君のとなり 前編 |
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プロローグ 『大丈夫ですか?』と彼女は言って 「あ、やば……」 放課後のバイトを終え、自宅アパートへ向かって歩いていた佐崎航(ささき わたる)は強い目まいを覚えて、道路へ膝を突いた。 メイビーとグリーンのスクールスラックスが視界の中で歪み、胃が鈍痛を訴える。 「しまった……。昼をもう少し、食べておけばよかった……」 遠ざかっていく意識の中、眉根をしかめながら、そんなことを思う。 特に食欲がなかったワケではなく、何となく、「まあ、今日はたぬきそばだけでいいや」と昼食を簡単に済ませたのがよくなかったようだ。 幸か不幸か、今日はバイト先で急な欠勤が出たことにより、仕事量も増えてしまった。 だが、頼られて悪い気もしなかったから、ガラにもなく張り切ってしまったのだ。 手当は出るし、断る理由もなかったから、色々と安請け合いした部分もあったし、それは反省しなければならない。 などと考えていると、「ぐらり」と身体が前へ向かって倒れそうになるのを自覚する。 「まず……。ここ、アスファルト……。正面からは……」 以前、全校集会の体育館で、皆が起立する際、貧血で倒れた男子生徒がいたことを思い出す。 彼は、無抵抗に顔面を床に打ち付けた後、額に大きなアザを作っていた。 増して今、自分がいるのは、陽が沈みかけた人通りのほとんどない歩道だ。 膝を突いた状態からとは言え、タンコブ一つで済みました、とはいかないだろう。 「……っ!」 すぐに来るであろう激痛に備え、航は歯を食いしばる。 だが直前で、道路と自分の身体の間に誰かが滑り込み、それは回避された。 「だ、大丈夫ですか?」 航の視界は、ほとんどが疲労の作る黒い沁みで満たされてしまっていたため、誰なのかは分からないが、女性の声だった。 というか、若い。 顔を埋めているのであろう彼女の肩口は暖かくて、少し狭い。 倒れ掛かって来る体重を支えるのに懸命になっているらしく、若干フラフラしているが、彼女は道路へ両膝を突き、腰を据え直し、徐々に安定感が出てくる。 「すま……ない……」 航は曖昧な意識の中、何とか気持ちを口にした。 できるだけ早く立ち上がりたいところだが、身体が言うことを聞かず、思うように動けない。 その様子を察した少女が、心配そうな口調で言った。 「む、ムリをしないでください。……救急車、呼びますか?」 「いや……。じゃあ、俺の……ショルダーバッグから、スポーツドリンクと、ゼリー飲料を取って……くれないか?」 「は、はい……。分かりました」 少女は、航の顔を自身の左の肩口に収め、その身体を支えたまま、道路に転がっていたショルダーバッグへ手を伸ばそうとする。 航としては、「いやいや、俺は適当に道路に転がしていいから。態勢にムリがあるって」と言いたいところだったが、少女の口調は至って真剣だったので、何も告げることができなかった。 少女は見ず知らずの人間のショルダーバッグを開けることに躊躇したものの、それを開けて、中からペットボトルとゼリー飲料を取り出す。 「あの、近くの公園へ移動しませんか? ベンチもあるから、楽になれるかと……」 「いや、公園へは行きたくないんだ。ここでいい」 「……? 公園へは、行きたくない……ですか?」 航の返答に少女は戸惑いを見せたが、無理強いはせず、ペットボトルの蓋を開けようとする。 だが態勢が悪いし、身体と左腕で航を支え、右手でペットボトルを持っていたため、それもままならない。 少し回復した航は苦笑して身体を離し、尻もちをついて浅い呼吸と、深い呼吸を何度か繰り返す。 航は軽い頭痛を覚えながら、呼吸がままならないというのは、もどかしいなと思った。 「ありがとう。大分楽になったから、大丈夫だよ」 そう言いながら、航は道路沿いのガードレールへ背中を預けて座る。 少女は不安げな目でこちらを見ていた。 航は改めて、少女の姿を確認する。 ぱっちりとした大きな瞳に、しゅっと細く長いまつげ。 人の良さそうな丸顔で、頬は柔らかそうで瑞々しい。 体格としては標準なのだが、腰まで伸びた長い髪は両サイドへ末広がりとなっているため、シルエットの印象には親しみやすさがあった。 そして、その見慣れたブレザー姿に、航は思うところもあったのだが、今はそれをつっこむ時ではないと判断する。 少女がペットボトルを航へ差し出した。 「どうぞ」 「あ、ああ……。うん」 航はそれを受け取り、口へ運ぶ。 続いて、ゼリー飲料でエネルギーを補給し、一息つく。 四月も半ばを迎え、道路の目立った雪は溶けたとはいえ、足元にはまだ冷気が残る季節だ。 律儀にも少女は視線を合わせ、膝を突いたままなのだが、航にはそれがどうにも心苦しい。 少女は学生用のスカート姿だ。 裾が汚れるし、黒タイツを着けているものの、膝だって痛いだろう。 空を見上げれば、既に夕日のオレンジは去り、夜の青みが滲み始めている。 航は、「自分で感じているより、時間が流れたのかもしれない」と思う。 身体が落ち着いたのを感じながら、航は少女の顔を見て言った。 「ありがとう、助かった。……ここ、俺のアパートも近いから、家族に迎えに来てもらうよ」 少女は、ほっとした表情を浮かべて微笑む。 「なら、良かったです。突然、足の折れたカカシみたいに倒れたので、びっくりしました」 「あー、それは、やばい倒れ方だな……。絵面としては面白そうだけど」 少女は、口元に手を当てて笑う。 「ふふっ。不謹慎ですが、確かに」 「動画って、対岸の火事だから見ていられる面あるよな……」 「……本当に、もう大丈夫みたいですね?」 航はひらひらと手を振り、表情を緩ませる。 少女はそれを見届けて一度、頷いた。 「では、私は行きます。今後は気を付けて下さいね?」 「ああ、肝に命じるよ」 少女は航の返答に満足げに目を細めた後、背を向けて去って行く。 航はその背中が視界から消えるまで見つめた後、もう一度ペットボトルを口へ運んだ。 「奇特な人もいたもんだ……。いや、まあ、助けられた人間がそういう言い方をするのは、よくないか。けど……」 航は周囲を見渡す。 そして思う。 どうして、彼女はここにいたんだろう? 自分は家が近いから当たり前だが、この周辺はスーパーやドラックストア、コンビニなどのある場所からも距離があり、田んぼ道と公道の入り混じる寂れた街路だ。 人通りも少なく、知っている人、用事のある人以外は近寄ることもない、そういう場所。 だからこそ。 「どうして制服のまま、こんな時間に、ここを歩いていたんだ……?」 その問いに答えてくれる人間はいない。 その疑問はただ、うつろに空へ浮かび、消えるだけだ。 長く道路に座っていたため、寒気に濡れたスラックスだけが、航の五感に刺激を与える。 「まあ、今は悩んでも仕方ないか。 ……ん?」 そこまで言った航は、足元に落ちている手帳に気が付き、視線を落とす。 少し危ない手つきでそれを拾い、表紙を確認した。 「これ……生徒手帳?」 身体を支えた時、ポケットかどこかから落としたのだろう。 凝った装丁と学校名には覚えがあるので、返すこともできるだろうと航は判断する。 「とりあえず妹に電話しよう……。助けられて風邪ひいたんじゃ、それこそ身もフタもないし」 航はそう言ってポケットからスマホを取り出し、電話帳を立ち上げた。 第一章 すれ違いと勘違いの最初の事件 「三年C組の椎名美桜(しいな みお)っと。同級生なんだな……」 翌日。 早春の肌寒い風が吹く中、コートを着込んだ航は、登校しながら件の生徒手帳を手に呟く。 航の通う京塚(けいづか)高校は地方の公立校で、地元育ちの人間の多くが在籍し、学生数もそれなりのため、通学路には学生の姿が目立つ。 とはいえ、まだ四月半ばなので、周囲を歩く新入生達の不安は解けておらず、肌に絡みつく緊張感に航は苦笑してしまう。 「そんなにピリピリする必要もないと思うけど。まあ、人間関係ができあがってなかったら、そんなものかな……」 そんなひとり言を漏らしながら少し古びた校内へ入り、床の湿気に足を取られないようにしながら、三年生の教室のある三階へ向かう。 A、Bと並ぶ教室を横切り、目的のクラスの入り口へたどり着いた。 そして、モコモコになるまで巻いた首のマフラーを解く女子生徒へ声をかける。 「すまん、椎名はいるか?」 「え? 椎名さん?」 なぜか女子生徒はぎくりとした表情を浮かべた後、教室を見渡し、首を左右に振った。 「まだ、登校してないのか?」 「ううん。彼女、いつもホームルームが始まるギリギリまで教室にいないから……」 「いない……?」 それはまた、どうしてだろう? 航は、そんな疑問を抱きつつ、問いを重ねる。 「どこにいるかとか、分かる?」 女子生徒は少し難しい顔をした後、たどたどしい口調で答えた。 「多分……図書室だと思う」 「分かった、ありがとう。行ってみるよ」 航は礼を言って、踵を返す。 図書室への廊下を歩きながら、スマホで時刻をチェックする。 「まだ朝のホームルームまで時間があるし、生徒手帳を返すていどのことはできそうだな……」 航は口元へ手を当てて、考える。 さて、人によってはダルくて、ダルくて仕方がない朝に図書室か。 朝の図書室ですることと言えば授業の予習だが、クラスメイトの表情から、そう簡単に結論付けられない気がする。 何かわざわざ出向く理由があるのかもしれない。 そんなことを考えている間に、図書室へたどり着く。 「えっと……」 案の定、朝の図書室にいたのは、彼女一人だ。 窓際の席で、ぽつねんと座る彼女の背中は、どこかもの寂しく、昨日見せていた快活さというか、明るさは影をひそめてしまっていた。 ただ、シャープペンを持つ手元は忙しく動いているので、目的もなくここにいるというワケでもないらしい。 少し安堵を覚えながら航は声をかける。 「おはよう。予習か?」 「きゃっ!?」 突然、背中からかけられた声に、その身体と毛先がビクンと飛び上がる。 驚きを頬に滲ませ、振り返ったのは紛れもなく昨日の少女だ。 「あ、貴方は……?」 怪訝そうな表情に、航は少し苦笑する。 「昨日はどうも。助けてもらった礼と、落とし物を届けに来た」 「昨日……? ああ、夕方の」 少女は合点がいった様子ではあるが、警戒を解かないまま、航を睨む。 航は、「そんな怖い顔しなくても」と感じつつ、ポケットから生徒手帳を取り出した。 「足元に落ちてたんだ。椎名美桜……三年C組の十七歳と」 少女……美桜の頬が真っ赤に染まる。 「か、勝手に開いたんですかっ!?」 「あ、ああ。誰のものか分からないと、届けようがないし」 「か、返して下さいっ!」 美桜は航の返事を待つことなく、ひったくるように生徒手帳を取り上げ、ポケットへしまう。 その様子に航は内心びっくりしながら、話題を変えた。 「ま、まあ生徒手帳はこれで返したとして……。改めて、俺は三年A組の佐崎航だ。……昨日はありがとう。おかげで風邪をひかずに済んだ」 美桜は机の上の、付箋がたくさん付いた分厚いテキストを畳みながら、立ち上がる。 航に背を向け、刺のある口調で答えた。 「それはよかったです。時期が時期ですから、氷像になられても困りますし」 「いやまったく、笑えない冗談だ。あのまま誰も通りかからなかったらと思うと、背筋が凍る」 「そうですか。それは何よりです」 美桜は口早に言ってテキストをショルダーバッグへ入れ、図書室の出入り口に向かう。 図書室の壁掛け時計へ視線を向ければ、針はホームルームが始まる時間に迫っていた。 航も、ゆっくり喋っている暇はなさそうだと判断して、その背を追う。 「あの、一緒に来るんですか?」 「一緒も何も、三年生の教室がある場所は同じじゃないか」 図書室を出て並んで歩くと、美桜は少し不機嫌そうな口調になる。 「……少し、時間を置くとか」 「それだと、俺が遅刻する」 「ええと、なら……」 なおも理屈をゴネようとする美桜に、航は違和感を抱いた。 昨日の彼女は、もっと友好的というか、柔らかな印象だったのに、なぜ今日はこんな態度なのだろう? ある程度、外でネコを被っていることは誰にでもあるだろうが、邪険にされるほど何かをした覚えもない。 となると。 「……? どうしたんですか?」 突然、立ち止まった航へ、美桜が眉根を寄せて見せる。 航は傍の窓を開け、外へ向かって息を吐いた。 「いや、まあ、遅刻くらい、いいかと思って。事情は分からないけど、考えてみれば、親しくもない男子に隣をウロウロされるのも面白くないだろうし」 「あ……」 その言葉を聞いた美桜は視線を背け、気まずそうに何度か口元をモゴモゴさせる。 次に少し俯き、前髪で目元と一緒に真意を隠してしまった。 航は何度目かの苦笑をして、口を開く。 「気にしなくていい。初めての遅刻ってワケでもないし、四月から優等生だと思われると、その方が窮屈だ」 航の発言に美桜は一瞬きょとんとしたが、やがて小さく笑った。 「なんですか、それ。不謹慎です」 「真面目だと思われると、疲れるじゃないか。最初の印象は悪い方がいい」 「なるほど、それは一理あると思います」 そう言って目を細めた美桜の表情が、昨日のそれと重なり、航は少し安心する。 「ま、そういうワケで、俺は尊い犠牲になるよ。椎名は気兼ねなく教室へ戻ってくれ」 「それ、自分で言うセリフじゃありませんよ? 後、悪い印象は改善するよう努めてくださいね? 変えるつもりがないなら、それはただの嫌がらせです」 航が目を丸くすると、美桜は得意げに笑い、背中を向けて去って行く。 航は改めて外の青空を見ながら、素直な疑問を口にした。 「生徒手帳は返せたから、いいとして。……なんで、椎名は敬語で喋るんだろ?」 もちろん、答えるものはいない。 代わりに、視界の端で白い何かが揺れていることに気付く。 「廊下に何か……?」 美桜の歩き去った後に、一枚のプリントが落ちていたのだ。 航はそれを拾い、目を通す。 「これは椎名の数学のテスト? 図書室で予習してたのか……?」 航は、その内容に思わず顔をしかめて、口元へ手を当ててしまう。 「しかし、これはどうすれば、正解なんだろう……?」 「どうしたよ、珍しく難しい顔をしてるな」 それから迎えた昼休み。 昨日の反省を活かし、ハイカロリーな大盛りポークカレーを食べていた航に同行していた友人が問いを投げかけた。 航は口の中の分を咀嚼し、飲み込んだ後、首を捻る。 「いや、思いもしない形で女子生徒のナイーブなところに触れてしまって、どうしたらいいのか悩んでるんだ」 「は? なんだ、そりゃ。セクハラか?」 友人こと、森嶋凌太(もりしま りょうた)はラーメンを食べながら、からかいを含んだ表情を浮かべた。 筋骨隆々とまではいかなくとも、恵まれた体格を持ち、前年度はバスケ部でエース級の活躍を見せた逸材だ。 顔立ちも整っており、むさくるしさのないイケメンで、部活に所属していない航と基本的に接点はない。 だが航が、ぼーっと歩いていたりすると、その社交的な性格から、声をかけてくることがあり、今、食事を共にしているのも、彼の誘いがあってのことだ。 航は一口、水を飲んでから答える。 「セクハラじゃない……と思いたい。けど、こういう世の中だからなあ。何がハラスメントになるか分からないし」 「そうだな。親父なんかは、うかつに女性社員の見た目も褒められないって嘆いてた。何が切っかけで訴えられるか分からないとか」 「辛いなあ……」 航は思わず胃に痛みを覚え、その場所を撫でてしまう。 「航が相手にしてるのも、そういうハラスメントお化けなのか?」 「いや、そんなことはないと思う。なんだろ、うまく言えないけど、ピースが揃ってないから断言できないだけって感じ」 「ふーん? そいつの名前を聞いても?」 航は頭の中で昨日の出来事と、生徒手帳、クラスメイトの女子の対応、図書室にいた時の状況を並べ、首を左右に振る。 他言しない方がいいと考えた上での対応だったが、凌太も、「そっか」とだけ頷いて、追及はしてこない。 「とはいえ、困ってもいる。返さないワケにはいかないモノだし、だけどデリケートな部分でもあるから、不用意なこともしたくない」 「メンドクサイ状況になってるんだな」 「まったくだ。昨日と今日とで、彼女の態度に違いがなければ、迷いもしないんだけど」 「いや、メンドクサイのは航の方だ」 「え?」 予想していなかった指摘に、航は目を瞬かせる。 凌太は腕を組み、ハシを口の端に咥えて言った。 「いろいろ欲しがってるのは、航の方だろってハナシ。手に素材はあって、もう賽は投げられてるんだろ? なら、次にどうするかはツボ皿を開いてから、考えればいい」 「確かに。ゴネるのも、ケチをつけるのも、結果を見てからじゃないと、どうしようもないな」 航の答えに凌太は満足そうに歯を見せて、笑う。 「ズルく、図太くいこうぜ? それが対人戦の醍醐味だろ?」 「さすが、全国レベルは言うことが違う」 「おう。相手のレベルが高くて困った場合、大体は自分のレベルを上げるだけじゃ足りないからな。からめ手を使って、相手のレベルを下げる努力をするのも一つの方法だ」 「何て、ひどいことを」 「わはは、全くだ。まあ、バイトがヒマな時、試合、見に来てくれよ。星のつぶし合いを見るのは楽しいぜ」 凌太はそう言って、ラーメンのどんぶりを手に持ち、立ち上がる。 手をブラブラ振って、去って行く背中を見ながら航は、「ふむ」と顎に手を当てた。 「素材はあって、賽は投げられている……か。まあ、なら、できることは一つだな」 手早くポークカレーを口へ運び、乱暴に咀嚼して飲み込んだ後、航も立ち上がる。 「突撃あるのみだ。決戦は、放課後だ!」 そして航は、ぐっと拳を握り、意気揚々と歩き出した。 「えーと、椎名は……?」 一日の授業を終えた放課後、航はテスト答案を手にC組へ顔を出す。 朝と同じく、モコモコなマフラーを首に巻いていた女子生徒が航に気付き、顔を上げた。 「あ、えっと、朝の……?」 女子生徒はマフラーを巻く手をいったん止めて、航の方を向く。 彼女は航の目的を察したらしく、教室の中へ視線を巡らせた後、窓際の前から三番目の席に座っていた美桜の背中を指差した。 女子生徒の表情には、やはり気まずさがあり、航は首を傾げてしまう。 イマイチ、このクラスでの椎名の立ち位置が見えないな、と思う。 とは言え、今、それをどうこうつっこんでも仕方がなさそうなので、航は、「ありがとう」とお礼を言って、美桜の席へ向かった。 「椎名、あのさ」 航は手を上げて話しかけようとしたのだが、椅子に座る彼女の背中から不穏な雰囲気を感じ取り、足が止まってしまう。 空気が重く、話しかけづらいオーラが出ていたからだ。 美桜の正面に、ショートカットの小柄な女子生徒が座っており、彼女は暗い表情で俯いたまま、視線を手元へ落としている。 そんな女子生徒に、美桜が柔らかな口調で声をかけた。 「内海(うつみ)さん、大丈夫ですか? 顔色が悪いです。何か暖かいものでも飲みますか?」 内海と呼ばれた女子生徒は、美桜の提案に首を左右に振るが、すぐに席を立ちそうな様子もない。 お腹の中に納め切れないものはあるが、なかなか言葉にできないような、そもそも口にすることをはばかっているような……そんなイメージを航は抱く。 彼女はためらいがちに視線を上げるが、自信がないらしく、すぐに左右に瞳が揺れてしまう。 航は、「椎名は、何か相談でも受けているのか?」と思いながら、周囲へ視線を巡らせると、クラス全体の雰囲気自体が、ぎこちないことに気付いた。 「これは何と言うか……。何かあったやつだな……」 航は、いろいろと噛み合わないものを感じつつも一旦、この場を離れることにする。 このまま他人のクラスで突っ立っているのは体裁が悪いし、彼女達の話を立ち聞きするのは、もっと悪い。 「とはいえ、人の答案用紙持ち歩くワケにもいかないし、廊下で待つか……」 そんなことを呟きながら肌寒い廊下へ出て、美桜の話が終わるのを待つ。 幸い、部活には入っていないし、バイトも遅めのシフトだから、問題は無い。 鼻をすすりながら十五分ほど待つと、ショートカットの少女が教室から出て行ったので、航は教室内の美桜の元へ歩み寄った。 「椎名」 「は、はいっ!?」 何か考え事をしていたらしい美桜が、椅子に座ったまま、ぴょんと身体を跳ねさせる。 机の底に膝の頭でもぶつけたのか、美桜はスカート越しに太ももを撫でながら、振り向く。 「お疲れさま。話は終わったか?」 「話……? 内海さんのことですか?」 美桜は表情に警戒の色を覗かせ、一方の航は苦笑してしまう。 「そんな怖い顔しなくても、別に立ち聞きとかはしてない。……まあ、何の話をしていたのかに興味はあるけど」 「こっちの話です。彼女の事情ですから、軽はずみに口にできません」 「あ、ああ、うん。それは、それでいいよ。俺は椎名に用事があったんだし」 「私に……ですか?」 「ああ」 航は答えながら、ブレザーのポケットから数学のテスト用紙を取り出す。 「朝、別れた後、廊下で拾ったんだ」 「えっ!?」 美桜は素っ頓狂な声を上げた後、通学用のショルダーバッグを開け、真っ青になる。 無くしたことに気付いてすらいなかったのか、と航はまた苦笑した。 「しかし、すごいな、コレ。点数が」 「わー! わー! わー!」 美桜は席を立ち、顔を真っ赤に染め上げて、航の発言を遮る。 「こっ、こんなところで読み上げないで下さい! 廊下へ行きましょう、廊下へ!」 「痛い! 背中を叩かなくても、出るって!」 苦言を呈す航の背を美桜が両手で押して、廊下へ出た。 「し、心臓に悪いです! そういうものは、こっそり返してくれればいいでしょう!」 美桜は苦情を口にしながら、航の腕を引っ張って、学校の中庭へ向かう。 部活開始時刻の過ぎた中庭に、航と美桜以外の生徒の姿はない。 早春なだけに風は肌寒く、航は身を震わせながら、テスト用紙を返そうとして手が止まる。 「……? どうしたんですか?」 「いや、まあ、素直に数学で24点は凄いな、と」 「〜〜〜っ! や、やっぱり見たんですね!?」 航の指摘を受け、美桜の頬と耳先が羞恥で真っ赤になった。 「そこは、見て見ぬ振りをするのが大人の対応だと思います!」 「あ、あはは、まあ……な。ただ、ここまでの大炎上なら、いっそいじった方がいい気がして」 「要らぬ気遣いです! あまりいい趣味じゃないですよ、そういうの!」 美桜はそう言って、両手で顔を覆う。 