくしが怒られなければならないんですのっ、まったく! ターゲットは早く来ないかしらっ! 苛々っ、いらいらっ、イライラッ! わたくしは思わずムスッとした顔になって立っていたようで、遠くから松岡さんが、自分の口の両端に手を当て引っ張って笑うようにゼスチャーを送ってきました。松岡さんの、その顔を拝見して少し緊張がほぐれました。だって、松岡さんのその顔、可笑しいんですもの、フフッ。 ようやく、ターゲットの男が現れました。松岡さんはわたくしと大道寺さんに目で合図を送ってきます。わたくし達は今まで以上にグッと緊張感が増しました。 まあ、当然ですわねぇ……。グーッと首のあたりが締め付けられるような緊張した時独特の血の気が引く感じがしてきます。 男はゆっくりと歩きながら品定めをしているようです。わたくしは、わざと視界に入るように移動しながら男の方を見ていました。 どうか、目線が合いますように……。祈る思いで見続けました。男が順々に女子達を見ていくと、やがてわたくしと目線が合いました。チャンス到来っ! 今ですわっ! わたくしはそっと意味ありげに微笑みます。すると、魚がパクッと餌に食いついたかのように、男は近づいてきました。 「やあ、一人? それとも、誰かと待ち合わせ?」 「いっ、いえ、一人ですわ……。よっ、よろしかったら、ご一緒していただけません?」 「ああ、君みたいな美人に誘われるなんて光栄だよ。俺なんかで良かったら?」 「ふふっ、お世辞がお上手ですこと。よろしくお願いいたします」 「こちらこそ。君はずい分と言葉が丁寧だね。ひょっとして、いいとこのお嬢様なのかな?」 「えっ、ええ、まあ……そんなところでしょうか……」 うっわー、本当に会話が上手ですこと……。なんか自然と話せちゃいそう……。しかし、まずいですわ……。いきなり嘘から入ってしまいましたわ……。どうしましょう……。答えに矛盾が出ないようにしないといけません……。 「そうなんだぁ! じゃあ、お父さんはどこかの大企業の重役さんとかそんなのかな?」 「そっ、そんなたいしたものではないのですけど……」 ああっ、どうしましょう……。どう会話をつないでいけばいいんでしょう……。はあ……難しいミッションですわ……。一度嘘をつくと嘘で塗り固めていかなくてはならなくなる……なんて、よく聞く話ですわ……。なんかドツボにはまってドッピンシャンって感じがしてきましたわ……はぁー。 わたくしは言葉の返しがきつくなってきて途中から目を逸らして下を向いて考えていました。 「ゴメン、ゴメン。出会ってすぐにこんな会話つまらないね。すぐそこに、俺のお気に入りのカフェがあるんだ。そこで、ゆっくり食事でもしながら話をしようよ」 勝手に解釈をしてくれて助かりましたわ……。しかし、一難去ってまた一難……なんとなんと、話しながら、さりげなくわたくしの肩に手を回してくるじゃありませんかっ! その刹那、体がビクンと反応し拒否しかかってしまいました……。まあ、すぐさまミッションであることを思い出し、そのまま身を預けて歩きましたが……。 身の毛もよだつとはこういうことを言うんでしょうね……。いきなり、体を触るなんてっ! いっ、いやらしぃっ! ああっ、でも……我慢ですわ……まだ始まったばかりですから……。今騒いだら元も子もありませんものっ! 石の上にも三年……。わたくしは高校二年生……。はあ……早く終わらないかしら……。 そんなわたくしの気持ちなどお構いなしにナンパ男は話しかけてきます。 「学校はどこなの?」 我慢、我慢とだけ言い聞かせていたため返答した内容は覚えていません。ただ少し離れた所から見守っている松岡さん達には、男に気づかれないように、そっと親指を立てて『成功』の合図を送りました。 さすがは、わたくしっ! こんな状況でも冷静ですわっ! 今日は自分で自分を褒めてあげたいと思いますっ! 思いっきりそんな心境です……。 わたくし達のあとに松岡さん達も別々に歩き出しついてきます。しっかり、フォロー頼みますわよ、お二人さんっ! わたくし達がカフェに入ると、それぞれの車に戻りました。 「上手く引っかかってくれたな。鈴音ちゃん上手いじゃないか」 「ああ、本当だな……。でも、問題はここからだろ。鈴音の奴大丈夫かな? 肩に手なんか回されちまってよ。緊張でバクバクしちまってパニックじゃねえのかな……」 「まあ……そういう免疫はある方じゃないだろうからな……」 「ああ……。……さあ、松岡っ、俺達も次の行動に移ろうぜっ! よしっ、じゃあ俺が店に入るよ」 「ああ、そうしてくれ。報告は随時ラインで取り合おう」 車を降りて意気揚々とカフェに向かう大道寺さん。ハードボイルドの探偵かなんかを気取っているみたいです。柄じゃないのに……。 006 騙し騙され、挙句の果てに…… カフェに入ったわたくしは外からも見えやすいように窓際の席を選んで座りました。男は座る時にも椅子を引いてくれたりして非常に紳士的です。何から何まで初体験のわたくしはドキドキしっぱなしです。 お店はオープンスペースの明るい感じで、クラシックでしょうか……ムードある音楽が、これまた絶妙な音量で流れています。まあ、いわゆる恋人同士が利用するにふさわしい雰囲気のあるお店ってやつですね。 男はメニューを見ながら色々と説明してくれます。ここのお店はカレーが美味しいそうで、とりあえず食事はカレーにしました。カレーもスパイスの種類や量を選べるようで、まあ、色々とややこしいです。聞いていてもわたくしは良く分からないので、あまり辛すぎないようにオーダーしました。食後のコーヒーも同様で、カフェラテやらキャラメルなんとかやら色々あります。ミルク一つとっても種類も豊富で良く分かりませーんっ! てな感じで困ってしまいました。 「これは、少し甘い感じだね。これはチョコレート、いやココアっぽいかな。君は……どういうのが……、そう言えば、まだ名前聞いてなかったね。俺は菅原哲也(すがわらてつや)。君は……?」 「わ、わたくしは、さ、いっ、いえっ、さっ、五月野弥生(さつきのやよい)ですっ!」 焦ったぁっ! 急に振るんじゃないっ! 言いかけましたが、抑えて抑えて……。ミッションですよ、ミッション。 はあぁ……、どうしましょう……? 咄嗟に旧暦を合わせて言ってしまいましたが、怪しまれないかしら……。そもそも偽名を決めておかなかった大道寺さん達の落ち度ですわっ! まったくっ! お二人共っ、覚えてらっしゃいっ! 「そう……弥生ちゃんか。可愛らしいすてきな名前だね。じゃあ、弥生ちゃんは何飲む?」 助かりましたぁ……。わたくしの心配とは裏腹に菅原さんはさらっと受け流していました。良いんだか悪いんだか、あまりこの菅原と名乗ったお方は旧暦などという知識はないみたいですわ。まっ、あちらも偽名でしょうし、そもそも名前何て呼び合う時の道具くらいにしか考えていないんでしょうからねぇ……。いっそのこと、マイナーな歴史上の人物を名乗っても面白かったかも……。で、何でしたっけ? 聞かれていたことは? あっ、そうそう、何飲むかでしたわね。 「えっ、えーと……これで、いいですわ」 オーソドックスにカフェラテを指さしました。まっ、妥当な線ですわ。これなら味も間違いないでしょうから……。 「そうっ! じゃあ……俺もこれにしようかな」 菅原さんはカレーと食後のカフェラテを二つずつオーダーしました。 ふうっ……、本当っ、何から何まで疲れますわ……、はあ……。早く終わらないかしら……。 ちょうどその時、大道寺さんがカフェに入ってきました。わたくし達の位置を確認しているようで目が合います、その刹那思わずキッと睨んでしまいました。 もうっ! わたくしの苦労なんて分からないでしょうに……。プンッ、プンッ! (なっ、なんだ、鈴音のやつ……。何かあったのか?) 思いがけないわたくしの視線に、一瞬たじろいだ大道寺さんは、わたくし達が良く見える少し離れた席に座りました。金曜の夜ですが、まだ少し時間が早いせいか、店内は空いており、女性客がちらほら座っているだけです。 「カレーと食後にブレンドコーヒーを」 大道寺さんは手渡されたメニューをろくに見もせずに、格好をつけてオーダーしています。 ははっ、ここはそこらの喫茶店じゃないですからねぇ……。そんなオーダーの仕方では……。 「はっ? 申し訳ございません。もう少し詳細にご注文をお願いいたします……」 「えっ、そうなのっ? いっ、いや、別にそんな難しいんじゃなくて、カレーとコーヒーなら何でもいいんだけど……」 そうら、見たことかっ! アレレってな感じですわねぇ……大道寺さん、困っていますねぇ……。 「申し訳ございませんが、メニューに書いてありますこちらから、カレーの種類と辛さのランクを選んでいただきまして、スパイスの種類と量をご注文していただけますか?」 「……ああ、そうなの……。えーと……はは、良く分からないな……。うーん、じゃあ、ビーフで辛さはCにして……、スパイスはこれでいいや。量は少しで」 「かしこまりました。コーヒーの方はどうなさいますか?」 「えっ、どうなさいますって……?」 「まずは、どの種類のものになさいますか?」 「えっ、種類って? 別にどこ産でもいいんだよなぁ……。店員さんのオススメは?」 「口当たりが軽いものがお好みでしたらブラジル産がよろしいかと思いますが……」 「じゃあ、この中から選ぶのか……、じゃあ、これでいいや」 「かしこまりました。ブラジリアンですね。ミルクはどうなさいますか?」 「えっ、ミルクって……?」 「アメリカ産、イギリス産、あとは当店オリジナルのものもございます。種類によって甘さなども変わってきますが……」 「ああ、そうなの……。べっ、別に何産でもいいんだよなぁ……。適当に君に任せるよ、ヨロシク」 「さようでございますか……。かしこまりました。ご注文は以上でよろしいでしょうか? 少々お待ち下さい」 アハハ、大道寺さんったら、タジタジですわねぇ……。まあ、無理もございませんわね。 「まったく、何なんだよっ、この店はっ? せっかく、ハードボイルドで決めようとしているのに、台無しだぜっ! 俺は普通にカレーが食えて、コーヒーが飲めりゃいいんだよっ! いちいち面倒くせぇなっ! カレー食う前から汗びっしょりだぜ……」 一人ぼやく大道寺さん。一部始終を松岡さんにすぐに伝えます。 「そこは特別なんじゃないか? そんな複雑なの俺だってついていけないよ」 ご安心を、わたくしもついていけません。このお店が専門的すぎるんですわ……。まあ、それだけオシャレなお店ということですわね。なんてったってナンパのプロが利用するお店ですから……。俺はこんなことも知っているんだぜ的に、自分を優位に見せるためのアイテムなのでしょうから。まったく、つまらないところにエネルギーを注ぐんですねぇ……。 「ふふっ、たまにいるんだよ、ああいうおじさんが。ここのことを良く知らないで上手く注文できない人がね」 「そうなんですの? 菅原さんはお詳しいんですね?」 「まあね、コーヒーにはちょっとうるさいよ」 案の定、大道寺さんと店員さんのやり取りを聞いていた菅原さんは、自慢げにわたくしに話してきました。 なるほどねぇ……。自分得意のフィールドで、どんどん女子を魅了していくって……こういう男には気を付けないといけません……勉強になります。しかし……、次から次へと、まあ、よく色々と話しかけてきますわよ……本当に。 「けっこう、いい雰囲気だな」 車の中から見ている松岡さんがラインを送ってきました。 「ああ、どっから見ても恋人同士に見えるよ」 「外見だけだと、イケメンと美人で、どっかの芸能人同士って感じだな」 「ああ、そう見えるな……」 大道寺さんは運ばれてきたカレーを食べながら返事をしています。お味はいかが? 「注文が面倒くさいわりに普通のカレーじゃねえか……。……うん……なっ、何だ、いきなり辛くなってきたぞっ! こっ、こりゃっ、何だよっ!? 舌と喉がヒリヒリしてきやがった……。ひぃぃっ、口の中が火事だぁっ……!」 あらあら、こういうところのカレーは本格的なスパイスを使用しているのですから、無難に辛さは一番下のAランクにしておかないと……早くお水を飲んで下さいな。 「おおっ、辛えっ! …………ヒリヒリが止まらないぜ…………。すみませーんっ! 水のおかわりっ、お願いしますっ!」 ……一気に飲むからですよ……、もぅ、こんなオシャレなお店で大声なんか出して恥ずかしいですわねぇ……。 「おいおい、大道寺……しっかりしてくれよ……。先は長いんだからさ」 松岡さんの心中……お察しします。 大道寺さんの一部始終が丸見えのわたくしは、大汗かきながら急いでお水を飲んでいる姿を見て、笑いをこらえるのに必死ですっ! ああ、可笑しいっ! さあ、食後のコーヒーはいかがですか? 「ふぅ……まったく、辛いカレーだったぜ……。しかし、このコーヒー、どこ産だミルクだなんて言っていたけど、普通のコーヒーじゃねえか。今朝飲んだインスタントコーヒーの方がよっぽど旨かったぜ。いくらするんだ? えっ、カレーとコーヒーだけで四千三百円って、ここはぼったくりバーかっ!」 伝票を見て目を見開いています。だから、本格的なお店なんですって、ここは。そのくらいはしますわよ。 「もしもーし、松岡君? これは君持ちの経費ですかぁ?」 「すまない、お前は自前でやってくれ……」 「はは……だよな……」 大道寺さんは予想通りの返事にガックリうなだれています。もう、本当に笑えますねっ! ……って、ちょっと、大道寺さんっ! 忘れないで下さいよ、これは、あくまでもミッションですからねっ! わたくしのことを見ていて下さいよっ! カレーやコーヒーの味や値段何てどうでもいいんですからねっ、頼みますよっ、本当にっ! 一方のわたくし達は……。哲也さんは話ながら、さりげなくわたくしの手を握ったりしてきます。何気に会話の中で絶妙に……。 もうっ! いちいち触ってきてっ……本当っ、いやらしいったらありゃしないっ! 誰かっ、バルサン炊いてっ! ついでにダニアースもお願いっ! 「弥生ちゃんは、高校生かい?」 「ええ、そうですわ。菅原さんは何をなさっているんですか?」 「えっ、俺かい? 俺は去年高校を卒業して自動車の修理工をやっているんだ。家はどこなの?」 「世田谷ですわ」 ふっ、本当は杉並ですけどね……。まあ、このくらいの嘘でしたらいいでしょうか……。 「菅原さんはどちらに?」 「俺は北区の修理工場に住み込みさ。お父さんは何をしている人なの?」 「えーと、父は国家公務員ですわ。経済産業省に務めておりますの」 お父様は三年前に肺ガンで亡くなっています……。料理人でした。とても優しい方でしたのよ……ああ、天国のお父様……お会いしたいですわ……。 「へえー、そうなんだ。俺頭悪いから良く分からないけど、偉い人なんだね。じゃあ、お母さんはマダムってとこかな?」 「えっ、ええ、まあ、そんなところですわ。オホホ……」 うっそピョーンッ! 毎日お父様の小料理屋を継いで一生懸命に働いてらっしゃいます……。 「そうか……だから、弥生ちゃんはお嬢様学校に通っているんだね」 「ええ、そうなんですの……」 通っているのは事実ですけど……ただ単に都立に受からず併願で受けていた私立が偶然お嬢様学校だったって……それだけなんですよね……。 「ふーん、そうなんだ……」 一時間くらい会話をし食事を終えたところで、わたくしはトイレのため立ち上がりました。本当の意味で少し休憩したかったので……。いい機会だと思われたようで大道寺さんも遅れてトイレに向かいます。わたくしが女子トイレのドアを開けて入ろうとしているのを捕まえて、少し奥に連れて行きました。女子トイレの中から女性客が一人出てきたので、その女性客をやり過ごしてから尋ねてきました。 「どうだ? 順調か?」 「ええ、バッチリです……。上手くいっていると思いますわ……」 「そうか……。じゃあ、引き続き頑張ろうぜ」 「ええ、頑張りましょう……。あまり遅いと怪しまれますので……」 そう言ってわたくし達は離れました。 大道寺さんが席に戻ると松岡さんからすかさずラインが入ります。 「鈴音ちゃん、どうだって?」 「ああ、順調だってよ」 「そうか……。今のところ計画通りだな……」 「ああ。かれこれ一時間くらい経つけど、そろそろ動くんじゃないか?」 「ああ、ぼちぼち……かな」 「そうか……じゃあ、俺もう出るよ」 大道寺さんは、サッと立ち上がり会計を済ませカフェを出ていきます。 トイレから戻ってきたわたくしに哲也さんは聞いてきました。 「弥生ちゃんはカラオケなんかはするの?」 おっ、いよいよですわっ? 「えっ、ええ……、お友達と行ったりはしますわ」 ふっふっ、実は大好きなんですっ、カラオケ。 「そう、じゃあ、ここを出たら行こうか?」 「ええ、よろしいですわっ!」 「じゃあ、弥生ちゃんが、それを飲み終わったら出よう」 令和の歌姫鈴音ちゃんの涼やかな歌声を披露して差し上げますわ……と言いたいんですが付き合って差し上げるのは入り口までですわよ。フフッ、残念でした。 わたくし達はカフェラテを飲み終えたところで立ち上がりました。席を離れて、一歩、二歩……と歩き始めると、わたくしは、心なしか足元がおぼつかないような感じがします。 あらっ、わたくしどうしたのかしら……? 参りましたわ……こんな時に……。いきなり宇宙空間へ来てしまったようで、無重力状態のようにフワフワとしてきました。 少しフラフラしていると、会計を済ませた哲也さんがスッと腕を掴んできます。 「弥生ちゃん、大丈夫かい? 具合でも悪いの?」 優しく声をかけてきます。わたくしの無重力状態はエスカレートしてきて、入り口の階段を下りるのもフラフラで手足の感覚までなくなってきていました。 「おかしい……ですわ……。おかしい……」 わたくしは呂律も回らなくなりつつあり、思わず顔を歪めています。 「だいぶ具合が悪いみたいだね。大丈夫、俺が支えているから。さあ、ここからちょっとした段差だよ」 ヨロヨロしながらお店から出てきたわたくし達を見た松岡さん……。 「なんだ……? 鈴音ちゃん、具合でも悪くなっちまったのかな? ……大丈夫かよ……?」 急に宇宙空間に飛んでしまったんですよっ! 具合が悪いなんてもんじゃないんですっ! 助けてっ、松岡さんっ! ピンチですわっ、ピンチッ! 意識も混濁としてきて、どうしたのかしら……? 段々と気が遠くなるような……、ボーッとしてきましたわ……。まさに、わたくしは宇宙空間を浮遊しておりました。 そんなわたくしの状態を知る由もない松岡さん達は、こんな会話をしています。 「鈴音ちゃん、具合が悪いみたいだぞ」 「そうか……? 確かにフラフラしているなぁ……。コーヒーが濃くて気分でも悪くなっちまったのかな?」 ああっ、もうじれったいっ! そんなもんでおかしくなるわけないでしょっ! 何かあったんじゃないかって考えて下さいよっ! 「そうか……、もしかしたら。具合が悪くなったフリでもして油断させているのかな? へぇー、鈴音ちゃんもやるもんだなぁ」 もうっ、なんでそういう解釈になるんですかぁっ……? 頼みますよ……。感心している場合じゃないんですけど……。 「あいつ、けっこうやるなぁ。それより、そっちのGPSの反応はどうだ? こっちはバッチリだぜ」 はぁ……だめだ、こりゃ…………。さっさと次の段階へと頭を切り替えてしまいました。 「おおっ、こっちもバッチリだっ! これで、奴がタクシーを使ったとしても安心だなっ! 大道寺っ、絶対に見失うなよっ!」 「お前こそなっ!」 お二人共気合十分でよろしいのですが……、当のわたくしがこの状態ですからねぇ……。まあ、伝えられないのですから分からなくても無理はないのですが……、それにしても、このピンチッ、どうしましょう……? 007 カーチェイス・オン・フライデーナイト 「弥生ちゃん、大丈夫かい? すぐにタクシーを捕まえるからね」 優しい言葉をかけながら哲也さんは折よく通りかかったタクシーを呼び止め、わたくしを押し込むように乗り込みました。 「とりあえず、渋谷に向かってくれ」 「はい」 迷うことなく運転手に行き先を告げ、タクシーは走り始めます。 「よしっ、奴はタクシーで移動だなっ! このまま追跡開始だっ!」 三台の車はタクシーを先頭に縦に並んで走っていきます。さあっ、いよいよカーチェイスの始まりですっ! しばらくは順調に尾行していましたが、いきなり横から入りたがる車が出てきました。ロングの黒髪でサングラスをかけた女性がニコッと笑顔で右手を上げてきます。 「ちっ、なんだよっ、こんな時に……。今取り込み中なんだよ……!」 大道寺さんは、ぼやきながら中々入れないで無視しています。なおもニコッと笑顔で会釈をしてきます。それでも、入れないようにタクシーとの車間距離を詰めていましたが、運悪くちょうど信号が赤になってしまいました。そのため少しスピードを落とさざるを得なくなり、車間距離がわずかに開いたところに、スッと強引に割り込まれてしまいました。 「ちっ、なんてこったっ! まったくっ!」 大道寺さんは歯噛みして悔しがります。割り込んだ車が呑気にお礼のハザードランプ点滅をしてきました。 こういう時って、相手は親切のつもりでもこちらとしてはイラッとするものなんですよねぇ……。 「礼なんか、どうでもいいからよっ! さっさと、どいてくれよっ! まあ、しょうがない……。最悪、こいつで追えばいいか……」 GPSの反応を確認し、松岡さんに報告します。 「もしもし、松岡か? すまない、一台割り込まれてタクシーと離れちまった……」 「了解、気にするなよ。まあ、こんな時のためのGPSだ。冷静に行こうぜ」 「ああ……」 松岡さん、意外と冷静ですわねぇ……、ちょっと株が上がったかも、フフッ。 信号が青になるとタクシーはそのまま直進しましたが、割り込んだ車が右折のため進路をふさがれた格好になってしまいました。 「おいおいっ! 冗談だろっ! なんなんだよっ、この車はよぉっ! 早く、曲がれよっ!」 大道寺さんは、バンッバンッとハンドルを叩いてイラついています。 割り込んだ車はようやく右折しましたが、もう肉眼ではタクシーを確認することはできません……。 「ちっくしょうっ!」 イライラしてバンッバンッと乱暴にハンドルを叩きGPSの電波を確認して、タクシーを探しました。 「松岡っ、四谷の方かな?」 「ああ、……そうだな。新宿通りを行っているな。行く先を変えたみたいだな……」 お二人はGPSとにらめっこしながら追跡します。ああっ! 一難去ってまた一難……。GPSにばかり気を取られていた松岡さんは、あろうことか首都高(首都高速道路)に入ってしまいました。 「おいっ、松岡っ! そっちは首都高だぞっ!」 「んっ……? ああっ、しまったぁっ!」 時すでに遅し……。後続車が多く、Uターンなどできるはずもなく、松岡さんは首都高へと吸い込まれて行きました……チャンチャン……はぁ、松岡さんの株急降下っ! 「すまんっ、大道寺っ! すぐに戻るからっ! 追跡を続けてくれっ!」 松岡さんは叫びながら首都高に入っていきました。金曜日の夜の首都高……混んでいますからねぇ……いつ戻ってくるのやら……はぁ。 「おおっ、まかせておけっ!」 こうなったら、大道寺さんっ、頼みましたわよっ! その頃タクシーの中では……。 「おい、サブ。とりあえず例の倉庫へ行け」 「分かりました、兄貴。そいつサツの犬ですか?」 「ああ、店の中で姐さんがメールで教えてくれたんだ。危うく俺も騙されるところだったぜ。キレイな顔して怖い姉ちゃんだよ、まったく」 下品な笑みを浮かべながらわたくしの顎をグイッと掴んで顔を上に上げます。 なっ、なんですのっ……この会話は……? 頭の中で『?』がグルグルと回転しています。 「よお、姉ちゃん……しびれ薬はどうだい? 自由が利かねえだろ? トイレに行っている間にカフェラテに混ぜといたんだよ。アハハッ!」 すっかり優越感に浸り得意そうにわたくしの太ももを触り始めます。だから、いちいち触るんじゃありませんっ! 嫌悪感から卒倒しそうになりながらも必死で抵抗しようとしましたが、体に力が入りません……。ああっ、こっ、こんな時に体が動かないなんてっ! なっ、なんてことですのっ! はっ、吐き気がしますわっ! 「姉ちゃんは婦人警官か? 高校生みたいだけど、今年から採用されたのか? 最近の婦人警官は美人だねぇ……。まったくよ、姐さんが教えてくれなかったら俺も騙されるところだったぜ。ほれ、トイレですれ違った客が一人いただろ? あれが姐さんだよ」 しっ、しまったぁ! 仲間がいたんですのねっ! あの時、わたくしと大道寺さんが話しているのを見られたんですわっ! それで……。 「今も姐さんが上手くお前の相棒を追っ払ってくれたぜ。残念だけど頼りの尾行も失敗だよ」 尾行も失敗したですって!? こっ、これから、どうすれば……、何とかしないと……。そうですわっ! 今こそっ、チェンジですわっ! ……と言っても……、方法が分からないんですよねぇ……。えいっ! はぁ……、ダメですわ……、掛け声……でしょうか? チェンジッ、鈴音っ! …………。 やっぱり、ダメですわぁ……、どうしましょう……? わたくしが困り果てている時、ふいに運転手のサブさんが叫びました。 「あっ、兄貴っ、サツはGPSを使いますよっ! 早くそいつの電源をっ!」 ちっ、下っ端のくせに意外と冷静ですわねっ! あらっ、切羽詰まっているとは言え、わたくしとしたことが、なんと乱暴な言葉遣いを……なんて言っている場合かっ! 「おおっ、そうだなっ! おい、姉ちゃんバッグ貸せやっ!」 哲也さんは慌ててわたくしのバッグを引ったくるとガサガサと中を漁り、スマホを見つけて電源を切ります。 「他にはねえかな? えーと……他はなさそうだな……」 ガサガサと何回もチェックしていましたが、松岡さんが持たせてくれた小型発信機は見つかりませんでした。 それもそのはずで、こんなこともあろうかと予め下着につけておいて良かったですわっ! 小さくコンパクトなため上手く挟めたのですよ……ナイス、わたくし。小さいですけど、まさに、一筋の光明ですわ……。お二人共、頼みましたわよ……。 わたくしのスマホの電源が切られた瞬間、プッと点灯していた一つのランプが消えました。 「ん? ランプが一つ消えた……。ということは、スマホの電源が切られた……か……。何か様子がおかしいな、まさか……」 首都高を走っている松岡さんが呟きます。 「ああ、勘づかれたかな……? 小型の方は無事のようだが……。松岡っ、一般道には下りられそうかっ?」 「ああ……、もう少しで下りられる……。でも、幸か不幸か、そんなに離れていないようだ……」 「そうか……、なるべく早いとこ頼むぜ……。俺も慣れてはないからさ……」 「ああ……」 008 ピンチッ、鈴音っ! ドラム缶に詰められて海にドボン……? タクシーは三十分くらい走ったところで目的地の倉庫に着きました。 「さあ、姉ちゃん、超高級ホテルに着いたぜ」 わたくしは引っ張られるように強引に車から降ろされます。かすかな意識の中で見ると倉庫街の一角のようでした。 サブさんがギギィーッと鈍い金属音を出しながら扉を開けると、哲也さんは体の自由が利かないわたくしを引きずるように倉庫の中に入れました。乱暴に床へドサッと転がすと、改めて下品な笑みを浮かべています。後ろを振り返り、遅れて入ってきたサブさんに向かって言います。 「さあ、姉ちゃん。少し楽しませてもらおうか……。おいっ、サブっ! 今日は一緒に楽しもうぜ」 「えっ、兄貴、いいんですかい? それじゃあ、遠慮なく……」 「こいつはな、俺の弟分でタクシーの運転手をやっているんだよ。ちょうどいいからよ、ナンパする時は、こいつに運ばせているのさ」 「兄貴、いつもありがとうございます。おかげさまで助かっています」 「なあに、持ちつ持たれつじゃねえか。水臭いこと言うな」 なっ、何とか時間を稼がなくては……。大道寺さん達……まだですの……? はっ、早くいらしてっ……! ギャグを考える余裕もないですわっ! その時、ギギィーッという鈍い金属音がして倉庫の扉が開きました。待ち人来たるっ! 