雷帝の一番弟子
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序章『雷帝』


 男に生まれたならば、誰しも一度は「強くなりたい」と思うものではないだろうか?
 ボクも、そんな男の一人だった。
 このファン帝国が統治している大陸「クゥロン大陸」。そこに伝わる武術は、総じて『クゥロン武術』と呼ばれている。
 そんなクゥロン武術を身につけた武術家たちの社会を、『武林(ぶりん)』と呼ぶ。
 武林では、武勇伝や英雄譚が毎年いくつも生まれている。武術家が、鍛え上げた武技を駆使し、さまざまな伝説を残している。
 ――どんな敵も一撃で打ち殺してきた最強の剛拳使い『雷帝(らいてい)』。
 ――類まれな柔(じゅう)の技法を持ち、触れた瞬間に相手を完全に無力化させてしまう最強の柔拳使い『雲掌嵐歩(うんしょうらんほ)』。
 ――長い三つ編みと、幻術のごとく巧妙な歩法が特徴的な男『幻王(げんおう)』。
 武林とは、そんな超人のような豪傑たちが集う世界。
 ボクは母子家庭の子だった。家族は母さんと妹だけで、ボク自身も母さん似の女顔だとよく言われた。そのため母さんは、ボクが女みたいな性格にならないようにと、武林の伝説をたくさん聞かせた。「男とはかくあるべし」と、武人たちの武勇伝をたくさん教えてくれた。
 そんなボクが、武術というものに憧れを抱くようになるのは、自然な流れだったといえよう。
 ボクも、武術がやりたい。
 寝る間も惜しんで修行にはげんで、武林の豪傑のように強くなるのだ!
 

 ◆

 
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
 石造りや木造の建物が立ち並ぶ昼下がりの街中を、ボクは息を切らせて必死に走っていた。後頭部でまとめた一束の三つ編みが、踏み出すたびに跳ね躍る。
 周囲の人は、何一つ争いごともなく、平和な様子を見せていた。
 そんな穏やかな街中に似つかわしくない恐怖と緊張の表情で、ボクはひたすらに突っ走っていた。
 その理由は、ボクの遠く後ろから着々と迫っていた。
「貴様、待てぇぇ‼」
「タダでは帰さんぞ‼」
「よくもやってくれたなぁ‼」
 口々に怒声を発しながら追いかけてくる、五人の男たち。
 わずか十一のボクよりずっと大人で、体格も良い。
 見なきゃよかった……さっきより明らかに距離が近づいている事を確認してしまったボクは、全力を出してる幼い足にさらなる無理を強いる。
 五人のいい大人が、どうしてボクみたいなちっぽけなガキを追いかけているのかって?
 その理由は簡単だ。

「よくも我らの練習を盗み見てくれたなぁ⁉ それなりの覚悟はしてもらうぞ!」

 ――武術の練習を覗いたからだ。
 武林において、他人の武術の練習を覗き見る行為を『盗武(とうぶ)』と呼ぶ。
 それは武林における禁忌(タブー)中の禁忌なのだ。
 もしも犯せば、袋叩きか、最悪の場合盗んだ技を使えぬように腕を斬り落とされることもあり得る。
 腕チョンパになった自分自身の姿を想像しただけで、全力疾走して火照っているはずの体が真冬みたいに冷めていく。
 ――本当に、なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう。
 ボクはずっと、武術に憧れていた。武術がやりたかった。
 しかしながら、現実は厳しかった。
 武術を学ぶ上でまず大事なのは経済力だ。
 つまり、ボクにはお金がなかった。ボクと妹の二人を母一人で養っているウチの家計では、武術の稽古代など望むべくもなかった。
 自分で働いて稼ぐと母さんに言ったが、「子どものくせに何言ってんだい、大人になるまで我慢しな」と反対された。……こっそり働くという手も考えたが、父さんを亡くして心細いであろう母さんに余計な心配はかけたくなかった。
 だからボクは、成人まで武術を我慢することにしていたのだ。
 別に今じゃなくても、武術なんていつでもできる。大人になってからでも遅くはあるまい。そう自分に言い聞かせ、気持ちを押し殺していた。
 けれど、それでも時々思うのだ。「武術やりたい」という気持ちが強くなるのだ。
 ちょうどさっきまで、そんな気持ちだった。
 その時、通りがかった道場の壁の向こうから、踏み込みや発声の音が重なって聴こえてきた。武術の練習をしていたのだ。
 気がつくと、ボクは吸い寄せられるように道場へ近づいていた。
 気がつくと、ボクは塀の近くにあった箱に乗って、塀の向こうの練習風景を覗き込んでいた。
 気がつくと、練習中の弟子の一人と目が合っていた。
 そこでようやく自分の愚行を自覚し、逃走。
 そして現在に至る。
 思い返すだけでバカだと思う。
 だけど、後悔したってもう遅い。
 ボクにできるのは、逃げる事のみ。
 しかし、相手は大人で、ボクは子どもである。体力的にも、足の長さ的にもボクが不利。差は離れるどころか、どんどん狭まってきている。
 さらに曲がり角を曲がった瞬間、行き止まりに差し掛かった。
 戻ろうとしたが、すでに遅かった。曲がり角から、ゾロゾロと五人の男が出てきて行く手をふさいだ。
 さーっと、血の気が引く。
「もう逃げられんぞ、この小娘が」
 五人のうちの一人が言う。息も絶え絶えなボクと違い、少しも呼吸が乱れていなかった。
 いつもなら「ふざけるな! 誰が小娘だ! ボクは男だ!」と反論していたが、今はそういう余裕がなかった。
 これから自分の身にふりかかるであろうことを想像しただけで、恐怖のあまり昇天しそうだ。
 子供だからといって、こいつらが手心を加えるとは思えない。武術家は、己の門派(もんぱ)――異国でいうところの「流派」――に対して矜恃(プライド)を持っている者が多い。ボクのやらかした『盗武』は、そんな矜恃におもっくそ泥を塗りたくる行為なのだ。
 ボクは一歩ずつ後ろへ退がる。それに合わせるようにして、五人もこっちへ近づく。
 やがて、背中が行き止まりにぶつかった。
 今にも飛びかかって来そうな雰囲気を放つ五人に、寒くもないのに唇がプルプル震える。
 やがて、五人が勢いよく飛び出――

「やめておけ。子供相手にみっともないぞ?」

 ――そうとした瞬間、そんな男の声が聞こえてきた。
 音源は五人の真後ろ。全員がそっちを注目した。
 一人の老人がいた。
 男にしては小柄な体格で、体つきも華奢である。髪もすでに真っ白だ。
 しかし、鋭く底光りする眼差しと、稲妻模様の痣――たしか、雷に打たれた人間の肌に、ああいう火傷跡が残るって話だ――がうっすら浮かぶ精悍な顔立ちは、老人とは思えないほどの凄まじい生気を感じさせる。
「なんだ、じじい。我が門の事情だ。痛い目を見たくないなら口を挟むな」
 五人のうち一人が、ムッとした表情でそう告げる。
 対し、老人は挑戦的な笑みを浮かべ、
「ほほう? 一人の幼女を大人五人でいたぶる門派の拳とはいかほどのものなのか、是非とも拝見したいものだな」
 五人の発する雰囲気が、トゲトゲしたものになった。
 そのうちの一人が殺気を込めた静かな口調で、
「……なんだと、貴様。もう一度言ってみろ」
「一人の幼女を大人五人でいたぶる門派の拳とはなんぞや? きっと素人の女一人倒せぬ、柔弱な武術なのだろうな」
 しゃらん! と男の一人が腰の剣を抜き放った。陽光をまとう両刃の剣身が、素早く弧を描いて老人に迫る。
 ボクが「危ない!」と叫ぶ前に、刃は老人に達した。
 残酷な光景を見まいと目をギュッと閉じる。
 しばらくして、
「なっ……⁉」
 剣を放った男の、ひどく驚いたような声を聞いた。
 ボクは恐る恐る目を開けると、同じく仰天した。
 なんと老人は――二本の指で刃を挟んで、剣を受け止めているではないか!
 もっと正確に言おう。人差し指と中指で剣身を挟んで受け止めているが、それは二本の指を閉じ合わせることで挟んでいるのではない。……まるで鋏(ハサミ)のように、二指がちょうどすれ違いざま、剣身を挟み込むようにして受け止めていた。
「いきなり斬りかかるとは、いよいよもって道理から外れておるな」
 呆れたようにそう言うと、老人は二指ではさみ取った剣身をピキィン! とへし折った。地面に剣身の片割れが落ちる。
 ボクを含め、その場にいる全員が息を呑んだ。
 剣を折られた男が震えの混じった声で、
「じじい……貴様は一体…………⁉」
「わしはレイフォン。武林では『雷帝』などと仰々しく呼ばれておる」
 何事でもないような口調でつむがれたその一言に、全員が騒然とした。
 雷帝レイフォン。
 類い稀な剛拳の使い手で、決闘においてほぼ全ての相手を一撃で殺してきた、伝説の武術家。
 どれだけ有象無象がさえずろうと、一発の雷鳴はその全てをかき消してしまう……彼の戦いぶりはそんな雷にたとえられ、ついた異名が『雷帝』。
 昔はいたずらに決闘を求め、その相手を全員打ち殺したため評判は良くない。が、純粋な実力だけなら、このクゥロン大陸の中で最強と呼んでもおかしくない男だ。
 レイフォンは昔、決闘中に雷に打たれたが、生きていたという。あの稲妻状の火傷跡は、その時についたものだ。それが一番の特徴となっている。
 偽者である可能性は、極めて低かった。
「――おいおぬしら、聞いているのか。何があった? なにゆえこんな小娘を大の大人が追い回していた?」
 ボクらはそろって呆然としていたため、老人――レイフォンが呼びかけている声に気づくのが遅れた。
 五人は今なお驚きながらも、順を追って事情を説明した。それに対し、ボクが補足説明をした。
 すると、
「そりゃ、その小娘が悪い」
 レイフォンはあっさりと、そう結論づけた。
 五人はそろって表情を安堵させる。そのうちの一人が、
「そうだろう⁉ ならば――」
「――が、子供は間違える生き物だ。間違いを何度も繰り返して己を構築していき、大人になるものだ。それを大人が邪魔するのはいささか狭量というもの。……そこでだ」
 レイフォンは大きく腕を開いて、ニィッと笑みを浮かべた。
「わしが身を挺して、この小娘の罪を肩代わりしてやろうではないか。お前たち五人の渾身の一撃を、わしに叩き込んでみよ。わしは一切避けぬし防がぬ。手足も一切動かさぬことを約束しよう」
 なっ……本気かよ⁉ 死ぬぞ⁉
 驚愕するボクをよそに、レイフォンは五人を露骨に煽る。
「ほら、何をしている? 『雷帝』だぞ? 無抵抗で攻撃を受けてやると言っているのだぞ? もしこれでわしを倒せれば、お前たちはあっという間に有名人だぞ?」
 困惑する五人だが、しばらくするとその困惑は野心を秘めた笑みに変わった。「有名になれる」という煽りにつられたのだろう。
 五人はぞろぞろとレイフォンを囲うように移動した。
「ちょ、ちょっと待てよ……⁉」
 ボクは震えた声で止めにかかるが、全員聞く耳を持たず、各々の動きを見せる。
 五人が片脇に引き絞った拳を、
「「「「「ハイィッ‼」」」」」
 同時に、レイフォンの胴体に叩き込んだ。
 鋭い踏み込みに付随させる形で真っ直ぐ放たれた拳打は、鉄球のような重さと、矢のような速さを兼ね備えたものだった。それを五発だ。いくら達人であっても、無防備な状態でそれらを受けて無事でいられるとは思えなかった。
 目を覆いたくなる。
 だがレイフォンは、表情に少しも苦痛を表していなかった。
 それどころか、
「哈(ハ)ッッッ‼」
 落雷のごとく凄まじい発声とともに、五人の男が四方八方へ弾き飛ばされた。
「うわ⁉」
 そのうちの一人が、ボクの手前へ飛んできた。間一髪避けるのが間に合ったので、飛んできた男は素通りし、行き止まりの壁に背中から直撃。そこで跳ね返り、大きく前へ投げ出されてうつ伏せに地面へ落下。
 そいつの前腕部は、半ばから少し角度ができていた。
「ぐあああああ! 腕が! 俺の腕が折れてるぅ⁉」
「うぐっ……! 呼吸法だけで、これほどの威力だと……⁉」
「化け物め……っ!」
 のたうちまわり、それぞれの苦悶を口から漏らす五人。
 一方、レイフォンは痛がる仕草を一切見せることなく、冷厳に言い放った。
「……約束は守ったぞ。今回の件はこれで手打ちだ。この娘にはもう関わるな」
 苦痛の表情が一転、恥を噛み殺したような顔となる五人。
「……行くぞ」
 一人の言葉を合図にして、五人は曲がり角からおずおず立ち去っていった。屈辱だが、約束を破ればもっとひどい恥をさらすことになる。そう判断したのだろう。
 ……助かった。
 いや、確かに助かったのだが、ボクは助かった喜びよりも、先程の戦いに対する興奮の気持ちの方がはるかに強かった。
 ――なんという男だ。
 本当に手も足も動かさないまま、五人の武術家を倒してしまった。
 この圧倒的な力。
 クゥロン大陸随一とうたわれた『雷帝』の伝説は、ウソではなかったのだ。
 まさしく達人だ!
 その『雷帝』はボクの方へ目を向けると、
「小娘、次からは用心することだ。武林には、お前の世界の常識が通用しないシキタリがまだまだある。『盗武』はその最たるものだ。死にたくなければ、もう二度とするなよ。じゃあな」
 そう淡々と言ってから、きびすを返そうとした。
「待ってくれ……いや、待ってください!」
 が、ボクがそう必死に呼びかけると、足をピタリと止めた。
 ボクは焦った足取りで『雷帝』の側まで歩み寄ると、両手両膝を地に付け、頭を深く下げた。三つ編みが大きく跳ねる。


「お願いします! ボクを弟子にしてください!」


 渾身の思いを込めて、ボクはそう告げた。
「さっきは助けてくれてありがとうございました! 雷帝レイフォンの神技、実際に目の当たりにしてとても感服いたしました! 図々しいかもしれないですけど、ボクをどうか、あなたの弟子に加えていただけませんか⁉」
 言うべきこと、言いたいことは全部言ったと思う。
 対して『雷帝』は、
「……やめておけ。わしなどに関わると、ろくな目にあわんぞ」
 そう、断りの言葉を告げた。
 ボクは思わず顔を上げる。彼の面構えは相変わらず威圧感を覚えるほどの迫力だったが、その鋭い眼差しの奥に、気遣うような気持ちが見えた気がした。
「わしは生まれてこのかた、人にモノを教えたことがない。もしわしの弟子となれば最後、お前は大成する前に死にかねんぞ」
「そんなことありません! どんな厳しい修行にも耐えてみせます!」
「それだけではない。わしは良くも悪くも有名人だ。わしを殺して名を挙げようとする者が現れたり、決闘で殺した相手の家族が仇討ちに来ることだってある。その際、お前は巻き込まれるかもしれんぞ」
「大丈夫です! 絶対に生き残ってみせます!」
「……お前も、わしの噂は知っているだろう。わしはクゥロン大陸最強の武術家なんて大層な男ではない。両者合意の決闘でとはいえ多くの武人を殺め、血で汚れた手を血で洗ってきた、ただの畜生だ。この手の皺の中には、殺してきた人間の血や脂が染み込んでいて、今なお血臭が微かにするのだ。……そんなわしに師事しても、ロクなものは得られんぞ」
「でも、あなたはボクを助けてくれたじゃないか! なら、たとえどれほど血で汚れた過去があっても、今のボクにとってはそれが全てです!」
 その言葉を最後に、二人沈黙する。
 雷帝レイフォンの眼光は、今にも殺しにかかって来そうなほど、すさまじいものだった。
 だがボクの中ではそれに対する恐怖よりも……弟子になりたいという気持ちの方が強かった。
 学びたい。この不世出の達人から、最高の武芸を学び取りたい。
 もしこの好機を逃せば、もう二度と彼には会えないだろう。
「お願いします。どうかボクを弟子に加えてください」
 もう一度、希望を口にしてこうべを垂れる。

 雷帝レイフォンは、そんなボクに対して――



第一章『入門』


「――――い――――おい――おい、いい加減起きろっ」
 急かすような男の声によって、ボクの意識は無理やり覚醒させられた。
「んぅ……」
 小刻みな振動を背中で感じながら、ボクはゆっくり目を開けた。
 周囲を見ると、大小さまざまな箱や包みが所狭しと並んでおり、ボクはその空いた一角に横になっていた。木で組まれた、半円形のとても小さな建物の中だった。
「あれ……ここ、曲がり角の行き止まりじゃないの……?」
「何寝ぼけてんだ? 馬車の中だろうがよ」
 呆れた声でそう言ったのは、近くに座る三十くらいの男だった。その手にはいつでも抜けるような状態で刀が握られていた。
 ボクは覚めきっていない意識を巡らせ……彼がこの馬車を守る任務を持つ武術家であることを思い出した。ボクを起こした声も彼のものだ。
 ボクは目元をこすりながら、
「いや、ちょっと、夢を見ていたようで」
「夢? どんなだ?」
「……追いかけ回される夢」
 話すと長くなってしまうため、そうごまかしておく。嘘ではないし。
 三年前――ボクが十一歳だった頃に起こった一大事件を、夢として見たのだ。
 その頃のことをわざわざ夢に見たあたり、心に強く残った思い出なのだと改めて認識する。
「そういやお嬢ちゃん、お前、帝都に行きたいんだったよな。そろそろだぜ」
 男は明るい声でそう言った。
 そう。ボクは今、帝都を目指している。ボクが無理を言ってこの馬車に乗せてもらったのも、帝都へ向かうためだ。
 この国では、運送業と護衛稼業が一つになっていることが多く、そのような組織を『鏢局(ひょうきょく)』と呼ぶ。この男のように、鏢局に護衛役として属する武術家のことを『鏢士(ひょうし)』と呼ぶ。
 母さんは華やかな感じの美人だが、見た目に反して肝が非常にすわった女だ。そして、顔も結構広い。その人脈の中には、鏢局の主人もいる。その主人に頼んでボクを乗せてもらったというわけだ。
 それを可能にした母さんには感謝だが、今はそれよりも、言っておきたいことがある。
 ボクはぶすっとした表情で、多少不機嫌な声で言った。
「……ボクは男だ」
 鏢士の男はギョッとした顔になり、
「え……嘘だろ? そんな姿でか?」
「悪いかよ?」
「い、いや別に」
 鏢士の男はそう曖昧に終わらせた。
 確かにボクはパッと見、女に見えるかもしれないし、実際よく間違えられる。母さん似の顔立ちに、後頭部で太い一束の三つ編みにした夕陽色の長髪。体格だって男にしては華奢で背も低い。でも、だからといって間違える奴が九割っていうのはどういうことだ。
 ボクにじぃっと睨まれ、鏢士の男は露骨に話題を逸らした。
「そ、そういや、なんでお前みたいな子どもが、一人で帝都なんて目指してるんだ?」
「それは……」
 馬車を引く馬越しに見える昼の風景を眺めながら、ボクは独り言のように言った。
「約束を、果たしにいくためだ」





 ファン帝国は、現在このクゥロン大陸全土を統一している大陸国家だ。
 多くの少数民族が暮らしているが、全人口の役七割はボク達ファン人が占めている。
 現時点で建国から百五十年以上経っている。その間、国がひっくり返るくらいに大きな反乱もなく、おおむね安定した情勢を維持し続けている。
 西方の海をまたいだ国々とも交易が盛んであり、それによって得られる言葉や文化は一般庶民にも流入している。
 『帝都』とはその名の通り、このファン帝国の皇帝が住まう宮廷を中心にした巨大都市だ。
 鏢士の言う通り、ボクが起きてから約一時間後、馬車は帝都に着いた。
 広大な帝都は、巨壁で円状に囲まれている。その円の中心に宮廷を置き、その外周に官庁があり、さらにその周囲に庶民の街が広がっている。つまり、中心へ近づくほど高貴になっていくという感じだ。
 馬車は巨壁を穿って作ったような関所を通過し、帝都に入った。
 入ってすぐのところで降ろしてもらい、彼らに礼を言って別れた。
「来た……とうとう来たぞ……!」
 ボクは興奮気味に呟いた。
 どこまでも立ち並ぶ大小様々な建物。その真ん中を貫くようにして広い大通りがはるか向こうまで続いており、その上を無数の人がざわざわ行き交っている。
 ボクの住んでた町なんかちっぽけに思えるほど巨大で、人の往来が多い。
 長かった。三年間、この時をずっと待っていた。帝都の地を踏むこの時を。
 ――三年前のあの日、ボクは結局、『雷帝(らいてい)』から弟子入りを断られてしまった。
 けれど、何も得られなかったわけではなかった。希望はあったのだ。
 彼は言った。
 「わしが今から教える一つの「立ち方」を三年間毎日練ったら、帝都にあるわしの家に来い」と。
 「三年後、わしに会いに帝都まで来い。その時、その「立ち方」がわしの満足いく程度にまで練り上げられていたならば、お前を我が門下に加えてやろう」と。
 ボクはその「立ち方」を教わって、彼と別れた。
 以来、言いつけ通り一日も休まず、この三年間毎日それを練った。入門を勝ち取るために。
 その厳しくも満ち足りた日々を思い出すかのように、ボクの足が自然とその「立ち方」をした。
 肩幅に足を広げる。
 股関節を内側へ巻き込むようにして両の爪先を真っ直ぐに整える。
 姿勢をまっすぐにする。
 両拳を脇に引いてから、股関節を曲げて腰を落としていき、両の太腿が地面と並行になったところで止めた。
 ズシリ、と、石を担いでいるかのような重みが、下半身にかかった。

 ――透明の馬にまたがったような、中腰の立ち方だった。

 『騎馬勢(きばせい)』。
 これが、三年前に教わった「立ち方」だ。
 レイフォン師父――まだ弟子入りは出来ていないため、そう呼ぶ資格はないが――は、この『騎馬勢』を三十分維持しろ、と言った。
 その一回三十分を、三年間、毎日朝と夜の二回やれと言った。
 ようやく武術の修行ができる! と張り切ったボクだったが、この『騎馬勢』は見た目以上にしんどい立ち方で、それを三年間練るなど不可能だと最初は弱気になった。
 けれど、人とは不思議なもので、最初はキツくて仕方がなかったこの立ち方も、年を過ぎるにつれてだんだん体が慣れていき、最初ほどつらくなくなっていった。
 それと、なんだか最近、たくさんの水が下半身に詰まったような奇妙な安定感を感じるようになったのだが、これは何なのだろうか。
「ん?」
 ふと、視界の端に、銀色の輝きを見つけた。
 その銀色は人間だった。
 それも、とんでもなく美しい少女だった。
 幼さはあるが人間離れした端正さを誇る顔立ちで、鏡面じみた白銀色の眼差しが光っている。その瞳と同じくらいきらびやかな銀髪は、両側頭部で一束ずつにたばねられ、白馬の尻尾のように美しくたなびいていた。
 背丈は、男にしては小柄なボクよりさらに小さい。ややゆったりめな服装に包まれた体つきもほっそりしている。ボクより年下だろう。
 その妖精のような銀髪銀眼少女に、ボクは見惚れてしまっていた。あの顔立ちはおそらくは西方の人種か、もしくはその混血だろう。西方諸国との交易も盛んなこの国ではたまに見かける。
 銀色の少女は無表情のまま、その鏡面みたいな銀の瞳で、ボクのことを無言でじーっと見つめていた。
「あ、あのー……どうした?」
 ボクはためらいがちに呼びかける。
 すると、銀色少女はそれに反応したかのように銀眼をぱちぱち瞬かせ、
「申し訳ない。あなたの『騎馬勢』がなかなかに良かったから、つい見入ってしまった」
 鈴音が鳴るような声でそう言った。その顔は変わらず無表情だった。
 『騎馬勢』という言葉がその口から出てきたことに、ボクは反応して腰を上げた。
「『騎馬勢』を知ってるのかっ?」
「是(ぜ)。『騎馬勢』は全てのクゥロン武術の立ち方の基本。クゥロン武術の使い手であるなら、誰でも知っている」
 それはつまり、この妖精みたいな女の子も、武術を学んでいるということか。
 好奇心が生まれ、思わず質問した。
「君は、何の門派をやってるんだ?」
「〈龍行掌(りゅうぎょうしょう)〉を、いささか」
 聞いたことのある門派だった。
 〈龍行掌〉。クゥロン武術において「柔の最高峰」とうたわれる名門武術である。
 円を中心とした動きが特徴で、相手の力を受け流す技法『化勁(かけい)』に長けているという。
「そういうあなたは?」
「ボクは……まだどこの門派でもないんだ」
「それは意外。わたしよりも素晴らしい『騎馬勢』だというのに」
「でも、これから弟子入りを頼みに行くところなんだ。ここに住んでる『雷帝』に」
 ボクは三年前からここまでに至る経緯を、女の子に簡単に説明した。
 すると、女の子は目をかすかに見開いた。
「……それは驚くべきこと。『雷帝』は、今まで弟子を取らなかったから」
「そうなのか?」
「是。彼への弟子入りを志願する者は多かったが、いずれも袖にされている。あなたのように機会(チャンス)を与えられることなく。だから、三年間の修行という課題を出されただけでも、あなたは運が良いといえる」
 銀色少女はそう賞賛するように言ってくるが、まだ弟子入りを勝ち取れたわけではないので、ボクとしては「ふーん」といった感じだった。
 ふと、銀色少女は何か大切なことに気がついたように、ぴくんと左右の髪束を揺らした。
「自己紹介が遅れた。わたしはシャーリィ」
「ボクはリンフーだ。よろしく頼む」
 ボクと銀色少女――シャーリィは互いに紹介を済ませた。



「ここ」
 という、飾り気のない一言とともにシャーリィが示した場所は、すすけた木の門だった。小さくはないが、飾り気がなさすぎて、うらぶれた雰囲気があった。門の庇にカラスが数匹止まっている感じがまた寂しさを誘う。
 ここが、レイフォン師父の家だという。
 あの天下の達人が、こんな陰気な場所に住んでいるのか?
 その疑問に、シャーリィは次のように答えた。
「『雷帝』は食料品の買い出しでもない限りは、ここからまず出ない」
「出ないって……まるで引きこもりじゃないか。そんなんで食っていけるのか?」
「是。理由は分からないけれど、金品の蓄えはかなりあるという。それを目当てに一度泥棒が入ったけれど、返り討ちにされて平定官(へいていかん)に突き出された」
「家族とかはいないのか?」
「否(いな)。存在しない。彼は独り身」
 なるほど。『雷帝』の実情が多少掴めた。……ちなみに「平定官」とはこの国の下級武官で、町の警備や治安維持を仕事としている。
 それにしても、『雷帝』ほどの達人なのだから、てっきり金持ちの家に住み込んで用心棒なり武術教師なりやっていると思っていた。なので、この質素すぎる門構えはかなり意外だった。
 不意に、シャーリィがこちらを無表情で見つめながら、口を開いた。
「今でもなお驚き。あなたのような女の子が、あの『雷帝』の一番弟子になるかもしれないだなんて」
「……ボク、男だぞ」
「あ…………全く分からなかった。謝罪する」
 シャーリィはそう謝った。ボクは地味に傷ついた。
 鏡みたいな彼女の銀眼にくっきり映っているのは、ボクの姿。男らしさなど感じられない女の子みたいな顔立ちに、後頭部で太い一束の三つ編みにした夕陽色の長髪。
 シャーリィは相変わらず何を考えているのか分からない無表情のまま、
「しかし、あなたにも、性別を間違えられる原因がある。最低限、その三つ編みをやめるべきとわたしは提案する」
「こ、これは一種の戦略だよ。決してお洒落じゃないからな」
「戦略?」
「そう。こいつを弱点だと思ったマヌケが掴んで引っ張った瞬間、その引っ張る力に乗って体当たりしてやるのさ。そうすれば、相手の意表を突けるだろ?」
「なるほど。面白い考え」
 シャーリィは表情を変えずにこくこく頷く。まるで顔の筋肉がその表情しか知らないかのように、変化に乏しい顔だった。
「閑話休題。あなたがもしも『雷帝』の門下に加わることができたのなら、大変なことが起きるかもしれない」
 ボクは思わず体を縮こませる。
「な、何だよ? 大変なことって」
「『雷帝』はこのクゥロン大陸で最強の武術家と名高い。けれど、その門弟になった者は、これまで一人もいない。あなたが入門を勝ち取れば、あなたは「雷帝の一番弟子」として注目を浴びることになる。そうすれば、その実力を確かめてやろうとする武術家も出てくるに違いない」
 つまり、他流試合を挑まれるってことか。
 確かに、ボクに武術家との戦いが上手くできるかは分からないし、不安もある。……実際、ボクはケンカがとても弱く、昔はそのせいで悔しい思いをしたことも結構あった。
 けれど、ボクは誓ったのだ。『雷帝』という伝説の達人のもとで武術を学び、強くなるのだと。ならば、他流試合くらいドンと構えないでどうする。
「上等だよ、むしろかかってこいってんだ」
 ボクは拳を胸に持ってきて、強引に笑った。
 シャーリィは無表情のまま、そんなボクを見つめる。
「あまり無理はしない方がいい。やりたくない時、やるべきでない時は、素直に断るのが最善。それに……」
「それに?」
「あなたがこれから師事しようとしている人物は――試合や決闘を繰り返しているうちに修羅へと変化した人物なのだから」
 ボクはドキリとした。シャーリィの口調はこれまで通り抑揚に乏しかったが、口にした言葉の重みがそのまま伝わってきた気がしたのだ。
 乾いた喉で、ボクが何か言い返そうとした時だった。

「――人様の家の門前で何をしておる?」

 古い木の門が不気味なきしみを上げてゆっくりと開き、中から迷惑そうな響きを持った声が聞こえてきた。
 ボクの心臓がばっくん! と音を跳ね上げた。
 この声、まさか……!
 ボクはおそるおそる、その声の主へ視線を移した。
 そこには、三年前に見た顔があった。
 ボクと同じくらいの背丈の、小柄で華奢な老人。
 ところどころシワはあるが、老いを一切感じさせない精悍な顔立ち。
 見る者を竦ませる鋭い眼光。
 何より――顔にうっすらと走った稲妻模様の痣。
 気がつくと、ボクは彼の前で片膝をつき、こうべを垂れていた。
「お久しゅうございます、レイフォン師父‼」
 空気がびりっと震えるほどの声で、ボクはそう訴えかけた。
 レイフォン師父は一瞬怪訝な顔をするが、ボクの姿を数秒見ると、ハッと目を見開いた。
「その三つ編み……お前はまさか三年前の」
「はい! ボクです! リンフーです! 約束通り、三年間のボクの修練の成果を見ていただきに来ましたっ!」
 師父の表情が、ほんの少しだが緩んだ。
「背が少し伸びたところ以外、あまり姿形は変わっておらんな。それと、まだ「師父」呼びは早いぞ。わしはまだお前を弟子と認めたわけではないのだ。認めて欲しくば――証を示してもらわねば」
 ボクはその言葉に、不安とワクワクを等量抱きながら頷いた。





 武林には『功力(こうりき)』という言葉がある。
 「正しい修行によって得られる力の蓄積」という意味だ。
 クゥロン武術では、技の多少よりも、功力の高低を尊ぶ。
 技をたくさん知っていても、そこに功力がともなっていなければただの踊りと同じである。
 逆に、たった一つの基本技しか知らずとも、そこに高い功力さえ備わっていれば必殺技と呼べる威力となる。
 生まれ持った才能など、クゥロン武術においては「物覚えがものすごく速い」以上の意味を持たない。
 体の大小も関係ない。全ては功力の蓄積によって勝負が決まる。
 それこそが、ボクが心底憧れるクゥロン武術の面白さなのだ。




 シャーリィと別れた後、すすけた門を超え、敷地の中に招かれた。
 門と同様に黒くすすけた二階建ての木造建築と、その前に広がる庭がボクの目におさまった。ひどく殺風景でお化けが出そうな感じのするあの建物は、師父の家である。
 師父は木の椅子を庭へ引っ張り出すと、そこへふんぞりかえるようにして深く座り、厳しい目つきでボクを見て言った。
「『騎馬勢』を今からやってみせろ」
 いきなりだった。
 ボクはその場でもじもじとしながら、
「あの……見られながらだと、落ち着かないというか」
「わしの〈御雷拳(ごらいけん)〉は踊りではない。戦うための武術だ。人前でうまく使えないのであれば、存在価値はない。入門したくばとっととやれ」
 有無を言わさぬ圧力にさらされ、ボクはやむなく見せることにした。
 呼吸を整え、気持ちを整え、姿勢を整える。
 肩幅に足を広げ、爪先を真っ直ぐ前へ向ける。
 背筋を真っ直ぐにしたまま股関節を曲げる、という方法で垂直に腰を落としていく。太腿が地面と並行になるまで落としたところで止め、その状態を維持する。
 爪先を前に向け、膝をやや内側へ寄せた中腰の立ち方。馬の鞍にまたがった状態に酷似したその立ち方こそが『騎馬勢』。
 足がズシンと重くなる。普通に腰を落としても、こんな重みは生まれない。だがこの『騎馬勢』でしゃがむと、なぜか下半身がこんな風に重たくなるのだ。
 ――師父は三年前、この『騎馬勢』のやり方だけボクに教え、それを修行する意味は教えずに去ってしまった。
だがそれはきっと、ワザと教えなかったのだ。
 武林では、弟子入りを志願してきた者に地味な基礎修行を何年かやらせ、それをやり遂げたら弟子入りを許すという話が結構多い。
 その時、師匠側はその基礎修行の意味をあえて隠すのだ。意味があるのか無いのか分からない鍛錬に何年も情熱を注げる者は、そう多くない。逆にそういう鍛錬でも積極的に行える者こそ、情熱ある者と受け止められる。
 そう思ったからこそ、ボクはこの辛くて地味な練習を三年間頑張ってこれたのだ。
 ただ、弟子入りを勝ち取ることを夢見て。
「……いいぞ、立て」
 このまま三十分立たされるかと思ったが、『騎馬勢』を始めてから一分くらいでやめる許しが出た。ゆっくりと垂直に腰を持ち上げ、立ち上がる。
 師父は立ち上がると、ボクの体のいろんなところを軽く叩いてきた。両脚から始まり、腰、背中、みぞおち、両腕、首と、掌でパシッとやってきた。まるで、何かを確かめるように。
 やがて、一言。

