魔術探偵は嘘つきだ!(改稿版・旧:オカルト探偵、今日も騙る) |
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第一話 虹色の魔法陣/魔術師探偵 【瓜坂誠司】 それは九月の初め。防災の日が終わってもうすぐ三丁目の神社で秋祭りだなんだと、町内会長が騒ぎ始めた頃。和菓子屋の搬入を手伝わされてヘトヘトになって帰ってきた俺に、電話が掛かって来た。 「ほい。こちら瓜坂(うりさか)探偵事務所」 「よぉ、親友! 私だよ私、君の言う所の(so called)ヤマモトだ!」 「英語の使い方が微妙に違(ちげ)ぇ! ……じゃなかった、蝉の声がうるさくて良く聞こえません。多分間違い電話だと思うんで、もう一度電話番号を確認してください」 やや棒読みになりつつも、完璧な間違い電話対応をする俺。 「(うん、流すのは無理か。つか、どーせ面倒ごとを押し付けられるし……)」 「相変わらずつれないなぁ、君は……。ともあれ、瓜坂……いやさ、セイジ!」 「どうでもいいが、さっきから混ざる妙な外国かぶれは何なんだ。また海外出張か?」 ヤマモトは俺の親友……を自称する、高校時代の同級生であり、ちょっとした仕事の関係者。つまりは赤の他人だ。ちなみに彼はチンケな探偵である俺と違い、海外にも展開するそこそこ大規模な事業主である。 嫌な予感しかしないけど、取り敢えず冷蔵庫から麦茶を取り出す。長期戦を覚悟した俺は電話をスピーカーモードに切り替えた。 「イエース! 今、イギリスに居るんだ。ところで、私の娘は元気にやっているかい?」 発された問いに、事務所の奥で少し気恥しそう笑っている少女へ目を向ける。そんなに俺の嫌がる表情が面白かったか。黒い二つ結びに化粧っ気のない愛嬌のある顔。真面目そうな彼女の名前は矢加部月菜。今年で高校二年生になる居候兼バイトである。 ヤマモトと養子縁組をした今でも、『矢加部』と呼ばれたがるのは、本人の中でまだ折り合いがついていないからだそうだ。仲は悪くないと聞いているが。 「娘と言ったって、養女だろう? まあでも、元気にやってるよ」 「知ってるとも! 今朝がたも近況報告がてら、少し電話したからね!」 「ならなぜ俺に質問した? ……ハァ、お前と話してると頭が痛くなる。大体、二十も半ばで養子を貰うってのがどうなのさ……」 「気にするな。先生の子供(・・・・・)だからって君が引き受けてくれたんじゃないか、喜んで」 そんなことを言われてはメンツに関わる。俺は慌てて否定した。 「全くそんなことはなかったからな! もしかして、もう一人居候を増やそうって話じゃないだろうな?」 探るように用件を急かせば、ノンノンと返事が返ってきた。 「おい、それはフランス語だぞ。英語じゃねぇ」 「こりゃ失敬。でね、用件なんだけどさ。こっちでできた魔術師の知り合いにお願いされてしまってね……。だから今回の仕事は『魔術探偵』としての仕事だよ? お金が入るんだから、喜びたまえ」 「魔術探偵、ねぇ。俺としてはそんな名前を流行らせること自体、出来れば勘弁してほしいんだが……」 余り知られてはいないがこの世界には魔力という物が存在する。それによっておこる現象を魔術と言ったり、魔法、妖怪、神なんて言うが、ざっくりまとめてオカルトと呼ぶ。 ヤのつく自由業やマのつく犯罪組織の如く、ある程度の口封じが行われているからこそ知られていないだけで、彼らは人間社会に深くかかわって生きていた。 「で、相手さんの名前は?」 「先方のお願いでね、折角なら自分で挨拶したいとの事だから。私からは何とも」 「お前が仲介している時点で、厄介事の予感しかしねぇんだが……」 「HAHAHA! 君はいつもそう言いながら面倒ごとに首を突っ込んでいくからね、一周回って伝統芸を見ている気分だよ。まあ多分だけど、今日明日あたりに依頼人が行くと思うから、ヨロシク!」 「しかも直前連絡かよ! 今日俺が出払ってたらどうするつもりだったんだ!?」 「そんなはずはない、万年金欠・仕事不足の君だろう? どうせ商店街の手伝いくらいしか、することはなかっただろうに……」 ぐぬぬ。正確な分析だけに腹が立つ。 「祝福されざる妖精(アンシーリー・コート)か死霊達の狩り(ワイルドハント)にでも襲われろ!」 「殺意高いなぁ、全く……。私相手にいいチョイスしてるよ。全く。まあいい。それじゃあね(Good bye)!」 ガチャリ。 通話と一緒に人の縁も切れないかと、心の底から願った。 とはいえ、これくらいで切れる様なのを、人は腐れ縁とは呼ばない。 やれやれ、と思いつつ。とりあえず飲みかけの麦茶を飲み干した。 お茶請けに梅干しの蜂蜜漬けを一つ、口に放って冷たい麦茶でコロコロ味わう。それから一息ついて、口を開いた。 「矢加部ちゃん、ちょっと良い緑茶買ってきて!」 「イギリス人なら、紅茶じゃないんです?」 「生憎と俺、魔術師っていう連中はあんまり好きじゃないんだ」 「瓜坂さんだって、魔術師じゃないですか……。同族嫌悪って奴ですか?」 言われて一瞬、ポカンとする。そういえばこの子には魔術師で通していたか。 「……ん。ああ、まあそんなもんだ。とにかく、買い物頼むぞ」 「はいはーい。紅茶と緑茶、両方買ってきます」 全く。出来た子だ。少々優等生過ぎる(・・・・・・)きらいもあって、良いだけとも言えないけれど。 「晩御飯までには戻りますからね。何か一品作っといてもらえると嬉しいです」 そう言うと矢加部ちゃんは事務所のドアをガチャリと開いた。 ピン、ポーン。と探偵事務所のベルが鳴り響く。それは電話の翌日の事。 「ちょっとごめん、矢加部ちゃんドア開けたげて!」 居候兼バイトの女子高生に声をかけて、ドアを開けてもらう。 パタパタと、スリッパの足音。二つ結びの髪の毛が、彼女の肩上を跳ねた。 「分かりました〜。回覧板ですかね? それとも依頼?」 「事件であってほしくないけど、事件じゃないと今月の家賃が厳しい」 彼女の声を聴きつつ、己の頬を一つ叩いて営業モードに。ヤマモト相手とは違い、丁寧な態度を心がけないとな。 「はい、今開けます。って、どちら様ですか? まさか、本当に事件!?」 矢加部ちゃんの声に驚いて見ると、ドアの向こうに居たのは何とも可愛らしい――透き通るような白い肌の金髪美少女。十代後半と言った所であろうか。 イギリス出身らしく、ハーブ入り小瓶やタータンチェック、ケルトの守り石などを身に着けている。ウェールズ・アイリッシュ・スコティッシュを問わない乱雑なラインナップには、実用一辺倒に偏った『魔術師』らしさも垣間見えた。 「はじめまして」 「おう、よろしくな。お嬢ちゃん」 イギリス風味を匂わせる割に、と言うべきか。よれたTシャツやジーンズなど、どこかアメリカ人っぽさもある。日本人が雑に想像した『外人の子供』って感じの外見の少女だ。 「貴女はウリサカ探偵さんで合ってますか? 今日は依頼があって来たのです……」 キルトをあしらったバッグを握りしめた彼女はスニーカーを脱ぎながら言った。 「(大分流暢な日本語ですが、ハーフの方ですかね?)」 「(いいや、違うと思うよ)」 矢加部ちゃんが手渡した来客用スリッパに自然に履き替えて入ってきた彼女を、応対用のソファに座らせる。同時に、その動きを見て少し気付くことがあった。 「あ、どうぞどうぞ。座ってください。……随分と日本慣れしている様子ですけど、ブリテンから来た魔術師のお嬢さん、本日はどんなご用件で?」 視界の端で事務所の札を『来客中』に変える矢加部ちゃんを見つつ、ちょっといい緑茶と先日和菓子屋でもらった賞味期限ギリギリの茶菓子を出した。 「どうぞ、日本の菓子に日本のお茶ですが、良かったら」 一通りの俺の応対に、彼女はしばし瞬きして。それからニッコリと笑う。 「私、どちらかと言えば日本茶は好きではないなんですけれど」 「それは失礼。それなり程度なものですから」 まあ事実、俺の事務所がある浜岡市は小さな地方都市だし、そこまで有名でもない。 返しの嫌味に動じる事もなく、彼女はやけに細い手で湯呑を持ち上げた。 「ちなみに、私が日本慣れしていると思った理由をお聞きしても?」 「正直、その流暢な喋り口調が何よりの証拠だと思いますが……。自然に靴を脱いでスリッパに履き替えた事が大きかったですね。合ってました?」 「Exactly.その通りでございます、わ」 お国特有の、笑みともつかない茶目っ気を浮かべて彼女は言う。 それこそまさしく、ヤマモトとは比べ物にならない流暢な英語の発音だった。授業でしか聞いたことが無いだろう、ネイティブの発音に矢加部ちゃんが少し感動している。 ルイスが口にした某漫画を真似た台詞に、俺は思わず笑ってしまった。 「ハハハ。これはどうも。『魔術探偵』こと瓜坂誠治と、そっちのは訳あって預かっている居候兼助手の矢加部月菜です。漫画にも造詣が深いというなら、ぜひ語り合いたい所ですが。そろそろ用件を聞きましょうか。既に事件は起きた後なんでしょう?」 「ええ、実は昨日、私の姉であるマリー・スリップジグが死んだとしか思えないような奇妙な失踪をしまして……」 言う口元には微笑すら浮かべて、ロクに悲しむそぶりも見せず。ただ淡々と、事務報告か何かのように彼女は語る。その様に、俺たち二人は怖気を覚えた。 ある意味、ルイスが細身の少女であったことが、一番恐ろしい部分だったかもしれない。 「ま、正直私としてはどうという話でもないのですが。ケジメは必要ですからね。犯人捜しをお願いしたいのです」 その言葉に、思わずといった風に矢加部ちゃんが噛み付いた。 「お姉さん、なんですよね!? どうという事もないって……ッ。そりゃあ、死んだことが実感できないとか、色々あるかも知れませんけど。それでも、その言い方はあんまりじゃないですか!?」 彼女は少し前に肉親を失っている。姉の死という言葉に同情を抱いても居たのだろうか。だからこそ激昂した。だが、これでも客の前。俺は静かに制止する。 「やめたまえ矢加部ちゃん。これは本人の問題だよ。君がどう思おうが、踏み込むべきじゃない。……たとえ、どれだけ腹が立っても」 本心を言えば、俺も気に食わなかった。 魔術師と言う連中はいつもそうだ。目的のためなら他者の――それこそ身内の命ですら大して顧みない。伝承に親和的であり、また感情に重きを置く魔法使いと違い、魔術師にとってのオカルトはただの研究対象である。故に、人道を軽んじることがとても多い。 「ええ、貴方がたの言う『一般人の感性』とやらも理屈では分からないでもないですが……。正直、どうでも良いですわね。他人なんていつ裏切るかわかりませんし」 「だからって、実の姉でしょう!?」 「矢加部ちゃん、ストップだ。ストップ。ルイス嬢も、余り煽らないで下さいよ」 「血がつながって居るだけでそこまで思い入れる方が、私には理解できませんわ。……おっと失礼。話を戻しますが、それはそれとしても裏切り者は罰さねばなりません。でなくては、互いに信用できませんからね」 ああ、これだ。反吐が出る。技術的な物・筋の通った理屈以外を見下すマッドサイエンティスト。神秘を科学するところの彼ら。溜息を一つ挟んで、話を続けた。 「……まあ、そうでしょうね。現場を見る前に、簡単に事情を聴かせてもらっても?」 「別に構いませんわ。けど、言葉だけで信用できるものですかしら」 「しらばっくれても無駄ですよ。【魔術師(オカルト)が嘘を吐けない】のは、俺だって理解しています。こちら側じゃあ、常識じゃないですか」 この世界はクソゲーだなどと言うが、こと戦闘力に関してはかなりまともだ。武器を扱うには制作・維持コストが必要で、大概は諸刃の剣――何らかのリスクを背負っている。 オカルトにおいても同じ。使用するためのコストと呼べるのが魔力や生贄、触媒、場合によっては自身の生命力。そしてリスクに当たるのが、『嘘を吐けないこと』。 「理由と言われるものは、諸説ありますけどね。『自然の理を欺くからこそ、言葉は欺けない』とか、『人の信仰によって魔力が生まれる故に、偽りの言葉は許されない』とか」 色んな言説がある辺りに、学問としての魔術の未熟さを感じるが。ともあれ、ほぼ周知の事実として魔術師やその他の超常存在は嘘を吐けないのだ。 もちろん俺のような一般人、『存在を知ってるだけで何の能力もない者』には関係ない事であるが、口封じされないために魔術師を名乗っている。嘘だけど。 「ちなみに私の一族では、『悪魔が約束を破れず、妖精が質問に答えねばならないのと同じ』と習いましたわ……。まあ、一般人如き簡単に口封じ出来るのですが」 言葉に、視界の隅の矢加部ちゃんがガタガタと震えている。物騒なのには耐性が無いのだ、脅さないでほしい。いやそのつもりはないんだろうけど。 「あんまそういう物騒なの、好きじゃないですよ、俺は」 「あらあら、人死に事に好んで首を突っ込む探偵さんですのに?」 一応反論してみたが、返って来たのはさらにおぞましい反論。話を元に戻す。 「それで、事態を聞きたいのですが」 「ええ、私たち姉妹は元々日本の物に関心がありまして。特に姉は、日式魔術――陰陽道なども研究に取り入れていたので、その関連の調査でこちらに来ておりました」 「なるほど。そういうご趣味でしたか。期間はどれくらい?」 「こちらに来たのは、五日程前ですわ。滞在予定は二月程」 「そして、亡くなったのが昨日。ホテルではなく借家に滞在していらっしゃるのですね」 「まあ実際には死体は見つかっていないので、生きている可能性もありますが……。現場に残っていた血の量からすれば、死んだとみて間違いないでしょう」 「生きているなら、出てこない理由もないでしょうしね?」 問えば、ルイスが頷く。カップが空になったのを見て、矢加部ちゃんがお茶を注いだ。 「あら、ありがとう。それで、借家に術を施して簡易の工房化を済ませた後、姉は何人かの研究者に会いに行く予定でした。私は日本の鉱石やハーブを集めるために別行動を」 俺もお茶を飲み干し……。矢加部ちゃんが注いでくれないので、自分で入れる。 工房、と言うのは魔術師たちにとっての研究室の事だ。同時に、研究を盗まれないための要塞の役割も果たしても居る。他人の工房の中で自由に動くのは、中々難しい。 「その別行動中に、お姉さんが亡くなられたと」 「いえ、事件があったのは借家の中ですの。昨日は私の帰りが遅かったもので」 「工房内で死んだとなると少し厄介ですね。貴女がた姉妹のほかに、借家に居たのは?」 工房を要塞と称すなら、それを破るには相当規模の攻撃を加えることが必要となるし、目立つようなことをすれば公権力や暗部の陰陽師たちが動くはずだ。 「借家に居たかどうかは知りませんが、工房の結界はスリップジグ家の人間以外を弾くように設定しておりました。後は、姉か私の許可した人間であれば、入ることはできるはずです。血族全員が容疑者と言うことになりますわね。日本に来る手段は、まあ何とでも」 「身内の犯行の線も、結構あると思っていいですかね?」 「むしろ、そちらの方が濃厚ですわ……。ついでに邪魔な派閥に睨みを利かせられますし、そこまで困る話でもないですわね。いえ、蹴落とすチャンスかもしれないですわ」 身内に犯人が居るかもしれないというのに、白い頬を赤く染めてクスクスと楽しそうに語る少女。全くもって、おぞましい。見たまえ、矢加部ちゃんも顔を青くしているぞ。 「一応言って置きますが、魔術で日本に来るのは不法入国ですよ」 「私達は飛行機で参りましたし、他がやった事については知りませんわ」 「……それで、現場がどうなっているか分かる物は有りますか? 調査に必要な道具なども、全部を持って行くわけにはいかないもので……」 言うと、さっきまで震えていた矢加部ちゃんが噛み付いてきた。 「みみっちい内情を言わないで下さいよ、瓜坂さん!」 「だってしょうがないだろう。高い道具をおいそれとは使えないんだよ……」 「それが貧乏くさくて嫌だって言うんですよ!」 少しやり取りをするうち、クスクスと笑うルイスの姿。 「仲がよろしくて結構ですわね。では、ちょっと見てもらっていいかしら?」 言って出したのは、三枚のスケッチ。いや、念写魔術の類であろうか。 先ほども思ったが、紙を握る手首の、異様な細さが気になった。 「カメラを使わないとはまた随分とこだわりが強いようですね」 「あんまりそういう機械とか、好きじゃないんですの」 みっともないところを見せたと顔を赤くする矢加部ちゃんを横目に、渡された紙を見る。モノクロでこそあるが、血の色がはっきりと脳裏に浮かんだ。 「血だまりに塗りつぶされた魔術陣、神殿を模した家具の配置、そして密室ですか。ありきたりな所を言うのなら、魔術儀式の生贄にする形で殺された、と言う所でしょうか」 「魔術陣の上にあった血の量からすると、失血死していてもおかしくない量ですわね」 「そもそも、ある程度より大きな怪我でなければこの量の血は出ないでしょうね。ところで、被害者自身の写真が無いようですが……?」 「ええ。チラッとは言ったと思いますが、死体は影も形もありませんでしたの。……あ、それと。この絵では分かりづらいでしょうが、奇妙なことにこの魔術陣は虹のように七色で塗り分けられておりましたの」 言われてよく見れば、確かに線の淡さがそれぞれ違う。ルイスが奇妙と言ったのは、普通の魔術陣は汚れを防ぐためにも一色で描く物だからだ。 「ふむふむ……。なんとなく見えるような、見えないような」 「何か、もうわかったんですか!? 生贄って言えば、悪魔ですよね!?」 矢加部ちゃんが判ったとばかりにこちらを見ているが、生憎と細かくは断言できない。 「そもそもただの悪魔召喚であれば、俺なんぞを呼ぶまでもなく解決しているでしょう。術の痕跡から召喚者も、召喚された側の悪魔も割り出せるはずだ」 「ええ、そこが問題なんですけれど。ハッキリと申し上げて、私の知らない術式が用いられているのです。血だまりが無ければまだ何とかなるのですが、『何をする術式か』すら判らないので、お手上げですの」 「となると、お姉さんが招き入れた日本人の術者が犯人と言う線が濃厚ですね……」 「ええ、そうなりますわ。ただ、それだけとも言い切れませんわ」 どうやって殺したか、その問題についてはひとまず事務所で出来る事は片が付いた。 「では最後にもう一つ。お姉さんが殺される心当たり、有りますか?」 どうして殺したか、その問題はオカルト相手には非常に有用だ。何故なら、『嘘が付けない』から。動機がある人物が一人に特定されるのなら、そいつが犯人に決まっている。 「取り合えず、血族については全員動機があるでしょうね、私含めて」 彼女がそう言った以上。これもまた真実だ。 矢加部ちゃんは息を呑んでいるが、これがまあ良くある話なのだ。なにせ、連中は派閥争いが大好きだから。故にこそ俺はこの質問を最後までしたくなかったわけだが。 「姉は相続権第一位、本家の長女でしたからね。私を含めて、彼女が居なくなることで得をする人物は多いはずです。悔しいですが、姉は家督にふさわしいだけの腕を――いやそれ以上の『天才』とでも呼ぶべき魔術師でしたからね。嫉妬する者も多かったでしょう」 「……そんな、実の家族なのに損得勘定だけで考えるなんて……」 普通の人間だったら、『得をしても、実の家族を殺せるはずがない』と言うだろう所を、損得込みで『殺すかもしれない』と言ってしまう。実に不快。だが、依頼人だ。 「矢加部ちゃん、堪えろ。これが魔術師の現実(リアル)だ」 「あら、そちらの方は魔術師ではなくて……?」 「俺が預かっている、『訳アリ』の超能力者の子だ。深くは聞かないでくれ」 ちなみに、『嘘が吐けない』にしても、黙秘権の行使ぐらいは認められている。いや、ほぼ全員がなにがしかの秘密を抱えている以上、必須とも呼べることだ。 「分かりましたけど、話は続けますわよ。彼女は家を継ぐべき者でありながら、日本の技術を取り入れようと言い出し、あまつさえ日本にまで来た身です。古い考えを持つ者達の中には、そのことを恨みに思ったりするものも当然居たでしょうね」 若手は損得勘定から、老練は誇りから。それぞれ動機があったという訳だ。 「ちなみに聞いておくが、お宅の家督に関するルールはどうなってる?」 「ルールというよりは、派閥の問題ですわね。そういう意味では、姉が相続権第一位だったことも『長女だったから』ではなく、『天賦の才能が有ったから』『政治的に強い派閥に担がれたから』とも言えますわ。彼女にとっては疎ましいだけだったでしょうけど」 一族の中でも派閥争いをしているということは、次女のルイス以外にも『後継者候補が潰れた事で』得する奴が多いのだろう。『ルイス嬢は実績が少ないから』などと言い出して、分家の子供を養子にして当主にしようとする奴も居るか。……しかし 「そういう割には貴女とお姉さんは仲が良かったように聞こえるがな? それに、『疎ましい』って言うのはどういうことだい?」 「まあ、姉は魔術師としてはかなりズレた――と言うより、『一般人より』の感性をしておりましたので、私の事はかなり可愛がって下さって居たのです。私自身も、愛情と呼ぶには些か物足りないでしょうが、それでも比較的大事には考えていたんですのよ?」 彼女が云々ではなく、魔術師としての感性そのものが大問題なのだが。それでも、魔術師なりに実の姉の事を大事にしているらしい。嘘ではない、のだろうな。 「さて、粗方話しましたし、後は聞くよりも見る方が早いでしょう、私が『妖精の裏道』を用意しておりますので、先ずは現場の方に来てくださいな」 妖精の裏道、と言うのは要するにワープゲートの類の魔術だ。四次元的に世界を歪めるだの、風水の応用で距離そのものを一時的に縮めるだのと聞いたが良くは知らない。 「最後に一つ――いや、これは興味本位の質問だがね。俺の事はどこで知った?」 「姉のメモに貴方の名前もありましたの。魔術探偵ウリサカ。まあ、姉は会いに来れなかったようですが、『何かの縁』と言うのでしたかしら」 「それで頼ってもらえるとは光栄だね。全力を尽くそう」 言って荷物をまとめ始めるこちらの背に、彼女は一言。 「私からも一つ良いかしら。一応聞いておくわね、貴方は姉を殺した犯人ではない?」 ルイスはこちらを魔術師と思っている。俺が嘘を吐けない前提で。 「もちろん、俺は貴女のお姉さんを殺してはいない。ミス・ルイスは?」 「もちろん、私も殺してなどおりませんわ」 彼女もまた、嘘を吐いていない。まあそうだろうな。この状況なら一番可能性が高いのはルイスだ。が、そもそも彼女が殺したのなら俺に依頼は来ない。 空になった湯呑をシンクに下ろすと、俺たちは事務所を出た。 金髪を揺らして、ルイスが屋敷を案内してくれる。舞った時に枝毛がいくつも見えて、研究一筋の彼女の性格がよく理解できた。 「念写ではわからなかったと思いますが、このような何とも無粋な有様ですの」 ルイスが指さしたのは色鮮やかに彩られた二畳ほどの円陣。七色に分けられたその魔術陣は、血さえなければ前衛アートと言われた方が納得できたかもしれない。 「確かに、見事に塗分けられてますね」 「ええ、ハッキリと申し上げて、意味不明ですわね。全くもって」 「これはまた、一体どうしてこうなったんだか……」 「皆目見当もつきませんわ。少しばかり呼んでくる人がいるので、お待ちください」 言うと、ルイスはスタスタと去っていった。 「しっかし、これは酷いね。綺麗に魔術陣が潰れてら」 着くなり上げられた一室で、血塗られた魔法陣をつぶさに観察する。矢加部ちゃんは部屋の中をきょろきょろと見回していた。 「瓜坂さん、不謹慎じゃないですか? 人が死んでるんですよ」 「不謹慎かどうかを気にするような相手なら、俺だって言葉を選ぶぜ?」 チラと目を向けた先のルイスが三人の男女を連れてきた。 何やら英語で言い合っているが、あそこまで入り組んだやり取りは俺には聞き取れない。 「お待たせして申し訳ありません。こちらは一族の中でも昨日の一件に関してアリバイが取れていない、と言うより黙秘している者達です」 連れて来た、というには些か喧々諤々なやり取りにも見えるが。雰囲気からして、ルイスは大分目下にみられているようにも感じられる。 姉のマリーさんが天才だと聞いていたことからすると、『腰巾着が威張ってるんじゃない!』みたいな感じだろうか。 「黙秘も何も、皆さん嘘を吐けないんだから犯人じゃないことの証明には事実を言ってしまうのが一番じゃないですか?」 「あちらさんにも色々あるんだよ。魔術師は秘密事が多いからな。アリバイがあっても話したがらない連中は多いのさ。……そうでしょう? 皆さん」 問えば、ルイスが通訳してくれた上で、三人とも頷いて返した。 やはり、ルイスにブツブツ文句を言いながらであったが。 「それぞれご挨拶は……」 言いかけた言葉を制するように、俺は掌を彼女に向ける。 「取り合えず、現場の確認を優先したいので、お三方とルイスさんは別室の方にお願いできますか? ……万が一にも証拠隠滅などされては敵わないですからね」 ここがルイスの工房であり、魔術の使用に制限が掛かると言っても、強引な手段を使って証拠隠滅を図る人物がいるやもしれない。向こうもおとなしく引き下がった。 「ではまた、後ほど」 そう言ってドアを閉めるルイスを見送ると、俺と矢加部ちゃん二人きりになる。 「さて、検視と行きたいとこだが……。矢加部ちゃん、気持ち悪いようなら飴でも舐めときな。この間八百屋さんとこでもらってきた奴、ほらこれ」 「別に要りません。私だって超常現象(こっち)側の事件はもう何回か見てますし……」 言うものの、やはり顔色が悪いので市販ののど飴を強引に握らせる。目元も少し赤い。 慣れないだろうな、と思う。俺自身、血生臭いのは今でも苦手だ。 「うちは町内会の手伝いとかの何でも屋の仕事が多いからな。本当はそっちだけ手伝ってもらいたい所なんだが、信頼できる人手が居ないとオカルトの方の仕事も難しい」 「ええ、はい。分かってます。そもそも、ヤマモ……お父さんに頼んで居候させてもらってるのは私なんですから、出来ることぐらいは手伝います」 「まあ、八歳差だっけか? 別に、ヤローを父親と思わなくてもいいさ」 「それだけじゃないです。父さんの――実の父の事をそうそう忘れられる訳、ないじゃないですか……」 「ああ、そうだろうな。俺にはどうにもしてやれねぇが……」 彼女の過去については諸事情あってかなり詳しく知っている。その家族がどうなったかもだ。矢加部ちゃんが口を閉ざし、飴玉を舐め始めたので現場に目を移す。 「(はてさて、これまた珍妙な……。色とりどりの魔術陣とはね)」 形は一般的な円陣。しかし普通は一色で描くそれが、なんともカラフルに。実に五色刷り。いや、白と黒を混ぜれば七色になるのか。紙の地と白色がそれぞれ別で紛らわしい。 「(つってもまあ、色は属性を表すから、多色の物も珍しくないけど)」 魔術陣の上に広がるのは黒い血溜り。ルイス曰く、工房の管理システムの一部にルイスとその姉・故マリーの血を使っていたらしく、試した結果姉の物で間違いないとのこと。 そして死体が無い、と。ツンと来る錆臭さは、血の新鮮さを示している。 「ねえ、瓜坂さん。魔法陣の上に転がっているものに、血が固まったにしては変な形のものがありませんか? そこの、そうそう。端っこの方の奴とか」 右往左往する矢加部ちゃんの指の先。いくつかの固形物が目に映る。 「うーん……。確かに気になるな」 「お手柄、ですかね?」 「ああ、かも知れん。触媒や魔術鉱石だろうな。今の魔術は錬金術みたいな古・中世科学や鉱石信仰を応用したものも多いから、術を安定させたり属性を付けるのに使うんだ」 血に染まっていて正体がわからないので、表面を擦るための歯ブラシを……。おっとっと、いけない。まずは現状保存のために写真を撮らないとな。 「矢加部ちゃん、カメラ取って。カメラ!」 「え、ルイスさんはなんだか嫌がってましたけど……」 「考え方が古いんだよ。それに人の嫌がることをするのが魔術師だしな」 「捻くれてますねぇ。ルイスちゃんのあの冷酷さもどうかと思いましたけど、瓜坂さんもちょっと悪人っぽい所ありますよね」 「矢加部ちゃん、『悪』みたいなの、まとめて嫌いなタイプかい?」 「ま、『正しさだけじゃ世界は回らない』みたいなことは理解できなくもないですけど、それでも間違ってると思ったらすぐに言っちゃうタイプではありますね。あ、あと嘘とかも大嫌いですね。隠し事くらいならいいですけど、人を騙そうなんてのは腹が立ちます」 上向きに睨むような表情に、手ぶりも入れて彼女は全身で義憤を表した。 これだからなぁ。俺が魔術師だと嘘を吐いているなんて、口に出来そうもない。ましてや、その先にある正体なんぞ、迂闊にばらす訳にはいくまい。 小狡い企みを回しつつ、受け取ったカメラで写真を撮る。 「はい、カメラありがと」 押し付けるように返し、ビニル手袋をして触媒を調べ始める。 「全部、錬金術系か……。硫黄、辰砂、食塩。こっちの三つは、並びからして硫酸塩と塩化水銀の特殊鉱石かな。矢加部ちゃん、触るなよ。ほぼ全部劇物だ」 「そうなんですか?」 「まあ、うん。錬金術の三原質っていうのがあってな、中国の練丹にも通じるんだが……。ざっくり言えば、化学的に尖った物質どもだ。体内に入れることはお勧めしない」 言うと、怯えたように矢加部ちゃんは一歩後ずさる。俺も丁寧に手袋を取り、自前のゴミ袋に突っ込んだうえ、両手をコンビニのお手拭きで拭った。 「しかしまあ、食塩と硫酸銀のある当たりの陣が比較的綺麗で助かった。全く、モノクロの念写はこれだからいけないってんだ。色は属性に照応し、錬金術で洋の東西を繋いだ、と。中々滅茶苦茶な変換を行っていやがるな……」 よく見てみれば、通常二重円で構成されるべき魔法陣が、約七層。 相当複雑な形状になって居る。 「これを即席で描いたってのは考えにくいが……。矢加部ちゃん、部屋にある物見てもらっていい? 痕跡にしろ、道具にしろ。フリーハンドでこれを書くのは無理だろうし」 「なんか道具が無いかって所ですね!? 分かりました、探しますよ〜」 意気込んで端の化粧台に向かって行く彼女。そこは違うと思うけど。棚上げして、魔術陣の調査に戻る。矢加部ちゃんが見つけるのには時間がかかるからな。仕事、仕事っと。 「時に矢加部ちゃん、折角だからちょっとした魔術の授業だ」 「聞くだけなら何も起こらないですよね? 私これ以上、変な力とかいりませんよ」 嫌そうな物言いに俺は首を横に振ってから、矢加部ちゃんがこちらを見ていないことに気付き、言葉に替える。 「何も起こらんよ。ま、一応俺の助手だからな。ある程度の知識は着けてほしい」 「そういうことなら。ぜひぜひ、聞きたいです」 応ずる矢加部ちゃんにどこから説明しようかと、しばし悩む。 「矢加部ちゃん、魔術陣ってなんだと思う?」 「……んーと、魔術を使う時になんかよく出てくる奴ですよね? 幾何学模様の」 案の定というべきか。大した知識はないらしい。 「魔術陣っていうのはね、大本のところは神様を降ろしたり、悪魔を召喚するタイプの儀式のときに、『魔術師が作業するスペース』を確保するための物だったんだ」 「作業するスペース……?」 「まあ、ざっくり言っちゃうと、悪魔や神が現れた時に生贄と間違われないためだったり、危害を加えられないための結界、みたいなイメージだ」 日本のサブカルの影響で勘違いされがちだが、魔法陣・魔術陣というのは『術を使うための道具』ではなく『術者を守る魔術』である。 「まあ、魔術師たちも『作業スペース』としての使いやすさを拡張して行って、今の時代じゃあ色んな魔術陣が存在しているがな」 俺は魔術陣の周りをグルグルしながら、呼びかける。しばし間があって、返事。 「使いやすさ……。ああ、元々が身を守るための物ですもんね。『外の敵を攻撃する機能』とか、『中に居る魔術師が魔術を使いやすくする機能』とかってことですか?」 「大正解。そして人によっては、『中の魔術師を守る機能』を除外(オミット)して、攻撃特化型の魔術陣なんかも作るようになった」 問うと、化粧台を諦めてクローゼットの方を見ていた矢加部ちゃんは言った。 心なし、自慢げだ。何か思いついたんだろうか。 「それが、今日本の漫画とかアニメに出てくる『魔術を撃ち出す幾何学模様』ですか」 「まあ、諸説あるうちの一つだけどね。単純に格好いいってのもあっただろうし」 「なんかいい加減ですね、瓜坂さん」 矢加部ちゃんはクローゼットも無理だと思ったか、本棚に移動。 「しかしでも、そう言う意味じゃあ『攻撃機能も防御機能も削って魔術の使用性アップに特化した魔術陣』みたいのも存在するのかもしれませんね」 言われて、ピンと来る。確かにわかりやすい印象だ。 「よし、それ採用!」 「へ? なんですか。採用って……」 「気にしない、気にしない。ところで、これなんだと思う?」 指さしたのは部屋のドアにさりげなく掛けられた皿の形のインテリア、その裏から取り出したるはゴツ目の電卓だ。明らかに家庭用ではなく、事務用のそれである。 「あれ、魔術師の人たちって機械の類を嫌うんじゃないでしたっけ?」 キョトンとした顔で、矢加部ちゃんは首を傾げた。ちょいとあざといが、多分無意識なんだろうなぁ。 「おう、でもその魔術師がわざわざ計算機を使ってまで、何を計算したんだろうな?」 「さて、一通りの検分は終わったのかしら?」 矢加部ちゃんに頼んで、ルイス含む四人を連れてきてもらう。 「まあ、一応。本当はそちらのお三方にも話を聞きたかったのですが……。どうやら必要ないみたいです」 「おやまあ、すごい自信ですこと」 「どちらかといえば、運が良かっただけですよ……」 言われた俺は、軽く謙遜する風に頬を掻いてから、堂々と見えるように半歩踏み出す。 微笑みを消し、代わりに少し自慢を匂わせる。説明するぞと、顔で言った。 「お三方に話を聞かない理由は単純。『この状況』を生み出す理由が無いから。まず家督狙いであるなら、妹のルイスさんを一緒に殺していないことがおかしいです」 「まあ誰だって、実の姉が死んだとなれば警戒ぐらいはしますわね。魔術師ともあろうに、それを理解しない愚か者はいないでしょう」 身内といえども仲は良くないのだろう、ルイスと親族たちが視線で火花を散らす。 天才と言われた相続権一位のマリー殺害の容疑があるのだ、遺恨も深まっているのか。 「まあまあ、落ち着いて。たとえ家督狙いでなかったとしても、状況証拠の残し方が杜撰すぎます。それに、国を跨ぐだけでも星の並びや霊脈のズレが生じます。魔術も影響を受けるでしょう。わざわざ不利な日本で殺人を行う理由は無いんですよ」 「言われてみれば、そうですね……」 と、矢加部ちゃんが相槌を打ってくれる。ナイスタイミング! 「という訳で、あり得るとしたら日本人の犯行、誰ぞやの衝動的犯罪という所でしょうが……。今回の事件、残念ながら犯人はいません。事故です」 「些か強引にまとめられた気もしますが、身内に犯人が居ないというのは理解できました。ですが、事故死と断定される理由がわかりませんわ」 ズイと寄ってルイスは説明を求めてくる。 近付いてきた拍子に金髪がバサっと広がり、睨むような表情を際立たせた。 「もちろん、理由は有ります。それをこそ、たまたま運が良かったという所の話なんですよ。……この魔術陣、何のための術式だと思いますか?」 「何って……。魔術師は研究を秘匿する物、分かるはずありませんわ」 それを調べる本職を前にしているだろうに、よくもまあ言ってくれるものである。俺は、部屋に隠されていた計算機を取り出した。 「ちょっと、瓜坂探偵!? 私達が機械を好まないのはご存じでしょう?」 「これはね、貴女のお姉さんの所持品です。そしてお姉さんが機械を使ってまで計算しようとしていたのが何か、その答えがこの魔術陣です」 「そんなもの、見つかりませんでしたわよ!? それに、計算ですって! 天才と呼ばれたあの姉が!? 錬金術や占星術でも滅多に使いませんわよ。馬鹿にしているのかしら」 よし、激昂した。これで、安心して話に乗せられる。 目に宿る対抗心と猜疑心の交わった光を、じっと見据えた。 「計算機を頼ったのが恥ずかしかったのか、隠してありました。……この魔術陣はね、東洋と西洋の術を属性を起点に変換し、並列化・混合運用を可能にするための『変換器』の術式なんですよ。貴女の姉はきっと、天文学的なわずかな穴をも埋めるために、わざわざ機械を頼ったのでしょう」 「わざわざ混合運用などしなくても、一度系統化し直せばいいじゃないですの? なぜ私の姉がそんなことをしたのか。魔術師を馬鹿にするのも大概になさいまし!」 よし、食いついた。放さないよう丁寧に、しかして大胆に俺は騙る。 「いいや。馬鹿にしてなどおりませんとも。系統化……術を解体しきって再構成すれば確かに自由度は増しますが、その分伝承の力を引き出し辛くなって効果は弱まります」 魔術というのは、あらゆる奇跡や伝承を模倣し、その仕組みを調べ、統計的な技術に落とし込む。実に科学的な学問であった。いわゆる自然科学でなく、人文科学の類だが。 しかし、分解すれば伝承からは遠のく。そして力も弱まってしまう。 「それを避けるために、この魔術陣を作ろうとしたのでしょう。それに天才とは、難しい問題に挑むものですからね」 先ほど矢加部ちゃんに言った通り、本来は、術者の作業場所を整えるのが魔術陣だ。 「この魔術陣が意味する『変換器』というのは、錬金術の応用によって西洋四大元素と東洋五行を整え直し、神秘の行使をしやすくするための物だと考えます」 告げた内容に、居並ぶ四人の魔術師がフムフムと頷き、専門用語多めの解説に矢加部ちゃんが目を白黒させている。 「失礼ながら、助手への授業を兼ねて細かい説明をさせていただきますと……」 「でもまあ、なんとなくは分かる気がします。私自身、オカルト側ですし」 「魔術で『属性』を付与する場合、『属性』ということそのものが文化・伝承の在り方によって異なるために、系統の異なる魔術と重ね合わせて使うことが難しいんだ」 「言ってることが難しいですね……。というか、それってそんなに大変なんですか?」 「そうだな。ちょっとアレな言い方になっちまうが……。『魔力さん』っていう人物が居たとして、それに対して声や文章でお願いをする。それが大雑把な魔術の仕組みだ」 「ああ、妖精さん的なアレですね。だいぶファンシーなこと言いますね」 ニヤニヤと、ちょっと揶揄うような目線を向けてきた。構うもんか。 「『魔力さん』は実在する言語でしか会話が通じないし、闇雲に線を引いても話を聞いてくれない。正しい単語・文章を使って初めて聞いてもらえるし、当然英語と日本語をミックスして喋るなんてのは論外な訳だ」 そこまで言い切った事で、なんとなく納得がいったか。矢加部ちゃんは頷いた。 「つまり、『I 謝謝 言い want』みたいな文章でも『私はお礼が言いたい』っていう意味で通じる、ってことですね」 咄嗟にその言い回しが出来る辺り、この子も脳の回転が速い。 「さて、しかして問題はこの『属性の変換』をどのように行ったかに有ります」 俺が指さした魔術陣は、七重の超複雑な幾何学模様。 「そもそも日本の陰陽術や中国の道教においては、五行の属性はそれぞれに鉱石や色などと紐づけられて居ました。そこで西洋式の魔術陣に五行で使う『色』と錬金術における属性配分に『鉱石』を当て嵌めることで、属性の変換を図ったのだと思います」 「確かに姉は日本の魔術に興味を持っていましたわ。ですがそんな目的が……?」 「元からの研究対象なのか、偶々そういうことが出来る事に気付いたのかは知りません。いえ、思い付きで作っている途中だったのかもしれません……」 言葉を紡げば、後は言わずともわかるとルイスが食いついた。 「不完全な魔術の実験中だった、というのなら事故死もやむを得ないかも知れません……。後学のために、ですが。事故の理由などは?」 勿論、諸説用意してある。 「まず根本的な問題ですが、西洋魔術の四大元素『火・水・土・風』に対して、道教や陰陽道の五行は『木・火・土・水・金』です。なまじ被る所が多いのですが、五行においては『風』の属性は『土』に含まれてしまうため、細かい変換ミスは起こるでしょう」 そしてダメ押しにもう一つ。計算機を取り出しながらも、俺はおずおずと陣の上の触媒を指さした。 「もう一つの可能性としては計算不足。汎用性を上げるためと思いますが、内側が五行ベース、外側が四大元素で纏めてあり、それを調整する形で触媒に錬金術の三原質・五元素である『塩・硫黄・水銀』とその化合物が使われている。