港町のカボチャ売りとか
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〇港町のカボチャ売り

 今は海風も一休みする、おやつどき。お天道様は今日も照っていて、窮屈に並べられた石造の家々も、びっしりと敷かれた石畳の道々も、あつあつにする。そうなると人々は影を求めて、建物から突き出たホロの下を自然、行き交うことになる。
 街のメインストリートは、影となる両端を賑わせながらも、真ん中をぽかりと太陽のみに空けている。中央に太い余白を挟んで、ゆらゆらと流れる人の群れが、左右にそれぞれ鮮やかな線を作る。中々に騒がしく、奇妙な光景だ。

 * * *

 さて、通りの右の、氷詰めの魚達と整列した靴の一群。魚屋と靴屋の間。その狭い路地に入ると、喧騒は段々と和らいでいく。旅人の姿は消えていき、代わりに地元の住民や猫たちがのさばり歩く界隈となる。心なしかその調子も、ゆるりとしている。むせ返る汗や香料から、次第に海草と焦げた石の匂いが、息を吹き返し始めるからだろうか。舌の根にうっすらと塩気を残すそれには、なにやら沈静作用があるようだ。ただ、この路地は他とは少し異なり、トウモロコシに粉砂糖をまぶしたかのような香りが、ほのかに混じる。
 香りの元を辿ると、小さな荷車が石壁へと寄りかかっている。見ると、詰め込まれているのは、沢山のカボチャだ。その少し先には、そこから零れ落ちたかのように、カボチャがゴザの上に置かれている。八百屋でも見かける橙や緑のものから、真っ赤なトマトのようなものまで、多種多彩だ。それらカボチャ色に囲まれて、半袖とハンズボンの女の子が一人。石壁に背をつけて、ゴザにあぐらをかいている。膝の上で本を開き、前かがみになって、文字をなぞるように、口元を動かしている。本は茶色く色褪せていて、表紙の題字も読めないほどだ。時たま「くっ」と軽く伸びをして、またいつもの姿勢に戻り、顔を一直線に本へと向ける。
 カボチャと共に六年、女の子はその半生をここで刻んだ。そして、これからもここに座り続け、カボチャを売り続けるのだろう。女の子がどこから来たのかは海鳥すらも知らないが、カボチャ達はあちこちから集まって来た。最初の内は街中の行商から掻き集めていたものが、女の子が街路へと馴染むに連れて、次第に島々を行き来する漁師や交易商からも、持ち運ばれるようになった。こうして緩やかにだが少しずつ、取り扱われるカボチャ達も、目を留める人達も増え始め、近頃では、僅かながらの夢を持つだけの希望さえ出来た。

 その夢は、この街にカボチャのお店を建てること。それもカボチャ色に塗られた二階建てのお店だ。
 まずは窓先にカボチャ柄のカーテンを取り付け、半紙で包んだ一切れ大のカボチャのパイで客を寄せる。応対は、広めの窓がそのまま受け口になる。量や儲けを抑えても、気軽に食べ歩けるようにする予定だ。
 それから正面の大きな扉をくぐると、小玉大玉、幾種類ものカボチャがずらりと待ち構えている。沢山の大籠へと詰め込まれるのも、何段もの長棚へと整列されるのも、全てカボチャだ。女の子自身、まだ図鑑や噂話でしか見聞きしていないものまで、きちんと揃えられている。赤、黄、茶、緑。手の平に乗るものから幼児を飲み込むほどの大きさまで。沢山のカボチャが並び、さぞかし壮大な眺めとなるだろう。
 だから迷子になってしまわぬよう、値札の横に小さなガイドを張っておく。産地、味、レシピなどを色取り取りのペンで記した、鮮やかな説明書きだ。こうすれば一見さんも、楽しんで冷やかせる。
 それから一旦外へと出て、すぐ横の階段を上ると、そこでは沢山のカボチャ料理が振る舞われる。テーブルには異国の珍しい模様のカボチャがアクセントとして置かれ、季節毎に、他ではお目にかかれない世界各地のカボチャ料理が供されることになるだろう。けれど、できれば街の名物となり、母の味となるようなものも開拓していきたいと、女の子は思っている。かなたの海、長い漁から帰って来た時、ふと口にしたくなるような。
 つまりこの店の設計は、窓先のパイや二階の料理でカボチャの美味しさを教え、やがて一階の商品棚へと通わせ、カボチャをこの港町に根付かせる思惑に基づいているのだ。けれども、これには大きな欠陥があって、店の主として女の子自身、一階と二階、どちらを担当すべきなのか、痛く頭を悩ませている。《いっそのこと身体が二つあったらいいのに》やら、《わたしと同じくらいカボチャが大好きな人がいたら》やら、波間の中ぼうっと考えるのが、眠る前の日課となった。
 それはともかく、店そのものは、女の子の隣の仔豚を百回ほど満腹にすれば、形になるだろう。でんと座っている仔豚の貯金箱は、女の子から銀貨だけを与えられている贅沢ものだ。
 まだ一度としてその蓋が開く事はなく、それどころか未だ持ち運びに支障の無いくらいの痩せっぽちではあるのだが。
 辺りはページを捲る音も聞こえて来そうな、午後の静けさ。まだまだ夢は遠くにあるようだ。

   * * *

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 第四節 キャラバン隊の恋  P87

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 みんな、背丈を越える焚火を囲い、手を繋ぎ合い、身体を弾ませる。砂漠の夜の冷たさに負けまいと、笛の音に沿って、足元で煙が舞う。北風は心地よく、炎は柔らかだ。それは彼の手に触れているせいだろうか。
 赤く染まる頬は闇と火の子が。整わない鼓動は笛と歌が。隠してくれているけれど。この熱は、汗は。指先を通り彼に知られてしまうのだろうか。けれど、わたしが盗み見た彼の瞳は、氷のように鋭く、虚空へと

「おぉーい」
 瞬間、女の子は、連れ戻される。恋愛小説の砂漠から、現実の石壁へと。
 日を受けて「しっかりせい」と浅黒の老人が、目元と顔中の皺を揺らしていた。女の子は慌てて本を閉じ、立ち上がりながら
「おじさん、おひさしぶり! 今日は、お早いのね」
「お前さんは、この時分、いっつも、この調子なんか?」
「今はどこも、似たようなものよ。こんな、かんかん照りだと」
「そうかあ?」
 と老人は顎の白髭をさすって、
「これからの季節、お日さんはもっと厳しくなるぞお」
 町の風を何十年も吸い続けた口から出た言葉だ。脅迫にも近い力が宿る。
「やぁねぇ」
「嫌なもんだあ」
 恨めしそうに空を見上げて老人が溜め息をつくと、女の子もつられるようにそれを真似る。空には、痛い程の日射しと、それを覆うには頼りない薄雲が、ゆっくりと流れていた。

「しっかし、珍しくも、何ぃ、読んでたんだ?」
 女の子は、足元の本へと目を落としながら、まごつく。
「字ぃ、読めるんか?」
「失礼しちゃう!」
 威勢の良い返事に、今度は老人の方がたじろぐ。
「まったく! もう」
「やぁ、すまん。で、なんて本なんだって、聞いてんだ」
「べっ、べんきょうの本よ」
「勉強?」
「えっ、えと、かぼちゃの本。かぼちゃ料理全集って本よ。いろんな料理のことが書いてあるの」
「おや、そんで、にやにやしてたんかぁ」
 共に浮かんだ皮肉笑いにも気付かず、女の子はまくし立てる。
「そうよ。本当においしそうな料理だったんだから。いつか食べにくるといいわ」
「またぁ、在りもしない店の話かあ? こんな調子で何時んなったら建つんかね」
「見通しだって、たってるんだから!」
「ほぉ…… そんで、どんなカボチャ料理なんだ? うまいんか?」
 女の子は顔を真っ赤にさせるが、反撃の口火すら思いつかない。しきりに視線を泳がせるが、老人は腕を組んで《参りました》を待っている。女の子は堪えきれずに、そっぽを向く。はっきりと影を映した石畳には、猫の一匹もいない。首元が震えている。
「ああ、分かった! 悪かった! だから、まあ、その店ってやつに協力してやるよ。わしがくたばる前に、建ててくれんと困るしな。今日はどれがお奨めだい?」
 振り向いた女の子の頬はますます赤く染まっていたが、何時の間にやら実に商売人らしい笑顔に戻っていた。海辺の天気のように、気分はころころと変わる。
「おじさんは、甘いの、大丈夫だったわよね」
「おう」
「それならこれか…… これっ! どっちも熟れ頃だし、仕入れがとてもうまくいってお買い得だわ」
 指差したのは、二つのカボチャだった。一つは、葉のような深緑の、スイカを一回り大きくしたような大玉。もう一つは、斑点がかった黄色の、手の平にも乗りそうな小玉。
「いやぁ、大きいのと小さいのってのは、いいが。ちょっと両極端すぎじゃないかぁ?」
「どっちもスープにすると、おいしいのよ。作り方は、知ってるわよね。あれと同じ手順。それと大きいのは切りわけて、ちょっとずつ使っていくといいわ。あとは、ぶつ切りにして焼いてみるのは、どうかしら。こう、厚く切ってね」
 手で空気をつまむようにして、厚みを表現する。
「フライパン一杯にジュワーッて。スープとちがって、火は強めで……」

   * * *

 縄紐を片手に、三個の小玉のカボチャをぶら下げて、老人の背中は遠ざかっていく。括られたカボチャの固まりが、膝の下で右へ左へと揺れる。その振り子につられたのか、足が軽くもつれる。けれど、女の子が《だいじょうぶ?》と声をかけようとする前に、
「あっつい! あつい! こう暑くちゃ、敵わんなー!」
 独り言にしては大きな声が、路一杯に響いた。
 女の子はくすりとしながら、汗に濡れた老人の顔を思い出す。
《こっちだ! こんなクソアツイ中、こんなでっかいカボチャ、持ってってられるかい!》
「そりゃ、そうよねぇ。こう、あつくっちゃ」
 老人の姿はもう見えない。こちらは全くの独り言だ。
「しかし、あついわよね。あつあつ……」
 つぶやきながら、屈んで本を手に取ろうとしたその時。冷たくて甘いものが女の子の頭をよぎった。寝静まった夜に、一粒の水滴が洗面器へと落ちたような驚き。それが俄かに波紋のように広がっていく。こらえようとしても、笑みが溢れ出てしまう。本の一節。砂漠のキャラバン隊。この熱は、汗は、知られてしまうのだろうか、盗み見た彼の瞳、氷のように鋭く、虚空へと。
「こおり、こおり、こおりやさん……」
 さて、ここから一つ角を曲がり、右の枝道に入ると、氷屋がある。何十もの職工で営われている大きな店だ。そこでは朝早くから、方々まで荷車に乗せて、氷を配達している。それも正確に、毎日。そうしなければ街は回らないからだ。氷は、主に魚屋や漁港で腐りを防止するために使われる。来なかったら、みな、大慌ての大惨事だ。時たま、タンスほどもある氷塊を二人がかりでひいひいと運んでいるのを、女の子はぼんやりと眺めていたことがあった。
《そこから氷をちょうだいして、かぼちゃのアイスクリームなんて、どうかしら。それと。きんきんに冷やした、かぼちゃのジュースも、きっとおいしいわ。うん。お店ができたら、店先で、冬はあたたかいパイとスープで、夏はつめたいアイスとジュース》
 夕焼け雲を染めるのはダイダイのお天道様だ。女の子は少し軽くなったカボチャ一杯の荷車を引いて、町外れへと帰る。海沿いを向かうその頬には、じわりと汗が伝う。夜の漁に出る船と、カモメの鳴き声、波の音。それら以外は耳をくすぐらない静けさ。まるで祈りの前のような。

   * * *

 今は海風が吹く晩餐どき。陽は水平線へと落ち、石畳に溜まった熱も静まり始める。メインストリートは、酒場に着こうとする人々と、家路へと急ごうとする人々で、ごちゃ混ぜになる。人が行き交い、魚が焼かれ、酒が飲まれ、歌が謡われる。星々が散りばめられた天にも負けない騒しさだ。家にはちかちかと明かりが灯り、煙突からはもくもくと煙が上る。そこに、ぽつぽつとカボチャのそれが加わる。


〇カボチャ売りと秋の空

 回遊魚が舞う水彩画のカレンダーはめくられ、9月になった。固いベッドには緩やかに陽が差し込み、目覚ましベルはジリリリと鳴り響く。朝五時半、港町の一日が始まる。

 * * *

「嬢ちゃん、初モノだよ」
「へぇー、トウヨウアケイロカボチャ、もう入ったんだ」
 女の子は赤に黄色の斑点が付いたカボチャをしげしげと見つめ、次いでポンポンと叩く。
「いいじゃない、これ」
「何せ秋だからねー。馬肥えて女も肥えて、カボチャも肥えると来たもんだ」
 店の若旦那は腰に手を当て、上機嫌に鼻を鳴らす。港の脇にある青物問屋「さざ波果物百貨店」。そのツテを使って取り寄せた、今年の秋を告げるカボチャだった。それも町の中心にある庭園付きな食堂の料理長さんのお願いを退けて、女の子を驚かそうと取っておいた一品なのだった。
「涼しくなって魚の鮮度も悪くなくなったしね。食の秋ね。で、お値段は?」
 若旦那は親指を曲げて
「これで、どうだい?」
 女の子は首を振り、次いでVサインを作り
「これで」
「オーケーって事かい?」
 若旦那は大げさにため息を作り、皮肉った。
「まさか」
「指二本ってことか。嬢ちゃんなー。幾らなんでも限度ってもんがあるだろう。これが限界だよ」
 若旦那は女の子をまじまじと見つめながら、小指をくいっと、指を三本立てる。
「ごめんね。今、手持ちが無いの」
「あー」
「ほんとよ。今年、暑かったじゃない? みどり玉が売れなくて。20個も売れ残ってるの。そりゃ、季節モノを仕入れて、目を彩るのも大切だわ。でも、在庫処分をしなくちゃ。今のところ、それが一番肝心」
「はぁ。で、それなのに、なんでここまで来て、顔を見せたんだい」
「冷やかしー」
「あけっぴろげだなぁ」
 女の子は、にへへと笑った。