指の隙間から紅潮している頬が覗き見えて、航は不謹慎と分かっていても笑ってしまった。 脳裏にふと、朝の図書室で見た付箋だらけのテキストがよぎる。 勉強が嫌いというワケではないようだが、「まあ、そりゃ、24点は恥ずかしいか」と思いながら、テスト用紙を美桜へ渡した。 美桜はそれをブレザーの胸ポケットへしまいながら、一つため息を吐き、「……今度は落とさないようにしないと」と呟く。 航は頬を掻きながら、口を開いた。 「で……だ、椎名」 「……何でしょう」 「見た分の罪滅ぼし……と言ったらアレだけど、俺にも何か手伝わせてくれないか?」 「何か、とは?」 怪訝そうに首を傾げた美桜に、航は言う。 「さっきの件だ。クラスの雰囲気もヘンだったし、頭数はあった方がいいような気がするから」 「……内海さんのことですか?」 「いや、どちらかというと椎名のためだ。昨日、助けてもらった恩もある」 「う……ううん……?」 美桜が小さく唸って少し俯き、航は告げた。 「もちろん、他言はしない。一人で抱え込むより、誰かに話した方が状況は整理できると思う」 「佐崎君はそういう嘘は吐かないタイプに見えますが……。本当に、誰にも話しませんね?」 「嘘吐いたら針千本だ。約束するよ」 航の言葉に美桜は迷いを見せたが、やがて降参したようにため息を漏らす。 「分かりました、話します。ただ、ここは寒いし人目もあるので、帰りながらにしませんか?」 「ん」 「では、後ほど正面玄関で。佐崎君から首を突っ込んだんです。途中下車は受け付けませんよ?」 「もちろん。俺も手伝うと言った手前、引っ込めはしない」 航が頷いたのを確認した後、美桜は背中を向けて去って行った。 その姿を見送りながら航は一つ、息を吐く。 「さて、どんな話が出てくるか。いくつか気になる点もあるし……?」 昨日の彼女と、今日の彼女の振る舞いの違いや、教室内での立ち位置や評価。 そして、巻き込まれているトラブル。 何となく、空を見上げる。 「これはいろいろ、考える必要がありそうだ……」 「お待たせしました」 それから十分ほど経った後、正面玄関で下駄箱に背を預けていた航へ美桜が声をかけた。 その首に巻かれたラベンダー色のマフラーと頬が、航の視界で融けて滲む。 「じゃあ、行くか」 「はい」 美桜も内履きから学校指定のローファーへ履き替え、外へ出た。 学校の四方を囲む壁を横目に、二人は並んで歩く。 「で、具体的には何があったんだ?」 航は切り出し、美桜が話し出す。 「ええと、便宜上、出てくる人物をA、B、Cとしてください」 「あ、ああ。……登場人物は三人か」 美桜は一つ一つ言葉を選びながら、説明する。 「先週の日曜日、三人は郊外のアウトレットモールで遊ぶ約束をしていました。Aは約束していた13時に、そこへ来ていたんですが、BとCが来たのは15時だったんです」 「二時間、待ちぼうけさせられたワケか。……それでAが怒って、クラスで揉めていたと?」 「はい。でも、BとCは故意に遅れて来たワケではないんです。待ち合わせ時間に勘違いがあったようで」 「勘違い?」 首を傾げた航へ、美桜は視線を投げ返しながら答えた。 「当初、AはBに『アウトレットモールで13時に待ち合わせ』と約束したんですが、Bは勘違いをして、『アウトレットモールに15時』とCに伝えてしまったんです。……そして、Bもまた『15時』と思い込んでしまった」 「あー……、そのまま、当日を迎えちゃった感じか。俺から見ると、Bが悪いように思える」 「そうなんですが、合流した時、Bはちゃんと謝ったんです。今日だって、そうでした。クラスのみんなが見ている中でまさに」 美桜は折り目正しく頭を下げる。 「平身低頭と言った感じで。……離れて見ていた私からも、誠意のある謝罪でした」 「それでもAは許さなかったってことか。……えーと、Aって性格キツめとか?」 「その傾向はあります。ですが、火に油を注いだというのなら、CがBを庇ったことが気に食わなかったのかと」 航は首を傾げた。 「庇った? どうして?」 「『もういい! 許してあげて、それ以上は私も怒るから!』と。……Aはそう言われても許せなかった自分自身に腹を立て、更にややこしくなった……というのが現状です」 「なるほど……」 航は口元に手を当てて少し考えた後、話を進める。 「その流れだと、Cは内海だな?」 「え、ええ。内海小都(うつみ こと)さんです。よくお分かりで。……どうしてそう思ったんですか?」 「俺が教室へ顔を出した時、椎名は内海に、『大丈夫ですか?』と言っていた。状況から察すると、助けを欲する立場にあるのはCだ」 「……」 「ここから先は推測だが、謝っているのになじられ続けたBにもムッとするものがあったじゃないか? 我慢に限界が来て、言い返してしまった。……で、思わずCが間に入ったとか」 美桜は目を瞬かせ、航の顔をまじまじと眺めた。 「……驚きました。その通りです。ただ何となく、手伝うと言ったワケじゃないんですね」 航は肩をすくめて見せる。 「伊達で女子同士のいざこざに口を挟まない。ヤケドしかしないじゃないか」 「ま、まあ否定はしませんが……」 「でも、椎名は首を突っ込んだ。知らぬ存ぜぬもできたけど、そういうのを黙って見ていられなかったからだ」 少し声を潜めた航から、美桜は視線を逸らす。 「それは、そうなんですが……。実はその話にはもう少し続きがありまして」 「続き?」 美桜は言い辛そうに表情をしかめていたが、意を決した様子で話し出した。 「Aが言ったんです。『椎名、じゃあアンタが判断してよ。わたしが悪いのか、Bが悪いのか。第三者として見てたなら、できるでしょ?』って……」 「え、ええ……? それは、考えてなかった。判断をこっちへ投げて来たのか……?」 意外な展開に航は驚いたが、同時に納得もする。 そういう状況だったから、C……こと内海小都が廊下へ出た後、美桜は一人、教室で頭を悩ませていたのだ。 航が軽い頭痛を覚え、眉間を叩いていると、美桜が苦い表情で問いを向けて来る。 「面倒くさい……実に面倒くさい言い方と分かってはいますが……。佐崎君はどちらが正しいと思いますか?」 「女子から聞きたくないトップスリーに入りそうな問いだな、ソレ……」 なぜなら、それは傍観者という中立の地位を捨て、どちらかの肩を持てという意味だからだ。 大げさな言葉を使えば、どちらの派閥へ入るのか? という問いでもある。 正直、積極的に関わりたい案件ではない。 渋い反応を見せた航に美桜は頬を、ぷくっと膨らませて不服そうに文句を言う。 「は、話せと言ったのはそっちでしょう! 私だって困っているんです!」 「あ、いや、椎名のことを面倒くさいとか思わないよ。ややこしいのは状況の方。AとBもそれほど、こじれてない感じはするんだけど」 「え? こじれて、ない?」 航の見解に、美桜は目をぱちくりとさせた。 航はゆっくりとした口調で、自分の考えを話す。 「気になる点は二つある」 「二つ?」 「まず一つはAはなぜ、二時間も待ったのか? だ」 「……? え、ええと、待ち合わせだったからじゃないんですか?」 「キツい性格のヤツが二時間も待つか? 俺ならすぐ帰る。……椎名ならどうする?」 「わ、私なら……。まず、電話します、あとSNS」 「そうだ。でも多分、返事がなかった。それはなぜだ? なぜ、BとCは反応できない状況にあったんだ?」 「それは……あれ? なぜでしょう……?」 航はこめかみを叩きながら、淡々と続ける。 「意地が悪い発想ではあるが、Aが怒ってるのは時間に遅れたことじゃなく、無視されたこと……そして、その説明がないことに不信感を持っているからじゃないか?」 「何か、心が苦くなってきました……。じゃあ、Bと内海さんは何か隠し事をしているということですか? そして、それにAも気付いている……?」 「今日の放課後、Bが弁解していた中に、当日Cと何をしていたかの説明はあったか?」 「な、ない……です」 航は、「ふむ」と唸った。 「確かめるとしたら、そこからだな。明日、BかCに聞いてみるといい。……で、もう一つの気になるところだが」 「は、はい」 美桜は居ずまいを直すような素振りを見せ、ごくりと喉を鳴らして先を促す。 「なぜ、CはBを庇ったんだ? 勘違いしたのは確かにBだ。だが、『許してあげて』まではいいけど、『私も怒るから』は言い過ぎだ。完全にBへ肩入れしてる言い方じゃないか」 「そ、それは、確かに……。思い返せば、あの状況はBを庇うというより、Aを責めると言った方が妥当な感じが……」 「その辺りを明確にする前に、椎名が責任を負うのは悪手だと思う。向こうも向こうで、足元も定まってないのに、ジャッジを委ねるのは無責任だ」 「つまり、判断を下すには早すぎる、と」 「行き違いと言うか、すれ違いと言うか、錯誤と言うか、誤解というか。なんか、そういうのが絡まって、単純な問題を難しくしているように見える」 「……え? 今、なんて?」 美桜は歩いていた足を止め、驚きの表情を浮かべて航を見た。 航も足を止め、振り返って答える。 「あ、いや、だから、誤解? っていうか」 「そうじゃないです。その前です。錯誤……と言いませんでしたか?」 「言ったけど、何だろう?」 航にはヘンな言葉を使った自覚がなかったので、美桜の唐突な食いつきの真意が分からない。 美桜は視線を逸らし、「いえ……」とだけ言って、俯く。 また、意味の分からない反応だったが、やがて顔を上げた美桜の表情は少し晴れやかだった。 「ありがとうございます。最終判断を下す前に、やるべきことが分かりました。特にこの場合、被害者の意思……つまり、Aの意思がはっきりしていない以上、妙な冤罪は避けなければなりません」 「被害者の意思、か。そうだな、それが分かっていれば、方向性も決まるんだが」 「はい。……あの、それでですね」 「ん?」 美桜は手元で指先を自信なさげに絡ませた後、大きく息を吸って、吐く。 そして、航の顔を見た。 「明日、Bと話をします。その時、佐崎君も一緒に来てくれませんか?」 「えっ?」 予想外の提案に、航の声がひっくり返る。 「いいのか?」 「はい。その方がいい解決ができると思います。幸い、Bとは親しいので、怒ったりはしないかと」 「ん、分かった。椎名がいいと言うなら。首を突っ込んだ以上、最後まで見届けたいしな」 その言葉を聞いた美桜の表情が、安堵で緩んだ。 航もそうだろう、と思う。 そんな判断を押し付けられて、一人で悩めと言うのは酷だ。 「じゃあ、喉も渇きましたし、そこのコンビニのイートインで作戦会議をしませんか? その方がスムーズに話も進むと思います。……コーヒーくらい、おごりますよ?」 それは航としても嬉しい提案だった。 だが、航は腕時計を美桜へ見せて、苦笑するだけだ。 「……何か、ご予定が?」 「バイト。タイムオーバーだ」 美桜は少し肩を落とす。 「……そうですか。残念です」 「コンビニにも長く入りたくないしな。まあ、タイミングが悪かったんだよ」 航の言い回しに、美桜は首を傾げた。 「あの、昨日も公園はイヤだとか言ってませんでしたか?」 「うん? ああ、まあ、そうだな。そういう日もある」 「?」 ますますよく分からなくて、美桜は頭上に疑問符を浮かべる。 航は苦笑して、頭を掻いた。 「まあ、明日、頼む」 「分かりました。……あ、それなら連絡先を交換しておきましょう」 「ん」 そして航は美桜と連絡先を交換し、別れる。 それなりに距離を取るまで美桜はこちらを見たまま、その場から動こうとしなかったので、航はまた苦笑してしまった。 「凪紗(なぎさ)、少しいいですか?」 翌日の昼休み。 学生達がごった返す食堂で椅子に座り、きつねうどんを食べていた少女へ美桜が声をかけた。 肩口までのセミロングの髪に、白いハンチング帽を被った女子生徒が振り向く。 「ん? あれ、美桜じゃん、どしたの?」 トレーにハヤシライスを乗せた美桜が返答した。 「少しお話したいことがありまして。相席、いいですか?」 「いいよ〜! 珍しいね、美桜から声をかけてくるなんて!」 凪紗は目を細めて嬉しそうに隣の椅子を引く。 そして、美桜の後ろに立っていた航に気が付き、首を傾げた。 「……えっと、そっちは、A組の佐崎? ん? どういう組み合わせ?」 焼きそばパンとコーヒー牛乳を持っていた航は、凪紗と美桜の対面側に座りながら答える。 「縁が合ってな。俺が付きまとってる。迷惑には……多分なってないと思う」 「ん〜? そうなの?」 凪紗が美桜へ視線を向けた。 「え、ええ、迷惑とは思ってません。……凪紗は佐崎君のことを知っていたんですか?」 凪紗はハンチング帽のツバをすっ、と右手の人差し指で撫でて得意げに頷く。 「うん。アタシ、人の名前と顔を覚えるのは得意だからさ。最低限、誰がどのクラスなのかていどは分かるよ?」 「へ、へぇ……それは、単純に凄いですね」 驚きを隠せない美桜に、凪紗はだし汁を一口すすって答えた。 「佐崎って、中三の四月に転校してきた顔だしね。同じクラスだったからっていうのもある」 今度は焼きそばパンを齧っていた航が、目を瞬かる。 「よく覚えてるな、そんなこと。確かに四月だったけど。……ええと、瀬倉(せくら)で合ってるよな?」 「うん、瀬倉凪紗(せくら なぎさ)だよ。まあ、転校生って、目立つイベントだから。男子からは非難ごうごうだったじゃん? 美少女じゃないって」 航は苦々しい表情になって頭を抱えた。 「あれはひどかった。転校してきただけなのに、なんで不満を言われなきゃいけないんだ……」 航の返答に当時を思い出した凪紗は、「あはは、ずっと渋い顔してたもんね〜」と笑い、蚊帳の外にされた美桜が頬を膨らませる。 「あ、あの……本題に戻ってもいいですか、凪紗?」 「うん、なんだろう?」 「内海さん達のことです。実は今、こういう状況になってまして……」 美桜は簡単に現状を説明し、聞き終えた凪紗の表情が曇った。 「あー、判断を投げられちゃったかー……。それは申し訳ないと言うか、何と言うか……」 「それで、お聞きしたいんですけど、Aはどうして当日、二時間も待っていたんでしょうか?」 「A……? ああ、瑠衣(るい)のこと?」 「え、ええ、相澤(あいざわ)さんのことで。すみません、便宜上、そう呼んでいました……」 航はAの名前が、「相澤瑠衣(あいざわ るい)」だったんだろうなと推察し、苗字で呼ぶあたり、美桜とそれほど親しくもないのだろうな、とも思う。 「なんで待っていたか、か。う〜ん、美桜も巻き込まれたようなもんだし、言わないのもおかしいか……」 凪紗は腕組みをした後、ゆっくりとした口調で話し出した。 「実は、あの日曜は瑠衣の誕生日だったんだ。で、アタシが三人で遊ぼ! って声をかけたってカンジ」 航は口元へ手を当てて、考える。 「なるほど。自分の誕生日に遊ぼうと誘われた手前、何かあるんじゃないかと思って、帰るに帰れなかったってワケか」 「何かを期待していても、仕方のない状況ですね……。それで遅刻されたら怒る気持ちはよく分かります」 航と美桜の指摘に、凪紗は視線を逸らして苦笑する他ない。 「あ、あはは。それに関してはホントにアタシが悪くて、言い訳のしようもないんだけど……」 美桜が気になっていたことを問う。 「あの……13時の待ち合わせだったのに、凪紗と内海さんは15時に着いたと聞いていますが、相澤さんから連絡はなかったんですか?」 凪紗は、ぎくりとした様子で瞳を左右に揺らし、曖昧な口調で答えた。 「あー、あった……よ? ただその、ちょっと、出られなかったというか、何と言うか……」 「そ、そうなんですか? ええと……?」 凪紗が全然言葉を濁し切れていない分、美桜は却って戸惑った表情を見せてしまう。 それを見る航は問い詰めてみるか? とも考えたが、期待する答えが出て来るのかは微妙な雰囲気だと判断した。 言葉が続かなくなった二人に対し、航は、「ふむ」と一つ唸った後、口を開く。 「で、Bは」 「B?」 「あ、ああ、すまん。瀬倉は……」 じろり、と凪紗は美桜を睨んだ。 「美桜? AとかBとか、どういう紹介の仕方してるの?」 「あ、あはは、便宜上ですよ、便宜上。分かりやすいように……」 「全然、フォローになってない気がするけど……。で、何、佐崎?」 「うん。瀬倉って、椎名の誕生日は覚えてるか?」 唐突な問いに、美桜と凪紗の口から、「は?」という素っ頓狂な声が漏れる。 「えーと、それ、何か関係ある?」 「まあ、深く気にせずに」 凪紗は頭を掻きながら答えた。 「12月29日だよ。プレゼントもあげたし」 「へえ、何を?」 「シルバーのネックレス。美桜も、時々こっそり付けてきてくれてるし?」 美桜は照れたように顔を横へ向け、凪紗が、「にしし」と含み笑いをしながら、その横腹を肘で突く。 航は、「ありがとう、よく分かった」と満足げに頷くが、二人には意味が分からない。 「えっと、他に何か聞きたいこととか、ある? アタシ待ち合わせがあってさ」 きつねうどんを食べ終えた凪紗が美桜に問う。 「あ、いえ……私からは特に」 「俺もない。時間を取らせたな」 凪紗はトレーを手に立ち上がり、小さく頬を掻いた。 「あのさ、他人に責任を押し付けるような形になっちゃってて、ゴメンなんだけど……。何とかなるかな?」 美桜が即答できず眉根を寄せたが、航は口調を柔らかくして答える。 「うん、何とかなると思う。この瞬間だって時に、瀬倉と内海の助けは必要だけど」 「アタシ達の助け?」 「ああ。まあ、その辺りは椎名と話すよ」 「う……うん。じゃあ、頼むね?」 凪紗は航の言葉の意味を拾いきれなかったものの、根拠のない慰めを口にしている様子でもないと判断したのか、少し胸を撫で下ろして、食堂を去って行く。 その背中が消えた頃、美桜が疑問を口にした。 「あの……今までのやり取りで、何か分かったことがあったんですか?」 「おおよその情報は出揃ったし、必要なのはきっかけだけって感じだな。……その辺りの探偵役は椎名に頼みたい」 「わ、私ですか!? 頭の中で何も繋がっていないんですけど!?」 「そう……だな、椎名は瀬倉の言動に食い違いを感じなかったか?」 「え、ええと……? 特に嘘を吐いている様子はなかったと思いますが……」 航は頷く。 「ああ、嘘は吐いていない。けど全てを話してもいないって感じだ」 「根拠は?」 「当日はAの誕生日だったと瀬倉は言っていた。顔と名前を覚えるのが得意で、俺がどのクラスの誰で、転校して来た時期まで把握していただろ?」 「は、はい……。それが、何か?」 「加えて、椎名の誕生日とプレゼントまで覚えていた。それほどの記憶力があるのに、直近のAの誕生日の集合時間を勘違いするなんて、不自然じゃないか?」 美桜が目を見開いた。 「い、言われて見れば……」 「だが実際、瀬倉は間違えた。そんな彼女でも勘違いしてしまうような別の何かが、頭の中にあったと考えるのが自然だろう」 「そして内海さんとも、行動を共にしていたとなると……?」 美桜はハヤシライスを食べるスプーンの手を止めて、黙考する。 「確かに、情報は出揃っていると思います。ですが、まだ全ての点と点が繋がりません。線にならないんです。それで、探偵役と言われても……」 頭から煙を上げ始める美桜に、航は苦笑した。 「その辺りは俺がフォローするから気にしなくていい。真実の究明は椎名のやりたいことじゃないだろ? 椎名が求めるのは、納得のいく解決だ」 「……え?」 美桜は驚きの声を上げるが、航は構わず話を続ける。 「そこに関しては、もう少し踏み込めるが……。それは後にしよう」 「え、あの。真相の究明と、納得のいく解決って……。その考え方は……?」 美桜は何か言いたげだったが、現状で優先すべきは解決の方だと判断したらしく、表情を切り替えて頷いた。 それを見た航が三本、指を立てる。 「ポイントは三つだ。なぜAは二時間も待ったのか? なぜBは時間を勘違いしたのか? なぜCはAを責めたのか? その理由が分かれば、後はさっき言った通り」 航は一旦言葉を切り、立てる指を一本だけ残す。 「きっかけだけ、あればいい」 「戻りました……」 陽は沈み、夜の帳が色を濃くする時刻に美桜は自宅のドアを開けていた。 今も父親がローンを払い続けている大きな一軒家だが、定期的に業者を入れて清掃させているため、痛みやシミなどはない。 二階建てなので間取りにも十分な余裕があり、生活をする上で不自由さを感じた経験もない。 「……っ」 だが、家の奥のリビング以外は真っ暗で、美桜は薄ら寒い雰囲気を感じずにはいられない。 部屋も階段も廊下も、広さが確保されているだけに、光の届かない隅に、底の見えない暗闇が横たわっているようと思ってしまうのだ。 重い足を引きずり、父親がいるであろうリビングのドアを開ける。 「戻ったか」 案の定、リビングには大きめのテーブルで夕食を摂っている父親……椎名重弘(しいな しげひろ)の姿があった。 五十代前半ではあるが、頬と眉間に深い皺を刻み、目尻が吊り上がり気味であるため、他者へ圧迫感を与える風貌をしている。 今、目の前で夕食の箸を進めてはいるものの、最低限のカロリーとタンパク質、食物繊維を摂取するだけのものなので、食事と言うにはあまりに味気ないと美桜は感じてしまう。 だから、細身で神経質な印象を抱かせるのだろうとも、思う。 「何をしている。座れ」 「はい……」 美桜は言われるがまま、対面の椅子に座った。 重弘の硬質で、淡々とした声がリビングに響く。 「四月だ。実力テストもあっただろう。何点だった?」 「……っ!」 一番イヤなことを聞かれ、美桜は身をすくませる。 大体の予想はできているだろうが、この父親は自分の目で確かめないと気が済まないのだ。 しかし、嘘を吐くこともできず、美桜は胸ポケットから数学のテストを取り出し、重弘の前へ差し出した。 重弘はみそ汁の椀を置き、視線を落とした後、右の手の平で乱暴にテストを払い、床へそれが落ちる。 「な、何を……っ!?」 驚いた美桜は目を剥いて問う。 重弘は眉の端を跳ね上げ、呆れた様子で言い放った。 「美桜、お前は今すぐ勉強を止めろ」 「え……?」 「時間のムダだ。高校へ入学して二年間、様子を見たが、成長がまるで見られない。他の教科も同じなんだろう?」 「そ、それは……」 悔しいが、事実なので美桜は頷くしかない。 「生活の苦労はさせん。俺も立場のある人間だ。大学入学はなんとかしてやる。就職先も、だ。いい男も用意するから、そいつと結婚しろ」 「お、お父さん、でも……」 重弘は糾弾するかのような口調で続ける。 