ハッキリ言って欲張りすぎだ」 しかも、それぞれに伝承的背景が異なるから、変換の計算が難しすぎる。計算機を持ち出してすら、ミスの一つや二つあってもおかしくない。 「最後に付け加えるなら、術者の性格でしょうね。聞くところによると、故人は『魔術師らしからぬ』方だったようで。周りに迷惑をかけないように、己に作用する術を使ったもののそれが暴走して……、という所かと予想します」 「あの姉ならば、かなりあり得る話ですわね……」 「本当は死者の研究を暴くべきではないのかもしれませんがね、マリーさんは偉大な研究をしようとして、しかし急ぎすぎたのでしょう。誠に、残念です」 話は終わりだとばかりに告げると、しばしの沈黙。ルイスは金髪を揺らして俯く。 同じ魔術師として、欲張る気持ちも事故への恐怖もあったのだろうか。家族を大切にするという思いはなくても、同志の死から学ぼうとする姿勢は真摯である。とはいえ。 「こちらも商売ですからね。申し訳ないですが料金の話を……」 「ちょっと、瓜坂さん! 不謹慎ですよ、こんなタイミングで」 「いえいえ、商売なのだから当然の事ですわ」 頭が固い矢加部ちゃんと違い、ルイス嬢は話が早くて助かる。 「それで、幾らぐらいになりますかしら?」 「ざっと見積もって……。四十万と、謝礼がいくらかって所だな」 「……ッ!?」 息を呑んだのは矢加部ちゃんだ。俺がぼったくっていると思うのか、こちらを睨みつけてくる。 「矢加部ちゃんは殺人系は初めてかもだけど。だいたいこんなもんだよ」 「えぇ……」 引いた様子の彼女の手前。ルイス嬢が分厚い封筒を手渡してくる。 「はい、謝礼込みで六十万ほど入っておりますわ。お確かめくださいな」 アッサリとだされた大金にビビる矢加部ちゃんを引きずりつつ、俺は館を後にした。 翌日の昼間。矢加部ちゃんが学校で事務所に居ない中、俺はとある客に応対していた。 ルイスの時とは違い、ちゃんと紅茶を出し、ちょっといいカステラを隣に添える。 綺麗な金髪、上品なワンピースを纏った彼女に、伺いを立てた。 「さて、かくかくしかじかな具合で話を着けてまいりました。これでよかったですか? マリーさん」 「ありがとう。ミスター・ヤマモトにそう言った専門家が居ると聞いたときは半信半疑でしたが、何とお礼を言っていいやら分からないです……。これで、魔術師をやめられます」 彼女こそは今回の『本当の』依頼人にして、『被害者』ことマリー・スリップジグである。ちなみに幽霊ではなく、ちゃんとした生身の人間である。 ルイスより大分外見に気を使っているようで、平坦に言えば、とても美人だった。 「家督を継ぐ人間ともなると、やめるにやめられず……」 「ええ、大変だったでしょう」 彼女が俺にした依頼は一つ。それは魔術師をどうにかして辞めたい、という願い。一般人に近い価値観を持つ彼女にとっては、確かに重圧であったのだろう。 対して俺が提示した解決策は、彼女の死を偽装して逃がすことであった。 「ですが、お礼というなら、ルイスさんから相応の礼金と口止め料を頂いておりますし、残りは俺の正体――魔術師で無いことの黙秘を徹底していただけば十分ですよ」 彼女は気まずそうにした後、何か思いついたように一冊の大学ノートを取り出した。 物憂げな表情も、大分絵になるなぁ。そう思いつつ、受け取る。 「ですが……。そうね、コレを追加報酬とさせて貰ってもいいですか? 自分で言うのもお恥ずかしいですが、ワタシもかつては天才魔術師と呼ばれた身。その研究資料ですから何かの役に立つでしょう」 パラパラとめくって見ると、それは正しく彼女の最後の研究。西洋魔術と東洋魔術の属性変換に関する、研究資料であった。それこそ、天才の研究にふさわしいトンデモ理論の完成品。裏ルートで売ったとしても良い金になるだろう。 「では、ありがたく頂きます……」 「ええ。お納めくださいな」 まだ二十歳になるかならずずかだというのに、『死んだ』彼女は流暢な日本語を話す。 同じ血の、同じ金髪でもルイスとはかなり違うさらさらしたストレート。美容に気を遣う以前に、栄養状態すら違ったんじゃないかと感じ、俺は少し訝しんだ。 「……それはさておき。さて、こちらが偽造戸籍と……。各種書類に当たります」 続いて俺が手渡したのは、恐らく今後『死んだ』事になるマリーの、新しい戸籍。役所にはオカルト関係の部署もあるので、そこに通じるものも含めたいくつかの関連書類である。 「何と言っていいか……。ありがとうございます」 言葉に悩むようにしてから、ただ静かに彼女は礼を言った。 「さて、『死んだ』人間が長居する物でも無いですからね……。お暇します」 言うと、マリーさんはいくらか紅茶が残ったカップを机に置いて、立ち上がる。 しゃなりと揺れたワンピースの裾からは、香水だろうか。スズランの香りがした。 「折角ですし、お見送りしますよ」 「あら、ありがとうございます」 ドアの向こうに広がるのは、まだ蒸し暑い青空。セミの声こそ少し前に消えたが、そろそろスズムシの季節である。 「本当に、お世話になりました」 「お達者で。よい人生を、マリーさん」 立ち去る彼女の未来を祝福するかのような空をしばし見やる。 「事件の締めとしちゃあ、魔術陣に掛けて空に虹でもありゃあ最高なんだけどね……」 ここ数日秋晴れが続いていたので、そうそう上手く話が落ちる訳がない。 少しだけ欠けた満月が、夕暮れに重なって薄く浮かび上がる。 「おいじゃあ、プレイバック!」 マリーさんが訪ねてきたのは一昨日の夕方。矢加部ちゃんがお茶葉を買いに出た、すぐ後の事だった。突然の金髪美女に、俺は少しビビったものだ。 「失礼します。瓜坂探偵事務所は、こちらでしょうか?」 長年の経験則から、ヤマモトの奴が『数日中』と言った時には、小一時間以内には客が来る。多分なんかそういうオカルトであろう。知らんけど。 ちなみに矢加部ちゃんを追い出したのは、事情を説明するのが面倒だったからだ。 「何でも、魔術師を『騙す』仕事をしている方がいると聞いて来たのですが。ああ、えっと。ワタシはマリー・スリップジグ。Mr.ヤマモトの紹介で来ました」 そう、事情。俗に言う裏稼業というヤツ。 表向きにはオカルト絡みの探偵。裏の仕事は事件を解決のためなら嘘と脅迫と書類偽造で立ち回る何でも屋。それが、実のところの俺である。 ヤマモトの奴には詐欺師だなんだと言われるが、騙すのは手段であって目的じゃない。 「ええ、まあ。聞いてみないと何とも言えませんが、出来るだけの事はしましょう。それで、ご用件は?」 「実はその、魔術師をやめたいんです……」 魔術師らしからぬ暖かい感性を持ちながら、当主の座を手に入れてしまった彼女。そのズレと重圧によるストレスは相当であったのだろう。彼女はポロポロと涙を流しながら事情を話してくれた。 だいぶお金がかかっているように見えるブラウスに染みを作ってはならぬと、俺はとりあえずハンカチを差し出す。 「これ、良かったら使ってください。……それで、もう少し詳しくご用件を聞けますか?」 「……ワタシは運悪くも、魔術師としては才がある方でした。そのお陰もあって次期当主に担ぎ上げられてしまったのですが、その事以上に妹と比べて贔屓されてしまったのが――何より、同じ姉妹であることに妹に圧を掛けるような者も家中に居りまして……」 優しい心根のマリーにとってその才能は優越感に浸れるような物では無く、むしろ大事な妹が自分のせいでイジメられるという状況に苦しめられていた。 実際、俺が会ったルイスも痩せていたり、他の親戚からけなされていたからな。事実として、その事もマリーの胃痛の元なのであろう。とはいえ、ルイスは堪えていないようだが。 「勿論、周囲との噛み合わなさや、魔術師としての行いに耐えかねた部分もあります。それに何より、周りの誰にも相談できなかったのも、辛かったです……」 非道も邪道も、結果さえ出るなら構いはしない。それが魔術師の流儀である。 狂気に身を焦がされ続ける事態は、マリーさんの心身を削っていた。 「なるほど、分かりました。では……」 彼女の相談を受けた俺は、一計を案じて彼女を『死んだ』事にしてスリップジグ家から解き放つことを考えた。 スリップジグの連中が科学捜査を嫌うのは分かっていたので、仕掛けは雑な物を使う。 魔術陣自体は、実際に彼女が研究中に生み出した失敗作を使い、そこに赤黒い絵の具と血糊を塗ってそれっぽく偽装、上澄み部分にだけ、採血した本物の血を用いた。 「あとは、俺の名前を妹さんに伝えておいてください。大事にはしたくないでしょうから、きっと警察ではなく個人の探偵を頼るはずです」 「ありがとう、ございます……」 あとはまあ、ご存じの通り。失踪したマリーさんは状況から死んだと判断され、事件解決のためお声が掛かった俺が一芝居打って、『マリーは事故死した』という事実の完成。 「矢加部ちゃんは正義感が強いからなぁ……。どう話したもんか」 そう呟いてみれば、噂に影。ドアが開いて、セーラー服の少女が帰って来る。 「瓜坂さん、今晩の晩御飯に魚屋さんでサバを四切れ買ってきました! 鯖ですけど塩と麹、どっちが良いですか?」 勢いのいい声に合わせるように、俺も幾分テンションを上げて応じた。 ここら辺、演技力が問われると思う。ニッと頬を吊り上げ、元気そうに見せる。 「生で買って来たの!? じゃあ、塩で!」 言いつつ、戸籍偽造などに掛った代金を帳簿に書き込んで、席を立った。 法外なアレでも、ちゃんと書いておかないとね。経営破綻はマジでヤバい。 「しっかし、昨日のはやっぱりボッタクリに思えるんですけど! 瓜坂さん」 鯖の下処理をやりつつも、矢加部ちゃんが不満げな声を上げる。 「表に出せないタイプの死亡事故だからな。口止め料も入ってあの値段なんだよ」 今朝作った味噌汁の残りを取り出し、軽く温め直しながら彼女と視線を合わせた。 「口止め料っていうなら、ルイスさん側から出す物じゃないんですか?」 「そこはホレ。相場ってものがあるんだよ」 「そんなもんですか?」 「そんなもんだ」 言い合いながら、それぞれに手を動かす。鍋が少し温まってる間に、もう一品軽く用意しようと冷蔵庫に足を向けた。 「(先生の娘さんとはいえ、俺の本業はまだまだ矢加部ちゃんには明かせないなぁ……)」 料金の事もそうであるが。矢加部ちゃんは擦れていないというか、潔癖な所が強い性格をしている。 本能的に嘘を忌避するオカルトの性質と、『良い子』として育った彼女自身の気性が合わさった結果なのだろうが、いずれ話さねばと思いつつも後回しにしているのが現状。 「矢加部ちゃん、後十分ぐらいで味噌汁と簡単な野菜の和え物出来るけど。鯖は?」 「大丈夫です。もういい具合になってます」 「……じゃあ、食器並べといてね」 妙に家族じみたこの関係性を壊したくなくて、つい口が重くなった。秋も始まった今日このころである。 間章 一 【秋門半座】 いやー、繁盛繁盛。素晴らしい事だ。お金というのは見ているだけでも心が躍る。 金儲けの才能を自覚したのはいつだったか。ともあれ、陰謀渦巻くこの業界でも自分は中々上手くやっているだろう。いや、資本が無いからこの程度なのだ。時代の寵児と名乗ったって、誰にも文句は言われない程の事はしてきた。 順風満帆な俺に拍車をかけるように、最近ある方から大規模融資の話を貰った。これでわが社はますます儲かり、女も名誉も思いのまま、と。 ただどうもこの辺りにはいくつか厄介なのが根を張っていて、中々思うように商売ができない。ヤクザなんてゴミ虫どもはこれだから邪魔なんだよ……。しかもそんな時に限って、出資者からも話があると電話が来てしまった。こっちも商売で忙しいんだよ、全く! 第二話 あの世からの通り魔/探偵事務所の居候 【矢加部月菜】 中肉中背、程々に引き締まった顔を緩めながら、探偵は問うた。 「……矢加部ちゃん、『悪魔の契約』って知ってるかい?」 「ええと、願いを叶えたり、力を与える代わりに魂を捧げる、っていう話ですか?」 問われた質問に私は出来るだけ簡潔に答える。ルイスさんの事件から早二週間。秋分も近付くある日の事であった。 瓜阪さんは週に数回、私のための超常現象(オカルト)講座をしてくれる。 「いやいや、それも正解では有るんだけどね。今回は別の話。……逸話や伝承に出てくる悪魔は人間の願いを聞いてその望みを叶えるけど、往々にしてその結果は契約者が望まないものになるのさ。そして悪魔たちは『嘘など吐いていない』と言い張るんだよ」 「私達オカルトは、嘘が吐けないはずじゃ……。どういうトリックです?」 瓜坂誠司。彼は、町の何でも屋であり、魔術師であり、私の養父の親友であり……そして、探偵である。どういう数奇な運命か、オカルト専門の探偵なんて商売をしていた。 「そこの捉え方が難しい所なんだよね。オカルトの『嘘を吐けない』っていうのは、字義通りに『真実ならざることは言えない』というだけ。自分に不利になることは言わなくてもいいし、『可能性』や『見かけ』の話ならある程度好き勝手に喋ってもいい」 彼の発言の意図がいまいちわからず、私は首を傾げる。口元に運ぼうとしていた湯呑も一緒に傾けてしまって、慌てて元に戻した。 ちなみにお茶請けはクラッカーとおはぎ。妙な組み合わせだが、不味くはない。 「アッハッハッハ。分かり難いか。矢加部ちゃん、リピートアフターミー、『私は男かも知れない』……言ってごらん?」 先日聞いたルイスさんの流暢な発音からは大きく外れる、日本人のカタカナ発音。 ちょっと演技臭い感じもしたが、元々大仰な喋りをする人である。 「『私は男かも知れない』……あ、言えた!」 考え事をしながらも呟き、そして驚く私に瓜坂さんはパチパチと拍手。 何かの拍子で、耳に掛ってしまった自分の髪をそっとのかしつつ、話を聞く。 「まあ結局、俺がオカルト相手の探偵なんて商売をやっているのも、彼らが『騙すことが出来る』ってのを理解してるからなのよね。『嘘を吐くことが出来ない』っていうのを前提にしているから、存外穴も多いけど。それでも気は抜かない方が良い」 人の頼みを聞き、己の知恵で解決する探偵。 その彼を私は信用していたが……、同時に胡散臭くも思っていた。半信半疑というヤツである。 探偵としての働きぶりは身近で見て知っていたが、ルイスさんに報酬を吹っ掛けた件と言い、要所要所で見せる演技臭い口調と言い。どこかに妙なものを感じていた。 「秘密の一つくらい誰にもあるだろう? 『隠し事』くらいなら『嘘』には含まれないさ」 言われて、ギクリ。私自身、切り札である己のオカルトについては大雑把な説明しか彼にはしていない。死んだ母にも、お養父(ヤマモト)さんにも『安全のために』と念押しされたからだ。正直、嘘は嫌いなので気は進まないが、身の安全のためだ。仕方ない。 「ねえ、瓜坂さん。この間ルイスさんが来た時には『諸説ある』って言ってましたよね。貴方自身は私たちオカルトが嘘を吐けない理由、何だと思ってるんです?」 「俺が何を信じるか、って話なら……。そうだな、『インペルのカラス』説っていうのが個人的には好きだね」 あまり耳馴染みのない言葉に目を丸くしていると、ちゃんと説明をしてくれる。 「『白いカラスが居る』ことを証明できないからと言って、『白いカラスが居ない』ことを証明できたわけではない、という話だ」 白いカラスが居る事の証明は、白いカラスを発見できなければ不可能だ。だが、白いカラスが居ないことの証明は、世界中のカラスを探さなければ不可能である。 つまり、一見同じことを示している様だが個々に違う理屈がある、という話だそうだ。 「誰もが『存在しない』というそのものであり、『存在する可能性』で世界に居続けるオカルトこそは、『証明されてしまったこと』には嘘を吐いちゃいけないんだよ。まあ、諸説あるうちの一つだけどね」 「なんか、ロマンチストですねぇ……」 「実際問題、全ての宗教家が神を信じていたなんてのは、それこそ幻想だよ。事実、僧侶にしろ司教にしろ、『神や仏の名のもとに』領主や大名に賄賂を要求した連中が居た」 言いつつ、彼は私の学校かばんを指で指し示した。 「高校の世界史で習う通り、『神話』それ自体よりも『王権神授』を盾に権力の強さを無理やり押し出す連中だって、少なくは無かったさ。神や妖怪・魔法なんてものを本気で信じていたのは、それこそ『そのもの』であるオカルト自身だけ」 何もかもはっちゃけるような事を言った瓜坂さんは、しかしこうも口にする。 「じゃあ探偵は……。疑う仕事ですね? 誰が犯人か、目に見えてることだけが本当に真実なのか。そういうのを疑っていく仕事」 「君は詩人だねぇ……。詩と言えば、昨日は新月だったらしいぜ。オカルト絡みじゃあ、決まって厄介事が起こる日だ。気を付けておいた方が良い。特に秋分前だからね……」 月のない夜というのは、確かに何かと物騒なものだ。それにまつわる伝承も、そして様々な怪異たちも、当然たくさんいるのだろう。 「しかし、仕組みもわからないのに、どうして『嘘が吐けない』ってわかるんです?」 「それはまあ、あんまり気持ちのいい話じゃないんだけどね……。二次大戦中にオカルトを軍事利用しようとしたナチスの研究組織・アーネ……」 プルルルルルル! 言葉の途中で、事務所の電話が鳴る。瓜坂さんは素早く動き、ワンコールで受けた。 「はい、こちら瓜坂探偵事務所です。って、おお! お久しぶり……」 電話中の瓜坂さんに声を掛けられ、慌ててテーブルの上のメモ帳を持って行く。 向こうにブツブツと問答を返す彼は探偵だ。悪を裁く、立派な仕事である。 「……ハァー。なるほど、海外資本の不動産屋の荒稼ぎねぇ。そういや最近、似た様な話を聞いたな……」 嘘が吐けないオカルトの体質故か、良い子たらねばと育ってきた故か。私は『騙す』とか『嘘』という物が昔から嫌いだった。人を騙すなんてのは最も酷い悪である。 ……まあもちろん、嘘も方便と言うのも理解できない訳ではないが。それでも、どちらかと言えば、いややっぱり絶対に、許せない物であった。 思わず拳に力が入り、少し皺の酔ったスカートを、慌てて直す。 「あいはい、じゃあ……。あ、ちょっと待った。確認したいことがあって……。やっぱそうか。分かった」 電話を切った瓜坂さんがこちらを向く。締まりのない顔だ。怖くはない。 目じりは緩くはない物の尖ってもおらず、怜悧な無表情というよりは、ただやる気が無いだけの顔に見える。どこにでも居そうな、そんな人だ。 ユーモアのセンスは多少あると思うけど。 「どなただったんです?」 「知り合いの金持ち」 言いつつ、瓜坂さんは手帳を開いてパラパラめくり、走り書きのメモを写していく。 「……また身も蓋もない言い方をしますね。どういった関係の方ですか?」 「まあちょっとばかり仕事を手伝ってもらってる友人、ってとこかな。オカルト界隈の人間ってのは、妙に金を持ってる奴が紛れ込んでるからね。仲良くして損はない」 私はお茶を一口飲んで、クラッカーの塩味を噛みしめた。 「へえ。ところで、今週は仕事の予定どうなってましたっけ?」 「八百屋の商品搬入とか、商店街のアーケードの天井掃除とかは手伝い頼まれてるけど、特に大した用事は……」 なかったとも言い切れないのか、瓜坂さんは手帳をチラ見しつつ、おはぎをつまむ。 「うん、旨い……って、いかんいかん。そういや、今日は依頼が入ってるんだった。少々面倒な案件だから、ついつい忘れてた。オカルト絡みだから、同行頼めるかい」 「神秘の授業の続きはどうするんですか!?」 声を荒げつつも、手に乗せた湯呑は乱さない。我ながら器用だと思う。 「青空教室――。ってぇと意味が違うか。とにかく、刑事は現場で学べってね」 ズズイとお茶を啜り、口に香りを残したままおはぎを一口。瓜坂さんは美味しそうに顔をほころばす。肩を軽く回すしぐさに、どこかオッサン臭さを感じた。 「その格言が事実だったとして、私刑事じゃないんですけど!」 色々言いつつも、私もおはぎを摘まむ。あ、美味しい。 「ブフッ……。矢加部ちゃん変な顔になってるよ」 「むー!」 思わず顔を綻ばせながら睨んだので、変顔みたいになってしまったようだ。おはぎが美味しいのが悪い。 「まあ、少々自体が複雑でね……。詳しくは現場検証しながら話すとするよ。現場は三丁目の交差点。通り魔事件だ」 「分かりました……。ハァ。ついて行きますよ」 言うと、二人分の湯呑をシンクに下ろす。 開いた戸口から冷たい風が吹き込んで来て、秋の雰囲気を強く感じた。 さして遠くはない現場に近付くかなり前から、その異様は明らかであった。異様というか、威容と言うべきか。あまり柄の良くない感じの連中が、十人程たむろしている。 「ちょっと、なんですか瓜坂さん……。なんか、怖い人たち一杯いるんですけど」 問いかける私を無視して、瓜坂さんはは構わずにツカツカと彼らの方へ向かって行く。 「あれが今回の事件の暫定被疑者たちだ……。ちなみに確実にシロなのが分かってるから安心していいよ。依頼人ではないけど、その関係者ってとこだね。この辺りでテキ屋の仕事をやってる藍崎組……ゴのつく自由業の皆さんだよ」 「(それって、ヤクザ――思いっきり犯罪者じゃないですか!?)」 慌てて、しかし声を潜めて私は問うた。当たり前だろう、まず第一にヤクザの存在が看過できるものではないし、そういった人たちと付き合いがあるって言うのも、良くない事だ。 「(っていうか、瓜坂さんは怖くないんですか? ヤクザですよ、ヤクザ!)」 「(落ち着きたまえ。先に言っとくと、俺も怖い。ただ、連中のボスと知り合いなのと、彼らにもちゃんとルールがあることを知っているから堂々としていられるだけだ)」 知り合い、と聞いた段階で大分瓜坂さんへの疑念が深まる。ヤクザの仲間、字面からしてロクでもない。嫌〜な感じがするワードに、思わず私は一歩引いた。 「(まあ、一回話を聞きなって。矢加部ちゃんが正しくあろうとするのは良い事だけど、世の中色々あるんだよ。ちなみに、あの人たちは極道であってヤクザじゃない。古き良き仁義とか任侠とかのよくわかんないモノを大事にする人たちだ、一緒にすると怒られる)」 よくわかんないって言っちゃったよ。多分私が知ってるヤクザと同じだと思うんだけど……。それって言うのはつまり、暴力団であろう。 自分の毛先が視界に映って、震えているのを自覚した。強面怖い。 「(つまり、何も違わないってことでしょう!?)」 「(そうとも言うかもしれないな)」 「(また、もう! 先にちゃんと説明してくださいよう!)」 「ま、安心しなよ。この人たちの場合は割と本気で事情が特殊だから、向こうから手を出してくることは、まずありえない」 「ええ、本当に信用できるんですか!? ……ひゃあ!?」 瓜坂さんに思わずつられ、普通のボリュームで声を発してしまった。瞬間に強面の諸君に一斉に睨まれるも……。 一秒、二秒……。何かしてくる様子は、無い。 っていうか、若干気まずそうにちらちら目線を逸らされてる気もする。 ビュウ、と風が通り抜けた。 「大丈夫大丈夫、これぐらいじゃあ怒らないって」 雑に私を宥めつつ、瓜坂さんは彼らに向き直った。 「どうもどうも、ちょっとした事件の調査で参りました。瓜坂探偵事務所です」 言葉に、途端にヤクザたちの表情が和らぐ。奇妙なものである。あれだけ何か警戒していた様子だったのに。いや、関係者だから気を緩めたのか。 「おうおう。アンタが先生か……。若ぇな」 「いや、すまねぇな。親父さんに現場見張ってろって言われてたもんだから、何も知らない一般人ならお帰り願わねえとと思って、顔が怖くなっちまった」 ガッハッハッハ。豪快に笑ってくれる。出来ればもう少し、自分たちが他者に与える恐怖を自覚してほしい物だなぁ。 「あ、そっちの嬢ちゃんも、気は遣わなくていいからな。商売柄、怖がられたり疑われるのは慣れてる。出来れば信用してほしいが……、まあ無理にとは言わねぇさ」 体格の良さ、ヤクザという仕事に反して中々に気を使ってくれた。案外いい人たちなのか、それともこの人が例外なのか。片隅で思考をしつつ、私はお礼を言う。 「あ、ああの。ありがとうございますッ!」 噛んだ。噛んでしまった。 緊張というか何と言うかで思いっきりやらかしたのを、少し笑われた。恥ずかしぃ。 「めんこい嬢ちゃんだこってェ……。大事にしなさいよォ、先生!」 見ていたら瓜坂さんに矛先がズレた。表情には出ないが眉が動いてる。 「それで、もう一度状況の確認からさせて頂きたいのですが……」 瓜坂さんは営業モードを崩さず、まるで苛立ちも見せぬまま口にした。堂々としたさまに、妙に『やり慣れてる』感が透けて、疑念が強まる。悪い人、じゃ無いと良いけどなぁ。 「おうおう。そうだったな。オイお前ら、退いた退いた!」 たむろするようにというのは詰まるところ集まっているという事であり、時としてそれは『何かを隠している』という事である。 「何……、うわぁ。これは酷いですよ瓜坂さん」 「ははぁー。こいつは酷いですな」 ヤクザ諸兄が退いた後、果たしてそこにあったのは乾燥しきった黒い血痕、そして砂。 だけれど視覚的情報よりなにより酷く、磯の匂いがした。 「さて、現場検証の前に一通りの情報を説明するとしよう。まあ混乱させるのもアレだったからね。遅くなって申し訳ない」 現場脇に止まった車に移動した極道たちを目で見やり、瓜坂さんはハンカチで額の汗を拭く。意外と緊張していたのだろうか、妙に安心した。 「良いですけど。そういえば、依頼者は誰なんです? 強面さん達ではないんですよね」 「そう、まさにその事だ。……今回の依頼人は正真正銘の一般人。依頼内容として言えば『通り魔事件があったから』解決して欲しいとのことだ」 「犯人捜し、ですか?」 あまりにも探偵らし過ぎて一周回って珍しい、依頼に私は目をパチクリさせる。 「まあそうなんだが、少々胡散臭くてね。証拠が少なすぎて泣き寝入りしようとしている被害者を見かねて、その知り合いの依頼人――秋門さんが依頼してきたって所なんだが……」 不審な現場に、不審な依頼人である。ふと気になって、クンクンと磯の香り以外の匂いを探ってみてそれから口を開く。この感じは、アレだ。 「微かにですけど、魔力の気配がします」 「まあ、するだろうねぇ。っていうか、オカルト犯罪だからこそ警察も『深夜の夜道で、酔っぱらって事故でも起こしたんじゃないか』って結論を出したらしい。それで不起訴」 「警察にも、オカルト関連の部署があるってこの前言ってませんでしたっけ? その人たちはどうしたんです」 王権神授説や天皇制に象徴されるように、政治と宗教――オカルトは切っても切れない縁にあり、各国の政府機関にも裏部門として専門家たちが存在するし、ある程度以上の人間は把握もしている。日本の場合は警察と神社本庁、宮内庁下の陰陽寮などだそうだ。 「規模が小さくて手をまわしてる余裕が無いんだと」 「小さいって……。怪我の規模はどれくらいだったんです?」 「被害者自身、左腕から肩にかけて大けがを負って、ギプス生活で全治一カ月らしい」 「結構な大怪我じゃないですか!」 警察が仕事をするべきだろう、と私は軽く睨んだが、瓜坂さんを睨むのも筋違いなのですぐに目を逸らした。 「まあ実際、特にオカルト側の対応部署は万年人員不足だからな。人死にでも出なけりゃ、不可能犯罪の調査なんてやらないよ、警察は」 「不可能……。オカルト側の技術を使えば、まあ出来ますよね」 「こっち側の人間じゃなきゃそういうのは『出来ない』って言うんだ。警察がやらないから、俺なんぞに回ってきた」 へぇ、と大雑把に頷きながら、私はあたりを見回す。警察が仕事をしていないのは腹立たしいが、彼らだって一生懸命やっているのだ。納得するしかない。 瓜坂さんは、既に何か見つけていたのか、採取用の手袋を取り出した。 咽る様な磯の匂い、残念ながら見慣れてしまった血液の塊、そして大量の砂と潮水と思しき腐乱臭を放つ液体。 「現場見ただけじゃ、何が何だか分かりませんね」 探偵の手伝いを続けるうちにある程度慣れたのだが、やはり匂いがキツイ。鼻を摘まみつつも表情にまでは不快感を出していない。鼻はいい方だが、まだ大丈夫。 「被害者曰く、『太い腕に足を掴まれて、よくわからない場所に引きずり込まれ、刃物のような何かにバッサリやられた』んだとか」 「それもまた、要領を得ないですねぇ……。妖怪とか、そういう類の事だと思います?」 「何とも言えん。人ではないと思うし、実際『迷い家』や『蚊帳吊り狸』『シロミ山』なんて言われる自分の領域に人間を連れ込む妖怪は実在する。他にも送り狼やタテクリカエシ、牛鬼なんかの道で人を襲う妖怪も多い。日本の妖怪だけでも三十は固いね」 当然だが、海外のモンスターが洋を渡って来た説も否定できない。だが、それとは別にある単語が気になって私は肩を震わせた。 「どうかしたかい、矢加部ちゃん?」 「いえ、気にしないで下さい」 ……なるほど、こういう言い回しは私にもできるのか。人を騙すようで心苦しいが、安全のためだから仕方ない。 「それよりも、目撃証言無いんですか」 「無いのさ。それもあって警察が投げ出したんだけどね……」 専門部署に投げるかどうか決めるのは専門家じゃない。事務職だ。だから、証拠不十分で警察は捜査を断念したし、死者も出てないとなれば情報すら行っていないとのこと。 「それで結局、さっきのヤクザさん達はどういう要件なんです。無関係なんですよね?」 「言ったろ、依頼人側が想定している被疑者だ。ただまあ俺が呼んだわけじゃなくて、彼らも彼らの事情で来たんだけど。さっき言った通り、彼らは完全にシロ」 どうにも瓜坂さんがあの人達に向ける信頼感は理解できない。瓜坂さんもそれは理解しているだろう、多分後で理由も説明してくれるはず。 けど『まず犯罪者を疑うべきでは?』と思うのも、私には当然に感じられた。 「まずあの人たちから疑うべきじゃないんですか?」 「それはない」 「何で断言できるんです? あの人たちこそ犯罪者でしょうに……」 「秘密……って言ったら怒るよね。まあ理屈はあるんだけど、どっから言ったものかね」 と、まあ。そんな会話をしていた時。 カカッと足音が鳴って――本当、近付くまで気付かなかったのが不思議ではあるけれど、或いは気付かれなかったから敢えて鳴らしたのだろうか――ともあれ、声がした。 「あらあら、そちらに見えるのは探偵さんじゃありませんこと? 先日はどうもお世話になりましたわね」 軽い会釈に、流暢だが文法通り過ぎる少しずれた日本語。 不健康にも映る真っ白な肌と、鮮やかながらも手入れ不足の見える金髪。 「ルイスさん……!」 「やあ、ルイス嬢。しばらくぶりですね? てっきりイギリスに帰られたかと思ってましたが……」 言外に、『さっさとイギリスに帰れ』と言っているようにも聞こえる。 「ええ、姉が居なくなったとはいえ、折角の日本ですもの。アレコレほしい物もあることですし、しばらくこっちに居る事にしましたの」 言葉に、背筋をヒヤッとしたものが通る。彼女の中では『死んだ』はずの姉の事をさも何でもないかのように言ってしまえる精神には、どうにも馴染めない。 この冷酷な感じが苦手なんだよなぁ。そう思っていると、私を庇うように瓜坂さんが前に出た。でも、西洋人らしく背の高いルイスさんと並ぶと、少し頼りない。 「マリーさんの件、あれからどうなりました?」 「先日の一件はご苦労様でしたわね。解決してよかったですわ」 「まあ、こちらもお金を貰っていますから」 丁寧なんだかあけすけなんだか良く判らない会話をして、二人は向き合う。 風に、ルイスさんのTシャツが揺れる。着古しているのか、裾がボロボロだった。 「ところで今日は何の要件で?」 「いえいえ、そう毎度探偵さんを頼るような依頼は有りませんのよ。妙な魔力を感じて様子見に来たら知り合いがいたので、声を掛けさせてもらっただけですわ」 「それはそれは……」 「ところで……。ツキナ! お久しぶりですわね。というか、ツキナと呼んでいいかしら」 「え? ええ、はい! 矢加部月菜です私!」 唐突に距離を詰められて、思わず声が上ずってしまった。妙に体温が上がる。外国人が皆こうだとは思わないが、うう。外国人全体に苦手意識を持ちそうだ。 「あら、変わった反応されるのね」 グイ、と今度は物理的に距離を詰められる。 ひえっ。 「あまりうちの弟子を脅かさんといてください……」 年下のはずなんだけど、欧米人故か私より背が高い。 そんな彼女は、瓜坂さんの言葉も気にせず、私の傍によって肩に手を掛けた。 「ひゃぁッ!?」 「ツキナがそんなに驚くことないじゃありませんの。私、ツキナには妙な――近親感? 親近感があって、仲良くしたいと思っていますのに」 「う、ぅう……。別に私もルイスさんの事は嫌いじゃないですよ、ただ流石に近いです」 「そういえば、日本人は奥手なのだと聞いたことがありましたわね。失礼!」 「まあともかく、ルイス嬢。矢加部ちゃんもこう言ってますし、もう少し離れて下さい」 「えぇ、ええ。おびえさせるのは本意ではありませんもの。それで結局、何の事件現場ですの? これは……。海のようなにおいもしますけど。ロンドンを思い出しますわね」 ええと、ロンドンは海には隣接してないんだっけ。となると……。 「テムズ川って淡水じゃなかったですか?」 私が首を傾げると、瓜坂さんが軽く解説を入れる。 「ロンドンはテムズ下流に位置しているからな。川幅が広いせいもあって、北海の潮汐によっては、磯の匂いも強くなるだろうさ」 「ええ、満月と新月の晩――大潮の時は特にそうですの」 「どちらも魔術師とは切り離せない重要な物ですね」 月にまつわる伝承は、世界中どんな地域にでも存在するそうだ。 「……そうですわねぇ」 ほんの一瞬、ルイスさんは動揺したように視線を下げて返し、しかしすぐさま顔を上げる。視線を追って、彼女の恰好が目に入る。Tシャツにジーンズ。こないだと同じ服装だ。 「しかし、これは一体どういう事態ですの……?」 磯の匂い、大量の砂、そして夥しい血痕。 「この辺りには海も川もありませんでしたわね?」 「私が知るだけでも五キロ四方には無いですね」 そう、そこが私たちの気になっていた問題点である。雰囲気からしても、海と無関係なオカルトの仕業ではないはずだが、ただの通り魔にしては海から遠いのだ。 「うん、矢加部ちゃんの言う通り。精密に言えば、一番近い西濱(にしはま)川からも、最短地点で7キロちょっとはあるね。細かい上下水道を通ったなら別だけど」 西濱川はこの浜岡市の西側を流れている川である。法区分で言えば普通河川、用水としての有用性も氾濫する危険性もそう大きくはない、長いだけの細々とした川である。 「どっちにしても、西濱川が海に合流するのは相当先です。さっきのテムズ川の話とは違って、この辺りじゃあ潮水なんて流れてきませんよ」 私が言えば、ルイス嬢はこちらに視線を向けて腕を組みなおした。 「瓜坂探偵はどう思いますの、この事件?」 「んー……」 一瞬悩むようなしぐさを見せてから、瓜坂さんはぽつりと漏らすように口を開く。 「もう少し調べてみないと分からない、というのが正直な所ですが。降霊術の類でしょうね。それもかなり新しいタイプの。これ見てくださいよ、小型の魔術陣です」 ルイスさんに見せた魔術陣、今懐から取り出したように見えたが……。いや、一度拾って懐に入れた物を出しただけのはず。多分。 そこそこ大きさがあるから、目立つような気もするが、私は気付かなかったなぁ。 「(そんなもの、落ちてたんですか?)」 「(まあまあ、気にしない気にしない)」 怪訝な視線を向けた私に瓜坂さんは黙ってろと軽く顎で合図し、紙を広げて見せる。 「これは……。ルーンに数秘術を組み合わせたのかしら?」 「ええ、二次大戦前後の――まだ魔術の系統化技術の研究が始まったころの術陣です。どこぞの三流魔術師でしょうね。アニミズム系の儀式も真似て、己に霊を憑依させるタイプの魔術でしょう」 「そう言われてみれば……。ええ、アカデミアの教本で似た様な物を見た事が有ります」 似た様なも何も、その教本からコピーしてきたのだから間違いない。一般的な魔術師にとっては型落ちに過ぎない魔術陣だが、準備が簡単な上に一般人に分かる証拠を残さないため犯罪者紛いの三流以下には大人気の一品である。 「どういう類の物を憑依して使ったのかは知りませんがね。一般人に被害を出すのはうまくないですね。警察は投げたって話ですが、それで俺が呼ばれた辺り、犯人も運が無い」 「おやおや、すごい自信ですこと。……探偵さんがいらっしゃるなら、安心ですわね」 そういうと、ルイスは軽く膝を払って歩き出し、数歩離れたところで振り向いた。 「まあでも俺も魔術探偵として、この辺りのオカルトの治安維持を請け負ってはいますからね……。どうしようもない場合、他の勢力に手を借りますよ」 「それは心強いですわね」 ルイスさんは納得したように頷いていたが、私には少しよくわからなかった。 「……え、そんなに多かったんですか、こっち側の人々って!?」 「うん、まあね。この辺りだと、例えば商店街脇の神社の神主さんとかは陰陽師の家系だぞ。っていうか、地鎮祭とかはちゃんとやらないと時々厄介事が起こるからな……」 「へぇ〜。そうなんですね」 「えぇ。私もこちらに引っ越して来た時に一度挨拶に伺いましたわ」 ルイスさんの言葉に、なんとなくサラリーマンの出向をイメージする。テレビドラマとかで見た記憶だけど、どこかに異動になると営業先に挨拶しに行く感じ。 「あとはまあ一応土地神様とか、土着の妖怪がいくらか。……で、一番デカい勢力がこの街の極道――藍崎組だな。あそこは昔気質の連中だから余程のことはしないけど、逆に一通りの事には通じてるから、当然のように魔法使いも囲ってる」 「……ェ!? ケフッ、ケフッ」 その言葉に、私は思わず喉を引きつらせる。あの強面たち、魔術師だったのか……。 「極道って、あのヤクザの事ですよね!? そんな連中がオカルト側の力まで持ってるなんて、危険じゃないんですか!?」 「危険かどうかを言うなら、石投げつけるだけでも人間は死に至るんだ。それに、『昔気質の連中』って言ったろ? そうそう進んで問題を起こしはしない。どころか、むしろこの辺りの治安維持に一役買ってるとも言える」 まあ、俺の同業者だな。瓜坂さんはルイスさんに聞こえない程度の声でそう言った。 「まあ! ツキナはご存じでなかったのね?」 「私はこちら側にきて日が浅いのであんまり。そういうルイスさんは? って、近!?」 地味にルイスさんの距離感が近くて怖い。まだ中学生くらいのはずだが、日本人比較で長身の金髪美少女に迫られるのは、何とも言えない恐怖があった。 華奢な体をしているから、威圧感は無いのだけど。金髪が、日光を弾いて光る。 「私も知ってはおりませんでしたが……。気配だけはなんとなく気付いてましたわ」 言いつつ、にじり寄って来る。 「はいそこ、近い近い。藍崎組は元々、戦国時代の武士にまで遡るんですがね、江戸時代の当主が妖怪を倒したことがあるらしくって。以来、この辺りで起こるこちら側の厄介事に出張ることも、少なくはなかったらしいんですよ……」 「まあ、おサムライですの!?」 「ええ、アニメチックに妖怪と戦うサムライです」 「なるほど……。そんな事情があったんですのね」 些か大仰な言い回しをしているが、瓜坂さんも魔術師ならば嘘ではない。多分。 「この国の場合、特に土地に根付いた妖怪や魔法っていうのが多いですからね。先日の陰陽五行もそうですが、神秘の行使にも土地の人間や歴史が関わっているんです」 付け加えるように探偵が言うとルイスさんは何か思いついたような表情になった。 「日本は魔術的に後進国と聞いておりましたが、中々どうして……」 「どうかしたんです? ルイスさん」 「いえいえ、こちらの話ですわ。ちょっと研究に行き詰っていたようなところがありまして、今しがた解消されましたの! お仕事の邪魔をしてもなんですし、失礼しますわ」 言うと、振り返らずに彼女は去って行った。 「瓜坂さん、何で藍崎組の事をあらかじめ教えてくれなかったんです?」 彼の視界に割り込むようにツカツカと歩み寄って来て、私はまなじりを吊り上げた。 彼は、おどけるような風もなく、静かに無表情で返した。 「ま、事情は色々あるがな。矢加部ちゃんは良い意味でも悪い意味でも『良い子』だからな。迂闊に紹介するのは避けた方が良いと思ってたんだ」 言われてみれば、まあそうだ。ヤクザ・極道というのに良いイメージが無い以上、どのタイミングで紹介されようが、そこそこの文句は付けただろう。 