 * * *

 町のメインストリートは、海水浴の家族連れの姿は去り、代わりに若い男女の姿が目に付くようになった。強風が吹くことも多くなり、海は荒れがちになるのだが、それと比例するように波乗り達がやって来るのだ。アイスクリーム屋は即席のジャズ喫茶に鞍替えし、露店商も木工細工の玩具から陶器のアクセサリーへと品を変えていた。
 その通りから二つ逸れた狭い路地に、女の子とお客の姿はあった。女の子の営むカボチャ屋は、それは道端にござを敷いて七種類のカボチャをどでんと置いたものに過ぎなかったのだが、繁盛していた。夏の遅れを取り戻すかのように、秋の涼しさとともに、訪れるお客の数も増えた。女の子の隣に置かれている子豚の貯金箱も、少しだけ食が太くなった。
「へー、破格だな」
 中年はサッカーボール大の緑色のカボチャを撫でる。身が詰まり、目立った傷もない。
「これが今年、最後のシーズンものよ。今を逃したら、ドボン。身も熟しているわ。サイコロ大に切って、軽くゆでて、サラダに加えるのはどうかしら?」
「まいったねー」
「今なら三つ買うと、もう一つ。三個で四個分のお値段よ」
「んー、騙されたと思って買ってみるか」
 女の子は銅貨を手に取り、
「まいど、ありがとっ」
 と会釈のようなお辞儀をした。

 お客が縄袋を背負い、カボチャをひいこら運び去ると、辺りはしんとなった。秋の陽は厚い雲に覆われているが、それでも半袖で居られる暖かさだ。石畳はほのかに熱を帯び、二階のベランダに洗濯物がなびいている。トビが「ピィヒョロロロ」と鳴きながら、旋回する。風が吹いた。揺れる前髪に、女の子はそろそろ散髪時かしらと思う。錆びた懐中時計を取り出し目をやると、午後三時ちょっとを指している。これなら、一足先に店をたたんで、床屋でコーヒーを一杯できる。女の子は、カボチャを荷車に運ぼうと、立ち上がろうとした。
「ねぇ、キミ」
 髪を後ろに束ねた日焼けした青年だった。だが、日焼けと言っても、赤みを帯びた即席のもので、地元民の、例えば女の子のこんがりと馴染んだそれとは違っている。着ている服も潮風で褪せてはおらず、つやつやの新品のシャツをひっかけたようだった。如何にもな観光客の若者の風体だったが、それが却って地元民を生業とする女の子の心をどきどきさせた。細い目でカボチャを物珍しげに眺め、白い歯を浮かばせる。腰をかがめて笑顔で
「へぇ、カボチャ屋さんか。はじめて、見たな。お嬢ちゃん、お留守番かい?」
 仕入れから会計まで一人で営んでいる女の子をお手伝い呼ばわりなのだが、女の子は舞い上がっていた。それは普段の常連とは違う、青年の朗らかで快活な口調によるものかもしれない。
「わたしが、やってるの」
「へぇ、えらいものだなぁ」
 女の子は指をもじもじさせる。そして気づいたように、周りをきょろきょろする。他に誰もいない。少し安心し、顔を赤らめ、営業スマイルをする。
「それで、何を買ってくの? 今なら」
「あー、あー、ごめんよ。そうじゃなくて、商売じゃなくて。大通りはどっちかな? 海岸に行こうとして、迷っちゃったみたいなんだ」
 <迷っちゃったみたい>、というのが女の子にはキュートに聞こえた。どう考えてもここに来たのは、<迷った>に他ならないのだけど、それを取り繕おうと、この町ではまだまだ新人なのを胡麻化そうとするのが、その若さに似合っていた。
「道を聞きたいのね? えっとね」
 女の子は道順を教え、ついでにアジのフライが美味しい定食屋、年中無休の安くて立地のいい宿屋などもぺらぺらとお喋りした。青年はにこやかに相槌を打ち、会話を弾ませ、しきりに腕をジェスチャーさせた。ここ最近は海の調子もいいみたい、でもクラゲもたくさん発生する時期なのよ、と女の子が笑い、話が落ち着いたところで、青年は三回もありがとうとお礼を言い、また来るよ、とお別れした。女の子は満足げにその背中を見送り、見送り終えると、所在無げにカボチャを見つめた。

 * * *

 メインストリートの端っこに、アクセサリー兼古本屋がある。観光客と地元民が入り交じり、長い書棚の古びた本を物色し、琥珀色の髪留めを手に取り談笑する。中々に活気があるが、日が沈み始め、若い五人のグループが去ると、店じまいも近くなった。女の子はアクセサリー置き場をうろうろしている。深海のブルーの耳飾りにわっと顔を輝かせたかと思うと、値札を見てそれを陳列棚に戻す。それを銀細工の指輪でも繰り返した。そして深緑色の人魚をかたどった首飾りを、首元にやりガラスのウィンドウ越しにチェックする。その際、モデルではないけれど、女の子は軽いポーズをとっていた。ジーンズと白いシャツに、それは思いがけず似合っていた。そんな無防備な後ろ姿に声がかかる。
「決まったかね」
「えっ」
 店主だった。バンダナをして、髭を生やしている。身体はいかつく、書店には似合いそうもない。しかし大量の雑誌の運搬などに重宝していた。破顔している。
「文学少女も、恋心に目覚めたか」
「見てるだけよ」
 と言いつつ、女の子の目は一定しない。しきりに泳ぐ。
「そろそろ閉店時間なんだがね」
「ご、ごめんなさい」
「まぁ、常連のよしみだ。安くしておくよ。献血だ。出血サービスってやつだ。どうだい? これで」
「いい。買わない」
「買わない? あれだけ迷ってたのに? 値引きしてやるんだぞ」
 女の子は毅然として言った。店主を見上げた頬は、紅潮している。
「わたし、このペンダント、とても大切なものだと思ってたの。これを付けてメインストリートを通る姿を想像したくらい。それが値引かれるなんて、安物にされたみたいで。何だか悔しいの」
「そっか」
 女の子は慌てて手を振り、おどおどとした調子で
「ごっ、ごめんなさい。とてもいいものだと思うわ。だから安く扱われなきゃ、何も言われなければ買ってたかもしれない。ほんと、そんなの、気分、よね。でも、一度思ったら変えられない。たかが気分でも。ほんと、ごめんなさい。いこじよね」
 店主は、女の子の頭に手をやり
「確かに、いこじだ。それに素直だ。ペンダントなんか無くても、キュートだぞ。自信を持て」
 女の子は返事ができなかった。しばらく俯いていた。それから申し訳なさそうに本を買い、店を出て行った。店主は店の商品を点検しながら
「俺も、商売ベタだなぁ」
 と、ひとりごちた。

 * * *

 ゴザの上には、黄、緑、茶と鮮やかなカボチャが置かれている。大きさはサッカーボールからバスケットボールまで。つまりは殆ど均一の大きさで統一されている。子豚の貯金箱を脇に、女の子は本を読んでいる。中東のオアシスを舞台に王族のロマンスを描いた短編集だ。今日は久しぶりに太陽が容赦なく、お陰でお客はしばらく前に中年が一人訪ねたきりだった。

「三個で四個分のお値段なのよ。それもこれが最後の四個。買ったきり。どう?」
「またまた、売れ残りの処分だろう。その手を食うか。こいつを頼む」

 本は王子が蛇の呪いを解きに砂漠へと旅立つ場面にさしかかった。ターバンを巻いた王子が、空を見上げ、二度と帰れないかもしれない故郷に思いをはせる。思い出は砂煙がかかったようだったが、確かにあった。この言い回しが好きで、女の子はこのページを何回も繰り返し追いかけ、何十分も過ごしていた。
「ここだよ、ここ」
 女の子は心の片隅に期待していた、しかし六日も過ぎて聞くことは能わないと思っていた声を聴いた。何時かの観光客の青年だった。
「どうもっ」
 本を背中越しに置いて、応じる。青年はここ数日で更に焼けて、焦げ茶色の肌をしていた。大きなサーフボードを担いでいる。波乗りをした後にここに立ち寄ったのか、或いは夕暮れの波乗りの前にと寄ったのか。
「ほらほら」
 青年は声を張り上げる。女の子が驚いた顔でその方に向かうと
「もうっ。こんなところに、カボチャ屋なんてあるわけないじゃない」
 ポニーテールの女が、同じくボードを担いで、文句を垂れていた。
「って、あった。カボチャ屋。こじんまりしてるけど」
「なっ、言ったとおりだろ」
 青年は得意げだ。
「ほんと、来てみるもんねー」
 女の健康そうな身体を真っ白のワンピースがくるみ、水着の跡が濡れていた。そして好奇心旺盛な目でカボチャを眺める。
「すっごい。地元の八百屋じゃ見ないものばかり。旅ってするものね。これはなぁに?」
 シルバーのイヤリングが涼しげに揺れていた。小さな赤真珠がキラリと縁取られている。
「どうしたの?」
「いっ、いえ」
「気になるから、言いなさいよー」
 茶目っ気たっぷりに返されてしまった。
「その、綺麗なイヤリング……ね」
 女はくりくりした目を余計くりくりさせ
「そうっ? 彼がプレゼントしてくれたの」
 青年はハハッと笑った。
「それで、どれが良いんだい? この前は助かったから、お礼代わりにガンガン買うよ」
 やや間があって、女の子が応える。
「この黄色いのがね。夏から秋にかけて」

 * * *

 緑のカボチャは種を取り除き、トントントンと包丁でスライスする。それを四個分繰り返す。玉ねぎにも涙目でスライスを浴びせる。手にカボチャの甘い匂いがつく。その手で大きな寸胴に火をかけ、バターを敷く。乳白色の優しい油が浮き出る。玉ねぎ、カボチャの順に炒める。油がパチパチと寸胴内で軽く跳ねる。ざっくばらんに火が通ったところで、水と塩を入れ、煮立たせた。三十分ほどしたら牛乳を加え、更に火をかける。白と緑が混ざり、ソラマメ色になった。裏越しはせず、その代わりほろほろに形を崩すまで煮込む。時間が有り余っているから出来る技だ。へらで潰しながらかき混ぜ、これが意外と腕力を使う、更に水分を加えてひと煮立ち。表面に気泡が浮かび、湯気がたつ。ふうふうし、木のスプーンで味見をする。軽く頷いて、もう一口。寸胴いっぱいのカボチャのスープが完成した。間借りしている家の住民全員でも三日は費やすほどの量だ。
 カボチャの種は、フライパンに油を敷き、揚げ炒める。五分もするとカリカリとした食感が嬉しいおやつとなる。酒のつまみにもなるようで、これが意外と人気で、取り合いになりそうだ。が、量が量だけに大丈夫だろう。どんぶり一杯分はあるのだ。

 * * *

 若旦那は眉をしかめている。
「買うの? 本当に?」
「何よっ! 買うんだから嬉しそうにしてよ」
「そりゃ、そうだけど」
「在庫も一掃したし、これからが秋本番。旬のラインナップで、勝負するんだから」
「へー、あれ全部、売れたんかい」
「似たようなものよ」
 女の子はにいっとする。


〇港町の時計台

 日差しは薄く、足の指先が凍ったように縮む。それでも強張らないように手をしきりに動かしながら、時計工は空に揺られ、大時計を点検する。
「四番の歯車が折れちまってる。こいつが原因だな。それと七番、八番、十二番。こいつも駄目だ。スプリングも寿命か」
 時計工は下に向かって、声を張る。六メートルはある梯子のたもとにいる見習いは「酷いっすね、こりゃ」と受けて、隣の商店主に説明する。
 商店主は、腕を仕切りに組み直し、問いかける。
「それで、幾らかかるんです?」
「そ、ですね。今回の場合だと。何せ特注ですし」
 商店主は空を見上げ、深く息を吐いた。
「ジョイントもすり減ってる。替え時だ」
 時計工は、自身の三倍もあるサイズの大時計をいじりながら、つぶやいた。

 * * *

「とすると、廃棄なさると」
「わざわざご足労なされて、申し訳ないのですが。けれど決めたことです。廃棄します」
 商店主はゆっくりと断言する。
 時計工は黒革の深々としたソファに浅く腰掛け、コーヒーに視線を下ろしていた。見習いもまたソファにちょこんと座って、前かがみになって俯いていた。
 応接間の、人物画の油絵、青磁の壺、鶴の掛け軸が、空間に豊かさというよりも、威圧感を与えている。
 商店主はソファに体を埋ずめ、足をゆすりながら、コーヒーを啜り
「あの大時計は三代目が店のシンボルにと頼んだもので、八代目のわたしまで良く続いたものですけれど。物心ついた時から動き続けていた時計です。確かに愛着はあります。しかし、時代は進むものです」
 商店主は花の模様が縁どられたスプーンを、コーヒーの中でくるくる回しながら、
「昔は街に一つだけの時計が、やがて一区域に一つ、やがて一家に一台、今では一人に一個。もうあの時計は取り立てて人の関心を惹くものではなくなりました。ここらでお役御免でしょう」
「そういうものなのかもしれませんね」
 どろりとした沈黙が流れた。ややあって繕うように時計工は言い添えた。
「わかりますよ」
 テーブルにはカップに半分ほどのコーヒーが残っていた。気まずさもこれを飲み干せば終わる。
 足元をちょいちょいとつっつかれた。横を見ると見習いが、睨むような顔つきだ。時計工はわかっているよと、つつき返す。
「さて、ところで」
 肘をテーブルにつけて手を額の前で組む。
「廃棄となると、さて、どうしたものか、その時計台の跡というのは」
「なんです?」
「そのままだと如何にも不格好でしょう。大時計があった名残というのは。壁の色から違ってくる」
「確かに、壊れた時計をそのまま置いておくわけにも」
 時計工は努めて明るく
「そこで、時計のあったところを埋める装飾などは。軽いアクセントとして、例えばステンドグラスなど」
「はあ……」
 見習いは弾んだ声で言葉を継ぐ。
「簡単なものだとこれくらいです。グレードを一つ高くすると、見栄えもよくてお得ですよ」
 時計屋はあくまでも時計だけを扱うべきだ。そんな信念を切迫した収支と天秤にかけた、妥協の故の副業だった。しかし時計そのものの比重が軽くなるににつれ、馬鹿にならない収入を占めるまでになっていた。発注するだけで、工事は近くの大工だけでやれるのも、こちらにもあちらにも都合が良い。時計工はコーヒーを飲み下した。今回の服飾店の大時計も、聖母をモチーフにしたステンドグラスに取って代わられることとなった。