「合格だ」

 たった一言。
 しかし、ボクにとってそれは金塊の山にも等しい一言だった。
「ほ、本当ですか⁉ 弟子入り、許してくれるんですか⁉」
「他にどういう意味がある?」
「や………やったぁぁぁぁぁ‼」
 ボクは両拳を昼空に突き出し、思いの丈を叫んで歓喜した。
 やった、やった、やった!
 三年間の努力が報われた!
 ボクは、この達人の弟子になれたんだ!
 やったよ、母さん!
「……正直に言ってしまうと、お前がここに来ることはないだろうと思っていた。『騎馬勢』三十分間を一日二回、それを三年間。十をひとつふたつ過ぎた程度の子供なら泣き出すだろう修行だ。だが、お前はそれをやり遂げた。肉体に触れて、しっかりとした骨格が出来上がっていることが分かった。言葉ならいくらでも嘘や誤魔化しがきくが、鍛錬は誤魔化せない。ゆえに――合格だ」
 レイフォン師父――やっと堂々と「師父」って呼べる――は、口元に小さく笑みを浮かべながら言った。
 ひとしきり喜んでから、ボクは当初の疑問を思い出し、師父にぶつけた。
「ところで師父、この『騎馬勢』って、何のためにやるものなんですか?」
「〈御雷拳〉の基礎を練るためだ」
 あっさりと答えた師父。
 ボクは「やはり基礎か」と納得した。シャーリィも言っていたし。
「人は馬にまたがった時、否応なしにその足の形『騎馬勢』となる。その形こそが、重心を安定させるのに最適な形であることを、体が本能で知っているからだ。クゥロン武術にはさまざまな立ち方が存在するが、そのほぼ全ての立ち方が、軸足はこの『騎馬勢』の形を取るようになっておる」
 明かされた内容に、ボクは口をあんぐり開けて納得していた。
「だが、ただ単に基礎的な立ち方だというだけならば、この『騎馬勢』を三十分も維持させたりはせん。三十分もやらせたのは、さっきも言った通り〈御雷拳〉の基礎を養うためだ――『沈墜(ちんつい)』という基礎を、な」
「『沈墜』、ですか?」
「そうだ。リンフー……だったな、お前は人体の重さが、どこに集中していると思う?」
「足の裏、じゃないですか?」
「普通ならそう答えるだろう。実際間違っていないしな。だが、半分正解といっておこう。――実は、足裏に集中しているのは全体重のせいぜい五割ほどで、残りの五割は体の至るところに分散しておる。常人の肉体は、日常生活において余計な動作や体勢をとる影響で姿勢が歪んでしまっていて、その歪みが体重の分散を招く。
 ――だが、わしが長年の経験をもとに作り上げた武術〈御雷拳〉は、それを良しとはしない。だからこそ『騎馬勢』を長時間維持するのだ。上半身を真っ直ぐに立てたまま垂直に腰を降ろすことで、全身の負荷が下半身へと集中させる。その状態を維持し続ける修行を長年行うと、散らばっていた全身の重みが沈殿物のように徐々に足元へ下がっていき、氷山の一角のごとき重心の安定を得ることができるのだ。……リンフーよ、お前はここ最近、水が溜まったような充実感を下半身に感じているはずだ。違うか?」
 ボクはめちゃくちゃビックリした。当たっていたからだ。コクコクと高速で頷く。
「それは、三年間にわたる『騎馬勢』の修行によって、全身の重みが下半身へ下がっていることの証だ。それこそが『沈墜』。
 我が〈御雷拳〉では、その『沈墜』によって下半身に集約させた体重を、相手に勢いよく激突させるという形で利用する。たとえば、こんな風にのう」
 師父はおもむろに、ボクの胸を掌で押した。
「だ――――⁉」
 それは側から見れば、優しく押したように見えただろう。
 だがその手押しを受けたボクは、まるでバカでかい岩に寄りかかられたような凄まじい重みを感じ、後ろへ大きく跳ね飛ばされた。
 うつ伏せになって止まってから、師父の姿を見る。前に小さく伸ばした右掌の真下に、『騎馬勢』の形をした右足があった。
「大丈夫か? これでも死ぬほど手加減したのだぞ」
 げほげほと咳き込みながらも、ボクは「だ、だいじょびでふ……」と不細工な声で答えた。
 でも、凄い。
 体を貫くようなさっきの衝撃でさえ、「死ぬほど手加減」したのだという。本気になったらどれほどの威力なのか……想像しただけでゾッとする。
 ぽんぽんと服の砂ほこりを叩きながら、ボクは師父へ歩み寄る。
「――とまあ、お前に『騎馬勢』をやらせた理由は以上だ。ちなみに、わしはお前にその修行の意味をあえて教えなかった。意味の分からん修行に挑ませることで、お前の情熱が本物であるかを確かめるためにのう。
 そして、お前は見事にそれをやり遂げ、こうして弟子入りを勝ち取れた」
 だが、と師父は釘を刺すように区切りを加え、厳格な口調で続けた。
「これは「終わり」ではなく「始まり」だ。本当の修行はこれからだ。ゆえに、慢心は一切捨てよ。驕らず、侮らず、怠らず、よくよく精進せよ」
「はい!」
「よし。では、わしの弟子となったからには、決まりをいくつか守ってもらう」
「はい!」
「一つ、わし以外の者に武術を学ばぬこと。
 クゥロン武術の伝承において、弟子は二種類存在する。普通の弟子である『外門弟子(がいもんでし)』と、才能や情熱を認められて門派の秘伝と伝承責任を受け継ぐ『内門弟子(ないもんでし)』の二種類。
 わしはお前を『内門弟子』として扱う。これは、いうなれば師弟で親子の契りを結んだようなもの。ゆえに、わし以外の者に無断で学ぶことは裏切り行為にあたる。もし破ったなら、問答無用でお前は破門だ」
「はい!」
「一つ、わしの教えを疑わぬこと。
 わしはお前に一切の嘘や虚飾なく、厳格に、かつ誠実に武術を教えることを誓う。それを疑うのなら、もはやわしは手詰まりだ。お前がここにいる意味はない」
「はい!」
「一つ、全ての思考をわしに委ねぬこと。
 武術家は自分で考え、自分の意思で実行できるようにならねばならん。わしの教えを疑うなとは言ったが、武術以外のところでまで唯々諾々になるな。自分で考えるべきところでは、自分の頭で考えて行動せよ」
「はい!」
「最後に一つ。
 ――少しずつでいい、武術をやる理由を決めておけ。
 お前は純粋な武術への憧れから武術を志したが、憧れだけでやっていけるほど、武術の世界は綺麗ではない。武術を続けるうちに、お前にも、武術をやる意味を真剣に考えなければいけない時期が遅かれ早かれ必ず来る。その時に確固たる「信念」を、胸を張って言えるようになれ」
「はい!」
「……以上だ。さて、口で教えるのはこれくらいにするぞ。これから武術らしく、お前の肉体に教え込んでやる。わしはお前が女だからといって手加減はせん。厳格に、かつ合理的に指導する。覚悟はいいな?」
「はい! …………はい?」
 ボクは小首を傾げ、考えた。
 これから修行する。そこまでは分かった。
 だけど、一つだけ聞き捨てならない文脈があった。
「ちょ、ちょっと待った!」
「なんだ」
「ボク……男なんですけど」
 師父は唖然とする。
「嘘をつくな」
「男ですっ!」
 ボクは顔を真っ赤にして言った。
 途端、師父は爆笑しだした。
「わ、笑わないでくださいよっ!」
「くくくっ……すまぬすまぬ。女と同居することを踏まえて、色々と気遣う点を考えていたのだが……男ならば不要であるな」
 ぶすっとするボク。屈辱だ。まさか三年間も女と勘違いされてたなんて。
「まあ、改めて……これから、よろしくお願いします」
 ふてくされた顔のまま、そうレイフォン師父に頭を下げた。

 ――こうして、ボクの武術家としての人生が幕を開けた。
 


【足日記その一】


 そういうわけで、ボクは晴れて、あの『雷帝』の一番弟子の座を勝ち取った。
 来たその日から、早速修行を始めることになった。
 無論、今日から師父の家に住み込むことにもなった。
 おまけにボクは修行だけでなく、家事や炊事の手伝いなんかもすることになった。『内門弟子』になるとは、そういうことなのだ。
 まあ、ボクは実家で母さんの手伝いをよくしてたから、別に苦ではない。むしろ得意だった。特に料理は定食屋の女主人である母さん直伝の腕前で、今晩さっそく師父の舌をうならせることに成功した。
 ――閑話休題。
 この日記はいったい何なのかって?
 これも師父から課せられた「修行」の一つなのだ。
 師父から「今日から毎日、その日の修行のことを日記につけろ」と言われた。
 だから、こうして今日の修行のことを記すことになったのである。

 足で。

 足で。
 大事なことなので二回書いておく。
 この『足日記』は、その一日の修行の記録であると同時に、「足の器用さ」を養うための鍛錬法でもあるのだ。
 ――クゥロン武術には、さまざまな歩法が存在する。
 武術の命は足だ。
 足の動きで攻撃を避け、
 足の動きで相手との間合いを詰め、
 足の動きで技の威力を作る。 
 その足の動きこそが、歩法。
 だが歩法の中には、一日二日程度では習得できない、難しいモノも数多い。
 そういった歩法の習得を飛躍的に早めたいのなら、優れた「足の器用さ」が必要である。
 それを解決するのが、この『足日記』というわけだ。
 まだ書き始めたばかりなので、しばらくはこんな汚い字が続くと思う。どうかご容赦願いたい、未来のボク。
 さて、この日記の存在意義は書き終えたので、これから本題に入りたいと思う。
 今日はさっそく、二つの技を教わった。

・『穿針歩(せんしんほ)』

 これは、師父の拳法〈御雷拳〉の基本的な歩法だ。
 最小限の動きで相手の攻撃をかわすことで、体力の消耗も最小限に抑え、かつ無駄な動きによって居着くことも防いでくれる。
 だけどこの『穿針歩』には、他の武術の歩法と違って、「こう来たらこうやって動く」というような決まった動きが無い。
 つまり、有形ではなく「無形」である。
 だからこそ、有形であるがゆえの杓子定規に陥らず、変化が自由自在なのだ。
 その『穿針歩』を身につけるための修行は、ひたすら地味で泥臭いものだった。
 師父が石を投げ、それをボクが避ける。
 ただそれだけ。
 だが、師父は息つく暇もなく、次々と石を投げてくる。
 おまけに、ボクの反応の裏をかくような、意地の悪い投げ方をしてくるのだ。一回目は必ず避けられるが、その一回目を避けたと思った瞬間には二発目の石が飛んできて、一回目の回避の勢いのせいでうまく動けないまま当たってしまう。つまり「居着いて」しまうのだ。
 結局、今日ボクが連続で避けた回数は、たったの一回だけ。
 師父曰く、「無駄な動作を省き、必要最低限の動きだけしていれば、いくつ飛んで来ようと当たることはない」とのこと。
 ボクは試しに石ころを籠いっぱいに集めて、それらを一気に師父へ投げ込んでみた。すると驚くべきことに、師父は投げた石のどれ一つにも当たることなく、しかもそれほど大きく動くことなく全て回避してみせたのだ! ……その時の師父は、まるで実体のない霞のように見えた。
 少しでもああなりたいと思ったボクは、めげずに明日も頑張る決意をしたのだった。

・『勁撃(けいげき)』と『頂陽針(ちょうようしん)』

 クゥロン武術には『勁撃』と呼ばれる打撃法が存在する。
 『勁(けい)』という力を用いて、敵を打つのだ。
 ――ここで、答えの分かりきった問題を出そう。
 その場に立ったまま殴る、
 遠くから助走をつけて殴る、
 さて、どっちの方が威力は高いでしょう?
 ――答えは当然、後者。
 勁撃は、その「助走をつけて殴る」という行為を高度に発達させた技だ。
 上半身と下半身を同時に動かし、それらの動きで生まれた力を一つに束ね、敵に叩き込む。つまり全身の力で打つのだ。
 その「束ねられた全身の力」こそが勁。
 勁とは、鋭く速い性質を持った力だ。敵の体に突き刺さるようにして勁は伝わり、場合によっては人体表面を突き抜けて体内へ浸透してしまう。
 技術で生み出す力なので、筋力頼りで生み出した力とは違い、老人になっても勁は衰えない。鍛錬を続けることでどこまでも強くなっていく。
 ボクも、その『勁撃』を覚えるために、ある修行をすることになった。
 ――それこそが、『頂陽針』という正拳突きの反復練習である。
 待ってました、拳法の醍醐味、正拳突き!
 ボクは数ある武術の技の中で、拳が一番好きなのだ。だって、男らしいから。
 この『頂陽針』の突き方は、独特なものだった。
 まず、後足で地を蹴って前へ大きく体を進ませ、踏み込む。
 踏み込みを行うと同時に、両足を一気にひねる。
 そのひねった勢いを利用し、体を前後へ十字に開く。
 ……拳を突き出し終わった時の形は、『騎馬勢』をしながら真横へ弓を引いたような形である。
 この突きは、『沈墜』で下半身に集めた体重の衝突力だけでなく、ひねる力、体を十字に開く力の合計三つを一気に発動させることで、爆発的な勁を作り出す。

 最初に、師父がお手本を見せてくれた。だが師父の見せた『頂陽針』は凄まじすぎた。その強烈な踏み込みは周辺の大地をビリリと震わせ、遠くに置いてある椅子までも跳ねさせるほどだった。……もし家の中でやったら、確実に床が砕けるだろう。
 最初はこの『頂陽針』をひたすら反復練習することで、勁撃に必要な「上半身と下半身の協調動作」を体に覚え込ませる。
 拳を体の外へ一気に爆発させるように打つため、えらく体力を消耗する。だが、そのうち慣れてくるらしい。
 何にせよ、練習あるのみだ。

 
 以上の二つが、今日ボクが学んだことであった。
 やはりというべきか、最初はとにかく地味な基礎ばっかりやらされるのだ。
 けれど、これを超えた先に、数多くの技があるのだ。太い木の幹が、たくさんの梢を伸ばし広げるように。
 それを楽しみに待ちつつ、今はひたすら基礎に取り組もう。
 では、おやすみなさい。

【足日記その一 終わり】



 早いもので、入門からすでに三ヶ月が経過していた。
 修行は毎日、早朝と夜に行われる。人の動きにとぼしい時間帯にやることで、練習を覗かれるのを防ぐためだ。今は夏なので涼しいくらいの気温だが、冬場は朝起きる所から辛そうだ。
 予想はしていたが、師父が課す修行は厳しいものだった。
 だが、人は何事にも慣れるものだ。最初はついてこれるか微妙だった二つの基礎訓練も、今ではかなり体が慣れてきていた。
 『穿針歩』の修行では、最高で二十七回石を避けることができるようになった。
 『頂陽針』も、最初の頃と違ってすぐヘトヘトになることもなくなり、師父から注意を受けることも少なくなっていた。
 修行は順調に進んでいる。
 進んでいるのだ。
 だけど一つだけ、ボクは不満な点があった。それは――
「よし。今日の修行はここまでだ」
 とっぷりと夜闇に浸かった庭にて、師父が終わりの一言を告げた。
「はぁー……」
 それを聞いた瞬間、足元からドッと力が抜け落ち、ボクはその場で尻餅をついた。
 薄手の修行着に身を包んだボクの体は土埃と汗にまみれており、息も絶え絶えだった。
 だが最初の頃は、足の酷使によって両脚がカタカタと笑っていたものだ。それに比べると、今は体が厳しい修行に馴染んできている。
「さっさと風呂に入れ。もう十分に湯が温まっている頃だろう」
 そう素っ気なく言うと、師父は先に家へと歩き出した。
 そんな師父に、ボクは意を決して尋ねた。
「あの、師父!」
「なんだ」
 こちらを振り返る師父。
 その鋭い眼差しに当てられ、ボクは思わず緊張してしまう。
「その……」
「用がないなら行くぞ」
「いや、あります! ありますとも!」
 ボクはもう一度勇気を振り絞って、つい最近抱き始めていた疑問を投げかけた。
「ボクが入門して、もう三ヶ月になります。ですが、ボクが学んだものはいまだに『穿針歩』と『頂陽針』の、たった二つだけです! いつになったら、『套路(とうろ)』を教えてくれるのですかっ?」
 そう。それこそが秘めたる不満だった。
 すでに三ヶ月も『穿針歩』と『頂陽針』を練っているが、いまだにそれ以外の新しい技を教わっていない。
 最初は「全ての技は、基本という太い根幹あってこそ輝く」という意識で修行していた。けれども、いつまで経ってもその「根幹」以外を教えてくれないのだ。
 功力を積む、という考えはもちろん分かる。だがこの二つの技しか知らない状態で戦うことになってしまったら、正直、勝てる自信がなかった。
 そんなボクの不満と不安を聞き取った師父は、その鋭い瞳でボクを真っ直ぐ見つめながら、落ち着いた口調で訊いてきた。
「リンフーよ、お前は読み書きをどこで習った?」
 脈絡のない質問だった。
「は? いや、普通に「学堂」ですけど……」
 「学堂」とは、庶民の子供達に読み書きや算術を手頃な額で教える、私営の学校のことだ。教師は主に、超難関として有名な文科挙(ぶんかきょ)の不合格者。そのため文官には見下されているが、彼らのおかげでこの国の識字率が高いのもまた事実。
「では、その学堂でお前はどのように読み書きを習った? 初っ端からいきなり「これがこうしてこうなってこうなった結果こうなりました」という長ったらしい文章を習ったか?」
「いや、違いますけど。普通に単語とか、短い文法とか」
「だろうな。武術の修行もそれと同じだ。基本を軽んじることは、読み書きで例えるなら文法を軽んじることと同義だ。――わしの作り上げた武術〈御雷拳〉は、超攻撃型の拳法。その技術を根幹を成すのは二つの要素。「強大な威力」と「攻撃を必ず当てるための歩法」だ。お前が今学ぶ「たった二つ」は、それらを成り立たせるために欠くべからざる基本なのだ。むしろ、その二つだけでも十分戦えるくらいだ」
「師父……」
「嫌だというなら、出て行って他をあたって構わんぞ。金さえ積めばすぐにド派手な技を教えてくれるだろうからな」
 そう突き放すような言い方をすると、師父は背を向けて家へと戻っていった。
 ボクはすっきりしないものを胸に抱えながら、自分の拳を眺めた。
「ボク……強くなってるのかな」
 誰も答える者のいない問いは、夜闇へと溶けていった。




 さらに数日後。
 ボクは早朝の修行を終えた後、朝食を作って師父と食べ、すぐに街中へ出た。
 修行が終わったら、ボクがやることは限られている。家事をするか、外出するかだ。
 今日やるべき家事は風呂焚きと夕飯作りくらいなので、こうして外出というわけだ。
 ありがたいことに、師父は一定の周期でボクに小遣いをくれる。
 ボクは最初、修行のために帝都に来たので遊ぶ金など要らないと断ったが、師父は「それではわしと同じ引きこもりになるだろうが。ガキはガキらしく外へ遊びに行け」と押し付けるように小遣いをくださった。……三ヶ月一緒に暮していて気づいたが、師父はああ見えて面倒見が良いのだ。
 そんな師父の無愛想な心遣いに、あらためて胸の内で感謝する。
 夏の陽気が降り注ぐ空の下、ボクの足は迷いのない歩調を刻んでいた。
 最近ボクは足しげく、ある店に通っていた。
 『清香堂(せいこうどう)』と呼ばれる小さな茶館だった。
 この帝都の大通りは、東西南北へ十字状に伸びている。『清香堂』は、東と南の大通りの間に張り巡らされた脇道の一角にぽつんと建っている。
 大通りに面した茶館は値段が高すぎて、何か一つでも頼めばボクの財布など一瞬で干からびてしまう。なので、庶民にお手頃な店を選んだわけだ。
 それに、大通りのガヤガヤした人通りを眺めながらより、ひっそりとした場所で飲む茶の方がボクは好きなのだ。実家の町と同じくらいの人通りだからだろうか。
 すでに入り慣れた扉をくぐり、静けさと茶の香りに満ちた店内に入る。
 一人用の席を見繕い、そこへ座り、茶を頼んだ。
 しばらくして、茶器一式と、茶葉の乗った皿が届けられた。
 頼んだ茶葉は、子供の小遣いでも手が届く安い茶葉だ。
 しかし「安いから美味くない」なんて考えは、茶の素人の理屈である。
 安い茶葉でも、淹れ方次第では、雑に淹れた最高級茶葉よりずっと美味くなる。淹れる人の技の巧さによって味を変えるところは、なんだか武術の功力に似ている気がする。
 ボクは母さんから、茶の美味しい淹れ方を教わっている。なので、安価で美味しい茶を飲めるというわけだ。めちゃくちゃ得した気分である。
 ボクはいつも通りの淹れ方で茶を杯に注ぎ、それをすする。香り、渋み、苦みが見事に調和することで生まれた涼やかな味を堪能しながら、静かに物思いにふける。
「あの……」
 さすが帝都と言うべきか、人がやたらと多い。ボクが住んでいた町とは比べものにならないくらい往来が激しい。
「えっと……」
 最初はそんな人混みに慣れることが出来ず、よくめまいを起こしていた。だけど二ヶ月経つ頃にはすっかり慣れていた。
「すみません……」
 この帝都が、だんだん「やってきた町」ではなく「住み慣れた町」になりつつあった。住めば都というやつだ。
「――あのっ!」
 いきなり真横から響いてきた声に、ボクは「うわぁ⁉」と飛び上がった。
 誰だ、人の安らぎを邪魔する奴は。ボクは非難がましい気持ちを抱きながら、声の主を振り返った。
 『清香堂』の仕事着に身を包む一人の女の子が、縮こまりながら立ち尽くしていた。
 つややかな黒髪は腰まで長々と伸びていて、末端の毛は平行にぱっつんと切られている。目元はそのぱっつんとした前髪の下に隠れているが、うっすらと見える整った目鼻立ちから、なかなかの美少女であることがうかがえる。
 だけどパッと見、暗いというか……引っ込み思案っぽい印象を与えてくる女の子だ。
 その前髪の下にある大きな瞳が、目をそらし、見つめ直し、目をそらしをキョロキョロ繰り返す。
「……何か?」
「ひうっ⁉」
 ボクが怪訝な顔をしながら声をかけると、女の子はビクン! と大げさに肩を震わせた。
 だけど何度か深呼吸を繰り返してから、女の子はようやくか細い声を出した。
「あ、あの……ありがとう、ござい、ます」
「何が?」
「その…………最近、うちのお店に、よく来て、くれますよね」
「え……君の店だったのか?」
 こくこくこくこく、と過剰にうなずく女の子。
「わ、わた、私……クーリンって、いいます。このお店の、店主の、娘です」
「そうだったのか。ボクはリンフーっていうんだ。見た感じ歳が近いみたいだし、仲良くしような」
「は、はい……」
 女の子――クーリンは微かに微笑み、甘さと涼しさを感じる声色で返事をした。
「あの、以前から、その、気になってましたけど、お茶、淹れるのお上手ですね」
「ありがとう。ボク、帝都に来たのはここ最近なんだ。実家が定食屋でさ、その関係で茶の扱いには結構慣れてるんだよ」
「そ、そうですか」
 クーリンは、まるで仲間を見つけたような笑みを浮かべて頷いた。
 彼女のほんわかした雰囲気に気持ちを和らげられ、ボクもいつの間にか笑っていた。
「なんつーか、茶って結構面白いよな。淹れ方次第でどこまでも美味くなるってところが、金のある無しで差別しない大らかな感じがするっていうか」
「そうですよね‼」
 突然、おどおどしていたクーリンの態度が急変。ぱあっ! と明るいものになった。
「お茶の最大の魅力は、リンフーさんのおっしゃる通り、技巧次第で無限に美味しさを膨らませることができる奥深さ! 淹れる時間やお湯の温度の調整はもちろんのこと、急須の大きさや材質、茶葉の量の細かい調整などを工夫すると、その旨味は何倍にも! 何十倍にも! 何百倍にも向上します! 等級の低い茶葉でも、淹れる人の工夫と腕前次第で最高級の茶葉にも匹敵する味わいへと進化する! お茶は貧富の垣根を越えて愛されている文化であると同時に、旨味を追及しようと努力する人全員に貧富を問わず微笑んでくれる神様のような存在なのですっ‼」
 雪崩のごとく押し寄せてきた怒涛のお茶説法に、ボクは唖然としていた。
 そこまできて、クーリンはハッと我に返った顔をした。
 周囲の客の視線を一身に集めていると気付いた途端、顔をリンゴのように真っ赤にし、その顔を両手で隠しながらしゃがみ込んだ。
「う、うあああああああああん‼ ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい‼ 何を言ってるんだろう私ってば……‼」
 なんだか構図的にボクがいじめてるみたいで、いたたまれなかった。なので作り笑顔で励ましにかかった。
「い、いや、いいよ。なかなか面白かったし。勉強にもなったし。だから、な? もう顔を上げろって」
 しばらくなだめて、ようやくクーリンは落ち着いてくれた。その顔はまだほんのり赤いが。
「お、お騒がせ、いたしました……」
「いいってば。……それにしてもクーリンって、茶が好きなんだな」
 クーリンは花が咲くような笑顔を浮かべた。
「はいっ。とっても、とっても大好きですっ。いつか、このお店を継いで、たくさんの人にお茶の素晴らしさを伝えるのが、私の夢なんですっ」
「そっか。なんつーか、お互い頑張ろうな?」
「は、はいっ」
 はにかんだ笑みを見せ、クーリンはぺこりとお辞儀する。
「そ、それでは、失礼しますね。その、引き継ぎ、お茶を、楽しんでください」
 そう言ってから背中を見せ、とてとてと落ち着かない足取りで立ち去っていった。
 変わった子だな……でも、面白い子だ。この店に来る楽しみが一つ増えたかもしれない。
 そう思いながらクーリンの後ろ姿を見送っていると、彼女の向かう側の席に妙な光景が見えた。
 卓の真下に置かれた、鞘入りの剣。その席に座る客の足が、その剣を店の通路側へズズッ、と押し出した。
 そして、ちょうど歩いてきたクーリンの足の真下へと滑り込み、その剣は踏んづけられた。
 べキャ。
「ひゃん⁉」
 クーリンはその音に驚いて飛び上がり、足元を見た。その足が踏んでいる剣の鞘は、真ん中から折れていた。
 彼女は一歩退がり、硬直した。
 その剣が置いてあった席の客が、鞘ごと折れた剣をおもむろに拾い上げた。
 そいつは、いかにもガラが悪そうな面をしている細身の男だった。……陰気でチクチクする感じの雰囲気からして、カタギには見えなかった。
 男は立ち上がると、クーリンに詰め寄り、なぶるような口調で抗議する。
「おいおいおいおい、お嬢ちゃんよぉ、どうしてくれるんだぁ? この剣よぉ?」
「ご、ごめ、ごめん、なさ……」
「こいつはよぉ、『玉剣(ぎょくけん)』っつってよぉ、すっげえ高価な剣なんだよぉ。嬢ちゃんが貰うお給金がハナクソみてぇに思えるほどなぁ」
「ぎょ……」
 その名を聞いたクーリンが青ざめる。
 ボクも驚いていた。
 『玉剣』。
 「神匠(しんしょう)」とうたわれる天才刀剣職人、ロントンによって作られた刀剣の総称。クゥロン大陸一の斬れ味を誇る刀剣で、武術を学ぶ者であれば誰しも一度は握ってみたいと思う一品だ。
 何より、もの凄く値段が高い! それこそ、一振りあればこの『清香堂』のような小さな建物が二軒くらい建てられてお釣りが来るほど。
 そんな高価なモノを、クーリンはわざとではないとはいえ踏んづけてしまったのだ。大変なことである。
 ――だけど、一方で妙だと思った。
 なんでそんな高価なブツを、卓の下に置き、なおかつ足でいじるという粗末さで扱ったのだろう。普通は、もっと大事に扱うだろうに。
 おまけに、剣を通路へ押し出したのも、クーリンに踏ませるためのように見えた。
 男はゆっくりと、折れた鞘から剣を抜く。……露出された剣は、半ばからポッキリ折れていた。
 場が騒然とする。
 男はいやらしいニヤニヤ顔で、
「うわぁ、こいつは困ったねぇ。見ろよこれぇ、剣身の根本に印が打ってあんだろぉ? これはロントンが銘として使ってる紋章だ。つまりこいつは紛れもなく本物の『玉剣』なんだよ。それをお嬢ちゃんは見事にポキンとしちゃったわけだよ、分かるぅ?」
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
 クーリンは唇をかたかた震わせながら、青ざめた顔でひたすら謝罪する。
 男はそんな彼女の胸ぐらを掴み上げ、顔を近づけて怒鳴った。
「ごめんで済むなら平定官(おまわり)いらねぇんだよボケ! こいつを買うために俺が何年贅沢を我慢したと思ってんだ! 弁償しろコラァ‼」
「そ、そんな……うちには、『玉剣』を買えるお金なんか……」
「はぁ⁉ 世の中舐めんなよカス! 人様のモン壊したら弁償ってのが常識だろうが! んな基本も分からねぇガキが、一丁前に客商売やってんじゃねぇぞ‼ …………ん?」
 ふと、男はクーリンの顔をまじまじ見る。その次は体の輪郭を上から下へなぞるように見て、ニヤリと笑った。ねばっこい企みを感じさせる笑みだった。
「お前、一見暗そうだけどよぉ、よくよく見たらなかなか良い女じゃねぇか。よし、俺がこれから稼げる女郎屋紹介してやるよ。せいぜいその体で返済してくれや」
 男はそう言って、クーリンの手を掴んで引っ張ろうとする。
 クーリンは涙目になって、振り解こうとする。
「い、いやっ! 離してっ! いやぁぁっ‼」
「るせぇっ! わめくんじゃねぇよ! テメェのお袋も一緒に売っちまうぞ‼」
 ――もう限界だ。
 ボクは立ち上がり、男のスネを思いっきり蹴飛ばしてやった。
「ってぇっ‼ ……テメェ何しやがる⁉」
「うるさい黙れこの畜生! 女をそんな乱暴に扱うな! お前のやっていることは人狩りと何一つ変わらんぞ! 恥を知れ恥を‼」
「んだとぉ⁉ あんまナメた口きくと女でも容赦しねぇぞ‼」
「誰が女だ⁉ ボクは男だ! 間違えるな!」
「知るか! 邪魔すんじゃねぇ! 殺すぞ!」
「断る! お前のような馬鹿者は捨て置けん! だいいち、そんな高価な剣なら、どうして床なんかに置いておいた⁉ ぞんざいな扱いをしていたお前にも責任の一端が――」
 あるぞ、と言い切る前に胸ぐらを掴み上げられた。クソみたいな野郎でもやはり大人だ。ものすごい力である。
「いい加減にしとけよ、世間知らずのお坊ちゃん。この場じゃ、俺の意見の方が正当なんだよ。人様のモノを壊したら弁償する、当たり前の事だろうがよ。え? クソガキ」
 ギラギラと殺意に満ちた睨み目。
 しかし、こんな目はこけおどしだ。師父の眼光に比べれば、全然怖くない。
 ボクは負けじと睨み返した。
「……ふん。その剣、ずいぶんと粗末に扱っていたじゃないか。本当に『玉剣』なのか?」
「当たりめぇだろ‼」
「そうかそうか……だとしたら、その剣はすこぶる不憫だな。持ち主に恵まれなかったっていうすすり泣きが聞こえてきそうだ」
「……んだとォ?」
 瞬間、体に浮遊感を覚えた。
 一秒ほど後に、背中に衝撃。空気がお茶の匂いから陽の匂いに変わり、体が地をゴロゴロと転がった。周囲の喧騒がこくなる。
「痛っ……!」
 停止してから、ボクはようやく自分が投げ飛ばされ、戸を破って外へ転がったのだと悟った。
「らぁ‼」
 起き上がろうとした瞬間、腹に強い衝撃。近寄ってきた男に蹴られたのだ。
「がはっ……⁉」
 ハラワタがでんぐり返りそうな気持ち悪さが、鈍痛とともに襲いかかる。
 再び仰向けにさせられる。
 男はなおも執拗にボクを蹴りつけてくる。
「うっ、ぐっ……このっ、いい加減に、しろっ!」
 ボクは蹴り足を掴み取り、左右に揺さぶった。
 男はよろけながら離れた。
 その間に、ボクは痛みを我慢して素早く立ち上がった。
「テメェ……俺をキレさせたな。俺ぁいっぺんキレたらなかなか止まらなくなっちまうんだよぉ。こうしたからには、メタメタにぶん殴られる覚悟はできてんだろうなぁ?」
 男は殺気を抑えたような声で言う。ギラギラした眼が、ボクをまっすぐとらえる。
 ボクはふんと鼻を鳴らし、
「だったら口じゃなく、手足を動かしたらどうだ?」
「この……ガキャぁぁぁぁ‼」
 男が憤激のまま、ボクへ突っ込んできた。

 ◆
 
 その男の名は、ルゥジェン。
 ありとあらゆる方法を使って金を荒稼ぎしている、詐欺の玄人(プロ)であった。その姑息なやり口にまんまと陥れられ、人生を台無しにされた人間は少なくない。
 汚らしい人脈も幅広い。 
 今回、わざとクーリンに踏み折らせた剣も、もちろん『玉剣』などではない。銘は本物そっくりだが、剣そのものは取るに足らないナマクラの贋作である。
 そもそも『玉剣』など、よほどの金持ちでもなければ買えっこないのだから、具体的特徴を知っている奴など滅多にいないだろう。確固たる証拠を示されない限りは、いくらでも弁を立ててやればいい。
 ルゥジェンは悪知恵の働く男であった。
 その上、武術の心得も多少あった。
「ヒハァ!」
 身を寄せながら横蹴りを放つルゥジェン。鋭く突き進んできた靴裏に腹を殴られ、リンフーは鈍痛とともに押し流された。ごろごろと街路の石畳を転がる。
 何度か転がってようやく勢いがおさまった。だが立ち上がろうとした瞬間、すでに近づいていたルゥジェンに腹をもう一度蹴られた。
「がはっ……!」
 体の中が裏返るような気持ち悪い痛み。それでもリンフーは必死に体勢を整え、兎のようにその場から飛び退く。一瞬後、直前までの立ち位置を鋭い蹴りが通過した。
 数回転がってから立ち上がる。ルゥジェンの憎たらしい姿に狙いを定め、大地を後足で蹴って走り出した。
 相手へ向かって体ごと突っ込み、前足で踏み込――