見透かされているようで妙に腹が立って、未知の隅のレンガブロックを軽く蹴った。 「それはそれとしても、さっき何か誤魔化しませんでした? 嘘は言ってないけど、本当のことも言ってないような感じ」 「当たり前だよ。探偵の仕事なんて、守秘義務掛かりまくりなんだよ。さっきの魔術陣だって、本当は現場で拾った物じゃない」 「やっぱり!」 妙だとは思ったのだ。あの時瓜坂さんは『どういう魔術陣か』の説明はしていたけど、現場に落ちていたとは一言も言っていない。ついさっき教えてくれた悪魔のトリックだ。 「嘘は良くないと思うんですけど!」 「嘘は吐いちゃいない」 「それでも、人を騙すのは悪い事です!」 我ながら少し頭が固いかも、と思うけど。それでも他にやりようがあったはずだ。 意味もなくルイスさんを騙すような真似をするなんて。確かに私もルイスさんは好きではないけど、だからってやってはいけないこともあると思う。 「良くない、つっちゃあそうなんだろうけど……。まあでも、仕方ないのさ」 「仕方ないなんて! 守秘義務ですから、って言えばいいじゃないですか」 「それじゃあ、『何かあります』って言ってるようなもんだべ。それに今回の事件というか事故はもう一個理由があってな。イギリスの魔術学会じゃ知られてないアレコレが関わってるっぽいから、迂闊に説明すると後が長くなるんだよ……」 相変わらず得心はいかないが、ひとまず理由があった事で我慢して私は目元を緩めた。 「確かに、それならまぁ……納得は出来ませんけど。でも、取り合えず良いとします。しかし、事故っていうのは……?」 「うん、今回はちょっと特殊でね、まあ要するに『誰かが捨てたブツが運悪くも特殊な儀式の条件を満たした』って所だろう。というか正直、俺も魔術以外のオカルトを扱っていなければ、気付かない所だったよ」 そう言った探偵は今度こそ本物の証拠品――ここに来てから拾った物を鞄から取り出す。 「鍵形の木製のアクセサリに、こっちはアラビア風のランプ、アルミのペーパーナイフに、テントウムシのバッジと羽根つきの万年筆ですか。雑貨屋の不良在庫みたいな並びですね」 「実際、似た様なモンだろうさ。万年筆については被害者が『現場で落とした』と言ってたそうだが、他の物に関しては恐らく、アレだな」 彼が指さしたのは、ほんの二メートルも離れない所にある町内会のごみ集積場。 その傍の掲示板には少し前に終わったフリーマーケットの広告が貼ってある。 「大方、フリマで売り損ねた商品を資源ごみに紛れさせて捨てようとして、運悪く引き寄せたんだろうな。紛い物とはいえ、ここまでそろえば役満だよ全く……」 「で、結局どういう事なんですか?」 「それについては、藍崎組にも真相を話さなくちゃだからね。向こうに移動してからだよ。……しっかし、よくもまあ俺が騙しているってわかったね?」 理由を問われても、どう言った物か。少し悩んでから、慎重に口を開く。 「それこそ、藍崎組ですよ。あのヤクザさん達が解決できない時点で、そう単純な問題じゃないんでしょう? 瓜坂さん言ってたじゃないですか、そこそこの事態以外じゃ自分は呼ばれないって」 「おぅ……」 何かいいところに当たったらしい。飄々とした探偵から、流石にため息が漏れる。 「ああ〜。ルイス嬢がそのことに気付いていたら……。俺もまだまだだなぁ」 呟きつつ、藍崎組と合流する前に言っておくことがあったと、瓜坂さんは緩んだ表情を元に戻して指を一本立てた。節くれだった指である。 「そうそう。説明をする前に一個注意。オカルト側の人間っていうのは、自分の呼び名を気にする奴が多い。矢加部ちゃんはあまり理解していないようだけど、『魔術師』と『魔法使い』や『ヤクザ』と『極道』を言い分けるのには意味がある。気を付けてほしいな」 言いつつ、少量の砂をビニール袋に確保していく。何してんだろう。 「ええと、藍崎組は『極道』なんですね? で、なんで砂拾ってるんです」 「俺の予想通りならこの砂は魔術の触媒としていい値で売れる」 「うわぁ、銭ゲバですね……」 この前の報酬を吹っ掛けた時にも思ったが、瓜坂さんは相当お金に汚い。 「毒が強いなぁ。話を戻すが、悪いオカルトから一般人を守る、という意味で彼らの場合は正しく『極道もの』なんだよ。侠客、とも言うがね」 「じゃあ、魔術師と魔法使いの違いは……?」 一通り現場を見終わったので、腰を上げてあちらを向く。 「ルイス嬢辺りに言い間違う前でよかったけどね。彼女らは基本的に、『魔術という学問』に対して誇りを持ってる。だから、『魔法使い』と一括りにされるのを嫌うんだ。だからどっちかって言うと、『魔術師じゃない奴は魔法使い』ってのが正しい」 「『魔術師じゃない』って言うと、どこかの宗教団体に属しているとかですか?」 「まあ、そういう事。魔力ってのは『信じる力』みたいな部分もデカい。魔術師連中は学問を拠り所にしてるけどね。宗教や家柄なんかを心の支えにしてる連中も居る」 「なるほど」 私が頷くのを見て、瓜坂さんは藍崎組の方へ手を振った。 「そういえば、被害者の方はどうするんですか?」 「そりゃあもう、口八丁手八丁よ」 「また騙すんですか?」 こちらについては、まだわからんでもない。少なくとも、一般人が迂闊に近付いていい世界ではないのは事実だ。 だが、どうにも苛立って口元をもにゅもにゅさせてしまう。 「さぁさぁどうぞ、奥で親分がお待ちです!」 藍崎組の車に乗せられてしばし、と言っても普通のワンボックスカーだが、行先も意外に普通。商店街の隅にある一軒の雑居ビルであった。 「極道のお屋敷って言ったらもっと派手なイメージがあるんですけど……」 「魔術師の『工房』なら罠だらけの屋敷でも良いがね、さっきも言った通り藍崎組はお侍さんなんだ。そうそう他人を本家に通さんさ」 随分な言い様ではあるがどうにも納得しようがない。 「それって面子的にどうなんです?」 「案外、親分の趣味だったりな」 「どんな趣味ですか、それ……」 奥からは何人もの気配と、言い合うような声。なにやら別件で揉めているらしい。 「……す、すみません! マカオの病院で一度は追いついたそうなんですが……」 「ああん? で、まさか逃げられっぱなしって言うんじゃないだろうな」 「はい、子飼いの陰陽師たちに式神を放たせて捜索させています」 「おう、わかった……。客が来る。下がっていいぞ」 「は、はい!」 スタスタと、小走りになった男が奥座から駆けてくる。少々ビビっているような声に反して、中々いいガタイをした男であった。それだけ『親分』は怖い人なのかもしれない。 彼とすれ違い、奥座に入る。 「おう、来やったな。ま、上がれや」 「(ぉお……。貫禄ありますね)」 上座に腰かけて待っているのは、還暦はまだ過ぎていないであろう脂ののった中年。いかつい顔に睨めつける様な強い笑顔。握られた湯飲みがお猪口にも見える巨漢であった。 あまり臆さぬ様子で――演技かも知れないが――瓜坂さんが口を開く。 「ご無沙汰しております、藍崎さん。何かあったんです?」 「ちょっとな。うちの子分格に伏見って名前の風水系の呪術師が居るんだが……。あまりよろしくない類の事をしていたんで、呼び出してたんだが、気付かれた挙句大捕り物になっちまった」 探偵は居並ぶ護衛達を気にせず、スタスタと2メートルほどの距離まで近づく。男は度胸、という奴なのか。女の私には関係ないので、堂々とビクビクしつつ、しばし迷って瓜坂さんの少し後ろに正座した。 「ま、一応礼儀があるんでな。取り合えず呑んでるドスは吐いてもらうぞ」 言葉に、少し驚いた。二、三度瞬きをする。 「(ええと、ドスは刃物としても……。呑むってどういう事!?)」 「(一応言っとくが、剣を飲み込む大道芸は関係ないぞ)」 「(それが違うのは分かります!)」 「(でも意味は分からないんだろう?)」 「(ぐぬぬ……)」 混乱している私を茶化しつつ、瓜坂さんはジャケットのボタンを外して懐から拳銃を取り出して畳の上にゴトリと置いた。 って、拳銃!? 「え、ちょ、瓜坂さん拳銃!?」 流石に驚いて声を荒げると、強面たちの数名が顔を背けて肩を震わせる。どうやら、慣れていない私の様子が愉快らしいが、それにしたって拳銃は……。 「いいから、いいから」 「あとで説明してくださいよ!」 「おい、瓜坂。オモチャはいらねェんだよ。もっと物騒なの外しといてもらおうか?」 「へいへい。ま、拳銃ごときでどうこうなったら、警察も苦労しないでしょうね」 瓜坂さんは向けられる殺気の籠ったガン付けにもビクともせず、懐から十字架や小さなコイン、不思議な模様の刻まれた板っ切れや曇りガラスの破片なんかを並べていく。 「(あの、瓜坂さん、それは?)」 「ああ、うん。ほら、『吸血鬼は十字架が苦手』みたいなの、あるだろ? 魔術以外にも、オカルトに対抗する手段ってのはいくつかあるからな」 還って来たのは怒声ではなく呵々とした笑い声。視線を向けると、親分と呼ばれた男が着物を揺らして低く笑っている。 「ケタケタケタ。愉快な嬢ちゃん連れてきたじゃねぇの。瓜坂のコレかい? しかしまあ、そこまで堂々とされちゃ任侠モンも形無しだァ! もう少しビビってくんねェと」 笑った彼が立てた小指、その意味の差す所をすぐに察して私はあわてて首を振る。 「違います、違います!」 「応ともさ。恋人にするんならもうちっとばかり騙されてくれる人間を選びますね」 さっき嘘だなんだと責めたのが気になっているのか、蒸し返すように彼は言った。 「二人して否定するってことは、ただの同僚かい……。詰まんねぇの。悪かったね、お嬢ちゃん。……改めまして、藍崎伍之介(いつのすけ)だ。よろしくな」 親分の貫禄として頭を下げれぬまでも、恐らくはもっとも丁寧な挨拶。 「矢加部月菜です。瓜坂さんのところで居候をさせてもらってます」 慌てて、平伏するような態度と共に挨拶を返す。何というかこう、オーラやなんかのせいで悪人なのかどうか判別しづらい人であった。 「まあ、極道のルールってのがあるから一通り荷物改めはさせてもらったが、楽にしてくれや。あ、そうそう。暑かったろう、良いモンがあるんだ」 藍崎さんが言ったときには、既に幹部の一人が立ち上がって部屋の隅の冷蔵庫に向かっていた。この辺りは流石縦社会である。 「……この匂い、シンナーじゃないですか!? あれ、でもなんか違う」 何か刺激臭がして、鼻を鳴らしてみる。ペンキのような匂いがしたから一瞬驚いたが、何か違う。すぐに違和感に首を傾げた。 「冷蔵庫を開けたくらいで香りがわかるとは、中々だね嬢ちゃん」 「まあ、うちは親分の意向でヤクはご法度だからな。オレら自身、どうかと思うし」 組長が楽にして良いと言ったからか、割と幹部連中も気軽に口を開く。 「そういう所はしっかりしてるんですねぇ……」 感心したような私に、藍崎親分は問うた。 「ところで嬢ちゃん、シンナーじゃないってェなら何の香りだと思う?」 盆に載って近付いてくるそれの全容は、座っているこの位置からじゃ見えない。 流石に近付いてきた今なら他の人にも匂いは分かるだろうが、シンナーに似てるくらいの事しかわかるまい。でも、鼻の言い渡しには確かに感じる。 「……花、いや果物系ですね……。あ、梨ですか!」 「ビンゴ、大当たりだよゥ。うちのカミさんがねェ、最近シャーベット作りに嵌まってて余ってんだ」 アイスの乗った小さな茶碗は全部で十枚。親方と客の分だけでなく、幹部たちの分も含まれている。これが許される辺りに、藍崎組のアットホームさを感じた。 「確かにシンナー臭ェわな、コレ」 真っ先に食べ始めた藍崎親分がまた笑い、それから少し真面目な表情になる。 「それで聞こうかい。今回の真相って奴を?」 「へいへい。まあ、ありきたりな霊的事故だな。どこぞの魔術師や魔法使いが捨てたのか、或いは偶然条件を揃えちまったのか。変な異界と繋がってやがった」 ドサリと、畳の上に置かれたのはビニールに入った砂と変わった形の石や宝石の類。 「古典的な悪魔を呼び出す術陣に、天体関係の宝石魔法と、あと場所は不明だが沿岸の密林の泥だな。ま、南米か北アフリカだろ」 「それで繋がる先ってぇと……」 「どことは知らんがな。神の国かニライカナイに準ずる異界だろう。ツァトって事はまずない。幸いにも僅かな隙間しか繋がらなかったようですが。だいぶ危なかったですよ」 「しかし、ニライカナイってぇと琉球だろぅ? 伝承としてもだいぶ隅っこの方だし、何より南米や北アフリカとどう関係あるってんだィ?」 オカルトと伝承の関係は、瓜坂さん曰く『いまいち分からないことが多い』らしい。卵が先か鶏が先か。伝承に描かれたから現れたのか、元々いた物が伝承に現れたのか。 ただ一つ確かなことは、『伝承に書かれていることは概ね正しい』というだけ。異説やら創作やらが入り乱れている以上、それらもまた不確かであるが。 「だから俺が対処する事態になったんでしょうに、全くもう……。ニライカナイってのはこの場合例えですよ。どこかは知らないが、小規模な『神々の居る世界』と繋がって、ついうっかり質の悪い神様を呼び出しちゃった、ってのが真相でしょう」 「それって言うとつまり……?」 私が問いかけると、藍崎伍之介はどうぞどうぞと手の平を振った。それを見た探偵は、しばし悩むようにしてから口を開く。 「現状何ともわからんが、『どこかの神様を呼び出してしまった』って所だろう。ここで重要なのは『どこかの』の部分。神ってのは宗教によってキャラ付けされるものだから、特定が難しいレベルとなると、そこまでヤバイ神ではないはずだ」 「なるほど。伝承が薄い以上、力も弱く、具体性が無いわけですね」 「応ともさ」 「でもこれで、後は依頼人のところに話をしに行くだけですね。……私としては、一番気が滅入る部分ですけど」 こちら側の事情を知らぬ一般人に下手なことを言ったら、どうなるか分からない。 「生憎だけどね、矢加部ちゃん。それで済む話なら、俺ここに呼ばれてないのよ。……単刀直入に聞きますよ。藍崎さん、誰を消せばいいですかね?」 その時の表情に、私は心底肝が冷える思いをした。 笑う、笑う。悪魔のような貌で。覇気も何もあったものじゃないというのに、吐き気のするほどのおぞましさを湛えて、瓜坂さんは嗤いながら問うていた。 やっぱりこの人は、悪い人だ。私の中の本能の部分が訴えかける。それを強引に無視するようにして、私は沈黙を保った。彼を信じた私は、間違ってない。そう信じる。 「消せ、なんていう物騒な話じゃないさねぇ……。ただまあ、通り魔事件の真相究明のお礼に、耳寄り情報を一つ教えてやろう。秋門不動産ってぇ、太い野郎が最近この辺りのシマを荒らしてる。海外資本だかがバックについてるらしくってね、えらく強情な手段であっちこっちの土地を買い上げては、詐欺じみた手口で高値に変えてるそうだ」 冷や汗をかきながらも、疑念を口にする。 「こんな地方都市の土地なんて、高値で買う人居るんですか?」 「お嬢ちゃん、人間に夢見すぎだねぇ。何としても手柄を立てたい地方の政治家、夢のタワーマンションを謳って一攫千金を稼ごうという馬鹿なボンボンに、『契約書の不備』でぼったくられる低学歴リーマンまで。騙される人間なんて、幾らでも居る。そろそろ警察も黙って居れん頃合いだと思うが……。彼奴め、探偵と極道は邪魔モンだとよ」 「まあ、詐欺師紛いの手を使ってるんなら、俺にしろ藍崎さんにしろ疎ましいだろうな」 「怪しいと思って探らせていたうちの下っ端が、念写の応用で見つけてくれたよ。狙われてんのは確実だが、警察は動きが遅いからな。恩も売れるぞ」 言いつつ、藍崎さんはお茶を飲み干した。 「大分ありがたい情報でしたよ。……じゃあ俺は、そろそろ調べものがあるもんで」 広げていたアレコレを懐にしまった瓜坂さんに続いて、私も立ち上がる。 「おう、気を付けてな! 嬢ちゃんも、またな!」 「あ、あの。失礼します!」 「しかし、これで繋がったね。さっきの依頼、どうにも藍崎さんとこを勘繰りすぎてると思ったが、俺に極道を潰させようとしたわけだ……」 「えーっと、どういうことですか?」 「ほら、忘れちゃった? 今回の通り魔事件の依頼人は、藍崎組じゃないんだよ。……依頼人の名前は、秋門半座。秋門不動産にお勤めらしい」 言うと、ニヤリ。 「あ〜あ、けったいなことになって来やがった」 「……じゃあ、今回の依頼人が!?」 「それこそ、藍崎さんの言った通り。人間に夢を見すぎるな、ってね」 あまりよろしくない感じの物に勘付いた私に、彼はニヒルに笑った。 その笑顔にやはり感じる薄ら寒さは、不信感などではなくて、ただの秋風だと信じたい。 「ヤアヤア、わざわざお越しくださって有難うございます。瓜坂サマ。それで先日お願い致しました藍崎組の通り魔事件の方はいかほどまで進みましたでしょうか?」 秋門半座。秋門不動産の経営主だというその男は瓜坂さんよりはるかに胡散臭く、何よりも過剰でやや間違った敬語を使う男だった。 皺ひとつないスーツに、成金臭い派手なネクタイ。そしてたっぷりとワックスのかかった、七三分け。 小物臭くて、実にいけ好かない。 「(うわぁ……)」 「(言うな、矢加部ちゃん)」 「オヤオヤ、こちらのお嬢さんは――妹さんか誰かでいらっしゃいますでしょうか?」 隣で軽く嘆息していた私にすぐ声をかける辺り、気配りができないという風でもないのだが、丁寧と慇懃をはき違えているような態度には瓜坂さんも引いていた。 不動産屋のソファ、フカフカすぎる椅子の上で無理やり姿勢を保ちつつ話す。 「いや、申し訳ない。この時期は少しばかり忙しい物で、まだ現場検証くらいしかできていないんですよ。ところで秋門さん、以前お願いしていた被害者との面会の方は……」 「以前も申し上げさせて頂きました通り、ハイ、被害者さんの方が面会拒絶と仰っていらっしゃるので、致しかねる次第でございます」 にべもなく、薄っぺらい笑顔で拒絶される。嫌味は無いが、中身もない。そんな顔だ。 やはり瓜坂さんの予想通りか。恐らくは秋門さんのシナリオでは『極道を通り魔事件の犯人に仕立て上げて力を削ぎ、その後藍崎組を煽って報復で探偵を排除する』というのが目的なのだろうけど、瓜坂さんと藍崎組が知り合いだったのが盲点だろう。 いや、もう少し穴のあるシナリオにも見える。極道にとっての報復というのは結構体力を使うらしいので、力を削いでしまえば瓜坂さんの排除は難しいはずだ。 通り魔くらいでは、末端構成員の尻尾切りで終わりかねないし。 閑話休題。 被害者との面会を断られるのは判っていたらしく、瓜坂さんはハンカチで汗を拭きつつ代案を出していく。 「じゃあ、秋門さんがご存じの範囲で構いませんので、事件当時の状況を教えていただけませんか。俺としても、情報は多いに越したことはないので」 言いつつ、ハンカチを仕舞う仕草に隠れて鞄の中でボイスレコーダを起動している。言質を取る辺り、抜け目がないなぁ。私としても素直に感心する所だ。 答えはもちろん、イエスだった。 「ええ、構いませんよ」 営業スマイルの裏に潜むのは、幾らでも情報操作が効くという事態への優越感だろう。 ならば、好きなだけ嘘を吐かせてやるのが粋という物、なんだそうだ。そう瓜坂さんは事前に言っていた。ここまでの流れは、ほぼ探偵の予想通り。 ハッキリと悪人だと判って居るだけに、私も一周回って冷静に見ていられた。 「まず知りたいのは、事件当時の状況ですね。警察の判断では、『酔っぱらっていて不慮の事故を起こした』との事だけど、その時飲酒していたのは事実なんでしょうか」 「飲酒はしておられたようでございますが、酔っぱらう程ではありませんでしたと聞いております」 「目撃者はいない、とも聞いていますが……」 「ええ、そちらの方を探偵さんに見つけてもらおうと思っていた次第なのですが、少なくともこちら側では把握いたしてはおりません」 中々慎重である。調べてわかる嘘は吐かず、それでもこちらを誘導しようとして来た。 「いえ、直接の情報ではなく。被害者はどれ位の数の実行犯を見たと?」 「伝え聞きました情報ではございますが……。四〜五人ほどでありましたと聞き及んでおります」 これだ。瓜坂さんの狙って居た言葉が出た。秋門さんが通り魔自身と通じているかどうかはともかく、この情報だけは嘘だ。 何せ、犯人は人間ではないのだから。少なくともこの時点で二つ、秋門が嘘を吐いていることと、藍崎組の把握している通りにこちらを嵌めに来ていることが透けて見える。 「(やっぱり、悪い人なんですね……)」 悪人がいる事が信じがたい、訳は無い。 そういう人が居るからこそ、探偵や警察という仕事もまた成り立つのだ。ただ、見るに堪えないというと傲慢だが、胃の奥がきゅっとなる気分である。 「そうそう、忘れてました。事件現場を整理した時に妙なものをいくつか見つけたのですが……。この万年筆、被害者さんが無くしたものではありませんか?」 ジップロックに入れた万年筆を鞄から取り出し、彼の目の前で軽く揺らした。 壁掛け時計は時刻は四時頃を示している。不動産屋に差し込む夕陽が、ペンの装飾を鈍く照らして、どこかの寺の鐘の音が聞こえた。 「……あ、ええ! 確かに間違いありませんかと存じ上げます。被害者の方からお聞き致しておりましたブランドとも一致していらっしゃいますし……」 一瞬、間があった。早口言葉の変な敬語のせいで分かり難いが、私達と藍崎組を嵌めることにかまけ過ぎて、被害者の側の設定を忘れていたのだろう。 彼が万年筆を奥に仕舞いに行っている隙に、私は小声で話しかける。 「これからどうするんです、瓜坂さん?」 「早めに片しちまいたいところだが……。やり返すには策が足りないな。今日は一旦お暇するとしよう」 「……そういえば瓜坂さん、拳銃の件については後でちゃんと聞かせてくださいよ」 「へいへい、後でね。しっかし、気になる所としてはあの野郎が通り魔の犯人なのか、それともアイツが通り魔事件を利用しただけで犯人は別にいるのか、それが問題だ」 藍崎組の話を聞いて、取り合えず実態を確かめに来たところまでは良かったが、よくよく考えてみるとこの事件は俺が思っていた以上に複雑なのかも知れない。 「それは……でも、瓜坂さん自身が『事故』だって言ってませんでしたっけか?」 「それこそ、藍崎組の情報が無かったから言えた事だよ。ただ一方で、秋門自身が一般人であったとしても、『通り魔』の側が自分の意思で秋門に従ってている可能性だってある」 それというのはつまり妖怪や悪魔、モンスターの事だ。 もう少し言うのであれば、『秋門が通り魔に利用されている』可能性や、『秋門と通り魔を利用している第三の黒幕が居る』可能性も存在するわけである。 「魔術師でも超能力者でもない人間でも、会話さえ通じるなら利用することは出来ますね」 「しかし、もしかすると存外に大きな事件に巻き込まれているのかも、なんてな?」 「脅かさないで下さいよ……。しかし、秋門さん遅いですね」 言われて、どちらからともなく口を閉じて耳を澄ます。気配は未だ遠く、話を聞かれている心配はない。だが。 「電話、ですかね……」 微かな話声と、くぐもった呼吸。ロバの耳の童話よろしく地面の大穴に向けて喋っているのでなければ、まず間違いなく電話であろう。 「矢加部ちゃん、内容は聞こえるかい?」 「ダメですよ瓜坂さん。人の電話を盗み聞くなんて!」 「あちらさんが喧嘩振って来てるんだから、邪道も何もないと思うが……。まあ、嫌な事を無理にはさせないって約束だしな」 「(どちらにせよ、とっ捕まえた上で適当な犯罪で警察送りにするんだ。後で聴取資料を(賄賂で)見せてもらえば問題ないか)」 「……なんか悪いこと考えてませんか、瓜坂さん?」 「言っとくが、もし万が一にでも大規模な陰謀とかに巻き込まれていた場合、情報不足で後手に回るのは悪手だからな。安全確保のためには手段は選べない」 「選ばない、じゃなくてですか?」 「あくどい手段を使わなかった場合、九割九分死ぬ状況だったら? 選びようがない」 なんて言ってるうちに、スタスタと足音。 「ヤァヤァ、大変お待たせ致しまして、誠に申し訳ございません。急なお電話をくださるお客様がいらっしゃいまして……」 私たち二人が話している間に、秋門さんが戻って来た。その表情は妙に硬い。 「いえいえ、それほどでも。我々としてもほとんど用件は済んでいたのですが、一件だけ、まだ質問し忘れていたことがありまして」 「ええ、どのようなご用件でございますでしょうか?」 言った時、向こうが見せた眼光にどこか据わったものを感じたのだろう。かく言う私もそうだったが、瓜坂さんは思わずといった風に私を軽く引き寄せる。 何か嫌な予感がする。それでも秋門さんがオカルト(こちら)側であるか、否か。確かめねばなるまい。鞄に手を入れ、証拠品として拾ってきた雑貨品の様な数々を机に置いた。 「ほぅ……」 ほんの一瞬、机に向けた視線を戻すと秋門さんの目元は細まり、眼光はこれ以上ないほど冷え切っている。 「(ああ、ダメだな)」 一瞬の判断、瓜坂さんは腕をつかむと、私を強引に立ち上がらせた。 「瓜坂さん、何を……ッ!?」 「あの事件現場からこうも的確に拾っていらっしゃいますとは。あの方が仰っていらしたことは冗談でも嘘でもなく真実だったのでございますね。これは、いけないなァ!」 言葉に、止まりかけた思考が二つ答えを導き出す。この男はオカルトを知って日が浅く、そして秋門さんを素人と知りながら力を貸した黒幕(だれか)が存在すること。 つまり、何らかの陰謀に巻き込まれてしまったという事だ。 「クソが! 最悪の事態じゃねぇかよ……」 「みたいですね! で、どうするんです!?」 「結論を言やぁ、この野郎は俺たちが思っていた以上に腹黒かったってことだ。でもってこれから起こることを言やぁ、化けの皮がはがれた悪人に襲われるところ、だ!」 声と同時、私達は合図もなしに一斉に飛び退る。 説明の途中に割って入って来た秋門さんは分厚いファイルケースを振り切った姿勢のまま、こちらを睨んでいた。中にはみっしりと書類が詰まっている。痛い、ではすむまい。 「悠長、悠長なァ!」 瓜坂さんは歯噛みしながら言った。 「最近、人を騙す方に注力しすぎて、探偵としての勘が疎かになってやった。計画が甘いと評したけども、そういう雑なシナリオを描くやつに限って、最後は暴力で解決しようとする。この作品の作者みたいにな!」 「何言ってるんです、瓜坂さん!? っていうか、逃げる感じで良いですか?」 騙す方だの作者だの、色々と気になるワードが飛び交っていたが。流石にとやかく言っていられない緊急事態なので、指示を仰ぎたいところだ。 「探偵が解決編をしている最中に、暴れる犯人が居るかよ! クソが!」 「どうして、どうしてアナタのルールに縛られないといけないのですか!?」 「探偵っていうのが、そういうモンだからに決まってるだろうがよ!」 「そんな、そんなこと! 知った事じゃあ、ありませんよぉおお!」 何処の何を覗いたか知らないけれど、完全に狂気に魅入られた人のそれだった。瓜坂さんの助手を始めてから、一度見た事があるかというレベルの狂気である。 ブゥン、ブゥンと座って居た一人用ソファを振り回すので、さらに下がる。その瞬間。 「ヒハ、ヒハハハハァ!」 秋門さんは、探偵が机の上に置きっぱなしにしていた拾得品を乱雑に握りしめ、並び替えると同時に、懐から木片の様な物を取り出して、ジッポライターで火をつけた。 木片からは煙が燻ぶり、妙な香りが漂い始めた。わずか数秒の出来事である。 「お香だ。矢加部ちゃん、ハンカチか何かで口を抑えて! その後、時刻を教えてくれ!」 「来ませい、来られませい! おお、■■■■■■■!」 秋門さんが叫び、引き攣るような音で、何かを呼んだ。 最後の音は、何とも言い難い叫びのような、呻きのような。でも確かに、何者かの名前であった。藍崎組で瓜坂さんが披露した推理通りなら、この事務所は一分と経たずにどこぞの異界に繋がるだろう。 呆然と見ていた私を、瓜阪さんが急かす。強い魔力に充てられてたのか。 「矢加部ちゃん、時刻は!?」 「五時十二分です!」 「あの道具一式と、あとは木片――お香のセットでオカルトとして完結してるんだと思う。或いは、他の魔術的パーツが事務所のどこかにあるかも知れないけど!」 聞いても居ない魔術の説明をしながら、瓜坂さんは懐を漁っている。 その中の一つ、魔除けのヒイラギを懐から投げつけた。効果はあまり無い様だが。 「さあ、さあ。来られますよ!」 些か笑い声じみた秋門さんの声と共に、触媒となった小細工達がブラックライトの様な妖しい光を放つ。光が描くのは、小規模なアーチ門。人間サイズであることからして、魔力不足かも知れない……直接的な戦闘能力を持たない私たち二人にはそれでも荷が勝つだろう。 強い魔力の気配に、軽く吐き気を覚えた。 「ヒャ、ヒャヒャハァ……ァぐ!」 笑っていた秋門さんの体が毛むくじゃらの腕に切り裂かれ、斜めに頽れる。肩が動いているのでまだ息はあるが、倒れた衝撃で肺に圧が掛かったのだろう、悲鳴は湿って重たく静かであった。 「な、何ですか……。アレ?」 得体のしれない、というより輪郭のぼやっとしたものが『それ』であった。赤い毛むくじゃらの腕、捻り曲がった刀、黄ばんだ歯の並ぶ大きな口など。要所要所のパーツはハッキリと見えるのに、全体の容貌が赤紫の煙で覆われて、イマイチよく見えない。 「正直、こーゆーのは専門外だから俺にもわからん。……だが、半分以上は霊体なんだろう。あちこち透けてやがるな」 言っている最中にも、煙の塊やら、毛むくじゃらの腕やらがこちらに伸びてくる。 対する瓜坂さんは、私を庇うように立ちながらも、護符や謎の宝石で何とか凌いでいた。 彼は、そのうち一枚をこっちに投げ渡す。 「矢加部ちゃん、多少のモンだが、これ持っとけ!」 「こんなの相手に、どうするんですか!? なんか便利な魔術とかないんです!?」 「そんなもん無い! 取り合えず退いて策を練るぞ! 恐らくだが、召喚の規模が小さいから、あのアーチ状の門からはそう離れられないはずだ!」 「分かりました!」 なんだかんだ、いくつかの修羅場をくぐってきたからだろう。意外にも私は冷静だった。 年頃の女の子としては、秋門さんの容態にはもう少し反応すべきなのだろうか……。 「物理的に何とかすることは、私には出来なさそうですけど……」 「生憎と、俺もだ。残念ながら運動は苦手でね……」 ある程度距離を取ったところで、追撃がやむ。予想通り、どうやら行動範囲は狭いらしい。いや、それこそ昼間行った事件現場を思えば当然か。 「さて、まずは作戦会議と行きたいところだが……」 霊とエスニックなパーツの怪物から視線を放さぬまま、慎重に声を発する。だがそれも一瞬、奴が投擲した槍を見て、私は伏せるように避けた。 「キャぁ!」 「ったく、油断も隙もありゃあしない……。って、おい。アレ!」 瓜坂さんが言いながら何かを指さす。魔力の光に照らされて、彼の髪のこげ茶が、明るく見える。ほぼ同時、現界の度合いが上がったのか、さっきよりもハッキリと『それ』の顔、いや顔たちが見えていた。 「トーテム、ポール……?」 民芸品のお面と野生動物を足して二で割った様な奇妙な顔が四つほど。縦に並んでいる。 「厳密には、アンセスター・トーテムって所だな。だが、さっきの祭壇と合わせりゃあ、ようやく納得がいく。コイツの正体は……『祖霊』だ!」 言葉に、数日前のオカルトの授業内容を思い出す。 「折角だ、矢加部ちゃん復習代わりに説明してみ、な!」 言いつつ、再びの槍を避ける。案外スピードが遅く、何とかなる感じだ。 「確か、神様の一種、でしたよね? 自分たちの祖先をまとめ上げて、『祖先の霊』という形にまとめたある種の神様を生み出して信仰する、原始宗教の一種」 「おう、正解!」 「魔術的に言えば、非常に珍しい、『人格』や『個としての特性』を持たない神様で、すごく大雑把に『○ ○ 族の祖霊』という形でのみ存在してます。そして最大の特徴は、今まで死んだすべての祖先、何千何万という魂を束ねる事で、そこいらの信仰にも劣らない、強い力を持つこ、と!」 言いつつ、三度目の槍。というより、良く見れば銛である。 私の毛先を少し掠った気がして、ごくりと生唾を飲み込んだ。 「磯の匂いがしたのは、そういう――漁村寄りの地域の祖霊だからですね!」 「応とも。百点満点だ、矢加部ちゃん! ちなみにもう一個言うなら、土地そのものに影響を与える力も持ってるんだろうな。この辺りの水道水が潮水になってるかもしれんぞ」 正直、今も伸縮する霊体と、エキゾチックかつ不気味な体のパーツはとても恐ろしかったが……。案外と、『何とかなる』という高揚感が私を強く保っていた。 「だが矢加部ちゃん、ここでもう一つ課外授業だ」 「何呑気なこと言ってるんですか!?」 相変わらず散発的に銛が飛んでくるのが現状だ。 「良いから、良いから。この前教えただろう、召喚生物を相手にするときの対処法は?」 確かに、その話も聞いた覚えがあるけれども。 「……召喚のための魔法陣や、儀式そのものを壊すことですか?」 「大正解! まだ日は沈んでいないから、間に合うはずだ」 霊だのなんだのっていうのは、夜の方が強いらしい。 「矢加部ちゃん、一瞬気を逸らしてほしい。君の能力は、確か幻術だっただろう。頼めるかい?」 何をするつもりか知らないが、するべきことは分かった。 掌に魔力を集中し、トーテムポールモドキへと意識を向ける。 「せぇー、ッの!」 瞬間、濃紺の魔力が跳ねた。その効果は幻影。 相手に幻を見せる能力。それが私のオカルトである。 「ありがとな!」 同時に、瓜坂さんがは懐から取り出したプラスチックの拳銃を撃つ。机に並べられた触媒の小細工達、その中の銀色のナイフに当たった。 プシュン、プシュン、プシュン。 「え、緑!?」 流石にプロではないのだろう。少し手間取る物の……三発目くらいで命中。同時に弾が爆ぜて、その中の塗料を広げる。色は緑、鍵を覆うように広がって、塗りつぶした。 「カッコつけるには弾を使いすぎたが……。見ての通り、ペイント弾だよ」 「ペイント弾……。そんなもの、何のために?」 不審げに私が言うのと前後して、部屋の奥にあった光のアーチ門が閉じ始める。 同時に、怪物もまた門の方へと引き寄せられ、こちらに腕を伸ばしつつも届かずに消えていった。祖霊は終始無言だったので、結構シュールな絵面だ。 「あ! ……魔術においては魔法陣や触媒に意味があるから、その色を塗り替える事で無効化しよう、っていう事ですか!」 「おう、満点の説明だな。さてと、この惨状をどうするか」 私はとりあえず、煙たいお香を消して窓を開け、換気を始める。秋門さんは重体だが、祖霊に切られた裂傷がかなり綺麗な断面をしているので、軽く布を被せて放置。 「素人が応急処置してもアレだし、取り合えずマッチポンプ野郎のためにも救急車呼ぶか……」 「ちょっと待ってください、瓜坂さん」 換気のお陰か、大分嗅覚が戻った私は『それ』に気付いた。 「なんか、この建物の奥の方から魔力の気配がします」 「なるほど、そいつが有ったからこうもアッサリ異界に繋がったわけか」 秋門さんが開けっ放しにしていたドアを潜り、事務所の裏へと入っていく。 不法侵入っぽくてあまり好きじゃないが、調査のためだし仕方がない、よね。 「ああ、アレですね」 それは、荒削りの丸太とその上に掛けられた大きな布。 妙に濃い、神社のような魔力の気配に、薄く吐き気がして私は眉を寄せた。 「こりゃあ……、呪物礼拝(トーテミズム)系列の降霊召喚をベースとして、魔力を流すための装置か。下のは御神木の代用品って所か……」 「それが何かは分かりませんけど、取り合えずこれが元凶なんですね」 「ちょっと矢加部ちゃん、不用意に触ると危ねえぞ。何らかの霊障があるかも知れん」 あと一歩、という直前で私は飛び退った。危なかった……。 顔を汗が伝うのが分かる。きっと今、血の抜けた表情になっているだろうな。 「ここら辺の書類とまとめて貰って行って、後で藍崎組に検分させるかね」 「そういう所、瓜坂さん躊躇いませんよね」 「いやあ、照れるね」 「褒めてませんよ。っていうか、人として軽く軽蔑します」 避難の目つきで軽く睨む。しょうがない、と思うには私には些か厳しく感じられた。 母が高校教師をしていただけに、小さい頃から『良い子』であろうとしていたからだろうか。私は、自分でも潔癖と思うぐらいには正義感が強かった。 「まあでも矢加部ちゃん、ここら辺の書類に関しては話は別だぜ」 「話は別って……窃盗か威力業務妨害で訴えられても知りませんよ?」 そうならなくても、人として良くない。 「そうじゃ無い、そうじゃ無い。ほら、ここ見てみ」 彼が指差したのは、丸太の周りに置いてあったファイルのラベル名。 「『藍崎組構成員一覧表』、こっちはなんかのシフト表……コンビニですね、駅裏の」 「被害者の人がバイトしてたコンビニだよ。事件の日時は二、三日前の夜九時前。そのシフト表と掛け合わせれば、八時にバイトを上がって近所で一杯引っ掛け、その帰り道で襲われた、って所だな」 瓜坂さんが口を閉じたのに、交代して私が口を開く。 「なるほど! やっぱり秋門さんが通り魔の真犯人だったわけですね」 「おいおい、俺の名推理を信じてなかったのか? これでも探偵だぞ」 「正義の探偵を名乗るんなら、こういう真似は良くないと思うんですけど」 「そりゃあ……」 一瞬口ごもった彼に、私の中の何かが爆発した。思わず眦を吊り上げる。 先日見せた守銭奴っぷり、ルイスさんへの人を食ったような態度。そしてここに来ての無断侵入&資料泥棒。どれも理屈が通ってはいたが、だからって良いわけじゃない。 何かを無性に言ってやりたくて、ふと脳裏をよぎった言葉を口に出した。 「さっき、『騙すのに注力しすぎて』って言ってましたよね。……アレ、どういうことですか!?」 きっと大した意味は無いだろうと、そう思っての質問だったが……。反して、静かな面持ちになった彼は、頭痛か何かのように目を閉じて擦り、それからこちらを見た。 何かを、覚悟した目であった。 「あーあ。迂闊なこと言っちまったなぁ……。それで、何が聞きたいんだい?」 まるで、こちらを試すような。 いわば『正しい質問』が出来なければ何も答えないと言わんばかりに、口を結んだ真顔。 その顔を見た私の脳裏には、なぜかたった一言が、直感的に浮かんでいた。 「瓜坂さんは、魔術師じゃないですよね?」 理由は単純、彼の魔術を見た事が無いからである。さっきだって、拳銃を使っていた。 「大正解。そう、俺は魔術師じゃない。何のオカルトも持たない、一般人さ」 その台詞だけは、オカルトには絶対に言えない。クレタ人のパラドクスだ。 魔術師じゃないのに、魔術師を名乗っている。その言葉に、オカルトとしての本能が反応した。私の脳裏で、何かがプツンと切れる音がする。 「このッ、嘘つきが!」 気が付けば、私は衝動的にビンタをかましていた。 我ながら、らしくないと思う。脳のどこかには『抑えろ』という理性の声も聞こえる。だけど、一度動き始めた嘘を否定する本能が、私を駆り立てた。彼を責め立てた。 頬を赤くした彼に、まくしたてる。頭に血がのぼっていて、表情は見えなかった。 「何で嘘を吐くんですか! 何で人を騙すんですか! そんなことをして、それで他人を嘲笑って楽しいんですか!?」 「落ち着け、矢加部ちゃん」 落ち着かなきゃいけないのは分かってる。でも、無理だった。 優等生たろうとしていた理性なのか、嘘を嫌うオカルトの本能か。 「瓜坂さんの正義はどこにあるんですか! それとも、探偵ってのも演技だったんですか!? ねぇ、私を騙して楽しかったですか」 まくしたてる私の肩を掴んだ瓜阪さんは、そのまま百八十度回転させた。 「君が俺を責めるのは勝手だがね。今救急車を呼ばなきゃ、アイツは死ぬぞ」 視界に移ったのは、裂けた壁紙と、血飛沫と、重症のまま気絶した秋門さん。 「あ、ああ……」 一瞬で、火が鎮まった。 そうだ。私は何をやっているのか。 いや、確かに瓜坂さんを追求するのも必要なはず。だけど、何故か色んなものを見失っていたような気がした。 「話の続きは、事務所に戻ってからだな」 「……ええ、はい」 人生で初めての衝動に飲み込まれる感覚と、秋門さんへの強い罪悪感。 その二つを抱いたまま、サイレン音が辿り着くのをじっと待った。 時間は過ぎて、その日の夜。瓜坂探偵事務所。 「どこから聞いたものだか、というのもなんですね。単刀直入に聞きます、瓜坂さんは本当は何をやっているのか。それを教えて下さい」 騙す、という言葉の範疇が私にはわからなかった。