「何か不満か? 金には困らないのだから、幸せな人生だろう? そんな生活すら望めない人間が社会にどれほどいるか、知らないお前ではないはずだ」 美桜は心が、くしゃくしゃになるのを感じつつも、反論を試みた。 「た、確かにそうですけど……。私にだって、やればできることが……」 「そんなものはない。二年見たと言った。お前には才能がない。努力しても結果が出せない。繰り返しになるが俺も立場のある人間だ。いろいろな人材を見て来た。育たない者は、何をしても育たない。会社にそんな人間がいたらクビにしたいところだが、それは法律上、解雇の理由にできないからな。適当に飼殺す他ない。……お前はそういう人種だ」 「そ、そんなことは……。今、結果が出なくたって、続けていればきっと……」 「お前は芽が出ない。ムダなことは止めろというのも親の役目だ。……もう少し細かく言えば、お前は、『やる気だけはある、使えない社員』だ。できるなら損切りしたいが、娘だからそうもいかん」 「……っ。でも、でも、私は……私にだって夢が……」 美桜は胸がキリキリと軋みを上げているのを感じたが、自分の可能性を自分で信じられなくなったら、本当に終わりだと思い、歯を食いしばる。 重弘は、「夢」という言葉に強く反応した。 「夢……? まさか、まだ母さんの背中を追っているのか?」 美桜は頷き、最後の抵抗の意思を込めて、ショルダーバッグから付箋のたくさん付いたテキストを取り出す。 その表紙を見た重弘は露骨な嫌悪感を示し、乱暴な手つきで、そのテキストをテーブルの上から打ち払った。 ばさっ、と大きな音を立てて、テキストが床へ落ちる。 「身の程知らずの夢を見るのは止めろと言っている! お前は遊んで暮らせばいいんだ! それで何一つ不自由しない! 何が不満だと言うんだ!」 激高した重弘は夕食を食べ残したまま、リビングの出口へ足を向けた。 そして、バン! と大きな音を立てて、ドアを閉め、二階の自室へ向かって行く。 美桜は呆然とした後、のろのろと床の答案とテキストを拾うために、膝を落とした。 答案と付箋の付いたテキストへ手を伸ばし、その視界が歪む。 ぽろぽろと涙がこぼれ落ち、それを拭うこともできないままに、もういなくなってしまった人の名を呼んだ。 「おかあ……さん。私は、どうすれば、いいんですか? 報われない努力は、してはいけないんですか? 自分を信じるって、そんなに悪いことなんですか……?」 答えるもののいない問いが、薄暗い照明の点いたリビングに虚しく響く。 結局、その夜、重弘がリビングへ戻ることはなかった。 美桜は食器を片付け、簡単なシリアルだけで食事を済ませた後、目元に涙を滲ませたまま、自室のベッドで浅い眠りにつく。 せめて夢の中で母親と会いたかったが、姿を見せてはくれなかった。 出来の悪い娘だから会いに来てくれないのだ、と美桜は思い、また泣いた。 「椎名、どうした? 顔色が良くないぞ」 迎えた翌日の放課後。 C組には航と美桜、そして部活前の生徒達の姿があり、各々が会話に花を咲かせていた。 新学期を迎えたばかりということもあり、会話が探り探りである生徒が多く、他のクラスの人間である航がいることに関して、特に気を払っているものはいない。 美桜は寝不足の頭を振り、笑って答える。 「いえ、大丈夫です。本番はここからなんですから、弱音も言っていられません」 「それはそうだが……。辛くなったら、ちゃんと言うように」 「はい。まあ、私の言動に危なっかしい点があれば、口を挟んでくれたら、助かります」 「……分かった」 航が神妙な表情で頷いた時、教室のドアが開いて一人の女子生徒が姿を現した。 胸元まで届く金髪に、右耳だけピアスをしている様子はイヤでも目を引くな、と航は思う。 「こんにちは、相澤さん。すみません、お呼び立てして」 女子生徒、相澤瑠衣は憮然とした顔で、美桜の近くの机に横すわりする。 「……別に。結論を出せって言ったのは、わたしだし」 瑠衣のつっけんどんな口調に航は、「なるほど、これは性格もキツそうだ」と初対面なのに、勝手に認識を新たにする。 「で、椎名はどっちが悪いと思ったワケ? わたし? 凪紗?」 美桜は首を左右に振った。 「いえ、それはお二人も合流した後に話しましょう」 「は?」 瑠衣は不審げに目を細めたが、間を置くことなく、二人の少女が教室へ入って来る。 その姿を見た瑠衣が、ひゅーっと皮肉気に口笛を鳴らした。 「凪紗に小都……? へえ、人目もあるし、堂々と決着を付けようってワケ?」 航は、物々しい雰囲気にクラスメイトの視線が集まり始めていることを感じ取る。 それは美桜も同じだったようで、やや表情は硬いものの、彼女は決然とした口調で答えた。 「はい。禍根は残さない方がいいでしょう?」 「言うね。……そっちの男子は?」 目を向けられた航は、肩をすくめて苦笑する。 「……俺はおまけだ。修学旅行の木刀みたいなもんだから、気にしなくていい」 瑠衣は眉を八の字にし、怪訝そうな表情を見せた。 「……結構、気になるヤツだと思うけど、まあいいや」 瑠衣は机に深く座り直し、凪紗と小都へ視線を向ける。 二人共、伏し目がちで、特に小都は不安げな雰囲気を隠し切れない様子だ。 「凪紗も小都もいいね? どんな結論でも、恨みっこなし……とまでは言わなくても、まぁ適当に縁を切るていどはあるカンジで」 その言葉に二人は一瞬、息を飲んだが、覚悟を決めた様子で美桜へ視線を投げた。 美桜は大きく息を吸って、話し出す。 「では結論を言う前に、いくつか整理しましょう」 美桜の言葉に、瑠衣が怪訝そうに眉根を寄せた。 「整理? 何か食い違いでも?」 「はい。まず相澤さん、あなたはなぜ当日、二時間も現地で待っていたんですか? そんなに待たされるくらいなら、帰るのが普通ではありませんか?」 瑠衣は腕を組み、大して考えることもなく答える。 「そりゃあ……約束だし、誕生日だし。なんかあるのかなーって思って。振り返れば、自意識過剰のみっともないハナシだよね」 凪紗と小都の肩が、ぴくりと震えたが、瑠衣はそれに気付かない。 美桜は話を進めた。 「なるほど。では次に、内海さん」 「は、ハイッ!」 突然水を向けられた小都は、びくんと肩を震わせて顔を上げる。 「内海さんはなぜ、凪紗をかばった……正確にいえば、『私も怒るから』とまで言ったんですか? 大分、踏み込んだ表現では?」 「そ、それは……」 小都は言葉を濁しながら、凪紗へちらちらと視線を投げた。 美桜は即座に標的を変える。 「では、凪紗にも聞きます。当日の13時前……つまり、午前中は誰とどこにいましたか?」 「ッ!」 その質問を受け、凪紗は下唇を強く噛んだ。 航は少し離れた場所から、その様子を見て、内心で、「やっぱり、そこが泣き所だったんだな」と頷く。 瑠衣が不審げな目つきで、凪紗と小都を見やった。 「わたしもソレ、気になる。連絡が付かなかった理由も、そこにあるんじゃないの?」 凪紗は視線を逸らしたものの、やがて観念した様子でため息を吐く。 「その日はずっと、朝から小都と一緒にいた。13時頃、別のアウトレットモールで買い物してたんだ」 その解答に、瑠衣は歯を食いしばった。 「ナニソレ、笑い話? わたしの誕生日に二人でコソコソ待ち合わせて、挙句の果てに遅刻したってワケ? わたしも随分とナメられたもんね?」 瑠衣は強い険を含んだ視線を凪紗へ投げ付け、更に何か言おうとした時、小都が口を挟む。 「ち、違うからっ! 凪紗ちゃんは、瑠衣ちゃんのためにそうしただけだからっ!」 予想外の大きな声がクラスに響き、周囲がざわつき始めた。 「わたしのため? なんのこと?」 状況が読めなくなった瑠衣が苛立たしさを滲ませた様子で、足を組み直す。 美桜はブレザーのポケットから、シルバーのネックレスを取り出して、瑠衣に見せた。 「相澤さん。これ、凪紗からもらったものなんですけど、意味、分かりますか?」 「……? いや、分かんない。ネックレスが何だっていうの?」 「誕生日プレゼントなんです。凪紗はたくさんの人の顔と名前……そして誕生日を憶えています。そして、親しい人物には必ずプレゼントを渡しているんです」 「いや、だからそれが……」 意味が分からず、不機嫌さに拍車がかかりそうになった瑠衣の言葉が止まる。 「誕生日……プレゼント? え、じゃあ、凪紗と小都が集まっていたのは……?」 瑠衣は不審に染まっていた顔を上げ、改めて凪紗と小都を見ると、差し出された二人の手には、手のひらサイズの木の小箱が置かれていた。 二人は恥ずかしそうに頬を赤く染め、凪紗が頬を掻く。 「……アタシが誘ってさ、誕生日プレゼントを別のアウトレットモールで選んでたんだ」 小都も照れた様子で目を細めて、続けた。 「元々は午前中にプレゼントを選んで、13時くらいを目途にそこを出て、15時にアウトレットモールで瑠衣ちゃんと合流の約束をするつもりだったんだ。だったんだけど……」 小都は、ちょっと恨みがましい様子で隣の凪紗を見た。 「あ、あはは、何を選ぶかで頭が一杯になっちゃって……。時間、勘違いしちゃったんだ。ホント、それはゴメンって思ってる」 突然の展開に瑠衣は目を白黒させたが、やがて、キッと美桜を睨む。 「椎名、知った上で今、話したな? プレゼントを持って来させたのも、仕込みでしょ?」 美桜は悪戯っぽい仕草で両腕を開いて見せながら答えた。 「さあ、何のことやら? それこそ証拠がありません。……まあ、誰かさんの言う通り、真相究明より、当事者同士の納得を優先しただけの話です」 「いけしゃあしゃあと……」 瑠衣は何度か眉間を指先で叩いていたが、観念した様子で机から腰を下ろす。 「ま……、これはわたしの負けね。なんだかんだで」 瑠衣は数歩分、離れてしまっていた距離を詰め、凪紗と小都の前に立った。 そしてプレゼントの小箱を見て、くやしげに微笑む。 「嬉しいって思っちゃった」 その反応に凪紗と小都の表情から緊張が消え、柔らかで暖かなものへ変わっていく。 航と美桜は、これが三人の本来の姿なのだろうな、と直感的に理解した。 瑠衣が照れ隠しに唇を尖らせながら、凪紗と小都に告げる。 「まあ……とりあえず、どっか、寄って帰ろっか。……ゆっくり、話そ?」 凪紗が得意げにハンチング帽のツバを指先で撫で、小都は胸に手を当てて表情を綻ばせた。 そして凪紗と小都が順番に声を弾ませて言う。 「うんっ! どこ行こっか?」 「何か暖かいものでも買って、みんなで考えよう!」 三人は目を細め合い、航と美桜は教室から出て行く背中を見送った。 瑠衣が一度だけ振り向いて、美桜へ言う。 「椎名、今回は悪かった。恩に着る。……いつか、この借りは返すから」 美桜は嬉しそうに微笑んで答えた。 「いえ、お気になさらず。困ったことがあったら、言って下さい。いつでも力になります」 そう言って美桜は目を細め、笑顔で手を振る。 隣に立ってその横顔を見た航は、「ああ、これが椎名美桜の顔なんだな」と思った。 「ありがとうございます。この一件、私だけでは解決できませんでした」 瑠衣、凪紗、小都とのやり取りを終え、通学路を歩いていた美桜は航へ向かって頭を下げた。 その折り目正しい仕草に航は少し苦笑した後、頬を掻きながら答える。 「ま、こじれてたのは感情であって、出来事の流れ自体はシンプルだったからな。背中を押す材料を見つけられれば、何とかなったと思う」 美桜は顔を上げて三本、指を立てた。 「やはりポイントは、『なぜ二時間も待ったのか』、『なぜ内海さんが凪紗をかばったのか』、『なぜ内海さんが相澤さんを怒ったのか』ですね?」 「そうだな。そこを考えると、『そもそも、どうして瀬倉は待ち合わせ時間を勘違いしたのか』という問いに突き当たる。……で、実際に瀬倉と話して思ったんだ」 航は、ぴっと右手の人差し指を立てて見せる。 「コイツは悪意で人をおとしめるタイプじゃない、って。……となると、事情があって遅刻したことになる」 「そして、当日は相澤さんの誕生日で、過去、凪紗は私にプレゼントを贈ったことがあった」 「そこまで情報が出揃えば、サプライズで誕生日プレゼントを選んでいたと考えるのが自然だ。……瀬倉と内海が口裏を合わせていると勘ぐっている相澤と、遅刻の気まずさ、気恥ずかしさで事実を言えない二人がいただけの話さ」 「だから、きっかけだけあればいい……と」 航は視線の先にある街路樹から、葉が風にさらわれていくのを見ながら、悪戯っぽく笑った。 「しかし、さっきはなかなかの名探偵っぷりだったな? 特に口を挟む必要もなかったし」 その指摘に、美桜の頬が羞恥で赤くなる。 「い、言わないでくださいっ。内心ハラハラしてんたんです、失敗したらどうしよう、話の運び方を間違えたらどうしようって」 「そうだな。上手くいかずに仲がこじれたら、椎名の責任払いだし」 「そ、そこはフォローして下さいよっ。……なんかこう、いい感じに」 「指示がアバウトだな……。ライブ感があっていいじゃないか」 「そういう風には思えません……。ああ、でも……」 美桜は少し俯いて、自信の無さそうな口調で話し出した。 「もし、私が一人で悩み、時間を勘違いした凪紗が悪いと判断していたら、今、安心して下校することはできませんでした。その点は、本当に感謝しています」 「……勘違いしたまま、仲たがいっていうのは後味が悪いし。最終的な判断は、やっぱり当事者同士ですべきなんだよ。もし禍根が残ったとしても彼女達がケリを付けなきゃ、納得できないんだ」 「はい……私もそう思います。……で、話は変わりますが」 「?」 美桜は急に立ち止まり、天を仰いで、「うん、推理は完璧」と呟いた後、決然とした様子で航の目を見る。 「私も考えてみたんです。……佐崎君は、これに見覚えがありますね?」 そう言って、美桜はショルダーバッグから一冊の分厚いテキストを取り出した。 びっしりと付箋が貼ってあるそれに、航は確かに見覚えがある。 朝の図書室で、美桜が持っていたものだ。 「ええと、それがどうかしたのか?」 「タイトルをよく見て下さい」 「?」 言われて表紙を見ると、学校の授業で使うテキストではなく、「司法書士試験、必勝合格問題集」と書かれており、航の時間が止まる。 「司法……書士? えっと、名前は聞いたことあるけど……。法律関係の資格だっけ?」 美桜はちょっとムッとした様子で唇を尖らせた。 「とぼけないでください。佐崎君も目指しているんでしょう?」 「……は?」 あまりに明後日な推測に、航の眉根が跳ね上がる。 「いや、ちょっと待ってくれ。何言ってるんだ? 目指す? 俺が?」 「誤魔化そうとしてもムダです。物事の考え方にクセというか、独特のものがあると感じてはいましたが、『真実の究明』より『納得のいく解決』に重きを置くのは民事訴訟における基本的な考え方です。うまく言い逃れしようとしても、本質は隠せないものなんです」 口調に熱が入り、拳を振るって持論を展開する美桜だったが、航はただただ、開いた口が塞がらない。 「あー、その……、椎名? 証拠もなく、そういうことを言うのは避けた方がいいと……」 航の、「証拠」という言葉に、待ってましたとばかりに美桜は頷く。 「もちろん、証拠はあります。先日、佐崎君は、『錯誤』と口にしました。覚えていますか?」 「あ、ああ、それは覚えてるけど……」 その返答に対し、美桜は両方の腰へ手を当て、自慢げに胸を張った。 「『錯誤』とは、言い間違いなどによって、表示されている意思と、本当の意図に食い違いが生まれることを言います。例えば、1000円で販売すると意思表示していても、本当は1500円で売りたいと考えていた……などですね」 「う、ううん? ええと?」 「今回の件は、そういう意味では難しい案件であったと言えます。凪紗の表示した意思は、本当の意図と違うものでしたが、そこに悪意はありません。単純な勘違いです。だから、意思表示を有効とするか無効とするかは、簡単に判断してはいけない。……佐崎君が言いたかったのは、そういうことでしょう?」 航は頬に冷や汗を流し、頭を抱える。 マズい。 どういうことだ、それは。 美桜の口は止まらない。 「とはいえ、その助言のお陰で私も、『納得のいく解決』へ舵を切ることができました。ですが、『錯誤』という言葉をそのまま使ったのはマズかったです。さすがの私も見逃しませんよ?」 「いや、そこは見逃してよかったと思う。そこにワナはないんだ……」 頭痛を覚えた航は目元を手の平で覆うが、美桜はそれをどう誤解したのか、「そうでしょう、そうでしょう」と一人で納得して続けた。 「すると、導き出される結論は一つです。佐崎君も私と同じく、弁護士を目指している! 違いますか?」 「いや、全然違う! 俺はただの学生だ! 学校へ行って、バイトして生活してるただの学生!」 「え?」 航の否定に美桜は固まり、やがてその頬に、つうっと冷たい汗が流れる。 「……え? でも、『錯誤』って」 「それは、たまたまネットで五分くらいの推理ネタの動画を見たから覚えてただけ。別に、深い意図があったワケじゃない」 美桜の瞳の色が薄く、遠くなった。 「じゃ、じゃあ、このテキストの内容に心当たりは……?」 「今、初めて知った。……あー、えーっと、すごく言いづらいんだが、いろいろ誤解だと思う」 自爆に気付いた美桜の手からテキストが零れ落ち、パラパラとページが虚しく風に揺れる。 しばらく気まずい間が流れた後、航はそのテキストを拾い上げた。 「えっと、その……椎名は弁護士になりたいのか?」 美桜の顔が耳先まで真っ赤になり、航からテキストを取り戻そうと腕を伸ばす。 「い、言ってません、そんなこと! それこそ勘違いです!」 その腕をかわしながら、航はつっこむ。 「いや、さっき、私と同じって」 「聞き間違いです、忘れてください!」 航はいじめっこのようにテキストを頭上に掲げたまま、苦笑した。 「いいじゃないか、弁護士。まだ高校生なのに、明確な目標があって、こんなに付箋を貼るほど頑張ってるヤツなんて見たことがない」 テキストの問題をいくつかのぞき見て、航は一つの違和感が解けるのを感じる。 それは今回のケースを説明する際、美桜が登場人物をA、B、Cと記号化したことだ。 人の良さそうな彼女が面識のある人間に対して、そういう表現をすることに内心で首を傾げていたのだ。 だがテキストの事例には同じように、アルファベットで内容を説明しているものが散見できる。 それはつまり。 「椎名はいつも勉強して、そういう視点で物事を見てるんだな。……偉いよ」 テキストへ向かってぴょんぴょんとジャンプしていた美桜だったが、観念したのか、しゅんと肩を落として呟く。 「……笑わないんですか?」 「笑う?」 美桜は顔を背け、右手で左腕の肘を撫でた。 「テストの答案を見たでしょう。私は、バカなんです。勉強しても、結果を出せないんです」 「……」 「弁護士になるには、法科大学院へ入学し、司法試験にも合格して、研修を受ける必要があります。とても……とても狭き門です」 航は何も答えない。 美桜が視線を落として続ける。 「才能のある人間が……全国トップクラスの天才達ですら、零れ落ちる道です。それを私が……ただの高校生の子供が目指していたら、滑稽じゃないですか?」 やはり、航は何も答えない。 「実際、言われました。『身の程知らずの夢を見るのは止めろ』と。捨てた方がいいんです。遊んで暮らして生きていけるなら、それでいいんです。きっと、それで……」 航がゆっくりとした口調で指摘する。 「……椎名が図書室で勉強していた理由はそれか? 他人に見られると恥ずかしかったから、クラスメイトのいない場所を選んでいた?」 「はい……。みんな、私がバカだってことは知っています。そんな人間が弁護士になるために勉強していたとしたら、それはタチの悪いジョークです」 「だからクラスでも浮いてしまう。結果の出ない努力に意味はないと?」 「違いますか?」 「うーん……」 航は口元に手を当て、難しい顔で考え始め、美桜は皮肉気な笑みを見せた。 「同情はいりません。……今晩、家へ帰ったら夕食のテーブルを囲みながら、笑いのネタにでもしてください。現実を見ることのできない愚かな小娘がいたと」 その言葉に、航は首を左右に振って答える。 「いや、誰にそう言われたのか知らないが、椎名は納得がいくまで勉強を続けるべきだと俺は思う」 「……え?」 俯いていた美桜が顔を上げた。 「だから、同情はいらないと……」 「努力を続けるってことは」 反論を許さない航の強い調子に、美桜は思わず口をつぐむ。 「野球で言えば、不振が続いてもバッターボックスへ立ち続けること。サッカーで言えば、ゴールがなくてもフィールドで走り続けること。バスケで言えば、シュートが入らなくてもコートで汗を流し続けること。……それは苦しいことだ。好き勝手言ってくるヤツもいる。でも、全力で挑戦し続けた人間には、本人だけが分かる肌感覚みたいなものが備わると思う」 「はだ……感覚?」 「それは言葉や数字にできないものだから、他人から見れば何の成果も残せなかったように映るかもしれない。けど、その人だけがたどり着ける結末は必ずある。そして……」 「そして……?」 航は美桜の顔を見て、微笑んだ。 「椎名はそれを、もう知っていると俺は思う」 「私が知っている……?」 美桜は不審そうな表情を浮かべて、問い返す。 「わ、分かりません。私に何があるんですか? 何か証拠があるんですか?」 「証拠ならある。俺は最初からそれを知っていたから、今回ここまで首を突っ込んだんだ」 「え?」 目を瞬かせる美桜を背に、航は歩き出した。 美桜も慌てて、それを追いかける。 航は、とある記憶を思い起こしながら、口を開いた。 「初めて会った時からそうだった。日の沈んだ人通りのない道で、どこの誰とも知れないヤツが倒れそうになるのなんて、放っておけばよかった。倒れた後、様子を見てから救急車を呼ぶていどの対応で充分だった」 「……それは、初めて会った時の?」 「文句を言うつもりはなかった。だけど、椎名は身を挺して俺を助けた。……そして第一声は、『大丈夫ですか?』だった」 「人が倒れそうになっていたんです。……普通、ですよ」 航は振り向き、右手の人差し指を立てて言う。 「それだけじゃない。椎名はクラスの中で上手く立ち回っている感じじゃなかったのに、内海にも言っていたんだ。『大丈夫ですか?』って。……椎名はいつも他人の心配ばかりしてる」 「……それは、ええと」 美桜が言い訳をするかのように口を開いたが、具体的な反論は出て来ない。 