「ごっ⁉」

 ――むよりも先に、ルゥジェンの拳がリンフーの顔面を綺麗にとらえた。
 衝撃とともに鼻腔に鈍痛が走り、視界に星が散る。リンフーの放とうとした『頂陽針』は不発に終わり、後ろへたたらを踏んだ。
 痛む鼻を押さえると、生ぬるい血の感触がした。
 血を認識した瞬間、リンフーの激情がさらにかぁっと燃え上がった。鼻血を強引に手で拭い取り、燃えるような激情のおもむくまま敵へ突っ込んだ。
 もう一度『頂陽針』を試みる。
「がはっ!」
 が、今度は靴裏で胸を蹴られ、突進を止められる。
 ルゥジェンの攻め手はまだ続いた。あらかじめ屈曲して「溜め」を作っておいた軸足の踵で大地を蹴る。地から跳ね返ってきた力で重心を推し進め、その流れに拳の直進をともなわせた。
 蹴り伸ばされていた足に重心が移るのと同時に、ルゥジェンの拳がリンフーにぶち当たった。
「――っ」
 今度はうめく事さえできなかった。拳に込められた勁は、槍のごとき鋭さと指向性をもって腹に食らいついた。意識を一瞬持っていかれかけた。
 小柄なリンフーの体が風に吹かれた紙屑のように吹っ飛び、バシャーン、と飯店の戸に叩きつけられた。
 叩きつけられた痛みはそれほどではない。だがルゥジェンの勁撃による痛みは、今なおジンジンとだるく訴えてきていた。
 ……間違いない。こいつ、何か武術をやっている。
 リンフーは今さらながら確信する。
 ――ルゥジェンの使う武術の名は〈挿拳(そうけん)〉。
 敵との直線上の相対位置を条件に、拳、蹴り、間合い、立ち位置など、あらゆるものを敵に「挿し込む」戦い方を得意とする。
 自分の正拳を相手の放った拳に滑らせて受け流しながら当てたり、蹴りを真っ直ぐ叩き込んで相手に進行を止めたり、相手の構え手に自分の構え手を挿し入れて間合いに入り込んだり、相手を素通りしつつ背後を取ったり――「直線の動き」を基準に、多様な戦術を見せる。
 そんな拳法の使い手であるルゥジェンは、リンフーの底をさっそく見極めつつあった。
(間違いねぇ。このクソガキ、あの変な突きの一つしか知らねぇんだ)
 武術とは、弱者が強者になるための技術である。
 そのため、体格差を埋める技も数多く、小柄な武術家はそれを必ず身につけているものだ。
 だが、こいつにはそれが無い。
 自分よりも手が長い相手に対して避ける事はせず、猪にように真正面から突っ込んでくるのだ。それゆえ、手足の長さで勝る自分へは届かない。
 無駄だらけな立ち振る舞いから見て、実戦経験も薄い。
 ナイナイづくしの、素人に産毛が一本生えたような初心者。
 こいつは楽勝だ。とっととぶちのめして、あの根暗娘からたっぷりふんだくるとしようか。
 無傷で、体力的にもまだ余裕のあるルゥジェンの様子に、リンフーは焦りを覚えた。
 焦りとは、人から冷静な判断力を奪う毒である。
「くっそぉっ‼」
 リンフーは痛みをこらえて跳ね起きると、ルゥジェンにもう一度『頂陽針』で突きかかった。
 だが、またもリンフーの拳が届く前に、ルゥジェンの蹴りが胴体に届いた。
 ボロ布同然な有様のリンフーが転がされる。うつ伏せで止まる。
 ルゥジェンは歩み寄ると、リンフーの体を何度も蹴りつけた。
「立てオラァ‼ まだ収まりつかねぇんだオラァ‼ 立ってもっと殴られろコラァ‼ 大人ナメた報い受けろオラァ‼」
 執拗に、何度も何度も蹴りつける。
 降り注ぐ衝撃と痛みに、起き上がる体力すら奪われていく。
「やめてっ‼」
 そんな二人の間に、クーリンが割って入ってきた。
 リンフーを庇うように、両手を広げて立ちはだかった。
「お願いです……やめて、ください…………リンフーさんが、死んじゃいます……!」
 強く言葉を発せたのは最初だけだった。前髪の下の瞳からポロポロと大粒の涙滴をこぼし、弱々しい声で救いを乞うように訴える。
「どけや雌豚ぁ‼」
「ぎゃんっ⁉」
 立ち塞がるクーリンの右頬を、ルゥジェンは容赦なく裏拳で殴りつけた。
 もんどりを打って跳ぶ黒髪の少女。
 ――野郎。
 それを見た瞬間、リンフーの憤怒が痛みを上回った。
 迅速に立ち上がり、ルゥジェンの鳩尾へ飛び込む形で頭突きを叩き込んだ。
「ごあっ⁉ っ……テ、テメェッ…………!」
 おぼつかない足取りで数歩退がったルゥジェン。目に宿る殺気が一層濃いものとなる。
「殺す……テメェ、殺してやるっ‼」
「やかましい」
 リンフーはそう一蹴する。
 怒りがさらに高まったことで、一周回ってリンフーの気持ちは冷静となっていた。
 冷静になったことで、初めて、自分の戦い方がいかに欠点だらけだったかを自覚する。
 ――落ち着け。
 相手を殴ることばかりにこだわるな。
 ボクはもう素人じゃない。武術をやってるんだ。
 師父の教えを思い出せ。
 〈御雷拳〉の戦法を思い出せ。
 ばちん、と平手で顔面を覆うように叩く。冷静であることを再確認。
 睨みをきかせるルゥジェンを睨み返し、言った。
「無抵抗な女の顔を殴ったんだ。それなりのしっぺ返しは受けてもらうぞ」

 

 帝都は宮廷を中心に置き、そこから大通りが東西南北へと伸び、帝都を囲う壁まで続いている。宮廷に近いほど官庁などの建物の割合が増え、遠ざかるほど庶民が住まう市井の色が濃くなっていく。
 現在、シャーリィは南の大通りを一人で歩いていた。
 帝都の南端部は、一番商業が盛んな場所だ。今は夏なので、初夏が始まる前に収穫した一番茶が多く売られている時期である。
 両側頭部でそれぞれ一束ずつ結んだ銀髪を揺らしながら歩くシャーリィは、片手に木筒を持っていた。中には市場で買った一番茶の茶葉が入っている。
 道行く人々は、シャーリィの浮世離れした容姿に目を惹かれる。だがそんな妖精のような少女の左腰に剣がぶら下がっているのを見て、只者ではないのだと感じて視線を前に戻す。
 シャーリィはいつも剣を携帯しているわけではない。左腰に剣がぶら下がったままであることに気がついたのは、家を出てすぐのことだった。家を出る直前まで、剣術の練習を少ししていたのだ。その時に外し忘れたらしい。
 十三歳という多感な少女時代を、シャーリィは武術の鍛錬に費やしていた。
 少女らしい趣味などまったく分からない。分かるのは武術のことのみ。すでに若かりし日を過ぎた年配者がそれを聞けば「もったいない」と言うかもしれない。
 だけど、そのことにシャーリィは恥も負い目も感じていなかった。
 武術は、悲惨な末路をたどるはずだった自分を救ってくれた恩人が授けてくれた宝物だった。
 ――何より、武術を身につけていれば、危険から我が身を守れる。
 こうして帯剣したまま出てきてしまったが、別に庶民の帯剣は罪ではないし、いざ何かあった場合はこの剣を引き抜いて斬りかかることもできる。……まあ、この剣は結構な値打ち物なので、血で汚すのは避けたいが。
 そうして歩いていた時だった。
「ケンカだ! あっちでケンカやってるぞ!」
 脇道から出てきた若い男たちが、何やら声高に話している。
「あっちってどこだよ?」
「『清香堂』っていう茶館の前だよ! なんかガラ悪そうな男と、十四歳くらいの子供がケンカやってんだってよ!」
「子供ぉ? 子供相手に大人が殴りかかってんのか? 情けねぇなぁ」
「子供の方は、夕陽色の長い髪を太い一束の三つ編みにした、無茶苦茶可愛い女の子だったぞ」
「違うぜ、男だよあの子供は。相手の男と言い争った時「誰が女だ⁉ ボクは男だ!」って怒ってたらしいし」
 …………聞き覚えのありまくる情報が、面白いほど耳に入ってくる。
 シャーリィの脳裏にはごく自然に、三ヶ月前に出会った三つ編みの美少年の顔が思い浮かんだ。
 ――彼がまだ、この帝都にいる?
 ということは、『雷帝』への弟子入りを果たせたのか。
 凪のようなシャーリィの心中に、小さな波紋めいた驚きが生じた。
 他人の空似、という可能性も否定出来ない。
 けれど、気になった。
 ――『清香堂』という茶館は一度見た事はあるが、行ったことはないため、どこにあるのかは忘れた。
 なので、話し込んでいる者たちのもとへ歩み寄った。
 彼らはみなシャーリィという妖精じみた美少女の横槍に目を見張るが、シャーリィは構わず訊いた。
「質問。『清香堂』という茶館は、どこにある?」


 

 ――いったいどうなってやがる。
 ルゥジェンが異変に気付いたのは、リンフーに頭突きを食らってから約三分後だった。
 再び攻防が始まると、突進ばかりだった女顔の小僧の動きが、まったく別種のものに変わった。
 最初は偶然だと思ったが、三分続く偶然を、武術では偶然と呼ばない。
 度重なる攻め手の連続で息を切らしながら、ルゥジェンは困惑していた。
 ――なんだ、このガキは……?
 攻撃が全く当たらなくなった。
 いくら拳や蹴りを放っても、それらは全て空を切る。
 まるで、雲でできた実体の無い人間を相手にしているような錯覚に陥りそうになる。
 今のリンフーが刻む歩法からは、まったく法則性が見出せない。だが、当てずっぽうとも思えない。無形だが、足に無駄な動きが一切無いのだ。
「クソが! なんなんだよテメェはぁ!」
 振り子のように鋭く放った前蹴りが、少し横へズレて躱される。
 その蹴り足で踏み込むと同時に打ち出された右正拳が、少し横へズレて躱される。
 その伸ばした右正拳を開いて腕を掴もうとするが、その前にこちらの右腕に沿うようにして背後に回られる。
 振り向きざまに靴裏を蹴り伸ばすが、少し横へズレて躱される。
 危機感を覚えたルゥジェンは飛び退いて距離を取った。
 躱されるたびに、無駄打ちを重ねた体が疲労を蓄積させるが、それを気にする余裕は今のルゥジェンには無かった。それくらい、驚愕と焦りを強く覚えていた。
 ――そんな様子を見て、リンフーは自分の技術が通用していることを実感していた。
 『穿針歩』。
 必要最小限の動きで相手の攻めをかいくぐり、やがて自分にとって有利な立ち位置を取り、強大な一撃へと繋げるための歩法。
 強大な勁撃。
 勁撃を確実に当てるための歩法。
 リンフーが行なっているのは、師の教え通りの戦い方だった。
 避けながら、リンフーはうかがっていた。相手が絶好の隙を見せる機会を。
 歓喜も、興奮も無い。リンフーはただただ冷静だった。
 冷静でいられるのは、自分は最上級の達人から武術を学んでいるんだ、という心強さがあるからだ。
 武術も茶も同じだ。努力した分、笑ってくれる。
 自分は『雷帝』に近づこうと努力した。
 そうだ。今のボクには、『雷帝』の教えがついている。
 ボクの中には――『雷帝』がいるんだ!
「しゃらくせぇんだよぉ、ガキぃぃぃ‼」
 ルゥジェンは顔を真っ赤にして怒号を上げ、一直線に突っ込んでくる。
 拳を真っ直ぐ放ってくる。重さと速さの兼備という矛盾を秘めた鋭い正拳。
 しかし、真っ直ぐで単純。
 リンフーはこれまでと同じように、少し横へズレてその正拳の軌道上から外れた。やってきた拳は風を切ってリンフーの頭を素通りする。
 ――だがその正拳は、「腕を伸ばす」という本来の目的を隠すための隠れ蓑に過ぎなかった。
 本命は、リンフーの後頭部で揺れる一束の三つ編みを掴むこと。
 いくらちょこまか動こうと、捕まえてしまえばもう動けない。その無駄に長い三つ編みは格好の弱点だ。

 ――だがそれは、あくまでルゥジェンの見解に過ぎなかった。

 女と間違えられるのを嫌がるリンフーが、わざわざこんな女じみた三つ編みをしているのには理由があった。
 それを「弱点」と思って掴みかかってくるマヌケへの対策だ。
 この三つ編みは「弱点」ではなく、そんなマヌケを釣るための「釣り針」。
 武林の豪傑の中に、リンフーのような三つ編みをした達人が一人いた。
 名を、サオレイ。変幻自在の歩法を誇る拳法〈奇影拳(きえいけん)〉の達人にして、『幻王(げんおう)』の異名を持つ、古き時代の豪傑だ。
 そのサオレイは、三つ編みを飾りではなく、兵法として利用した。
 三つ編みを結ぶ帯に刃物を仕込んだり、三つ編みの中に暗器を隠したり、いろんな使い方をした。
 十才の頃にそれを聞いたリンフーは、その工夫の素晴らしさに感化され、三つ編みを束ねるようになったのだ。
 それが今、初めて役に立つ。
 敵を掴む……それは見方を変えれば「敵に捕まった」のと同じ構図。
 三つ編みを掴んだルゥジェンの手が引っ張られる。
 だがリンフーはその力に逆らわず、むしろ自分からその力の流れに乗り、体当たりをぶちかました。
「がっ!?」
 苦痛というより、驚いたような声を上げたルゥジェン。
 ただの体当たり。大した威力ではないが、虚を突くという意味においてはこの上ない効果を発揮した。ルゥジェンの体が吹っ飛び、転がる。
 ――ここだ!
 好機(チャンス)と見たリンフーは、矢のごとく疾駆した。
 ルゥジェンが受け身を取って立ち上がった時には、すでにリンフーはルゥジェンの懐深くへ入り込んでいた。
 『沈墜』を込めた盤石な踏み込み、踏み込んだ足の捻り、足を捻った勢いを利用した全身の十字展開――それらの体術を同時に行う。竜巻のごとく凶暴な勁が瞬時に発生し、リンフーの拳からルゥジェンへ刺さるように伝わった。
 『頂陽針』。
「がは――」 
 拳が食い込む様子を見れたのは一瞬だけだった。
 次の瞬間、ルゥジェンはまるで後ろから思いっきり引っ張られたような速さで跳ね飛び、転がった。遠く離れた位置で仰向けに止まる。
「ぐあぁぁぁ……! 痛ぇ、痛ぇよぉぉぉぉ‼」
 止まってもなお、ルゥジェンは打たれた箇所を押さえてのたうち回っていた。その目には涙さえ浮かんでいた。
 拳を突き出した体勢のまま、リンフーは唖然とする。
「嘘だろ、そこまで効いたのか……」
 その大袈裟なほどの苦悶ぶりに、思わず呟きをもらした。
 ……これが『雷帝』と呼ばれた男の技。
 ルゥジェンはもう戦えないと確信した瞬間、一気に安心感が出て、リンフーは思わず尻餅をついた。
「リンフーさんっ!」
 心配そうな表情で駆け寄ってくるクーリン。さっき殴られた右頬には、青い痣ができていた。
「だ、だだだ、だいじょうぶですかっ?」
「ボクは平気だ……それより、ごめん」
「えっ?」
 リンフーは、クーリンの青痣をそっと指先で撫でる。
「ボクがもっと強ければ、もっと早く冷静になってれば……そんな痣、絶対作らせなかったのに」
 クーリンはブンブンと高速でかぶりを振った。
「そんなことありません! これは、わた、私が、勝手にやった、ことですから……! 私なんかより、リンフーさんの方がボロボロですっ。あんまり、無茶、しないでっ」
「ああ……ありがとう」
 今にも泣き出してしまいそうなクーリンに、リンフーはボロボロの顔でへにゃりと笑いかけた。作り笑いだが。
「おいぃ……なぁに仲睦まじく乳繰り合ってんだぁ、ああっ!?」
 そこへ水を差す愚か者がいる。
 ルゥジェンだ。打たれた部位を押さえ、苦痛混じりの怒りで表情を歪めながら、片足を引きずりながら歩みを進めてきた。
「油断してたぜぇ……まさかテメェみてぇなガキにしてやられるたぁよ。だがなぁ、相手ぶちのめして万事解決なんてなぁ、ガキ向けの物語の世界だけなんだよぉ……!」
「なんだと……⁉」
「テメェがどれだけ強かろうがよぉ、俺がその女に『玉剣』ブチ折られた被害者ってことに変わりはねぇんだよボケがぁ! オラァ、小娘ぇ! 出来るもんならとっとと弁償してみせろやぁ! 出来ねぇなら女郎屋で男にケツ振って稼ぎやがれやぁ‼」
 この野郎……!
 だが、クーリンが『玉剣』を踏んづけて折ってしまったことは紛れもない事実。
 いったい、どうすれば――

「これは『玉剣』ではない」

 その時、鈴音のような声が聞こえた。
 リンフーはその声に聞き覚えがあった。
 三ヶ月前、自分をレイフォンの家まで案内してくれた人物と、同じ声。
 声のした方を振り向く。
 折れたルゥジェンの『玉剣』を持った、一人の女の子。
 鏡面のような銀眼と、両側頭部で一束ずつに結えて垂らされた銀髪。一見、妖精か何かだと見間違えそうなほど浮世離れした美貌は、彫りがやや深く色白な西方人の顔立ち。
「シャーリィ……」
 そう、まさしく彼女だった。
 シャーリィは、リンフーの顔を見ると、相変わらず考えの読めない無表情のまま問うた。
「『雷帝』への弟子入りは叶ったのか」
「あ、ああ。一応」
「そう」
 シャーリィは再び、ルゥジェンの方を向いた。
「おい、小娘ぇ! フカシこいてんじゃねぇ! そいつは紛れもなく『玉剣』なんだよ!」
 食ってかかったルゥジェンに対し、シャーリィは表情を少しも変えずに淡々と答えた。
「否。これは贋作。銘はよく似せられているが、偽物。本物の『玉剣』の刃には、雪の山脈にような模様が刃の近くにうっすらと浮かんでいる。これは、本当によく斬れる刃物にしか現れない」
「んだと⁉」
「先ほど客の一人に事の顛末を聞いたけれど、踏まれて折れたという点にも首をかしげざるを得ない。『玉剣』は弾力と柔軟性に富んだ刀剣。直角に曲げても折れず、元の真っ直ぐな状態に戻る。こんな風に折れるなんておかしい」
「るせぇ! 口でならなんとでも言えんだよ! 証拠見せろや証拠ぉ!」
「了解した」
 言うと、シャーリィは折れた剣を捨て、己の左腰に納まっていた剣を引き抜いた。
 それは、細身で両刃の直剣。その刃の内側には――雪の山脈のような美しい波模様が浮かんでいた。
 さらにシャーリィは柄を握ったまま剣尖のあたりをつまむと、持ち上げた片膝に剣の腹を押し当て、グニィッ、と曲げた。
 剣身がきつい放物線状になったあたりで止め、剣尖をつまんでいた手を離す。すると、ブルンッ! と勢いよく剣身がしなり、元の真っ直ぐな状態に戻った。剣身には、傷一つついていない。
「これが本物の『玉剣』」
「んなっ……⁉」
 呆気に取られたルゥジェンの顔。
 周囲の視線が、非難の色をもってルゥジェンへ注がれる。その中には、リンフーの視線も混じっていた。
「ち、ちくしょうが! 覚えてやがれっ! 顔覚えたからなっ‼」
 ルゥジェンは己の不利を悟り、ありきたりな捨て台詞を残して去っていった。
 シャーリィは『玉剣』を鞘に納めると、リンフーへ歩み寄った。足音が全然しない。
「平気?」
「ああ……あちこち痛むけど、とりあえず平気だ。それよりもシャーリィ、ありがとうな。お前のおかげで、助かった」
「否。わたしは剣を見せびらかしただけ」
 ふるふるとかぶりを振るシャーリィのもとへクーリンが歩み寄り、ぺこりとお辞儀して、
「その、私、クーリンと、いいます。その、あの、今回は、本当に、ありがとうございました」
「否。何度も言うが、私は剣を見せびらかしただけ」
「それでも、あ、ありがとうございました」
 もう一度深々と頭を下げると、今度はリンフーの方を向いた。
 だが、その時のクーリンの表情には、感謝の気持ち以外の感情も混じっていた。それを示唆するように、頬がほんのりと朱に染まっていた。
「あの、ありがとうございます、リンフーさん……」
「よせって。ボクは何もしてない。ただ勝手に暴れただけだ。本当の意味で助けたのはシャーリィだろう。ボクが礼を言われる資格はないさ」
「でも、私のこと、一番に助けようとしてくれました。……私、とても、とても、嬉しかったです。本当に、ありがとうございました」
 朱に染まった顔ではにかみ、甘く涼やかな声で再度お礼を言うクーリン。
「……どういたしまして」
 リンフーはなんだか照れ臭くなり、頬をかきながら目をそらしたのだった。



【足日記その二】


 昨日の『清香堂』でのケンカの後、ボクはすぐに師父の家へ帰った。
 師父は呆れつつも、ボロボロのありさまであったボクを丁寧に手当てしてくれた。
 武術と医術は表裏一体。武術家は人を壊すために人体を研究するため、その分、人体に詳しく、治療も上手なのだ。
 武術の達人である師父の治療の腕前はそこいらの医者よりはるかに達者で、今朝起きた頃には痛みもウソのように引いていた。
 師父は手当ての最中、ボクの初めての闘いがどんな感じだったのかを訊いてきた。ボクが二つの技をきちんと理想的な形で使っていたのを知ると、
「〈御雷拳〉にとって理想的な勝利だな。及第点だ」
 てな感じで、少しだが褒めてくれた。
 だがそれ以上に嬉しかったのが――「明日から、套路(とうろ)の修行を始める」と言ってくれたことだった。
 やっとだ! やっと次に進めるのだ!
 たった二つの技を必死で練り続けた甲斐があったというもの。
 そういうわけで、今日の修行は厳しくもあったし、いつも以上に楽しくもあった。
 その修行の記憶を、文にしておきたいと思う。
 ちなみに、こうして今足で書いている字は、だんだん上手くなっている。三ヶ月前のボクと比べれば一目瞭然だ。この『足日記』の成長ぶりは、そのまま武術にも良い影響が出ていた。

・『母拳(ぼけん)』

 クゥロン武術には『套路(とうろ)』と呼ばれるものがある。
 套路というのは、いくつもの技が数珠のように繋げられ、一つの「路(みち)」みたいになった、技の集合体。異国で言うところの「型(かた)」である。
 この套路を何度も反復練習することによって、その門派の技や体術を体に覚え込ませるのだ。
 套路のないクゥロン武術は、まず存在しないそうだ。套路がなければクゥロン武術にあらず、と呼ばれるくらい当たり前のものなのだという。
 無論、〈御雷拳〉にもある。
 ボクが最初に学ぶこととなった套路は『母拳』というものだった。
 〈御雷拳〉における基本的な勁撃法を体得するための套路。
 約一分ほどで終わる程度の套路の中に、拳、肘、肩口、背中など、様々な部位で行う勁撃が含まれており、いずれも凄まじい威力を誇る。
 『母拳』に含まれる勁撃は、ほぼ全て『頂陽針』と共通した勁の出し方を持っている。
 つまり、『沈墜』によって下半身に凝縮させた体重でぶつかる勁を主に使う。
 ちなみに『母拳』では、習ったことのない足の動き――すなわち歩法――がたくさん含まれていたのだが、意外なことに、それらはすぐに足に馴染んだ動きとなった。
 すでに三ヵ月も書いている、この『足日記』のおかげだ。足で何度も文字を書いたことで、足先が器用になり、歩法を覚えるのが凄まじく速くなっているのだ。
 地味な鍛錬の成果がこういう形で現れるのは、なんだか快感である。
 この先も様々な技を学ぶだろうから、その時に備えて『足日記』は続けることにする。

・呼吸法

 武術において、呼吸とは欠くことのできない要素の一つだ。
 体力の消耗を必要最小限にとどめること、気持ちを落ち着けること、打撃の威力を倍増させること、相手の攻撃を防御すること……吸って吐くだけの行為は、いろんなことに役立つのだ。
 ちなみに三年前、師父は五人の男を手も足も使わずに吹っ飛ばしたが、あれは『炸(さく)』という呼吸法なのだそうだ。圧縮させた筋肉を鋭い吐気によって一気に膨張させる。あの五人はその膨張力によって吹っ飛ばされたのだ。
 今日は、『縮(しゅく)』という呼吸法を教わった。体内に取り入れた空気を一気に吐き出すことで筋肉を急激に縮め、相手からの衝撃を吸収して防御する呼吸法だ。
 ボクは『炸』も覚えたいと頼んだのだが、あれは呼吸法の訓練がある程度進んでからでないと健康に悪影響があるという理由で断られた。まあ、仕方がないな。

 以上が、ボクが今日初めて学んだ二つだ。
 套路を学んだことで、だんだんと拳法らしくなってきた! 嬉しい! 
 もっともっと強くなるぞ。
 頑張れ、ボク。

【足日記その二 終わり】



第二章『双銀の妖精』


 夜明け。
 はるか東の巨壁の輪郭から、朝日が顔を出している。
 瑠璃色の薄暗さは黄金色の明るさとなり、ぼんやりとしか見えなかった家と庭の姿を明らかにしていた。冷え気味だった空気も、夏の生ぬるい熱気を宿し始めていた。
「……やめ」
 師父の号令を耳にし、ボクは『母拳(ぼけん)』の套路(とうろ)を終えた。
「よし、今朝の修行はこれで終いとしよう」
 それを聞いた途端、全身が綿毛になったような柔らかい安堵に包まれる。
 緊張の糸が切れ、土埃と汗にまみれた全身がべたんと尻餅をついた。太い一束の三つ編みが一跳ねしてから背中にあたる。
 乱れた呼吸を繰り返しながら、ボクはレイフォン師父の話に耳を傾けた。
「一応、『母拳』の技の順序は、ここ一週間で全て記憶することは出来たようだな。
 ――だが、動作を覚えてもそこで終わりではない。一技一技に存在する余計な動きを削り落とし、体術の精度を高め、威力や速度を少しずつ底上げしなければ、套路はただの踊りで終わる。これからは『母拳』を、より厳格に追求していく。……以上だ。井戸で水を浴びてこい。その後に朝飯だ」
 そう言って家に去ろうとした師父の姿を、ボクは質問で呼び止めた。
「師父、対人訓練はまだやらないのですか?」
「そのうちやる。だがリンフー、今お前はその前に、戦うために必要最低限な備えをしておかなければならぬ段階だ。赤ん坊も、ハイハイを経ずいきなり二足歩行などしようものなら足が折れてしまう。分かるか? 今のお前は二足歩行を目指すハイハイ歩きの赤ん坊なのだ」
 相変わらず物言いが手厳しい我が師であった。
 しかし、今日はそこで終わらず、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「だが、対人訓練を積まなければ戦えません、では話にならぬのが武術というもの。いついかなる時にも備えられてナンボだ。なので、ここで一つ、わしが実戦の心得を教えておいてやる」
「実戦の、心得」
 その素敵な響きに、ボクの心が躍るのを実感する。
「もし怖くなったり、緊張したときは――そういった感情を無理に消そうとするな。
 人間、どうあがいたところでその反応が自然で、それを取り払おうとしても高確率でうまくはいかぬ。ならばそのような非効率なことはせず、受け入れろ。恐怖や緊張を抱いている事実から目を逸らさず、「自分は怖いんだ」「自分は緊張しているんだ」と己の心を己で客観視するのだ。客観視とはすなわち他人事。自分のことではなく、他人事だと思えれば、冷静な判断ができる」
 師父の言葉に、ボクはなるほどと思う一方で、やや期待を裏切られた気分になる。
「技の話ではないんですか……」
「心の問題を侮るでないぞ。武林には「一胆二力三技(いったんにりきさんぎ)」という言葉がある。技よりも力よりも、まずは胆力や心持ちが重要だという意味だ。大国であることに驕り、小国の軍勢と策謀によって滅亡を迎えた国家など、歴史を振り返れば枚挙にいとまが無い。それと同じように、武術家も己の技を信じられなかったり、驕りたかぶったりすれば、足元をすくわれかねんぞ」
「……なるほど」
 その通りだ。
 あの詐欺野郎との一戦でも、師父の教え通りの戦い方をしたからこそ勝てたのだ。
 師父の教えと、それを掴み取るために重ねた自分の努力を信じたから、勝てたのだ。
 師と、自分を信じる。それが一番大事なことなのだ。
 ボクは納得し、その教えを胸にしっかり刻んでおくのだった。



 朝げを終え、少し体を休めたボクは、『清香堂(せいこうどう)』へ行くことにした。
 ここ最近、あの茶館に通う頻度が多くなっていた。
 歳の近い知り合いがいるから気が楽というのもあるが、来るたびに歓迎されるのが嬉しかったのだ。
 あの詐欺野郎の一件以来、ボクはクーリンとその家族から英雄扱いされていた。
 特に看板娘のクーリンは、ボクの来店を見るやとっても嬉しそうに駆け寄ってきて、積極的に話しかけてくれる。
 クーリンは話題がなくなりそうになったら、自分から一生懸命話題を作ろうとする。その一生懸命さがなんだが健気っぽくて、つい口元が緩んでしまう。
 でもって、ボクが帰るときは、きまって寂しそうな顔をするのだ。別に今生の別れってわけじゃないのにな。
 そんなクーリンの百面相を見ながら茶を飲むために、足をサクサク進めていた時だった。
「おい、待て! 『雷帝』の弟子!」
 喧騒の中でもよく通る鋭い声。
 ……『雷帝』の弟子。つまり、ボクを指す言葉だろう。
 だけど、こんな声の奴は知らない。しかも、ただならぬ雰囲気を秘めた声だ。
 面倒ごとを避けるために、聞こえないフリをして進むことにした。
「おい、無視するんじゃないぞ! お前だお前! 三つ編み女!」
「誰が女だ⁉ ボクは男だぞ! 間違えるんじゃない!」
 ボクは思わず振り向いて言い返してしまった。その後「やっちまった」と後悔。
 そこには、ボクより五歳くらい歳上と思われる、一人の男が立っていた。
 ヤマアラシのように逆立った髪。ボクより頭ひとつ分ほど高い背丈。一見細身に見えるが、衣服の上から見てもほどよく鍛えられているのがなんとなく分かる肉体。
 鼻筋が高く通った精悍な顔つきは、常に闘争心を表しているような造作をしていた。同じく闘争心で光った目つきは、真っ直ぐとボクを見つめていた。
 誰だお前は、と問う前に、そのヤマアラシ男がやかましくハツラツと名乗った。
「聞けぃっ! 俺の名はボージェン! 〈番閃拳(ばんせんけん)〉を学ぶ武術家であるっ! 『雷帝』の弟子よ! 今日は貴様に試合を申し込みに来たっ! いざ、尋常に勝負しろっ!」
 暑苦しく、耳が痛くなる声だ。
 〈番閃拳〉……聞いたことがある。確か、雨あられのような拳の連打を得意とする門派だったか。
 ていうか、どうしてこいつはボクが『雷帝』の弟子だと分かるんだ――ああ、そういえばあの詐欺野郎の事件のとき、現れたシャーリィがボクに「『雷帝』の弟子にはなれたのか」と訊いてきた。あの時の会話を聞いていた奴がいたのかもしれない。
 そんな事を思い出しつつ、ボクは次のように言葉を返した。
「やなこった。じゃあな」
 ボクは武術が好きだが、むやみやたらにケンカをしたいわけじゃない。
 そのまま背中を向けて、歩き出そうとしたら、
「ほう、臆したか! ならば去るがいい! 臆病者に用などない! だがそうしたら俺が同門の連中に言っておいてやろう! 『雷帝』の弟子はとんだ腰抜けだった、とな!」
 そんな聞き捨てならぬ言葉を浴びせられた。
 カチンときた。
 ボクはボージェンへ勢いよく振り返った。三つ編みが感情を表現したように荒々しく躍動する。
「なんだと⁉ ボクは臆病者じゃない! 取り消せ!」
「そうか、臆病者ではないのか! ならば、試合に応じるがいい! 男とは戦う姿にこそ美がある! 戦えば勝とうが負けようがそいつは立派な英雄好漢だ! 貴様が英雄であることを俺に見せてみろ! 『雷帝』の弟子よ!」
「上等だ! あと、ボクの名前はリンフーだ! 『雷帝』の弟子って言うな!」
「雄々しい名前だな! さあ! 俺についてくるがいい!」
 そんな感じで、トントン拍子で試合にこぎつけられてしまった。
 ……「口車に乗せられてしまった」と後悔しつつも、吐いた唾は飲めないのが男の意地である。

 ◆

 そこは、帝都の南西部にある小さな公園だった。
 やかましい大通りから大きく離れたその公園には、植え込まれた小さな笹やぶが涼やかさを演出していた。詩(うた)を詠み聞かせ合う趣味の人々が集まり、静かで優美なひと時を味わっていた。
 しかし、そんな静かなはずの場所にぞろぞろと大勢の人々が集まりだし、詩人たちはギョッとした。
 人波の渦中では、リンフーとボージェンが向かい合って立っていた。
 見た目的にも、事情的にも、二人が「渦中」だった。
 武術家同士の試合。その言葉に、娯楽に飢えた庶民の心が躍らないはずがない。
 おまけに、ボージェンが何度も何度もでかい声で言った「『雷帝』の弟子」という言葉も、ここまでの野次馬を呼び込むエサになった。
 偏屈で気難しく、弟子を取りたがらないことで有名だったあの『雷帝』が弟子を取った――その噂は、すでに一ヶ月ほど前からされていた。そこへ件の「『雷帝』の弟子」が現れたのだ。皆が興味を持たぬはずがなかった。
「試合の作法は知っているな! リンフー!」
「知ってるよ。うっさいな」
 相変わらずハキハキとやかましいボージェンの物言いに、リンフーは辟易した表情で肯定した。
 「試合の作法」は、すでにレイフォンから教えられていた。
 武林には『抱拳礼(ほうけんれい)』という挨拶がある。片方の拳を、もう片方の掌で包むというやり方で行う。
 だがその挨拶は、状況に応じて形が変化する。
 右手は「陰」の象徴。殺気や戦意を表す手。
 左手は「陽」の象徴。友情や善意を表す手。
 右拳を左手で包む抱拳礼は、善意が戦意を包み込んだことを表す「融和の挨拶」。
 左拳を右手で包む抱拳礼は、戦意が善意を包み込んだことを表す「戦いの挨拶」。
 二人が包んだ拳は――左。
「〈番閃拳〉、ボージェン!」
「〈御雷拳(ごらいけん)〉、リンフー!」
 互いに名乗りをあげて、構えを取った。
「しゃぁぁぁ‼」
 先に飛び出したのはボージェンだった。弾むような足さばきで近寄り、間合いの中に一気にリンフーの立ち位置をとらえる。
 ボージェンは大きく息を吐いた。――豪雨のごとき無数の拳打を走らせながら。
「うわっ⁉ ちょっ、どわぁ!」
 いきなりの豪快な連打に、リンフーは思わず腕で顔を庇う。そのおかげで顔面は防御できたが、胴体に数発もらってしまい、その衝撃で意識が揺らぐ。
 一発一発の威力はそれほど高くはない。だが素早く連続でやってくる分密度が濃く、『穿針歩』でも回避がしにくかった。
「素人丸出しの防御だなぁ! どうした『雷帝』の弟子ぃ⁉ お前の力を俺に見せてみろぉ!」
 暑苦しい口調をそのままに、ボージェンは再び距離を縮めて高速連打を放ってくる。
 一息の間に、目にも留まらぬ速さで打ち込まれる連拳。リンフーは初めて戦う類(タイプ)の相手にどうしていいか分からず、ただただ防戦一方を強いられるばかりとなっていた。
 さらに驚くべきは、何度も拳を放っているにもかかわらず、ボージェンの呼吸に少しの乱れも見られない点だった。
 ――〈番閃拳〉の主軸となる技『連捶成雨(れんすいせいう)』は、一息吐く間に出来るだけ多く拳を放つという修行を行う。長い年月をかけて、一息の間に連発できる拳の数を少しずつ増やしていく。おまけにどれだけ打とうが、吐く息は一度だけなので、疲れも出にくい。
 一息に五十発打てれば達人、百発打てれば神の領域と言われる。
 ボージェンは達人とまではいかずとも、若い方ではそれなりに腕が立つ。武術の年季(キャリア)はリンフーよりも上。
 正直、分が悪い相手であった。
(ちくしょう! 反撃する隙が全然ないし、作れない! どうすればいいんだ⁉)
 猛烈な拳撃を、腕や『縮』の呼吸法で必死に防御しながら、リンフーは必死に頭を悩ませていた。ざわつく心を強引に押さえつけながら、懸命に打開策を練ろうとする。
 そこでふと、今朝のレイフォンの助言を思い出す。
 ――もし怖くなったり、緊張したときは、そういった感情を消そうとするな。
 ――恐怖や緊張を抱いている事実から目を逸らさず、「自分は怖いんだ」「自分は緊張しているんだ」と己の心を客観視するのだ。
 ――自分のことではなく、他人事だと思えれば、冷静な判断ができる。
 リンフーは我に返った。
 そうだ。恐怖心から逃げようとするな。受け入れろ。受け入れることで「主観」から「客観」に移せ。
(そうだ。ボクは緊張してるんだ。ビビってるんだ)
 それを素直に自覚すると、不思議とリンフーの心に静けさが戻ってきた。
 その上で相手を見て、考えた。
 絶えず猛烈に降り注ぐ拳の豪雨。それはリンフーの全身に、回避すら許さぬほどに密集している。
 だが、防御を手堅く保ちながらボージェンを観察していた時、「それ」に気付いた。
 拳の豪雨が、一瞬だけだが、ときどきピタッと止むのだ。
 その一瞬の停止の時、ボージェンはきまって「ヒュッ」ともがり笛のように息を吸い込むのだ。
 そう――息継ぎしているのだ。
 リンフーは、勝利への光明を見た。
 武術において、呼吸とは欠くべからざる要素の一つ。
 クゥロン武術の打撃術『勁撃(けいげき)』では、体術と呼吸を必ず同調させる。体術による疲労を最小限に抑えるためだ。
 それは〈御雷拳〉でも、〈番閃拳〉でも変わらない。
 逆に言えば、息を吐き切った時は、勁撃を出すことができない。
 つまり、自分が狙うべき時期(タイミング)は――
「ここだっ!」
 ボージェンの瞬時の息継ぎと、リンフーの踏み込みが、まるで噛み合った割符のように一致した。
 相手の間合いの奥へ入ったリンフーは、いきなり打ち込まず、まずは相手の両腕を掴み取った。
 それを振りほどこうとボージェンの両腕が動いた瞬間、リンフーは稲妻のように全身を動かした。鏨を打ち込むような深い踏み込みに、両足の捻りと全身の十字展開を合わせた。『頂陽針(ちょうようしん)』と全く同じ体術で勁を生み出したが、放つのは正拳ではなく――肘。
 『母拳』第二招、『移山肘(いざんちゅう)』。
「どはぁっ⁉」
 とがった岩が高速でぶち当たるかのごとき肘打が、リンフーの小柄な体からボージェンに打ち込まれた。「当てる」というより「貫く」ような勢いで繰り出された一撃。
 ボージェンは大きく吹っ飛び、周囲を囲んでいた人波を巻き込んで将棋倒しとなった。どぉっと、ざわめきが大きくなる。
(やばい……やり過ぎたか)
 将棋倒しとなった野次馬を見て、リンフーはそう思った。
 野次馬はすぐに立ち上がったのだが、ボージェンはいまだに起き上がらない。
「おい、大丈夫か?」
 近づいて、呼びかけてみるが、まったく返事がない。
「のびてやがるぞ。誰か、近くの井戸から水汲んでぶっかけてやりな!」
 野次馬が、まるで示し合わせていたような円滑さで動きだした。
 だらんと仰向けになっている敵の姿を見て、リンフーの心を埋めていた気持ちは二つだった。
 一つは、ボージェンへの気遣い。
 もう一つは――勝利の高揚感。

 ◆

 その勝利がきっかけだったのだ。
 ボージェンに勝利して以来、ボクのもとへ試合を申し込んでくる武術家が続出した。
 あの一戦によって、ボクが『雷帝』の弟子であることが本格的に知れ渡ってしまったのだ。
 『雷帝』は倒せない。ならばその弟子を倒して名を上げよう……そんな浅ましい考えの奴が大半だったと思う。
 ボクは基本断っているが、それでも、強引に仕掛けてくる奴も小数ながらいた。
 だが、ボクはそんな奴らも倒していった。
 そうやって降りかかる火の粉を払っているうちに、次々と勝ち星を積み重ねていった。
 どれも望んだ試合ではなかったが、どういう形であれ、勝ちは勝ちだ。
 その勝利は、ボクの気持ちを高揚させた。
 勝負への自信がついた。
 修行への意欲が湧いた。
 何より、これまでの修練が身を結んだことが嬉しかった。
 昔のボクは、負けん気ばっかりで腕っ節が伴わない無力な子供だった。
 なぜかボクを目の敵にしてよく因縁をつけてきていた、地元貴族のバカ息子にさえ敵わなかった。それが悔しくて、母さんや妹の見てないところで泣いていたのを今でも覚えている。
 それが今ではどうだろう? 多くの武術家をあしらうほどにまで成長している。
 今のボクの負けん気には、実力が伴っている!
 ボクは自分が、まるで憧れていた武林の英傑の一人に加わったような気がして、とても誇らしく思った。
 ボクはもう昔とは違う。強くなってる。
 そう、強くなったのだ!