例えば、昼間のルイスさんにやっていたような事。アレだって、立派な欺瞞である。 勿論、この前の事件で彼女の残酷な一面を知っている私には『ルイスさんにすべてを話せるわけではない』というのは理解できたが、それでも納得がいかない。 「どうもこうも、見たまんまよ。うちは探偵を名乗っているが、その実態は商店街の何でも屋。同じように、オカルト絡みでも何でも屋をやってるんだ。詐欺師じゃあないが、人を騙すような手段だって時には使うさ」 言って、彼は一瞬席を立ってお茶請けを取って来る。マーマレードクッキーだ。 「ヤマモトの奴はオカルト詐欺師なんて呼ぶがね。実態としちゃ、何でも屋に過ぎんよ」 「詐欺師、ではないんですね?」 そう口にした時、私の脳裏をよぎったのは先日ルイスさんに請求したボッタクリじみた料金と、昼間会った藍崎組長の姿である。 どちらも、筋道立てた理由は聞いた。納得もした。だけれど、それはただ単に私を丸め込むための口上かもしれない。いや、そうであるなら自ら『詐欺師』なんて言葉は使わないか……? もしかしたら、更にそれを見越した発言かも知れない! 一度疑い始めると、止めようがない。私の中のどこか冷えた部分が、猜疑のスパイラルに陥っていく自分自身を、静かに見つめていた。 ただ一つ言えるなら。結論を後回しにするように言葉を紡ぐ。 「正直、私自身としては誰かのためであっても『騙す』ことを良い事とは思いませんけど……。ヤマモトさんが知っている以上は私に逃げ道はない、という事ですよね?」 「うん、そうだね。まあ、ヤマモトはあれで中々親切な奴だけど、別に裏が無いわけじゃない。アイツがどういう対応をするかはともかく、君自身が耐えきれないだろう?」 「ええ、瓜坂さんが『詐欺師』と分かって居ながら私を預けたんですから!」 瓜坂さん自身はともかく、お父さんが彼を詐欺師と呼ぶなら……。少なくとも、それを理解して私を預けたというなら、到底許容できることではない。 そんな風に冷静に考える間にも、疑いと信用のスパイラルをが脳裏を巡る。 「うん。だからまずは、そうだね。今回の事件の話からしようか」 彼が言い切った時、私は既に魔力を練り上げ、掌を瓜坂さんに向けていた。 瓜坂さんに魔力を感じる能力は無いだろうが、腕の周りを微かに燐光が飛んだので、脅されている事には感づいているだろう。それでも、なお彼はおどけて返事をした。 「おいおい、能力を使うつもりかい。察していると思うが、俺は無力な一般人だぜ?」 クレタ人のパラドックス、その逆のルール。嘘を吐けないオカルトには絶対に言えない台詞。それだけで彼が何の能力も持たないただの人であることは確実である。 「やはり、そこから欺瞞なんですよね。ハァー。でもだからって、実力行使をためらうほど私は甘くありませんよ!」 「おいおい、野蛮な正義だね。君が言う通り、俺がやっているのは詐欺だ。非難してもらってもいい。だが、無自覚とはいえ君も詐欺の片棒を担いだ。それは分かってるよな?」 「脅すつもりですか!?」 彼はハッキリと、自分自身が悪であることを告げた。いや、あるいはただ偽悪的な発言なのかもしれないが、この場でそんなことをする意味が見えなかった。 しかしそれでも、瓜坂さんを悪と定義したことで、私はある程度冷静になる。 「別に、脅しちゃいないさ。ただ、話を聞いてから判断しろと言っている」 「まあ、魔術師と違って一般人の瓜坂さん相手なら実力行使が効くでしょうし。話くらいは聞いても良いです」 一瞬とはいえ、気が抜けた。いや、丸め込まれているのか。いつの間にやら立ち上がっていた私は、ドサリとソファに腰を下ろす。 手に入れた冷静さで、『相手がどうしたいのか』考える。ここまでの会話からするに、この場に限っては私を排除するつもりはないはず。ならば、一度話を聞こうじゃないか。 だけど、その前に。 「でも、これで嘘を吐かれては敵いませんからね……。暗示をかけさせてもらいます」 私は自分の魔力を掌に集め、瓜坂さんの方に向ける。私の能力については、幻を見せる能力としか説明していないが、応用として他者に暗示をかける力もあった。 「おいおい、幻影系能力の応用で暗示まで使えるのか! 待てよ、じゃあさっきの矢加部ちゃんは俺を自殺させるような事も出来たわけか?」 「そこまでは出来ませんよ。『心の底からしたくないこと』レベルなら抗えます。でも、くだらない嘘で時間を食われるのは嫌なんです、私」 声と共に私の掌が軽く発光し、キーンという耳鳴りのような音が響き始める。 掌の上の人魂は揺れ動く五円玉のように不安定で、しかして目を逸らし辛いような何か引き寄せるものをもって見る者の視線を釘付けにする。 「(ッく。ああ!? こりゃマジ物の洗脳能力並みじゃないか……。抗うのは、無理か。自覚はないんだろうが、問われないように気を付けよう……)」 何かろくでもないことを考えているんだろうか、ごくわずかに眉根が寄っている。 耳鳴りと頭痛は三十秒ほど続いただろう。しばらくして、フルフルと頭を振って詐欺師モドキはこちらを見る。 「セイレーンや首吊り狸かよ全く……。ハァ、ハァ。矢加部ちゃん、ちょっと休んでいい?」 彼が息切れしながらも言った台詞に、私は一瞬目を細めて返す。 「何息乱してるんですか瓜坂さん。私の暗示はそんなに持たないんで、テキパキ質問させてもらいます。まず、直近で誰を騙したのか。どうやったのかを聞いても良いですか?」 「ハァ、良いけど……」 それから彼が話したのはにわかには信じがたい物語であった。 魔術師をやめたいというマリーさんの依頼のために、ルイスさん達に一芝居打った事。 その後、探偵として事件に介入して、不自然にならないように死の後始末を付けた事。 何より、それら全てを話術の応用でやってのけた事に私は一番驚いた。 「そんな、トントン拍子で行くわけが……ッ!」 「簡単とは言わないが、『嘘を吐く』事を念頭に置かない連中だ。存外簡単に騙される」 「だから、その態度が良くないって言ってるんですよ!」 一度冷静さを取り戻したからだろう。先ほどのような勢いは出なかったが、しかしそれでも私には辛抱ならなかった。 「真相は分かりました。でも、本当に騙す必要があったんですか? それに、きっと今までにも瓜坂さんは色んな人を騙してきたはずです。本当に正しいと言えますか?」 我ながら、らしくなく感情的になっている。 それでも私には、『嘘』という物がどうしようもなく許し難かった。 嘘を吐けないオカルトとしての拒否反応かも知れない。たとえそれが本能的な物だったとしても、私には『嘘』は許容できない物である。それが、私の感情。 言葉に、瓜坂さんの反応は静かであった。 「矢加部ちゃんは、本当に実直だね。実にオカルトらしい。まあね、騙す事を悪とする、嘘を吐くのを好まないって気持ちは分かるが……。今回の一件、損をしたやつが誰か一人でもいるか?」 「それは……」 「マリーさんは望み通り後腐れなく魔術師をやめた。スリップジグの一族は冷血な魔術師らしく彼女に未練はないだろうし、どころか若手どもは家督を奪うチャンス、老人達にとっては疎ましい日本魔術が入り込む可能性が消えたわけだ」 確かにルイスさんは言っていた。マリーさんは一族中から何かしらの恨みを買っていたと。もしかしたら、彼女が魔術師をやめたかったのはその圧のせいもあったのか。 だが、それでも。損をした人間は確かにいる。 「でも、それでも結局、瓜坂さんはルイスさんとマリーさんから『謝礼を騙し取った』事にはなるじゃないですか!」 「ルイスが言ってたろ、『一族の全員に動機がある』って。実際、『死んだこと』にせずにマリーが家を出ようとしていれば、ひと悶着では付かないどころか、全て終わった後に怨恨で殺されても仕方なかっただろうさ。第三者が立ち入らずに解決するのは無理だ」 「それは……。でも、やっぱり騙すのは……」 「弁護士だの、裁判所だのが間に入れば、こんな封筒一つじゃすまない金額になる。大体『真実はたった一つ』なんて皆言うけどね、真実が一つという事は『得した奴と損した奴が一セット居る』という事なんだよ。そんな真実、新たな怨恨の火種に過ぎない」 矢継ぎ早に繰り出された言葉に、それでも私は頷くことは出来ない。 思えば、私は彼にどこか憧れていた部分もあったのだろう。 守銭奴であるにしても、正義を追求する探偵としての在り方に、ヤマモトさんと同じく親代わりとして接する優しさに。それぞれ尊敬し、信頼していた。 それに何より。思い出すのはこの探偵事務所に居候することになった切っ掛け、瓜坂さんは『あの事件』を解決した人。だから、その『正しさ』を信頼していたのに……。 「だからって、真実を隠して偽りの平和と幸せをばら撒くんですか!? 今回だって!」 「明らかに悪い秋門を別として、誰が損をした。まあ、今回はそもそも『騙して』は居ないがな。事情は知らんが、こっちに手を出して来た以上はやり返されて然るべきだろう」 「それは……。そうですけど。でも、じゃあ昼間のルイスさんの件はどうなんです?」 「あの時言った通りだよ。守秘義務もあるし、迂闊に首を突っ込まれたら双方に被害が出かねない。矢加部ちゃん一人が、俺の目の届く範囲に居る分には良いが、勝手に知らんところで動く奴に、余計なことをいう訳にはいかない」 そう、徹底して彼は『被害』を否定するのだ。 騙そうが、代価を請求しようが。誰かを不幸にすることを、彼の正義は認めない。 「でも、慈善事業じゃないからと言って、真実だけが正しいことだとは、俺は思わない。『残酷な真実』なんて言葉の陳腐さは、それだけ傷付いた人が多いってことだ」 私は、長く返事をしなかった。 理性も、感情もお手上げである。私の感情は理路整然とした理屈に弱く、私の理性は『誰かを不幸にしてまで正義を貫く』という事を良く思わなかった。 だから、ポツリと漏らすしか出来ない。それでも決して目するわけではないと、子供っぽい意地を口にする。 「……私だって、自分の了見が狭いのは知ってますよ。でも、そう言う『器用』なやり方みたいなの、あんまり好きじゃないんです」 「潔癖の自覚があるのは良いことだよ。嘘も方便だ、なんて言葉で丸め込まれるとも思っちゃいないがね。君は君の信じる物を、何より俺を見極めればいいさ。学校の課題じゃないからね、結論は急がない。まあとりあえずは、探偵業務のお手伝いだけで良いからさ。しばらくここに居なよ」 言うと、瓜坂さんは新しいお茶を注ぎに調理台の方へ向かう。私は結局、事務所を出て行かなかった。 【瓜坂誠司】 少しだけ欠けた満月が、夜空と街並みを照らしていた。 「先生の娘さん、かぁ……。似てるような、似てないような。まあ、奇縁だしね。しばらく見守らせていただきますよ、っとね」 間章 二 【■■■■】 いやはや、見事なものです。こちら側で働くただの一般人の詐欺師が居るなどと聞いた時は驚きましたが、あの胡散臭い男――『やあ、私はヤマモトと呼ばれている者だ!』などと挨拶してきたのです、とても怪しい――は嘘を吐いていなかったのでしょう。 いや当たり前ですね、彼自身は何の変哲もないオカルトなのですから。詐欺師の親友などというから、グルなのかと思ったが明らかにオカルトを使ってましたし。 だが、そろそろ詐欺師探偵も邪魔ですね。目的を果たすまでの間、あの小五月蝿い連中から距離が取れれば良かったので利用してましたが、嗅ぎまわられては厄介です。 前回の儀式が失敗した理由もハッキリとしました。こうなるとやはり、マリー・スリップジグの研究データが欲しい所ですのに……。どこを探しても見つからない! 新月の日まで三週間ほど。不安要因は出来るだけ取り除きたいところですね……。 そういえば、変な噂を聞きました。予知能力を持った少女でしたか。もしかすると、厄介なことになるかも知れませんね。手を打っておきましょう。 第三話 死なない未来/人を疑う仕事 【瓜坂誠司】 「いやー、掃除なんてやるもんじゃないね……」 掃除機のフィルターを外して、風を起こさないように気を付けながらゴミ袋に入れる。 月は変わって十月。ふと見ると、フィルターの中に茶色の毛が落ちていた。俺のとは少し違う。短くて太いから、男の毛に見えるんだが、最近来た客に心当たりはない。 「まあ、いっか……。しかし、本当掃除ってのは面倒だね」 「うちだって一応は客商売なんですよ、事務所を綺麗にするのも仕事の内です」 台所のシンクで雑巾を絞っていた矢加部ちゃんは、バサバサと振ったそれを部屋干し用の突っ張り棒に掛ける。腕の動きに合わせて二つ結びが揺れるのが、妙に可愛い。 「そうは言ってもねぇ……。やる気で無いんだよなぁ、いくつになっても」 「そんなだから、『男はいつになっても子供』なんて言われるんですよ、今の時代でも。それに見て下さい、部屋の中も大分すっきりしたでしょう?」 言われて見渡せば、まあ確かに部屋が綺麗になったのは事実だ。掃除終わりにお茶でも飲もうと、矢加部ちゃんがガスコンロに火を入れる。 「瓜坂さん、今日はなにが良いですか?」 「良い佃煮が手に入ったんだ。奥に煎茶があったから、それ出してくれ」 「相変わらず、お茶請けのセンスが変わってますねぇ……。まあ、美味しいからいいですけど」 そうだろうか。甘い菓子やせんべいの類以外にも、佃煮や漬物も結構お茶に合うのだ。 「シジミとフキ、ちょっと良い奴買って来たんだけど。見切り品で安かったんだよね」 「普通、ご飯のおかずにすると思います」 「良いんだよ、秋口は茶葉が甘くなるんだから」 「まるで意味がわかりませんけど……。まあ良いです」 お茶葉を取るため矢加部ちゃんはキッチンに。セーラー服に皺ひとつ寄せない伸びたその背中を見て、俺はひとりごちた。 「あの娘、なんだかんだでもメンタル強いよなぁ」 半ば詐欺師じみた俺の実態がバレてから、はや数週間。矢加部ちゃんは大して変わった事が無いように暮らしている。 「佃煮は冷蔵庫ですよね?」 「おう! ……もう少し拒絶されるかと思ってたけど、ケロリとしていやる」 別に自分自身が間違っているとは思っちゃいないが、オカルトが嘘を嫌うのは殆ど本能だ。動物が火を恐れるのと同じように、当たり前に嫌悪感を抱く。 理詰めの塊である魔術師や、ヤマモトのような数奇者はともかく、一度明確に拒否感を示した彼女がこうも安定しているのは、俺にとっては意外であった。 「はい、お茶入りましたよー」 小皿に佃煮を乗せ、お茶と共に持ってくる。 「うん、やっぱ美味しそうだねぇ」 さっきまでの思考にそっと蓋をして、俺は小皿を持ち上げた。 【二】 「そういや、噂に聞いたんですけど。『予言少女』なんてのが居るらしいですよ、近頃」 矢加部ちゃんがお茶を啜って、話を続ける。 「説明が難しいんですけどね。『これから自分が死ぬから助けてほしい』って言って、実際言ったとおりに事故が起きたり、或いは通り魔に襲われるのに、ギリギリのところで死なない、っていう変な女の子が、最近出没するらしいんですよ。駅前で」 「なんか聞いたことがあるような、無いような」 藍崎組が何ぞや言っていた気もする。あの爺さんは結構いい頻度で情報をくれるのだ。 「それで、その噂がどうしたって言うんだい? 矢加部ちゃん」 「いや、そういうオカルトって存在するのかなって」 言うと、彼女は蜆を一口。運悪く砂でも入っていたのか、手で小皿を隠しつつ、ペッと吐いた。こういうあたり、仕草が綺麗だよなぁ。 「そうだな。まあ、死を予言する能力は別としても、ここ数週間で噂になるレベルで何度も死に掛けてるとなると、呪われてるか、怪しい魔術結社に狙われているか……。ったく、どこの主人公だよ」 噂になるというのは、それだけ目撃情報があるという事だ。今回の場合、その数だけ少女が『死に掛けた』訳である。 「言われてみればそうですよね。聞いた話じゃ、二週間か三週間前から噂になってるっぽいんですけど……。私が効いただけでも、十回くらいは死んでるっぽいですよ」 「仮に噂になるのに一週間かかるとして、だ。一月で十回か。いや、もしオカルトならもっと高頻度で死んでるはずだから二日に一度は死に掛けてるとすると……」 「不幸、っていうより。呪われてるレベルですよね、それ」 お茶の香りと、佃煮に混ざる微かなショウガの匂いを楽しみつつ、俺は呟く。 「案外面白いかも知れんな。これは」 「不謹慎ですよ。人が死んでるんですから」 「いいや、人は死んでない」 「え! ひぇっく!」 断言したことに驚いた矢加部ちゃんは、思わず佃煮を飲み込んでむせた。 咳をする度、スカートだのなんだのが揺れて、オッサン不安になっちゃう。胸? そういう事言うとね、今の時代セクハラになるのよ。まあ、揺れるほどではないんだが。 「ゲホ、ゴホ。……どうしてわかるんです?」 軽く涙目で放たれた問い。素がカワイイ系の少女なだけに、少しあざとく見える。 「人が死んでりゃ警察が動くし、予言なんてしてる以上重要関係者で連れてくだろ。その上でもしオカルトなら、警察のオカルト関係のトコから調査報告か協力要請が来るはずだ」 マリーさんの偽造国籍や秋門の件でもそうだが、うちの事務所と警察のオカルト関連部署は持ちつ持たれつの間柄だ。 多少の不正や情報漏洩をしてでも目立つ事件を起こされたくない、そういう連中である。 「さて、その上で。矢加部ちゃんは『どういうオカルト』だと思う?」 「どういうって……。さっき話した噂通りじゃないですか」 「それはあくまで観察した結果だよ。噂である以上、『外から見てどうか』であって、実態じゃない。幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってね。現実と噂は違うさ」 「ああ、なるほど。ある意味『伝承』の一つの形なんですね」 理解が早くて助かるなぁ。オカルトは伝承の影響を受けるが、同時に『伝承とオカルトが全く同じもの』である訳ではない。蜆を舌の上で転がしつつ、言葉を続けた。 「その上で言うなら、例の少女は複数のオカルトか、あるいは事件が混ざったものなんじゃないかと俺は思ってる」 「複数って言うと。つまり噂を二つに分ける、ってことですよね……。あ! 『未来を予知する少女』と『少女を殺そうとする何者か』ってことですか」 「おう。『少女が死なないから殺そうとしている』のか、『殺されかける中で未来予知の力を得た』のか。はたまた案外、『死のうとする少女を全力で助ける何者か』かも知れん」 どれにせよ、実に興味深い。ゴクリ、味の薄くなった佃煮を飲み込んだ。 「で、どれなんです?」 「さあ、知らん。現物を見てみないと何とも言えない」 「ハァ」 言うと、矢加部ちゃんは溜息を一つ。ズズズとお茶を啜り、一拍おいて目尻を上げた。 「そーですよね。報酬が出ないんじゃ、瓜坂さんは動きませんよね」 「矢加部ちゃん、俺の事金に汚い守銭奴だと思ってないか?」 「頭痛が痛い文面してますけど、そう思ってますよ。事実そうじゃないですか、今までも報酬吹っ掛けたり、証拠品売っぱらって稼ごうとしたり……」 うーん。ルイスの時とかに吹っ掛けたのも、理由はちゃんとあるんだが……。 それはそれとしても、カチンときた。可愛かろうが何だろうが、バカにされれば普通にイラっと来るね。うん。 「オーケー分かった。じゃあ、その噂の少女の正体、見つけてやろうじゃないの!」 売り言葉に買い言葉というヤツである。 我ながらガキっぽいとは思うが、こうして俺達の調査は始まった。 【三】 「さてと、この辺りらしいけど……」 やって来たのは浜岡駅――この辺りのターミナル駅近くの繁華街。時刻は十八時十分。 商店街の何でも屋なんてやってるお陰で、結構な量の情報が集まった。その結果から言えば、噂の少女の目撃情報は浜岡駅周辺がトップで多い。 今まさに沈もうとしている夕陽が、地平線を赤く染める。 「で、こっからどうするんです?」 「オカルト絡みなら、矢加部ちゃんに魔力を探してもらうってのが一番手っ取り早いんだが……」 「この人混みは無理ですよ。無理」 「だよなぁ」 勿論、無理は承知で代案を用意してある。 「ってな訳で、これが目撃情報のリスト」 市内某高校の制服、茶色いショートカット、鞄は持ち歩いていない。などなど。 「わー。一気に探偵っぽくなりましたね」 「ぽいも何も探偵だよ」 「え、詐欺師じゃないんですか?」 「ヤマモトが勝手にそう呼んでるだけだ」 などと。他愛もない会話をしつつ、駅付近をウロウロする。 刑事は足で稼げ、ってのはホント至言だよなぁ。俺刑事じゃないけど……。あ! 「居た居た。あそこの、浜岡西高の制服着てる子じゃねぇ?」 「そう、ですね」 リストと見比べて、矢加部ちゃんもうなずいた。 短めの茶髪を揺らして歩く、活発そうな雰囲気の女子高生である。 「しかし瓜坂さん、女子のブレザー見てすぐ高校がわかるとか、何らかの変態ですか?」 「違う違う! っていうか探偵の必須スキルだよ。相手の恰好見て正体類推するのは」 ただ確かに、『人を騙すような仕事もやりまーす』と言っちゃったことを考えれば、発言にも犯罪臭を嗅ぎ取られようというものだ。自業自得か。 「矢加部ちゃん、ちょっと行って来て。同年代の子の方が話しやすいだろうし」 「それこそ瓜坂さんがいきなり話しかけたら、怪しいですもんね」 「毒がきついねぇ〜」 正体バレしてからの一番の変化は、ある意味この毒の強さかも知れない。 まあ頑張れ、と手を振りつつ視線をそらさずにジーっと確認する。 「あの〜。すみません、ちょっと良いですか?」 矢加部ちゃんが言い始めるよりも一瞬早く、まるで話しかけられることがわかっていたかのようにその少女が振り向いた。 「……ッ!?」 俺と同じく息を呑んでいる矢加部ちゃんを見て、すぐに傍に駆け寄る。 「怯えないで、怯えないで。今回は初めましてだね、探偵さんの助手ちゃん?」 予言能力を持つ少女、その言葉がこんなにも真実味をもって理解できるとは思わなかった。名乗るより先に正体を察せられたことに、警戒して軽く肩が震えてしまった。 「その、えと。貴方が噂の予言少女さんですね?」 「だからリラックスしてってば。まあいいや、そっちの探偵さんもそう警戒しないで」 矢継ぎ早に話す彼女は、何かに急き立てられているのか、額に汗をかいていた。 【四】 「改めましてはじめまして。探偵の瓜坂誠司だ。よろしくお願いするぜ?」 「私、アルバイトの矢加部月菜です。よろしくお願いします」 駅舎の隅に移動してしばし。タバコやら道行く人の香水やらの煩雑に入り混じった匂いを嗅ぎながら、俺たちは自己紹介をする。 「助手ちゃんね。って言っても知ってるんだけど。まあヨロシク。アタシは、成平環という。一月くらい前に変な連中に拉致られたと思ったら、妙な能力を手に入れちまったぜ!」 とんでもない事を、すごい軽いノリで言ってくれる彼女は活発そうな見た目と裏腹に、どこか頭痛持ちらしい仕草が見えた。 「ええ、っと……?」 戸惑っている矢加部ちゃんを制すように、俺は言葉を挟んだ。 「そりゃあ災難だったね、としか言えなくて申し訳ないが。何か急いでるみたいだし、サクサク行こうか。君にはいくつか質問したいことがあったんだ」 今回の一件は分からないことが多すぎる。予知の仕組みや、どうしてその能力を得たのか、成平ちゃん自身がどこまで把握しているかも確認しないといけない。 我ながら豪胆だと思うが、拉致というワードは一回無視して……。三つくらい。 俺が三本指を立てた時、彼女はひょいと近寄ってそれらを握った。背筋が冷える。 「一つ目の質問は、アタシが何を急いでいるのか。予想通り、もうすぐアタシは死ぬ。良くは分からないが、駅裏で『何か』が起きる。そっから逃げてくる人や車にぶつかるはずだ」 「……正解。二つ目は?」 予知能力だろう。質問を先回りされたのか。出来るだけ冷静を保ちつつ、返す。 「二つ目、アタシがこの能力を得たのは約二週間前、カルトじみたやつらに誘拐された時によくわからん儀式に巻き込まれたせいだ」 魔法使いの集まりだろうか。儀式規模となると、かなり強い呪いかも知れない。 「その連中は多分俺も知ってるな……。警察に捕まったと聞いたが、自分が死ぬ未来を見せられるとは、厄介な呪いだな」 「三つ目、アタシ自身が知っていることはそう多くない。経験則なら話せるが、時間はそんなに残っていないし、生憎と頭が良くないもんでどう説明して良いかもわからない」 「……なるほど、もうすぐその『事故』が起きるんですね?」 ハイスピードで話していたためか、やや置いてけぼりだった矢加部ちゃんが声を挟んだ。 「おう、悠長に話してる余裕はないってわけだな」 「それと未来の探偵さんから伝言。『俺が環君に質問をするか、十八時三十分を過ぎた瞬間に裏の雑居のビルでなにかが起きる』だそうだ。ちなみに、ビルから逃げきた人間の波に巻き込まれてアタシ達はこの後死ぬ」 唐突な死亡予告宣言に俺は馬鹿らしさを覚えつつも、しかし『オカルトは嘘を吐けない』以上は事実である。だが同時に、回避する手段は存在するはずだ。 言い回しからして、かなり強い未来予知能力を持っているようである。 「安心しろ、矢加部ちゃん。環君の言う通りなら未来の俺たちは既に死んでいる。でもって、この落ち着き様からするに死が確定するまでには余程の猶予があるか、でなければ『死なない未来』を選ぶことが可能なはずだ、この子には」 「大正解。やっぱり頭の回転が早いね、探偵さん。ただ、地味に時間が無いんだ」 成平さんが指さした壁掛け時計は六時二十分を過ぎていた。 「もうそろそろ、次の質問を頼むよ」 例の伝言から分かることはいくつかあるが。それを細かく分けて整理する時間が今は惜しい。ただ一つ言えるなら、彼女の予知にはかなり明確な『ルール』がある。 「……そうだな。環君が生き残れば被害者は出ない。死を回避するルートを選ぶまでは延々と繰り返す。環君は呪いについてはほとんど理解していない、ねぇ」 「その上で、死因は駅裏の方から逃げてきた人とぶつかって死亡ですか」 「ああ。ちなみにアタシが全力で駅から遠ざかった場合、車に轢かれて死んだよ」 その言葉に、俺一つ思い至って目線を上げる。 「なるほど、『未来を変えるために動いたらどうなるのか』もまた知ることが出来る訳だ……。四つ目の質問は『君が未来を変えることが出来る範囲はどれくらいか?』だな。少なくとも君は、矢加部ちゃんが話しかける事を知っていたね? 君が未来を見たのは、いつなんだ?」 「うーん。未来を見た、未来を見たねぇ……。表現は微妙にずれる気もするが、タイミングとしては十八時ジャスト。逆に今までの経験則上、約一時間生き延びればそれ以上死ぬ心配はない」 言葉を聞いたとき、ようやくわかった。これは、思っていたより難しいぞ。同時に、つい口元を歪め、呵々と笑ってしまった。 矢加部ちゃんが狂人を見る目でこちらを見てくるが、困難な状況でこそ愉快に思える。 「そうだね、いつになるかは知らないけど、絶対に助けてやるよ。環君」 「別の時間のアンタもおんなじこと言ってた!」 額を抑えつつ発された成平ちゃんの皮肉を背景に、駅裏のビルから爆音が聞こえてくる。 どよめきの波が向こうから伝わって来て、やがて悲鳴に変わった。 【五】 【視点変更:矢加部月菜】 ざわめく人混みの中、成平さんのブレザーをめぼしに、必死に追いかける。私は声を張り上げて、瓜坂さんに問いかけた。 「瓜坂さん! ここまでの五つ(・・)の質問で、どこまでわかったんです?」 「もしも『環君以外にも被害者が出る事はない』っていうなら、駅裏の事故でも当然被害者は出ないはずだ! まずは現場の確認をしたい」 「他に何か分かった事は無いんですか!?」 「気になることと言えば、未来の俺からの伝言だな。環君は心当たりないのか?」 「ない!」 面倒くさそうに端的に告げられた言葉に、私は思わず悲鳴を上げる。 「それじゃあ行き当たりばったりにするじゃないですか!?」 「そうでもないさ。少なくとも、未来の俺は『何か』を見た。だからアドバイスを寄越したはずだ。その、『何か』を探す!」 それを探したからこそ死ぬのではないかとも思ったが、それでも他に解決の糸口があるとも思えない。前から走ってきた人とぶつかりそうになって、髪を抑えた。 どよめき走る人混みの中、駅舎を出て再び繁華街に出る。 「アタシが案内する! 少なくとも、『いつ、誰にぶつかるか』は覚えてるからね!」 その言葉には頼もしさしか感じられない。 「……すごい」 今まで彼女が見てきたあらゆる可能性の未来、その全てを記憶の中にを覚えているのだというのなら、その記憶力はいかほどなのか。 「そっちの左路地からは人が来る! 大通りを行って!」 件のビルまでは百メートルかそこらだ。 「この距離なら、早々事故に巻き込まれることもないですよね……」 「そうでもないと思うぜ、矢加部ちゃん!」 言うと、瓜坂さんは軽く私の肩を引き寄せる。瞬間に、横を通り過ぎるオートバイ。 「『今まで被害者が出ていない』ってことは、俺達の誰が欠けた時点で例外に突入することになる。人道云々以前に、事件が解決しなくなるぞ!」 「もう少し、死への恐怖とかないんですか!? 私、滅茶苦茶怖いんですけど」 さっきも瓜坂さんは死を突き付けられたまま笑っていた。まるで面白いゲームでも見つけたかのように。彼が嘘を吐くことへの拒絶感以上に、得体のしれない恐怖を感じる。 肩が震え、背筋が凍る。それらが猛ダッシュの息切れと、周囲を行きかう人並みの熱気に強引に抑えられていく感覚だった。 「そんなもん、事務所開いたときに捨ててる! おい、環君はどこ行った!?」 「成平さん、成平さん! あ、居た!」 人込みに一瞬隠れた成平さんが手を伸ばすのを、慌てて私が引っ張り上げた。 瓜坂さんとは違う、明るめの茶髪だから分かりやすい。 「ハァ、ハァ。助かったよ助手ちゃん。……次。右からギターケース持った人が来る!」 「撲殺かよ!?」 瓜坂さんが慌てた声を上げて、私たちの肩を押して左斜め前に出る。 人の動きに逆らっての移動に息がつかれてきたところで、しかし人数が減ってきたことに私は溜息を一つ吐いた。 「……はぁ」 「助手ちゃん、車来る! 向こう側の標識に寄るよ!」 声と同時、私たち三人は慌てて駆け出した。ほぼ同時、真後ろを急カーブで侵入してきた軽バンが通り過ぎていく。視界の端には散らばったガラス片、あれに頭をぶつけて死んだ未来もあるのだろうか……? 「ヒュ〜。ハリウッドにでも来た気分だぜ」 「アンタも大概、意気が良いねぇ探偵さん! ひとまずこれでラスト、ビルに入ろっか」 眼が痛いのだろうか、右手で眉間を抑えつつ成平さんはもう片やで目の前を指さす。視線を上げれば、プスプスと黒い煙を上げる雑居ビル。 「ここですか、件の事故現場は……」 【六】 「はてさて、アタシもこっから先は初めてだからね。気を付けて行こうじゃない」 言いつつ成平さんはスタスタと階段を上る。その後を瓜坂さん、私が着いて行った。 「……ん? なんか、いやな気配します!」 「矢加部ちゃん!?」 クンクン、と鼻を鳴らす。煙やなんかの匂い以上に、この気配は……。 「魔力の匂いです!?」 「魔力……。いきなり、アタシの知らない話出てきたんだけど、なにそれ!?」 その言葉に、そう言えば成平さんはオカルト側にはまるで詳しくないことを思い出す。 「まあ、そういうもんがあるって話だよ。それこそ環君がここの所悩まされてる、このループもそうだけどな」 時間が無いからか、簡潔に説明する瓜坂さん。ループ……? 「……と言っても、実は『気配』以上の事は分からないんですけど……」 「大丈夫。予想ではあるけど、少なくとも『切り抜けられる』事態のはずだから、気配が大雑把にわかればいいさ」 言うと、目元を擦っている成平さんから先導を変わり探偵が前に出る。 「さーて。鬼が出るか、蛇が出るか!」 外から見て、煙が立っていたのは三階だ。瓜坂さんがドアを開ける。 「んだよ、コレ……」 何かのセミナーのようにパイプ椅子と長机が並ぶ中で、しかして人の気配だけが無い。 「コレ、何がどうなって爆発したんだよ……?」 ここまで来たのは初めてなのだろう。成平さんも驚いた声を上げている。 「だが、外から見た時には煙が出てましたよね……。あ、ありました!」 しばらくキョロキョロして、それからようやく見つける。 「あれ、じゃないですかね?」 見えるのは、かなり大型の魔術陣。 「どれどれ……」 【七】 「伏せて!」 不用意に瓜坂さんが近付こうとした時、成平さんの声が雑居ビルに響いて私たち三人は長机の陰に隠れる。 「ゥグぎゃァアア!」 刹那遅れて、魔術陣の向こうから怪物が姿を現す。片側しかない羚羊の角、血走った三つの目、明らかに人ならざる異形の化け物であった。 「(アタシも色んな方法で死んできたけど、あんなモンスターは初めて見たよ)」 「(もしかして、事故の原因ってアレですか……?)」 「(おう、多分だけどな)」 「(うわぁ……。これ以上は聞かないでおきます)」 どくどくと脈打つ血管が太い筋肉の腕を伝っていて、一発殴られたらどうなるかと想像するだけでも、頭が冷える思いがする。 控えめに言っても、下手なスプラッター映画より怖い想像しかできない。 「(奴(やっこ)さん、窺ってやがるな……。迂闊に手出しできねぇじゃねぇの!)」 やたらと魚臭い息を吐いているお陰で、こちらには気付いていないらしいが、逃げるにしても倒すにしても、こちらが動いてしまえばどうしようもないだろう。 「(アタシが先陣を切る! 探偵さんなら、なんとか出来るんだろ?)」 成平さんはそう言ったけれど、私には到底無謀なことにしか思えない。 見る限り彼女の予知能力は本物だ、そして能力者であるからには『嘘を吐けない』事は確実。何より切実に『死の運命』を避けようとする彼女が、最善を尽くさぬはずがない。 故に私には『どうしようもないから突っ込もう』という発言にしか聞こえなかった。 「(そんな、無茶ですって!?)」 「(いいや。出来るというなら先陣を頼みたい。あの魔方陣を壊せば、怪物は止まるはずだ。俺が紙を破り捨てるまで、時間を稼いでほしい)」 「(何を言うんですか、瓜坂さん!?)」 私が噛み付けば、瓜坂さんは何の気なしにポリポリと頬を掻く。 「(俺にもようやく、『未来予知』の仕組みが見えて来たって所だ。環君、君は最高に説明下手だなぁ……。苦労したよ)」 「(アタシにゃあチンプンカンプンだが、なんかわかったんだね、探偵さん?)」 返す成平さんの表情は、幾重もの修羅場を潜り抜けてきた相棒を見る様な、全幅の信頼を寄せるもの。私にはもはや訳が分からない。 「(おう、だが。まずはこの状況を解決するのが先だ。頼むよ!)」 「おう!」 声と同時に、少女が物陰を飛び出して行く。 【八】 「鬼さん、鬼さん、アタシはこちらぁ!」 「グゥる、アぁあああァッ!」 「せぇ、のっと!」 怪物が放った電撃を、あらかじめ知っていたかのように屈んで避けた。 「……すごい」 【九】 「それから、っと!」 屈んですぐに、成平さんはパイプ椅子を拾って頭上に掲げた。そこに、急接近してきた怪物の拳がクレーターを作り出す。 バレエのターンのように避けたので、スカートが綺麗な円を描いた。 「矢加部ちゃん、今のうちに行くよ!」 「あ! ……はい、分かりました!」 【十】 「グゥる、ぐぅラァあああ!」 怪物が長机を振り回し、モグラ叩きの逆を行くように円運動の隙間を縫って少女は須らく避ける。しゃがみ、立っての上下運動。 たった数十秒に、幾重もの死線を跳ねのける。 「次は雷撃だね、お見通しだよ!」 「ウィりぐ、ぅうううラぁァアあ!」 「矢加部ちゃん、チャンスだ!」 【十一】【十二】【十三】 避けられたことに怒り、狂ったように叫びを上げた怪物は成平さんに近付く。 その分だけ空いた魔術陣との距離、私と瓜坂さんは忍び足ですぐさま詰めた。 「ほらほらほら、そんなんじゃアタシに届かないよ!」 「グゥ! うワぐ!」 「まだまだ、覚えてるからね! どうしたどうした!」 「グゥ、ワァアアああゥゎあ!」 「大ぶりなのは、 ッく。流石にキツイ!」 「ゥぅうゥグ……、グぐガァっ!」 まるで武術の達人があしらうかのように、己に向かう拳を、蹴りを、寸前で躱す。 スカートが翻り、ブレザーのボタンが光を反射した。 【十四】【十五】【十六】【十七】 至近距離からの雷撃も、砕け散った長机の破片さえも、成平さんの体に傷一つ付けられない。未来予知とはこれほどまでに精密で、恐ろしい物か。私は背筋を震えさせた。 「よし、着いた!」 「今、ですね!」 囮を買ってくれた彼女への合図を兼ねた瓜坂さんの言葉。その言葉に振り向いた怪物の視線を事前に聞いていた通りに、私が幻術を出して逸らさせる。 虚空へと飛んで行った雷、その一瞬の隙に探偵は魔術陣を持ち上げた。 「それ、破っちゃって大丈夫なんですか!?」 「召喚の魔術だからな、閉じるか破るかして、儀式を壊せば召喚された化け物は元の場所に戻る!」 ビリビリビリ、と音がして瓜坂さんが魔法陣を破り捨てる。だが、その瞬間。 「グゥ、が、ぐぎゅあるぁああああああ!」 足から徐々に光の粒子となって消えゆく怪物。まだこの世に留まりたい、とばかりに奴は地団駄を踏む。それだけに飽き足らず上げられた断末魔。それが天を裂くような雷となって打ちあがり、ぬた打つ怪物の首の動きに合わせて薙ぎ払われた。 「クソッ! 避けてくれ探偵さん!」 成平さんの悲鳴。急いで前のめりに倒れこんだ瓜坂さんの、わずかに中空に残っていた胴を雷が薙いで、焼いた。半身だけとなりつつも、彼は声を嗄らす。 「……ぐぅほ。ゲホゲホ。クソッタレ!」 その下半身は既に吹き飛び、電が掠った背中は焼け焦げていた。ゴミ処理場の匂いを何十倍も悪趣味にしたような肉の焼ける匂いがあたりに充満する。 ドクンドクンドクンと、耳裏を流れる血流がやけに煩い。 「助手ちゃん、足場が崩れる! 逃げるよ!」 走り回る怪物の重量に、ビルの基礎もやられていたのか。ほぼ同時に足元が崩れ始める。でも、目の前には致命傷を推してなお口を開こうとする探偵が居た。 「でも、瓜坂さんが……!」 私だって自分の命は惜しい。だけど、ここ数か月も寝食を共にした顔馴染みが、今まさに死のうとしているのだ。何とか救えないかと、思わずにはいられない。 頬が熱くなる。私は、泣いていた。制服の襟が涙と煤で酷い事になっているが、気にする余裕はない。涙をぬぐう余裕もなく、煙にせき込む暇もなく。そんな中で息も絶え絶えと言った体の瓜坂さんが、なおも無理を推して、声を出す。 「環、君……。間違いなく事件を解決してやる。だから、覚えといてくれよ、俺の、伝言!」 「この死にそうなときに、何妙なこと言ってるんですか瓜坂さん!?」 足場が崩れて駆け寄る事さえできないが、背中を覆うケロイドと、口から洩れる致死量を超えた血からは死しか連想できない。 腐臭の前段階のような錆臭い鉄の匂い。そんな状況にありながらも――血圧が落ち切って青白い顔を歪めて、痙攣するように震えながら詐欺師は笑っていた。 「伝言はね、『死神がどこかに居る。探さなくてもいい』だよ……。頼むぜ!」 言葉とほぼ同時、瓜坂さんは崩れ行く足場と共に地面に落ちていく。あの怪我と、火傷だったのだ、まず生きてはいない。 「そんな状況で、どうして……ッ!?」 「助手ちゃん、もうビルが持たない! アタシ達だけでも外に……ッ」 理性的に考えれば、成平さんのいう事が正しいのは分かっている。 ただ、私の感情が追い付いていないだけなのだ。 そう、無理やりにでも納得して入ってきたドアの方に向き直る。だがその瞬間。 「魔力ッ!?」 一瞬の気配、ボォっというガスコンロのような音。そして……。 ド、ゴォン! 爆音が、在った。思うに、粉塵爆発というのだろうか。ともあれ地面が爆ぜ、私は上向きに吹き飛ばされる。 「か、はァ……アッ!?」 声にもならない呻き声が漏れた。同時、脳が揺れ、意識が混濁する。全身のあらゆる箇所を鈍器で殴られたように、まんべんなく痛みと痺れを感じていた。 視界の隅で、成平さんがまだ無事なのが何と確認できる。 「助手ちゃん、助手ちゃん!? おい、アンタも死んじまうってのか!?」 聞こえる声が、遠い。足が重いのは、もう動かないからか、瓦礫に潰されたからか。 「(どちらにしろ、動かないんじゃあ一緒ですね……ア、ハハハ)」 最後にさして面白くもない冗談を言って、そして私の意識は暗闇に飲まれた。 【十八】 「そろそろ、アタシも時間が無いんだけど。十八個目の質問、決まったかい?」 成平さんが指さす掛け時計は、六時二十五分を示している。 「おっとっと。忘れる所だった。