 * * *

 こうして一つの街から時計台は消えていく。列車は左右に大きく揺れながらカーブし、その街を遠ざけ、時計工たちを新たな街へと運ぶ。
「大時計は時代遅れか」
「なに、気落ちしてるんすか。次の仕事、港町なんでしょ。海見るの、かれこれ十数年ぶりなんすよ、僕」
 見習いの答えは空気のように軽い。時計工はぼんやりと窓を見つめている。新しい土地の景色は、平凡に褪せている。
「時計屋も消えていくものなんだろうな。装丁屋にでも鞍替えする頃合いなのかもな」
「また、うじうじと。最近、らしくないですよ。それよりも海っすよ。海。あー、今が夏だったらなあ。あっ、駅弁。目玉焼きですよ。ほらっ」
「お前は気楽でいいな」
「気楽もお気楽、楽して生きろって、そう言うじゃないすか、親方」
「言わないよ」
 列車は小さなトンネルに入り、ゴウゴウと音が反響し続けた。

 * * *

 雲も少なく、日は眩しい。強い風さえ無ければ、絶好の仕事日和と言えた。日向のベンチは太陽の残り香がして、温かい。しかし強風がコート越しに体温を奪う。時計工と見習いは遅い朝食をコロッケパンで済ませ、口をもごもごしながら細い石畳の坂路を上っていく。
 街を見渡せる小高い丘に、その教会は位置している。遠景にはコバルトの海まで望める。教会は全長八メートル、先端の十字架のオブジェを含めると、九メートルはある。
「壮観ですな。これが木造とは」
 教会の神父もまた首を伸ばしながら
「石造りのこの街では珍しいでしょう? 何でも東から木工職人を呼んで、六年も費やしたとか」
 青の空と緑の草花に、焦げ茶の建物は良く映えた。装飾は少なく、木のおおらかさを強調する作りだ。大きな一枚板の扉が開かれ、その上に誇らしげに時計台が置かれている。もっともその針は大幅にずれて、五時を指している。手元の懐中時計で確認すると、まだ正午にもなっていない。
「なんでも、これで三件目だとか」
「ええ。初めはここの、地元の時計屋に頼んだんですが、一向に原因がわからず。それから」
 神父は、高名な首都を中心に活動する時計屋の名を告げた。
「これまた分からず。老朽化だろうとは、おっしゃるのですが」
「そうですか。一応、善処してみますが」

 海からの風は勢いを増していた。陸のそれと違って、短いテンポでの強弱をつけず、しかし確実に力を増しながら風を送り続ける。早く帰りたいものだな。だが、帰るって、何処へ? 小さな、しかし一人きりには大きすぎる我が家が浮かんだ。膝まで生えた冬草の庭も。錆びた赤い三輪車も。俺は、そこへ帰って、何をするというのだ?
 大時計の中身は良くできていた。止まっているのが不思議なくらい、欠けた歯車もなく、連結部の軋みもなく、木造ゆえの木の歪みも最小限に留められていた。良く手入れされている。重宝されている幸せ者の時計だ。設計も丁寧で、独善的な所のないオーソドックスな作りで、しかし抜かりはない。あと、二十年、三十年は動き続ける。そう見えるのだが、何処をどういじっても、時計の針が動くことはなかった。寿命というものがある。丁寧に設計された長生きしそうな時計も、ふとした加減で全てが駄目になってしまう。五番よし。六番よし。これで三回目の確認だ。七番よし。こうした仕事の場合、直そうとすることよりも、直らないことへの言い訳を作るのに手間が折れる。残念ですが、寿命です。古い型ですし。このステンドグラスなんてどうでしょう? 十一番よし。耳を当てて、とんとんと叩く。ジョイントよし。全てが良い。全てが良くて、にも拘らず、時計の針は動かない。もう一度確認しようとして、しかし海風に馬鹿らしさが焚きつけられて、止めた。
「親方?」
「こいつは駄目だ。寿命だよ。今、降りるから、梯子をしっかり固定しろ。風にあおられるなよ」

 帰り道、教会に巡礼する老人の一団とすれ違った。もう、あの時計を仰ぎ見ることがないと知ったら、彼らはどんな顔をするだろうと、視線は背後の木々に惑った。

 * * *

 宿の一室を押さえる。小さな机にベッドが一つ。飯喰らいは床に雑魚寝で済ますことになりそうだ。観光シーズンから外れたせいもあって、料金は三割引きだった。中途半端に時間が余る。
「海、見に来ましょうよ。海」
 見習いはオーバージェスチャーで、はしゃいでいた。
 メインストリートの宿から、坂道を下っていく。街路樹が冬に負けじと、緑の葉を揺らす。灰色の猫が根元でうずくまっている。
 なんとか、もう一度、診てくれませんか。設計図はこれですが、突き合わせてみてください。今日は強風でコンディションが優れなかったでしょう。寒かったでしょう。明日でもいいです。明日にでも。
 神父のすがりつく姿が思い返される。あらかじめ覚悟して、あらかじめ準備していて、それでもどうにもならないのをわかっていて、それでも繰り返してきただろうあがき。なるようになった。それだけだ。ポケットから手を出して、前を向く。向かい風に胸を張る。

 * * *

「海っ! 海っ!」
 見習いは砂浜を波に沿って駆けた。真新しい足跡が刻まれる。
「独占だー」
 見渡す限り、一面の海原にも浜辺にも人影はない。他にあるのは何処から来たのか、風に惑う茶色い紙袋くらいだ。鳥たちも、この土地を見捨てたかのように姿がない。一面の砂浜が後ろに広がる。
 眼前にはごうっとしたさざめき。青緑色の水平線から、深緑になっていき、そこから音が聞こえて来そうな位置になるとエメラルドグリーンになり、メロンの果肉のように盛り上がり、白い飛沫を立てて砂を這い、透明の水となって去っていく。そうした一連の波の動きが、色合いがひとところに定まらず、日と共に移り変わっていく。一方で波音は常に変わらず、ごうごうと寄せては離れていく。時計工は知らぬうちに、写真の構図を考え、太陽と岩場が重なる場所を探して歩いていたのに気づいた。目を閉じる。カメラなぞ、在りはしないのだ。女房は去り、子供は去ってから、写真を撮る習慣は絶え、それは何処かへと消えてしまった。古いアルバムは、本棚の一番下に置いたまま。見返すこともないし、新しいそれを作ることもない。
 足元が濡れている。何時の間にか、波のあるほうへと引き寄せられていたのだ。緑の海に後ずさる。風と波音の間から、見習いのかすれた声がする。透明な白い塊、恐らくクラゲの死骸だろう、をぐいぐいと踏みつけている。それだけが海での事件で、時計工は吹き付ける風に目をしばたたかせた。
「広いな」
 一つ特に大きな波が、靴を濡らそうと足元に滑り込んだ。それから逃れようとした動きが、自分でも変な踊りのように滑稽で、慌てて周りを伺う。誰も居ず、唯一の見習いは砂場にしゃがみこみ、空に顔を傾けていた。
「広いな」

 * * *

 海岸通りの波止場を行く。夕焼けまでぼうっとしても良かったが、見習いが思い出したように
「腹が減ったっす」
「確かに」
 人通りを求めて、大きな道を選んだのだが、それは本当に交通するだけの道で、飲食店は望めなかった。海岸からの風はいよいよ勢いを増し、それから逃げるように、小道に入る。偶然、日当たりのよい、風が吹きつけない場所に入った。商業区とも違う、しかし完全な生活圏とも違う不思議な通りだった。石畳が陽光に眩しく照っている。
「親方親方、見てっ、ほら」
 見習いが指さした向こうには、カボチャ。大きな屋台ほどのスペースに行儀よくカボチャが整列している。赤茶色の列、橙の列、緑の列。
「何だい? こりゃ」
 見習いは、キュウリ色の球をぽんぽんと叩く。
「これも、カボチャ?」
「して、どうしてこんなところに」
 と、路の影から十五くらいの、時計工の娘と同じ年頃の女の子が、駆けてきて、
「ドロボー」
「ドロボウ?」
 辺りを見回す。他に誰もいない。
「ドロボウ?」
「どろぼう?」
 おうむ返しの繰り返しだが、それで警戒が解けたようで女の子は「ごめんなさい」ともごもごし、それから
「ドロボウかと思った。お客さん、ね。今日は風が風だから、商売あがったりだったのよ。一見さん、冷やかし歓迎。さあさ、どのカボチャ、気に入った?」
 女の子は、ついとカボチャの正面に立ち
「これは昨日入荷したてのナンヨウヒメカボチャ。麦を肥料にした肥えた土地でね、二毛作でニンジンと一緒に収穫するの。栄養も豊富で風邪知らず。その上、腹持ちが良い」
 突然、スポーツ実況のように売り文句を畳みかけてきたものだから、時計工はにやついてしまった。見習いは「カボチャ屋? 魚屋ならわかるけど」と言いながら、満更でもない様子だ。柔らかな日が、女の子とカボチャに差し込んでいる。
「海辺だから、魚って、思うみたいだけどね。ここは港街よ。色んなものが集まって、いろんな人が集まって、熊だのペンギンだの、何だって口に入れるんだから」
「へえ」
 女の子はまごついて
「ペンギンは言い過ぎたけど」
 カボチャを撫でながら
「カボチャはね。仕入れ時期と単価が安定してるのよ。日持ちもするし、扱いやすいの」
「魚は海の機嫌次第だし、傷みやすいからか」
 そう答えながら、時計工は懐かしい気持ちに囚われていた。カボチャのシチュー。ニンジンにジャガイモにあと緑の粉末みたいなもの、何だっけ、そう、セロリ。休日に娘が良く作ってくれたっけ。
「生モノは露天には無理かー。だからカボチャなんすね」
 見習いはふむふむと、手の平大のカボチャに目をやる。
「それだけじゃないわ」
「何すか?」
「カボチャが、何よりも好きだから」

 * * *

 時計工は設計図を羽ペンでマークしながら、記憶の中の大時計の内面と照らし合わせる。歯車の八番はどうだったか。知らぬ間に右にズレすぎていなかったか。このジョイント部分は、別のものに代官されていなかったか。幾つもの仮説を、打ち立てては、潰していく。見習いにコーヒーのお替りはもう良いと告げる。
「眠っていいぞ。明日は早いからな」
 それに「親方よりも早く寝る弟子がいるもんっすか」とお決まりの答えが返ってくる。
「朝食の買い出しと、現場への事前連絡は任せてください。嬉しいっすよ。親方ならやってくれると思ってました」
「気休めみたいなものだけどな」
 時計工はその気休めに全力を懸けていた。

 * * *

 腕を包み込むような大きさの歯車を、その正確な位置を、確かめる。机上でのシミュレート、設計図との矛盾個所は、これで全て埋まった。何処にも間違いはなかった。それでも大時計は動かない。
「八番、確認。状態、改善せず」
「親方ぁ」
 今日は風が無い分、声がクリアに響く。振り返ると、見習いが泣きそうな顔をしている。神父が目をつぶり何かを呟いた。
 時計工は息を吐きながら、顔を上げ、初めて何者にも邪魔されず、街を眺望した。
 クリームとイエローの煉瓦家が大小不揃いに散らばって、そこを血管のように道が畝っている。その道々を一粒一粒の街人がそれぞれ自由に流れていく。折々に鮮やかな緑がぽつぽつと添えられている。そして向こうには広い広いコバルトブルーの海が広がっている。
 時計工は大時計を撫でながら
「ああ。お前はこうやって街を見守ってきたんだな。大丈夫だ。この場所を奪いやしないよ。何せ俺ほど時計のことを」

 * * *

「しかし、なんすねー、あんなんで動かなくなるもんなんですね」
「そういうもんだよ」
 二十八番ネジ。小さな小さなネジだった。第五歯車と第六歯車の陰に隠れていた。それが欠けていたせいで、大時計は時を失っていたのだった。
「けど、久しぶりに親方、カッコよかったすよ、まだまだあと一回、絶対に直してやるっ、なんて正に鬼って感じで」
「久しぶりぃ?」
「あっ、嘘。そんな、そんなっ」
 時計工は、車窓を見つめながら言う。
「ああ、こんな仕事を続けていきたいもんだな」
 汽車はベルを鳴らし、時計工を港町から、時計台のある港町から、また別の時計台のある街まで運んでいく。
「しかし、この荷物、重いっすね。あっ。これカボチャじゃないっすか。こんなデッカイの非常識っすよ。僕みたいにこう、小玉にしとかないと」