「さっき椎名は俺の助言があって、『納得のいく解決』を目指せたと言ったが、それは根っこに、『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』があったからだろう?」 「わ、私にそんな大げさな力は……」 「その件に関して、卑下はダメだ。助けられたかどうかは、助けられた人間が決めることだ。助けた人間がどうこう言うことじゃない」 有無を言わせない航の言葉に、美桜は二の句が継げない。 「そしてそれができたのは、椎名がずっと頑張って勉強してきたから。それを自分でおとしめるようなことを言うのは、俺にとっては許し難い」 そして航は静かに、優しく美桜の肩へ手を置く。 「椎名、自信を持て。結果を出せてないなんてことはない。……少なくとも俺は救われた。その事実だけじゃ足りないか?」 美桜は目を瞬かせて息を飲んでいたが、やがてその声が震えだす。 「わた、し……は……」 ぽろり、と美桜の目尻から涙がこぼれ落ちる。 「目指して……いいんですか? 夢を……追いかけていいんですか?」 航は目を細めて微笑んだ。 「もちろん。椎名は安心して、やりたいことをやるといい」 美桜はすがるように航の目を見る。 「見届けて……くれるんですか? 最後まで?」 「背を押したんだから、言葉に責任は持つ。助言が必要なら、そうするよ」 「……っ」 美桜は胸に手を当て、涙をこぼしながら、航の言葉を噛み締めるように何度も頷いた。 早春の風が空を吹き抜け、航達の肌から体温を少し奪った後、名残も残さず去って行く。 やがて美桜が頬を綻ばせ、静かに微笑んで、航の顔を見上げた。 「いいん……ですね?」 「ああ。椎名の望むままにすればいい」 航はそう言って目を細めて笑い、テキストを差し出した。 そして美桜も手を伸ばし、夢への切符を取り戻す。 「ありがとう……ございます。私はまた、頑張ることができそうです……」 美桜はそう答え、春に花咲く桜のようにもう一度、微笑んだ。 第二章 海老で鯛を釣る試みについて 「よっ、椎名。昼メシ、一緒していいか?」 一月ほど時間が流れた五月の半ば。 昼の食堂でカルボナーラを食べていた美桜へ、一人の男子生徒が話しかけた。 がっちりとした体躯と気取らない笑顔に見覚えのあった美桜は、目を瞬かせる。 「森嶋君? え、ええと?」 驚いた美桜は、呼ばれた名前が自身のものであることを認識しつつも、周囲へ視線を巡らせてしまう。 新学期の始まりから、一か月以上が過ぎた食堂に緊張感はなく、新しい人間関係を築き上げた生徒達が、それぞれの話題に花を咲かせていた。 美桜の昼食は基本的に一人なのだが、まあ、それはそれでいいかと、ぼーっとしていたため、唐突な出来事に、どうリアクションをしていいのか戸惑ってしまったのだ。 そんな美桜の様子に凌太は苦笑して、正面の席の椅子を指差した。 「あ、はい。どうぞ」 美桜は状況を理解できないまま頷き、凌太がチキン竜田揚げ定食のトレーをテーブルに置く。 「突然、悪いな。ちょっと頼み事があって」 「頼み事……ですか? あの、私達って……」 怪訝そうな美桜へ、凌太は頷いて見せた。 「ああ。話したことはない。初対面だ」 凌太は手を合わせた後、豪快にチキン竜田を口へ運び始め、一方の美桜は、「は、はぁ……」と曖昧に反応するしかない。 頼み事、と言われても美桜に思い当たるものがさっぱりないのだ。 バスケ部のエースとして呼び名が高く、好青年で通っている人物が自分に何の用があるのかが分からない。 「そんなに警戒しなくていいって。……航絡みだ」 「佐崎君ですか?」 「ああ、最近仲がいいんだって?」 美桜は指摘されて、瑠衣達との一件を思い出す。 「え、ええ、いろいろあってから、話をするようになりましたが……」 「ふうん? 普段、アイツとどんなこと話してるんだ?」 「え!?」 いきなり会話の内容を聞かれて、美桜は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。 凌太は凌太で、別に妙なことを聞いたつもりもなかったので、その反応に驚きを隠せない。 「どうしたんだ、そんな驚いて。何かヘンなことでも言ったか? 俺」 「い、いえ、そんなことはないんですが……」 美桜は頬に、つうっと冷たい汗が流れるのを感じつつ、曖昧に言葉を濁してしまう。 直近の会話というのなら昨日の放課後の図書室での立ち話なのだが、内容が何と言うか、初対面の人物にはかなりとっつきづらいのだ。 「それは、その……」 「?」 凌太は不思議そうな表情でみそ汁をすする。 「〜〜〜」 一方の美桜は眉間を寄せ、俯く他ない。 理由は、その内容が件のテキストを読んでいてよく分からない部分についてだったからだ。 本性がバレている気楽さも手伝って、つい相談してしまったのだが、ちょっと軽率だったのかもしれない。 「いえ、まあ、話せて楽しかったかと言われれば、その通りなんですが……」 「……? えっと、何言ってるんだ?」 「あ、あはは……テストの過去問の話をしてただけです。ありがちですよ、ありがち」 「よ、よく分からないが、まあいいや。上手くやってるっぽくて」 からっと笑う凌太に、美桜の良心が若干痛んだが、「やむを得ないことは、よくあることです」と一人で呟いて、無理やり自身を納得させる。 「あの、それで用件というのは?」 「ああ、それな」 凌太は、ぐびっとペットボトルの麦茶を飲んで言った。 「今週の日曜、どっか遊びに行こうと思って。椎名が航を誘ってくれないかと」 「え?」 何でもないことのように出た爆弾発言に、フォークを持つ美桜の手が固まる。 「え、ええっ!? な、何を!?」 「いや、言葉の通り、椎名が航を誘ってくれると助かるなって。場所とかは決めてあるから、言ってくれるだけでいい。不安なら女友達も誘ってくれて構わない」 要領を得ない状況に、美桜の頭は空回りしたが、どうにか問いをひねり出した。 「あの、どうして私が? 森嶋君の方が親しいんじゃないんですか?」 「そうなんだけどな。アイツ、俺が誘っても来ないから」 「?」 ますますよく分からなくなって、美桜は目を白黒させる他ない。 凌太は少し神妙な表情になって続ける。 「初めてアイツと話したのは、中三の四月だった。今は高三の五月で、付き合いはそれなりなんだが、休みの日、一緒に出掛けたことがないんだよ、これが」 「一緒に出掛けたことがない……?」 美桜はその言葉を反芻し、鈍い違和感を覚えた。 年単位の付き合いがあるのに、遊びに行ったことがないというのは、美桜から見ても奇妙だ。 凌太は箸を振りながら、苦笑する。 「アプローチを変えてみようって話さ。ダメならダメで次の手段を考えればいいだけだしな」 「ま、前向きですね……」 「オフェンスはシュートを打ってナンボだろ? 外れてもいいんだ。悪い結果が出たら修正する。それだけだ」 「は、はぁ……。誘っても来ない、ですか」 美桜は歯切れ悪く呟き、考えた。 気になってはいたのだ。 初めて会った時の、『公園へは行きたくない』という発言。 加えて、『イートインで作戦会議をしたい』という美桜の提案も、奇妙な言い回しで断られている。 「あの、森嶋君。聞いてもいいですか?」 「なんだ?」 「森嶋君はコンビニのイートインで、佐崎君と最長、何分くらい一緒にいたことがありますか?」 突っ込んだ問いではあったが、凌太は奇妙な深みのある表情を見せて、薄く目を伏せた。 「頑張っても十五分ってとこだ。そっちは?」 「似たり寄ったりです。もう少し腰を据えて話したい時もあるんですが」 「なるほど。俺にだけそうしてるワケでもないのか。相手を選んだ対応じゃないんだな」 「ううん……?」 美桜の思考に靄がかかり始める。 『公園へ行けない理由』と『イートインで長居できない理由』が重ならない。 「では、私をA、森嶋君をBとして、新たにCが現れた場合の対応はどうでしょう?」 「へ?」 唐突な問いに、今度は凌太の声が裏返った。 美桜は、「しまった、つい」と思ったが、今更引っ込めても不自然だと思い直し、話を続ける。 「つまり、第三者が出てきたケースです。森嶋君が判断するとしたら、どうですか?」 凌太はしばらく考えた後、答えた。 「対応は同じだろうな。航と付き合いのある奴は他にもいるが、それは変わってないから」 「男女問わず、例外はないと考えていいと?」 「ああ。別の高校のDが出ようと、大学生のEが出ようと、な」 「なるほど……」 じっ、とフォークの先を見て思考を走らせ始めた美桜を、凌太は神妙な視線で見つめる。 やがて、美桜が口を開いた。 「なら、原因はAやBではなく、佐崎君自身にあると考えるのが自然ですね。森嶋君も、そう思い至って私に声をかけた……ということでしょうか?」 「え、ああ、いや、そうなんだけど、そうでもないような。……まあ、いいや。これは思ってた以上に、面白いことになってるな……」 「?」 首を傾げた美桜へ、凌太は悪戯っぽく笑う。 「椎名に声をかけて正解だったって話さ。引き受けてくれるか?」 「……言うだけなら、言ってみます」 美桜の反応に凌太は満足げに頷き、悪戯っぽく笑って答えた。 「なら、誘い方だ。単純に声をかけてもダメだろうからな。……ちょっとヒネるぜ?」 「佐崎君、今週の日曜って予定ありますか?」 凌太とのやり取りを経た放課後。 図書室へ向かう廊下を歩きながら、美桜は隣を歩く航へ問いを投げかけた。 「日曜? ええと、午前にバイトは入ってるけど、午後からは何も。それが、どうした?」 「相澤さん達との一件のお礼をしていなかったと思いまして。何か、食べに行きませんか?」 航は少し目を伏せて、眉間に皺を寄せる。 その仕草に美桜は思うところがありつつも、「午前にバイトがあると、お疲れでしょうか?」と、間を嫌うように問いを重ねた。 「まあ、ちょっと手間のかかる仕事ではあるけど、大分慣れたしな……」 「はあ。ちなみにどんなバイトを?」 「清掃業務。難しくはないし、体力があれば何とかなる仕事」 「へ、へぇ。なんか、意外なお仕事をされてるようで……」 航は苦笑する。 「どんなバイトだと思ってたんだ?」 「うーん、細かなパーツの検品とか。神経を使いそうなやつでしょうか」 「それも嫌いじゃないけど、どちらかと言うと仕事は身体を動かしたい方かな。……ちなみに、椎名はバイトするとしたら、何がしたい?」 「え、私ですか? バイト、バイト。うーん……」 美桜は急に水を向けられて戸惑ったものの、首を傾げて、少し考えた。 「本屋とか。結構な重労働とも聞きますが、そういう我慢ならできそうです」 その解答に航は小さく笑う。 「ははっ、なるほど。椎名に本屋は似合いそうだ。図書館司書とかもいいんじゃないか?」 「本に囲まれる仕事は幸せそうです」 「給料は安いらしいが。……時給が安いのって結構辛いからなあ」 「私はバイトをしたことがないので何とも言えませんが……。そういうものですか?」 「割りが良いに越したことはない。単純に、懐が暖かいと気持ちの余裕が違うしな。……って、すまん、話が逸れた。日曜だが」 航はちょっと気まずそうに頭を掻きながら、美桜へ問いをなげかけた。 「どこへ行くかとか、アテはあるのか?」 美桜は、「来た。勝負はここからだ」と内心で腰を据え、返答する。 「アウトレットモールとか、どうですか? 凪紗からもらったネックレスがあるでしょう? 私、ああいう分野に疎いんです。興味はありますし、知っておくのもいいと思ったんですが」 航がびっくりした様子で、目を瞬かせた。 「俺もさっぱりなんだが。場違いになると思う……」 「私もそうですよ。でもジュエリーショップだと気構えてしまいそうですし、近場のアウトレットモールでいいのではないかと」 「アウトレットかあ。ブランド品とかが安く売られてるところだよな……」 航のあまりよくない反応に、美桜は内心で、「よしよし」と拳を握る。 「ホームページとか見てると結構楽しいですよ? モールですから宝飾に限らず、靴、服、雑貨なんかも扱ってますし、華やかです」 「えーと、場所は?」 「少し離れてますね。ここから二駅ほど離れた場所で、最寄り駅からバスに乗り継ぐ感じです」 「うーん。悪いけど、別の場所とかないか? やっぱ、気恥ずかしいというか、抵抗がある」 申し訳なさそうな航に、美桜は少し意識して、ショックを受けたような表情を浮かべた。 「そ、そうですか。結構、行ってみたかったんですが……」 「す、すまん。身体を使うバイトの後に、移動が多いのはちょっとな?」 「な、なるほど、それはそうですね……」 実のところ、それほど残念でもないのだが、美桜は大げさに肩を落として見せる。 「なら幅を広げて、ショッピングモールはどうでしょう? 映画館もレストランもありますから、オールラウンドです」 そして、切り替えた風を装って、次の案を出すと、航はまた視線を逸らした。 美桜はやはり、何か事情があると考えてよさそうだと感じつつ、凌太との作戦を思い返す。 その内容は、『普通に誘うと断られる。なら、最初に実現できないヤツをふっかけて、断らせ、責任を感じさせた上で、次の案……という名の本命を飲ませる』だ。 美桜だって最初から、ジュエリーショップやアウトレットモールへ男子を誘えるなどと思っていない。 特別な事情があろうとなかろうと、知り合って一月ていどの女子から、『お気に入りのネックレスを売っていた宝石店へ行こう!』と誘われ、『分かった! いいな、それ!』と乗って来る男子はいまい。 いや、いるかも知れないが、少なくとも航はそういうタイプではないと美桜は思う。 だからこそ、応手の見えやすい筋道でもある。 ならば、誘導しやすい提案を投げかければいいだけの話だ。 航が答えた。 「ショッピングモールというと、最寄り駅から歩いて行けるアレか?」 「はい。この辺りだと休日に一番人の集まる場所ですね。家族連れも多いでしょうし、賑やかでとてもいいと思います」 「それはそうだが……」 歯切れの悪い航の反応に、美桜は思う。 これもダメそう。 妥協案としては悪くないと思っていたのだが、まあ、別にそれはそれでいい。 実際、凌太はこの二つ目の案も望み薄だと考えているようだった。 中三の春からの付き合いがある彼がそう言うのなら、そうなのだろう。 凌太の言葉が脳裏に蘇る。 『オフェンスはシュートを打ってナンボだろ? 外れてもいいんだ。悪い結果が出たら修正する。それだけだ』 いや、まったく、その通り。 シュートが外れたのなら、また打てばいいだけだ。 美桜はそう考えて、三つ目の案を出す。 美桜自身が考え、一番実現性が高そうなものだ。 「では、市の中央公園を歩いて、簡単にファミリーレストランで食事をするのはどうでしょう?」 「中央公園? あのアスレチック施設もあるやつか。そこだと、近くにファミレスもあるな」 「はい。巨大なハンモックや簡単なボルダリングもできますね」 「巨大……ハンモック……!」 何かの琴線に触れたのか、航が大きく反応する。 「巨大というと、何人か乗れたりするのか?」 思わぬ食いつきに美桜は驚きながら、事前に見ていたホームページを思い出した。 「しゃ……写真で見た限りでは、そんな感じでした。家族向けのレジャー面もある公園ですし?」 「そ、そうか。し、しかし……」 あ、コレ、来てるな。 美桜はそう感じ、畳みかける。 「巨大というと、池の両端を繋ぐつり橋もあるそうです。クラシックな作りながら、なかなかに頑丈で味があるとか?」 「橋……。大橋……」 何事かをぶつぶつ呟いていた航だったが、やがて観念した様子で頷いた。 「……分かった。当日は何時に、どこで待てばいい?」 美桜の表情が、ぱあっと輝く。 「では、最寄り駅に14時集合でお願いします」 「分かった」 「じゃあ、凪紗と森嶋君へも伝えておきますね?」 「そうしてくれ。……え? なんでその二人も? ……あれ?」 ふと、航は何かに思い至った様子で、口元に手を当て、考え込んだ。 そして、思いっ切り渋い表情になる。 「もしかして俺、はめられた?」 一方の美桜の顔は、輝いていた。 「なんのことでしょう? 何にせよ、佐崎君は、『分かった』と言いました。今更、反故にはしませんよね?」 「……ぐっ。き、汚いぞ、凌太もグルか?」 「それはご想像にお任せします。……では当日、お待ちしています」 そう言って、美桜は頬を綻ばせて微笑む。 なぜここまで嬉しいのかは、美桜自身にも掴み切れていない部分はあった。 ただ、終わってみればこれは単純に、「男の子を初めてデートに誘った」ことから来る気恥ずかしさと高揚だったのかもしれないと感じ、笑うしかなかったのだとも、美桜は思った。 「およよ? 航君、何かいいことあった?」 美桜と約束を交わした後、航はバイト先で唐突に言われ、思わず顔を上げていた。 「いいことかどうかは分かりませんけど、週末、友達と出掛けることになりました」 清掃着姿の航は答えながら、作業報告書を胸ポケットから取り出し、目の前の若い女性社員へ手渡す。 女性こと里中真代(さとなか まよ)は、それを受け取り、にたーと笑った。 「ふうん? 経緯は知らないけど、航君は働いてばかりだから、その方がいいと思うなー?」 真代はボールペンを手にし、報告書をひらひら振って、そんなことを言う。 白いブラウスにパステルピンクのカーディガン、色を合わせたキュロットスカート姿の真代は、美桜より少し身長が高いものの、二十代前半としては小柄な方だ。 髪形は、ふわりと柔らかなパーマをかけたショートカットで、スマートな体格を含め、全体に陽気な雰囲気を身にまとっている。 今、二人がいるのは、真代の勤める企業の正面玄関で、時々横を通り過ぎる社員はいるものの、人の影そのものはあまりない。 「そんなに働いてませんって。ほどほどですよ」 「とはいっても、ウチへ清掃に入るようになって、もう一年じゃん。頑張るのはいいことだけど、同期として、若人の先行きは気になるんだよ」 「同期て。ややこしい言い方しないで下さい。俺が清掃のバイトを始めたのと、真代さんの社会人デビューが同時期だっただけじゃないですか」 航は不服顔で真代の持つ報告書へ腕を伸ばすが、ひょいとかわされ、手が空を切る。 真代は悪戯っぽく、口元を緩めて笑った。 「つれないなー。勤める会社は違うけど、戦友みたいなもんじゃん。……航君の先輩の作業が終わるまで、もうちょっと時間あるんだから、何か話そ?」 航の表情が渋いものへ変わっていく。 「真代さんの方こそ、仕事中じゃないですか。正社員」 「ふふん、正社員は就業時間が長い分、それに見合う休憩が必要なのだよ、ハイスクール?」 「誰がハイスクールですか、誰が。偉そうに言うことじゃないです」 「困難は努力よりジョークで乗り越えるのが大人の流儀だよ? 渋い顔でコールしちゃ、勝負師の名が泣くじゃん?」 「大損するギャンブラーの理論じゃないですか」 航の切り返しに、真代は大仰に両腕を開いて見せた。 「あー、つまらない理屈! もっとハイスクールらしく無謀に生きてよぅ。破滅してよぅ」 「子供じゃないんだから、むちゃくちゃ言わないで下さい。……そっちこそ一年経ったんですから、サイン以外に仕事しているところ見せて欲しいです」 航の冷静なつっこみに、真代の表情がこわばり、視線が中空を泳ぎ出す。 「そ、それは……その、アレだよ、能ある鷹は爪を隠すってヤツ?」 「それ、ずっと前から言ってません?」 真代はしばらく、「うぅ……」と唸ったが、やがて無理やりに胸を張って答えた。 「た、大器晩成なだけ! 終盤に急成長するタイプ! 上を見て花が咲かないことを嘆くのではなく、下を見て種を植えているだけのだ!」 「よく回る舌だこと……。それで、最近の成績はどうなんですか? システム営業」 航の問いに真代は顔をしかめ、渋い口調で言う。 「数字至上主義というか、勝利至上主義というか、ホント面白くない。あーあ、社会人ってこんなものなのかなあ?」 その嘆きに、バイト経験はあるが、社会人経験のない航はリアクションに困ってしまった。 同意すべきか、反論すべきか。 真代は苦笑する。 「真面目に悩まないでよぅ。給料分は頑張ってるつもりだし、一年目なんて足引っ張るのが仕事みたいなものだから」 「なら、いいですけど」 「あー、もしかして、私が辞めちゃったら、寂しい?」 「……寂しいというより、困ります。女子トイレの芳香剤とかマットの交換は、誰かに手伝ってもらわないとできないので」 「うんうん、素直じゃないね、ハイスクール? 別の誰かがやってもいいことなのに、いつも私に頼ってくれるのは嬉しいな?」 「本当によく回りますね、その舌……」 「そうだね〜。面接官だった部長と会うと気まずくて困っちゃう。『最近、頑張ってる?』とか、もう、さぁ……。地元企業あるあるだよ」 「胃が痛い……」 航は自分がその状況だったら、何を話せばいいのだろうと考え、腹に手を当ててしまった。 真代は真代でダメージを負ったらしく、渋い顔で眉間に指先を当てていたが、気を取り直した様子で苦笑する。 「ま、まあ、それはそれとして……。航君の方は、ちゃんと成長してるようで何よりじゃん」 「成長?」 「うん。ほら、ウチの会社、五階建てでしょ? で、マットやらモップやら芳香剤やらの交換が一回で……四十箇所くらい? あるよね?」 「え、ええ」 航は真代の持つ作業報告書へ視線を向け、その内容を脳内で思い出した。 清掃用具の交換作業において、大切なのは数より位置だ。 どの階のどの出入り口に、どういう種類のマットがあるか、モップの入ったロッカーはどこにあるかなどを覚えられるかどうかが、最初の大きなハードルとなる。 航もそれにつまずいて、苦しんだ時期があったのだ。 真代がしみじみとした口調で、過去を振り返る。 「それが今は、各階を分刻みで正確に動けるようになっちゃって。私と一緒に、『仕事覚えらんねぇー!』って嘆いていた頃が懐かしい……」 「真代さんは今からでしょう。何、『乗り越えた』みたいな顔してるんですか」 「いや実際、よく覚えられるなって思うんだけど……。だって、このビルだけでも四十で、一日に何件も回るんでしょ?」 「意外と慣れだと思いますが……」 「私、女子トイレの交換とかは手伝ってるけど、自分の会社のことなのに、どこにマットとモップがあるかとか、まして種類なんて把握してないよ?」 航は、「なんか、過剰に評価されてるな」と感じ、苦笑いして手をひらひら振った。 「いや、ホントに慣れでして。