未来の探偵さんから、もう一つ伝言。『死神がどこかに居る。探さなくてもいい』ってさ」 あまりにも意味不明な伝言、だがその言葉に瓜坂さんはニヤリと笑った。 「さーて、環君。悪いが最後の質問は後回しにしよう」 「何でだい?」 頭痛だろうか、眉間を抑えつつ成平さんが問い返した瞬間、爆音。 それからどよめきの波が向こうから伝わって来て、やがて悲鳴に変わっていく。 その人混みの中で、まるで何の論理も通らないのに唐突に、瓜坂さんが空に叫んだ。 「君の未来予知――死を起点としたループ現象の仕組みはもうわかった! まずはこの一時間を生き延びるぞ!」 まるで訳は分からなかったが、その勢いと自信にあふれた視線だけは、信用に値した。 人込みを乗り越え、事故を起こしそうなバイクや自動車を躱す。 やがて辿り着いた雑居ビルで、一枚の光る魔術陣を見つけた。 魔術陣を掴もうとした刹那、怪物が迫りくる。 だが、動きを読み切ったような成平さんがそれを完封。バランスを崩させると同時にパタリ。紙は閉じられ、効力を失った魔術陣はすぐさまその灯を消した。 「ループの解法は実にシンプル、一つの質問もせずに魔術陣を封じる事だったわけ、か。いや、まだだな……」 術陣を閉じると同時、瓜坂さんは自分が来た階段の方を振り向いた。 「おいそこのアンタ! 何者だか知らないが、忠告してやる。この建物は今すごく不安定だからな。下手に攻撃魔術を打てば建物ごとお前も死ぬぞ!」 「誰に……?」 タンタンタンタンタン。 私が問いを言い終わるより早く、誰かが階段を駆け下りていく音がした。 「フゥ。逃げたか。ヨシ、今度こそ状況終了だな」 瓜坂さんはさも納得が行ったかのように頷いているが、私にはまるで訳が分からない。 「良い加減、説明してもらっても良いですか? 何がどうなってるんです」 そう、ここまで来たのはひとえに成平さんの未来予知と事前情報のお陰だ。何故、瓜坂さんがやり切ったような表情をしているのか。 「結局、私はひたすら走りまわされただけにも感じるんですけど……」 私の声に、瓜坂さんは腕時計を指さした。 「まぁまぁ。時給にして実に二十時間近くも働いたんだ。一回、喫茶店にでも入って解決編と行こうじゃないか!」 言うと、瓜坂さんは私達二人を先導するように、お気楽に階段を下りて行った。 向かった先は繁華街の端にあるフランチャイズの喫茶店。店に着いてすぐに、瓜坂さんは軽く席を外して、携帯電話の向こうと話している。 「おう。多分泰山庁だと思う……。見当つくか?」 「いきなり電話っていうのは失礼だと思わない、助手ちゃん?」 ショートカットを揺らした成平さんの問いかけに、私は軽く思案しつつも答えを返す。 彼女も私も、あちこち走り回ったせいで汚れていたが、疲れが勝って気にならなかった。 「んー。私にもわかりませんけど、多分この後に関係ある事だから心配しなくても良いと思います」 そこだけは、不思議と信用できた。うちの結果主義の探偵は、中々すごいのである。 「ハァーン、そんなもんなのかい」 「あと、これの調査依頼も兼ねているんじゃないでしょうか?」 そう言って私が取り出したのは、四分の一に折られてセロテープで固定された件の魔方陣。化け物を呼び出すような物騒な代物だ、何の故意もなかったとは考えにくい。 それに、さっき階段を駆け下りて行った人物も気になる所だ。 「アタシ、魔法とかそういうのには詳しくないけど……。ああいう怪物とかに襲われることって、よくあるの?」 よくあってたまるか。というか、早々表沙汰にならないからこそ、一般社会には認識されていないのだ。二つ結びの先を、手櫛で梳いてゴミを取りつつ、私は返す。 「あんまりないですかね。こちら側の人でも、むやみやたらに人は襲いません」 「そんなもんかぁ……。ファンタジーっつっても、そんなに夢がある訳じゃねぇんだな」 「おう、そいじゃあな。……よろしく頼むわ」 私たちが話している間に、電話を終えた瓜坂さんがこちらに向かってくる。 「……当たり前だぞ、俺たちにとってはこれが現実なんだ。みんな必死で生きてる。夢も何もありはしねぇよ」 一通りの問答。二人はズズズとアイスコーヒーとジュースを啜る。 「さて、環君の能力――いや、もはや『呪い』だな。それについて話す前に今度こそ最後の質問――というか、確認だ。噂やなんかでは『予知能力』と言われているが、厳密には君は『死ぬたびに時間を巻き戻って、再びやり直している』んじゃないか?」 それはつまり、死の直前か直後に何らかの魔法を使ってタイムスリップし、そして『死なない選択肢』を選べる時点まで巻き戻ってから、死を回避しているという事だろうか。 その言葉に、私は意味が分からず声を上げる。 「瓜坂さん、それはおかしいですよ。だって、そんなの到底『未来予知』じゃあないじゃないですか! だったとするなら、それを成平さんが説明しない理由が無いです」 私の問いに、瓜坂さんは苦虫を噛み潰したように目元を歪めた。 「そこが、俺が『呪い』と評する所なんだがね……。世の中のありとあらゆることには作用と反作用があり、結果とコストがあり、メリットとデメリットがある。そして人間の脳みそってのは、与えられた環境に適応するようにできている」 「……回りくどいですね。何が言いたいんですか?」 できれば、わかりやすく整理することが出来ないのだろうか。そう思った瞬間。 「それだよ、矢加部ちゃん。環君のさっきの動き、怪物の攻撃に対してコンマ数秒以下の単位で見切って避けていたんだよ。武術の達人でもない、ただの少女が。それを可能にするだけの瞬間記憶と、たった一時間を何十回も繰り返す精神的ストレス。どれほどだろうね?」 その言葉に相対して、初めて成平さんの現実を垣間見ることが出来た。 「環君の場合、恐らくはループが解決すれば殆どの記憶は忘れることが出来るだろう。けど、逆に言えばループ中は常に脳みそが記憶で圧迫されるわけだ」 ふと視界に入ったものを、何十秒も覚えている事なんて普通はあり得ない。だけど、それが生死に直結するならば。成平さんは『ループに関わる全て』を少なくともそのループ中は覚えていないといけない事になる。 「恐らく、記憶力と引き換えに思考の整理能力を失ったんだろう。……環君、君は剽軽な言動で誤魔化しているが、実のところ会話をするのも難しい状態なんじゃないか?」 記憶力の脳の機能を割かねばならなくなった成平さんは、代償として思考能力を引き下げざるを得なくなったとするなら、辻褄は合う。私は漠然としか理解していなかった『未来予知』の能力、その実態と反動に恐怖した。 背筋が凍るような思いの中、アイスミルクのカップを指でそっと遠ざける。 「両方とも、バレちゃったか。……よく、分かったね」 成平さんはジュースカップ――というより、その中の氷を額に押し当てながら言った。 水滴がブレザーの首元のリボンにたれ、薄黒い染みを作る。 そのまま事情を説明しようと口を開いた彼女を手で制し、瓜坂さんは声を発する。 「大分無茶してるのは分かってる。探偵として責任をもって説明させてもらおう。環君は『時間が無い』という割にまとめて喋らず、問を一つ一つ先回りして喋っていた。その上、時折眉間を抑えたり瞼を揉んでいたからね。頭痛持ちであることはすぐわかった」 言われてみれば、の域ではあるが。そういった仕草が多かったようにも感じる。 「でも瓜坂さん、それだけじゃ『未来予知』なのか『同じ時間を何度も繰り返している』のかの区別はつきませんよね?」 理屈の上で言うのであれば、最終的に選ばれる未来以外が人々の記憶に残らない以上、未来予知だろうが過去改変だろうが、やっていることに違いは無い。 それを指摘すれば、瓜坂さんはゆっくりと肯定した。 「確かにね。結果として『選ばれなかった未来』は実在しないわけだから、後は本人がどう感じるかの問題でしかない。――ただまあ、今回に限ってはヒントがあったからな」 「ヒント、ですか?」 温くなった牛乳を飲みながら私が問うと、瓜坂さんはエスコートでもするかのように掌を成平さんに向ける。 「環君が言ってたろ? 『未来の俺からの伝言』だよ。何周目の俺だかは知らないがね。環君の予知能力の特殊性について気付いた俺は、自分に伝わりやすいようまとめたんだ」 その言葉にはなるほどと思わされた。私自身にも思い当たりの有る事だが、人間は自分に覚えやすい単語や音の並びで物を考える。瓜坂さんは成平さんに複雑な説明を託すより、『自分が理解しやすい形』で情報を伝えたのだ。 「『俺が環君に質問をするか、十八時三十分を過ぎた瞬間に裏の雑居のビルで何かが起きる』だったかな? 少なくともここから分かったことが三つ。環君の未来予知がオンタイムで、つまり直近の未来を見ているわけではないという事」 それはつまり、例えば『常に三秒後の未来が見える』みたいな状況ではないという事。 今回の場合で言えば、『ループ全体の約一時間先までの未来』が見えていたわけだ。 「二つ目は?」 「環君の未来予知には、何か条件があるという事」 この場合は、『直近の未来で死ぬこと』とでも言うべきなのだろう。 或いは、『死を回避できる可能性がある事』なのかもしれない。 「そして三つ目、少なくとも『誰かが決めたルール』に従って、この時間のループ現象が起こっている、という事だ」 締めのセリフに、私はイマイチ実感が持てなくて首を傾げた。視線を向けると、成平さんも困惑したように眉を八の字に寄せている。仕組みが分からないわけではない。 ただ、その情報がどんな意味を持つのかが皆目見当もつかなかったのだ。 「矢加部ちゃんには前にも説明したはずなんだがね。基本的に神秘――或いはオカルトっていうのは伝承ありきの存在なんだ。だから当然のように伝承の影響を受けるし、どう対処するか考えるなら、先ずは伝承を見るのが手っ取り早い」 店の奥から漂ってきたシナモンの香りが妙に鼻につく。瓜坂さんは懐から十字架のあしらわれたネックレスを取り出して、言った。 「例えば、吸血鬼は十字架やニンニク、銀などを嫌がる、なんてのはいい例だ。魔術師やなんかじゃなくても使えるが、この場合、ヴァンパイアに限ってであり僵尸やペナンガラン、化けイタチなんかは対象外になる。まあ、伝承の大本が違うんだから当然だけどね」 「ぺナンガランってなんですか……」 「マレー半島に出ると言われる吸血鬼モドキだよ」 そういえば、この前瓜坂さんは『祖霊』の攻撃をヒイラギの葉や護符で撃退していた。 あれと同じ様なことなのか。 「話が脱線したが、逆に言えば『法則性』を掴むことによって、元の伝承が見える事がある、という話だ」 今回の場合、それが『誰かの決めたルール』なのだろう。 「それを使って、事態を収拾したい。環君の場合、思考能力の低下という明確な障害が出ているからね……正直、かなり不味い状態だ」 「アタシは別に……、そんなの大丈夫だよ!」 茶色いショートカットを振り乱し、少しどもるようになりながらも言い返す成平さん。探偵は真正面から叩き潰す。 「大丈夫な訳は無い。少なくとも、『噂』になる程度には毎日死んでたんだ。常人ならとっくに精神崩壊していてもおかしくはない。……いや、もしかしたら呪いを施した時点で『精神崩壊を起こさない』ために別の呪いをかけたのかもしれないがね」 だとするなら、なお悪い。 だが、意にも返さぬという様子で成平さんは首を振った。髪を伝って、汗が飛び散る。 「別に、アタシが耐えればいいだけの話だ!」 泣いているかのように歪んだ表情は虚勢を張っているようでもあり、或いは誰かを信用することに怯えているようでもあったが、どちらにしても、私と同い年くらいの少女がするにはあまりに悲壮すぎる覚悟が見えていた。 「大丈夫じゃあ、無いじゃないですか……。成平さんがそんな無茶をすることに、何の意味があるんです! それに今回は私達だったから良かった様な物の、いつか成平さんに恋人が出来て、あるいはそうじゃ無くたって貴女自身の家族が巻き込まれて……目の前で死ぬ光景を見せられるかもしれないんですよ!?」 その言葉を発したのはただ成平さんを説得するためだったが、発し終えた時私が考えていたのは別の――ヤマモトさんではない、本当の父と母の記憶。 目の前で自分の大切な人が死ぬのは、本当に、辛い。 「それでも、別にアンタたちに何かしてもらう程の事じゃない!」 そんな私の感傷もお構いなしに、なおも成平さんは表情を緩めない。語気もまた、そう。 「じゃあ、言い換えようか。これは残業代だ。君に付き合って二十周も死に続けた俺たち二人の残業代として、お節介の一つでも焼かせてくれ」 「そういわれると、それはそれで疑いたくなるもんだね」 皮肉げに笑って返される。色の変わり始めた落ち葉たちが、夜風に飛んで行った。 「だいぶ面倒な性格してますね、成平さん……」 思わず口をついて言ってしまうと、彼女はカラカラと笑った。 音以上に、空虚な笑いにも聞こえる。 「どこぞの少年漫画じゃないんでね。アタシは命助けられたぐらいで惚れるような――っつーかそれ以前に信用すらできねぇのよ。伊達に何十回も死んでない、っていうの?」 「悪くない信条だね。それに当然だ。でなきゃ今頃、お医者さんはハーレムだ」 成平さんはスネて悪ぶっているのか、いないのか。 その据わった視線には、頭痛を堪える眉のピクピクした動きには、何もかもを疑って掛かるような生き辛さが垣間見えていた。瓜坂さんなら、『探偵としてはある意味合格だね』なんて言うだろう。その修羅が宿った表情を、私は真っ直ぐ見つめた。 「五十七回。この二週間でアタシが巻き込まれたループの数だ。一日平均四回ちょっと死に掛けた計算だな。勿論、一回のループごとにクリアまでに軽く二十周はかかるからな、実際はもっと死んだことになる」 「……それは」 何と言っていいかわからず、気まずさを紛らわすようにテーブルの下で指を遊ばせる。 「大変でしたね、何てありきたりなことは聞きたくねぇ。五十七回のうち、二十回以上は通り魔とか強盗とか、とにかく『アタシを殺そうとしてる人』だったよ」 「まあ、そうだろうね」 「ちょっ!? 瓜坂さん……」 唐突に口を挟んだ探偵を私は叱責する。 トラウマを抱え込んだ女の子に対して、余りにも無神経だ。だが、埃に汚れたそのジャケットには、容赦が無いのだろうか。彼は追撃するように口を開く。 「世間なんてそんなものだ。みんなストレスを抱えてる。今日生きていくのに、何かを奪う以上のことを思いつかない奴も居る。或いは、強盗せざるを得ない複雑な事情を抱え込んでいたかもしれない」 一息に言って、コップを啜った。 「……環君の『呪い』がそういう人を引き寄せてしまう物であったとして、そういう人が居る事に違いはない」 あまりにも絶望的に聞こえるその言葉に、しかし成平さんは救われたように顔色を明るくする。それは狂気――ではないのだろう、多分。 生き辛さ、人の汚さの様なものを身に染みて覚えただけに、それを肯定された事に安心した。狂ってしまうよりもつらい、失望の安定感。 先ほどの怪物との闘いで着いた廃墟の汚れが、彼女が見て来た人の汚さに重なった。 「アンタは、なんか落ち着くね。静かっていうか、すごい澱んでるっていうか」 まあ、実のところ詐欺師なのである。ある意味当然だ。 「……じゃあ、もう少し汚い話をしようか。環君、もし君が死ぬことに慣れきって、そして生を諦めてしまった場合……。もしかすると、世界は延々と『環君の死』を起点に止まり続けてしまうかもしれないって話だ」 「そりゃあ良いね。自己中なんて言葉もあるが、まさにアタシが世界の中心になるってことじゃないか。それはそれで愉快にも思えるさ」 成平さんは体温で温くなったジュースを飲み干し、拍手をしながら愉快に笑った。 快活に、されど屈託だらけのまま。ブレザーに染みた汗が、少し酸っぱく匂う。 「冗談じゃない。実に不愉快だよ、そうなったらば。だから、俺が君をどうこうするのは君のためじゃあ無い。俺自身のためだ」 眉根を寄せながらも真摯に放たれたその言葉に、成平さんは満足げに頷く。どうやらそれは、彼女の中で道理の通る話だったらしい。その表情は晴れ晴れとしたものだった。 「……でもまあ、アンタがアンタ自身のために何かするってんなら、アタシは文句も言わない。折角の残業代だ、協力もしよう。何をすりゃあいい?」 「いいや、何にも?」 不愉快だと言った時の表情のまま、瓜坂さんは応じた。 「君は少年漫画じゃないと言ったがね、俺は結構手広くやってる――それこそ漫画みたいな探偵なんだ。解決するのに許可が居ると言うだけで、別段協力は必要ない。……どうぞ、帰りたまえ」 促された成平さんは、律儀にジュースの代金を置くと席を立つ。 「じゃあ、お言葉に甘えて。おとなしく救われるとするよ、ありがとね」 嘘を吐けないオカルトである。その言葉もきっと真実なのだ。 そう思って、私も自分のアイスミルクに手を伸ばす。届くより早く瓜坂さんが言った。 「さて矢加部ちゃん、感傷に浸ってるところ悪いがね。これから嘘つきの仕事をする。先方が来るまで十五分って所だからね。それまでに、一通り真相を聞いてもらうよ?」 「ええ……。また詐欺師の仕事ですか」 なんだかんだ格好つけても、結局人を騙すのか。そう思って私がため息を吐けば、それ以前の問題だと瓜坂さんは笑う。声に、肩についていた糸くずが舞い落ちた。 表情ほど失望していたわけでもないが、笑われたのには少しイラっと来て、睨む。 「ん……ッ!」 「悪かったって。帰りたきゃ帰ってもいい。そもそも、成平ちゃんに言ったことだって全部が真実じゃない。勿論、余計な口を挟まずに静かに聞いていたり、或いはこのまんま帰ってくれるというなら真実を聞かずとも良いけど……。矢加部ちゃん、どうしたい?」 それこそが、詐欺師の笑顔。一見爽やかなのに、一見こちらに選択をゆだねているかのようなのに、その実どちらとも異なる。非常に、忌々しい。 いや、今思えばこの男はずっと騙して居たのだろうか。成平ちゃん、などと呼んだ辺りからしても、さっきまでの態度すら徹頭徹尾演技だったのだ。 「正直、帰りたいのは山々ですけど……。真相を聞かないのも癪です。教えて下さいよ」 「うんうん。まず最初に成平ちゃんの『ループ現象』の仕組みだね。呼ぶなれば、『英雄病』って所だ」 「英雄病、ですか……」 名前は妙に勇ましいが、イマイチ実感がわかず、私は自分の肩を揉んだ。 「うん。メサイアコンプレックスとか、厨二病みたいな類の事じゃなくてね。彼女は、それこそ物語の英雄よろしく『死の運命』を捻じ曲げることが出来る。だから英雄病」 なんというか、ネーミングセンスが無いのだろうか、このヤロウ。 「微妙な名前ですね、それ……」 「まあ、ネーミングの理由はそれが半分でね。もう半分は、中国神話における『死の運命』の特殊性に由来する。――かく言うこれからくるお客様も、中国のあの世の役人だ」 あの世、というと閻魔大王が脳裏に浮かぶ。なんか気難しいお爺さんのイメージ。 一方で『死の運命』という言葉には胡散臭い占い師の印象しかない。 「でも、中国のあの世ですか。そもそも考えたことが無いですね……」 そういうと、瓜坂さんは鞄から紙を一枚取り出した。 「日本の閻魔大王みたいに、中国のあの世には東岳大帝、もしくは泰山府君と呼ばれる偉いオッサンが居るんだ」 言いつつ、紙には相関図の様な物が描かれていく。 「その人が『どこの誰が何時、どうやって死ぬか』みたいなのを決定する。それが『寿命』、所謂死の運命と呼ばれるものだ」 彼が言っているのは、所謂『老衰で死ぬ』という意味の寿命ではないのだろう。中国語の原義においては、寿命という言葉が『天に定められた死』という意味だった、らしい。 「その決定事項は八〜九割くらいの確率でほぼ発生し、そしてその配下の役人がそれを確認・死者の魂をあの世に連れ帰る。そういうシステムになっているんだ」 その八〜九割、というのが特殊性に該当する部分なんだろう。残りの一割は、運よく生き残る訳か。とはいえ、あの世の王様だの役人だのと言われると、それぞれに人格を感じるからか、やたらと理不尽な話にも感じた。 「なんていうか、マッチポンプじゃないですか、それ?」 「そこら辺は価値観の違いだね。ただこの場合に理解してほしいのは、泰山府君が十字教的な『絶対神』ではなく、またその配下たちもそれぞれに人格を持つ連中だっていう事」 むしろ、だからこそ理不尽でないと彼は語る。 「絶対じゃない神様は、どんなことをすると思う?」 言葉から連想しうるのは、所謂昔話や説話のお約束。 「それって、その配下の役人たちがうっかりミスをしたり、神様が気に入った人間を助けちゃう、……どころか、元から『めっちゃ頑張れば生き残れる』程度に死の運命を設定してる、ってことですか?」 それこそ、紀元前から続く中国の歴史で是正されていないわけだから、ある程度のミスは見逃す前提で神々も動いているに違いないだろう。 「おう、大正解。成平ちゃんのループ現象の場合、『死なない可能性』が存在する以上無限にやり直せる、って所だね」 仕組みは知らないが、確かに『数パーセントは死を回避する手段がある』ならば、何十回もトライし続ければ、死の運命は回避できるだろう。 「死の運命、については分かりましたが、それでも三つ疑問が残ります」 私が言えば瓜坂さんは三本指を立て、それを反対の掌で包み隠した。 「なんの仕草です?」 「いやあ、ちょっとした思い付きさ。いつかの成平ちゃんがやったであろう仕草、って所だな。……その三つは『日本人のはずの成平環がなぜ中国のあの世の影響を受けるのか』『成平環はどうやって過去に戻っているのか』そして、『彼女はなぜ死に続けるのか』」 流石、というよりも、きっと彼自身が正答に至るまでにたどった道筋なのだろう。 文面こそ違えど、まさに私が聞こうとした内容をズバリ当てられ、思わず手を振り払うのも忘れてしまっていた。 「ええ、はい」 「一つ目に関して言えば、『そういう工夫をした魔術師がいたから』だろうな。、最近この辺りで中国系の魔術結社の大規模告発があってね。その連中の仕業だろう」 魔術結社、という言葉にルイスさんのような手段を選ばない冷血人間が一杯集まっている姿を想像する。そりゃあ、どんな国の魔術でも使う上に、一般人の成平さんを拉致するぐらいはやってのけるだろうな。 だいぶ御都合的な話にも聞こえるが、しかし目の前の男が『中国のあの世の役人を騙す』などと言っている以上は、中国の死神は意外とフットワークが軽いのかもしれない。 「二つ目は?」 「これについても、『魔術師の仕業』としか。日本にも寒戸の婆と言って『村を出た娘が何年かしたら老婆になって帰って来た』なんて話もあるがね、それこそ大陸の方なら『過去に戻る』ような逸話・伝承もいくらかあるだろう」 「なるほど。伝承自体は有るんですね」 マリーさんが研究していたような『日本の魔術を西洋の魔術に変換する』みたいな物すら存在するのだ。単一の伝承をベースにしていれば、それを改造するくらいは容易い事なのだろう。 「というか、その『伝承』自体がまさに時間に縛られないからな。おかしな話だが、『古事記』や『日本書紀』が書かれるよりはるか前から日本の神々は実在している。彼らの記憶では。だけども同時に、それら以前の資料となると同じ名の神への記載がまるでない」 神々が書物より以前に存在したなら、古事記以前に資料が存在しないのは変だ。逆に書物によって神々の存在が生まれたなら、それは歴史が書き換えられた証左である。 「未だに魔術師界隈でも解決してない問題の一つだよ。明らかに歴史が改竄されているのに、何の問題も起こっていない。もうちょっと言うと、大半の神話は『大地の創造』を含むから、地質学上『既に存在していた土地』を『新たに生み出した』という矛盾もある」 プレートなどの移動で日本列島が大陸から分離するのと、イザナギ・イザナミが日本列島を作ったという時期は別々だ。しかし、どちらもどうやら事実らしい、と。 「まあ、そこら辺は専門家が考えるべきところだから話を戻すがね。術式起動の魔力は『死んだ直後の成平環の魂そのもの』を使って生み出してるんだろう」 ここら辺、少しわかりにくい話だけれど。 悪魔などが、『契約の代償に魂を捧げよ』などと言うように、人の魂というのはオカルト的にとっても価値のある物――具体的に言えば、膨大な魔力の塊である。 それを一人分丸々使い潰して過去に戻れば、過去に戻った時点で『魂をエネルギー源に使った』という事実そのものが消えるので、無限に使い潰せるという寸法だ。理屈は理解できるが、反吐が出る思いである。 「呪いの目的としては、そうだね。疑似的な不老不死の研究、って所だろうね」 死んでも甦る、ではなく『死なない可能性を掴むまで繰り返す』という事だ。 理論上は間違ってないかもしれないが、実物を目にした後だと、おぞましさが勝る。 「組織が壊滅した以上、研究は続かないだろうけど……。警察が確保している以上、解呪のためとはいえ面談するのは難しい。――っていうか、死刑になってる可能性も高い」 「そんな過激な組織でしたっけ、警察って?」 というより、それ以前に警察がそんなものを相手取るのだろうか。 「一応、警察にもオカルト関係の専門部署があるんだよ」 「へぇ。でも、やっぱり死刑は性急過ぎません?」 「むしろ、慎重派だからこそさ。オカルトを操る魔術結社相手に動くなら、警察も相応の被害を覚悟したはずだ。そうまでして動く以上、成平ちゃん以外の件でも相当やらかしたんだろうさ、その連中は。それに、拘置所の中で儀式とかされても困るしね」 合理的なのは理解できるけど、あんまりだ。オカルトに関わる人間というのはやはりどこか狂っているな、とつくづく感じる。 「三つ目の『なぜ成平ちゃんが死に続けるのか』について。そこが『英雄病』って呼ぶところの本質なんだけどね。彼女は英雄に足る器も、能力もないのに『死の運命』だけは頑なに回避し続けた。真相を知らなければ、どう見える?」 英雄の如く不死であるのに、英雄のように活躍はしない成平さん。 例えば今日の事件であれば、少なくとも成平さんは『怪物を倒して』事件を解決すべきだったのだろう。もし彼女が『英雄』なら。 「英雄でもない人間が、偶然生き残ってしまった。或いは、死神が仕事をサボった?」 「うん、判って来たじゃないの。成平ちゃんはね、死の運命を回避したにも拘らず、彼女を監視していた死神から『英雄の器ではない』と判断された。偶然生き延びただけと判断したあの世側は死神の仕事ミスと判断したわけだ」 あまりにも身勝手にも思える話だが、それでも死神の仕事は人を殺すことである。失敗したとなれば、もう一度殺すことになる。何せ、『死んでない方がおかしい』のだから。 「わかりやすく言えば、死神の残業だね」 「その言い方だと、まるで死神側が被害者のようにも聞こえますね。でも、そういう事なら成平さんの関わった事件で死者が出なかった理由は……」 「彼女自身をピンポイントに狙った『死の運命』だったからだろうね。今回の俺達みたく積極的に関わった場合を除いて、例え成平ちゃんが死んだルートでも人的被害は出なかったはずだ。ま、だったとしても胸糞悪いことに違いはねぇがな……。さて、どうする?」 正直、お腹一杯だった。この状況で彼が嘘を吐いているのを見れば、うっかり相手にバラしてしまうかもしれない。 だが、同時にこのクサレ詐欺師でなければ、きっと成平さんは救えないのだろう。 正直、見張っていたいのは山々だが、今日はもう疲れた。うう、パトラッシュ……。 「私は……、今日はもう帰ります。残業をするのは、死神さんだけで十分ですね」 という訳で。その後の嘘八百については、生憎私の知る所ではない。 「とまあ、そんなところです。責めてくれても、良いですよ」 週開けて火曜日。瓜坂さんに『俺が魔術師で無いこと以外、全部話していい』と許可をもらったうえで私はネタばらしと経過報告をしていた。場所はこの前の喫茶店。 「いや、アンタ達に色々負わせちまったのはアタシの方だからね。こちらこそゴメンよ」 言葉に、軽く涙が出そうになる。瓜坂さんとか、ルイスさんとか。最近胃が痛くなるような相手とばかり話していたので、優しさが身に沁みた。 「……とにかく、そういう訳で成平さんの『呪い』は今後かなり軽減されるらしいです」 「はぁ、死神と交渉なんて与太話も大概にしろ、と言いたいところだけど……。ここ三日近く『死んで』無いからねぇ。流石だね、あの探偵さん」 そういってケタケタと笑う少女の顔には、あの夜見せたような人への失望や『死に続ける事』への焦りはもう無い。勿論、頭痛の陰りも。 汚れひとつないブレザーの襟を見て、彼女の無事を強く感じた。 「で、結局探偵さんがアタシに吐いてた『嘘』って何だったんだい?」 「一個目は『成平さんが死んだら、世界が停滞してしまう』っていう話。どうも、成平さんの死っていうのは世界から孤立して存在してるらしくって、成平さんが死んでも、死ななくってもあまり影響――バタフライエフェクトって奴ですね、が無いらしいです」 彼女の場合、あの世サイドから『本来死んでいるべき』と判断されていたのだ。現時点で既に死んでいるべきなのが彼女であり、彼女がいつ死のうが彼女の死は『世界』そのものに影響を与える事は無いらしい。 「そりゃあ何とも、寂しい話だね」 言葉の割に、むしろ気楽そう。というか、肩の荷が下りたような表情だ。 「バタフライエフェクト、ねぇ。ちょっと可愛い言葉だよね」 言って、彼女は両手で蝶々を作って見せる。だいぶ素早かった。 「器用なんですね。……まあ変に気負わなくてもいい、ってくらいの話ですよ」 「そういや、その探偵さんが居ないさね」 「ええ。……実は先日の怪物の件と、瓜坂さんが追っ払った人の件で出張ってます。『迷惑は掛からないはずだけど、少し気を付けといて』とのことです」 「そりゃあまた、律儀なことだね」 「ただ、さっき『かなり軽減される』と言った通り、今後も週一ペースで死ぬことになるそうなので、そこは頑張ってください」 結局瓜坂さんが死神相手にした事と言えば、『こういう事情であなた方が狙ってた子は死なないんですよ〜。あの娘が被害者だって、わかるよネ?』という交渉であった。 だいぶガッチリと悲劇のヒロインを演出したとかで、一日三回レベルから週一まで減らすことが出来たんだそうな。詐欺師おそるべし。 「それ、アタシの脳への負担は大丈夫なの?」 気丈な彼女と言えど、流石に肩の荷は降りていたのだろう。やや不安げに問うた。 「大丈夫だそうです。脳科学の順応成長理論がどうとかで、頻度を一定以下に落とせば瞬間記憶による記憶野への障害は無い、とかなんとか。私も瓜坂さんも専門ではないですけど、前みたいに恒常的な頭痛に悩まされるわけじゃないらしいですよ」 「ありがたい限りだね、助手ちゃん。くれぐれも無理はしないようにね」 そういうと成平さんは席を立ち、去っていく。去り際、綺麗な瞳がこちらを真っ直ぐ見てきて、少しドキッとした。 「ふぅ……」 あの詐欺師が結局人を救ったのか、そうでないのか。私にはわからない。 結局のところ今回も、中国のあの世からいくらか頂戴したとのことで、相変わらず彼が儲かる結果になった。しかし、彼らが迷惑を被ったかと言えば、また違う。 それこそ瓜坂さんが交渉した相手の死神ですら、『成平さんを殺すこと』そのものが一種のノルマ、というか残業と化していたらしく、『これで定時で帰れます』と感謝していたくらいなのだから。 「それでも……」 彼が人を騙した事だけは、今回も変わらない。この経過報告だって、全て終わった後に私が来たからこそ意味があるのであって、事実『成平ちゃんが居ると、交渉の邪魔なんだよね』と瓜坂さんは言っていた。だから騙して帰らせたとも。 「ぐぬぬ……」 信用すべきか、否か。悩みながらも、軽くスカートを払って私は席を立つ。 私自身、瓜坂さんの事は別に嫌いではない。今はあの夜のような強い嫌悪感を感じている訳ではなかった。というか、冷静になって思い返せば、あの爆発するような拒否感の方が異常だったのである。 とはいえ、じゃあ彼が嘘を吐くことが納得できるかと言うと……。 幾分涼しくなった秋の風が、街路樹を揺らして過ぎて行った。 間章 三 【■■■■】 探偵への襲撃が失敗したことは予想外でしたが、お陰様で不安要素の一部であった『予知少女』の正体を探ることが出来ました。後を付けて話を聞いていたことは向こうも気づいていたのでしょうか、あれ以降あの忌々しい極道が見張りをやっているせいで、襲撃が難しくなってしまいました。 前回の失敗からもうすぐ一か月。次こそは儀式を成功させたいものですね。 予知少女は迂闊に巻き込まなければ失敗要因にはならないでしょうけど……。 厄介なのは詐欺師探偵ですね。一般人だからと油断してましたが、予想以上に人脈が広いですし。こちらの居所が一度バレれば、増援を呼ばれかねません。 藍崎組の警備を考えれば、儀式ギリギリまで待ってでも警戒を緩める隙を待つとします。そこを狙って来るかも知れませんが、一流の魔術師として負ける気はありません。 ああ、しかし儀式の成功が待ち遠しいですね。我が家に残る古文書の通りにやれば、まず間違いなく私は神の力を手に出来る。そうすれば、もはや誰を恐れる事もないでしょう。 第四話 上 神様になる方法/親を亡くした少女 【矢加部月菜】 「ハハァー、そりゃ大変だね。助手ちゃんも。毎日毎日学校終わった後にもオカルト(?)の授業があるってんだから、二倍勉強してるような物じゃないのさ」 成平さんの一件から早くも十日近く。調べ物があるという瓜坂さんに事務所を追い出された私は、成平さんと有名チェーンの喫茶店で駄弁っていた。 「二倍は言い過ぎですけど……。でも、自分の事もあるしちゃんと学ばないとな、って」 「へーん。優等生でやんの。しかし、言われてみるとナニ習ってるのか気になるね」 「何と言われると……。先週は確か、『魔法と魔術の違いについて』でした」 言いつつ、私はコーヒーを啜る。あまり美味しくはない。雑味が気になった。 うーん、瓜坂さんのコーヒーって、悔しいけど美味しいんだよなぁ。 「アタシにはどっちも同じに聞こえるけどなぁ……。でも、探偵さんなら人に教えるのは上手そうだよね。アタシの事件の時も、結構分かりやすく説明してくれたし」 詐欺師だからというのもあるのだろうが、瓜坂さんは人と会話したり、伝えたいことを相手に理解させるのがとても上手だ。だからこそ、上手く丸め込まれているのではないかと、疑わしく思える事も多いのだが。 「それで、結局魔法と魔術って何が違うのさ……」 成平さんはジュースのコップを手で弄びつつ、首を傾げる。短髪がさらりと揺れた。 ガラス窓の向こうに見える落ち葉が秋の風情を醸しているが、商店街の清掃の仕事が頭をよぎる辺り、あの探偵事務所兼何でも屋に私も馴染んで来たのだろう。 「なんか複雑で私に美味く説明できるかわからないんですけど……」 まず大前提として言うと、魔術や魔法を含むあらゆるオカルトは『魔力』と『伝承』の二つの仕組みによって成り立っている。『魔力』と言うのは人の心や魂から生まれ、意志の影響を受ける物理エネルギーであり、『伝承』というのはそれをコントロールする法則の事である。らしい。 「そういやあ探偵さんも言ってたな、ルールがどうだとか……」 「ええ。例えば吸血鬼は十字架を恐れますし、悪魔は契約を守らなくちゃいけない。オカルトは超常的な存在ですが、それなりにルールがあるんです」 「へぇ。アタシの場合は中国の死神だっけ……? そのルール上、『一定の確率で死の運命を回避できる』から『一定の確率を引くまでやり直し続ける』呪いだって言ってたね」 「はい。……話を戻しますけど、瓜坂さん曰く『魔法って言うのは、そういう名前のオカルト』『魔術って言うのはオカルトを利用する技術そのもの』なんだそうです」 言うと、得心が言ったとばかりに成平さんはポンと手を叩いた。 理解が早いなぁ。手を叩いた拍子にズレた襟を直しつつ、彼女なりの言葉が返って来る。 「なるほど。『魔力』と『法則』で魔法なのか。つまりあれだろう? 開けゴマと言うと、秘密の扉が開く感じのが魔法で……」 「フフッ……。いや、すみません。なんだかメルヘンな表現だなって」 秋門さんやこの間の化け物などとのグロテスクさとの落差に思わず笑ってしまう。 「いや、いいさ。アタシも結構死んだ分色々見たしね。オカルト側のもう少し『深い』部分を見た事があるなら、確かにズレた表現だったのかもしれないね」 言うと、成平さんは私に合わせるようにクスクスとしばらく笑った。 揃った眉の下、知性的な色の強い翠の瞳がゴシップ好きな色に塗り替わる。 「それ以外はどうなんだい? あの探偵さんの所に居候してるんだろ、男一人に女一人ってのは……。いや、あの探偵さんを信用してない訳じゃないけどさ」 「別に普通ですよ……。それこそ成平さんの言う通り、漫画じゃないんです。特に変なハプニングが起きる訳じゃないですし、っていうか探偵という職業柄、向こうの観察力が高すぎてまず発生しえないんですよ」 私も少し前まで中学生だっただけあって、『年上の知らない男性との共同生活』というにはそれなりに警戒していた。その前段階として、まずヤマモトさんの家での生活もあったのだが、正直ソレ系のハプニングに関してはヤマモト邸の方がまだ多かったくらい。 「助手ちゃん、その言い方だと少し期待してるようにも聞こえるけど……」 「いや、尊敬できる部分も結構ありますけど、正直瓜坂さんは無いです」 ムッと、顔を顰めて言う。探偵としての仕事は尊敬するが、先ず詐欺師なのが気に食わない。ついでに言うなら、お養父さんと同い年。ちなみに、成平さんには『瓜坂家に居候している』以上の事は話していない。養父がどうのと言い出すと、長くなってしまうし。 「あ、でも一つだけ」 「お、なにさなにさ?」 それこそ年ごろらしく、何か面白い話題が出てきそうだと成平さんはこっちに顔を寄せてくる。にやにや、ニマニマと意地の悪い笑みだ。 が、残念ながら浮いた話ではない。 「あの人、食い合わせのセンスが結構おかしいんですよね……」 「え? おお。思ってたのとは違う方向性だけど、結構面白そうじゃあないの。アタシもそこまで食にこだわる方じゃないけど……、そんな感じ?」 「いえ、むしろ逆です。妙なこだわりを持って妙なことをするタイプです」 「うわぁ……」 「いや、想像してるほど酷くないと思うんですけどね」 例えば、茶菓子。 「紅茶と和菓子を合わせる所までは分かるんです。でも、漬物でコーヒーを飲むとか、チーズをのせたカボチャを焼いて緑茶に合わせるとか言い出すんですよ、時々」 「それは妙な話だけど……。不味いの?」 首は傾げず、目線を曲げて問うてくる。 「なぜか美味しいんですよ、これが」 例えば、ご飯のおかず。 「納豆とハムが並んでいるのは別に構わないんですけど、カレーに小豆を入れたり、筑前煮にソーセージとトマトを入れたりするんですよ、時々」 「それは妙な話だし、最後の奴に至っては筑前煮じゃない気もするけど。不味いの?」 「なぜか美味しいんですよ、あんななのに」 「アッハッハッハッハ。案外普通の人より舌が良いのかもしれないよ。……アタシとしちゃあ、まず料理が出来るってことが驚きだったわけだけども」 そう、恐ろしいことに何故かそこそこ美味いのだ、瓜坂さんの料理は。『料理が下手な人はいらないアレンジをする人だ』なんて言葉もあるけど、彼が珍奇なことをしてもなぜか上手く纏まってしまう。 「この間なんてアレですよ……。クリームチーズと一口大のリンゴを豚バラでくるんでワカメと一緒にトマトソースで煮込んでたんですよ?」 「それでもやっぱり美味しかったと?」 「ええ、業腹なことに」 「業腹って……。愉快な表現するね、助手ちゃんも」 瓜坂さん曰く、少量の小麦で解けない様に纏める事と、めんつゆを使って緩めに味を調整するのがミソだそうだ。正直、訳が分からない。 「今度一度食べてみたいね、探偵さんの料理」 頬と視線でそんな全力の好奇心を向けられても……。特段、独占欲とかではないが、人に食べさせていいのか微妙な物が出てくることも多いしなぁ。 「私ばっかり話しててずるいです。成平さんは最近どんな風なんですか?」 「最近、て言ってもね……。ここの所試験週間だったから、あんまり」 試験という言葉に、少し息が詰まる。探偵絡みで忘れがちだが、私も来週には中間試験を控えている。理系はともかく、社会とかの暗記系は……。うぅ。 勉強しないといけない事に気付いて、二つ結びの根元をクルクル。 「ああ、今週結構変な死に方したよ?」 