思い知りましたかっ? わたくし達のチームワークをっ! しかし、入ってきたのはカフェのトイレですれ違った女です……。 あらっ……、ちっ、違う……、……だ、大道寺さん達じゃない……ここが分からないのかしら……、そっ、そんなぁ……。さすがにポジティブなわたくしも、ここまで絶望感に支配されてしまいますときついです……。今は重力に逆らえずに体は床に張り付いていますが、心も重力に逆らえず完全に床に張り付いてしまいました……。 女は入ってくるなりサングラスを外しながら怒鳴ります。 「瞬(しゅん)っ! ドジってんじゃないよっ! まったくっ!」 哲也さんは、怒鳴られた挙句に頭をバシッと平手打ちで叩かれています。 あらまっ、乱暴なっ! どうやら『菅原哲也』は『何某(なにがし)瞬』というらしいことが分かりました。それも本名かどうかは疑わしいですが……。いくつかの名を持つ男なんて、スパイ映画の主人公みたいで格好いいですが……この人の場合はね……。 「姐さんっ、すみませんでしたっ!」 瞬さんは、直立不動で上半身を直角に曲げて謝ります。 四十手前に見える『姐さん』と呼ばれているこの女は、おそらく組織の中でもかなり上の者の情婦のようです……。運び屋をやっている下っ端の瞬さん達の仕切り役をまかされているのでしょうね……。 「サツの犬なんざと遊ぼうなんて考えてないで、さっさと沈めちまいなっ! 明日には、この倉庫いっぱいのブツが届くんだからさ。さっさと片付けなっ!」 棚ボタで女としてのピンチは脱しましたが、今度は命のピンチですっ! どちらも困りますわねぇ……。 「はっ、はいっ!」 瞬さんとサブさんは命じられるままに、わたくしを海に沈めるためのドラム缶をゴロゴロと転がして持ってきました。 はぁ、ドラム缶に入れられて海にドボンですの……苦しいでしょうねぇ……。何て冷静に考えている場合かっ! 本当にっ、もうっ……なんとかなってっ! 瞬さんがわたくしの腕を掴んで起こそうとした刹那……。 「…………っ!」 「さっきから馴れ馴れしく触っているんじゃねえよっ! このっ、天然なすびがっ!」 突然、わたくしは叫ぶなり掴んでいる腕をギューッと握り返します。 起きましたっ、奇跡がっ! いよいよ、チェンジ鈴音ちゃんの出番ですっ! どうしてこうなったのかは、相変わらず分かりませんが……。でも、何でもいいですねっ、この際っ! 「……いっ、痛えぇっ! なっ、何すんだっ! こっ、この犬がぁぁっ!」 瞬さんは驚きビビリながらも声だけは威勢よく悪態をついてみせます。 「へっ、犬だって? あたしが犬ならお前らは腐れ外道だなっ!」 わたくしは不敵な笑みを浮かべて、なおもギューッと腕を締め上げながら言います。うろたえながら叫ぶ瞬さん。 「なっ、何だっ、こいつっ! くっ、薬が切れちまったのかっ? さっ、さっきまでとは全然違うぞっ!」 「…………」 サブさんは完全にビビッてしまって、ボーッと眺めているだけです。 「瞬っ! いい加減におしよっ! 何っ、ビビってんのさっ! そんなっ、小娘相手に何やっているんだいっ!」 タバコを吸いながら様子を見ていた女は、フーッと煙を吐いて、イライラしながら怒鳴りつけます。 まっ、チェンジ後のわたくしの強さを知らないから仕方がありませんが相手が悪すぎましたわね。 「スッ、スンマセン、姐さんっ!」 「はっ、あんなババアにペコペコして、イケメンも大したことないねぇ……」 わたくしはフッと鼻で笑いながらからかってやりました。さんざんわたくしをからかったのですから当然です。 「うっせえっ! 黙れぇっ! この犬がぁっ!」 わたくしに握られている腕の反対の拳でブンッと殴りかかってきましたが……。 「ふっ……」 ちょこざいなっ! わたくしは鼻で笑って軽く顔をスッと動かしてなんなくよけてみせます。 「はっ!」 間髪入れずにビシッと強烈な突きをみぞおちに撃ち込んでやります。 「くっ、あっ、ぁぁ……」 瞬さんは声も出せずに腹を抱えてうずくまって苦しんでいます。わたくしはゆっくりと立ち上がって服についた埃をパンパンとはたきながら、なおもからかってやります。 「まったく……、白い服が汚れちゃったじゃないか。あっ、そう言えば……。カラオケに連れて行ってくれるんじゃなかったっけ……、ねえ、イケメンさん?」 少し凄味を効かせ低い声で言っていると、我に返ったサブさんが突然殴りかかってきました。 「この野郎っ!」 わたくしが自分の方を見ていないのを絶好のチャンスと思ったのでしょうか……、叫びながら殴りかかってきました。ふふっ、甘いですわよ……僕ちゃん。 「ふっ、野郎って……? あたしは女なんだけどねぇ……」 見ていないのにパンチをスッとスエーで避けます。振り向きざまに右足で蹴りを入れようとしましたが、スカートであったため、瞬時に拳での連打に切り替えました。 「はいっ、はいっはいっはいっはいぃーっ!」 掛け声と共に小気味よく重い連打。突き、突き突き突き突きーっ! サブさんは呆気なく気を失い無言のまま、鼻と口からドバァーッ! 血を噴いて後ろにドターン! 吹き飛びました。 「ふっ、悪く思うなよ……。アンタに見せるほどの、サービス精神は持ち合わせていないんでね」 ずっと黙ってこの様子を見ていた女はタバコを床に落とし、グニグニと踏んで火を消してから、上着のジャケットを脱いでゆっくりと近づいてきます。 「どうやら、ただの犬じゃないみたいだねぇ……。だけど、お生憎様。明日は香港から大事なお客さんが沢山見えるんでね、ゆっくりと犬の相手なんかしている場合じゃないんだよ。悪いんだけど、一瞬で死んでもらうよ」 「香港から…………? ふん、まさか…………ね」 わたくしは女の言葉を聞いて意味ありげに呟きます。何ですのっ? ちょっと、意味深じゃありませんっ? お願いっ、チェンジ後のわたくし、教えてっ! 女はわたくしの前まで来ると持っていたジャケットをバサッと放り投げました。 「ふんっ、見えるだ見えないだなんてそんなこと気にしていたら、私には勝てないよ、お嬢ちゃんっ!」 何かの格闘技でもかじっているのか余裕とばかりに笑みを浮かべて構えます。 「バカかっ! 女のアンタ相手なら、そんなこと気にする必要もないだろう。可哀そうだけどハンデはないよ」 その通りっ! ……なんですが、さっきの発言……かなり気になりますわねぇ……。 チェンジ後のわたくしは、そんなこと関係なしとばかりにハイヒールを脱ぎ捨て臨戦態勢に入ります。 「つくづく可愛げのない犬だねぇっ! その可愛い顔を切り刻んで海に沈めてやるよっ!」 キッと鋭い眼つきになって、猛然と連打を繰り出します。 突き蹴り、突き蹴り突き蹴り突き蹴り突き蹴りーっ! わたくしは体を動かすこともなく、笑みを称えたまま両腕でパシッ、パシッと軽く叩くだけで全てかわしてしまいました。 かわしざまに一歩踏み込むと、ガシッと女の髪の毛を掴んでブンブンと左右に振り回します。さんざん振り回した後で思い切り気合を入れます。 「そりゃあぁっ!」 グインッ! 壁に向かって放り投げました。 おおっ! 思わず叫びたくなりますわっ! だって……今までのうっ憤を晴らすかのような仕打ちですから……。 女はバランスを崩したまま壁にガンッとぶつかり、ヨロヨロと膝をつきます……。 「はっ、口ほどにもないねぇ」 女は、からかわれた怒りで血走った眼をカッと見開き鬼の形相になりました。 「この犬がぁっ! ぶっ殺してやるっ!」 パンツの裾をまくり足首からナイフを取り出して、叫ぶと同時に猛然と突進してきます。 「ふっ、いっぱしの殺し屋気取りかい? ……いいよ、かかって来なよ」 クイクイッと左手の人差し指を動かして挑発し続けるわたくし。 「このぉーっ! 死ねえぇっ!」 ブンブンとナイフを振り回しながら、鬼の形相で迫ってきます。わたくしが避けようと動いた時に、突然背後から瞬さんがガシッと掴みかかってきました。 「んっ? なっ、なんだっ!?」 「姐さんっ! 今だっ! 俺が押さえているから殺っちまえっ!」 「瞬っ! でかしたっ! 覚悟しなっ!」 女は嬉々として、わたくしを突っ刺すために、真っ直ぐグーッとナイフを突き出してきます。 「ちぃぃっ! このぉっ、天然なすびがぁぁっ!」 ピンチと思ったのも束の間、わたくしは咆哮すると、瞬さんの腕を血がにじみ出てくるほどの力でギュッと掴み、捻るように投げ飛ばしました。 「…………っ!」 投げ飛ばされた瞬さんは、刹那のことで何が起こったのか分かりません。そのまま女の前につんのめるようにして飛び出した格好になりました。突き刺そうとした女のナイフは、当然瞬さんの右太ももにグサッと突き刺さります。 「ぎぃやぁぁっ! いっ、痛ぇぇっ!」 「なっ、何ぃっ……?」 女も刹那に起こったことに呆気に取られています。唖然としていたその時、こめかみに鉄の棒で殴られたかのような衝撃を感じました。 「はいぃっ!」 わたくしのハイキックが炸裂っ! ズドンという重たい衝撃を受け、刹那に女の意識は飛び、白目を剥いてその場にストンと崩れるように倒れました。 「ふんっ、イケメンが台無しだねぇ……」 涙を流して痛がる瞬さんを、あざ笑いながら顔面目掛けて突きを入れます。 「ぐが……あ、ぁ、ぁ、ぁ、ぁ……」 グシャッ! 口と鼻からドボドボと血を噴き出しながら次第に意識を失っていく瞬さん……。 「フウーッ……」 わたくしは、長い髪の毛を掻きあげながら、深いため息をつきました。いつも通り首を左右に振って髪の毛をサラサラっとさせ香りを吸って心身共に落ち着かせます。 「まったく……。……それにしても、あのボンクラ二人は何やっているんだろうねぇ……」 ハイヒールを履きなおし、呟きながら扉の方を見てみます。 遠くの方から、ドドドドドッ! 車のエンジン音が聞こえてきます。はてさて、このエンジン音は待ち人のものか、それともこの3三人の援軍か……どちらでしょうかねぇ……。 エンジン音は次第に大きくなってきて止まります。エンジン音が消えると、キキーッ! バタン、バタン! ブレーキ音とドアの開閉音が響きます。 「鈴音―っ! 鈴音―っ!」 お二人がやっとご到着……。わたくしの名前を呼びながら必死でどこの倉庫か探しているようです。 「おいっ! この倉庫じゃないかっ!」 倉庫の前に停まっているタクシーを見つけたようです。ギギィーッ! 扉を押し開けて慌ただしく入ってきました。 大汗をかいているお二人が息を切らして叫びます。 「すっ、鈴音っ! だっ、大丈夫かっ!」 「まったくっ、何やっているのだかっ……! 遅いんだよっ!」 「すまないっ、すまないっ! いやあ、GPSに慣れてないもんで、手間取っちまってさ……」 「鈴音ちゃん、本当にゴメンな。大丈夫だったかいっ?」 「お生憎様っ! 何ともないよ、あたしはね……」 「「……みたいだね……」」 お二人もわたくしの視線に合わせ、倒れている三人を見て思わず笑みをこぼしました。 「あっ、この女っ! さっき割り込んできた車の女だっ! んっ……、あっ、よく見るとカフェにいた女だぞっ! ……そうか、グルだったのか……」 「このイケメンの単独行動ではなかったってことだな……。すると、この運転手もグルってことかな……」 「……だろうな」 お二人はお互いの見解を述べています。 「あたしは詳しいことは分からないけどさ、まあ、そういうことなんだろうねぇ……。なんか、明日、香港から船が来てこの倉庫で大きな取引があるらしいよ。さっきその女が言っていたよ」 チェンジ後のわたくしは、ぶっきらぼうに伝えます。 とりあえず、大道寺さんと松岡さんが三人を介抱しています。その時、ふと松岡さんが瞬さんの応急処置の手を止めて尋ねました。 「そう言えば、鈴音ちゃん、今チェンジしたままだよね? 色々と聞きたいことがあるんだけど……いいかい?」 あっ、そうそう、こんなチャンスめったにありませんわよっ! 千載一遇のチャンスってやつですっ! 「聞きたいこと……? あたしに分かることならいいけど……」 わたくしは腕を組みながら答えます。まあまあ、偉そうですわねぇ……。 「じゃ、じゃあさっ、今の君は一体何者なのっ! いっ、いやっ、すっ、鈴音ちゃんなのかいっ?」 「今のあたしはね、ちゅ……ぐっ、いっ、痛たたたあぁぁぁっ! あっ、頭がっ! くうぅぅっ!」 ああっ! 言いかけたところで突然いつもの頭痛が始まってしまいましたぁっ! 「すっ、鈴音っ! これっ!」 大道寺さんが叫ぶなり急いで持っていた水を手渡してくれました。 「もしやと思って携帯しておいて良かったよ」 この頭痛の原因も分かりませんが、なぜか水を飲むと落ち着くんですよねぇ……。本当、分からないことばかり……はぁ……残念でしたわねぇ……。 ……この水……大道寺さんがずっと持っていたため、生ぬるいのなんのって、下手すれば白湯ですわ。日本酒は人肌で温めたのがちょうどいい……とは言いますが……水はねぇ……ましてや大道寺さんの肌じゃあねぇ……。 ……なんてことを考えているうちに、水効果バッチリッ! 冴内鈴音っ、只今帰還しましたぁっ! 「あらっ、大道寺さんと松岡さんっ! お二人共いらして下さったんですねっ! ……と言うよりも遅すぎますわっ! 体を触られたり、もう、どうなるかと思いまして、怖かったんですからっ! 挙句の果てには海に沈められるところでしたのよっ!」 当然のことながら、わたくしはチェンジが解けた瞬間から、マシンガントーク全開です。 大道寺さん達は、わたくしが身振り手振りを交えて必死になって訴えているのに、ヒソヒソと俯きながら話しています。 「大変だったのは、俺達もなんだけどな……」 「バカッ、鈴音ちゃんに聞こえたらおおごとだぞっ! そんなことより、惜しかったなぁ……。チェンジ後の鈴音ちゃんから色々と聞きたかったのに……」 「ああ、残念だったな。少しでも謎が解けると期待したけど……」 「ちょっとっ! ちゃんと、聞いているのっ! 本当に危なかったんだからねっ!」 あらまっ、わたくしったら、いつもと違う言葉遣いを……。 「ああっ、ちゃんと聞いているよ。遅くなって本当に悪かった、さあ、続けてくれ」 大道寺さんは、繕うように急に真顔になって返答しました。まったくっ、白々しいんだからっ! ……などと思いつつも、構わずわたくしは、さっそく続きを話始めます。 「なあ、今鈴音ちゃん、普通の言葉遣いだったな? なんで?」 「まあ、いわゆる鈴音は『なんちゃってお嬢様』だからさ。高校からお嬢様学校に通ったから、あの言葉遣いになったわけで、元々家柄がお嬢様なわけじゃないから。今みたいに我を忘れると、元に戻るんじゃないか?」 大道寺さんの推測も交えてはいますが、まあ正解ですわね。その通りっ、わたくしは、『なんちゃってお嬢様』なのです……。でも、可愛らしいでしょ? ウフッ。 「ふーん……。なるほどな……」 しばらくすると、さすがに喋り疲れ喉も渇いたので、わたくしは残りの水をグビグビとラッパ飲みしています。 わたくしが一息ついて休んでいる時、お二人は真剣な面持ちで話していました。 「そうか……、明日この倉庫で……か」 「かなり、でかい取引みたいだな、松岡」 「ああ、かなりな……」 「こいつらと連絡が取れなくなったら、何かあったと考えるから、明日はないかな?」 「まあな……。仮に、そうだとしても、このイケメンが持っていた麻薬(ヤク)がある以上は捜査として動けるからさ、これから連日でも徹底マークできるさ」 「そうだな。これから忙しくなるな」 「ああ……・でも、嬉しい悲鳴さ」 「確かにな……」 こんな風に会話をしている、お二人の姿は、まさに働き盛りの男そのものです。考えてみれば、三十歳の社会の一線で働いている方達ですからねぇ……わたくしから見れば、まさに魅力的な大人の男性に映って当然です。普通は惹かれて……なんてこともあるとは思いますが……果たしてわたくし達はどうなんでしょうか……。 えっ、わたくしのタイプはですって? ふふっ、それは秘密ですわっ! だって、その方がミステリアスで魅力が増すじゃありませんかっ、そうでしょ? 話が終わると松岡さんは救急車やパトカーの手配をし始めました。 「じゃあ、松岡、俺達は一足先に帰るよ」 「ああ、気を付けてな。鈴音ちゃん、今日は本当に色々とありがとう。このお礼は改めてさせてもらうから」 「お礼なんて、よろしいですわ。では、お先に失礼いたします」 倉庫を出て、車が走り出してから呟くように、わたくしは話始めました。 「あのう……大道寺さん? 明日松岡さんに今後の動きについて聞いていただけますか?」 「うん? どうした? 何か気になることでもあるのか?」 「ええ……、理由は分からないのですが……、何か嫌な胸騒ぎがするんです……」 「そうか……、聞くのは構わないけど、何だろうな、その胸騒ぎの原因って?」 「うーん……何でしょうか?」 「もしかしたら、チェンジ後の鈴音が何かしらの警鐘を鳴らしているのかもしれないな……」 「……かもしれませんわねぇ……」 「チェンジ後に奴らとのやり取りで何かあったのかもしれないな……。だから、チェンジが解けた後も鈴音に何かを訴えかけているのかもしれない……。そう考えたら、どうだろう?」 「わたくしも、そう思います」 「今度の黒幕は、今までの奴らとは違うぞ、十分警戒しろよ……的な」 「それプラス、わたくしのチェンジ後の力が必要だぞ……的なものを感じます」 「実はな、俺も今度のは今までのようにはいかない相手のような気がしているんだよ。松岡の意気込みは買うし、俺も警察組織の人間だからさ、警察の力は信じているんだけど……。今度のは何となくな……」 「大道寺さんも心配されているんですね」 「ああ……。とりあえず明日松岡に聞いてみよう。その結果はもちろん鈴音にも伝えるよ」 「ええ、ぜひお願いします」 ニコッと笑顔でいつも通り軽く敬礼っ! お話が終わると、いつものように急激にチェンジ後の睡魔に襲われました。ふぅ……今日は疲れました……おやすみなさい。 009 警察VSヤクザ組織、勝ったのは…… 次の日……大道寺さんは朝から交番勤務をしています。昨日の今日だというのにお疲れ様です。社会人は厳しいですわね。わたくしはと言いますと、今日は土曜日で学校はお休み、のんびりです。 あっ、でも、ちゃんと大道寺さんからの連絡を今か今かと待ってはいるのですよ、はいっ。 1時頃大道寺さんに折り返しの電話がきました。 「大道寺電話くれたか? どうした?」 「ああ、例の件はその後どうなったかと思ってね……」 「ああ、あれか? 捜査会議がさっき終わったところでね……でも、関係者以外には言えないよ……。なんてな、大道寺達も立派な関係者だからな……、話すよ。今夜からあの倉庫一帯と連中が所属している組織を張り込むよ。大捕り物になるぜ、きっと」 「大捕り物か……古い言い方だな。で、何か確証はあるのかよ?」 「ああ。昨日押収した麻薬(ヤク)な、あれは、香港のけっこうでかい組織が扱っていて、東南アジア中心に出回っていたんだが、どうやら日本にもルートを広げつつあるようだ」 「そうか、でかい組織がらみか……」 「昨日でかい貨物船が香港を発って日本に向かったらしいという情報も得た。おそらく、チェンジ後の鈴音ちゃんが聞いた例の話のだろう」 「だいぶ確信の持てる情報だな。……今夜からか。なあ、松岡……、くれぐれも注意しろよ」 「分かっているって、どうしたんだよ、一体?」 「いや、鈴音も心配していたからさ。いやな、俺も引っかかってはいるんだよ。鈴音があそこまで心配するってことは、チェンジ後の鈴音と三人のやり取りの中で何かあったんじゃないかなってさ」 「なるほど……」 「だから、何となく鈴音が気にかかるんじゃないかなって……。鈴音と話していてそういう結論に至ったんだよ。きっと、チェンジ後の鈴音からの警鐘なんじゃないかって」 「そうか……。仮に何もなかったとしても、何となく嫌な予感がするみたいなやつかな?」 「ああ、……だと思うよ」 「分かった。でも、捜査をやめるわけにはいかないからな。十分注意するよ」 「ああ、そうしてくれ。……いざとなったら、退くことも考えろよ」 「ああ、頭に入れておくよ。ご忠告感謝するぜ。じゃあな」 はぁ……何も起こらなければいいのですが……。大道寺さんは、その後すぐにわたくしに連絡をくれました。 「松岡、いや、警察は今夜からあの倉庫を徹底的にマークするそうだ。もちろん、例の三人が所属している組織もな」 「そうですの……。大道寺さん…………わたくし達も参りましょうっ!」 「そう言うと思ったよ。じゃあ……、そうだな、5時に迎えに行くから」 「はいっ、お願いします」 さてさて、どうなることやら……。杞憂に終わればよいのですが……。 あっという間に5時になりました。 「お母様、ごめんなさい。わたくし、そろそろ……」 「ああ、もう時間だね。いいよ、あとの仕込みはお母さんがやるから。気を付けて行っておいで。あと泊まる時はメールでもしておいて」 「ええ、必ず……。すみません、週末の一番お忙しい時に……。昨日もお手伝いができなくて……」 「気にすることはないよ。学生なんだからさ。色々と集りもあるでしょう」 ああっ、お母様っ! なんてお優しいのっ! 落ち着きましたら、いっぱいお手伝いさせていただきますっ! ……あと、友達の美紅の家に行くなんて嘘をついてゴメンナサイ……。 お母様に挨拶をして、急いで大道寺さんの車に乗り込みました。 「おっ、今日は、いつものスタイルだな」 いつものスタイルとは、パンツスタイルのことでございます。まっ、格闘することが多いので当然ですわね、お年頃ですから、ウフフッ。 「ええっ、これでなくては動けませんから。ヘアバンドもちゃんと持ってきましたよ」 「準備万端だな。まあ、それを使わずに済めばいいんだけどな……」 「……ですわねぇ……」 本当っ、そう願っておりますわっ! どうか、何事もおきませんように……。しばらくは会話がありませんでしたが、例の倉庫街が近づいてきますと……。 「もう、松岡さんはスタンバイされているんでしょうか……?」 「詳しくは分からないけど、何かしらで動いてはいるだろうな」 「無理をなさらなければいいのですが……」 「そうだな……」 やっぱり、会話をするとこんな感じになってしまいます。重たい空気って……嫌ですね。 倉庫街に着くと、大道寺さんは目立たないところを探して車を停めます。 わたくし達が倉庫街に着いた頃、警察は着々と準備を進めていました。瞬さんが所属している組の事務所のマーク、船の積み荷を扱う作業員への潜入捜査、様々な準備をしています。各班に別れ連絡を密に取りながら緊張感のある捜査を行っているようです。 我らが松岡さんはというと、倉庫街に張り込んで作業員の動きや荷物を確認する班に所属しています。 「ふう、こんな緊張感は久々だな。さあ、気合いを入れて行くかぁっ!」 バンッ、バンッ! 松岡さんは自分を奮い立たせるために、右手の拳を左手の掌に二回当てて気合を入れています。その時、突然無線が……。 「こちら、事務所前。今組長と幹部と思われる連中が三台の車で出かけます。尾行開始します」 いよいよ動き出したようです……緊張しますねぇ……。 「ふっ、いよいよか……。あそこからなら1時間はかからずここに来るな。ようしっ!」 松岡さんは、ますます鼻息を荒くしています。 下ろされた荷物は次々と運び出され税関チェックを受けていきます。作業員に扮している刑事が税関を通った荷物をチェックし始めました。 「こちら調査班。今のところ何も発見できません。全て普通の荷物です」 「まあ、そうだろうな……。簡単には見つからないように何かしらは仕込んではあるさ。どうせ、連中が来て例の倉庫で確かめるだろうからな。その時、取り押さえれば全て終わりさ」 松岡さんは、無線で知らされてくる報告を聞きながら一人ニヤニヤと余裕の笑みを浮かべています。 「こちら事務所班! どうやら連中は倉庫街には向かわない様子です。まるっきり方角が違います。とりあえず、このまま尾行を続けます」 「えっ!」 この無線を聞いた松岡さんは、目を丸くして思わず大きな声を出してしまいます。 「バカっ、落ち着けっ! 連中も色々とフェイクは入れてくるだろうからな。このくらいの予想外はあるさ」 さすがは先輩刑事さん、経験豊富でいらっしゃるんですねぇ……。 「すみません、つい……」 「なあに、気にするな。奴らとの騙し合いはまだ始まったばかりだ。肩の力を抜いて落ち着いて行こうぜ」 先輩刑事さんはニコッと笑って松岡さんの肩を軽くポンポンと叩きました。そんな中、続けて無線が入ります。 「こちら事務所班! 連中は、銀座のクラブに入って行きました。ここは、連中の息のかかった店です」 「どういうことですかねぇ……?」 首をかしげる松岡さん。頭の中では『?』が急速回転中です。 「うーん……、連中はここには来ない……か。今日ではないのか……」 先輩刑事さんの頭の中でも『?』が飛び交っています……。 「いや、しかし、あの荷物の量は……。どう考えても多いよなぁ……。その方がごまかしやすいからだと思っていたんですが……。やはり、日程を変更したのですかねぇ……」 松岡さん達が頭の中で『?』を地球何周分も巡らしている頃、銀座のクラブでは、組長さんと若頭さんが、してやったりで話をしています。 「組長(おやじ)上手くごまかせましたかね?」 「ああ。ノコノコとついてきた車はサツのだろう。バカな奴らだ。お前の女と昨日から急に連絡が取れなくなったと聞いた時にピーンときたのさ。何かがあったなってな。運び屋をやらせていたガキとも連絡が取れなくなったとなりゃあ、こりゃあ、いよいよだなって思うのが普通だ、そうだろ?」 「へい、その通りです」 「だよな、案の定倉庫に行かせてみりゃあ、なにやら見かけない作業員もいるって、そんな報告を聞いたら決まりだ。奴らはパクられてサツが乗り出した。となればこっちも手を打たないとな」 「まったく、その通りです。組長のお考えさすがです」 「まあな、俺もだてに経験は積んじゃいねえさ。こういう時の逃げ道はちゃんと分かっているよ」 「はい、勉強になります」 何が勉強でしょうかねぇ……。悪知恵ばっかり働くんですから、呆れてしまいます。カラクリはこういうことだそうです……。 税関の職員数人に手を回して荷物チェックをさせているんですって。それじゃあ、怪しくても摘発なんてできませーんっ! まったく、この手の人たちは、つまらないことにエネルギーを費やすんですねぇ……。あっ、この人達にとっては重要事項か……。 続けて組長さんはますます悦に入って言います。 「俺達は、ほとぼりが冷めた頃に倉庫に行けばいいんだ。なあに、急がなくったって買い手はわんさかいるんだからよ。あれだけの量だ。凄い儲けになるぜ、きっと。ハハハハハ」 「まったく、その通りで」 「さあ、今日は祝杯だっ! パーッとやろうぜっ! お前らも遠慮せずドンドン飲めやっ!」 組長さんの掛け声と共に、ビールやウィスキーが運ばれてきてドンチャン騒ぎが始まりました。 あちゃあ、警察の動きはバレバレだったんですわねぇ……。残念ですが、あちらの方が一枚も二枚も上手だったみたいです……。 倉庫街では、下ろされた積み荷が税関のチェックを終えて、次々と各倉庫へと運ばれていきました。最後の荷物も運ばれて行き荷物の引き渡しは全て終了したようです。 「特に荷物に異常は見つかりません……。何も出てきませんでした」 荷物をチェックしていた刑事さんからは、これ以外の特別な報告はありません……。 「今日じゃなかったんですかねぇ……?」 松岡さんは何か腑に落ちない思いで首をかしげます。 「急遽変更したのかもしれないな……。しかし、連中が日本で売りさばこうとしているのは分かっているんだ。そうガッカリするな。明日以降も継続だ。とりあえず課長に報告だっ! …………こちら倉庫班。今日のところは荷物に異常もなく連中も姿を見せませんでした。税関にも引っかかっていません…………」 松岡さんは、その横で、何か納得できずに遠くを見ています。 「課長からだ。今日のところは、とりあえず引き上げろとさ」 ポンポン……。報告を終えた先輩刑事さんが、励ますように肩を叩きます。 「分かりました……」 松岡さんはニコッと笑顔で渋々頷きました。 010 えっ…………!? 