逆に言えば、他のことを覚えてないんですよ。自分の好きなものばっかり食べてるだけで、他を知らないんです」 「あー、まあ、それはマズい気もするね……。でも、それなら気付いてると思うけど、この会社っていうか、ビルって謎じゃない?」 「謎?」 首を傾げた航へ、真代は少し声をひそめて言う。 「だって、電子ロックしたまま、入れない部屋いくつかあるし。現に私の」 真代が言いながら、首にぶら下げた社員証を指先でつまんだ。 「カードキーじゃセキュリティを解除できない部屋もたくさんあって。……階が進めば進むほど、それが増えるんだから、絶対なんかあるよ」 「それは……」 真代の推測を航は否定できない。 実際、気になる点はあって、何か含むものがあるのだろうか? と思ってはいたのだ。 「そう、ですね。一つ、大きな疑問はあります」 「ほほう、聞こう。……こっそりね?」 真代は悪戯っぽく片目を閉じ、指先を唇に寄せたので、航は少し苦笑して答える。 「五階に不自然な部屋があるんです」 「おおう、五階とはいきなり天守閣だ……。で、どう不自然なの?」 「その部屋の出入り口に置かれているマットの種類と交換頻度、それに使用状況ですね」 「どういうこと?」 航は報告書の五階に置いてあるマットの品名を指差した。 「これ、冬場の玄関とかで使われる網目の強いマットなんですけど、結構、汚れがあるんです」 「……? ごめん、それが? マットが汚れるのは普通のことじゃない?」 「おかしくないですか? 五階って、社長室があるフロアでしょう? 一階に比べると、人の出入りは少ないはずなのに、痛みがある」 真代は少し、神妙な表情になる。 「つまり、誰かが頻繁にその部屋へ出入りをしていると? ドアのセキュリティレベルは?」 「いつももらっているゲストカードの『1』だと、ムリです。というか、この一年、その部屋へ誰かが出入りしているところを俺は見たことがないんです。それは、さすがに……」 「不自然……だね。へぇ、五階ってことは社長室と並んで、セキュリティレベルは最高の『4』かなあ。言わば、『開かずの間』か。……足元を見るとはよく言ったもんだ」 真代は何かをブツブツ呟いていたが、やがて、にやりと人の悪い笑みを航へ浮かべて見せた。 「うーん、いいね! なんか、サイバーパンクみたいで!」 「サイバーパンク!? え、それって、アレですか、眼球に特殊レンズ埋め込んだら、視線でロックが解除できるとか、そういう世界!?」 真代は嬉しそうに微笑む。 「そういうのに憧れて入った会社だしね! モチベーション上がってきた〜!」 「いや、社内で何するつもりですか!? 言ったのは俺ですけど、海外のカニ漁船送りとかカンベンして下さいね!?」 「え〜、一緒にしようよぅ? サイバーパンク探偵!」 「契約切られるので、それはちょっと。……っていうか、真代さんは社員でしょう」 「確かに、職を失うのは怖いし、鬼の懐を探るのは控えた方がいいかなあ……」 「よく分からない言い方しないで下さい……」 真代は目尻に苦いモノを滲ませて、頬を掻いた。 「まあ、私は去年の春、大いにやらかしちゃってるからなあ。これ以上、落ちようもないってのが現状なんだけどね」 「やらかした?」 「うん、それは」 航の問いに真代が答えようとした時、彼女は何かに気付いた様子で、不意に顔色を厳しいものへ変える。 「あ、社長が帰って来たみたい。……おしゃべりは終わりかな?」 「え?」 目をぱちくりとさせた航に、真代が自身の耳たぶを叩いて見せた。 「いい車のエンジン音がしたから。静かなら、静かで不自然だから目立つんだよ。滅多に見られない高級車だし、覚えておいて損はないよ?」 「まあ、俺の方もそろそろ出ないとですし……。じゃあ、サイン下さい」 「うん」 真代が報告書にサインをして、航はそれを受け取る。 「ありがとうございました。また、お願いします」 「は〜い。またね、航君」 手を振る真代へ航は一度頭を下げ、玄関を出た。 駐車場を歩き、真代の言う高級車を見て、最後に、 「ガチで高いやつじゃないか、アレ……。どんな稼ぎ方したら、あんなのに乗れるんだ……?」 と呻き声を漏らした。 そして、真代は去って行く航の背中を見つめながら、「はぁ〜」と大きくため息を吐いた。 「このタイミングで逃げたら、部長に怒られそうだし。まあ、挨拶はしておくか……」 次に、入れ違いとなる形で、正面玄関へ現れた人物へ向かって、顎を引き、姿勢を正す。 姿を見せたのは、頬と眉間に深い皺を刻み、目尻が吊り上がり気味の五十代前半の男だ。 真代は深く頭を垂れ、密やかな声で言った。 「……お疲れ様です。椎名社長」 社長と呼ばれた男の背中が正面フロアを通り抜け、エレベーターの中へ消えるまで、真代は下げた頭を上げない。 男は終始、無視を貫いたものの、言外に示された意思は徹底された嫌悪だ。 エレベーターのランプが五階まで上がり、消えるまで、真代の表情は淡々としたまま変わることはなかった。 「お、今日は遅刻しなかったんだな?」 そして迎えた五月中旬の日曜日。 空は青く澄み渡り、緑の匂いを含む風が吹く中、待ち合わせ場所である寂れた駄菓子屋のような古い駅に姿を見せた凪紗へ、航は悪戯っぽい笑みを見せた。 それは先月の事件を皮肉ったもので、凪紗は口元を引きつらせ、唇を尖らせるしかない。 「おかげさまで、痛い目を見たからね。瑠衣ってば、ざっくりしてるようで、結構拗ねてたから大変だったよ」 そう零す凪紗はホワイトのスラックスに、ボーダーのティーシャツ、そしてコバルトブルーのロングカーディガンといういで立ちだ。 学校にいる時と同じハンチング帽を被り、ネイルの色もそれらに合わせてあるが、全体的にさっぱりした装いだな、と航は思う。 「ふうん、相澤って見た目は金髪ヤンキーだから意外だな」 「こらあ、ぱっと見ハラスメントは止めなって。それ、本人の前で言ったら、半殺しだよ?」 「その発想がヤンキーだって言うんだ。恩もあると思って、カンベンして欲しい」 「恩があるのは美桜にであって、佐崎じゃないからねー。まあ、腹パンくらいかな?」 「……三日くらい、水しか飲めない生活になりそうだ」 航のボヤキに凪紗は、「あはっ!」と笑い、ハンチング帽のツバを撫でて、口元を緩ませた。 「ま、何だかんだで困ったら力になってくれると思うよ? その辺、義理堅いのも瑠衣だから」 航は、「そうかい」と苦笑するしかない。 そんな航を、しげしげと凪紗は眺める。 「え、何?」 「ダークめのパンツに、シャツ、グレーのアウター……。顔もそうだけど、普通だねえ」 「ケンカ売ってるのか、瀬倉は。普通の何が悪い」 「ごめんごめん。悪くはないけど、改めて見てみたくなっただけだよ」 凪紗は何が面白かったのか、朗らかに笑うが、航は渋い表情になってしまう。 「それはそれとして、椎名と凌太はまだか? 結構、待ち合わせ時間ギリギリだぞ」 「ん。ちょっと待って」 航の問いに、凪紗はスマホをバックから取り出し、メッセージアプリを立ち上げた。 「二人共、ちゃんと家は出てるから、もう着くと思う」 「そっか。……できれば、ひとところに留まりたくないから、早く来て欲しいんだが」 「どゆこと、それ?」 それは凪紗の素直な疑問だったが、航は首を左右に振るだけで、何も答えない。 凪紗は腕を組み、ハンチング帽のツバを下ろして、目元を隠す。 「ブン屋のリテラシーってね。……無遠慮にプライベートへ踏み込むことはしないよ」 含みのある言い回しに、航は目をぱちくりとさせた。 「ブン屋って、なんだ?」 「新聞記者の俗称かな。古い呼び方だから、知らないのもムリはないけど」 「なんか、あまりいい意味で使われそうにない響きだ」 「あはっ、そうだね。『来やがったよ、ブン屋風情が……』とか、そういう使い方が正しい」 「それはまた、知らない世界の話だな……」 航は後頭部を掻きながら、渋い顔になってしまう。 「ま、『新聞記者としての良識』とかそんな感じでいいよ」 「何かよく分からないが、瀬倉は新聞記者に憧れてるのか?」 「お父さんが、そうだからね。影響は受けてる」 「へえ」 航が納得した時、「すみません、お待たせしました」という美桜の声が耳へ届いた。 振り向くと、ベージュのロングスカートにローズピンクのカットソー、デニムジャケット、そして首に件のシルバーネックレスをつけた美桜が立っており、後ろには凌太の姿もある。 凌太はシンプルに、ブラックのボトムズと、リーフグリーンのパーカーという装いだ。 「やっほー、美桜、森嶋。アタシを待たせるなんて、偉くなったね?」 凪紗の煽りを受け、美桜は不満げに頬を膨らませた。 「これでも待ち合わせ十分前です。電車の時間までなら、もっと余裕があるじゃないですか」 「早めに集まって話したくもあったからさ。……ま、佐崎とは喋れたし、よしとしてるけど」 凌太が、「ほほう」と興味深げに口元を吊り上げる。 「へえ、詳しく聞きたいな、それ。……ま、その辺りは移動しながら話そうぜ?」 航は頷き、美桜へ視線を向け、問いを投げかけた。 「椎名、今日ってどんな流れで動くんだ? 大まかでいいからスケジュールが分かると助かる」 「あ、はい。まず二つの駅移動を挟み、その後、公園までは歩きです。今から三十分ほどあれば、着く距離ですね。ファミリーレストランも公園近くなので、負担にはならないかと」 美桜の使った、「負担」という言葉に凪紗が頭に疑問符を浮かべる。 「負担って、どゆこと?」 航は自分の肩を揉みながら濁った、「あー」という声を漏らした。 「俺、午前はバイトだったんだよ。少し疲れが……」 「それなんですよ、聞いて下さい、凪紗! 行き先の案を出した時、佐崎君はゴネたんです。アウトレットモールとか、ショッピングモールはイヤだ、行きたくないと」 いかにも怒っていますアピールをした美桜に合わせ、凌太が大仰に両腕を開いて見せる。 「マジか、航! 最低だな、女子からのプランを蹴るなんて!」 凌太は、そんなことを言って、他人事のようにケラケラ笑った。 片棒を担いでいた美桜は引きつった苦笑を見せ、駅構内の切符販売機へ紙幣を挿入する。 航は美桜と凌太の繋がりに気付いているものの、何も知らない凪紗は、首を傾げるしかない。 だが、「プランを蹴った」というエピソードは面白いものではなかったらしく、凪紗は引き気味の視線を航へ向け、冷たい口調で言った。 「それ、マジで嫌われるヤツじゃん。これは女子トークのネタにするかなあ。高くもない株だけど、底値が知れるのって、結構効くよ?」 「やめろ、ブン屋。真実の棒で俺を殴るな。リテラシーはどこへ行った?」 「やだなー、冗談だよ。面白いネタほど、胸に留めるていどにする方がいいからね?」 悪戯っぽく笑う凪紗だったが、航は肩を落とす他ない。 「そこは忘れると言って欲しかったな……。何か、釈然としない……」 四人はそんな会話をしながら、改札を通り、ホームで電車を待った。 美桜が航の隣に立ち、目を細めて会話を始める。 凪紗はその横顔と服装を見ながら、苦笑した。 「普段、美桜って化粧しないのに、フルコーデしちゃって。気合入ってるなあ……」 「どうしました? キョロキョロして」 駅移動を挟み、公園へ向かう道の途中。 不意に立ち止まり、後ろを見て、一つ息を吐いた航へ美桜が首を傾げて問いを投げた。 航は苦笑いし、ひらひら手を振るだけで、美桜、凪紗、凌太に、その意味は分からない。 「どうしたよ、航?」 「いや、大したことじゃない。気にしないでくれ」 航はそう言って肩をすくめたが、凪紗が悪戯っぽい笑みを浮かべて、その横腹を肘でつつく。 「何? 佐崎って、まだ殺し屋に狙われてるーとか思っちゃってるタイプなの?」 「そんなワケあるか。どういうイメージを持たれてるんだ、俺は」 凌太がパーカーのポケットに手を突っ込んだまま、答えた。 「航って結構謎だからなあ。がっつりアクションしたり、爆発したりする映画は観ないのか?」 「パッと見て、『カッコいい!』ってインパクトのあるのは好きだ。あまり、リアリティにはこだわらないかもな」 その言葉に美桜が、「ふむ」と唸る。 「なるほど、だからハンモックが刺さったんですね? 好きな映画のワンシーンだったとか?」 「ああ。子供の頃観た映画で、スラムの高いビルから飛び降りた後、最終的にハンモックへ、すぽって収まるシーンが好きだったんだ」 航と美桜の会話に、凪紗がくすりと笑った。 「なんか、コミカルだねー。いいじゃん、いいじゃん。そういう話、もっとしていこうよ!」 そんな会話を挟みながら、四人は目的地である市の中央公園へたどり着く。 民間のレジャー施設ではないため、入場料などは必要ないようで、多くの家族連れや学生、カップルなどで賑わっているようだった。 航が手に取ったパンフレットには、ボール遊びのできる芝生広場、子供向けのアスレチック遊具だけでなく、テニスコート、野球場、屋根付きバーベキュースペースなどの案内も書かれており、幅広い年齢層に対応していることがよく分かる。 凌太も感嘆の息を漏らして、パンフレットのページをめくった。 「少し離れた場所にだけど、プールもあるんだな。地方都市ならではというか、何というかだ」 「アタシ、ボルダリング体験とかやってみたい。……五月の軽装だし、やってみない?」 凪紗は興奮して提案したが、美桜がやんわりと咎める。 「軽装ではありますが、私、スカートですよ。タオルの準備もありませんし」 「なら、次の機会かなあ。とりあえず、行っとく? 巨大ハンモック」 凪紗が地図の中にある芝生公園のアスレチック遊具を指差し、航へ視線を向けた。 「うん、行きたい。見たい。今日はそのために来た」 航はあまり表情を変えずに言ったが、口調には熱量があり、三人は苦笑してしまう。 目的地へ向かって歩きながら、航はこの公園が想像していた以上に大がかりなものであることに気付いた。 スポーツをするための施設だけでなく、低年齢層向けの木製遊具などの種類も豊富で、たくさんの子供たちが歓声を上げていたのだ。 木製の柱を二か所に立て、その間をロープでつなぎ、滑車を走らせる遊具などは動きがあり、見ていて楽しい。 また、材木をバラバラに交差させ、その上を歩く際は、次に踏み出す足場を考えさせる遊具もあり、それはそれで頭を使う静かな遊び方ができて、工夫されているなと感心してしまう。 実際、その傍にいる家族連れの親子の顔には笑みがあって、父親が小学生くらいの娘の一歩一歩を、少しハラハラしながらではあるが、優しく見守っていた。 その光景を見た航は一瞬、立ち止まり、やがて後頭部を掻き、隣を歩いていた美桜が問う。 「どうしました?」 「いや……。えーと……広い土地が使えるっていいなって」 「そうですね。視界が開けているというのは、それだけで気持ちがいいと思います」 「そうだな。感情がよく動く感じがある」 見上げれば、そこにあるのは、爽やかな五月晴れだ。 視線を上げる航の前で、凪紗が肩をすくめた。 「とはいえ、雪はカンベンだよね〜。一晩でどっさり降って、学校へ行けないってこともあるし、ドラマとかで、『雪が綺麗……』とか言ってても、『いやいや!』ってつっこんじゃう」 その指摘に、凌太も表情を渋くする。 「トレーニングをするにしても、やっぱ外を思いっ切り走りたいしなあ。バスケは室内競技だからいいけど、野球とか、サッカーになると辛いだろうって感じるよ」 すると航がぽつり、と呟くように言った。 「……そうだな。首都圏の冬はずっと晴れてたし」 意外な発言に美桜が、「え?」と目を瞬かせる。 「それは、転校してくる前のことですか?」 航は一度、美桜から視線を外し、曖昧な間を挟んだ後、頷いた。 「ああ。こっちへ転校してくる前は、首都圏にいた。冬の過ごしやすさで言えば……まあ、あっちの方がラクだな」 「佐崎が転校してきたのって、中三の四月だもんね。そっちで過ごした時期の方が長いと、そうなるのかなあ」 「……十センチ降れば、首都圏では大雪とニュースで言ってますし、メートルクラスで積もることのある地方に来たら、それが自然ではないでしょうか」 美桜の見解を聞き、航は重いため息を吐く。 「まったくだ。長靴の高さとか、靴の裏の金具とか見て、対策の違いに驚いた。なんで、この雪で学校へ行ったり、出勤したりするんだってギャップが凄かったな」 航の指摘に、凌太は気まずそうに肩をすくめる他ない。 「ホント、それな? 最近はすぐ休みになるけど、子供の頃はこれ、途中で雪に埋もれたら死ぬぞって思うことあったしなー」 「笑いながら言うなって。俺、割と雪国の感性を疑った時期もあったし……」 「あ、あはは……。返す言葉もありません……」 美桜は口端をひくつかせ、言葉尻を濁しつつ、問いを投げた。 「あの、じゃあ、佐崎君はどうして転校を?」 「それは……」 航は下唇を噛み、視線を泳がせる。 そして口を開こうとした時、航は美桜の視線が自分の背後へ向けられていることに気付き、振り向いた。 そこには、所作無さげにぽつんと立ち尽くす少女の姿があった。 「女の子……か?」 見た目から察するに、年齢は小学校低学年ていどだが、傍に親の姿はない。 目尻からぽろぽろ涙を流しながら、キョロキョロし、すぐに迷子だと四人には分かった。 美桜が歩み寄り、ロングスカートを手で折って、膝を下ろし、目線を合わせて微笑む。 「大丈夫ですか? 迷子?」 柔らかく優しい声音で問い、少女は頷いた。 それを見ていた航が苦笑する。 「自分の聞きたいことより人助け、か。……椎名らしい。いいことだ」 その声は小さかったので、凪紗にも凌太にも届かなかったが、航はそれでいいと思った。 凪紗も美桜に並んで腰を下ろし、表情を緩める。 「アタシは凪紗。瀬倉凪紗。……キミ、名前は言える? スマホとか持ってない?」 少女の返答は涙声だったので内容が判然としない。 だが美桜と凪紗は、「そっか」と頷いて、微笑んだ。 「じゃあ、何か冷たいものでも飲みましょうか?」 美桜の提案に少女は、ぐずぐずと袖で涙を拭って答えるだけだ。 美桜や凪紗と同じように、航も少女に視線を合わせ、ゆっくりと手の平を差し出す。 格好としては頭を撫でようとしたものだったが、ぎくっとした様子で航の動きが止まり、美桜は不思議そうな顔をした。 「どうしたんですか?」 「いや……」 航は首を何度か振り、再び少女へ向き直って、口元を緩める。 「……何か、好きなものを飲むといい。俺の奢りだ」 「お、佐崎、太っ腹〜! 羽振りがいいってのは、気持ちがいいね!」 「働いた後だしな、使わないと」 少女は迷いながら、航の手へ腕を伸ばす。 だが警戒は消えなかったらしく、結局、引っ込んで、美桜の方を見た。 美桜が微笑んで手の平を差し出し、少女はそれに応じる。 「自販機、あっちにあるぞ」 渋い顔になる航を見た凌太は苦笑し、ベンチの隣にある自動販売機を指差した。 美桜が少女の手を引いて歩き、航、凪紗、凌太もそれに続く。 航が紙幣を財布から出して、美桜と凪紗はミルクティー、少女はココアを購入した。 凌太もその流れに乗ろうとしたが、航はにべもなくお釣りの小銭を財布へしまう。 「凌太は自分で買え」 「鬼か。子供の前だぞ」 「男に奢る趣味はない」 「ちっ」 そして航と凌太は微糖のコーヒーを買い、一息ついた。 美桜、凪紗、少女はベンチへ座り、航と凌太は自販機近くに立つ。 飲み物を口にすることで、少女は少し落ち着いたらしく、改めて名前を聞いた美桜へ、今度ははっきりとした口調で答えた。 航は頷き、パンフレットを開きながら、凌太へ視線を向ける。 「凌太、警備員さんを探してくれるか? 迷子がいるって伝えてくれ」 「分かった」 「椎名、瀬倉、俺は迷子センターへ行くから、その子の傍にいてあげてくれ」 「分かりました」 「了解〜」 自販機近くから離れる航が、美桜へ言う。 「親御さんが来るかも知れないから、ここから動かないように。あと、連れ去り犯だと誤解されるケースもあるし、あまり手を引いて歩かないこと」 その言葉に美桜は頬を膨らませ、少し不満げに答えた。 「何を言うんですか、こんな可愛い連れ去り犯がいるワケがないでしょう?」 「いや、自分で言っちゃったよ、美桜ってば……」 凪紗はわざと呆れた口調で言って両手を開き、それを見ていた少女の表情が少し、緩んだ。 「あ、やべ。降って来そうだ、急げ」 それから二時間ほど過ぎた後。 公園を出てファミリーレストランへ続く道を歩く凌太が、空を見上げて呟いた。 その背中を追う美桜も、泣き出しそうな曇天に唇を尖らせ、信号機横の地名を確認する。 「そこは左に曲がって下さい。もうすぐですから、雨が降り出す前に走りましょう」 美桜の指示に航、凪紗も頷いて、駆け足になった。 航は視線の先にファミリーレストランの看板を発見しながら、腕時計で時間を確認する。 針が指し示す時刻は、五時少し前だ。 公園から少し離れ、郊外に出たせいか、人通りは多くない。 「災い転じて福となす……は、少し違うか」 航はそんなことを呟きながら、先導して走る美桜の背中を追う。 腰まで伸びた彼女の髪が忙しく左右に揺れ、少し走り辛そうなのはなぜだろうと思い、登校に使っているローファーとは高さの違うパンプスだからだと気付いた。 目立って高いものではなかったから、気に留めていなかったし、ベージュのロングスカートとのコーデがよく馴染んでいたので、今更ながらに、「いつもと違うんだな」と思ってしまった。 「……あー」 思わず、間の抜けた声が漏れてしまった時、凪紗が横腹を肘で突いて来る。 「後で、何か言ってあげなよ?」 その表情は悪戯っぽく、怒っていない様子だったが、やはり航はバツの悪い気持ちになる。 褒めろ、と言っているだと思うが、タイミングを逃してしまった感が否めない。 今更言い直しても、ヘンに意識しているような感じになってしまわないだろうか。 やがてファミリーレストランの入り口へたどり着き、四人は胸を撫で下ろす。 美桜が乱れた髪を手櫛で整えながら、言った。 「本降り前に、来られましたね」 一方の凌太は、さすが運動部なだけあって、多少、息が弾むていどでさらりとした口調だ。 「五時前だし、あまり混んでなさそうだな。……どうした航? なんで妬ましそうに俺を見る?」 「……午前、仕事で疲れてただけだから。いつもなら、もうちょっと頑張れるから」 凌太とは違い、両手を膝に当て、肩で息をする航が、そんなことを言う。 凪紗は、また悪戯っぽい笑みを見せた。 「何? 見栄っ張り? 佐崎のツボってそこなの?」 「凌太が体力お化けなんだ。俺は普通だから。