 * * *

 女の子はほくほく顔で、
「毎度あり」
「おう」
「何に使うの? スープ?」
「シチューにな。ニンジンとジャガイモとセロリの。カボチャはごろごろ乱切りで。欲張って口に頬張ろうとすると火傷するような」
「うーん、なんかわかるけど、セロリは煮込まないんじゃないかなあ」
「煮込むんじゃなくて。緑色の粉上の。仕上げに振りかける」
「それ、セロリじゃなくてパセリよ、パセリ」
 二人とも声を出して笑った。


〇桜色のカボチャ売り

 大感謝セールで仲良く売れ残ったカボチャ達が、大鍋にぐつぐつ泳いでいる。今年の厳しい冬を跨いだカボチャ達だ。幾ら日持ちがすると言っても、色がぼけ始めている。茹でて発色が多少良くなっていても、皮が干からびたような、元気のない色合いだ。そんな旬を過ぎたカボチャだが、それを今が食べごろの春タマネギで補いたい。売れ残りを、採れたてで、カバーする。美味しくて素敵な関係。
 とんとんとんと、涙まみれになり、タマネギの群れを微塵切りにして、フライパンにヤギのバターを敷き、飴色になるまで炒める。
 それから茹だったカボチャを、冷水に浸からせ、熱をとっていく。とらないと熱くて皮をむいて実を潰すのに一苦労だし、とり過ぎてもこわばっていけない。ゆっくりと時計の針が午前二時を回る夜。心地よい風を通しながら、女の子は読みかけの本を手に取る。
 これから、カボチャを潰して、タマネギとカボチャをまぜまぜして、俵型に整形し、高温でさっと揚げ、既に火は通っているので衣だけを揚げる感覚で良い、それらを古新聞紙に包み、通りの荷台にまで運ばなければならない。
 量が量だけに大変だ。目標は百個だ。
 だが月は明るく、風は温かく、夜は長い。女の子は本のページをゆるりと繰りながら、遥か西の島々を海賊たちと旅するのだった。

 * * *

 商材を運び終えると、荷車はまんたんになった。小麦色の敷物が丸められていて、瓶とお弁当箱が積まれている。そこに樽のような大きなサーバーと、新聞紙の包みが形を崩さないようにどさりと詰められている。
「遅いじゃないか」
 白髪のおじさんが、酒を片手に、怒鳴るように話しかける。
「そっちが早すぎるのよ。まだお月様もがんばってるし。えっと、午前、四時、二十六分よ、まだ」
「遅れることはあっても、早過ぎるってこたねえよ」
 残った酒をくいっと飲み干す。気が早い。
「わかったわかった、わかったわよ。わかったから行きましょ」
「そう、怒んなよ」
「先につっかかったのは、そっちでしょ」
「まあ、なんつーか、冬の間中、こう、待ってたもんでよ。気がせいちまって、駄目だな、オレは」
 心の起伏が極端なのは酒のせいだろうか、ここのところの陽気のせいだろうか。女の子が、何と声をかけたらと腕組みしていると
「まっ、行こや。ウチらは宴会、嬢ちゃんは商売。酒と金の共同戦線ってなもんだ。影虎丸、行くぜい! 嬢ちゃん、道中でへこたれんなよ」
 心は一気に一等航海士だ。どうやら待ちぼうけて、相当、酒を飲んだらしい。
 女の子はにまっとし、それに乗ってやる。
「そうね。行こう、影虎丸! いざ桜山へ!」
 荷物を詰め込んだリアカー、影虎丸はそうして港町から桜山へと登っていく。

 * * *

「ちょっと待った」
 おじさんは、そう言うと腰を下ろし、酒を手にする。
「なによ、急いでるんじゃないの? これで三回目じゃない」
 足を止め、手を止め、聳え立つ山を見上げる。女の子は、遠景のそれが薄紅色に染まっているのに「これ! 桜? 桜!」とはしゃぎ、徐々にピンクが深くなるにつれて、興奮も高まっていた。実際にふれられるわけでもないのに、手にふれるところまで来たらどうなるのだろう、とイメージはどんどん広がっていく。じれてしまう。
「なあに、桜なんて、昨日、今日で、とんずらしねえよ」
「もう、お昼時には開店準備を終えたいんだから」
 商売っ気で、興奮をごまかす。
「まあまあ、足を休めな。ここからの坂はきついぞう」
 港町には海があり、土地は波に削られ、坂道は多い。特にここから山に続く道は、一層、傾斜が厳しいようだ。女の子は、おじさんが休む時はなるたけ平らなところ、荷車が傾いて転ばないところを選んでいるのに、思い当たった。腰掛けながら体を丸め、汗をかきかき空を見上げるおじさんを見つめる。
「おじさん、ここは何度目?」
「何度目かなあ? 何度目だろ。随分と来たもんだなあ」
「わたしは初めて」
「うん、良いぞう、桜は」
 トンビが、ピィヒョロロロロ、と鳴いた。天気予報通り、雲はない。日は少しずつ高くなっていた。
「だが、急くこたぁない。嬢ちゃんはこれからいろんなもんを見れるんだから。いろんなところに行って、いろんな旅をして。で、出来たら恋人を作って、家族を作って、子供を作ってな。でも、何も慌てるこたぁない。時間はありあまってらーな」
「んっ」
 女の子はその穏やかな時間を、おじさんと過ごす。

 女の子は桜山を見上げ
「ほら、山の入り口がピンクがかった白。その上に深緑の季節の始まりの色。そっから青い空が広がって」
「嬢ちゃんはポエミーだねえ」
「うるさいなぁ」
 そう言うおじさんは、ブラウンのコートがおろしたて。女の子も、洗濯したての半袖シャツにジーンズ姿。
「でも、桜が来て、待ち焦がれた春になって、それを詩に書き留めようって気持ち、何となくわかるなあ」
 女の子もおじさんも、ゆるりと身体を遊ばせていた。

 * * *

「そろそろ行かなくちゃ、今は何時かしら、えっと」
「なーに、慌てなさんな。そろそろだ。時計台が九時を告げるまで、待とうや」
 確かに、ここらの切り立った山には大きな教会があって、それに負けない大きな時計台が備わっている。女の子は未だ見たことは無いけれど。
「えー」
「えーとは、何だい?」
「知らないの? 教会の大時計、壊れてるのよ。鐘なんて鳴らないどころか、時間すら正確じゃないって」
「直ったんだよ」
「だからぁ、また壊れたのよ。五年くらい前に直って、二年くらい前にまた」
 おじさんは、ふふんとし
「ところがどっこい。またまた直ったんだな。今年の冬に、腕利きの時計工を呼んでさ。全く、あの神父ときたら、執念じじいだねぇ」
「えっ? ほんと?」
「本当だよ」
「嘘じゃない?」
「嘘をついてどうすんだ」
「うん、一度、聞いてみたかったのよね。鐘の鳴る音。どんな音するのかしら? ね? ほんとにほんと?」
 山の上の方から、高い鐘の音が響いてきた。少し芯に残り、やがて心地いい。
「ほんと、だったね」
「な?」

 * * *

 女の子は出店に座っている。港町のカボチャショップ、桜山支店、なんて通り名を密かにつけたりする。と言っても、あらかじめ用意されたテーブルと椅子が一脚あるだけだが。
 桜山はその登山口に桜が広がる。一本の並木通りが、五百メートルは桜に染まるのと同時に、その周りの道なき道の木々にも桜が伸びている。観光のために植えられたわけではなく、天然のものだとは、崖の危ういところに植わっていて、それが却って風流だねぇと客を呼ぶところからもわかる。とにかく道沿いに縦に桜が並ぶだけではなく、横にも桜が広がっているのだ。
 通りには人が行き交い、あちこちから拍手や音頭が聞こえたり、子供の高い金切り声が響いたりした。
 出店は十店ほど、その桜通りの入り口に並んでいる。女の子のカボチャ屋も、その一つ。

 * * *

 荷車から商品を、机に並べ終えたのは昼の稼ぎ時にぎりぎり間に合うかどうか。量が量だけに一仕事だった。
 隣の出店は、花びらのついたノボリを立てている。「美味、桜餅」と刺繍してあるそれが、海からの風に揺れている。この出店は女の子が来た時には既に商品を陳列していて、それだけではなく荷車にアイス用の氷の塊まで運んで来ていて、会計用と商品受け渡し用の売り子を二人並べて、フル稼働だ。店のオーナーの若旦那は、それを見ながら、他の出店の様子もチェックしている。女の子の小さな店も例外ではない。若旦那の方から話しかけてきた。
「おやおや。随分と、こなれない様子で。あんた、はじめてかい?」
 女の子は商品名と値段のついた紙を机の前に貼りながら
「あっ、はい。はじめてです。ここに来るのも、桜を見るのも」
「いやいや、出店の経験は?」
「ない、です」
「どうも素人全開でほっとけないんだよねえ」
 若旦那は気さくな喋り方をするが、声は笑っていない。
「商売は、はじめてってことはないだろね?」
「いえ、街のメインストリートから三つ、道を外れたとこ、そこでカボチャ屋をやってます」
「カボチャねえ、カボチャ屋がコロッケねえ」
「あっ! それカボチャコロッケです。ジュースもあるんですよ」
「カボチャコロッケって。あー、あの甘いの。俺、苦手なんだよね。無駄に甘くて。ジュースもカボチャのジュースだったりするんかねえ」
 女の子は張ったばかりの机の値札を指さす。
「あたり」
 丸っぽい字で、カボチャジュース、と書かれていた。
「うーん。肉じゃがコロッケとか、リンゴジュースとか炭酸水の方が、売れると思うけどなあ」
 若旦那は値札に目をやり、そこに書かれた文字を確かめた。その下の数字に、声が漏れてしまう。
「ああっ!」
「えっ? 何か?」
「コロッケ一個六十円! ジュースは五十円!」
「はい」
「破格じゃないか! 安すぎだろう」
「えっ? わたしには、そっちの店の方が、高く見えるけど」
「相場を知らんのかい? 最低この二割は足さないと」
「いいんです、カボチャを美味しく手軽に、がモットーだから」
 女の子はそう言うと、笑った。

 * * *

 太陽は雲に隠れることなく、ぽかぽか陽気になった。お陰で、若旦那のところのアイスと、女の子のジュースは飛ぶように売れた。大きなワイン樽のようなサーバーからとろりと流れるお日様色の液体は、花を見に行く人の小さな話題にもなった。
「売れてるねー。素人商売、全力発進って感じかい?」
「暑いですから」
「ああ。天気がいいからねー」
「これが雨だったら、悲惨、なんでしょうね」
「そんなもんじゃないよ。人は来ないし、売り子のテンションは落ちるし、最悪」
「うん、晴れって最高」
「まっ、どーでもいーけどさ、あんたもジュース値上げしといたほうが良いよ。こっちの、アイスは、二十円釣りあげといた。一緒にさ、こういう時こそ、一緒に儲けようよ」
「はは、値上げかぁ」
 女の子は申し訳程度に、笑った。

 * * *

「お父ちゃん、おやつー」
「待て待て、ここも高いぞ。あっちもそうだったし。流石にどこも祭り価格だなぁ。まいったな。嫁さん、はらませちゃって、小遣いけちりそうなのに」
「父ちゃん父ちゃん」
「んな駄々こねてもな。って。んっ? ここなら何とかなるか」
「いらっしゃい!」
「お嬢ちゃん? 店番? えらいねー。えっと……このカボチャコロッケ一つと、ジュース二つ」
「ありがとでしたー」
 女の子は、桜へと向かう親子に、ちょこんとお辞儀をする。

 * * *

「コロッケ三個」
「どうもー」
 女の子は袋を取り出し、新聞紙にくるんであるコロッケを入れようとする。すると赤ら顔の老人は顔をしかめて
「いや、袋はいい」
「えっ? 袋はいい?」
「袋は、いらない」
「あっ。そっ、ですか。はい。お気をつけて」
 去り際の背中がもそもそと動いている。歩きながら三個も全部コロッケ食べちゃうのかな、と女の子はぼんやりと見送る。桜の花びらの下で、慌ててほうばるのも、悪くはないんじゃないかなと思う。

 * * *

 日は少しずつ傾きつつある。日光が消えても、桜通りの樹には一つ一つランプが取り付けてある。ほの明るい通りの主役は、家族からカップルへと変わっていく。彼らの方が財布のひもは軽い。闇で桜が見えなくなるところでも、酒が増えて、会話が滑らかになれば、空間は楽しいものになるだろう。むしろここからが本番なのだ。
「それにしても、大丈夫かなあ」
 隣の出店には、まだ大量に桜餅とアイスが売れ残っている。元々の量が女の子の店のそれよりも随分と多いのに加えて、強気の値段設定が足かせになっているのは確かだ。
「かわいこちゃん、ジュース三杯」
 髭のいかつい、筋肉で太った男が、指を三本立てている。自分の商売を頑張らなくっちゃ、と女の子は仕事に集中する。
 ジュースサーバーから微かな違和感。ちょっと前から続いていたのには気づいていた。反応が鈍くなっていた。それが、コポコポと音を立てて、ジュースが止まり、泡の塊が吹き出し、やがてその流れも止まった。ついに来たか、と女の子の顔が険しくなる。安全スイッチを外し、樽型サーバーの蓋を開けると、果たしてそこには肩を縮めた水溜まり程度の残りがあるだけで、ほとんど空っぽに近かった。ストックが切れたのだ。
「ごめんなさい、売り切れです、すいません」