先輩刑事さんや作業員に扮していた刑事さん達は引き上げて行きましが、松岡さんは倉庫街に一人残って悔しそうに倉庫を見ていました。 遠くから、その一部始終を見ていたわたくし達は、他の刑事さんがいなくなったのを見計らって近づきます。 「松岡さん、お疲れ様です。今日は、もう終わりましたの?」 「なんだ、二人共……、心配で来てくれたのか? ああ、今日はもう終わりだよ」 松岡さんは、いかにも残念といった様子で元気がありません。 「なんだか腑に落ちないようだな……?」 「ああ、なんだか、連中に裏をかかれたようでね……。何だか悔しいよ……。連中今頃は銀座でドンチャン騒ぎだってさっ、まったくっ!」 「銀座でドンチャン騒ぎ? そうか……やっぱり勘づきやがったか? そうすると、今後は、どう動くんだろう?」 「さあな……。しばらく、ほとぼりが冷めるまでは動かないつもりかもな。はぁ……」 「じゃあ……、今日のところはこれで上がりか?」 「ああ……、と言いたいんだが、実はな、こっそりこれを持って来ているんだよ」 ニヤニヤしながら、ある鍵をヒラヒラと見せます。 「お前、まさか、それ……」 「その通り。あの倉庫の鍵さ。昨日連中から押収したやつを、ちょいと拝借してきたのさ」 「おいおい、まずいんじゃないのか。規律違反もいいところだぞっ! 下手すりゃ、懲免(懲戒免職)ものだぞっ!」 「まっ、そう固いこと言うなっ! バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ」 「そういう問題かよ……。どうしようもねえ奴だな……」 「そうは言っても、お前だって気にはなるだろう?」 「まあ、そうだけどさ……」 「なあに、荷物を調べるだけさ。きっと何か秘密があるに違いないからな。どうする? 大道寺、お前も一緒に行くか?」 「ここまで聞いたら行くしかねえだろ……まったく……」 もうっ、松岡さんたらっ! いけませんわねぇっ! と思いつつ、わたくしも興味津々で当然ながら一緒について行きました。 倉庫の周りに人の気配はありません……。 「よしっ、外には誰もいないようだな……」 松岡さんは声を潜めて言います。わたくし達も各々であたりを見回して頷きます。 まるでコソ泥ですわねぇ……。わたくしのようなキューティーガールがこのようなことをしてはいけませんわねぇ……でも、これも世のため人のため、ここは一つ心を鬼にして臨みます。 「中からも明かりが漏れていないな……。よしっ、誰もいないな……」 松岡さんは倉庫の上の方にある窓も見るなど、入念に確認をしてから倉庫の鍵をガシャッと開けて扉に手をかけました。扉に手をかけた刹那、急激にドクンドクンと心臓が高鳴り緊張で手が震え、その緊張感はわたくし達にも伝わってきます。 取っ手を下げて扉を押すと、ギィーッと錆びた金属がこすれる時独特の音がしました。 「しかし、不用心だな、見張り一人いないのか……? こんなに簡単に中に入れるとはな……。やっぱり普通の荷物なのかな?」 疑心暗鬼で大道寺さんが呟きます。 「細かいことは気にするなよ。すんなりと中に入れたのなら御の字じゃないか」 松岡さんは、もう調べたい気持ちの方が勝っていて、細心の注意を払うことを忘れてしまっているようです。 ソーッ……。物音を立てないようにわたくし達は中に入ります。最後に入ったわたくしが扉を閉めました。 その刹那、扉の横の暗闇の中でほんの小さな赤い光が点滅したように見えた気がしました。しかし、それっきり何も見えません……。 あら、気のせいでしょうか……? 今一瞬ですけど何かが光ったような……。わたくしは首をかしげながら、しばらく凝視して、刹那のうちに地球何周分か考えを巡らしましたが、何も見えませんでしたので、あきらめてお二人の後について行きました。 わたくし達が倉庫に忍び込んだ頃、船員に扮していた香港マフィアの面々は別の倉庫でくつろいでいました。 「今日は楽勝だったな」 「ああ、日本のヤクザは手回しがいいから助かるよ。税関を引き込んでおいてくれると楽だな」 「本当だな。何の疑いもかけられないから楽だよ。そうそう、今日は連中は来ないんだってな?」 「ああ、なんでも警察に嗅ぎつけられたかららしいぜ」 「それで、用心のためか……。まあ、そう簡単に腐る荷物でもないからな。ほとぼりが冷めてからでもいいもんな」 「まあな。だからさ、金のやり取りだけは、別の場所で後日済ますらしいぜ」 「そうか。じゃあどこかへ紅龍(ほんろん)の兄貴が行って済ますんだな」 「ああ、そうだろう。しかし、いい稼ぎだよ。日本はいい市場になるぜ、きっと」 「ここに来るのも頻繁になりそうだな」 お酒を片手にくつろいでこんな会話を交わしています。 楽しそうな宴会ですわねぇ……でも、残念、その宴もたけなわの時に非常な声が響き渡ります……。 「紅龍の兄貴っ! 今例の倉庫のセンサーが反応しましたっ!」 一同は笑いを引っ込め、真顔になって一斉に奥の方をバッと見ます。そこにはビールを瓶ごとラッパ飲みしていた紅龍さん――香港マフィアの組織ナンバー2で今回の取引の責任者――の姿があります。 「何っ! 本当かっ、それはっ!」 紅龍さんが腰を浮かせビールを飲む手を止めて、気色ばんで叫びます。 「はいっ! 本当ですっ! 確かに反応がありましたっ!」 そう、そうなんです、さっきわたくしが見た、一瞬光った赤い光は、防犯用の赤外線センサーの光だったのですよ。一瞬だったので分かりませんでしたぁっ! 「そうかっ、ネズミが迷い込んだかっ! ようしっ、ネズミ狩りだっ! 行くぞっ! 俺達の力を見せつけてやろうぜっ!」 「「「「「「おおっ!」」」」」」 つられるように大声で叫ぶ面々。それぞれに銃を確認して意気込み勇んで例の倉庫に向かいます。 紅龍さんは鼻で笑いながら皆の後からゆっくりと歩き始めました。 「ふっ、どんなネズミか知らねえが、きっちり始末してやるぜ」 この紅龍さん、ナンバー2というだけあって、声もダンディですが、お顔もいわゆる、しょうゆ顔でなかなかのイケメンですわ。身長も百七十五センチメートルはあるでしょうか……体格も筋骨隆々で格好いい男の人ですわ、きゃっ! その頃、香港マフィアさん達に気づかれたことを知らないわたくし達は呑気に荷物を調べていました。 「あのう、こちらは、ただのコーヒー豆ですわ。袋の奥にも豆しか入っておりませんわ」 「ああ、こっちもだ。ただのトウモロコシだ。他には何にも入ってないぜ。そっちはどうだ、松岡?」 「そっちもか……。おかしいな、こっちもただのバナナなんだよなぁ。……なんかこう、イメージとしてはさ、缶詰とかの中身が……なんてのを思い描いていたんだが……」 「そうだよなぁ、松岡の言う通り、イメージはそうなんだけどなぁ……」 「やはり、今日のは違法のものではなかったということでしょうか?」 「ここは連中所有の倉庫だからなぁ。連中が、こんなまともなものを仕入れて売るなんてありえないよなぁ……。これじゃぁ、健全な商売人だよ。なぁ、大道寺?」 「本当だな……とてもじゃないがヤクザが取り扱うようなもんじゃないよなぁ……」 「とりあえずは何も見つかりませんでしたし、今日のところは、もう良いのではないでしょうか?」 「そうだな……。松岡、今日のところは納得できただろ?」 「ああ……、今日のところは仕方がないな。……引き上げよう」 松岡さんは無念さをにじませながら、わたくし達の後を追うように扉に向かって歩き出しました。 扉に近づくとわたくし達が扉に耳をあてて、扉を開けるのを躊躇っています。 「どうしたんだよ、二人共?」 「しっ!」 急いで振り向いて小さく叫ぶ大道寺さん。続けてわたくしが声を潜めて伝えます。 「何か人の気配がするんです……、しかも一人や二人ではございません……」 「えっ!」 扉の向こうはザワザワしていて何となく圧迫感のようなものを感じます。こういうのって、凄い威圧感があって怖いんですよね。今はまさにそんな状態です。 「とりあえず、奥で荷物の陰に隠れて様子を見よう」 荷物の陰に身を潜めると、もの凄い緊張感がグアーッと襲ってきました。ふぅー……やっぱり何事もなくとはいかなかったみたいです……。予感的中、心配的中です……。 「まずいぞっ、松岡っ! 俺丸腰だぜっ!」 「俺だって、持っていると言っても、これだけだよっ!」 懐から取り出された拳銃の銃弾は装填されている六発だけです。二人は冷や汗をタラーッと流しながら顔を見合わせています。 「「まずいな……」」 静かに呟きました。わたくしは二人の後ろでドキドキと心臓を高鳴らせながら身を潜めています。……恐怖、恐怖、恐怖が差し迫って来ています。 ギィーッ! 鈍い金属音と共に複数の人間がワサワサと入ってきます。色々と話しているようですが内容は分かりません。よくよく聞いてみると日本語ではないようです。まあ、考えてみれば、相手は香港マフィアですから、日本語なんて話せるはずはありませんよね。 バンッ! 突然音が鳴り響いて電気がついたため倉庫内は明るくなりました。 これだけでも、結構ドキドキものですよ。わたくし達三人は刹那にビクッと驚き心臓がバクバクと口から飛び出るほど高鳴り、より一層緊張感が増しました。 十八人の船員の格好をした男達が銃を持ってウロウロしながら荷物を叩いたりして歩き回っています。 「中にいるはずだっ! 隈なく探せっ!」 「こっちにはいないぞっ!」 侵入者を必死になって探し回って、紅龍さんに報告しています。紅龍さんはゆっくりとタバコに火をつけて聞いていました。ずい分と、偉そうですわねぇ……。 「俺達を探しているみたいだな?」 「ああ、理由は分からないが、バレたらしいな……。大道寺、いざとなったら、俺が撃って出て奴らを引きつけるから、鈴音ちゃんを連れて逃げろ、いいな」 「ああ、せめて鈴音だけでも、なんとかな」 まあっ、お二人共っ、男らしいですわっ! そんな風に守っていただいてわたくしは嬉しゅうございますっ! お二人のお気持ちは十分嬉しいのですが……。 「ふっ、アンタらでとうにかなる相手じゃないよ。まあ、その心意気は買うけどね」 振り向くと長い髪をうしろで束ね冷たい眼をしたわたくしが笑いを称えながら立っていました。 「す、鈴音ちゃん、いつの間にチェンジを……」 「は、はは、まさにグッドタイミングだな……」 お二人は正直ホッとして、気の抜けた笑いを交えています。 「あたしのことはいいからっ、自分達が生き延びることだけ考えなっ!」 サッ! そう叫んで飛び出します。 いきなりのわたくしの登場に、驚く十八人の男達。 「おいっ、いたぞっ!」 「なっ、なんだっ? 女一人かっ!」 ガチャッ! 皆一斉にわたくしに銃口を向けています。 「お前らなんかと話し合っても無駄だろ? いいから、かかってきなっ!」 なるべく大道寺さん達が逃げやすいように、わざと出口の反対側に向かってダッシュしました。わが身を犠牲にしてまで……わたくしって何て優しいんでしょう……。 わたくしの動きにつられるように男達は発砲し始めます。 バーンッ! バーンッ! 倉庫内に無機質な銃声が鳴り響き始めました。わたくしはいつも通り銃弾をサッ、サッと軽く左右にステップを踏んで避けていきます。 「はいやあぁーっ!」 避けながら、飛び込みざまに閃光一閃、バシーッ! 手前にいた男の顎に蹴りを撃ち込みました。バキッ! 鈍い音がして男は泡を吹いて後ろにバタンと倒れます。口から血を噴き出し、おそらくは顎の骨は砕かれていたでしょうか、しばらくピクピクしたあと、やがて動かなくなりました……。 「この女ぁっ!」 男達は続けざまに、叫びながら数メートルの至近距離から、バンッ! バンッ! バンッ! 連射で拳銃を撃ち込んできます。わたくしは空気を切り裂くように素早くスパパパッ! 両腕を動かして銃弾を掴みました。銃弾を投げ捨てると同時に間合いを詰めます。 「はいっ、はいっはいっはいぃーっ!」 間髪入れずに顔面に連打を撃ち込みました。突き、突き突き突きーっ! ほんの数秒の間に十二、三発撃ち込みます。撃ち込まれた方は途中で意識は飛び、ただただ血を噴いているだけでした。 ダーンッ! 突きを撃ち終わったわたくしが去ると、支えがなくなったため、重力に引かれるまま前のめりに倒れます。 「おいっ、どうしたっ、お前らっ! こんな小娘一人に、だらしがねえぞっ!」 わたくしの動きを見ていた紅龍さんは鼻で笑って、弟分たちを奮い立たせるように煽り叫びます。 小娘ねぇ……。まあ、この人達から見ればそうですわね。でも、その小娘が無敵女子なんでございますわよ、ウフフッ。 いきなり現れて無敵の強さを見せつけるわたくしにすっかり気圧されていた男達は、その声でハッと我に返ったようでした。 「おおっ、そうだっ! 俺達っ、香港マフィアをなめんじゃねえっ!」 うーん、さすがは、ナンバー2……。声の掛け方が絶妙ですわねぇ……。皆一斉に気合を入れ直しましたわ。 「ふっ、まったく、手のかかる奴らだ……。しかし、この小娘は一体…………ふっ、…………まさかな」 紅龍さんは、わたくしの動きに何やら見覚えがあるようです。 あらあら、何やら思いっきり気になるんですけどーっ! まさかなって、何がまさかなんですのっ? 「うおっ、畜生っ! 全然、当たりゃしねえぇっ!」 日本のヤクザも香港マフィアも反応は一緒ですね……。そりゃあ、そうか……。銃弾を素手で弾いたり掴んだりできちゃうんですものね。驚くし怖くもなりますわね……。 「どうなっているのだっ! この女はっ!」 頭の中が『?』だらけのパニック状態……。わたくしを確実に狙って発砲しても、素早く体を動かして避けられてしまい、後ろにいた仲間に当たってしまうこともありました。いや、むしろ犠牲者の半数以上は同士討ちによるものでした。 まあ、これはチェンジ後のわたくしが、考えてやっていることなんですけどね。大人数を相手にする時はいかに一対一の状況にしていくかですから……。いっぺんに人数を減らせるに越したことはございませんからねぇ……。 そうそう、わたくしによって大助かりの大道寺さん達はというと……、すっかりわたくしの戦闘に見入ってしまっています。 「さすがは、無敵女子鈴音。今日もなんとか切り抜けられそうだな」 「ああ。チェンジ後の鈴音ちゃんがいれば鬼に金棒だよ」 「しかし……、鈴音の奴、なんか中国語で奴らと会話してないか?」 「ああ、……みたいだな。鈴音ちゃんって、あんなバイリンガルだったっけ?」 「さあ…………?」 ふっ、わたくしは美貌と知性を兼ね備えたスーパー女子高生ですわよ。中国語くらい……と言いたいところですが、残念ながら外国語などは英語を少々片言でくらいしか話せませーんっ! 何で中国語が話せるのかなんてわたくしにも分かりません。 数分も経たないうちに残りは紅龍さんを抜かして三人だけになってしまいました。 「ちっ! 銃弾を避けたり、掴んだり、まるで紅龍の兄貴だなっ、この女はっ!」 わたくしを挟んで一人が銃を構えながら叫びます。 えっ、あの紅龍っていう人もわたくしのようなことができるんですのっ? それはそれは、強敵ですわねぇ……。 「本当だぜっ! こんな芸当は今や紅龍の兄貴にしかできないとばかり思っていたが…………。まさか日本にもいたとはな……」 反対側にいる男は中国拳法の構えをしながら、ジワジワと仕掛けるタイミングを計っているようです……。 「ふんっ、タイミングを計っているのかい? こっちはいつでもいいんだけどねぇ……」 あれまっ、わたくしの心配をよそにチェンジ後のわたくしは余裕しゃくしゃくでございますこと……。心配はいらないようですわねぇ……。 わたくしが鼻で笑ったその刹那に、一人が銃を撃ちました。 バーンッ! 銃声が響くとわたくしはサッと右に避けます。バシッ! それを予測していたもう一人の男がわたくしの足元に素早くローキックを撃ち込んできました。 二人同時攻撃でわたくしのバランスを崩して動きを止めようという作戦のようです。 「はっ、見え見えなんだよっ! そんなのはっ!」 ガシッ! わたくしは右に動きながら、撃ち込んできた蹴り足を踏みつけました。 「ぐああぁっ! いっ、痛えぇっ!」 グキッ! 鈍い音を発しながら男はたまらず叫びます。完全に骨が折れたでしょうから、そりゃあ痛いでしょうね……残念ながら完全に他人事です。 ガシンッ! わたくしは足を踏んづけたまま、重力に逆らうことなく倒れ込み、男の顔面に肘撃ちを食らわしました。 バーンッ! バーンッ! バーンッ! なおも撃ち込まれてくる銃弾を、素早く起き上がって掴みます。 ダーンッ! 一気に詰め寄り、右足で銃を持っている腕を蹴り上げます。突き、突き突き突きーっ! 同時に顔面と体に素早く撃ち込み気絶させました。 次に右足を押さえながらヨロヨロと立ち上がってきたもう一人に、バシーッ! 振り向いた回転力、そのままの勢いで、首目がけ強烈なハイキックを撃ち込みます。 「はいやあぁっ!」 撃ち込んだ時のわたくしの気合が倉庫内に響き渡りました。 「はっ、はれっ?」 バタンッ! 蹴り込まれた男は驚きの言葉を発し、目の前でクルクルと飛んでいる星を見ながらその場に倒れました。 パンッ! パンッ! パンッ! 笑みを浮かべながら、ゆっくりと拍手をする紅龍さん。タバコを床に捨てました。 「しかし、見れば見るほど…………。ふっ、だが…………まさかな」 タバコを踏んづけた足をグニグニと動かし呟きながら、なおも意味深発言を繰り返しています。 「どうやら、ただの小娘じゃねないみたいだな……。ふっ、ずい分と殺られちまったなぁ……。こいつはとんだネズミ退治になっちまったぜ、なあ揚(やん)?」 隣にいた秘書のような男に同意を求めました。 「本当ですね。まさか、こんな小娘が、この日本にいるとは……、驚きですね」 揚さんが顔を強張らせながら上着を脱いで戦闘準備を始めます。 「おおっと、揚、ここは俺にまかせな。これだけ、殺られちゃあ俺の腹の虫が治まらねえ……。お前は手を出すな」 紅龍さんは拳の骨をボキボキと鳴らして近づいてきます。 「ふっ、やっと真打ち登場かい? ずい分ともったいぶるじゃないか、ええっ?」 わたくしは不敵な笑みを浮かべながら間合いを測っています。 なんか、わたくし自身も意味深発言ありありですわよねぇ……。一体どういうことでしょうか? 残りが二人になったため、すっかり緊張が解けている大道寺さん達は、もはやただの観客です。 「あと二人か……」 「ああ、でも今度のは手強そうだぜ。なんか、こう……他の奴らとは違う感じがするな」 「確かに……」 「何てったってよ、あの鈴音が構えているんだぜ。何度かチェンジ後のあいつを見てはいるが、構えるのを見るのは初めてだよ……」 「それだけ、あいつは凄いってことだな……。鈴音ちゃん、大丈夫かな?」 お二人の背筋にゾクゾクッと妙な悪寒が走りました。 そう言えば、そうですわね……。わたくしが構えておりますです、はいっ。やはり強敵なのでしょうかっ? おそらくは、相手の強さを肌で感じているんでしょうねぇ……。なんか格闘家っぽいですねっ! わたくしはゆっくりと動きながら間合いを測っています。スーッ! 呼吸を整えてゆっくりと構え臨戦態勢に入りました。 紅龍さんもさっきまでの笑みは消して鋭い眼つきになっています。 「しかし、構えといい、さっきまでの動きといい、本当にそっくりだ。一体、この娘は……?」 「ふっ、構えなくても余裕ってかっ! 相変わらずだねぇっ!」 ダッ! わたくしはそう叫ぶと一気に間合いを詰めます。 「そいやあぁっー! はいっ、はいっはいっはいーっ!」 突き蹴り、突き蹴り突き蹴り突き蹴りーっ! 怒涛の連打を顔面と体に撃ち込みました。 「ぐうおぉぉっ! はっ、はっはっはっはっはーっ!」 気合、気合気合気合気合気合―っ! グッ! 力の込めた両腕を上下左右に素早く動かす紅龍さん。 バッバッバッバッバッバッバッ! わたくしの突きや蹴りを全て叩き落しました。 「ぐうぅぅぅぅっ! 凄いスピードとパワーだっ! ズシン、ズシンと骨に響くぜ。しかも、的確に急所を狙ってやがるっ……! こいつは、素人じゃねえ……、プロだっ!」 紅龍さんはわたくしの実力をこの攻防で刹那に見抜き驚愕して叫びます。 「ちいぃっ! せいやあぁっ!」 ズバッ! わたくしは連打の最後に一層気合を込めた突きを撃ち込みます。 バシッ! 紅龍さんはその拳を掌で受け止めましたが、ズザザザーッ! かなりの威力であったため、思わず後ろに引きずられるように下がってしまいました。 「ちいぃぃぃっ! 一瞬たりとも気が抜けねえ……。この体のどこにこんなパワーがあると言うんだ……! しかし、突きや蹴りのスピード、パワー、正確さ、どれをとってもそっくりだ……。いや…………まさかな…………ありえない…………」 タラーッ! なおも疑心暗鬼のまま、身長百五十八?で細身のわたくしを見つめる、紅龍さんのこめかみに冷や汗が流れます。 うーん……わたくしの強さは織り込み済みですが敵もアッパレ、強いですねぇ……。それに、わたくしって、この人とお知り合いでしたっけ? さっきから、そんな言い方ですわよねぇ……。はぁ……記憶にないんですけど……。 「そうだっ! ありえんっ! そんなことは絶対にありえんっ!」 気を取り直して自分に言い聞かせるように叫び、受け止めた拳をグッと握りしめ、わたくしの腕をガシッと掴みます。 「ぬおぉぉぉっ!」 ブンッ! 声を張り上げて、背負い投げのように放り投げました。 わたくしは床に叩きつけられる前に身を翻します。スタッ、スタッ、スタッ! 器用にトンボ返りをして態勢を整えました。 「ふっ、あの程度で倒せるわけがないか……」 わたくしは、うすら笑いを浮かべて呟きます。 この攻防を息をするのを忘れるほど見入っていた大道寺さんは、やっと呼吸ができたと言わんばかりに一息ついて呟きます。 「ふうーっ、第一ラウンドは互角って感じだな」 「ああ。チェンジした鈴音ちゃんてあんなこともできるんだな」 「……みたいだな。いつになく凄え気合いだ……」 「それだけ凄い奴なんだな。確かに、あの連打を全て防いだからな」 「ここから、どうするんだ……鈴音?」 息詰まる攻防を見つめながら大道寺さんは一抹の不安を覚えていました。 (凄い気合のこもった戦いだ……。だが、いつもの鈴音とは何かが違う気がする……何かが?) 紅龍さんは、目を瞑って両手を胸の前で合わせています。 「はあぁぁぁぁっ!」 少しずつ声を上げながら気を高めているようです。 シャッ! シャッ! シャッ! いきなりカッと目を見開いたかと思うと、空気を切り裂くように素早く両腕を動かし始めました。 サーッ! サーッ! サーッ! わたくし目がけて空気がナイフのように襲ってきます。 「ちっ! かまいたちかっ!」 フッ! フッ! シュッ! シュッ! わたくしは叫ぶと同時に、飛んでくる空気の軌道を刹那に予測し、上下左右に素早く体を動かしたり、ステップしたりして避けました。 わたくしが避けた空気のナイフは、周りの荷物に当たり、切り裂かれた袋や箱からはコーヒー豆やバナナなどがこぼれ落ちています。かなり足場が悪くなってしまいました。 「これも避けられるのか? ますます…………のように思えるな」 その…………の部分、もの凄く気になりますが、間髪入れずに紅龍さんの攻撃が襲います。 「きいやああぁぁぁっ! やぁっ、やぁっ、やぁっ!」 ビシバシッ! ビシバシッ! ビシバシッ! 突き、突き突きーっ! もの凄い気合を込めて、顔や体目がけて嵐のように撃ち込んできます。 「ほうわあぁっ!」 グッ! 力を込め鋼鉄のように手足の筋肉を硬くする、わたくし。 防御、防御防御防御―っ! 素早く手足を動かして、撃ち込まれる突きや蹴りを全て叩き落とします。 防御の途中で床に転がっているコーヒー豆に足をとられバランスを崩しました。 「くっ……」 その刹那……。バーンッ! 突きで吹き飛ばされてしまいました。幸い瞬時にガードしたためダメージはありません。 わたくしはすぐさまスクッと立ち上がり、次の攻撃に備えます。 「えいっ、えいっえいっえいっえいーっ!」 ズバッ! ズバッ! ズバッ! 蹴り、蹴り蹴り蹴り蹴りーっ! 紅龍さんはチャンスと見たのか、わたくしの方に飛び込んできて、雷撃のように撃ち込んできました。 わたくしは、足場の悪いところでなんとかバランスを保っています。 スッ! スッ! スッ! 体を上下左右に動かして、蹴りを全て受け流していきます。 「なんて重い打撃だ。くっ、このままでは体が持たない……。さっきのかまいたちは足場を悪くするための伏線だったのか……」 紅龍さんは蹴りを続けながら、得意げに叫びます。 「お前の武器の一つ、スピードは封じたぞっ! しかも、足場が悪ければ踏ん張れない分、攻撃にも転じられないだろう? どうだっ!」 「ちっ、確かに……な。さすがだねぇ……謀略はピカイチだな……かと言って、このままやられるわけにはいかないんでねっ!」 叫んだ刹那、横に積んであったコーヒー豆の袋を掴み取りました。 「そおりゃああぁ!」 その袋を盾代わりにして前に突進します。当然紅龍さんの蹴りにより袋は破れコーヒー豆は散らばりました。 突然の奇襲に面食らってしまった紅龍さんは蹴りをやめ、袋を抱きしめるように後ろに下がっていきます。袋と共に紅龍さんを押し出し、わたくしは足場の悪いところから脱出できました。 「ふんっ。今度はこっちの番だよっ! はあぁっー!」 ダーンッ! いきなり飛びこみ、飛び蹴りを強烈に繰り出しました。紅龍さんはフッと鼻で笑い軽く身を沈めて避けます。重心を下げたことで、足に体重がかかり足元に転がっているコーヒー豆に足を取られ滑ってしまいました。 これぞっ、策士策に溺れるですわっ! 自分でばら撒いたコーヒー豆に足を取られるなんてね……。 バシーッ! モロに蹴りが入りました。 「ぐはあぁっ!」 顔面に入り鼻からドパァーッと血が噴き出て崩れるように倒れます。 バシッ! わたくしは間髪入れず、その場で片膝をついている紅龍さんの顎目がけ膝蹴りを突き上げます。紅龍さんはこの膝蹴りを片腕で、かろうじてガードし、直撃は防ぎましたが、それでも相当の衝撃は受けたようです。 軽い脳震盪を起こし、意識が遠のきボワーンとしてしまいました。星はチラつきはしませんが、何となく景色が青みがかって見えています。しかし、さすがは香港マフィアのナンバー2であり、プロの殺し屋です……。わたくし達は驚愕の事実を目の当たりにすることになりましたっ! 「うおおぉぉっ!」 グサッ! 咆哮した刹那、なんとなんと自分の手刀で、もう片方の手を突き刺したのですっ! ええっ! 一体何をなさっているのっ! 自分で自分の腕を……、衝撃が凄過ぎて声が出ませんっ! その痛みで意識は急激に回復し、すぐさま態勢を整えました。 「すっ、凄え……。じっ、自分で自分の手を……」 「しっ、信じられんっ……」 お二人も同様にすっかり気圧されてしまっています。揚さんも固唾を飲んで、ただただ静かに戦況を見守っています。そりゃあ、そうですよ……、皆さんの反応が普通です……。 「ぐうおおぉぉっ!」 紅龍さんは鬼気迫る表情で、雄たけびを上げながら、全身の筋肉を硬直させ気力を漲らせ、不敵な笑みを浮かべています。気迫で流血を止めてしまいました。 「けっ、俺をここまで追い詰めるとは……。お嬢ちゃん、褒めてやるぜ。だが、お遊びはおしまいだ……。ここから先は本気だぜ……。あの世で後悔するのだな……」 「ほう……、やっと本気になるってか? ふっ、笑わせんじゃないよ、今までだって、十分本気だっただろ?」 「いや、今までは、どこかお前が知っている奴に似ていてな。それが気になって、どうも集中しきれていなかったようだ……。しかし、それも、ここまでだ。そんなことは、もうどうでもいい。俺はお前を倒したい、ただ、それだけだ」 「ふーん、そうかい。なら、あたしもアンタを倒すまでだ……今度はね……」 「無駄だっ! そんな言い方をしてもなっ!」 ブオッ! ブオッ! ブオッ! わたくしが話し終わるか終わらないうちに、先程とはケタ違いの威力でかまいたちを飛ばし始めます。 「ちぃぃぃぃっ! さすがは本気のかまいたちだねえっ!」 