俺が標準だから」 妙な意地を張る航に、美桜はクスクス笑った後、ファミリーレストランのドアを開ける。 航はすぐ座れるだろうと思っていたのだが、それでも待ち時間は必要だったらしく、レジ前にいた店員が、席の希望と何人連れかを尋ね、一度頭を下げた。 凪紗はひらひらと手を振って、航へ告げる。 「じゃあ、佐崎、名前と人数、書いておいてね? アタシ達は手を洗ってくるからさ」 「あ、ああ……。え、名前?」 一度、頷いた航だったが、何に引っかかったのか、難しい顔をして考え込んだ。 そして、手洗いへ向かおうとする美桜のデニムジャケットの奥襟を掴む。 「ひゃっ!? な、なんですか、急に!?」 予想外の行動に、美桜が上擦った声を上げたが、航は至極、真面目な表情だ。 「すまん、椎名。名前は椎名が書いてくれないか?」 「え?」 その意味が分からなかった美桜は、きょとんとして、何か問いたいような表情を見せたが、首を左右に振った後、頷く。 「……分かりました。私が書きます」 凪紗は怪訝そうで、凌太は神妙な表情だ。 奇妙な間が空いた後、店員が、「空いているお好きな席へどうぞ」と案内したので、航は道路に面したボックス席とは反対側にある奥の席を指差した。 美桜、凪紗、凌太は特に異論もないので、それにならう。 航は少し気まずそうにしていたが、凪紗がハッチング帽のツバを指先で撫で、 「ブン屋のリテラシーさね。気にしない、気にしない」 と気さくに笑って、航の肩を叩いた。 そしてボックス席へ移動した四人は、テーブルに置いてあったタッチパネル端末を手に取り、それぞれに注文を済ませる。 「じゃあ私、飲みもの取ってきますね。三人は何がいいですか?」 美桜の提案を受け、興味深げにタッチパネル端末を触っていた航が、顔を上げた。 「ドリンクバーなら、俺も行くよ。凌太と瀬倉は何がいい?」 凌太と凪紗が順に答える。 「俺はウーロン茶」 「アタシはカルピスソーダで」 その返答に航と美桜は頷き、席を立った。 五時を回った店内は、混雑さを増し、家族連れ、部活終わりの学生、恋人同士などの姿で賑わい始めている。 「入店のタイミング、結構、ギリギリだったのかもな」 「そうですね。天気が悪くなって、走ることになってしまいましたが、佐崎君の疲れている姿も見られましたし、よしとします」 ドリンクバーのグラスを手に取り、ウーロン茶を注ぐ航が渋い表情になった。 「基準に悪意が感じられるなあ……。見られて楽しいものでもないんだが」 「ですが、見ている分には楽しいものです。だらしない姿の方が好まれる人間と言うのは、いると思いますよ?」 「それこそ基準が分からない……。シャキッとしてた方がカッコいいと思うんだが」 次に、美桜が氷を入れたグラスへカルピスソーダを注ぐ。 「休日にまで、シャキッとされたら、それこそ疎外感です」 「そういうものかなあ……」 最後に、航はコーラ、美桜はオレンジジュースを持って、ボックス席へ足を向けた。 その途中、不意に航は口を開く。 「椎名」 「?」 振り向いた美桜のグラスで、カルピスソーダの氷が、からんと揺れた。 航は頭を掻こうとしたが、両手がグラスで塞がっていたので、口元を少し引きつらせて言う。 「その……。服、似合ってる。俺も、もうちょっと気を使えばよかった」 美桜は、きょとんとした後、吹き出すように笑った。 「ありがとうございます。次は二人で頑張ってみるのも、いいですね」 「あ、ああ。そうだな」 航の口調は曖昧だったが、美桜はただ嬉しそうに頬を綻ばせるだけだ。 再び美桜は踵を返して進み始め、その髪の間から見える耳先や、うなじが赤くなっていて、航はリアクションに困ってしまう。 やがてボックス席へたどり着き、待っていた凪紗と凌太へグラスを渡した。 「ありがとー、美桜」 「サンキュー、航」 それぞれに飲み物へ口を付け、一息入れた後、航がやるせないため息を吐いて零す。 「しかし、巨大ハンモック……。見たかったなあ……」 小さな呟きではあったが、無念さが滲んでいたので、美桜は苦い笑いを見せてしまった。 「あ、あはは、親御さんとの合流に思った以上の時間が、かかってしまいましたからね……。ハンモックへ行く時間がなくなってしまいました……」 そう言って美桜が慰めたが、航は肩を落として、残念そうな様子だ。 対面に座っている凪紗が苦笑する。 「ま、まあ、天気が崩れてきて、タイミングも悪かったし? 天気予報じゃ、そんなこと言ってなかったから……」 フォローする美桜と凪紗の口調に反して、凌太のそれはケラケラと軽い。 「いいじゃねーか。あの女の子はちゃんと家族と合流できたし。アレができなかったから、コレができた。トレードオフってやつさ」 凌太の指摘に、航は顎を上げ、天井を見ながら言った。 「確かに、ハンモックと同列には並べられないか……」 そう呟く航の脳裏に、不安を抱える少女の泣き顔と、家族と合流できて安堵の笑みを浮かべる笑顔が順番に蘇る。 航は、「まあ、そんなもんか」と勝手に納得し、コーラを飲んだ。 やがて、凪紗が少し不思議そうな表情で問いを投げかける。 「ところでさ、佐崎、さっきの対応ってなんか慣れてる感じがしたけど?」 「ん? ああ、俺、妹がいるからさ。なんか、こんなんでいいか、みたいなところはあった」 美桜が驚いた様子で、航を見た。 「え、妹さんがいらっしゃるんですか?」 凌太も肩をすくめて言う。 「俺も初耳だな」 「言ったのは初めてだからな。……で、それを踏まえて、最悪の事態が起こらないように気を付けたって感じだ」 凪紗が首を傾げた。 「最悪の事態って、何?」 「俺達で保護はしたけど、またどっかいなくなるとか。……気持ちとしては最悪の事態は起こるもの、の方が近い」 美桜が目をぱちぱちさせて、唇に指を当てる。 「起こるもの、ですか?」 「ああ。予測は不可能だけど、そう思っていれば、いざという時に驚いて動けないとかがないから。それができれば時間を稼げるし、対応もそれなりに、って感じ。子供って、ホントに分からないからさ……」 「な、なるほど、実感がこもってますね……。ええと、歳の差は?」 「三つ。今、中三の春」 航の返答に、凪紗がカルピスソーダの氷をガリガリ噛みながら、「おおう」と声を漏らした。 「ん〜、なかなかに、複雑な時期じゃん。じゃあ、さっき、女の子の頭を撫でようとして、腕を引っ込めたのは、その辺りに原因があるのかな〜?」 凪紗の指摘は、「悩ましいお兄ちゃんをからかってやろう」ていどのものだったのだが、航は頭を垂れて、苦悩を滲ませた口調になる。 「そうなんだよ。今、いろいろ悩んでて、ちょっと聞いてもらえると助かるんだが……」 航は思わずため息を零したが、三人は逆に興味が湧いてしまい、視線で先を促してしまう。 美桜などはちょっと尊大に胸を張って、 「ええ、何なりと。私達がお答えしましょう!」 と頼れる自分を演出し、得意げな表情を見せていた。 「そ、そうか。なら、一番、引っかかってるやつがあるんだが」 凪紗が多少、人の悪さを口端に滲ませて、微笑む。 「うんうん、何だろう? 話してみそ、話してみそ?」 意を決した口調で、航が答えた。 「あいつ、自分のことを、『オレ』って言うんだ。ずっと、『わたし』だったのに。どうしたらいいんだろう……?」 その言葉を受け、彼等のボックス席限定で、室温が一気に下がる。 凌太が視線を逸らし、凪紗と美桜の笑顔は凍り、言葉を失って、固まってしまった。 からん、とグラスの氷が鳴り、遠く、店員を呼ぶ電子のコール音が遠くで響く。 美桜は、一度つばを飲み、慎重な口調で問い返した。 「え、ええと、それはいつからでしょう……?」 航は少し思案した後、答える。 「正確な時期は覚えてないけど、一年くらい前だ。中二の春くらいかな……?」 凪紗が腕を組み、重い口調で口を開いた。 「あ、あはは、ホントに複雑な時期と重なってるね……。何か、影響されるものに心当たりとかは? 映画でもドラマでいいけど」 ハンチング帽のツバを下ろし、目元を隠そうとする凪紗の指先は、動揺で震えている。 「それが特にないんだ。女子って、そういうものなのか?」 ふと、航から視線を向けられた凌太は渋い表情になった。 「俺に聞くんじゃねーよ。俺、一人っ子だし。ま、まあ、中学の頃、女子バスケ部にボクっ子はいたなあ。……あれ、でも最近はそうでもなくなったような?」 凌太の指摘に、凪紗は眉の端を上げ、声を荒らげる。 「ストーップ! そこは、触れちゃいけない領域だよっ!? デリケート、デリケート!」 美桜も息せき切った様子で、凌太の発言を咎めた。 「そこは女子でも難しい箇所ですので! 生半可な覚悟で触れてはいけない部分なんです!」 「そ、そうか? す、すまん……?」 勢いに飲まれ、凌太が頭を下げる。 航はそのやり取りを聞いて、自分の妹も年頃というか、複雑な年齢に差しかかっていることを今更ながらに理解した。 誰にでも、そういう時期はあるということなのだろう。 航は少し苦笑して、一度コーラを口へ運んだ後、再び話し出す。 「で、さっきの瀬倉の問いの答えだけど。……迷子の女の子の頭、撫でようとして、ためらったってやつな?」 同じく口直ししていた美桜が、グラスを置いて頷いた。 「え、ええ。腕を引っ込めていましたね。それにも何か原因が?」 「それも一年くらい前かな。進級したのが何か嬉しくて、頭を撫でたら猛烈に怒られたんだ。……しばらく口も効いてくれなかった」 凪紗がグラスの縁を指先で撫でて、苦笑する。 「あはは、それが原因で、さっきの子の頭を撫でられなかったんだ? 嫌われるのが怖いとか、佐崎、可愛いところあるじゃん?」 「可愛いってことはないだろう。凌太、もし妹がいたとしてだが」 「おう」 航はたっぷり間を置き、脅すような低いトーンで言った。 「今まで普通だったのに突然、『アニキ、死ね』って言われて、目も合わせてくれなくなったら、どうする?」 凌太は顔を両手で覆い、真冬の湖のように冷たい口調になる。 「辛くて、死んじゃう。腹切って、詫びて済むならそうする」 「そうだろう、そうだろう。……そういう意味で、俺はいつも悩んでる」 そのやり取りを聞いていた凪紗が、ぽつりと呟いた。 「この、シスコンどもめ。放っておいてもいいと個人的には思うけどなあ」 ちょっと、むっとした様子で航がつっこむ。 「それは聞き捨てならない。妹の心配をするのは普通のことだ」 美桜は頬を掻きながら、とりあえず同意した。 「ま、まあ、心配という範囲では私も常識的な反応だと思いますよ、凪紗?」 「ま……ね。アタシも兄貴がいて、放置されて育ったのが、逆に気軽で心地よかったから、つい。……ゴメン、ちょっと無神経だった」 凪紗が、ぺこりと頭を下げ、航は慌てて、両手を振る。 「あ、いや、気にするな。なんというか、こういうのって、それぞれだろうから」 「ん、そだね。……でもまあ、こういう意見交換も楽しいっしょ? お兄ちゃん?」 凪紗が、「にしし」と笑って言い、航は苦笑して同意した。 「……ああ、そうだな。こういう場って、いいな」 航は、ぽつりとそう言ってコーラを飲み、頷く。 そしてその直後、注文していた料理を持った店員が現れ、航の話題は打ち切りとなった。 そこからの話題は、凌太の部活や凪紗の交友関係へシフトし、たっぷり二時間ほど、四人は喋り続けた。 最後に航は会計を済ませ退店する際、自分の名前のない名簿を見ながら、「今日は来てよかったな」と一人、呟いた。 「今日は楽しかったなあ……」 その後、家へ帰り、お風呂を済ませた美桜は自室で、ぽつりと呟いた。 部屋のベッドに横すわりし、濡れた長い髪をドライヤーで乾かしながら、今日の出来事を振り返る。 自分や凌太が知りたいと思っていた航の事情を聞くことはできなかったが、凪紗と一緒に行動できたし、妹がいることなどが分かっただけでも充分だろう。 その辺りの心情を凌太が口にすることはなかったが、航が誘いに応じたというだけでも、一つの成果だと考えているはずだ。 「一度成功したのなら、二回目もあり得るということですしね」 美桜はそんなことを言い、頬を少し染めて微笑む。 なぜ赤らむのかの理由は敢えて考えない。 みんなで外出するのが楽しくて、次を思い浮かべると表情が緩む。 それが喜びであるのなら、多くを言葉にしたくないというのが美桜の正直な気持ちだ。 だから、胸は高鳴るままにして、吐息が漏れるのをただ楽しむだけ。 ただ。 『服、似合ってる。俺も、もうちょっと気を使えばよかった』 航が少し照れた様子で口にした、その言葉だけは、大事に胸の奥へ仕舞い、持ち歩こうと美桜は思う。 そして時間をかけて髪を乾かしながら、ふと気付いた。 「そういえば、中学生の頃の佐崎君って、どんな感じだったんでしょう?」 何か事情があって友人との外出が少なかったとしても、中学の卒業アルバムを見れば、体育祭や修学旅行、文化祭などの写真は残っているはずだ。 「髪も乾きましたし、寝る前にちょっと見てみますか」 美桜はそう言って、ベッドから腰を上げる。 幸い、父親はまだ会社から帰っていないし、多少ゴトゴトしていても誰にも咎められないから、気を使う必要もない。 「ええと、アルバムはクローゼットの奥へ放り込んだような。どこでしたっけ……?」 美桜は部屋の収納を開き、読み終わった本や着られなくなった服の詰めてある段ボールのガムテープを剥がす。 子供の頃に読んだマンガや映画のパッケージが出て来て、それはそれで気を引かれたのだが、目下の興味の方が先立ち、美桜の手は止まらない。 そしてニ十分ほどの捜索を経て、中学時代のアルバムが見つかった。 「……表紙、こんな色でしたっけ?」 薄い青色のアルバムを見て、そんな言葉が零れ落ちる。 表紙の色のイメージは、春の爽やかな青空と同じで、それを意識したものなのだろう。 上部には白色で「卒業」と大きめの文字が打たれており、レイアウト自体はシンプルだ。 「卒業アルバムでロックに攻められても困りますが……。こんなに飾り気なかったんですね」 何となく、母校の名前を指先で撫でた後、ページを開く。 航がどのクラスか知らないので、一ページ、一ページ、丁寧に内容を確認した。 違う高校へ進学したクラスメイトの顔も見られ、懐かしい気持ちにもなるが、連絡が特にないということは、上手くやっているということだろう。 体育祭、部活の地区大会、修学旅行、文化祭など振り返って見れば、多くのイベントがあったのだなあとしみじみしてしまう。 微笑ましく、そして少しの寂しさを感じながら、航の姿を探してページをめくる。 そして徐々に、美桜はその不自然さに気付いていった。 「佐崎君、いつになったら出て来るんでしょう……?」 美桜はアルバムを持つ手に、疲れを覚え始めたので、それを床に置いて読み進める。 航のことだから、上手く写真に写ることを避け、最低限の枚数に抑えたということは大いにありうる。 そういう面倒そうなことをかわすことに関して、佐崎航と言う人間は長けていそうという印象が美桜にはあった。 だが。 「おかしい、ですよ……?」 もう半分以上になるのに、影も形もない。 クラスごと、部活ごとにカテゴリー分けされているため、撮影のタイミングが悪かったとしても、「あ、ここにいそう」という写真すらないというのは、流石に不自然だ。 仮にクラスで浮いていて、部活へ入っていなかったとしても、体育祭、修学旅行、文化祭などの全てのイベントの写真に写っていないということがあり得るのだろうか。 「いえ、それはあり得ません……。せめて、背中だけでも写っている写真は……?」 美桜はさっきまでの暖かな高揚が、静かに冷めていくのを感じつつ、震える手を抑えながら、ページをめくり直す。 しかし、やはり、佐崎航という少年の姿はどこにもない。 「お、おかしいです、こんなの……。だって」 卒業アルバムなのだ。 生徒だけではなく、教職員も一緒に作っているのだから、「うっかり、アイツを載せるのを忘れました」は許されない。 それでもいないとしたら、それはなぜ? 美桜の心の中に得体の知れない不気味さをはらんだ不安の雲が広がり、呼吸も浅くなっていくのを自覚する。 「でも、一番決定的な写真があります。あるはずなんです……」 それはアルバムの一番最初に載っている、クラスごとの集合写真だ。 確か、中学のころ、クラスは三十人のものが三つあったので、そのどれかに航はいるはずだ。 「さっきは意識していなかっただけ。います、よね……?」 当たり前のことなのに、美桜は声が震えているのを感じたが、今日、凪紗と凌太と共に過ごした記憶を蘇らせ、そこに航がいることを確認した後、意を決してページを開く。 一ページ目のA組。 二ページ目のB組。 三ページ目のC組。 美桜の鼓動が、ひと際強くなり、呆然とした声が漏れた。 「いない……?」 見落しかと思い、何度も確認し直すが、やはり自分の知る、「佐崎航」の姿がない。 「さ、最後の手段です! 巻末の名簿を見ればきっと……!」 すがるような気持ちで美桜は巻末へページをめくり、一人一人名前を確認して行く。 「そんな……」 だが、何度見直しても、「佐崎航」の名前がない。 「こんなことって、ありますか……?」 美桜は激しく混乱しながらも、一度、アルバムを閉じて、状況を頭の中で整理する。 アルバムに写真にない。 名前もない。 この事実が指し示すことは、何? 「そもそも、同じ中学じゃなかった? いえ、それはあり得ません……」 事実、凪紗は、「佐崎航は中学三年生の時、転校して来た」と言っていた。 航も、「女子じゃないだけで、非難ごうごうだった」と苦い顔で振り返っていたし、そこに凪紗がつっこみを入れることもなかった。 そして凌太も、「中学の頃から友人だった」と発言していたし、今日の外出があったのは、「佐崎航」が同じ中学であることがそもそもの前提だ。 だから。 「間違っているのは卒業アルバムの方、ということ? ではなぜ、卒業アルバムに佐崎君がいないんでしょう……?」 そこが正に、「公園へ入りたくない」、「コンビニで長居できない」に繋がっているのだと美桜は直感する。 卒業アルバムに航がいないのは明らかに意図的なことだ。 それは航が教職員に対して、適当な理由をでっち上げたていどで叶えられる願いではない。 明らかに差別的な扱いだし、このご時世にそれは許されない。 「逆に考えれば、それらを押し通すだけの事情が佐崎君にあったということ。教職員を納得させ、アルバムから自分の痕跡を消させるほどの事情が……?」 美桜は自分で口にした言葉に、妙な馴染みを感じる。 そう、痕跡……つまり、アリバイだ。 公園、コンビニ、どちら関しても方向性として彼は、「自分がここにいる、ここにいた」という証拠を残すことを避けているのではないだろうか? 「そういえば、ファミリーレストランの案内でも自分の名前を書こうとしませんでしたし……」 雨に濡れそうになってたどり着いたその場所で、彼は名前を書くことをためらった。 わざわざ記名を頼んで来たのだから、やはりそこには何らかの理由があるのだろう。 「なら、その理由って?」 美桜は部屋の白い天井を見上げて問いを呟くが、当然、帰って来る答えはない。 俯き、頭を回し、痛みを覚えるほどに考えたが、解答は出ない。 おそらく、今の自分には想像のできない何かがある。 まだ情報が足りていないのだ。 同じ高校に通っていて、放課後はバイトをしていて、妹がいるていどほどにしか、自分は彼を知らない。 半ば、呆然とした口調で美桜は呟く。 「佐崎君、貴方は一体……?」 そう言う美桜の身体と心から昼間の興奮はすっかり消え去り、夜の冷たい闇が彼女を包み始めていた。 |
サイド 2021年04月11日(日)17時21分 公開 ■この作品の著作権はサイドさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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2021年05月07日(金)19時57分 | サイド | 作者レス | ||||