 そんな感じで荒っぽい一週間を過ごした後日。
 夏の太陽が真上に登り、ジリジリと陽光が照りつけてくる時間帯。
 ボクは師父の家の中を掃除していた。
 掃き掃除はもちろんのこと、窓の汚れの拭き取りや厨房の整理など、この三ヶ月間でやり慣れた仕事をテキパキとこなしていく。
 母さんは「女の気持ちや苦労を知らないと、良い男にはなれないわよ。将来はカミさんを支えてやれる優しい旦那になりなさい」とよく言っていて、世間的には女の仕事とされている家事炊事をボクに叩き込んだ。その甲斐あって、この通り掃除を円滑に進められている。
 いや、ここまでスイスイ進むのは、家事が得意だからというだけではないだろう。
 すこぶる機嫌が良いからだ。
「どうしたリンフー、鼻歌なんぞ歌いおって」
 箒で玄関のゴミを掃いていた時、レイフォン師父が不意にそんなことを言ってきた。師父は地面に立てられた大きな日傘の下に椅子を置き、そこへ深く腰を下ろして前をぼんやり見つめていた。稲妻模様の痣がうっすら浮かんだその顔には、汗の一滴さえ見られない。
 ボクは額に浮かんだ汗を手で拭いつつ、
「え? ボク、鼻歌なんか歌ってましたか?」
「ああ。歌っていたぞ。一人で機嫌良さげに歌っていたから、なんだか不気味だったな」
「酷いな! ……いやまあ、いろいろありまして」
 言葉をにごすボク。
 けれど機嫌が良い理由は自分で分かっていた。
 ここ最近、試合で勝ちまくっているからだ。
 自分がようやく強くなり始めたことを実感できて、すごく嬉しく、楽しいのだ。
 おかげでこの一週間は、修行がすこぶる面白い。
「いろいろ、か……」
 師父はため息の混じった声でそう口にすると、ボクの方をじっと見てきた。
 相変わらず鋭い師父の眼差し。
 ボクは思わず息を呑んだ。その鋭い視線からは、ボクの心を見透かしているような感じがした。
 師父は、おごそかな声で言った。
「言っておくが、お前がここ最近連勝している相手は、いずれも未熟者ばかりだ。やるからには勝ってナンボだが、くれぐれも勝利という甘い蜜に溺れたり、「自分は強い」と自惚れたりはするな」
 ドキリとする。やはり見透かされていたのだ。
 その読みの鋭さに感服の気持ちを抱きつつ、ボクは何て答えようかと迷っていた。
 だがそこで運良く、木門がトントンと外側から叩かれた。
「あ、ボク、ちょっと出てきますね」
 そう告げて、ボクは逃げるようにその場を立ち去った。
 木門へ駆け寄り、戸を小さく開いて外を覗いた。
 小柄な二人組がいた。
 一人目は、なんと――
「シャーリィ?」
 濁り一つない鏡面のような銀眼に、両側頭部で一束ずつ結わえて垂らした銀髪。幼くも人間離れした美貌。
 小柄な妖精のようなその美少女は、見間違えようもなくシャーリィであった。
 ボクがそんな意外な来客の名を驚いた声で言うと、その銀色の妖精は無表情のままペコリと一礼した。
 いったいどうしてここに? と聞こうとしたときだった。
「――あらまぁ。シャーリィのお友達?」
 シャーリィと一緒にいるもう一人が、人好きする穏やかな声色でそう言った。
 ボクとシャーリィの間を取ったくらいの背丈の、小さなおばあさんだった。
 肩甲骨に垂れた毛先のあたりで一束に結えた白髪。笑い皺が深く刻まれた顔。穏やかながらも、どこか浮世離れした光をくすぶらせる眼差し。
「……何の用だ、ティンファ」
 いつに間にやらボクの後ろにいた師父が、愛想のない口調でそのおばあさんに言う。
「あらまぁ、久しぶりに訪ねたっていうのにご挨拶だわねぇ。弟子が出来たって聞いて、てっきり人嫌いが治ったんだと思っていたけれど、そうでもないのかしら」
「別に人嫌いではないぞ。この物言いは昔からだ。もう治しようがない」
 慣れた口調で会話をする二人。
 だがボクは、そのおばあさんの名である「ティンファ」という名前に、どこかで聞き覚えがあった。その聞き覚えを頭の中で探していた。
 ボクが心当たりを見つけるよりも早く、師父がおばあさんを紹介した。
「リンフー、このニコニコした婆さんはティンファという。『雲掌嵐歩(うんしょうらんぽ)』の異名を持つ、〈龍行掌(りゅうぎょうしょう)〉の使い手だ」
 ボクは心臓が口から飛び出そうなほど驚愕した。
 そのおばあさん――ティンファさんは、笑い皺に沿うような人好きする笑みを浮かべて言った。
「どうもねぇ。私はティンファ。この子、シャーリィの保護者兼師匠をやっているわ。よろしくねぇ、レイフォンの可愛い一番弟子さん」



 このクゥロン大陸には『クゥロン七大神手(ななだいしんしゅ)』と呼ばれる、桁外れの実力を持った七人の達人がいる。
 その中には、無論、レイフォン師父も入っている。大陸最強の剛拳使い『雷帝』の名は、その桁外れな七人の中でも筆頭の位置にある。
 さらに七人の中には、大陸最強の柔拳使いが一人いる。それこそが『雲掌嵐歩』、ティンファさんである。
 彼女にひとたび触れれば最後、全身に働く「力の流れ」を全て彼女に支配され、まるで人形のごとく操られてしまうという。
「ど、どうぞ。そ、粗茶ですが」
「あらあら、気が利くわねぇ。いただくわぁ」
 ボクが円卓に置いた茶杯の一つを、椅子に座ったティンファさんがニコニコしながら受け取った。
 大きな日除け傘の下。円卓の周囲を、ボクとシャーリィ、師父とティンファさんが囲んでいた。
 今ボクの目の前では、非常に得難い光景が広がっている……!
 『クゥロン七大神手』のうちの二人が、同じ茶の席に相席しているではないか!
 なんたる絶景! 
 夢でも見ているのかボクは? ほっぺをつねる。痛い。夢じゃない。
「何をしている?」
 ティンファさんの隣の椅子に座るシャーリィが小首を傾げながら訊いてきたのに対し、ボクは「へ? いや、別に」と慌てて誤魔化した。
 そんなボクを、ティンファさんはニコニコしながら眺めていた。
「それにしても、あのレイフォンがこんな可愛らしいお嬢さんを弟子に取るとはねぇ」
 いきなり話の的にされ、ドキリと心音が跳ね上がったボク。女の子扱いされたことへの不満など、口にする余裕さえなかった。
 彼女の隣に座るシャーリィが、ちまちまと自分の師の裾を引っ張り、
「否(いな)。おばあちゃん、彼は男性」
「あらまぁ、そうだったの。ごめんなさいねぇ。とても可愛らしかったから」
「い、いえいえいえ! お気になさらず恐悦至極……」
「リンフー、言葉がおかしいぞ。いい加減恐縮してないで、お前も座れ」
 言われた通り、師父の隣の席にぎこちなく座る。
「そんなに緊張しなくてもいいのよ、リンフーちゃん。私はちょっと武術が上手なだけの、ただのおばあちゃんだもの」
「は、はいでしゅ!」
 上ずった返事をする。
 師父が呆れたようにため息をついてから、
「それで? 今回はどの辺まで行ってきた?」
「南の方よぉ。あそこは甘味やお茶がすごく美味しいの。日持ちする乾果くらいしかお土産は無いけど、食べるかしら?」
「いや、いい」
 そんな師父とティンファさんの会話を黙って聞いていると、内容は次のとおりだった。
 ティンファさんは、クゥロン大陸のいろんな土地に門弟を抱えているらしく、大陸各地を回ってその弟子たちに〈龍行掌〉を教えているのだそう。
 他所の土地へ足を運んで武術を教えては、そこでお土産を買って、実家のあるこの帝都まで帰ってくるのだそう。
 そういうわけで、基本的に家にはシャーリィと、家政婦一人だけらしい。
「毎回思うんだが、疲れんか、その生活は」
「あら、楽しいわよぉ。それに老い先短いから、いろんな所を見て回りたいしねぇ。あとはシャーリィの花嫁姿を見られればもう思い残すことはないんだけど……ようやく男の子の友達が出来たから、それも望めそうねぇ」
 ティンファさんはニコニコしながらボクを見た。
「ねぇリンフーちゃん、シャーリィは良い子よぉ。ちょっと感情表現にとぼしい所はあるけど、私の肩を揉んでくれたりしてくれる優しい子だし、私の弟子だから腕も立つわ。何より、すごく可愛いものぉ」
「は、はぁ……?」
「一眼見て、リンフーちゃんは良い子って分かったから、お婿さん候補としては合格よぉ。だから安心して粉をかけて良いんだからね」
「こ、粉をかけるって……」
 ボクはかあっと頬を紅潮させた。
 シャーリィが相変わらずの無表情のまま、ティンファさんの裾を引っ張る。
「おばあちゃん。リンフー、困っている」
「ふふふ、ごめんなさいね」
 再び温かな笑みを浮かべるティンファさん。この笑顔を浮かべられると、どんな事でも許してしまえそうな気がする。
「まあ、粉かける云々の話は置いておくとして」
 師父はそうやって話に区切りをつけてから、視線をティンファに向けた。
「その娘、強いのか?」
 師父の問いに対し、ティンファさんは穏やかな瞳に刃のような光を一瞬宿らせた。
「えぇ。うちのシャーリィは強いわよぉ」
「そうか。ならばわしから一つ提案だ。――うちのリンフーと、お前の娘を戦わせたい」
 はぁ⁉
「ちょっと師父、何を⁉」
「真剣勝負ではないぞ。ただちょこっと試合をしてくれればいいのだ」
「いや、だから話を」
「サクッと戦って、うちの馬鹿弟子に灸をすえてやってほしい」
「うおーい! 師父ぅ⁉」
 ボクの言葉を完全シカトで、一方的に話を進める師父。
「構わないかしら、シャーリィ?」
「是」
 ティンファさんの問いかけに、シャーリィはすぐにうなずいた。
「うむ。では早速、中庭でやってもらおうか」
「ちょっと待てぇ⁉」
 いよいよたまらなくなったボクは、声を張り上げた。
「なんだ、騒々しい」
「なんだじゃないですよ師父! 何勝手に決めてるんですか!」
「別に構わんだろう。命のやり取りをしろと言っているわけじゃないんだ」
「いや、だから、そういう問題じゃなくて…………ボクに「女を殴れ」と言うんですか⁉」
「何を甘いことを。武術は老若男女問わず強くなるための技術。武術を身につけているのなら、男女の差など関係ない。お前のような甘い考えを持った奴から足元をすくわれるものだ。それに……」
 師父はそこで一度言葉を止め、ニヤリと口元を歪めながらハッキリ告げた。
「――安心しろ。今のお前では確実に負ける。賭けてもいい」
 いくらなんでも、今の言葉にはカチンときた。
「そ、そんなのやってみないと分かりませんよ! 分かりました、やります! やりますよっ!」
 ああ、言ってしまった。こういう熱くなりやすい所が、ボクの悪い癖だ。
 だが、もう吐いた唾は飲めない。
 ティンファさんがニッコリ良い笑顔となり、言った。
「じゃあ、始めましょうか」

 ◆

 レイフォンは庭の地面に大きな円を描いた。
 その中心には、リンフーとシャーリィが向かい合って立っていた。
「良いか? 敗北条件は四つ。降参すること、気絶すること、制圧されること、この円の外へ出ること、これら四つだ。もし危険があると判断した場合、わしとティンファが瞬時に止めに入る。だから安心してやり合え」
 円の外にいるレイフォンが、そう二人に説明する。
 シャーリィとリンフーは、左手で右拳を包む抱拳礼をとった。……決闘ではない、技術交流的な試合では、このやり方なのである。
 二人は同時に構えた。リンフーは力強く。シャーリィはゆったりと。
 構えた前手の指先越しに、シャーリィの姿を見つめる。
 シャーリィは変化が全く見られぬ無表情。その鏡面のような銀の瞳からも感情が読み取れない。まるで人形のようだ。
 しかし、余計な動きも隙もない。
 ゴクリ、とリンフーは喉を鳴らす。「やってみないと分からない」と啖呵こそ切ったが、実際に対してみると彼女の実力の片鱗がうかがえるようだった。
 いろいろな方向に動いて、出方をうかがう。が、シャーリィは不気味なほどに動かない。
 動かないことが、逆に不安感を誘った。何かものすごい技を秘めているのではないかと妄想せずにはいられない。
 だが、いつまでも待ってはいられない。
 なので、リンフーはさっと近づく。両者の間合いが接する一歩手前に来た瞬間、仕掛けた。
 鋭く体を進め、地に吸い付くような重心移動で踏み止まると同時に、その前足へ後足を勢いよく叩きつける。それらの歩法によって生まれた勁を得た拳は、矢のような疾さで突き進んだ。――『母拳』第一招、『向穿捶(こうせんすい)』。
 当たると思った。
 しかし、手ごたえがなかった。
 石膏のようなシャーリィの手が拳に「するり」と滑り込んだと思った瞬間、リンフーの拳に込められた勁が、全てシャーリィのあさっての方向へ吸い込まれるような感覚を覚えた。
 次に訪れたのは、まるで体が浮かび上がったような、地に足がついていない感覚。
 ――勁を溶かされたのだ。
 〈龍行掌〉が最も得意とする技術は『化勁(かけい)』。
 柔らかで理にかなった体術を用い、相手の力や勁を受け流す、もしくは分解する技術である。
 シャーリィはリンフーの拳へ自分の腕を滑り込ませて掴んだ瞬間、拳の勁が向かうのと同じ方向へと引き込んだ。そうして両者の「力の流れ」を同調させてから、その流れの主導権を握り、一気に後方へと引き込んでリンフーの重心を浮き上がらせたのだ。
 重心を奪われた今のリンフーは「死に体」。最も無防備な状態だった。
 リンフーが危機感を抱いたその時には、すでにシャーリィが踊るように旋回しながらリンフーの懐深くまで潜っていた。緩やかな旋風(つむじかぜ)のような動きだったが、重心を浮かされていたリンフーは、美しく弧を描くシャーリィの掌に逆らうことが一切出来ずに巻き込まれる。
 シャーリィの回転が突発的に強まった。すると、リンフーの体がその回転に弾き出される形で軽々と遠くへ吹っ飛んだ。
「うわっ!」
 その勢いは、とてもあの小柄な幼女の手から出されたとは思えないほどだった。円の中から出てもなお転がり続けるリンフー。
 ようやくうつ伏せに止まってから、
「リンフー、場外負け」
 レイフォンが勝敗を口にした。
「……え?」
 リンフーは、その言葉の意味を理解するまで十秒も要した。



 無論、負けん気の強かったリンフーが、一回だけで納得出来るはずもなく。
 以降も、幾度となくシャーリィと手合わせをし、それと同じ数だけ敗北した。
 ある時は投げ飛ばされ、
 ある時は足を払われて場外まで転ばされ、
 ある時は地に組み伏せられ、
 ある時は胸に掌を打たれて昏倒させられた(レイフォンがすぐに蘇生してくれたが)。
 とにかく負けまくった。
 手も足も出なかった。
 最初は、あんな小さい子に負けてたまるかという思いで挑んだリンフーだが、負けを積み重ねるにつれて気力が削がれていき、やがては完全に枯渇した。
 リンフーは、自分が井の中の蛙であることを嫌というほど思い知った。
 ここ最近の連戦連勝で得たまやかしの自信を打ち砕かれるには、十分すぎる経験だった。
「嘘だろ……一回も勝てないとか…………!」
 両手両膝を地面につけて愕然としているリンフー。呼吸の乱れ一つ見せず、ひらひら舞う蝶をぼんやりと眺めているシャーリィ。
 してやったりという笑みを浮かべて自分の弟子を見ているレイフォンに、ティンファは苦笑しながらささやいた。
「意地が悪いわねぇ」
「これくらいが良い薬だ。奴はここ最近、無自覚で天狗になりかけてたからのう。己の矮小さを知っておかねば、いざという時に命取りになるものだ」
「これで武術をやめちゃわないかしら?」
「なに、大丈夫だ。早い段階で凹ませてやることができたから心傷(ショック)は少ないだろう。それにうちの馬鹿弟子は、強情さと根性だけは並の大人以上だからな」
 そんな風に話す大人たちをよそに、リンフーは自分の考えに没頭していた。
 ……シャーリィは強かった。自分のはるか先を行っているような強さだった。
 きっと、彼女の方が、武術歴が長いのだろう。だからこその差。
 でも、それを言うなら、この間自分が戦ったあの詐欺野郎なんかは立派(?)な大人だ。武術を学んだ期間も自分より長いかもしれない。長期間サボっていたという可能性もあるが、それでも自分が本格的に武術を始めた日数はたった三ヶ月。そんな短期間の修練だけで、あの詐欺野郎を倒せた。
 それに、この間戦ったボージェンも、間違いなく自分より武術歴が長かった。でも、自分は勝てた。
 それは何故か。……技術で勝っていたからだ。
 そう。武術とは力比べではない。「技術」なのだ。
 年季の浅い深いで、必ずしも全てが決まるわけではない。何か、それ以上の秘密があるかもしれない。
 はっきり言おう。リンフーは悔しかった。わずか十三歳の女の子に完膚なきまでに敗北したのが屈辱だった。
 だからこそ勝ちたいし、相手から学んで自己を成長させたい。
 でも、修行風景を見せてくれとは言えない。それは「盗武(とうぶ)させろ」と言っているのと同じだからだ。
 ならば、どうする?
 ――彼女の日常生活を見てみることだ。
 以前、レイフォンから聞いたことがある。武術とは、最初から武術として生まれたものではないと。日常生活や風俗習慣といった、戦闘とは何の関係もない場面から生まれたのだと。……乗馬という生活習慣から『騎馬勢(きばせい)』の立ち方が生まれたように。
 だからこそ、シャーリィの日常を見ていれば、その強さの秘密を掴めるかもしれない!
 リンフーはすぐに立ち上がり、シャーリィに近づいた。
「シャーリィ、唐突にすまないけど、頼みがあるんだ。聞いてくれないか?」
 シャーリィは鼻先に蝶が止まった無表情のままこちらを見て「是」と答えた。
 なので、リンフーは思い切って言った。
「――明日、ボクと一緒に遊びに行かないか?」
 あらあらまぁまぁ、という、ティンファの生暖かな笑声が聞こえた。

 ◆

 次の日の朝。
 ボクは見知らぬ家の門前に立っていた。
 ツルツルした石の塀に囲まれていて中は見えないが、少なくとも目の前の門は立派だった。
 ここは、シャーリィとティンファさんの住む屋敷だ。
 ここが待ち合わせ場所だ。今日、シャーリィと出かけるための。
 ボクが「一緒に遊びに行きたい」と誘ったのだ。ボク自ら迎えに行くのが筋というものだろう。
 昨日それを決めたら、ティンファさんから「最初から高得点だわねぇ」と褒められたのだが、一体なんの話なのやら。
 そういうわけで、早朝の修行を終えて、朝飯を食ってからさっさと家を出て、こうして迎えに来たのである。
 さっき門を叩いたら、ティンファさんが顔を出した。ボクが「ボクが来たことを伝えて欲しい」と頼むと、彼女は笑顔で頷いて門の中へ引っ込んだ。それからずっとシャーリィが来るのを待っている。
 しかし、いつまで経っても待ち人は出てこない。
 もしかして、何かあったのだろうか。
 そう思って、再び呼びかけようとした瞬間、立派な門がゆっくり開いた。
「シャー……リィ?」
 現れたのは、確かにシャーリィだった。
 だが、その装いはいつもと全く違って、まぶしいくらいに華やかなものだった。
 手から肩口まで露出した上着に、足首まで丈のある裙(スカート)。群青色を基調としたそれらの生地には、ところどころ金色の刺繍が散りばめられていた。
 特徴的な銀色の髪も、両側頭部の結び目を解いてすべて降ろされている。そのせいか子供っぽさが消え、なんだかちょっと大人びて見えた。
 夜闇のような群青色と、星明かりのような金糸の刺繍、そして輝く月のようなシャーリィの銀髪が見事に調和し、まるで夜空の擬人化を思わせる出で立ちとなっていた……。
「シャーリィ、だよな……?」
 意思とは関係なく、声が上ずる。
 いつもとは違うシャーリィの装いに、ボクはなんかドキドキしていた。
「是。わたしは限りなくわたし」
 シャーリィは無表情のままそう肯定する。そんな変わらない表情だけが、目の前の美女がシャーリィであると感じさせてくれた。
「その服は?」
「おばあちゃんが着せてくれた。なんでも、若い頃に着ていたものをわたし用に手直ししたらしい。「男の子と二人きりで出かける時は、とびきりめかしこまなきゃ失礼だわよ」とのこと」
 ……ああ、そういう事か。
 つまりあれか。ティンファさんは、ボクらが出かけるのを、その……逢引き、か何かだと思っているのか。
 それを確信すると、顔がかーっと熱くなってきた。
「リンフー、顔が赤い。大丈夫?」
 そんなボクの顔を、シャーリィは間近から覗き込んでくる。
 妖精みたいな美貌にいきなり近づかれ、胸郭を突き破りそうなくらい心臓が跳ね上がった。
「だ、あ、いや! べ、べつに、平気だからっ!」
 ボクはさらに顔を真っ赤にし、ソッポを向いた。勢いよく向きすぎたため首がゴキッと鳴った。痛い。
「やはり、このような華美な装いは、わたしには不似合いだろうか」
 ボクがそんな反応をしてしまったからだろうか、シャーリィがそんな事を口にした。
 無表情だけど、多少は気にしているのかもしれない。シャーリィだって女の子だから。
 いかん、いかんぞリンフー。逢引きうんぬん以前に、女の子の気を毒させるのは、男としていかんのだ。母さんも言っていたではないか。
 ボクは恥ずかしいのを我慢し、真っ直ぐシャーリィを見て言った。
「……に、似合ってるよ。大丈夫だ、自信持って、いい」
「ありがとう」
 そうお礼を言ったシャーリィ。やっぱり無表情。
 とりあえず事なきを得たと安堵した瞬間、ひんやりした人の手の感触がボクの掌を掴んできた。
「ひゃあ⁉」
 ビクーッ! と三つ編みが跳ねた。やばい、びっくりして思わず女みたいな声を出しちまった。シャーリィがいきなりボクと手を繋いできたからだ。
「何か?」
「いや、あの、シャーリィ、いったいなにを」
「おばあちゃんが「男の子と二人きりでお出かけするときは、手を繋いでいかないとよ」と言っていたから」
 ティンファさん……。
 落ち着けよボク。今日の目的を見失うな。今日の目的は、シャーリィを観察して強さの秘密を探ることではないか。
 男たるもの、この程度で動じるな。
 でも、やっぱり意識してしまい、顔と手が熱くなってくる。夏の陽気も相まって、額と手にどんどん汗が浮かぶ。
「リンフー、すごい手汗。暑い?」
「え……ああ、うん! 暑いんだ!」
「手は離した方がいい?」
「そ、そうだな……離そうか」
 それらしい理由をつけて、手を離させることに成功。ホッ。
 呼吸を整えてから、
「それじゃ、行こうか」
「是」
 ボクたちは歩き出した。


 朝早くとは言ったが、すでに市井を行き交う人々の数はそれなりに多くなっていて、さすがは帝都という感想を抱かされた。
 そんな中、ボクの隣にいるこの銀髪の妖精は、あまりにも存在感に溢れすぎていた。いつもと違って華美な衣服を着ているのでなおさらだ。
 シャーリィは否応なしに周りの視線を集めていた。
 ボクもまた、そんな彼女をジッと見つめていた。
 別に見とれてるとかじゃない。動きを観察しているだけだ。
 シャーリィは今は、普通に歩いている。その動作のどこかに、ボクとは異なる点はないか、それを眼力を研ぎ澄まして確認していた。
 だが、いつも通り無表情でぼんやり歩くシャーリィからは、違和感のある動作は見られない。
 今、こっちから手を出したら、どんな反応をするのか。
 ボクはシャーリィの頭に触れようと、そっと手を出そうとした。だが出かかったところでシャーリィがこっちを振り向いた。
「何か?」
「い、いや、ちょっと虫が付いてたから取ろうとしたんだ。今逃げちゃったけど。……それより、よく分かったな、ボクが手を出そうとしてるのが」
「わたしは常に視野を広げている。あなたの位置はその範囲内」
「じゃあ、後ろから来られたら、気づけるかな?」
「是。だが、感じられるのは「存在」だけ。その「存在」の硬軟、軽重、鋭鈍などは分からない。けれど、おばあちゃんは分かる。まるで背中にも目が付いているかのように」
 なるほど。シャーリィもそこまで完璧ではないということか。
 けれど、シャーリィは気配を察知する技術をすでに習得済みなのだ。それだけでも、ボクよりずっと凄い。
 ……これは、一筋縄じゃいかないな。
 好敵手(ライバル)として睨んでいるこの少女の強さを再確認していた、その時だった。
「きゃぁぁ! 誰か捕まえてぇ! 泥棒よぉ!」
 遠くから、年配くらいの女性の声がした。
 ボクらから見て向かい側の方向から、風のように駆けてくる一人の男。その後ろには尻餅をついたおばさんの姿。
 男の手には、女物っぽい布袋が握られている。――つまり、盗っ人というわけか。
 そいつは結構足が速く、あっという間にシャーリィの隣を通り過ぎる位置まで来た。
 だが次の瞬間、男の体がトンボを切るように跳ね上がった。
「えっ⁉」
 何事かと思ってすぐに、その理由が目についた。シャーリィが片足を軽く前へ出している。なるほど、足引っ掛けて転ばせたわけだ。
 男はうつ伏せに着地。すぐに起き上がろうとしたが、一瞬で近寄ったシャーリィに背中へ乗っかられ、身動きが取れなくなった。
「てめっ、このっ、離せっ!」
 シャーリィはもがく男の手から女物の布袋を奪い取ると、追いかけてきたおばさんに手渡した。
「ごめんねぇ、可愛いお嬢ちゃん。ありがとうね」
 途端、盗っ人撃退の一部始終を見ていた野次馬たちから、拍手が聞こえてきた。
 ボクも思わず、その拍手に同調していた。
 シャーリィはというと、その拍手の中、キョロキョロと周囲を何度も見回していた。その顔は相変わらずの無表情だが、その仕草から、困惑しているというのが何となく分かった。
 かと思えば、考える仕草を見せる。
 やがて、

 ニチャァ。

 と、無表情を歪めた。
『――っ⁉』
 突如激変したシャーリィの表情を見て、ボクを含む周囲の野次馬たちがいっせいに引いた。
 なんだ……あの筆舌に尽くしがたいくらい邪悪で、いびつで、不気味な表情は⁉
 どういう感情を現しているんだ⁉
「シャ……シャーリィ、どうしたんだ?」
 ボクが震えた声で尋ねると、シャーリィは元の無表情に戻り、ひょこっと小首をかしげて言った。
「このような場面では、周囲に笑顔を振りまくものだと思ったので」
 え、笑顔? あの邪悪な変顔としか呼べないような顔が?
 もしかしてこの子、笑うのが激烈に下手なのか?
「そ、そうかもな! ははははは」
 代わりに、ボクが笑ったのだった。
 ……人間、誰しも不得意なことがあるもんだ。