バッ! わたくしは 避けたり受け止めたりは不可能と刹那に判断し、その場に前のめりに倒れてやり過ごしました。 体のすぐ上を時速三百キロ以上のスピードで新幹線が通り過ぎたかのような衝撃が襲います。その風圧は、思わずつられて体が浮きそうになるほどのものでした。 「さすがだなっ! あれをやり過ごせるとはっ! だがっ、その態勢では防ぎきれまいっ!」 叫ぶなり第二波、第三波を両手で放ちます。 「くっ!」 ゴロンッ! ゴロンッ! わたくしは短く呟き、素早くその場で体を横回転させて避け続けます、間髪入れず四波、五波と次々に撃ち放たれてきます。 (耐えろ、耐えるんだっ! 必ず、反撃のチャンスは来るっ!) わたくしは横回転を繰り返して耐えていました。 すっかり観客のお二人は……。 「何か会話したと思ったら、第三ラウンドが始まったみたいだな」 「ああ、しかし、今まで以上に激しい攻撃だな。……鈴音ちゃん、本当に大丈夫だろうな?」 「ここまで来たら、チェンジ後の鈴音を信じるしかないよ……」 「そうだな……」 最後はお二人とも消え入るような声になり、固唾を飲んで見つめていました。 「どうしたっ! もう、お手上げかっ! いつまで、そうしていられるかなっ!」 防戦一方のわたくしを見ながら、あざ笑う紅龍さん。 (たっ、確かに、これはきついなっ……。しかし、どうすれば……) ゴロンッ! ゴロンッ! わたくしは考えながら右に左に回り続けています。 (チャンスは来るっ、必ずっ!) 「ふっ、ハハハッ! どうしたっ? もう、そろそろ、限界かっ?」 まったくっ、イケメンなのに残念な方っ! こう性格が捻くれていてはねぇ……。 (ちっ、相変わらず、姑息なっ! その手に乗るかよっ!) 「おりゃっ、おりゃっ、おりゃぁぁぁっ!」 紅龍さんは、なおもしつこくかまいたちを撃ち放ちます。 (くっ、耐えろっ、耐えろっ! 少しずつだが、攻撃は弱まってきているっ! もう少しだっ、耐えろっ!) わたくしは負けじと耐えていました……。そうですっ、時には精神論も必要ですっ! 根性、根性、ど根性ですわっ! 「ちっ、しぶといなっ!」 紅龍さんも段々ときつくなってきたようです。こうなると、勢いは一気に弱まってくるもので、攻められているわたくしの方が精神的に有利になってきました。 「ちいぃぃっ! いい加減っ、くたばれやっ!」 紅龍さんは、イラつきながら、最後のひと踏ん張りとばかりに再び気合を入れて強めに撃ち放ってきました。これが命取りに……、力んだおかげでずい分と逸れてしまいました。 ふっ、チャンス到来ですっ! 行けぇっ、わたくしっ! 「今だっ!」 グッ! わたくしは叫ぶと足に力を入れ床を蹴って、猛然とダッシュしました。 ビシッ、バシッ! 刹那にかまいたちを作り出している両腕を勢いよく蹴り上げます。 「はいやあぁぁっ!」 突き、突き突き突き突き突き突きーっ! 間髪入れずに、速射砲のごとく撃ちまくりました。ビシバシッ! ビシバシッ! ビシバシッ…………! 「ぐはああぁぁぁっ! ぐうおおぉぉぉぉぉっ…………」 ダーンッ! 突然の反撃に防御する間もない紅龍さん……。鋭く重い突きを二十発ほど食らって吹き飛び、血を噴きながら呻くように倒れました。 「あっ、兄貴ぃぃぃぃぃっ!」 揚さんが叫んで持っていた銃を撃とうと構えます。 「待てっ! 動くなっ!」 すかさず、松岡さんが、揚さんに銃を向けて威嚇しました。 揚さんは、言葉は通じなくても自分に銃口が向けられたため、その場で手を上げて止まります。 わたくしは、ゆっくりと紅龍さんに近づいて、トドメの一撃を撃ち込もうとしています。 「さっ、これで、おしまいだよっ!」 口ではそう言うものの、紅龍さんの顔を見たその刹那、なぜか躊躇っているようです……。やっぱり、わたくし達の間には何かがあるんでしょうか……? チェンジ後のわたくしって、一体……? 「ちっ、何やっているんだよっ、あたしはっ! やっと、トドメが刺せるっていうのにっ!」 わたくしは自分をなじって、気を取り直し、もう一度突きを撃ち込もうとします。その刹那、突然例の頭痛に襲われてしまいました。 「ぐっ、なっ、何なんだよっ! こんな時にっ! いっ、痛えなぁっ! ちっ、畜生っ! いっ、痛いぃぃぃぃっ!」 「「なっ!」」 見ていたお二人も驚き、絶句した状態でそれ以上声を繋げることはできません。 バーンッ! バーンッ! 「兄貴ぃぃぃっ!」 何が起こったのか分かりませんが、とにかく揚さんはチャンスと思ったらしく、銃を撃って威嚇し、急ぎ紅龍さんに走り寄ります。 その銃声で我に返った大道寺さんも、わたくしに向かって走り出しています。 「すっ、鈴音ぇぇぇっ! なっ、何だ? まっ、まさかっ? チェンジがっ…………!」 「すっ、鈴音ちゃんっ! マジかよっ? このタイミングでかよっ!?」 バーンッ! バーンッ! 松岡さんも叫びながら、反撃で銃を撃ちました。 揚さんは、すぐさま紅龍さんを抱きかかえて起き上がらせます。肩を借りながらヨロヨロと立ち上がった紅龍さん。 「ちいぃぃっ、この小娘がぁぁぁぁっ!」 ビシッ! ビシッ! すかさず目の前で頭を押さえながら、苦しみもがく、わたくしに突きを撃ち込んできます。 ドゴッ、ボガッ! 「ぐはあぁぁっ! きゃあぁぁぁっ!」 鈍い音を出して、わたくしは声を上げながら血を噴いて倒れました。 バシーッ! 追い打ちとばかりに、紅龍さんは倒れたわたくしの横っ腹に蹴りを撃ち込みます。ブワッ! 紅龍さんの蹴り足ですくわれるように飛ばされたわたくしは、ゴロゴローッ! 数メートル先で床に叩きつけられるように転がりました。 「いっ、痛いっ! 痛いぃぃぃっ!」 わたくしは顔とお腹を押さえながら叫んでいます。 激痛ですっ! 受けも取らずにモロに当たっているのですから当然ですわねぇ……。チャンスが一転大ピンチになってしまいましたぁっ! 気が付いたら、いきなりこの展開ですから……。頭の中は真っ白です…………。 転げ回って痛がっているわたくしに、大道寺さんは走りながら声をかけました。 「すっ、鈴音ぇぇぇっ! ダッ、ダメだっ! 完全にチェンジが解けちまっているっ! ヤベエぞっ、これはっ!」 大道寺さんが急いでわたくしを抱きかかえ動こうとした刹那……。 「うりゃあぁぁっ!」 ズサッ! ズサッ! 紅龍さんは力を振り絞り、わたくしに向かってかまいたちを二発撃ち放ちました。 大道寺さんの必死の移動も間に合わず、不幸にも一発がわたくしの右足に当たってしまいました。 ズバッ! 切れ味鋭い日本刀で切ったような乾いた音がして、わたくしの右足からは血が噴き出てきます。ドバーッ! わたくしのパンツは噴き出てくる血でみるみる赤く染まりだしていきました。 痛みと溢れ出てくる血で、わたくしはパニック状態に……。 「いやあぁっ! いっ、痛いぃぃっ!」 大道寺さんに抱きかかえられながら暴れて泣き叫んでいます……。 それはもう、痛いのなんのって我慢なんてできませんよ……。おまけに血は溢れ出てきて貧血で、頭はクラクラしてくるし吐き気はするはで、もうどうにもなりませんっ! 「すっ、鈴音ぇっ! だっ、大丈夫だっ! だっ、大丈夫だからっ! おっ、落ち着けっ!」 大道寺さん自身もパニック状態ですが、何とか落ち着かせようと必死に叫んでいます。 「あっ、足から、こんなに血がっ! わっ、わたしっ、どうなっているのっ! もっ、もうっ、死んじゃうのっ!」 わたくしは泣き叫ぶことしかできません…………。 チェンジしていない時のわたくしは、普通の女子高生なんです……。意識が戻った途端に殴る蹴るはの暴行を受け、挙句の果てにスパッと日本刀のようなもので足を切られては、痛みと恐怖でブルブル、ボンッ! です。このような状況になってしまっては、ただただ泣き叫ぶことしかできません…………。 「まっ、松岡っ! えっ、援護してくれぇっ!」 叫びながらわたくしを抱きかかえ扉に向かって走り出す大道寺さん。 バーンッ! バーンッ! バーンッ! 松岡さんは大道寺さんの言葉に押されるように、威嚇のため銃を撃って援護します。大道寺さんとわたくしが外に出たのを確認すると自分も急いで外に出ました。 紅龍さんも相当の深手を負ったようで追うことはできないようです。 「ハァ、ハァ……あ、あの、小娘ぇ……。ゼェ、ゼェ……い、一体……?」 鋭い眼つきで呼吸を乱し、途切れ途切れに声を出そうとしていました。出血もあるためやや意識が遠のいています。 「あ、兄貴、しっかりしてください。今は、しゃべらない方が……」 揚さんは気遣いながら肩を貸して、ゆっくりと倉庫の出口に向かいました。 011 一縷の望みをかけて、いざ横浜へ 倉庫を脱出したわたくし達は急いで車に乗り発車しました。わたくしを後部座席で横にして、大道寺さんはとりあえず、ハンカチを巻いて足の止血に取り掛かかります。 「ハァ、ハァ……」 粗い呼吸をして冷や汗をかいているわたくし。もう息も絶え絶えってやつです……。 「ヤベエぞ、松岡……、出血が、かなりひどい……。急がないと……」 「そうか……、分かった……急ごう」 アクセルをより一層踏み込む松岡さんが祈るように呟きます……。 「頼むから取り締まりになんか引っかからないでくれよぉ……」 しばらく走ると首都高(首都高速道路)に入ったため、大道寺さんは、わたくしの顔についた血や汗を拭きながら尋ねます。 「おい、松岡? どこに行くんだよ?」 「決まっているだろっ、横浜のおやっさんの所だよっ! あのおやっさんじゃなきゃ、その傷は治せやしないぜっ! それに何も説明しなくても済むしよっ!」 「そうか……、確かに、薮井(やぶい)のおやっさんならな……。腱や筋は無事ならいいんだが……」 「ああ、訳ありのヤミ医者だけどよ、腕は確かだからな。何とかしてくれるさ……、……何とかな……」 横浜の薮井さん……? お医者様、しかも腕はそれなりの方のようですが……お二人の会話からすると、何やらいわくつきの方のような……気がしますが……。でも今は、誰でもいいから助けてっ! 頼むから、何とかしてっ! そう叫びたいですっ! 「ハァ、ハァ、お、お母さん……」 意識が混濁しているため、いつもの『お嬢様言葉』どころではありません。 「いつもの言葉も出ないくらい苦しいんだな、きっと……。すっ、すまねえ、鈴音……。いつか、こんなことが起こるかもって思っていたのに、何の対策も考えてなかった俺のせいだ。俺の……」 大道寺さんは涙ぐみながらわたくしの手をギュッと握ります。 こういう時って、人のぬくもりがもの凄くありがたく感じられるものですね……ホッとします……。 「大道寺……、自分を責めるな……。俺も同罪だ。いや、むしろ、鈴音ちゃんの能力を利用して、危ないことに引き込んだのは俺だ。責任は俺にある。だから、お前は……」 松岡さんは、お話しながら涙ぐんで最後は口をつぐんでしまい言葉になりません……。 「じゃ、じゃあ、二人の責任だな……」 大道寺さんは泣きながら笑っています……。 「ハァ、ハァ……お、お二人共、ご、ご自分を……責めるのは……おやめ……下さい。わ、わたくし……、後悔はして……おりませんから……」 わたくしは痛くて苦しかったのですが、ニコッと笑顔を作りながら言いました。 「だって、鈴音、そんなこと言ったってよ……、俺達は、お前に、こんなケガまでさせちまってよ……」 「そうだよ、鈴音ちゃん。俺達は……」 「ですから……、お二人は……何も悪くはありませんわ。わたくしは……自分の意志で……お手伝いしてきたのですから……。こうなることも、覚悟はしていましたわ。ですから……」 「「うわあぁぁっ!」」 お二人は感極まって号泣してしまいました。お二人共……子供みたい……でも、この正しいことをしたいと思う純粋さと優しさが魅力なんですけどね……。 「すっ、鈴音ちゃん! なっ、何で、そんなにいい子なんだよぉ! 愛しているぜぇっ!」 「バカっ! どさくさに紛れて何言っているんだよっ、お前はっ!」 「お前こそっ、どさくさに紛れて手なんか握っているんじゃねえよっ!」 「バカッ! 鈴音が苦しそうだから握っているんだっ! 変な下心なんてねえよっ!」 お二人は口々に言いながら涙を拭っています。はいはい、お二人のお気持ちは分かっておりますよ……。 「ふふっ、お二人共、男の人が……そんな風にお泣きになっては……おかしいですわよ」 「だって……お前があまりに……」 「大道寺さん……、手を握って下さって……ありがとうございます。とても……安心できますわ。あ……あと……わたくしの代わりに例のメールを……く、お、お願いします…………」 「あ、ああ、そうだな。……じゃあ……」 大道寺さんはわたくしのカバンからスマホを取りだして、わたくしが予め用意してあったメールをお母様に送って下さいました。 ミッションの時は、もしもを想定して何パターンかのメールを用意してあります。お母様には心配をかけたくありませんので……。今日はお友達の家にお泊りメールです。 まあ、こんな状態の娘がいきなり帰宅したら…………とんでもないことになりますから…………。とりあえず今は、その薮井さんに何とかしていただいて、明日には元気な姿で帰れることを祈るのみです。 大道寺さんが送って下さったのを見届け、わたくしはニコッと笑顔で頷きましたが、痛みと言うか苦しみと言うか、また何かがこみ上げるように襲ってきました。 「くっ……、ハァ、ハァ……」 再び意識が朦朧としてきてしまいました……。これだけ出血してしまいますと仕方がありませんわねぇ……。ああっ、お母様っ、先立つ不孝をお許し下さいっ! 本気で、そう思えてきました……本当にヤバイかも…………。 夜中の時間帯は道路が空いているため、1時間もせずに横浜の目的地に到着。 港近くのドヤ街の一角に目指すお医者様はいるようです。いかにも訳ありの人が住んでいる掘っ立て小屋の集まったところで、松岡さんはドアを激しく叩きました。 ガンッ! ガンッ! ガンッ! 「おいっ、おやっさんっ! いるんだろっ? 急患だっ! 開けてくれっ!」 部屋の中は暗いままで、反応はありません……。 「おいおい、まさか、今日に限っていないなんてことはねえよなぁ……」 松岡さんは、なおもドアを叩きます。 ガンッ! ガンッ! ガンッ! 「おいっ! ヤブ医者っ! いるんだろっ? 頼むよっ、急患なんだよっ!」 あらあら、どう考えても人に物を頼む言い方ではありませんが……今は緊急時、仕方がありませんわね。松岡さんの必死な思いが伝わってきます。早く返事をして下さいな……。お願いっ! 部屋の中にポッと明かりがついてガチャリと鍵を回す音がしました。 ギィーッ……。ドアの中から、六十歳くらいの白髪交じりの初老の薮井徳太(やぶいとくた)さんが顔を出しました。 あらまっ、優しそうなおじ様ですことっ! この方が、そのいわくつきのお医者様なのでしょうか……? 「何だよっ、一体……、こんな時間に? あんまり、でかい声で騒ぐんじゃないよ。近所迷惑だろっ!」 ボヤキが終わるや否や、隣のドアがガタンと開きチンピラ風の男が顔を出します。 「うっせえなっ! 何時だと思っているんだっ! このジジィがっ!」 そりゃあ、こんな時間に近所迷惑ですわよね……でも、申し訳ありませんが、こちらも非常事態ですので……。 「悪いな、急いでいるもんでよ」 松岡さんが警察手帳を出しながら、少し凄味を効かせて言います。 あらあら、職権乱用……には当たらないんですかねぇ……まあ、この際、細かいことはよろしいですわね。 「い、いえ……」 あまり関わり合いになりたくないようで、チンピラ風の男はさっさと逃げるようにドアを閉めてしまいました。 何事もなくて良かったです……ふぅ。それよりも、わたくしのケガを診て下さいなっ! 「おやっさんっ、頼むっ。この子を診てくれ……」 「はあー、何だって……? この子……? ほー……、これは重症そうだな……」 そうなんですよっ、重症っ、超重症なんですよっ! のんびりしていないで早く診て下さいなっ! 「よお、呑気に言ってねえでよっ、さっさと中で診てくれよっ」 ハァッー! ため息をつきながらドアを全開にする薮井さん。 「ほら、入んな」 ひとまずは、ありがとうございます……感謝です。 家の中に部屋は二つしかなく、玄関の部屋は台所兼用で年代物のテーブルとイスがあって、あちらこちらに酒瓶が転がっていました。 いかにも、堕落した男の一人暮らしの部屋です……。 わたくしは抱えられたまま、とりあえず、奥の部屋に入りましたが、その部屋も酒瓶やら食べっぱなしの食器やゴミが散乱していて足の踏み場もないほどです。急いでゴミや瓶をどけて薮井さんが寝ていたと思われる布団にわたくしを寝かせました。 うーん、微妙ですが……この際贅沢は言っていられません……しかし……本当に、微妙ですわ……。 「なあ、おやっさん? もうちょっとキレイな布団はねえのかよ?」 確かに、代弁していただいて嬉しいのですが、失礼と言えば失礼なことですわよ、松岡さん。 「ああっ!? いきなり来て文句を言うんじゃないよ、ったく……。中に入れてやっただけでもありがたいと思えっ!」 「ああ、悪かった、悪かったよ、おやっさん……。頼むよ、おやっさんじゃなきゃ治せないから連れてきたんだからさ……」 松岡さんは急ぎ笑顔で両手をスリスリと合わせ頭を何度も下げながら頼みます。 「はっ、調子のいい奴だ! 人のことをヤブ医者呼ばわりまでしておいてなっ、ったく!」 薮井さんは悪態をつきながらわたくしの傷を診ています。 「これは……相当鋭利なもので切られたな……。パックリ傷口が開いちまっているよ。おいっ、大道寺! 隣の部屋の戸棚から茶色い瓶を持ってきてくれ!」 覗き込むように、じっと見ていた大道寺さんに振り向きざまにそう命じます。 「おいっ、お前はそこのカバンを取れっ!」 松岡さんにも無造作に置かれた古いカバンを取るように命じました。古虎さんから瓶を受け取ると、ガサゴソとカバンの中から取り出したガーゼに瓶の中の液体を染みこませます。 「ちょっと滲みるけど我慢するんだよ……」 「くっ……、あっ、うぅーっ……」 いやぁ、滲みるのなんのって、消毒だけでも激痛ですわっ! ううっ、痛い……。 「よしっ、いい子だね。よく我慢した。痛覚は大丈夫そうだな……」 痛覚は大丈夫ですわよ……だって、激痛に襲われていますもの……本当に、痛いっ! 「なあ、おやっさん? 腱や筋は大丈夫だよな?」 松岡さんは急かすように尋ねました。 「そう急かすなよ。順番に診るから」 そう言いながら取り出したペンライトを当てて傷口を覗いています。 「うーん……、少し痛いけど我慢するんだよ。悪いが最新機器なんてものはないんでね、触診で確かめるしかないから……」 消毒した鋭くとがった針のようなものを傷口から入れてチョンチョンと中をつつきます。 「いっ、痛っ!」 ああっ、我慢っ、我慢っ……わたくしって何ていい子なんでしょう……自分で自分を褒めて差し上げますわ……ああ……、でも、早く終わって……。これが本音です。 「うん、大丈夫だな。不幸中の幸いだよ。腱と筋は無事だ」 その結果を聞いて安堵するお二人。もちろん、わたくしもです。 「さあ、今から縫合するから、お前達二人で、動かないようにしっかり押さえつけるんだっ!」 ………………! ええっ! 何か今っ、とんでもないことをさらっと言いませんでしたかっ? ちょっ、ちょっとお待ちになって、薮井さんっ! おっ、押さえつけるって? 一体……まさか……ですわよねぇ……? 「ちょっ、ちょっと待ってよ、おやっさん! おっ、押さえつけるって?」 「ああっ? 言葉のとおりだよ。残念だが、ここには麻酔なんてものはないからね。麻酔なしで縫うしかないんだよ。嫌ならよそに行きな。ただし……急がないと、本当にヤバイよ」 ははっ、やっぱり……まさかが的中ってことですわねぇ……はぁ……。いやいや、本当に他人事でしょっ! 麻酔なしでって、あなた…………。考えただけで気を失ってしまいますわ……。と言うより、ショックで死んでしまうかも……です、はい。 「…………」 言葉に詰まって大道寺さんを見る松岡さん。 「……仕方がない。松岡、おやっさんの言う通りにしよう。鈴音には我慢してもらうしかない……」 まあ、そう言うしかありませんわよねぇ……。はぁ、誰か代わって下さいましっ! 「鈴音、少しの辛抱だ……。……我慢してくれ……」 ええ、ええ……分かりましたわよ……我慢しますわよ……はぁ、ガクッ。 わたくしがコクンと小さく頷きますと、大道寺さんは頭の方からグッと両腕を、松岡さんは両足を押さえつけました。 ひゃあっ、これから襲ってくる苦痛を考えますと緊張で全身の筋肉が硬直しまくりですっ! ガクガク、ブルブル、怖いぃっ! 「準備はいいか? じゃあ、これを噛ませな」 薮井さんは言いながら大道寺さんに猿轡用のタオルを渡しました。 「じゃあ、始めるよ」 薮井さんは、そう言うと、ゆっくりと傷口に針を近づけてグイッと皮膚に突き刺します。 「んぐうぅぅぅっー! ん、ん、んーっ!」 その刹那、わたくしは声にならない叫び声を上げ、のけ反らんばかりに、体中にグーッと力を入れました。 くっ…………、あっ…………、ううっ…………、げっ、激痛ですっ! 今までの人生史上最大級の力を体中の筋肉に加えています。そりゃあ、まあ、痛いのなんのって、耐えられませーんっ……涙、涙、涙です。 「ん、ん、んーんっ! んぐうぅーっ!」 針が刺さるたびにのけ反らんばかりの力で動こうとし声を上げました。それは、叫び声と言うよりも、まさに断末魔の声だったと思います。 もう、叫びまくってしまいましたわよ……、はしたないなんて言っていられませんものっ! とんでもない声と言葉だったと思います…………。 わたくしは顔を左右に振りながら目からは涙を溢れさせていました。お二人は、わたくしが力を入れるたびにグッと腕に力を入れ押さえつけます。わたくしが体に力をグーッと入れるたびに伝わる振動が、まるでわたくしの悲鳴のように感じられ、お二人は唇をグッと噛みしめ目に涙をためながら横を向いていました。 わたくしも辛かったですが、お二人も辛かったでしょうね……。ありがとうございます……感謝と痛みの涙です。 ずい分と長く感じましたが、始めてから5分くらいで縫合は終了しました。 「よく頑張った……いい子だ」 薮井さんはわたくしにニコッと微笑み、ねぎらいの言葉をかけながら丁寧に包帯を巻いていました。 はぁ……、何とか無事終わったみたいですわ……、もう疲れてしまって、何も考えられませんわ……茫然自失状態です……。 「「おやっさん、ありがとうございました」」 目に涙をためながら深々と頭を下げるお二人……。 申し訳ありませんが、わたくしはお礼を言う気力もありません……。それだけ疲れていました。まあ、当然ですわね……麻酔なしの縫合に耐えたんですから……。お願い、どなたか褒めて……。 「礼なんかいいからっ、今から書くものを買って来いっ! わしは、これから足以外のところを治療しておくから」 薮井さんはそう言ってボールペンで何やら書き始め、メモのようなものを渡しました。 「なになに、えーと……、米とパン……それから……、これって食いもんばかりじゃねえかっ? それに、なんだよ、最後のウィスキー三本って?」 「食いもんばかりって、この時間じゃ、まだ、そんなものしか買って来られんだろう……、バカがっ! とにかく、栄養をつけなきゃならんっ! 最後のウィスキーはわしへのお礼に決まっているだろうがっ! これだけのことをしてやったんだぞっ!」 「おお、そうか、お礼ね……。アハハ、タダってわけにはいかないか……」 松岡さんは笑いながら、最後の言葉は聞こえないように小声で言いました。 「いいからっ、分かったら、さっさと買って来いっ!」 いってらっしゃーいっ! なんて笑顔で送り出せる余裕はありません……。 お二人が出ていくと、薮井さんは顔や腕の治療をしてくれました。 「ずい分と、凄い力で殴られたんだね? 口の中も切れているだろ?」 「ええ……、まあ……」 「ふう……、詳しいことは聞かんが、あんなボンクラ共と関わっているとろくなことにならないよ……」 薮井さんはため息交じりに笑顔で言いました。 「いいえ……、松岡さんも大道寺さんもとても……良い方達ですわ。……正しいことをしようと……一生懸命ですもの。本当に……、良い方達ですわ。わたくしも、その……お手伝いができて嬉しいんです……」 わたくしは顔の傷や腕のケガを診ていただきながら、痛みがあるため、苦しそうに途切れ途切れに笑顔でそう答えます。 「そうかい……。君は優しくて強い人間だな。きっと、ご両親もそうなのだろう……」 その通りですわっ、お父様もお母様も本当に優しくて強い方なんですっ! お父様とお母様のことを褒められてわたくしは、とても嬉しかったですっ! 「そうそう、こんなのんびりはしてられないな。二人が帰ってくる前に横っ腹を診てあげよう。どうも奴らは無神経でいかん。相当痛むだろう?」 そうなんです……紅龍さんに蹴り上げられたところがズキンズキンと痛むんです……呼吸をするたびに……。 わたくしに右を下にして横に向くように指示を出す薮井さん。 「うん、うっ血がひどいな……。ちょっとゴメンよ」 上着の裾をめくって、診ながらうっ血部分を触って少し押しています。 「……つ、いっ、痛っ!」 「うん、大丈夫だ。痛みはあるようだが打撲だ。骨に異常はない」 わたくしはシップを貼ってもらい、再び仰向けになりました。 「さあ、これで、とりあえず治療は終わりだ。あとで、薬を買ってこさせるから、それまでは我慢しておくれ」 見た目通り、とても優しい老紳士です。なぜ、このようなところでこのような生活をなされているのかは存じませんが、ありがとうございました……感謝、感謝です。 それから、10分もしないうちに買い物を終えたお二人が戻ってきました。 「おやっさん、頼まれた物買って来たぜ」 「おお、そこに置いておけ。それからお湯を沸かして買ってきたスープを入れてくれ。少し体を温めてあげるんだ」 「鈴音の状態はどうなんですか? 骨とかは?」 「おおっ、おやっさん、どうなんだ?」 お二人は台所の方に来た薮井さんに尋ねました。 「ああ、不幸中の幸いだ……。さっき横っ腹も診たが骨に異常はない。ただ、うっ血がひどい……、あれは相当な力で殴られたな。あの症状を見れば分かる。何があったかは聞かないが、あの子のことを思うなら、あまり無理はさせないことだ……」 …………。 お二人共ぐうの音もでないほど落ち込んでいます……。チェンジできなかったら……、急に元に戻ったら……。考えてはいましたが、まさか、こんな形で現実化してしまうとは……。 「ぐうぅぅー……」 隣の部屋から聞こえてくる、痛みに耐えているわたくしの声。 お二人は己の拳をギュッと握り締め唇を噛んでいました。 「かわいそうに……。鎮痛剤でもあれば楽にしてやれるんだが……。あれでは、痛くて眠れんだろう……。お湯が沸いたら一口でもスープを口に含ませて、市販のだがこれを使おう」 薮井さんは静かに、そう言って箱の中から市販の鎮痛剤を取り出しました。 今は何でもいいから試してみて下さい。藁をもつかむ思いとは、こんな状況のことを言うんですね……。ああっ、どこかに掴める藁はないかしら……。 お二人はお湯が沸いたためカップスープを作り急いでわたくしに持ってきてくれました。 「鈴音、辛いだろうが少しでもこれを飲むんだ」 大道寺さんは、そう言いながら手を添えて上半身を起こしてくれます。 「くっ! す、すみません……」 わたくしは痛みで顔をゆがめた後、ニコッと笑いました。わたくしは松岡さんがスプーンを口元に持ってきて下さるとすするように口に含みましたが……。 「うっ! いっ、痛っ! しっ、滲みるぅっ……。……も、申し訳ありません……。ちょっ、ちょっと、飲めそうに……ありませんわ」 「いいんだよ、謝らなくて……。じゃあ、鈴音、横になろう」 「鈴音ちゃん、隣にいるから、何かあったら呼ぶんだよ」 「……お二人共、ありがとうございます」 わたくしはニコッと笑顔で感謝しました。 はぁ……わたくしのケガはもちろん重傷でしたが、お二人の心も相当なダメージを負ってしまったようです……。『チーム鈴音』撃沈……です。地球の重力に逆らうことができずに、どんどんと沈んでいっています。