「出てくる話題がそれですか……」 本人が良いと言おうとも、微妙にネタにしにくい話題である。 「慣れちゃうとねぇ。ある意味あれよ、センセーショナルって奴よ」 「まあ、生きてる人間にはビックリにもほどがある内容ですけどね……」 「ちなみに、空から鉄骨が落ちてきて死んだ」 これまたベタというか何というか。 「この体になってから分かった事だけどね、『高所から落ちる』とか『通り魔』とか、『交通事故』辺りは結構起こるんだけど、物が飛んできたのは図書室で死んで以来だよ」 「図書室って言うのは……。本ですか?」 「いや、運動部が使っていた備品が換気用の窓の隙間から飛んできて死ぬんだ。ちなみに、金属バットとバーベルと砲丸投げ辺りまでは食らったよ。そっから先は、避けられた」 そういえば、ループのパターンによっては死因が変わるんだったっけか。 「ちなみに、今回は鉄骨以外にもなんかネジとか工具とかでも死んだよ。十回くらい」 心の余裕が出来たのか、楽しそうでないにしても割と普通のテンションで言ってくる。 時々こうして成平さんの死亡報告を聞くことがあるが、地味に一回当たりのループ回数を縮めつつあるのだ。ちょっと嫌な成長だなぁ……。 「さて、そろそろ行こっか。助手ちゃんも晩御飯あるでしょ?」 ズズズ、と成平さんはジュースを飲み干して席を立つ。スマホを見れば既に五時過ぎ。 夕陽がきれいな時間帯であった。私の黒髪と、彼女の茶髪と。それぞれを日が照らした。 「成平さん、今日はありがとうございました」 「いいよ、別に学校の同級生と遊ぶ予定もなかったし。……あ、アタシ事務所まで送ってってもいい?」 「別に構いませんけど……。どうかしました?」 女の子を一人で帰らす訳には〜みたいなことを言う人でもなかったはずだ。っていうか彼女も女の子である。 そういえば、ちょっと前に拉致被害に遭ってるはずなのに、大分自由に出歩いてるよなぁ。何気に不思議だ。 「いや、そう言えば探偵さんに用事があったのを思い出してね……」 頬をポリポリ書きながら成平さんは言う。その様子を見て、さっき揶揄われた事の仕返しとばかりに私は口を挟んだ。 「そういえば、さっきも『信用してる』とか言ってましたしね。少年漫画でもないのに、惚れちゃいましたか? 瓜坂さんに」 言うと、成平さんは羞恥三割、嫌気七割くらいで顔を赤らめて首を振る。分かっちゃいたけど、やっぱ違うか。或いは、案外自覚なく……ってそれこそ漫画じゃあるまいし。 「そういう話じゃないよ。全く……。さっきの仕返しだね?」 「ええ、そうですとも。ともあれ、何の用件ですか?」 問うと、微妙に言いづらそうにしつつ、彼女は口を開いた。 「いやー。ちょっと中間試験で暗記系の成績が思ったより良くってね。その関係で、後遺症とかどうなってるのかな、って確認がしたくてさ。……あとまあ、ズルしてるような罪悪感もあるし」 「それは確かに、私じゃどうにもできませんね……。なんか、調べもの中らしいので居ないかもですけど。それでもいいなら寄って行って下さい」 夕日の中に薄っすら見える細い月が、妙に綺麗に見える。 私たち二人は喫茶店を後にした。 「わざわざ寄ってくれたのか。環君、ちょっと待っててくれ。今お茶でも淹れてこよう」 「別にいいよ、探偵さん。お茶なら今飲んできた所だしさ」 成平さんはジュースだったが。何でも、チェーン店の紅茶やコーヒーは苦手らしい。 「そうかい。まあ、座るだけ座ってきなよ。ちょっと調べ物中で資料散らばっててゴメン」 瓜坂さんは言いつつ、ソファの上からクリアファイルをどける。散らばっているという程でもない物の、普段以上に書類や箱が多い印象だ。 探偵業の都合上、普段から整理しているつもりなのだが……。 「そういや、ここの所忙しいって助手ちゃんから聞いたよ」 「まあ、私も大分見慣れてきましたけど……。常ならぬ感じですし、そのうち説明してくださいよね、瓜坂さん」 「アタシもちょっと聞いてみたいかも!」 私と成平さんがジッと視線を向けると、探偵はいやいやと首を振る。 「流石に部外秘だから。矢加部ちゃんにも説明しなきゃだけど、もう少し細かくわかってからね。……こっちが整理しきれてないから、うまく説明できないと思うし」 言うと、ファイルやプリントを数枚まとめてポンと床に置いた。刹那。 ドゴッ! 「……ッ!」 轟音と共に、黒いマントを被った何者かが事務所のドアを蹴破り、押し入って来る。 「何者ですか貴方!」 「……」 返事には答えず、向こうは懐から短い杖の様な物を取り出してこちらに向けた。ご丁寧にもマントの下にも顔全体を覆うマスクを被っていて、正体がまるで分らない。 わずかに覗く肌の白さは気になったが、それだけで誰と特定できるものでもなかった。 ポゥ、と青い光が散って、雷光が中空を駆ける。 魔力の気配がした。 「少なくとも味方じゃないし、どう考えてもオカルト側だ、な! 環君、隠れてろ!」 狙われたのは瓜坂さん。地面を転がるように避けて、胸ポケットに手を伸ばした。 「きゃ!」 呪文すら発さずに連発される雷は、時たま私にも飛んで来て、慌てて避ける。いや、よく見れば短杖を握る指が妙な動き方をしていた。細い指。女性だろうか。 「これで、どうだ!」 瓜坂さんが突き出したのは、彼曰く奥の手の一つである『矢避けのルーン』。その護符は自分に向けられた飛び道具をある程度逸らす効果があると聞いた。 魔術師でも無い瓜坂さんが使う以上、最低限の効果しか発揮しないらしいけど。 「いつまでダンマリだよ、っていうかそのマントにマスクじゃあ、幾ら十月でも暑いんじゃないの?」 【二】 「伏せろ!」 その時、これまでソファに隠れて黙っていた成平さんが声を発した。 瞬間、私の視界が歪んだ。いや、とてつもない密度の風が通り過ぎて、私の目の前の景色がブレたのだ。サイズが大きすぎるのか、矢避けの加護の対象外だったようだ。 無色透明なそれが、瓜坂さんの後ろの壁紙に傷をつける。 ズウン、と音があった。 「助かったよ、環く……」 「二発目が来る! 今度は横に!」 言いながらも、成平さんもソファから這い出して横に飛んだ。茶色い髪がふわりと広がる。一瞬にして現れた土塊――いや岩石が黄色い燐光と共に爆ぜ、ソファと机がズタボロになった。 爆発物も、やはり矢避けの加護の対象外。結構不便だなと思いつつ、警戒は怠らない。 「やってくれやがる!」 「……!?」 瓜坂さんが毒づくとほぼ同時に、ソファから飛び出した少女を見た術者は目を丸くして息を呑んだ。いやマスクをしていたのでどちらも推測に過ぎないが、確かにそう見えた。 「……ァッ!」 マントの人物は今度は懐から小さな袋を取り出して、杖を振る。赤い光が生まれ、それに包まれたワンドから金属製の刃が生えた。 「簡易の錬金術か!」 瓜坂さんの驚愕にも構わず、標的を変えた襲撃者は成平さんに切り掛かった。 【三】【四】【五】 振りかぶって、袈裟斬り、そこから横に払い、間髪入れずに突きを入れる。 スカートを揺らして、成平さんはその全てを躱す。 「見えて、るんだよ!」 「チッ! …………」 だが、成平さんの顔に何を見たのか。襲撃者は苛立つように舌打ちをすると、何事か小さく呟きながら杖を頭上にあげ、そのままマントを軽く払った。 その払った風に誘われる様に緑色の閃光が生まれ、光の眩さに瞬いた時には、既にその姿は事務所から消えていた。 「すまねぇな、探偵さん。アタシのループにまた巻き込んじまったみたいで」 成平さんがそう言ったのは襲撃から三十分ほど、ソファから散った羽毛や、欠けた湯呑などを片付け終わった後の事だった。結構お気に入りの湯呑だったのに……。 「いや、多分違いますよソレ。成平さん言ってたじゃないですか、今週は既に一度『死んで』居るって。週に二度死ぬことはまずありえないですよね、瓜坂さん?」 物理法則をガン無視している分、オカルト達は自分の課したルールに厳格だ。 成平さんの髪の毛にゴミを見つけて、それを拾いつつ瓜坂さんの声を待つ。 「ああ、割とかっちりした契約だからな。週に一度を超えることはあり得ない。環君が今週既に『死んで』居るなら、この襲撃は俺たちの事務所を狙った物と断定できるな。……悪いが環君、用件は日を改めてもらっていいかな」 襲撃の件は危急ではあるが、成平さんが困っているのも事実、私はあわてて口を挟む。 「しかし、瓜坂さん。何とかならない物なんですか?」 「アタシとしては、今のところ問題は起こってないからいいんだけどね」 話だけは聞いてくれたので、どうにかならないかと視線を送ってみる。瓜坂さんの黒い瞳と、数秒見つめ合った。 「ほぼ間違いなく問題ない、ってのが俺の見解だが。まず第一に不確かすぎる状況証拠しかないからな、環君の記憶力や脳がどうなってるのか、ちゃんと調べないと意見は言えない。それから、君自身が抱えている『テストでズルをしているんじゃないか』という気分についてもだ」 「ぅぐ……」 図星だったのか、成平さんはすこし気まずそうに視線を逸らした。 「まあ、そういう精神的ケアも俺の仕事だけどな……。見ての通り、地味に逼迫した事態なんだ、今日中にどうこう出来ることは無い、ってのが実情だ」 「はぁ……。それなら仕方ない、ですよね」 「うん、アタシも一回帰るよ……。助手ちゃんも、またね!」 言うと、茶色い短髪の少女はドアを開いて去っていく。 扉に覗いた空は既に暗く、太陽の姿はどこにも無い。 「さて、事態を整理する前に言っておくことがあるんだが……」 「なんですか?」 成平さんを追い返してしまったことに若干の後ろめたさを感じつつ、些か理不尽ながらも瓜坂さんを睨んでしまう。こちらの事態の緊急性は分かるのだが……。うう。 「睨むなよ、眉間にしわが定着するぜ。ともあれ、厄介なことにマリー嬢から預かっていた研究ノートが紛失した。ほぼ間違いなく盗まれたんだと思う」 「さっきの襲撃者に、ですか?」 「そうだろうな。でもって、ついでに言えば先日の秋門の一件とも関係があると見た」 そういえば『黒幕』のような人物が居て、それが秋門さんに祖霊召喚セットを与えたんだとかなんだとか……。 「そういえば、成平さんの一件の時に襲ってきた怪物も関係しているのかもでしたっけ」 「おう、アレの術式解析の結果はまだ返ってきてないから、情報としては微妙なんだが」 「まだ返ってきてない、ですか?」 「おう、ああいうのは結構大変なんだ」 「本当、ですか?」 軽く掌に人魂を浮かべて見せる。 嘘を吐いているようには思えなかったが、だからこそ嘘を吐いているような気がする。 表情にも、仕草にも違和感を感じないのに、そのことそのものが偽装とも考えられた。 「魔術っつったって、流派とか区別して行けばとんでもなく広範に渡るからな。解析にしろ、対処にしろ、そうそう簡単にはいかないさ」 理由を聞けば納得、なのだが。そこにすら嘘を探してしまう。 この人が悪人なのか、善人なのか。未だに私にはわからなかった。 皺が寄ってしまったセーラー服の袖を伸ばしつつ、話の続きを聞く。 「かく言う俺の『矢避け』が切り札なのも、『飛び道具全般』っていうデカいくくりで防げるからこそ、隠してるわけだし。まあ、秋門の時の祖霊の投げ槍含めて、防げない物が相当多いんだけど」 「ああ、どうして使わなかったんだろうと思ってましたけど……」 或いは、私の暗示みたいに『見る事』がトリガーになって居たり、今日の襲撃者のように『飛び道具』以外の形をとった場合でも対処はできないそうだ。 「成平ちゃんと言えば、あの娘はもう一件関わってるかもしれないんだよね」 「何かありましたっけか?」 「ホラ、成平ちゃんに例の呪いをかけたカルト教団の連中。奴らの裏に今回の『黒幕』が居る可能性だってある。それに正直、あの子の家庭も心配だ」 「家庭、ですか」 呟いて返しつつも、私の脳裏は別の単語でいっぱいであった。 それは『カルト教団』。思えば私がヤマモトさんの養子となった――そしてこの事務所に居候する切っ掛けとなった事件もまた、そう言った狂信者達が関わっていたのである。 「そう、家族。あの娘、カルト教団に拉致られたって割に結構夕方遅くまで遊んでても怒られた様子とかないじゃん? 門限とかも無さそうだし、何か不安なんだよ……」 瓜坂さんの言葉は右から左に、脳を通らず耳の上だけを流れていった。 「ありゃりゃ、矢加部ちゃんなんか眠そうだね……。ちょっと休んできなよ。片付けは大方終わってるしさ」 「……あ! いえいえ、大丈夫です」 慌てて我に返り、思わず大きな声が出た。 「あんまそうは見えないな……。後で晩御飯もってくからさ、一回寝なよ」 「そう、ですか。ありがとうございます」 お言葉に甘えて、とお辞儀をして。 事務所裏の居住スペースにもらった自分の部屋に引っ込んだ。 母が死んだ時の事は、よく覚えている。 『ねぇ、月菜。こんな事になって、そしていきなり色々と押し付けてしまってごめんなさいね……』 私の育った横浜で、私の生まれた家で、母は死んだ。 『突然自分が普通の人間じゃないと言われても困ると思うけれど……。でも知らないよりは、良いと思ったのよ。いえ、今まで言わなかった私たちが悪かったわ、ごめんなさい』 殴られ、蹴られ。腹をナイフで突き刺されて殺されたらしい。いつも通りに中学から帰って来た私は、既に息絶え絶えの母と邂逅することとなった。 母は、救急車を呼ぼうとする私の手を引いて、放さない。間に合わないと悟ったのだろうか。ただ見送ることしか出来なかった私は、『人って、ゆっくり死ぬんだな』なんて場違いなことを思いつつ、あまり感情の無い涙と共に話を聞いていた。 『貴方の力は、きっと何かの役に立つ。あるいは、『誰かの』かも知れないけどね。月菜、何が正しいか、何をしたいか。よく考えなさい?』 父も母も、私と同じだった。私と同じ力を持っていたから、それを狙っていた狂信者どもに襲われて、従わなかったから殺されたと聞く。 『いい? 正しさってのは、信じる事じゃないのよ。何が正しいか、考える事なの』 死ぬ間際の母は、力の使い方も私たちの一族の事も教えてはくれなかった。 ただ唯一、『これからどうやって生きたらいいか』という事だけを教えてくれた。 それからカルト教団に追われ、ヤマモトさん助けられ、やがて養女になるに至る。 母の言葉通り、正しさという物をよくよく考えてここまで来たつもりだ。 「私は間違っていなかった、はず……」 ノイズが混じって乱雑になった記憶を引っ掻き回して、枕に伏せる。 私を助けてくれたヤマモトさんは、自分には仲間がいると言った。その人は大したことも出来ないのにオカルト側の問題に首を突っ込む探偵で、私たち一家が襲撃された事件の、その犯人たるカルト教団を追っていた男だとも聞いた。 そして彼――瓜坂誠司が、事件からしばらく後にその狂信者たちを捕まえた事も。 「だから、会ってみたくなったんですよね……。その上、勢いづいて居候なんて……」 ヤマモトさんは結構なお金持ちだったから、実のところ誰かの家に預けてもらう必要はなかったのである。ただ、私が知りたいと思ったから瓜坂さんの所に居候したのだ。 「でも実際会ってみたら……。詐欺師だなんて」 最初の一月ほど、彼が偽装していた間はまだ良かったかもしれない。だが、正体を知ってしまったからにはそうは行かないし、『知らなければよかった』などとも言わない。 「けど同時に、詐欺師(あの人)でなければどうにでもならない状況も……いやいや、だからって許せるもんでもないし! 他に手があったかは……分からないけど」 言っておくと、死に際に母が『正しさ』という言葉を使っていたから、正義にこだわっているわけではない。というかむしろ、私が生まれつき潔癖をこじらせていたから、母はわざわざ『正義』という言葉を使って私を諭したのだ。 結んだままの髪の毛が、妙に邪魔っけに感じる。 「うう……。どうするかなぁ」 唸りつつ私は枕を抱いて、そうして夜は更けていった。 翌朝。私よりいくらか早く朝食を食べ終えた瓜坂さんは席を立つ。 「んじゃあ、俺はちょっとばかり調べ物に行ってくる。多分だけど、昨日みたいな襲撃は無いはずだし……。よしんば狙われたとして、俺達には自分の命を守るので精一杯だ」 「ええ、残念ながら私の能力じゃ大したことは出来ません。藍崎組に応援を頼むとかは、出来ないんですか?」 「流石に昨日の今日じゃ、無理だよ。打診はして置くけど、しばらくは自力で何とかするしかないね。……それじゃあ、行ってきます」 今日も朝早く、瓜坂さんは事務所を飛び出して行く。『も』というのはここ数日ずっとそうだという意味であり、どれくらい早いかというなら私の登校時間より早い朝六時だ。 あの妙に憎たらしい顔を見ずにすんで、良かったのか、良くなかったのか。 「……行ってらっしゃい。お皿は片づけておきますね」 トーストを齧りつつ少々他人行儀に、というか不機嫌に私は声を返す。構ってほしいわけではないのだが、昨晩はなかなか寝付けなかったせいで頭が痛かった。 「そういえば、最近ヤマモトさんに電話してないな」 パンを皿に置きつつ、ふとカレンダーを見て思う。 義理とはいえ父であるところの彼とは、週に一度くらいのペースで連絡を取り合っていたのだが、そう言えば先週の月曜日を最後に電話はしていなかったかも。 「(瓜坂さんが詐欺師だって聞いてから、どうにも気乗りしないんだよなぁ……)」 結局のところ、私には核心を問う覚悟も無ければ、なあなあに済ませるだけの大人気も無い。だからどちらにも振り切れず、こうして悶々としている。 「えい!」 一つ、気合を入れるように音を発して、席を立つ。ついでに動いた髪の毛が皿に触れそうになって、慌てて飛びのいた。パン粉にまみれた皿はシンクに下ろし、皿洗いより先に電話の元へ。今の時間なら、イギリスは夜更けだろうか。 「もしもし。おと……ヤマモトさん?」 『やあ、もしもし私だよ。マイスイートドーター!』 相変わらずハイテンションで、どうにもつかみどころがない。瓜坂さんとはまた違う胡散臭さに、左肩をグルグル回して気を紛らわす。 『元気にやってるかい? 体調とか崩してないかな』 「私は大丈夫ですよ。ヤマモトさんは元気にしてますか?」 『相変わらず口調が硬いねぇ……。まあ、いずれ慣れればいいさ。私はもちろん、いつだって元気だよ! ……ところで今日は、なんか悩んでる感じだけどどうしたんだい?』 「……んぐ。まあ、そうなんですけど」 なんで寄りにもよってこのタイミングで気づくのかとか、ここ一月余りずっと悩みっぱなしだったのだがとか。まあ色々思う。その時。 『まあなんとなく分かっちゃいたけど、瓜坂の副業の事だね? 私が詐欺師と呼ぶところの、ソレ』 息を呑む、程ではなかった。別に瓜坂さんから聞いている可能性だってあったし、そうじゃ無くても彼は数少ない魔術探偵の正体を知る人物なのだ。いや、もしかしたらこの一か月間悩んでいたのも含め、知った上で流していたのかもしれない。 「ええ。……私としては、色々複雑に思う所があって」 『まあ、君は色々と硬く考えすぎるきらいがあるからね。手段も選ばないうえに、人助けに対して代価を求めるような瓜坂のやり方じゃあ、不満も収まりがつかないだろう』 「ぐうの音も出ない程、図星です」 伊達に探偵の親友をやっていない。観察力が高いうえに整理するのも上手だから、こちらの考えがスパスパ見抜かれる。 だからこそ、面倒を省いて本音をそのままに口にした。 「でも結局、瓜坂さんを超えられるような方法は私には思いつかなくって……。だから、多分あの人の方が正しいんだろうなって。無理やり納得しようとしても、出来ない感じなんです」 『出来なくていいんじゃないかな』 至極単純な返事が返って来て、私は驚く。 「な!」 『合議制による結論が必要な場合は実はそう多くない……って、言い方が回りくどいよね。簡単に言ってしまうと、『正義は一つじゃない』っていう所だね。うん』 それって言うのは、瓜坂さんが言っていた『真実が一つである必要はない』って言うのと同じに聞こえて、だからこそ私には受け入れられないものに感じた。 「それじゃあ、瓜坂さんの主張が正しいってことじゃないですか!」 我ながら、子供っぽい意地にも感じた。 『そうとは限らないんだよ、これが。いいかい、月菜ちゃん。物事をメタ的に――もっと広範に考えるんだ。主張って言うのは『どう思うか』の話であって、そこには結論も同調圧力も必要ない。必要なのは、考える事と違いを理解する事さ』 「だったとしても、私はやっぱり瓜坂さんの主張には納得できません!」 『うん、そうだろうね。だけど、君や瓜坂の主張と『君や瓜坂がどうするか』はまた別の話なんだよ。ほら時々あるだろう? 『正しいと思ってやったことが、後から見ると間違っていた』なんて。思う事も、することも全然別の事なんだよ』 その文面が、内容が。私にはまるで理解できない。 訳も分からないので、ただ混乱するほかになかった。 わしゃわしゃと掻くわけにもいかないので、そっと二つ結びを手で梳いた。 「ヤマモトさんの言葉遊びは私には難しすぎます! それとも、私を揶揄って遊んでいるんですか!?」 或いは、何かを試そうとしているのか? 後に思えば失礼極まりない言葉を吐いた私に対して、しかしヤマモトさんは静かに受け止めてくれた。 『いや、そうでもない。君が難しく考えようとするから、問題は難しくなるのさ。月菜ちゃん、『言葉は分かり合うためにある』なんて綺麗事があるけどね。私はそうは思わない。言葉っていうのは、互いに違う事を理解するためにあるんだ。……ま、これは私の『主張』だけどね』 「互いに違う事を、理解するために……ある」 繰り返し呟いてみてから、まるで双眼鏡を覗いたような、視界が開ける思いがする。 『どうやら、歯車が噛み合ったみたいだね』 存外世界は広かったのだなぁ、とふと思った。 隣にいる人の事がまるで分らなくても、話せば何かがわかるかも知れない。 分かった何かが自分とはまるで違っても、同じである必要がそもそもない。 そして何より『正しい』という事は、やっぱり大事なことなのだ。私にとって。 「ええ、わかりました。やっぱり私、詐欺師は嫌いです。たとえ瓜坂さんのやり方で上手くいっても、もっと良い方法があるはずだって、根拠もなく言ってやります」 『HAHAHA! こりゃあ、さぞ嫌がるだろうね。でも、それで良い。まあ、セイジもセイジで一般的な『正義』みたいなのにツンデレしてるところもあるからね……。愉快犯ぶってると言うか、何というか……。まあいいさ』 瓜坂さんを嘘つきというなら、ヤマモトさんはきっと清濁併せ呑む懐の広い人であるのだろう。そしてきっと彼にもまた、『正しくない』部分はあるのだ。 いつか見つけ出して、とことんまで追求してやる。……というのは流石に傍迷惑だろうけど、ともあれそういう気負いで私は己の頬を叩いた。 「なんか元気出ました。ありがとうございました」 『うう。硬い硬い。君ねぇ、いい加減親子なんだから敬語は取っ払っても良いんだよ?』 「それこそ、私の『主義』ですから。まあ、気持ちの整理が着いたらお父さんと呼ばせてもらいますよ」 今はまだ、両親の思い出とともにいたい。そう思いつつ電話を切ろうとした時。 『敬語と言えば、私が瓜坂に投げた仕事のあの娘も少女漫画のお嬢様口調って言うの? 妙な敬語の感じだったよね?』 敬語、という言葉に私は目をしばたたかせる。私は遠目に見ていただけだったがマリーさんにはむしろお姉さんらしい雰囲気を感じたが。 「私の印象ではむしろ、嫋やかな年上のイメージでしたけど……。でも、英語だと違うんでしょうか?」 『英語、英語かぁ……。そういえば、時計塔の人間の割には訛りがちょっと変だったのも気になってたんだよねぇ。ブリテンというよりは、アイリッシュ寄りの発音だったし。でも、結構流暢な日本語だったからね。デスワ口調なんて初めて見たよ』 ですわ、という語尾には聞き覚えがある。 「ヤマモトさん、妙なことを聞くようですけど。瓜坂さんを紹介した相手って……?」 『ん、名前? ルイス・スリップジグ。日本研究で話題の魔術師姉妹の、妹の方だよ。天才じゃない方。月菜ちゃんも少し瓜坂に似て来たねぇ。一週間ほど前に同じ質問をされたよ』 その言葉に、思わず凍り付いた。同時に、頭の中を言葉が駆け巡る。 「(確か、ルイスさんは『姉のメモを見て来た』と言っていた。メモを見た時点で瓜坂さんの名前を知らなかったとは……言ってない! じゃあ、なぜわざわざ騙された? いや、それ以前にマリーさんに瓜坂さんを紹介したのがルイスさんなら――)」 『おーい、月菜ちゃん? 大丈夫かい、電波ジャックでもされた? もしもーし!』 そこまで考えるのに、数十秒。まだ六時過ぎだが、少々考え事がしたかった。すぐさま気を取り直して電話の向こうへ声をかける。 「ヤマモトさん、すみません。そろそろ切りますね」 『はいはい。それじゃあ、良い一日を(ハバナイスデイ)!』 相変わらずのカタカナ発音と共に、通話が途切れた。 「さて、と……」 制服に着替えながら事務所を見渡す。 ある程度片付けたとはいえ、事務所の中はまだ荒れっぱなしだ。 「アレ、これって……」 そんな中、目についたノートが一冊。黒マジックで『帳 簿』と書かれている。 「ハァ。嘘の良し悪しはともかくとしても、瓜坂さんのボッタクリはなぁ……」 たとえ結果を出しているからと言って、彼が過剰な金額を客に課している事に違いはない。やはり詐欺師なのだ。そして詐欺師は悪。 我ながら短絡的な思考に、違う違うと軽く首を振って。 ふと開いたページ――ルイスさん姉妹の事件の収支報告を見て、私は驚きに息を呑んだ。 「ッ……!?」 そこに書いてあったのは詐欺師の支出。すなわち経費の数字に私は目を疑う。 「役所に賄賂流して作った偽造戸籍に、警察や空港・果ては不動産屋への……。何ですか。何なんですか、この呆れるほど丁寧な仕事は!」 ルイスさんからの前払いが二十万。後払いの六十万含めて八十万円のうち、実に七十八万円が諸経費に消えていた。 それはマリーさんへの思いやり。魔術師をやめても何一つ後ろ暗くならないように、ありとあらゆる面からのバックアップをした形跡が残っていた。 「これの通りなら……。もしかして!?」 今まで疑問に思ったことはなかったが、考えてみればあれだけの謝礼を貰っておきながらこの事務所が貧乏なのはおかしな話である。 「しかも、この宛先……」 驚かされたのはもう一つ。役所の癖に『神秘』だの『超常』だの着く部署が多い。それらが示しているのは、裏部署たれどもちゃんとした所から書類を用意したという事。 私は学校に向かう直前まで帳簿と睨めっこをし……、彼がいかに『必要』なボッタクリをしていたのかを見せつけられた。 鞄を引っ掴んで事務所を出て鍵をかける。数歩歩いてから、玄関の札を『不在』に変え忘れていたことに気付いて駆け足で戻った。 「ふぅー……」 それから秋の日差しに薄い汗を浮かべつつ、思考を巡らせる。 ヤマモトさんは、自分が紹介した相手はルイスさんだと言った。 ルイスさんは、『姉のメモを見てこの事務所に来た』と言った。 どちらも嘘を吐いていないわけだから、『姉のメモを見ただけ』であって『メモを見る前から瓜坂さんの情報を知っていた』という事実を、ルイスさんは隠して居た訳である。 「多分、っていうか間違いなく意図的にやったってことですよね……」 そこにどんな目論見があったかについて、正攻法から――つまりルイスさん自身の事を考えて暴くのは、魔術を専門外とする私には不可能だろう。 なら、瓜坂さんの思考を真似てみてはどうか。ふと思いつく。 ヤマモトさんは一週間前に瓜坂さんから同じ質問をされたと言っていた。 つまりは、一週間前の時点で瓜坂さんは相当数の情報を掴んでいたことになる。いや、そうでなくても『ルイスさんに注意しろ』くらいの警告は出来るはず。 ならばなぜ……。そこまで思考を巡らせたとき、視界の隅に異物が入った。 「黒マント……ッ!?」 いや、ローブというのだったか。 ともあれ、昨日事務所を襲撃してきたアイツがこともなげに公道を歩いている。よく見れば魔力を纏っているので、何らかの認識疎外か。堂々と言う訳でもないな。 「(まさか事務所を襲うつもり!?)」 そう思えど、こと腕っぷしは無いのが私の幻術である。視線が合うか合わずかの内に、私は道を曲がって駆けだしていた。 少なくとも地の利はこちらにあるはず。そう思って裏路地に飛び込んだ瞬間。 ブゥン、と音がして目の前に黒マントが現れる。 「瞬間移動!?」 「いえいえ、魔術です、わ!」 《眠れ!》 叫び声と同時に、重なるように呪文の詠唱。頭脳を揺さぶる衝撃が来て、聞き覚えのある音色が何事か言うのを聞きながら、私の意識はゆっくりと沈んで行った。 「悪いですけど、後少しという所で邪魔な詐欺師に嗅ぎつけられましたの。しばし、人質になって頂きますわよ?」 ああ、裏路地の路面、べたついてるなぁ……。 化粧品か、あるいは炭酸飲料の甘ったるい匂いが、意識を包んでいく。 「ツキナ、ツキナ! そろそろ起きてくださいな。ウリサカが来る前に、いくつか聞き出したいことが有りますので」 金髪碧眼、ロンドンから来た魔術師ことルイス・スリップジグ。 Tシャツにジーンズの、いつも通りのその姿で彼女はこちらを見つめている。 私は椅子に縛り付けられていて、彼女見た時にはもういやな予感はしていた。やたらと綺麗なその顔を、ハッキリ敵と認識した上で私は声を発する。 「私たちに、何を隠してたんですか……?」 「あらら、それはお互い様じゃありませんこと? 詐欺師の共犯者さん」 「ぐ……」 それを突かれると言い返せない。ぐうの音くらいなら出るけど。 だが、お互い様だなんて言えるほどの温さは私には無かった。 「だったとしても、私たちを騙していたことに違いはありません! ルイスさん、何をするつもりなんですか! ここはどこなんですか!?」 半ば自棄であり、半ば冷静であった。思いの丈を吐きだすと同時に、聞き出せるだけの事を聞き出してやろうという打算も働いている。 「それを教えて差し上げるメリットは私には有りませんが……。まあいいでしょう、ここは私の屋敷です。貴方も一度来たことが有りますわよね?」 あたりを見るに、教会の様な――いや、それにしてはややエスニックじみた独特の装飾が施された部屋。例えるならば、祭壇であろう。 石や木でできた原始的な装飾の飾り物には、しかし何故か温かみよりも薄ら寒さを覚えた。まるで何か邪教の祭壇にでも連れ込まれたような気分さえ感じる。 「何をしようとしているかは……ッ!?」 「言う理由がありませんもの」 冷や水を浴びせられたかのように、激情が冷めた。自分の手札は、自分が一番よく知っている。黒マントの襲撃者がルイスさんであるなら、私に勝ち目などない。 瓜坂さんなら兎も角、勝ち目があるように偽る手練手管も持ち合わせてはいなかった。 切り札が無いわけでもないが、消耗が厳しいのでギリギリまで取っておきたい。第一、逃げるならある程度話を聞いてからでも遅くはないはずだ。 「帰すつもりは、無いってことですよね」 「ええ、ええ。話が早くて助かりますの。まあ、先ほども人質と言ったのでお分かりかと思いますけど」 人質、というのはおおよそ日常に聞くような言葉ではない。 誰に対してか、無論瓜坂さんであろう。 魔力も持たないのにここまで警戒されるとは、流石の詐欺師だ。 「でもま、私としてもいつ来るかもわからぬ殿方をただ待ち続けるのは暇ですから……。折角ですし、いくつか質問したいと思いましたの」 それで私を起こした……という事は、魔術で眠らされていたのか? 「そう、なんですか」 思考のスピードと相反して、言葉はのろまにしか紡げない。体に力が入らなかった。 視線を少し落とし、細い、白い腕をじっと見る。昨晩の襲撃者も、彼女だったわけか。 「まあ、貴方も人質としての役目を果たせば終わる身なのですから。人生最後の一日ちょっとと思って、楽しくお話いたしましょう?」 言葉に怖気を覚えるより、納得が先に来た。ああ、瓜坂さんが言っていた『冷酷な魔術師』って言うのはこういう事なんだ、と。 同時にもう一つ気付く。彼女は別に対人のプロではないことにも。普通、これから死ぬとわかっている人質は口を開かない。たとえ嘘が吐けないオカルトでも、もっとましな言い方はあるはずだ。 「良いですよ。……分かりました」 精神的に余裕があるうちは、まだ私にも勝ち目があるかも知れない。 「質問よりまず先に……私の愚痴に少し付き合ってもらおうかしら」 「愚痴、ですか?」 「ええ、貴方一人を人質にするだけでも、大層苦労させられたんですの……」 ヨヨヨ、などと泣き真似もせず。淡々と言ってくれる。 「藍崎組の連中が見張りをしていたお陰で排除するにも儘ならないし。どうにか隙をついて事務所まで行けたと思ったら、今度は例の予知少女はいるし! 挙句の果てに、貴方一人を連れてくるので精一杯だったんですから……。全く、用意の良い探偵で困りますわ」 「藍崎組が見張り、ですか?」 「ええ、最も。今朝ばかりは甘かったようですが。昨日、相当数を手負いにしてやりましたからね。ざまあみろですわ」 ああ、これだ。目的のために強引な手段を使う事にためらいが無い。 しかし、見張りか。どうやらまた騙されたらしいと悟る。 意味のない嘘は吐かないと思っていたのだが、秘密主義が過ぎて信用の無さに落ち込む。と思っていたら、まさにその傷口を抉るようにルイスさんが嘲笑った。 「あらあら、ウリサカから聞いておりませんでしたの? 信用されてないですわね、ツキナも。……案外貴方、都合よく利用されていただけなんじゃなくて?」 「それは……!」 精神的な揺さぶりをかけようとしているだけ。そう割り切るのは簡単だが、そこに正義は無い。事実として、『嘘が吐けない』という障害があっても、もう少し私に話しておいてくれても良いんじゃないだろうか。あるいは、そこにも意味があるのか。 「瓜坂さんは詐欺師ですけど、あの人が嘘を吐くのは誰かを助けるためで!」 「詐欺師の味方をするんですのね。ツキナは悪い子ですわねぇ……。でも、『誰かを助けるために〜』って言うのも詐欺師の言葉なんでしょう? 果たして信じられるかしら」 その言葉だけは、絶対に真実だ。あの時は確かに私が暗示をかけて嘘を吐けなくしていて……。いや、もしも『暗示にかかった演技』をしていたなら。 嫌な想像が脳裏をよぎり、私は否定するように首を振る。そんなこと、無いはずだ。 「ルイスさんこそ、ハッタリです。何の証拠もなく、私に揺さぶりを掛けようとしてる」 「アララ。バレちゃいましたかしら。でも実際、どうだかは分かりませんよね?」 愉しむような口ぶりとは裏腹に、やけにつまらなそうな表情で彼女は言う。 私はムキになって反論した。 「大体、瓜坂さんは最低限しか嘘は吐かないんです。必要なだけしか」 「それだって、証拠が残るのを嫌っているのかもしれませんわよ? 嘘を重ねれば、それだけボロが出ますわ。でも一つ二つの嘘(テーマ)で芝居をするだけなら簡単ですもの」 信じていた物が、何の論拠もないと理性的に否定されていく。たとえ、精神的に揺さぶりをかけようとしているんだったとしても、『正義』という物を私が信じているだけに、私はどうしようもなく弱い。 盤石だったはずの塔が、実は砂で出来ていたなんてよくある話だ。 「大体、私達(オカルト)でもないのにオカルトを扱う人間というのがまず好きませんの。嘘かどうかが定かな言葉が、一つたりとも無いのですから……」 「そんなもの……ッ」 「貴女だって、そうではありませんの? 違うなら、違うと言って下さいまし」 「……ッ」 「そうですわよね。真実と違う事は、言えませんもの」 嘘も真実も、濁ってしまった私の目にはまるで映らない。それなのに『人を騙すのが仕事ですよ』と公言しているような奴、どうやって信じられるものだろうか。 いや、思えば彼の手癖にも胡散臭さが漂っていた。 例えば瓜坂さんは書面などではほぼ確実に真実しか書かないが……思えば、文書偽造で訴えられないための予防線だったのだろう。実際、偽造もやっているのだし。 そう考え始めれば、もう、ダメだった。 反論されるのが怖くて口に出来なかった事々が次々と脳裏で否定されていく。 「信じられない、かも知れません……」 「ま、だから何だっていう話でもないのですけどね。私にとっては貴方もウリサカも障害にすぎません。ただまあ、お気の毒様ですわね」 同情や憐憫を装って、無感情に発されたその言葉がやけに胸に刺さる。 ルイスさんはきっと何か悪いことをしようとしているのだろう、だけど彼女と敵対している瓜坂さんもまた正しいとは言えないのだ。 「……そういえば、随分と脱線してしまいましたけれど。何の話でしたかしらね?」 「さあ、何でしたっけ」 とぼけるくらいなら、まだ私にもできる。 年の割に長身なルイスさんに凄まれると、どうにも怖いが。でも、まだ大丈夫。 「フフフ。冗談ですわよ。確か、質問の途中でしたわね?」 「そーでした、ね!」 正直、自暴自棄だった。 「あらあら、軽いジャブくらいのつもりでしたのに……。この程度の精神攻撃くらいで乗せられてしまうなんて、ツキナは初心というか何と言うか。こういう時ニホンでは『お可愛いこと』なんて言うのでしたかしら?」 目の前の金髪が悪い事は、わかる。あの詐欺師が悪い事も、わかる。 ヤマモトさんの言葉が響かなかったわけではないのだけれど、それでも正しいかどうかというのは私にとっては重要な問題で。どちらが悪いか、なんて程度の問題は些末事にしか感じられない程、私は揺れていた。 「さて、ツキナ。質問と言っても一個だけなのだけれど。今回の事件の事、ウリサカはどこまで気付いているのかしら。と言っても、貴方とのやり取りで私自身が疑われてるだろうことはハッキリ理解しているのだけどね」 「……そう、ですね。どうなんでしょう」 「あら、まだハッタリをかます余裕があるのかしら? それとも本当にわからないの?」 「…………」 言われて、素直に考える。自分で推理してみようと思ったことはあったが、瓜坂さんの思考をトレースしようとしたのは今朝が初めてだった。 多分、ルイスさんが黒幕であることは理解しているだろう。この分だと、ほぼ間違いなく秋門さんの件や成平さんの時に襲ってきた怪物の大本も、彼女にあるのだ。 私たちを騙した手段については、『嘘は言っていない』程度に匂わせるニュアンスの文章で話していた、という点に尽きるだろう。『悪魔の契約』と同じだ。 そしてルイスさんがこれから何をしようとしているかについては、まるで分らない。 だからこそきっと、そここそが最近の瓜坂さんの『調べ物』の正体なんだろう。 「多分、ですけど……」 「素直に話してくれるところは、嫌いじゃありませんわよ」 整理の傍らに思考を口にしようとした刹那。ヤマモトさんの言葉が脳裏を跳ねた。 もしも『何を考えるか』が『何をするか』に関係ないのなら。『何をしたか』もまた、『何を考えるか』に関係ないんじゃないのか、と。 結果と主張の間には、打算とか理屈とかプライドとか。ありふれた物が挟まりすぎていて、見透かすには些か離れすぎていた。 「私にもわからない部分が多くて、自分なりに考えてみたんですけど」 思考の時間を稼ぐように、口先に音を滑らせる。 目が泳いで、鼻も揺らいで。薄いスズランのようなルイスさんの匂いが、鼻に香る。 もしも、もしもだ。 あの不埒にして飄々たる詐欺師が、『矢加部月菜(わたし)が人質になって、それを助ける』所までをシナリオに描いていたなら。 いや、少なくとも彼がルイスさんの計画を止めようとしていることには間違いが無い。 だからこれは、限りなく詐欺師(ウソ)に近い真実だ。 「ルイスさん。私はやっぱり、詐欺師の弟子みたいです」 「何を、言ってますの? この状況で、あの詐欺師をまだ信用できるというんですの!?」 ルイスさんの戸惑いなど、構わずに続ける。恐らく瓜坂さんの目的はルイスさんを最大限警戒させること。だからこそ、不敵に笑って思ったままを口にする。 動揺、したな。青い目をパチクリさせる彼女に、まるで優位にいる気分になった。 「予想ですけど分かりました。瓜坂さんの考えてること」 私に嘘は吐けない。吐きたくもない。だからこそきっと、瓜坂さんは真実を話さなかったのだろう。『私が推測しか話せない』という点において、真実はどこにも存在しない。 「……瓜坂さんは、ルイスさんがこの二か月くらいで何をしたか、入念に調べていると思います」 ならばこれは賭けだ。『私もまた瓜坂さんに騙されている』『私の推測が真実ではない』と彼女がそう判断する、そこにこそ賭けるのだ。