 盗っ人を平定官(へいていかん)につき出した後、ボクらは再び町を歩き出した。
 どこか行きたいところはあるか? と聞いても何も答えなかった。聞くと、あまり買い物以外で町中を回ったことが無いのだそう。いっつも家で修行しているらしい。
 なので、ボクがいろいろと案内することになった。
 美味い甘味屋や、飴細工の作り売り、書房など、ボクが行ったことのある場所へは大体行った。
 人形みたく表情の変化に乏しいシャーリィだが、甘いものを食べると、表情を変えないながらもどこかキラキラした雰囲気を見せる。どうやら甘いものが好きみたいだ。そのあたりは普通の女の子っぽくて安心した。
 さらに、「行ったことのある場所」の中には、当然ながら『清香堂(せいこうどう)』も入るわけで。
「クーリン、来たぞー」
 正午あたりの時間帯、慣れた挨拶とともに茶館へと入ったボク。
 途端、クーリンは前髪で目元が隠れていても分かるくらい表情を輝かせながら、こちらを振り向いた。
「リンフーさんっ、こんにち……」
 わ、と言い切る前に、クーリンの言葉が止まった。
 さらに全身まで凍ったように固まった。手元に抱えていた木の盆が滑り、バラララン、と床に落ちる。
「お、おい、どうした?」
 ボクが慌てて盆を拾いに行くと、クーリンは小刻みに震えた声色で、
「り、りり、りりりりリンフーさん、そ、そ、そそその、お、女の人は、ど、どど」
「よく分からんが落ち着け、深呼吸」
 すーはー、すーはー、何度か深呼吸してから、クーリンは多少落ち着いた口調で訊いてきた。
「そ、その女の人は、どなた、ですかっ?」
「いや、会った事ある奴だろ。シャーリィだよ、シャーリィ」
「しゃ……シャーリィ、さん?」
「是」
 その返事に、クーリンは目を丸くしながら、
「すごく……お綺麗ですね」
「ありがとう」
 無表情でそう言うシャーリィ。
 なるほど、いつも以上にめかしこんでいたから、すぐには気づかなかったのか。
 まあ、それはともかく。
「悪いけど、ボクたち客なんだ。席に案内してくれるか」
「へっ? ああ、はい! えっと、こちらになります!」
 ビクンと肩を震わせると、慌てて空席を手で示した。
 その席にボクら二人は座る。壁に貼られた品書きを眺め、何を頼もうか考える。
「あ、あのぅ」
 不意に、クーリンがおずおず話しかけてきた。
「どうしたんだ?」
「その……お二人は、えっと、あの、その、えと……」
 何度かもじもじを繰り返してから、やがて意を決したように言った。
「お、お二人は、今日はどのような用でご一緒しているのでしょうかっ⁉」
 ああ、なるほど。それが気になっていたのか。しかもシャーリィがこんなすごい格好をしているんだから、なおさら気になるか。
「ま、まさかとは思いますが、その…………男女の睦み合い、みたいな用では、ないのですかっ?」
 クーリンはすっごい真っ赤な顔で訊いてきた。
 なるほど。この子もそういう勘繰りをするのか。やっぱ女の子だから、そういう話題には食いつきが良いというわけか。
「否。そういう用事ではない」
 意外にも、真っ先に否定したのはシャーリィだった。
「確かに、今回の散策は彼に誘われたもの。けれど、彼に恋情の意思は無いものと思われる。彼は、わたしの体の端から端を、じっくりと観察していた。そこから推察される目的は――」
「じ、じっくりと観察ぅぅぅぅ⁉」
「違う! 誤解だ! シャーリィ、言い方をもう少し考えろ! クーリンもリンゴみたいに真っ赤になって変なこと考えない!」
 大して動いてないのに、一気に疲れが溜まった気がした。
「……観察してたのは、シャーリィの動きだよ。ボク、昨日こいつに試合で負けまくったから、なにか強さの秘密があるのかどうか確かめたかったんだ」
「それで、何か掴めましたか?」
「全然」
 ぐったり、と卓上に上半身を乗せる。
 結局、ずっとシャーリィを見たけど、何も変わったものは見られなかった。
「わたしは別に、何も特別な事はしていない。教わったことを、教わった通りに練り、実践しているだけ」
「それであの強さなのか……」
「否。わたしはまだ強くなどない。まだまだ発展途上。あなたもまた同じ」
 シャーリィがジッとこちらを見つめてくる。その鏡面のような銀眼には、女みたいなボクの顔がくっきり映っていた。
「今回こそわたしに後塵を拝する結果となりはしたが、以降も同じ結果になるかは分からない。自分では気づいていないみたいだが、あなたは武術を本格的に始めて三ヶ月とは思えないほど大きく成長している」
「そうかなぁ」
「是。あなたの師の教育が優れているという点も一因だが、あなた自身の熱意もまた一因。もしかしたら近い将来、わたしはあなたに追い抜かれるかもしれない」
 お世辞か真実かは知らないけど、少なくとも今の段階では、そんな自分の姿は想像できなかった。
 いや、あんま弱気になっちゃいけないな。
 そもそも今回シャーリィを連れ出したのだって、少しでも自分の武術を向上させるためではないか。
「あの……ところで、何に、なさいますか?」
 ふと、そこでクーリンが声をかけてきた。
 ボクは我に返る。いけない、何も頼みもしないのにいつまでも座り込んでちゃ迷惑か。
 改めてボクは壁に張られた木板の品書きに目を通す。
「うーん。何にしようかなぁ」
「では、『鴿糞茶(こうふんちゃ)』というのはどうだろうか」
「いいな。それにしようかな」
 金を先に払い(シャーリィの提案で、お題は二人で出し合うことになった)、お茶を待ち、やがて茶器一式と、茶葉の乗った小さな皿、熱湯の入った銚子(さしなべ)が来た。
 銚子は、卓上にある円盤状の石に乗せられる。
 茶葉は急須に入れられ、そこへ湯を注ぐ。一分してから、それぞれの茶杯へ注ぐ。
 香りを味わってから、飲んで舌で味わう。
「うまい」
「是」
 静謐な竹林を連想させる爽やかな渋みと香りが舌と鼻孔を埋め尽くし、心地よい静けさが心に染み渡るのを感じた。
 ボクは飲み切った後、もう一度空になった急須へ湯を注ぎ、また一分待ってから茶杯へ入れて飲んだ。うまい。
 あっという間に銚子の湯が尽きてしまったので、湯の補給をクーリンに頼んだ。
 すっかりくつろぎ気分なボクらは、ホッと一息ついた。
「いや、それにしても美味いのに、ひどい名前だよな『鴿糞茶』。ハトの糞だぞ? もっと綺麗な名前はつけられなかったのかな」
「確か、その理由は――」
「――最初にその茶樹を見つけた人が、そのお茶の美味しさのあまり、他の人を遠ざけるために使った方便的な名前だったからです!」
 シャーリィが答えようとしたことを、代わりに答えた奴がいた。
 無論、お茶の話題に嬉々として飛びつく奴を、ボクはクーリン以外に知らない。
 クーリンは長い前髪の下にある瞳を輝かせながら、言い募るように説明した。
「分かります! 分かりますよリンフーさん! 美味しさとひどい名前、その食い違いが気になりますよね! 竹林のような清涼感あふれる上品な香りと渋み! そんな優美な味に反してその名はハトの糞! この名前の由来には諸説あるのですが、一番有力なのが、先程言った「発見者の嘘」なんです! ですけど美味と知ったら、いくら汚物であろうと近づきたくなるのが人の性! ある貴族がその茶葉の自生する山を買い取り、その茶を飲んで感激し、今度はその貴族までもがその茶葉を隠すこととなりました! そんな事を何度も繰り返していき、ようやくその茶樹の種や生育法などが世に流出し、一般的に愛される茶葉となりました! しかし「ハトの糞」という名を変えなかったのは、そんなひどい名前を付けて隠したくなるほど素晴らしい茶であるということを後世に伝えるためだからです!」
「お、おう……そうか」
 ボクは引き気味に、クーリンの話に耳を傾けていた。
 シャーリィは相変わらずの無表情だが、その銀の瞳はぱちぱちとしきりに瞬きしている。びっくりしているんだろう。
「それでですね、この茶葉の美味しい淹れ方は――」
 ……その後、ボクらはクーリンのお茶談議を二時間くらい聞かされたのだった。ぐはぁ。



「つ、疲れた……マジ疲れた」
 ようやくお茶知識の濁流から解放されたボクは、シャーリィと『清香堂』からよろよろと立ち去った。
 あんましお茶、飲めなかったなぁ……。
 ちなみに、元凶であるクーリンは我に返った後「すみません! すみません!」と超謝っていた。
「わたしはなかなか面白かったと思っている。今度、おばあちゃんに教えてあげたい」
「そ、そうか……」
 やっぱり変わってるな、この子は。
「ところでさ、どうしてシャーリィはティンファさんのこと「おばあちゃん」って呼んでるんだ? 師父とか師匠とかじゃなくて」
「修行の時は師匠と呼んでいる。それ以外の時はおばあちゃん」
「そっか……」
 やっぱり、家族であっても、そういう線引きは必要か。
 いや、むしろ家族だからこそ、か。
 武術の達人の中には、親の情が邪魔をして、子供に武術をうまく伝承させられなかった人も多いと聞く。だからこそ、線引きが必要なのだろう。
「そういえば、シャーリィのご両親ってどんな人だ?」
 それは、ふと何気なく浮かんだ、悪意のない疑問だった。
 彼女の妖精じみた顔立ちは、このクゥロン大陸の民族ではなく、西方諸国の人種のソレだった。
 けれど、ティンファさんの顔立ちはファン人のものである。つまり、ティンファさんの息子もしくは娘が西方人と結婚し、シャーリィが生まれたのだろう。
 それがボクの予想だった。
 ――しかしこの後すぐに、ボクはこの質問をした自分の無神経さを呪いたくなった。
「……わたしの父は、よく母とわたしに暴力を振るう人だった」
 無表情なシャーリィの口から飛び出した言葉は、酷い内容を持っていた。
「わたしの母は、そんな父に逆えず、常に顔色をうかがってばかりの人だった」
 彼女が口を開くたびに、話がさらに酷い方向へと進んでいく。
「わたしは、そんな二人にとっての――「価値のある荷物」だった」
 だがシャーリィの表情は変わらない。口調も変わらない。
「価値のある、荷物?」
 ボクは震えた声で、その言葉の意味を問うた。人間に対して使う表現にはふさわしくない上に、不穏な匂いがしたからだ。
 シャーリィは自分の眼と髪を指差し、
「リンフー、あなたはこの髪と眼を、珍しいと思ったことはない?」
「まあ……確かに、滅多に見ない色だよな。銀色なんて」
「この国だけじゃない。わたしが生まれた西方諸国でも、この「双銀(そうぎん)」の容姿は極めて珍しい。両親の特徴を無視して稀に生まれてくる。また、わたしが子供を産んだとしても、この「双銀」が子供に受け継がれる可能性は限りなく零(ゼロ)に近い。だからこそ――「双銀」の人は、非常に高い値段で取引されている」
 心臓が、嫌な高鳴りを起こした。
「取引、って……それって、どういう」
「人身売買」
 ボクが目を逸らしたかった答えを、この双銀の美少女はあっさりと口にした。
 確かに、そういう事は存在する。
 心や意志を持ち合わせた人間を「商品」として、同じ人間が売り買いする……そういう胸糞の悪い話は、残念ながら確かに存在するのだ。
 この国にも、他の国にも。
「わたしは八才の頃――親に売られた」
「なっ……!」
 ボクは思わず目を見張る。そういう話になることは薄々読めていたが、いざ口に出されると、胃の中がムカつくような気持ち悪さを覚えた。
「ふ、ふざけんなよ! 自分の娘を売ったってのか⁉」
「提案したのは、商売で大損をして金銭に困っていた父。母も父の暴力には逆えず、すぐに父に同調してわたしを手放した」
 信じられない話だ。だけど、シャーリィがこんな嘘をつくタマとは思えない。
 本当にあったことなのだろう。そのおぞましい話は。
 もしその親父を見つけたら、一発ぶん殴ってやりたい。
「わたしはモノのように扱われ、船倉に放り込まれた。これから自分がどういう目に遭うのか分からないほど、わたしは子どもではなかった。だからわたしは泣いた。でも、すぐに心は落ち着いた。どうせ子どもの自分ではあがいてもどうにもならない。だから無感情になった。感情を希薄にしておけば、苦しい時でも苦しくなくなる。わたしにできることは、それだけだった」
「シャーリィ……」
「だけど、わたしを乗せた船が海を渡っている最中に嵐が起き、船は沈んだ。わたしは海が暴れるまま流されていき、そして、このクゥロン大陸に流れ着いた。見知らぬ土地、見知らぬ人種、見知らぬ服装、分からない言葉……わたしはただ、そんな異界をさまようしかなく、やがて飢えによって倒れそうになったところを、おばあちゃんに拾われた」
 つまり……ティンファさんは、シャーリィの肉親ではないのだ。
「この国の言語、この国の風俗習慣、この国の武術……おばあちゃんはあらゆる知恵や術をわたしに授けてくれた。この「シャーリィ」という名も、わたしの元々の名前をおばあちゃんがファン人風に変えてくれたもの。中でも、わたしが熱心に取り組んだのは――」
「武術、か?」
「是。もしも、わたしがもっと強かったら、父から母を守ってあげられたかもしれない。自分を金儲けの道具にしようとしている連中から、もっと上手く自分を守れたかもしれない。……そういった「無力さによる後悔」を、もうしたくない。自分の身を自分で守れるくらいに強くなりたい。生き残れるように、強くなりたかった」
 そんなシャーリィの言葉は、ボクの心に強い衝撃を与えた。
 彼女が武術に込める願い。
 それは、ただ「憧れ」という感情だけで武術を学ぶボクなんかとは比べものにならないほどの「覚悟」があった。
 その事実に、ボクの中で恥ずかしさが湧き上がった。
 ボクの方が歳は一つ上だ。けれど……この子の方がずっと大人だった。
「けれど、どれだけファン語が流暢になっても、どれだけファン人らしくなっても、どれだけクゥロン武術が上達しても、まだわたしには足りないものがあった」
「何が足りないんだ?」
「笑顔」
 その言葉に、ボクはハッとした。
「おばあちゃんはよくわたしに言う。どれだけ何かが上手になっても、わたしが笑ってくれる方が幸せだと。けれど、わたしは上手に笑えない。子どもの頃から、いいことなんて一つもなかったから、上手な笑い方が分からない」
 いやまあ。確かにあの笑顔は、その……上手とは言えない感じだったなぁ。
 とはいえ、今はそのことには触れない。
 ボクは、思った事をそのまま口に出した。
「――別に、無理に笑おうとしなくたって、いいんじゃないか?」
「えっ?」
「別に笑わなくたって、相手を喜ばせようと努力すれば、よほどのひねくれ者じゃない限りそいつはお前を好ましく思うだろうよ。ボクだってお前の無表情ばっかり見てるけど、それでお前のことを「感じ悪い」なんて思ったことは一度もないぜ? むしろ、帝都に来たばっかりだったボクの道案内をしてくれたり、あの詐欺野郎をギャフンと言わせてくれたりしたし、その行動だけで十分、お前が良い奴だって分かるよ。それにな――」
 彼女の鏡面みたいな銀眼に、微笑むボクの顔が映る。
「心の底から嬉しいことに出会えば、笑顔なんて自然に出てくるもんだよ。――人の顔は、ちゃんと笑えるようにできてるんだから」
 ボクの顔が映る銀眼が、大きく見開かれた。
 今までにないくらいの驚いた顔のシャーリィ。
 珍しいものを見た。
「…………おばあちゃんも、あなたと、全く同じことを言っていた。人の顔はちゃんと笑えるようにできてるのよ、と」
「そっか」
「リンフー」
「なんだ?」
 シャーリィは再び無表情に戻る。
 だが、その銀の瞳で上目遣いにこちらを見つめながら、いつもの抑揚に乏しい口調とは違う、やや力のこもった口調で告げた。
「いつか……あなたに対して、上手に笑ってみせる。どれくらい時間がかかるか分からないけれど、いつか必ず見せるから」
「……そうか。分かったよ」
 ニチャァ。
「それはヤメロ」
 無表情に戻ったシャーリィを見て、ボクは安堵するのだった。



 ――そんなシャーリィとの交流から、翌日。
「くそっ、うおっ、おおっと!」
 昼下がりの帝都の大通り。そこを絶えず行き交う人々。
 その密度の高い人混みの間を縫うようにして、ボクは歩いていた。
 進むには当然、前から来る人を避けなければいけない。ボクはそれを『穿針歩』で行なっている。
 五回くらいなら連続して避けられるが、やはり行き交う人の密度が高いため、すぐに上手くいかずに人とぶつかってしまう。そのたびに謝る。
 なんでボクが、こんなことをやっているのかというと、
(少しでも、シャーリィに近づかないと……!)
 という思いゆえだった。
 ボクは思い知った。彼女と自分との、武術に対する意識の違いを。
 シャーリィは、無秩序な状況でも自分の身を守れるようにと、自分を鍛えている。
 だが、ボクは「とりあえず強くなる」という曖昧な気持ちしか持っていなかった。
 ボクもシャーリィのように、いつでも戦えるように己を鍛えなくてはいけない。でなければこれ以上強くなることも、勝つこともできない。そう思った。
 そのためにはまず、「武術」と「日常」を分けて考えない訓練が必要だと思った。
 シャーリィは盗っ人相手にすぐさま反応し、自然に技を出して見せた。きっと、常日頃から戦う心構えができているからだ。
 だからボクも人とぶつかりそうになった時、こうやって『穿針歩』で避けるクセをつけようとしていた。
 この人混みの中を、「糸で針穴を穿つ」ような正確さで潜り抜けようとしていた。
 しかし、いざやってみると、なかなか上手くいかないものだ。
「うわいてっ!」
 避けるために移動した先で、人とぶつかってしまった。
「うわいてっ、はこっちの台詞だガキンチョ!」
「ご、ごめん」
 文句に対して謝るボク。
 ボクはいったん大通りの端へ避難し、夏の陽気と人の熱気で汗ばんだ額を拭った。
 人とぶつかってしまう理由は、避けるために移動した先で人とぶつかってしまうからだった。
 普通なら回避を何度も繋げられるのだが、人の密度が濃いせいで逃げ道が見つからず、ぶつかる。だから『穿針歩』が続かない。
 もし、その移動する先に「逃げ場がない」ってあらかじめ分かっていれば、もっとしっかり対応できるのにな。
「……んっ? 待て、今ボクは何て考えた?」
 ふと、ボクは引っかかりを覚えた。
 さっき考えていたことを思い出せ。
 ――もし、その移動する先に「逃げ場がない」ってあらかじめ分かっていれば、もっとしっかり対応できるのにな。
「これだっ!」
 名案が浮かび、思わずボクは叫ぶ。
 周囲の注目を集めるが、気にしない。
 名案というものを掘り当てた快感が、心を支配していた。
 「この作戦」を使えば、シャーリィに勝てるかもしれない!

 ◆

 リンフーの行動は速かった。
 脳裏に浮かんだ秘策を実行すべく、すぐさまシャーリィの家へと向かった。
 出迎えてくれたのは、彼女の師であるティンファだった。リンフーが来るやいなや、ニコニコしながら当然のように家の中へと案内してくれた。
 この家は、四角い中庭を中心にし、その周囲を建物で四角く囲った構造になっている。ファン人の伝統的な建築様式で、金持ちや貴族の家はだいたいこういう造りである。
 内装は派手すぎず地味すぎない、無難な飾り付けがなされている。けれど殺風景なレイフォンの家に比べると、ずいぶん華やいで見えた。
 リンフーがここへ来た理由を説明すると、ティンファは中庭へと案内してくれた。
 その四角い中庭は剥き出しの土ではなく、石畳が敷かれていた。なので土を削ってではなく、小さな石ころを並べて即席の大円をこしらえた。この中で戦えというのだ。
 ティンファが呼びかけると、すぐにシャーリィが周囲の建物のうちの一つから出てきた。
 リンフーが手合わせを願い出ると、
「構わない。人を相手にするのも立派な修行」
 と、快く応じてくれた。
 石ころで描かれた円の中心で、向かい合って立つリンフーとシャーリィ。
「それじゃあ、勝利条件はこれまで通りでいいよな?」
「是」
 シャーリィが即答するのを確認すると、リンフーは右拳を左手で包む抱拳礼をした。シャーリィもまたそれに倣う。
 そうして試合が始まって早々――リンフーは両腕を広げてシャーリィに抱きつきにかかった。
 今まで一度も見せなかった手段だったが、それでもシャーリィは一切動じなかった。
 腰を落として身をかがめ、リンフーの両腕の真下をくぐる形で躱す。さらにそのままの流れで、リンフーの胴体へ掌底を打とうとした。
 だが、そう来ると分かっていたからこそ、リンフーはシャーリィが打つより速く片膝を突き出した。
 誘い込まれた。シャーリィは瞬時にそう確信した。以前までのリンフーには一切見られなかった、相手の反応の裏をかくような攻め方。
 が、それでもこの双銀の妖精の心はまったく揺れなかった。突き出された膝を、シャーリィは重ね合わせた両掌で受け止めた。
 シャーリィは腰を落としたまま、リンフーの側面へと立ち位置を移動させる。――腰を起こすと、真上に伸びた両腕に抱きつかれる。なので真横へ移動してから重心を崩す技をかけ、一気に制圧する算段だった。
 しかし、その算段を抱いた時点で、シャーリィはリンフーの術中にはまっていた。
 リンフーは一昨日、何度もシャーリィと手を合わせたが、使い所がなかったせいで一度も見せていない技がいくつかあった。
 今から見せるのは、その一つである。
 〈御雷拳〉は、分散していた体重を下半身に集め、それを敵に衝突させる形で攻撃する。
 それは言い換えれば、高度に突きつめた体当たり。
 今から使うのは、そんな単純な体当たりだ。
 だが単純な分、胸でも肩でも背中でも腰でも、体のあらゆる部位から勁をぶち当てられる便利な技。――つまり、シャーリィがどの方向へ移動しても、必ず当たる。
 『母拳』第四招、『硬貼(こうてん)』。
「っ……⁉」
 ほんの小さく呻いた瞬間、シャーリィは弾き飛んだ。一応、手加減はしたので、勢いは控えめだが。
 シャーリィはすぐに受け身を取ったが、そこはすでに石ころの円の範囲外。
 すなわち……場外。
「はい、場外。リンフーちゃんの勝ちね」
 ティンファののんびりとした勝利宣言に、リンフーの中で衝動が震え上がった。
「いやっ……やったぁぁぁっ!」
 思わず叫んでしまう。
 ようやく勝てた。
 これまで一回も勝つことが出来なかったシャーリィを、やっと負かすことができた。
 いくら強い相手であっても、その相手がこれからどこへ移動するのかがあらかじめ分かっていれば、攻撃を当てるのはそう難しくない。――リンフーはこれを、先ほどの人混みでの訓練で思いついた。
 たった一勝。されど一勝。自分はその一勝を、誰からの助言も得ず、自分の力で掴み取ったのだ。
 リンフーにとっては、楽な百勝より、ずっと価値のある一勝だった。
 パチパチと拍手しながら、ティンファが歩み寄ってきた。
「素晴らしかったわよ、リンフーちゃん。見事な「虚実(きょじつ)」ね」
「虚実?」
 聞き慣れぬ単語に小首を傾げるリンフー。
 お尻をはたきながら近づいてきたシャーリィが、補足する形で説明した。
「当てるつもりのない技を使い、相手に自分の任意の隙を作らせてから、本命の攻撃を叩き込む技術。兵法書で言うところの「声東撃西」」
「へぇ、そんな名前なのか。さっき思いついた作戦なんだけど……それよりシャーリィ、ケガしてないか?」
「是。どこも怪我はない。大丈夫」
 リンフーは安堵する。本当はもう少し綺麗な勝ち方をしたかったが、今の自分ではああいう荒っぽい勝ち方が精一杯だった。
 けれど、これからもそうとは限らない。
 これからも精進しよう。
 もっと強くなるのだ。



【足日記その三】


 ――クゥロン武術の門派では、拳法と武器術が一緒になっている。

 まず初めに、拳法を学ぶ。
 その拳法の動作は、そのまま武器術へと応用ができるのだ。
 拳法が使えれば武器も使えるし、拳法が上手ければ武器術も上手くなる。
 つまりクゥロン武術では、拳法がすべての技術の根幹をなしているのである。
 すでに「根幹」である拳法はそこそこ身につけた。
 ということで、今回はその拳法という「根幹」から広がる「枝葉」にあたる武器術を学んだ。

 学んだのは、全部で四つ。
 「剣」「刀」「棍」「槍」の四つ。
 これら四種の武器は『四大兵器(よんだいへいき)』と呼ばれており、たくさんある武器の中でも最も基本的な四つである。
 ほとんどの武器は、この『四大兵器』の延長線上にある。この四つの使い方をしっかり学べば、だいたいの武器は扱えるようになるという。

・「剣」

 ここで言う「剣」とは、細身な両刃の直剣のことを指す。
 剣の主な使い方は、斬るというより「刺す」。
 細長いその剣身は繊細なので、叩っ斬るような豪快な使い方をしたら折れてしまう。
 それよりも、その細長さを活かした刺突の方が向いている。
 剣身で螺旋を描いて蛇のように相手の武器をからめとり、間合いに剣身を滑り込ませて刺突する。それが主な使用方法だ。
 うまく使えれば、使用者の腕前次第でどこまでも強力な武器となる。しかし、剣を折らないように使うための巧妙な操作技術が要求されるので、難易度は『四大兵器』の中でもダントツである。
 ボクも練習してみたけど、戦い方がまどろっこしく感じた。やっぱり豪快で男らしい戦い方が好きなのである。

・「刀」

 ここで言う「刀」とは、反りのある片刃の刀身を持った武器を指す。
 使い方は、振り回して戦うこと。
 だが、ただ振り回すのではなく、自分の体の周りに刃を巻きつけるようにして振るのだ。
 この振り方をすると、攻撃だけでなく、防御にも優れた効果を発揮できる。
 刀は剣と違い、巧妙な操作技能を必要としない。
 むしろ、豪快に振り回してこそ、刀は最大限の性能を発揮できるのだ。
 この戦法はボク好みで、練習して一発で気に入った。
 さらに師父は、素手で刀持ちと戦う時の心得を教えてくれた。
 相手が刀を振ってきた時、退がらず、あえて奥へ進むのだ。
 刀は遠心力がかかって円弧の軌道で動く。ならば、内側へ入るほど遠心力が弱いということだ。逆に遠ざかってしまうと、遠心力が強まった先端部に斬り付けられてしまう危険があるのだ。
 確かに理屈は分かるが、それでも相手の刃に近づくなんてのは大変な勇気がいる。もしその時が来たら、ボクはちゃんとできるだろうか?

・「棍」

 棍とは、人間の身長と同じくらい、あるいはそれ以上の長さを誇る棒のことである。
 棍は『四大兵器』の中で最も使い道の多い武器。
 ただの棒切れと侮るなかれ。工夫次第では、突いたり振り回したり以外のあらゆる使い方が可能な万能武器なのである。
 大雑把な使い方も、精密な使い方も可能。
 ボクもこの棍は、刀の次くらいに気に入った。
 また、棍は往々にして白蝋(はくろう)という木を素材にしている。
 高級なモノなら、直角に折り曲げても折れないくらい、弾力性に富んでいる。

・「槍」

 槍は……言うまでもないが、長い柄の先端に尖がった穂先が取り付けられた武器である。
 使い方は、剣とよく似ている。円を描く動きで相手の武器をからめとって、槍の穂先で突く。
 しかし当然ながら、その長さは剣以上であるため、近づかなくても相手を刺せる。
 おまけに剣のように繊細な武器でもないので、優れた操作技術は必ずしも求められない。
 そういった条件のため、難易度は『四大兵器』の中で最も易しい。
 軍隊では、刀剣よりも槍を重視する。武芸がつたなくても、槍なら簡単に戦えるからだ。そういった使いやすさから、槍は「武器の王」と呼ばれている。

 ボクが今の段階で知る『四大兵器』の事は以上である。
 これら四つを一気にやったのは、「技の習得」よりも「武器の特性を知る」という意味合いの方が大きかった。
 武器の長所短所を踏まえておけば、自分が使う分にも困らないし、また相手が持つ武器にもうまく対応できる。まさに兵法書に書かれている通り「敵と己を知れば、百戦殆(あや)うからず」である。

 ともかく、ボクは今まで、拳法の修行ばかりをやってきた。そのため、武器の修練は新鮮なものに感じた。
 しかし、一方でこうも思った。
 刃や尖端が付いたこれらの武器。
 これらは、拳法のように修練を繰り返さなくても――簡単に人の命を奪える道具なのだ、と。


【足日記その三 終わり】



第三章『人殺しの術』


「――リンフー、おばあちゃんへの贈り物を買いたい。一緒に来てはもらえないだろうか」
 シャーリィが師父の家に来てそうボクに頼み込んできたのは、朝食を終えたばかりの時間帯だった。
 まだ暑さが控えめな朝。開かれた木門を境に、ボクとシャーリィは顔を見合わせていた。もはやすっかり見慣れた無表情と、髪色と同じ銀の瞳に映るポカンとしたボクの顔。
「おばあちゃんって……ティンファさんだよな。贈り物って、何の?」
「一週間後、おばあちゃんは帝都を出て北へ赴く。その前に、何か買って贈ってあげたい」
「何を買うんだ?」
「それを決めるために、あなたの助力が欲しいと思う。わたしは、人に物をあげたことが無いから」
 シャーリィは表情こそ変化に乏しいが、ふざけたり冗談を言ったりしない類(タイプ)の子だ。本気で助力を願っているのだろう。
 ボクはしばらく考えてから、「よし、分かった」と引き受ける。
「ありがとう」
 シャーリィがぺこりと頭を下げて感謝してくれる。
「でもボク、ティンファさんの好みとか全然分からないから、力になれないと思うぞ? むしろ、邪魔になるかもしれない」
「否(いな)。そんなことはない」
 ふるふるとかぶりを振るシャーリィ。両側頭部に一束ずつ結わえられた銀の二尾が揺れる。
 そういえば、師父はティンファさんとは付き合いが長かったっけ。なら、ちょっと訊いてみよう。
 そう思い、庭の椅子に腰掛けてのんびり茶を飲んでいる師父に話しかけたが、
「知らん」
 素っ気ない答えが返ってきましたとさ。
 ボクはさらに食い下がる。
「もう少し考えてみてくださいよー」
「やかましいわい。知らんもんは――」
 そこで、師父の言葉が途切れる。
 かと思えば、なにか思い出したように額を押さえながら呟いた。
「いや、待てよ……奴は確か、針仕事が好きだったかのう」
「針仕事?」
「うむ。奴はお前たちくらいの頃は貴族だったんだが、没落してしまってな。それからは母が趣味だった機織りやら針仕事やらで生計を立て、女手一つで奴を育てたらしいんだ。その影響か、奴も針仕事が得意らしい」
 その言葉に、シャーリィの無表情が少しだけ明るさを得る。
「そういえば、おばあちゃんは服の扱いが上手だった。わたしのあの青い服も、おばあちゃんがわたし用に手直ししたものだったから」
「なるほどな。ならシャーリィ、こういうのはどうだ? お前が自分で何か作って、ティンファさんにあげるんだ!」
「否。不可能。わたしは針仕事をしたことがない」
「そうか……そりゃ参ったな。ボクが作るって手もあるけど、それじゃあんまり意味ないしなぁ」
 ぱちぱちと、シャーリィの銀の瞳が瞬いた。
「リンフーは、針仕事ができるのか」
「ああ。少しなら」
 基本的なやり方は、母さんから習ったからな。よく妹の破れた服とか直してやったっけ。
 突如、シャーリィは何か思いついたように側頭部の二尾を揺らすと、ずいっと顔を近づけてきた。無表情だが、若干鼻息が荒い。
「ならばリンフー、あなたがわたしに針仕事を教えて欲しい。わたしはあなたの言われた通りに縫う。おばあちゃんに素敵な服を作ってあげたい」
「いや、初心者がいきなり服を作るのは難しいぞ。できないことはないけど、あと一週間で間に合うかって訊かれると微妙だな」
「そう……」
 興奮ぶりが一転、一気に消沈した。
 ボクは慌てて言葉を付け足した。
「ああ、でもさ! 服じゃなくて、もっと簡単なものにすればいいじゃんか!」
「というと?」
「そうだな……袋、とか? あれなら初心者でも一週間あれば余裕でできそうだし」
「そのような簡単なもので良いのだろうか」
「良いんだよ。贈り物は気持ちが大事なんだからさ。きっと、ティンファさんも喜んでくれるよ」
 そう言ってやると、シャーリィは再び無表情なままボクの裾をピッピッと引っ張り、
「リンフー、早く。袋作る」
「待てってば。まずは材料を買いに行こうじゃないか。作るのはそれからだ」
「是(ぜ)」
 よし、これで買い物の方針は決まったな。
 普段なら、このまま二人で突っ走るところなんだけど……
「師父も一緒に行きましょう」
 今日は師父も誘ってみることにした。
 ボクはこの人が外を出歩く姿をほとんど見たことがない。買い出しもいつもボクが行ってるし。
 もうそろそろ弟子入りしてから四ヶ月近いのだ。たまには一緒に町を歩いてみたい。
 そう思い、これまで何度も誘ってみたのだが、
「行かん」
 決まってこの答えだ。
 いつもならここで引き下がるボクだが、今回は負けないぞ。
「何でですか? 引きこもってばかりだと良くないですよ?」
「誰が引きこもりだ。とにかくわしは行かんぞ」
「行きましょうよぉ」
「行かん」
「行きましょう」
「行かん」
「師父ー」
「くどい」
「…………」
「……そのようにジッと見ても、行かんものは行かん」
「…………」
「いや、だから行かんと……」
「…………」
「…………ああっ、分かった! 一緒について行ってやる! だからもう視線で射るのはやめんか、馬鹿弟子!」
 よっしゃ! ボクはグッと拳を握る。
 こうして、三人での外出が決まった。



 広い街路を絶えず往来する人々は、いつ見ても多い。よく目を凝らさなければ、向かい側の店が何であるかも分からなかった。
 ここは最も商業が盛んな南の大通りだ。食い物屋や茶館が多い他の大通りとは違い、この大通りにはいろんな部門(ジャンル)の商店が表に並んでいる。たいていの物はこの辺りに行けば売っている。何か探すなら、まずはここを訪れるべきだと考えた。
 人と太陽の熱気に当てられて汗ばみながらも、ボクたち三人は人混みの中を練り歩いていた。
 その三人のうち、先頭にいたボクは後ろをチラッと見て、ちゃんと師父とシャーリィがはぐれずについて来ていることを確認する。師父は聞き取れないくらいの声量でなんか文句をブチブチ言っており、シャーリィはボクをひたすら無表情でジーッと見つめていた。
 というか、二人とも、いつのまにかボクのお供みたいになってないか? でも、シャーリィは初めての挑戦で心細いだろうし、師父は基本引きこもり状態で外に出るのを嫌がってたし……実質、この三人の中で一番自由に動けるのはボクってわけか。
 でもボクだって、帝都にある衣料品店には詳しくない。なので、当てずっぽうで店を見つけるしかなかった。
 そういうわけで、ボクらは大通りに面していた衣料品店の一つに入った。
 名前を『万華庭(ばんかてい)』。なんか花屋みたいな名前だ。
 そこは布地だけでなく、衣服も一緒に売っている店だった。それら二種類の売り場ははっきりと区別されている。店内は小綺麗に飾り付けがされていて……女の客ばっかりだ。無理もない。女物しか売られていないのだから。
 シャーリィはともかく、ボクと師父は場違いなので、なんだか緊張してくる。
 だが、立ち止まっていても始まらない。
 意を決し、布地が売られている場所へ足を進めようとした時だった。
「いらっしゃいませ! まぁまぁまぁ、なんて可愛らしい子達なの⁉」
 店の売り子と思われるお姉さんが笑顔をきらめかせながら、ボク達へ近づいてきた。
 その不気味なほどに輝いた瞳は、ボクとシャーリィをくっきり映していた。
 お姉さんはまずシャーリィに目をつけた。
「あなたは顔立ちからして、西方の国の人ね? しかも「双銀(そうぎん)」だなんて珍しい! 私見るの初めてよ! 幼いけど目鼻立ちがすごく綺麗で、まるでお人形さんみたい! これは少し着飾っただけでも宝石みたいに輝くわ!」
 続いて、ボクに狙いを定めてきた。
「あなたはファン人ね? この銀色の子とはまた違った魅力を感じるわ! 気丈に整った顔立ちに、その太くしっかり結われた三つ編み……まるでなかなか人に懐かない猫風少女って感じがして可愛いわ!」
 お姉さんの発言に心外なものを感じたボクは、慌てて声を上げて抗議した。
「ちょ、ちょっと待て! 何か勘違いをしているようだが、ボクは男だぞ!」
「え」
 女の人は硬直した。
 よし、これで大人しくなった……と思った瞬間、お姉さんはボクの両肩をガッチリと掴んだ!
「むしろどんとこい、よ! 私、君みたいな可愛らしい男の子に可愛い服を着せるのが夢だったの! その辺の女の子より可愛い男の子……最っ高っ‼」
 お姉さんの顔がヤバイ。瞳は目に痛いくらいに光っており、鼻息がイノシシみたいに荒い。完全に危ない人だ。
「待て待て待て! うわ、ちょ⁉ 離せ! ていうかなんだこの力⁉」
 身の危険を感じたボクは逃れようとしたが、その前にお姉さんに腕を掴まれ、女とは思えない力でズルズルと引き込まれ始めた。これは明らかに腕力ではない。
「うふふ。私、こう見えても武術の心得があるのよ? 腕力が無くても、重心の移動を上手く使えばこの通り。うふふ、さぁ、薔薇色の世界を見せてあげるわよ、可愛い坊や」
「見たくねぇー! ちょっ、師父、シャーリィ、助けてくれよ⁉」
 たまらず助けを求める。
「ふん、修行が足りんな。その程度の拘束もまだ外せんか」
 師父の薄情者! ていうか、なんか口元がうっすら笑ってるんだけど⁉ 無理矢理外に連れ出したこと根に持ってるだろ絶対!
「もういい! シャーリィ、頼む!」
「大丈夫」
「おおっ! 助けてくれるのか!」
「リンフーならば問題ない。絶対に似合う」
「そういう問題じゃねぇー!」
 こうして、ボクは奈落の底へ引きずり込まれるのだった。



 ――地獄のような時間から帰ってきたのは約五分後。
「な、なんだこの格好……!」
 姿見には、全身赤づくめな三つ編み美少女の姿が憎たらしいくらいハッキリ映っていた。
 上下ともに赤い、女物の衣装。
 下向きに咲いた薔薇の花を思わせる長い裙(スカート)に、広い袖口に赤い花弁のようなヒラヒラした薄布がついた着物。
 上はクゥロン風、下は異国風。けれど、どちらも「赤い華」という共通のテーマをもって構成され、見事な調和を果たしている。
 その奥ゆかしくも可憐な装束は、一束の夕陽色の三つ編みという少女の髪型と上手いこと相乗し、侵すべからざる儚げな雰囲気を作り出していた。
 だが男だ。
 しかも、ボクだ。
 ……泣きてぇ。
「リンフー、可愛らしい。とても、良く似合っている」
「くくくく……似合っているではないか」
「嬉しくねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ‼」
 シャーリィと師父の褒め言葉に、ボクは頭を抱えて絶叫した。
 お姉さんはというと、もうこれ以上ないくらいツヤッツヤな笑顔でボクを見つめていた。
「ああ……可愛いわぁ! まるで花の精みたい! ねぇねぇ、これも着てみてくれないかしら⁉ お代は取らないからぁ‼」
「もう勘弁してくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ‼」
 ボクは久しぶりに本気で泣いたのだった。