地面を通り越して地中奥深くまで…………。はぁ……浮上できる時は来るのでしょうか? 今は、三人共そんな心境です……。 「おい、松岡。これは何だ?」 隣の部屋から戻ってきた松岡さんに、コーヒー豆を手にしながら尋ねる薮井さん。 さっき買い物に行く時、財布を取りに車に戻ったところ、車内にコーヒー豆が何粒か落ちていたのを持ってきていたのです。おそらく戦闘中にわたくしの衣服についていたものと思われます……。 「この中を見てみろ……」 薮井さんがコーヒー豆を割ると中から白い粉がこぼれてきます。何と、荷物にはこんな仕掛けがしてあったのですねぇ……。 「お前達が向こうに行っている間に、何気なくこれを触っていたら……、この通り、いきなり割れてな……。中からこんなものが出て来たぞ。あの子のケガはこれが原因だな……」 さすがはお医者様っ! 一目で麻薬と見抜いてしまいましたっ! お二人は顔を見合わせて頷き合います。 「そうか、こんな仕掛けがしてあったのか……。どうりで分からなかったわけだ……。ああ、そうだ、おやっさんの言う通りだ。俺達はこれを追いかけていて、今夜こうなったんだ。おやっさんには分かっているんだろ? これが麻薬だってことは?」 「そりゃあな……、これでも医者の端くれだからな。で、どんなものなんだ?」 「中国経由で最近出回り始めている新種だ。名前は『タイガードラゴン』って言うらしい……」 「ふーん、『タイガードラゴン』ねぇ……。ずい分立派な名前だな……。……そうかっ……! これは鎮痛剤に使えるぞっ!」 「本当かよっ、おやっさんっ?」 「ああ、所詮は薬だからな。いい鎮痛剤になるよ。これであの子も少しは眠れるだろう……」 薮井さんは溶かした薬を注射器で吸い取るとわたくしのところに持ってきてくれました。 禍転じて福となすですわっ! これで少しは休めそうです……。 「ゴメンよ、少しチクッとするが、今鎮痛剤を打ってあげるからね。これで楽になるよ」 「はい…………お願いします」 わたくしはしばらくすると、寝息を立て始めました。皆さま……しばし、お時間を……。 012 ついに解き明かされるチェンジの謎 鎮痛剤を打っていただいたことで痛みも和らぎ、さすがに疲れ果てていたわたくしはぐっすりと眠っていました。 ……数時間寝たところで不思議な体験をしました。わたくしはどこか雲の上のような所にいます。そこから、遥か遠くの彼方まで何もなく、足元には雲海だけが広がっているのです。 遠くの方から光が段々と近づいてきて、その光の中から一人の女性が現れました。光のせいかボヤーッとしているため顔も見えず年齢等は分かりません……。 「あなたは、どなたですの……?」 「あたしは春花(はんふぁ)……中国人よ。……ゴメンね……。あたしが油断したために、アンタにこんなケガをさせてしまって……」 「どういうことですの? あなたとお会いするのは初めてですけど……」 「まあ、会話をするのはね……。アンタとあたしはもう三ヶ月も前からの付き合いだよ」 「えっ、三ヶ月も前からですって! どういうことですの、本当に?」 「ハハハ、アンタ達がチェンジとか言っているのは、あれはあたしがアンタに憑依していたのさ」 何気にもの凄く衝撃的なことを笑いながらさらっと説明する春花さん。 頭の中を『?』がメリーゴーランド状態で高速回転しまくりのわたくし……。 「なっ、なっ、何ですって! えっ、えっ、憑依って? チェンジって……?」 突然驚愕の事実を知って、もうパニックですわっ! まあ、当然ですよねっ! だって、憑依って、それは、まさに心霊現象ってやつですよっ! そんなことを、何の前触れもなく雲の中から現れて、突然言われた日には、そりゃあ、あなた、わたくしでなくったって驚きますわよっ! 「だいぶ混乱しているようだね。まっ、無理もないか、突然こんな話をされちゃあね。幽霊に憑りつかれていたなんてね……アハハ」 いやいや、そこは笑いながら言うところじゃないでしょ? もう少し心配して下さいよっ! 「もしかして、わたくしが突然無敵女子になっていたのは春花さんのおかげということですか?」 わたくしは今まで聞いたことを解釈し少しは落ち着いて聞き返します。 「まあ、そういうことだね。なんてったってあたしはプロの殺し屋だからね……いや、だったの方が正確かな……。あんな連中相手にするくらいは朝飯前さ」 「殺し屋…………?」 「そう……殺し屋さ。まっ、アンタから見れば縁もゆかりもない、まさに闇の住人さ」 自慢げに腕組みをしながら話しています。やがて、話しているうちに光が和らぎ顔や姿がはっきりと見えるようになってきました。 殺し屋なんてお聞きしたから、どんなごっつい方なのかと思いきや、そこには、なんとまあ、スラッとした長身――と言っても百六十五?くらいですがーーのチャイナドレスを身にまとったキレイな女性が立っているではないですか……。思わず女のわたくしですら見とれてしまうほどの美人ですよ……。 「すごくキレイな方……」 それ以上は言葉が出ません……。 「こんなキレイな方が殺し屋です……いえ、でしたの? そもそも、なぜ中国人の春花さんがわたくしのところなんかに……? また、どうして、わざわざ『だった』になってしまわれたのですか? やっぱりお亡くなりになられたからですか?」 わたくしは、だいぶ落ち着いてきたため、まともに質問ができ始めてきました。 さて、どんな答えが返ってくるのか……春花さんは腕組みをしながらクスッとお笑いになっています。 「まあ、そうだよね。色々と聞きたいよな。まあ、話せば長くなるんだけど……最初から順を追って話そうか……」 「えっ、長くなるんですの……? そうですの……長くなりそうですの……、……うーん……」 「…………おいおい、そこは考えるところか…………?」 「ええ、だって……」 「だってって…………?」 「うーん…………、やっぱり遠慮させていただきますわ。今のわたくしは長いお話を聞けるほど、心身ともに自信がありませんので……」 「…………、へっ? 心身とも自信がないからって…………まあ、つらいかもしれないけど…………」 「ええ…………ご理解していただけると助かるのですが…………」 「ご理解はするけどさ…………それじゃあ、わざわざあたしがこうして出てきた意味がなくなっちゃうんだけど……」 「はぁ、そう言われましても…………すみません、わたくし今は、『わたくし中心症候群』なので……」 「いやいや、アンタも知りたがっていたことだとは思うんだけど……て言うか、謎が解ける一番重要なところだろっ! 聞きたいだろっ!?」 「まあ……それはそうですが……」 「ええいっ、煮え切らないねぇっ! 大体これだけ会話ができれば十分体力あるよっ! 平気だよっ! 何が『わたくし中心症候群』だっ! わざと難しく言いやがって、ただの自己中(自己中心)じゃないかっ! そんなのは話を聞くのに何の支障もないよっ!」 「はぁ……まあ、そう言われてしまうとそうですが……」 「そういうもこういうもないだろうっ! まったくっ、本当に不思議ちゃんだねぇっ! 気になるだろうっ? 何でこんな美人なのに殺し屋になったのかとかさっ、どうして死んだのかとかさっ、どうして自分に憑依したのかとかさっ?」 「はあ……、まあ……? でも、美人の部分は特に聞かなくても、生まれつきのものでしょうからねぇ……。……他の部分は、まあ、そう言われれば聞いてもよいかもしれませんが……」 「ああっ、もうっ、何でもいいからっ! いいかっ、初めから話すからとにかく聞けっ! いいなっ!?」 イライラしながら頭を左右に強く振って言い切る春花さん。 「はあ……、では、どうぞよろしくお願いいたします……」 ハァー! 強引に押し切られ心でため息をつきながら渋々と恐縮し頭を下げながらお聞きするはめになってしまいました……。 では、ここからは春花さんのお話の始まり始まり……拍手、パチ、パチ、パチ……。 あたしは、両親の顔も知らない孤児でね、年齢は二十五歳ってことになっているけど本当の年齢は分からないのさ。赤ん坊の時に孤児院の前に捨てられていたのでね。 そこで紅龍という男の子と桃花(たおふぁ)という女の子と三人で仲良く暮らしていたのさ。そう紅龍ってのは、アンタにそのケガを負わせた張本人だよ。まあ、紅龍と桃花とのことはおいおい話すとして、三歳の頃突然孤児院にある一人の男がやってきた。 そいつは香港マフィアのボスで、用心棒兼鉄砲玉として使える殺し屋を育てるために人買いに来たのさ。もちろん名目は有能なスポーツ選手を発掘するためなんて言ってね。 しばらく……一週間くらいかな……施設の子供達に色々な運動をやらせて適性を確かめていたよ。その中でボスの眼鏡にかなったのがあたし達三人だったってわけさ……。 ボスに引き取られてからのあたし達は、とにかく来る日も来る日も特訓のみだった。銃の撃ち方やありとあらゆる格闘技、とにかく朝から晩まで人を殺すための手段を徹底的に叩き込まれた……。遊ぶ時間や余分な食事なんかは一切与えられずにね。 そんな日々の中、唯一の楽しみは、夜寝る時に電灯もない暗闇の中、三人で叶うはずもない夢を語り合う時だった。 えっ、どんな夢かだって? そう、あたしは船に乗って海を渡り、あたしのことを知らない遠い外国へ行って暮らすことだった……。多分……暗い闇の中から明るい所へ抜け出したかったんだろうね……。 (いやいや、尋ねておりませんから……) 紅龍と桃花は、いつか組織を乗っ取ってやるなんていう野望を抱いていたね。そう考えると、あの頃からあたし達は、ずっと一緒にはいられない運命にあったのかもしれないな……。 時は過ぎ、十八歳くらいになる頃には、あたし達は、もういっぱしの殺し屋に育て上げられていた。 次々とミッションが課せられ、組織にとって邪魔な政治家や対抗組織の幹部連中を次々に暗殺していった。今までに手をかけた人数なんかは数え切れないな。どんどん手を血に染めて、気が付けば暗殺部隊の長にまで出世していた。 もちろん紅龍と桃花もね。あたしは欲なんてなかったからね、それで満足していた。子供の頃に見た船で乗ってなんて夢は、組織を抜け出せないからと思って、とっくの昔にあきらめていたよ。いや、むしろ忘れてしまっていたと言った方が正解かな……。 でも、紅龍と桃花は違っていた。子供の頃に抱いていた組織を乗っ取るという野望を抱き続けていたのさ。二人は着々と計画を練っていたみたいでね、その計画の途上であたしが邪魔になったようだ。 「なぜですの? 別に春花さんがお二人の野望を邪魔しようとなさったわけでもないでしょうに……」 春花さんはクスッとお笑いになりました。 まあね。さっきも話したようにあたしには野望なんてなかったからね。ましてや、二人の計画を知ったところで邪魔なんてしようとは考えなかっただろうね。 でもね、人間って凄く緊張感が高まってくると疑心暗鬼に襲われるものなのだよ。二人もそうだったのだろうね、……おそらく……。 わたくしはウンウンと頷いて聞き入っています。 春花さんは遠くを見る目になって……。 自慢じゃないけど、三人の中ではあたしが一番腕は良かったのさ。ということは必然的にあたしが、その二人よりは組織の中で上になっていた。それはボスも弟分達も認めていた。もちろん二人自身もね。 だからこそ、あたしは邪魔だったんだろう……。ボスを亡き者にしても、あたしがいたら組織を一つにまとめるのは難しくなる、そう考えたのだろうね……。 だから、二人はボスとあたしを殺す計画を立て実行したってわけさ。 あるミッションの時、ボスは紅龍と桃花に命令を下した。ところが、寸前になって桃花の様子がおかしかったから、あたしは桃花に聞いたのさ。 「どうしたんだい? まだ、こんな所にいたの? もう出発の時間じゃないのかい?」 「ちょっと、めまいがして調子が悪いのよ。ねえ、春花? 悪いんだけど、今日のミッション代わってくれない?」 「いいよ。体調悪い時に行くのは危険だからね。あたしが行くよ」 桃花が顔色悪く言うからさ、あたしは快く引き受けて代わりにノコノコと出掛けたのさ。……そう……この段階から、すでにボスとあたしの暗殺計画が始まっていたとも知らずに……ね。 紅龍と合流して、香港港でのミッションは難なく成功した。全て終わって引き上げようとしていると、紅龍だけが港に隣接しているビルの屋上に残って海を覗いているのさ。おかしいなと思って屋上に行って尋ねたのさ。 「いや、ちょっとな、格闘している時に海に落としたものがあってな……。ほら、子供の頃三人で施設にいた時お互いに作ったペンダントさ、あれをな」 そんなことを言い出すからさ、あたしも、ついつい一緒に覗いたんだよ。子供の頃に作った唯一の三人にとって明るい思い出を言われちゃあ、ミッションで来ていたことなんかも忘れてしまってね。ましてや終わった後だから、余計に警戒心のかけらもなくなっていたよ。 「紅龍、あれ持ち歩いていたの?」 「ああ。俺達のお守りだろう? ミッションは常に死と隣り合わせだからな。それでな、いつも持っているようにしていたのさ」 「そうなんだ……。知らなかったよ……。でも、残念ね、落としてしまったなんて。ここからじゃ、完全に海の中だから見つけるのは不可能ね」 「ああ、そうだな……。…………だからよ、お前も落ちて見つけてきてくれよ、なあ、春花…………?」 グサッ! その耳を疑うような言葉を聞き終わらないうちに、あたしの腹にはナイフが突き刺さっていた。 紅龍の方を振り向いた時には、もう奥深くまでね……。あたしは血がドボドボと溢れてくる傷口を押さえながら、必死になって問いかけた……。 「ぐっ、ぐはあぁっ! 紅……龍……、なん……で……?」 「ふっ、悪く思うなよ……。組織を乗っ取るにはお前とボスは邪魔なんだよ。今頃は、桃花があのジジイを始末しているだろうよ」 紅龍は笑いながら、そう説明してくれたよ。あたしは出血多量で意識がどんどん遠のいて行く中で、その言葉を聞いていた……。 不思議と痛みは感じなかったなぁ……。とにかく、今自分に起こっている出来事の衝撃が凄すぎて何も考えられないし、何も感じることができなかったんだろうね……。 そんな状態のあたしの視界に、ボスを始末して駆け付けた桃花が入ってきた。屋上の入り口で微笑みながらあたしに銃を向けている桃花がね……。 「春花、もうじき死ぬ気分はどうだい? 地獄の入り口でボスが待っているよ。地獄で二代目ボスにでもしてもらうんだね、アハハハハ!」 バーンッ! バーンッ! バーンッ! 高笑いしながら、躊躇うことなく三発の銃弾をあたしに撃ち込んできた。 通常ならなんてことなく処理できるけどね、出血多量の上に、一番の仲間だと思っていた二人に裏切られたショックで処理どころじゃないよね……、柄にもなく全て命中しちまったよ。 左太もも、右肩、そして首にね。失意のどん底の中で血を噴き出しながら、その場に倒れようとしていたところに……。 バシーンッ! 倒れる刹那、とどめで紅龍に勢いよく蹴り上げられてビルの屋上から海に真っ逆さまさ。……あたしは何の抵抗もできずに、どんどんと地球の重力に引っ張られていったよ……。 (はぁ……なんか難しく言っていますが、要するに、無抵抗のまま海に真っ逆さまに落ちて行ったと言うことを言いたいのでしょうね……) 死ぬ時っていうのは全てがスローモーションに見えるのだねぇ……。 海に落ちていくあたしを、薄ら笑いを浮かべて上から覗いていたあの二人の顔が今でも覚えているくらいに、よく見えたよ。 海に落ちてから、どんどん沈んでいくにつれ、地上の光が遠ざかって真っ暗になっていく光景もね……。フッ…………正真正銘……何も見えず何も聞こえない闇に沈んだってわけさ。 まあ、それが生きていた時のあたしが見た最後の光景だった……。 フウーッ…………。話し終わった春花さんは、ため息をついて、じっと目を瞑っていました。 そんな真っ暗闇の中、遠くから誰かの助けを呼ぶ声が聞こえてきた……。それが、あの三ヶ月前のアンタの心の声だった。真っ暗闇の中にいたあたしにとっては、まさに光が差し込んだ瞬間だった。あたしは、その声…………いや、その光に導かれるように、アンタに引き込まれていったのさ。気づいたら、アンタの体に憑依して、アンタら母子(おやこ)を助けていたってわけ……。どうして、そうなったのかは、あたしにも分からない……。まっ、これが、あたしの今までと、アンタに憑依するようになったきっかけさ……。 話し終わると春花さんはグーッと伸びをしてから微笑まれました。 おいおい、微笑むような話かよっ! そう突っ込みたくなるような内容ではないですかっ! 一番の仲間のはずの幼馴染に裏切られて殺されてって……、あまりに壮絶すぎて言葉がありませんわっ……。 「お辛い、本当に、お辛いお話ですわね……。信じていたお二人に裏切られて殺されてしまったなんて………………。すみません、わたくしには言葉が見つかりません。本当にごめんなさい」 「いいんだよ、別に…………。裏切られたことは、腹わたが煮えくり返るほど悔しいけどね……。でも、所詮あたしは殺し屋…………闇から闇に葬られても仕方がないのさ。何人もの命を奪ってきたからね……、ああいう最後がピッタリさ……。まあ、天罰……因果応報ってやつだね」 春花さんは、笑いながらあっけらかんと言います。ご本人としては割り切りもあるので、それで済んでしまうのでしょうか……。 「でも……それが天罰と言うのなら、春花さんにだけ下されるのは不公平ですわっ!」 割り切れないわたくしは、涙を拭いながら力強く言いました。 「うーん……、まあ、そういう考えもあるけどな……」 春花さんは意外だったようで腕組みをして首をかしげながら、あまりそうは思っていない様子です……。 いやいや違うでしょっ! そこは怒って行動に移すところでしょっ……この人も天然で意外と手のかかる人なのかも……なんて思いながら……。 「その、お二人にも罰が下されないとおかしいですわっ! ましてや、今度も日本で麻薬を売りさばいて人々を苦しめようとしているのですからっ! そんなこと絶対に許せませんわっ!」 「まっ、まあ、それはそうだな……」 「それに、春花さんにしたこともですわっ! 春花さん? あなたがしてきたことは重大犯罪ですっ! 償っても償いきれないことですけど、あなたはこの三ヶ月間、『チーム鈴音』のメンバーとして、ご自分の力を他人の役に立ててこられましたっ!」 「そう言ってもらえると嬉しいな……。確かに、充実した三ヶ月だったよ。それに今まで褒められたことなんてないからね……嬉しいよ」 「今の春花さんは立派な正義の味方ですわっ! わたくし達と一緒に、あなたの敵討ちとあいつらの野望を粉砕しましょうよっ!」 「あたしが、正義の味方……?」 「そうですわ……」 「な、なんか…………しっくりこないな…………。正義の味方…………か。生まれてこの方闇の中しか歩いてこなかった、あたしがかい?」 「そうですよ…………。今では、悪事を防ぐ希望の光ですわ」 「光…………? フッ、あたしはただの闇だよ」 「確かに今までは闇だったかもしれません。でも今は違います」 「そうかなぁ…………?」 「そうですとも。環境が悪かっただけですわ。ただ単に周りにいた方が闇に埋もれた方ばかりだったから影響を受けてしまっていただけです。元々の春花さんは闇の存在なんかではないはずですっ! きっと……」 「あたしが…………闇ではない存在…………?」 「そうですわ。決してご自分から進んで闇の中にいたわけじゃないはずです。そうでなければ、わたくし達のミッションに力を貸したりはしませんよ」 「…………」 「春花さん……だから……ねっ?」 「鈴音……」 「よろしいですわねっ!」 「ああ……」 (本当に不思議な子だよ。そんな風に言われると、思わずグッとこみ上げて来ちゃうよ) 春花さんはなぜか涙ぐみながら頷いていました。 「アンタは本当に強くて優しい人間だな……。アンタこそ希望の光だよ」 何を仰るうさぎさんっ! あなたも充分強くて優しい方ですよっ! わたくしも感動しまくりですわっ……涙がポロポロ止まりません。こんな方とご一緒できていたなんて、本当に嬉しいですわっ! 思わず手を取ってフォークダンスでも踊りたい気分ですっ! (いや……それは、ちょっと勘弁な……) 「春花さん、よろしくお願いいたしますっ!」 「ああ……、こちらこそ頼むよ。申し訳ないが、また体を貸してくれ。でも、その傷じゃきついな……」 「ええ…………、でも、大丈夫ですっ! こんな時こそ気合ですっ!」 「気合って…………、あたしは痛みは感じないからいいけど…………」 「それなら、いいじゃないですか。何とかなりますよ、何とか」 「あ、ああ……」 わたくしは微笑みながら言いましたが、春花さんは心配そうに頷いていました それから昨日紅龍さん達の持ち込んだ荷物は、新種の麻薬であり、荷物の中身を細工して持ち込んでいると教えてくれました。 なんと、荷物にはそんな仕掛けがしてあったのですかっ? 大道寺さん達はすでに知っていますが、わたくしは今初めて知りましたので驚いているのです。まあ、敵もさることながら、すっかり騙されてしまったってわけですわね……。 ……て? おいおい、じゃあ、今じゃなくてあの時教えてくれよ……まったく……。 続けて桃花さんのことについても教えて下さいました。 「昨日は姿を見せなかったけど、桃花も必ず来ているはずだ。これだけ大きな取引に来ないはずはないさ。桃花はね、一人セレブを気取っていやがるから、空路で来てホテルにでも泊まっているのだろうよ。まっ、昨日の件で必ず紅龍と合流するだろうから、その時まとめて殺(や)ればいいさ。ふっ、今度は絶対に奴らの野望を打ち砕いてやるっ、……今度はな」 ギュッと拳を握って微笑みながら話しています。 ……当然ですが、微笑まれるその刹那、殺し屋としての厳しい表情が垣間見えました。 おおっ、怖っ! その眼つきで睨まれると……背筋が凍るような悪寒がゾクゾクと走りますわねぇ……。あれっ、ひょっとしてチェンジした時のわたくしの眼つきって……これなんでしょうか? はぁ……ヤクザさん達がビビるわけですね。やっと分かった気がします。 「それじゃあ、またな……」 「えっ、もう……」 わたくしの問いかけなどまるで無視で、目の前がパーッと明るくなり、光に包まれて全てが見えなくなってしまいました……。 ハッとして目を開けると天井が見えました。 ……夢……かしら? それにしてはリアルで壮絶な、それでいてちょっぴりファンタジックな夢でしたわねぇ……。それにしても、壮絶なお話でしたわ……。まさか、幽霊が憑依していたなんて……。チェンジの正体が幽霊の憑依とは……ねぇ。 今の時間は朝の8時。フウッー! 痛み止めが効いているようなので、少しは歩けそうですわ。 ガラガラッ……。 起き上がり引き戸を開けて台所に入ると、大道寺さん達三人がカップラーメンやら何やらを食べ散らかした状態で椅子に座ったまま寝ています。 お疲れのようですわねぇ……。皆さん、色々とありがとうございました。お陰様で少し落ち着きました。 わたくしは、そっと頭を下げて外に出てみました。海の近くなので潮の香りがします。少し足を引きずりながら掘っ立て小屋街を出て港を歩きました。よく晴れたいい天気です。何隻かヨットや小型の釣り船が係留されており、いかにも港町横浜という感じです。 わたくしはグーッと力を入れて伸びをします。空気を胸いっぱいに吸い込むと、清々しい気持ちで一息つけました。 「ふぅー、やっぱり少し痛みますわねぇ……。不安はありますが、何とかもってくれれば……」 足をさすりながら呟いてみます。何かおまじないでもあればなぁ……。春花さんに気合十分でああは言いましたが、紅龍さんも桃花さんも一流の殺し屋……、一筋縄ではいかないでしょうし、この状態で相手をするのは、やはり厳しいですわねぇ……。 「ああっ、ダメダメッ! 弱気は一番いけませんわっ! 戦う前から、こんなんでは勝てるものも勝てませんわっ! 気合いですわっ! 気合っ!」 頭をブルッ、ブルッと左右に振って自分に言い聞かせます。 …………。 ハァーッ! それでも、やっぱり不安は拭えませんわねぇ……トホホ。 「せめて、チェンジした時に、わたくしの意識があれば何かしら協力できるかも……なんですが……」 少々弱気になりながら、ボーッと目の前を通り過ぎる釣り船を見ていました。 そんな時、わたくしの目に近所の三歳くらいの男の子が母親と手をつないで歩いているのが見えました。 朝のお散歩でしょうか……男の子が楽しそうに母親に笑顔で話しかけています。母親も笑顔で答えています。微笑ましい光景ですわねぇ……こちらまで嬉しくなります。 今は一般の方にも麻薬が出回っていると松岡さんからお聞きしましたが、ほんの好奇心で使ったがために、あのような幸せが壊れてしまう……なんてこともあるのでしょうね…………。 そうですわっ! なおさら、放ってはおけませんわっ! 何としてでも紅龍さん達の野望を阻止しなければっ! あの笑顔が壊されるなんてことがあってはいけませんわっ! そう思い直し、わたくしはグッと拳を握り締め、弱気なわたくしにサヨナラをしました。 信じましょう……春花さんを……。そして、自分自身を…………。そう心に誓って再び海を眺めていました。 「鈴音ぇーっ!」 突然、大道寺さんの呼ぶ声が聞こえます。心配して探しに来てくれたようで後ろから松岡さんも走って来ます。 「鈴音っ! 歩いたりして大丈夫なのか?」 ハァハァゼェゼェ、肩で息を切らして両手を膝について尋ねます。 「ええ、少し痛みはありますが歩けますわ」 「鈴音ちゃん、でも、痛み止めが効いているだけなんだろう?」 追いついた松岡さんもハァハァ息を切らしながら尋ねます。 「ええ」 わたくしは小さく笑顔で頷きます。あまり心配はかけたくありませんから……。 「目が覚めたら、居ないから心配したよ」 「鈴音ちゃん、今おやっさんが痛み止めをもらいに知り合いの所に出掛けたから、さあ、早く戻って休もう」 「ご心配をおかけしてすみません。でも、もう少し潮風に当たっていたいんです」 「そ、そうかい……」 大道寺さんが心配そうに頷きながら松岡さんと目を合わせます。わたくし達は、しばらく潮風に当たってから戻りました。 先ほどの春花さんとのお話は、わたくし自身が、もう少し落ち着いてからにしようかしら……。お二人も驚くでしょうしねぇ……。そう考えながら、布団に入りました。 しばらくすると、薮井さんが戻ってこられたようです。 「運よく痛み止めを分けてもらえたぞ。あとな、俺の後輩に連絡しといてやるから、東京に戻ったらそいつのところへ連れて行け」 「おやっさん、何から何まで悪いな」 「お前のためじゃない。あの子のためだ」 「ああ、分かっているって」 東京にいる薮井さんの後輩さんは、診療所を開いているそうです。これまた、訳ありの方のみをお相手しているヤミ医者仲間だそうで……。類は友を呼ぶ……ですね。 まっ、世の中色々な事情を抱えた方がいますから、こういったお医者様も必要なんでしょうねぇ。特に今のわたくしなんていい例ですわね。 薮井さんはわたくしの所に来て、傷を診てくれました。 「いいかい、無理はダメだよ。しばらくは安静にしているんだ、いいね。後輩は腕は確かだから、あいつの言うことを聞いて、しっかり治すんだよ」 「はい。ありがとうございます」 わたくしはしっかりと頷き笑顔でお礼を言いました。でもね……、ごめんなさい、薮井さん……その約束守れそうにありませんわ。だって、これから……ね。わたくしは心の中でお礼の後に、そっと謝罪もしていました。 さあ、出発の準備ができましたので、わたくし達は改めて薮井さんに挨拶をしました。 「おやっさん、突然押しかけて申し訳ありませんでした。本当に助かりました。ありがとうございました」 「「ありがとうございました」」 松岡さんに続いてわたくしと大道寺さんも挨拶をしました。 「ああ、気を付けてな。…………松岡? 何かあったらまた来い」 「ありがとう、おやっさん。このお礼は改めてさせてもらうよ」 「ふん、期待せずに待っているよ」 最後は笑顔でいつもの憎まれ口を言って下さったようで、皆笑顔でお別れしました。 