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柊木なおさん、こんにちは。サイドです。 一章までお読みいただき、ありがとうございます。 作者レスが遅れてしまい、申し訳ありません。 >ご自身の作風をしっかり持っていらっしゃることが伺えます。 最近、この作風と男女の人間関係で糖度を上げた短編を書いていて、以前よりいい反応をいただくことが多いので、色々変化を付けているところだったりします。 花の咲かせ方というか何と言うか、結構楽しいです。 >作品を統一している透明感のようなものが好きです。 >それがどこから来ているのか少し考えてみたのですが、 表現や展開に迷った時は、「初々しさ」を大切にすることが多いです。 滑ったら恥ずかしいとか、失敗したらどうしようとか考えず、思ったままを書き出すと「サイドらしい」と言って頂けることが多いので、そこは大切にしていきたいところです。 >●ストーリーの訴求力について >審査員や読者の目に留まるかというと、正直微妙かも知れません。 「君のとなり」はwebの長期連載のような強烈なキャッチ―さよりも、新人賞応募作として下読の方に最後まで読み切っていただき、判断されることを前提に書いており、終盤でいろいろな仕込みが活きる仕組みになっています。 とはいえ、現在の読者のニーズとしてはお金を払って買わない限り、序盤だけ読んで切ってしまうというのは珍しくもないので、掴みの弱さは悩ましいところですが。(苦笑 >作風からしてサイド様は繊細な感性をお持ちだと思うので、 >もしかすると上記のようなコンセプトは「あからさますぎる」と感じられるかもしれません。 書き上げた後、改めて本屋のいろんなタイトルやあらすじを見ると、挙げていただいた「魔術」「悪夢」「異世界」などのパワーワードはたくさんというか、必須って感じでした。 別にそういう要素が嫌いというワケでもないですし、書き終えていろいろスッキリしたので、最近は、「1LDK、そして2JK」、「ひげを剃る。そして女子高生を拾う」「弱キャラ友崎君」とかを読んでいます。 その方面のことに関しては、「あからさますぎる」とは思いませんし、「彼女の妹とキスをした。」とかみたいにセンセーショナルでもあまり気にならないので、その路線をいろいろ読んでみようかなーと思っているところですね。 >●文体について >冒頭でも書いたように、素直で良い文体だと思います。めちゃくちゃ読みやすいです。 ありがとうございます! 一度書き終え、視点や「〜た」ばかりの文末など、「うげえ」と思う程ひどかったので、そう言っていただけて幸いです。 >・表現がストレートすぎる >とくに会話文では、登場人物が自分の考えをそのまま口にしているように思います。 >せっかく含みを持たせられるところに持たせないというのは、なんというか少しもったいない気がします。 今作においては、特にキャラクターにいろいろ意識して喋らせているところがあります。 掌編、短編どちらにおいても「読み終わった後、少し物足りない」と思っていただけるていどの表現がいいと自分では思っていたんですが、最近、積極的に喋らせたほうが受け入れられたことが多くありまして、やってみる価値はあるかなって感じでしたね。 >父親はラスボスか、少なくとも中心的な敵役だと思うので、もっと陰湿で手強い感じでも良いのではないでしょうか。 >個人的には「ひどい父親だけど娘に対して最低限の愛情はあるのかな」とか「もしかしたら過去になにかよっぽどのことがあったのかな」などと思ってしまい、敵役としての脅威が薄れてしまいます。 美桜の父親に関しては、個人的にはとにかくヘイトを集められればと思っての言動だったんですが、厚みが足りなかったようです。 とりあえずの顔見せみたいな意味合いでもあったので、ガッツリ嫌なヤツエピソードを入れなかったんですが、もうちょっと何かあった方がよかったですね。反省です。 >・長台詞が多すぎる >これも指摘するかどうか迷ったのですが、個人的にはもっと切り詰めても良いと思います。 状況を地の文でもっと説明し、セリフを短くする方法はあったと思います。 そこは迷ったんですが、個人的な好みとして、「キャラクター同士ガンガン喋ってもらった方が華やかで楽しい」という気持ちがあったので、長台詞となってしまったのだと思います。 ですが、それで大切なシーンが間延びしてしまったらどうしようもないので、修正が必要な点ですね。 >引用するには長すぎるので省略しますが、第一章の最後の主人公がヒロインを励ます場面。 >ここの台詞まわしは最高だと思います。個人的にもめちゃくちゃ好きです。 ありがとうございます! 第一章の事件は、主人公とヒロインの今後の関係性を示すための舞台装置という意味合いが強く、同時に「君のとなり」の本質でもあったので、そう言っていただけると嬉しいです。 >特に緊迫感のある場面では、やはり言葉は少なければ少ないほど良いというのが個人的な意見です。 何と言うか、言動がラスボスというより幹部キャラって感じでしたね。 理屈はゴネるけど、深みがあまり……みたいな。 おっさんを書くのは好きなんですが、僕の書くおっさんって「好々爺」になりがちなので、美桜の父親は結構難しいキャラだったと思います。 >生徒手帳は普通にクラスメイトに渡せばよかったのでは? >生徒手帳の次は、プリント。さすがに作者の作為的なものを感じてしまう わらしべ長者というか、ゲームのクエスト感覚というか、とにかく話を先へ進めるため、美桜にはいろいろ落とし物をしてもらったんですが、やっぱり安直でしたよね。(汗 >最初から素直にそう言えばいいのでは? >そんなに拗れるほどの話だろうか。 ここはかなりご都合主義的な感じが出てしまっていますね。 僕個人がプライベートでも、「言っていい事なのに、黙ってて、話し合いが間延びする」ことがあるので、その性格が出てしまったのかも知れません。 >司法試験と司法書士試験は、そもそも内容がまったく別物。 調べてみました。 違いますね、この二つ。 これを書くにあたり、「日本弁護士連合会」の「弁護士になるには」に目を通していたんですが、全部は分かっていなかったようで。 仕事で弁護士さんや司法書士さんの仕事の領域の違いとかを知ることはあったんですが、何となく大丈夫だろうというつもりでいたようです。(汗 ご指摘、ありがとうございます! 応募先などに関しても、いろいろ考えて直してみたいと思います。 たくさんのご指摘、ありがとうございました! |
2021年04月20日(火)17時27分 | サイド | 作者レス | ||||
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通りすがりの読者さん、こんにちは。サイドです。 返信不要とのことですが、せっかくコメントをいただいたので、簡単にですが返信いたします。 >全体的に動機付けがあいまいだったり、行動が不自然だったりで、物語の都合で登場人物を動かしている感がありました。 第一章で、「キャラクター像と物語」を理解してもらえたら、と考えていたため、かなり速足だったからかもしれません。 他の方からもご指摘いただきましたが、この辺りはweb連載するか、単発の新人賞向けに作るかの二択なんだなあと思います。 >雰囲気は悪くなかったです。 ありがとうございます。 視点、文体に対しても今の所、強いご指摘がなくてホッとしています。 重ねて、お読みいただきありがとうございました! |
2021年04月19日(月)08時07分 | サイド | 作者レス | ||||
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ふじたにかなめさん、こんにちは。サイドです。 こちらこそ、お久しぶりです〜。お元気ですか? >現在長編執筆中(6万8千字なう。終わるといいな…) 中盤を過ぎて、仕事と執筆の両立が苦しくなってくるところですねー。 書くのは辛いけど、ここまで書いちゃったら、最後まで書きたい、みたいな。 もし、ここへ投稿されたら読ませていただきますね。 単純に、いまのふじたにさんの作風とか物語とか気になるので。 >「推理力の高い主人公が、成績が悪いけど思いやりの溢れた女の子を応援していく話」で合っていたでしょうか? はい、その通りです。 一章の目的はその構造を読者様へ伝えることで、いい加減にはしていませんが、謎や推理の側面は主人公とヒロインのキャラクターを掴んでもらうための舞台装置でした。 話が進み、規模やキャラクターの立ち位置が変わっても、「こういうやり方と雰囲気で解決しますよー」というのを伝えたかったんです。 なので、ふじたにさんが後述されている、 >結論を言えば、『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』と言い切るだけ椎名美桜の描写が弱く、応援すると主人公が決意に至るまでの説得力が足りない気がしました。 について、「なぜ美桜はそういう性格になったのか」「なぜ主人公はあのていどの接触しかないのに応援することを選んだのか」という点は、中盤、後半で補完される形になっています。 他の方のレスにも書いたんですが、「完璧を求めるより、拙い速さでも目に見える結果を序盤に優先して書いた」という方向性ですね。 Web連載ではなく、読み切りの新人賞作品だったので、最後まで読めば全部分かるという前提の作りだったんですが、早くすると、それはそれで一長一短があるようです……。(汗 >これが恋愛がメインの小説なら女の子の描写が弱かった気がしました。 この先、主人公の妹や母が出て来て、美桜が交流を持つシーンも多いため、テーマとしては人間ドラマって感じだと思います。 書く上で大切にしたのは、「キャラクターの心の移ろい」で、絆を作るという側面が強く、逆に恋愛面は薄い感じですね。 >もしかしたら、主人公側に何かしら特別に『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』って思うような理由があったのかもしれませんが、現状ではそこまで主人公の人物像や彼女に対する心理描写が丁寧に描かれていないようにも感じました。 はい、航は中学時代に家庭でいろいろあって、『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』を持つ人の雰囲気に敏感になっているという面があります。 これは美桜が航の家族関係などを調べ出した辺りで出て来る情報で、それを見れば、「ああ、序盤で主人公がヒロインに一方的に見えるほど肩入れしたのは、それが理由か」と分かるようになっています。 序盤の事件の目的が、「航と美桜の基本的なキャラクターを伝える」ことだったので、最初に二人のバックボーンに触れる情報を持ってくるのを避けたんですが、もったいぶっているというか、情報が足りないというか、そういう風に見えてしまったのかな、と反省です。 >女の子(椎名美桜)が作中で二回も続けざまに落とし物をしているので、私の中で「そそっかしい」「不注意が多い子」という印象も受けました。 美桜は鈍いというより、一つ目的を持つとそれしか目に見えなくなるため、気が付いたら行動している(同時にドツボにハマる)という、猪突猛進系女子をイメージしています。 勘は鋭いけど、同時に脇も甘くなるという面もある……だったんですが、言われてみれば、危機に率先して対応しているワリには、不注意な感じにも見えていますね。 序盤でキャラがブレている感じが出るのは問題のなので、何か考えておきたいと思います。 >あと、『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』なら、なんで再会したときに「大丈夫?」と心配せずに主人公に冷たかったのはあまり魅力的ではなかったです。一緒に来ないでとか、主人公が説明してますが遅刻してしまうのに、ちょっと『人の苦しみに寄り添う』部分とはイメージが合わないかなって思いました。 朝の図書室では単純に、「一人で勉強していて不安だったから、つっけんどんになってしまった」だけだったんですが、確かに『人の苦しみに寄り添う』イメージとちょっと違いますね。 せめて、「きょとんとした様子だったが、すぐに昨日の出来事を思い出したらしく、表情を緩めた」とか、柔らかい感じにした方が主人公側としても印象が良かったと思います >と、「面倒くさい……実に面倒くさい言い方と分かってはいますが……。佐崎君はどちらが正しいと思いますか?」「は、話せと言ったのはそっちでしょう! 私だって困っているんです!」っていうのも、こんな面倒くさい役割を任せられたって感じで、相手が困っているよりも自分の立場や状況を心配しているように感じます。 ここ、本当にそうですよね。 面倒くさいではなく、表情を歪めて、「判断に難しいケースだと思いますが、どう考えますか?」みたいな聞き方の方がよかったです。 美桜が悩んでいる理由は、ベストの解決のための方法が分からないからであって、面倒くさいからではないので、ここは直しておきたいと思います。 >三人女子のいざこざについては、当日ラインで13時頃に「待ち合わせに着いたよ」くらいの連絡はすると思うし、 ここは瑠衣がSNSでメッセージを送ったというセリフはあります。 それに対して、凪紗は「テンパってしまって、どうすればいいか分からないまま、時間だけが過ぎてしまった」と返答している形ですが、テンパって2時間だと説得力に欠ける感じですね。 何か、もうちょっと、ここ、それらしい言い訳が成り立つよう考えてみます。 描写はありませんが、瑠衣、凪紗、小都は親密な付き合いをしているため、逆に無難な対応ができなかった、みたいな不器用さがあったんですが、そこも足りなかったですね。 >主人公が一章を通して察しが良いクール系キャラで安定感があり良かったと思いました。全体的に知的な感じで良かったですよ。 ありがとうございます。 航の性格は、上記した中学時代のいざこざが原因だったりするので、初見の方に安定感があると言って頂けて、嬉しいです。 >うっかり声を掛けて「ちょっと、美桜! 聞いてよ!」「ほぇ!?」って巻き込まれる描写があったほうが、ドジっ子属性を活かせると思いました。 美桜は何かと、「大丈夫ですか?」と声をかけて、逆にトラブルに巻き込まれることが多いという設定だったんですが、声をかけるとしても、「察し良く」か「無自覚ドジっ子」で行くかでイメージが変わりそうですね。 中盤、後半にかけての美桜は、「行動力お化け」なので、そういうキャラには「ドジっ子」、「無計画」属性を持たせた方が可愛い気がします。 特に序盤は、その辺り、調整できる点がありそうですね。 >お互いに頑張りましょうねー。 はい、とりあえず僕の方は一段落ついたので、しばらくぼーっとしますが、ふじたにさんはここから佳境と言うか修羅場に差し掛かってくるかと思いますので、ご自愛くださいませ。 お読みいただきありがとうございました! |
2021年04月16日(金)20時41分 | サイド | 作者レス | ||||
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大野知人さん、こんにちは。サイドです。 前編をお読みいただき、ありがとうございます。 >何が問題かって、佐崎が解決する問題が陳腐に感じられることと、佐崎の思考がまるで描かれないことです。 この物語で伝えたかったのは、「推理」ではなく、「キャラクターの感情の移ろい」でした。 その縮図を示すために第一章の事件があり、「航と美桜のキャラクター性と、こういう後味で解決する物語であること」が伝われば、チープでいいと思って書いていたため(いい加減でいいという意味ではなく)、それが陳腐に見えてしまったのだと思います。 航の思考が描かれていないのは、上記の目的を果たすためにエピソード自体を速めに畳んでしまいたかったためなんですが、確かにもうちょっと彼の性格を明示できる書き方をすればよかったですね。 >唐突ですが、『探偵が解決すべき事件』と『名探偵』の必要条件は何だと思いますか? 1、感情的になった当事者だけでは解決できない事件/感情に流されない冷静さ 2、ミスリードを招きうる数多くの情報/必要な情報のみを選び取る整理能力 3、様々な事情が絡み合う複雑な相関図/それを分かりやすく説明する語り手の技量 この三つに関して欠けていたというご指摘は、本当にその通りだと思います。 ミスリード、複雑な相関などはほとんどなく、事件が起こったら解決まで一直線に走るだけでした。 ただ上記した通りこの物語の目的は、「キャラクターの感情の移ろい」を伝えることで、謎要素は読みやすさを高めるためのもの、緻密な作戦より、多少マズくても分かりやすく結果の見える速さを選んだという形ですね。 まあ、じゃあミスリードとか複雑な人物相関とか、作れるの? と言われたら、それはそれで何も言えないんですが。(汗 >瀬倉が『自分が「誕生日プレゼント選びに行こう」と内海を誘ったのが悪かった、けどそういう事情で遅れてしまった』と弁明するなり、解決の糸口はいくらでもあったと思う。 ここはマズかったところですねー。 凪紗は瑠衣からSNSでメッセージをもらい、待ち合わせ時間を勘違いしたことに気付いたものの、パニくって連絡できなかったというだけだったんですが、待たせ過ぎ感がすごいです。 >ミスリードを招きうる数多くの情報。ないですね >必要最低限の情報しか出てきません。真実も結論も常に一つです。 第一章はできれば二万文字以内でまとめたかったため、最低限の情報以外出さないようにしていました。(二万文字でまとまってませんが 序盤の事件で最後まで引っ張る長編ではなく、二万から三万文字の短編を重ね、キャラクターを伝えるというイメージで書いたので、こうなったんだろうなあと思います。 >『いらない伏線を入れろ!』:事件を複雑化させ、探偵としての佐崎君を目立たせましょう。 ミスリード要素を省いたのは、「もったいぶって、解決先延ばし」を避けたかったからだったんですが、ご指摘をいただいて考え直してみると、「いらない伏線を入れることによる効果」を理解していなかったんだろうなあと思います。 尺が同じ中でも、もうちょっと個性が際立つ書き方ができきたんだろうなあって感じですね。 >『佐崎の考えてることをちゃんと書け!』 航のモノの考え方が淡白で少ない理由は、後半で出て来るんですが、そこで語りたいから、序盤は簡単な事実を追わせて、何となくキャラを掴んでもらえればと思っていたんですが、うまくいかなかったようです。 自分の中で出し惜しみしたというか、「後半で語るキャラだから、序盤は隠すか」があまりよくなかったようですね。 >情景描写についてもそう。くどくならない範囲で心理描写に寄り添う、いい書き方でした。 ありがとうございます。 掌編でよく描写が足りないとご指摘をいただくので、外見描写と合わせて、気を使って書いていました。 女性のカジュアル服とか見るのは楽しかったですけど、制服の色とかを検索したら、「ヘンなバナー」みたいに後々女子高生が表示されるのはマジカンベンでした。 家族に見られたら、どうするんだ。(笑 >日常シーンにおけるキャラ同士の掛け合いもリアリティと愉快さを兼ね備えて、読んでいて楽しかったです。 重たい会話させても僕のメンタルが辛くなるだけなので、必要のないところはノリよく話してもらいました。(笑 >冒頭のシーン。昼飯が少なかったくらいで倒れるところまで行くか? という疑問 あー、確かに。 何か、社会人になってから徹夜で働いて、失神寸前状態で寝る、みたいな体験があったので、その感覚で書いてました。 演出って面もありましたが、高校生の働き方じゃないですね。 >各キャラの初登場シーンにおける外見描写は少し長いかなぁ、と感じます。 華やかさが出たらなあという気持ちがありました。 ソシャゲなんかで、同じキャラでも衣装違いが出てきたら妙に嬉しくなる気分で、外見描写もあったらイメージが湧きやすいかなって感じですね。 >『ツボ皿を開いてから』というのはきょうびの男子高生の言ではない バスケ部エースとか言われ、勝負に関しては玄人っぽくなってるキャラクター像が伝わったらと思ったんですが、過剰だったようです。 どっちかというと、任侠とかそっち方面の言葉のイメージですね。(笑 >また、『決戦は放課後だ!』とか言われても ここは修正ポイントですね。 なんか、張り切り過ぎてる感じがしますし、「よし、もっと情報を集めるためにも、もう一回椎名に会いに行くか!」くらいがちょうどよかったと思います。 クライマックス感を出したくて決戦という言葉を選んだんですが、大げさだったかと。 >相反して佐崎との会話ではテンポ・佐崎の行間に対する反応が結構まともに行われている。 航にはテストの点数やら何やら見られているので、美桜があるていどざっくばらんになってしまっている感じです。 僕の中で美桜は、「周囲と噛み合っていない部分はあるけれど、基本は明るくて朗らか」だったので、そっちが前面に出てしまったのかもです。 当然、読者様はそんなこと知らない訳ですし、ここは違和感ですね。 >生徒手帳を届けに行ったとき、瀬倉が佐崎を応対しなかったことに、何らかの必然性が欲しいです。 名前持ちのキャラが増えると分かりにくいかなと思い、あのシーンは覚える必要の無いモブを出していました。 後に美桜がABCと例えて、その後、Bこと瀬倉として登場させた方が、どういう意味を持つキャラクターか分かりやすいかなーって考えでした。 >前半の三分の一まで読んで一番問題だと思っている点を書きます。それは、佐崎の思考をほとんど描き出していないこと。 航の思考、感情は後半で語られるので、美桜の事情を優先していたんですが、バランスが悪かったようです。 Web連載ではなく、新人賞の作品として「最後まで読めばわかる作り」にしていたつもりだったんですが、興味を引くという点で、読みやすさを出すのってやっぱり難しいですね。 >瀬倉・相澤・内海が和解するシーン。こういう言い方はアレなんだけど、引っ張った割にオチが拍子抜けに感じた。 このエピソードに関し、拍子抜け、陳腐は覚悟していました。 このエピソードの目的は、「航と美桜のキャラクター、関係性を伝えること」で、凪紗、瑠衣、小都の事件は舞台装置という位置づけだったので、安っぽいと取られても分かりやすく終わらせたかった。 先述した通り、この作品は十四万文字の長編ではなく、二から三万文字の短編を重ねた物語なので、そこはもう一長一短なんだろうなと個人的には思います。 >推理モノを書くときは『ミスリード』を複数入れるのが定石です。 キャラクターが色々考える分、推理モノっぽく見えてしまったのは、マズかった感がありますね。 個人的には「主人公凄い!」とかではなく、読んでいて、「へえ、そうなんだ」ていどに感じていただければ充分と思っていたので、真相への驚きとかに関するこだわりがありませんでした。 本格的になりすぎず、雑学を見て、「そんなのあるんだ。知らんかった」みたいな。 なので、ガッツリ推理や論理を追及したい方には、いろいろ足りない作品なんだろうなあと思います。 >で、馬鹿キャラとして描くにはやたら自嘲が念入りなのが正直マイナスに感じる。 美桜は序盤、自嘲が多いものの、後半で弾けた行動を取るので、ギャップになればなーと思っていました。 自嘲って、成長後を演出させる要素でもあり、読者の方へのストレスにもなるので、扱いが難しいですよね。(苦笑 推理を扱うなら注意すべき点などいろいろ勉強になりました。 重ねて、たくさんのご指摘ありがとうございました! |
2021年04月15日(木)00時59分 | 通りすがりの読者(返信不要) | 0点 | ||||
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ざっと一章だけ読みました。全体的に動機付けがあいまいだったり、行動が不自然だったりで、物語の都合で登場人物を動かしている感がありました。雰囲気は悪くなかったです。
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2021年04月14日(水)16時04分 | ふじたにかなめ | |||||