 色々と悲しい事件はあったものの、とりあえず、袋の材料として使う表布と裏布は『万華庭』で買えた。
 その後で別の店に寄って、麻紐を買った。袋の閉じ開けをするための紐だ。
 あっという間に、買い物は済んでしまった。
 さっきより暑気が強まり、さらに混み合った南の大通り。比較的密度の少ない端っこをボクら三人は歩いていた。
「リンフー、今日はあなたに感謝する」
 隣を歩くシャーリィが、抑揚のない声でそうお礼を言ってくれる。
 ボクは苦笑しつつ、
「いいって。あんまり役に立てなかったしな」
「否。そんなことはない。……レイフォン殿も、ありがとう」
 不意にお礼を言われた師父は、一瞬キョトンとするが、すぐに取りすましたような顔で、ぶっきらぼうに言った。
「礼など不要だ。わしはこの馬鹿弟子に引っ張り出されただけだからのう」
 やれやれ、師父は相変わらず無愛想である。
 けど、なんだか微笑ましく思える。
 大陸随一の拳豪。修羅。武林を血の足跡で荒らした男。拳を一回突き出すたびに一人殺す男。雷の化身。
 真偽を問わず、数多くの殺伐とした伝説を持ったこの『雷帝』が、ボク達みたいな子供に付き添って買い物しているんだと考えると、やっぱりこの人も「人」なんだと思えてきて、思わず笑みがこぼれる。
 「戦いだけが人生」みたいな噂しか聞かない人だったから、余計にそう思う。
 だが、その時だった。

「そこの老人、しばし待たれぃ‼」

 気迫に満ちた一声が、町の喧騒を貫いた。
 ほんの一瞬、街中の喧騒が止まる。みんなが声の主を振り向いた。ボクらの後方だった。
 そこには、三十くらいの男が、堂々と立っていた。その左腰には、剣がぶら下がっている。
 戦意で炯々と光るその男の目は、師父を真っ直ぐ見ていた。
 師父はその男へ振り向かない。だが足が止まっているところを見ると、自分のことだと分かっている様子。
「その稲妻模様の痣、大陸最強と名高い『雷帝』レイフォンだな! 俺はガーハンという者だ! 『雷帝』よ、お前と武を交えるべく、この帝都へ訪れた次第!」
 ガーハンと名乗ったその男の言葉を聞き、師父は大きくため息をついて言った。
「遠路はるばる来ていただいて悪いが、お断りさせていただく」
 ガーハンは逆上したように顔を真っ赤にし、食ってかかった。
「何故だ⁉」
「わしは見ての通りの老いぼれだ、もう試合などやりとうない」
「いや、戦え! でなければ、『雷帝』に挑むと同門に宣言した俺の面目が潰れるのだ!」
「それは貴公の都合であろう。帰った後に「『雷帝』に断られた」と正直に言えば良かろう? つまらぬ意地を張ることもあるまい」
 淡々と断られ続けたことで、ガーハンの表情がみるみる怒りを蓄積させたものになっていく。
 かと思えば、怒りジワを残したまま、煽るような嘲笑混じりの口調で言った。
「……『雷帝』よ、貴様、臆したか」
「そういうことで構わんぞ」
「ふざけるなっ! もし断るというのであれば、俺が地元にこう伝えてやるぞ⁉ 「『雷帝』は臆して試合を断った腰抜けだ」とな! どうだ、堪え難い恥辱だろう⁉」
「好きにするがいい。それで余計な羽虫が寄って来なくなるというのであれば、むしろそうしてくれと言いたいくらいだ」
 ガーハンの表情が激情に染まる。師父が口にした「羽虫」という言葉が、自分も含んでいるものであると思ったからだろう。
 奴のまとう雰囲気が変わった。怒りを我慢していた狼が飛びかかる直前にも似た、剣呑なものに。
 周囲の人々もそのただならぬ殺気を敏感に感じ取ったのか、師父とガーハンを中心に大きく広がりを見せた。
「……羽虫かどうか、見せてやろう」
 次の瞬間、ガーハンは風となった。
 突風と形容できるほどの速力を誇る足さばきに、左腰の剣の抜き出しを付随させた。
 速いっ!
 ――だが、師父はもっと疾かった。
 剣が鞘から抜き放たれる前に、背を向けたままガーハンへ歩を進めた。
 「素早く退がった」というより「過程を省いて立ち位置だけを移した」ように見える桁外れな速度で瞬時に間を詰め、ガーハンの右胸へ左肘から衝突した。
 まだ目の肥えていないボクから見ても、今の一撃に込められた勁(けい)は強大だった。普通なら、遠くへ軽々吹っ飛ぶくらいの一撃だったと想像できる。
 でも、不思議なことに、ガーハンは全くその場から動かなかった。
 その理由はすぐに分かった。
「げぇ」
 ガーハンが一回ゲップをしたと思った瞬間、口から赤い泡が大きく膨らんだ。
 その泡がパチンと弾けた途端――赤黒い血が湧き水のごとく口から流れ出てきた。
 口だけではない。
 両目、両耳、鼻の穴からも、まるで内側から押し出されたような勢いで血を流している。
 通称「七孔(しちこう)」と呼ばれる部位からの、とめどない流血。
 吹っ飛ばなかったのは、肘に込められた勁が全て、余すことなく相手の体内に浸透しきったからに違いない。
 ガーハンは、まるで人形のように倒れた。その後も、こんこんと血溜まりを広げていく。
 野次馬が、嫌なざわめきを響かせる。倒れたガーハンが、ピクリともしないからだ。
 その中から出てきたお節介が、血溜まりの中で空を仰ぎ見るガーハンの体のあちこちを恐る恐る触れていき、
「し、死んでる……!」
 という決定的な一言を口にした瞬間、ざわめきがさらに高まった。
 ――こんな簡単に、人が死んでしまうなんて。
 ボクは、まるで金縛りにあったように体が動かなくなっていた。
 自身の命の源たる血で、大きな水たまりを作って事切れている男の姿。
 その表情は今なお、死ぬ直前の怒り顔で固定されている。
 まるで死してなお「戦いは終わっていない」と訴えているかのように。
 だけど、それはボクの妄想だ。
 さっきまで威勢よく喋りまくっていた男は、もう二度と目を覚ますことはない。
 これはただの、物言わぬ肉塊。
 死体。
 師父は、その死体をジッと見つめていた。その表情は一見いつもと同じ無愛想なものだが、その鋭い眼光の奥底に、後悔と、相手の死を悼むような色が見えた気がした。
 しかし、すぐにそれらの感情が、瞳の中から消え失せる。
 ボクと目が合った。
 まるで髑髏(しゃれこうべ)の眼窩のように暗く虚ろな瞳に見つめられ、ボクは思わず肩をビクッと震わせた。
 ボクを真っ直ぐ見ながら、師父は低く、重く、諭すように一言。

「――リンフー、これが「武術」だ」

 その言葉は、ボクの心に杭を打つように突き刺さった。



 とうとう、ここまで来た。
 師父の課してきた過酷な修行の数々。
 そのすべてを、ボクは耐え抜いた。
 そして達したのだ。武の頂に。
 もはや『雷帝』と呼ばれた師父でさえ、ボクには手も足も出ない。
 ボクは、最強になったのだ。
 その高められた功力で、ボクは数々の高名な達人を打ち殺し、怒涛の勢いで武名を轟かせた。
 いつしかボクは『雷帝の再来』と呼ばれていた。
 町を歩くと、ボクが受ける眼差しは、きまって畏敬の眼差し。
 賞賛の声を浴びるたびに、自分が只者ではないのだと自覚し、気分が良くなる。
 ボクは、最強になったのだ!
 ボクは、昔から憧れていた英雄豪傑になれたのだ!
 子供の頃から愚直に抱いていた夢が、叶ったのだ!
 ……それはそうと、今日はなんだか靴裏がネチョネチョする。まるで膠(にかわ)を踏んでいるようだ。
 家を出た時は気にしなかったが、そろそろ何がこのネチョネチョの正体なのか知りたくなった。
 ボクは靴裏を見た。
 血。
「ひっ⁉」
 靴裏全体にベットリと付いた赤黒い血を見て、ボクの口から一瞬悲鳴が鳴った。武林最強の男とは思えない、弱々しく女々しい声だった。
 振り向くと、ボクが歩んだ道には、血の足跡がくっきりと残っていた。
 さらに、周囲からの称賛の声が止み、不気味なくらい静まり返った。
 衆人の顔を見る。
 死人の顔だった。顔中血塗れで、肌に血の気が感じられない。
 その顔ぶれは、ボクが武名を上げるために打ち殺してきた武術家達だった。
 街路の両端を埋め尽くす亡者の群れが、はさみ撃ちをするように近づいてきた。
「うわあああああ‼」
 我慢できずに恐怖を吐き出す。
 さっきまでの英雄豪傑の姿など、もはやそこには無かった。
 亡者の手が、次々とボクの体に絡みつく。
「うわぁぁ‼ あああああああああああああ――」



「――ああああああああぁぁぁぁ……あ?」
 そこで、ボクを取り巻く風景が一変した。
 視界を満たす景色は、黒ずんだ木の面のみ。
 体に入ってくる空気も、布団の匂いと蒸し暑さを含んだ、現実感の強いものになっている。
 横になった状態だと分かったので、上半身を起こした。薄い毛布がハラリと落ちる。
 古びた木造の小さな一部屋だった。ボクが今体を預けている硬い寝台と、衣装棚の二つしか物が無いひどく殺風景な部屋。窓から差し込む満月の光が、この寂しい部屋をほんのりと照らしていた。
 今なおぐちゃぐちゃになった思考を必死でまとめ、この狭い部屋がレイフォン師父の家で、そこにあるボクの寝室であるということを思い出した。
 ――夢か。
 あまりにもひどい内容だった。上げて落とすにもほどがある。
 陰鬱な怠さで頭が重たい。思わず額に触れると、水気がした。すごい寝汗だった。前髪からも滴が落ちている。三つ編みを解いた長い髪がうなじにぺったり張り付いて気持ち悪い。
 手ぬぐいを衣装棚から取り出し、顔に流れる汗を拭う。
 衣装棚の開き戸の内側には、傷だらけな鉄製の鏡が貼られている。
 その鏡には、
「……ひっでぇ顔」
 病人のように荒んだ、ボクの顔が映っていた。


 
「次! 『向穿捶(こうせんすい)』からの『移山肘(いざんちゅう)』!」
 瑠璃色の明るさに彩られた空気に、師父の厳しい掛け声が響く。
 今朝の修行は、基本の套路(とうろ)『母拳(ぼけん)』の練習だった。
 あの悪夢が覚めた後に二度寝しようとしたが、心がざわついてなかなか寝付けず、結局早朝の修行が始まるまで一睡も出来なかった。そのせいか、あくびが時々出てしまう。
「何をしている⁉ さっさと動け!」
 師父の雷が落ちたおかげで、襲ってきた眠気を払うことができた。なので、言われた通りの動きを実行する。
 両脚を揃えた中腰の姿勢で左拳を突き出した『向穿捶』の終わりの構え。そこから大地を蹴って前へ飛び込み、深い踏み込み、両脚の捻り、全身の十字展開を同時に行って左肘を突き出す『移山肘』へと変化させた。――相手を正拳で吹っ飛ばした後、追い討ちをかける形で肘を叩き込む流れだ。
 『移山肘』を終えた状態で停止させると、師父がボクの技の歪みを手直しする。
 すでに『母拳』の始終の流れは、大雑把には全て覚えた。今やっているのは、細かい動作の歪みの修正である。勁撃(けいげき)で重要なのは、正しい形だ。技の形が歪んでいると、全身をめぐる勁の流れが停滞したり、余計な体力の消費を招いたりする。なので、こうして手直しで整えていくのである。
「次は『移山肘』から『黒虎偸心(こっことうしん)』だ!」
 馬上にまたがったような『騎馬勢(きばせい)』の立ち方で真横へ左肘を突き出していたボクは、右踵で大地を蹴っ飛ばし、その勢いで螺旋を描きながら重心を左足へ移動させる。その螺旋の流れに、右拳の推進と左肘の引きを同調させ、やがてまとまった全身の勁を前後に張り詰めさせた。――『母拳』第三招、『黒虎偸心』。
「違う! 螺旋を意識し過ぎているせいで、拳の動きまで円弧の軌道になっているではないか! 螺旋を描くのは肩口まで! そこから先は真っ直ぐに進めろ! 回転する力を進む力に変化させる意識で行え! ――次! 『黒虎偸心』から『纏身掌(てんしんしょう)』!」
 それ以降も、ボクは指示通りに順序こなしていく。
 しかし、ボクは言われた通りにできていないのだろう。師父の顔つきが、みるみる険しいものになっている。ボクの出来が悪い時、師父は決まってああいう顔をするのだ。
 それでも、師父は間違った動きしていたら、たとえそれが何度も繰り返された間違いであっても直してくれる。
 厳しいが、本当に親身になって教えてくれるのだ。彼の教え方がなければ、ボクは短期間でここまで上達しなかっただろう。
 師父の教えをなぞっていけば、ボクはもっと強くなれる。
 いつかボクも師父のように強くなって、

 それから、どうするのだろう?

 誰かを殺しにいくのか?
 気が済むまで戦うために鍛えるのか?
 脳裏に浮かぶのは、昨日の白昼の惨劇――師父が、挑戦者を一撃で打ち殺す場面。
 結局、あの件で師父が平定官(へいていかん)に捕まることはなかった。
 相手が先に刃を抜いて仕掛けてきたことは、衆人環視で明らかだった。なので、師父が咎められることはなかった。危険が迫った場合、己の身を守るのは当然だからだ。
 仮に師父が試合に応じていたとしても、互いに抱拳礼を交えた試合なら、死者を作っても罪には問われない。あれは単なる挨拶ではなく、覚悟を示す儀式でもあるからだ。
 だが、それは理屈だけで語った話だ。
 人が死ぬ。
 この表現は、聞くだけならなんてことない。
 けれど、ボクは昨日、実際に「死」を見た。
 それは想像以上に生々しく、恐ろしく、空虚なものだった。
 ボクも強くなったら、あのような形で人を死なせてしまう時が来てしまうのだろうか?
「――おい! 聞いているのか!」
 思考の渦の中に、再び師父の雷が落ちた。
 ボクはビクッと大きく反応し、機嫌が悪そうな師父へ謝罪する。
「え、ああ、ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて……」
 そんなボクに対し、師父はしばらく考える仕草を見せてから、ふぅっと深いため息をついて言った。
「今日はこの辺りでやめておこう」
「えっ?」
 馬鹿な。まだ始まって十分とちょっとしか経っていないぞ。もう終わりだなんてあり得ない。
 そんな疑問を読み取ったかのように、師父は静かに言った。
「今のお前では、何も身につかん。その心の迷いを取り除かねば、修行はただの取り越し苦労となるだけだ」
 言うと、師父は背を見せて家へ去っていった。
 その後ろ姿には、どことなく哀愁が漂っていた。



 朝食を済ませた後、ボクは逃げるようにして家から飛び出した。
 けれど、目的地はちゃんと決まっているし、その準備も済ませてある。
 『清香堂(せいこうどう)』だ。
 今日はここでシャーリィと一緒に、ティンファさんへ贈る布袋を作る予定なのだ。
 お茶を飲みながら落ち着いてやりたいし、何より、ティンファさんに見られたくないそうだ。ギリギリで渡してビックリさせたいらしい。
「っ」
 表布と裏布を縫い合わせる作業中、針で指をチクッとしたシャーリィがその無表情をかすかに歪める。
「ああもう、気を付けろって。大丈夫か?」
「是。問題ない」
「そこの返し縫いだけ、ボクがやってやろうか?」
「否。最後までわたしがやりたい。あなたは今まで通り、手本を見せてくれるだけでいい」
 そう言われたので、ボクは手を出さず、見守ることにする。
 袋を作るための順序はボクが教えているが、縫うのはあくまでシャーリィの仕事だ。ボクの仕事は、余った布地を使って縫い方を教えてやるくらいだ。
 傍らにある茶杯をすすりつつ、ボクは布と針相手に悪戦苦闘する銀色の美少女をぼんやり眺める。
 今日は、この子との予定があって助かったかもしれない。もし何も予定がなかったら、寂しさで気分が重くなりそうだったから。
 今は、師父と一緒にいたくなかった。
 今朝の修行を中断してからというもの、なんだか師父の態度がよそよそしく感じるのだ。まるで、見ず知らずの他人を扱っているみたいに。
 気のせいかもしれないが、それでもいつもと様子が違うのは確かだった。それでボクは気まずさを感じていた。 
 一生懸命針仕事に取り組んでいるシャーリィがなんだか可愛らしく思えて、思わず口元がほころんだ。
 シャーリィの無表情が、ほんのわずかに歪むのを見た。
「ああっ、また針で指刺しちゃったのか。ちょっと見せてみな」
 ボクが言うと、彼女は片手を出してくる。びっくりするくらい色白な手だった。その親指に、小さな赤い滴がぷっくりと膨らんでいた。
 ――血。
 ――赤い血。
 ――ボクの足跡を赤く彩った血。
 ――ガーハンの穴という穴から溢れ出ていた血。
 意識が浮き上がっていくような気持ち悪さを覚えた。
 世界が、ぼやけたり鮮明になったりを繰り返す。
 気道を潰されたように、息がしづらい。苦しい。
「リンフー」
 シャーリィの声と、右肩を掴まれる感触で、ボクは我に返った。
 目の前には、卓へ身を乗り出し、ボクの右肩を掴んだシャーリィの姿。
「あ…………だ、大丈夫だ。なんでもないぞ」
 ボクは重いわだかまりを押し殺し、無理矢理作り笑いを浮かべる。
 シャーリィは卓上を登ってさらにこっちへ近づき、ずいっと顔を間近まで寄せてきた。
 妖精のような美貌と甘い吐息が間近まで迫り、ボクの心臓が跳ねた。
「リンフー、元気がないように見受けられる」
「そ、そんなことないって」
「否。顔も赤い。熱があるのでは?」
「いや、これはその、朝の日差しに当てられたんだよ」
「ここは室内」
「と、とりあえず、降りたらどうだ?」
 ボクは話を逸らす意図も込めて、シャーリィへ卓上から降りるよう勧めた。
 すとんと椅子に座ると、彼女はまた訊いてきた。
「それで、あなたはどうして、そのように元気がない?」
 これに対して、誤魔化すのは簡単だ。
 でも、ボクの中で巣食っているわだかまりを誰かに打ち明けたい、という思いもあった。
 幾ばくかの躊躇いの後、ボクはすべてを打ち明けた。
 昨日、師父が武術家を打ち殺したこと。その光景が、今なお頭から離れないこと。それ以来、武術の修行に身が入らないこと。
 それらを、洗いざらい吐き出した。
 シャーリィは、無表情のままボクを無言で見つめていたかと思うと、すぐに口を開いた。
「あなたの悩みの本質が、分かった気がする。自覚していないけど、心の奥底で無意識に考えていることが」
「本当か?」
 是、と頷く。
 シャーリィのその鏡面じみた銀の瞳には、ボクの顔がくっきり映っていた。……いつものボクとは思えない、覇気に欠ける顔だった。

「リンフー、あなたは、人を殺すことが怖いのでは?」

 心臓を突き刺されたような、鋭い衝撃が心に走った。
「え……何、を」
「あなたの話を聞いていると、そうとしか思えない」
 ボクは考える。
 確かにボクの心にあるモヤモヤしたものは、師父がガーハンを打ち殺した後に生まれたものだ。
 さらに、修行中によく思うのだ。
 師父から学んだこの技で、ボクがいつか誰かを殺すときが来るのだろうか、と。
 そうだ。この子の言う通りだ。
「ああ、多分、そうだ」
 一回そう認めてしまうと、後は楽だった。
「ボクは、誰かを殺すのが怖いし、嫌なんだよ。
 ここ四ヶ月、師父の〈御雷拳(ごらいけん)〉と触れ合ってきて分かった……この武術は凄いって。威力も凄まじいし、それを相手に当てる方法も工夫されてる。流石は『雷帝』の技って感じだ。でも……」
 キュッと、膝に乗せた両手を握りしめた。
「「『雷帝』の技を学ぶ」って事は、「『雷帝』を目指す」って事なんだよ。今は相手を吹っ飛ばす程度の威力しかないボクの技も、いつかは師父みたいに一撃で人を殺せるようになるんだ。師父はボクを熱心に育ててくれているから分かるんだ。……それが、怖いんだよ」
 最後の部分は、本当に自分が出したのかと疑いたくなるくらい、かすれて弱々しい声だった。
「シャーリィ、生き残るための手段として武術をやってるお前からすれば笑っちゃう動機かもしれないけど、ボクはもともと、単なる憧れから武術に手を伸ばしたんだ。町でやってた武術の表演会だったり、母さんが聞かせてくれた武林の豪傑の話だったり、そういうもので武術に憧れて、ボクは武術を学び始めたんだ。でもさ……ボクは目を背けていたんだ。ボクが憧れていた武林の豪傑も、勇ましい武勇伝の中で人を殺している。その事実から」
 これで、言いたいことは全て言い尽くしたかもしれない。
 なんだか、心がスッとした。
 シャーリィはしばらくして、いつもと同じ抑揚に乏しい口調で言った。
「少なくともわたしは、あなたの動機を笑わない。武術に手を出す理由は人それぞれ。わたしは自衛のために、あなたが憧れのために武術を始めたというだけの違い。そこに貴賎はないと、わたしは考える」
「シャーリィ……」
「あなたの悩みも、おかしいモノでも何でもない。人が殺人を忌避する気持ちは自然なもの。わたしにだってある。むしろ、それを捨てようとするべきではない。それを完全に捨ててしまった時、その者はヒトではなくなる」
 そこでシャーリィは一度区切りを作り、

「けれど、だからといって、否、だからこそ――武術が「殺人術」である事実から目を背けるべきではない」

 シャーリィの厳しめな物言いに、ボクは驚いた。
「人を殺す技を身につけるということは、すなわち、殺されない方法を考える手がかりにもなる。――頭を潰せば人は死ぬ――心の臓を止めれば人は死ぬ――腹のど真ん中を刃で貫けば人は死ぬ――首を斬り落とされれば人は死ぬ――こういった技を知り、人の死に方を熟知すれば、「自分はそうはなるまい」という自信と覚悟が生まれる。……つまり武術家は、「武術は殺人術である」という事実を受け入れて初めて一人前の道に立てる。逆にそれを認められなければ、あなたの成長は、そこで頭打ちとなってしまうだろう」
 彼女にしては、珍しく容赦がない言葉だった。
 確かに、言われたことはもっともだ。
 師父が以前、『四大兵器(よんだいへいき)』の使い方を教えてくれたのは何のためだ?
 武器の特性や使い方を知り、自分が使えるようにし、かつ、相手が振るう武器に対処できるようにするためではないか。
 研ぎ澄まされた刃物が人を斬り殺し、尖った部位が人を貫き殺す事実を、師父はボカすことなくボクに教えてきた。……今にして振り返ると、それは「殺せ」というより「生き残れ」と言っているように思えた。
 胸がかなり楽になった。
 ボクはフッと唇を綻ばせる。
「手厳しいな、シャーリィ」
「そう?」
「ああ。でも、ありがとう。聞いてくれて」
「どういたしまして」
 そう言うシャーリィの顔はなおも無表情。
 だが突如、その可憐な無表情が、ニチャァ、と邪悪な謎の表情に変わった。
「ひぃ! な、何だよ! どうした⁉」
「やや厳しい物言いをしてしまったので、笑顔で場を和めようと思った」
「怖いわ! 周りの人がビビってるだろ!」
 言うと、シャーリィはまた元の無表情に戻った。ホッとため息。
「リンフーも、手厳しい」
「お互い様、って感じだろう」
「そうかもしれない」
 思わず、ボクの口からクスクスと笑声が生まれる。
 緊張していた雰囲気が、柔らかくなり始めた時だった。

 ――作りかけの袋が、卓上から消えた。

 だが、そんなことはありえないし、ボクはしっかりと見ていた。
 ボクらの席をすれ違いざま、袋をかすめ取る禿頭(とくとう)の大男の姿を。
「貴様っ!」
 ボクは捕まえようと手を伸ばすが、禿(はげ)が突発的に加速して大きく距離を作った。
 店の戸を蹴っ飛ばし、外へ逃げやがった。
「野郎!」
 すでに茶代は先払いしてあるので、ボクは迷わずその禿を追いかけるべく外へ飛び出した。
 ふと、後からついてくる足音。シャーリィも来ていた。
 二人で禿の後を追うことになった。
「っておい? 何だよあの速さ⁉」
 ボクも、それにすぐに追いついたシャーリィも、足は速い方だ。だがその禿は、まるで下半身が羽のように軽くなったとしか思えないような不自然な俊足っぷりを見せ、どんどんボクらとの距離を開いていく。
「……『軽身術(けいしんじゅつ)』」
 シャーリィがそう呟いた。
 『軽身術』とは、その名の通り体を軽く操る技術だ。特殊な筋肉の操作を用いて、肉体を羽根のように軽々と動かし、壁走りや塀の飛び越えなどといった離れ業を可能にする。武術の技の一つだが、盗賊なども好んで身につけている。
 どうにか見失わないで済んではいるので、それが救いだった。
 ボクらは追いかけっこを続ける。
 シャーリィはボクをすぐに追い抜いて前を走るが、その呼吸に乱れは無かった。武術家としての年季の差が歴然であった。
 見る見るうちに、人気がなくなっていく。
 とうとう人っ子一人いない路地裏に入った。
 しかし、未だに禿は止まらない。
「このっ、いい加減諦め――あうっ」
 その時だった。右肩のあたりに、何かがチクッと刺さるような痛みを感じたのは。
 何があったのかと右肩へ手を伸ばそうとするが、それをする前にボクの意識はストンと闇に落っこちた。

 ◆

 人が倒れる音を後ろから聞いた。
 シャーリィは思わず振り向き、その倒れた人間がリンフーであると知った途端、盗っ人を追うのも忘れて駆け寄った。
「これは……」
 リンフーの右肩には、日光を反射して光る、細長い何かが刺さっていた。
 吹き矢で使われる針。
 これを受けて倒れたということは、針に何か強力な毒物を塗っている可能性が高い。……それも、食らってすぐに意識を失うほどの強力な毒だ。
 久しく、シャーリィの胸がざわついた。
 早く医者に見せなければ。
 そう思い、リンフーの体を抱えようとしたその時、背後に人の気配がした。
「っ!」
 シャーリィは迅速に己の位置をズラす。一瞬後に、直前の立ち位置を蹴りが稲妻のごとく通過した。
 大きく距離をとって、その攻撃者を見る。
 厳つい面構えの大男だった。
 坊主頭かと思いきや、後頭部で不自然に髪が伸びており、それを尻尾のように束ねた珍妙な髪型。左腰には刀。肉体は骨太だが無駄な筋肉がない。研ぎ澄まされた肉体だ。
 何より、森羅万象全てを値踏みしているような、冷酷な感情が底光りする眼差し。
 ……シャーリィは、こういう目をする連中を知っていた。昔、自分を「商品」として売ろうとしていた連中と同じ目だ。
「悪いねぇ、双銀(そうぎん)のお嬢ちゃん。おじさん達ねぇ、ちょいと君に話があるんだよぉ」
 おまけに、自分を「双銀」と呼んだ。
 シャーリィの心の奥底に封印されていた恐怖心が、一瞬、ざわついた。
「悪いんだけどねぇ――おじさん達の売り物になって欲しいんだよぉ」
 撫でるような声で、酷薄な言葉を紡いだ。
 シャーリィは心を鎮め、その変な髪型の男へ淡々と告げた。
「否。お断りする」
「まぁ、そうだよねぇ。別に金に困ってそうには見えないしねぇ。良い生活してるんだろうねぇ。でもさぁ、こうされたらどうだい?」
 変な髪型の男のその言葉を合図にしたかのように、一人の男が物陰から姿を現し、眠っているリンフーの側へしゃがみ込んだ。
「そんな……」
 シャーリィは目を見開いて驚く。
 それは、リンフーの側にしゃがんだ人物が、『清香堂』で袋を奪い取った禿頭の男だったからではない。
 眠り姫のようなリンフーの顔に、短剣が突き付けられていたからだ。
「銀色のお嬢ちゃんよ、少しでも反抗的な素振りを見せてみなぁ。テメェのこの愛しい彼の目ん玉をサザエみてぇにくり抜いてやんぞぉ? ケケケケ!」
 この瞬間、シャーリィはようやく「誘い込まれた」のだと確信した。
 なす術はなくなった。
 そういえば、この禿はリンフーを「愛しい彼」と呼んだ。……なぜ、リンフーが男であると一目で分かった?
 そんな他愛ない事を気にしている暇はない。
「わたしに何をしろと?」
 変な髪型の男が、すぐに返してきた。
「決まってんだろぉ? おじさん達の売り物になってくれよぉ。おじさん達に「双銀」っていう極上の飯の種をくれるか、その可愛い坊やを見捨てて逃げ去るか、どっちがいい?」
 シャーリィの選択は、前者しかなかった。