013 決戦の前に………… 一路東京へ向かう車の中では……。 まずは、このビリビリに破れたパンツをなんとかするために、おねだり鈴音ちゃん発動です。 「あのう……すみません、松岡さん? 途中で洋服を買っていただきたいのですけど……」 「ああ、そうだね、かまわないよ。大道寺? どこかに寄ってくれ」 「ああ」 さてさて、だいぶ、わたくしも落ち着いてきましたので、そろそろ大事なお話をしないといけませんわねぇ。 「コホンッ。ええ、それでは、お二人が一番お知りになりたいチェンジの謎について、分かったことを今からお話ししたいと思います」 「えっ、チェンジの謎って? 分かったのか、それがっ?」 大道寺さんは、驚きのあまりハンドルを切り損ねそうになります。 「本当かよっ! 鈴音ちゃんっ?」 松岡さんも、子供がおやつにでもがっつくかのように身を乗り出して叫びました。当然の反応ですよね。三ヶ月間の謎が解けるのですから……。 「ええ、今朝眠っている時に分かったのです……。それは……」 今朝自分が体験した夢とも現実とも区別のつかない中で春花さんからお聞きしたことをお二人に話しました。 …………!? 聞き終えたお二人は共に頷いて、しばらく黙っております。やっぱり、信じろと言う方が無理かもしれませんが……、でも、本当のことですからねぇ……。 「あのう……やっぱり、信じられませんか?」 しばしの沈黙の後……。 「いや、よく分かったよ。不思議な話だけど、この三ヶ月間を見て来たからな、信じられるよ。それに良いのか悪いのかは分からないけど、解離性同一性障害とかじゃなくて良かったしな。春花さんに対する鈴音の気持ちも理解できるし…………いや、むしろ、俺も同感だ……でも、その足じゃ……」 大道寺さんが心配しながら真顔で言います。 「俺も同感だけど…………」 松岡さんも心配しています。 「ご心配には及びません。春花さんは痛みは感じないようですから……、チェンジしてしまえば何とかなりますよ、何とか」 「……なら、いいけど……」 「……まあ、鈴音ちゃんが、そう言うなら……」 お二人は心配がつきないようですが、治ってから何て呑気なことは言っていられませんから、ここは一つ、気合で乗り切るしかありませんっ! みなさん、応援してくださいっ! 松岡さんは、そんな重い空気を振り払うかのように明るく言いました。 「鈴音ちゃんっ! やつらの陰謀を阻止しようぜ。その二人を倒せば、組織も潰せて香港マフィアの日本への進出も阻止できるってわけだからなっ! まさに一石二鳥だぜっ! いや、春花さんの無念も晴らせるから一石三鳥かっ!」 「ええっ!」 「ようしっ! さあ、『チーム鈴音』再出動だっ!」 大道寺さんも叫んで思いっきりアクセルを踏み込みます……。 さあ、ついに『チーム鈴音』再浮上ですわっ! このままの勢いで悪者を退治しましょうっ! さらに、松岡さんはノリノリで叫びました。 「しかし、香港での敵(かたき)を日本で……なんて、まさに『江戸の敵を大阪で討つ』だなっ!」 「おいおい、松岡っ! それを言うなら、『江戸の敵を福岡で討つ』だろうっ?」 「何を仰っているんですかっ、大道寺さんまでっ! 熊本ですよっ、熊本っ!」 「ああ、そうだったかな? まあ、何でもいいやっ! レッツゴー、鬼退治だぜっ!」 「「「オーッ!」」」 わたくし達はノリノリで右手を突き上げて叫びました。 (おいおい……正しくは長崎だろ……。なんで中国人のあたしが知っていて、アンタらが分からないんだよ……。あたし……こんなチームの一員なの……? はぁ、空しい……) 春花さんはガックリと首をうなだれていました。 とりあえず、都内に入ったところで、洋服を買って試着室で着替えます。着替えをしながら、素朴な疑問を一つ。 「春花さんて、普段はどこにいるのかしら……? この辺にいるのかしら……?」 試しにわたくしの周りの空気を触るように手を動かしてみましたが、何の手ごたえもありません。まあ、相手は幽霊さん……、触れなくて当然ですわね。今も話しかけられないということは、普段は遠くにいらっしゃるのかしら? わたくしのピンチになると駆け付けて下さるのかしらねぇ……? ふふっ、知りたいことは沢山ありますわね……。でも、今は今夜のことに集中しますわっ! (まったく、この子は天然だねぇ……。三ヶ月前のあの夜からいつもアンタのそばにいるよ。ただ、アンタの心には立ち入らないようにしているから安心しな。あたしが借りるのは、あくまでもアンタの体だけさ。アンタがピンチの時は、いつでも助けてやるよ) 春花さん、お願いしましたわよっ。ピンチの時はヨロシクです……。そんなことを考えながら、着替えを続けます。 わたくしが服を買って着替えている間、車内では缶コーヒー片手に、こんな会話がされていました。 「相手は殺しも平気でやる香港マフィアか……」 「ああ……、覚悟はできているか? 大道寺?」 「ああ……もう、できているよ……」 「悪いな……、巻き込んじまってよ……」 「俺も警察官の端くれだよ。本来の職務さ……」 「そうだな……、むしろ、今のは鈴音ちゃんに言うべきセリフだったな」 「だからこそ、俺達のやるべきことはただ一つさ……。春花さんの戦いの邪魔はしない、でも、鈴音だけは必ず無事に家に帰す。……どんなことがあってもな」 「ああ、必ずな……。なあ、大道寺? 来週末は『小料理 けんちん』で祝杯あげようぜ」 大道寺さんは無言で頷きお二人はグ−タッチをしました。 ふふっ、男の人って意外とロマンチストなんですねぇ……。決意を固めて、いざ勝負っ! 俺達意外とイケてるぜっ! てな感じですかね……。どうぞ、どうぞ『小料理 けんちん』へいらしてくださいな。お母様の手料理とわたくしのスマイルで精一杯のおもてなしをさせていただきますから……。 着替えを終えて改めて鏡の中の自分とにらめっこ。 「ふふっ、バッチリですわっ!」 鏡の中の自分を見ながら、そう叫んでリフレッシュしたところで、さあっ、参りましょうっ! レジを済まして、車に向かいます。わたくしが乗り込むと、松岡さんは笑顔で……。 「お気に入りの服は買えたかい?」 「はいっ、お陰様でっ! いかがですっ、イケてますでしょっ? これなら、動きやすいですわ」 「ああっ、バッチリだよっ」 アーミースタイルのわたくしに向かって、大道寺さんは親指を立てて微笑みました。 「鈴音ちゃんも何か食べなよ? サンドイッチでいいかな?」 松岡さんはそう言ってコーヒーと一緒に渡してくれました。 015 それぞれの不安 鈴音達が車内でくつろいでいる頃、例の倉庫では紅龍と桃花が話をしていた。 「何よっ、いきなりこんな所に呼び出したりしてさっ! 紅龍、取引はアンタに任せるって言ってあったでしょっ?」 むさ苦しい倉庫に呼び出され、すっかりセレブ気取りの桃花は機嫌が悪い。 「ああ、それは分かっている……。だが、取引なんて言っていられない事が起こったんだ」 紅龍の表情は厳しい。 「何か不測の事態でも起こったの? そう言えば、他の連中はどうしたのよ?」 桃花が眉をひそめて、揚しかいない倉庫内を見回しながら尋ねた。 「揚(やん)以外は皆死んだよ……。いや、殺されたと言った方が正確だな……」 「殺されたっ……? 何があったのよっ! もったいぶってないでさっさと話しなさいよっ!」 桃花はいっそう眉をひそめ、声を荒げて怒鳴る。紅龍は昨夜のことを静かに話し始めた……。 「じゃあ、アンタの見立てでは、その小娘達は警察とかではなく、ただのネズミだったってことなのっ?」 聞き終えた桃花は、信じられないといった感じで首を左右に振りながら尋ねる。 「ああ、それは間違いない。他の二人もヤクザとか組織ぐるみといった感じではなかった。ただ、銃を持っていたっていうのが引っ掛かるがな……」 「銃を持っていた……か。確かにただのコソ泥ではないみたいね。警察なら組織で動くだろうし、なんとなく引っ掛かるわね。もし、警察関係者なら厄介よ……」 「ああ、そうだな。日本のヤクザは呑気に取引はまだ先でなんて言っているが、急いだ方がいいかもな……」 紅龍は話ながらも、どことなく取引の件については集中していない。それを察した桃花が冷ややかな笑みを浮かべ皮肉を込めて言った。 「取引のことよりも、その小娘の方が気になっているみたいね? 確かにアンタをそこまで追い詰めるなんて普通じゃないからね」 「まあな……。強さはもちろんだが、あの所作すべてが気になる……」 フーッ! 紅龍は桃花の皮肉など気にせずにじっと考えている。 「しっかりしなさいよっ、紅龍っ! ありえないよっ! いくらソックリと言ったって、春花は私達がきっちり始末したのだからさっ!」 「そうなんだが……」 「アンタにナイフで内臓をえぐられ、私に銃で急所を撃たれ海に真っ逆さまに落ちたのよっ! 二人で海に落ちるのを見届けたじゃないっ!」 「確かに……な」 「あの状態で助かるなんてあり得ないわよ。どんな名医だって助けられるわけがない……そうでしょ?」 「…………」 「どう考えたって別人よ。この日本にも存在したのよっ、アンタと春花みたいな達人がさっ! ただ、それだけよっ! どうせコソ泥なら、昨日痛い目にあったのだから、もう来やしないでしょうよっ!」 桃花はまるで自分に言い聞かせるかのように確認しながら怒鳴っている。そのため桃花は明らかに動揺し落ち着かない様子で、その場を行ったり来たりしていた。 「それなら……いいんだが……な」 紅龍は気がかりが払拭できず煮え切らない。 「紅龍……アンタいつまで殺し屋でいるつもり? いい加減にしなさいよ。私達は、もうビジネスマンよ。いつまでも、あんな血生臭い世界になんていたくないでしょ?」 「それは……そうだが……」 「フッ、まったくっ、煮え切らないねぇっ! 私は取引の期日を早めるように調整するから、倉庫の荷物をもう一度確かめておいてっ!」 桃花は強気に言い捨てた。紅龍を軽蔑の眼差しでチラッと一瞥して倉庫を出て行ったが、何となく悪寒が背中を走り身震いが止まらなかった。 「けっ、強欲の塊がっ……、いくら着飾ったって、てめえも所詮は殺し屋さ……」 紅龍は出て行く桃花に向けて、負けじと軽蔑の眼差しを送った。 その頃、わたくし達は……。 「はあー、美味しかったですわ。ごちそうさまでした」 サンドイッチをペロリと平らげ、満足顔で最後のコーヒーを飲んでいます。痛み止めのおかげで口の中の痛みも抑えられ、食事もできます。薮井さんに、感謝、感謝です。 「お腹は満たされたかい?」 大道寺さんは微笑みながら尋ねます。 「ええ、大満足ですわっ! さあっ、参りましょうっ!」 さあっ、腹ごしらえも終わりましたし、痛み止めを飲んで、いざっ、出陣ですっ! 大道寺さんと松岡さんも顔を見合わせてフッと笑い、つられるように気合を入れています。 ふと、大道寺さんが尋ねます。 「さてと、行くのはいいけど、どこに向かえばいいんだろう?」 「例の倉庫ですわっ!」 即答です。理由は分かりません。でも、そのように感じたのです。これ本当……。なんなんでしょうかね……? 何かがわたくしを呼んでいる的な……。 「おそらく、春花さんがそう言っているんじゃないか? それを鈴音ちゃんが感じているんだよ、きっと。とにかく行ってみようぜ」 「よしっ、じゃあ例の倉庫に向かおうっ!」 大道寺さんがアクセルを踏み込んで車を走らせ始めます。只今3時を回ったところです。 例の倉庫では、紅龍と揚が荷物を数えていた。 「兄貴、昨日の格闘で五袋破れています」 「中身が無事なら売り物にはなるだろう? どうだ?」 「そうですね……。中身は皆平気なので移し替えれば大丈夫そうです」 揚は新しい箱を持ってきて入れ替え始める。その作業の最中に桃花がギィーッと扉を開け入ってきてドヤ顔で言った。 「取引は明日になったわ。先方はずい分と警戒していたけど、いやなら他で売るって脅してやったら、渋々了解したわ」 「袋は五袋破れたが中身に問題はない。移し替えれば商品にはなるだろう」 「そう……。これだけ売りさばいたら何億ね。日本はいい市場になりそうね。これからが楽しみだわ」 桃花は含み笑いをしている。 「ボス、移し替え終わりました」 「揚、ご苦労様。あんたは死ななくて良かったねぇ。まっ、一つしかない命だ。せいぜい大事にするんだね……。それと、今後はボスじゃなくて社長と言いな、いいね?」 桃花が少し眉をひそめてタバコに火をつけながら偉そうに言った。 ちょうど、その頃わたくし達は倉庫街に近づいています。 近くまで来ると、気配を感じます。います、確実に目指す相手はいます。やっぱり春花さんとリンクしているから感じるのかしら……。 倉庫に向かう途中大道寺さんが叫びます。 「鈴音の言う通りだなっ! 倉庫に明かりがついているぜっ、奴ら……いるなっ!」 「いよいよだな……」 お二人共かなり緊張されているみたいで、生唾を飲み込んでいます。 「さあ、参りましょうっ、いざっ、鬼退治へっ! キジさんっ、お猿さんっ、準備はよろしいですかっ!」 わたくしは元気よく片手を上にあげて冗談めかして笑いながら言いました。これでも、緊張されているお二人を気遣っているんですよ……。でも、キジと猿なんて意外といいシャレですわね。 「ねっ、鈴音ちゃんっ? どっちがキジで、どっちが猿なんだいっ?」 「さあ……、どちらでもかまいませんわっ。言葉の勢いで言っているだけですからっ! ただ、犬は春花さんでしょうか……」 (ははっ……、あたしは犬かい……?) それをお聞きになってお二人が笑いました。 あらっ、わたくしのお心遣いが通じたのかしらっ? お二人共ナイスな具合にリラックスされたようですわ……。 「鈴音、真正面からでいいのか?」 「ええ、変な小細工は必要ございません。正々堂々、真正面からで良いですわ」 さあさあ、鬼退治の始まりですわよーっ! いよいよ、クライマックス、盛り上がってまいりましたぁーっ! 016 死闘…………再び 倉庫の扉の前まで来たところで、ふと立ち止まり、わたくし達は互いに目を合わせ頷いてからギィーッと扉を開けて中に入りました。 中に入りますと奥の方に紅龍さんと女性がいて手前に揚さんがいます。 「紅龍……あれが例の小娘……? バカが性懲りもなくぬけぬけと……。アンタにやられたケガは治ってはないだろうに……」 わたくし達が入って来る姿を見て、桃花さんが吸っていたタバコを床に捨てました。グニグニッと踏んづけて火を消しながら、顎をクイッと上げて鼻で笑っています。 「ああ……そうだな。とにかく、不思議な小娘だ。あれだけのケガをしたのに、再び自分からノコノコとやって来るとはいい度胸だ。だが、昨日の借りはきっちり返させてもらうぜ」 バッと上着を脱ぎ捨ててアンダーシャツのみになった紅龍さん。首を左右に動かしたり手足をブラブラさせたりして臨戦態勢に入っています。 「いますわ、いますわ。……ははーん、あれが桃花さんですわね。ひゅーっ、春花さんほどではありませんが、桃花さんも殺し屋には見えないスラッとした美人ですこと……。はぁ、もったいないですわねぇ。モデルとしても食べていけるのじゃないかしら……」 わたくしは大道寺さんと松岡さんの前に出て、微笑みながら呟きます。 「向こうも三人か……。とは言っても、俺達じゃ手前の弟分くらいしか相手にできそうにないけどな……」 「まあな……。所詮は、鈴音ちゃん……いや、春花さん頼みだからな……」 お二人は顔を引きつらせながら弱気に呟きます。 「もうっ、お二人共っ! そんなこと仰らずにフォローを頼みますわよっ!」 わたくしは振り返ることなく笑顔で叫びながら、髪をヘアバンドで束ね、手や足をグルグルと回すストレッチをして、スーッと深呼吸をしました。 「さあっ、参りますわよっ! 春花さんっ!」 叫びながら気合を入れてダッシュ……。ふぅー、少々足が痛みます。 (おうさっ!) どこからともなく気合の入った春花さんの声がわたくしにだけ聞こえ、数歩走り出したところでスッとわたくしに憑依しました。 さあ、チェンジ鈴音の登場ですっ! ブオオーッ、ブオオーッ! どこからともなく勇ましい合戦のほら貝が聞こえてくるようですっ! ファイトーッ! 揚さんが向かってくるわたくしに銃を向けています。 その刹那……キッ! わたくしは冷酷非情な眼差しでひと睨みします。揚さんは冷や汗を流し、ヘビに睨まれたカエルのごとく微動だにできずに固まってしまいました。 さすがは一流の殺し屋ですこと……。眼だけで制しちゃったっ! 凄味はハンパありませんわねぇ……。 そのままの勢いでバッとジャンプし、微動だにできずに固まる揚さんを飛び越して行きました。やっぱり、春花さんは痛みを感じないようです。とりあえずは、痛みを気にせず戦えますね。 「おいっ、ボンクラ共っ! 雑魚は頼んだぞっ!」 飛び越しながら、叫んでニッとかすかにお二人の方を見て微笑みます。着地すると、さらに紅龍さん達に向かって走って行きます。 「ボンクラ共……か。春花さんが言っているというのは分かるけどさ……、はぁ、なんだか鈴音ちゃんがどんどん遠い存在になっていくような気がするなぁ……」 「女の子の方が早熟だからな……。まあ、実際にどんどん距離は離れていっているけど……」 「ああ、本当だな…………って、バカっ! 冗談なんか言っている場合かっ! さあ、頼まれた以上は、あいつは俺達が引き受けようぜっ!」 「おうっ!」 お二人も気合を入れて揚さんとの戦闘態勢に入りました。 バーンッ、バーンッ! 揚さんは、持っていた銃を、お二人に向かって発砲します。お二人はサッと左右に分かれて荷物の陰に隠れました。 はて…………? さっきから、何かおかしいなと思っていたのですが、わたくし、今は意識があるのですよ、はいっ! ここは、わたくしの中……? なのかしら、わたくしの隣に春花さんが立っています。 「春花さん?」 「鈴音……? 一緒にいられるのか? ひょっとして、意識があるのか?」 「…………みたいですね。わたくしも普通に外の景色が見えていますから」 「そうか……」 「これが意識があるって状態なのでしょうかねぇ? でも、どうしてでしょう…………?」 「今までは、あたしが勝手に憑依していたから、拒否されないように無意識のうちに鈴音の意識を消すようにしていたのかもしれないね……」 「そうなのかもしれませんわねぇ……」 「今は、受け入れOK状態だから、そうする必要なんてないからね。だから、鈴音の意識があるんじゃないのか?」 「……ですわね。これなら、協力できるかもですっ! わたくしも痛くはないですしっ!」 「ハハッ、一応気功術も使っているからなっ!」 「えっ、そうなんですのっ! 春花さんて色んなことができるんですねっ!」 「自慢じゃないが、殺しの最中に、もしもがあった時用に教え込まれたものだよ。悲しいけどなっ! さあ、お喋りはここまでだっ! 来るぞっ!」 「はいっ!」 …………とは言いましたが、実は少し痛いのです……。痛み止めが効いているから何とかなってはいますが、長引くとヤバイかも…………。 紅龍さんは一歩前に出て、走って来るわたくしの迎撃態勢に入ります。 シュバッ、シュバッ! まずは小手調べとばかりに、左右の両腕を素早く動かし、昨日の比ではない威力のかまいたちを数本撃ちました。 ブオーッ、ブオーッ! 鋭く空気を切り裂く音と共に、数発のかまいたちが襲い掛かってきます。 「はあっ! はっ! はっ! せいやあっ!」 スタッ! スタッ! わたくしは気合と共に左右に素早くステップを踏んで避け、ビシーッ! 稲妻が貫くかの如く勢いで、鉄球と化した突きを撃ち込んでいきます。 グッ! 右手に力を入れ、上腕部で受け止めガードする紅龍さん。ガシッ! 受けた瞬間、紅龍さんは脳天まで響く衝撃を受け、数歩ズザザザザーッと後ろに押し込められました。 「ぐうぅっ……。相変わらず凄い衝撃だ……。だがっ、昨日のようにはいかないぜっ!」 唇を噛んでグッと堪え、呻くように呟くと、機関銃のような速さで、正確な突きを連打で撃ち込み反撃してきます。 「うおおぉぉっ! せいっ、せいっ、せいーっ!」 突き、突き突きーっ! 豪雨のごとき無数の拳が、速く鋭く襲ってきます。おおっと、こっちも先刻承知ですわっ! 「はあぁぁっ! うりゃっ、うりゃっ、うりゃーっ!」 防御、防御防御―っ! わたくしも負けじと気合を入れて左右の腕を強く素早く動かして、全て叩いて防いでみせました。へっ、どんなもんだいっ! (おいおい、鈴音……戦っているのはあたしなんだけど……) 「うおりゃあぁぁっ!」 ズバッ! わたくしは叫んで閃光一閃、鋭く右足で蹴りを撃ち込みます。その刹那紅龍さんも閃光一閃、右足で蹴りを撃ち込んできます。 バシーッ! 二人の蹴りは互いの足首で激突し倉庫内に響き渡るほどの衝撃音を発して相打ちとなりました。この時、ズキーンッ! 脳天まで響くくらいの痛みを伴い、わたくしの足の傷からは少しずつですが血が滲み出始めてきました。幸い春花さんは痛みを感じないので戦いに集中できているようですが、わたくしは気づかれないようにそっと顔を歪めました。 二人は、すぐさまサッとお互いの構えに戻りフッと不敵な笑みを交わします。 「本当に、とんでもない小娘がいたものね……。あの紅龍と互角に殺り合えるなんて……。しかも、紅龍の言う通りだわ……。どの所作をとっても春花ソックリ……」 この攻防を桃花さんは瞬きするのも忘れるほど驚愕の表情で見入っています。その頬にタラーッと一筋の光るものを流して……。 「フッ、小娘……。なかなかやるな。一流の殺し屋の俺と殺り合うなんて、お前一体何者なんだ?」 紅龍さんは、余裕の笑みを浮かべながらなぜか嬉しそうです。 疑問はあるが、強敵を前にして殺し屋として、いや、格闘家としての血が騒ぐのでしょうね……。はぁ……これが本当の格闘家同士なら、なんとも爽やかで良いことなのですが……残念ですわねぇ……。 「ふっ、相変わらず余裕のつもりかい? 変わってないねぇ……紅龍……。お前も本気を出してないようだけど、こっちもまだまだだよ……。そろそろ、マジで殺ってやろうか?」 「なあ……何で俺の名前を知っているんだ……? お前本当に何者だっ!?」 笑みを消し真顔になって叫ぶ紅龍さん。 「それに中国語もねっ! アンタ一体誰だいっ? …………まさか…………?」 桃花さんも不安に駆られ叫びましたが、最後は首を横に振りながら二、三歩後ずさりして言葉を飲み込みました。目を丸くしたままガクガクと体の震えが止まりません。 怯えております、目の前で起こっている事実を受け入れられずに……。まあ、春花さんに、あんなことをした罰ですから仕方がありませんわね、オホホホホ。はっ、わたくしって意外と悪女かしら……。春花さんが悪霊なのかも……? どうしましょう……でしたら、わたくしは『デーモン鈴音ちゃん』になってしまいますわっ! (おいおい……、あたしは悪霊なんかじゃないよ……) 「ふっ、お笑いだねぇ……。まさか忘れたなんて言わせないよっ! あたしはお前達に謀殺されたっ、そう……あの……春花だよっ!」 「「なっ、何いぃっ!」」 半ば予想はしていましたが、お二人はカッと目を見開いて叫びました。 「そっ、そんなっ、バっ、バカなっ! はっ、春花は、あの時確かに死んだはずよっ!」 桃花さんは、なおもガクガクと体を震わせ腰砕けになっています。 「まっ、まさかっ、あっ、あの状態で、たっ、助かるわけがないっ…………」 紅龍さんも顔を引きつらせ、うろたえながら声を絞り出すように呟いています。 お二人共驚きで完全に血流が止まってしまったようですわ。まあ、無理もありませんが……。そのくらい衝撃の事実ですわね……。 「ふっ、お前らの言う通り、確かにあたしはあの時死んだよ……。でもね、地獄で嫌われたみたいでね、まだこの世にいるのさ」 不敵な笑みを浮かべ二人を交互に見ながら言いました。 「ちっ、じゃっ、じゃあっ……整形でもして私達へ復讐しにきたとでも言うのかいっ!」 バーンッ! バーンッ! 叫びながら破れかぶれで持っていた銃を乱射。乾いた音と共に二発放たれましたが、当然通用せず……しっかり掴まれています。 お可哀そうに……もう、完全に冷静な判断ができなくなっているようですわ。こんなの、春花さんにとっては朝飯前のコンコンチクショウですものねっ……。 「桃花……相変わらずバカだねぇ……。あたしには通用しないのは分かっているだろう? ふっ、信じられないだろうけど嘘じゃないよ、あたしは紛れもない……春花だよ」 そう言いながら銃弾を桃花さんに投げつけました。銃弾は桃花さんの体に当たり床に落ちてカラン、カランと乾いた音を発して転がります。桃花さんは動揺が抜けず避けることはもちろん何も言い返すこともできず、ワナワナと震えています。 「ちいぃぃっ! よくは分からんが、春花っ! 今度こそ地獄へ送ってやるっ! そおりゃあぁぁぁっ! はいやっ! せいっ! うりゃあっ! とぉっ!」 ビシッ、バシッ、ズバッ、ボゴッ! 紅龍さんは沸き上がった恐怖を打ち消すため、大声で叫びながら、強引に体を動かして突きや蹴りを撃ちまくります。 ありとあらゆる打撃音が雷のごとく鳴り響きます。ただガムシャラに撃ち込んでいるだけなので、元来のスピードやパワー、正確さは完全に失われています。難なく叩いて防ぐことができました。 ガシッ! わたくしは突きを撃ってきた紅龍さんの腕を取り、恐怖で動けなくなっている桃花さんへ背負い投げで投げつけました。 「そおりゃあぁっ!」 (これで桃花に何かしらのダメージを与えられれば……) 春花さんには、このような思惑があって、紅龍さんを桃花さんに投げつけたのですねぇ……。 この時わたくしの足の傷はさらに開いてしまったようで、買ったばかりのパンツに血がはっきりと滲んできていました……。出血が続けば影響も出るでしょう……超短期決着が望まれる状況ですね…………。春花さんの思惑通りになればよいのですが……。 今は二人共驚愕の事実を知った恐怖と動揺で本来の力が出せずにいますが、冷静さを取り戻されたら、さすがに二人同時に相手をするのはキツイでしょうからね……。さあっ、吉と出るか凶と出るかっ……鈴音と春花の運命や如何にっ……? ……なんてナレーションが似合うシチュエーションですわねぇ……。 「うおぉっ!」 大きな声を発しながら桃花さんに向かって一直線に飛んで行く紅龍さん。 「ちょっ、ちょっと……、きゃああぁっ……!」 桃花さんは悲鳴を上げたまま、何の手立てもなく下敷きになってしまいました。 「「ぐうぅっ…………」」 お二人は呻きながら、何とか立ち上がります……。 「紅龍……、冷静になって、二人で同時に攻撃しよう……。所詮相手は一人だ……。理由なんて、もうどうでもいい……。あいつが春花である以上は協力しないと、こっちが殺られるよ」 「ああ、そうしよう……」 グググッ……紅龍さんは膝に手を当てて立ち上がりながら賛同します。 はあ……さすがは一流の殺し屋ですわ……。健闘空しく、春花さんの作戦は失敗に終わったようです……。 お二人はわたくしを挟むように陣取り呼吸を整えます……。 「あらっ、何が始まるのかしら……。これって、もしかしてピンチってやつかしら……」 「ピンチもピンチ、大ピンチだよっ! ちっ、桃花の奴め……。無意識のうちに上手く避けたか……? ダメージは負っていないようだな……。ちっ! 仕方がない……」 春花さんは思惑が外れ舌打ちして覚悟をお決めになったようです。……はぁ、わたくしも覚悟を決めなければいけないようですわね。 考えてみれば、桃花さんも、春花さん達同様にあの地獄の特訓を受けて育っている身ですから……。やはり一筋縄ではいかない相手ですよね……。 ……などと考えているうちに、紅龍さんと桃花さんは目で合図して一斉攻撃を仕掛けてきました。 ズバズバズバッ! ババババッ! 紅龍さんが、主に上半身を、桃花さんが下半身を狙って突きや蹴りを撃ち込んできます。 手足が鋭く空気を切り裂く音と共に無数の打撃が襲ってきました。 わたくしは、攻撃を捌きながらスーッと桃花さんの方へ移動して行きます。この位置取りなら当然、紅龍さんの攻撃を避けたり、受け流したりすれば、それは桃花さんに当たりますわよね。 「ふんっ、さすがは春花っ……。