だからこそ私は話す。真実を、嘘っぽく。知らぬことを、知るように。 「多分ですけど、瓜坂さん自身は魔術師じゃないので、ルイスさんが何をしようとしているかなんて、半分くらいしか見当がついてませんよ。きっと」 情報を、与えよ。ミスリードとなる情報程、探偵を妨げるものは無い。 それは魔術師であっても同じ。 考えるように、重心と肩を左右に揺らすルイスさん。 「そもそもあの人、基本が詐欺師だから『事件が起こってから』じゃないと何も調べないんですよ。人を騙すときだって、その人に関係があることを調べまくってるから博識な振りが出来るだけで合って、自分自身は大したことは知らないんです」 詐欺師を信じるか、魔術師を信じるか。騙されるなら、『人を救うために騙している』と言った瓜坂(クソやろう)の方がまだマシだろう。 何せ、どちらも人を騙しに来ているのだ。信じたい方を信じて、何が悪い。 「そう、ですの……」 返すルイスさんの表情には、脂汗が浮いていた。なにせ、知ってしまったのだから。 よりにもよって詐欺師の弟子を名乗る人間が『真実かも知れない予想』なんてものを口にしたのだから。勿論、嘘かも知れないのだけど。 「ルイスさん、私は予想することしか出来ないんですよ。ルイスさんの言う通り、あんまり信用されてないみたいで。大したことは知らないんです」 ダメ押しのようにそう言うと、彼女は静かに立ち上がった。 眉は厳しく、口は一文字に引いて。薄っすらと、怒気の見える表情だった。 「もう結構ですわ。……儀式まではまだ一日とちょっとあります。どうせ、二日くらいじゃ死にませんわよね。脱水症状は困りますけど、ご飯はまあいりませんわよね」 「それはそれは、水だけでもありがとうございます」 精一杯の嫌味で返す。他方、ルイスさんは傍らから静かにペットボトルを取り出す。 「いやな意味で、ウリサカに似てきましたわね。貴方」 言うと、彼女はペットボトルの蓋を取って、かなり強引に私の口にねじ込んだ。一口目の水、という事だろう。 水が鼻に染みて、呼吸も辛い。だけど、まだ負けちゃいない。 「ガフ……。ッゲフ、ゲフ……」 それから、声もなく。部屋のドアが閉じて一人取り残された。 きっとこれでよかったのだ。 なにせ私には騙すつもりなど微塵もない。ただ真実を言えばいいのだから。もしそこまで予想しつくして、瓜坂さんが『あえて真実を言わなかった』のだとすれば、彼は大したタマだろう。そして、――これは些か傲慢すぎるかもしれないが、そんな彼の思惑を見抜けたとしたなら、私もまた十分立派な探偵である物だなぁ。 「なーんて、モノローグしてみましたけど……。うう……。ゲフ、ゲフ」 去り際に、口に突っ込まれた水が鼻に染みて、ツーンと鉄っぽい匂いに変わった。 さて、(推定)翌日は夜ごろ。推定と言うのは、時計も何もないせいなのだけれど。 口に水を突っ込まれ、むせるという雑な生活にはなれそうもない。 もう一つ言うなら、尿瓶という物も人生で初めて使った。 この半日チョイでルイスさんの悪辣さが身に染みた気がする……。っていうか、目的外の事には極端に雑なのだろう。『なんで私が』って気分の方がデカいけど。 儀式とやらの準備をするルイスさんを眺めつつ、無意味に時間を潰していた。見る限り、粗方終わっているようである。暇なのか、ルイスさんが声を上げた。 「しかし、来ませんわねぇあの詐欺師。工房の対侵入者用の結界にも反応はありませんし……。案外、自分一人で逃げたんじゃありませんの?」 金髪をさらりと揺らし、でもどこか不健康そうな彼女。 衰弱しきった脳が、ちょっと肯定ししてしまいたいと思いつつ。目を瞬かせればハッキリと違うという事が見て取れた。 「いや、それは確かに違いますよ?」 服はダボダボのジーンズに、ポケットがたくさんついたジャケット。資料やら道具やらでパンパンにしたバックパックを背負い、血色よくニヒルに笑う。 大分見慣れた彼は、大分聞きなれた声を発した。 「振り向けば奴がいる、なんてな。よう、ルイス嬢。うちの助手連れ去ってくれるたぁ。随分手荒じゃあないの?」 「あら、遅いお着きですわね。ウリサカ。今夜のメインイベントはもう始まりますわよ」 「いいや、始まらないさ。盛大に何も始まらない。そのために俺がここに来た」 硬い椅子のせいでロクに眠れなかった私には些か憎らしいほどに健康そうだったが、その顔が見れただけでも、妙に元気が出てくるのだから不思議な物である。 第四話 下 神様になる方法/嘘つきは笑っているか 【瓜坂誠司】 矢加部ちゃんが攫われた――のはかれこれ数時間前。 「とりあえずは……、問題ねぇはずだ」 ぼそりと呟き、それから商店街の肉屋で買って来た肉まんがあったのを思い出し、冷えてしまったそれを電子レンジに入れる。 問題ないと言える根拠は確かにあった。 何せ向こうは理性が服を着て歩いているような魔術師。おまけに、ここ数日の調べ物で『新月の夜に何らかの儀式をしようとしている』という事までは分かっていた。 ともなればルイス嬢の目的はただ一つ。『儀式が終わるまで、妨害させないこと』に絞られる。だからこそ、矢加部ちゃんが殺される可能性は限りなく低い。 「些か塩分過多だが。やっぱ梅昆布茶は欠かせないよなぁ」 言いつつ、キッチンの戸棚から缶を取り出し、少量の梅昆布茶を用意する。 俺や彼女が人質をガン無視する可能性も考慮して、『より戦力低下につながるのはどちらか』選んだのだろう。実際、矢加部ちゃんの幻術は潜入向きだし、反面俺はハッキリと無能力者。彼女にとっては、未知の能力を持つ矢加部ちゃんの方が脅威度が高い。 「本当は、一昨日の襲撃の時点で捕まえられてればよかったんだが。成平ちゃんも間が悪いというか、なんというか」 ハグハグと半ばほどまで肉まんを齧り、時計を見やる。時刻は五時過ぎ。 妨害を止める最も有効な手段は、俺や矢加部ちゃんなどの真相に近い物を抹殺する事。 だからこそここ数日は藍崎組に護衛を頼んでいたし、一昨日は『あえて護衛を薄くする』事で向こうに襲撃させ、捕まえようとしていたのだ。逃げられた上、藍崎組に被害まで出たけど。 そもそも明日は、藍崎組の人員の大半はどこかにいる(であろう)儀式のための生贄捜索に充てるのだ、俺もまた、やむを得ず単身で突入するハメになった。 「さて……。新月までのあと一日で、どこまで詰めれるか、だな」 先ほども言ったように、急いで矢加部ちゃんを助けに行くのは良い策ではない。 西洋式魔術における新月は朔の後、三時間ほど。今回の場合で言えば、夜十一時半から翌日二時半までの時間帯だ。十一時半までは儀式を行うことが出来ないと考えていいはず。 「ならば、どうするや」 最悪を想定しろ。詐欺師を騙そうなんて考える相手だ。必ずその一歩上を踏んでくるだろう。だから、一手でも多く。相手の上を行かねばなるまい。 俺が気付くのが遅かったせいもあり、こちらの手の内はほぼ向こうに知れてしまっている。念入りに対策せねば、勝ち目はないのだ。 「やはり一番の問題は、何の儀式をしようとしているか、だよな……」 ルイス・スリップジグ。彼女についてこの一週間で分かった事はそれほど多くない。 魔術師連中が秘密主義者だらけだと言うのが大きな理由だが、細かく言えばもう一つ。 スリップジグというその苗字(ファミリーネーム)に聞き覚えが無かったせいだ。 いや、そもそもを言うなら、俺自身の仕事の都合上、『事件が起こってから依頼が来る』事が大半なので、大本の知識量自体は多くないのだ。 スリップジグという苗字も、ここ数週間で調べ始めた所。だが箸にも棒にも掛からない。 「イギリスの名家を名乗るってんなら、この名鑑で間違いないはずだが……」 もはや三日月に近い形の肉まんを、中の肉を溢さないように慎重に食んで行く。 名前が有名であれば、関わりのある人物からツナギを作って内情を調べることは出来るはずだ。だが、どれだけ調べても魔術協会の名簿以外にはほぼ見当たらない。 「調べる場所が間違っている可能性もあるが……。彼女は確かに『ロンドンから来た』と言っていたはずだ」 ゴク、ゴク。最後の一口を梅昆布茶で流し込んだ時。ふと、思い浮かんだ。 「もしも……。もしも、ただ『ロンドンから来た』だけなら!」 すぐさま、手にしたのはスマホ。裏社会の情報がネットに上がっている訳は無い、そう勝手に信じ込んでいたが。 指が導いたのはネット辞典。たった一言、『スリップジグ』と入力する。 「スリップジグ……。アイリッシュダンスのステップの名前とは、コイツは大正デモクラシー。もとい、灯台下暗しだったねぇ」 あと一日。間に合うか、間に合わないか。 完璧な推理というには数ピース程足りないが、それでも詐欺師として手を打つには十分な情報が出そろった。後はどう策を練るか、である。 「新月の夜か……。ふーむ、仕掛けるなら……」 薄い月と共に、夜は静かに更けて行った。 「後はまあ、賭けだね」 言って、財布から百円玉を一つ。指に乗せて、コイントス。 「うーんと、表!」 裏だった。 「あ〜。こりゃ、ダメかも知れねぇな」 それでも、夜は更けていく。 「振り向けば奴がいる、なんてな。よう、ルイス嬢。うちの助手連れ去ってくれるたぁ。随分手荒じゃあないの?」 煽るように、声をかける。ちなみにスリップジグ邸への侵入手段には、血糊の材料としてマリーさんから採取した血液の余りを使わせてもらった。 どこか別の場所にいるのだろうか。家の中には生贄(予定)の人達は見当らなかった。 だがそれで良い、藍崎組の連中には生贄の捜索を任せてある。大規模な儀式を行うっていうなら、生贄は絶対に必要なはずだ。 「あら、遅いお着きですわね。ウリサカ。今夜のメインイベントはもう始まりますわよ」 これぐらいでは驚かないか。こちらを無能力者と侮った視線。実にゾクゾクする。 転がり込んだ部屋の中は、異教の祭壇のよう。いや、具体的に南米や東南アジアのシャーマニズム信仰の神殿や儀式場を思わせる装飾であった。 「いいや、始まらないさ。盛大に何も始まらない。そのために俺がここに来た」 「『風よ(ghaoth)』!」 なんて、格好つけた瞬間。ヒュン、と音が鳴って空間が弾けた。見れば、手で印を組んだルイスの姿。略式詠唱に仏教式の印相を組み合わせるとは……。厄介な。 「いきなり攻撃してくるのは、無粋じゃないのか!」 慌てて矢避けの護符を取り出して、逸らす。先日のそれより一回り小さかったお陰で、ギリギリ逸らすことが出来た。 「(やっぱり。節約してるな……)」 切り札を切るのに、躊躇いはない。むしろ早い方が良い。それだけこちらの手数を誤認させられる。どこまで行っても余裕があると、そう騙すことが出来るのだ。 「やはり、弾いてくれますわね……。つくづく厄介な」 そこからしばし、息つく間もない魔術戦。 パチン。 指鉄砲と共に錬成された長大な氷の剣は転がるように躱し、距離を取る。 「『黒の十三、赤の六、位は総裁、五十八番より出でよ鬼火』!」 ウィル・オー・ウィスプ、下級にして火球の使役霊をヒイラギの葉で弾き落した。 切り札などと呼んではいるが、矢避けの加護の効果が及ぶものはそう多くない。風の弾丸や土くれならともかく、錬金の剣や使い魔には対応できないのだ。 「息が上がってますわよ!」 続いて杖の一振りから跳ねて来た金貨を模したような攻撃魔術を護符で逸らし、刹那に横合いから現れた毛むくじゃらの使い魔――に矢避けのルーンを攫われる。 あの金髪。魔術師としては本当に有能で……。 「クソ!」 悪魔学、精霊術、錬金術をそれぞれ数秘術や占星術を応用した簡略化術式で飛ばしてきやがる。プロの魔術師は手数が多いから、対応がキツイ。クソ。 「これでトドメですわ! 『風よ(ghaoth)』!」 ルイス嬢が再度手で印を切る。放たれた風の魔法、目にすら見えないそれに二枚目の矢避けのルーンをかざして防ぎきる。 「二枚目を切らされるとは、やるねェ。あと一枚しかないってのに……」 「あと一枚? 誰が詐欺師の言葉なんて信じるものですか!」 笑わせるなと、いっそ小気味よく笑顔を向けてきた。 大正解。実はダース単位で持って来てある。念のために。 「埒があきませんわね……。どうせ、防ぐので手いっぱいの詐欺師の癖に。今更、私の儀式をどうこう出来ると思っていらしたなら……。大間違いですわ!」 そう言ってくれるものの、向こうもそこまで余裕はない。何せ、儀式を実行するためにもまた魔力が必要なのだ。早急に俺を始末できなければ、彼女の儀式は失敗に終わる。 「おいおい、ルイス嬢。もうちっと頭を使って攻撃しろよ? 魔力を使い過ぎれば、君の儀式は失敗に終わる。いや、それだけじゃない。余波で祭壇を壊してもみろ、それだって君には命取りだろうよ。単純な勝利条件だけなら、こっちの方が有利なんだぜ?」 儀式に使う道具や魔術陣を壊しても、ルイス自身の魔力切れを狙ってもいい。勿論、他にもいくつか手段は存在する。まあ実際、もう一個厄介な勝利条件があるので、こちらの方が不利なんだが……。口には出さない。 「へぇ。それで、探偵さんでも詐欺師さんでも良いのですけれど、何をしにいらしたんですの? 館の魔術陣には、あなた以外は引っ掛かって居ませんからね。増援もないうえ、オカルトを扱えない貴方に出来る事なんて、精々時間稼ぎが関の山でしょう?」 大正解。実は時間稼ぎをしに来たんだ。コバルトに近い青い瞳を、じっと見つめる。 だけど、そんな本音は覆い隠して俺はニヒルに笑った。 「探偵がする事なんて決まってる、解決編をやりに来たのさ」 「何言ってるんですか、瓜坂さん!」 だいぶ弱った様子の矢加部ちゃんが、いい加減にしろと声を発した。 二つ結びの黒髪が、妙に萎びて見える。おお、可哀想に……。 「いやいや、会話ってのは大事だよ矢加部ちゃん。言うだろう、『話せばわかる』って」 ちなみに、そんなことを言った人は死んだらしいが。 「フフフ、面白いこと仰るわね……。それじゃあ、ご高説伺いましょう、か!」 その白い指が印を描き、声に音節が乗る。 「杖の七と三(wand 7,3)、盃のペイジと二(cup page,2)、護符の四(coin 4)―― 踊りの十二番(12/dance) ―― いざ照覧あれ(garde sans chein)!」 タロットをベースとした術式展開。それも原典よりの――占いではなく、ゲーム用として作られたルーツを用いた魔術を使ってくる。 呪文と共にルイスが指を押し当てた杖、瘴気と燐光を放ちながら球状の闇を生み出し、それをこちらへと飛ばした。放たれたどす黒く渦巻く何か――恐らく悪魔学寄りの降霊魔術であろうソレに向かって、俺は切り札の一枚を切る。 「(恐らく、矢避けは通じない。なら!)」 投げたのは藁人形。呪いに使う用のそれではなく、とある神社で貰って来た厄除け守りである。伝承に従って、黒い渦は藁人形に引き寄せられ、消え去った。 「面妖な東洋の呪物まで……。知識だけは一流ですわね、全く」 「お褒めに預かり、光栄の至りッ、と!」 ちなみに、実のところ大した知識はない。 呆れたように嘆息したルイス。彼女が瞬いた瞬間を狙って俺はプラスチック拳銃を抜き、魔術陣めがけてペイント弾を乱射する。が。 「無駄ですわよ。というより、貴方も以前ツキナに説教していた通りですのに」 魔術陣と言うのは、本来儀式中の術者を守る物だ。だから当然、術陣内を守る『結界』としての役割も内包している。見えない壁に弾かれた銃弾は、儀式とは特に関係ない床面をべっとりと濡らした。 「チッ。一発ぐらいそっちに撃って、髪の毛汚してやりゃあ良かった」 言って、俺は渋々拳銃を投げ捨てる。 「しっかし、お互い手詰まりみてぇだな……」 「そんなこと、ありませんわよ。私とて、一流の魔術師、まだまだ、策は有りますの」 「そういう割には息が上がってるぜェ、お嬢さんよ」 向こうとて、これ以上魔力を使えば儀式は行えまい。 実際、ルイスの息は乱れており、その白い頬も大分赤く染まっていた。 「策は、ありますのよ」 「ハン、はったりだね!」 言いながら近づいた瞬間、ルイス嬢が素早く懐から何かを取り出してこちらに向けた。 バチィッ! 瞬間、電光が跳ね、強い衝撃と共に俺は前のめりに臥せった。 強引に意識を保ちながら、視線を上げる。ルイスが握っているのは黒い機械。 「スタンガン、だぁ!? 機械嫌いが、聞いて、あきれる、な!」 「別に。やむを得なければ使いますわよ」 そういえば、日本にも飛行機で来たとか言っていたな。これだから合理性の塊は! 警戒は怠っていないつもりだったが、スタンガンは『矢避け』の効果外。 クソッタレ、と悪態をつきながら俺の意識は落ちて行く。 『やあ、瓜坂少年!』 矢加部紗菜、という女性がいた。誰あろう、我が助手こと矢加部ちゃんの実の母親であり、高校時代に俺とヤマモトが世話になった恩師でもある。 『おーい。おーい! 授業中ではないとはいえ、今寝てちゃあ駄目だろう!』 矢加部ちゃんには言ってない事だが、その縁があったからこそ彼女が突然天涯孤独になったと聞いた時にはヤマモトが養父を買って出たし、俺もまた敵討ちに手を貸した。 そんな彼女が俺の事務所に居候したいと言い出した時は、大分嬉しかったものである。 『ホラホラホラホラ! 起きて、起きて! それとも、往年のギャルゲ風に、幼馴染っぽく起こされたいかい? 私はもうそんな年じゃないんだけどねェ……』 「ちょ、煩いですよ! いま、回想中なんです。勝手に入ってこないで下さい!」 『それどころじゃないと思うんだけどなぁ……』 とまあ、こんな感じの人だった。やけにリアルな気もするが、きっと俺の妄想力が高いせいだろう。 ともあれ。 『やあ、瓜坂少年! 君は伝承や神話を信じる方かな!?』 矢加部紗菜という教師は、まるで作ったかのように胡散臭い女性であった。 『瓜坂少年、聞いたかしら? 西濱川に河童が出たらしいわよ!』 なんて連れ出された日には、人生初のオカルトとの触れ合いをさせられた。 ちなみに相撲だった。 『今度、大規模な魔女の集会があるらしいのよ! お祭りみたいなもんだし、ヤマモト少年も誘って見に行こうじゃないの!』 などと言われれば、いちゃもんを付けて来た魔女相手にハッタリだけで戦わされる。 『瓜坂少年、娘の誕生日に特別な物を作ってやりたいんだが、ちょっと材料が揃わなくてね……。え、うちの旦那? あんまり荒事向きじゃないからねぇ』 と、荒事向き以前に無能力者のただの高校生を連れ出した時には、悪魔かと思った。 『まあ、君とヤマモト少年には世話になったからね! これを上げよう。少し遠方だが、大学教授の伝手があってね。文学部の推薦状を書いてもらった』 言われるままに大学に行けば、行先の民俗研究室でも胡乱な事件に巻き込まれ……。 『さーて、瓜坂少年。いやさ、青年。回想はここら辺までにして、そろそろ目を覚ましたらどうだい?』 なんて、それこそ言い出しそうな人であった。 「ハァ……。夢だか現実だか、あるいは幻術だか知りませんけど……。探偵の癖して解決編も満足に出来ず、犯人を逃がしたと有っちゃあ、名折れですかね!」 俺が自分に発破をかけるように声を上げれば、妄想の幽霊はコクリと頷く。 『応ともさ。それに青年、うちの娘は君に預けたんだからね。君と、ヤマモト青年だからこそ預けたんだ。……何かあったら、容赦しないよ!』 夢かどうかもあやふやな、靄のかかった不思議な空間。 思い出の中に生きる彼女は、記憶通りの笑顔でニカッと笑っている。 黒髪をストレートに伸ばし、娘とは少し違う琥珀色の瞳の先生。 『えい!』 「うぉあ! 何するんすか、先生!」 後ろから小突くようにして頭を叩かれ、思わずつんのめる。 『いい加減起きないと、詐欺師としても負けちゃうよ!』 前傾姿勢のまま、コケて倒れた。そのまま意識が引き延ばされて行って……。 カツ、カツと聞こえるのはチョークの音だ。 「瓜坂さん! 起きてくださいよ! ちょっと、ねぇ!」 矢加部ちゃんの声がする。その声に、自分の目が覚めたことを理解した。 あの子の黒髪を見て、少し夢を名残惜しく感じつつ、まずは状況確認。 「(そりゃあ、縛るわな……)」 手足共に、拘束されている。 そのまま、微かに左手と首を動かして腕時計を確認する。 「(時刻は、二十三時二十分。――どうにか間に合ったみたいだ)」 儀式の準備に忙しく、こちらを見向きもしないルイスをしばし観察する。 儀式場はほぼ完成状態。俺の妨害を予測して退かされていた魔道具やなんかも全部綺麗に並べられていた。これで腕や足が動けば、一つ二つ破壊しておシャカに出来るのだが。 手足が動かないなら打つ手は無いか。 いや、ある。喋るだけなら、まだ出来るのだ。 「(おいおい。自分を見誤るなよ。不本意なことだが、皆俺を詐欺師と呼びやがるからな……。詐欺師なら、喋るのが仕事だ)」 深呼吸を、一つ。 「よお、ルイス嬢。クソみたいな目覚めをありがとうな!」 「瓜坂さん!」 矢加部ちゃんが破顔したのに一瞬遅れて、ルイスが振り向く。 「おやおや、お早いお目覚めですこと」 「ああ、寝入りが酷かったもんでね」 嫌味の応酬。わざわざ作業の手を止めたところを見るに、それだけ余裕があると見たか。 彼女ほどの冷静な人物でも、時には慢心することに俺は安心した。 そこに勝機がある。 「生憎だが、探偵としちゃあ解決編の一つもやらなきゃ帰れないもんでね」 「ハン。その探偵という肩書は詐欺師の隠れ蓑でしょうに。その上まだ無事に帰れると思っているとは。こういうの、『ちゃんちゃらおかしい』というのでしたかしら?」 小さな口から放たれた言葉のとげには動じない。彼女自身の慢心に気付かせぬよう、あえて挑発的な言葉を選ぶ。 「ならばなぜ、俺を殺せていない?」 それは、慢心しているからだ。 「それは、折角だからお話の一つでも聞いてやろうかと思いましたの。儀式までの暇つぶし、とも言いますわね。今更負ける理由など、無いですしね」 オカルトは、認識を起点に『嘘』を判断する。慢心がないと自分で思っているなら、彼女の言葉もまた、嘘ではない。 「おいおい、魔力が尽きるからじゃないのか?」 「別に? それこそ、大きめの石の一つでもあれば、貴方は殺せますもの」 勝ち目だ。間違いなく勝ち目が見える。『Why』ではなく『How』を答えた時点で――いや、俺がそう誘導したのだが――彼女の油断がハッキリと分かった。 「まあ、良いでしょう。解決編、とやらを聞いて差し上げますわ」 顎を引いて、首を上げる。しばし睨み合った。視界の隅の矢加部ちゃんは、疲れた表情。 一日半とはいえ、人質生活は辛かっただろう。俺が心配をかけたせいもあるか。 「いやあ、実に見事に騙してくれたものだよ。ルイス・スリップジグ。全くもって、『オカルトは嘘を吐けない』というルールのスレスレを通るような事ばかりしてくれた物だから、気付くのに時間がかかってしまった」 こっから先は、時間との闘いだ。無意味に言葉を連ね、少しでも時間を稼ぐ。 「……話は九月の頭まで遡る」 「九月の頭、ですか……?」 窓から覗く夕闇をバックに、矢加部ちゃんは首を傾げる。いつも通り、良い合いの手だ。 美少女ではないものの、愛嬌のある顔立ちなもんだから、妙にあざとく感じた。 だが、見とれている場合でもないので言葉を続ける。 「おう。覚えているだろ? マリーさんの事件の時だよ。俺たちは『ヤマモトがマリーさんに紹介した』と勝手に解釈していたが……。本当は、ルイス嬢が仲介に入っていた」 「でも、何のためにですか?」 「儀式の邪魔になるイギリス本国の魔術師どもと、スリップジグ家の人間を撒くために。要するに、あの事件の本当の目的は見張りの少ない日本に逃げてくることだったんだよ」 恐らくルイスは、魔術師をやめたいと思っている姉にそうと気付かれない形で、『ヤマモトの知り合いには一風変わった依頼を受ける男がいる』と伝えたのだろう。 「マリーさん自身、『ミスターヤマモトから聞いた』と言っていたからね。ルイス嬢が黒幕側なら、あの人自身が自覚なく協力したであろうことは明確だ」 そしてルイスの目論見通りマリーさんは失踪し、いよいよ彼女の身の回りから魔術師は一人も居なくなった。 「監視が外れたルイス嬢は、誰かに気付かれるより早くに儀式を行おうとした。いや、元々は九月中に儀式を終わらせるつもりでいたんだろう? でも、失敗した」 「ええ、全く。貴方の指摘通り、二ホンという土地柄を甘く見ていましたわ。全く……。おまけに、ノートを探してみれば、既にそちらの手元にあるというんですから……」 そう、ルイスの行おうとしている儀式には、彼女が馬鹿にした『西洋魔術と日本魔術の翻訳術式』こそが必要だったわけだ。 ノートを盗んだからには、ノートが必要な訳で。お陰で、秋門の事件で出会った時に『行き詰っていた研究が〜』と言っていたのにも、頷ける話だ。 「土地の魔力、ですか?」 再び、ピンと来ない風で矢加部ちゃんは首を傾げる。 合わせて動く二つ結びが、表情の一部のようにも見えた。 「うん、地脈とか、龍脈とも呼ばれるね。大規模な儀式を行う時には、魔力を取り出すために生贄を使ったり、土地の魔力を引き出したりする。今回は、生憎にも後者だったわけだ」 これは、藍崎組は空振りだったかもな。後で謝りにいかないと……。 「いえ、折角の解説ですが。今回は地脈と生贄。どちらも使いますわよ?」 「どちらも、つったって。生贄はどこに……?」 「それで教えると思いますの? と、言いたい所ですけど。どうせ今更どうにもできませんしね。携帯もとり上げましたから、教えて差し上げます。この町、そのものですわよ」 「……ッ!?」 息を、呑んだ。 迂闊だったのは俺かもしれない。彼女が秋門を抱き込んだのには、ちゃんとした意味があったのだ。恐らくは、この街に存在するいくつかの物件はルイスの手の内にあり、そしてそれぞれに儀式の要石としての術式が配されている。 「つまりナニかい? 儀式を止められなければ、この町に住む何万人っていう命が犠牲になると。そう言いたいわけだね?」 「えっ……!?」 事態を遅れて理解したのか、矢加部ちゃんが眉根を寄せつつ顔を青ざめさせる。 「ええ、必要ですもの。というより、貴方にはもう止める術なんてありませんけどね」 歯を食いしばって、ただ静かに睨みつける。いや、しかしそうしていてもしょうがない。 「ホラホラ。解決編の続きは語らないんですの? 楽しみにしていましたのに」 ニタニタと笑いながら煽って来るルイスに視線を向けぬまま、俺は語りを続けた。 白い肌が、興奮からかずっと赤く染まっていて、それすらも妙に腹立たしい。 「儀式の問題点と、ノートの在りかに思い至った君は俺達を排除しようとした。……いや、元々秋門を使って藍崎組諸共始末するつもりだったのに、ヤツが失敗したからこそ自分で手を下そうとした。だが、残念ながらその場には噂の予知少女こと、成平ちゃんが居た」 それが、あの廃ビルの事件の真相だろう。先日の襲撃と同じく、俺達への殺意が成平ちゃんを巻き込む形になった事になる。 そして、廃ビルでの一件が有ったからこそ、一昨日のルイスはすぐさま撤退を選んだ。 「そこまで見抜いていらしたのですね」 守られた魔術陣の中からこちらを睨めつけつつ、ルイスは頷いた。 「決定的にボロが出たのは、藍崎組を始末し損ねた件だろうな。秋門絡みで揉めていた案件を洗ってもらったら、時間はかかったが海外資本の名前が出て来たぜ。いくつか中継を挟んでたみてぇだが、大本の金はスリップジグ家から出ていた」 と言っても、気付いたのは昨日だが。口にせず、表情にも出さない。 「ええ、私もあそこまで短絡的な行動をするとは思っておりませんでしたので……。まさかあんなに早く狂気に飲まれるとは。計画外でした。本当に、使えない男」 「それって、秋門さんが狂う事は予想してたってことですか! ルイスさん!?」 「何をいまさら。おかしなことを聞きますわね、ツキナは」 悍ましい返答に、矢加部ちゃんが震えて、椅子の足が音を立てる。 言葉の意味に気付いて震えながらも、うちの助手は別側面から質問を投げかけた。 「スリップジグ家……って、ルイスさんの御実家ですよね?」 「ええ、まあ地方ではそこそこ大きな家ですの。藍崎組の皆さんと同じようなものと思ってくださればよろしいですわ」 愛想笑いをしながら言うルイス。だが、それが一側面のみを切り取った嘘ならぬウソであることを俺は知っている。いや、昨日の晩から今日に掛けてようやく調べがついた。 「いいえ、マフィアです。任侠としての藍崎組とは比べ物にはならねぇ。あんたら、アイルランドカソリックを自称する過激派テロ組織を煽って、北アイルランドのプロテスタントと相手のテロ行為に武器まで提供してたそうじゃねぇか。いい商売だなぁ、オイ?」 調べる国が間違っていたからわからなかったが、アイルランドという言葉をヒントに裏社会を漁ってみれば、そこそこの情報がヒットしたのだ。 「……ッ!」 黙ってしまったルイスと入れ替わり、驚いたように矢加部ちゃんが音を発する。 黄色に近い瞳が、大きく見開かれていた。 「宗教戦争なんて、そんな。……今を何世紀だと思ってるんですか?」 「ある所にはあるもんだよ。そして、ルイス嬢の最大の嘘。アンタ、『ロンドンから来た』だけであって、その実はアイルランド出身だそうじゃ無いか」 「あらあら、嘘とは心外ですわね。私、嘘は吐いておりませんわよ?」 「おう。おかげで随分騙されたもんだ。だが、さっきの術――召喚術を見せられたお陰でようやくわかった」 召喚術、使い魔、アイルランド。ここまでくれば、答えは一つ。 「……ルイス嬢、君はドルイドの末裔なんだな?」 「ええ、よくぞお気づきですこと。素直に褒めて差し上げますの」 俺の言葉に彼女はハッキリと頷き、嫌な予想が当たったことに眉を顰めさせた。 「ドルイド、ですか……?」 ただ一人、事態を判って居ない風に呟いた矢加部ちゃんへ向けて俺は解説する。 「ドルイドって言うのは、アイルランドに古くから住んでいたケルト人の伝承に登場する司祭の事だ。ケルトの魔法使いと言い換えても良い。まあ、司祭と呪い師を兼ねたような人たちだったらしいんだが……。これがちょっとばかり厄介なんだよ」 「厄介と言うと、特殊な魔法を使うとか。そういった事でしょうか?」 「いんや、違う。ドルイドはハッキリと実在し、しかもケルト人文化において相応の立場を持っていたにも拘らず、ほぼ全ての記録に名前以上の事が記されていない」 ここで重要なのは、『伝承が存在しない』訳ではなく『記録に残っていない』という事である。とどのつまり、その子孫たちには口伝で伝承や技術が伝えられているが、我々が理解できるところにはどこにも記録されていない、という事。 強い力があるが、中身は分からない。 「もちろん、ケルト人の宗教観については色んな研究や文献が存在するが……」 「それでも、難しいんですね」 そう、入念な下調べと知識による対応を前提としている俺にとって、『未知』というのは一番対処が難しい敵である。 押し黙った俺を揶揄うように、ルイスは微笑んだ。 「あらあら、探偵の名推理もここまでかしら? ……それでは、そろそろ」 「いいや、まだだ。解決編には続きがある」 言うと、イラっとした様子で眉を顰められる。今更だが、眉もブロンドなのね。 だが、こちらを図りかねているのは向こうも同じはず。むしろ、語れば語るだけ『俺がどこまで知っているのか』バレてしまうので、こちらが不利になるとも言えた。だがそれでも俺は、言葉を続ける。 「当ててやろう。お前さんがこれからやろうとしている儀式は、『祖霊昇華』だな?」 「……」 「……」 うんとも、すんとも返事が無い。金髪美少女の仏頂面と言うのも、中々乙な絵面ではあるのだが、今はそんな場合ではないだろう。 「えと、祖霊昇華って……」 沈黙を見かねて、矢加部ちゃんが口を開いてくれた。 説明しよう。 「祖霊については、秋門の時ので覚えてるね? 『祖霊』って名前の神様の器に、先祖全員の魂を納める事で力を高め、子孫を守る。それが魔術的な定義の祖霊信仰の形だ」 「ええ、そこまでは覚えてます」 彼女は頷き、だが視線はこちらに向けていたので、少し上目遣いのようになった。 「だけどね、当然時代を経るにつれて偉大な王や英雄が出てくると、そのまま祀り上げようという流れが、部族の中には出来上がる。そこで出てくるシステムが、『祖霊昇華』だ」 言うと、今度はピンと来たように矢加部ちゃんは目を見張った。 「つまり、名前を残したまま神様にしようっていう話ですよね?」 「うん、そうなる。でも、祖霊の根本は『複数人の魂を一つの器に入れる事で強い力を手に入れる』物だ。どれだけ偉大な英雄でも、賢王でも、到底贖いきれはしない。だから……」 続きを口にするのを一瞬ためらう。 矢加部ちゃんの黄色っぽい瞳は、言ってくれるなと青ざめていた。だが……。 「だから、その儀式においてはたくさんの生贄が必要とされた」 言葉に、矢加部ちゃんはややも吐きそうな表情になる。 地脈と生贄を大量に必要とするなら、恐らくここに結実するだろう。 反対、ルイスは頬どころか耳まで紅潮させてパチパチと拍手をしていた。 「素晴らしい、素晴らしいですわウリサカ! よくぞそこまで見抜かれましたわね!」 その興奮は、まるで往年の映画スターを囲むファンのよう。だが、同時に追い詰められてもいるのだろう。どこか切迫した狂気を感じさせる表情だった。 気味が、悪い。君が、悪い。なんつってね。 一通り拍手をし終え、一通り俺と矢加部ちゃんを不快にさせた彼女は言葉を続けた。 「さて、では問題ですの。二つほどよろしいかしら、探偵さん?」 俺の返事を聞くまでもなく、ルイスは二本指を立てて言った。 あたかも自分の勝利を確信したかのように、優越感たっぷりに口角を吊り上げる。 「月は、出ているかしら?」 イギリス人を真似たのか。茶目っ気たっぷりに。パロディも忘れずに。 少しでも時間を稼ぐべく、あえてパロディに付き合う。 「え?」 「月が出ているかしらと、聞いているのよ」 「出て、いないな……」 それは、単に月が出ていないという事ではない。『月が出ている』にも拘らず月が見えない日。朔の時間が始まったという事である。 「もう一つは、そうね。ケルト民謡で最も残虐な妖精、誰かわかるかしら? 神に祝福された人を呪い、人を襲う祝福されざる者(アンシリー・コート)」 「おい、まさか!」 まだ、魔力の余裕があったとは……。彼女の慢心を、こちらを甚振ろうという心を甘く見ていた。 魔力が無くても殺せると言っただけで、魔力が無いとは言っていなかった。 魔術師ならざる俺にも見えるほど、濃密に魔力が渦を巻く。 光は、紺と朱。渦と放射円が、民族風の室内に術式を描き出す。 「サヴァンには少し早いけれど……。『オグマに首を絶たれ、なお死なぬ者よ!』」 声に、陣からあふれ出したのは煙。 戦火と呪いを匂わす、紫色の濃い煙。それを扉として、潜り抜けるように。或いは凱旋するように。その中から、ヤツは姿を現した。 「Grrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr,Yeaaaah!」 些か狂気の籠った声と共に現れたのは、首なし騎士と首なしの馬。名を、デュラハンという。黒いマント、赤黒く血の染みた鈍鉄の鎧。歴戦に歪んだ馬上槍を構えて。 黒々しい呪い渦巻く騎士の悪霊が、この世に姿を見せた。 死の宣告を伴う伝承通りの姿ではなく、ただの暴力の化身として顕現する。 「中々楽しかったですわ。それじゃあ、今度こそさようなら、詐欺師探偵ウリサカ、そして恨むなら自分の居候先を恨みなさい。ツキナ?」 「魔力は、尽きたはずじゃないんですか……ッ!?」 「あら、それはウリサカの推測ではありませんでしたの? 私は一言も、そうは言ってませんわよ?」 「クソッ。計算が甘かった……!」 「折角ですし……。先に、ツキナから殺してあげますわ。流石のあなたでも、心を痛める事はありますわよね?」 そういった彼女の青い眼は、俺という脅威から解き放たれた解放感と、それによって勢いづいてしまった狂気に彩られていた。もう冷静とは言えない。 まさかも何も、思う前に槍先が移動する。方向転換したデュラハンは、ゆらゆらと、矢加部ちゃんの座る椅子に向かって、近付いていく。亡霊らしく、芒洋と。 「クソッタレ!」 俺に出来る事は、ただ喚くだけ。だから声を張る。 「待て、待ってくれよルイス嬢!」 「いいえ、あなたの推理を聞いていたせいで、余分な時間が押しているんですの。朔の時間はまだ残っているとはいえ、今度こそ失敗するわけにはいきませんの」 急き立てるような声に従い、デュラハンがジリジリと矢加部ちゃんに迫る。 その黒い兜の、庇から覗く赤い瞳は何を見据えるのか。 「ルイス嬢、俺に恨みがあるってんなら、俺から殺せばいいだろう!」 「だからこそ、ですのに。それだけ喚かれるという事は、なんだかんだ言ってもツキナが大事なんですのね。……そんなに言わないで下さいまし。より一層無惨に殺して見せてあげたくなってしまいますわ」 クスクスと楽しそうに笑いながら。嗜虐的に、彼女は声を高める。 「ああ、ツキナ。月の名を冠する貴女が、月の無い夜に死ぬなんて。実に詩的で、素晴らしいでしょう? ねぇ、そう思いません?」 言葉に矢加部ちゃんは震えながらも必死にデュラハンを睨みつける。ともすれば、その先に居る俺をもみているように。俺の怯えと悔恨は、しかしルイスを焚きつけた。 「矢加部ちゃん、矢加部ちゃん! 何とかして、逃げろ! 逃げるんだ!」 俺の言葉にも、言葉を返さない。その押し黙った表情がルイスの嗜虐心に火を灯す。 「デュラハン、出来るだけ惨めに終わらせて頂戴」 勢いづいたルイスが命令を下すが早いか、首の無い騎士は槍を振りかざし、矢加部ちゃんの下腹を狙って引き絞った。 「ルイス嬢、やめてくれ! 騙したことは謝ろう! だから――!」 「イ ヤ 、ですわ」 俺の渾身の叫びをルイス嬢がむべもなく断る。 同時にデュラハンの突き出した槍が矢加部ちゃんに吸い込まれるように、突き刺さった。 ボフン。刹那、羽根布団でも爆ぜたような間抜けな音が響き渡った。 「デュラ、ハン……?」 呆然とした様子で、ルイスが呼びかける。彼女の使い魔は、目的は果たしたとばかりに薄く光って消えていった。だが、肝心の矢加部ちゃんの姿が、そこにはない。 彼女が嘘を嫌うのは何よりも本心で、彼女が『嘘を吐けない』事こそがその証明なわけだが。だからこそ、誰もが彼女に騙される。俺だってついこの前まで気付けなかった。 「ツキナ、貴方は一体……ッ!?」 ルイスの表情から狂気が抜け落ち、一瞬にして驚きに染まる。矢加部ちゃんの純粋さ、嘘が無いというその事こそがルイスを欺いたのだ。だから、善意の少女は止まらない。俺の悪意(やいば)は鈍らない。 「なあ、ルイス嬢。矢加部ちゃんって、何(・)だと思う?」 叫びながら身をよじった時に現時刻は確認した。もう時間を稼ぐ必要もない。演技を捨てて、平静な声で俺は問うた。 口元にはニヒルな笑みを。お前は罠にかかったんだと、精一杯嘲笑う。 「何、って……?」 呆然自失と返すルイス。それに応えるものは、矢加部ちゃんが縛られていた椅子の下から現れた茶色い、獣。俗に化けの皮などと呼ばれる、自前とは別の毛皮を羽織っていた。 「ええ、そうですね。瓜坂さん風に言うのであれば……。言ってませんでしたか、ルイスさん? 私、人間じゃないんですよ」 彼女の名前は化け狸。日本古典によく登場する、人を騙す妖怪である。 その茶色い毛玉は、スタスタと椅子の下から這い出して来ると声を張った。 「魔術師が居て、魔法使いが居て、超能力者が居るんです。神や悪魔・精霊の存在までルイスさん達は知っているのに。だったなら、妖怪(わたしたち)が居たっていいじゃないですか? 正しく、貴方たち人間が謳った伝説でしょうに」 「まあ、君は人を騙すのはあんまり好きじゃないみたいだけどね」 「煩いですねぇ……。っていうか、私も消耗が激しいから元の姿に戻るのは……」 言うと、彼女は俺の方まで歩いてきて丸くなった。だいぶ疲れている。 「何、何なんですの……!? ツキナの能力は幻を見せるものと確かに言っていたはずですのに! 私が仕掛けた使役霊は、そんな情報聞いてませんでしたわよ!」 おいおい、事務所の盗聴までしてやがったのか。誰も言わなかったんだから仕方ない。 彼女の嗜虐性の強さと、『想定外』への脆さは薄々感づいていた。だからこそ、そこを利用する。当然さっきの怯え声も演技だし、矢加部ちゃんがデュラハンを睨んだわけじゃなく、俺に目配せをしていたのにも気が付いていた。 