 * * *

 晩餐時になって、食も酒も会話も宴会芸もピークを迎えていた。人々はふらふら桜通りを行きかう。
 おじさんは漁師仲間の宴会を抜け出し、女の子の出店にやって来た。「トイレのついでだよ」と言い訳を考えながら、カボチャの出店に近づいていく。おや、と思った。その一角だけ綺麗に客がいないのだった。空間がぼんやり空いている。寂しさを持ち前の移り気な性格で、陽気に切り替え、女の子に「よっ」と声をかける。
「嬢ちゃんにはきつかったかい」
「ううん」
「何てことはねえ、あのジュースの何だっけ、取り合えず身体にいいって。そいつとコロッケ、ウチの若い奴らに、十五個ずつ、包んでくれや」
「それがね、売り切れちゃったの、カボチャコロッケもカボチャジュースも」
「なっ、なんだい。商売繁盛じゃないかい。心配しちまったぁ。なんだ、よかったじゃねえか。こっちも安心して酔えるってもんだ。じゃ、宴会おわったら、荷物もって、ここに来るからよ。それで仕舞いだ。なに、帰り道はウチの居残った奴らと一緒だから、楽なもんよ」
「うん」
「売れてよかったな。頑張ったじゃねぇか」
「うん」

 * * *

 夕飯代わりの軽食の波が終わった。あとは宴も商売も惰性で進んでいく。若旦那は一息つくと女の子の方に足を向けた。
「安売りをして、早々に売り切れじゃ、みっともないな」
「うん」
 女の子はぼんやり、密度の薄くなった人の群れを眺めている。
「商売ベタだねぇ」
「もっと、仕込んどけば良かった」
「前も言ったように、天気があるからね。売れ残りは怖いよ。でも、値段なら臨機応変に変えられる。高めで勝負すべきだったんだ」
「ううん」
 女の子は当たり前のように返事をした。若旦那は、失意のあまり話が聞こえていなかったんじゃないかと疑い、その顔を見つめたが、女の子の目は凛としていた。
「これでいいのよ。カボチャの良さを伝えるために、頑張ったんだから。カボチャってね、安い野菜だからね。貴重なキノコだったり、豪華なフルーツだったり、レストランでふんぞりかえれる食材じゃないの。でも、その代わり、家庭でも、食堂でも、気軽にふれられる。桜の前でだってそうでいたい。カボチャって安いものだし、安いのが良さだから。それに大損をしたわけじゃないし、儲けも出たのよ」
 話しているうちにどんどん言葉は溢れ、想いは広がっていく。目の前でカボチャを食べた人の笑顔が見れた。将来はちゃんとした大きなカボチャのお店を建てるのが夢だけど、やっぱりカボチャレストランは併設したい。もっと本格的なベシャメルソースをかけて、あつあつのカボチャクリームコロッケを提供したい。みんなをカボチャで笑顔にしたい。色々と言葉は溢れて、女の子は色々、喋ってしまった。
「ごめんなさい。つまらなくなっちゃったね。ほんとカッコ悪い。明日から、頑張ります」
 若旦那は一つ息を吐き、それから口元を緩めた、ように見えた。
「うん。あんたは商売ベタだね。でも、商売人として失格じゃあない。しっかりしたアキンドだよ。ほんと。いーねー。若いってのは」
 ゆるりと夜空に浮かぶ月を見上げながら、若旦那はこう言う。
「まっ、俺も若いんだけどね。あんた、桜は初めてなんだって? 俺らが店番してやるからよ。まだ小一時間はあるだろ。抜け出して、見て回りなさんな。ゆっくり夜桜見物なんて、乙なもんさね」
 若旦那は自分の店に戻りながら、一際大きな声で付け足す。こちらは商売上手だ。
「嬢ちゃんの店は商品、売り切れちゃったんだってなあ。こっちも、うかうかしてらんない。売り切れちゃうよ。でも、今日は絶好の桜日和だ。月も笑ってらあ。こっちも、値下げしてラストスパートってなもんさ。アイス二十円引き、桜餅三十円引きと来たもんだい」
 一部始終を覗いていた店子が笑った。道行く人は、わいわいと騒めきを、流れていく。一つ海風が吹き、散った花びらが空を舞う。女の子はくっと伸びをし、月と桜を見上げ、そこにランプに照らされた綿飴のような淡い白と微かな葉桜の緑を見つけ、そんなことを改めて喜び、桜通りの真ん中へと足を運んだ。


〇港町のロウソク送り

 ロウソク送りは、「八海放浪記」で有名な、夏の祭事です。春の終わりに街へと帰ってきた死者の魂を、また向こうに送り返す為に、その道しるべとなるロウソクを川に浮かべ、海へと流したことを端とします。祭りに使うロウソクは、十日前から火を灯され、そしてその火が消えずに海に渡されると、その役目を果たします。近年では、ロウソクに願いを込めて、それが海にまで届くと、願いが叶うとされています。多くの旅人が訪れ、幻想的な

 そんなガイドブックの一ページを見つけたのは、冬の初めだった。その時は「よくある祭りね」なんて印象だったのだが、何故か小骨のように刺さっていて、市の図書館なんかで調べているうちに、「面白そう」となり、十年来の旅仲間と一緒に、ちょっとした旅行の計画まで立ててしまった。連れは恋人同士の甘い一時なんて素敵な男性ではなく、メガネをかけたひょろ長い女の子だ。
 夏が来た。心配していた天気も快調。片道一日半で、二泊三日する旅は、楽しいものになる。そんな予感がした。港町への旅だ。

 * * *

 街の中心を訪ねて、少し安心したと同時に、がっかりした。わたし達のような旅人、茶色の二十代や三十代のカップルが山盛りで、それは地元民よりも多いくらいで、ホームグラウンドみたいに堂々と行き来している。
 それを目当てにした露天も、ロウソクを置く小さな舟の商人を中心にして、真珠貝のようなイカサマ貝のようなものの小物売りやら、靴磨きの少年やらが、ずらりと並んでいる。祭りの前日から訪ねるなんて少し特別だと思っていたけど、わたし達は、そう、ありふれていた。
 しかし、旅仲間の友人は、学生時代からめーちゃんと呼んでいる、めーちゃんは潮風に伸びをして空気をいっぱいに吸って
「うーん、匂いから違う。海だね。海」
「そんなに興奮することないじゃない」
「えー? なんでそんな冷静なのー。海だよ、海。一回来たことあるからって冷えすぎ。キミは、もう、ウミを知ってしまったのだな、あのカオリを。なーんて」
 あはは、とハイテンションだ。わたしも少し興奮しているのだけど、いやけっこう興奮しているけど、めーちゃんのように素直なタチじゃないのだ。海に来たと言っても、あれは何年も前に列車で通っただけだったし、雨に降られてどんよりとした水で、残念なものだった。この港町は海と夕日の美しさで有名だし、今日は快晴だし、風がくすぐったい。

 * * *

「ここのメインストリート、港へ直通だって」
「そんな商売になるようなとこはつまらないよ。少し歩くよ、めーちゃん」
「あのー、人通りからどんどん離れていってる気がするんだけど」
「それがいいんじゃない。地元民が愛の告白に使うような砂浜なのよ」
「またー、盛っちゃって」
「確かに誇張、入ってるけどさ、そーゆー、いいとこ、なのよ」
「でも、何で告白が海だったりするのかな」
「特別なのよ」
「でもさ、それより普通の何気ない、この映画が良かったとか、今日はちょっと暖かいねとか、その続きとしてとかさ」
「海はロマンなのさ、めーちゃん」
「告白ってさ、何で特別なんだろね。波がどばんとして、風がきつくて、断崖絶壁で」
「スイマセン、ワタシガヤリマシタ。そりゃー、コクハク違いだ」

「あれ? あの鳥、大きいねー」
「トンビじゃないかな」
「鳴き声がもののあわれだねぇ。笛を吹いてるみたい」
「んっ、波の音」
「しないって」
「した気がするんだけどなー」
「でも、もうそろそろのはず」
「んっ? 海?」
「えっ?」
「この家の間の路、ほら」
「わぁ」
「んん」

 潮風で茶色く湿気った民家の後ろに、青い海が広がる。道は石の階段になって、その先に砂浜が広がって、波が広がって、海がある。雲の白がコントラストを彩るほどに空の青は濃い。
 階段を降り始める。海と高さが近づくにつれ、波の音も近くなっていく。
 ザァー……ー………ザァー…ー……ー
 青にポツンとサーフボードが浮かんでいる。サーファーが波と遊んでいる。
「いいね」
「うん。いい、いっ」
 足がぐらんとした。まだ階段の石段が続くと思っていたのだ。足首が捉えたのは、柔らかく沈む砂。
「うわっ」
 派手に転んだ。一回転した、と思ったのだけど、多分、すっころんだ感じなんだろう。さらっとした砂。顔を上げると、青い海に白い波。太陽と空。
「ははは」
「失礼な、めーちゃん、ちっとはこっちの体を心配してよ。ははっ」
「ははは」
 空が広い。海が広い。笑っちゃうほど、広い。
「偉大な母なる海の元、足元の一段差にすっころぶワタクシ」
「ははっ、けっさく」
「ふふ、旅は人を詩人にさせるのだ」
「なんちゃって」

 * * *

 砂浜は少し黄色が混じった白がさらさら。それが波に洗われるところまで来ると、土色に水を含んでいる。靴を脱いで、靴下を脱いで、波打ち際に足を浸した。ミニスカートとはいかないけれど、思いきった半ズボンだったので思ったよりも奥まで進んだ。ズボンも濡れてしまったけど。めーちゃんは、当然のように、わたしの隣で、足で波を、海を味わっていた。
 砂浜には簡単な売店が建てられようとしていた。流石に飲み物やパラソルはまだ売っていないが、日陰になるには十分で、髪の長いあんちゃんがそこで休んでいるのか、作業しているのか、緩慢に動いている。
 よく見るとぽつんぽつんとサーフィンをしている人、ヨットのようなウィンドサーフィン、もちろん初めて見るのだけど大きい帆付きのサーフボードだった、をしている人がいた。
 波際で赤いドレスを身にまとった美少女。これは本当に目がくりくり愛らしく、くちびるが艶っぽく、足がすらり生えている。それを撮影しているカメラマン。なんと女性カメラマンでそれも彼女もモデルかと思えるほどに凛としていた。彼女の周りには人だかりは出来ずに、野次馬のおじさん三人だけで、わたしたちも含めたら五人か、次々と色々なポーズや表情を見せる少女になんというか見入ってしまった。同性ながら、見惚れていたと言ってもいいかもしれない。少女がそれから銀幕にデビューするかどうかは知らないが、似たような噂を耳にしたら、今日のことを思い出して、少し自慢したい気持ちになるだろう。サインを貰うことなく、撮影を見届けることなく、海岸から離れた。空腹には勝てない。
 地元民が通いそうな、学校の食堂をそのまま店にしたような、おばさんが営む定食屋に足を運ぶ。めーちゃんは、おばさんオススメの、と言っても観光客にとってオススメなのだろうけど、アジフライを頼んだ。わたしはちょっと前に入った白髪の太ったおじちゃんの頼んだのと同じ、メンチカツにした。
「海に来たのにー」
「いかにも初心者な、ありきたりでしょー」
「ありきたりでも、王道だよー。王道の海の幸」

 メンチカツは美味しいことには美味しいけど、それは街の洋食屋の馴染みの美味しさだった。なんか損をしたような、でも美味なことには美味なんだしと言い訳しながら、食べた。めーちゃんからおすそ分けしてもらったアジフライは確かに素晴らしかった。凄まじかった。身は厚く、ふかふかしていて、味は濃い。そのくせ魚臭くなく、油の上品な香りまでする。普段食べているのと同じアジとは思えなかった。アジ科でも別種と認定してもいいくらい。
 旅宿での夕食は流石に王道だった。魚のあら汁やら、煮つけやら、舌鼓を打ちつつ、会話が弾んだ。口が賑やかだった。

 * * *

 遠い市の図書館まで行って調べたことには、ロウソク送りには「通」の楽しみ方がある。如何にもな観光客を狙った露店のロウソクではなく、地元民が使うロウソクを扱っている祭儀屋が、メインストリートを大きく外れたところにある。二階建ての民家ばかりが並ぶ路地に入って「騙された」予感に浸されながら、「めーちゃん、こういう道こそ、われら旅人が行く道なのだ、道なのでしょ」なんて強がりを言った。ようやく大きな看板の祭儀屋を見つけた時は、ほっとした。

「へー、ここを見つけるたぁ、お嬢ちゃん、なかなかに乙な趣味だ」
「流石にちょっと迷いました」
「確かに教会や礼拝堂じゃ、ロウソクはもう売ってない時分だ。でも、元はここのを使ってんだよ。こっちがオリジナルってもんだ」
「はあ、本当の通は教会まで」
「なに、地の人もそこまでこだわらねぇ。大事なのは形じゃなくて気持ちだからな」
「わー、このお面、東の島のシーサーみたい」
 めーちゃんは、店をあれこれ物色しながら、浮かれている。
「おう、それは」
 マジメなわたしは話を本線に戻す。
「それでロウソクは、どんなのがあるんですか? なるたけ現地の形式がいいんですが」
「願い事は決まってるんかい?」
「いえ、まだ」
「えー、決めてないの?」
 とめーちゃん。
「うーん、直前の夜に決めようと思って」
「計画性ないー。ここまで行って、どうして決めてないの」
「だって、調べてみても、そんなにでかでかと載ってないもの。お願いが叶った話とか」
 おじさんは大げさな身振りで、
「はー、やっぱ願い事しなきゃ、わざわざ折角ここまで来た甲斐なかんよ。願い事をするのはさ、ほら、有名な八海放浪記にあるように、ああ、ロウソクに火を点ける時にするもんでさ。最近の観光客は、もう火が付いたのを使っちゃうだろ。なんか『しきたり通り二週間も前から火を灯し続けたロウソクです、願いの効き目はばっちりでしょう』みたいなん。ああいうのは、本末転倒。本末転倒。赤の他人が火を点けたのなんてね」