この状況でも冷静だねぇっ!」 桃花さんは予想通りと言わんばかりに距離を測って上手く避けています。 うーん、敵ながらアッパレ……。などと関心している場合じゃないんですけどね……これ本当……かなりヤバイかも……。 「まっ、同じ釜の飯を食った仲だからね……。そのくらいはできて当然か……」 春花さんは思わず静かに呟きながら、二人の同時攻撃を避けています。わたくし達も二人で見ているので、見えてはいるのですが、如何せんスピードが追いつきません。 ガシッ! 両腕両足でガードしたり、体を上下左右にスッスッと素早く動かしながら耐えています。その姿はまるで、ダンスでも踊っているように見えます……。 「ふっ、春花っ! さすがと言ってやりたいが、この、地獄のダンスッ! 果たしていつまで持つかなっ! 昨日みたいにはいかないぜっ!」 「ハハハッ! 本当っ、春花っ! ぶざまな姿だねぇっ!」 余裕のよっちゃんで笑う桃花さん。ああっ、なんかムカツクッ! 悔しいですわっ! 確かに昨日は奇襲で何とか突破口を見い出せましたが……ねぇ。しかも、今日は自分より腕は劣ると言っても一流の殺し屋二人同時の相手……やはり、並大抵のことではありません……。 この防御の中、春花さんは傷口が開いて血が出ているのに気づいたようです。 「んっ……!? ちぃっ、やはり衝撃で傷口が開いちまったか……? 鈴音っ! 大丈夫なのかっ?」 「ええ……まだ大丈夫ですわっ! どうか、気になさらずにっ!」 「そっ、そうか……。くっ、でも、急がないとヤバイな……。……やはりさっきの攻撃で桃花だけでも何とかできていれば……」 「は……春花さん…………」 ヤバイです……。あのように言いましたが、痛みも出てきていますし、心なしか気が遠くなりつつあります……。 わたくし達が苦戦している一方で大道寺さん達も揚さんの銃撃に手を焼いていました。 「おいっ、松岡っ! あいつ、反対の手に何か持っているぞっ!」 「ああ……。……あれは爆弾だな……」 「何で爆弾だって分かるんだよ!?」 「だって、ドクロマークが書いてあるじゃないか。あのマークが書いてあるものは大抵爆弾か毒薬って相場が決まっているだろう」 「確かに言われてみれば書いてあるけど……そういうものなのか?」 「ああ……。まあ、いわゆるユニバーサルデザインってやつだな。万国共通、誰もが分かりやすくさ」 「ユニバーサルデザインって……使い方が違うんじゃないか……?」 「ふっ、俺のような頭脳明晰な男の思考回路はお前のような凡人には理解できないだろうな……。フフフ」 「笑っている場合じゃないだろう? あれが爆弾なら相当ヤバイんじゃないか……」 「ああ…………」 「どうする? 松岡……?」 「参ったな……、こっちは丸腰だからなぁ……。よしっ、こうしようっ! お前が奴を引きつけろ。俺はその隙に奴の後ろを取るから……」 「ああ…………って、それじゃ、俺の方が危険じゃないかっ! 普通は言い出しっぺが危険な方を担うもんだろう?」 「えっ、バレちゃった?」 「当たり前だっ! 勢いのまま乗せられるとでも思ったか?」 「分かったよ、分かった……。俺が引き付けるから、あとは頼んだぞ」 「おお……。……松岡……何か言い残すことはないか?」 「ん……そうだな…………。鈴音ちゃんに愛していたと伝えてくれ……って何を言わすんだぁっ! おかしいだろうっ? こういう時、普通は気をつけろよとか、励ましの言葉をかけるだろうっ? お前親友だろうっ?」 「親友だからこそ、これから特攻するお前に心残りがないように親切で言ってやっているんじゃないか……そうだろう?」 「何、調子のいいこと言っているんだよっ、ったくっ!」 「まあ、そう言うな。それより……いいか、松岡……お前が当たってもいいから俺には当たらないようにしろよっ! 鈴音のことは俺にまかせればいいから……」 「ああっ!? 鈴音ちゃんは俺にまかせればだぁっ? 誰がお前なんかにまかせるかっ! ええいっ、こうなったら意地でも生き延びてやるっ!」 「ふっ、やっといつものお前らしくなってきたな……。その調子で頼むぜ……」 「大道寺………………そうか、お前、わざとそんなことを言って俺を……って、お前言いながら段々と後ろに下がっていっているじゃねえかっ!? 畜生っ、一瞬でもお前を見直した俺がバカだったぜっ!」 「まあ、松岡君……、なんでもいいから健闘を祈るよ……」 「ったく、こうなりゃ破れかぶれだぁっ! 銃でも爆弾でもなんでも来いってんだっ! おいっ! こっちだっ!」 松岡さんは勢いよく荷物の陰から飛び出して叫び、揚さんの気を引きました。 バーンッ! バーンッ! バーンッ! 揚さんは急いで銃を連射し、小型爆弾を投げつけてきます。幸い小型だけに直撃さえしなければヤケドも負わずに済みます。 松岡さんは素早くクルクルッと前転しながら動いて、銃弾と爆弾を避け再び荷物の陰に身を隠しました。 「見たかっ! これぞっ、松岡家秘伝の『回転風車斬り』だっ!」 「おおっ、出た必殺の『回転風車斬り』っ! 素早く回転して相手を翻弄し倒す技……って、訳も分からず解説しちまったけどよ、ただ避けただけで名前と行動が全くかみ合ってねえじゃねえかっ! ったく、しょうがねえなっ!」 「とりあえず、銃と爆弾は撃ち尽くしただろうっ! あとは頼んだぞっ、大道寺っ!」 「おおっ! こうなりゃ、俺も破れかぶれだっ! 本当に丸腰になったのかは分からねえけど、俺もやってやるぜぃっ! やあぁっ!」 大道寺さんは大声で威嚇しながら一気に飛び掛かり、慌てて抵抗しようする揚さんの襟と袖を素早くギュッと掴むと……。 「そおりゃあっ! 必殺っ、『回転だるま落とし』―っ!」 訳の分からない技の名前を叫びながら一本背負いで投げ飛ばしました。 「おおっ、出たっ、必殺『回転だるま落とし』っ! 素早く相手の襟と袖を掴んで背中越しに投げる必殺技……って、お前だって、ただの一本背負いじゃねえかっ! 思わず真面目に解説しちまったぜっ! …………フッ、でも、決まったな……」 ダーンッ! 投げられた揚さんは受け身も取れずに頭から木箱に突っ込んでいき、グキッという音を立て、口から血を出しながら、そのままの姿勢でピクリとも動かなくなりました。 「ふっ、正当防衛だ。悪く思うなよ……」 大道寺さんは松岡さんに向かって親指を立てながら微笑んで呟きました。 揚さんを倒したお二人が急いでわたくし達の方に目を向けると、二人に囲まれて波状攻撃を受けている姿が飛び込んできました。 「くっ、二対一か……分かってはいたが……。しかも、傷口から出血しちまっているぜ……」 「ああ……鈴音達、大丈夫かよ……」 お二人は唇を噛みながら心配そうに呟いています。お二人も加勢したかったのですが、相手は一流の殺し屋達、丸腰の自分達ではかえって邪魔になってしまうと思い見守ることしかできませんでした。 「春花さん、もうかなりの時間これを続けていますけど……、本当に打開策はないんですの? ひょっとして、必殺光線かなんかがあったりして……」 「テレビじゃあるまいし…………。そんなのがあれば、とっくに出しているよ……。ないから困っているんだろう?」 「はは…………やっぱり、ないですか…………」 「ああ、残念だけどな」 「…………」 「ふっ、そう落ち込むな。原始的だけど、こういう時はとにかく基本に戻るんだ。二人の癖を思い出すよ……」 まあ……今はそれしかないそうです……。手や足、体全体を駆使して防御しながら考えましょう。でも、このお二人の波状攻撃……見た目以上に激しいですわよ。相当な衝撃を受けていますのよ、わたくしの体は……。 しかも、血が吹き飛んでおります。かなり動きが鈍くなってきています……。 「頼む……鈴音の体…………持ってくれよ…………」 春花さんは祈りながら考えております。 そんな時、桃花さんの攻撃を手でスパッとはらったその刹那、桃花さんがかすかにバランスを崩したのが見えました。 来ましたっ、来ましたわっ! チャンスがっ! 「よっしゃあぁっ!」 叫びながら桃花さんに体当たりして紅龍さんとの距離を遠ざけて波状攻撃を中断させることに成功しました。 「ナイス、鈴音っ! 攻撃を止めたぞっ!」 「でも、止めただけじゃあ……」 大道寺さんは喜び叫びましたが、松岡さんはなおも心配そうに呟きました。 「桃花っ、しっかりしろっ! もう一度だっ!」 冷静な紅龍さん。悔しいですけど、さすがはプロの殺し屋です。経験豊富ですわねぇ……。 「分かっているよっ! ぶっ殺してやるっ!」 桃花さんは、もうすっかり殺し屋の顔に戻っています。まぁ、元々ご本人だけがビジネスマンを気取ってらっしゃるだけで、周りはただの殺し屋の成り上がり者としか見てはいないですからね……はぁ、残念というか、悲しい運命ですわね……。 わたくしは挟み撃ちを避けようと距離を測りましたが、さすがに相手も分かっています。そうは問屋が卸さないと、簡単に都合のいいポジションは取らせてくれません……。 お二人はすぐに態勢を整え再び波状攻撃を仕掛けてきました。相変わらず、流血は続いております……。 えっ、この間何をやっていたんだって? そんなご質問が聞こえてはきますが、あなた、これはほんの刹那の出来事なのですよ。こちらが対応する間もないほどの……。ですから、残念ですが、また挟み撃ちにあってしまったのです……。 「春花っ! さっさと成仏しなっ」 「もうそろそろ限界だろっ! ケリをつけてやるぜっ!」 お二人は、なお一層攻撃のスピードとパワーを強めてきます。 突き蹴り、突き蹴り突き蹴り突き蹴り突き蹴り突き蹴りーっ! ビシッ、バシッ、ズバッ、ボゴッ! 嵐のように襲い掛かってくるので防ぎきれなくなってきました。 突きや蹴りが色々な角度から、まさに雨霰のごとく降り注いできます。 これが雨なら、水も滴るいい女なんて言えるのですが、この場合、そんな呑気なことを言っていられる状況ではありません。しかも、紅龍さんと桃花さんの般若のごとき鬼気迫る表情は、困惑しているわたくしの様子をあざ笑い楽しむ、まさに殺し屋の顔。 ひゃあっ! 残念ですが、これがお二人の本性なのですね……。まさに人の面を被ったなんとやら……おお怖っ……。 「ちっ、何て顔してやがんだっ!」 「ああ、殺しを楽しんでやがる……。人間じゃねえ、あれはただの鬼畜だ……」 大道寺さん達も忌々しそうに呟いていました。 バッ! バッ! フッ! フッ! わたくしは手や足、顔といった体全体を、それでもなお必死に動かして対応しています。パンツの裾を真赤に染めながら……。 017 絶体絶命の大ピンチッ! その時、鈴音は………… 当然ですが、疲れも溜まってくるのに加え出血の影響も受けているため、跳ね返すパワーも衰え、受け止める時の筋肉の張りも鈍り、衝撃はかさみ体への負担は増していきます。急激に体の動きが鈍くなってきました。 「ま、まずいなっ! これ以上は鈴音の体が持たないっ!」 春花さんは気遣いながら防御を続けています。 大道寺さんと松岡さんも何とかしたかったようですが、手を出せないまま……。 「や、やばいんじゃないか……。明らかに押されてきているぜ」 「しゅ……出血がひどすぎる……。あ、あれじゃあ……す……鈴音ちゃん…………」 お二人はただ見ていることしかできないご自分に腹を立て歯噛みしていました。 紅龍さんと桃花さんの波状攻撃という嵐の中……。 「すっ、鈴音だけでも…………。これ以上この子を巻き込むわけにはいかない…………。でも、どうすれば…………」 春花さんは、ひたすら、わたくしの身だけを案じていて下さいました……、 その刹那……。 ビシッ! 桃花さんの突きが顔面に撃ち込まれます。 「ぐうぅっ……!」 唇を噛みながら必死に耐える、わたくし達。 ズバッ! 今度は紅龍さんの蹴りが腹に撃ち込まれました。 「ぐはぁっ……!」 口からはブッと血が噴き出てきます。 まずいっ、まずいですわっ! これって、敗北へ一直線に突き進んでいるって状態っ! かなりヤバイかもです、はいっ! 「ちいぃっ! ど、どうすれば…………。最初に桃花にダメージを与えられなかったのが響いたね…………まったく。な、何とか……鈴音だけは……」 「春花さん……あきらめてはダメですわ……。ご心配いりません、わたくしの体なら大丈夫ですわ。お母様が丈夫に育てて下さいましたから……」 「バカ……、大丈夫なわけないだろう…………。けど…………ありがとうよ、…………本当にアンタは強いな…………」 嵐のような波状攻撃が続く中、意識が遠のき始めるわたくしと春花さん……。その嵐の中、春花さんの闘志がどんどんと衰えていくのが分かります…………。 「くっ…………なんとかと思ったけど……やはり、難しかったか…………」 ああ…………せっかく意識があるのに、何もできないのかしら…………何も…………。わたくしの気力も萎えかけてきています…………。 「あきらめてはダメ…………、頑張らなきゃ…………」 絞り出すように呟くわたくしの脳裏にふと、今朝港で見たあの親子の笑顔が思い出されました。 そうですわっ! ここであきらめたら、あの笑顔が消えてしまいますわっ! あの時、弱気なわたくしにサヨナラをしたじゃありませんかっ! わたくしは、春花さんを…………、いえ、わたくし達を信じているからこそここに来たのですわっ! 今こそ、自分達を信じる時ですわっ! いざっ! 禍転じて福となすっ! 人間万事塞翁が馬っ! 為せば成る為さねば成らぬ何事もっ! 鈴音ちゃんは女の子っ! さあっ、今こそ春花さんの力になる時ですっ! 「春花さんっ! あきらめないでっ! 大丈夫っ、あなたは希望の光なんですからっ! 決して負けたりはしませんっ! わたくしは、あなたを信じておりますっ!」 「フッ、そう言ってくれるのはありがたいけど、…………やっぱりあたしは闇だったみたいだよ。残念だけど結局何の役にも立たなかったみたいだ…………ゴメンよ」 「何を仰っているのですかっ! まだ終わってはいませんわっ! ここからですよっ、ここからっ!」 「そんなこと言ったって…………あたしには、こいつらと闘う力がもう…………」 「あなたは決して闇の存在なんかじゃありませんっ! ご自分を信じて下さいっ! あなたはわたくしの、いえ…………わたくし達の希望の光なのですよっ!」 「でも…………」 「大丈夫です。ご自分を信じるんです。そして、わたくしも…………」 「えっ…………」 「あなたは希望の光なのです…………」 「…………」 「春花さん? ……今のあなたにはわたくしという強―い味方がついているのですよ…………。フフッ、わたくしという光を得たあなたは、もう一人じゃないのですよ…………」 「…………」 「ねっ、そうじゃありません?」 「…………フッ、そうだったね…………」 「ええ…………。さあ、二人で奇跡を起こしますわよっ!」 「ああ…………」 わたくし達は、お互いを見つめて頷き、笑顔でお互いの手を差し出しました。 「春花さん…………」 「鈴音…………」 お互いの名前を呟き二人が手を握ったその刹那…………。 春花さんに憑依されているわたくしの体は、パーッと光に包まれ外見がわたくしから春花さんへとチェンジしていきました。それと同時に今まで感じたことのない力が体の奥底からみなぎってきました。 体の内側から何かエネルギーのようなものがブワーッとこみ上げてきます。 「「うおぉぉーっ!」」 そのこみ上げてくる衝動を抑えきれないわたくし達が天を仰ぎ見両手を広げ咆哮します。 ブワァァァーッ! その咆哮の振動と共に春花さんの体から、七、八十キログラムのものでも動かせるほどの爆風のような風圧が波紋となって倉庫内に広がり、倉庫が地震でも起きたかのようにガタガタッと揺れ動きました。 「「なっ? なんだっ!? ひっ、光ったと思ったら、いきなり春花が現れたぞっ!?」」 春花さんの体から放たれたその風圧で紅龍さんと桃花さんは、思わずズザザーッと後に引きずられながら、顔を強張らせ驚愕の叫び声を上げました。 「「なっ? 一体何が起きたんだっ?」」 大道寺さん達もその振動を浴びながら、目を丸くして、ただただ驚いています。 「「すっ、凄い……。体中から力が溢れてくる……」」 わたくし達の咆哮が終わると、やがて光は消えていきます。わたくし達は味わったことのない感覚に驚愕し、呟きながら手や足を見ていました。傷口からの出血もちゃっかり止まっています。 わたくし達が驚いている隙に、我に返った紅龍さんと桃花さんが波状攻撃を仕掛けてきました。 「このっ、くたばりぞこないがっ! いい加減にしろっ!」 ブオッ! ブオッ! 鬼の形相の桃花さんが、目をカッと見開き叫びながら、素早く空気を切り裂いて突きを撃ち込んできます。 「何でもいいからっ、そろそろ仕留めるぞっ、桃花っ!」 ズババッ! 紅龍さんも鋭く重い蹴りを撃ち込んできました。 その刹那、二人の前から春花さんの姿はフッと消えました。いえ、正確には消えたように見えました……です。光速を超えた超神速で動いたのです。 「「なっ、どっ、どこにっ!?」」 顔を強張らせたままキョロキョロとあたりを見回すと、突然紅龍さんの前に消えたはずの春花さんがフッと現れました。 「…………っ!?」 紅龍さんが驚きのあまり声を出せずにいますと、春花さんは鼻で笑い、目に見えないスピードとヘビー級のプロボクサー以上のパワーで攻撃を加え吹き飛ばしました。突きなのか蹴りなのかも見分けがつかないくらいのスピードです。 ズサッ、ビシッ! ただただ鋭い衝撃音だけが響きました。 「フッ、アンタ達の動きなんてスロー過ぎてあくびがでるわ……」 紅龍さんを見下ろしながら春花さんは、不敵な笑みを浮かべています。 この土壇場で奇跡を起こしちゃいましたぁっ! わたくしと春花さんに真の友情が生まれた時、まさに、究極の無敵女子『ハイパー鈴音』へとバージョンアップしたのです。 この『ハイパー鈴音』は、本来人間が秘めている潜在能力というものを百パーセント引き出せるため、スピード、パワーが常人をはるかに上回る、まさに無敵の超人なのです。 「うおぉっ! なんか分からないけど凄えことが起きたぜっ!」 「よっしゃあっ! 圧倒的な強さだぜっ! この土壇場で、まさに奇跡の大逆転だぁっ! それにしても、あれが春花さんかよっ……凄え、美人だなっ! 俺、惚れちゃうかもっ!?」 目の前で起こった奇跡に大道寺さんと松岡さんは飛び上がって喜んでいます。お二人の頭の中には、子供の頃見たヒーローの勝利のテーマが鳴り響き始めていました。 もう、お二人共お子様なんだから、フフッ。……じゃなくて、松岡さんたらっ! デレデレしちゃってっ! でも、春花さんは本当に美人なんですよねぇ……。わたくしなどは足元にも及ばないくらいです、はい……。 拳法服というのか何かは分かりませんが、それを身にまといスラッとした美人で、とてもとても、殺し屋とは思えません。こんな美人が殺し屋なんて、それだけで犯罪ですわ、まったくっ! 「おいっ、鈴音。もう、そろそろいいか? 褒めてくれるのは嬉しいのだけど今はそれどころじゃないだろう? ボチボチ再開するよ」 おおっと、そうでしたわっ! 今は戦いに集中、集中っ! 「ちっくしょぉーっ!」 目の前の春花さんに恐怖を抱いた紅龍さんは飛び起きて……。 ブオッ! ブオッ! ブオッ! 叫びながら恐怖を打ち消そうと必死でかまいたちを放ちました。 「フッ、バカの一つ覚えが、今のあたしにはアンタ達の攻撃なんて通用しないよっ! なんてったって、今のあたしには本当の親友(とも)がついているからねっ! 覚悟しなっ、このっ、天然なすびがぁっ!」 出ましたっ! 春花さん、十八番(おはこ)の天然なすびっ! いよいよ、春花さんもノッて参りましたぁっ! それに、嬉しいことを仰って下さるじゃありませんかっ! そう、そうですわよっ、春花さんっ! あなたにはわたくしという本当の親友がついているのですよ……しかし…………天然なすび…………って一体何なんでしょうね? 「今度教えてやるよ…………」 「ええっ、本当ですかぁっ? 絶対ですよぉっ!」 「ああ…………」 やりましたっ! ついに天然なすびの謎が解けますわよ、皆さん…………ワクワク。…………それはさておき、戦闘、戦闘。 春花さんは叫ぶなり、またしてもフッと消えたかのように見えるほど超神速のスピードで全てかわしてしまいます。テレポーテーションでもしたかのようなスピードで影すら見えないほどです……。 「そおりゃあぁぁっ!」 突き蹴り、突き蹴り突き蹴り突き蹴りーっ! 突然紅龍さんの前に現れたと思ったら、超神速のスピードで繰り出します。紅龍さんは避けることはもちろん受けることもできずに全て撃ち込まれてしまいます。 「ぐはあぁぁーっ……!」 ドバーッ! 口から血を噴き出し、うしろの壁にダーンッ! 叩きつけられてしまいました。 「ぬうぅ……」 呻き声を上げながらズリズリと重力に引かれるままに崩れ落ちました。 春花さんはゆっくりと振り返ると、桃花さんに近づいていきます。 「どうしたんだい……ボスさん? 震えているじゃないか? こうなると、大好きなお金も役には立たないねぇ……」 恐怖と悔しさで全身をワナワナと震わせる桃花さん。 「ちょっ、調子に乗るんじゃないよっ! このバケモンがぁっ!」 ビシーッ! 叫ぶなり鋭い突きを撃ち込んできます。ガシッ! 春花さんは難なく掌で簡単に受け止めてギューッと握りつぶしていきます。 「ぎぃやあぁーっ!」 桃花さんはあまりの激痛に悲鳴を上げて苦しみます。春花さんが拳を離すと、潰れて血まみれになった拳に手を添えながら苦悶の表情で悶えていました。 桃花さんがギューッと下唇を噛んで睨みながら顔を上げた刹那……。 突き蹴り、突き蹴り突き蹴り突き蹴りーっ! 超神速のスピードで撃ち込まれます。 「ぐぼおぉぉっ……!」 桃花さんは、たまらずドバァッー! 口から血を噴き出しながら吹き飛び、床にダーンッと叩きつけられゴロゴローッと転がりました。 この時すでに虫の息だった桃花さんですが、執念でしょうか、グググッと膝に手を当てて起き上がってきます。 「ちっ……、ちっく……しょ……おっ……」 キッ! 口から血を垂れ流し、鬼の形相で春花さんを睨みつけています。 「フッ、凄い執念だな……。それだけは認めてやるよ……」 春花さんは哀れな者を見る目でそっと呟きました。その時、子供の時からのことが走馬灯のように思い出され情けを掛けそうになりました……。 「おっと、情けは無用……だな。…………フッ、この強欲の塊がぁっ! 地獄で金勘定でもしなっ!」 ズバッ! その思い出を振り払うかのように叫ぶと蹴りを閃光一閃、首に撃ち込みました。 「ぴぎゃっ!」 グキッ! 骨の折れる音と共に、悲鳴とも何とも言えない言葉を発して桃花さんはバタンと倒れ動かなくなりました。 倒れた桃花さんをチラッと見て、目にうっすらと涙を浮かべる春花さん。思いを断ち切って紅龍さんに近づいていきます。 「念仏は唱え終わったかい? 地獄でボスと桃花が待っているよ……」 春花さんは目から涙を流しながら静かに問いかけました。 スボッ! フラフラと立ち上がった紅龍さんの腹に突きを撃ち込みます。 「ぐほぉっ……」 みぞおちに撃ち込まれたため、紅龍さんは背中を丸め、呼吸困難となり口から血を出しながら声も出せずに苦悶の表情で悶えています。 「さあ……、トドメだよ……」 春花さんは涙を拭い、グッと腰を下ろして蹴りを撃ち込む準備をしました。 えっ、春花さんっ? 待ちねぇっ、待ちねぇっ、ちょいと、待ちねぇっ! 「お待ちになって、春花さんっ! 良いんですのっ?」 わたくしは思わず叫びます……。 「良いも悪いも…………。別に…………」 わたくしの問いかけに戸惑いながら春花さんは、口ごもってしまいました。涙は流れ続けています。 「ですが、春花さん…………、紅龍さんは…………」 言いかけましたがわたくしも途中で口をつぐんでしまいました。春花さんはフッと鼻でお笑いになって……。 「鈴音…………、アンタ気づいていたのかい? あたしの気持ち…………」 「それは、わたくしも女ですから…………。だからこそ、昨日ここぞの時に一瞬ためらわれたのでしょう…………? 昨日は、その気持ちがわたくしとの憑依の障害となりチェンジが解けてしまったんですわ…………きっと…………」 「ああ、アンタの言う通りだ。…………でも、大丈夫だよ、心配しなくて…………。今はこいつが生きていることの方があたしにはつらい現実なんだからさ…………」 「…………分かりましたわ…………春花さんのお気持ち。それでは…………」 これ以上はわたくしが口を出すことではございませんものね……。でも、なんともやるせないですね…………。 「ありがとう…………鈴音…………」 呟くと再び涙を拭い、一気に力を込め直し蹴りを撃ち込もうとする春花さん。その時ですっ! 「うおおぉぉっ!」 瀕死の重傷だった紅龍さんは最後の力を振り絞り、積んであった荷物を破れかぶれでどんどん投げつけてきました。 「ちっ、往生際が悪いねぇっ!」 ズバッ、ズバッ! 春花さんは飛んでくる袋を蹴りで軽く蹴散らします。 袋の中身はバーッと辺りに散らばり、コーヒー豆やトウモロコシが飛び出てきました。春花さんの蹴りの威力が凄まじいため、コーヒー豆やトウモロコシは割れ、中に隠されていた麻薬の粉も飛び散っています。そのため春花さん達の周りには白い粉末がモクモクと立ち込めていました。 「タダでは死なねえぞ…………。春花…………今度こそ地獄に叩き落してやる」 紅龍さんはニヤッと笑いポケットからライターを取り出します……。 「しまったっ! 粉塵爆発かっ…………!」 ダーッ! その刹那、春花さんは叫ぶなり急いで駆け出します。 「へっ、今度こそ地獄に落ちやがれ……」 紅龍さんは、そう呟いてボッとライターの火をつけます。 ドッカ―ンッ! 火は瞬く間に舞っている粉に引火して大爆発が起きました。 「えっ、なっ、なにっ? はっ、春花さんっ…………!」 わたくしは何が起こったのか分からず驚いて尋ねます。さすがの超神速でも瞬時に迫りくる爆風には巻き込まれようとしていました。 「鈴音…………色々とありがとうな。今分かったよ……。何で三ヶ月前にあたしがアンタに憑依したのかが……。あたしはきっと光ってやつに憧れていたんだろうね。だから、あの時アンタに惹かれたんだってね。鈴音……ずっと闇の中でもがいていた、あたしに光をくれてありがとう。アンタこそあたしの希望の光だよ。本当の強さと優しさを持っている…………希望の光だよ。たった三ヶ月だったけどアンタと一緒に居られて沢山救われたよ………………、ありがとう。あのボンクラ二人にもよろしく伝えてくれ。…………フッ、できれば……生きているうちに会いたかったな…………、じゃあな…………」 春花さんは爆風が迫る中、超神速で走りながら突然そう告げてきます…………。 「えっ、突然、そんな…………、はっ、春花さーんっ…………!」 わたくしは隣を見てそう叫ぶのが精一杯でした。わたくし達の背中には真っ白な爆風が迫ってきていました。 言い終わると、ニコッと微笑んで、いきなり春花さんはわたくしとの憑依を解き、わたくしの体から離れました。 「ぐうおおぉぉーっ!」 バンッ! 離れ際に、気合を入れて叫びながらわたくしの体を大道寺さん達の方へと突き飛ばします。 「きゃああぁぁっ!」 わたくしは何が起こっているのか分からず叫ぶことしかできませんでした。春花さんはどんどん遠ざかって行ってしまいます。 魂だけのはずの春花さんの思いが通じたのでしょうか、この土壇場でまたも奇跡が起きました。なんと、魂だけのはずの春花さんが、生きている生身のわたくしに触れることができたのです。さらにまたまた奇跡が……。 「おいっ、二人共ぉっ! 鈴音を庇って伏せろぉーっ!」 わたくしにしか聞こえないはずの春花さんの声が大道寺さん達にも聞こえたのです。 当然爆風は大道寺さん達にも迫っています。 わたくしを突き飛ばした春花さんは急いで振り向くと……。 (奇跡よっ! 四度起こってくれーっ!) バッ! 祈りながら迫りくる爆風に向かって両手を広げ仁王立ちし、少しでもわたくし達への爆風の到達を防ごうとしてくれました。 春花さんの思いが通じたのでしょうね……、ほんの一瞬……爆風の到達は遅くなりました。 