「大なり小なり、誰でも秘密を抱えている。正直ぶっていても、探られたくない腹の一つくらい誰にでもあるって事だ」 「まあ、正直騙しててすみませんでしたよ。瓜坂さん」 「別に責めちゃいないさ。むしろ助かった」 ちなみに、昔とある妖怪の大将から聞いた話では、狸や狐の化け術というのは幻影術とは全くの別物で、『化皮衣』という魔道具で体そのものを作り替えているんだとか。 それが言う所の、『化けの皮』って奴だな。狸の毛皮の上に、もう一枚コートのように羽織っているので、ちょっと変な感じだ。 まあとにかく。 「いえ、例えあなた達の処分に失敗した所で、儀式は続けられますの」 ようやく冷静さを取り戻した彼女はそう口にして術式に視線を戻すが……。しかし、一度は焦り、狂気にも走りかけた彼女はいくつも見落としていた。 その青い目に映る物は、もはや俺が生み出した欺瞞に乗っ取られていた。 「何か、気付かないかい? 例えば、土地の魔力とか」 「……ッ!?」 俺の声に、何かに驚くように魔術陣を見、祭壇を見渡して。乱れる思考を整理するように彼女は声を荒げる。 「これは……。魔力の場が変化しているんですの? 龍脈もズレているうえに、土地の神性も変わっている! ウリサカ、答えなさい。何をしたのです!?」 おうおう。見事にうろたえていらっしゃる。 「ルイス嬢、知ってるか? 東アジアのいくつかの国ではな、新月の夜って言うのは月の初めを表すんだ。太陽太陰暦、って奴だな」 もはや見ずともわかる。腕時計の時刻は十二時。日が変わったことを示していた。 「それがどうしたって言うんですの!?」 「今日は神無月朔日。神様のいない水――あ、もう木曜日か……」 「貴方、まさか、このためだけに時間稼ぎを!?」 「ご名答だぜ、半可通。君の敗因は二つある。君は『時間稼ぎくらいしかできない』と言ってくれたけどね。『俺が時間稼ぎする理由』を考えなかった。それが一つ目」 神無月。神様のいない月。だからこそ、土地の魔力が変質し、儀式にも強く影響する。 マリーさんのノートを持って行かれた時にはもしやと思ったが、気付いていなくて幸いした。気付いていたらどうしたかって? そのネタバレはまた後で。 「有名漫画のパロり方にしろ、妙にステレオタイプな日本観を持っていることにしろ。君が決して日本に詳しいわけでないことは十二分にプロファイリング出来ていた」 だからこそ、彼女はまんまと罠にかかったのである。 「そして二つ目。ま、これは単純な話だけどね。相手が詐欺師と判って居ながら、俺の口をふさがなかった事。俺を詐欺師と呼ぶなら、話をした時点で騙されてると思った方が良い」 まあ、だからこそ俺の話を聞くように散々(さんざ)っぱらに煽り、嗜虐心を突っついて『じわじわとイジメよう』という心理に追い込んだのだが。 話を聞かせるために相手を煽る。追い詰められた犯人に迂闊なことをさせないための、探偵の手管だ。 「君は『目的のためなら手段を選ばない』なんて言ってたけど、目的の中に『俺に一泡吹かせる事』を入れちまった時点で、君の負けだったんだよ」 縛られたままでは恰好も付かないけれど。それでも胸を張る。 そういえば、どこかで聞いたことがある。詐欺師の基礎はたった一つ。 「だから俺は、君を信じた」 「何をッ!?」 「君が、俺に騙されてくれると。そう信じた!」 「やってくれましたわね……。でも、また一月もすれば新月は来ますのよ!」 それはすなわち、この場を逃げてでも再び儀式をしようという意思の表れ。 「どうせ、真実を知っているのは貴方とツキナの二人だけ! なら、あなた達さえ処分してしまえば……」 「念のためにだがな。藍崎組には直前までわからなかった儀式の詳細以外の情報はほとんど全てを送ってある。警察暗部の魔術調査局ともつながりはあるからな。俺が帰らなければ、そっちにも話が流れるだろうさ」 ルイスの発言通り、町一つを生贄にしようとしたのだ。その情報は誰も持っていないとはいえ、協力者の秋門が逮捕されている以上、芋づる式にバレるのは時間の問題だろう。 「やってくれますわね……!」 彼女も理解していることだと思うが、汚名を被る事を盾に警察が脅しを掛ければ、スリップジグ家とてある程度の情報は話さざるを得ないだろう。 今この場においてルイスが取れる最も合理的な手は、なりふり構わず逃げる事。 「三十六計逃げるに如かずとも申しますし、ここは引かせていただきますわ!」 「なあ、お嬢さん。逃げるのはやめておいた方が良いぜ? 嵐が来る」 「どうせハッタリでしょう!?」 ルイスは窓に向かって走り寄る。だが、そこだけは。ハッタリじゃない。 最後の詰めを誤るほど、俺は親切じゃないんだよ。 「何、ですの……。この夥しいまでの数のヨーカイは!」 彼女の知らない魔物、日本で言う所の妖怪。それが群れを成す現象にも、名前がある。 「今日は干支で言うと未の火用。別名を夜行日。その上月のない夜、おまけのように神様もいないと来た。宴をやらない理由がねぇ。いい加減気付きなよ、英国かぶれのエセ日本通。嵐の夜のバケモノの祭り、百鬼夜行(ワイルドハント)がやって来たんだよ」 その瞬間、窓の外に映ったのは提灯お化け。それから唐傘、飛頭蛮、狐火、大下駄、薬缶ヅルなど有名無名問わずの有象無象が追いかけていく。 文字通りに百を超える妖怪が集まっているのだ。それを突破するのは、無理だろう。 今回の俺の勝利条件は儀式を妨害する事、だけではない。 「逃がす訳(わき)ゃあ、無いだろう? 大事な大事な金づるさんよぅ」 ルイスを確保できなければ、またどこかで儀式を行われる可能性がある。逆に言えば、彼女を捕まえれば警察に恩を売れる上に、口封じを盾にスリップジグ家を脅せるわけだ。 逃がさないこともまた、俺にとっては重大な勝利条件である。 「この、詐欺師風情が……ッ」 悔し気に、普段よりいっそう白くなったルイスの顔が歪んだ。いい顔だねぇ。うん。 「(こんなもの、早々都合よく現れるもんなんですか?)」 「(いんや。ちょっと伝手があってね、そいつに頼んだ)」 憤慨したまま黙ったルイスをしり目に、俺たちはヒソヒソと声を交わす。 「ところで、百鬼夜行を従えることが出来る妖怪は、日本でも数少ないんだが……」 言いかけたところで、ルイス嬢がこちらに向けて杖を構えた。が。 「ならせめて、貴方達だけでも――ッ!」 呪文を紡ぐより早く、その脳天に木槌が振り下ろされ、ルイスはそのまま気絶した。 「安心したまえ、峰打ちだよ?」 「おい、槌に峰はねぇぞ……ヤマモト」 それは誰あろう。俺の親友を自称する不審者である。 「久しぶりに会う親友なんだから、もう少し良いセリフを言いたまえよ、セイジ」 「ええぇぇぇ! どういうことですか!?」 まるで知らなかった矢加部ちゃんが悲鳴を上げた。黒い二つ結びも、少し元気を取り戻したように見える。 「その昔、人間のガキを揶揄おうとして失敗し、挙句『稲生物怪録』という書物に晒された妖怪の長が居た。私の祖先――三代目山ン本(さんもと)五郎左衛門という男だ」 名乗りを上げるヤマモトを顎でしゃくって俺は言う。 「ちなみにこいつで十一代目。日本に何人か居る『百鬼夜行のまとめ役』の一人だよ。まあ要するに、妖怪の町内会長みたいなもんだ。うん」 「雑な纏め方をしてくれるなぁ、セイジ……」 エピローグのその前に 【ルイス・スリップジグ】 拘束を解かれた探偵はすっくと立って私を真っ直ぐ見つめました。 「さて、ルイス嬢。ここから逆転する手段は、何かあるかね?」 「……ッ」 「ま、ある訳ないよねぇ。そう仕組んだんだもの」 「瓜坂さん、嫌味が過ぎますよ!」 人の神経を逆なでしてくれますわね……。そしてツキナは、この状況でも優しいですの。 だが実際、勝ち目が無いのは事実でした。館は数多の妖怪に取り囲まれ、目の前には妖怪の長(ヤマモト)がやる気なさそうに睨んでいます。 「まあでも。確かに私の完敗ですわよ。……それで、私をいたぶろうって言うんですの?」 さっきまで甚振る側だったのは私ですけれど。 この時の私は腐っていました。何せ、自分でも言った通りに、完敗を喫したのです。たかが無能力者の、ただの口先野郎に魔術の知識と口先だけで負けたわけですから。 「それもあるがな。まあなんだ。少し話を聞いてみたくなったんだよ」 軽い調子で、さも真実のように語ります。だからこそ、とても嘘くさくも見えました。 「ハァ……。まあ、どうせロクな未来もありませんでしょうし。良いですわよ」 気が抜けた、と言うべきでしょうか。日本なら、憑き物が落ちたというんでした。 まあともあれ、祖霊昇華の儀式が失敗したことによって、むしろ『失敗してはならぬ』という強迫観念が抜け落ち、気持ち自体はだいぶ楽になってましたの。 「ロクな未来もないって、そんなことはないですよ!」 「いいや、矢加部ちゃん。そうでもない。前にも話したろ。マリーさんの時と一緒で、口封じなどがされかねない上、このままだと犯罪者扱いだからね。役所は助けてくれない」 簡潔に説明されて状況が分かったのか、ツキナは目を丸くしています。 「何とか、ならないんですか?」 「だからまあ、どう料理してくれよう、って話になる訳だ」 「……あんまり悪い結果にはしないって、信じますからね」 ウリサカはコクリと頷くと、幾分か眉根を寄せた表情でこちらに向き直りました。 「まずは動機の確認だ。お前さん、アレだろ。良く出来た姉への劣等感とか、一族の中で蔑ろにされてる感じがして、目立った成果が欲しくてやったんだろ」 「それって、どういう意味ですか?」 再びツキナ。今回は大分蚊帳の外にされていたみたいですし、まだ混乱してますわね。 「恐らくだがルイス嬢は、自分より才能も実績もあって、しかし『まとも』な人間よりの感性を持ち、そして魔術師をやめようとしている姉の事が気に食わなかったんだろう。いや正確には、『劣等感を抱いていた』かな?」 「正解ですの。癪ですけど」 待遇にしろ、期待にしろ。あらゆる面で姉とは区別されていました。 あの能天気な姉がどこまで気付いていたかは知らないが、思えば私にとってもストレスだったのでしょう。 「スリップジグ家内でも、さぞ比べられたんだろう。……けど、理性的で冷徹な君はそれを『結果を出すための推進剤』と思い込んで突き進んだ。後の結果は見ての通り、って所だ」 ええ、コテンパンに負けましたわ。 「出来るだけ他者を計画に入れずに行動している所とか、やりすぎなほどに不安要素を警戒する所とか、きっと少なからず辛酸をなめてきただろう事は良く判ったさ」 「劣等感、ですか……。そうなんですか、ルイスさん?」 「ええ、概ね正解ですわよ。本ッ当に、腹立たしいですけれどね」 ほれ見ろ、と言わんばかりに小鼻を膨らませて見せてきます。 そういう所が……ッ。ま、まあ良いでしょう。 「手段は選ばない、なんて言っといてさ。まず目的が選べてないでやんの……。でも、だからこそ提案したいことがあるんだが……」 「何の話ですの?」 「単刀直入に言っちまえばアレだな。ルイス嬢、うちに来ねぇか?」 胡散臭い笑顔は浮かべず、静かな水面のような無表情で彼は言いました。 「仲間にならないか……って。そもそも、日本の警察がそれを許しますの?」 問えば、少し表情を緩めます。 「うーんとね。『ほぼ全て未遂に終わっているうえ、まだ未成年であるため観察処分とする』って言うのがオチだろうさ。どこもかしこも財政難なんだ、政府の人質代わりにされて『口止め料』を要求するために体よくつかわれることになるぞ」 どこの組織も汚いですわねぇ。 この場合、殺してしまえば人質としては成立しないし、所在を明らかにして戦争を起こされるのも避けたい。だから政府と無関係なウリサカが預かる、という筋書きでしょうか。 出来ない話と切り捨てたい所ですが、目の前の嘘つき野郎ならやりかねないですわね。 「私を野放しにするなんて、日本人は甘いんですのね」 「野放しじゃないさ。そのために俺が居る。ま、『一度防げたんだから二度目も何とかなるだろ』っていう日和見に持ち込ませるとしよう」 日和見、と彼は言いますけれど。人だらけのこの世界で『嘘を吐ける』というアドバンテージがどれほどか、この二月の間で私は思い知らされました。 魔術師は冷徹であっても、嘘は吐かない。 詐欺師は親切であっても、人に嘘を吐く。 言葉の真偽が分からないという事のは、こんな厄介なことですのに。私は気付いていなかったわけです。だから負けました。 「無茶を言うなら、私の方ですわね。これだけの面汚しをしでかしておいて、スリップジグ家が黙っているとは思いません。……私を、匿ってくださいますか?」 「おや、随分と殊勝なこと言ってくれるねぇ……」 殊勝にもなろうという物です。 残念ながら、今の私にはウリサカを倒す手立ては見えない。その上、実家からも追われよう物なら、若造一人では勝ち目がありません。なにせ、だからこそ極東の地まで逃げてきて儀式を行ったのですから。 「ま、俺としてもありがたい限りなんだがな。何せうちは万年人手不足だ」 言いつつ、握手のつもりだろうか。彼は手を差し伸べてきます。 その→手と表情を見て、ようやく思い出しました。私がどうしてジャパニメーションを好きになったのか。この国のヒーローたちは、悪ぶる癖に正義に煩く、その割には悪に情けを掛けたり、下心で動いたりもします。 そう言った『人間臭さ』をこそ、案外私は好んでいたのかもしれません。 「ええ、よろしくお願いしますわね」 私は彼の手を掴んで、静かに微笑んだ。 「しかし、私としても迂闊でしたわ。日本の地脈についても姉のノートに記載があったから、対応しきったつもりでしたのに……」 神無月でしたっけ。確かに月による地脈変化については記載がありましたが、姉の見積もりが甘かったんでしょうか……。 「ああ、うん。アレね。嘘」 嘘。嘘と仰いやがりましたかこの野郎。 「what!?」 まるで訳が分からず、私は素で驚きました。 「え!?」 ツキナも驚いていますが、ヤマモトだけ特に驚いてないのが少しイラっと来ますわね。 「いやー。マリーさんのノート奪われちゃったから、対応されてると思ってね。読み込むだけの余裕はないと思ったから、別口で似たような現象を起こしたんだ」 「じゃあ、あのタイミングでこの土地の魔力が変化したのは……」 「誰かさんが秋門に預けた祖霊。召喚直後から少しずつ自分のテリトリーを広げて、周囲の魔力に影響を与えるみたいだったし、利用させてもらった。後はまあ、時間稼ぎ? まあ、それでも規模が小さいからな。あのまま儀式を行ってたら、成功してたと思うぞ。うん」 そんな雑な嘘に、騙されたんですの……。地味に意趣返しをされているという点でも、イラっと来ますわね。 いや、騙せるだけの状況を作り上げたのでしょう。 「アッハッハッハ。見事だよ、セイジ!」 これまで黙っていたヤマモトが愉快そうに笑い声をあげる中、ウリサカは言いました。 「てな訳で、ヤマモトにしろルイス嬢にしろアレを倒すのに手を貸して欲しいんだが……」 「貴方は何もしませんの?」 「おいおい、無茶言うなよ。俺は何のオカルトも持たない、ただの一般人だぞ?」 そういって、彼はアメリカ人風に肩をすくめました。 これだから、詐欺師はまったくもう……。 エピローグ 【矢加部月菜】 「縁結びが人手不足だからって、サキュバスを雇用しようとしたぁ!? どこのトンチキな神様だよ、全く……。ほいじゃ、こっちでも調べときます」 受話器の向こうに言葉を飛ばして、瓜坂さんは受話器を降ろす。 百鬼夜行のあの晩から三日ほど、ふと疑問に思って私は問うた。 「そういえば、結局どうして私が狸だって気付いたんですか?」 ちなみに、私が拉致されていた間の事は『病欠』として学校に伝わっていたらしい。 「最初気付いたのは、君が『嘘が嫌い』って言った時だったかなぁ。俺が『誰にでも秘密の一つや二つある』みたいなこと言って、矢加部ちゃんが顔を顰めたんだよ」 そんな早い段階でか。 「あとはまあ、意図的なチェックもしてたけど。会話の中で『狐』とか『狸』とかの言葉を時折入れて、反応を見たり。決定打は、アレだね。秋門の事件のちょっと前に、大掃除をしただろう? そん時に落ちてたんだよ。君の毛が。変だと思って、知り合いの学者に調べてもらってたんだ」 そんな科学的な方法で……。ごめんなさい、ヤマモトさん、お母さん。『身を守るためにも秘密にしなさい』と言われたのに、もうバレました。 「しかしまあ、今回は矢加部ちゃんがいなければ流石に駄目だったかもしれん。ありがとうね。いや、マジでね。嘘じゃなくて」 「え、ええ!? 別にそこを疑いはしませんけど。はい……」 珍しく素直にお礼を言われ、私は混乱する。瓜坂さんはどこか気の抜けた様子で、しばしグチグチと漏らした。 「正直、拉致そのものが予想外だったから割と慌てたし。スタンガンとかもねぇ、対策し切れなかった辺りは俺もまだまだ未熟だしさぁ……。っとと、いけねいけね」 言うと、瓜坂さんは手帳とメモ用紙を広げて何かの計算をし始める。 その様子を見つつ、言う前から恥ずかしいなあと思いながらも私は口を開いた。 「私、信じてましたから。瓜坂さんなら、きっと何とかしてくれるって。何とかしようと思ってるはずだって」 思えば、彼を詐欺師と知ったあの最初の事件。その時確かに、彼の想いは受け取って居たのだ。騙そうが何しようが、例え偽りでも誰かの幸福のために動こうという、意志を。 声を聴けば、何を思っているのか。珍しく無表情で彼は返した。 「いやー。矢加部ちゃんも立派な詐欺師だねぇ? 俺は詐欺師じゃないけど」 「な、何を言っているんですか!? 私は、嘘を吐くのが嫌いだって、言ってるじゃないですか!」 「いいや。この前言わなかったっけ? 詐欺師ってのは、まず『相手を信用する』所から始まるんだよ。『相手が騙されてくれる』って信じる。それが肝要」 この時、まんまと揶揄われて気付かなかったけれど……。思えば、人を揶揄うのに表情を作る余裕が無いなんて、彼らしくなく。珍しく照れていたのかも知れない、なんて後から思ったり。 「それより矢加部ちゃん、仕事仕事。まだ事務所の片付けも終わってないし!」 「いやー。しかし、しばらくは開店休業状態ですよね。事務所も荒れちゃったし」 壊れたソファに粗大ごみのシールを張りつつ、私は声を上げた。 「まあまあ。今回は結構儲かったしね。矢加部ちゃんもお疲れ!」 「儲かったって言うと……?」 「そりゃあ、ルイス嬢だよ」 ルイスさんはあの後すぐに警察の裏部門に引き取られ、今はオカルト(こっち)側の監視を交えつつも、逮捕状態にあるそうだ。 「確かに警察から謝礼は貰ってましたけど……」 少し分厚い封筒一枚である。二〜三十万もあれば御の字レベルだが、だったとしてもあの命懸けの状況には、些か釣り合わないような気もする。 「そんなもんはした金よはした金。俺の本命はスリップジグ家の口止め料だ」 それと言うのは、要するに『お前のところのルイスがやらかしたのを見逃してやるから、金を寄越せ』という話である。魔術の名家である以上、汚名は嫌がるだろうしなぁ。 「うわぁ……。それ、むしろ口封じに殺されるんじゃないですか?」 「いやいや、そこは警察とかもっと上層部の連中に『みんなで幸せになろうよ』なんて囁いて回ってね。組織単位で恫喝したから、向こうも迂闊に手は出してこないよ」 「本当にえげつない事しますね……。いくらぐらいしたんです?」 「トータルで云億円。そっから警察とか公安とかが取り分持ってって、ついでに贈与税を差っ引くと……。見て驚け! こんくらいだ」 瓜坂は指を二本立てて見せる。ピースサインではない、この場合は……。 「二千万円、ですか?」 「大正解! ……まあつっても、これはただの収入だからな。そっから藍崎組の治療費と、今回消費した魔道具の補填費用が入って、更に百鬼夜行絡みで周辺のオカルトへのお詫びを支払うと……。純利益はこんくらい!」 今度は指五本。 「五百万円、ですか?」 「高額報酬と思った? 残念、五十万円でした。……世の中そんなに甘くないよねぇ、全く。あ、矢加部ちゃんこれ捨てといて!」 それでも、私が知る限りでは最大限の儲けなのだが。 こないだ覗いてしまった帳簿からするに、もう数十万円は経費に消えるんだろうなぁ。 思いつつ、計算に使っていたメモ用紙――もとい新聞広告の裏紙を覗き込む。 「(ふむふむ、ええと……)」 藍崎組構成員約四十人の医療費が一千万を越えている。ルイスさんに負傷させられたそうだが、一体何をやったのか。その後に迷惑料と魔道具代がそれぞれ続く形だ。何とはなしに確認して、ビリビリに破って捨てる。 恐らく、ここに書いてないだけで、ルイスさんを庇う過程で発生したお金もあるだろう。 つくづく、嘘を吐く人だ。 「そういえば聞き損ねてましたけど。ルイスさんはなんであんな事したんでしょう?」 「そりゃあ、力が欲しかったんじゃない?」 「んな、安直な……。っていうか、あんまり興味なさげですね」 どうしてやったか、なんて言うのは探偵が最も好みそうなネタである気もするのに。 私の返事に答えがてら、瓜坂さんは席を立ってお湯を沸かし始める。 「探偵がメインなだけで、俺は何でも屋だからね。『どうしてやろうとしているか』が分からなくても、最終的に儀式を止められれば良かったんだよ。だから知った事じゃない」 その言葉にハッとなる。あたかも探偵であるかのように振舞ってはいるが、彼は詐欺師なのだ。本人は否定してるけど。 以前に言っていた『嘘を吐くのも手段でしかない』というのも、今なら理解できた。 きっと、それが彼の正義なのだろう。だからこそ、気に食わない。 「私はそれでも納得いきません。真実は究明されるべきとまでは言いませんけど、ルイスさんがあそこまでの事をした理由が――そこまでして力を求める理由が分かりません!」 そう口にすれば、撃てば響くように答えが返ってくる。 「あの晩言った通り、劣等感だろうな。検索してみたが、ルイス嬢よりマリーさんの方が圧倒的に検索結果が多かった。家内でも、さぞ比べられただろうさ」 一旦言葉を区切り、彼は席を立ってコンロの火を止める。そのまま薬缶のふたを開け、お湯を冷まし始めた。 「劣等感、ですか……」 それは、何というか淋しいな。 探偵は犯人を救わない。悪に裁きを与えるのが仕事だからである。 義賊も犯人を救わない。悪しきをくじき、弱きを救うのが仕事だからである。 ならば詐欺師なら。彼はかつて言っていた。『誰かにとって都合の悪い真実があるのなら、偽物の幸福をばら撒くのが自分の仕事』だと。 「だから、ルイスさんを庇ったんですか?」 あの夜、瓜坂さんは匿うと言った少女は。今ここにはいない。 その詳細は、私の知る所ではない。全くもって、嫌な秘密主義者である。 「なぁ、矢加部ちゃん」 私の問いに答えず、瓜坂さんは二つ持ったコーヒーカップの片やを差し出した。 「ところで、この忙しいタイミングでアレなんだが。アイルランド人のバイトを一人雇うことになった。しかも居候するつもりらしい。彼女は少々訳アリでね、俺の手元に置いて教育・監視しておいてほしいって言われたんだけど……。良いかな?」 つまり、そういう事なんだそうな。 「それって……」 「ま、あの娘の場合『未遂』だからね。迂闊に法で裁けないんだ。っていうか、『そういう事』にした。それで矢加部ちゃん、どうするよ?」 全く。どこの誰とどんな交渉をして、どういう風に騙してきたのやら。 よく見れば、目の下に隈がある。この数日は、面倒な後始末に追われていたのだろう。そんなんだから、私に帳簿を覗かれるのだ。 「まあ、悪くはないと思いますよ。『正しく』もないと思いますけど!」 私はそう返事をするとコーヒーを啜る。 酸味控えめ苦味深め。香ばしいコーヒーのその味は、悔しい事にとても美味しかった。 お茶請けに福神漬けを持ってくるセンスは、相変わらず理解できないけど。 |
大野知人 dEgiDFDIOI 2021年10月22日(金)18時53分 公開 ■この作品の著作権は大野知人さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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2022年02月18日(金)12時14分 | かもめし upMT8OuaYE | +20点 | ||||
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初めまして、かもめしと申します。 作品を読ませていただきました。 とても読みやすくすっきりした文章と読みごたえがある重厚感あるストーリーはとても素晴らしかったです。 サクサク読み進め、わからない単語もすぐに説明が出てきてストレスフリー。読者に寄り添う文章は私にはまだ足りない要素だったので大変勉強になりました。 ただ気になる点がいくつかあります。 主人公たちが魔術師のルイスを嫌っている点は共感しづらかったです。 確かに彼女の台詞には家族の情はまったく伺えませんでしたが、その後の言動はちょっぴりツンデレ程度の範疇でした。 読者的に主人公たちほどルイスは嫌な奴とは思えず、むしろ主人公たちに反感を抱いてしまうかもしれません。 ルイスにヘイトを集めるような描写を増やせば、読者も主人公たちに同調して違和感なく読めると思います。 あくまでも個人的な意見なので合わない場合は気にしないでください。 それでは失礼します。
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2021年11月06日(土)01時23分 | 大野知人 dEgiDFDIOI | 0点 | ||||
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サイドさん、ありがとうございます。 ある意味ご指摘の通りなんですが、『魔術探偵モノをやりたい』→『設定語りだけになる物語は嫌だ』→『そうだ、『魔術師は嘘を吐けない』って設定にしよう』→『じゃあ嘘を絡めたキャラ設定にしたいよね』→こうなった。 っていう流れがありまして。 まあ、魔術うんちくは純粋に読みにくくする要素になって居るかなぁと思いつつも、そこを逆手にとれるように、『キャラの性格がその人の扱う能力・魔術に影響を受けている』みたいなタチの物を目指して……。ちょっと失敗しちゃったかな。 凄い前向きな意見で嬉しかったです。 実は似た様な反省点は抱いていて、次はもう設定とかアクションとか言わずに、現実世界舞台のラブコメを作ろうかなぁ、と思って居たり。 サイドさん、ありがとうございました。
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2021年11月05日(金)22時02分 | サイド | +30点 | ||||
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以下、続きです。 もう一つ、事件の終わらせ方、被害者、加害者の扱いについてです。 この作品では、まあ悪いヤツはわんさと出てきますが、追放されたり、ざまぁされたりしていません。 それなりに痛い目や損もしているでしょうが、最終的にはそれぞれの日常へ戻り、それができたのは瓜坂の「嘘」があったから。 そして、それをみて月菜の気持ちが軟化したりする。 成平も普通に生活し、月菜ともなんか仲良しっぽい。 もしかしたらこういう形で仲間が増えていくのかもしれません。(いつかルイスも? 最終的な着地点が、「理想・幻想」ではなく、「日常」よりなんですね。 そういうサイクル(物語の構造)があるのなら、単純に 「嘘吐き探偵と正しさ女子高生」 のバディものとし、「日常の謎」を解決していくだけでも十分に面白いように思います。 もちろん、その「日常の謎」の舞台装置として「魔術」を使うのは大いにありです。 正直に言えば、「魔術」的要素は、どちらかというと読みにくいシーンでした。(申し訳ない 雰囲気としては「幽遊白書」の最終巻。 事件は起きつつ、かすかに霊的要素を絡めつつ、最後に行き着くのは人間性の話、みたいな。(大野さんなら通じるかと トリックも練り込まれていて面白かったんですが、そちらへ舵を切った作品もいいかもと勝手に思ったりしました。 以上、いろいろ言ってしまいましたが、個人的にはとても楽しめた作品でした。 今後、大野さんがどの方向へ舵取りをしていくのかは分かりませんが、少しでも助けになれたらと思います。 執筆、お疲れさまでした!
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2021年11月05日(金)22時00分 | サイド | +30点 | ||||
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こんにちは、サイドです。 作品、読ませていただきました。 全体を通して、かなりよかったと思います。 改稿前を読んでいないためどう変わったかなどは分かりませんが、以前読ませていただいた作品よりずっと読者寄りの視点で書かれている作品だと感じました。 読んでいて、「あれ?」と思った用語などにはだいたいすぐに解説が入りましたし、難しすぎるということもありませんでした。 要点となる部分は分かりやすく、極端に言えば理解できなくてもいい部分はそれはそれで構わない作りになっていたように思います。 作品で例えれば、「ヒカルの碁」とか「ロード・エルメロイ」とかの、「理屈は分からないけど、面白かったからいいや」状態ですね。 これはネガティブな意味ではなく、好きなキャラクターが活躍して解決したらしい、という実感があるからだと思います。 そういう意味で、瓜坂と月菜って「バディもの」としてキャラクターが成立してるんですよね。 嘘を吐く探偵と正しさに拘る助手、という立ち位置で、エピソードを経て二人の関係性が描かれているので、読み終わった後がすっきりしている。 序盤は腹を探りつつ、後半で「嘘」の理由が分かり、距離感が変わるという構成がとてもよかったと思います。 正直なところ、読んでいる最中は月菜も何か秘密というか嘘を持っていて、どこか信用ならないような落ち着かない感じもあったんですが、普通に等身大の正しさを抱え、戦っている人物像で、瓜坂との対比ができていました。 まあ、瓜坂は最初から最後まで瓜坂って感じだったので、どちらかの物語というより、やっぱり二人で一つのバディ的な物語と言った方がしっくりくるというのが個人的なところです。 さて、それを踏まえた上で気になったこととなると、「魔術」の扱いです。(以下、個人的意見です 僕自身も高校生が主人公の話ばかり書いているので、「なんで魔術なの?」とかは言いません。 だって、好きなんだもんとしか言いようがないので。(笑 ただ、この物語をバディものと捉えた場合、どうかとなるかと考えると、もっと可能性があると感じました。 タイトルの要素に、「魔術」「探偵」「嘘」と三つの要素がありますが、個人的に大野さんの味を出していたのって、「嘘」だと思うんです。 作中でも一番印象に残ったエピソードは、彼の嘘の吐き方(帳簿など)と月菜の正しさの変化だったんですが、このエピソードを伝えるために「魔術」がどこまで必要だったのか、ですね。 全く不必要とか、別の要素に入れ変えられるではなく、ていどの問題です。 今作では、「魔術」的要素が多く見られるようで探偵、ヤクザ、マフィア、女子高生など割と現代的な要素もかなりあり、物語の中で存在感を放っていたのは、後者と絡んでいるシーンだったようにも思います。 また、核となっている部分は「そもそも魔術とは?」ではなく、人間の感情的な要素、嘘、正しさ、劣等感などに根差していて、個人的にはそこが面白いと感じた要素でした。 なので、「魔術」的要素は薄味にして、そういった人間の感情を描く方が面白くなるような気がします。 また例えになりますが、「金田一少年の事件簿」か「氷菓(古典部シリーズ)」かと問われれば、後者で、事件を経て人間性を伝える物語(派手なトリックではなく)に近いように思えるんです。 ちょっと長くなったので、一旦切ります。
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2021年10月28日(木)16時30分 | 大野知人 dEgiDFDIOI | 作者レス | ||||
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ワルプルギスさん、ふじたにさん、ありがとうございます。 今、日曜日くらいまで出先で、長めの返事が書けないのですが、お二人の作品の批評も必ずさせていただきます。 ありがとうございました。 |
2021年10月28日(木)13時53分 | ふじたにかなめ | |||||
「空になった湯呑をシンクに下ろすと、俺たちは事務所を出た。」まで読んでみました。 依頼人の少女が魔術師だと今回の修正で分かりやすくなっていたと思います。 以前よりも話は理解しやすかったです。 ただ、もっとも気になった点が前回と同じところなので、しつこいと感じられたら大変申し訳ないのですが、魔術師である少女ルイスを嫌っている主人公に共感しづらさがありました。 依頼人のルイスが嫌な奴っていう「設定」なのは、主人公たちの反応から察せられるのですが、作中でルイスが嫌な奴としてきちんと描かれているかというと「個性の範囲」な描写のように感じられて、ルイスを嫌な奴として扱う主人公たちに対して逆に良い印象を抱きにくかったです。 今のルイスの描き方だと、「少女の家族関係が淡泊」「ちょっとツンデレ」な程度に感じられました。 親の兄弟の扱いに差があると家族でもあっという間に仲が悪くなりますし、家庭でそれぞれ事情があるものなので、今の少女の描写程度だと「家族関係が淡泊」なルイスに対して「家族なら仲良くすべき!」っていう主人公が若者っぽい考え方でルイスを内心非難しているように感じられてしまいました。探偵業をしているなら、色んな人物を見てきているでしょうし、もっと人間の経験の深さがあっても良かったのでは?って思う原因になってしまいました。一方で、矢加部が若者らしく憤っている反応は良かった気がしましたよ。 あと、ルイスの態度を見ますと、「日本の流儀に従って靴を脱いで上がってくれた」ので、日本人の生活様式に対して配慮されているんですよね。 「私、どちらかと言えば日本茶は好きではないなんです」と言いつつ、「彼女はやけに細い手で湯呑を持ち上げた。」とあるので、わざわざ苦手なのに飲んでいるみたいなんですよね。結構いいところもあるじゃないですか。 個人主義が強いと、私はこういう考えだから、あなたが合わせなさよ!的な態度になるので、嫌な奴な演出をしたいのなら、例えば「私は信頼できない他人の家で靴を脱ぐなんてありえないわ!」「いちいち靴を脱ぐなんて非合理だわ」的な嫌な態度で、「これを機に生活スタイルを変えたらどうかしら? この事務所、改装が必要のなほどボロボロで痛んでいるみたいですし」みたいな感じの悪い台詞を言って、堂々と土足で上がってくる態度なら、読んでいて主人公がルイスに嫌悪感を抱く気持ちに共感しやすかった気がします。お茶もお菓子も手をつけないほうが他人を一切信用しない、嫌な奴に見えやすかったです。 あとは、「家族は他人だと言いつつ、工房の結界はスリップジグ家の人間以外を弾くように設定していて、家族を信頼しているように感じる」「血だまりを残して消えた姉をなんだかんだ言いつつ放置しないで犯人を探している」ので、口調はツンツンしてますけど、そこまで悪い奴には感じられないんですよね。 「魔術師が殺されるなんて当家の恥」くらいに被害に遭ったと思われる姉を貶めるくらいの発言があった方が、嫌な奴っていう印象が強くなる気がしました。 掲示板に書かれていたあらすじには、主人公はルイスの姉と共謀しているとありましたし、最後にルイスを助ける終わり方をしているみたいなので、もしかしてルイスを完全に悪だと書きにくい事情があったんでしょうか? そのほかについて。 主人公が一般人なのに魔術師として偽っているのは理解できたけど、主人公が魔術師を嫌いつつ「魔術探偵」として依頼を請け負うのはなぜでしょうか。読み落としだったら申し訳ないんですけど、現状では書かれていなかった気がしました。 今後の展開を読めば書かれているのかもしれませんが、現状で魔術師が嫌!って結構書かれているので、そんなに嫌なら仕事を変えればいいじゃないって思ってしまう状況にもなっているので、ここで何かしら説明が必要なのでは?って思いました。 今はわざと情報を伏せているなら、何か事情があると察せられる台詞か説明があったほうが、「説明不足」としてみなされにくくなると思いました。 あと、読み落としだったら申し訳ないんですけど、ルイスが姉の失踪を警察に依頼しなかったのは、大丈夫なんでしょうか? 魔術師が死んだかもしれないのに警察の介入はなくても大丈夫なんでしょうか? 魔術師と一般人との関わりってどうなっているのかな?ってちょっと気になりました。魔術師は警察にも影響力があって、人がいなくなろうが殺されようが、警察は手出しができない状況なんでしょうか? 警察は魔術師に不干渉が鉄則とか? もし警察も事件として調査する必要があるなら、警察が入る前に主人公たちが現場を調査したらマズくないですか? 当たり前にルイスが魔術師探偵の主人公のところに来て、主人公も引き受けているので、彼女が依頼に来たときに説明があっても良かった気がしました。 自分のことを棚に上げて色々と気になる点を書いて申し訳ないです。あくまで個人の意見なので、合わない場合は流してくださいね。 文章は読みやすかったですよ。推敲をよくされている感じがしたので、好印象でした。 最後まで読めたら良かったのですが、私も私事に追われていたり、締め切りがあったりで、時間にあまり余裕がなくて最後までお付き合いできなくて本当に申し訳ないです。 今後も応援しております。 ではでは失礼しました。
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2021年10月27日(水)21時50分 | ワルプルギス 88Ev6M0jRk | +10点 | ||||
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まだ第二話までしか読めていないのですが、いつまでも感想が付かないのもアレなのでフライングで。 細かくあちこち直ってるし、伏線も張りなおされてて良いですね。 話を入れ替えて第2話で色々説明出来てるのも良い流れだと思います。 ただ、第二話で入れ替えに伴う変更を完了しきれてない部分がいくつか目につきました。 >彼女の中では『死んだ』はずの姉の事をさも何でもないかのように言ってしまえる精神には、どうにも馴染めない。 この時点ではまだ瓜坂から第1話の種明かしをしてないので、矢加部ちゃんにとってもマリーはほぼ死亡のはず。 普通に「亡くなった姉の事を〜〜」で良いのでは? 細かいこと言うと第1話の瓜坂視点の地の文で『故マリー』の表現を使ってるのも微妙かも。 >似た様なも何も、その教本からコピーしてきたのだから間違いない。 >藍崎組の話を聞いて、取り合えず実態を確かめに来たところまでは良かったが、よくよく考えてみるとこの事件は俺が思っていた以上に複雑なのかも知れない。 視点が瓜坂のままになってるところもいくつか。 他にも地の文で魔術の細かい説明をしているところは、瓜坂視点の時は自然でしたが矢加部ちゃんだと「ん、そこまでわかってていいの?」と思ってしまいますね。 残りも読みますが、今週はちょっと立て込んでて体力削れてるので、遅くなるかも……申し訳ない。 点数は暫定で置いていきます。
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合計 | 6人 | 80点 |
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ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン
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