 ◆

 今日の寝台はやたらと硬い寝心地で、おまけに上下に揺れる。
 師父の家の寝台は硬い。まぁ、庶民の家の寝台なんてそんなもんだけど。
 だが、それでも上下に揺れたりなんかしない。
 おまけに、ときどき跳ねたような衝撃が背中に来て、ボクの体も一瞬跳ね上がる。
 なんなんだ、これは。
 しばらくは我慢していたが、とうとう我慢ならなくなり、真相を確かめてやろうと目を覚ました。
「……ここは」
 ボクの寝室の天井――ではなかった。
 木の骨組みと、それに沿って半円形に張られた白い幕。幕は外から来る陽の光で、ほのかに光っていた。
 ボクが横になっている場所が、馬車の荷台であることに気づいたのは、十秒後だった。
 なんで馬車なんかに乗ってんだ、と思って体を動かそうとして、失敗する。両手首と両足首がそれぞれくっつき合って、まったく離れないのだ。
「な、なんだこりゃ⁉」
 ボクは驚愕する。手首と足首が縄で縛られているのだ。
 しかも、手首は後ろ手に縛られていて、思い通りに動かせない。
 ただならぬ事態であると悟る。
 ボクの他にもう一人、同じ状態で寝転がっている人物を見つけた。
「シャーリィ、お前もいたのか! なんだこれ⁉ 何がどうなって、ボクらはこんな風になってんだ⁉」
 シャーリィは、やはりいつもの無表情で淡々と言った。
「リンフー、落ち着いて聞いてほしい」
「え?」
「わたし達は――誘拐されてしまった」
 一瞬、心が理解を拒んだ。
 誘拐された?
 いきなり過ぎるだろう。
 なんでこうなった、と問おうとした時、真上から聞き覚えのある声が降ってきた。
「よぉ、クソガキ。これから売られに行く気分はどうだい」
 この、人の気持ちを煽るような、癪にさわる声は……!
 ボクは心当たりのある顔を思い浮かべながら、上を向いた。
 やはりそこには、思い浮かべた通りの顔があった。
「お前は――あの時の詐欺野郎か!」
 忘れもしない。取るに足らないナマクラ剣をクーリンに折らせ、それを『玉剣(ぎょくけん)』と偽り、弁償と称してベラボウな額をふんだくろうとしやがった、あの詐欺野郎である。
「ご名答よ。だがなぁクソガキ、俺にゃよぉ、ルゥジェンっつぅ名前があんだよ。詐欺野郎なんて心外な呼び方すんじゃねぇよ」
「ふん。心外も何も、事実だろう。お前は三歩歩くと忘れるニワトリか?」
「テメェ……」
 詐欺野郎は怒気を表情に宿らせるが、すぐに余裕ぶった表情の裏に隠す。
「まぁいいさ、許してやんよ。なんせ、今の俺はいつでもテメェを殺せるからなぁ」
「なんでボク達をさらった?」
 低い声で問いながら、ボクは周囲をきょろっと見回した。
 この詐欺野郎の他に、三人いる。御者をやっている男と、禿(はげ)の男、坊主頭……ではなく後頭部の髪だけを伸ばして束ねた変な髪型の男。
 『清香堂』で袋を強奪した禿の男がいるのを見たことで、ボクは、否、ボクらは追いかけ始めた時点でこいつらの術中にハマっていたことをなんとなく確信した。
「決まってんだろ? テメェらを「商品」として売るためだよぉ」
 詐欺野郎は得意げにそう言いやがると、ボクらがこうして捕まるまでの経緯を説明した。
 それを聞いて、ボクは怖気を覚えると同時に、合点がいった。
 詐欺野郎をめいっぱい睨む。
「貴様らの狙いはシャーリィか」
「またまたご名答。俺はあの時、確かにあの茶館の女からふんだくることには失敗した。だがでかい収穫もあった。分かるか? 帝都に「双銀」が住んでるっていう事実だよ。俺はすぐに帝都を出て、そこにいる頭領に情報を教えたのさ」
 なるほど、それで雁首揃えてここまで来て、せっせと人さらいというわけか。ずいぶんと暇なことだ。
「そうかよ。だがシャーリィだけじゃなく、ボクまで捕まえたのはどういう訳だ? 逆恨みを晴らすためか?」
 ボクの悪態混じりの問いに、詐欺野郎はニタッと悪どい笑みを浮かべた。
「その通り、と言って欲しかったかぁ? 残念ながら違ぇんだわ。オメェにも「需要」があるからだよ」
 言うと、詐欺野郎はボクの体の上から下へ舐めるように視線を這わせる。その眼差しがネバネバした感じを持っていて大変気持ち悪い。
「確かに双銀も貴重だがよぉ、買い手の中にゃ、テメェみてぇな女顔の小僧にブチ込むのが好きっていう変態野郎も結構多いんだぜぇ? 世の中広いよなぁ? クソガキよ」
 この上ない屈辱を覚え、睨む目をさらに強くする。
「……縄解いたら、絶対殴ってやるからな」
「好きにしろよ。解けるもんならな。少なくとも今のテメェは、芋虫みてぇに這いつくばるしか能のねぇ雑魚だ」
「雑魚になったボク相手じゃないとまともに悪態もつけないのか。本当はボクが怖いんだろう? 虎には触れないから、格子越しに悪態をつくことしか出来ない。爪と牙を抜かれた熊相手でなければ目の前に立つことすらままならないわけだグハッ――⁉」
 腹に、埋まるような衝撃が打ち込まれた。蹴られたのだ。
「ナメてんじゃねぇぞコラぁ‼ さっきから優しくしてやってりゃ調子乗りやがって‼ テメェの生殺与奪権握ってんのはこの俺なんだ‼ テメェはビビって俺のご機嫌取りでもしてやがれやぁ‼」
 何度も蹴っ飛ばされる。蹴られるたび、『縮(しゅく)』の呼吸法で衝撃を吸収する。無駄な作業を延々と繰り返してろ、マヌケめ。
「おい、やめろルゥジェン。売り物に傷つけんじゃねぇよ」
 一人の男が、低い声で止めた。あの変な髪型の男だ。
 詐欺野郎が食い下がる。
「頭領! こんなガキにナメられていいんですか? 叩きのめして大人しくさせたほうが――」
 「頭領」と呼ばれた変な頭の男の左手から、銀の閃きが飛び出し、詐欺野郎のすぐ足元に突き刺さった。刀だ。
 頭領は、冷厳な眼差しを詐欺野郎へ向け、殺意を凝縮させたような低い声で言った。
「二度言わせんな。俺がやめろって言ったらやめろ」
「……す、すんません、頭領」
 詐欺野郎は、まるで借りてきた猫のように縮こまり、大人しくなった。ボクに見せていた横柄さが嘘のようだ。
 だが実際、詐欺野郎が萎縮したくなる気持ちも分かった。……あの頭領とか呼ばれてる男からは、明らかにヤバイ匂いがするのだ。静かだが、冷たく鋭い静けさ。うかつに近づいたら一瞬で斬り殺されてしまいそうな、そんな秘めたる危うさを感じる。
 頭領は座りながらこちらへ身を寄せてきた。刺さった刀を引き抜いて左腰の鞘へ戻すと、その厳つい顔を柔和に崩してボクへ話しかけてきた。
「ウチの狂犬が失礼したなぁ。この群れを仕切る身として謝罪するぜ。俺はバイシンっつぅんだぁ。坊主、オメェの名はよ」
 ボクはプイッと顔を逸らし「人狩りなんかに名乗る名なんか無い」と言う。
 バイシンはやれやれと頭をかきながら、
「気の毒だがよぉ、全部ルゥジェンの奴の言った通りだ。オメェ、今から仲介人の所に売られに行くんだ。その双銀の嬢ちゃんのついでだがなぁ」
「勝手なことを言うな! 他人の人生を台無しにするような真似を平気でやりやがって! 恥を知れっ!」
「うーん、他人の人生を台無しに、ねぇ……確かにその通りかもなぁ。だがなぁ坊主、オメェは本当に自分の身が綺麗だと思ってんのかい?」
 煽るような、遠回しな言い方に、ボクは眉をひそめる。
「……何が言いたい?」
「オメェは今日一日までに、誰の命も台無しにしてこなかったって言えるのかぁ?」
「当たり前だ! 貴様ら畜生と一緒にするんじゃない!」
「なら聞くがよぉ、オメェはそこまでデカくなるために、どんだけの肉を食ってきたよ? オメェが腹に納めてきた肉はよぉ、何もねぇトコからポコンと湧いて出たモンなのかぁ? 違うよなぁ。オメェが食ってきた肉は全部、獣や家畜をブチ殺して得たモンなんだよ」
 バイシンはおどけるような、あざけるような笑みを浮かべながらなおも言った。
「オメェも、オメェの親も、オメェのジジババも、その他全員も、他の誰かや何かを犠牲にした上で成り立ってんだ。自分が生きるために、他を蹴落として肉を得て、そいつを食って生きてんだ。商売で競争して相手を負かしたり、文科挙(ぶんかきょ)の試験で他の受験者を蹴落としたり、他国を侵略して領土を奪ったりしてな。一見まっとうな人間だって、オメェの言うところの「畜生みたいなこと」をして生きてんだ。「手段が違う」ってだけの話だよ。だから本質的にゃ、俺もオメェも同類だ。人ってな平等だなぁオイ」
 耳を塞げないのが腹立たしかった。こんなもっともらしい理屈が、こんな奴の口から出ている事実が、たまらなくムカつく。そして、それに上手く言い返せない自分自身にも。
「……死んじまえ」
 だからこそ、そんな貧相な返し方しかできなかった。
 バイシンは疲れたように肩をすくめてから、ポンッと気安くこちらの肩に触れ、開き直ったような笑みで言った。
「ま、あんまり気を落とすなよ。これから俺たちはオメェらを売り渡すわけだが、たとえ売られちまってもまだ希望はあるぜ? 優しい変態に買ってもらえりゃ、オメェが前してたより良い暮らしができる可能性もあるんだ。せいぜい祈っとけや」
 そこまで言うと、バイシンは再び無遠慮にこちらの肩を叩き、元座っていた位置へ戻った。
 馬越しに見える空はすでに昼過ぎ。帝都からはもうかなり離れてしまっているだろう。
「……くそっ!」
 ボクは悔しさにあまり、思わず毒づいた。
 今は何もできないと思ったので、ボクは同じく囚われの身となったシャーリィへ目を向けた。
 相変わらず無表情。こんな非常事態であるにもかかわらず、まったく表情に変化が無い。まるで普段通りのように。
 やっぱりすごいな、シャーリィは。武術の腕だけじゃない、胆力もボクより強い……
「……あ」
 だが、ボクはそこで見てしまった。
 シャーリィの手足が、ほんのかすかだが震えているのを。
 瞬間、ボクは自分の呑気さを呪いたくなった。
 ――ボクは馬鹿か。
 いくら武術の腕が達者だって言っても、十三歳の女の子なんだ。人狩りなんかにさらわれて、怖くないわけがない。
 ましてこの子は昔、人売りに連れて行かれたのだ。怯えるのはなおさらではないか。
 そもそも、この子は二度とこういう状況に陥らないために、武術を学んだのだ。
 それなのに、再び同じ目にあってしまっている。……ボクのせいで。
 本当に馬鹿だ、ボクは。
「大丈夫だ。絶対に一緒に逃げよう」
 自分の犯したヘマを償うため、
 彼女の努力を無駄にしないため、
 ボクはシャーリィに、強くそう言った。
 シャーリィは、少しだけ目を見開くと、
「……ん」
 そう、頷いた。
 ちなみに、これは理想を言ったわけではない。
 「策」はちゃんと用意してある。成功するかは、運次第だけど。
 人狩り四人に見えないように顔を背けてから、ボクは声を出さずに唇の動きだけでシャーリィに訴えた。
『シャーリィ、今ボクが言ってることが分かるか? 分かるなら二回まばたきしてみてくれ』
 シャーリィは目を二回まばたきした。よかった、理解できるようだ。
『いいか、よく聞いてくれ。実は――』
 ボクは無音で「策」を説明し始めた。


 ◆


 日が落ちると、馬車の進行も止まった。
 暗い中での馬車の進行は無理だし、狼なども出てくる可能性がある。
 近くには山小屋が無かった。
 なのでバイシンと一行は、森の中に大きく開けた窪地で馬車を止め、焚き火をしながら野宿することになった。
 馬車の外で火を起こしてそれを囲い、日持ちする燻製肉などを食ったり、酒をやったりしながら夜を過ごす。
 目的の仲介人のもとに着くのは、軽く見積もって明日の昼くらい。なので、残った食料を惜しみなく使った。
 売れば莫大な額をもらえる「双銀」を捕まえた。それを売れば、しばらくは豪遊して過ごせる。人狩り四人の頭の中には、極楽が広がっていた。
 そんな表とは対照的に、リンフーとシャーリィが縛られたまま放置されている馬車の中は、ひっそりとしていた。おまけに暗い。
 ルゥジェンはその馬車の中に入ると、リンフーの目の前でしゃがみ込んだ。
「おら、どうだよこれ? 美味そうだろぉ? 食いてぇだろぉ?」
 燻製肉をぷらぷら揺らして見せびらかすルゥジェン。
「さっきテメェの腹の音聞こえたぜぇ? 腹減って仕方ねぇんだろ? 正直に言えよぉ。そうしたら、コレ、恵んでやっかも知れねぇぜ?」
 燻製肉の香りがリンフーの鼻腔をくすぐる。空腹感をそそられる。
 しかし、リンフーはそれをおくびにも出さず、ただ不快げに鼻を鳴らす。
「とっとと失せろ。それともなんだ、構って欲しいのか? お前、仲間内じゃひとりぼっちっていう感じか?」
 その物言いに心を逆撫でされたルゥジェンは、怒気を帯びた。
「テメェ、あんまし調子こいてっと……」
「いいのか? またお前らの大将に睨まれるぞ? 今度は投げた刀が脳天にぶっ刺さるかもな。まあボクは別に構わんが」
「……ちっ。相変わらずムカつくガキだぜ。飢えて死んじまえ」
 そう言い残し、ルゥジェンは馬車から出て行った。
 誰も見ていないことを確認すると、リンフーはシャーリィの方を向いて、
『今だ、続きをやるんだ』
 唇の動きでそう訴えた。
 すでに夜闇に目が慣れているシャーリィはその無音の発言を視認し、ルゥジェンの登場によって中断していた「作業」を再開した。
 リンフーと同じく、後ろ手に縛られたシャーリィの両手首。唯一動く指と手首を活かして――小さな片刃で縄を切っていた。
 親指ほどの小ささしかないこの刃物は、リンフーが用意したものだ。
 その昔、『幻王(げんおう)』と呼ばれた伝説の武術家サオレイは、特徴であるその太い三つ編みを兵法として利用したという。
 使い方はいろいろあるが、その中の一つに存在する兵法が――太い三つ編みの中に暗器や小道具を隠すこと。
 当然、そんな彼に影響されて三つ編みを束ねているリンフーも、そのやり方を踏襲していた。
 ……つまりあの短い刃物は、三つ編みの中に隠し持っていた道具。それをシャーリィに取らせ、先に縄を切ってもらっているわけだ。
 よもや、こんな形で役に立つとは思えなかった。備えはしておくものである。
 何にせよ、脱出への糸口は掴めた。
 リンフーはシャーリィに尋ねた。口パクで。
『あとどれくらいで切れそうだ?』
『今ようやく半分切れたところ』
 まあ、後ろ手に縛られた状態じゃ、遅くても仕方がないか。
 気長にやろう。相手に見つからなければ良いのだから
 酒が回っているようで、馬車の表は男達の胴間声でうるさい。
 けれど二人は、黙々と脱出の準備を進めていた。
 どうか、敵に刃物が見つかりませんように。リンフーはそれだけを願っていた。
『リンフー、質問がある』
 ふと、シャーリィが口パクで訴えてきた。
 リンフーは『なんだ?』と返す。
『どうして、わたしに先に切らせる? あなたのものなのだから、あなたが先でもよかったというのに』
 シャーリィがそう返してくる。
 最初、シャーリィは先に刃物を使うようにリンフーへすすめてきたのだ。けれどリンフーはそれを断り、先を譲った。
 理由は、あった。
『最悪の場合――お前だけでも先に逃げてもらいたいからだ』
 それを聞いたとき、シャーリィの心に生まれた感情は二つ。
 一つは、予想外の提案をされたことへの戸惑い。
 もう一つは、怒りだった。
『あのバカどもの狙いはお前だシャーリィ。このまま行けば、お前は必ず売られる。だからもしもの場合は、ボクの事を見捨ててでもあのバカどもから逃げ――』
『馬鹿はあなただ』
 かすかにだが、無表情を怒りで歪めているシャーリィの顔。
 ここ数年間で、一度もしていなかった表情だった。こんな顔、師であり親でもあるティンファにだって見せたことはなかった。
 驚いているリンフーの顔を見つめながら、シャーリィは心中を伝える。
『わたしは、あなたに言ったはずだ。いつか必ず、ちゃんとした笑顔を見せると。あなたは、わたしを嘘吐きにするつもりか』
『シャーリィ……』
『わたしも、あなたも、一緒に脱出する。それ以外の道はあり得ない。だから、あなたも、諦めないで欲しい』
 その言葉は、リンフーの心に染み渡った。
 そして悟った。自分がどうするべきかを。
 少なくとも、シャーリィに自分を見捨てさせることではないはずだ。
『……ごめん。ちょっと、悲観的になってた。そうだよな、最初から諦めちゃダメだよな』
『是』
『一緒に逃げよう、絶対に。一緒に帰るんだ、帝都に』
『是』
 二人で頷き合う。
 それからも、馬車の中では静かな時間が過ぎていった。聞こえるのはお互いの息遣いと、刃物が縄を切る小さな摩擦音のみ。
 が、やがてシャーリィの両手が、左右に開かれた。縄が切れたのだ。
『シャーリィ、急げ。連中が来る前に、足の縄も切ってしまえ。今なら腕の動きが制限されてない分、ずっと早く切れるはずだ』
『是』
 シャーリィは頷く。両足首を縛り合わせている縄へ、刃物を往復させ始めた。
 あっという間に切れた。
 シャーリィはリンフーの後ろへ回った。後ろ手を縛る縄を素早く切った。
 残りの足の縄も切ろうとした、その時だった。
「あぁ! お前ら!」
 御者の男が、馬車へ入ってきた。
 しまった、とリンフーが言うよりも速く、シャーリィは距離を詰める。飛び込みざま男の胸に膝をたたき込んだ。
「リンフー、申し訳ないけれど自力で切って欲しい」
 そう言って、シャーリィは刃物を投げてよこした。
 御者の男が馬車から弾き出されるのを見た残りの三人も、酒盛りをやめて臨戦体勢を取る。
「リンフー、わたしが時間を稼ぐから、あなたはその間に縄を切って欲しい」
 リンフーの頷きを認めた後、シャーリィは馬車から降りた。
 出迎えたのは、武器を構えた人狩り達。
「テメェ、どうやってあの縄を切ったぁ⁉」
 ルゥジェンが驚きと怒りを混ぜた声で問う。
 シャーリィは無表情で断じた。
「あなた達が知る必要はない」
「小娘が!」
 最初に飛び出したのは禿だった。
 禿は体重を一気に降ろすように踏み出し、それによって生まれた下向きの勁を右手の刀に込めて振り下ろした。
 シャーリィは体をひねって避けつつ懐へ入ろうとするが、禿は全身を急激に縮める力で刀を一気に手元へ引き戻した。刀を戻す役目と、引き斬りの役目を混同させた動き。
 シャーリィは上半身を低く屈めて、その引き斬りを回避する。
 禿は、今度は右下から左上へと刀を振ろうとした。
 だが、シャーリィはそれが振り放たれるより速く懐へ入り込んだ。刀を持つ禿の右腕を片手で押さえると同時に、もう片方の手で重心移動の勁を込めた掌底を打った。禿は吹っ飛んで、後からやってきていたルゥジェンを巻き込んで将棋倒しとなった。
「調子に乗んなぁ!」
 後ろから殺気と罵声。御者の男が右手の剣で鋭く突きかかってきた。
 シャーリィはその刺突の来る位置から身を逃しつつ、舞うように回転しながら男の懐へ入る。
 その美しくも激しい回転の中に巻き込まれた男は、あっという間に力の流れをシャーリィに掌握され、されるがままに後頭部から地へ叩きつけられて失神した。
 一人無力化したが、すぐに次が来た。視界を覆い尽くすほど近くまで、刀を振りかぶったルゥジェンが迫った。
「死ねやぁ‼」
 対処すべく動こうとした瞬間、視界の端で夕陽色の三つ編みが跳ねるのを見た。
「シャーリィに触るなっ‼」
 縄を切り終わったリンフーが、まっすぐにルゥジェンの懐へ飛び込んでいた。
 踏み込み、両足のひねり、全身の十字展開――それらの体術を同時に行うことで生み出した強大な勁を拳へ込めて打ち放つ一撃『頂陽針(ちょうようしん)』。刀が振り下ろされるよりも速く、リンフーの拳がルゥジェンへと達した。
「ごはぁ⁉」
 ルゥジェンは勢いよく遠くへ弾かれ、森の闇の中へと飲み込まれた。――有言実行完了だ。
 だが、それで終わりではなかった。
「このガキャぁぁ‼」
 禿が飛び出してきた。刀を振り下ろしてくる。
「うわぁ⁉」
 リンフーは大きく後ろへ跳んで回避する。怖い。あと少しで当たるところだった。
 自分が恐れを抱いているのだと客観視することで、冷静な判断力と思考力を取り戻す。
 落ち着け。
 相手の刃から逃れようとするな。むしろ自分から飛び込め。柄から遠い位置の刃ほど力が乗っていて危険だ。逆に言えば、内側へ入るほど力が弱まる。
 逃げるな――前へ進め!
 雄叫びを上げ、激しい気勢のまま飛びかかり、刀を振り下ろしてくる禿。
 リンフーは前へ進んだ。
 禿の間合いの奥へ踏み入る。鋭く降下してくる刀身の、根本の位置。
 刀を持つ禿の右手を両手で捕まえ、上段からに斬撃を止める。振り解かれる前に、すかさず禿の顔面に頭突きを入れた。
 くぐもったうめきを漏らし、鼻血を散らしながら後ずさる禿。そんな禿の懐深くにもう一度迅速に潜り込むリンフー。
 禿のドテッ腹へ『頂陽針』を叩き込んだ。
「ごほ――」
 まともに食らった禿は、まるで後ろに落下するような勢いで弾き飛ばされ、木に全身を強打。拳の威力も相まって、意識を失った。
「はーっ…………はーっ……!」
 リンフーは、初めて体験する命がけの戦いの空気に緊張していた。呼吸が乱れている。
 だが、それでもまだ終わりじゃない。心を強引に引き締める。
「リンフー、これを」
 右手に剣を握りしめたシャーリィは、左手に持った刀をリンフーに差し出してきた。両方とも、敵から奪ったものだ。
 リンフーは無言で刀を受け取った。仲間が全員やられたにもかかわらず、ゆったりと腰を降ろしたままの最後の一人を睨む。
「へぇ? やるじゃねぇの。俺の手下をこうも簡単にノしちまうたぁ、子供とは思えねぇほど腕が良いなぁ」
 その最後の一人であるバイシンは、おもむろに立ち上がる。
 腰に帯びた刀をスラァァ、と舐めるような金属音とともに引き抜き、その刃で体を抱くようにして構えた。
「っ!」
 その堂にいった構え様に、リンフーは我知らず喉を鳴らした。
 命のやり取りをするにもかかわらず、その腰の据わりようは普段通り、否、それ以上だった。安定はあるが、強引に力んだ感じはしない、軽さと盤石さを兼ね備えた立ち姿。
 シャーリィは無論のこと、武術歴の浅いリンフーでさえ分かった。……この男は、只者ではないと。
 しかし、尻込みするつもりなど微塵もなかった。
 気を強く持て。
 勝てる勝てないじゃない。勝つんだ。
「大丈夫だ、シャーリィ。ボクたちなら、絶対勝てる」
 それは、彼女を勇気づける言葉というより、自分を鼓舞する言葉であった。
 未熟者の自分一人では敵わないかもしれない。けれど、自分なんかよりずっと強いこの銀色の少女が一緒ならば、絶対に負けない。
「是」
 そんな内心を知ってか知らずか、シャーリィは普段通りの無表情のまま頷いた。
 バイシンは、そんな二人の戦意をあざ笑うように言った。
「このままじゃあ俺も商売あがったりだからよぉ、マジでいかせてもらうぜぇ。三つ編みの坊主を売るのは諦めるが、銀色の嬢ちゃん、オメェは手足の一本を欠損させてでも売りに出すぜぇ。――双銀にゃ、それだけの価値があるんでなぁ‼」
 足元を土煙で爆ぜさせ、バイシンは疾駆した。風圧で焚火が揺らめく。
 リンフーの間合い近くまで来た瞬間、バイシンは全身を旋回させた。その勢いに任せて、刀を鋭く薙いだ。
「つっ――⁉」
 その一太刀を、リンフーはどうにか刀で受け止めることができた。しかしその斬撃に込められた勁の重さによって、小柄な体が後ろへ弾かれた。
 バイシンの回転はなおも続き、もう一太刀襲ってきた。その間合いにはまた、リンフーの立ち位置がすっぽりと収まっていた。
 だが不意に、その刀の軌道が急変した。横から来たシャーリィの剣を防ぐためだった。
 シャーリィもそれを読んでいたからこそ、剣を柔らかく操り、やってきた刀を柔和に受け止めることに成功した。
 たった一合剣を交えただけで分かる二人の力量。リンフーはそれに舌を巻きながらも、少しは役に立て! と己を叱咤した。シャーリィの剣を受け止めたことで生じた隙を突く形で、刀でバイシンへ斬りかかろうとした。
「わ⁉」
 が、その途中に踏んづけた石の転がりで靴裏が横へ流され、重心が崩れた。
 ――それは、不運ではなく、むしろ幸運だった。なぜなら、あのまま進めば食らうはずだった殺人的な一撃を、つまづいて倒れたことによって避けることができたのだから。
 直前までリンフーの体があった位置を、閃光が通過した。
 それが閃光ではなく「爪先蹴り」であると一目で視認できたのは、シャーリィだけだった。それでも、おぼろげにしか見えなかったが。
 リンフーは転がって敵から離れてから、立ち上がる。
「……〈閃穿脚(せんせんきゃく)〉」
 シャーリィが呟いた。
 クゥロン武術には『二大脚法(にだいきゃっぽう)』と呼ばれる、蹴り技主体の二つの門派(もんぱ)が存在する。
 〈六合刮脚(りくごうかっきゃく)〉、〈閃穿脚〉の二派だ。
 そのうちの一つである〈閃穿脚〉は、門派名と同じ名を持つ看板的蹴り技『閃穿脚』を技術の主眼に置いて構成された拳法である。
 『閃穿脚』――脚を鞭のように急激にしならせ、その波打つ勢いが爪先に達した瞬間にその脚を真っ直ぐ張り詰めさせることで、爆発的な貫通力を発揮する蹴り。熟練すれば、その蹴り一発で岩盤すら削り取ることができる。
 バイシンがニィッと破顔した。
「正解だ、お嬢ちゃん。俺の『閃穿脚』は、レンガの壁でも容易く貫通する。食らわねぇよう用心しな!」
 再びバイシンが飛び出す。狙いはリンフー。
 幾度も宙に弧を描くバイシンの刃。それらの斬撃をリンフーは懸命に刀で防御する。
 しかし時折、斬撃に混じって『閃穿脚』が飛んでくる。それを最小限の動きでどうにか回避。それからまた斬撃の嵐を受ける。……『穿針歩(せんしんほ)』がなかったら、とっくにあの世行きだった。
 ちくしょう、攻められない! リンフーは焦る。
 レイフォンから、すでに刀術の基本は教わっている。だが今は、それを行う余裕さえなかった。
 無闇に定形化された動きをすれば、速攻で斬り殺されるか、蹴り殺されかねない……そんな恐れが強まっているために、自分の動きに頼るしかないとリンフーは思った。
 シャーリィも剣で刺突を繰り返すが、バイシンの刀術による防御は実に堅実で、全く通らない。
 バイシンの掌の上で遊ばれているような錯覚を覚える。
 ――〈閃穿脚〉では、刀術を重要視する。
 刀を体に巻きつけるように操る太刀筋を、攻撃よりも防御に用いる。
 攻撃は、『閃穿脚』でも十分事足りるからだ。
 そう。再び言うが〈閃穿脚〉は、その他多くの技術が『閃穿脚』を引き立てる形で存在する。『閃穿脚』が大砲ならば、今使っている刀術は堅固な砦である。
 二人は今まさに、バイシンという小さくも堅牢な砦と戦っているのだ。
 台風のごとく行き交う白刃。耳に痛い剣戟音。目まぐるしく変わる立ち位置。
 戦いの過程で、窪地のさらに奥の崖へと移動していく。天を覆う木々がなくなり、満月の光が淡く三人の戦いを照らす。
 何度も刃を打ち合わせていた三人が、とうとう離れ合った。
「はぁっ……はぁっ……!」
 呼吸の乱れ。リンフーのものだった。
 すでに数え切れないほど刃を交えたが、バイシンは傷一つ付いていないし、呼吸にも乱れがない。
 バイシンは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「はっ、双銀の嬢ちゃんは中々やるが、どうやら可愛い坊ちゃんの腕前はまだまだ未熟みてぇだなぁ」
「な、何だと貴様っ⁉」
「キレるなよぉ。本当のことを言っただけだぜぇ? 刀を操る基本からしてお粗末だ。力任せに振りゃいいってもんじゃねぇぜ?」
「うるさい悪党! 喋んな!」
「やれやれ、大人の言うことは聞くもんだぜ? まあ、どのみち殺すがなぁ」
 肩をすくめるバイシン。
 だが実際、リンフーとバイシンの実力差は歴然だった。
 それだけでない、踏んだ場数が違う。この男は、刃物を使っての戦いに慣れている。
 このままでは無駄に消耗ばかりする。そうして鈍ったところへ『閃穿脚』を連続で叩き込まれて死ぬだろう。
 ……そんな結果で終わってたまるか。
 命の危険を自覚した瞬間、胸中に抱いていた焦りは、そのまま士気に変わった。
 刀をギュッと握り、構えて出方をうかがう。
 こちらから攻めたら、攻撃を受けられた時に隙が出来てしまうだろう。だからこちらからは攻めない。ひたすら相手の攻撃を待つ。その上で体力を回復させる。
「しゃぁぁ‼」
 蛇のような気合を発し、バイシンの刀が鋭く蛇行した。
「ぎっ⁉ がっ⁉ だっ⁉ うわっ⁉」
 リンフーは刀で防ぐも、次々と放たれる太刀筋に、防戦一方となっていた。
 重い。少し気を抜いただけで、手から刀がすっぽ抜けそうだ。
 さらにその刃の嵐の中から、一筋の暴風の塊が矢の如く突き進んできた。知覚から考えを持たずに最小限の動きでその蹴り『閃穿脚』を避けた。斬撃も怖いが、この蹴りはもっと怖い。
 さらにシャーリィが、バイシンの背中めがけて刺突を繰り出した。
 バイシンは避けつつ、その脆い剣を半ばから分断してやろうと、右手の刀を背後へ走らせた。
 だがシャーリィの剣身は、やってきた刀と接した瞬間、それと同一の方向へ力を働かせて威力を大幅に和らげた。折られずに済んだのを瞬時に確認してから、すかさず剣尖を真っ直ぐ走らせた。
 バイシンは回転して体の位置をズラし、刺突を避ける。その回転に我が刀身を乗せ、振り向きざまに踏み込みと同時にシャーリィへ振り放った。
 シャーリィは剣身を迅速に手前へ引っ込める。その過程で剣と刀を擦らせ、その摩擦で勁を柔和に受け流した。それからすかさず再度の刺突。
 またも避けようとしたバイシンだが、淡くも鋭い光が目に刺さり、目がくらんだ。シャーリィが突き放った剣身が満月の光を反射し、狙い通りバイシンの目元へ当たったのだ。眉間を押されるような鈍い痛みと、脇腹をかすかにえぐるような熱い痛み。
 シャーリィの剣身が、脇腹をとらえていた。月光が当たることを計算して角度を調整したので、与えた傷こそ深いものではなかった。しかし、それでも傷は付けた。その脇腹からは、じんわりと血が衣服ににじんでいた。
「ぬぅ……?」
 さしものバイシンも、この一手にはたじろぎを禁じ得なかった。痛みよりも驚きが先行し、足元がもたついた。
 そこへ、もう一つの影が躍り出た。
 リンフーであった。
 内から外へ刀を振るう構えを取りながら、バイシンへと迅速に詰め寄る。
 バイシンは、重心が浮き上がって上手く動けない状態に陥っていた。これ以上ないほどの隙!
 ここで刀を振るえば、必ず当たる。
 そうして、この男を

 殺すのか?

 意思とは関係なく脳裏に浮かんだもの。
 それは、レイフォンと、挑戦者ガーハンの姿。
 レイフォンの一撃を受けたガーハンはあっけなく死体と化し、血溜まりに沈んだ。
 リンフーの刃もまた、そんなガーハンのように、血の池に寝伏せるしかばねを作ろうとしている。
 ――リンフーの動きが、一瞬、鈍った。
 それは、凡庸な武術家から見れば、稲光のようにかすかな隙であった。
 しかしバイシンは、それをみすみす逃すような甘い戦いは一度もしたことがなかった。
「リンフー‼」
 シャーリィの声。今まで聞いた中で、最も切羽詰まった声だった。
 リンフーとバイシンの間に、シャーリィが割って入った。剣で我が身を守るように構えていた。
 しかしそれは、はかない守りだった。
 閃くような速度で伸びてきた『閃穿脚』は、構えられたシャーリィの剣を容易くへし折り、奥へと突き進み、その幼い体へと破城槌のごとく突き刺さった。
「――っ」
 背中の向こうへ突き抜けんばかりの力に、シャーリィの意識が飛びかける。
 後ろへ跳び、『縮』の呼吸法も使って衝撃を和らげたが、それでもなお凄まじい威力だった。
 シャーリィの小さな体が鞠のように投げ出され、弾んで、転がり、やがて止まった。
 ……リンフーは一瞬、悪夢でも見ているような気分になった。
「シャーリィっ‼」
 リンフーは焦った足取りで、傷ついた銀色の少女へ駆け寄った。
 仰向けの小さな体を抱き起こし、薄く開いた銀の瞳を痛切に見つめる。
「大丈夫か、なぁ、おいっ⁉」
「……なんとか」
 シャーリィはきちんと返事をした。しかし、か細い声だった。
 あの蹴りの威力から察するに、結構な痛手だったはずだ。
 にもかかわらず、シャーリィは立って戦おうとする。
「おい、無理すんなよ!」
「否。問題、ない。まだ、戦え……っ!」
 ズキリと体の内側が痛み、体勢を崩すシャーリィ。
 リンフーは、頭が真っ白になりそうな絶望感を覚える。
 だがそれはすぐに、バイシンへの憤怒に変わった。
「貴様っ……!」
「おいおい、子供がそんな殺気立った目つきをしちゃいかんよ。大丈夫だよぉ、その嬢ちゃん、きちんと威力を殺したみてぇだからよぉ。それになぁ、その嬢ちゃんをやったのは俺じゃねぇ、オメェだよお坊ちゃん」
 何をヌケヌケと! と返そうとしたが、それは出来なかった。
 バイシンの言葉が正論であることを、リンフーが一番分かっていたからだ。
「オメェがいけねぇんだぜ? オメェが弱ぇから、嬢ちゃんが盾になるしかなかった。武術の弱さだけじゃねぇ、心も弱ぇ。オメェ、最後の最後で「躊躇った」な?」
「っ!」
 図星を的確に突かれ、息を呑むリンフー。
「やっぱりなぁ。殺さずに勝とうなんて、甘えんだよ。その嬢ちゃんは少なくとも、殺し殺される覚悟はしてたぜ? それすら出来てねぇオメェが俺に勝とうなんざ、千年早ぇんじゃねぇか……このクソガキがよぉ」
 凄みのある眼光に射抜かれる。
 リンフーは身震いする。
 それは、バイシンの眼光に怯えたからではなかった。
 自分の甘さ、思い上がりが、この状況を招いたことへの恐ろしさだった。
 他国から侵略を受けたとする。それに対して、される側の国は武器を取って戦う。彼らは侵略国を叩き潰す気持ちで行く。でなければ自国が蹂躙されるからだ。
 それは、個人対個人の戦いでも同じ。命を失えば、自分の命だけでなく、自分の大切なものがすべて侵され、奪われる。
 自分が負けて死んだり、相手を殺すことを躊躇ったりすれば、それによってもたらされる損害は自分だけの都合ではない。自分が背にしている大切なものも、危うくなるのだ。
 それを分かっていなかったからこそ、こんな無様な結果を招いたのだ。
 ――何をやっていたんだ、ボクは。
 握りしめた左拳を、顔面へ叩き込んだ。痛みと衝撃で視界に星が散る。
 目を覚ました。
「……シャーリィ、悪かった。あとはボクがやるから、お前はそこで待っててくれ」
 驚くほど静かな自分の声。
「否。駄目、逃げ……っ!」
 呼び止める声が聞こえるが、よく聞こえない。
 バイシンと再び対する。
「ほぅ? さっきとは違う目だな。ようやく腹ぁくくったかぁ?」
「やかましい」
 リンフーは一蹴する。
 改めて実感する。
 これはケンカではない。命のやりとりだ。
 ならば、自分の持つ技を信じて最善を尽くせ。
 ぎゅっと、右手の刀を強く握る。
「――いくぞっ!」
 豹のごとき瞬発力で突っ込んだ。
 彼我の距離が一気に縮まり、間合いが重なった瞬間、リンフーは刀を袈裟懸けに放った。だが当然、バイシンの太刀筋によって受け流され、方向をねじ曲げられる。
 すかさず放たれる『閃穿脚』。
 しかしリンフーは体を小さく捻って位置をずらし、最小限の動きでの回避を実行する。さらに、そのひねる力を、そのまま刀の方向を転換させる力として利用。横薙ぎに振った。
 またしてもバイシンの刀に受けられる。
 今度はバイシンの攻め手が始まった。『閃穿脚』を放つ。それを避けられた瞬間、すかさず刀で斬りかかる。
 だが、バイシンの斬撃は、リンフーの身に巻きつくような太刀筋によって横へ受け流された。
 リンフーは、この瞬間を狙った。相手は蹴りを出したばかりでまだ片足立ちだ。
 飛び込むような重心移動、後足の引きつけ、拳の伸び――それらの体術を一拍子で行い、鋭い前向きの勁を生み出して突く正拳突き『向穿捶』。しかし拳ではなく、刀を握っているので、刺突。
 バイシンは刀が伸びきる一瞬前に、軸足で大きく後ろへ跳んで間合いから逃れた。
 しかし、不意に口元へ流れてきた血の味に、バイシンは驚愕する。リンフーの間合いの外へ逃げたにもかかわらず、バイシンの頬には浅い切り傷が走っていたのだ。
 ――『向穿捶』は、一瞬だけ拳の可動域を限界以上まで伸ばせる。踏み込みと同時に後足を叩きつける足さばきは、その勢いを生み出すためのものなのだ。
 バイシンは頬から流れる血をぺろりと舌でたいらげると、ふざけ半分だった眼差しに強い警戒の色を浮かばせた。
 少年の動きが、変わった。
 今までの少年の動きは、力に任せて刀を振り乱すお粗末なものだった。おおよそ、まともに刀を振ったことなどないであろう素人丸出しな刀さばき。
 しかし、今は違う。
 技に、合理性がある。
 刀の振り方も、基礎をなぞらえたものになっている。拳法の技法も、上手いこと武器術に活かせている。
 覚えたてなのか、動きからは借り物臭さが否めない。けれど、それを貸した人物が極めて優れた師であることが、少年の技の随所からにじんでいた。
 ――リンフーもまた、驚きを隠せなかった。
 さっきまで息も絶え絶えだったのに、教わった通りの動きをした瞬間、急に動きが楽になった。今なら夜が明けるまで、刀を振れそうな気がする。
 きちんと正しい動きをすれば、威力が上がるだけでなく、無駄な動きが減って疲れにくくなるのだ。それを今、思い出した。
 リンフーは今まで、自分で自分の首を絞めていたのだ。
 改めて、己を叱責した。
 ――うぬぼれるな。
 達人でもないくせに、まして半人前のくせに、「型にはまらない」なんて妄言にすがりつくな。
 むしろ、型にはめろ。
 これまで教わってきた技術の枠内に、徹底的にとらわれろ。
 それらの技術は、自分なんか及びもつかないような名人達人たちの研鑽の結晶。それを、自分のような半人前が自己流で越えようなど、思い上がりもはなはだしい。
 信じるんだ、師父の教えを。
 信じるんだ、それを必死に掴み取ろうと足掻いてきた自分の努力を。
 信じるんだ――自分自身を。
 恐れることはない。
 ボクには、師父の教えがある。
 ボクの隣には、師父がいるんだ‼
「っ……おおおおおおおぁぁぁぁぁぁ!」
 再び、放たれた矢のごとく飛び出したリンフー。
 旋回し、刀を振るう。防がれる。
 閃光のごとく放たれる『閃穿脚』。リンフーはすかさず避けるが、再び同じ蹴りが飛んでくる。が、それも回避。そして斬撃、防がれる。
 怒涛のやり取り。白刃が流星のごとく飛び交い、時折弩弓のごとき蹴りが疾る。
 だが、リンフーはそれらをことごとく防ぎ、避け、ひたすらに付け入る隙をうかがう。
 隙を見つけた瞬間、そこへ強大な一撃をお見舞いする。〈御雷拳〉の戦法は、武器を持とうが変わらない。
 すでに何度目かの『閃穿脚』が疾る。バイシンの左脚から放たれたものだ。
 リンフーは少し左へズレて蹴りを回避しつつ、刀を左手に持ち替える。前の足で大地を激しく踏み鳴らし、地から跳ね上がった力に乗せる形で左腕を稲妻のごとく跳ね上げた。その手に垂直に握られた刀は、銀雷のごとく駆け昇った。――『母拳』第九招、『迅雷貫耳(じんらいかんじ)』。
「ぐぅっ……⁉」
 バイシンは己の重心の均衡(バランス)を捨ててまで、その突き上げの回避に全力を注いだ。顎から脳天まで貫通して即死する事態は避けられたが、臍(ヘソ)から鳩尾の位置まで抉るように斬られた。
 深くはない。しかし三下と侮っていた少年にここまでしてやられたことに、バイシンは内心で焦りを覚えた。
 その焦りを許せないという自尊心が、憤怒を呼び起こした。
「調子乗ってんじゃねぇぞぉ! 売り物風情がぁぁぁ‼」
 今度はバイシンが向かってきた。風のような運足で距離を詰められる。
 刀を矢継ぎ早に振るってくる。リンフーはそれらを防ぐ。
 時折やってくる『閃穿脚』も、どうにか回避する。
 いける。このままいけば、勝てる!
 また鋭くやってきた『閃穿脚』を、リンフーは回避。
 ……しかし、その『閃穿脚』が狙ったものは、リンフーではなく、その刀だった。
 度重なる衝撃で傷んでいたのも一因だが、その蹴りの破壊力もまた一因。――刀が根元から折れた。
「しまっ……⁉」
 ずっとリンフーの戦況を支えてきた頼みの綱の崩壊に、足から顎に向かって冷たい絶望感が這い寄ってきた。
 そんな、ここまで来て、折れるなんて。
「死ねぇぇぇぇっ‼」
 蹴った足へそのまま重心を移動させ、下向きの勁を用いて刀を振り下ろしてくる。
 このままいけば、刀の延長上にあるリンフーの左腕が切り落とされるだろう。
 ――諦めるな。
 刀を折られたからって、終わりじゃない。
 自分は見たはずだ。知っているはずだ。
 刃物を受け止める方法を。
 脳裏に浮かぶのは、レイフォンと初めて会った時のこと。
 彼は、リンフーが覗いてしまった門派の者の剣を、指二本だけで受け止めたのだ。
 リンフーの両手が、それを再現しようと勝手に動いた。
「なっ……⁉」
 敵の驚愕の声。
 リンフーは、受け止めたのだ。
 左右の手がすれ違う瞬間に、刀身を挟み込んだのだ。
 鋏(ハサミ)のように、敵の刀を受け止めたのだ。
 そして、左右の手の圧力で断ち折った。
 真っ二つに割れた己の刃を他人事のように眺めながら、バイシンが呆然と呟いた。
「『剪手(せんしゅ)』だと……? こんな高等技術を、こんなガキが……?」
 名前なんかどうでもいい。
 隙が生まれた。
 それだけで十分だ。
 リンフーは動いた。
 『母拳』第五招にして、一番最初に覚えた正拳突き『頂陽針』。
「させるかぁ‼」
 バイシンも、『閃穿脚』を放った。
 稲妻の槍のごとき爪先。
 最強の男から授かった剛拳。
 その二つが、真っ向からぶつかった。
 力の拮抗が起きたのはほんの一瞬。
 まさに暖簾に腕押し。リンフーの渾身の拳打は、蹴り足ごとバイシンの体を弾き飛ばした。
「うおおっ⁉」
 リンフーよりずっと大柄なバイシンの五体が、まるで紙屑のごとく飛んでいく。
 その先には断崖絶壁。
 しかしバイシンの身にかかる勢いは無慈悲に止まらない。
 そのまま――断崖の輪郭の奥へ吸い込まれた。
「っ……!」
 リンフーは思わず追いかけ、その崖を見下ろす。
 小さくなったバイシンの姿を見れたのはほんの一瞬。すぐに崖のはるか下に広がる黒い森の奥へと呑みこまれた。
 身震いが起こる。
 よもや、この高さから落ちて、無事でいられるわけはない。
 ――この勝負、生き残ったリンフーの勝利である。
 しかしリンフーの心には、勝利の喜びも、脅威が去ったことへの安堵もなかった。
 あるのは……虚しさだけだった。