 勧められるまま、まだ火のついてない現地仕様の細長いロウソクを買うことになった。台の小舟と一緒にリュックに詰める。身軽にしていたので、追加分がズシリとする。
 それにしても火を点けるまでに、願い事を決めなくちゃいけない。両親が望むのは「孫の顔を」「その前に結婚を」だろうし、普通の女の子なら「理想の彼氏を」なのだろう。でも、なんと言うかそういう甘いものからは距離を置きたい気分だし、ロウソクの火に灯すのは、そういう遠いものではなくてもっと身の回りの幸せと言うか。うー。わたしの幸せってなんなんだろう。
「めーちゃん、願い事、決めてるのよね」
「うん、旅の前から決まってる。前の、何だっけ、大聖堂のフラスコ画を一緒に見に行った時も、お願いしたけど、それと同じかな」
「なによ、何をお願いするの」
「ひみつー」
「じゃあ、わたしもひみつ」
 なんて言ったけど、ほんとうは秘密にするような願いごとなんて、まだ決まってない。

 * * *

 ロウソクと台の入ったリュックを背に、近くの通りを散策する。海を気に入っためーちゃんから、「あっち行こうよー」という訴えをどうにかナダメ、「こーゆーのも、旅ってもんよ」なんて、細い路地を雑に曲がる。
 何処をどう行ったのか、帰り道が少し心配になるくらいに、入り組んだ道を行く。まあ恥を忍んで人に聞けばたいてい何とかなるものなのだが、その人通りまで随分怪しい小路まで来てしまった。濃緑の木を目印に、こちらが商業区ね、と探り探り辿ると、妙に整った少しひらけた通りに出た。日が照っていて、ちょっとの間、昼寝できそうな、まどろみながら歩いていけそうなその道に、カボチャが並んでいる。赤、茶、黄、手の平サイズのものから、スイカサイズのものまで。そのカボチャの列の中心に女の子が、柔らかい、ぷにっとしてしまいたいほどの頬の女の子が、あぐらをかいて、本を読んでいる。
「カボチャ?」
 めーちゃんが、不思議そうに呟く。すると女の子は、目元をあげ、にいっとする。
「カボチャ屋だよ」
「へー、珍しい」
 わたしはそのカボチャのなかで、一つ異様なモノを見つめていた。カボチャはカボチャなのだが、その中身はくりぬかれ、その中にロウソクがちょこんと入っていて、火はゆらゆらと揺れている。めーちゃんもそれに気づいて指差し
「あっ、かわいい。ほら、かわいいよ」
「うん、かわいい」
 そう答えながら、何だか釈然としないものが残った。確かにかわいい。かわいいとも取れる。だけどそれ以上の不思議な感覚を第一印象は伝えていた気がするのだけど。でも、それを気のせいに、何となく通り過ぎてしまう感覚にしてしまう。わたしはそういうタチだ。
「こんな風にロウソクを飾ったりもするんだ。かわいいね、めーちゃん。ね、どうしてそんなことするの?」
 女の子は少し間をおいて
「えっ、うん、それは、おじいちゃんが昔いてね」
「へー、詳しく聞きたいな」
 とめーちゃん。次いでわたしの追い打ち。
「うん、わたし、いろいろ旅をしてんの、見聞を広げにね。そのお爺ちゃんの話、聞きたいな」
「いいけど、なんか暗くなっちゃうかな」
「いいの、いいの、そーゆーの知りたくて、こんなとこまで来たんだから」
「うん、お姉さんみたいな、旅をしているお客さん、ここではちょっと珍しいかな」
「迷ったともいう、えへん」
「いばることか」
 とわたしのジョークに、めーちゃんのツッコミ。

 女の子は、本にしおりを挟み、床に置き、ちょっとロウソクのカボチャを見つめ、次いで商売人らしいサービス精神の籠った、でもしんとしたトーンで話した。

「ぺンキ屋のおじいさんがいてね。南の大通りのペンキ屋さん。
 『今じゃ、隠居じじいだよ』なんてのが口癖だったけど、同じ口で『嬢ちゃんが店を持つようになったらどんな色を塗ろうか。やっぱりカボチャ色か? オレンジにイエローを混ぜたこんな色か? うん、柿みたいな色、いやいや夕日みたいな色だよ』なんて笑ってた。
 いつも口をもごもごさせて、ハッカ飴を舐めているみたいだった。
 首が傾いててね。こう、ふと話題にしてみたら、職業病だ、なんて少し自慢げだった。なんでかは聞けなかったけど。
 その秋の日にね、熱帯のような夜がちょっと続いた秋に、おじいさんの娘さんが来て。
 なんか、難しい病気の名前を出して、何年も前からおじいさんはそれにかかっていて、それで近頃は病気と折り合って仲良くやってるみたい、と思ってたら、突然悪くなったらしくて。それっきり。
 それでその、居なくなる前もおじいさん、何時もみたいに、カボチャを買ってて。今ごろから出回り始めるダイダイヒメカボチャの小玉。おじいちゃん、それ、食べれたのかな?
 わかんないけど。それも込めて、ね。おまじないみたいに、ロウソクに込めてるの」
 ちょっとしたトーンが掠めた。わたしたちは何も言えなかった。それを取り繕うように女の子は、声を一つ高くして、
「でも、見ての通り商売にしちゃってるのもあるのよ。確かに、お客さんに、珍しがられるからね。風物に、風情になるからね。うん、ちょっと、湿っぽくてごめんね。おしまい。
 えと、それで、このカボチャと同じ種類のは、少しお安くして銅貨で」

 * * *

 メインストリートにかかる石橋には、人がごったがえしている。観光名所でもないのに、記念撮影しようとしている人がいて、交通する人からじろっとした目で見られたりする。でも、潮風は柔らかで、水は穏やかで、空は晴れやかで、なんとも静かな夕日が落ちている。
 わたしはめーちゃんと一緒に、ぼんやりとそれに吹かれている。ぽつりと、思いきったというよりも、自然とその言葉は出た。
「ロウソク送るの、止めようね」
「うん、わたしも、そう思ってた」
「見送るだけにしよ」
「うん」
「なんだか、ごめんね」
「ううん、なんだかね、わたし、もっとこの街を楽しめれる気がする」
「うん」
「うん」

 * * *

 夜が来て、街はぽつぽつ、ちかちか輝きだす。道を行き交うロウソクの群れが、石畳の道を橋を人をぼんやりと照らす。そこから零れるように、明かりが川へと流れだす。水面は光によって橙に染まる。それが海まで一つのラインを作る。ロウソクを追って陽気に或いはしみじみと歩く人たち、その場所に立っていて移ろう街の明かりにしんみりとする人たち、賑やかな野鳥の串焼きの屋台へと早足する人たち。酒を片手に歌声に聞き入り、爽やかな夜風にお天道様に感謝する。様々な人たちが、ロウソク送りの夜を彩る。明かりは、広い海の浅瀬を点々と漂い、波に洗われ、ぽつりと消える。

〇カボチャ売りとバスケットボール

 髪の先っぽを揺らすような、肌の表面をさするような、淡い風が吹いた。ちょっとした涼しさが、街全体を包んでいく。
 秋の港町には二日ぶりに活気が戻り、メインストリートにはランチへの仲間が話を弾ませ、それは一つ狭い路地に入るたび穏やかになり、それを繰り返すたびに緩やかになり、小さな石畳の道には和やかな空気がぽかぽかとしている。
 その人通りもまばらな小さな道に、グリーン、レッド、クリーム、オータム・リーフの柔らかな色のカボチャたちが、我がもの顔で並んでいる。その中央には荷車と、それに寄りかかるように女の子が一人。スニーカーにジーンズに、ブラウンの半そでに、安物のネックレス。本を脇に顔を沈めて、こくりこくり。

 *

 昨日は今年一番の台風が、大きさは中くらいでゆっくりだけどその風足が一番の台風が、通り過ぎたのだった。女の子の間借りしている家のあちこちは甲高く鳴り、固く閉じた雨戸は揺れ動いた。ぎしぎし、がたがた。漁に出れないでその分酒に注いだおっちゃん達の唄声が混じり、女の子は夜遅くまで眠れなかった。このまま眠れなかったら明日は休もうかしら、と思っていたら、かえってあっ気なく眠りに落ちたのは何だか不思議だ。
 雨雲は青空となり、高く透き通り、嵐はそよ風になり、ゆるりと街角を渡る。隣のブロックからの男達の声は遠くなり、音はまどろんでゆく。女の子はすすきの混じる草原で羊の背に腕を突っ込み、わしゃわしゃとこね回し、両手に羊毛の束を作る。羊は本でしか知らない為か、ホテルのシーツのように真っ白で、犬のようにちっぽけなサイズだ。羊毛が綿あめのように手の周りに膨らんでいく。これを売れば幾らになるのかな、一日何時間こうすればやってけるのだろう、こうやって暮らしていくのもいいかなと、妙な計算を働かせながら、女の子は羊の背を撫でる。
「おいおい」
 と羊が鳴いた。慌てて目をぱちくりさせると、白髪交じりのおじさんが、もみあげ辺りを掻いている。
「たるんどるなあ」
 女の子は口元に手をやり、よだれが垂れていないことに安心すると、おじさんの日に焼けた顔を見つめ
「へへ」
 と笑った。
「たるんどる」
 とおじさんは繰り返す。
「あんまりだらけるとなあ。だらけんでも運の巡りが悪くなると、ああなっちまうぞ」
 おじさんは、一つ向こうのブロックの家と庭を指す。男のしゃがれた声や、「こっちこっち」なんて野太い呼び声が、あちらからここまでうっすら響く。

 *

 女の子はそちらに目をやり、ほうっと息をつく。
「ああ、あの、そこ。いい年した大人たちがね、寄ってたかって集まって。バスケットゴールを家の壁に付けちゃって。なんかね、最初は休日の暇つぶしだったのが、力が入っちゃって、俺はバスケッターとして生きてくんだーって。バスケッターてね。バスケッターよ。はは」
 おじさんはぼうっと道の先っぽを見つめている。
「ああ、知ってる」
 女の子はちょいと恥ずかしく
「ははは」
 おじさんは紅いサッカーボールほどのカボチャをぽんぽんとさわりながら
「あいつら、ウチンチの息子の同級生の弟たちが中心でな。まー、あれでも、小さな船に数が集まって、程度を守って、漁に精進してるよ」
 うんうんと頷いている。
「いろいろ溜ってんだよ。若いからな。おっさんら先輩は厳しいし、シラスはバケツ一杯でこのカボチャ一個にもなりゃしない。都会に出りゃ、これより割のいい仕事は山ほど転がってるわけさなー。こんくらいはさ。ストレスカイショウってやつか。ようわからんけど。夜の街に金を落として、いたずらに潰れてくよりゃマシだろ。暇はつぶれても、金はかからんし」
 女の子はぼんやりと街路を見つめ、ほう、となる。
「へー、けっこう、合理的なんだ」

 無精髭の小太りがシュートの構えをとると、眼鏡のひょろ顔と黒シャツのオールバックが左右からそれを塞ぐ。無精髭は明らかにそれとわかるフェイントを入れ、二人はこれを知りつつどうしても動きにつられる。ボールはバンダナの長身へと緩やかにパスされた。走りながらそれを受け取り、とんとんと惰性でステップを踏み、軽くジャンプして、レイアップシュート。ボールはドカッとゴールの板枠にぶつかり、手製の弾みの悪い板にショックを吸収され、そのままゴールに不器用に落ちていく。
「よっ」
「さー」
 無精髭とバンダナが、ぱぁんとハイタッチする。
 その隙をついて、タンクトップのにやけっ面が
「そっこー」
「あっ、ずりいぞ」

 女の子はわきわきとした声の響きに耳を傾けながら、うなる。
「ああ見えて、いろいろと考えてんのねー、そうか、いろいろとねー、積もるものあるんだ、やっぱ」
「そんなもんさ」
「うーん、青春よねー」
「じじくさいな、女の子だろ」
「うっ」
 おじさんは話を軌道修正しようと少しだんまりの間を置く。それを知っている女の子も、ゆるりとおじさんの言葉を待つ。
「えっとな、そいつらじゃなくて。あの家の、あの庭のこと」
 女の子の所からは道がカーブしていて、その一ブロック向こうのちょっと先。家は木の香りもまだ残っていそうな、新築の面影の最近のもの。庭はサッカーをする程の広さは無いし、正式のバスケットの試合をする程の広さもないが、一つのゴールを巡る所謂ストリートバスケをするには十分だった。
「あー、うん」
「なっ」
 うん、と女の子がうなずく。
「そうだよね、毎日ここでバシバシやってんだもんね。家の人はめーわくで、文句の一つくらい」
「それがな、空き家なんだよ」
「んっ、まだ新しいのに」
「夜逃げしたんだってよ」
「えっ。こんな三階建ての庭付きの家を買って」
 おじさんは何処か遠くの海を見つめるような目で、とうとうと語る。
「その家を作るのに、大分無理して借金こさえてさ。そいでさ。ほら、去年の暮れからこの夏まで、潮の流れが不安定だったろ。失敗組と成功組にわかれるくらい、はっきりしてよ」
「うん」
「うまくいかなくてよ」
「うん」
「そいで海の向こうにトンズラよ」
「そっか」
「まだ若い娘さんがいたのに。ほら、あっちの海岸の茶店の看板娘の」
「ああ、うん、バイトの、笑顔がかわいくて一生懸命だって、みんな、おじさんおばさんたち、言ってた」
「おう、スタイルも良くてな。話し方がおっとりしていて、そのくせ動きや仕草は、はきはきしてて。あの子目当てで通う若いのも、ちらほらとな。そりゃ俺だって。年食っても男だからよ。あー」
「やー、照れてる照れてる。でも、こういうのに、年って関係ないと思うよ」
「これからだってのにな、可愛かったのに、あっちに行っちまった」
「きっと、あっちでも、可愛くやってるよ」
「そうかい」
「そうよー」
 おじさんは息を吐いて、澄んだ空を見て、
「なんか話して楽になったわ。どうもな、嬢ちゃん。あんたも、しっかりやんな。この街に店を建てて、根を下ろすんだろ」