サイドさん、お久しぶりですー。 三人のこじれた話が解決したところ(一章)まで読みました。現在長編執筆中(6万8千字なう。終わるといいな…)で時間がないため現在最後まで読めなくて申し訳ないです。 序盤だけ読んだのは、これがどんな話なのか確認するためでした。 各場面の印象ですが、 1、主人公(佐崎航)体調不良を起こして女の子(椎名美桜)に助けてもらう。 2、女の子が落とした生徒手帳を返しに行く。なぜか態度が素っ気ない。 3、次に落としたテストを返しに女の子に会いに行く。何かそのクラスの女子たちにトラブルを感じる。 4、女の子から相談を受ける。そして主人公が疑問点を尋ねていき、問題点を洗い出していく。 5、女の子、出来の悪さのせいで父親に夢を否定される。 6、主人公、無事に女子たちの問題を解決する。 7、主人公、女の子を応援する。 上記の流れの結果、「推理力の高い主人公が、成績が悪いけど思いやりの溢れた女の子を応援していく話」で合っていたでしょうか? 途中の視点切替は特に気にならなかったです。話の趣旨も分かりやすかったと思います。 文章は読みやすかったですし、一部謎解きな展開は好みだったんですが(真相には納得しづらかったんですけど)、主人公に共感がしづらい部分がありました。 結論を言えば、『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』と言い切るだけ椎名美桜の描写が弱く、応援すると主人公が決意に至るまでの説得力が足りない気がしました。 主人公ではなく椎名美桜の問題で引っ張るなら、彼女を主人公や読み手に好きになってもらうような展開が必要だと思うんですが、主人公は椎名美桜に関わっているけど、主人公の謎解きがメインで、主人公が女の子にどんどん惹かれていくような描写のある展開ではなかったので、これが恋愛がメインの小説なら女の子の描写が弱かった気がしました。 謎解きがあるために主人公が活躍しているため、ヒロインの魅力が伝わりにくくなっている印象でした。 なので、状況は理解できるけど、一章の最後で「女の子を応援する」と言うに至る主人公の気持ちに私は共感しにくかったです。 最初に助けられた恩義だけでは、女子三人の問題解決のお手伝いまでは共感できても、数学24点の女の子の司法書士試験の手伝いまでするという主人公の決意に私は共感しづらかったんですよね。 もしかしたら、主人公側に何かしら特別に『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』って思うような理由があったのかもしれませんが、現状ではそこまで主人公の人物像や彼女に対する心理描写が丁寧に描かれていないようにも感じました。例えば、他にも通行人がいて、具合が悪いのにスルーされて落ち込んでいるときに、椎名美桜が声を掛けてくれて、救いの女神のように見えたとか。彼女の優しさが心に染み入るようだったとか。または主人公の家庭環境が微妙で、親が放置気味で、他人の椎名美桜のほうが優しいってどういうことだよ?って感じのシチュだったら、椎名美桜が最近自分に優しくしてくれた人で印象に残っていたなら、なんとなく彼女に傾倒する理由になりうるかな?って思いました。 現状でも「そうだよね。こんな状況なら、女の子を手助けするのは当然だよね」って感じる人もいるかもしれませんが、私には伝わりにくかったです。 女の子(椎名美桜)が作中で二回も続けざまに落とし物をしているので、私の中で「そそっかしい」「不注意が多い子」という印象も受けました。 「他人の異変にいち早く気づきやすい」「他の人より気が回る」という特徴よりは、「え? みんなどうしたの?」って遅れて気づくような鈍いキャラの属性に寄っているような気がしました。 鈍い子でも思いやりのある子はいるけど、敏い子が真っ先に声掛けすることが経験上多い気がします。 「主人公の異変にいち早く気付いて体を支える」「クラスメイトの異変に気付いて対応している」と作中で椎名美桜が行動していますが、彼女の不注意な点はその作中のシチュには不釣り合いな要素のような気がします。 なので、不注意な要素を入れたくないなら、落し物は生徒手帳の一回くらいのほうが、偶然として片づけられるのでは?って思いました。 あと、『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』なら、なんで再会したときに「大丈夫?」と心配せずに主人公に冷たかったのはあまり魅力的ではなかったです。一緒に来ないでとか、主人公が説明してますが遅刻してしまうのに、ちょっと『人の苦しみに寄り添う』部分とはイメージが合わないかなって思いました。 かっこいい主人公と一緒に行動したら周囲に誤解されるっていうなら、主人公は理解できなくても、それをきちんと読者に伝えるほうが良かったと思いました。 また、彼女側に何か事情があるなら、誤解があると読者に匂わせるとか、申し訳なさそうな顔をするとか、そういう描写はあったほうが良かったと思いました。 あと、「面倒くさい……実に面倒くさい言い方と分かってはいますが……。佐崎君はどちらが正しいと思いますか?」「は、話せと言ったのはそっちでしょう! 私だって困っているんです!」っていうのも、こんな面倒くさい役割を任せられたって感じで、相手が困っているよりも自分の立場や状況を心配しているように感じます。 『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』で他人に寄り添うなら、どうしたら解決できるんだろうって真剣に悩むなら分かるけど、面倒くさがっては設定キャラとは違うのでは?って思いました。 三人女子のいざこざについては、当日ラインで13時頃に「待ち合わせに着いたよ」くらいの連絡はすると思うし、二人が約束の時間に来なかったら「待ち合わせって13時だよね?」「どうしたの? 何かあった? まだ遅れそう?」「私、勘違いしてた?」ってどれか確認しませんか? 二時間も二人とも返事をしなかった理由が読み落としだったら申し訳ないですけど、よく分からなかったんですよね。15時だと思ってた。ごめーん。のライン一本で解決できちゃうので、二時間も待たせるかな?って腑に落ちない感じでした。 平成三十年度の高校生のスマホ所持率は98%くらいだったので、たぶん三年生ならみんな持っていてもおかしくないです。 あと、二時間の間に連絡できなかったのかって問われたときに「いや、ちょっと」って言葉を濁していたけど、待たせている友人を放置したままって、ちょっとよく分からなかったです。 なので、プレゼントを選んでいたけど二人して待ち合わせの時間を誤解してままスマホを放置して気づかず、待ち合わせで遅れて相手を怒らせているのにプレゼントを選んでいたっていう理由も正直に言わなかったオチが納得しづらかったです。 いつも友だち誘って仲の良い友だちにプレゼントを選んであげたり、誕生日など記憶していたり、人に高い関心があるコミュ力の高そうな高校三年生の女子が、こんなコミュ力の低いことをするかな?って思うんですよね。 これが普段人付き合いのしないコミュ力の低い人でせっかく友達になれたからって初めてプレゼント企画したとか、小〜中学生同士のトラブルだったら、上手くできないところもあるかな?って、まだ分かるんですけど。 せめて、BとCが、夢中になる傾向とそれ以外のことが頭から抜けやすいところや、Aに強く責められたために委縮してなかなか本心を言えない性格が起因したオチなら、作中で描写はあったほうが良かったです。 人によって感じ方が違うと思うので、「この人ならこうするよね」「納得」っていう説得力があったほうがいいのですが、それが弱い感じでした。 主人公が一章を通して察しが良いクール系キャラで安定感があり良かったと思いました。全体的に知的な感じで良かったですよ。 女の子は、二回も落とし物をしたり、『錯誤』で勘違いしたりと、もしかして『人の苦しみに寄り添い、耳を傾けられる力』もある、ドジっ子をイメージしたのかな?とも思いました。ですが、前述しているとおり、途中でイメージに合わない行動をとっているような気がしました。そういうところの積み重ねが、説得力にもつながるかな?とも思いました。 冒頭で主人公を助けようとして、現状では主人公を支えているけど、実際は間に合わなくてヒロインが下敷きになったり、 再会したときも「だだだだって、京塚君みたいなかっこいい人と一緒にいるところを見られて、誤解されたら後が怖いでしょ!」みたいなことをうっかり言わせて、「え? かっこいい?」と目を丸くした主人公に「はっ、私ったらなんてことを」と顔を真っ赤にさせてみたり、 三人が険悪な雰囲気を出していてクラスメイトは誰も近づかないのに、全然気づかずに「おはよう」ってうっかり声を掛けて「ちょっと、美桜! 聞いてよ!」「ほぇ!?」って巻き込まれる描写があったほうが、ドジっ子属性を活かせると思いました。 でも、話を聞いた後、BとCに同情して、なんとかAと仲直りできないかな。私も一緒に謝るよ!って親身に考えているとか。 この設定をアピールするなら、ドジだけど、もうちょっと他人のために一生懸命さがあったほうが良かったかなって思いました。 自分のことを棚に上げて色々と書きましたが、あくまで個人の意見(好みも入っているかも)ですので合わなければ流してくださって構いません! お互いに頑張りましょうねー。 ではでは、失礼しました。
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2021年04月13日(火)08時31分 | 大野知人 dEgiDFDIOI | 0点 | ||||
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ここから先は、具体的に気になった部分を順々に書いていきます。 多分、全部を直す必要はないはずですが、読者が引っ掛かりやすいポイントがわかると、より今後の創作に生かせると思うので、参考までに。 1、冒頭のシーン。昼飯が少なかったくらいで倒れるところまで行くか? という疑問。これの何が問題かというと、佐崎は高校生と暗示されているのでそこまできつい肉体労働・遅い時間までの連勤じゃないだろう、と読者が考えている点。また、『実家が貧乏で〜』なら高校に通えていること・空腹に慣れていないことがおかしい。熱中症か脱水症状で良いと思う。 で、ついでに豆知識を言うと、脊椎動物の体は根本構造が四足歩行なので、『気絶してから倒れる』場合以外は、まず間違いなく前向きに受け身を取りながら倒れます。膝をついた状態からであれば、額や手のひらをすりむく可能性はありますが、突き指・たんこぶすらまずできません。助ける側が冷静でなければ、椎名のように慌てて間に入るかもしれませんが、多分大丈夫です。 2、各キャラの初登場シーンにおける外見描写は少し長いかなぁ、と感じます。それぞれのキャラクターを表現するときのために、様々な要素をあらかじめ書いているんだと思うけど、正直『そんなことより話の続きを読ませろ!』という気分がある。 キャラの区別については、ある程度読者の文脈判断にゆだねることができるので、『未出の外見情報』がいきなり出てきても、直後・直前にキャラの名前を出せば、通じるんじゃないかなぁと思います。 3、森嶋の初登場シーン。『ツボ皿を開いてから』というのはきょうびの男子高生の言ではないと思いますし、そもそも『賽は投げられた』という言葉自体に『開けてみるまで結果は分からない』という意味合いがあるので、やや過剰です。 で、更に言えば読者目線で考えると、この時点では佐崎は何のアクションも起こしていない(生徒手帳を届けに行って、椎名が問題を抱えているらしいと気付いたが、まだ解決策を考える段ではない/考えている内容がオープンになっていない)ため、『賽は投げられた』というのも、正直おかしい。 また、『決戦は放課後だ!』とか言われても、読者側に明らかになっている情報は、『なんか椎名はクラスで浮いてるっぽい』『数学テストの結果が悪い(?)らしい』というひどく曖昧かつ限定的なものなので、もう少し佐崎の考えをオープンに地の文で書いてほしい。 4、佐崎が椎名と内海の会話を目撃するシーン、このシーンでは椎名がクラスで浮いている・内海の感情を推し量れていない描写がされるわけだけど、相反して佐崎との会話ではテンポ・佐崎の行間に対する反応が結構まともに行われている。 現実においては、『妙に馬が合って会話がしやすい』っていう人がいるものだけれど、『クラスで浮く』レベルにある椎名のキャラクター性を考えると、佐崎との間にもうワンクッション、もといワンアクシデントあった方が良い感じがします。 直後に、問題を起こしたのが椎名ではなく、結果として問題に椎名が巻き込まれているだけなのは分かりましたが……。正直、だったとしても事情を理解した上で、『何か暖かいものでも飲む?』という発言をするのはやや空気読めない・浮いてるキャラに見えます。 あと、民法上の扱いはともかく、『錯誤』『すれ違い』『勘違い』は大体同じ意味なので、椎名がわざわざ『錯誤』に引っかかったのは、少し気になる所です。 5、瀬倉の初登場シーン。今まで俺が『椎名がクラスで浮いている』と理解した一因なのですが、冒頭で佐崎が尋ねて行ったとき、普通であれば『椎名の友人』キャラが応答しても良いはずなのに、やたら他人行儀なクラスメイトが控えめな応対をしたのが気になった所です。特に記述が無いので、瀬倉と椎名は同じクラス・瀬倉は佐崎を知っていたと考えると……。生徒手帳を届けに行ったとき、瀬倉が佐崎を応対しなかったことに、何らかの必然性が欲しいです。 また、『佐崎が中三で引っ越してきた〜』以前に、佐崎と瀬倉が同じ中学であったことについてワンセンテンス欲しいです。京塚高校は公立校なので、中高一貫ではないと考え、そうなると『瀬倉と同じ中学・同じクラスだったことを知らない佐崎』を描写しておかないとまるで瀬倉が情報屋か何かのような印象を受けます。 6、前半の三分の一まで読んで一番問題だと思っている点を書きます。それは、佐崎の思考をほとんど描き出していないこと。『整理されるべき断片的な情報』『明らかな情報』『明らかではないが佐崎の勘付いている情報』の三点の実在が示されているのに、そこを結ぶべき『佐崎の思考』がまるで描かれず、また『佐崎が勘づいているが読者に明示されない情報』が結構存在するせいで、ハッキリと読者にストレスを与える結果になっています。 一月ほど前のスレッドで、『頭のいい人の思考を再現するには』(https://www.raitonoveru.jp/counsel/novels/thread/9507)というのが有るんですが、それに書かれている通り、『頭の良い人』を描くには『何をどう考えているか、随時、分かりやすく描く』必要があります。 まあ、ガチで高スペックな天才は訳わかんない速度で色んなことをすっ飛ばして答えを出しますが、シャーロックだろうが金田一だろうが、『一般程度の知性しかない読者』に分かりやすいことが重要なので、自己満足にしか見えなくなってしまいます。 7、椎名父初登場シーン。ま、これは余談ですが。『机の上のテスト用紙を手のひらで払って地面に落とす』って、やってみるとわかるんですが、地味に難しいうえに『ヒラ、ヒラ、ヒラ』ってノリでゆっくり落ちていくので、微妙な空気になります。 個人的には、『持ち上げてから、床にバシンと投げつける』感じの方が良いかと。 8、瀬倉・相澤・内海が和解するシーン。こういう言い方はアレなんだけど、引っ張った割にオチが拍子抜けに感じた。というか、内海ちゃんが『相澤の誕生日プレゼントを選んでいて、時間がかかってしまったのは悪かったけど、責めるのはおかしい』というノリで怒るなり、内海を庇う形になった瀬倉が『自分が「誕生日プレゼント選びに行こう」と内海を誘ったのが悪かった、けどそういう事情で遅れてしまった』と弁明するなり、解決の糸口はいくらでもあったと思う。当日遅刻して、喧嘩別れになった挙句にプレゼントを渡せなかったのは仕方ないけれど、一度家に帰って冷静になった上で『折角のプレゼントを渡さなきゃ』『自分たちは相手を思って行動し、その結果遅刻したのだから正統性を主張したい』という気持ちにならなかったのは不自然に感じる。 名探偵の必要条件は、『当事者に解決手段がない』問題があることです。今回の場合、相澤が怒ってしまった時点でサプライズプレゼントとしては失敗も良い所なので、『佐崎君頭いい!』という感情より、『この三人、不器用だなァ……』という感情の方が上回ります。 個人的に椎名の思考に突っ込みを入れるとしたら、『遅刻した側がまるで正統性があるかのような反発をしている』の時点で、遅刻の理由を考えないのがナンセンス。というか阿呆。内海を性格悪い・わがままキャラとして描くならまだともかく、その時点で『何か理由がある』と言っているようなものである。 また、事件全体に文句をつけると、推理モノを書くときは『ミスリード』を複数入れるのが定石です。今回の場合、俺が突っ込んだように『遅刻した理由を考える』だけですぐに答えが出てしまうので、もう少し情報を増やして整理しにくくするとか、一部の情報提供者の発言を感情的なものにして、判断を難しくさせるとかしないと、真相への驚きが薄れる。 9,さっきも触れましたが、『錯誤』は民法上の用語としての意味もありますが、一般的に『間違える』という意味の標準語です。 例:時代錯誤/時代を『間違えた』ようなものへの形容詞。 試行錯誤/試して『間違い』ながら答えを見つける事。 そこだけ抜き取って『佐崎が弁護士を目指している』と判断するにはかなり弱いし、もし椎名を馬鹿キャラとして描きたいのなら、もっと吹っ切れた感じのアホの子にしてほしかった。 で、馬鹿キャラとして描くにはやたら自嘲が念入りなのが正直マイナスに感じる。
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2021年04月13日(火)08時31分 | 大野知人 dEgiDFDIOI | -20点 | ||||
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この感想では、先に『総合しての問題点のまとめ』を書いた後、下の方に『具体的に感じた問題』を書いておきますので、参考にしてください。 まず先に総評で言うと、読みやすく、しかし全く面白くなかったです。 何が問題かって、佐崎が解決する問題が陳腐に感じられることと、佐崎の思考がまるで描かれないことです。俺は一応前半を最後まで読みましたが、結構な人数が最初の事件で折れると思います。 唐突ですが、『探偵が解決すべき事件』と『名探偵』の必要条件は何だと思いますか? 小説において俺が考えるのは三つ。 1、感情的になった当事者だけでは解決できない事件/感情に流されない冷静さ 2、ミスリードを招きうる数多くの情報/必要な情報のみを選び取る整理能力 3、様々な事情が絡み合う複雑な相関図/それを分かりやすく説明する語り手の技量 まあ、個人の見解と言ってしまえばそれまでですが、この三つで考えると冒頭の事件は。 1、感情的な当事者だけでは解決できない事件。内海ちゃんが『相澤の誕生日プレゼントを選んでいて、時間がかかってしまったのは悪かったけど、責めるのはおかしい』というノリで怒るなり、内海を庇う形になった瀬倉が『自分が「誕生日プレゼント選びに行こう」と内海を誘ったのが悪かった、けどそういう事情で遅れてしまった』と弁明するなり、解決の糸口はいくらでもあったと思う。 1B、感情に流されない冷静さ。これは、条件を満たしていますが、解決シーンまで登場しない相沢を除き、情報提供者に当たる瀬倉・椎名両名が冷静なので、特に際立ちません。 2、ミスリードを招きうる数多くの情報。ないですね。情報提供の時点で、『遅刻』『遅刻に怒る人・怒られて反発する人』『遅刻の理由が不明』『怒られる側がなぜか正統性を主張』『相沢の誕生日』と、必要最低限の情報しか出てきません。真実も結論も常に一つです。 2B、必要な情報のみを選び取る整理能力。最初っから必要なものしかそろってないので、選択する必要がありません。 3、様々な事情が絡み合う複雑な相関図。ありません。『誕生日に遅刻されて怒る人』『誕生日プレゼントかって遅刻した人』『サプライズしようと思って連絡しなかった事』『結果発生するすれ違い』。全部一本線でつながってます。 3B、それをわかりやすく説明する語り手。これが、一番の問題です。何かって言うと、佐崎の考えていること・考え方が解決シーンに至るまで何も示されない。ただ淡々と事実だけが描かれ、それを見た佐崎君がフムフム言って、そのまま解決シーンがドン! 読者にとっては、読みづらい越して、正味ストレスです。 で、この上で俺がアドバイスしたいことは三つ。 『いらない伏線を入れろ!』:事件を複雑化させ、探偵としての佐崎君を目立たせましょう。佐崎君の思考が描き出せない一因は、事件が簡単すぎる事です。真相がどれほど簡単であればあるほど、『真相以外』で複雑化した事件は解決が難しくなります。 『佐崎以外のキャラの感情をちゃんと書け!』:冷静じゃない人間が居るだけで、事件現場は混乱します。悪意が無くても、偏見・見落とし・決めつけの三点で問題は膨れ上がります。キャラに感情移入しやすくなれば、読者を引き付けられます。 『佐崎の考えてることをちゃんと書け!』:正直、推理小説で重要なのは探偵の天才性よりも、『分かりやすい思考の積み重ねで、複雑な事件を解決する』ということです。事件が難しいのはいいことですが、主人公の考えが読者に理解できないのはアウトです。 さて、ここまでガッツンガッツン殴りましたが。ここからは、『よかったところ』 まず文章。とても読みやすく、分かりやすいです。推理小説出ないのなら、という前置きが付きますが、佐崎・椎名の心理描写とも過不足なく描かれていました。 情景描写についてもそう。くどくならない範囲で心理描写に寄り添う、いい書き方でした。 それから、各キャラのジョークセンス。『氷像になられても困る』に『背筋が凍る思いだ』と返すなどの言葉のセンスはとてもよかったです。 また、日常シーンにおけるキャラ同士の掛け合いもリアリティと愉快さを兼ね備えて、読んでいて楽しかったです。
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合計 | 4人 | 20点 |
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