終章『雷帝の一番弟子』


 ――ボクらが帝都へ帰るまでの流れは、次のとおりである。

 まず、ぐったりと伸びた人狩り連中を、一本の木に縛り付けた。馬車の中に、ボクらを拘束するのに使った縄が残っていたのが幸いだった。
 ボクは最初すぐに逃げようと提案したが、シャーリィが即座に反対した。こんな人通りのない夜中なら盗賊は出ないだろうが、狼が出る可能性はあるからだ。いくら武術が達者でも、狼の群れに襲われたら無傷ではすまないし、ましてシャーリィは手負いなのだ。なおさら危険である。ボクもシャーリィに賛成した。
 ならばどうしたか? 決まってる。夜明けまで焚き火を囲って待ったのだ。
 ボクらは焚き火の前で腰を下ろした。夏ではあるが、夜中は流石に冷えた。なのでボクとシャーリィは身を寄せ合い、互いの体温を分け合った。
 妖精のような美少女に恋人みたいにぴったり寄り添われ、ボクは恥ずかしさでずいぶんと紅潮していたが、その分かなり暖まった。
 さすがのシャーリィも恥ずかしいのか、無表情でほんのり頬を染めていた。
 途中で目を覚ました人狩り連中が、ボクらに対して恨み言を好き勝手吐き散らしてきたが、ボクは耳を貸さなかった。……ボクの胸の中にいるシャーリィの存在に、意識が完全にいっていたからだ。
 時間さえ忘れるくらい、とても心地よい体温だった。だからこそ、夜明けの日差しを見た瞬間、まるで数分後のことのように思えた。
 墨汁で塗り潰したような暗黒が、薄暗い瑠璃色の明度になったのを確認後、ボクらは焚き火を消してその場を離れた。……あいつらが縛られているのは街道から近い場所なので、助けを叫べば通りすがる人の耳に届くだろう。
 シャーリィは手負いなので、ボクがおんぶして歩いた。腕力は弱いが、足腰は『騎馬勢(きばせい)』の鍛錬のおかげでかなり強くなっていたので、シャーリィの重みを足と背で受け止めるようにすれば、おんぶは楽だった。
 馬車が向かった方向を逆走する形で、道なりに進んでいった。日が高くなるにつれて熱気が増してくるが、それにも負けずに歩き続けること一時間後、町が目についた。
 その町へ入って、ボクは帝都行きの馬車はないかと聞いて回った。しばらく聞き込みを続け、どうにか帝都行きの馬車を見つけた。
 なんという得難い偶然だろうか! その馬車の持ち主は、ボクを帝都まで乗せてくれた鏢局(ひょうきょく)だったのだ!
 それほど大きくない鏢局なのか、顔触れも以前とそれほど変わっていなかった。だからボクのことを覚えていてくれた。
 ボクは事情を説明した。
 すると、ボクがレイフォン師父に弟子入りすることを知っていた彼らは「『雷帝』から習った技を見せてくれたら乗せてやる」と言った。
 言われた通り、ボクは『母拳(ぼけん)』の套路(とうろ)を見せた。鏢士(ひょうし)たちは感激したように大きな拍手をして、乗せてやると言ってくれた。
 そうして馬車に揺られること数時間、昼過ぎに帝都に到着したのだった。



 帝都へ着いてボクがまず向かった場所は、ティンファさんの家だった。
 ボクはほぼ無傷だから良いが、シャーリィは違う。それを踏まえ、まずはシャーリィを優先すべきと考えた。
 ボクとシャーリィを見たティンファさんはびっくりした顔をした。無理もない。一晩姿を消していた娘が、ボクに担がれながら帰ってきたのだから。
 ボクらの顔つきからただならぬ事態を察したのだろう。取り乱したり、話を聞かずに叱りつけたりすることはせず、何があったのか冷静に説明をうながしてきた。人の良さそうなおばあさんに見えるが、やはり荒事慣れした凄腕の武術家というべきか。
 ボクはシャーリィが作っている袋の事は伏せつつ、始まりから終わりまで事情を説明した。
 聞き終えると、ティンファさんはコクンと一度頷き、座っていた揺り椅子からおもむろに立ち上がった。ボクの元へゆっくり歩み寄ってきた。
 殴られると思った。
 だってこの状況は、ボクが作り出してしまったようなものなのだから。
 甘んじて受け入れよう。
 だが、ティンファさんはボクを胸の中に抱き寄せた。
「ありがとう、リンフーちゃん。うちの子を守ってくれて」
 言葉が、出てこなかった。言いたい事がたくさんあったのに。
 代わりに、涙が溢れてきた。
 そんなボクにさえ、ティンファさんは優しかった。
 それからティンファさんは、シャーリィの手当てを始めた。その前に体を拭かないといけないためボクは部屋の外へ追い出された。
 それからしばらくして、手当てが終わったと言ってティンファさんが部屋へ入れてくれた。見ると、シャーリィは椅子の上ですうすう眠っていた。ずっと起きていたので、疲れていたんだろう。
 武術とは、肉体を破壊する技術だ。そのため、優れた武術家は人体に詳しく、医術にも明るいのだ。ましてティンファさんほどの武術家なら、手当てはその辺の医者より上手いはずだ。
 ティンファさんはボクのことも手当てしてあげると言ってくれたが、ボクはほぼ無傷なので丁重にお断りし、彼女の家を後にした。



 めっちゃ怒られる覚悟をし、ボクは師父の家に帰ってきた。
 拳骨の一つも覚悟していたが、意外にも師父は大人しかった。ボクから冷静に事情を聞くと、「今日は修行はいいから休め」と言ってくれた。
 ボクは体を拭いた後、師父から体に異常はないか聞かれた。「ない」と言うと、寝衣に着替えて寝台に寝かされた。
 寝室を去ろうとした師父を、ボクは「待ってください」と呼び止めた。
 どうしても、言いたいことがあったからだ。
 師父は話が長くなることを予想してか、寝室の壁に背中を預け、聞く姿勢を作った。
 ボクは、喉に引っ掛かった魚の骨を吐き出すような気持ちで、言った。

「師父、ボクは――人を殺しました」

 師父は驚きも、落胆もしなかった。ただただ変わらず聞く姿勢を続けてくれた。
 それを見て、ボクは少し気が楽になり、どんどん言葉を重ねた。
「ボクは昨日の夜……バイシンって奴を殺したんです。
 正直、今のボクじゃ、殺さずに勝つのは難しい相手でした。まして、ボクが斬るのを躊躇ったせいでシャーリィが怪我をして、余計に追い詰められていましたから。だから、あの時の殺しは生き残るため、シャーリィを守るため仕方のない事だって、相手は血も涙もない悪党なんだから当然の末路だって……ずっと自分に言い聞かせてきました」
 ギュッと、ボクは震えた唇を噛みしめる。
「でも……いくら言い聞かせても、心から消えないんです。黒くにごったものが、気持ち悪いものが、やってしまった事への後悔が。あの男を殺してしまった時の感触が、この拳から離れないんです。とても苦しいです。
 ボクは、どうすれば良いんでしょうか?」
 どんどん、声がか細く、弱くなっていった。こうして話している今も、黒々とした汚泥じみたモノが心に溜まって気持ち悪い。
 師父はしばらく黙っていたが、やがて稲妻模様の痣が走った顔をこちらへ向けて、言った。
「後悔したか」
 と。
「苦しんだか」
 と。
「不快感を覚えたか」
 と。

「――その感情を、決して忘れるな」

 ……と。
 ボクは絶望した眼差しで師父を見つめた。
 忘れろ、と言ってくれないのか。
 むしろ、忘れずに苦しみ続けろと言うのか。
 いくらなんでも、それは厳しすぎるのではないだろうか。
「お前は今、苦しいと思っている。だが、その苦しみを忌み嫌わず、受け入れろ。そして、誇りに思え。……それはお前が「人」である、何よりの証なのだから」
 だが、師父の口調は、いつもよりずっと穏やかだった。
「これから先、人を殺すたび、お前はそうやって苦しめ。もしそれが出来なくなり、いつしか死が当たり前に思えた時、お前を待っているのはわしと同じ「修羅」の道よ」
 後半を、強い口調で言った。
 それが、自嘲のように聞こえたのは気のせいか。
「わしが武術を学んだきっかけは、至極単純。……力が欲しかったからだ。誰にも、何も奪われぬ強さを得るため。そして――母のような「弱さの塊」になるまいと思ったため」
 師父はその言葉を始まりに、己の歩んできた人生を話し始めた。
 ――師父の母親は、一言で表すなら「男がいないと生きていけない女」だった。
 隣にいる男の顔ぶれが、何度もコロコロ変わっていた。男と恋仲になっては別れ、なっては別れを何度も繰り返してきた。……師父はその過程で生まれた子だったので、父親候補は死ぬほどいた。
 母はひどく感情が不安定で、突然暴れたり激昂したりした。その矛先は主に、幼かった師父に向けられた。ちょっとした失敗ややらかしをしただけで、顔が腫れるくらいの力で殴られた。
 母は弱い人間だ。
 弱い人間は辛抱が備わっていない。
 弱い人間は他人に依存することしかできない。
 弱い人間は自分よりもっと弱い人間を「的」にして八つ当たりし、心の平穏を辛うじて保つ。
 師父はそんな「的」だった。
 そんな母を、師父は最高の「反面教師」にして育った。
 自分より弱い者にしか居丈高になれず、男に媚びなければ今日を生きることすら出来ない女――こんな脆弱で惨めな生き物には死んでもなるものかと、師父は強くなる努力を惜しまなかった。
 そこで目をつけたものが、武術だった。
 道場に通う金などもちろんない。なので、あらゆる門派を『盗武(とうぶ)』して武術を覚え、取り憑かれたようにひたすら修練を積み、凄まじい勢いで力をつけた。
 その拳で最初に打ち殺したのは、当時の母の恋人だった。
 その男ほど「男の屑」という代名詞に相応しい人間はいなかった。見てくれだけは良い母を遊郭に売り飛ばして、賭博でできた借金を返そうなどと考えていたのだ。
 だから師父は、そいつの頭を勁撃(けいげき)で吹っ飛ばして殺した。
 そんな師父に、母は怪物でも見るような目を向けていた。……それからである。師父に対する母の態度が、媚びへつらうようなものに激変したのは。
 もう、普通の母子には戻れない――そう思った師父は、家を出て行った。
 それから師父は、さらに強くなるために修行を積んだ。メキメキと功力(こうりき)をつけていった。
 強さを実感するため、数多くの武術家と決闘をし、それらを殺してきた。
 その度重なる決闘の中で、自分に必要なものは「絶対的な威力の勁撃」と「確実に勁撃を当てる歩法」であると学び、やがて〈御雷拳(ごらいけん)〉を自ら作り上げた。
 その〈御雷拳〉で、師父はさらに多くの武術家を試合で殺した。最初よりも簡単に人が死ぬようになった。〈御雷拳〉こそ、己の武の完成形だと確信した。
 やがて師父は、凄まじい雷鳴のごとき一撃で有象無象のざわめきをかき消す男『雷帝』とあだ名され、武林最強の武術家となった。
 そして、
「何も得られなかったよ」
 師父は、沈んだ声でそう言った。
「最強の地位を欲しいままにしても、わしの手元に残ったものは、この血臭が染み付いた拳だけだった。一度は女を愛したこともあったが、力への渇望には勝てなかった。そうしてわしは、この手で何人もの人間を殺めたのだ。生み出せたのは屍の山と、その家族からの恨みだけだった」
「師父……」
「だからわしは、武術を捨てることにした。武術を捨て、一人の老人として余生を穏やかに過ごそうと思った。……だが、わしに寄り付いてくるのは、わしを倒して名を上げようとする武術家や、わしに恨みを抱いて殺しにかかる者ばかり。結局、力を振りかざしたツケが、戦いをやめた後にもついて回っているのだ。身から出た錆と言えよう。
 わしは家から出なくなった。庭の風景だけ眺めながら一人で茶を飲む一日を、何年も続けてきた。何も為さず、何も生み出さない。食って寝るだけの無為な日々ばかりを送ってきた」
 師父の、ボクを見る目が変わった。
 まるで、暗闇に灯った、ほんの小さな灯りを見るような目。
「――だが、お前が現れてくれたことで、わしに生きる意味が生まれた。お前はわしに「お前を育てる」という目的をくれたのだ。
 それから、灰色一色だった毎日に色が生まれた。賑やかになった。飯が美味いということを思い出せた。血で汚れたこのわしが、当たり前のように他者と笑い合える日々を、お前はくれたのだ。
 お前には、感謝の言葉もない。
 ……だからこそ、わしはお前に言う」
 師父は厳しくも誠実な眼差しでボクを見つめ、言った。
「わしの技は学べ。だが、わしのような生き方はするな。
 お前には、もっと明るい生き方をして欲しい。どれほど強くなろうと、その力に溺れるな。自分を愛し、友を愛し、女を愛し、多くの者から愛されろ。わしと同じくらいに老いぼれた時、幸せに笑っていられる人生を送るのだ。わしに出来なかったことを、お前にやって欲しいのだ」
 師父はガーハンを殺した時、ボクを見て告げた。「これが武術だ」と。
 あれはきっと、ボクに武術の恐ろしさを教えるために言ったのだ。
 教えることで、人を殺すということの恐ろしさを伝えようとしたのだ。
 ――自分のように、なって欲しくないから。
 今この瞬間ほど、師父の愛を感じたことはなかった。
 ボロボロと大粒の涙を流し、その顔を見られまいと顔を伏せながら、ボクは涙声で言った。
「ありがとう、ございます……!」
 視界が、水の中みたいに揺らぐ。
「ボクは、この不快感を一生大切にします」
 そんなボクの頭に、師父の手がポンと置かれた。
 分厚く、ゴツゴツしているが、人肌の柔らかさと暖かさのある手。
「あと、師父の手、全然血臭くなんかないです。――ボクと同じで体温がある、「人間」の手です」
 その感触を心底心地よく思いながら、ボクは泣き笑いを浮かべた。



 翌日になって、ボクは重要なことを思い出した。
 『清香堂(せいこうどう)』であの禿(はげ)に奪われた、作りかけの布袋の行方が分からないという事実だ。
 だが、まだ表布と裏布を縫い合わせるという最初の段階だったし、まだティンファさんの旅立ちまで猶予があった。なので、シャーリィとまた作り直すことにした。
 シャーリィもめげずにまた再挑戦し、そしてどうにか完成させた。
 やがて、その旅立ちの日が訪れた。
 ティンファさんが乗ることになっている馬車。そこへ乗ろうとするティンファさんへ、ボクとシャーリィは急いで駆け寄った。
「おばあちゃん」
 シャーリィの呼びかけに、ティンファさんはいつものように「なぁに? シャーリィ」と穏やかな微笑みを浮かべて言った。
「これ」
 シャーリィは「それ」を渡した。
「あらまぁ……」
 ティンファはニッコリ笑った。
 それは、麻紐で開け閉めを行う、掌程度の大きさの布袋。
 表布は、長寿を象徴する菊花の模様のある布を使っている。お年寄りに渡す贈り物としては定番だろう。
 だがティンファさんは目ざとい人だった。表布だけでなく、袋の中の裏布も見たのだ。
 裏布に使われている生地は、西瓜(すいか)の実の模様が付いたものだ。――西瓜とは、親孝行を象徴する植物である。
 これはシャーリィではなく、ボクの発想である。
 シャーリィの親孝行の気持ちを分かってもらおうと、この西瓜模様の布を選ばせたのだ。
 それを知ってか知らずか、ティンファさんはボクとシャーリィを同時に抱きしめた。
「ありがとうね。嬉しいわ」
 そう告げると、ティンファさんは馬車へ乗った。
 馬車が走り始め、追いつけなくなるまでボクらは追いかけた。
 やがて、馬車が見えなくなり、ボクらも立ち止まった。
「行ってしまった」
 シャーリィがポツンと一言。
「寂しいか?」
「……是(ぜ)。少しだけ」
「また戻ってくるさ」
「是」
「袋、喜んでもらえて良かったな」
 シャーリィは、こちらへ振り向き「是」と答えた。
「あ……」
 ボクは思わず目を見開いた。
 ――笑っていたのだ。
 これまで一度も笑顔を見せなかったシャーリィの口元が、ほんのかすかにだが、微笑みを作っていた。
 彼女の鏡面みたいな銀眼に映るボクの顔も、つられて微笑みを作った。
「なんだよお前、ちゃんと笑えるじゃん」



 ボクは、レイフォン師父に弟子入りするために、この帝都に来たのだ。
 なので、ボクにはこれからも、厳しい修行の日々が待っている。
 というわけで、今日の夜もご飯を食べる前に修行である。
 だがボクはその時、ふと思い出した疑問を師父へぶつけた。
 バイシンという男との戦い。その最後のあたりで、ボクは奴の刀を素手で受け止めた。
 奴は、あの技を『剪手(せんしゅ)』と呼んでいた。
 師父に聞くと、『剪手』とは、両手を交差させる力で刀を受け止めてそのまま挟み折る、クゥロン武術の高等技術なのだそうだ。基本的には両手で行うものだが、さらに熟達した武術家は片手の指二本で行えるらしい。
 ボクはそんな技を習ったことがない。なのにどうして、そのような技を使うことができたのか。
 それを問うと、
「黙念師容(もくねんしよう)だ」
 聞いたことのない言葉が返ってきた。
「武術とは、体を動かすだけではない。見ることもまた武術なのだ。相手の実力を見定める眼力、師父の技を見て理解する眼力、これらがあるのとないのとでは上達や生存の確率がまるで違う。――お前は三年前のわしの『剪手』を見て、それをしっかり目と心に焼き付けた。だからこそ土壇場でその技が出たのだ。そのように師の動きをよく見て、それを分析、理解し実現することを、武林では「黙念師容」と呼ぶのだ」
 それは、きっと憧れていたからだろう。
 師父への憧れが、バイシンとの戦いに勝利をもたらしたのだ。
 だが、師父は言った。技は学んでも、生き方は学ぶなと。
 さらに師父は弟子入りの時、ボクにこう命じた。
 ――少しずつでいい、武術をやる理由を決めておけ。
 師父のおっしゃる通り、武林(ぶりん)は純粋な憧れだけでは渡っていけない、殺伐とした世界であった。
 ボクが憧れていた武勇伝は、血生臭い戦いが、大衆向けに美しくボカされた話なのだと知った。
 だからこそ、武術を続ける上で、憧れ以外の確固たる「信念」が必要であると感じた。
 その「信念」は、すでにボクの中に生まれていた。
「師父、いいですか」
 師父は「なんだ?」と言った。
「師父はおっしゃってましたよね。武術を続けるには「信念」が必要だって」
「うむ」
「ボクは、今、それを考えつきました」
「言ってみろ」
 ボクは頷いて、はっきりと言った。

「この手に届く範囲のモノを、守りたい時に守れる力が欲しい――それがボクの、武術へかける願いです」

 ボクは知ったのだ。
 負けたら取り返しがつかなくなることが、この世界にはあると。
 もしボクがバイシンに勝てなかったら、シャーリィのあの笑顔を見ることは、もう二度と出来なかったのだ。
 そう考えると、怖くてたまらなくなるのだ。
 だからボクは思った。
 失わないために、強くなりたいと。
 自分の守りたいものを、守りたい時に守れるようになりたいと。
「……そうか」
 師父は、黙って頷いた。
 その口元がうっすら笑っているように見えたのは、夜闇でよく見えないがゆえの見間違いだろうか?
 しかし、師父はすぐに普段通りの厳しい表情となった。修行の時にする顔だ。
「だが、自分を守るためにしろ、他を守るためにしろ、実行するには力が必要だ。力の伴わぬ信念に価値はない。だから、もっと精進して功力を積むがいい」
 いつもの厳しい物言い。
 だが、それが今では心地よくすらあった。
「はい!」
 ボクは威勢よく返事をした。
 目標は定まった。
 あとは、師父の教えを守り、精進し、強く成長するだけだ。

 それが『雷帝の一番弟子』である、ボクの使命なのだから。
竜生九子 YTgYjBz1n6

2021年01月07日(木)22時38分 公開
■この作品の著作権は竜生九子さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
 初投稿です。
 ジャンルは「中華風武闘もの」でしょうか……
 内功と称して空飛んだり波動拳出すみたいな感じの武侠ものではなく、純粋な中国拳法を元ネタにした武術ものです。
 拳児とか李書文とか分かる人にはオススメかも。

 なろうに投稿してから、GA文庫大賞に応募。
 結果は一次落ち。
 主な理由は「もう少し突飛なキャラを作って欲しかった」だそうです。

 このまま手元で腐らせるのもアレかと思い、電脳世界にうPさせていただいた次第。
 読んでいただければ、幸いです。


この作品の感想をお寄せください。

2022年08月10日(水)10時02分 ドラコン 
 ドラコンと申します。第一章の終わりまで、軽く流し読み程度で恐縮ですが、拝読しましたので、感想を申し上げます。

 まず、以下の3点で、話に入っていきにくかったです。

 1、タイトルが弱い。
『雷帝の一番弟子』とのタイトル自体は不当ではありません。しかし、『雷帝の一番弟子』【だけ】では、「中華風武闘もの」とまでは分かりません。ロシア皇帝の「イワン雷帝」がいることもあり、『雷帝の一番弟子』だけなら、西洋風でも使えるタイトルです。私でしたら、タイトル(本題、副題問わず)に「武侠」「武林」といった「中華武闘もの」のキーワードを入れておきます。

 2、主人公の名前が出てくるのが遅い。
 主人公・リンフーの名が出てくるのが、序章を過ぎて、第一章でヒロインと出会う場面です。これでは遅過ぎます。一人称で、序章がほぼ主人公の独白だった、との事情はあるでしょうが。私でしたら、1行目で「ボクこと、リンフー」と主人公の名前を出します。

 3、あらすじがない。
「作者コメント」では、かろうじて「中華武闘もの」のとジャンルは分かります。ですが、「どんな話か」が全く書かれていません。「GA文庫大賞に応募」とのことでしたら、応募時にあらすじを添付されていると存じます。そのあらすじを記載していただきたかったです。あらすじなしで批評するのは、キツイですね。

 拝読した範囲では、「中華武闘もの」の雰囲気は良く出ていました。雷帝も、「これぞ武人!」という人物として描かれていました。

34

pass
2021年03月03日(水)16時04分 t 
こんにちは
序章『雷帝』から第一章『入門』までですが読みました。

良かった点は、
「騎馬勢」「鏢士」といった魅力的な言葉で世界観が作られていました。
最初に武術と聞くと身構えてしまいそうになるところで、読んでいて、「老人は二指ではさみ取った剣身をピキィン! とへし折った。」などといったように。全体的にギャグ調だったので気軽に読みやすいものになっていました。

悪かった点は、
シーンや文章といった一つ一つが長かったのと。
自分の手の届く範囲で書かれており、ストーリーの引き込みができていませんでした。

一つ一つが長かったことについてこれは”なろう小説”をターゲットにするなら正解です。無理に変える必要はないと思います、長いことが悪いわけではありません。
ただこういった新人賞では、
読んだまでの感想で恐縮ですがおそらく今の文字数でいうところの3倍4倍、で到達するであろうボリューム、それを圧縮し規定文字数に収まるようなものが求められています。
書きたいことが枚数制限のせいで大体書けない。
その圧力があってもどれだけ書けるかになってきます。
なろうとは趣向が違うのでもし目指すのであれば、どの年代のどのレーベルでもいいので受賞作を1冊しっかり読み、新人賞に求められているボリュームがどれくらいの規模になりそうか。
感覚として掴んでおくことをおすすめします。


次にストーリーの引き込みについてです。
主人公がおこなった盗武には命を落とすに等しいくらいのリスクがあります。となれば日時、時間帯、場所、さらに盗武する相手も誰でもいいわけでもありません。普通は「計画」を練りますね。

本編で5人の男から逃げる絵面は想像してて面白い。
しかし主人公は逃げるだけで「計画」についての地の文(一人称)はほとんど書かれていませんでした。こういったところで、ノリで書かれているなと読者に見抜かれてしまいます。
だからダメだとネガティブな意味で言っているのではありません。
日時、時間帯、場所などが含まれていれば一人称で書けるものがもっともっと面白くなります、ポジティブに受け取ってください。

その後で登場するレイフォンもやってることは面白いです。レイフォンはなぜそこにたまたま居合わせたのか現状では登場しただけで終わります。ここでも彼が登場するのが自然と読者に思わせるようなストーリー運びを意識されると、化学反応が起きてもっと面白くなります。

具体的に何をどうすればいいか分からない場合もあるかもしれません。
その参考でもないですが、例えば……。

5人の男から逃げている時に、主人公は家庭の事情でお金がなかったとあります。
主人公は日時、時間帯、場所を計画して、盗武していたが不運にも貧乏のせいで見つかってしまい、5人の男から貧乏のせい(靴とか)で逃げられない。あてもなく逃げていたのではなく逃走経路も用意している。

(ヒロインはできるだけ早くだすのが定跡なので)
銀色少女(シャーリィ)が練習している場所で、シャーリィに5人の男をぶつけてその隙に逃げるつもりだった。現地にいくとシャーリィではなく爺がいて助けてくれる。
爺はシャーリィを探してここまで来たと言った。主人公は自分がシャーリィだととっさに嘘をついた、「お願いします。どうかボクを弟子に加えてください」。

一番おいしい場面だけを書くのではなくそこに始まりと終わりをつけてやる。……といったような感じです。



長くなりましたが以上になります、応援しています。
54

pass
2021年01月09日(土)09時20分 ふじたにかなめ 
冒頭だけ読ませていただきました(出された課題をクリアして弟子にしてもらったところくらいで一万六千字)。

武道に憧れる主人公が成長する物語だと思いました。
話の趣旨の伝え方は分かりやすくて良かったと思います。

ただ、冒頭自体は成長ものだとは伝わったけど設定や物語的に斬新さを申し訳ないですけど感じなかったので、コメントにもありましたが、キャラを工夫すれば公募で求められている「斬新さ」を感じられたのかな?って思いました。


文章自体は特に読みづらさは感じませんでした。
ただ、ボクという一人称なのに、三人称な書き方が気になりました。

例えばですが、

>後頭部でまとめた一束の三つ編みが、踏み出すたびに跳ね躍る。

跳ね躍るって、主人公が後ろの髪を見ているように書かれてますし、必死に走っている主人公が気にするのは、自分の髪ではなく、追ってくる人なのでは?って思いました。

> 周囲の人は、何一つ争いごともなく、平和な様子を見せていた。
> そんな穏やかな街中に似つかわしくない恐怖と緊張の表情で、

周囲の人間が平和な様子を見せていたら、私ならですが、もうちょっと助けてほしいなー心配してほしいなーって、ひそかに期待しちゃいますね。
それか、無関心に対して恨めしく思っちゃうかもです。
また、主人公が自分の表情を他人のように観察しているようです。

そのため、三人称みたいに感じました。
また、十一歳にしては表現が硬いかな?とも思いました。個人的にはこのくらいの硬さは好みですけどね。
例えばですが、「刮目する」っていう表現と、「目をこすってじっと見る」みたいに、同じ意味だけど言葉のチョイスを変えると硬さが変わると教えてもらったことがあります。
でも、これは一人称だから気になるのであって、もしも三人称で書かれていたら、「うまく書けてますね」っていう180度違う評価になると思いました。


主人公の女顔を揶揄うやりとりは好きでしたよ。
あと、ここまでで読むのを止めたのは、特に中華の武道を通して地道に成長する物語に私自身が興味なかったからです。読み手の問題ですね。作品は全く悪くないです。

展開的について個人的な欲を言えばですが、例えばベストキットみたいに最初に主人公が嫌な奴にいじめられている立場など、盛り下げの演出などが冒頭にあって、ずっとそれが物語を引っ張るような構成だったり(ザマァ系や復讐系)、
主人公か家族がピンチで、助かるためには強くならないといけないなど、強い目的があったり、
主人公が師匠になる人と出会った場面と、三年後の場面の間に、何かしら主人公たちがピンチになるような伏線(師匠を滅そうとする不穏な存在など)が入っていたり、
もしくは、もっとテンポよく話が進んでいたり、
そういう展開的に私好みの工夫が何かしらあれば、中華風の武道に興味のない私でも、これからどうなるんだろうって気になって読み続けたかもしれません。あくまで可能性の話ですが。


主人公については、不快に感じる要素はなかったものの(でも、盗武について禁忌中の禁忌なら主人公は知らないほうがよかったかも)、ここまでで好きになる要素が少ない(頑張って練習を続けたという事実くらい)のと、私自身「武道で強くなりたい」っていう主人公の気持ちは理解できるけど武道に私が興味がないので関心を持てなかった感じです。

自分のことを棚に上げて気になる点を書きましたが、何かしら参考になれば幸いですし、あくまで個人の意見なので合わなければ流してくださいね。

全部読まないで感想を書くのは相手に対して失礼、もしくは意味がないと考えている人がいるとは思いますが、長編の間ですと感想をもらうまでにハードルが非常に高い(過疎化が進みそう)と私は思うので、何かしらできる範囲でお手伝いしたいと考えています。気に障ったら申し訳ないですけど、色んな考えの人がいると受け止めていただけると助かります。

ではでは、失礼しました。
61

pass
2021年01月08日(金)16時53分 如月千怜 
どうも初めまして、如月千怜です。
久しぶりに新規の方が長編を書いているみたいで少し安心しました。
最近のこのサイトはいささかユーザーモラルに欠ける利用者が多く(もっとも私も行儀が悪い部類に入る利用者ですが……)人離れが深刻化していたので、新規の方は歓迎します。
少なくとも自分がされて不快だったレスはしないようにするつもりなので、よろしくお願いします。


ちなみに途中までしか読んでいない感想なので点数評価はなしにしています。
気になった部分としては漢字がすごく多いと思いました。中華系の作品なら仕方がないとは思うのですが、もっと減らさないとライトノベルレーベルで受賞するのは厳しいと思います。
もちろん読み仮名をキチンと振っていることは、読みやすくなるように努力をされている証拠と思います。

あと一番気になったところを引用しますが

>> 気がつくと、ボクは吸い寄せられるように道場へ近づいていた。
 気がつくと、ボクは塀の近くにあった箱に乗って、塀の向こうの練習風景を覗き込んでいた。
 気がつくと、練習中の弟子の一人と目が合っていた。

ここは初心者の方がよくする失敗が詰まっている部分だと思います。
同じ書きだしを続けるのは地の文が平坦になるのであまり好ましい文法ではありません。あと〜た」で終わる文末を続けすぎるのも地の文がぶつ切りになって良くないです。
文末と文頭は同じものを続けないように意識すればすぐに効果が出ると思いますので、今後の参考にしてください。
特に「〜た」は十回以上続いている箇所もありましたので。



途中までの文法を指摘するだけの感想で申し訳ないのですが、悪いと思ったところは正直に申し上げた方がいいと思って書いていますので、ご了承下さい。
では今後も執筆頑張ってください。
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