 紅のサッカーボールなカボチャを手にした帰り際、おじさんは思い出したように、でも取って置いたように、
「あんたの話もちょっとしたんだよ。あの娘さんに。変わったカボチャ露天商がいるって。そしたら、何時か会ってみたいなって。そんなこと言ってたかな。ああ」

 *

「たるんでるかぁ」
 女の子は傍らの子豚の貯金箱、ごく稀にやって来る銀貨を腹に収め、少しだけ重くなったそれに向かってつぶやく。子豚は実にのほほんとした目をしている。
「シャキッとしないとね」

 シャキッ。

 台風によって雲を蹴散らされた秋の空は、変わらず水色に透き通っている。雲の流れを追って暇つぶしとはいかない。

 シャキッ。

 男バスケは一先ず休憩のようで、笑い声がぽつぽつ聞こえる。遠くで鳥が、ちぃちぃと高く鳴いた。コツコツとお婆さんが通り過ぎる。

 シャキッ。

 わたしも会いたかったな。何時かコーヒーを飲みに。って高いよねあそこ。「海風煉瓦喫茶店」。コーヒー一杯で満月堂のミートパスタ一人前。でも、景色はいいんだろうな。テラスの風も気持ちいいんだろうな。どんな服を着てたんだろう。制服ってあるのかな。それとも海に合う色にコーディネートしたりするのかな。可愛いって。どんな顔をしてたんだろう。ポニーテールかな、それともショートかな。やっぱり強めの口紅をつけてるのかな。でも、自然なのがいいな。そうだといいな。でも、もう会えないんだよね。あー、ケチらなけりゃよかった。やっぱり財布の余裕よね、商売繁盛よね。がんばらなくっちゃ。

 シャキッ。

 シャキッ。

 シャキッ。

「はいっ、いらっしゃい、こんにちはっ! 今日はこのダイダイの小玉、栗かぼちゃがオススメですよっ。煮ても焼いても、サラダにもオカズにも」
「あの……」
 おばさんはたじろぎたじろぎ。
「いや……」
「何っ。今が旬なの。お値段もぐっとお手頃で」
「いやっ、ちょっと、あの、怖い」
「えっ」
 おばさんは固い笑顔で、ちょっと目線を上げ、こぼす。
「あの、なんというか、気合入れすぎ。マタギに行くんじゃないんだから。なんだか、らしくないよ」
「あっ」
 頬の火照りがさっと引く。
「ごめんなさい」
「いや、別にあやまることじゃなくて。そっ。そう。そんなふうにあやまるのも、らしくないわよー。なんかね」
 カボチャが売れても、何時もの嬉しさは遠くに行ったままだった。

 *

「赤いの」
「え? はい。はいはい。この紅玉。ちょっと古いんで値引きしときます」
 女の子はサッカーボールな紅玉を、ひょいと持ち上げる。
「なに、言ってんの。ボーッとしてんの? 赤いの」
「はい?」
「赤いの。しっかりしてよね。手がふさがってるのに、こんな大きいの持ってけるわけないでしょ。常識的に考えて。こっちよ、こっち」
 ロングの髪のお姉さんは、片手に買い物籠をぶらさげ、もう一方の指先でダイダイの小玉カボチャを指す。
「この赤いの!」
「はいっ、ごめんなさい。失礼しました。ほんとにすいません。いたらなくて」

 女の子はぼうっと空を見上げる。

 なんかいらっとしちゃった。同じカボチャ好きなのに、カボチャを食卓にあげてくれる人なのに、わかってるのに。そのくせ、妙にたどたどと、そう、たどたどと謝って。なんだかな、わたし。

 思考は一巡し、それからまた堂々巡りし。
「んー」

 シャキッ。

「ん〜」

 *

 紅葉の庭に、即席のバスケットコートがある。と言っても、家の壁にバスケットゴールを、それも既定のルールよりも一回り低いところにつけただけの簡単なものだが。

 青年たちが、その前を駆け回っている。リーダー格の無精髭がボールを眼鏡男に回し、ふとコートから出る。少し離れた庭の白草の隅っこに女の子がいて、随分前からじぃっとこっちを見ている。
 無精髭がずいずいとそっちに来て
「なんだい、カボチャ売ってる、ガキンチョか。なんだい。ドタバタと営業妨害だったか? 文句だったら、このゲームが一区切りついてからな」
「わたしのこと、知ってたの?」
「オマエさ、自分で思ってるより有名人だよ。この界隈じゃ。ものめずらしくってさ」
 女の子はちょっと地面へとうつむく。
「でも、勢いだけの見世物じゃ、動物園のパンダじゃ、やっぱいけないよね」
 無精髭は気にも留めず。
「あー、なんだ、そりゃ? なんでパンダ? それよか仕事はどうした。しっかりやらんといかんよ」
「お前こそなー」
「ははっ、言えてる」
 いつの間にか仲間たちは手を止めて、バスケを中止して、女の子の方に集まっている。
「うっせーんだよ」
 と無精髭は笑いながら悪態をつき、女の子へと振り向き、
「だから、お前さん仕事どうした? 台風明けで稼ぎ時、だろ?」
「ううん、本日は臨時休業」
「へー、トノサマ商売だな」
「今日は特別」
「それでさ」
 女の子は小さくつぶやく。
「え? なんだ?」
 女の子はぽつりつぶやく。
「ん? どうした?」
 たまらず。
「だから。わたしも混ぜてっ」
 バンダナが茶々を入れる。
「一日中、店番して本を読んでる、しらうおっ子にゃ、荷が重いんじゃないか。それにワッパが圧倒的に足らんし」
 女の子はひるまず、けれど怒りもせず。
「身長はどうにもならないけど、足腰はこう見えて、荷車一杯のカボチャ運びで鍛えられてるのよ」
 無精髭が半信半疑の顔を寄越す。
「ほんとに?」
「ためしてみる」
「いや、いー。こっちは真剣にバスケしてんだ」
「バスケッターなのよね」
 そんな捨て台詞のようなのを吐いたかと思ったら、それでもそこを去らず、女の子は青年たちのバスケを見つめ続ける。ときどき空気のバスケットボールを掴むような仕草をしながら。

 ダァンダァンと、ボールが弾む。
 我流のドリブルはリズムの変化に乏しく、止められやすい。眼鏡の男のそれはいとも簡単にカットされた。自然、息の合ったパス回しが中心になる。転んだボールをタンクトップが拾う。すかさずパスをする。バンダナはゴール前でボールを受け取り、しゃんと振り返り、ぽんとジャンプして、レイアップシュートが飛び、ゴールへと向かい、白いリングの縁をはねた。
 無精髭がふうと息を吐き、庭の隅っこへと足を向ける。タオルで汗をふきふき、眼鏡の呼び声を無視して言う。
「あー、疲れた。流石に台風で寝不足。しんどいわ」
 タンクトップが笑う。
「んー、らしくねーぜ」
 無精髭も笑いながら、こう言った。
「おい! 変わる?」
 女の子はにんまりとした顔で
「うん、待ってた」

 女の子はがむしゃらに走る。ボールに向かって走る。プレイヤーは見ない。バスケットに限らず球技の多くは、まずはボールに向かって走り、次いでプレイヤーに向かって走り、そしてスペースに向かって走るという成長の過程を辿る。そのもっとも原始的な、非効率的な、素人の青年達も笑ってしまいそうな、素人そのもののランを女の子は繰り返す。
 パシッ。ダダダ。パシッ。ダダダダ。パシッ。
 背丈を超えるパスが何度も通過する。
 青年たちは加減しない。加減を知らない。容赦しない。「うー」と、とにかく駆け回る女の子をからかいながら、パスを回す。
 いつの間にか、4対4のバスケが7対1の形になった。
 女の子が戦略も戦術も知らず、ただ真っ直ぐに突進してくるのを、「カワイコチャン」やら「よいこチャン」やら、からかいながら、茶化しながら、パスを回し続ける。
 男たちは、何だか、闘牛士の気分になっていた。一見ワンパターンに思えるパス回しの連続も、女の子が汗をかきかき、全力で駆けてきて、「こらっ」とか「もー」とか言いながら。その全力にばてない体力と青年達よりも一回り眩しい若さが、アクセントになっていた。
 変に楽しく、女の子が必死で、必死なだけに妙に和やかなムードが、軽く生まれていた。
 バンダナ男がパスをしようとすると、女の子はパスコースを読んで、右側にステップする。慌てて、逆側にやろうとしたら、ボールの掴みが甘くなり、女の子の真正面にボールが飛んだ。
 女の子はボールをキャッチし、にいと笑う。
その手の平にふれたバスケットボールの重さは、ホッカイアマイロカボチャの大きめのサイズのものだった。

 雑誌の広告の写真のフォームを真似し。
 スリーポイントシュート。

 不格好な姿勢から放られたボールは、しかし、それは女が投げるような、男とは違うような、どうとも言えない、低く柔らかな放物線を描いた。
「あー!」
 女の子は、対照的に幼く、赤ちゃんネズミのような声をあげる。
「おお」
 バンダナと眼鏡はボールの軌跡にくぎ付けになり、無精髭は女の子の汗に光る目元を見つめる。
 ボールはクリアな青空をぽぉんと跳び、ゆっくりと白いリングに向かって。

 *

 秋日和が続く。太陽がありがたく、心地いいものになってきた。
「いらっしゃい! おじいちゃん、お久しぶり! 今日は何にする?」
「嬢ちゃんは、今日も元気だなー、相変わらずだなー」
「これでもいろいろあるのよー、いろいろっとね」
 バスケッター繋がりで、カボチャ好きがちょっと増えていた。


ここから短めのを幾つか


〇カボチャ売りと黒猫

 お日様ポカポカ。カボチャころころ。
 日の当たる路地裏でカボチャに囲まれて女の子が一人。うつらうつら舟を漕ぎながら、あぐらをかいている。風はふわふわと吹き、柔らかな栗色の髪を揺らす。
 カボチャたちも心なしか、眠たげな表情で、ごろんと転がっている。

「ニャア」

 のんびりした鳴き声。女の子はくすりと起き、寝ぼけまなこで「にゃぁ」と返事をする。するとでっぷりと太った黒猫が「ニャア」と言葉をラリーする。
 黒猫はそのまま赤玉カボチャと茶玉カボチャの間に空いたスペースに陣取り、ぐでんと座り、次いですやすやとする。それを見届けると女の子もすやすや。

「おぉい」

 今度はしわがれた呼びかけだ。浅黒く日焼けした老人が、穏やかな笑みを浮かべながら、女の子を見下ろしている。

「ん〜」
 なんて生返事をしながら、女の子は商人らしいスマイルをして
「おじさん、お久しぶり! 今日は何にする? ヒメカボチャ? ドデカカボチャ?」
 老人は少し首をひねり笑いかける。

「じゃ、こいつ、幾らだい?」

 指さされたのは、すやすや黒猫。日溜まりの中、丸くなっている。ひげが少しピクリと動いたのは気のせいだろう。

「そうねぇ」
 女の子は愛しそうに黒猫を見つめ、次いで視線を宙に走らせ
「非売品ってことにしたいけど。おじさんが大切にしてくれるなら」
 ううんと伸びをして、顔をむずむず。
「えい! 時価500円!」

 老人は笑いながらこんな感じに。
「ちぃと高いが、買ってみるか」
「うん」

「そんで猫鍋ってどうやって作るん? うまいんかい?」

 女の子は慌て起き上がり。

「たったた、食べちゃダメよ! 食用じゃないんだから。ネコちゃん、こんなにカワイーし、丸々してるけど、ふわふわ毛並みだし。えと、おじちゃん、お腹壊しちゃうし」

 ささやかな冗談への、女の子の大きなジェスチャーに、黒猫もパチリ。ゆっくりと起き上がると、何事も無かったかのように、のそのそと歩き出す。
 女の子と老人は、それをただ見つめながら、同時につぶやき合う。

「よかったぁ」
「まっ、それが猫ってもんだ」

 暖かな午後の太陽を浴びて、黒猫は次の昼寝場所へと姿を消す。次いで老人が反対方向に、大玉カボチャをぶら下げて、ふらふらと歩む。

 女の子は満足げに頷いて、次いでまたうつらうつら。



〇カボチャ売りとモンシロチョウ


 赤緑黄のカボチャに囲まれて女の子が一人。
 暖かな日差しに、くくっと伸びをする。あくびまでおまけについてくる。

 モンシロチョウがひらりひらり。緩やかに飛ぶというよりは、舞う。というより浮かんでいるような。
 女の子は朗らかな笑みを浮かべ、「わたしにもこんな羽があったらなぁ」なんて思う。あっちの宿屋にカボチャを運んで、あっちの喫茶店にカボチャを運んで、あのお爺さんにカボチャを運んで。
 それで帰り際に夕日に染まる街を見下ろして。そのまま星空へと一旅行するのも良いなぁ。天の川をぷかぷかと揺れて。

   *

 そんなことを想っていると、そのまま時は日没へ。

「今日はお客さん、来なかったなぁ」

 なんて、それでも足取りは軽く、カボチャ売りの女の子は家路に着く。
 海風は心なしか追い風となり、女の子を進めるサワサワとした音を立てる。


〇雨降りとカボチャ売り


 雨アメザアザア。一昨日から降り続けている雨は、今も港町をぬらし続ける。
 弱いしとしと雨だが、こうも続くとカボチャ商売アガッタリだ。

 女の子は軒の日さしの影で降って来る雨をしのいだが、地面を弾く雨粒がぽちゃぽちゃ靴やズボンを濡らすし。雨漏りの雨だれが、時折、茶色の髪を濡らすし。ティシャツ姿では少し寒いし。
 それとお客さんがやって来ないし。