「なっ、なんだっ?」 その隙に大道寺さんは、いきなり聞こえた声に訳も分からずつられるまま、爆風が迫る中で突き飛ばされてきたわたくしをバッと抱きかかえて伏せることができました。 ブワァァァーッ! 伏せた途端、体の上を触れたら大やけどをするくらいの熱風が通り抜けて行きます。 これは、紅龍さんがライターに火をつけてから、わずか一秒にも満たない間の出来事でした……。 しばらくして爆風が収まったところで大道寺さんと松岡さんは起き上がりました。大道寺さんは腕の中で目を瞑ったままのわたくしを揺すり叫びます。 「おっ、おいっ、鈴音っ!? しっかりしろっ! 返事をしてくれっ!」 「あっ、だ、大道寺さん……。ご無事でしたか……良かったぁ……」 わたくしは、ソーッと目を開き、そう言っただけでフッと気を失ったかのように脱力してしまいました。 「鈴音ちゃんっ! 大丈夫かっ?」 松岡さんも急いで近寄り声をかけてくれます。わたくしはコクンと頷くと、スーッと寝息を立てて眠ってしまいました。 「ごくろうさん。いつも以上に疲れただろう……? さあ、帰ろう……」 大道寺さんはそう言うとお姫様抱っこをしてくれました。きゃっ、恥ずかしいっ! 改めて倉庫内を見ると、奥では紅龍さんと桃花さん、手前では揚さんの死体が、それぞれ転がっていました。荷物から飛び出た品物や麻薬も散乱しています。大道寺さんは扉に向かいながら松岡さんに微笑んで言いました。 「松岡、ここから先は頼んだぞ」 「ああ、任せてくれ。上手くやるさ……。とりあえず、鈴音ちゃんをおやっさん紹介の医者の所に連れて行こう」 「ああ、そうだな」 松岡さんは、ギィーッと扉を開けながら先に外に出ます。道中の車内では、わたくしは熟睡したままでした……。 ふう…………。一時は、どうなることかと思いましたが万事上手くいきましたね…………良かったですわ…………ふあーあ、おやすみなさーい。 018 ようこそっ、『小料理 けんちん』へ 五日後の金曜日、大道寺さんと松岡さんは『小料理 けんちん』に向かっていました。引き戸をガラガラッと開けますと、エプロン姿のキュートなわたくしが元気よくスマイルでお迎えします。 「いらっしゃいませっ!」 大道寺さん達もニコッとスマイルで応え、いつも通りカウンター席に座ります。 「とりあえず、最初はビールでよろしいですか?」 「ああ、とりあえず一本頼む」 わたくしはお箸とおしぼりを置きながら確認します。 冷蔵庫からビールを取り出し栓を開けて、グラス二つとお通しと一緒に持っていきました。 「お料理は何になさいますか? 今日はマグロのお刺身がオススメですわ」 「じゃあ、それと……、串焼きを……そうだな十本適当にもらおうかな。大道寺は?」 「ああ……あと、けんちん汁。とりあえず、それでいいや」 いつも通り肉料理中心に注文されます。 「かしこまりましたっ!」 わたくしはニコッと微笑んで、カウンターの向こうのお母様に向かって、いつものように大声で叫びます。 「カウンター二名様、いつも通り適当でっ!」 「はーい!」 元気よくスマイルで返事をするお母様。 「なんだよ……結局、いつも通りかよ……、鈴音にしちゃ珍しくオーダーなんて聞くから、アレって思ったけど……」 大道寺さんはズッコケた後で笑いながら言いました。 「ぼやくな、ぼやくな、これぞ『小料理 けんちん』さ」 松岡さんは笑いながら、ビールを大道寺さんのグラスに注いでいます。わたくしはペロッと舌を出して、その光景を見ていました。 しばらくすると、お料理が出来上がりお持ちします。何だかんだ言って、マグロの刺身、串焼き十本、けんちん汁が並びました。加えて、里芋の煮っころがしとトマトと大根のサラダが並べられます。 「お二人共、お母様のご配慮です。野菜もバランス良くお摂り下さい」 お二人は微笑みながら頷いています。ここで、わたくしはいつも通りおねだり鈴音ちゃんを発動させました。 「あのう……、わたくしもマグロのお刺身いただいてよろしいでしょうか?」 「ああ、いつも通りつけときな」 大道寺さんは笑顔で応え冷酒をオーダーされました。 「ありがとうございます。銘柄は何になさいますか?」 「鈴音ちゃんにまかせるよ」 松岡さんはいつも通りと言った様子でおまかせになります。大道寺さんも頷いています。 「はいっ、かしこまりました」 頭を下げた後、カウンター内の冷蔵庫へ取りに行きました。 「鈴音、先に食べちゃって」 まかないの料理を用意しながらお母様が言います。わたくしは、すかさずペロッと舌を出して……。 「はい、お母様。あっ、あと、マグロのお刺身も追加してくださいな」 「相変わらず、おねだり上手なことで……。すみませんっ! いつも、いつもっ!」 お母様はわたくしに耳打ちをした後で、大きな声で大道寺さん達にお礼を言いました。大道寺さん達は軽く手を上げて答えています。 わたくしはまかないの食事を持って自宅の台所に向かいました。 「いただきます」 頭を下げてマグロのお刺身を一口食べます。 「春花さん……、やっぱり、念願を果たされたのですから当然ですわよね……」 お刺身を食べながら、ふとボソッと呟いて、昨日抜糸したばかりの足を触ってみます。しばらくジーッと一点を見つめて考え込んでいましたが、ニコッと笑い気を取り直して食事を続けます。 「おっ、今日は刺身か? 相変わらず良いもの食ってんなぁ」 寂しい気持ちで食事をしているわたくしの耳に突然、春花さんの声が聞こえたのです。 「えっ!? えっ!? 春花さんっ?」 わたくしは驚いて、キョロキョロしながら尋ねます。 「ハハハッ! 見えないのに話せるのなんてあたし以外にいるのかい?」 笑いながら平然と言う春花さん。まったく、この人はっ、笑って言うことじゃないでしょっ! まったくっ 人の気も知らないでっ! 「えっ!? でも…………、成仏されたのじゃ…………」 「はあ? おいおい、勝手に厄介払いするなよっ!」 「えっ? だって……念願を果たされたのだから…………」 「まあな……、あたしもそう思って、あの時お別れの挨拶をしたのだけどさ……。よっぽど閻魔に嫌われているみたいで、まだ、こっちにいるんだよ」 「へぇ……? 閻魔大王様にも好き嫌いなんておありなんですわねぇ……。あっ! それでしたら、何でもっと早く声を掛けて下さらなかったのですかっ?」 「えっ? だって、あんな挨拶したのにすぐじゃ格好悪いじゃんかよっ……だからさ…………」 「もうっ! 心配していたのですから……、無事なら無事って仰って下さいなっ! 成仏されてしまったのじゃ仕方がありませんが……」 「分かった、分かった、悪かったよっ! ……まあ、そういうことだから……」 「じゃあっ、まだこちらにいられるのですねっ! またチェンジしてご一緒できるのですねっ! 嬉しいですわぁっ!」 元気百倍っ、いやっ、千倍っ! なんか、あのままじゃ、寂しかったので、わたくしは両手を広げ飛び上がって喜びを爆発させます。 「ああ……これからもヨロシクな」 春花さんは喜びを隠すためにわざと冷静を装っていました。 もうっ、春花さんたらっ! シャイなんだからっ! まっ、そういうところが可愛いんですけどね……。 (おいおい……、お前はあたしのお姉さんか……) 「こちらこそよろしくお願いいたしますわっ! やったぁ!」 わたくしは嬉しくて、何度も何度も頭を下げながら大声で喜んでいます。 「一人で何騒いでいるのかしら? 何か面白いテレビでもやっているのかしら? わが娘ながら、本当に不思議ちゃんなんだから……」 お店のカウンターにいたお母様は、その声を聞いて不思議に思い、奥の方に目をやりながら首をかしげていました。 数日後、わたくしと大道寺さんは、ヤクザさんが取引をしている倉庫の外にいます。 「それではっ、行ってまいりますっ!」 「ああ、気をつけてな……って言う必要もないか……」 「ええ、無敵女子ですから」 わたくしはスマイルでいつも通り敬礼をし、倉庫の中へ入って行きます。 「無敵女子……か。ははっ、泣く子も黙る最強コンビだよ、お前さん達は……」 大道寺さんはその後ろ姿に向かって半ば呆れながら呟いています。 倉庫の中に入ったわたくしは、ヘアバンドで髪をまとめ、軽くストレッチをしました。 「さあっ、参りますわよっ、春花さんっ!」 「おうっ! いつでもいいよっ!」 「ああっ、そうですわっ! まだ、天然なすびのこと聞いていませんでしたわっ!」 「……って、このタイミングで言うことかよっ!」 「だって、大事なことですものっ! ……で、何ですの、天然なすびって?」 「今じゃなくて、あとで教えるよっ!」 「本当ですのっ!? 絶対ですよっ?」 「ああ……、約束するよ。じゃあ、改めて……、行くぞっ、鈴音っ!」 春花さんはそう叫ぶと、ヤクザさん達に突進していくわたくしに憑依します。 ……数分後、ヘアバンドを取って髪の毛の香りを感じ、何事もなかったかのように立ち去るわたくしの後ろには……。 ピクリとも動かないヤクザさん達の山が築かれていました。皆さん、仲良く床とキスをしています……ウフフッ。 これで、また、世の中の何人かの方は救われましたわ……。良いことをした後は気分がいいですわね。倉庫の外に出て、グーッと伸びをして空を眺めます。明日もいいお天気になるといいなぁ……。 「さっ、帰るとするか…………」 「ええ…………」 わたくしが頷きますと、春花さんはそっとわたくしから離れます。わたくしが大道寺さんの待つ車に乗りますと、車は静かに走り出します。しばらくして、わたくしはいつも通り寝息を立て始めました。 |
きゃつきゃつお 2021年12月12日(日)17時11分 公開 ■この作品の著作権はきゃつきゃつおさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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2021年12月19日(日)16時18分 | きゃつきゃつお | 作者レス | ||||
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十二田明日様 拙作をお読みいただきありがとうございます。 分かりやすいご意見もいただき助かります。 さっそく修正して、少しでも読みやすくできればと考えております。 十二田明日様の「流血御伽伝グリム 赤ずきんと魔術の騎士」も拝読させていただきたいと思います。 きゃつきゃつお |
2021年12月19日(日)11時33分 | きゃつきゃつお | 作者レス | ||||
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でんでんむし様 拙作をお読みいただきありがとうございます。 細かく分かりやすいご意見もいただきありがとうございます。 自分なりに解釈して修正の際の参考にさせていただきたいと思います。 経験されている方からのご意見はとても貴重で助かります。 でんでんむし様の次回作も楽しみにしております。 きゃつきゃつお |
2021年12月18日(土)14時01分 | きゃつきゃつお | 作者レス | ||||
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大野様 拙作をお読みいただきありがとうございました。 細かく的確なご意見をいただき感謝いたします。非常に勉強になりました。 さっそく参考にさせていただき修正作業に入りたいと思います。 きゃつきゃつお |
2021年12月16日(木)18時10分 | 十二田明日 | +10点 | ||||
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どうも十二田明日です。 きゃつきゃつお様の『あ〜あ、ただの女子高生だったのにぃ……』を拝読させていただきました。 全体的にかなり個性的な文体だというのが、率直な感想です。 ……ただ申し上げにくいのですが、非常に読みづらかったですね。これは文体もさることながら、文章のほとんどが『語り手の主観と内面の描写』に偏っており、『情景描写』が極端に少ないからかと思われます。 一例として、具体的には物語序盤から 『わたくしは学校から帰ると、いつも通り玄関からではなく店から入りました。六月のジトーッという不快な蒸し暑さを感じながら、店の入り口の引き戸を勢いよくガラガラッと開けます。』 という文が出てきますが、これらには『店が何屋なのか』『どのくらいの規模の店なのか』という情報が一切入っていません。 となると読み手はキャラたちが何かをしている時の背景を、どう想像したら良いのか分からなくなります。 でんでんむし様も指摘されていますが、読者にとって負担の大きい作品とはこの事で、いわゆる『5W1H(いつ、どこで、誰が、何を、どんな風に)が分かりづらい』んですね。 きゃつきゃつお様は、まずそのあたりを意識して直された方が良いと思われます。 逆に言うと、その辺りをキチンと直して、読者に状況が伝わりやすくなれば、これほど強烈な個性を持った文章は中々ないので、他にはない強みになると思いますね。 キャラや作風もかなり尖っていたので、ハマった時の面白さや伸びしろは十分あるかと。 十二田から言えることはこのくらいでしょうか。 これからも頑張ってください。応援しております。 それではm(_ _)m
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2021年12月15日(水)14時32分 | でんでんむし | +20点 | ||||
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きゃつきゃつお様 この前は感想ありがとうございます!最後まで読ませていただきました 独学で書いているとおっしゃっていた通り、型破りで個性的、そして凄く挑戦的な文体の作品でした。 ストーリー自体は超人的な力に目覚めた女子高生が潜入捜査をしたりマフィアと戦うという内容で分かりやすく王道であったと思います。チェンジの謎の説明もあったし、後半は主人公と同レベルの敵も現れて盛り上がる展開となっていました。 コメディな味付けが強く、キャラクターは個性的で活き活きと描けていたと思いますし、コメディ好きな自分好みの作品でしたね。 主人公の鈴音と春花、警察の大道寺さんに松岡さん。医者の薮井さん。敵キャラである紅龍と桃花もしっかりと頭に残っており、書き分けは上手くできていたと思います。 ただ、欲を言うならシナリオにしてもキャラクターにしても後一歩だけ強烈な何かが欲しかった感はあるかもしれません。『頭に残る』だけでなく『心に残る』キャラやシナリオ展開があれば更に評価は高かったです。 気になった点ですが……個性的な文体の為、それが大きく悪目立ちする危険性が極めて高いと感じました。 今回は主人公の一人称が神視点となっているかなり高度なテクニックを使った文体でしたがこれは挑戦的な反面、かなり混乱する危険性もあるかもしれません。例えばチェンジした時に主人公の意識が残っているのかが分かりづらかったり、他にも紅龍と桃花の二人だけの会話なのに語り手が主人公なのでその場に主人公がいるような錯覚に陥ってしまう等、混乱する要素は多い印象です。 と、ここまで言ったものの、実際は読んでいて視点についてはそこまで混乱しなかったです。また、癖の無い春花視点の話はいきなり視点変更したにも関わらずめちゃくちゃ読みやすかったので、実際は文章を伝える力はかなり高いと思いました。そう思えばこの特殊な文体も個性を出すための挑戦だと言われても納得できるかもしれません。むしろこの癖のある文体でよく最後まで書ききったかと。 もう一つは『バーン』や『ダーン』等の擬音を使った表現方法。これも個人的に爆弾のような危険物というか、取り扱いの難しい表現方法だと思います。読者の中ではこういった表現方法を嫌う人は多く、これだけで技量が低いと判断されて足切りを食らう危険性も高いです。それで切られたらもったいないのでよく工夫して使った方がいいかもしれません。 もちろん、うまく使えば分かりやすく臨場感が伝えられる表現でもあります。また、コメディ色の強い今作では個性の一環として一概に無しとも言えないでしょう。やや特殊な使い方でありますがコメディの作風を伝える手段として、むしろこちらから読者をふるいにかける使い方もできます。 ただ、実際に読んでみるとかなり疲労感が大きかったです。今作は作者が思う以上に読者にとっての負担が大きい作品かもしれません。 自分はこの手の表現にあまり詳しくは無いのですが、恐らく地の文章と擬音が混ぜ合うことによって脳が混乱して、かなりのテンポダウンに繋がって、結果的に読みにくいという印象になるのだろうと思われます。少しくらいなら大丈夫なのですが、多用されると結構きついかも。多用することでインパクトも落ちる危険性もありますし、個人的には個性は落ちてしまいうのですが擬音はここぞという場面で使って、普段は抑えておいた方が有効なのでは? というのが正直な感想です。もしくは地の分と擬音を離して使う等、やはり工夫が必要な表現方法だと思います。 とはいえ、完成度や技量を競うコンテストでもない限りあまりこういった部分だけをしつこく指摘するのも却って視野を狭めてしまう原因となるかもしれませんね。一つこの作品を読んで思い出したのが『ボボボーボ・ボーボボ』という少年漫画です。整合性など全くない漫画ですがアニメ化までされた人気作品でもあります。上手に書く事も大事かもしれませんが、面白いかどうかが最重要だと思います。そういった意味では今作はボーボボほど振り切っているとも言えなく、安定性を重視するかさらに振り切った方向に攻めるのか、その辺りが悩みどころかもしれません。この部分は作者の得意分野に合わせて調整されるのが良いと思います。是非、作者様の得意なスタイルを発見なさってください。 それでは失礼します。小説の面白さについて色々と考察できる面白い作品でした。これからも頑張ってくださいね。
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2021年12月15日(水)02時35分 | 大野知人 dEgiDFDIOI | 0点 | ||||
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うーんと。読ませていただきました。 で、最初に書いて置くんですが。 俺、割と容赦なく叩く方です。独学・初心者ということなのですが、ハッキリ言うと基礎的な問題を感じる部分がいくつかありましたので、かなり厳しめに問題点を指摘します。 とはいえ、俺もプロではないので『あ、コイツ参考にならねぇな』と思ったら、無視していただいて構いません。 さて、前書きを見て何となくお察しかも知れませんが。 総評として言うと『面白いか面白くないか以前に、文章が読みくくて内容が頭に入ってこなかった』です。 まず、文章全体に感じる問題点がこれら。 ?擬音が多い ?クエスチョンマーク・エクスクラメーションマークが多い ?三点リーダも多い ?文尾に小さい『つ』が多い ?鈴音のモノローグがハッキリ言って邪魔。 の五点です。 ここら辺、俺も細かく指摘しますが、多分『小説ちゃんと読んでそれを真似してみろ』って言った方が早いです。ラノベでも純文学でも良いですが、『普通の小説ではこんなに使わねぇぞ』ってくらい、各種マークと三点リーダ、小さい『つ』や擬音が多いです。 上四つに関しては本質的に同じ問題なのでまとめて言うんですが、強いて一言にまとめると『文章がうるさい』もしくは『文章に落ち着きがない』と言った所でしょうか。 恐らく、作者さんは小説よりも漫画を読むことが多いんじゃないですか? 特に、??の『!』『?』マークと小さい『つ』に関しては、『勢いやイントネーションを表現する文字』という側面があるため、多くなってくると『常に勢いがある状態』に見えてしまい、非常に読みづらいです。 漫画とかであれば別ですが、小説でこれをやるのはまあNGです。 っていうか、この状態で商品として売ってたら冒頭5ページで本を閉じてブックオフに持って行きます。 擬音の多さと三点リーダの多さもそう。 擬音が多すぎて、一周回って事態が見えにくいです。より正確に言えば、『音』よりももっと他に欲しい情報があるので、擬音を使うより前に、もう少し細かく状況描写などを入れてほしいし、逆に描写を入れすぎるとストーリーの勢いが失われるので、結果として『擬音はそんなにたくさん要らない』と言う所でしょうか。 三点リーダ、良いですよねぇ。 行間を表すのに便利でしょう。 でも逆に言えば、三点リーダ使わなくても行間を使えばいいんです。 三点リーダを入力するだけでもかなり尺を圧迫しますし、書いてあるだけで時間経過が曖昧になってしまうので、作中での時間の流れが掴みにくくなってしまいます。 最後、鈴音のモノローグについてですが。 恐らく、『俺、やっちゃいました?』系列のネタのようにして、モノローグでオトボケやギャグを挟んで空気感を緩めようと思ったんじゃないですか? でも現状、まず第一に『鈴音の一人よがりすぎる』ため、モノローグそのものが特に面白くないです。例えるなら、クラスで一人だけ浮いちゃってる中二病の子みたいな感じ。中二仲間が一人でも居れば、まあそれでもいいんだけど、見てて気まずいあの感じ。 あと、元々の『俺、やっちゃいました』ネタにも言える事なんですが、あくまで『シリアス展開の中で、主人公一人だけ妙に空気が緩い』からネタとして受けるのであって、『シリアス展開』であることが読者に分かり難いと、ただの間抜けなキャラクターになってしまいます。 で、このネタを過剰に突っ込みすぎると、他の描写・台詞なんかの尺を奪ってしまうので、結果として『シリアス』の描写をシッカリとやることが出来ず、読者にとってはどこが面白いのかピンボケしたように見える訳です。 まあ、ここまで言った事をザックリまとめると。『書き方が漫画的過ぎて、小説としてはとても読みにくい』ということです。 005の終わりほどまで読みましたが、ハッキリ言うと面白くなかったです。 上述の問題があって、『読みにくかった』と言うのも大きな理由なのですが、もう一つかなりでかい問題を感じました。 何かというと、『アクションシーン以外のシーンがかなり説明に費やされている』と言う部分です。 まず、第一段階としてさっき書いた通り、『擬音やマークの多さによって、展開・状況がイマイチ見え辛い』『鈴音のモノローグが存在するため、シーンの雰囲気が分かりづらい』の二点が有ります。 その結果としてですが、『今何をしているか』『これから何が起こるか』と言う話が、アクションシーン以外で描かれることになってしまっており、結果として説明や設定を読まされているように感じる部分も多かったです。 また、鈴音以外の感情が見えてこないのも問題として大きいですね。 鈴音が視点人物なのは良いんですが、彼女の、思っていることで表現の大半が締められており、他キャラの表情や喋る時の声の感じなどの描写が全体通してかなり薄いです。 キャラクターの感情と言うのは、読者が物語にのめり込む過程においてとても重要な物です。 特に、暴走・妄想気味な部分の多い子(に見える)なので、鈴音自身のみの感情を描写されても、勢いが激しすぎてついて行けないのが現状です。 次に、アクションシーンの問題点です。 まず、アクションそのものの描写が過剰です。特に傾向として、一つの動きに注目して細かく描く傾向が有ります。 で、『細かい描写』と言うと一見、良い評価に見えるかもしれませんが……。 基本的に、小説というのは読者がシーンに没入して読むことが目的にあります。 そのため、『何が起こっているのか』を俯瞰的・総合的に理解できない文章であると、読者が理解するのに時間が掛かってしまい、興が削がれる結果となるでしょう。 また、擬音が多いことによる緊張感の薄さも、アクションの分かり難さに一役買っています。 漫画であれば事態は別なのですが、小説と言うのはもう少し硬派に、と言うより『静か』な表現が求められます。 例えば、 『ドバァーッ! ドサッ! ヤクザさん達が血を噴き出し倒れる音のみ。』 と言う描写が有りますが。 コレ、擬音が邪魔なの、分かりますか? ヤクザが攻撃を受け、倒れる。と言うシーンであり、『倒れる音のみ』と言う描写からも、演出的に静けさが求められる訳です。 後ろを集団下校の小学生が駆け抜けてっちゃったりしたら、ダメな訳です。 ラノベ読者の大半は、漫画を読んだことがあるか、アニメを見た事があるでしょう。 大体の奴は、倒れる時の擬音が『ドサッ』とか『パタッ』であることは知っています。 ならば。 ただ、『書かない』 だけでよいのです。 だってそっちの方が静かだもん。 もう一個。ちょっと遠回りな話をします。 人間って言うのは、知っての通りサルから進化した動物です。 大本はサルだったので、今はどうであれ、『言語』の大元は『鳴き声』です。 たとえ文章の形で言葉を伝えようと思っても、人間にとってのソレは本質的には『鳴き声』であり『音』です。 そのため、古来より『語呂』とか『言葉の音感』なんてものを人類は重視してきましたし、和歌などで『5・7・5』なんかのリズムを取るのにも、一つはそういった事情が有ります。 さて、『言葉』や『文章』が『音』である以上、人間はどうしたって『音の表現・描写』という物を気にせざるを得ません。 『低い声で注意される』と言えば、相手が怒っているであろうことはまず間違いないでしょう。 逆に言えば、『バーンバーン! 銃を撃ちました』としなくとも、『銃を撃ちました』だけでいい、ということなのです。 と言うか、大体の人は『銃を撃ちました』の段階で脳裏で音のイメージをするので、『バーンバーン』が付いてしまうと、音が二重に聞こえるような、或いは子供がふざけて『バンバン』と言って遊んでいるのを聞いているような印象を受けるでしょう。 勿論、!・?マークや、小さい『つ』も同じ。『疑問に思い、口にした』とか書けば、『?』と付けずとも、語尾が上がっている事は伝わります。 『叫んだ』と書けば、『!』や『っ』は要りません。 次に、構成の問題です。 小説、と言うのは漫画やアニメと比較しても、『キャラクターが考えている事』や『キャラの感情』に比重を置いたエンタメです。 『アクションがやりたいなら漫画でやれ!』と言うつもりはありませんが、アクションをメインに据えたとしても、もっとキャラクターの思考・感情・関係性の変化などを書き出すべきです。 現状では、かなり不足しているように感じました。 また、『別人格に則られた状態』の鈴音のメインの意識が、アクションシーンで暢気すぎるのも問題に感じます。 シリアスさが浮かばない、と言う前述の指摘もそうなんですが、作品全体を通して鈴音は『テレビの前の視聴者』的と言うべき、自分の戦いに対する無関心さと言うか、警戒心の薄さを露呈しているように見えました。 また、『自分が得体のしれない何者かに浸食・乗っ取られている』事への恐怖の描写もほぼ皆無であり、見ていてつまらなかったです。 『そういうキャラクターだ』と仰るなら、大道寺を始めとした他キャラが、早い段階で外側からツッコミを入れるべきだと思います。 取り合えず、気になった部分の半分ほどを指摘させていただきました。 細かく言いだすと、設定面に矛盾を感じる部分や、誤字・『読みにくい文章』などは合ったのですが、それ以前に問題だと感じる部分があったため、端折りました。 評価に関してですが、『評価できる段階にない』と感じるのでマイナスではなく0点とさせていただきます。 今後のご健闘に期待します。
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合計 | 4人 | 40点 |
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