 女の子は雨がカボチャだったらと思う。曇り時々カボチャ。天からカボチャが次々と振って来る。
 各家庭フルレパートリーの料理でも追いつけらない数のカボチャたち。

 ん? 待って? と女の子は夢想を中断し、ちょっとリアリストになる。

 カボチャが石造りの家々に降って来る。はるか高い雲から。ヒュー、ドカーン。街はカボチャに破壊され、大パニックだ。
 通行人Aなど、頭の打ちどころが悪ければ、ヤラレテしまうかもしれない。連続カボチャ殺人事件だ。今読んでいる本がアクションサスペンスだからだろうか。カボチャウォーズ?、カボチャ王子の復讐、のような夢すらも見てしまった。
 やっぱりそこはカボチャジュースまでよね。なんて一人納得していると、買い物かごを抱えてオバチャンが一人。久しぶりのお客さんがやって来たようだ。


〇カボチャ売りとベテランカメラマン

 梅雨の終わり。港町に台風がやって来た。メインストリートの家々は戸を閉じ、平時はお祭り騒ぎの酒場もしぃんとしたものだ。

 ただ、この時に特別に賑わうところがある。
それが海岸の水際。そこには荒波を待っていたサーファー達が集い、一日限りの夢の飛沫に心を躍らせる。
 カメラマンもまた夢想に胸を弾ませながら、豪雨と大波に彩られた海へと向かう。

「最高のサーファーの姿を撮るんだ!」

 威風堂々と鈍色の波へと向かい、それを征しようとする中年。ニヒルな含み笑いと悲壮な決意を秘めた髭面。瞬間の波乗り。最高潮。次の瞬間、波に飲み込まれる。その直前を切り取った一枚。

「ベストショットが撮れた!」

 カメラマンは確信し、夢はどこまでも広がる。あの雑誌のカラーページに、表紙に、往時と同じような誰もが憧れるカメラマンに返り咲く。

 嵐は収まらず、カメラマンは港町の安宿に留められる。焦れったい。妙に重い毛布が、風の音が、止まらない想いが、カメラマンに寝付くことを許さなかった。

   *

 台風一過だ。嘘みたいに晴れた空に、何時もを取り戻した人々の往来。カメラマンはそれに少し退屈したのか、メインストリートから小路へと足を運ぶ。
 そして当然のように観光地化していない、石畳の道々に迷子になる。何時か大きな通りに当たるだろうと思っているうちに、随分とひなびた場所に入ってしまった。少し後悔していると、ふと甘い香りがふわり。



 見るとスイカのような大玉からソフトボールのような小玉まで、カボチャがオンパレードだ。ブラウン、グリーン、オレンジ。そのカボチャのパレードの中心に女の子が一人。白の半そでにインディゴの半ズボン。日焼けした栗色の髪に、手元の本へと一心に集中し、輝く瞳。ゴザに座る女の子とカボチャに向かって、カメラマンは思わずシャッターをパチリ。何だか不思議な気持ちで一杯になる。

「なぁに?」
 女の子がそのままの眩しさで、カメラマンへと目を向ける。
「いや、ちょいと写真を」
 カメラマンは何故か後ろめたくなり、あたふたする。

「じゃあ、撮影料、一枚百円ね!」
 なんて澄ましたポーズで笑う女の子。仕方ないなと思いつつ、どこかワクワクするカメラマンだった。カメラマンはモデル代と一個のカボチャ代とで千円分の銅貨を払い、港町を去った。

   *

 荒波サーファーの一枚は、確かに久しぶりのカラーページを飾ったが、それはカメラマン本人にとって、妙にけばけばしく……派手過ぎるフィルターが透けて見える気分にさせるものだった。

 逆にあの時のあの一枚は、余りに自然でありふれていて、なのに、そのありふれ方が、何というか素敵だった。

 だけどカメラマンはそれを何処にも発表するつもりはない。いや、あの女の子の夢が叶うずっと先の日、そのカボチャショップにさり気なく飾られるように送ろうか。

「ザンネンでした。あたし、センゾクモデルになるつもりはないの。この街にカボチャショップを建てないとね。そんな暇はないのよ。一階はカボチャ売り場で、二階はカボチャ料理屋で」

 飛び切りの笑顔を見せてくれた。その目にしか焼き付けきれない笑みを。

「何時か、おじさんにカボチャアイス、サービスするわね」


〇カボチャ便り

 拝啓 名も知らないカボチャ売りの女の子へ

 果たしてこの手紙は届くのでしょうか?
 何せ住所など、わからないのですから。船乗りからの人伝えで届けば良いのですが……。いえ、届くと信じています。キミはどうも街の人知れぬ名物のようですし。

 キミを見かけたのは、町はずれの小さな通り。イエローにブラウン、それにレッド。鮮やかなカボチャの中で、紅に染まった頬が一層キラキラしていましたっけ。

 物珍し気にわたしが覗いていると、キミは百倍になった笑顔で、「あら、ご新規さん。キレー。かわいーー。くりくりおめめ!」なんて、語りかけてくれましたよね。今思えば、商売人のお世辞トークだったのかもしれませんが、わたし、とっても、勇気づけられたんです。わたしは名の売れないダンサーで、そのままこの港町の安いPUBで、一生を終えるのかなとか思っていて。だから勧められるまま、カボチャ初心者フルセットを買ってしまったのです。あとで両腕が筋肉痛になっちゃって。ダンサーなのに。ちょっと後悔したけど。「キレー」だなんて。

 あれから何度か通っているうちに、キミは将来の夢についてのんびりと、でも元気いっぱいに語ってくれましたよね。この町にカボチャ専門ショップを建てる。なんてね。ふふ。




 途方もない夢を純粋に語るキミの瞳につられてか、わたしも語ってしまいました。大都会の一流のダンスフロアで何時か踊りたい。ミュージカルにも参加したい。そして名を広めて、世界の町々にツアーに行きたい。トップダンサーになりたい。

 さよならの時に、あなたは微笑んでくれましたね。バイバイの代わりに、「色んなカボチャ食べれるんだ、うらやましー」なんて。

 あれから7年が経ちました。楽しいこと、嬉しいこと、色々とありました。悲しいこと、辛いことも、色々ありました。




 わたしは一流にはまだまだだけど、どうも成れそうもない見切りがついてしまう三十路になってしまいましたけど。

 ジャジャーン(*^o^)

 なんと、この港町で一番おっきなダンスフロア、「ヴィラージュ」で凱旋公演が出来るまでになりました。楽しいこと、嬉しいこと。もちろん一杯ありましたよね。あなたにもきっと。公演は来月のクリスマスイブ夜7時からです。

 チケットを同封します。是非、是非!

 それからあの日から今日まであった沢山のことを語り合いましょうね。

 それでは、お手紙が届くことを信じて。
 see you again!

 カボチャ売りの女の子はくすりと笑い、わたしの夢はまだまだ遠くだなぁ、なんて思いながらも。久しぶりに会うだろう優しくて、でも情熱たっぷりの子と再会するのを楽しみに思った。


〇カボチャ虹たんけん

 すっごい通り雨だった。
 カボチャ売りの女の子の髪もビショビショ。シャツなんか、絞れば、雑巾みたいに水が出るくらいまで濡れてしまった。

「やーねー」

 雨も去って、青空の中なのに、カボチャ売りの顔は曇りがち。

 だったのが、パッと晴れた。ダイダイ、イエローを光らせた虹が空にかかっているのだ。

 女の子はある日、老婆からこんな伝説を聞いていた。
 虹の根元には、虹のカボチャが眠っている。掘り出すと宝石のように輝き、食べると不老長寿になるそうな。
 チョージュには興味ないけど、虹色のカボチャスープを作ってみたいと、女の子は思った。それで、みんなでゴチソウなんて。

 そこで探検だ!

 まずは食糧。豆カボチャをぶつ切りにして、生カボチャサラダを作る。
 次は山登りグッズ。近くのクマおじさんから借りようとしてみたが、「子供用のは無いね」と一断り。
 しょげて、でも、「自力でなんとかなるわ。まだ若いんだから」と気合を入れ直して、空をきりりと見つめる。
 するとそこにあった筈の虹は、キレイサッパリ消えていた。

 タイムオーバー。

 虹は儚く消え、夕焼けが迫っている。
 女の子は「次こそはー」なんて考えて。
 すると、あれだけ嫌だったはずの雨が、もう楽しみに思えてしまうから不思議だ。

えんがわ 

2021年06月28日(月)13時41分 公開
■この作品の著作権はえんがわさんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
自分なりに書いて来たものを、一つにまとめました。
不細工ですが、愛着のある文章です。

あなたの目にはどう映りました?


この作品の感想をお寄せください。

2021年07月21日(水)11時05分 えんがわ  0点
>一部の文章に関しては、かなり説明過多・過剰な修飾語を使っているので読みにくいです。

ここですよね。自分でも反省しないといけないところは。
なんか力が入りすぎているというか。

>物語として言うと、カタルシスがほぼなく、作品通しての成長・変化もあまりない……。

カタルシスとかは、あまり意識していません。
ただ、それが無ければ物語として読んだときに、飽きたり、詰まらなくなるのかなと思ったりしました。ただ、ほんの些細な出来事でも、波のようなさざ波のようなものを立てられたらなと思ってましたが。それが失敗しているのでしょう……

詩は自分もよくわからないのですけれど、確かに詩的と言われると嬉しいものですよね。
でも、短歌や俳句にあるように、無駄をそぎ落として書かないと伝わらないのかなと思いました。

でも、自分はそういう無駄な部分も含めて自分だと思うので、やっぱりこういうのを書いちゃうんだろうなー。


ライトノベルらしさ、ごめんなさい、最近ラノベ読んでないんです。
大昔にロードス島戦記とかスレイヤーズを読んでいた覚えがあるんですが。

だからここに望まれる文章ではないと思うのですけれど、厳しさの中に愛のある批評をいただいて、嬉しいです。

感謝! です。
68

pass
2021年07月20日(火)16時58分 大野知人 dEgiDFDIOI
 これさ、詩や小説ではあるけどライトノベルじゃないし、物語でもないよね。
 という訳で点数評価は±0点を付けたんですが。

 描写力はとても高いと思います。
 一部の文章に関しては、かなり説明過多・過剰な修飾語を使っているので読みにくいです。

 物語として言うと、カタルシスがほぼなく、作品通しての成長・変化もあまりない……。っていうより、ほぼ情景描写で完結している感じなので物語としては限りなく低評価だと思われます。
 
 詩としての評価は……。専門じゃないので何とも言えません。ただ、詩的表現とするには情報が氾濫しすぎていて、感情に響かせずらくなっているように思います。

 批評、という事なので問題点大目に描きました。
 執筆、お疲れ様です。
57

pass
2021年07月05日(月)13時22分 えんがわ  0点
>カイトさん

やはり鋭い読み手さんは気づいてしまうのですね。
ご指摘のように、これはだいぶ前からちょっと前までの間、寝かせていた短編と掌篇を中心にまとめたものでして。

纏め方も強引で、ちょっとこれは……長編になってませんよね。

でも、この港町シリーズは書き続けるのさー、一生さー、とか思っていて、
その中でピーターパンシンドローム、ずっと成長しない女の子でもそれでいいし、
それで描けなくなったら、少し年を進めてみようとか。

今回は短編を纏めてこの間に入ったらどんな化学反応をするのかな、と思って投稿して。

>読み進めるうちに「これってなんの話なんだっけ?」と少しずつ疑問が生じてきました。

これがその化学反応だったら、だめな感じですよねー。

んー、長編にはならず、短編集になっちゃったのか。

>「雰囲気で読ませる心地よい話、寝る前に読むといい気分で寝れそう」

でもこのお言葉をいただいて、とても嬉しいです。
自分もそういう本や漫画やゲームが好きなので、すっごく嬉しいです。

まだまだ目指す高見は遠いけれど、少しずつ、歩めたらな。
65

pass
2021年07月05日(月)00時49分 カイト  +20点
はじめまして、カイトと申します。

とても好きな雰囲気のお話でした。映像が浮かぶような、それでいてくどくない描写で、主人公の「女の子」は読み進めるうちに自分の中でのビジュアルがどんどん定まっていきました。
視点がどんどん変わるところから、特に桜を見にいく話ではなんとなく漫画的な印象を受けました。かといって読みづらさはなく、読んでいて心地よかったです。

一方で、読み進めるうちに「これってなんの話なんだっけ?」と少しずつ疑問が生じてきました。タイトルの通り「港町に住むカボチャを愛する女の子の話」なんですが、それ以上のものが感じられなくて。だからすみません、ロウソク送りまで読んで止まってしまいました。この先の展開に何か動きがあるのかもしれませんが、あるとしたらちょっと遅い気がします。
一つ一つの話を1日1話ずつ読む、とかならとても良質な短編なのですが、連作として読むとまとまりに欠け、「結局なに?」となってしまいます。何か一貫したテーマ、「カボチャ料理の紹介」とか、「夢実現のための貯金」とか、そういったものを毎話さりげなくアピールした方がいいのかなと思いました。

それと、花見の回で「コロッケ一個六十円」とあったんですが、これって現代日本の話なんでしょうか。でもその後「銅貨」と出てくるし、その辺がちょっと曖昧かなと感じました。混乱ほどではないですが。

なんにせよ、「雰囲気で読ませる心地よい話、寝る前に読むといい気分で寝れそう」という印象でした。
良いお話をありがとうございます。
59

pass
合計 3人 20点


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